弁護士・金原徹雄のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します。

立憲野党と市民連合の意見交換会(2018年11月16日)に国民民主党が初参加~市民連合と各党はどう伝えたか

 2018年11月19日配信(予定)のメルマガ金原No.3336を転載します。
 
立憲野党と市民連合の意見交換会(2018年11月16日)に国民民主党が初参加~市民連合と各党はどう伝えたか
 
 去る11月6日、国民民主党と市民連合(安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合)との初の正式会合が行われたことは、このブログでもお伝えしたところです(市民連合と国民民主党が初の正式会合で基本合意(2018年11月6日)/2018年11月11日)。
 
 今日は、その続報といえばよいのでしょうか、去る11月16日に衆議院議員会館において、半年ぶりに「立憲野党と市民連合の意見交換会」が行われ、国民民主党から、平野博文幹事長と小宮山泰子衆議院議員が初めて参加しましたので、意見交換会の当事者がホームページでこの意見交換会をどう伝えたかご紹介しておこうと思います。来年の参院選や(もしかしたらあるかもしれない)憲法「改正」国民投票、それに、歯舞・色丹2島返還問題にからめた衆院解散、衆参同日選挙も、などという観測を踏まえた「市民と野党の共闘」を模索する全国の市民団体にとっても、中央でのこのような動きはしっかりとフォローしていおく必要があるでしょうから。
 
 まずは、市民連合のホームページに掲載された報告です。
 
市民連合 November 16 2018
11/16 立憲野党と市民連合の意見交換会
(引用開始)
11月16日(金)、議員会館にて約1時間にわたり、「立憲野党と市民連合の意見交換会」が行われました。この意見交換会は、安保法制の成立以来、継続的に行われているもので、今回は約半年ぶりの開催となりました。
 
意見交換会には、野党から、立憲民主党・福山哲郎幹事長、辻元清美国対委員長、国民民主党・平野博文幹事長、小宮山泰子衆議院議員、日本共産党・小池晃書記局長、穀田恵二国対委員長、自由党・森裕子幹事長、日吉雄太国対委員長、社会民主党・吉川元幹事長、無所属の会・大串博志幹事長、広田一国対委員長が参加しました。なお、国民民主党からの参加は初めてのこととなります。
 
はじめに立憲民主党福山幹事長より挨拶がありました。
 
「財務省の文書改ざん、加計学園問題、防衛省の日報隠しといったことで国会が大紛糾している最中に、前回の市民連合との意見交換会が行われました。半年が経った今、安倍政権は臨時国会で入管法改正を無理やり採決しようとしており、その体質は全く変わっていません。一方で、9月には沖縄県民の皆さんの力と、市民の皆さん、そして政党の皆さんの力の中で、玉城デニー知事が当選しました。安倍政権の体質が全く変わらず、民主主義を壊し続けているという状況の中で、今日このような形で集まれたことはとても意義が深いと思います。また、国民民主党の平野幹事長にお越しいただきました。我々としては歓迎させていただきたいと考えております。安倍政権を倒すために、来年の参院選に向けて、より具体的かつ建設的な意見交換をしていきたいと考えています。」
 
続いて安全保障関連法に反対する学者の会・広渡清吾より挨拶がありました。
 
「前回の参院選では、野党と市民の努力により32全ての1人区で候補者の1本化が実現し、大きな成果をあげました。来年の参院選に向けて、この水準を後戻りしてはならないと強く思っています。先日『あたりまえの政治』を掲げ、街頭宣伝を行いました。『あたりまえの政治』を求めなくてはならないというのが、今の安倍政権が陥っている状況です。憲法を守る、民意を尊重する、嘘をつかない。このあたりまえのことができない政治を変えなければなりません。そのためにも立憲野党の皆さんと市民との協力を深めていきたいです。」
 
さらに、立憲デモクラシーの会・山口二郎より安保法制の廃止、改憲阻止、さらに今の日本政治が直面するいくつかの重要な課題について、前回と同様に政策合意を何らかの形で結び、共通の旗印としていきたいといいう提起がありました。
 
その後、立憲民主、国民民主、共産、自由、社民、無所属の会の各党・会派と、市民連合の各構成団体から、幅広く意見交換が行われ、参院選に向けて市民と野党の協力をさらに強く深めていくことが確認され、意見交換会は終了となりました。
 
市民連合は、11月28日(水)19時から王子・北とぴあにて、野党とのシンポジウムを開催予定です。私たちは、このような機会を通じて、参院選に向けた協力体制をさらに深化させていきたいと考えています。ぜひご参加いただけますと幸いです。
(引用終わり)
 
 続いて、意見交換会に参加した各党のホームページを調べてみました。漏れがあるかもしれませんが(社民党のホームページには記事が見当たらず、無所属の会はホームページそのものがないようです)、アップされていたものを全部紹介しておきます。
 現時点における各党のスタンスの差が、このニュースを伝える記事にも何とはなしに反映しているような気もしますが、さてどうでしょうか?
 なお、市民連合の記事には写真が付いていませんでしたが、各党のホームページには写真が掲載されていました。4枚の写真を奮発した立憲民主党のホームページを見れば、画像は小さいものの、どなたが参加したか(見る人が見れば)大体分かります。それ以外の写真では、自由党ホームページが使用した森ゆうこ幹事長が発言されているシーンを撮ったものが最高ですね。森さんだけではなく、共産党の
穀田国対委員長や広渡清吾先生の笑顔も素敵です。
 
立憲民主党 2018年11月16日
市民連合と野党の意見交換会に福山幹事長と辻元国対委員長が参加
(引用開始)
 16日午後、国会内で安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合と野党5党1会派との意見交換会が行われ、福山哲郎幹事長と辻元清美国会対策委員長が参加しました。福山幹事長はあいさつで「市民連合との意見交換会を今回5党1会派で開催できることに感謝したい。安倍政権の体質は安保法制を強行した頃となんら変わっていない。来年の参院選にむけて市民連合の皆さんとしっかり意見交換していきたい」と述べました。意見交換会には、これまでの立憲民主党、日本共産党、無所属の会、自由党、社会民主党に加えて、今回から国民民主党が参加しました。
※写真4葉付き
(引用終わり)
 
国民民主党 2018年11月16日
平野幹事長が市民連合との意見交換会に出席
(引用開始)
 平野博文幹事長は16日、国民民主党はじめ立憲、共産、無所属の会、自由、社民の野党5党1会派と市民連合の意見交換会に出席した。前回は、5月28日に開かれたが国民民主党は今回が初めての参加。国民民主党からは小宮山泰子衆院議員も出席した。市民連合からは、来年の参院選に向けて野党がどのように連携していくかの話し合いが呼びかけられた。
 意見交換会終了後に記者団からの取材に応じた平野幹事長は「安倍政権を倒すだけが共通認識ではなく、倒せば次の日本がこう変わるというわくわく感を出さないといけない」と連携をつくるために必要な考えを示した。
※写真1葉付き
(引用終わり)
 
日本共産党(しんぶん赤旗 電子版) 2018年11月17日(土)
参院選に向けて共闘の具体化を 市民連合 5野党1会派代表 意見交換
(引用開始)
 来年の参院選で安倍政権打倒の市民と野党の共闘の本格化に向け、「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」(市民連合)と野党との意見交換会が16日、国会内で行われました。初めて国民民主党が参加し、日本共産党、立憲民主党、無所属の会、自由党、社民党の5野党・1会派の書記局長・幹事長と国対委員長が一堂に会しました。
小池書記局長が発言
 問題提起を行った市民連合世話人の山口二郎法政大学教授は「いまは参院選の1人区で野党協力を行うことは共通の了解事項になっている」と指摘。「私たちは野党の協力の機運を高め、共通して掲げるべき政策を議論し、野党と政策合意を結び共通の旗印としたい」とのべました。
 日本共産党の小池晃書記局長は、沖縄県知事選で5野党1会派による本気の共闘の実現で玉城デニー氏が勝利したことをあげ、「この流れを参院選に実らせれば安倍政権を必ず倒せる」と強調。「1人区での候補者一本化で各党の主張は一致している。より具体化する段階だ」とし、相互推薦、相互支援など党の方針を示した上で、「前提条件をおかず、政党の本部間の率直で真剣な協議を始めることが急がれている」と表明しました。
 立民の福山哲郎幹事長は「安倍政権を倒すための意見交換を具体的、建設的なものにしたい」と発言。国民の平野博文幹事長は「参加でき大変うれしい。前回の1人区での勝利数を上回ることが安倍政権を倒す一里塚になる」とし、無所属の会の大串博志幹事長は「安倍1強独走に終止符を打つという大目標に向け、5野党1会派がまとまることが重要だ」と強調しました。
 自由党の森ゆうこ幹事長は前幹事長の玉城デニー沖縄県知事の勝利に感謝を述べ、6月の新潟県知事選での敗北にふれ「なんとなくの連携では勝利をつかめない。争点を掲げ、結束してたたかうことが必要だ」と強調。社民党の吉川元・幹事長は「小異を残して大同につくというのが、わが党の共闘の立場だ」と表明しました。
 山口氏は「5野党1会派が一堂に会したことは大きな意味がある。日本の民主政治にとって何が一番大きな問題かを見据えればおのずと野党の共通項が見えてくる」と語りました。
※写真1葉付き
(引用終わり)
 
自由党 2018年11月16日
「市民連合との意見交換会」開催
(引用開始)
11月16日、自由、立憲民主、国民民主、無所属の会、共産、社民各党派の代表と、市民連合との意見交換会が国会内で開かれた。
 
会では、安倍政権に対峙するべく野党共闘について話し合われた。また来年の参院選に向け、市民連合と政策合意を結び、国民に選択肢を与えることを確認した。
 
自由党から出席した森ゆうこ幹事長は「市民と野党の本気の共闘で玉城デニー沖縄県知事が誕生した。皆さんに感謝を申し上げたい。本気の共闘なら勝てる反面、なんとなくの連携では結果が出ていないのも事実。市民と立憲民主党中心の野党共闘で安倍政権を倒したい」と語った。
※写真1葉付き
(引用終わり)

