弁護士・金原徹雄のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します。

『増補版 熊野・新宮の「大逆事件」前後-大石誠之助の言論とその周辺』(辻本雄一著/論創社刊)刊行のお知らせ

 20231229日配信(予定)の「メルマガ金原No.3539」を転載します。
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『増補版 熊野・新宮の「大逆事件」前後-大石誠之助の言論とその周辺』(辻本雄一著/論創社刊)刊行のお知らせ

 過去、私が「ブログ毎日更新」をしていた頃(2013年1月から2019年1月までの丸6年間)、憲法問題や(特に初期は)原発問題をテーマに取り上げることが圧倒的に多かったのですが、そのどちらとも言えないが、結構、何年にもわたり、何度も取り上げてきたテーマの1つが「『大逆事件』と和歌山~特に大石誠之助について」でした。

 私が過去そのテーマで書いた記事は、一番最後の新宮市名誉市民記念・企画展「大石誠之助とはどんな人?」(2018年10月2日~2019年2月24日@佐藤春夫記念館)のご案内」(2018年9月16日)の巻末に掲載したリストにリンクを貼っていますので、ご参照いただけると幸いです。

 そして、私が継続して上記テーマに関心を持ち続けた最も大きな要因となったのが、ほぼ10年前(2014年2月)に刊行された『熊野・新宮の「大逆事件」前後-大石誠之助の言論とその周辺』という本でした。
 私がこの本を知ったのは、その著者である辻本雄一先生(新宮市立佐藤春夫記念館館長)を和歌山市にお招きし、2014年5月に「熊野・新宮の『大逆事件』」と題してご講演いただくこととなった際、企画の中心となっていた松浦攸吉さん(平和と憲法を守りたい市民の声)から、刊行されたばかりの上記書籍を紹介していただいたのがきっかけでした。
 その後も、上記ブログで詳しくご紹介している人と人との繋がりなどもあり、辻本先生からはご厚誼をいただいてきており、2017年には念願の佐藤春夫記念館訪問がかない、辻本先生に詳しく館内をご案内いただいたりしてきました。

 さて、その『熊野・新宮の「大逆事件」前後-大石誠之助の言論とその周辺』の待望の増補版が、来たる2024年1月10日に、初版刊行から10年ぶりに発行されることになりました。
 ところで、皆さんは「増補版」と聞いてどういうことを想像されるでしょうか。
 私は、今、初版と印刷されたばかりの増補版を見比べているのですが(ありがたいことに著者からの「謹呈本」が昨日届きました)、圧倒的にページ数が増えていることは一見しただけで明らかです。
 詳しく調べてみると、
  初版の最終頁  393頁
  増補版の最終頁  687頁
ということで、ほぼ300頁の増加となっています。
 目次で確認してみると、初版の最終章は「第Ⅳ部 第11章 熊野における「大逆事件」余聞-漱石の俳句と大石ドクトル一統、そして中上文学へ」でしたが、増補版では、以下の章が新たに付け加えられていました(版元ドットコムから引用)。

 増補版の定価「5,000円+税」を高いと思われる方もおられるでしょうが、約300頁の新稿を付け加え、おそらく旧稿部分の修正も行い、カバーも新しくして、「3,800円+税」からわずか1,200円(+税)アップにとどめたのは、この種の研究書の常識からすると、版元(論創社)の英断だと思います。
 いわば、「正編」と「続編」の2冊を合本としたような「増補版」です。

 是非1人でも多くの方に手に取っていただきたく、ご案内することと致しました。

(通販サイト)
AMAZON 
楽天ブックス 
紀伊國屋書店ウエブストア 

(増補部分)
第Ⅴ部
 第十二章 大石誠之助における「信仰」の問題
 はじめに
 1 誠之助とキリスト教・兄余平の影響
 2 「大逆事件」・獄中の誠之助・刑死とその後
 
 第十三章 大石誠之助の獄中落書きに寄せて

 第十四章 在米・岩佐作太郎の京都帝大学生宛の「公開状」
 「公開状」(抄)

 第十五章 熊野川を遡る「新思想」

 第十六章 牧師作家沖野岩三郎の『宿命』を読み解く
       ――「大逆事件」との遭遇と熊野・新宮時代
 はじめに―「有りの儘」と「萬年筆と原稿紙の生まれた話」
 1 「懸賞小説に当選して 応募について」の感想から
 2 新聞連載時改稿と作品「宿命」の問題
 3 新宮時代の初期作品から
 4 与謝野晶子来訪の問題
 5 「細部」の「事実」から読む「宿命」
 6 「沖野神話」のひとり歩き
 おわりに

 第十六章付表・牧師作家沖野岩三郎の『宿命』を読み解く(含・関連年譜)

 第十七章 与謝野寛の詩「誠之助の死」成立にみる、晶子の「大逆事件」
 1 一九一五(大正四)年三月、晶子「熊野行」の意味
 2 「誠之助の死」成立の背景
 3 与謝野夫妻と沖野岩三郎の文学的出発
  【付・参考資料】

 第十八章 「大逆事件」の受刑者たち
       ――いわゆる「紀州グループ」と言われた人たちをめぐって
 はじめに
 1 「犠牲者」六名の人と為り
 2 六名のその後
 3 成石勘三郎の「獄中手記」と崎久保誓一の「名誉回復」への願い
 4 再審請求と棄却の問題
 おわりに

 第十九章 「大逆事件」と熊野の人びとの「現代」
 はじめに
 1 「大逆事件」とは―石川啄木の慧眼
 2 「大逆事件前夜」の熊野新宮
 3 犠牲者の名誉回復から大石名誉市民の実現まで

 第二十章 大石誠之助の名誉市民実現をめぐって 
 1 「咽のど喉に刺さったトゲ」
 2 反骨の榾火―大石誠之助の名誉市民推挙を支える信念
 3 大石誠之助、名誉市民実現に際して
 4 〔年表〕 大石誠之助・新宮市名誉市民実現までの道のり

 第二十一章 熊野反骨の系譜
 1 十津川からの「眼差し」―文武館と「隠岐コミューン」と新宮でのキリスト教受洗
 2 畑下(山口)熊野の自由民権運動時代
 3 自由民権運動と熊野地方
 4 印東玄得のこと―追悼碑建立の「気骨」の裏側で
 5 印東熊児が古河力作に贈った「豆本聖書」
 6 異境の地での「大逆事件」研究―仲原清のこと
 7 「発禁・熊野誌」六号への濱畑榮造氏の書き込み
 8 「煉瓦の雨」の下敷きになった大石余平の最期
 9 死刑判決を報じる、幻の「熊野日報」の号外
 10 「大逆事件」を機に追放された教師たち―八十三年前の「新聞投稿」に触発されて
 11 西浦宇吉の歩み 
 12 沖野岩三郎の「紀南半島夜話」―大石誠之助と津田長四郎への追悼文
 13 崎久保誓一、名誉回復への願い
 14 坂本清馬、「大逆事件」再審請求の執念と棄却
 15 戦争の最中、玉置酉久の讃美歌に誘われて
 16 佐藤春夫の父豊太郎の「懸泉堂割譲」への反発
 17 佐藤春夫、「老父の賜物」、中国趣味と「強権」への抗いと
 18 在野の東欧文学研究・エスペランチスト栗栖継・『真実へのひとり旅』
 19 伊達李俊の悲劇
 20 管野須賀子の「針文字」展示
 21 没後20年の中上健次
 22 抵抗の画家・石垣栄太郎は熊野人
 23 反戦平和の信念を貫いた女性・北林トモ
 24 「人権を取り戻す」―果敢に闘った木村亨
 25 堺利彦の故郷、みやこ町・豊津を訪れて

 第二十二章 書評など
 1 新たな「大逆事件問題」を提起―田中伸尚著『大逆事件―死と生の群像』を読んで
 2 I am only a free thinker ―黒川創著『きれいな風貌―西村伊作伝』を読む
 3 峰尾節堂のこと―田中伸尚著『囚われた若き僧峯尾節堂 未決の大逆事件と現代』を読む

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速報 12/17(日)公開学習会「もし今日、原発事故が起きたらどう行動する?~自分の子どもを被ばくから守るためにできること~」(子どもたちの未来と被ばくを考える会)のご案内

 20231118日配信(予定)の「メルマガ金原No.3538」を転載します。
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速報 12/17(日)公開学習会「もし今日、原発事故が起きたらどう行動する?~自分の子どもを被ばくから守るためにできること~」(子どもたちの未来と被ばくを考える会)のご案内

 チェルノブイリ原発事故が起きたのが1986426日、その25年後の2011311日に福島第一原発事故が起きました。
 そして、わが国で原子炉メルトダウンという取り返しの付かない過酷事故が生じてから128か月が過ぎました。
 世界的な原発過酷事故の発生頻度が「25年に一度」と言うにはデータが少な過ぎますが、既にチェルノブイリ―フクシマ間のインターバルの半分が過ぎたと思うと、国策として原発を稼働させている国に住む以上、日頃から緊張感をもって万一の場合への備えを意識することは、誰にとっても重要なことのはずです。

 このたび、「子どもたちの未来と被ばくを考える会」では、以下の公開学習会を企画しました。講師には、長年、福島での被災者健康相談に継続的に携わるなど、被ばくと健康について造詣の深い上岩出診療所医師の山崎知行先生をお招きしています。
 入場無料、予約不要です。是非、「わがこと」「わが子のこと」という思いを共有の上、ご参加いただきたく、ご案内致します。

(チラシ記載情報を転記)
<子どもたちの未来と被ばくを考える会 公開学習会>
「もし今日、原発事故が起きたらどう行動する?」
~自分の子どもを被ばくから守るためにできること~

原発の再稼働、溜まり続ける使用済み核燃料、60年超えの原発運転を可能とする法律の成立…
地震の多い日本で、残念ながら原発事故のリスクはますます高まっています。
もしあなたの近くで原発事故が起きたら、まず何をしますか?
自分や家族を被ばくの健康被害から守るため、準備できることは何でしょうか?
被ばくによる甲状腺がんを防ぐための安定ヨウ素剤の使い方や、ヨウ素剤の代わりになる身近な食品についてもわかりやすく教えていただきます。原子力防災について一緒に考えましょう。

〇日時:2023年12月17日()14:00~16:00
〇場所:和歌山市地域フロンティアセンター C会議室
     (和歌山市本町2丁目1番地フォルテワジマ6階)
〇講師:山崎知行 医師 (岩出市・上岩出診療所)
 チェルノブイリ原発事故以降、何度もベラルーシ、ウクライナの被災地を訪れる。
 東京電力福島第一原発事故後は、定期的に福島県を訪れ地域の人々の健康相談にあたる。
○入場無料・予約不要

主催:子どもたちの未来と被ばくを考える会
連絡先・事務局:TEL:073-451-5960(松浦) 
事務所:和歌山市三番丁6番地 三番丁ビル4階 金原法律事務所内

(参考 弁護士・金原徹雄のブログから/安定ヨウ素剤関連)
2013年1月6日 
三春町の4日間(安定ヨウ素剤配布・自治体の決断)前編 
2013年1月6日 
三春町の4日間(安定ヨウ素剤配布・自治体の決断)後編 
2013年8月31日 
『20年後のあなたへ-東日本大震災避難ママ体験手記集-』を読んで 
2014年4月30日 
もう一度「安定ヨウ素剤の予防服用」を考える 
2014年12月18日 
「知ること」は「行うこと」~『20年後のあなたへ~東日本大震災避難ママ体験手記集~』をあらためてお薦めします 
2016年4月1日 
浜岡原発「防波壁」完成と「避難計画」策定から石橋克彦氏の論考『原発震災 破滅を避けるために』(1997年)を思い出す 
2016年10月2日 
「松本市災害時医療救護活動マニュアル 原子力災害編」の安定ヨウ素剤についての記述を読んで欲しい

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11/3 映画『ゴジラ-1.0(マイナス・ワン)』公開!~これは映画館に行かなければ~

 2023年11月3日配信(予定)の「メルマガ金原No.3536」を転載します。
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11/3  映画『ゴジラ-1.0(マイナス・ワン)』公開!~これは映画館に行かなければ~

 2023年の今日「11月3日」は「文化の日」、戦前なら「明治節(明治天皇誕生日)」ですが、日本国憲法「公布記念日」(1946年)でもあり、さらに言えば、『ゴジラ』(1954年/第1作/本多猪四郎監督)の「公開記念日」でもあります。
 69年前の公開を記念して(「ゴジラ70周年記念作品」と銘打って)、東宝が制作する30本目のゴジラ映画『ゴジラ-1.0(マイナスワン)』(山崎貴監督)が今日から一斉に公開されました。

 もちろん私は未見ですが、是非映画館に観に行きたいと思っています。
 ちなみに、私自身、第1作『ゴジラ』が公開された約6週間後に生まれましたので、ゴジラとは「同い年」(?)ということになります。
 私が、封切時リアルタイムで鑑賞(映画館で)したゴジラ映画は、小学生の時に観た『キングコング対ゴジラ』(1962年)、『モスラ対ゴジラ』(1964年)、『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)の3本だけ、ということから分かるように、私は決してゴジラファンを名乗れるような者ではありません。
 あの大ヒットした『シン・ゴジラ』(庵野秀明総監督)でさえ、映画館ではなく、テレビと配信で観た位ですから。
 それでも、ケーブルテレビなどで録画して観たのも含めれば、だいたい7割方のゴジラ作品は観ているでしょうか。

 そのようなかなり心許ないゴジラ鑑賞歴の中で、私が別格だと思う作品は(多くの方と同じように)第1作の『ゴジラ』です。
 この作品については、テレビで観ただけではなく、2019年の夏、和歌山市民会館小ホールを借り、東宝から正式な配給を受けて自主上映会(主演俳優の宝田明さんの講演とセットの企画)「ゴジラ和歌山上陸!宝田明さんと考える「平和」~これまでとこれからと~」を開催した実行委員会(和歌山G&Tプロジェクト)の私はメンバーの一員だったのですから。

 ある意味「ワン&オンリー」とも思える第1作『ゴジラ』を、おそらく相当に意識したと思われる山崎貴版『ゴジラ-1.0』は、第1作のさらに前の焦土と化した敗戦日本に舞台を設定していると漏れ聞き、「その手があったか」と感心しきりです。
 試写や東京映画祭クロージング上映(11月1日)を観た人たちから絶賛の声が多くあがっている一方で、『ゴジラ-1.0』を「反戦映画」と措定した上で揶揄する声もあるとか。
 山崎監督の過去作の中には『永遠の0』(百田尚樹原作)とかもあったりして、未見の間はあれこれ考えても仕方がないでしょうね。

 少なくとも、予告編の映像は「映画館に行きたい」という意欲をかきたてるに十分です。これなら、正月にもやっていそうだな(東宝も「70周年記念」と言っているのだし)とは思いますが、できるだけ早く行ければと思います。皆さんもいかがですか?

