2011年9月23日に配信した「メルマガ金原No.569」を一部省略の上転載します。なお、省略したのは私のリード文の一部であり、寺井拓也さんと松浦雅代さんの参加記は、もちろん原文通り掲載しています。

寺井拓也さんと松浦雅代さんの『さようなら原発5万人(6万人)集会』参加記

 9月19日に東京の明治公園で行われた「さようなら原発5万人(6万人)集会」を5日連続で取り上げます。
 この集会には、全国各地から多くの人たちが加しましたが、和歌山から参加された「脱原発わかやま」の寺井拓也さんと松浦雅代さんが、「ミツバチin和歌山」MLに、集会などの模様をレポートしてくださいましたので、お2人のご了解を得て転載させていただきます。
 

             さようなら原発集会(明治公園)に参加して
                                        寺井拓也

【「異変」は東京駅1番線から】
 その日、朝一番のJR特急で紀伊田辺駅から新大阪駅へ、さらに新幹線で東京駅へ向かいました。東京駅で中央線快速電車に乗り換えるのですが、実はここから「異変」が起きていました。普段だったらがらがらのはずのこの電車。これがいやに混んでいるのです。祝日の正午すぎです。東京駅1番線からは4~5分間隔で電車は出て行きます。にもかかわらず「この混みようは何だ」。次に四谷駅で乗り換えた各停電車も同様の混みようです。そのほとんどの乗客がどっと降りたのは千駄ヶ谷駅でした。ここで気がつきました。みな、明治公園を目指していたのです。

【千駄ヶ谷駅はパニック寸前】
 千駄ヶ谷駅のホームに降り立つと、人の山です。階段の降り口が、まず詰まっています。この時間帯は、上下それぞれ5分間隔で電車が止まります。平均2分30秒ごとに吐き出されてくる人々を階段が吸収しきれないのです。階段を下りるとさらに大変。改札までのコンコースは、おそらく千人を超えるであろう人の波です。「押すな!押すな!」。パニック寸前の駅の改札を抜け
出ると、待ち受けていたのはいくつもの団体のノボリ旗でした。
 ここで私も準備です。駅前で、ノボリ旗を組み立てます。「脱原発わかやま」と書かれた60×180㎝の旗がなびきます。旗でPRしながら、人の洪水に流されて明治公園へ。途中「和歌山から来られたんですか」。見知らぬ人から声がかかります。「そうなんですよ」。和歌山県ではかつて4箇所もの原発計画があったことや、激しい攻防の末、今は1基も原発がないことなどを話します。すると「ホーッ。そうですか。」東京の人がまるで知らないのは当然かもしれません。

【入りきれない会場】
 明治公園に到着したのは13時すぎ。開会は13時半です。「間に合った!」。しかし、会場は、すでに人で埋め尽くされていました。約束の場所へ行くのも一苦労。日本青年館側の高台に向います。携帯で打ち合わせようやく、ノボリをみつけて寄ってきて下さったのは、和歌山市から夜行バスでかけつけたKさんら3人の女性でした。まもなく、同じくノボリを目印にやってきた和歌山市のMさんとも会うことができました。これで和歌山組は5人です。しかし、田辺市から来るはずのH夫妻の姿を、とうとう最後まで見つけることができませんでした。あとで事情を伺うと、超満員のため会場へ入ることすら出来なかったそうです。20日付東京新聞(1面)に掲載された空撮写真を見ると、膨れ上がった参加者が会場の出入り口からはみ出し、周辺道路へ、さらに隣
接地へも拡がっている状況を知ることができます。
 かつて東京在住の時、幾度となく駆けつけたこの明治公園なのですが、ベトナム反戦運動の高揚期でさえもこれほど膨れ上がった集会を、私は見たことがありませんでした。主催者発表で6万人という数字は実態に近いのでしょう。

