会社経営者、営業担当者、大学理事長、職業講師、コンサルタントを兼ねる私は、人と出会う機会が非常に多い。
そのなかで、とくに感じる疑問の一つ。
「本をたくさん読んでいるわりに、なぜこの人はこんなに頭が悪いのだろう」。
本を読むというからには、「学ぶ」意欲はあるはずだ。
それで、頭が悪いとしたら、もう本との「接し方」が間違っているとしか思えない…。
1冊読んで、百冊分も学べる人がいる。
かたや、百冊読んで、1冊分も学べない人がいる。
本との接し方により、それほどの大差がつく。
両者の決定的な違いは何だろう。
それは「考える」に尽きる。
当然だが、本は「読後勝負」になる。
なぜなら、売れない本でも、千人や2千人は読んでいる。したがって、読むこと自体にたいした優位性はない。
本のテーマや内容について、どれくらいしつこく考えつづけられるかが差別化の源泉であり、頭の良し悪しの分かれ道となる。
めったに本を読まない私に、絶対というこだわりがある。
それは、本に関わる時間配分だ。
「読む」に1を要したら、「考える」に10をかけている。そして、その後に「行う」に 100を費やすようにしている。
実際、私がここ数年間で読んだ本は1冊にすぎない。
「ベンチャー創設」をテーマとしたビジネス書であり、これに関して先ほど述べた配分より、読後にはるかに長い時間を割いている。気が遠くなるくらい…。
その結果が、超短期上場を目指す「ベンチャー」への参画である。新会社は、大安のきょう、設立登記された。
もう一つ、IT企業との折半出資により、営業支援と営業指導のベンチャーを近々立ち上げる。
他人の本を1冊読めば、例えば自分の本を1冊出すし、自分たちの会社を1社つくる。
「知った」のでなく「学んだ」という以上は、それをかならず何らかの“カタチ”で表現するように、強く戒めている。
「一冊一行(いっさついっこう)」。
私自身の座右の銘にほかならない。
本が「考える」きっかけになり、さらに「行う」きっかけになっていること―。
ならば、それなりに豊かで幸せな職業人生を“謳歌”できるのではなかろうか。
結局、頭の良し悪しは、「本をどれくらい読んだか」でなく、「本でどれくらい考えたか」で決まる。
前者では本が“目的”となっているのに対して、後者では本が“手段”となっている。
「月とすっぽん」とは、このことだ。
Copyright ©2007 by Sou Wada
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毛筆で味わう
そのなかで、とくに感じる疑問の一つ。
「本をたくさん読んでいるわりに、なぜこの人はこんなに頭が悪いのだろう」。
本を読むというからには、「学ぶ」意欲はあるはずだ。
それで、頭が悪いとしたら、もう本との「接し方」が間違っているとしか思えない…。
1冊読んで、百冊分も学べる人がいる。
かたや、百冊読んで、1冊分も学べない人がいる。
本との接し方により、それほどの大差がつく。
両者の決定的な違いは何だろう。
それは「考える」に尽きる。
当然だが、本は「読後勝負」になる。
なぜなら、売れない本でも、千人や2千人は読んでいる。したがって、読むこと自体にたいした優位性はない。
本のテーマや内容について、どれくらいしつこく考えつづけられるかが差別化の源泉であり、頭の良し悪しの分かれ道となる。
めったに本を読まない私に、絶対というこだわりがある。
それは、本に関わる時間配分だ。
「読む」に1を要したら、「考える」に10をかけている。そして、その後に「行う」に 100を費やすようにしている。
実際、私がここ数年間で読んだ本は1冊にすぎない。
「ベンチャー創設」をテーマとしたビジネス書であり、これに関して先ほど述べた配分より、読後にはるかに長い時間を割いている。気が遠くなるくらい…。
その結果が、超短期上場を目指す「ベンチャー」への参画である。新会社は、大安のきょう、設立登記された。
もう一つ、IT企業との折半出資により、営業支援と営業指導のベンチャーを近々立ち上げる。
他人の本を1冊読めば、例えば自分の本を1冊出すし、自分たちの会社を1社つくる。
「知った」のでなく「学んだ」という以上は、それをかならず何らかの“カタチ”で表現するように、強く戒めている。
「一冊一行(いっさついっこう)」。
私自身の座右の銘にほかならない。
本が「考える」きっかけになり、さらに「行う」きっかけになっていること―。
ならば、それなりに豊かで幸せな職業人生を“謳歌”できるのではなかろうか。
結局、頭の良し悪しは、「本をどれくらい読んだか」でなく、「本でどれくらい考えたか」で決まる。
前者では本が“目的”となっているのに対して、後者では本が“手段”となっている。
「月とすっぽん」とは、このことだ。
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