10/3(火)「ネットにあふれる子どもたちの声-子どもシェルターるーも開設10周年-」開催!(和歌山城ホール小ホール)

2023922日配信(予定)の「メルマガ金原No.3535」を転載します。
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10/3(火)「ネットにあふれる子どもたちの声-子どもシェルターるーも開設10周年-」開催!(和歌山城ホール小ホール)

 開催まであと10日ほどとなり、しかも平日の昼間のイベントですので、参加できる方は限られているかもしれませんが、虐待などにより、家庭で暮らすことができなくなった子どもたちの避難場所として開設された「子どもセンターるーも」が10周年を迎えることを記念して、和歌山弁護士会との共催で表記のシンポジウムが開催されることになりました。
 弁護士会が主催の片翼を担うのは、そもそも「るーも」設立までの準備に奔走したのが、和歌山弁護士会子どもの権利委員会の有志若手弁護士(当時は!)数名であったことから説き起こす必要があるのですが(私は実働から手を引いた半引退委員として「頼もしい」と感心していました)、設立後の10年の歩みについては、伊藤あすみ弁護士からの報告が予定されているようなので、そちらに譲ります。
 今回のシンポは、「ネット」との関わりを中心に子どもたちの人権状況を多角的に分析しようとしており、特に子どもの福祉に関わる仕事、ボランティア活動などに携わっておられる方にとって、有意義な知見が得られる機会になると思われます。
 是非1人でも大くの方にご参加いただきたく、ご案内致します。

子どもセンターるーも ホームページ 

(開催概要)
2023年度子どもの権利・全国イベント
ネットにあふれる子どもたちの声-子どもシェルターるーも開設10周年-

先着380名/予約不要/参加無料
日時:令和5年10月3日(火)午後1時~4時30分まで(開場 午後0時30分)
会場:和歌山城ホール小ホール
主催:和歌山弁護士会/特定非営利活動法人子どもセンターるーも

後援(予定):日本弁護士連合会/和歌山県/和歌山市/和歌山県教育委員会/和歌山市教育委員会/和歌山県社会福祉士会/和歌山県臨床心理士会/和歌山県児童福祉施設連絡協議会/子どもシェルター全国ネットワーク会議
連絡先:(特非)子どもセンターるーも事務局 TEL.073-425-6060
 〒640-8276 和歌山市作事丁38番地

(開催趣旨)
インターネットやSNSの普及により、子どもたちが容易に情報にアクセスできるようになった一方、子どもたちがインターネットやSNSを利用する中で犯罪に巻き込まれたり金銭トラブルが生じたりすることも増えました。
また、インターネットやSNSを通じて、子どもたちがSOSを発していることもあります。
それぞれの立場で子どもに関わる活動をしておられる講師の方々をお招きし、我々大人たちができることを一緒に考えていきましょう。

(内容)
1「子どもシェルターるーも10年間の歩み」
 子どもシェルターるーも理事・事務局 伊藤あすみ弁護士
2「和歌山弁護士会子ども電話相談に関する報告」
 和歌山弁護士会子どもの権利委員会委員
3「ネット依存相談から見た子どものメンタルへルス」
 鳥取県精神保健福祉センター所長 原田豊氏(医師)
4「和歌山県の子どものインターネット利用状況」
 和歌山県環境生活部県民局 青少年・男女共同参画課
 特定非営利活動法人 和歌山IT教育機構
5「子どものSOS救済機関の実践」
 特定非営利活動法人こどもソーシャルワークセンター 理事長 寺重忠孝氏(社会福祉士)

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「安定ヨウ素剤の予防服用」についてあらためて考える

 202349日配信(予定)の「メルマガ金原No.3533」を転載します。

「安定ヨウ素剤の予防服用」についてあらためて考える

 昨日(4月8日)、和歌山ビッグ愛で、私も所属する「子どもたちの未来と被ばくを考える会」の世話人会が開かれ、出席してきました。
 議題の1つは、先日(2023年3月4日)同会が主催した今中哲二先生(京都大学複合原子力科学研究所研究員)講演会の模様を撮影した動画をDVD化したので、その活用方法などが話し合われたのですが、本動画は撮影者の小谷英治さんによって既にYouTubeにアップされていますので、そちらの方でも是非ご視聴・拡散をよろしくお願いします。
※講演動画(2時間26分)
 


 また、昨日の世話人会では、同会がこのたび50冊購入した「NPO法人原子力資料情報室」発行のリーフレット「原発事故がおきたらどうする?!子どもを守るQ&A」(28頁/頒価300円/本年3月刊)の活用方法などについても議論しました。
※リーフレット紹介動画(59秒)
 


 このリーフレットでも紹介されていますが、「甲状腺がんを引き起こす放射性ヨウ素を子どもが取り込まない対策」に必須の「安定ヨウ素剤」について、地元自治体の備蓄状況の調査や要請を進めていくことが今日の世話人会で話し合われました。

 私は、2019年1月に、それまで6年間続けていた「ブログ毎日更新」が体調不良によって途絶えて以降、はかばかしくブログの更新ができなくなってしまいましたが、それまでは、かなりの回数、安定ヨウ素剤の予防服用について関心をもってブログで取り上げていました。その一端は、末尾にアーカイブ記事にリンクを貼っておきますので、ご参照いただければ幸いです。

 特に私がこの問題に関心を持ち続けてきたのには、以下のような事情があります。
●福島県下の多くの自治体が、国や県からの安定ヨウ素剤服用指示を待ちながら、指示がなかったためにあたら住民を被ばくさせてしまった中で、三春町(みはるまち)だけが、町独自の判断で住民への組織的配布を行ったということに感銘を受けたこと。
●しかし、同町の出身者で、地震の被害を受けた婚家を逃れ、生まれて間もない息子を連れて三春町の実家に身を寄せていた女性が、せめて息子の分だけでも安定ヨウ素剤を配布して欲しいと町に要請したにもかかわらず、「町民の分しかないので」ということで配布を受けられなかったこと。
●その後、その女性が母子避難し、原発賠償関西訴訟(私も弁護団の一員)の原告に加わり、口頭弁論期日で、上記の辛い体験を交えて意見陳述するのを間近で見たこと。

 私は、国や自治体の原子力災害に備えた対応指針の「安定ヨウ素剤の予防服用」の項目を読む際には、上記の三春町の教訓(良い面も悪い面も)が反映されているかどうか?という視点で検討するのを常としています。

 その意味で、2016年10月2日のブログでご紹介した長野県松本市の「松本市災害時医療救護活動マニュアル 原子力災害編」には大きな感銘を受けたものです(長野県内に原発はありません)。
 ただし、松本市のホームページは最近リニューアルされたようで、以前のブログで貼ったリンクが無効になってしまっていましたので、再度探してみましたが、「松本市地域防災計画」にも「松本市災害時医療救護マニュアル」にも、「原子力災害編」は影も形もありませんでした(国は原発から30㎞圏内の自治体にのみ計画やマニュアルの作成を指示しています)。まだしっかり確認はとれていませんが、先進的だった松本市の取組も、菅谷昭(すげのやあきら)前市長の退任(2020年)と共にどうなっているのやら。「風前の灯火」もしくは「雲散霧消」というようなことでないことを願うばかりです。

 とりあえず、国のこの問題についての基本方針は以下のようなものです。

原子力規制庁「安定ヨウ素剤の配布・服用に当たって」  
(平成25年7月作成/令和3年7月21日最終一部改正)
(引用開始)
3.事前準備
1)区域別の基本的な枠組み
 原子力災害が発生した場合に住民等への防護措置を効果的に行うために、原子力災害対策重点区域が定められている。具体的には、原子力施設からおおむね半径 5km を目安として予防的防護措置を準備する区域
(Precautionary Action Zone。以下「PAZ」という。)と、原子力施設からおおむね半径 30km を目安として「緊急防護措置を準備する区域(Urgent Protective Action Planning Zone。以下「UPZ」という。)がそれぞれ定められている。安定ヨウ素剤の配布及び服用についてもその区域ごとに対応することが必要である。
a. PAZ
 全面緊急事態に至った場合には、避難の際に、服用の指示に基づき速やかに安定ヨウ素剤を服用する。このような速やかな服用を可能とするためには、地方公共団体はこの区域の対象住民に対して事前に安定ヨウ素剤を配布しておく必要がある
(略)
b. UPZ
 全面緊急事態に至った場合には、屋内退避を実施し、その後、原子力施設の状況や緊急時モニタリング結果等に応じて、避難又は一時移転の防護措置が講じられる。安定ヨウ素剤は、この避難又は一時移転の際、原子力規制委員会が配布及び服用の必要性を判断し、その判断に基づき原子力災害対策本部又は地方公共団体が指示を出すため、住民はその指示に従う。
 地方公共団体は、避難又は一時移転の際に安定ヨウ素剤を緊急配布できる体制を整備する必要がある。また、安定ヨウ素剤の緊急配布に当たって、ゼリー剤の供給ができない場合等に散剤を使用する場合には、集合場所、避難所等において薬剤師又は訓練を受けた医療従事者若しくは地方公共団体職員(以下「薬剤師等」という。)が散剤から液状の安定ヨウ素剤を調製できる体制を整備する必要がある。
 なお、PAZ 内と同様に予防的な即時避難を実施する可能性のある地域、避難の際に学校や公民館等の配布場所で安定ヨウ素剤を受け取ることが困難と想定される地域等においては、地方公共団体が安定ヨウ素剤の事前配布を必要と判断する場合は、前述の PAZ 内の住民に事前配布する手順を採用して、行うことができる。
(引用終わり)

 私の住む和歌山県に原発はありませんが(関西電力による建設計画はいくつもありましたが、全て阻止してきました)、県庁所在地の和歌山市と高浜原発が立地する福井県高浜市の間の直線距離は143㎞余りです。試みに、福島県浪江町と栃木県日光市の間の直線距離を調べてみると、約144㎞余りでした。
 国が原子力災害に備えるべき自治体の目安とする30㎞圏内ということにどれだけの意味があるのか?東京電力福島第1原発事故の教訓から明らかだと思うのですが。

 ここ何年か事実上休業状態に近かったブログを、もう少し活性化させ、原発問題にももっと力を入れねばと感じながら、昨日の世話人会をあとにしました。
 そして書いたのがこのブログです。
 ほとんど振り返りだけですが、再開のための「助走」と考えればこんなものでしょう。何とか続けていければと思っています。

(弁護士・金原徹雄のブログから/安定ヨウ素剤関連)
2013年1月6日 
三春町の4日間(安定ヨウ素剤配布・自治体の決断)前編 
2013年1月6日
三春町の4日間(安定ヨウ素剤配布・自治体の決断)後編 
2013年8月31日 
『20年後のあなたへ-東日本大震災避難ママ体験手記集-』を読んで 
2014年4月30日 
もう一度「安定ヨウ素剤の予防服用」を考える 
2014年12月18日
「知ること」は「行うこと」~『20年後のあなたへ~東日本大震災避難ママ体験手記集~』をあらためてお薦めします 
2016年4月1日
浜岡原発「防波壁」完成と「避難計画」策定から石橋克彦氏の論考『原発震災 破滅を避けるために』(1997年)を思い出す 
2016年10月2日 
「松本市災害時医療救護活動マニュアル 原子力災害編」の安定ヨウ素剤についての記述を読んで欲しい

拡散希望!【3/12「フクシマを忘れない!原発ゼロへ 和歌山アクション2023」開催(要事前申込)】

 202324日配信(予定)の「メルマガ金原No.3530」を転載します。
 Facebookにも同内容で掲載しています。

拡散希望!【3/12「フクシマを忘れない!原発ゼロへ 和歌山アクション2023」開催(要事前申込)】

 このたび、「原発をゼロにする和歌山県民の会」から、「フクシマを忘れない!原発ゼロへ 和歌山アクション2023」のチラシをお届けいただきましたのでご紹介します。
 会場は和歌山市南コミセンですが、オンライン(ZOOM)併用ですので(人数制限なし)、遠隔地の方も含め、是非多くの方にご参加いただければと思います(事前の参加申込みが必要です)。

 今年の開催概要は以下のとおりです。

日時 2023年3月12日(日)13:30開場/14:00開会
場所 和歌山市南コミュニティセンター多目的ホール(旧「和歌山地域地場産業振興センター」)
    オンライン(zoom)併用
講師 松久保 肇 氏(認定特定非営利活動法人 原子力資料情報室 事務局長)
演題 これでいいのか、政府の方針転換!! 危険な原発を今こそゼロへ!!
主催 原発をゼロにする和歌山県民の会(事務局 和歌山県高等学校教職員組合内)
    TEL073-432-6355  FAX073-432-6357
参加申込方法
[会場参加の場合]
 氏名・所属団体・連絡先(電話番号)を明記の上(できればチラシ裏面に記入して)、3月6日までに和歌山県高等学校教職員組合宛FAX073-432-6357)に送付してください。
[オンライン参加の場合]
 2月20日(月)~3月6日(金)に下記メールアドレス宛に、氏名・所属団体(又は住所)・連絡先の電話番号を明記して申し込んでください。
 ※申込先メールアドレス ymasaji@hotmail.com 

 このイベントは、以前は実行委員会形式で開催されていましたが、その実態も形骸化し(私も当初は企画会議に参加していましたが、ご無沙汰するようになって久しいですから)、県民の会の単独開催となるのも「宜(むべ)なるかな」というところです(いつからそうなったんだろう?)。

 私が企画に関わっていた頃の記録がFacebookとブログに留められています(ご参考までに)。
Facebookで振り返る「フクシマを忘れない!原発ゼロへ和歌山アクション2016」 
Facebookで振り返る「フクシマを忘れない!原発ゼロへ和歌山アクション2017」

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オリジナルで聴く「ぼっち・ざ・ろっく!」最終回エンディングテーマ~ASIAN KUNG-FU GENERATION『転がる岩、君に朝が降る』~

 20221228日配信(予定)の「メルマガ金原No.3529」を転載します。

オリジナルで聴く「ぼっち・ざ・ろっく!」最終回エンディングテーマ~ASIAN KUNG-FU GENERATION『転がる岩、君に朝が降る』~

 先日(12月24日の深夜24時~)ついに最終回(第12話)が放送された、女子高生バンド(結束バンド)の日常を描くTVアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」については、Facebookなどでしつこく取り上げてきましたが、その続報です。

 そもそも、結束バンドの4人のメンバーの姓(後藤、伊地知、山田、喜多)や担当楽器がアジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION)由来ということからも分かるとおり、原作マンガの作者(はまじあき さん)自身がおそらくアジカンの熱烈なファンであることは間違いないでしょうし、TVアニメのサブタイトルが、第8話を除き、全てアジカンの楽曲タイトルそのままか若干アレンジしたものとなっており、原作者も密接に関わったアニメ制作の上でも、アジカンに対するリスペクトは継承されていました。

 そして最終回、それまでエンディングテーマは、結束バンドのメンバー(を演じた声優さん)が交代で歌っていたこともあり(喜多⇒山田⇒伊地知)、残るは主人公のぼっちちゃんこと後藤ひとりのみとなっていたため、ファンの間では、「最終回のエンディングは、ぼっちちゃん(の声優の青山吉能さん)が歌うのでは」という観測が有力であり、実際その期待は裏切られませんでした。
 ただし、それまで番組中で披露される曲は(オープニング、エンディングを含め)全て(結束バンドメンバー自作という設定の)オリジナル曲ばかりでしたので、最後の最後にアジカンのカバー曲(しかも、第1話「転がるぼっち」と最終話「君に朝が降る」というタイトルの由来となった)『転がる岩、君に朝が降る』(作詞作曲:後藤正文)になるとは!と、ぼざろ(ぼっち・ざ・ろっく)ファン、アジカンファンの双方を驚かせ、喜ばせることになりました。

 正直、私はアジカンの楽曲そのものについての知識はほぼないに等しく、ミュージックビデオを何曲かYouTubeで視聴しただけなのですが、メンバーの後藤正文さんについては、かなり前からその存在を意識していました。そのきっかけとなった、2013年3月11日に開催された「つながろうフクシマ!さようなら原発講演会」での坂本龍一さんと後藤さんとの対談を、ブログで簡単に紹介していました。

2013年4月1日
坂本龍一さんと後藤正文さんの対談に耳を傾けよう 

 残念ながら、当時の映像はもう視聴できなくなっていますが、ブログでは、後藤さんが発行していた個人新聞「THE FUTURE TIMES」についても紹介していました。この新聞は、どうやら2018年に発行された第9号が今のところ最終号となっているようですが、後藤さん自身が同紙に連載していた「未来に話そう」がネットでも読めますので、一部引用してみます(第9号から)。