自民党の緊急事態条項・条文イメージ(たたき台素案)を読む~付・永井幸寿弁護士が訴える緊急事態条項の危険性

 2018年11月18日配信(予定)のメルマガ金原No.3335を転載します。
 
自民党の緊急事態条項・条文イメージ(たたき台素案)を読む~付・永井幸寿弁護士が訴える緊急事態条項の危険性
 
 安倍晋三内閣総理大臣が、自衛隊の幹部会同観閲式、それに今臨時国会冒頭の所信表明演説で、憲法99条によって課せられた憲法尊重擁護義務もかなぐり捨て、改憲に強い意欲を示しているのが「憲法への自衛隊の明記(9条の2の新設)」であるため、自民党が改憲すべき項目として絞り込んだ4項目中、どうしても自衛隊明記に注目が集まるのは仕方がないことですが、緊急事態条項(自民党は「緊急事態対応」と呼称)も、なかなかどうして、自衛隊明記に匹敵する危険性をはらんでいます。
 
 もともと、2012年4月27日に公表された自民党「日本国憲法改正草案」では、「第九章 緊急事態」という章(98条及び99条)を新設するということになっていました。その条文案を引用しておきます。
 
   第九章 緊急事態
 (緊急事態の宣言)
第九十八条 内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる。
2 緊急事態の宣言は、法律の定めるところにより、事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
3 内閣総理大臣は、前項の場合において不承認の議決があったとき、国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき、又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、当該宣言を速やかに解除しなければならない。また、百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは、百日を超えるごとに、事前に国会の承認を得なければならない。
4 第二項及び前項後段の国会の承認については、第六十条第二項の規定を準用する。この場合において、同項中「三十日以内」とあるのは、「五日以内」と読み替えるものとする。
 (緊急事態の宣言の効果)
第九十九条 緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2 前項の政令の制定及び処分については、法律の定めるところにより、事後に国会の承認を得なければならない。
3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条その他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては、法律の定めるところにより、その宣言が効力を有する期間、衆議院は解散されないものとし、両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。
(引用終わり)
 
 内閣の判断で緊急事態宣言を発すれば(国会の承認を要するということになっていますが、一般的に個々の議員が自立していない日本の政党政治の実態からすれば、過半数を有する与党の賛成多数で承認されるに決まっています)、ほぼ内閣が独裁権を手中にするという恐ろしい条項であるということで強い批判を浴びたものです。
 
 それが、今般、自民党がとりまとめた改憲4項目ではどうなったのでしょうか?
 実際に読んだことのある人がどれくらいいるのか、2012年草案の98条、99条に比べても、それほど多いようには思えませんので、自民党憲法改正推進本部が、党大会の翌日(2018年3月26日)に公表した「憲法改正に関する議論の状況について」に掲載された「緊急事態対応について」の全文(含「条文イメージ(たたき台素案)」)を引用します。
 
自由民主党 憲法改正推進本部 2018年3月26日
憲法改正に関する議論の状況について
(抜粋引用開始)
1 これまでの議論の経過 (略)
2 各テーマにおける議論の状況と方向性
(1)自衛隊の明記について (略)
 
(2)緊急事態対応について
【緊急事態対応が立法化された背景】
 諸外国の憲法の緊急事態条項は、各国の歴史や隣国との関係などに応じて発展してきた。例えば、ドイツ憲法では、ナチスの反省や東西ドイツの分断を背景にした詳細な緊急事態条項が設けられている。また、フランス憲法では、ナチスの侵略経験を踏まえ「大統領の緊急措置権」などの簡潔な緊急事態条項のみを憲法に規定するものの、具体の対応は「緊急状態法」を制定して、内乱・テロに対応している。
 日本国憲法では、制定時には「国家緊急権」の実定化を提案したものの、民主主義を徹底する観点から、緊急時の「参議院の緊急集会」の制度のみを設け、具体的な緊急事態対応は、個別の法律により対応してきた。具体的には、自然災害については、伊勢湾台風の発生を契機に、災害対策基本法を制定し「災害緊急事態」の章を設けるとともに、阪神・淡路大震災、東日本大震災など、大災害に対応して改正を行い、緊急事態に対応した災害対策法制を整備してきたところである。また、いわゆる「有事」における国民の生命と財産の保護についても、武力攻撃事態対処法を踏まえた「国民保護法」が制定され、緊急事態に対応する枠組みが整備された。
【憲法改正の必要性】
 わが国では有史以来、巨大地震や津波が発生しており、南海トラフ自信や首都直下型地震などについても、想定される最大規模の地震や津波等へ迅速に対処することが求められている。
 このため、憲法に「緊急事態対応」の規定を設けることにより、「国民の生命と財産の保護」の観点から、①緊急事態においても国会の機能を可能な限り維持すること、②国会の機能が確保できない場合に行政権限を一時的に強化し迅速に対処する仕組みを設けることが、適当であると考える。具体的には、①選挙実施が困難な場合における国会議員の任期延長等、②個別法に基づく緊急政令の制定の規定を設けることができる旨規定しておくことが、立憲主義の精神にもかなうと考えられる。
 以上を踏まえれば、「緊急事態対応」についての「条文イメージ(たたき台素案)」として、次のようなものが考えられるのではないか。
第七十三条の二 大地震その他の異常かつ大規模な災害により、国会による法律の制定を待ついとまがないと認める特別の事情があるときは、内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる。
② 内閣は、前項の政令を制定したときは、法律で定めるところにより、速やかに国会の承認を求めなければならない。
 (※内閣の事務を定める第73条の次に追加)
第六十四条の二 大地震その他の異常かつ大規模な災害により、衆議院議員の総選挙又は参議院議員の通常選挙の適正な実施が困難であると認めるときは、国会は、法律で定めるところにより、各議院の出席議員の三分の二以上の多数で、その任期の特例を定めることができる。
 (※国会の章の末尾に特例規定として追加)
【その他の意見】
 なお、緊急事態の対象を「大地震その他の異常かつ大規模な災害」に限定せず、「外部からの武力攻撃」や「大規模テロ・内乱」も対象にすべきとの意見もあった。
 
(3)合区解消・地方公共団体について (略)
(4)教育充実について (略)
3 憲法改正の発議に向けて
 憲法改正は、国民の幅広い支持が必要であることに鑑み、4テーマを含め、各党各会派から具体的な意見・提案があれば真剣に検討するなど、建設的な議論を行っていく。
 現在議論中の「条文イメージ(たたき台素案)」は、完成された条文ではなく、この案をもとに衆参の憲法審査会で党の考え方を示し、憲法審査会で活発な議論が行われるよう努める。
 「条文イメージ(たたき台素案)」をたたき台とし、衆参憲法審査会や各党・有識者の意見や議論を踏まえ、「憲法改正原案」を策定し国会に提出する。そのため、衆参憲法審査会では、これまでの丁寧な運営方針を継承し幅広い合意形成を図るとともに、国民各層への幅広い理解に努める。
(引用終わり)
 
 どうでしょうか、2012年草案と比べれば、少しは「ましになった」と思いますか?私には全然そうは思えませんが。
 上記の「緊急事態対応について」を読んだ上での私の雑駁な感想をいくつか書き留めておきます。
 
〇まず、文章の構成が全然論理的ではありません。【緊急事態対応が立法化された背景】が縷々説明されていますが(ドイツ憲法やフランス憲法の緊急事態条項についての説明は簡略過ぎて不適切だと思いますが、それはさておき)、それに続く【憲法改正の必要性】を述べるための論理的前提に全然なっていません。
 【憲法改正の必要性】の冒頭で、「わが国では有史以来、巨大地震や津波が発生しており、南海トラフ自信や首都直下型地震などについても、想定される最大規模の地震や津波等へ迅速に対処することが求められている。」という文章が来ても、災害対策法制に不十分な点があれば必要な改正をし、大規模災害に対応するための予算や訓練を充実すれば良いではないか、ということになるのが当然の論理であるにもかかわらず、これに続いていきなり、「このため、憲法に「緊急事態対応」の規定を設けることにより、(略)ことが、適当であると考える。」と何の説明もなく主張するのですから、無茶苦茶です。
〇「条文イメージ(たたき台素案)」は、2012年草案に比べて短くなっていますので、控え目な内容になったと誤解する人がいるかもしれませんが、それは実質的な中身をあげて法律に委任してしまっているからであり(法律で定めるところにより)、これで「立憲主義の精神にもかなう」というような主張がどうしてできるのか(真逆ではないか)、呆れざるを得ません。
〇2012年草案では「法律と同一の効力を有する政令」となっていたのが、たたき台素案では単に「政令」となっていますが、実質的には同じ内容のものを企図している規定と考えておいた方がよいでしょう。
〇問題は、「大地震その他の異常かつ大規模な災害」が、自然災害に限定されるのか、それ以外のものも含むのかという点です。【その他の意見】を読むと、自然災害に限られるような気もしますが、条文というのは、いったん成立してしまえば一人歩きするものであることを忘れてはなりません。また、国民保護法(武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律)では、「武力攻撃により直接又は間接に生ずる人の死亡又は負傷、火事、爆発、放射性物質の放出その他の人的又は物的災害」のことを「武力攻撃災害」と定義しており(同法2条4項)、日本の実定法上、「災害」という用語は「自然災害」よりも明らかに広い概念として使用されていることも念頭に置いておかねばなりません。
 
 ところで、元日弁連災害復興支援委員会委員長であり、弁護士の中でも災害分野における第一人者であった永井幸寿(ながい・こうじゅ)弁護士(兵庫県弁護士会)は、いまや緊急事態条項の危険性を語っては右に出る者がいないというくらい、大きな危機感をもって講演活動などをされています。
 
 その永井先生が、昨日(11月17日)、神戸市勤労会館(神戸市中央区)で開かれた「緊急事態条項はいらない!市民集会 in 神戸」(主催:こわすな憲法!いのちとくらし!市民デモHYOGO)において、「憲法に緊急事態条項は必要か」と題して講演され、その模様がIWJによって中継され、全編動画が視聴できます。
 とても分かりやすくお話されていますので、是非1人でも多くの方が視聴されますよう、拡散にご協力ください。
 
緊急事態条項はいらない!市民集会 in 神戸 ― 永井幸寿弁護士 講演「憲法に緊急事態条項は必要か」ほか 2018.11.17
記事公開日:2018.11.17取材地:兵庫県 動画(1時間19分)
 
