6km歩いた。酔いだしたらろくなことはできない。

おとつい長めの距離を歩いて、きのうは疲労感があったので休んで今日は、また早朝、8000歩、6km歩いた。

土曜日はだいぶん精神的に弱っているのを歩きながら嫌というほど感じていたけど、今日は改善されており、悪くない状態だった。

もしも土曜日に歩いて無くて、今日が久しぶりのウォーキングであったならば、きょうはもっと不安感に苛まれていたことだろうと思う。29日土曜日の悪い状態に比べたら今日は、ひとつバリアに包まれたように感じるくらい、すごくいい状態というわけでもないのだが、普通でいられるようだった。

途中ちょっとだけ全速力で走ってみたりもした。身体を動かすことで得られる心の変化。もっと何時間も歩き続けて、もっと長い距離、20km、30kmとかいっぺんに1日で歩いたらどういった精神の変調を感じられるのだろうか。

歩くことだけではなく、筋トレでもストレッチでも、何かについて調べることでもいいし、部屋を掃除することでもいい。いままで掛けたことない力をあることに注ぎ込むことで得られる効用をもっと感じたいと思った…。 

でも今日は疲れてしまって、歩いてオートバックスに車検証を取りに行ってという、それだけのことしかしてなくてあまり生産的なこともすることなく1日を終わらせてしまいそうだ。

歩きながら今日もエックハルト・トール著「ニューアース」に書かれていることについて考えていた。ひとに責められたり、侮辱された場合は、報復をしかけるのではなく、それにより自分の中に巻き起こった感情、思考を観察せよと…。一時的に自己が小さくされたような不快感を味わうことにはなるが、なにも反応しないでいると、やがて今まで感じていれなかった広い生命力のあふれるスペースに気づくことができるのだと。

エゴというものをとにかく否定するのである。不幸の源泉だと。得して満足することがない。満たされたとしても、ほんのひと時で、また次の不満を見つけ出す。それがエゴであると…。

エゴを殺すこと、殺さないでいること、そのメリット、デメリット。

とにかく10月も最終日。あと一ヶ月で高知に来て一年だ。

情報集め。ペインボディ③

それゆえ、ペインボディに対処する最初のステップは、その顕在化のサインを認識すること、を学ぶこと。
ペインボディに餌をやらない、ただしシャドウに留意して  ウィルバー哲学に思う

これも興味深く面白かった。でもエックハルト・トールじゃなくてトーレが正しい発音なのかな…。
 

情報集め。ペインボディ②

第6章 「いまに在る」という意識が私たちを解放する ドン・ガバチョ

エックハルト・トールが自らの考えを説明するためにつくったことばペインボディ。人の中に存在して、不幸を好み、呼び寄せる、生命体のような存在。それについてネットで検索して調べてたら、『ニューアース』の内容をそのままコピーしてるサイト見つけた。たぶん一部じゃなくて全部だと思う。これは、あれだとしても、ユーチューブとかだと本の内容を朗読してる動画とかもあるけど、ああいうのは著作権的にどうなんだろう…。

情報集め。ペインボディ①


ペインボディはまるでそれ自体が生き物のようだ、とエックハルトさんは言います。
私たちが生きていくためにエネルギーを必要とするように、ペインボディも生きるためにエネルギーを取り入れます。ペインボディが生き抜くための糧は、悲しみ、怒り、不安など私たちのネガティブな感情です。 ペインボディ ハッピー☆マトリックス

エックハルトの言うペインボディについて言及してるスピリチュアルブログ。ペインボディは人の中にあるもう一つの生命体のようなもので、おとなしくしている期間と、活動期があるというのがおもしろいな。
でも、その対処方法としての今ここに生きるとは、どういった状態のことを言っているんだろう。単純に過去や未来にこだわらず、今に集中するということなのか、もっと深い意味があるのか。