(引用開始)
 「これだ」という楽曲ができる度に、「たった一曲で世界が変わるんじゃないか」と僕は思う。
 そうした誇大妄想はもろくも崩れて、世間的なヒット作としての評価は受けられずに、いつもがっかりしている。
 けれども、その曲が「ある世界」と「ない世界」のどちらがマシなのかと問われれば、間違いなく「ある世界」を僕は選ぶ。世界を変えられなくても、僕自身は間違いなく、その曲の誕生以前と以後では、何から何まで違う。
 これは音楽だけに限ったことではないと僕は思う。「社会をより良く変えたい」と願っていても、僕らにできることは少ない。
 たとえば、明日から、誰しもが貧困や差別について考えなくても済むような発明はできない。
 ただ、差別や貧困のない世界を僕らが求めている社会と、求めていない社会とでは、大きな違いがある。どちらがマシかは言うまでもない。
(引用終わり)

 ここまで引用したのは、実は『転がる岩、君に朝が降る』の冒頭の歌詞が以下のようなものであったことにもよります。

(引用開始)
出来れば僕は世界を塗り変えたい
戦争をなくすような大逸れたことじゃない
だけどちょっと それもあるよな
(引用終わり)

 『転がる岩、君に朝が降る』(2008年2月6日リリースの11枚目のシングル)が「ぼっち・ざ・ろっく」最終話のエンディングテーマとなることについて、後藤正文さんが寄せたコメントが公開されています。

(引用開始)
何も持たずに生まれたはずなのに、
間違うことや失うことを恐れて臆病になってゆく私たち。
それでもこの世界を丸裸のまま転がってゆくのだという決意を歌った
「転がる岩、君に朝が降る」という楽曲を、大切に扱ってくれて嬉しいです。
後藤正文(ASIAN KUNG-FU GENERATION
(引用終わり)

 女子高生バンドを主人公としたアニメ最終話のエンディングで、メンバー(を演じた声優さん)がこの曲を歌うのですよ。私は「素晴らしい!」と感動しました。
  昨日届いた、この曲を最終14曲目に収録したアルバム「結束バンド」を昨日から車の中でずっと聴いています。
 「結束バンド」による『転がる岩、君に朝が降る』のカバーは公式YouTubeチャンネルでは公開されていませんので、アジカン公式チャンネルで公開されているASIAN KUNG-FU GENERATIONによるオリジナルヴァージョンを是非皆さんも聴いてください。

ASIAN KUNG-FU GENERATION 『転がる岩、君に朝が降る』


同歌詞
 

(余談)
 TVアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」を製作したアニプレックスがソニーミュージックの子会社であり、ASIAN KUNG-FU GENERATIONもソニー系レーベルのキューンミュージック所属であること、さらに、アジカン自身、アニメのテーマ曲を何度か手がけていることなどが、「ぼざろ」とアジカンによる幸福なコラボの背景にあることを付け加えておきます。

(参考)
弁護士・金原徹雄のブログ2
022年12月25日 
TVアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」が終わってしまった~原作者(はまじあき氏)のお礼の言葉に胸がつまる~年末年始に「一気見」しませんか 

金原徹雄Facebook
2022年10月9日 
2022年12月27日

司法エリート・検察エリートと原発訴訟

 2022723日配信(予定)の「メルマガ金原No.3523」を転載します。

司法エリート・検察エリートと原発訴訟

 ここ1か月ほどの間に、世間の耳目を集め、大きく報道された原発訴訟についての判決が2件、相次いで言い渡されました。しかも、その判決のよって立つ基本的見解が非常に対照的であったことも印象的でした。
 一方は最高裁(第二小法廷)、他方は地裁(東京地裁)の判決ですから、もとよりその影響力を同列に論じる訳にはいきませんが、いずれの判決についても、後続の裁判に大きな影響を及ぼす可能性があります。

 まず、6月17日に最高裁判決がありました。

最高裁判所 第二小法廷
令和4年6月17日判決
裁判官:菅野博之(裁判長)、三浦 守、草野耕一、岡村和美(三浦裁判官が反対意見)
概要:東京電力福島第1原子力発電所の事故で避難住民らが国に損害賠償を求めた4件の集団訴訟につき、たとえ国が東電に命じて防潮堤を設置していたとしても事故を防げなかった可能性が高いなどとして、国が電気事業法(平成24年法律第47号による改正前のもの)40条に基づく規制権限を行使しなかったことを理由として国家賠償法1条1項に基づく損害賠償責任を負うとはいえないとされた。

裁判所公式サイト 裁判例検索結果 
令和3年(受)第342号(原審:仙台高等裁判所) 
令和3年(受)第1205号(原審:東京高等裁判所) 

 次に、7月13日に東京地裁で以下の判決が言い渡されました。

東京地方裁判所 民事第8部
令和4年7月13日判決
裁判官:朝倉佳秀(裁判長)、丹下将克、川村久美子(下級審では個々の裁判官の意見は公表されない)
概要:東京電力福島第1原子力発電所事故を巡り、同社の株主らが旧経営陣5人に計22兆円を東電に支払うよう求めた株主代表訴訟で、被告の内、勝俣元会長ら4人が津波対策を怠ったとして、東電に対し計13兆3210億円を支払うよう命じる判決を言い渡した。
平成24年(ワ)第6274号他
 裁判所サイトの裁判例検索で見つけられなかったので、「東電株主代表訴訟」公式サイトにアップされているPDFファイルをご紹介しておきます。
判決骨子 10ページ
判決要旨 43ページ
判決全文その1 200ページ
判決全文その2 200ページ
判決全文その3(当事者目録省略) 230ページ
がPDFでアップされていましたのでご紹介します。

 まず、6月17日の最高裁第二小法廷判決についてです。判決当日、私も登録しているMLに判決骨子と判決要旨が流れてきたので一読しましたが、「えっ!それで国の責任が免除されてしまうのか」と、驚くというか、呆れるというか、何とも言えない気持ちになりましたが、4人の内、三浦守裁判官が反対意見を書いていることを知り、気を取り直して読んでみることにしました。
 上にご紹介した全54頁の判決の内、(原審:東京高裁の方では)1~11ページが3人の裁判官(菅野博之、草野耕一、岡村和美)による多数意見、11~17ページが菅野博之裁判官による補足意見、17~25ページが草野耕一裁判官による補足意見、そして25~54ページ(判決文全体の半分以上!)が三浦守裁判官による反対意見です。
 一々引用することはしませんが、三浦裁判官の反対意見は、非常に緻密に論理を積み上げていくスタイルで書かれており、とても分かりやすく(「法律家にとっては」かもしれませんが)、是非一読されることをお勧めしたいと思います。

 そして、次に私がしたことは、第二小法廷の4人の裁判官の経歴を調べてみることでした。国民審査があるということからでしょうか、最高裁ホームページには、各裁判官の経歴紹介のページがあります。

(多数意見/国の責任を否定)
菅野博之裁判官⇒東北大卒/裁判官出身
※7月3日に定年退官されたため最高裁の裁判官紹介ページからは削除されていましたので、新日本法規の裁判官情報をご紹介しておきます。
草野耕一裁判官⇒東大卒/弁護士出身
岡村和美裁判官⇒早大卒/弁護士・外資系金融機関法務部・その後検事に任官
(反対意見/国の責任を肯定)
三浦守裁判官⇒東大卒/検事出身
(引用開始)
昭和55年 東京大学法学部卒業
昭和55年 司法修習生
昭和57年 検事任官
その後,東京,宇都宮,福岡,名古屋各地検,長野地検上田支部,法務省刑事局等に勤務
平成10年 法務省刑事局参事官
平成12年 法務省大臣官房参事官
平成13年 法務省刑事局刑事法制課長
平成17年 法務省大臣官房審議官
平成21年 最高検検事
平成21年 那覇地検検事正
平成22年 最高検検事
平成22年 法務省矯正局長
平成25年 最高検監察指導部長
平成26年 最高検公判部長
平成27年 札幌高検検事長
平成29年 大阪高検検事長
平成30226日 最高裁判所判事
(引用終わり)

 上記経歴から明らかなように、三浦守裁判官は検察・法務畑のエリートコースを歩んでこられた方です。
 ところで、最高裁判所裁判官の国民審査に際し、「とにかく全員に×を付ける」という人もいれば、「裁判官出身・検事出身は全員×」という人もいたりしますが、それってどうなの?ということが前から疑問でした。
 もちろん、最高裁裁判官は様々な事件に関与しますから、個々の国民にとって、何から何まで自分と同じ意見の判決ばかりなどという裁判官などいる訳がなく、その意味では「全員に×」というのもあながち理由がない訳ではありませんが、憲法が国民審査の制度をわざわざ設けた趣旨を合理的に解釈すれば、「全員に×」とか「検察出身だから×」はないだろうと思います。
 ところで、三浦裁判官は、昨年10月の総選挙の際に行われた国民審査を受けたはずなので(個々の裁判官は10年に一度審査を受ける)、次の審査までに満70歳の定年に達してしまいますから、今回の判決(少数意見)を踏まえた審査は受けられないのですね(残念)。

 さて、次は7月13日の東京地裁判決です。前述のとおり、これは原発事故の翌年(平成24年)に提訴された東電役員を被告とする株主代表訴訟です。
 以下に判決の「主文」を引用します。

1 被告勝俣、被告清水、被告武黒及び被告武藤は、東京電力に対し、連帯して、13兆3210億円及びこれに対する平成29年6月2日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 本件原告らの被告勝俣、被告清水、被告武黒及び被告武藤に対するその余の請求並びに被告小森に対する請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は(略)の負担とする。
4 この判決は、第1項に限り、仮に執行することができる。

 請求認容額が「13兆3210億円」などという判決は初めて見ましたし、おそらく日本裁判史上のレコードでしょう。
 これは株主代表訴訟だからこそ「あり得た認容額」です。というのも、通常の民事訴訟では、原告は請求額に応じた印紙を収めねばならず(たとえば、請求額1000万円なら印紙代5万円、請求額1億円なら印紙代32万円)、兆を超える請求など「あり得ない」のですが、株主代表訴訟は例外的に、請求額にかかわらず、印紙代は一律1万3000円とされているのです。

 ところで、この判決を主導したと思われる朝倉佳秀裁判長の経歴は以下のとおりです(新日本法規の裁判官情報から)。

(引用開始)
R 2.10.26 東京地裁部総括判事・東京簡裁判事
R 2.10.16 東京高裁判事・東京簡裁判事
H31. 4. 1 検事
H29. 4. 1 東京地裁部総括判事
H27.12.18 東京地裁判事
H26. 2.20 東京高裁判事
H24. 2. 3 最高裁人事局給与課長(東京地裁判事)
H23. 9.18 最高裁民事局第一課長・最高裁民事局第三課長・最高裁広報課付(東京地裁判事)
H22. 4. 1 最高裁民事局第一課長・最高裁民事局第三課長・最高裁広報課付(東京地裁判事・東京簡裁判事)H20.10. 1 最高裁民事局第二課長(東京地裁判事・東京簡裁判事)
H19. 4. 1 司法研修所教官(東京地裁判事・東京簡裁判事)
H17. 5.26 千葉地家裁判事・千葉簡裁判事
H17. 4. 1 千葉簡裁判事・千葉地家裁判事補
H13. 9.25 大阪簡裁判事・大阪地家裁判事補
H13. 9.18 東京簡裁判事・東京地裁判事補
H 9. 9. 1 検事
H 5. 4. 9 東京地裁判事補(司法修習第45期)
(引用終わり)

 原告弁護団の海渡雄一弁護士がFacebookで朝倉裁判長についてこんな紹介をしていました。

(引用開始)
この判決を主導した朝倉裁判官は最高裁で民事課長の要職をつとめた後、内閣官房に出向していた超エリートです。今日の判決、言い渡しは40分くらいの要旨を読み上げたのですが、立派でした。ゆるぎない自信と確信に満ちていました。弁護士冥利に尽きるとはこのことです。
(引用終わり)

 もう一つ、私が読んだ7月14日の朝日新聞・大阪本社13版朝刊(30面)の記事を引用します。

(引用開始)
今回の判決を言い渡した朝倉佳秀裁判長(54)は1993年に判事補任官。民事裁判の経験が長く、内閣官房内閣審議官として裁判のIT化にも関わった。2020年10月に2度目の東京地裁部総括判事となり、会社関係の訴訟を担う商事部に所属する。今回の株主代表訴訟は、12年3月の提訴時から数えて4人目の裁判長として担当した。被告の本人尋問や専門家の証人尋問を行ったほか、21年10月には『現地進行協議』を実施。原発事故をめぐる関連訴訟で、裁判官として初めて福島第一原発の構内まで視察した。
(引用終わり)

 私はこの記事を読み、特に最後の「原発事故をめぐる関連訴訟で、裁判官として初めて福島第一原発の構内まで視察した」とある部分に感銘を受けました。

 三浦守裁判官にしても、朝倉佳秀裁判官にしても、私との共通点は、司法試験に合格したことくらいしかなく、検察エリート、司法エリートとしてお2人がどのような体験を積み重ねて今回の判決に至ったのか、想像することすら困難です。
 ただ、検察エリート、司法エリートにもいろんな人がいるのは当然として、法律家としての矜持に恥じない判決に接することができたのは幸いでした。

(参考記事)
東京新聞 2022年6月23日
「原発避難者訴訟 国の責任は否定されたが…最高裁判決文に異例の反対意見 三浦守裁判官が痛烈批判」

(抜粋引用開始)
福島訴訟原告団の馬奈木厳太郎(まなぎ・いずたろう)弁護士は「反対意見が判決の形で書かれているのは極めて異例のこと。これが本来あるべき最高裁判決だという思いを感じる。原告の思いに向き合い、法令の趣旨からひもとき、証拠を詳細に検討しているこの反対意見は後陣の訴訟にとって宝。第2判決として位置付けたい」と評する。
(引用終わり) 

7/22(金)講演会「赤木さん事件の真相と意義」(青法協大阪支部2022年総会記念講演)のお知らせ

 2022630日配信(予定)の「メルマガ金原No.3522」を転載します。
 Facebookにも同内容で掲載しています。

7/22(金)講演会「赤木さん事件の真相と意義」(青法協大阪支部2022年総会記念講演)のお知らせ

 コロナ禍のために私たちの生活スタイルが大きな変容を強いられましたが、そのことによるプラスの側面がない訳ではありません。その1つが、ZOOMYouTubeLiveなどを活用した「オンライン講演会」の普及でしょう。
 コロナ禍前であれば、ごく稀な例外を除き、いかに興味深い講演会やシンポジウムであっても、基本的には現地に出向いて参加するしかありませんでしたが、今やオンライン講演(併用もしくは専用)がごく普通に利用できるようになってきました。

 ということで、7月22日(金)午後6時から、大阪弁護士会館で開催される青年法律家協会大阪支部の総会記念講演「赤木さん事件の真相と意義」をご紹介できることになりました(ZOOM併用)。
 チラシには、「参加費無料です。若手弁護士、修習生、学生の参加も大歓迎です。」とありますが、もちろん、「一般市民」も大歓迎という趣旨です(青法協大阪支部の佐々木正博事務局長から確認済み)。

 以下に、開催概要を転記します(佐々木事務局長の案内メールから)。是非1人でも多くの方に関心を持って参加していただければと思います。

[青法協大阪支部 2022年総会記念講演]
「赤木さん事件の真相と意義」
森友学園への国有地売却をめぐる財務省公文書改ざん問題。改ざんを強いられ、自死された近畿財務局職員の赤木俊夫さんの妻・雅子さんが国と佐川元理財局長を訴えた裁判が大阪地裁で闘われています。現場では何が起こっていたのか、赤木ファイルには何が遺されていたのか、国の請求認諾の背景には何があったのか…。代理人弁護士及び赤木さんから、本事件の経過や意義、工夫点、そして、訴訟手続きの中で明らかとなった真相をお話いただきます。

日時:2022年7月22日(金)18:00~
参加費:無料
場所:
①大阪弁護士会館11階 1110会議室
②ウェブ配信(ZOOM)
講師:
松丸正弁護士(堺法律事務所)
生越照幸弁護士(弁護士法人ライフパートナー法律事務所)
ゲスト:
赤木雅子さん(赤木さん事件原告)

