2019年04月09日
生活のリズムの変化が大きい年度始め
年度が替わり、子どもの進学などの影響で夕食などの時間帯が大幅にずれて、一日の生活リズムが変わってしまいました。
一般的に言われている健康的な生活リズムとはかけ離れていたものの、このところ我が家的には安定していた生活リズム。
それが、ガラッと変わってしまい、まだ慣れなくて毎日がしんどいです。
加えて、年度末・年度始めの書類書きや手続きやなども例年に比べてイレギュラーなものが多く、気疲れします。
今週は気温の変化も大きいですし、50代後半という年齢もあり、忙しさやストレスが身体の不調として噴出してしまいました。
50代になってから、視力が衰えたり環境の変化がすぐ体調の不調に影響したりと、発達障がいの方の生きにくさの一端をおぼろげながら身体で実感できるようになりました。
発達障がい者にやさしい社会は高齢者にも優しい社会だ、というご意見に、共感しきりの今日この頃です。
みなさまもご自愛下さい。
一般的に言われている健康的な生活リズムとはかけ離れていたものの、このところ我が家的には安定していた生活リズム。
それが、ガラッと変わってしまい、まだ慣れなくて毎日がしんどいです。
加えて、年度末・年度始めの書類書きや手続きやなども例年に比べてイレギュラーなものが多く、気疲れします。
今週は気温の変化も大きいですし、50代後半という年齢もあり、忙しさやストレスが身体の不調として噴出してしまいました。
50代になってから、視力が衰えたり環境の変化がすぐ体調の不調に影響したりと、発達障がいの方の生きにくさの一端をおぼろげながら身体で実感できるようになりました。
発達障がい者にやさしい社会は高齢者にも優しい社会だ、というご意見に、共感しきりの今日この頃です。
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2019年04月02日
『怒る』という言葉の意味
遙か昔、チビひめのための相談に“両親として”自治体の発達障害者支援センターにそろって出かけた時のこと。
前の回にアドバイスいただいた事を試したけれどあまり芳しい結果が得られなかったので、その報告をしたら、私のやり方が少し違っていたようでした。
で、ケースワーカーさんが、
「今度はこうてみると良いかもしれませんよ」
とさらにアドバイスしてくださった。
「なるほどー」
と納得し、上手くいかない原因がわかり、相談の手応えがあったと満足して帰途についたわがままひめ。
その帰り道で、Qさんが、
「あなた、ものすごく怒られてたね…。」
と宣った。
そのケースワーカーさんは、人生で一度も怒ったことがないんじゃないか?と思うくらい柔和な方で、お母さんたちを励ますのがとても上手い、いつも明るく元気な方。
そのときもニコニコと私のやり方を褒めてくれた上で、さらにこうすればもっと上手くいくんじゃないかなと付け加える形でのアドバイスでした。
これを、『怒る』と表現するんだ…
しかも『ものすごく』!?
それまでの謎が解けたような気がしました。
それまでずっとQさんは、
「わがままひめは怒ってばかりいる」
と誰彼かまわず言っていて、自分が怒ってないのに怒る怒るとQさんに言われ続けることに怒っていました。
ですが、『怒る』の意味というか使い方というか…そもそもの『怒る』が違っていたんですよね。
Qさんは、誰かが誰かに「こうしたら?」とか「こうした方が簡単だよ」とかアドバイスや提案をすることを、『怒る』と表現するんですね。
色々な講演会や講座で、講師が、
「彼らにアドバイスはNGです。」
と言っていた意味がわかりました。
アドバイスや提案を『怒られた』と取るので、一所懸命良かれと思ってあれこれ提案しても、受け入れてもらえない可能性が高いということだったんです。(もちろん、提案が『複数』というのもNGですね。)
なんで今さらこんな話を書いているかというと…
最近チビひめが、学校のことで相談してきたので、
「お母さんだったら、(あなたの言う〇〇ではなく、)△△という理由で◇◇にするかなぁ〜。」
と言ったら、
「やっぱりお母さんに言うんじゃなかった。すぐ怒るんだから!」
と激怒されたから。
意見を求められたから、◇◇にすると言っただけなんですけど…
これって、私、娘を『怒った』んですかねぇ…
しかも、ちゃんと『I メッセージ』ですよ〜
(子育て関係の講座ではおなじみの『アイ・メッセージ』については…ググって下さいね)
『文化が違う』と言うけれど、『日本語』の語意(語彙ではなく単語の意味)自体が違っているんじゃないかと思うと、家でなにもしゃべれなくなってしまいます。
で、黙っていると『無視する』と言われます。
ほんと、立つ瀬無いよ〜
前の回にアドバイスいただいた事を試したけれどあまり芳しい結果が得られなかったので、その報告をしたら、私のやり方が少し違っていたようでした。
で、ケースワーカーさんが、
「今度はこうてみると良いかもしれませんよ」
とさらにアドバイスしてくださった。
「なるほどー」
と納得し、上手くいかない原因がわかり、相談の手応えがあったと満足して帰途についたわがままひめ。
その帰り道で、Qさんが、
「あなた、ものすごく怒られてたね…。」
と宣った。
そのケースワーカーさんは、人生で一度も怒ったことがないんじゃないか?と思うくらい柔和な方で、お母さんたちを励ますのがとても上手い、いつも明るく元気な方。
そのときもニコニコと私のやり方を褒めてくれた上で、さらにこうすればもっと上手くいくんじゃないかなと付け加える形でのアドバイスでした。
これを、『怒る』と表現するんだ…
しかも『ものすごく』!?