7km歩いた。こわいペインボディ。

朝、まだ日もてってない時間帯に何週間かぶりに歩いた。
精神状態がわるくて、不安感、恐怖感が常にあったので、とりあえず改善の兆しが見えてくるまで歩き続けてみようという気になり、長目の距離になった。

心と身体にとってプラスになるだろうからと、前から何度も習慣化させようとしていた散歩なのに、なんでそんなことすら継続することもできなかったんだろう俺は…という情けのない気持ちになった。

ちょっと時間をかけて歩くこと自体、苦痛ではないし、密やかな楽しみすら見出してたし、そのたびに心体への良い効能もかんじていたのに。 毎回の習慣を途切れさせてしまった時のことを覚えているわけでもないが、簡単にいうと病んでしまっていたのである。6月には虫さされで、なかなか症状が治らず、不運としかいいようのない出来事にも見舞われもした。

何で病んでしまうのか。こんなにも脆いのか…。

嫌な出来事、悪意、過去、マイナス的思考の繰り返し、被害妄想、アルコール、ネット、スマホゲーム、現実逃避、怠惰な生活 、だるい体。

ペインボディ。

数ヶ月前に手にした、自己啓発本、スピリチュアルの本。エックハルト・トール著 「ニューアース」に重要なワードとして登場したものである。

不幸を餌として増殖し、不幸を呼び寄せ、あらゆるトラブルのもととなるペインボディ。そんな悪しきものが人間のなかには本人も気づかない形で存在しているのだとエックハルトは言っている。

自分のなかに不幸になることを望んでいる存在がいるなんて、にわかに信じがたいが、読んでいると思い当たる節も確かにある。

負の感情が沸き起こってきたら、ペインボディだと意識する、観察する、思考と自分を同一視しない。そんなことが大切らしい。

ペインボディは必ずしも嫌なことを引き起こすのではない。それはつまりもうこれ以上、苦痛に耐えられないというところまで人をもっていき、目覚めを呼び起こす作用がるということである。


あぁ…でもまた夢みてんのかなぁ…。奇跡を信じて、それだけに頼りだしたら人間終りやんな……。
 

明日も歩く。

夕方3キロ程散歩。身体が疲れてるから、体力つけようと体動かして余計疲れるというジレンマ。背中が生霊にとり憑かれてんのかっていうくらいダルい。

なんとか解消しようと中山式快癒器とアンメルツを続けていこうと思うけど今日はサボってしまいそう。継続って難しい。

 

謎の虫

IMG_1673

最近、週一くらいで出現する素性のわからない虫。窓を開けたら飛び去るけど、まあまあでかいし、不気味な音立てて飛んでるしこわい。


日蓮と坂本龍馬。違う時代を生きた2人の人物の共通点についての考察

誰か興味を持てる人物が現れると、いつも僕がするのは、その人物の名前と一見まったく関係がないような他の人物の名前を並べてグーグルで検索して何か接点がないか調べることです。ちょっとした趣味みたいなもんです。

で今、鎌倉時代の有名なお坊さん、日蓮宗の開祖、日蓮上人に心がとらわれているので、日蓮とほかの歴史上の偉人や評論家など名前とで検索してるんですが、「日蓮 坂本龍馬」で検索したら少しおもしろいことがわかり、そこから派生して自分的にもいくつか気づいたことがあったので書いてみます。

長松清潤『仏教徒 坂本龍馬』につき雑感 

読んだ文章へのリンクを貼ろうとしたら、全然見つからなかったんで、同じような内容が書いているサイトへのリンクを貼ったわけですが、勉強不足で正確に説明できませんが、要はあまり知られていないけど龍馬は仏教の教えをすごく良いものだと考えて、国が率先して仏教の普及に務めるべきだという主張を持っていたみたいです。

これが、法華経こそが釈迦の本当の教えであり、その正法を人々が信じないから様々な災害が起こっており、このままでは国が滅びると幕府や民衆に主張し『立正安国論』をかいた日蓮とかぶると、ある個人ブログで、その方は書かれていたんです。