※事前申込制とさせていただいております。
会場の人数には限りがありますので、会場の人数制限をさせていただく場合がありますがご容赦下さい。
※下記URLは申込フォームにリンクしています。
ブラウザの仕様等により、フォームが表示されない方は、チラシのQRコードからお申し込みください。
 【URL】 https://bit.ly/3a488xB
申し込みができない場合は、担当:弁護士吉留慧(06-6576-7680)もしくは、seihokyooosaka@gmail.comまでご連絡ください。
会場、web参加問わず、写真、動画撮影は禁止です。

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7/16(土)岩波新書『学問と政治』出版記念シンポジウム~学術会議任命拒否問題とは何か~(オンライン視聴あり/申込不要)

 2022621日配信(予定)の「メルマガ金原No.3521」を転載します。
 Facebookにも同内容で掲載しています。

7/16(土)岩波新書『学問と政治』出版記念シンポジウム~学術会議任命拒否問題とは何か~(オンライン視聴あり/申込不要)

 菅義偉政権によって違法・不当にも6人の日本学術会議会員候補が任命を拒否された「事件」からはや2年近くが経過しましたが、岸田文雄政権もその過ちを認めず、違法状態を放置するという由々しい事態が続いています。
 その任命を拒否された当事者である6人の共著として、2022年4月、岩波新書から『学問と政治 学術会議任命拒否問題とは何か』が刊行されました。
 それを記念して、版元の株式会社岩波書店と「学問と政治」出版記念シンポジウム実行委員会の共催により、以下の内容で記念シンポが開催されます。
 会場は東京ですが、オンライン視聴(申込不要)も可能ということなので、ご紹介することとしました。
 岩波新書の該当ページを閲覧してもまだオンライン視聴についての案内は掲載されていませんでしたが、申込不要なので、開催時期が近付いてから閲覧していただければ良いと思います。
 私もチラシ記載の情報しか持ち合わせがありませんが、時間をとって視聴するだけの価値は十分にあると思います。

(シンポジウムの概要)
日時:2022年7月16日(土)13:30~16:00(開場13:00)
会場:全国町村会館(会場参加は先着100名まで)
オンライン視聴(申込不要)あり
 詳細は以下の岩波書店HPに掲載予定
  https://www.iwanami.co.jp/book/b603071.html 
  http://iwnm.jp/431925
基調講演「焼け野になる前に―現在の状況を歴史家はどう見ているのか」
 講師:加藤陽子(東京大学)
◆発言・メッセージ
芦名定道(関西学院大学)/岡田正典(早稲田大学)/小沢隆一(東京慈恵医科大学)/松宮孝明(立命館大学)/池内了(名古屋大学名誉教授)/佐藤学(東京大学名誉教授)/前川喜平(元文部科学事務次官)ほか
◆シンポジウム呼びかけ人
高山佳奈子/永田和宏/長谷部恭男/廣渡清吾/福田護/藤谷道夫/三宅弘

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原発賠償関西訴訟での森松明希子さんの4回目の意見陳述(2022年5月26日)

 202261日配信(予定)のメルマガ金原No.3519を転載します。

原発賠償関西訴訟での森松明希子さんの4回目の意見陳述(2022526日)

 去る2022年5月26日(木)午後2時から、大阪地方裁判所において、原発賠償関西訴訟の第33回口頭弁論が開かれました。
 前回の裁判以降に裁判長と陪席裁判官のうちの1人が交代し、弁論更新手続が行われるのを機に、原告本人の意見陳述が行われることになり、原告団代表の森松明希子さんが、4回目となる意見陳述を行いました。

原発賠償関西訴訟第33回口頭弁論チラシ 森松さんが4回も意見陳述を行ったと聞くと、原告団には他に意見陳述できる人がいないのか?と疑問に思われるかもしれませんね。最初に審理を担当した裁判長が寛容だったからか、裁判が始まった当初は、毎回のように原告が交代で意見陳述をしていたのですが、やがて、裁判長の交代による弁論更新手続が行われるというような節目の時だけに原告意見陳述が行われることが慣例化し、自然と「森松さんに任せよう」ということになったのかもしれません(詳しいことは知りませんが)。

 原発賠償関西訴訟の原告弁護団に参加している和歌山の弁護士は私を含めて2名しかいないため、2人が交互に弁論期日に出頭することにしており、たまたま5月26日は私が出廷する番でした。
 前にも書いたことがありますが、私は、いつも法廷の中の傍聴席との仕切りのバーに沿って置かれたベンチの真ん中近くに席を占めるのが常なのですが、26日もいつもの席に着席し、証言台のところに立つ森松さんから約2m以内という至近の距離から、その意見陳述に耳を傾けました。
 これまで私が聞いた1回目と3回目の意見陳述と異なったのは、事前に森松さんから読み上げ用の原稿をメールで送ってもらっていたことで、私は、原稿に目を落としながら森松さんの意見を聞いていました。
 森松さんの講演を聴いたことのある方なら分かると思いますが、彼女の単位時間当たりの「発言量」は非常に多いのです。まあ、早口と言っても良いのですが、それでもしっかりとした口跡で、明快な語り口ですから、聴き取りにくいとか、分かりにくいということはありません。
 私は、26日には特に「早口になり過ぎないか」と心配しながら原稿に目を落としていました。というのは、この日には原告側から提出した準備書面について弁護士が口頭で説明(弁論)することも予定されており、どうやら弁護団事務局長から森松さんに対し、「意見陳述は15分程度でお願いしたい」という要請があったようなのですね(私の推測ですが)。
 しかし、原稿を読むととても15分で読み上げができるような分量とは思えず、そのことを開廷前に森松さんに話したところ、「予行演習では18分だったけど、大丈夫です」と自信たっぷりでした。
 ということで、「本当に大丈夫か?」と思いながら聴いていたのです。
 確かに、森松さんの陳述は早口には違いありませんでしたが、しっかりと気持ちも込められ(時にせくりあげそうになるのを堪えているのが分かりました)、感銘深い陳述となりました(21分間かかりましたけど)。ただ、もう一段ギアを上げてペースアップしていたら、いくら何でも早すぎたでしょうね。

 以下に、森松さんから送っていただいた意見陳述のための読み上げ原稿を、そのまま全文転載します。
 是非多くの方に読んでいただけるよう、「拡散」にご協力いただければと思います。

(引用開始)
平成25年(ワ)第9521号,第12947号
平成26年(ワ)第2109号 平成28年(ワ)第2098号,第7630号
損害賠償請求事件
原 告  原告番号1-1 外239名
被 告  国 外1名

                意  見  陳  述  書 

                                                                     原告番号1-1

 原告番号1-1です。
 意見陳述の機会を与えていただきまして、感謝申し上げます。
 私は福島原発事故の放射能汚染の影響で、11年間、福島県郡山市から大阪府大阪市に、子ども二人とともに国内避難を続けています。いわゆる母子避難で、2011年3月11日(3.11)当時0歳と3歳だった子どもたちは父親とは離れ離れで暮らしています。
 小学校6年生になった娘は、父親と一緒に暮らした記憶がありません。野球部に入部した中学3年生の息子は、週末、父親とキャッチボールをすることさえ叶わない日々を送っています。月に1度しか会えない父親との別れのたび、号泣していた二人ですが、11歳と14歳になった今、“なぜ、避難しているのか”十分に理解していますし、この裁判の意味も分かる年齢になってきました。
 また、子どもたちは現在も、福島県が実施している県民健康調査で甲状腺エコー検査を受け続けています。避難していても検査を受け続けなければいけない理由も、その必要性もよく理解しています。

1.原発事故は終わっていない
 原発事故から2ヶ月後に、放射線被ばくの身に迫る危険と命や健康に関わる権利が脅かされながらも、ようやく避難に至る条件がかろうじて整ったので、私は福島から大阪に逃れることができました。
 逃げるかとどまるか、客観的な状況を把握したくても、必要な情報は与えられず、他方で「ニコニコ笑っていれば放射能は来ません」「年間100ミリシーベルトまでは大丈夫」などのプロパガンダも含め、おかしいことにもおかしいといえない雰囲気が作り続けられ、耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶかのごとくの精神論や、自分よりもっと大変な人がいるからという謎の不幸比べによる我慢大会さながらの美談による陶酔的思考が蔓延する中で、人権保護や個人の尊厳よりも「復興」「頑張ろう福島」という大合唱によって異論を唱えることが困難な雰囲気に包まれる中、「被ばくはしたくない」「子どもを被ばくから絶対に守りたい」という思いで、なんとか私は福島を出てきました。一つでも条件が整わなければ、私は避難したくても出来なかったと、それは今でも強く思います。
 やっとの思いで避難をして初めて、放射能汚染の線源からおよそ600キロメートルほど離れたこの関西の地から、避難元の状況を見つめたあの日のことが、今も鮮明によみがえります。
 今そこにある危機から即座に避難できる人の方が少ないのです。事故から2ヶ月後の避難は、1年後、3年後、5年後に避難を決断できた人と比べると、極めて早期の避難開始ともいえるのです。何の制度や保障もない中で「自力避難」を余儀なくされる状況では、避難の開始にも時間はかかるのです。
 また、一緒に住んでいた家族揃って避難することも“強制避難”でなければ難しいのが現実です。11年経っても家族・親子が離れ離れのまま避難を続けている母子避難等のケースが如実にそのことを表しています。
 さらに、実際は、多くの住民が、「避難したくても出来ない」「本当は避難できるものなら今からでもしたい」と話しています。
 国と東京電力は、全国各地の避難者が起こした裁判で、圧倒的多数の住民がとどまる中、避難している人はあなた達だけだ、というように、避難している人が何か特別で、まるで異端者であるかのような印象を裁判所に印象付けようとしています。
 しかし、避難せず福島にとどまっている人も「あのとき避難しなかった息子たちが将来、癌になったら、孫に何かあったら、ということは今でも考える。覚悟して背負って生きるしかないな、と。苦難の中で生き続けるのも抵抗の仕方として意味がある」(福島生業訴訟原告・2022年04月23日弁護士ドットコムニュースより)と公言し、とどまる人の苦悩や苦痛が現在も続いていることを、今でも多くの人々が話し続けています。
 原発は国策です。唯一の規制権限を持つのも国ですが、ひとたび事故を起こせば犠牲になるのは周辺に住む無辜の人々です。原発に賛成していた人にも反対していた人にも無差別に被ばくの脅威はおそいかかります。そして、特に被ばくに最も脆弱な子どもたちが、いちばん犠牲になるのです。
 国策による犠牲を、とりわけ子どもたちに強いることは許されないと私は思います。

2.避難しても地獄 とどまっても地獄 帰還しても地獄
 東京電力福島第一原発事故から11年後の奇しくも本日(2022年5月26日)、東京地方裁判所では3.11当時福島県在住の6歳~16歳だった子どもたちが、小児甲状腺がんになったのは東電福島原発事故の放射能被ばくによる健康被害だとして裁判所に訴えています。健康被害の因果関係を争う裁判は、私たちの裁判以上に時間も労力も奪われることは必至です。それでも、3.11当時、子どもだった世代も、被害が顕在化しているところから、「おかしい」という声を上げ始めています。それに対し、世界中から共感と応援の声が上がっています。
 とはいえ、健康被害が明確に顕在化しなければ、そして、子どもが病気になってからでなければ、訴えを起こすことができないのでしょうか。
 避難した私たちも、避難したからそれで終わりではありません。原発事故直後の被ばくにより健康を害するリスクは確実に高まっておりその後に避難したことにより、被ばくのリスクがさらに高まることを防ぐことができているだけであり、避難したから安泰で平穏な日常が取り戻せたというわけではないのです。もしかしたら自分が、あるいは子どもたちが、がんや被ばくによる疾病を発症するかもしれない、という恐怖は、避難した人もとどまる人も帰還した人も、ずっといだき続けているのです。
 何の保護や救済もない現状は、「避難しても地獄 とどまっても地獄 帰還してもまた地獄」なのです。
 そのような被害は、裁判所以外に、一体どこの誰が正当に評価してくれるのでしょうか?
 11年後の今、原発事故までは100万人に1人か2人しかならないと言われていたにもかかわらず、分かっているだけでも300人近い子どもたちが小児甲状腺がんを発症しています。この小児甲状腺がんの多発の事実を前にして、それでも、自らに健康被害が生じなければ訴えるに値しない、「避難」の必要はないと、皆さんは考えるのでしょうか。
 事故が起こったとき、最も被害を受けるのは、社会的にも弱く、また被ばくに対しても最も脆弱な子どもたちです。子どもは親が避難しなければ基本的には自分の意思で避難することはできないのです。被ばくは嫌だと訴えも出来なければ、被ばくを避ける術も持ち合わせてはいません。制度や保障がなければ、自らの意思にかかわらず、避難することは出来ないのです。
 また、避難できたとしても、避難先でいじめられたり、家族の意見が対立する中、家族離散を経験し、「生き地獄」と表現した現在中学2年生の少女もいます(愛媛訴訟原告・最高裁弁論での原告意見陳述より)。
 この国は、子どもの権利条約を批准しているというのに、最も守られるべき子どもたちの受けた被害や損害、とりわけ「子どもの権利」侵害については、まったく評価も賠償もされていません。この14歳の少女は、最高裁判所に対し「この世は変わらない、と思わせないようにして欲しい」と訴えていますが、大人である私も全く同じ思いです。
 放射能汚染の事実があり、被ばくを避ける必要があるから、多くの人が、あらゆる困難を乗り越えてでも「避難」という決断をしたのです。
 実際に避難するのは、そしてその避難生活を継続させるのは、簡単ではありません。避難の決断とともに、避難の継続には、実際に、強制避難区域と同様に、精神的負担、経済的負担を強いられます。差別的な取扱をすることは許されず、それは国連の「国内避難に関する指導原則」にも明確な規範として国際社会でも共有されている世界の標準です。そうであるにもかかわらず、人権保護の観点からの救済はありません。人権侵害が常態化しているから、この国は、国連人権理事会ほか、国際社会からも数多くの勧告を受け続けているのです。

3.「線引き」による差別
 そして、事故直後に福島第一原発からの距離という合理性のない線引きを行い、あたかも国が認める公式の避難者と非公式の避難者といわんばかりに被害者を分断し、賠償に差別的思考を持ち込んでいるのも、紛れもなく責任を問われ、また、国策で原発を推進している国です。土壌の汚染や内部被ばくは考慮に入れず、また、年齢・性別・職業・家族構成などきめ細やかな保護も施策も救済も11年経っても確立されず、ひたすら私たち被害者は“いないこと”にされ続けています。
 私たち原告は、そうした国と東京電力が勝手に持ち込んだ避難区域内・区域外・福島県外などという差別と偏見と固定観念を助長するような線引きによる分断を乗り越え、放射能汚染地のすべての被害者の救済を求めています。
 放射能汚染という客観的事実に向き合い、「万が一にも事故を起こさない」と約束した側が「これくらいの被ばくなら良いだろう」と勝手に基準を決め、被害者は誰かを勝手に決めるような線引きをし、「被ばくしたくない」「健康を享受したい」という私たちの人間としての生命と生存に関わる根本的な権利を侵害し、尊厳を踏みにじることは決して許さない、という思いから、その思いを同じくする人々とともに、こうして司法による救済を求めることにしました。
 逃げることは簡単ではありません。原発事故による放射性物質がばらまかれても目には見えません。色もついていないし、放射能被害は晩発性障害が多く、被ばくから数年後、数十年後に起きるからです。
 火事があったら逃げるのは当たり前です。「逃げずに火を消せ」と言われたら「それはおかしい」「私は嫌だ」と言えるのは、被害を知り、避難の権利性に気づき、確信をもっているからで、たとえ圧倒的多数の人が避難を選ばなかったとしてもその権利を主張することができると私は思うのです。
 私たちは、これまで、「放射線被ばくから免れ健康を享受する権利」の具体的・直截的・積極的な被ばく防護の行為として、原発事故により拡散された放射線被ばくからの「避難の権利」ということを主張してきましたが、「逃げること(避難)」、「逃げ続けること(避難の継続)」の権利性ついて、もっと多くの人にその重要性を知ってほしいと思いますし、裁判において確立してほしいと思います。