 なお、永井先生は、改憲4項目のうちの緊急事態対応・条文イメージ(たたき台素案)がとても危険なものになっていることへの理解が進まぬことに危機感を抱き、IWJの岩上安身氏に企画を持ち込み、今年の5月21日にインタビューが行われました(全編動画は、今はサポート会員でないと視聴できませんので、ハイライト動画を併せて紹介しておきます)。
 
いつでも独裁が可能!? いつまでも独裁が可能!? 憲法で堂々と独裁を肯定!? より危険性が高まった自民党新改憲の緊急事態条項!~5.21岩上安身による永井幸寿弁護士インタビュー 2018.5.21
記事公開日:2018.5.22取材地:東京都 動画独自
 
ハイライト動画(12分)

 
 以上のハイライト動画だけでも、十分に視る価値はあると思いますよ。
 
 なお、このインタビューをテキスト化したものが、有料ですが入手できますのでご紹介しておきます。
 
ほとんどの日本人が気づいていない!! 自民党改憲4項目の #ヤバすぎる緊急事態条項で、より高まったファシズムへの危険性!安倍総理は臨時国会の所信表明で改憲への強い執念を表明!全国民必見必読の岩上安身による永井幸寿弁護士インタビュー 2018.10.30
記事公開日:2018.10.30 テキスト

安田純平氏バッシング問題から自問する~情報の「選好」という宿痾

 2018年11月17日配信(予定)のメルマガ金原No.3334を転載します。
 
安田純平氏バッシング問題から自問する~情報の「選好」という宿痾
 
 2015年6月にシリアで消息を絶ち、今年の10月下旬に解放されるまで、3年4か月もの長期間の身柄拘束に耐えたフリージャーナリストの安田純平さんに対し、日本国内で異常なバッシングが行われていることが大きな話題となったりしています。
 その原因を考究する論説記事を、軍事ジャーナリストの黒井文太郎さんが発表しており、一読、納得する部分も多くありましたのでご紹介しようと思います。
 ただし、私が抜粋して引用した箇所は、私の問題関心から選んだものですから、執筆者の中心的問題意識からは外れている可能性が十分あります。皆さまには、是非、リンク先で全文を通読していただきたいと思います。
 
JBPRESS 2018.11.17(土)
安田純平氏はなぜ「異常」にバッシングされるのか
黒井文太郎(軍事ジャーナリスト)
(抜粋引用開始)
 シリアで3年4カ月拘束されて帰国した安田純平さんに対するバッシング現象が起きている。考え方は人それぞれだが、筆者自身は、危険地報道に限らず、記者が取材の手法の是非、あるいは書いた内容などで読者・視聴者から厳しい批判を受けるのは当然だと思っているし、記者という職業についても、とくに特別なものとも思っていない。なので、今回の安田さんの件に関しても、行動の是非が問われても仕方ないとは思う。
 しかし、今の状況は、そうした正当な「批判」を越えた、個人攻撃の域に達している。こうした「誘拐された記者」を個人攻撃でバッシングするというのは、世界でも日本独特の現象だ。諸外国では基本的に「報道とはそういうもの」と認識されており、取材手法への批判はあっても、誘拐被害者をバッシングするという発想そのものが存在しない。そこは日本独特の風潮であり、そんな人々が熱中するパワーワードが「自己責任」である。
(略)
 実は日本は、もとからこうした批判が活発だったわけではなかった。これは報道の話ではないが、筆者の知るかぎり、人質をバッシングする最初の契機となった事件は、1991年に大学生サークルがパキスタンで川下り冒険中に山賊集団「ダコイト」に誘拐された事件だった。有名大学だったこともあり、「無謀」との文脈で非難されたが、不確かな情報からの誤解に基づく非難も多かったようだ。
(略)
 他方、現在のような、一般的な世論の中から、その一部として個人攻撃バッシングが出て来るという流れは、比較的最近の傾向である。
 決定的だったのが、2004年のイラク人質事件だろう。日本人3人を人質にした犯人グループが、日本政府に対し「自衛隊のイラクからの撤退」を要求したことで、政治化した。単純な「日本人が犯罪者に拉致された」事案ではなく、政治的な主張をする人々の間で、「政府は同胞を助けろ(つまり自衛隊撤収せよ)」という主張と「捕まったのは自己責任だ(つまり自衛隊は撤収するな)」という主張がぶつかったのである。
 そして、「捕まったのは自己責任だ(つまり自衛隊は撤収するな)」派は、敵対論調と論戦するために、当の人質への激しいバッシングを開始する。人質という犯罪被害者に対する★政治的な★バッシングが、日本ムラ社会で「普通の論調」になったのは、この時だ。これこそが日本の特殊事情である。
(略)
 むろんネットにはさまざまな情報が飛び交っている。安田さんに関しても、攻撃する論調もあれば、擁護する論調、評価する論調もある。しかしネットのユーザーは概して、多様な見方を得るよりも、一部の見方に偏向する。バッシング論調をネット上で目にする人は、どこまでもバッシング論調を目にし、バッシング論調が当たり前と感じるようになる。今回の件で筆者もスタジオ出演した某番組で、司会者がバッシング論調を「こちらのほうが国民の声だ」と断言したが、それはつまり、この人がバッシング論調だけに偏向して接していることを表している。
 問題は、こうした人々が接しているバッシング論調を誘導するネット情報に、前述したようにフェイク情報をちりばめたネガティブ印象操作が多く存在することだ。
(略)
 このようにネット上で世論誘導を意図し、偏向した情報を拡散する行為を「トロール」と呼ぶが、トロールの影響力の拡大は世界的な傾向で、日本だけの問題ではない。アメリカ大統領選ではロシアが組織的に仕掛けて、トランプ政権誕生を後押しするなど、大きな政治問題化していることは周知のとおりだ。こうして誘導されたネット世論は、もはや現実社会に大きな影響を与えており、特に社会を対立構造で分断させる多大な効果が実証されている。
 しかし、日本が他の国とは違うもう1つの特殊事情は、こうしたネット発で伝播する論調の影響を受ける人々の中の一部の人が、マスメディア内で大きな発言力を持っていることだ。
 テレビ番組でニュースを扱う芸能人が典型例だが、他にも日本のドメスティックな分野を専門とする政治家や言論人、報道人も含まれる。中には国際政治の専門家もいたようだが、そうした人を含め、紛争報道やシリア事情ではみんな「素人さん」だ。これは何も彼らが劣っているということではなく、紛争報道やシリア事情という分野が日本ではきわめてレアな特殊分野であり、ほとんどのメディア言論人にとって馴染みのない分野だということである。かくして発言力のある人がネット発で拡散された誘導情報を元に「素人の感想」としてメディア内でバッシング発言を行い、そうした言説がネットのトロールと相乗効果を発揮して、バッシングが拡大していく。それが今回、起きている異常なバッシング騒動の基本的な構図である。
 かくして発言力のある人がネット情報を元に「素人の感想」としてメディア内でバッシング発言を行い、そうした言説がネットのトロールと相乗効果を発揮して、バッシングが拡大していく。それが今回、起きている異常なバッシング騒動の基本的な構図である。
(略)
(筆者からのお知らせ) 今回の安田純平さんの「事件」について、11月12日にBS11の「インサイドOUT 安田純平さん単独取材 拘束・解放の裏側」(キャスターは岩田公雄氏)という番組に高橋和夫氏(国際政治学者/放送大学名誉教授)とともに出演して議論した。バッシング騒動の捉え方、紛争地報道について、さらには今のシリア情勢について、ネットのトロールとは対極の、専門的な視点からの有意義な議論ができたと感じている。同局で11月21日まで無料アーカイブ配信されているので、興味のある方はぜひご覧になっていただきたい。
(引用終わり)
 
 ビックカメラの連結子会社が運営するBS11では、放送終了後の番組を、一定期間インターネットで無料配信しているのですね。黒井文太郎さんの文章の末尾で紹介されていた「インサイドOUT 安田純平さん単独取材 拘束・解放の裏側」は、調べてみると、放送後2週間(2018年11月26日まで)無料で視聴できるようになっていました。
 とても冷静に視ることができて勉強になりました。是非26日までに視聴されることをお勧めします。
 
BS11 オンデマンド
報道ライブ インサイドOUT「安田純平さん単独取材 拘束・解放の裏側」 
2018年11月12日放送分(2018年11月26日配信終了)
 
 ところで、私が「インサイドOUT 安田純平さん単独取材 拘束・解放の裏側」を是非視てみようと思ったのは、「安田純平氏はなぜ「異常」にバッシングされるのか」という記事を読んで、執筆者の黒井文太郎さんが信頼できる方だと感じたこと、さらに、放送大学名誉教授の高橋和夫先生については、同大学の学生として多くの講義を受講させていただき、とても尊敬している方であったからに違いありません。
 これに対し、安田さんバッシングをしていた番組にどんなものがあったのか知りませんが、辛坊治郎司会の「そこまで言って委員会NP」で仮に取り上げられたとしても、私がその番組を視ることは絶対にないでしょうね。
 
 実は、このような視聴態度は、黒井文太郎さんが書かれている「ネットのユーザーは概して、多様な見方を得るよりも、一部の見方に偏向する。」ということと基本的には同じことなのです。
 要するに、多くの人は(私自信ももちろんそうです)、自らが好む情報を選好して収集するものであって、見たくない、聞きたくない、読みたくない情報は、意識的、無意識的に排除するものであることは、かなり普遍的な現象と言って良いと思います。
 従って、黒井さんが指摘されている「バッシング論調をネット上で目にする人は、どこまでもバッシング論調を目にし、バッシング論調が当たり前と感じるようになる。」ということの逆もまた真なりであって、安田さんを擁護したいと考える者は、あえてバッシング情報を集めるというようなことはしないものです。
 
 私が、今日のブログのサブタイトルを「情報の「選好」という宿痾」としたのは、知らず知らずのうちに行っている情報の「選好」が、私たちが、「なぜ安倍政権を打倒できないのか」、「なぜ原発ゼロを実現できないのか」、「なぜ憲法改悪を本気で心配しなければならないのか」というような課題に直接繋がっているのではないか、という問題意識からなのです。
 
