2007年08月20日

第1回目 ワーキングホリデーの始まり


学生時代からバックパックを背負い、世界中を放浪したハードトラベラーな私ですが、29歳から30歳の1年間をワーキングホリデー(以下ワーホリ)ビザを利用してオーストラリアで過ごしました。

25歳までが制限のビザでしたが、その制限年齢が30歳まで引き上げられて間もない頃でした。

オーストラリアを選んだ理由の一つは大学時代の友人が暮らしていたからです。彼女はワーホリの先輩で、大学卒業後すぐに渡豪し、生涯の伴侶となる男性と出会い、見事ゴールインして幸せに暮らしていました。

「天気のいい日は海辺を裸足で散歩しながら帰ってくる」
「休日はビーチのカフェでビールを飲んでいる」

たまにくる彼女のメールは東京でステレオタイプな日々を送る私にはキラキラと輝いて見え、オーストラリアへ行けば幸せになれるような、何かが変わるような気がしました。

そしてもう一つは仕事の豊富さです。広大なその国では、観光都市でのツアーガイドやウェイトレス、農家でのファームステイや乗馬ガイド、フルーツピッキングなどあらゆる仕事を経験することが可能でした。


ブリスベン国際空港に降り立つと、友人の住む町まで長距離バスのチケットを購入。

「英語、通じるかな・・・」

久しぶりの英語にかなり緊張しました。タクシー運転手は半ズボンにサスペンダー、ハイソックスというかわいい出で立ち。知らない人同士でもまるで昔からの友人かのように普通に声をかけあう姿に「外国だなあ」と妙に感心しました。


サーファーズパラダイスは美しい海岸線、巨大ホテル群。サーファー達。よく整備されている観光地で日本人も多く、暮らしやすそうな印象を受けました。頼りの友人は私が到着後、一週間で日本へ帰ることになっており、私は一人ぼっちで言葉も通じない国で1年間、なんとか暮らしていかねばなりませんでした。

仕事をみつけて落ち着いても良かったのですが、血の気が多く、人並み外れた好奇心をもつ私がこの情熱大陸でそんなことができるわけもなく

「日本ではできない経験をしたい」

と、オーストラリア到着後わずか2週間、せっかく持ってきたスーツケースを日本へ送り返し、バックパックを購入すると再び旅人へと戻ってしまったのでした。ここから私のオーストラリア・ワーホリライフが始まります。



第2回目 ファームステイ体験

第2回目 ファームステイ体験


オーストラリアに降り立つと、早速仕事探しにとりかかりました。
そんな私が初めてした仕事がピッキングです。ワーホリの目的は

「日本ではできないことがしたい」

そのリストの一つが農業でした。農業を“体験”してみたいと思いました。

ご存知のようにオーストラリアはとても広いので、いつもどこかの土地で何かしらの作物が収穫期を迎えています。

こういった仕事は普通“バックパッカー”と呼ばれる宿が媒介役になっており、泊まっている若者たちに仕事の分担をします。毎晩6時くらいになると翌朝の仕事分担表が張られます。早い話が住み込みの日雇い労働です。


世界中からきたワーホリの若者たちが泊まる巨大バックパッカーにはドイツ、韓国、日本人が大きな割合を占めていました。

ピッキングは土産物屋と比べて自給は割高でしたが、その過酷さも負けずに割高でした。
朝5時起きで乗り合いバンに乗り込み各農場で降ろされ、休憩を入れながら12〜14PMくらいまで働きます。


時々ふと腰を上げると、どこまでもどこまで延々と続く畑、さえぎるものが何もなくサンサンと振りそそぐ太陽、真っ青な空。チチチと鳴く鳥のさえずり以外は何も聞こえない大地に立ち尽くしていると


「あ〜、オーストラリアにきたんだ」

と、実感することができました。


午後は近所のプールで泳ぎ、4時PMくらいにバーに行けば必ず誰かがいました。毎日毎日信じられないくらい泥だらけになり、真っ黒に日焼けして働きましたが、仕事が過酷だった分、仲間同士の絆はとても深くなりました。

こういった泥仕事をする若者たちは純粋にオーストラリアを旅する目的できているハングリー精神のある人たちが多い気がします。
また皆一人旅なので、あまりべたべたしすぎず、とても自由な空気が流れていました。

毎晩毎晩、自分の行きたい土地の話や、いってきた人たちの体験談、また日本での自分の生活などをつまみに話は尽きることなく、夜更けまでビールを飲みながら、語り合いました。

