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【映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』を観て考えたこと】

 本日(2018年10月6日・土曜日)和歌山市あいあいセンター6Fホールで2回上映されたドキュメンタリー映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』(佐古忠彦監督/2017年/TBS)の朝10時からの回に行ってきました。途中でクリーニングに出していた衣類を受け取りに行ったりしていたため、10時間際の到着になってしまいましたが、何とか間に合ってやれやれと客席についたところ、すぐに実行委員会を代表しての武内正次さんの御挨拶が始まり、引き続き映画の上映が始まり、固唾をのんで見守ったのですが、一向に音が出てこない。リハーサルの際にはちゃんと音は出ていたものが、何故かスピーカーの調子が悪く、実際にちゃんと音の出る上映が始まったのは、予定より30分近く遅れてでした。実行委員会の皆さん、気が気ではなかったでしょうね、とご同情申し上げます。

 なお、瀬長亀次郎氏(元那覇市長、その後衆議院議員)の軌跡を丹念に追っていく映画が見すえていたのは「オール沖縄の系譜」ということでしょう。
 かつて瀬長氏が収監されていた那覇刑務所跡地に建てられた那覇地裁において、国との裁判に臨む翁長雄志知事のスピーチとそれに声援を送る民衆のショットには、明らかに瀬長氏の演説に喝采を送った占領下の沖縄の民衆の姿が重ねられていたと思います。
 また、米軍占領下の那覇市長に当選した瀬長亀次郎氏を何としても引きずり下ろそうとした米国の悪辣な策動の果てに、カメジロー市長解任に動いた市議として、仲井眞弘多元知事の父親の名前をあえて挙げた上で、仲井眞知事による、辺野古埋立承認直前の「良い正月が迎えられる」発言のシーンをあえて挿入するなど、演出の意図は明らかでしょう。それを「あざとい」と受け取るかどうかは人それぞれでしょうが、私はそれほど気になりませんでした。
 この映画はまだ翁長知事の癌再発前の段階で作られたものですが、その後の成り行きを知っている今の私たちの目から見れば、その翁長知事と同知事を支えた民衆の姿は、玉城デニー候補を支持して当選を勝ちとった民衆の姿にオーバーラップします。

 最後に、衆議院議員となった亀次郎氏と佐藤栄作総理との国会での論戦のシーンを興味深く見たことを付け加えておきます。
 そのやりとりの模様を、この映画の監督・佐古忠彦さんが、「「沖縄が再び戦場となることを拒否する!」瀬長亀次郎、魂の誓い」という文章で紹介しています。
 沖縄の本土復帰をめぐる佐藤栄作総理の業績については、様々な評価があるところですが、少なくとも、現在の総理大臣である佐藤氏の甥の息子とは、沖縄に対する向き合い方が決定的に違うことだけは認めてよいのではないかという気がします。
 以下、「「沖縄が再び戦場となることを拒否する!」瀬長亀次郎、魂の誓い」(連載「アメリカが最も恐れた男」最終回)から引用します。
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52818

(引用開始)
 1969年11月19日から4日にわたってアメリカ・ワシントンで行なわれたニクソン大統領と佐藤栄作首相の日米首脳会談で、ついに両首脳は、沖縄返還で合意。
 そのころ、布令の改定により、亀次郎は被選挙権を取り戻していた。亀次郎は1970年11月15日に行われた沖縄初の国政選挙に出馬する。
 「市長追放」から12年以上が経っても、亀次郎人気は健在だった。
 トップ当選は自民党・西銘順治、人民党・瀬長亀次郎は見事2位で当選。3位に社会党・上原康助、そのほか自民党・国場幸昌、社会大衆党・安里積千代の計5人が、戦後沖縄初の国会議員となった。
 亀次郎はこのとき、63歳になっていた。
 衆院本会議では、瀬長亀次郎さんと紹介され、議長席にむかって右側の野党席最前列、右から2番目に席を占めた亀次郎は、起立して振り返り、頭を下げて挨拶した。
 沖縄の日本復帰を5ヵ月後に控えた1971年12月4日、亀次郎は衆院沖縄北方特別委員会で佐藤総理に質問する機会を得る。
 そこで、亀次郎は、逮捕から那覇市長就任、その後の兵糧攻めや水攻め、布令による追放という自らのこれまでの経験を語り、沖縄における米兵の関与する事件に触れて、なぜ基地のない沖縄を求めるのかを、日米間で結ばれた沖縄返還協定への疑問とともに佐藤首相にぶつけた。
 「佐藤総理の口から言ったでしょう。今国会の冒頭の所信表明の、沖縄問題に対するあの結語は、軍事基地の継続使用は返還の前提ともなる。覚えておられるでしょう。
 返還が目的ではなくて、基地の維持が目的である。ですから、この協定は、決して沖縄県民が26年間血の叫びで要求した返還協定ではない。
 この沖縄の大地は、再び戦場となることを拒否する!
 基地となることを拒否する!」
 拳を握りながらものすごい大音声。亀次郎の質問は、いつのまにか演説に変わっていた。そのド迫力に、佐藤は、文字通り圧倒されていた。
 佐藤は、こう答えた。
 「私と瀬長君との間にはずいぶん隔たりもございます。またその結論に至りましては大きな隔たりであります。ただいまの状態で基地のない沖縄、かように言われましてもそれはすぐにはできないことであります。
 しかし、私どもは、ただいま言われる、そういう意味の平和な豊かな沖縄県作りにひとつ、邁進しなければならない」
 その後のひとコマが日記に記されている。
 〈終わってあと佐藤はつかつかと質問者(亀次郎のこと)のところにやってきてあの本かしてくれんかという、あげますよと(亀次郎の著書)「民族の悲劇」と「民族のいかり」をてわたす。
私の名を書いてくれんかね―(佐藤)。委員席にもどって佐藤栄作様と書いて2冊をおくることにした、各社シャッターが集中される―だいぶ印象にのこったとみえる〉
(引用終わり)

※佐古忠彦さんによる連載「アメリカが最も恐れた男」はこちらから全部読めます。
 https://gendai.ismedia.jp/list/author/tadahikosako

映画「カメジロー」
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