 いちいち、安田純平さんをバッシングするネットやテレビの情報を積極的に集める必要はないでしょうが、少なくとも、自分の態度や得ている情報が「偏っている」という自覚は必要なのだろうと思います。
 
 なお、最後に、安田純平さんによる日本記者クラブと日本外国特派員協会での記者会見の動画を、それぞれオフィシャルサイトからご紹介しておきます。
 「インサイドOUT」からのインタビューに、安田さんは、いまだに自宅に戻れず、友人宅などを転々としていると答えておられましたが、司会の岩田公雄さんが言われていたとおり、1日もはやく自宅でゆっくりと休養していただきたいものですね。
 
日本記者クラブでの記者会見動画(オフィシャル)
ジャーナリスト 安田純平氏 会見 2018.11.2(2時間41分)

 
日本外国特派員協会での記者会見動画(オフィシャル)
Jumpei Yasuda: Journalist, being held as hostage by militants in Syria for 40 months(1時間27分)

『子ども白書2018 「子どもを大切にする国」をめざして』(日本子どもを守る会編)のご紹介

 2018年11月16日配信(予定)のメルマガ金原No.3333を転載します。
 
『子ども白書2018  「子どもを大切にする国」をめざして』(日本子どもを守る会編)のご紹介
 
 今日は、1冊の書籍をご紹介しようと思うのですが、奥書に記載された発行日は「2018年8月15日」、出版社から私の事務所にこの本が届いたのが7月末でしたから、時期遅れもよいところです。
 しかも、これが単発の書籍ならともかく、毎年刊行されている一種の「年鑑」なので、うっかりすると次年版の編集作業がもう始まっているかもしれません。ということで、まことに遅ればせながらではありますが、ブログでご紹介することにしました。
 なぜ、かくも遅くなったかたといえば、せめて収載された論考の半分以上は読んだ上で紹介しよう、という殊勝な心掛けであったのがかえってあだになったという次第です。つまり、日々の雑用に追われ、なかなか本をじっくりと読む時間が作れなかったということで、読まなければと思いながら積み上げてある本は増える一方です。このままでは、いつになったら紹介できるか分かりませんので、読んだ上での感想を披瀝するのはあきらめ、ともかく、内容の概略でもご紹介しようと決意しました。
 
 以下に、その書籍の書誌データを記載しておきます。
 
書名:子ども白書2018 「子どもを大切にする国」をめざして
編集:日本子どもを守る会
出版年月日:2018年8月15日(初版第1刷)
発行所:株式会社本の泉社
版型・頁数:B5判 192ページ 並製 グラビア年表付
定価:2,000円+税
 カバー折り返しに書かれた●編者紹介と●会の歴史と活動を引用しておきます。
 
(引用開始)
●編者紹介
日本子どもを守る会
 日本子ども守る会は、1952年5月17日に誕生しました。「児童は人として尊ばれる」とうたった児童憲章が制定された翌年のことです。
 当時は朝鮮戦争の最中。米軍の前線基地となっていた日本の子どもたちは、その生活・教育・文化・福祉・健康・環境のすべてにわたって、児童憲章が踏みにじられる状況下にありました。
この現実を黙視できないと、親や教師はもちろん、学生・研究者・専門家・地域活動家・市民団体・文化団体・労働組合など広範な顔ぶれの人々が結集し、思想・信条のちがいをこえて、子どもの人権と平和を守る国民的な運動をすすめてきました。
 1989年、国連総会は「子どもの権利条約」を採択し、21世紀を「子どもの世紀」にすることを目指して壮大で国際的な取り組みを進めています。日本子どもを守る会は、日本における子どもの権利の水準を向上させるために、子どもの意見を聞きながら、子どもの権利条約の具体化を進めています。
●会の歴史と活動
1951年 児童憲章制定
1952年 日本子ども守る会結成(初代会長 長田 新)
1961年 羽仁説子、第2代会長に就任
1964年 『子ども白書』創刊
1988年 大田 堯、第3代会長に就任
1989年 国連総会、子どもの権利条約採択(94年5月 日本が批准)
2002年 日本子ども守る会50周年(50年誌『花には太陽を子どもには平和を』刊行)
2012年 日本子どもを守る会結成60周年記念集会(60年誌『子どもの尊さ』part2発行)
(引用終わり)   
 
 ところで、なぜこの『子ども白書2018』が、発行日前の7月末に版元(本の泉社)から私の事務所に届いたのかというと、実は私も執筆者の一人であったからです。「ことしの子ども最前線」というコーナーに掲載された5つの論考の1編として、「家庭教育支援条例のある「まち」に住んで」という文章を書かせていただきました。
 今年の4月はじめ、「日本子どもを守る会」の増山均先生から、「家庭教育支援法と家庭教育支援条例の動向について(仮)」というテーマで、6500~6700字の原稿を書いてもらえないか、というご依頼をいただきました。
 「なぜ私なのか?」という疑問が頭をよぎったことは言うまでもありませんが、和歌山市家庭教育支援条例や条例制定記念講演会の聴講記などをブログに書いていましたので、それを目に留めてくださった上でのご依頼のようでした。
 私としては、その任でないことは重々承知の上で、「これまでに書いたブログのツギハギ程度のものにしかならないと思われます」が、「もしもその程度のものでも良いということであれば、はなはだ力不足で申し訳ありませんが、執筆をお引き受け致します。」とメールで返信してしまったのが運の尽きでした。
 「ブログのツギハギ」といっても、それなりの取捨選択は必要で、さらには1編の論考としてのまとまりをつける必要もあるのですから、締切間際にはかなりの時間をとられました。まあ結局は、「ブログのツギハギ」を超えるものにはなりませんでしたけど。
 「子ども白書2018」に掲載していただいた「家庭教育支援条例のある「まち」に住んで」(同タイトルのブログも書いていますが、その文章の一部も使いつつ、新たに書き直したものです)は、2019年になって、そろそろ「子ども白書2019」に関心が向かうようになった頃を見計らい、私のブログにも掲載させていただこうと思っています。
 
 以下に、「子ども白書2018」の目次を転記します。これによって、2018年の「子ども白書」の内容を想像していただけることと思います。
 
(目次から引用開始)
〈グラビア〉年表(子ども生活関連年表/別刷)
〈巻頭言〉良心の自由を守れ!-こころの中までは誰にも決められない/増山 均
発刊にあたって/森本 扶
 
〈特集〉型にはめたい大人たち~「人づくり革命」「働き方改革」に未来はあるか~
解題/森本 扶
安倍政権の“教育革命”-二段階で進行する統制強化-/本田由紀
「人づくり革命」幼児教育無償化策の問題点と評価/垣内国光
「働き方改革」と若年労働者-働き方を変える主体は誰か-/上西充子
インタビュー ひとはつくるものではなく、ひとなるもの/大田 堯
座談会 ROCKET 座談会「学校って何?! 努力って何?! 私たちはどう生きるか?! ~“型にはまらない子どもたち”の本音~
〈ことしの子ども最前線〉
子どもの権利条約第4・5回政府報告書に対する市民NGO報告書を読む/世取山洋介
【資料】日本政府第4・5回定期報告に関する質問リスト
学校教育における「スタンダード」の浸透とその影響-授業スタンダードを中心に-/村上祐介
家庭教育支援条例のある「まち」に住んで/金原徹雄
「新しい社会的養育ビジョン」と「育ちあう養護」の課題/遠藤由美
家庭のなかの貧困 奪われる子ども、引き受ける子ども 沖縄での若年出産女性の聞き取り調査から/上田真弓
 
〈震災後を生きる子どもたち〉
この1年 東日本大震災・熊本地震と子ども支援/吉川恭平
教育シンポジウムin石巻 開催報告/教育シンポジウム石巻実行委員会
災害と子ども支援-気候変動の時代と子どもの権利保障-/安部芳絵
被災地で「子どもたちの遊び場」作り/瀧田 希
トピック 高校生がバイヤー、地元の魅力と想いを市外に発信!高校生百貨店/加藤くるみ
 
〈子どもをめぐるこの1年〉
-いのちと健康-
この1年 子どものからだと生活からみたこの一年/安倍大輔
トピック 子どもに忍び寄るエネジードリンクの恐怖/野井真吾
東京オリンピック・パラリンピックの光と影/内海和雄
子どもの便秘とトイレ環境/加藤 篤
性の多様性と子どもをめぐる課題/渡辺大輔
-医療-
この1年 拡大する「医療の守備範囲」/内海裕美
トピック 今、学校で始まる「がん教育」/林 和彦
医療ケアの必要な子どもたち/前田浩利
「子どもの死亡事例全数検証制度(CDR)」によって子どもの予防可能死を減らす/山田不二子
小児科医からみた要対協の現状と課題/栗山智之
-家庭-
この1年 家族・家庭のあり方と子育て力の創造/増山 均
トピック 「菜園家族の思想」を読み解いて/田名部周伍
子育て支援・家庭教育政策の動向と親の「第一義的責任」/望月 彰
子どもの現実と「親」支援/吉田のり子
精神疾患の親と暮らす子どもの問題/横山恵子
-福祉-
この1年 子どもの生活問題の深刻化と社会福祉-福祉の公的責任と共に在る福祉実践-/義基佑正
トピック 児童館は「なにもしなくていい」が認められる場所なんです/中村興史
子どもの貧困対策の現状と課題/中嶋哲彦
生活保護制度改悪と子どもの生活問題への影響/加美嘉史
深刻化する子どもの生活実態とスクールソーシャルワークの果たす役割/山田恵子
障害のある子どもたちの放課後保障と放課後等デイサービスの課題/黒田 学
-司法-
この1年 子どもの「時間」と子どもの権利/佐々木光明
トピック 非行相談の空洞化?~非行少年の伴走者としての児童相談所を問い直す~/遠藤洋二
「刑罰改革」と少年法の適用年齢引下げの関係について/山下幸夫
非行の問題をかかえた子どもの未来/野田詠氏
少年法適用年齢の引下げに関する法制審議の現状と問題点/伊藤由起夫
-学校-
この1年 新しい管理主義?-ブラック校則、スタンダード、ゼロトレランス/田沼 朗トピック 福井県議会の「教育行政の根本的見直しを求める意見書」/鈴木ひかり
指導死を招くゼロトレランス/大貫隆志
「学校における働き方改革」の問題点/勝野正章
高等学校学習指導要領の改訂とその特徴-教科・特別活動・総合的な探求の時間を通じて主権者としての学びを-/櫻井 歓
-地域-
この1年 地域の「日常」と「非日常」を支えるもの/阿比留久美
トピック 総合的な学習「地域交流」と生徒の育ちなおし/松澤仁志
民生委員・児童委員による地域の子ども・子育て家庭支援活動/高橋久雄
地域組織としてのPTA再考-親が学校を通じて地域とかかわるということ/大塚玲子
大学生が本気で考え実践する子どもの放課後/深作拓郎
-文化-
この1年 大人と子どもの真の関係性が問われている/片岡 輝
トピック ポケモン(ポケットモンスター)はどこへ?/齋藤史夫
おもちゃを手に、ジェンダーの壁を越える子どもたち/黒澤千春
変化する児童書界で/市川久美子
教育音楽に携わる者の使命と覚悟~童謡生誕100年を迎えた今~/若松 歓
-メディア-
この1年 ますます深刻になるネット・ゲーム依存~WHO「ゲーム依存」疾病指定へ~/成田弘子
トピック WHO「ネットゲーム依存」疾病指定~今やらなくてはいけないこと~/笠松直美
社会学の視点から見る「ネット依存」/伊藤賢一
メディアと子どもの眠り 睡眠不足は前頭前脳の機能を低下させる/神山 潤
久里浜医療センターから見える「ネット依存」の実態/三原聡子
-環境-
この1年 子どもたちの未来へ残すのはゴミ?/野田 恵
トピック 獣害被害とけもかわproject/井野春香
暮らしのごみが海を汚す-プラスチックによる海洋汚染/小島あずさ
辺野古の海とジュゴン~未来に何を遺すのか/志村智子
人口減少社会の教育はどうあるべきか/荻原 彰
 
