March 11, 2009

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サク・ハナコ…
咲昭太朗の一人娘、咲・花子がその人。
とある事件により命を失うが、科学者である父によって機械の体となり蘇生する。
生前の記憶が無い。

咲・昭太朗…
科学者。
自身の研究利益に目を付けられ、妻と娘を喪う。
復讐を果たすことに余生を費やす。

アゲハ…
昭太朗が事件前に製作していた戦闘機械。
廃棄寸前となっていた所に、企業から一つの指令を受ける。

五耕猛…
昭太朗の旧友。
探偵まがいの仕事で生計を立てている。

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5

 二人で暮らしている時ですら、干渉しようと意識しなければ、お互いが触れ合うことは無い、広い屋敷だった。
 だから一人でいると、尚更孤独に押し潰されそうになる。
 自分が無意識の内に、生活感の欠けたあの部屋へ足を運んだのは、そこ以外では、まだ生々しく香るあの人の残滓を、嫌でも目にするからだった。
 それは例えば、食卓に取り残された、飲む人を無くした酒のボトルであったりした…。
 自分の造られた部屋の中で、ハナコは天井の換気扇が壊れ、ようやく止まれていることに何故だかほっとしていた。
 あれは、もう動かなくていいんだ…。
 自分にもいつかあんな日が来るのだろうか。
「うっ…」
 頭の底で疼くような痛みが湧き上がり、ハナコは縋るように、部屋の中で唯一目印になりそうな鉄の椅子を拠り所にした。
 まただ、とハナコは思った。あれからずっと、自分の頭の中には、何か別の物が居座っているようだった。
 それが自分から、物を考えるだけの容量を奪っているような気がしていた。
「私は、どうすれば、いいのだろう…」
 悲しみが涙粒になって外へ逃げていくことを知らないこの体と共に、自分は何処へ行けばいいのだろう。何処へ帰れば、いいのだろう。
 椅子の肘掛に、もたれかかるようにして置かれた自分の手の上に、慰めるように生身の手がそっと置かれた。
 見間違える筈はなかった。自分が一番、生まれてからずっと見てきたその掌を…。
 ハナコは椅子の上に腰掛けたその人の幻影が消える前に、一つだけ聞こうと思った。
「私は、涙も流せないような体です…。おそらく子供を産むこともできないでしょう。だから、あなたの背負った悲しみは、私には生きている限りは、ずっと理解のできないものかもしれない」
 ハナコはあの人が何を失って、どうやって生きてきたのか。その答えが自分の中に深く根付いていることを、口に出してから初めて気が付いた。
「博士…。だけどあなたが、私を造ってくれた本来の意味の通りに生きろとおっしゃるのなら、私をそれに従わせてください」
 ハナコは自分とあわさった博士の手の甲を見ながら、そう言った。博士と顔をあわせてしまった時に、この幻は立ち消えてしまうだろうと、そう思っていた。
「私には…もう何も残ってはいないから…」
 俯いて垂れ下がった自分の髪を、博士の指がせせらぐ水の流れのように、優しく梳いてくれた。
「私のおこがましさを許してもらえるのなら…」
 ハナコは静かに目を閉じた。これが、博士の声を聞く最後の機会になるだろうから、それをずっと胸の内に留めておきたかった。
「今はおまえに、何かを奪うことはして欲しくないと思っている。奪えば、ひと時はすがれるだろう。絶え間なく人から何かを奪い続けて、一生を終える者もいる。
 自分の心の中に何も無いということは、有り得ない。あの時、私におまえが残されたように。
 今は目に見えない程小さいが、それがおまえの中に息衝いているのが、此処からではよく判る。
 それを大事に育ててやってくれ。それがお前の子供だよ」
「博士…」
 ハナコは顔を上げた。目の前にある博士の顔に、自分の温もりを伝えるように、頬擦りをした。
 お互いの鼓動が一つに重なり合ったようなやさしげな感覚の後、博士は自分の傍らを過ぎ去って、消えた。
 立ち上がった時、部屋の入り口には、白いワンピースを着た一人の少女が、立っていた。
 その顔は耳のアタッチメントを除けは、ハナコに瓜二つだった。
 微笑んだ少女が伸ばした手を、ハナコは取った。