4.避難は終わっていない
 福島をはじめとする放射能汚染地から続々と逃れる人がいる反面、戻る人もいます。福島原発事故から数年後には、避難する人より戻る人のほうが多いと喧伝され、これもまた、避難する状況にない、非常事態は終息したという宣伝に用いられるわけです。
 しかし実際のところは、「原子力緊急事態宣言」は現在も発令されたままで、今現在も緊急事態宣言下にあるのです。緊急事態宣言を解く事ができないのは、国際基準(国際原子力事象評価尺度International Nuclear and Radiological Event Scale,INES)からしてもレベル7の事故が終息していないからです。
 さらに、モニタリングポストの空間線量こそ水素爆発直後の線量よりは下がったというだけであって、土壌(土)には、まだ何万ベクレルもの汚染があり、何よりも、38万人ほどの福島県民の子どもたちを調べただけでも300人の子どもたちが小児甲状腺がんを発症し、私の子どもたちと同世代の子どもたちの身に明らかに異変が起きているという事実があるのです。
 そうであるにもかかわらず、実際に避難している人の人数さえまともに数えられたことはなく、何人が避難したのかも、そのうちの何人が戻ったのかも、11年経っても明らかではないというのが日本の現状です。
 私もこの11年間で、何人もの母親の避難させてもらえなかった涙とともに、「住み慣れた我が家に帰りたい」「子どもが父親と離ればなれで泣き続ける」「自力での避難費用が底をつき、精神的にも経済的にも不安におしつぶされてしまう」と泣きながら帰還していった母親の姿を見てきました。その声は、「復興」「頑張ろう福島」の大合唱にかき消され、いつも「ない」ことにされています。
 非常事態であればあるほど、実際には「逃げる」ことは許されません。心を一つにして、一丸となって頑張れと鼓舞されます。その雰囲気の中、本当はいやだ、逃げたい、と思っても、抗い実際に行動に移せる人がどれだけいるのでしょうか。
 確かに、避難せずに「とどまれ」という命令こそ出されはしていません。そして、多くの人々が放射能汚染の「ある」場所にとどまっています。
 でも、汚染地にとどまる人々が、みんな安全だと思ってとどまった訳ではありません。少なくない人たちが、被ばくのリスクにおびえながら避難できずに生活しています。
 被ばく防護のための施策があれば、状況は違ったと思います。もっと多くの人々が、被ばくから身を守るため、避難することが出来たと思いますし、多くの被害者がこれほど全国各地で声を上げ続けなければならないこともなかったと思います。
 少なくとも、被ばくから身を守るための何の制度も施策もない中で、放射能汚染があるところに、私は避難を終えて子どもたちを連れて帰還することは、考えられないですし、放射能汚染をばらまいた側が、客観的な汚染の事実や住民の心情も把握せず、合理的根拠もなく「いつまで避難と言い続けるのか」とか「避難はもう終わりでしょう」と勝手に避難の終期を決めることもありえないことだ と思います。

5.「平和のうちに生存する権利」について
 裁判官のみなさんは、「平和」とは何かと子どもにたずねられたら、何と答えますか?
 私は、平和とは、平穏な日常の暮らしそのものがあることだと思います。住み慣れた家や町で、家族で毎日の食卓を囲み、「行ってきます」「行ってらっしゃい」「ただいま」「おかえりなさい」「おはよう」「おやすみ」と顔を見て挨拶や言葉を交わし、子どもの健やかな成長をともに見守り育てるというあたりまえの日々の暮らしそのものであると思います。
 その平和な暮らしが3.11以降、原発事故により一変し、奪われました。空気・水・土壌が汚染される中、私は、幼い子どもたちに汚染された水を飲ませてしまいました。また、自らも汚染された水を飲み、0歳の娘に母乳を与えてしまいました。葉物野菜や乳牛の出荷停止が続く中、人間にだけ放射性物質が降り注がないわけはないのです。
 知って被ばくすることと、何も知らされずに被ばくさせられることは、まったく意味が異なるのです。
 一体どれほどの初期被ばくを重ねたのかも定かではなく、避難していても、とどまる人と同じように、将来いつ自分や被ばくに脆弱な子どもたちに影響がでないだろうかと「核の脅威」にさらされ続けているのです。
 だからこそ、避難元の客観的な汚染の事実を知った今、私は、これ以上、1マイクロシーベルトたりとも無用な被ばくを重ねることはしたくないですし、被ばくの生涯積算量を無駄に増やしたくはないのです。被ばくを拒否することも、それを拒否して自身の被ばく量をコントロールする権利も私たちの側にあり、国がその圧倒的な権力で基本的人権を蹂躙し続けている現状を一刻も早く改めてほしいと願っています。
 戦争でなくても「逃げることは許さない」という雰囲気は容易に作り上げることができることを証明し続けているような11年間でした。避難し(続け)たくても出来なかった人の声は一切表には出てきません。かろうじて避難できた私たちも「非国民」とか「歩く風評被害」、「風評加害者」などと揶揄され続けています。
 さらに、東京高裁の法廷では、あろうことか、区域外避難者の損害賠償を認めると、「自主的避難等対象区域に居住する住民の心情を害し、ひいては我が国の国土に対する不当な評価となる」(令和元年9月11日付け国側第8準備書面27頁) と国は主張しました。
 国土を放射能で汚染したのは、私たちではありません。原子力発電所を動かしていた東京電力と、唯一の規制権限を持つ国が事故を防止する義務を怠ったからです。責任転嫁も甚だしい厚顔無恥な主張を繰り返す国と東京電力によって、私たち被害者はさらなる苦痛を与えられ続けています。
 有事のときこそ、国策による人権侵害が横行するのです。
 来月2022年6月17日には、最高裁判所が国の責任を認めるかどうかの判断を下します。絶対に忘れてはならないことは、裁判所がどのような判断を下したとしても、客観的な汚染の事実が消えてなくなるわけではないということです。科学的には、半減期をすぎれば低減していくというだけで、客観的な放射能汚染の事実が今なお厳然と存在し、同時に、私たち原発事故による被害者は、国策によって稼働していた原発の事故によって苦痛を受け続けながら存在しているのです。
 目には見えないのを良いことに、放射線被ばくの問題から目をそらし、なかったことにする、もしくは、終わったことにすることは、不誠実かつ欺瞞に満ちています。「被ばくしたくない」、「健やかに平穏に暮らしたい」という、人としてあたりまえの暮らしそのものが奪われ続けているという被害事実は今もあるのです。
 なぜ、被ばくから身を護るための保護も救済もないまま11年間、私たちは放置されなければならないのでしょうか。
 なぜ、被ばく情報を直後も知らせてもらえず、今なお、私たち周辺に暮らしていた人々は、一体どれくらい被ばくしたかも知らされず、被害もなかったことにされなければならないのでしょうか。
 なぜ、将来にわたり、生涯積算被ばく量を自分でコントロールできないのでしょうか。

 放射能をばらまいておいて、無主物だとか、原状回復できないだとか、多くの人が我慢してそこに住んでいるからだとかは全く理由になりません。
 誰しも、無用な被ばくを本人の意思に反して強いられる根拠はありません。
 この問題は、人の生命・健康にかかわる基本的人権の問題なのです。
 そして、人間の尊厳に関わる問題であると私は思っています。
 この裁判を通して、核被害の脅威にさらされた時、被ばくを強いる側に立つのか、それとも被ばくから人々の命と健康を守る側に立つのか、司法がどちら側に立つのかが、明らかになります。
 被ばくするかしないかは「私が決める」、無用な被ばくを強いられることに対しては一歩も引かない、というのが私の今の思いです。
 被ばくにもっとも脆弱な子どもたちが守られる社会を実現するため、今こそ裁判所の役割を果たしてほしいと思います。そして、司法のあるべき姿を次世代に見せてほしいと私は願っています。
 この裁判で、国の責任がみとめられ、その上で、被害実態に見合った損害が認定され、人としての尊厳が、これ以上踏みにじられることのない公正な判断がなされることを、心から期待しています。
 私は、放射線被ばくから免れ、命を守る行為が原則であり、それを社会の共通認識にすべきと考えます。
 裁判長、人の命や健康よりも大切にされなければならないものはあるのでしょうか。
                                          以上
(引用終わり)


(弁護士・金原徹雄のブログから/森松明希子さん関連)

2013年9月1日 
8/31シンポ「区域外避難者は今 放射能汚染に安全の境はありますか」(大阪弁護士会)に参加して 
2013年12月21日 
森松明希子さんが語る原発避難者の思い(12/19大阪市立大学にて) 
2014年2月8日 
母子避難者の思いを通して考える「いのち」(「母と女性教職員の会」に参加して) 
2014年9月12日 
原発賠償関西訴訟と森松明希子さん『母子避難、福島から大阪へ』 
2014年9月16日 
9/18原発賠償関西訴訟第1回口頭弁論に注目を!~原告団代表・森松明希子さん語る 
2014年11月29日 
東日本大震災避難者の会「Thanks & Dream」(略称「サンドリ」)の活動に期待します 
2015年4月11日 
原発賠償関西訴訟(第1回、第2回)を模擬法廷・報告会の動画で振り返る(付・森松明希子原告団代表が陳述した意見) 
2015年10月30日 
「避難の権利」を求める全国避難者の会が設立されました 
2015年12月1日 
11/23世界核被害者フォーラム「広島宣言」&「世界核被害者の権利憲章要綱草案」(付・森松明希子さんの会場発言「避難の権利と平和的生存権」) 
2015年12月14日 
避難者の声を届けたい~森松明希子さんのお話@12/13東京都文京区(放射線被ばくを学習する会) 
2016年1月11日 
「避難者あるある五七五」東日本大震災避難者の会Thanks&Dream(サンドリ))の挑戦~五七五だから語れる避難者の思い 
2016年9月17日 
UPLAN【原発事故避難者インタビュー】に注目しよう~まずは松本徳子さんと森松明希子さん 
2016年11月30日 
「避難の権利」を訴える総理大臣と福島県知事への手紙~森松明希子さんから 
2017年3月5日 
『3.11避難者の声~当事者自身がアーカイブ~』(東日本大震災避難者の会Thanks&Dream(サンドリ))を是非お読みください 
2017年9月19日 
「ともに生きる未来を!さようなら原発さようなら戦争全国集会」(2017年9月18日@代々木公園)の動画を視聴する 
2017年9月20日 
平和のうちに生きる権利を求めて~森松明希子さんの「ともに生きる未来を!さようなら原発さようなら戦争全国集会」(2017年9月18日@代々木公園)での訴え 
2018年3月9日 
院内勉強会「国連人権理事会、福島原発事故関連の勧告の意義とは?」を視聴し、3/16国連人権理事会での森松明希子さんのスピーチに声援を送る 
2018年3月21日 
国連人権理事会での森松明希子さんのスピーチ紹介~付・4か国からのUPR福島勧告と日本政府による返答 
2018年5月29日 
森松明希子さんらによる「国連人権理事会発言者による報告会~東電福島原発事故と私たちの人権~」(2018年5月27日@スペースたんぽぽ)を視聴する 
2018年7月5日 
院内勉強会「国連人権理事会に福島原発事故被災者が参加~国連国内避難民に関する指導原則を政策に生かす~」(2018年7月4日)を視聴する 
2018年7月12日 
森松明希子さん「原発事故による被ばくからの自由・避難の権利とは」(2018年8月26日@和歌山ビッグ愛)へのお誘い 
2018年8月26日 
森松明希子さん 和歌山で語る! 
2018年10月31日 
三たび「避難の権利」を訴える総理大臣と福島県知事への手紙~森松明希子さんから 
2020年8月2日
原発賠償関西訴訟での森松明希子さんの3回目の意見陳述(2020730日)を読んでください

放送大学和歌山学習センターで久々の面接授業「高野山とその文学」(下西忠高野山大学名誉教授)を受講して

 202258日配信(予定)の「メルマガ金原No.3518」を転載します。
 Facebookにも同内容で掲載しています。

放送大学和歌山学習センターで久々の面接授業「高野山とその文学」(下西忠高野山大学名誉教授)を受講して

 昨日・今日(5/78)の2日間、放送大学和歌山学習センターで、実に久しぶりの(コロナ禍発生以後初めての面接授業「高野山とその文学」を受講してきました。
 講師は下西忠高野山大学名誉教授であり、私が和歌山学習センターで下西先生の授業を受講するのはたしか4回目となります(前3回のテーマは「御詠歌」「中世説話文学」「中世紀行文学」でした)。

 講義の冒頭で下西先生から、今回の放送大学和歌山学習センターでの面接授業を最後に、長年の教員生活にピリオドを打つつもり(つまり、5月8日の面接授業2日目が実質的な最終講義)というお話をうかがいました。講演については、既に引き受けている分はまだ残っているものの、やはり年内には打ち止めにするつもりとか。
 高野山大学での正式な最終講義は既に何年か前に実施済みのはずですが、コロナ禍のために制限された(和歌山県外からの受講申込みは断ったそうです)わずか7人の受講生に対する2日間の面接授業が事実上の最終講義となりました。
 もちろん、研究活動、執筆活動は続けていかれるのでしょうが、もう面接授業を受講する機会もなくなり、とても寂しい限りです。

 私にとって、2017年5月13日・14日の両日、下西先生による「中世の紀行文学(東関紀行)を鑑賞する」の受講をきっかけに、「山部赤人はどこから富士を眺めたのか?~名歌「田子の浦ゆ・・・」を解釈する」という、我ながら気合い十分の「古典文学解釈」に挑んだブログを書けたことが懐かしい思い出です。

 昨日・今日の講義の内容を、受講していない方に説明するのは私には荷が重過ぎますので、面接授業の最後で、下西先生が7人の受講者に語りかけられたポイントを、私が書き取った講義メモから抜き出してご紹介します。

・古典文学は、ただ単に昔書かれたというだけではなく、常に「今」に通じるものがあるからこそ「古典」となる。
・今、文学を取り巻く状況はとても厳しいが、文学と共に生活し、文学の素晴らしさを是非体感していただきたい。
・文学を読む際には、出来れば自分なりの「解釈」を試みていただきたい。その際、「解釈は作者と読者による合作」という外山滋比古の言葉をご紹介しておく。是非「良い解釈」を!