それまでの謎が解けたような気がしました。
それまでずっとQさんは、
「わがままひめは怒ってばかりいる」
と誰彼かまわず言っていて、自分が怒ってないのに怒る怒るとQさんに言われ続けることに怒っていました。
ですが、『怒る』の意味というか使い方というか…そもそもの『怒る』が違っていたんですよね。
Qさんは、誰かが誰かに「こうしたら?」とか「こうした方が簡単だよ」とかアドバイスや提案をすることを、『怒る』と表現するんですね。
色々な講演会や講座で、講師が、
「彼らにアドバイスはNGです。」
と言っていた意味がわかりました。
アドバイスや提案を『怒られた』と取るので、一所懸命良かれと思ってあれこれ提案しても、受け入れてもらえない可能性が高いということだったんです。(もちろん、提案が『複数』というのもNGですね。)
なんで今さらこんな話を書いているかというと…
最近チビひめが、学校のことで相談してきたので、
「お母さんだったら、(あなたの言う〇〇ではなく、)△△という理由で◇◇にするかなぁ〜。」
と言ったら、
「やっぱりお母さんに言うんじゃなかった。すぐ怒るんだから!」
と激怒されたから。
意見を求められたから、◇◇にすると言っただけなんですけど…
これって、私、娘を『怒った』んですかねぇ…
しかも、ちゃんと『I メッセージ』ですよ〜
(子育て関係の講座ではおなじみの『アイ・メッセージ』については…ググって下さいね)
『文化が違う』と言うけれど、『日本語』の語意(語彙ではなく単語の意味)自体が違っているんじゃないかと思うと、家でなにもしゃべれなくなってしまいます。
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2019年03月26日
善人>悪人? 悪人>善人?
多分、このブログを始めたばかりの頃のエピソード。
私が息子のノロリ(当時、幼稚園か小学校低学年)に、
「世の中、確かに人を殺したり、人の物を盗んだり、人を騙したりする悪い人は居る。でも、それはほんのちょっぴりなんだよ。ほとんどの人はいい人なんだよ。」
と話していたら、Qさん心底驚いて、
「何言ってんの?逆でしょ?いい人なんてほんのちょっぴりしかいないよ。」
とノロリに力説してた。
わがままひめ「90〜99%は良い人たちで、犯罪を犯す人は10%未満なんじゃないの?」
Qさん「逆だよ、逆」
Qさんには、世の中悪人ばかりに見えるのだろうか?
私がノロリに話していた『悪い人』についての話は、その頃読んだ本に関しての話で、本の解説みたいな会話だった。
そのときの『悪い人』の例は、人を殺したり、物を盗んだり…と言っているのだから、全人口の90%がそんな人たちだったら、人類は存続していないのではなかろうか?
多分、Qさんがノロリに言いたかった『悪い人』とは、横断歩道でない所で道路を渡ったことがある、とか、自転車の二人乗りとか、触法行為ではあるけれど多くの人がやっていそうなことなどを指しているのだろう。
Qさんにとって、世の中は悪人に満ちた所だったんだろうか?
幼稚園や小学校ではいじめられてたみたいなことQハハは言ってたけど、中学校からはいじめっ子に転身してたし。
そういうことも影響しているのだろうか?
世の中は善人に満ちている、と教えたい母と、世の中は悪人で満ちていると教える父。
Qさんの話は間違ってはいないのかもしれないけれど、小さい子向けでないことは確かだよね。
私とQさんの見ている世界・感じている世界はずいぶん違うんだな、と実感したエピソード。
ふと思い出した昔話でした。
私が息子のノロリ(当時、幼稚園か小学校低学年)に、
「世の中、確かに人を殺したり、人の物を盗んだり、人を騙したりする悪い人は居る。でも、それはほんのちょっぴりなんだよ。ほとんどの人はいい人なんだよ。」
と話していたら、Qさん心底驚いて、
「何言ってんの?逆でしょ?いい人なんてほんのちょっぴりしかいないよ。」
とノロリに力説してた。
わがままひめ「90〜99%は良い人たちで、犯罪を犯す人は10%未満なんじゃないの?」
Qさん「逆だよ、逆」
Qさんには、世の中悪人ばかりに見えるのだろうか?
私がノロリに話していた『悪い人』についての話は、その頃読んだ本に関しての話で、本の解説みたいな会話だった。
そのときの『悪い人』の例は、人を殺したり、物を盗んだり…と言っているのだから、全人口の90%がそんな人たちだったら、人類は存続していないのではなかろうか?
多分、Qさんがノロリに言いたかった『悪い人』とは、横断歩道でない所で道路を渡ったことがある、とか、自転車の二人乗りとか、触法行為ではあるけれど多くの人がやっていそうなことなどを指しているのだろう。
Qさんにとって、世の中は悪人に満ちた所だったんだろうか?
幼稚園や小学校ではいじめられてたみたいなことQハハは言ってたけど、中学校からはいじめっ子に転身してたし。
そういうことも影響しているのだろうか?
世の中は善人に満ちている、と教えたい母と、世の中は悪人で満ちていると教える父。
Qさんの話は間違ってはいないのかもしれないけれど、小さい子向けでないことは確かだよね。
私とQさんの見ている世界・感じている世界はずいぶん違うんだな、と実感したエピソード。
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