 後悔をしていないといえば、嘘になる。同時に、だったらどうすればよかったのか、とヒステリックな叫び声を上げる自分も胸の内に在る。
「お父さん、なんて言ってさ…胸に飛び込めば、よかったかな…」
 子供の抱く幻想のように甘く、汚れの無い世界。そこでは全てが自分にとって都合が良く、世界には悲しみが存在しないかのように、等しく誰もが笑い合っている。
 その世界は、自分が妄想した血みどろの世界と、本質は一緒である筈だった。
 ―これも違う…。
 空っぽになってしまった胸の内で、アゲハはミニチュアの世界を、積み木遊びという形で組み立ててはバラバラにする作業に没頭した。
 そして組み立て終わった時には、必ずこう言った。
 ―私が本当に欲しい形をした積み木が、何処にも無い…。
 アゲハは自分の掌をじっと見詰めた。そこに積み木は無く、歪なひび割れが縦に走っている。
 時間が万人に平等に流れているというのは、嘘だ。
 アゲハは自分が欲しがっていた積み木の形を空に描き出そうとして、諦めた。
 自分の中には存在しないからこそ、それが描けないのだと、気付いたから。
 アゲハは遊びを止めた。
 自分にとって本当に必要なものが手に入らないのなら、いっそ何も持つことは無い、と悟った。
 自分の中で自分自身が急速に磨耗していく。手が千切れ、足が切り取られ、痛みに泣き叫びながら塵となり消えて、最後に残ったのは一つの歯車だった。
 誰かに拾われて、何か巨大な機能の、歯車の一部品として動くことになった自分。だがそれは悲しいことでも、辛いことでもない。
 巨大な機能を生かす為に自分が回り続けることに絶対の安心があった。



 ハナコは屋敷の玄関を出た。郵便ポストの上に積もった砂埃を手で払ってから、博士を埋める際に使って、そのまま投げ出していたスコップを、元置かれていた場所に返した。
「必要無い」
 そんな自分の行いを、ぴしゃりとそう言い切る人がいた。
「これから、誰もこの家に住まなくなるからな」
 アゲハは、屋敷をゆったりと見回した後、ハナコの顔を睨み付けた。
「いいえ…。私がいなくなった後でも、誰かが住んでくれるかもしれません」
 ハナコは意志の固い眼差しをアゲハに返した。
「誰も住みたかないさ。こんな糞田舎で…第一お前の返り血が、屋敷にこびりついていちゃあな―」
 倒れ込むようにアゲハの姿勢が前傾すると、折り畳み式のナイフのように、腿に収納されていたアゲハのブレードが、踵を支点にして飛び出した。
 一瞬後には鉄が激しく打ち合う音がして、お互いの間に火花が散った。蹴り上げるようにしてハナコの首を狙ったアゲハのブレードを、ハナコの腕が受け止めていた。
「本音を言えばあいつを亡くしたお前がどんな取り乱し方をしているのか、見るのが楽しみだったんだがな…」
「私達が戦う理由は、無い!」
「私にはある…。いいや…それしか無い!」
 素早く身を引いたアゲハが、もう一度仕掛けた。ハナコはそれにも対応できた。踏ん張った二の足の下で、土が抉れて線を引いた。
 一連の演舞のような動作の後、お互いに、何処か自分が同じ人に作られたのだというシンパシーを感じていたが、それを上手く言葉にすることができなかった。
 二度の斬撃を受けて、ハナコの腕には鋭い十字の傷が刻まれていた。傷の奥に見え隠れする何かの装置が、葬式帰りから聞き出した例のブラックボックスであることには、アゲハは気が付かなかった。
 三度目の刃がハナコの十字傷の中心を刺し貫くように襲い掛かった。それが剥き出しのブラックボックスを射止めたかのように見えた。
 アゲハは自分の刃先がそれに突き当たった瞬間に、緑の電撃がブレードを伝って、自分の体内に流れ込んでくるのを見た。
 赤ん坊の叫び声のようなものが耳奥をびりびりと刺激した。その声が、自分を戒める意味を発しているような気がした。
「う…あああああああ!」
 はっとするようなハナコの叫び声が上がると、ハナコの腕から小爆発が起こった。ハナコの腕を貫きそうになっていたブレードが、それによって圧し折れた。
 爆発が確かに、自分のブレードがハナコの腕を穿つ前に起こったことにアゲハは愕然とした。
 弧を描きながら宙を舞うブレードの破片を、アゲハは咄嗟に手に取った。あの不気味な赤ん坊のような声は、その時には爆発の轟音に消えていた。
 爆煙が自分を隠してくれるように作用していることを認識すると、アゲハはブレードの破片を匕首を扱うように小脇に抱え、ハナコ向けて突進した。
 遅れてから事態を理解したハナコの手が反射的に迎撃しようと動いてしまう。アゲハは拳が自分に迫ってくるのをわかっていながら、軌道を変えなかった。
 ハナコの胴をブレードの破片が刺し貫いたのと、アゲハもまたハナコの腕に体を打ち抜かれたのは、ほぼ同時の出来事だった。
 抱擁のように二人の顔が、互いの横にあった。
 アゲハは口の端から人の血よりもどす黒い液体を零しながら、自分の体から力が抜けていくのを感じた。
 自分のやってしまった事を飲み込めないままハナコが腕を引くと、不快な感触がそれに付いて回った。人間の腸のような無数のケーブルが、ハナコの腕に絡み付いていた。
 ずるりと、剥離していくようにアゲハの体が、ハナコから離れた。
「気にするな…私もお前の大切なものを奪った…。これで、イーブンだろ…」
 アゲハは力無く笑った。仰向けに倒れようとした自分の視界に、晴天の空が映った。
「ふざけるな!」
 ハナコの手が、倒れるアゲハの襟首を掴んで引き寄せた。
「どうして誰もが悲しむような結末を選ぼうとするの…!私は嫌だ、こんなのは、間違ってる」
 ハナコは血の混じった唾を飛ばしながら、怒鳴った。
「………お前は…何を………」
「認めない。私は誰からも奪わない…。もう、誰にも奪わせはしない」
 ハナコの両腕が、燃え盛る炎のような光を発していた。それは、猛々しい馬の鬣のようでもあった。
 アゲハはその光が自分を包み込んでいくのを、父親の腕の中にいるように暖かくて心地が良いと思った…。
 炎が二人を包み込んでいく様は、早送りされた植物の生育を見ているようだった。空に向かって立ち上って、つぼみになろうとして閉じていく。
 炎の中で二人の姿形は、いつしかなくなっていた。炎は、自身の輝きが凝縮されたような一粒の美しい結晶になると、弾けるようにしてまっすぐと空へ飛んだ。
 結晶は天空で一度、巨大な一対の翼のような形になって、一度だけ優雅そうに羽ばたいて、消えた。