第66回 日本子どもを守る会総会アピール
資料(児童憲章全文)
編集後記
編集委員会紹介
(引用終わり)
 
 私の原稿はともかくとして、子どもをめぐる最新の状況を概観するために、とても有用な年鑑だと思います。
 是非一度手に取られてお読みになることをお薦めします。
 また、近くの図書館に行かれる機会があれば、探してみられてはいかがでしょうか。もしもなければ、是非購入図書として「リクエスト」してみてください。
 
 最後に、「子ども白書2018」の末尾にも掲載されている「児童憲章」全文をここでも引用しておきましょう。
 
(引用開始) 
制定日:昭和26年5月5日
制定者:児童憲章制定会議(内閣総理大臣により招集。国民各層・各界の代表で構成。)
 
われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。
 
児童は、人として尊ばれる。
児童は、社会の一員として重んぜられる。
児童は、よい環境の中で育てられる。
 
一 すべての児童は、心身ともに健やかにうまれ、育てられ、その生活を保障される。
二 すべての児童は、家庭で、正しい愛情と知識と技術をもつて育てられ、家庭に恵まれない児童には、これにかわる環境が与えられる。
三 すべての児童は、適当な栄養と住居と被服が与えられ、また、疾病と災害からまもられる。
四 すべての児童は、個性と能力に応じて教育され、社会の一員としての責任を自主的に果たすように、みちびかれる。
五 すべての児童は、自然を愛し、科学と芸術を尊ぶように、みちびかれ、また、道徳的心情がつちかわれる。
六 すべての児童は、就学のみちを確保され、また、十分に整つた教育の施設を用意される。
七 すべての児童は、職業指導を受ける機会が与えられる。
八 すべての児童は、その労働において、心身の発育が阻害されず、教育を受ける機会が失われず、また、児童としての生活がさまたげられないように、十分に保護される。
九 すべての児童は、よい遊び場と文化財を用意され、悪い環境からまもられる。
十 すべての児童は、虐待・酷使・放任その他不当な取扱からまもられる。あやまちをおかした児童は、適切に保護指導される。
十一 すべての児童は、身体が不自由な場合、または精神の機能が不充分な場合に、適切な治療と教育と保護が与えられる。
十二 すべての児童は、愛とまことによつて結ばれ、よい国民として人類の平和と文化に貢献するように、みちびかれる。 
(引用終わり)
 
(弁護士・金原徹雄のブログから/家庭教育支援関連)
2017年3月29日
2017年6月28日
2017年7月4日
2017年7月27日
2017年8月3日
2017年8月4日
2017年8月5日
2017年8月6日

写真レポートで振り返る「第15回 憲法フェスタ」(守ろう9条 紀の川 市民の会)

 2018年11月15日配信(予定)のメルマガ金原No.3332を転載します。
 
写真レポートで振り返る「第15回 憲法フェスタ」(守ろう9条 紀の川 市民の会)
 
 去る11月11日(日)、和歌山市河北コミュニティセンターで開かれた、「第15回 憲法フェスタ」(主催:守ろう9条 紀の川 市民の会)については、当日のうちに、Facebookに写真レポート6回に分けて連投するとともに、飯島滋明先生(名古屋学院大学教授)による記念講演「自民党改憲案にどう向き合うか~私たちの具体的な対抗策は~」については、翌12日のブログでレジュメ全文をご紹介しています(飯島滋明さんの講演「自民党改憲案にどう向かい合うか~私たちの具体的な対抗策は~」レジュメ紹介~第15回 守ろう9条紀の川市民の会 憲法フェスタにて)。
 
 このうち、Facebookに6回分載した写真レポートについては、私の第2ブログ(あしたの朝 目がさめたら 弁護士・金原徹雄のブログ2)にまとめておきましたが(第15回 憲法フェスタ 写真レポート(守ろう9条 紀の川 市民の会)/2018年11月12日)、会場の後片付けを終え、講師の飯島先生を囲む懇親会が終わった後の夜中に急いでアップした投稿をそのまままとめただけでしたので、少し文章に手を入れた上で、こちらのブログにも掲載し、記録にとどめておきたいと思います。
 
 なお、スペースの関係上、本ブログには写真を各1枚しか掲載していませんが、Facebookの方には複数の写真をアップしていますので、写真は是非Facebookの方でご覧ください。
 各表題部分をクリックすると、Facebookの該当ページに飛べるようにリンクしてあります。
 
 11月11日、好天に恵まれた日曜日、和歌山市河北コミュニティセンターを会場として、「守ろう9条 紀の川 市民の会」が主催する「第15回 憲法フェスタ」が開かれましたので、その模様をいくつかに分割した写真レポートでご紹介します。
DSCN4077 まず「その1」は「展示の部屋」です。会員や地域の皆さんが趣味で製作された絵画、人形、絵手紙などがたくさん展示され、いつも感心してしまいます。
 また、この部屋は、交流の場も兼ねており、用意された御抹茶や珈琲、お菓子、果物などに舌鼓を打ちながら、談笑するのも毎年の楽しみの一つです。
 ところが、昨年までこの「展示の部屋」を中心になって準備してくださっていた運営委員の網本和代さんが、今年の9月末に急逝されたため、今年も「展示の部屋」を開催できるかどうか危ぶまれましたが、多くの方々の協力により、ご覧のとおり素晴らしい作品が集まりました。
 そして、午後の部の開会挨拶の冒頭で原通範代表から、今年の憲法フェスタを網本さんに捧げたいとの発言があったことをご紹介しておきます。当
 会の運営をはじめ、網本さんが平和への熱い思いを胸に果たしてこられた様々な功績を決して忘れず、私がちがその思いを引き継いでいかなければならないとあらためて決意しました。
 
 憲法フェスタでは、数年前から、いらなくなった物をみんなが持ち寄り、気に入った物があれば「タダで」持って帰ってもらうという「リサイクルひろば」が好評を博しています。今年も午前10時から、午後の部が始まる前まで、会場となった2階活動室大2は賑わっていました。
DSCN4088 私も、多目的ホールでの映画の上映が終わった後、顔を出してみました。実は昨年の「リサイクルひろば」で貰った靴を今も愛用している私としては、今年も掘り出し物はないか?と探しに行ったのです。気に入った男物のジャンパーがあったのですが、試着してみたところ、私の体型がもう少しほっそりしていたらちょうど良かったのに・・・ということで、また来年のお楽しみにということにしました。
 毎年「リサイクルひろば」を楽しみに来てくださる方がおられるのはありがたいことですが、ここだけで帰ってしまう人も結構いるようで、是非そういう方々に、映画上映や記念講演にも参加していただけるよう工夫したいものだと思っています。
 
DSCN4091 多目的ホールで「原爆と人間」写真展を行うのも恒例となりました。いつも、和歌山県原水協の白井春樹さんによる丁寧な解説付きです。白井さんに伺ったところでは、昨年1年間だけでも50回以上の展示を行ったそうです。そういえば、先日(10月21日)、伊都郡かつらぎ町のかつらぎ体育センターで開かれた「第10回 伊都・橋本9条まつり」(主催:憲法9条を守る伊都・橋本連絡会)にも白井さんは「原爆と人間」写真展を行うために来ておられました。当日の私が講演している写真は、白井さんにお願いして撮影していただいたのでした(「これからの9条改憲NO!の闘い~国民投票をみすえた運動を~」(2018年10月21日@第10回 伊都・橋本9条まつり)/2018年10月21日)。
 私が、ローマ法皇の推奨で有名になった「焼き場に立つ少年」を初めて観たのも、この憲法フェスタにおいてでした。「原爆と人間」写真展を観る機会がありましたら、是非じっくりとご覧になってください。
 
 写真レポートその4は、1枚ずつのご紹介です。
DSCN4075 まず、10時30分から上映開始を予定していたドキュメンタリー映画『いのちの海 辺野古 大浦湾』(謝名元慶福監督)上映の模様です(もっとも、トラブルにより上映開始が15分遅れたのですが)。例年なら「映像の部屋」はもっとこぢんまりとした会議室を借りて行うのですが、今年は和歌山県知事選の期日前投票が河北コミセンで行われている関係から、そのスタッフ用の部屋が事前に押さえられていて、多目的ホールで上映するしか仕方がなくなりました。もっとも、怪我の功名で、大きな画面で観られたのは良かったのですけどね。
 2枚目は、映画の上映が終わってすぐに始まったCrowfieldのリハーサル風景です。PA担当者との間でじっくり時間をかけた調整が行われました。良い演奏を聴いてもらうためには当然のことでしょうが。
 3枚目は、午後2時から多目的ホールで始まったメイン企画前に行われた原通範代表による開会挨拶です。
※2枚目と3枚目の写真は、巻末に掲載しておきます。
 