 上でご紹介した2017年のブログは、下西先生から教えられたことの実践例だったのだな、ということにあらためて気付きました。
 あのような「解釈」に挑む機会が今後どれだけあるかは分かりませんが、下西先生の教えを忘れず、文学に接していければと思います。 

自民党・安全保障調査会の「提言」に注目してください

 202252日配信(予定)の「メルマガ金原No.3516」を転載します。
 Facebookにも同内容で掲載しています。

自民党・安全保障調査会の「提言」に注目してください


 去る4月28日にプラザホープで開催した半田滋さん講演会(主催:青年法律家協会和歌山支部)に足をお運びいただいた皆さまにお礼申し上げます。

 講演会終了後、講師を囲む懇親会に参加したのですが(時節柄参加者1ケタ台でした)、会場がイタ飯屋風居酒屋(?)で、その日の客層は相当若く(我々はやや場違いな雰囲気)、しかも普通に会話していたのではお互いに聞き取りに苦労するほど周りがやかましく、さんざんコロナ対策に気を遣った講演会が終わった後、「飛沫感染などどこの世界のことか」という3年前に舞い戻ったかのような店内に身を置き、いささか呆然とした気分でした。

 まあ、それはさておき、講演の中で半田さんも言及されていましたが、自民党政務調査会安全保障調査会が、「新たな国家安全保障戦略等の策定に向けた提言~より深刻化する国際情勢下におけるわが国及び国際社会の平和と安全を確保するための防衛力の抜本的強化の実現に向けて~」という長ったらしいタイトルの提言をとりまとめ4月27日に岸田総理に提出しました。

 これは、12月までの改定を目指すと岸田総理が公言している安全保障関連の基本3文書「防衛計画の大綱」「中期防衛力整備計画」「国家安全保障戦略」について、改定の方針についての「提言」(表題を変えろとまで書いています)をまとめたものです。
「提言」PDFファイル

 全部で16ページもあるので、いささか億劫かもしれませんが、政府がこれを丸呑みする可能性も否定できず、是非目を通しておくべきかと思いますので情報共有しました。

 なお、この提言についての半田滋さんによる解説がネットで読めます。
 また、デモクラTVでの解説も視聴できます。


 提言は多岐にわたりますが、特に注目されている箇所を指摘すると、
●「防衛費関係」(4ページ以下)
●「弾道ミサイル攻撃を含むわが国への武力攻撃に対する反撃能力の保有」(9ページ以下)
など
どでしょうか。

 ちなみに、「専守防衛」という項目もありますが(10ページ)、わずかに本文6行だけであり、しかも説明するだけで「守る」とも「重要」とも何とも言っていません。
 また、その(後段の)説明自体、従来の政府解釈の域を超え、勝手に拡大しているそうです(和歌山駅から会場までお送りする車の中で伺った半田滋さんのご意見)。
 以下、16ページに及ぶ自民党「提言」中の「専守防衛」の項を全文引用してみましょう。

(引用開始)
専守防衛
 専守防衛とは、相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限度にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限るなど、憲法の精神に則った受動的な防衛戦略の姿勢をいう。
 ここで言う必要最小限度の自衛力の具体的な限度は、その時々の国際情勢や科学技術等の諸条件を考慮し、決せられるものである。
(引用終わり)

 最後に、私もこの「提言」をまだ十分には読み込めておらず、流し読みしただけですが、最も気になったというか、注意をひかれた点を指摘しておきます。
●「わが国を取り巻く安全保障環境は加速度的に厳しさを増している」(1ページ)という表現があちこちにばらまかれています。2014年の安保法制懇の報告書以来、このフレーズは聞き飽きました。日本語の通常の用法に従って理解すれば、日本はとっくに「滅亡」していなければおかしいくらいです。
●「日本は、国家の独立、国民の生命と財産、領土・領海・領空の主権、自由・民主主義・人権といった基本的な価値観を守り抜いていくために」(1ページ)、「わが国の独立と平和を守り抜く上で真に必要な防衛関係費を積み上げて」(5ページ)など、「守って」とか「守る」とすれば意味が通じるにもかかわらず、「守り抜いて」とか「守り抜く」というより扇情的な用語を使っている文章に出会ったら(安倍晋三元首相のスピーチに「守り抜く」は頻出していました)、よほど警戒する必要のある内容なのだと理解すべきです。

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4/28 青法協和歌山支部 憲法を考える夕べ 「敵基地攻撃と日米一体化-踏み越える専守防衛-」 講師:半田 滋氏(防衛ジャーナリスト)/於プラザホープ/定員120名(要予約)

 2022年4月4日配信(予定)のメルマガ金原No.3513を転載します。
 Facebookにも同内容で投稿しています。

4/28 青法協和歌山支部 憲法を考える夕べ 「敵基地攻撃と日米一体化-踏み越える専守防衛-」 講師:半田 滋氏(防衛ジャーナリスト)/於プラザホープ/定員120名(要予約)

 ご案内が遅くなりましたが、恒例の青年法律家協会和歌山支部主催による「憲法記念の夕べ」、今年は4月28日(木)、防衛ジャーナリストの半田滋さんをお招きし、「敵基地攻撃と日米一体化-踏み越える専守防衛-」と題してご講演いただきます(半田さんは2014年に続いて2回目の当支部でのご講演です)。この青法協の恒例行事、一昨年、昨年と2年連続で志田陽子先生(武蔵野美術大学教授)によるリアル講演会が(コロナ感染拡大を承けて)中止となり、昨年、代替措置として、志田先生に講演内容を収録いただいた動画をYouTubeで公開するという新しい試みを行いましたが、今年は(今のところ)3年ぶりのリアル講演会をプラザホープで開催すべく準備しています。
 ただし、オミクロン株による感染者数が再び増加傾向を見せるなど、予断を許さぬ状況であることに配慮し、定員120名(事前予約制)とさせていただきます。
 予約申込方法(FAXまたは電話)は以下のチラシ記載情報をご参照ください(申込締切:4月26日)。
 諸般の事情からチラシの作成が遅れたため、SNSを利用した広報を主体に広めていく必要がありますので、何卒本投稿をシェアするなどして、拡散にご協力いただけると幸いです。

〈チラシ表面〉
青法協憲法記念行事 憲法を考える夕べ
敵基地攻撃と日米一体化-踏み越える専守防衛-
講師 半 田   滋 
    防衛ジャーナリスト
SHIGERU HANDA
1955年(昭和30)年生まれ。防衛ジャーナリスト。元東京新聞論説兼編集委員。獨協大学非常勤講師。法政大学兼任講師。92年より防衛庁取材を担当している。2007年、東京新聞・中日新聞連載の「新防人考」で第13回平和・協同ジャーナリスト基金賞(大賞)を受賞。

 2021年10月に就任した岸田文雄首相は、敵基地攻撃能力をも排除せずに防衛力を強化し、国家安全保障戦略、防衛大綱、中期防衛力整備計画の3点セットを今年12月をめどに策定すると明言しています。台湾有事をにらんだ日米一体化とともに、日本の防衛問題の「今」を明快に解き明かします。

2022年4月28日(木)
開場:午後5時30分 開演:午後6時00分
和歌山県勤労福祉会館プラザホープ 4階ホール
  和歌山市北出島1丁目5番47号

入場無料
定員120名(先着順)・事前申込みが必要です(詳細は裏面をご覧ください)

新型コロナウイルス感染症の状況次第では中止となる可能性があります。
当日はマスクの着用をお願いします。会場での検温にご協力ください。
37.5℃以上の熱がある方、その他体調不良の方は参加をご遠慮ください。

主催 青年法律家協会和歌山支部
お問合せ先 和歌山市六番丁24 ニッセイ和歌山ビル11階
        TEL 073-433-3980  FAX 073-433-3981
        あすか綜合法律事務所(弁護士 重藤雅之)

〈チラシ裏面〉
青法協憲法記念行事 憲法を考える夕べ
2022年4月28日(木)
開場▶午後5時30分
開演▶午後6時00分

【会場】
和歌山県勤労福祉会館 プラザホープ 4階ホール

講演
敵基地攻撃と日米一体化-踏み越える専守防衛-
【講師】
 半田 滋 氏(防衛ジャーナリスト)

 青年法律家協会和歌山支部では、憲法の理念について市民の皆様と一緒に考える場として、憲法記念講演会を1984年から毎年開催してまいりました。ところが、新型コロナウイルス感染症の世界的な蔓延という事態のため、一昨年、昨年と2年続けて、講師においでいただく講演会は中止のやむなきに至りましたので、今年は3年ぶりに講師においでいただいての開催となります。
 講師の半田滋氏には、2014年にも「集団的自衛権のトリックと安倍改憲」というテーマでご講演いただいていますが、防衛ジャーナリストの第一人者として、明快で具体的なお話には定評があり、今回も必ずや有益なお話をうかがえるものと確信しています。
 新型コロナウイルス感染症の完全な収束までにはまだ多くの時間を要すると思われますので、開催にあたっては、下記のとおり万全の感染防止対策を講じたいと考えておりますので、何卒ご協力をよろしくお願いします。

●密を避けるため120名を定員とし、完全事前申込制とさせていただきます。
●当日はマスクの着用をお願いします。
●37.5℃以上の熱がある方、その他体調不良の方は参加をご遠慮ください。
●会場での検温にご協力ください。

「青法協憲法記念行事 憲法を考える夕べ」参加申込書

下の申込書に、参加を希望される方全員のご氏名・ご住所・電話番号を記入の上、FAXにてお申し込みください。【1枚で3名様までお申込みいただけます】
申込締切:4月26日(火)
お申込受付は先着順とし、定員に達し次第締め切ります。

※FAXを利用する便宜のない方は、電話で申し込んでいただいても結構です。(ご氏名・ご住所・電話番号をお聞きいたします)
※万一参加者の中から新型コロナウイルス感染者が出た場合、ご記入いただいた情報を保健所等関係する公的機関に提供することがあります。予めご了承ください。

FAX 073-433-3981
あすか綜合法律事務所(弁護士 重藤雅之) 073-433-3980

憲法を考える夕べ2022_最終omote憲法を考える夕べ2022_最終ura

追悼 宝田明さん

 2022318日配信(予定)のメルマガ金原No.3512を転載します。
 Facebookにも同内容で投稿しています。

追悼 宝田明さん

 俳優の宝田明さんが急逝されたという報道に接し、多くの方が大きな衝撃と悲しみに見舞われたことと思いますが、私もその1人です。
 私が宝田さんと直接お会いできたのは一度きりですが、その時の写真を何とか探し出しましたのでご紹介します。私が撮影したものではないのですが(災害NGO結の前原土武さん撮影/当日手伝いに来ていただいていた)、おそらくご了解いただけるものと判断して掲載します。
 この写真は、2019年8月25日(日)に(今は閉館した)和歌山市民会館小ホールで開催された「ゴジラ」第1作(1954年)デジタルリマスター版上映と主演俳優・宝田明さんの講演(ゴジラ 和歌山上陸!宝田明さんと考える「平和」~これまでとこれからと~)終了後、主催した実行委員会(和歌山G&Tプロジェクト)や9条ネットわかやまのメンバー、それにお手伝いにかけつけてくれた仲間たちが、「やり遂げた」という充実感の中、宝田明さんと記念写真を撮らせていただいたものです。みんな「いい顔」していますよね。

 このイベントを事前告知した私のブログ(8/25ゴジラ 和歌山上陸!~映画『ゴジラ』第1作(1954年)デジタルリマスター版の上映と主演俳優宝田明さんの講演(和歌山市民会館小ホール)のご案内/2019年7月3日)はこちら。
 わかやま新報の報道を紹介しつつ、開催に至った経緯を私が補足説明したFacebookへの投稿はこちら。

 私自身、主催者の一員として、事前告知には相当頑張った企画でしたが、終了後の報告ブログは書いておらず、Facebookへの事後投稿も上にご紹介したもの位です。
 その理由は、
・その年の1月、体調不良で入院したことを契機として、6年間続けていた「ブログ毎日更新」が途絶えたこと
・本番の充実感が半端なく、いわゆる「燃え尽き症候群」に陥ったこと
・私は会計担当だったのですが、かなり大きな規模の企画であり(「ゴジラ」第1作はまだ著作権が切れていないので東宝に上映権料を払わねばならないとか)、赤字となるかどうかぎりぎりの線だったので、最終的な収支が確定するまで気が休まらなかったこと(相当なカンパがあったことで赤字は免れました)

などでした。

 この企画の発案者であり、和歌山G&Tプロジェクトの中心メンバーとして宝田明さんの事務所との連絡役となり、当日は宝田さんからお話を引き出す聴き手の重責を担った(他にも秘蔵のゴジラ・コレクションを展示用に提供した)伊藤宏先生(和歌山信愛女子短期大学教授/現副学長)こそ、企画終了後「真っ白な灰」状態になったはずです。

 私も、有志で実行委員会を作り、企画の実現に関わった経験はいくつかありますが、「ゴジラ 和歌山上陸!宝田明さんと考える「平和」~これまでとこれからと~」ほど、充実した経験ができた企画はありません。
 企画の中心である宝田さんの「平和」への熱い思いを共有しながら、実に多くの方々の協力を得て成功させられた企画でした。

 主演作『世の中にたえて桜のなかりせば』の公開を間近に控えての急逝でした。まだまだ多くの作品に出演していただきたかったという思いが胸に迫ります。宝田さん、どうか安らかに。

 最後に、映画製作委員会と所属事務所が公開したリリースを引用します。

(引用開始)
俳優 宝田 明(たからだあきら 87)が、2022314()午前031分、肺炎のため都内病院で急逝いたしました。
本作「世の中にたえて桜のなかりせば」で岩本蓮加(乃木坂46)と共に主演を務め、エグゼクティブプロデューサーも務めさせていただきました。
この映画は宝田が「桜」をモチーフに企画を温め、宝田の情熱で実現に至ったものです。
宝田は1954年東宝ニューフェース第6期生としてデビュー以来、映画や舞台、TVの第一線で活躍してまいりました。41日(金)公開の本作が遺作となります。
葬儀につきましては、ご遺族の意向により感染症禍を考慮し、近親者のみで執り行いました。
お知らせが遅くなりましたこと、心よりお詫び申し上げますとともに、故人が生前に賜りましたご厚誼に対し、熱く御礼申し上げます。

宝田明さんと (2)

3/13「フクシマを忘れない!原発ゼロへ 和歌山アクション2022」(オンライン併用)のご案内

 202224日配信(予定)のメルマガ金原No.3506を転載します。

 ※Facebookにも同内容で掲載しています。

3/13「フクシマを忘れない!原発ゼロへ 和歌山アクション2022」(オンライン併用)のご案内

 和歌山城西の丸広場を会場として、3.11前後の日曜日に賛同団体が実行委員会を作り、反原発の集会を開くようになったのが2013年からで、2015年からは集会名称も統一され、「フクシマを忘れない!原発ゼロへ 和歌山アクション20△△」となりました。このスキームでの開催は2017年まで続いたのですが、その中でもとりわけ思い出深いのは、私自身が出演交渉した「ヒポポ・フォークゲリラ」をはじめ、「みかんこ」「なつおmetts南風」の皆さんにご出演いただいた2016年の集会です。
 2018年以降は、西の丸広場ではなく、貸ホールを借りての開催となり、さらにコロナ禍のために2020年は中止、2021年はオンライン学習会としての開催でした。
 そして今年2022年は、久しぶりに会場(プラザホープ)を確保しての開催を準備しつつ、オンラインも併用するという「両にらみ」の態勢となりました。開催日である3月13日までにオミクロン株による第6波の流行がどの程度収束に向かっているかの予想は難しいところであり、現時点では、「オンラインのみでの開催」の可能性もかなりあるのかな、という気もします(私の個人的な観測ですが)。

 以下に、チラシ記載情報から開催概要をご紹介します。

「フクシマを忘れない!原発ゼロへ 和歌山アクション2022」(参加無料・事前申込制)

日時 2022年3月13日(日)13:30~16:00
会場 和歌山県勤労福祉会館プラザホープ 4F大ホール
(オンライン併用)

内容
13:00 受付
13:30 開会:主催者挨拶
13:40 学習会
講演「原発事故から11年、復興には程遠いフクシマの現状」
講師/伊東達也氏(原発問題住民運動全国連絡センター代表委員)
※講師ご紹介 福島県立高校に教員として8年間勤務したのち、いわき市議・福島県議として30年活動し、現在は、原発問題住民運動全国連絡センター代表委員、革新懇代表世話人など。
15:20 閉会挨拶
15:30 JR和歌山駅までアピール行進(約20分)

●コロナの感染状況によっては「オンラインのみでの開催」又は「中止」になる可能性もあります。その際は事務局から参加申し込みいただいた方に連絡いたします。

主催/フクシマを忘れない!原発ゼロへ 和歌山アクション2022 実行委員会
事務局/和歌山県教職員組合書記局
和歌山市小松原通3-20(和歌山県教育会館内)
TEL073-423-2261  FAX073-436-3243