 花畑の中で、二人の娘がはしゃぎ回って遊んでいる。一人がもう一人を押し倒すと、花びらが用意された紙吹雪のように二人を彩る為に舞い上がっていく。
 その光景を、ラウンジで編み物椅子に座った男が幸せそうに眺めていた。その背中を、後ろから近寄った黒髪の少女が抱き締めた。
 黒髪の少女は男の耳元に何かを囁くと、男は一瞬の驚きの後、長い間ずっと待ち望んでいたものをようやく手にしたような表情になって、胸元に回された少女の腕を自分の手で、そっと抱き返した。

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4

 本音を言えば顔に包帯を巻くような時間さえも煩わしかった。圧し折れた鼻の痛みなど、自分がこれから背負う事になるかもしれない後悔に比べたら、カスのようなものだったからだ。
 しかし実際にはそんな精神論を言った所で、空気に触れているだけで激痛を催してくる鼻筋を最低限どうにかしなければ、車を運転するどころでなかった。五耕はいっそこんな足手まといな体の一部などは、剥ぎ取ってしまったほうが楽になれるような気さえした。
「なんて思い上がりだろう…」
 今の仕事をやり始めてそこそこに長い。何処かで、自分は絶対にヘマをしないという思い込みがあった。大事なものを肌身離さず身に付けているからこそ、慎重になれるといった宗教じみた考えをいつしか当たり前のように抱いていたし、心の底では映画の主人公のように、自分だけはそういった絶対的な危険からは蚊帳の外にいるのだと信じ込んでいた。
 深夜にようやく目を覚ました時、胸元から間抜けにも昭太朗の住所を晒した手帳の一冊分の厚みが無くなっていることと、あの小娘の手が自分にそっくりな義手を嵌めていた事が、無関係の筈はなかった。
 嫌な予感を裏打ちするように、昭太朗の家にコールした電話の受話器が、その向こう側で上がることはなかった。
 鼻の痛みに堪えながら五耕は、通い慣れた昭太朗の家までの道のりを、今までに無い不安を抱えながら車で走っていた。
 屋敷はすぐ近くにある筈だったが、五耕にはそれがひたすらに遠く感じられた。
 車のライトに照らし出された僅かな範囲の砂利の地面、それ以外はまったくの真っ暗闇だったから。
 闇の中から飛び込んできたように、目の前に自分の目的地である屋敷が突然現れた時、五耕はスピードを出し過ぎていた自分の間抜けさに気付き、慌ててハンドルを左に切った。サイドミラーが庭の柵を掠めるようにした後、五耕の車は大きく道から逸れて止まった。
 心臓が自分の胸を内側から何度も突き破ろうとするように、早鐘を打っていた。
 顔に巻いた包帯の上に、じわりと生暖かい血が滲んでいくのがわかった。
 何もかもが、うまく行く気がしなかった。
 五耕は車を降りると、鼻の痛みに耐えながら屋敷に向かって走った。玄関の扉に鍵はかかっていない…。それだけは、いつもの通りだった。
「昭太朗、無事か!」
 屋敷の中には一つの明かりも灯ってはいなかった。五耕が屋敷を遠目から見当てることができなかったのは、それが原因だった。
 暗闇の中で五耕は何度も昭太朗の名前を呼んだ。
 無数に並ぶ扉を開けては、誰もいないことに愕然として扉を閉めていく。
「おぉい…!」
 五耕は自分の声が、暗闇に圧倒されていくようにか細くなっていることに気付いていた。
 五耕は一番奥の扉を開けた。余裕の無い五耕には判らないことだったが、それが、昭太朗の部屋だった。
 扉を開けた時、その中に篭っていたむせ返るような血の臭いが、自分を目掛けて襲い掛かってくるようだった。
 その中心で虚ろな瞳をした娘が、血塗れになりながら膝に父親の頭を抱きかかえているのを見た時に、五耕は全てが遅かったのだと悟った。
「俺のせいだ…全部…」
 子供の頃から続いてきた腐れ縁が、自分の慢心一つで終わった。事実の重さに耐えかねたように五耕がその場に膝を折ると、床に流れ出していたまだ生温さのある昭太朗の血だまりが、自分のズボンをべっとりと濡らした。
「……」
 ハナコは彼に向けて、慰めるような言葉も、やり場の無い怒りをぶつけることもなかった。ただ感情の無い眼差しを五耕に向ける血塗れの女は、神話に出てくる人の喜怒哀楽の意味を知らない、地獄への導き手のようだった。
 吼えるような泣き声を上げる五耕を見て、ハナコは焼き付いてしまったかのように真っ白のまま戻ることの無い頭の片隅で、その人が感情に任せて涙を流せることを、ただ羨ましいと思っていた。