 スタッフ用台本によれば、14時05分から始まるはずだったCrowfieldによるライブですが、心配したとおり、時間が押してしまってほとんど10分遅れでの開演となりました。
DSCN4104 Crowfieldの皆さん(烏野ファミリー)は、一昨年の第13回憲法フェスタについで2度目の出演ということで、新しいレパートリーも披露してくださいましたし、娘さん(えなさん)と息子さん(れなん君)の成長を我が子のように喜ぶ会員さんなどもおられ、和気藹々とした雰囲気の中、素晴らしい演奏が繰り広げられました。
 演奏された曲目は、以下のとおりでした。
1 イマジン(ジョン・レノン)
2 サウンド・オブ・サイレンス(サイモン&ガーファンクル)
3 未来へ(キロロ)
4 この島~憲法9条のうた~(オリジナル曲)
5 レット・イット・ビー(ビートルズ)
6 ウージの唄(カリユシ58)
7 島人ぬ宝(BEGIN) 
 「島人ぬ宝」の後は、みんなでカチャーシー・・・というほど自信をもって踊れる人は多分ほとんどいなかったはずであり、しかも平均年齢を考えると、立ち上がって一緒に踊った人(このすぐ後で講演される飯島滋明先生も)の割合は驚異的であったのではと思います。
 Crowfieldの皆さんには、是非また折を見て憲法フェスタに出演していただきたいですね。
 
飯島滋明氏② 今年の憲法フェスタの締めくくりは、「守ろう9条 紀の川 市民の会」(の総会&憲法フェスタでの記念講演)に登壇された9人目の憲法学者、飯島滋明先生(名古屋学院大学教授)による講演「自民党改憲案にどう向き合うか~私たちの具体的な対抗策は~」でした。
 スケジュールが押していましたので、十分な質疑応答の時間をとれなかったのは残念でしたが、90分間の持ち時間一杯、熱く語っていただきました。その具体的内容は、詳細レジュメ(パワポのスライド)の完全版を(飯島先生にご許可いただきましたので)11月12日の私のブログでご紹介しました。
 また、講演の要約が、いずれ「九条の会・わかやま」(会紙「九条の会・わかやま」コーナー)に3回連載で掲載される予定です。
   なお、本ブログに掲載した写真は、南本勲さんからご提供いただいたものです。
 

DSCN4089DSCN4093

報道機関とファクトチェック~沖縄タイムス、琉球新報の挑戦とそれに続く報道機関への期待

 2018年11月14日配信(予定)のメルマガ金原No.3331を転載します。
 
報道機関とファクトチェック~沖縄タイムス、琉球新報の挑戦とそれに続く報道機関への期待
 
 選挙にデマは昔から付きものでしたが、SNSがこれだけ普及し、それと反比例するかのように(特に若い人ほど)新聞を読まなくなった(多分)現在、デマの跳梁は目に余るものがあり、それが現実政治を思わぬ方向に動かすことは、世界的な潮流であるとさえ言えるようです。
 
 このような状況を踏まえ、今年9月に行われた沖縄県知事選挙においてネットを飛び交った悪質なデマを取り上げ、選挙期間中にファクトチェック記事の掲載を行った沖縄の地元2紙に全国的な注目が集まりました。
 ここでは、新聞週間に際し、両紙が掲載した社説をご紹介しようと思います。
 
琉球新報 社説 2018年10月15日 06:01
新聞週間 ファクトチェックは使命
(抜粋引用開始)
 きょうから新聞週間が始まった。71回目の今年は「真実と 人に寄り添う 記事がある」が代表標語だ。
 ネットを中心にフェイク(偽)ニュースがあふれる中、事実に裏打ちされた報道を続けてきた新聞社として、自らの役割と責務を改めてかみしめ、真実を追求する姿勢を持ち続けたい。
 琉球新報は今回の県知事選から「ファクトチェック(事実検証)」報道を始めた。これまで放置されがちだったネット上にはびこるデマやうそ、偽情報を検証し、その都度、記事を掲載した。
 最近の選挙では、明らかに誤った情報や真偽の不確かな情報が、あたかも事実であるかのように会員制交流サイト(SNS)などで拡散していた。投票行動に影響を及ぼす恐れも危惧されていた。
 中には現職の国会議員や元首長など公職経験者が、事実確認もせず、無責任に真偽不明の情報を流布させる事例もあった。公職選挙法では虚偽情報を流せば処罰対象となる。
 本紙は知事選で4本のファクトチェック記事を掲載したが、選挙運動の正常化に一定の貢献はできたと自負する。
 だが、SNSの拡散力は強い。偽ニュースに対しては、取材力と信頼度のある新聞などの既存メディアが正面から取り組んでいかないといけない時代だ。本紙の使命と覚悟も重いと認識している。
(略)
(引用終わり)
 
沖縄タイムス 社説 2018年10月16日 07:36
[「新聞週間」に]偽情報検証 新たな責務
(抜粋引用開始)
 9月30日に実施された県知事選はのちのち、「フェイク(偽)ニュース」が飛び交った初めての選挙として記憶されるかもしれない。
 知事選は事実上の一騎打ち。辺野古新基地建設の是非を巡り、安倍政権が総力を挙げ、政府対県の構図が鮮明になった。熾(し)烈(れつ)な選挙戦になったこともあってフェイクニュースがネット上にあふれた。候補者の人格をおとしめるような誹謗(ひぼう)中傷も出回った。
 今や会員制交流サイト(SNS)によって誰もが情報を発信することができる時代である。フェイクニュースを意図的に流し、それがツイッターでリツイートされ、フェイスブックでシェアされる。瞬く間にネット空間に広がり、大量に拡散されていく。
 真偽不明な候補者のネガティブ情報も有権者を惑わす。
 これまでの知事選では見られなかった現象である。
 公正な選挙は民主主義の根幹をなすことを考えればフェイクニュースは社会の基盤をむしばむ重大な問題である。
(略)
 15日から「新聞週間」が始まった。本年度の代表標語は「真実と 人に寄り添う 記事がある」である。
 作者で東京都の友野美佐子さん(59)は「インターネットにはない、ファクトを追求し人間の心を伝える記事をこれからも読みたい」と真実を伝える新聞への期待を語る。
 知事選におけるフェイクニュースの横行は、沖縄タイムスにとってもほぼ初めての経験で専門家の意見を聞き、試行錯誤しながら検証した。ネット上からフェイクニュースの疑いのある68件を抽出。17件をピックアップし、ファクトチェック(事実確認)した3件を記事化した。
 米軍基地に関するフェイクニュースもネット上に多い。事実に基づいて一つ一つ反論し『誤解だらけの沖縄基地』としてまとめている。
 フェイクニュースをどういち早く打ち消していくか。新聞の新たな課題である。
(略)
(引用終わり)
 
 以上、沖縄タイムスと琉球新報の社説に加え、「ファクトチェックと報道機関」を考える上で、是非読んでいただきたい記事をご紹介しておきます。
 NHKオンラインの中に、NHK政治マガジンというコーナーがあります。
 中でも、「特集」と銘打たれた記事は読み応えのあるものが多いようです。
 
 「特集」記事一覧を眺めていて、11月6日に配信された「選挙戦をファクトチェック 記者たちの挑戦」という記事に注目しました。
 
NHK政治マガジン 特集 2018年11月6日
選挙戦をファクトチェック 記者たちの挑戦

 3人の共同取材による記事のようですが、その内、社会番組部ディレクターの内山拓さん(平成13年入局。沖縄局、報道局、福島局で番組制作に携わる)が書かれた、記事冒頭の以下の部分に注目しました。
 
(引用開始)
沖縄では普通にデマが飛び交っていたのだ。
宿に戻りながら「沖縄県知事選」と検索してみると、「デマっぽい」情報が驚くほどたくさん拡散されていた。
「フェイクニュースと対じするのはメディアの使命だ」。確かそんなことを、かっこいいフランス人記者が言ってたっけ。フランス大統領選のさなかでフェイクニュースを巡る複数の新聞社の戦いを追ったNHKのドキュメンタリーだったな…自分は一体何ができるだろう。
そう考えていた私(内山)は、ふだんは「クローズアップ現代プラス」などの報道番組を制作する部署にいる。沖縄知事選は、辺野古への新基地建設の是非を巡って全国的にも注目されており、知事選に関するフェイクニュースを調べ、信ぴょう性を判断して伝える「ファクトチェック」を、選挙期間中(公示日から投開票日まで)にやりたい、と提案した。
(引用終わり)
 
 この内山ディレクターの提案はどうなったのでしょう?もしも採用となっていれば、内山さんはこういう記事(沖縄タイムス密着取材)を書くこともなく、「クローズアップ現代プラス」(もしくは特別編成の報道番組?)で放送した自らのファクトチェック番組を事後的に検証する記事を書いていたことでしょう。そう、この記事のタイトルになっている「記者たちの挑戦」の「記者」というのは、沖縄タイムス(及び琉球新報)の「記者」のことなのです。
 
 結局、選挙期間中にファクトチェック番組を放送するという内山ディレクターの提案が採用されることはありませんでした。
 その理由は以下のとおりでした。
 
(引用開始)
有権者が正しい情報をもとに投票できるようにするには「選挙期間中にしなければ意味がない」と考えた。世界の報道機関が行っているファクトチェックでは“常識”だが、提案に対する周囲の反応はこうだった。
NHKで選挙期間中に「ファクトチェック」できるか?
懸念のひとつは、公平の原則だ。番組の編集では政治的に公平であること、多くの角度から論点を明らかにすることなどは放送法でも定めているが、多くの意見が対立する選挙期間中は、特にそれが必要になる。
できるだけ公平に、それぞれの候補者に関する記事や映像の分量などに偏りがないようにするのが、NHKが長年続けてきた選挙報道の基本だ。選挙期間中にファクトチェックをしたことで、特定の候補に関するデマや言説が多く取り上げられると結果的に不公平になるのではないか、という懸念が出された。
また「人手や働き方の課題」もあった。選挙期間中は多くの、というよりほとんどの記者が、各候補者への支持がどこまで広がっているのかなどの「情勢取材」に追われる。今回も県知事選の取材に記者たちがあたっているなかで、ファクトチェックをする人手がないという現実を突きつけられた。
(引用終わり)
 