ロビーの隅、テレビルーム、外の階段、ベランダ、
毎晩必ずどこかで眠れない人たちが語るささやき声が聞こえていました。

私はここで1ヶ月、真っ黒に日焼けして、泥だらけになって働き、毎晩倒れこむように眠り、世界中の仲間たちと声がかれるまで騒ぎ、飲み、歌いました。

ものすごく過酷な1ヶ月でしたが、全力で日々を過ごしていました。胸がキュンとなる思い出です。

あれこそ青春だった気がします。


第3回目−ケアンズでの生活

第3回目−ケアンズでの生活


今回はオーストラリアのケアンズでの生活についてご紹介します。

ワーホリの人達は住みたい町に落ち着くと、仕事を探すと同時にアパート探しを始めます。オーストラリアではフラットと呼ばれています。

もっともポピュラーなのは、シェアメイトと呼ばれる人を探して一緒に暮らすことです。オーストラリアは広いので日本と違ってベッドルームが2つ以上あるのが普通で、プール付きも珍しくありません。

ワーホリの生活はこのシェアメイトによって良くも悪くもなります。街の公共掲示版にフラットメイト募集の張り紙がところ狭し貼られているので、予算や部屋の環境や市内までのアクセスなどを考慮し、気に入った場所を見つけたら直接募集主に電話をします。
部屋を内見してお互いに気が合えば交渉成立で、身の回りの荷物を運び込めば引っ越し完了となります。


フラットは大抵家具付きなので、身ひとつで引越しできるのでとても簡単なのです。私はケアンズで3回アパートを変えましたが、どれもなかなか快適でした。
バスルームやキッチンは共同ですが、お互いにそれぞれが買い物したりごはんを作ったり、おたがいの生活にはあまり干渉しません。
ただ、リビングで一緒にテレビを見たりして時間を共有することが多いので、やはりきちんと面談して気の合いそうな人を選ぶのは必須です。


フラットを借りて町にゆっくり住みだすといろんな驚きがあります。例えばスーパーに行くと、とにかく広いし売っているものも大きい。
買い物かごではなくカートで買い物を行うのですが、ジュースや牛乳は2リットルが普通ですし、お肉も日本のような細切れは売っていません。

中でも一番驚いたのは、地元の人達がレジの清算前に商品を開けてしまうということです。

コーラをプシュッと開けて飲んでしまったり、チョコレートバーを食べてしまい、中身のなくなったぺらぺらの包装紙だけをバーコードに通したりしていました。
中にはなんと、りんごをほとんど食べてしまって芯だけを清算している人もいました。計り売りなのに、食べてしまった分はどうなるの?とは余計な心配でしょうか。


果物も売り場に山盛りに置かれていますが、通りすがりにぶどうやいちごをつまんでいたりする人がいますが、誰もとがめません。なんとおおらかな国民性なのでしょう。

あとは、裸足の人が多いのもオーストラリアの特徴です。シドニーなどの都会ではさすがに見かけませんが、田舎のほうでは裸足で道を歩く人をよく見かけます。私もトライしましたが、アスファルトを歩くとさすがに痛かったです。

やはり子供の頃からの鍛え方が違うので、いきなり日本人が試したところで皮の厚さが違うのだと思います。安全のためにも靴は履いたほうがいいようです。おおらかというか原始的というか。ちなみに私は日本に帰ってベランダに素足で出ただけで母親に怒られました。国民性の違いは大きいです。

このような感じで、 “違う暮らし“という日常を楽しむのもワーホリの醍醐味だと思います。



アクティブウーマン留学センター
http://active-woman.net/

第4回目−大自然の中での体験「ファーム・ステイ」

第4回目−大自然の中での体験「ファーム・ステイ」

今回はオーストラリアのファームステイ体験をご紹介します。
オーストラリアの大自然ではたくさんの動物達と触れ合う機会があります。乗馬ファームもその一つ。

ワーホリの目的の一つだった「乗馬ガイドがしたい!」を達成するため、ピッキングで出会った日本人の男の子が紹介してくれた乗馬ファームで働くことになりました。
そこはご夫婦が二人で経営しているというオージーらしいアットホームなファーム。


朝は手作りスコーンでお出迎えし、午前中のツアーに出発します。お昼は敷地内の庭で魚と肉のバーベキュー。
なんとカンガルーが臭いにつられて遊びにきたりしていました。その他にも、ヤギやブタを飼っていて、本当に“ファーム”という場所でお客様も大感激していました。


そして肝心の乗馬ガイドの仕事は、まず馬に蔵をつけ、手綱をひくための金具を馬の口にます。しかし馬の口を開けさせるのがひと苦労なのです。相手も私が初心者だと分かっているのか、なかなかいうことを聞きません。
なんといっても文字通り、“馬力”があるので、力づくなんて不可能です。

ファームの人がガイド役として、お客様を案内してくれるので、私達はどちらかというと日本人のお客様の通訳を兼ねていました。


馬上でのバランスのとり方や手綱の操作方法などを日本語で説明し、あとは列の一番後ろについて、安全に気を配っていました。

“乗馬”という響きに優雅なイメージを抱き挑戦しましたが、それは想像以上の体力仕事、そしてまたまた泥仕事。
大草原を風のように疾走できるようになるには、それなりの訓練と馬との信頼関係が必要なのだと感じました。