「…博士……博士ぇ…」
 自分の腕が博士の体を揺さぶる力に、彼の体が物のように率直に従ってしまう事実がひたすら悲しかった。
 穴の空いた博士の胸元からは幾ら押さえ付けても血が溢れ出してくる。凄惨で不条理な死と正反対に博士の死に顔が安らかだったことは、ハナコには何の慰めにもならなかった。
「博士、どうして…。嫌だ…お別れなんて、嫌だよ…」
 今更甘えたような言葉が口をついて出てくる。博士の傍を何日も何日も離れていたにも関わらず。そして一緒に過ごしている時でさえ、お互いに何処か深く関わり過ぎてはいけないような暗黙のルールを、馬鹿正直に守り通していた。
「こんな事に、なるのだったのなら…」
 ハナコはメンテナンス明けの綺麗な両腕を真っ赤に濡らしながら頬を擦った。
 ハナコは自分が一滴の涙も流していないことに、その時になって初めて気が付いた。
「そうか…私、涙も流せない、体、だったのか…」
 深い落胆の中に、矢張り、といった思いもあった。自分が生まれてからずっと、目を背け続けてきた、日常というままごと遊びの中に隠し続けてきた歯車のギアが、その時にかちりと噛み合った音を、ハナコは聞いた。
 その実感がうなだれた体に浸透していくと、繊細な硝子細工が、優しく握り締められながら、掌の中で砕け散っていくような音が頭の中に響いた。
 それがスイッチであったかのように、自分の両腕からは悲鳴のような甲高い駆動音が発せられた。
 装甲の間を縫うようにして走った両腕の狭間から、緑の光が血を通わせるように巡り、発光していく。それは掌が接していた博士の遺体から、何かが吸い上げられていくようにも見えた。
 フラッシュバックが起こった。自分の視界から目の前の深い闇も、血の色も、真っ白な光の中に消えていった。
 辺り一面を覆い尽くす白い花の中に、自分は蹲っていた。
 風が吹いている。無数の花びらが地上から空へ舞い上がっている。
 その中で花の権化のような白いワンピースを着た黒髪の少女が、自分に向かい、振り返ろうとした。
 その顔は、昇りつつあった太陽の逆光を受けて見えない…。
「今の、は…」
 ハナコは現実の光景に自分が戻された時、博士の体が少し軽くなっているような気がしていた。博士の体から血ともう一つ、抜け出したものがあるように思えた。
 両腕は先程の出来事など無かったことのように発光を止め、沈黙を守り通している…。