なるほどなーと思いつつ、その後自分でも少ない知識で色々と考えていたら、その他にも、この2人にはいくつかの共通点があるぞっと気づいたわけです。


まず1つ目は、2人が残したスケールの大きい己の志を示した言葉です。「日本を今一度洗濯し候」。とても有名な言葉ですよね。龍馬が故郷の姉に手紙で書いた一節とのことです。

「我、日本の柱とならん 我、日本の眼目とならん 我、日本の大船とならん」三大誓願と言われているそうですが、日蓮もこういう言葉を残しているんですね。個人でもなく家族でもなく仲間でもなく、ましてや人類全体をというわけでもなく、あくまでもなんとかしたい対象は日本。たまたまとも言えますが、この共通点は注目すべきポイントかと思います。

 
そして2つ目は、海の向こうからの脅威で日本がピンチに陥ったタイミングに現れた英雄であるという点です。ペリー率いるアメリカ海軍艦隊、いわゆる黒船が日本に来航した幕末に、活躍した龍馬。たしか勝海舟は、明治維新は龍馬がひとりでやったことさ的な言葉を残していたと記憶しています。

日蓮の生きた鎌倉時代は、1200年代が入りますが、13世紀はモンゴルの世紀と言われるように、モンゴル帝国が覇権を広げていました。その毒牙はやがて日本にも向きました。俗に言う蒙古襲来です。圧倒的な力の差があったにも関わらず、奇跡的にモンゴル人の兵士達が乗った船々は嵐に襲われて、日本は難を逃れるわけです。

日蓮は蒙古襲来の数年前に、こういった日本を滅ぼし兼ねない脅威が迫ってくることを予言していたそうです。先日見た映画『日蓮と蒙古大襲来』では日本が攻められるなか、命がけで雨に打たれながらお経を唱える日蓮の姿がありました。そして、当初日蓮を否定し迫害していた、幕府のお偉方たちも、モンゴルの脅威が過ぎ去った後は、日蓮が正しかったんだとひれ伏す感じで、映画はエンディングを迎えていました。

日蓮がお経を唱え祈ったから、嵐が起こり日本が救われたと信じてみるのもいいですが、そこまでいくとはっきり言ってオカルトですよね。でも考えてみたら、龍馬も、「司馬遼太郎の創作だ」とか「本当は大した活躍はしていない」みたいなことはよく言われていますよね。歴史に残る偉人でありながらも、その活躍の度合いは不確かであるという点もふたりは似ていると言えないでしょうか…。


そして最後、3つ目。ますますオカルトなんですが、どちらも伝説の生き物である龍とゆかりがある人物だということです。龍馬が生まれる前日に母親が龍が出てくる夢をみた、ついでに生まれてきたら背中に馬のたてがみのように毛が生えていたことが龍馬という、一風かわった名前をつける由来であるというのはよく知られるところです。

坂本龍馬の本名は「龍馬」じゃなかった!?

さきほどネットで調べていて知ったんですが龍馬というのは、子供の頃からの呼び名ではありますがあくまで通称で、本名ではなかったんですね。本名は直柔(なおなり)といったそうです。でもこれも途中で改名したもので、もともとは直陰(なおかげ)で法華経の一節「質直意柔軟 柔和質直者」から陰を柔にかえたという説があるそうです。法華経は日蓮がこれこそが真実の教えが書かれた経典だと主張していたものですから、おもわぬところで、新たな繋がりが見つかりました。龍馬は日蓮のことをどう思っていたのか、昔の偉いお坊さんのひとりくらいの認識なのか、特別な思い、リスペクトがあったのかどうか、そのへんも気になるところではあります。

龍のはなしに戻りますが、日蓮にも龍にまつわる逸話があるんですね。日蓮が隠棲しているおり、山で信者たちに説法をしていた。それを近くに立って聞いている妙齢の女がいた。みなが不審に思っていたら、その女は、たちまち龍の姿になり山頂へ飛んでいったという七面天女(しちめんてんにょ)の伝説です。