【いよいよ開会】
 目印のノボリを持ったまま、遅れている二人を待ちます。動き回ったあとの身体に時折日が差します。麦藁帽をかぶってはいても、背中に汗がぽたぽたと滴ります。(このあと行進中は一転、そ
よ風とビルの日陰のおかげで涼しく歩けたのは救いでした)
 13時30分開会。鎌田慧、大江健三郎、内橋克人、落合恵子、澤地久江、山本太郎、そして福島の武藤類子さんとそれぞれのお話が進みます。この間にはドイツの環境NGO代表の連帯の挨拶が入ります。これらの内容は、インターネットでお聞き頂けますので、省略します。
(例えば、『9・19「さようなら原発集会」~6万人』で検索)
 会場で陣取ったのは、外縁部。あとから来たのだから当然です。そこからのステージは、さしずめ外野席からバッターを見ている感じです。加えてスピーカーも遠く、マイクからの音もときに聞こえに
くいのです。
 歯切れのよい、落合恵子さや山本太郎さんの声は通りました。しかし、大江健三郎さんになるとまるで聞こえません。「聞こえないぞ~!」うしろからヤジが飛びます。かすかな音声に耳を傾けていると、次第に疲労感が出てきます。およそ1時間、集中力が衰えてきます。そのころ、福島の代表の挨拶が始まりました。せっかく一番大事な話を、実は会場では十分咀嚼できずにいました。

【パレード出発】
 2時半過ぎに出発したパレードは、公園出口で混乱気味です。なかなか出られません。
 まず福島から来た人たちが出て行きました。私たちは次の第二集団に食い込みました。パレードのコースが3つに設定されたといえ、6万人を公園から出すには時間がかかります。最終の出発は
午後4時を回ったようです。終着地では真っ暗です。
 この原因は警察にもあります。パレードをやたら細切れにするのです。隊と隊との間を100メートルから200メートルも空けてしまう。同じ信号で3分、4分、5分と平気で待たせます。これは6・11大阪御堂筋デモのときも同じでした。かつてはなかったことです(30~40年も前のこ
とですが)。    
 そのうちデモ隊のなかからブーイングが出ます。あるとき、怒った通行人が、いっこうに動く気配のない宣伝カーに近づいて行きました。運転席のドアーを開けて「ちんたら、ちんたら歩くんじゃない!」。
悪いのは警察なのに、です。
 だから、公園からの出発も遅れるわけです。会場内で待ちぼうけです。くたびれます。子ども連れや年配者はもちろん、そうでなくてもぐったりしてきます。体力勝負。これで参加者を減らす作戦、そ
れを警察は狙っている。そんな話も聞きました。
 もう一つ、警察への不信があります。弾圧です。6月11日の新宿での反原発デモでは、市民を逮捕しました。これは反原発運動の気勢を削ぎ、9・19集会デモ参加へのけん制を狙ったものではないか。こんな声も聞かれます。それにもめげず、よくも6万人が集った、と評価の向きもあるよう
です。
 それにしても今回のデモも、平和的です。ジグザグデモはありません。道路一杯になるフランスデモもありません。警察にさほど抗議をするわけでもありません。警察に「管理」された、「おとなしい」パレードでした。

【右翼のお出迎え?】
 青山通りを通過中のことです。大きな交差点の反対側の歩道に「日の丸」が見えてきました。なにやら声を発しています。近づくと、10~20人ほどの男の集団。大きな日章旗が数本見えます。また「在特会」か?「在特会」とは、朝鮮学校を攻撃したり、6・11の大阪御堂筋デモでは歩道から罵声を浴びせに来ていました。同じく「日の丸」を掲げて。ところが、今回は雰囲気が違います。袴姿の正装での「お出迎え」です。「ご苦労様ですー」。どうも、在特会とは違う「脱原発右翼」のよう
です。
 「脱原発右翼」といえば、7月31日、都内で脱原発デモを繰り拡げました。一水会(鈴木邦夫顧問)と統一戦線義勇軍(針谷大輔議長)らのグループです。「福島の子供たちを救い出し麗しき山河を守れ!」。こんな横断幕を先頭に経済産業省と東京電力へ抗議したのでした。
(自由報道協会有志サイト「ザ・ニュース」“右からの脱原発デモ”より)
 右翼の思想をも揺るがすほどのインパクトを今回のフクシマ事故が与えたともいえます。