ファームがあった場所は、隣の家がはるか彼方まで見えないような田舎なので、夜はまさに真の闇。
空にはまるでプラネタリウムのような満天の星空。
星の密度が違うのです。バラバラと音をたてて落ちてきそうです。こんな星空を見たのは生まれて初めてでした。


さらに、ここで私は驚くべき貴重な体験をしました。


ある夜、何かが私の足をごそごそと触っている気がして目が覚めました。寝ぼけた頭で「ん・・?」と感じたその感触です。“何か”というより“誰か”なのです。


5本の指がふくらはぎの辺りを触っています。
部屋は真っ暗で、一点の灯りもありません。

ゾゾゾーッと鳥肌が立ち、一気に目の覚めた私はベッドから飛び起き、慌てて電気のスイッチを探しました。


明かりの中に現れたのは・・・・・










なんとポッサムだったのです。

大きな目に耳、モモンガのような顔をしたとても愛らしい動物。それがベッドの上にちょこんと座っているのです。
向こうも私を見つめて驚いていました。
全身の力が抜けるほどの安堵のため息をついたものです。


日本では考えられないほどのケタ違いの大自然、野生動物が人間の居住区に普通に一緒に暮らしにいるという恵まれた環境。それを肌で感じることができたファームステイはとても貴重な体験でした。


第5回目−ワーキングホリデーで得た新しい価値観

第5回目−ワーキングホリデーで得た新しい価値観


連載も今回が最後となりました。
お伝えしたいことはまだまだたくさんありますが、オーストラリア体験で起こった自分自身への変化をまとめとさせていただきますね。


29歳という年齢制限ぎりぎりの駆け込みワーホリへ行ったのは、ひとえに「自分を変えたい」という思いからでした。
「このままでいいのだろうか?」という違和感をいつも抱いていました。

結果としてオーストラリアはとても雄大で、のんびりしていて、その自然も人々も訪問者を快く歓迎し、そして癒してくれました。


私たちは東京などの大都市で溢れ続ける情報に操作され、神経質すぎるくらい人目を気にし、新しいものやきれいなものばかりに価値を置きがちです。

オーストラリアは、そうやって育ってきた日本での常識、価値観を心地よく乱してくれます。

知り合いもいない、仕事もない、言葉も分らない、ある意味情報の遮断された世界で身一つになることによって、自分の弱さがさらけ出され、葛藤し、悩み、そして成長します。


毎日朝がきて、前に進み続けるといったシンプルなことに一生懸命になれると、世間のものさしとはまた別の、自分なりの価値や基準が見えてくるのです。


例えば化粧や流行の服で武装していた都会での生活なんて大自然の前では無意味です。
マスカラがないとかわいく見えない、口紅をぬらないと男の子と会えない、ヘアスタイルが決まらないと1日不機嫌、肌に吹き出物ができた、太った、やせた。


当たり前のように常に気にしていたことを忘れます。
生きるということに集中しているからです。夢中だからです。


何事も自分の判断で決め、生きていくワーホリ。
人に流されず、人のせいにもできない。
海外では本当に自分というものがさらけ出されます。

何がいいのか悪いのか。

五感が研ぎ澄まされ、生きていく本能が研ぎ澄まされ、人間関係も淘汰され、大事なもの、自分の核となるものを感じることができると思います。


日本に帰ってくると自分の中での変化がよく見えてきます。
知らない人同士、誰でも気軽に話しかけてくれたオーストラリア。成田からの帰りなど、「今日は暖かいですね」と、思わず電車の中でとなりの人に声をかけそうになります。

スーパーでも黙ってレジに並ぶのに違和感を覚えます。
レジの人に「ハイ!」と挨拶したい、「サンキュー」と言いたい自分に気が付きます。そう、いつもオーストラリアでそうしていたように。


オーストラリアの魅力は世界遺産、海、山はもちろんですが、一番はそこから生まれる人々の大きく寛大な心です。
その心を実感したいなら、ワーホリは最大のチャンスです。


年齢制限こそありますが、資格がある方は是非挑戦して下さい
。異国で自分と戦い、孤独や不安と戦い、それをクリアして帰ってきた1年後に得る充実感は言葉では語りつくせないものがあります。

自分にしか分らない達成感です。
楽しいこともたくさんあります。

バイト先でできた仲間や常連のお客さん、店のオーナーなどたくさんの人たちと出会い、辛抱強く英語を聞いてくれたホストマザーや、毎日一緒に夕飯を食べた家族との出会い。

そういう友情は一生続きます。
そしてあなたは再び、いいえ、おそらく何度も何度もオーストラリアを訪れるでしょう。
また帰りたくなる場所。それがオーストラリアです。

「グッダイ、マイト!」

その一言が聞きたくて。