仏教において龍は守護神という存在なのですね。ちなみにこの龍が姿を現したシーンは、日蓮宗をわりと真剣に信仰していたと言われている、江戸時代の絵師、葛飾北斎が『七面大明神応現図』という題の絵で見事に描いています。

そして、日蓮は幕府の反感を買って、処刑されかけますが、謎の光の玉が現れ、処刑執行人がもつ刀は折れて、ギリギリのところで難を逃れたという話もあります。その場所の名前が龍の口であったことから龍の口の法難と呼ばれています。


以上が、今回気づいた日蓮と坂本龍馬の共通点です。だからどうしたと言われたら困りますが、いろいろオカルト的な空想も広がって面白いなぁと思った次第です。




 

Amazonアソシエイトのアカウントが…

ブログを半年間更新しないで放置してたけど、また書きたくなってきたので先日再開さした。できるだけ気軽な気持ちで、継続していけたらと思っている。

でAmazonアソシエイトの管理画面みたら、“あなたのアソシエイトアカウントはクローズされました。”というメッセージが…。新しいIDを登録せなあかんのかなぁ、めんどくせぇ~。

ま、ブログタイトル、URL等も含めて改善していこう。 

ひさしぶりに…

ひさしぶりに歩いた。距離は1~2きろ程。歩きながら身体の弱りぐわいをまざまざと実感した。今の自分にとって歩くこと、つまりは継続的に身体を動かすことが、ものすごく必要なのだと、強く強く思った。

映画『日蓮と蒙古大襲来』を観てのちょいとした感想

最近、日蓮に興味を持っている。
それで、朝から『日蓮と蒙古大襲来』という1958年の映画を観た。

日蓮を演じるのは長谷川一夫。名前は知っていたけど出演している作品をみるのは初めて。
そのビジュアル、存在感から大スターだったんだろうなというのが窺い知れる。声が女性的というか中性的で、どこか美輪明宏さんのようだと思った。見た目もちょっとにてるかもしれない。

仏教の他の宗派を批判し、法華経こそが唯一釈迦の本当の教えであると幕府や民衆に主張した日蓮の人生は、流罪にあったり処刑されかけたりと迫害を多く受けた。法華経には、この経典を広めるものは、ものすごく徳を積むが、苦難にも合うと書き記されているそうで、日蓮もそれを理解し受けいれていた。

映画でもその苦難の人生が描かれている。前知識としてそのことは知っていたけど、迫害を受けたのは、日蓮だけではなく、日蓮の考えに賛同し味方になった人たちも何だなぁと、知った。日蓮はそのことで、悩んだり心を痛めたりしていただろうかなんてことをちょっと思った。

龍の口で処刑されかけた時、なぞの光の玉が現れて、処刑執行者の刀が折れて、難を逃れたという有名な逸話のシーンもしっかり描かれていた。光の玉ではなく雷が打って刀が折れたということに映画の中ではなっていたけど、なかなか幻惑的で惹かれるシーンとなっていた。 

疲労感がとれない

もっとエネルギッシュに1日の行動量を増やしていきたいんだけど、身体がなんかずっと疲労感あって思うようにいかない。とくに背中の凝りが甚だしくてだるくて、動くのが嫌になる。アマゾンで高評価をされている中山式快癒器をそれで改善されるならと思い切って購入してここ3日ほど続けている。やっている時は痛気持ちいいけど、コリ、ダルさの抜本的な解決にはまだ効果が見えていない状況。

あと昨日、10月分の家賃払いに行ったら、沢田のおばちゃんに痩せてるけどご飯食べてるか?って言われた…。たしかに毎日2食か1.5食くらいしか食べてない。体力ないのはそのせいもあるかもな。 



 

メモ

写真、丸く切り抜く、並べる
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