【和歌山からですか?】
 コースを半分以上過ぎた時です。「和歌山からですか?」。突然、テレビ(ビデオ?)カメラを回しながら「マスコミ」らしき男性が話しかけてきました。「脱原発わかやま」のノボリを見てのことだそうです。内心「和歌山に関心をもってくれたんですか?!」。歩きながらの会話が始まりました。和歌山の原発計画は?なぜ拒否しえたのか?中間貯蔵施設計画の現状は?3・11以後の課題。たとえば原発政策に住民・国民の意思をどう反映させていくべきか?などなど。それはある週刊誌の記者でした。渡された最近号には「総力ワイド・原発事故は終らない」の記事。小出裕章さんの本を出版
している会社でもありました。
 会話は終着地でも終りません。和歌山の原発の歴史に一番詳しいMさんに加わって頂き「3者会談」。第2部の始まりです。最寄り駅に着いたころには、夜のとばりが下りていました。

 以上、一番肝心な、集会の挨拶の核心について触れず、周辺の素描に終ってしまいましたが、ご容赦下さい。

参考【わかやま組の行進の様子】
 たまたま、見つけたサイトです。私たちの行進の様子が映っていました。興味のある方はどうぞ。
9.19③デモの様子(歌う!叫ぶ!多様な参加者たち、宗教者も)(6分51秒)

 

                さようなら原発集会などに参加して
                                        松浦雅代

 みなさまへ。
 寺井拓也さんから先に報告して頂いていますが、予告したこともあり、簡単に報告します。

 9.11~19日にかけて東京では、いろいろなイベントや集会がありました。
9.19の「さようなら原発集会」がメインでしたが、私は9.17の「原発の運転再開を許さない!
全国討論会
」にも参加してきました。
 北海道、青森、福島、福井、佐賀等、ほとんどの原発現地からこられていて、原発現地の
状況について報
告をされました。
 皆さん現地で3.11後の運転再開阻止で、がんばっています。
 その後、地震による配管破損の可能性、ストレステスト・緊急安全対策の問題点を美浜の
会の小山英之さ
んが報告。
 福島の佐藤幸子さんが福島の汚染・避難をめぐる状況報告をされました。
 時間切れで解散。残った人たちで青年館の前の公園で議論したそうです。
 全国から一同に集まり、顔を見ながらの状況報告から、質問、意見交換はとても貴重なも
のだと思いまし
た。
 翌日、北海道の泉かおりさんと福島の佐藤幸子さん、それにアイリーンさんの3人でアメリカに
飛んで行きました。

 私は娘夫婦の家に泊まっていましたので、9.19は11時頃に経済産業省の前でハンストをして
いる若者に会
いに行きました。
 霞が関の地下から出た所に何もなく、守衛さんが居たので「ハンストしている人たちはどこです
か」と聞いたのですが「分かりません」と云う。
 「ここは経済産業省ですね」「そうです」と念のために確認をとったのですが、「分かりません」と
云う。
言うなと言われているのでしょうね。
 そこを離れて角を曲がればすぐ「ハンスト」現場でした。
 歩道に沿ってハンスト中の小さなカラフルな布旗があるだけの、静かで、ささやかな場所でした。
 何度かお会いしてる祝島カヤック隊の東条君が居ましたので、ハンスト中の若者と私の写真
を撮って貰っ
た。
 次々と人が来ているので、皆さんにハンスト後は無理をしないでねと言って、明治公園に向か
いました。

 私は虎ノ門から地下鉄で外苑前駅、そこから明治公園に向かいました。
 まだ時間が早いので、明治公園の隣にある青年館で昼ご飯が食べられると思い急いで歩い
ていると、車体に反原発の文字が入ったバスが着いたのです。福島県の観光バスでした。
 この日福島から500人の参加だと言ってました。
 ホテルのレストランは予約待ちでいっぱいでした。12時30分頃だったと思いますが、人、人、人。
 私は昼ご飯を諦めて、スポーツ飲料水のポカリを買いました。
 当日のプログラムを貰い、市民グループのAコースの出口を確認しておいた。
 アイドルグループの制服向上委員会(?)の歌が始まったので舞台の前に行ってデジカメで撮
る。
 この時はまだ前に行けたのですが、参加者は座るように旗などは下ろすようにとの指示がありま
した。
 本部の近くの石に腰をおろして、1時過ぎても「脱原発わかやま」の旗が見当たらないので、少
々諦めかけた時、大阪の知人が松浦さんあそこに「脱原発わかやま」の旗が見えると教えてくれ
ました。
 それでやっと寺井さんや和歌山の人たちと落ち合うことが出来ました。
 この貴重な集会に参加出来たのは良かった。
 20日に帰って来る時、朝日、毎日、東京新聞を買ってきました。