 NHK沖縄放送局で仕事をしていた時期もある内山ディレクターは、地元新聞社の沖縄タイムス社が、選挙期間中にファクトチェックのチームを立ちあげたことを知り、「選挙期間中は難しいといわれたファクトチェックをどう実施するんだろう、舞台裏を取材させてもらいたいと那覇に飛び、沖縄タイムス社を訪れた。9月20日、投開票日まであと10日だった。」というところからこの記事の本論は始まります。
 是非、リンク先のNHK政治マガジンに掲載された記事で全文をお読みいただきたいのですが、そのさわりの部分を引用しておきます。
 
(引用開始)
ファクトチェックプロジェクトを率いる、総合メディア企画局の與那覇里子記者と面会。沖縄タイムス社のファクトチェックの態勢や基準、課題など、こちらが次々に投げる質問に、忙しいにもかかわらず丁寧に答えていただいた。
與那覇さんは、選挙戦が本格化し始めた9月初旬から、ネット上で真偽不明の情報が急激に増えて拡散されている状況に、危機感を募らせてきた。「誤った情報が投票行動に結びつけば、民主主義の根幹を揺るがしかねない」と今回のプロジェクトを発案したという。
特に印象に残ったことばがある。
「どう恣意(しい)性を排除できるか」
「タイムスは“ある種の論調のある新聞社”と、ネットなどではみなされています。それだけにファクトチェック自体が、我々の論調を補強するためのものだと思われてしまったら意味がありません。真偽不明の言説を、どちらかの陣営にくみするのではなくフェアに取り上げている。そう感じていただくためにどう公平性を担保し、どう恣意性を排除できるのか、そこが悩ましい」(與那覇里子記者)
與那覇さんたちのチャレンジを記録して、過程で見える苦悩を伝えることで、社会全体でフェイクニュースとどう立ち向かえばいいかを問いかけられるのではないか。その取り組みは、これからNHKが選挙期間中にファクトチェックをすることになったときに、大いに参考になるのではないか。
人の褌(ふんどし)で相撲をとるような忸怩(じくじ)たる思いもあったが、沖縄タイムス社の取り組みを密着取材させていただきたいという思いを伝えて、後日、了承をいただいた。
しかし逆の立場だったら、私たちは取材に応じていただろうか。沖縄タイムス社の「度量」と、フェイクニュースに立ち向かうにはメディア間の連携が必要だという意識の高さに、頭の下がる思いがした。
(引用終わり)
 
 いかがでしょうか。この後に続く「沖縄タイムス・ファクトチェックチーム密着取材」の中身も大変興味深いものですが、NHKの報道の最前線にいるディレクターが、ここまで率直な記事を書いて発表していることを知って驚きました。
 正直言って、私が視聴するNHKの番組といえば、一にETV特集、二にNHKスペシャル、三、四がなくて五にハートネットTVといったところであり、7時のニュースも9時のニュースもとんと視たことはなく、ドラマや音楽番組に至っては、どんな番組を放映しているのかも知りません(受信料はずっと払っているのですがね)。
 森友問題を追及して事実上NHKを追われた現大阪日日新聞の相沢冬樹記者のことなどを聞くにつけても、NHKの報道姿勢には何の期待も持てないと考える方も多いことと思いますが、現場で頑張っている人もたくさんいるのを知るのは嬉しいですね。
 内山さんの取材の成果がNHKで放映されることを期待し、さらに選挙運動期間中に、しっかりしたファクトチェック番組をNHKが放映できる日が来ることを願いたいと思います。
 
(参考サイト)
 今日ご紹介したのは、新聞社や放送局による「ファクトチェック」への挑戦ですが、これを普段から市民レベルで頑張っているグループもあると聞いています。
 そのようなアカウント(Twitter)の一つをご紹介します(私も知人から教えてもらったのですが)。私のブログなど読みそうもない人たちに適切な情報を届けるためには、こういうアカウントを次々と立ち上げて、役割分担していくのが効果的なのだろうと思いますが、「デマを正す」のは手間が大変でしょうね。
 結局、「デマを正す」こともしっかりやりながら、積極的に訴えたいことを「届きやすい言葉」に変換して発信するスキルが求められているということでしょうか。
 
「いつも野党攻撃や人種差別のデマを信じ込んでは、周囲にそれを広めようとする困った兄を持っています。私に呟かせたい文面があったら、#ネトウヨ兄のデマを正す妹bot のハッシュタグで呟いてね☆ #ネトウヨ兄のデマを正す妹ゲーム も出来たよ。遊んでみてね。」

日本弁護士連合会「出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律案に対する意見書」(2018年11月13日)を読む

 2018年11月13日配信(予定)のメルマガ金原No.3330を転載します。
 
日本弁護士連合会「出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律案に対する意見書」(2018年11月13日)を読む
 
 今臨時国会に上程されている問題法案の一つが「出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律案」であることは、報道等で意識はしているものの、何しろ肝心の法律案を読んでいなかったり、現行の「出入国管理及び難民認定法」自体がどのような構造の法体系をなしているのかについての知識が十分でなかったりということが重なり、とても自ら何らかの発言ができる段階ではないという自覚だけはありました。
 
 今日(11月13日)たまたま、日本弁護士連合会が「出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律案に対する意見書」を公表しましたので、これを全文紹介することにしたのは、ひとえに私自身の勉強のためであり、意見書で言及されている文献をネット検索してリンクしたのも、その参考資料として参照しなければということからです。
 
 この日弁連の意見書自体、従来からこの分野について深く考えてきた人たちから見て、どのような評価になるのかよく分かりません。「改正法案は,外国人労働者の受入れが目的であることを正面から認め,制度構築を行っているものであり,その方向性は正しいと考える。」という前提も、私などは「そうなのかな?」と、どっちつかずの中途半端な状態でふらついています。
 
 以下、まず日弁連意見書全文(関連資料へのリンク付)をご紹介した上で、次に、法案自体を理解するために、「(法律案提出の)理由」と「法律案要綱」を全文引用し、「法律案」と「新旧対照条文」にリンクしておきます。
 そして、最後に、ネットで目に付いた論評や意見にリンクします。
 
 以上は、既に書いたように、私の勉強用のメモですが(全文引用する場合、必ず通読しますので)、皆さまのお役にも立つことがあればまことに幸いです。
 
日本弁護士連合会 2018年(平成30年)11月13日
出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律案に対する意見書
(引用開始)
 政府は,本年6月15日,「経済財政運営と改革の基本方針2018」(以下「骨太の方針」という。)を閣議決定し,深刻な人手不足を背景に,「真に必要な分野に着目し,・・・外国人材の受入れを拡大するため,新たな在留資格を創設する」ほか,「外国人が円滑に共生できるような社会の実現に向けて取り組む」こととした。これを受けて,11月2日,新たな在留資格として「特定技能1号」と「特定技能2号」を創設すること,新たに「出入国在留管理庁」を創設すること等を内容とする出入国管理及び難民認定法及び法務省設置法の一部を改正する法律案(以下「改正法案」という。)が閣議決定され,第197回国会に上程された。
 改正法案は,外国人労働者の受入れが目的であることを正面から認め,制度構築を行っているものであり,その方向性は正しいと考える。しかし,改正法案については以下の問題点があるので,当連合会は,次のとおり意見を述べる。
 
第1 技能実習制度との関係
 技能実習制度は,名目上は日本の技術を国際的に移転させる国際貢献のための制度であるとされているものの,実態は非熟練労働者の受入れのための制度となっており,技能実習という目的のために,原則として職場移転の自由が認められず,不当な処遇や権利侵害を受けた労働者であっても帰国を避けるためにはこれを受忍するほかないという構造的問題を抱えている。このような技能実習制度は直ちに廃止した上で,非熟練労働者の受入れを前提とした在留資格を創設し,外国人を受け入れることについて,その是非,その範囲などを,外国人の人権にも配慮した上で,国会などの場で十分に検討するべきである。改正法案は,非熟練労働者を含む外国人労働者の新たな受入れ制度を創設するものであり,なおさら技能実習制度は直ちに廃止されるべきである(その際,既に現実に在留している
技能実習生が不利益を被らないような措置を採るべきである。)。いわんや新たな在留資格の対象職種に合わせて,技能実習制度の対象職種を拡大するような運用はすべきでない。
 
第2 職場移転の自由の保障
 前述のとおり技能実習制度では,原則として職場移転の自由が認められていない。
 この点,改正法案では,入国・在留を認めた分野の中での転職を認めることとされており,一定の評価に値する。ただし,職場移転の自由を実質的に確保し,保障するためには,ハローワーク等が特定技能所属機関(以下「受入れ機関」という。)としての条件を満たす同一分野の事業者のリストを公開し,転職相談を受けるなど,公的機関による転職支援を行うことが重要である。このことは,国内における悪質な紹介業者を排除するためにも必要である。
 
第3 送出し国におけるブローカーの排除
 技能実習制度では,技能実習生がブローカーに多額の渡航前費用や保証金,違約金等を支払わされることなどが横行していた。外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律(以下「技能実習法」という。)により一定の対応がなされたが,いまだ後を絶たない。このような問題を起こさないためにも,外国人労働者の募集と送出しを日本の出先機関(例えば,新たな独立行政法人等)又は送出し国の公的機関に担わせるべきである。公的機関による斡旋が困難な場合には,日本と送出し国の二国間協定により,高額の手数料や保証金を取ったり違約金を定めたりする民間仲介業者を排除するよう合意するべきであり,排除が不十分であるときは当該国からの受入れの停止も可能とすることを検討すべきである。
 