 背骨が抜けてしまったような頼りの無い立ち姿を自分に晒しているアゲハの背中は、夜風に晒されただけでぽっきりと折れてしまいそうだった。
 傍らで、葬式の行きか帰りのような格好をした喪服の女は、アゲハに向けて舌を打ち鳴らさずにはいられなかった。
「あなた、相手を間違えているようだけど?」
「……」
 アゲハは返り血に白いコートを染め上げながら、横目で「葬式帰り」を睨み付けながら言った。
「耳が、早いな…。盗聴器でも仕掛けられているのか、あの家…」
「あなたがそれを知る必要は無い」
「ハハハ…そりゃあそうだ…。でも私がギアの一部なら、お前だって、企業のそうだろう…。なあ」
 アゲハは肩を揺すりながら、力なく笑った。
(こいつはもう、使い物にならんか…)
 アゲハの造られた企業には、汚れ仕事を執行する独立した極秘の課があった。それは遠い昔に、戦争が鉄槍と馬とで成り立っていた時代から既に存在していた。
 存在こそ時代と共に大きな変遷を余儀なくされてきたが、その基本原則は何百年も昔から変わることはなかった。
 それは不要者、流れに取り残された者に対する速やかなる退場の後押し。
 葬式帰りもまたその伝統を冒すつもりはなかった。
 ―哀れで滑稽な欠陥品。惨めに生き続けるよりも、私が今すぐ留めを刺してあげる。
 衣擦れの音も無く、黒い手袋の嵌められた彼女の指先がアゲハの背中に狙いを定めていた。 
 隙だらけのアゲハの背中に、葬式帰りはこれまでの自分の行いに裏打ちされた、楽にやれる、という確信を持った。
 その時には葬式帰りは、一瞬後には悲鳴を上げているのが自分の方だとは思いもしなかった。
「あ…が…」
 傷口から弧を描き噴出す血の線は紛れも無く自分のものだった。葬式帰りは無事なもう一方の手で、手首から先がそっくりと切り取られてしまった傷口を押さえた。
「余計な真似はするんじゃねえ…やる事はやってやる…」
 アゲハの無感情な声を背中に聞いて、葬式帰りはこいつが人の形をした全く別の物であることを今更思い出していた。
「義手の部分だけを切り取ってやるつもりだったが…駄目だ。体が、軽過ぎてさ…」
 アゲハに切り取られた葬式帰りの腕は機械の義手だった。義手には、弾丸を発射するギミックが、取り付けられていた。
 義手の接合部にこびりつくようにして残った生身の肉から、ぽたぽたと血が滴っていた。
「いいオモチャだな…私が欲しい位さ」
 葬式帰りの前方に回ると、アゲハは自分が切り取った義手を、葬式帰りの傷口を押さえる手を引き剥がすと、その掌の上に置いた。
 その後で、血の付いた指先で葬式帰りの顔にかかっていた黒いヴェールを乱暴に剥ぎ取った。
 葬式帰りは射竦められたまま動けなかった。熱病を患ったように体の芯が冷え、がたがたと震えている。
「思い出した…。最初に会った時からお前の顔、何処かで見たことがあると思っていたんだ」
 整った顔が恐怖に引き攣っているのをじっとりと観察するようにした後、アゲハは言った。
「五耕の家であいつの調書を引っ掻き回していた時さ。お前の顔写真を見かけたんだ。…お前だな?咲の家族を事故に見せかけてやったのは」
「だとしたら…どうだというんだ…」
 反発するような声は立ち消えてしまいそうな程にか細かった。
「お前のやってきたことなど、私が知るか…。当事者の咲はもう、私が舞台から退場させてやったんだからな」
 アゲハの口にした言葉は、葬式帰りが幼い頃から自分に叩き込まれた基本原則のことを言っているように思えた。
「一つ教えろ。お前達が必死こいて奪おうとしていたもの…あれは何だ」
「…ブラックボックスのことか…?名前の通りだ。私も詳しくは知らない…。ただ、人格や感情を高純度のエネルギーに変換するものであるらしい…。使い方によっては核弾頭以上に恐ろしく危険なものだと、私は教えられたよ…」
「よく教えてくれた」
 アゲハの白いコートが、その言葉を最後に、翻った。
 葬式帰りは殺される、と思い、力を込めて両の瞼を閉じた。
「お前も自分の役割をしっかりと果たすんだな」
 声の後におそるおそる瞼を上げると、そこには小動物のように震える身を縮めた自分が一人、夜道に立ち尽くしているだけだった。