●学習会への参加方法
・コロナの感染防止のため、「会場参加」は人数得制限(90人まで)を行います。
・「会場参加」「オンライン参加」のいずれも「事前申し込み」が必要です。
・「会場参加」希望であっても状況によっては「オンライン参加」へ変更していただく場合があります。
○会場参加の申し込み方法
チラシ裏面の申込書に所定事項(氏名・所属・連絡先・オンラインへの変更の可否)を記入し、和教組へFAX(073-436-3243)で送信してください。
○オンライン参加の申し込み方法
・2月21日(月)~3月7日(金)の期間内に下記の申し込みアドレス宛にメールで申し込んでください。  
  W_genpatsuzero@wakyoso.com 
・上記申し込みメールには、①氏名、②所属団体又は住所、③連絡先の電話番号を必ず記載してください。
・後日、事務局から送信元のアドレスに、ズームミーティングへの参加に必要なIDとパスコードをお送りします。
・不明な点がありましたら、実行委員会事務局(TEL073-423-2261/和教組:武田)までお問い合わせください。

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1/21(金)安田菜津紀さんオンライン講演会「被災地、紛争地の声を写真で伝える~私たちに何ができるのか~」のご案内

 2022年1月14日配信(予定)のメルマガ金原No.3504を転載します。

Facebookへの投稿から転載するものです。

1/21(金)安田菜津紀さんオンライン講演会「被災地、紛争地の声を写真で伝える~私たちに何ができるのか~」のご案内

開催まであとわずかしかありませんが、主催の和歌山県高等学校教職員組合第二支部からお知らせいただいた、フォトジャーナリスト・安田菜津紀さんのオンライン講演会(教育・文化のつどい/2022121[]19002045)をご案内します。新型コロナ感染症陽性者の急拡大という局面を迎えていますが、もともと安田さんは東京からオンラインで講演される予定となっていましたので、問題なく開催されるはずです。是非1人でも多くの方にご参加(視聴)いただければと思います。

視聴方法は以下の2種類です。
・オンライン視聴(YouTube限定公開)
 ※申込締切1/19(水)定員はないようです。
・ハブ会場(プラザホープ4階ホール)
 ※申込締切1/12(水)定員50名のところ、余裕があるので締切を延長したと昨日(11/13)の時点で聞いていたのですが、コロナ急拡大でどうなるか、ハブ会場での視聴を希望の方は、下記申込先に一度問い合わせてみることをお勧めします。

チラシには明記されていませんが、
・組合員でなくてもどなたでも申込み可能
・ハブ会場、オンライン視聴のいずれも無料
ということは確認済みです。

申込み・問合せは、和歌山県教職員組合第二支部書記局まで、電話かメールでお願いします。
・電話:0734886848(月~木 10001700
・メール:wakokyo.branch2@gmail.com

安田菜津紀(高教組)チラシ

遅ればせながらの大掃除余話~放送大学・面接授業の思い出

202214日配信(予定)のメルマガ金原No.3503を転載します。

遅ればせながらの大掃除余話~放送大学・面接授業の思い出

Facebookに同内容で掲載しています。

 普段ずぼらに過ごしていても、せめて年末位は乱雑極まりない自宅書斎の書類の山を何とかせねばと思い立ち、抜本的な整理には程遠く、右の物を左に移して少し見栄えを良くする位のことしか出来ないのが例年のならいだったところ、この年末は、被疑者国選弁護事件を29日に受任し、連日の被疑者との接見、被害者との示談交渉の末、1月2日に検察庁(日直)に被害者に書いて貰えた告訴取下書を提出し、ようやく落ち着いて正月を迎えることができました。正直、元旦に自宅に届いた年賀状にじっくり目を通したのは昨日(3日)のことでした。
 ということで、明日(5日)からの御用始めを前にして、年末に出来なかった書斎の大掃除に取りかかったところ、昨年中どころか、3年前の書類なども出てくる有様で、しかも、つい中身を読みふけったりして、さっぱり掃除がはかどりません。実はそのような作業の妨たげとなった書類の1つが、放送大学和歌山学習センターだより「てまり」(第84号/2019年7月発行)でした。封さえ切っていない和歌山学習センターから届いた大判封筒を見つけ、中身を確認してみたところ、2019年3月31日に和歌山学習センターで行われた平成30年度第2学期学位記授与式の様子が紹介されており、出席した卒業生のうちの1人として私も一文を寄せていました。もちろん、自分で書いたのですから中身は憶えていましたが、「てまり」に掲載された号を今日まで見ていなかったとは、我ながら呆れました(和歌山学習センターの皆さんにはまことに申し訳ない次第です)。
 そこで、罪滅ぼしとして(?)、学習センターだより「てまり」のために書いた私の小文をご紹介します(パソコンに保存していたのでコピペで紹介できます)。
 


 

初めての大学卒業式への出席と面接授業の思い出

              教養学部 社会と産業コース 金 原 徹 雄

 3月31日に和歌山学習センターで行われた2018年度第2学期・学位記授与式に出席し、「卒業証書・学位記」(社会と産業コース)を戴きました。これは、私にとって40年前の大阪市立大学法学部に続く2回目の大学卒業でしたが、何しろ大阪市大の卒業式に私は出席しておらず、今回が私にとって生まれて初めての大学卒業式への出席でした。
  1年間の選科履修生としてのお試し期間の後、全科履修生としての在籍年限10年間のぎりぎりで(計算通り)卒業するまでの思い出は数々ありますが、弁護士としての日常業務の傍ら、通勤の行き帰りの車の中で放送教材の録音に耳を傾けたり、就寝前の少しの時間を利用して印刷教材に目を通したりしたことが懐かしく思い出されます。
 中でも、和歌山学習センターで受講した面接授業では、忘れ難い貴重な体験をさせていただきました。とりわけ、東日本大震災から間もない2011年5月に行われた大曽根寛先生(放送大学教授)による「演習形式で学ぶ福祉政策」には、わずか3名しか受講登録者がいなかったため、2日目のプレゼン準備ため、私を含めた全員が徹夜したことなど、まことに得難い経験でした。その他、2017年5月の下西忠先生(高野山大学教授)「中世の紀行文学を鑑賞する」の受講をきっかけに、「山部赤人はどこから富士を眺めたのか?~名歌「田子の浦ゆ・・・」を解釈する」という気合いを入れたブログを書いたことなども素晴らしい思い出です。
 継続入学するかどうか迷っていたのですが、生活と福祉コースへの入学を決意したのも、この面接授業の楽しさをまだまだ味わいたいという思いが決め手でした。少なくとも在籍年限ぎりぎりの6年間はお世話になろうと思っていますので、よろしくお願いします。


(弁護士・金原徹雄のブログから/放送大学面接授業・卒業式関連)
2015年1月30日 ※面接授業準備のために徹夜した話
放送大学(オープンコースウェア)受講の勧め~学ぶことは楽しい 
2017年5月23日 
山部赤人はどこから富士を眺めたのか?~名歌「田子の浦ゆ・・・」を解釈する 
2019年4月2日 
初めて大学の卒業式(学位記授与式)に出席しました 

放送大学学位記

WEB配信で視聴する日弁連人権擁護大会(岡山)シンポジウム(2021年10月14日)

 2021922日配信(予定)のメルマガ金原No.3498を転載します。

WEB配信で視聴する日弁連人権擁護大会(岡山)シンポジウム(20211014日)

 日本弁護士連合会(会員数約43,000人)の年間最大の行事は、毎年秋に開催される人権擁護大会(開催地は全国持ち回り)です。
 通常、2日間の日程(木曜日と金曜日に開催される例のようです)で、1日目に3つのシンポジウムが午後ぶっ通しで開かれ、会場で最初から最後まで参加すると相当に疲れます。
 2日目は弁護士が参加する人権擁護大会で、大会決議の採択などが行われますが、参加した一般会員も、お目当ては1日目のシンポジウムという人が多く、各単位会の執行部などは別として、シンポ目当てに参加した会員は、2日目は朝早くから観光やゴルフに繰り出す人が多いと聞いています(と伝聞調になったのは、私自身、観光やゴルフとは無縁だったからですが)。

 ところが、そこに降って湧いた昨年来の新型コロナウイルス感染症の蔓延という事態のため、昨年(2020年)11月5日・6日に鹿児島での開催が予定されていた人権擁護大会は中止のやむなきに至りました。

 和歌山でも、2009年に第52回人権擁護大会が開催されましたが、開催地となった単位会では、実質的に開催の2年前から本格的な準備に入り、特に小規模単位会が開催地になった場合には、会員総出で様々な役割を担わざるを得ません。
 2009年の和歌山大会での私の担当は、忘れもしない「昼食部会」の責任者というもので、大会に参加する人のための昼食メニューをどうするか、昼食会場のホテルと打合せを重ね、大会会場(ホテルに隣接)からホテル食堂まで参加者をどう安全に誘導するか(最終的に警備員を依頼しました)から始まり、肝心要のメニューについては、2回も試食会(有料)を開催するなど、準備に万全を期しました。先輩の弁護士から、「人権大会でどんな決議を採択したかなど誰も憶えていないが、昼食が美味かったかどうかはしっかり憶えている」という脅しのような忠告を受けており、相当なプレッシャーでした。

 以上は全くの余談でしたが、そのように準備を重ねてきた人権擁護大会を昨年は中止せざるを得なくなった訳で、鹿児島県弁護士会の皆さんの落胆もさぞやとしのばれます。

 そして、新型コロナ2年目の今年(2021年)、人権擁護大会は、10月14日(木)・15日(金)の両日、岡山市で開催されますが、9月16日の理事会を踏まえ、その開催形態について日弁連から各単位会宛に正式に連絡があり、和歌山弁護士会でも事務局から会員宛の通知メールで周知されました。
 もともと、一昨年までの人権擁護大会におけるシンポジウムには、弁護士以外の一般の方も参加OKではあったものの、会場定員にも限りがあり、原則として事前申込みが必要でした。 しかし、新型コロナウイルス感染症対策と大会・シンポ開催を両立させるため、今年の人権擁護大会は以下の基本方針での開催となります。
 なお、2日目の大会は、そもそも一般の方の参加は予定されていないため、10月14日(木)のシンポジウムについてのみご説明します。

 予定されている3つのシンポジウム(分科会)は以下のとおりです。

日時 2021年10月14日(木)12時30分~18時00分

第1分科会
「精神障害のある人の尊厳の確立をめざして~地域生活の実現と弁護士の役割~」
於:岡山シンフォニーホール(岡山市北区表町1-5-1)
 ※第1分科会のご案内 
 ※第1分科会のチラシ  

第2分科会
「超高齢社会における消費者被害の予防と救済を考える~誰一人取り残さない社会をめざして~」
於:ホテルグランヴィア岡山 フェニックス(岡山市北区駅元町1-5)
 ※第2分科会のご案内 

第3分科会
「人口減少社会を乗り越える地域再生の社会保障~地域で安心して暮らすために~」
於:岡山市民会館(岡山市北区丸の内2-1-1)
 ※第3分科会のご案内 

 また、大会の関連企画として、ドキュメンタリー映画『NAGASHIMA~“かくり”の証言~』が14日の午前中に上映されますが、WEB配信はありません。

日時:2021年10月15日(金)9時30分~11時30分
会場:岡山市民会館(岡山市北区丸の内2-1-1)
どなたでも参加できます。直接会場にお越しください。
 ※映画公式サイト 

 以上3つの分科会(シンポジウム)については、上記関連企画のドキュメンタリー上映会を除き、岡山市の会場に参加できるのは原則として日弁連会員のみ(フィジカルディスタンス確保のために参加者数が制限されています)となり、一般市民の方は会場には入場できません。

 その代わり、以上3分科会については、いずれも当日、YouTubeLiveによるWEB配信が行われます。予約は不要であり、当日の分科会開始時刻(12時30分)以降、指定のURLにアクセスしてください。
 今のところ、第1分科会のみURLが公開されています。
 https://www.youtube.com/watch?v=hRLo8_v_bEw 

 なお、第2分科会については、登壇者がオンライン出席になることに伴い、WEB配信のみとなり、会場は視聴会場として使われるとのことです。

 平日の12時30分から18時まで、じっと配信動画を視聴するというのは相当にハードルの高い営みとなりそうです。
 ライブ配信後、その動画のアーカイブがYouTubeで引き続き公開されるのかどうか(是非そうして欲しいと思いますが)については、日弁連から届いた通知文書を読んでもよく分かりませんでした。

 なお、日弁連から会員宛の文書には、「各分科会のWEB配信アドレス及び基調報告書などの資料は、開催までに日弁連一般ウエブサイトに掲載致します」とありますので、関心のある方は、日弁連サイトの「第63回人権擁護大会・シンポジウムのご案内」のページをこまめにチェックされることをお勧めします。

 3つの分科会の内容については上記ページからリンクされている「ご案内」をお読みいただければと思います。

 新型コロナウイルス感染症の蔓延により、社会の様々な領域で「従来できていたことが出来なくなった」のですが、他面、従来は事前申込みした上で現地の会場に赴くしか参加する方法のなかったシンポジウムを、WEB配信により、全国(全世界)どこからでも視聴することが出来るようになったのですから、このプラスの側面は大いに強調すべきだろうと思い、私も本ブログで取り上げることにしたものです。

 10月14日の3つのシンポジウムの内、唯一専用のチラシがアップされている第1分科会の「ご案内」と「チラシ」を、ご参考までに転記しておきます。

「第1分科会のご案内」から
第1分科会
10月14日(木)12:30~18:00
会場:岡山シンフォニーホール
精神障害のある人の尊厳の確立をめざして~地域生活の実現と弁護士の役割~

1 損なわれ続ける精神障害のある人の尊厳
 日本は、精神科医療において、長年「治療」や「保護」を理由とした強制的な患者隔離政策を実施してきました。精神障害者と呼ばれる人々の中には、数十年もの長期にわたり、精神科医療施設に隔離収容され、地域での生活を経験することなく精神科病院で一生を終えた人、思春期の真っただ中で精神科疾患を理由に強制収容され出口の見えない状況に絶望した人、地域でも孤立させられた人たちが少なくありません。入院により、拭い難い精神的外傷体験を被り、退院しても生き辛さを強いられている人も多くいます。
 このような患者隔離政策を是とする法制度は、「危ない、怖い、不安、隔離収容を」という、精神障害のある人に対する社会の偏見・差別を既定化させ、構造化させます。社会は、精神障害のある人の強制入院を当然であるかのように認識し、異質なものを排除しようとする閉鎖的なものになっていきます。これにより社会全体が柔軟性・多様性を失います。そして、社会は精神障害のある人がその人にふさわしい居場所を得て、尊厳を保ちながら人生を送るために必要な機会と環境を奪うのです。
 患者隔離政策は、隔離された患者の人生に決定的かつ重大な影響を与えます。人格、名誉、尊厳を損ない、自ら選んだ地域での生活、恋愛、労働等、人生のありとあらゆる発展可能性を大きく損ないます。あらゆる人権の制限に及びます。それは、一度きりの人生を丸ごと奪うに等しい人生被害です。厚生労働省は、「入院医療中心から地域生活中心」との提言を示していますが、実現には程遠い状況であり、患者隔離政策からの脱却は、現代日本における最大の人権課題と言えます。
 人は個人として尊重される存在です。障害者権利条約に照らしても、精神障害を理由に基本的人権を制限することは認められません。しかし、患者隔離政策の下では、ひとたび、精神障害者とされると、その人の医療同意能力を含む自己決定権を安易に否定する法制度となりかねません。