 夜が白み始めていた。その頃、ふいに思い立ったように、ハナコは博士の遺体を残して、部屋を出て行った。
 五耕は自分の顔を覆っている包帯が、血と涙でぐしょぐしょになっていることが気持ち悪かったが、一歩も動く気がしなかった。
 暫くしてハナコが部屋に戻ってきた。手には真っ白なシーツと、もう片方には彼女の手からすれば小振りと言える薬箱の柄が握られていた。
 二人は誰から言い出すでもなく、ハナコの持ってきたシーツを使って昭太朗の遺体を黙々と包んだ。この世でこんなにも侘しい作業が、他にあるだろうかと五耕は心の中で自問していた。
 作業が終わると、昭太朗の遺体は、繭の中に包まれているようだった。シーツの所々を湿らせる血のシミがなければ、本当にそう見えたかもしれない。
 それが終わるとハナコは薬箱から包帯を取り出し、それを持って五耕の前にしゃがみこんだ。
 五耕はそれに対して、子供のようにそっぽを向いた。女々しく泣き腫らした自分の顔を、ハナコに見られたくはなかった。
 ハナコは大雑把な巻き方をした五耕の包帯の結び目を、臆面も無く解こうとした。その時になって、ようやく五耕は口を開いた。
「全部…俺のせいだ」
 ハナコの不器用な太い指先が結び目を解こうとしてもぞもぞと動いた。五耕にはそれが煩わしかった。
「恨んでくれ…」
「違います」
 ハナコはさも当然のような表情をしてそう言った。
「五耕さんのせいではありません…」
「お前さん聖女にでもなりたいのなら、相手を間違えている…」
 もたついた手付きで、ようやくハナコは包帯の結び目を、ほぼ引き千切るようにして解いた。
 五耕は作業的に巻かれていく包帯が自分の顔に触れる度、痛みに小さな呻き声を上げた。
「あんたが悲しまないで、誰があいつのことを悲しんでやるんだよ…」
「悲しくないわけ、ないじゃないですか」
 ハナコは包帯を巻くのと同じ位淡々としてそう言った。
「終わりましたよ。…庭にスコップがあるんです。花壇に博士を埋めましょう」
 遺体を運ぶ役は、五耕が受け持った。生前に痩せ細って見えた昭太朗の体は、いざ自分の肩に圧し掛かるとずっしりとした重量感があった。
 花壇の土は柔らかく、博士が納まるだけのスペースが、大した苦労も無く掘れた。それがむしょうに呆気なくて、五耕はまた泣きそうになっていた。
 先程掘った穴に、今度は二人掛りで博士の遺体を収めると、ハナコはその上からパラパラと何かを落としていった。
「それは…?」
「花の種です」
 ハナコは簡潔に答えた。
「説法の一つでも覚えておけばよかった」
 埋め直された場所の土を見ながら、五耕はそう言った。自分はあまりにも死者を送り出す流儀を知らなさ過ぎた。
「もう行くよ…」
 五耕は動かないハナコの背中に声を掛けた。
 無意識に煙草を探しポケットの中を弄る癖を戒めるように、五耕はポケットの中で煙草の入った箱をくしゃりと握りつぶした。
「探偵の真似事は、これっきりにする」
 車の排気音が朝の静かな空気を引き裂くように響いた。
「お前が気に病むことはないさ…。五耕」
 遠ざかっていく車の音に向けて、ハナコの背中が呟いた。その口振りはまるで、彼を長年見知っている者の、それのようだった。
 ハナコの腕はあの時のように発光していたが、それは流れ星のように、ほんの一瞬の出来事だった。
 朝日が絶対的なこの世の摂理を見せ付けるように東の空から昇りつつあった。
 長かった夜はそうして終わった。

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3

「ここでいい」
 運転手が散々回り道をしていたのにアゲハは気付いていたが、つい先程までは何も言わなかった。五耕から奪い取った手帳を読み切るだけの時間があれば、場所は何処でもよかったからだ。
 もしやと思い手に取った五耕の手帳には、咲・昭太朗の住所が、彼の癖のある字で記されていた。その下にはあいつのいる所は僻地だから、郵便物も自分で届けたほうが安上がりだ、なんてぼやきも。
 重要なものだからこそ五耕は手帳を肌身離さず持ち歩いていたのだろうが、アゲハはその点にあの男の慢心を感じ、嘲笑ってやりたい気分になった。
 手帳には五耕が調べている一つの事件について、ほぼ全ページが埋まっていた。書き殴ってある、といった感じのメモの取り方なので、本来ならばアゲハはこんな人間臭いものは、必要な情報だけを頭に叩き込めば、さっさと投げ捨ててしまいたかった。
 ただ、その事件がどうやら自分を造った咲・昭太朗と、その企業とに関連があるらしいことに気付いてからは、話が別だった。
 人に読ませるような書き方をしていない為、アゲハには理解のできない箇所が幾つかあったが、内容の大まかは、企業が昭太朗の作ったとある物(それ自身については、昭太朗が話したがらない、という記述があった)を手に入れる為に脅迫を繰り返し、ついには事故に見せかけて昭太朗の家族を殺害した、といった所だった。この事件で昭太朗自身も両足を動かなくしている、らしい。
 アゲハはこれから自分が叩き壊す事になっている、昭太朗の製作した機械のことについての情報が一切無かったので、肩透かしを食らった。
 その時点では、彼女は五耕の手帳に度々出てくる「奴の娘」という単語を、故人のそれであると思いこんでいた。
 事件全体の感想についていえば、「それで…?」だった。自分の頭に詰め込まれた情報によると、こういったえげつのない行為は、有象無象の出来事である筈だった…。
 車を降り、金額の支払いをカードで済ませると、運転手は「してやった」という表情を自分の前ではかろうじて隠しながら、元来た道を帰っていった。いつもと同じ距離を走っている時の倍額は、運賃をボったのではないだろうか。
 それについてアゲハが思うことは何も無かった。全員まとめてクソ壷に落ちろ、とアゲハは人間に対しては常に考えていたからだ。
 いや、一人だけ…。
 アゲハはクレジットカードを人差し指の上で、角を支点に立たせ器用に回しながら、そのカードや、地図が書かれたメモの切れ端を躊躇いもなく自分にくれた男のことを思い出していた。
 その若い研究員は自分に指を二本も噛み千切られたにも関わらず、廃棄寸前の自分の傍を離れなかった変態だった。
 アゲハはその男のことを考えると妙な気分になって、慌てて心の中でそいつをクソ壷の中に蹴落とした。気持ちは静まったが、アゲハはあいつならクソ壷に落としても喜びそうだと思った。
 立ち止まっているとまた余計な雑念が襲ってきそうだったので、アゲハは五耕がメモ帳に僻地だと記したその土地を歩いた。
「糞田舎じゃないか…」
 アゲハもだいたいは、その土地に五耕と同じ感想を持った。
 前日に雨でも降ったらしい、水を含んだ砂利道の不安定さや、木々の間で鳴き喚く鳥の声が、むしょうに鬱陶しかった。
 昭太朗の家まではそう遠くは無い筈だが、こんな所で住所の数字が役立つわけもなかった。
 三〇分ほど砂利道をぶらぶらと歩いていると、道の先で洋装の喪服を着た女が、自分を見て、紅いルージュを塗った口元を吊り上げた。尤も口から上は黒いヴェールに覆われていたから、女が自分を見て笑ったと感じたのはアゲハの主観だった。最初からそういった表情だった可能性もある。
 アゲハは血のように赤い女の口元を見ながら、吸血鬼が日中に出歩くのなら、こんな格好をするのではないかと思った。
 若しくは古いたとえ話に出てくる、森をうろつく幽霊の類か…。どちらにしろそれは日常離れした光景だった。
 アゲハは喪服の女の前で立ち止まった。
「あんた…何処かで」
 アゲハはとても微かな記憶ではあるのだが、ヴェールの向こうにうすぼんやりと見える女の素顔に、見覚えがあるように思えた。
「さあ?」
 女は初めて口を開いた。感情の篭っていない、冷たい声だった。すっとぼけているのか、本当にわからないのか、その一切が読み取れない。
 ふいに喪服の女の腕が、ゆっくりと横へ伸びていった。黒い手袋に覆われた人差し指の先が、その向こうを示していた。
 アゲハがそれに視線を誘導されると、そこには広大な草原に一件の屋敷が、取り残されたようにぽつりと建っていた。
 それこそがおとぎ話に出てくる幽霊屋敷のようでもあった。



 此処では草が擦れ合ってがさがさと五月蝿い。聞かなければいけない音が、ここからでは聞こえない。
 痴呆の老人のように、あんぐりと口を開けた車椅子の男は、一体何に驚いたのだろうか?
 わからない。
 柵に囲まれた庭の中で、その光景の中におそらく自分だけは入ることができないだろうという、諦めにも似た確信だけが重く圧し掛かっている。
 彼の背後で車椅子の柄を握っていたのは自分だったのかもしれないという可能性。それは自分が眠っている間に、過去という荒波に浚われて手の届かない所に沈んでいた。
 車椅子に乗った男の背後で、女の後ろ髪が風に揺れていた。自分の短い髪は、あのように優雅になびくことはないだろう。
 …この仕打ちは何だ?
 まるで見せ付けられるように用意されたその光景に、アゲハは叫び声を上げたくなった。