2 国際水準とかけ離れた日本の精神科医療
 日本では、精神障害のある人は400万人を超え、そのうち約30万人が精神科病院に入院し、うち入院期間が5年以上に及ぶ人が約9万人もいます。
 日本の精神病床数は約30万床以上と世界に突出して多く、世界の精神病床の約4分の1が日本にあるとも言われています。欧米諸国では、1960年代から脱施設化政策を採り、精神病床の削減に取り組みました。地域生活中心への移行が着実に進められ、コミュニティ中心の精神保健サービスが充実・発展していきました。一方、日本はこれに逆行する形で、精神科特例(他科に比較して少ない人員配置を許容)を設け、民間主導の精神病床を増加させました。また、入退院・社会生活や見守りについて家族に依存する体制も温存されました。
 さらに、日本は精神科の入院期間もOECD諸国と比べて圧倒的に長く、平均約268日にも上ります(OECD諸国の平均在院日数は約36.7日)。例えば、20代から40年もの間、入院を余儀なくされていた方が、2011年の東日本大震災を契機とした病棟の閉鎖により退院したケースもあります。これは医学的に不必要な入院だったわけです。長期の収容は、社会での居場所をなくさせ、退院意欲すら奪いました。
 しかも、日本は強制的な入院の割合も高く、約半数が強制入院(EU諸国では約10%)であって、隔離・身体拘束も多用されています。法律上の期間制限も存在しません。
 圧倒的な精神病床数、強制割合の高い法施策を前提に、日本の精神科医療は、国際的にも取り残されました。入院中心主義や家族依存からの抜本的改革が不可欠です。

3 精神障害のある人の人権救済手続を
  強制入院や隔離・身体拘束は、法による人身の自由の制限です。しかし、入院届や定期病状報告の審査も形式的で形骸化しており、精神医療審査会は人権救済機関として十分に機能していません。
 安易な強制入院抑制のためにも、人権救済手続の抜本的な改革が急務です。強制が現に行われている以上、弁護士が果たすべき役割は少なくありません。精神科病院という閉鎖的空間に弁護士の目が入ることにより、療養環境の改善や入院者の権利意識の向上にもつながる可能性がもあります。国費による弁護士選任制度の創設も不可欠です。

4 シンポジウムにご参加ください!
 精神障害のある当事者、家族、周囲の支援者を取り巻く全ての人権問題及び法施策を、ともに見つめ直しましょう。シンポジウムでは、当事者の声、地域で暮らす実例、国際法的観点からのメッセージ等を交えて充実した内容を準備します。
 日弁連は、今回のシンポジウムを契機に、これまで見逃されてきた精神障害のある人に関わる人権課題について本腰をあげて取り組みます。どの立場の方にとっても、明るい未来を目指せるような、あるべき方向を示します。たくさんの方にご参加いただけますようお願いいたします。

「第1分科会のチラシ」から
第63回日本弁護士連合会
人権擁護大会シンポジウム

精神障害のある人の尊厳の確立をめざして~地域生活の実現と弁護士の役割~

2021年10月14日(木)12:30~18:00
ウェブ配信

◆参加費無料
◆事前申し込み不要
◆手話通訳・文字通訳あり
◆下記URLからご視聴ください!
 https://www.youtube.com/watch?v=hRLo8_v_bEw 

☆プログラム☆
【第1部】精神科医療のいま
◎報告:知っていますか?入院の過酷な実情~経験者1000人の声~
◎徹底討論!強制入院にたよりつづける社会でいいの?~ピアと家族と医師の立場から~
【第2部】
劇で考える「こんなとき、あなたならどうする!?」
【第3部】強制入院廃止の歩み、大会決議で進めよう!国内外からの応援メッセージも

ご連絡先:日本弁護士連合会 人権部 人権第一課
 TEL:03-3580-9815

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令和3年(2021年)版・全国戦没者追悼式における内閣総理大臣「式辞」と「おことば」の研究

 2021815日配信(予定)のメルマガ金原No.3495を転載します。

令和3年(2021年)版・全国戦没者追悼式における内閣総理大臣「式辞」と「おことば」の研究

 巻末のリンク一覧のとおり、私は、2014年以来、毎年8月15日に、その日開催された全国戦没者追悼式での内閣総理大臣「式辞」(昨年までは全て安倍晋三氏によるもの)と天皇陛下「おことば」に注目したブログを書いてきました。
 
昨年(2020年)の記事がないのは、追悼式の2日前に私が緊急入院を余儀なくされたことによります。

 2年前の記事(「代替わり後はじめての全国戦没者追悼式に注目した~貫徹される「安倍三原則」と新天皇「おことば」」)の繰り返しになるところも多いのですが、まずは、2014年以来の私の「研究」の成果をおさらいしておきます。この説明がないと、今日の菅義偉首相の式辞や今上天皇による「おことば」の意義を正しく理解できないと思うからです。

 安倍首相「式辞」については、歴代の内閣総理大臣が踏襲してきた「式辞」のどの部分を変更し、そのどこが問題なのかを考えた結果、第2次安倍政権発足後の2013年の式辞以降、「安倍三原則」が貫徹されていることを見出しました。

【全国戦没者追悼式「式辞」における安倍三原則】
①アジア諸国民に対する加害についての反省と哀悼の意は絶対に表明しない。
②「不戦の誓い」も述べない。
③戦没者の犠牲の上に“平和と繁栄”があることを強調しながら、“平和と繁栄”をもたらしたものが「国民のたゆまぬ努力」であるとは言わない。

 ①、②はわかりやすいかもしれませんが、③は一読しただけでは何が問題なのかわかりにくい「原則」かもしれません。ただし、私はこの③が靖国派による「まやかしの論理」の肝だと思っていますので、私の書いたブログの中の特に2014年に書いた3本をお読みいただければと思います・・・と言っても、読んでくれる人はまずいないでしょうから、「“コピペ”でなければ良いというものではない~全国戦没者追悼式での安倍晋三首相の式辞を聴いて。」(2014年8月15日)の一部を引用しておきます。

(引用開始)
 このような表現(注:「戦没者の皆様の、貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。」)に何の違和感も感じないという方も、もしかするとおられるかもしれません。
 確かに、歴代総理大臣の追悼式式辞のように、このようなフレーズが、加害責任の自覚と反省の言葉とセットで語られているのであれば、(私はもっと適切な表現があると思いますが)まだしも理解できないこともありません。
 しかし、安倍晋三という人間はそうではありません。彼は決して加害責任を認めようとはしません(多くの「靖国派」と同様に)。国会でも、「侵略の定義は定まっていない」と言い張っています。
 そのような人間が「戦没者の皆様の、貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります」という時、そこに「反省」という契機が抜け落ちている以上、戦没者の犠牲をもたらした「戦争」があったからこそ、今の「平和」があるという倒錯した論理の罠にからめとられることになります。
 安倍首相を盛り立てる「靖国派」や「ネトウヨ」の「まやかしの論理」のポイントはこの点にこそあると私は考えています。
(引用終わり)

 さて、それを踏まえて、今年の菅義偉首相の初めての「式辞」を読んでみましょう。
 ・・・と思って首相官邸ホームページを閲覧したのですが(午後4時15分)、何とまだ掲載されていない!仕方がないので、政府インターネットテレビから私が文字起こししました。
 その上で、昨年(2020年)の安倍晋三首相による式辞とパラグラフごとに対照することとしました。

(安倍首相・2020年)
 天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。
(菅首相・2021年)
 天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。
※決まり文句なので、一字一句同じでもまあ当然ですね。

(安倍首相・2020年)
 あの苛烈を極めた先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。

 祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、遠い異郷の地にあって、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などで、無残にも犠牲となられた方々。今、すべての御霊(みたま)の御前(おんまえ)にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。
(菅首相・2021年)
 先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。
 祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、線上に倒れた方々。戦後、遠い異郷の地で亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、各都市での爆撃、沖縄における地上戦など、戦乱の渦に巻き込まれ犠牲となられた方々。今、すべての御霊(みたま)の御前(おんまえ)にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。 
※内容は同じですが、安倍首相独特の情緒的な形容句をもう少し普通の表現に置き換えようという意図は感じられます。

(安倍首相・2020年)
 今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、終戦から75年を迎えた今も、私たちは決して忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧(ささ)げます。
(菅首相・2021年)
 今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い命と苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧(ささ)げます。
※「犠牲」という表現を避けようとしたのでしょうか。

(安倍首相・2020年)
 未(いま)だ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります。
(菅首相・2021年)
 未(いま)だ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります。
※同文。

(安倍首相・2020年)
 戦後75年、我が国は、一貫して、平和を重んじる国として、歩みを進めてまいりました。世界をより良い場とするため、力の限りを尽くしてまいりました。
(菅首相・2021年)
 我が国は、戦後一貫して、平和を重んじる国として、歩んでまいりました。世界の誰もが平和で心豊かに暮らせる世の中を実現するため、力の限りを尽くしてまいります。
※ここは少し修文に力が入ったようです。

(安倍首相・2020年)
 戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この決然たる誓いをこれからも貫いてまいります。我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携えながら、世界が直面している様々な課題の解決に、これまで以上に役割を果たす決意です。現下の新型コロナウイルス感染症を乗り越え、今を生きる世代、明日を生きる世代のために、この国の未来を切り拓(ひら)いてまいります。
(菅首相・2021年)
 戦争の惨禍を、二度と繰り返さない。この信念をこれからも貫いてまいります。我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と力を合わせながら、世界が直面する様々な課題の解決に、全力で取り組んでまいります。今の感染拡大が続く新型コロナウイルス感染症を克服して、1日も早く安心と賑わいのある日常を取り戻し、そしてこの国の未来を切り拓(ひら)いてまいります。
※安倍「式辞」を修文したのが菅首相本人かどうかは分かりませんが、少なくとも「決然たる誓い」というような仰々しい表現が肌に合わないとは思っているようで、その辺の文章感覚は比較的私自身にも近いところがあります。

(安倍首相・2020年)
 終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様にはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。
(菅首相・2021年)
 終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様にはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。
※同文。

 菅首相初の全国戦没者追悼式での「式辞」を逐語的に読んだ上での感想は、前年の安倍晋三首相の「式辞」を踏襲しながら、文章表現については、仰々しさを少しでも抑制しようという努力のあとが見られるというものです。内容的には当然ながら「安倍三原則」は全て踏襲されていますので、身の丈にあった「安倍晋三エピゴーネン」といったところでしょうか。

 それでは引き続き、天皇陛下「おことば」について。
 私の研究の結果、平成上皇が在位中に述べた全国戦没者追悼式での30回の「おことば」が3期に分類できるという成果をご紹介しておきましょう。
 2017年8月15日に書いた「全国戦没者追悼式における「おことば」(平成元年~29年)を通読して見えてくること」のまとめの部分を(平成30年の最後の「おことば」を踏まえて一部改訂)再掲します。

(引用開始)
第1期 平成元年~平成6年
 昭和天皇が「全国戦没者追悼式」で読み上げていた「おことば」が見つからないかと思って探しているのですが、まだ見つけられていません。けれども、即位直後からいきなり内容を変えるとは思いにくいので、この第1期の文章は、前代を基本的に踏襲しているような気がします(確言できませんけど)。
第2期 平成7年~平成26年
 村山富市内閣が成立して1年以上が経過した平成7年の「全国戦没者追悼式」で、初めて第3節に、「歴史を顧み,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,全国民とともに」という言葉が挿入され、以後、これが踏襲されています。
第3期 平成27年~平成30年
 政権に復帰した安倍晋三内閣と皇室の対立が外信でも(だからこそ?)報道される中、いわゆる安保法制審議中の平成27年の「おことば」には、異例とも言える表現が盛り込まれました。
 とりわけ特徴的なのは第2節であり、「終戦以来既に70年,戦争による荒廃からの復興,発展に向け払われた国民のたゆみない努力と,平和の存続を切望する国民の意識に支えられ,我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。戦後という,この長い期間における国民の尊い歩みに思いを致すとき,感慨は誠に尽きることがありません。」に、今上天皇の平和への思いが凝縮していると見るべきでしょう。
 残念ながら、第2節におけるこの表現は、翌年からまた元に戻ってしまいましたが、同じく平成27年「おことば」から第3節に付加された「さきの大戦に対する深い反省と共に」という部分のうち、「深い反省とともに」は生き残り、平成28年、29年、そして最後となった30年の「おことば」に引き継がれています。
(引用終わり)

 その父平成上皇の蹟を襲った今上(徳仁)天皇の初の「おことば」として注目された令和元年(2019年)の全国戦没者追悼式で」述べられた内容は、先代による最後の(平成30年)の「おことば」を基本的に踏襲したものでした。

(平成30年)
 本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。
(令和元年)
 本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。
※一字一句同じです。

第2節
(平成30年)
 終戦以来既に73年,国民のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,苦難に満ちた往時をしのぶとき,感慨は今なお尽きることがありません。
(令和元年)
 終戦以来74年,人々のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき,誠に感慨深いものがあります。
※趣旨同一でやや修文したといったところでしょう。

第3節
(平成30年)
 戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ,ここに過去を顧み,深い反省とともに,今後,戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い,全国民と共に,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
(令和元年)
 戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ,ここに過去を顧み,深い反省の上に立って,再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,全国民と共に,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
※この結びの節も先代の「おことば」が踏襲されました。私は「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」がそのまま残されたことにも注目しました。このフレーズは、実は平成30年の最後の「おことば」に至ってさりげなく付け加えられたものだったからです。この部分について、私は2018年にこう書きました。

(引用開始)
第3節の冒頭に「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」を付加したのには、それなりの思いがあってのことだろうと思います。私は、平成27年8月15日(あの「安保法制」法案が国会で審議されているただ中でした)の異例の「おことば」で述べられ、翌年から繰り返されることのなかった「戦争による荒廃からの復興,発展に向け払われた国民のたゆみない努力と,平和の存続を切望する国民の意識に支えられ,我が国は今日の平和と繁栄を築いてきました。」を(分かる者は分かってくれるだろうと)凝縮した表現が「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」なのではないか、と思います。
(引用終わり)

 そして、今上天皇のその後の2回の「おことば」(2020年8月15日と今日)も、新型コロナウイルス感染症への言及を挿入した他は、令和元年の「おことば」を基本的に継承しています。
 今年の「おことば」を引用します。

全国戦没者追悼式
令和3年8月15日(日)(日本武道館)

(引用開始)
 本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。
 終戦以来76年,人々のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが,多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき,誠に感慨深いものがあります。
 私たちは今,新型コロナウイルス感染症の厳しい感染状況による新たな試練に直面していますが,私たち皆がなお一層心を一つにし,力を合わせてこの困難を乗り越え,今後とも,人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います。
 ここに,戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ,過去を顧み,深い反省の上に立って,再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,全国民と共に,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
(引用終わり)

 最後に、今年の追悼式の全体が撮影されている厚生労働省のYouTubeチャンネルの動画をご紹介しておきます。

令和3年度 全国戦没者追悼式(1時間17分)

 23分~ 菅義偉首相「式辞」
 31分~ 天皇陛下「おことば」

 以上が、私が2014年から続けてきた全国戦没者追悼式における内閣総理大臣「式辞」と天皇陛下「おことば」研究を踏まえた「令和3年版」の報告です。
 こんな物好きな「研究」を続けている者はそう多くはないでしょうが、こうなったら続けられるだけ続けてみたい気がしています。

(弁護士・金原徹雄のブログから/全国戦没者追悼式関連)
2014年1月14日 
「日本傷痍軍人会」最後の式典での天皇陛下「おことば」と安倍首相「祝辞」(付・ETV特集『解散・日本傷痍軍人会』2/1放送予告) 
※「全国戦没者追悼式」ではありませんが、十分「関連」がありますので。
2014年8月15日 
“コピペ”でなければ良いというものではない~全国戦没者追悼式での安倍晋三首相の式辞を聴いて 
2014年8月18日 
続 “コピペ”でなければ良いというものではない~“平和と繁栄”はいかにして築かれたのか 
2015年8月15日 
全国戦没者追悼式総理大臣「式辞」から安倍談話を読み返す(付・同追悼式での天皇陛下「おことば」について) 
2016年8月15日 
全国戦没者追悼式で今年も貫徹された“安倍3原則”(付・天皇陛下「おことば」を読む) 
2017年8月15日 
全国戦没者追悼式における「おことば」(平成元年~29年)を通読して見えてくること 
2018年8月15日 
平成最後の「全国戦没者追悼式」~安倍内閣総理大臣「式辞」と天皇陛下「おことば」を読む 
2019年8月15日 
代替わり後はじめての全国戦没者追悼式に注目した~貫徹される「安倍三原則」と新天皇「おことば」

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