「おやすみなさい、博士」
「ああ…。お休み」
 ハナコが自室の扉を優しく閉めてくれた。力の加減が上手くなったものだと、博士は関心をした。
 あの後、結局博士は自分の言いたいことを飲み込むしかなかった。ハナコの喋った夢の光景は、間違いなく生前の記憶をあらわすものだった。
 博士は自室の暗がりの中で、口に手を当てて考えていた。
 ひょっとしたら…。
 その希望は、自分がバラバラになった娘を組み立てなおした時に、捨てた筈だった。
 あの時娘は、表情が変わるものであることを知らないような顔をして、父親に「あなたは誰?」と聞いた。
 博士は今回の件で、自分とハナコの立ち位置が、ますますわけのわからないものになるだろうと感じた。
 博士は彼女を実の娘だと思うと、ジレンマを催す。復讐の道具を作っているのだと自分に言い聞かせなければ、実の娘を切り捌いたという現実に、耐えきれなかったからだ。
 彼女を道具として扱うことで、博士は近親相姦以上に下種な自分の行いから、何とか目を背けることができていた。
 だが、これからは…。
 あの子が自分のことをもう一度「お父さん」と呼んでくれる日が来たのならば、それは自分の犯してしまった悪業と真正面から向き合う事態になるだろう…。
 その時に自分は耐えられるのだろうか?
 博士は前方の吸い込まれそうな暗闇から目を離して、窓の向こうにちりばめられた星の瞬きを見た。
 博士は自分が今、考えてもしょうがないことを考えていると感じ、少し眠ろうと思い目を閉じた。



 …博士が冷たい夜風に目を覚ましたのは、深夜のことだった。開き放しの窓が風に揺られてがちゃがちゃと耳障りな音を立てていた。
 博士はそれが目を覚ました直接の原因であることを理解しつつも、自分が窓を開けた記憶が無い事を不審に思った。
 吹き込んできた風に背筋を震わせた後、博士は現に目の前で開いているものは閉じようと、窓辺に向けて車椅子をひねった。ひょっとしたら窓を固定していた鍵が何かの拍子に壊れてしまったのかもしれない…。
 窓に向いた博士の体が硬直したのは、窓辺の傍らでじっと自分を睨み付ける一対の瞳を見付けて、ぎょっとしたからだ。
 博士の驚きを見定めてから、瞳の持ち主は暗闇の中で立ち上がった。窓から漏れた月光が、彼女のシルエットの全貌を、音も無く浮かび上がらせた。
「あそこでは長々しくスワロウテイルなんて呼ばれていたっけな…私の事が判るか?それとも失敗作のことなんて、忘れて余生を過ごしていたか?」
 博士の小さな呻き声が、一歩踏み出したアゲハの耳に届いた。
 博士は、アゲハに動揺をそのまま見せ続けることはせず、俯いた。博士の眼鏡が月光を反射して、アゲハからは博士の表情が、読み取れなくなる。
「ッ…!」
 アゲハはそれを小賢しいと思った。どうということの無い些細な動きが、この男にやられると、とても腹立たしいものに感じられた。
 アゲハは博士の襟首を掴んで、引っ張り上げていた。意地でもこの男が今、どんな表情をしているのか、見てやろうと思った。
 しかしその時には既に、博士の表情は平静を取り繕ったものに、塗り固められていた。
「目を背けるなら、背けるぐらいなら…どうして、あの時に…」
 ―壊してくれなかった…?
 アゲハは、自分が死にたがりのようなことを言おうとしているのに気が付いて、はっとして口をつぐんだ。
 自分を見捨てた目の前の男に対して、どうしてそんな言葉を放ちそうになったのか、不思議でたまらなかった。
「ウッ…」
 苦しさに震える博士の痩せ細った指が、襟首を掴む自分の手に引っかかっているのを、アゲハは汚らわしいものを払うようにして押し退けた。博士の体は乱暴に、車椅子に打ち付けられることになった。
 咳き込む博士の声にびくりと驚き、アゲハは後じさった。背中が窓辺にぶつかり、バランスを崩し、転げてしまいそうになる。
 自分がとても惨めで、一人では生きていけないような気持ちになっていた。
 絶対的な拠り所が欲しい。
 ―例えば父親のような…?
「違う…。お前は、私の…!」
 アゲハは行動を取った。自分の中に沸き起こった疑問文の答えを否定するように。
 博士は今日の朝、娘の幻影をハナコが自分に見せたことの意味を、その時悟ったような気がしていた。
 おそらくあれは自分を迎えにきていたのだろう、と…。

waikiyoku2 at 03:58|PermalinkComments(0)この記事をクリップ!