第4 受け入れた外国人に対する適切な支援 
 新たな在留資格制度は,受入れ企業から費用を受領する登録支援機関が,外国人材の適切な支援を行うこととしているが,同機関は登録制であり,一定の欠格事由や一定の体制の不備等の登録拒否事由がない限り登録が可能となっている。
 ところで,技能実習制度においては,「技能実習生の保護について重要な役割を果たすもの」(技能実習法5条2項)とされている監理団体が実習実施機関を監督・指導することとなっている。しかし,監理団体は,実習実施機関から費用を受領して運営されているという構造的な問題もあって適切な監督・指導等を行えず,むしろ監理団体が技能実習生に対する人権侵害を放置する例もあった。この点も技能実習法により一定の対応がなされたが,いまだ後を絶たない。新たな在留資格制度における登録支援機関についても,同様な問題が生じないよう,その担い手は公的機関や適切な人的物的資源を持つNGO等となるような制度として,その厳格な運用を行うべきである。
 支援の内容についても,「一号特定技能外国人支援計画」(改正法案2条の5第6項)において,日本語教育や社会生活上の教育などについて基準を設けるべきである。
 支援の内容は,「職業生活上の支援」を含むものとされるが,職場における処遇に関する相談や紛争処理を,受入れ機関が自ら行うことや,受入れ機関から費用を受領して受託する登録支援機関が行うことは不適切であり,これらの支援は,多言語による法律相談を,国,自治体等から委託を受けるなどして,弁護士会・弁護士が行ったり,労働基準監督署などが行ったりすることが必要である。
 このように,あらゆる支援を受入れ機関や登録支援機関に委ね丸投げするのではなく,国や自治体,NGO,弁護士会,法テラス等が連携して,支援の内容に応じて適切な仕組みを構築するべきである。
 
第5 家族の帯同
 自由権規約23条,児童の権利条約9条は家族が共に暮らす権利を保障している。また,ILO条約143号(未批准)13条は,移民労働者の家族の同居の促進を定めている。さらに,ヨーロッパでは,欧州人権条約8条は家族生活の尊重を規定している。アメリカの非熟練労働者受入れ制度(H-2A・H-2Bビザ)は家族の帯同を認めている。これに対して,政府は,技能実習修了者が特定技能1号で就労する場合,最長で10年という長期にわたり日本に滞在・就労することになるにもかかわらず,家族の帯同を認めないとしている。このような長期間の家族帯同禁止は,上記の国際条約の趣旨に沿わないものである。家族の帯同を認めないという方針は,家族と共に暮らすという人間の自然な在り方に反するものであり,看過できない。
 よって,特定技能 1号の場合でも,少なくとも一定期間以上滞在した者などについては,家族の帯同を認めるべきである。
 
第6 在留基準の透明性・客観性
 改正法案では,受入れの基準は,法務大臣がその案を作成して閣議決定した「基本方針」と,法務大臣が,所管する関係行政機関の長,国家公安委員会その他の大臣と共同して制定した「分野別運用方針」によって定められることとなっているが,特定技能1号の「相当程度の知識又は経験を必要とする技能を要する業務」,特定技能2号の「熟練した技能を要する業務」の認定などの具体的基準は示されていない。
 このような状況では,行政庁による恣意的な運用がなされるおそれがあるので,客観性・透明性のある基準を設けるべきである。
 
第7 雇用形態
 改正法案に先立って政府が発表した政府基本方針(骨子案)は,雇用形態に関して,原則として直接雇用であることとしながら,分野の特性に応じて派遣形態も可能としている。しかし,派遣労働は低賃金・不安定雇用を固定化するものであり,専門職以外にはこれを認めるべきではない(当連合会の2010年(平成22年)2月19日付け「労働者派遣法の今国会での抜本的改正を求める意見書」など)。専門職とはいえない,特定技能の在留資格の労働者についても,派遣形態は認めるべきではない。
 
第8 共生のための施策の位置付け
 外国人労働者を正面から受け入れることとなる今こそ,外国にルーツを持つ人々の権利を守り,差別を解消して社会での共生を実現する共生政策は国の責務である。骨太の方針においても,「法務省が総合調整機能を持って・・・関係省庁,地方自治体等との連携を強化する。・・・外国人の受入れ環境の整備を通じ,・・・外国人が円滑に共生できるような社会の実現に向けて取り組んでいく」としていた。しかし,改正法案においては,外国にルーツを持つ人々と共生できる社会の実現という点は触れられていない。法律において共生政策の実施を国の責務として明確に位置付け,財政的な手当てをすることが必要である。
 このような国や自治体の体制を整備するためには,共生政策のための基本法(仮称「多文化共生法」)を制定することが喫緊の課題となる。
 また,新たに設置する庁の任務として共生政策の実施,総合調整機能を明記するべきである。
 
第9 国際人権基準に適合した出入国在留管理行政の実現
 骨太の方針を受けて本年7月24日に外国人の受入れ・共生に関する関係閣僚会議に提示された「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策(検討の方向性)」では,「不法滞在者等への対策強化」などの新たな在留管理体制の構築が検討されている。これに対して,出入国に関係する退去強制手続について,人権上の要請に基づく改正は予定されていない。しかし,出入国管理における身体拘束制度は,収容の必要性や相当性に関する要件や期限を設けないものとなっており,国際的な基準に適合しているとは言えない(当連合会の2014年(平成26年)9月18日付け「出入国管理における身体拘束制度の改善のための意見書」)。現に,東日本入国管理センターでは,1年以上の被収容者が7割以上を占め,3年以上収容されている者も10名以上いる(2018年7月31日現在)。また,在留特別許可の基準も,国際人権法上の要請を満たすことを明示していない(当連合会の2010年(平成22年)11月17日付け「在留特別許可のあり方への提言」)。
 本改正案によって新たな在留資格で外国人を受け入れるに当たっては,国際人権基準に適合した出入国管理行政を実現すべきである。
                                                                                以上
(引用終わり)
 
※参考資料の紹介
前文
第1 技能実習制度との関係
第2 職場移転の自由の保障
第3 送出し国におけるブローカーの排除
第4 受け入れた外国人に対する適切な支援 
第5 家族の帯同
第7 雇用形態
第9 国際人権基準に適合した出入国在留管理行政の実現
 
 以下には、政府が提出した法律案についての資料をご紹介します。法務省ホームページから閲覧できます。
 
(引用開始)
 人材を確保することが困難な状況にある産業上の分野に属する技能を有する外国人の受入れを図るため、当該技能を有する外国人に係る新たな在留資格に係る制度を設け、その運用に関する基本方針及び分野別運用方針の策定、当該外国人が本邦の公私の機関と締結する雇用に関する契約並びに当該機関が当該外国人に対して行う支援等に関する規定を整備するほか、外国人の出入国及び在留の公正な管理に関する施策を総合的に推進するため、法務省の外局として出入国在留管理庁を新設する必要がある。これが、この法律案を提出する理由である。
(引用終わり)
 
(引用開始)
第一 出入国管理及び難民認定法の一部改正
一 目的に関する規定の整備
 法の目的に、本邦に在留する全ての外国人の在留の公正な管理を図ることを追加すること。(第一条関係)
二 出入国在留管理庁長官の権限に関する規定の整備
 出入国在留管理庁の設置に伴い、主任審査官の指定等は、出入国在留管理庁長官が行うこととする等所要の規定の整備を行うこと。(第二条、第九条、第九条の二、第十四条の二、第十七条、第十九条から第十九条の四、第十九条の六から第十九条の十三、第十九条の十五から第十九条の十七、第十九条の三十六から第二十条、第二十二条、第二十二条の四、第二十三条、第二十六条、第四十一条、第五十条、第五十二条、第五十五条、第五十九条の二、第六十一条の二の二、第六十一条の二の七、第六十一条の二の十二、第六十一条の二の十三、第六十一条の八から第六十一条の九関係)
三 特定技能の在留資格に係る制度の運用に関する基本方針等に関する規定の整備
1 政府は、特定技能の在留資格に係る制度の適正な運用を図るため、特定技能の在留資格に係る制度の運用に関する基本方針(以下「基本方針」という。)を定めなければならないものとすること。(第二条の三関係)
2 法務大臣は、基本方針にのっとり、人材を確保することが困難な状況にあるため外国人により不足する人材の確保を図るべき産業上の分野を所管する関係行政機関の長並びに国家公安委員会、外務大臣及び厚生労働大臣と共同して、当該産業上の分野における特定技能の在留資格に係る制度の適正な運用を図るため、当該産業上の分野における特定技能の在留資格に係る制度の運用に関する方針(以下「分野別運用方針」という。)を定めなければならないものとすること。(第二条の四関係)
四 特定技能雇用契約等に関する規定の整備
1 別表第一の二の表の特定技能の項の下欄第一号又は第二号に掲げる活動を行おうとする外国人が本邦の公私の機関と締結する雇用に関する契約(以下「特定技能雇用契約」という。)は、次に掲げる事項が適切に定められているものとして法務省令で定める基準に適合するものでなければならないものとすること。(第二条の五第一項、第二項関係)
⑴ 特定技能雇用契約に基づいて当該外国人が行う当該活動の内容及びこれに対する報酬その他の雇用関係に関する事項
⑵ ⑴に掲げるもののほか、特定技能雇用契約の期間が満了した外国人の出国を確保するための措置その他当該外国人の適正な在留に資するために必要な事項
2 特定技能雇用契約の相手方となる本邦の公私の機関は、次に掲げる事項が確保されるものとして法務省令で定める基準に適合するものでなければならないものとすること。(第二条の五第三項、第四項関係)
⑴ 所要の基準に適合する特定技能雇用契約(以下「適合特定技能雇用契約」という。)の適正な履行
⑵ この法律の規定に適合する一号特定技能外国人支援計画(以下「適合一号特定技能外国人支援計画」という。)の適正な実施
3 特定技能雇用契約の相手方である本邦の公私の機関(以下「特定技能所属機関」という。)が契約により九の登録支援機関に適合一号特定技能外国人支援計画の全部の実施を委託する場合には、当該特定技能所属機関は、2(⑵に係る部分に限る。)に適合するものとみなすこと。(第二条の五第五項関係)
4 別表第一の二の表の特定技能の項の下欄第一号に掲げる活動を行おうとする外国人と特定技能雇用契約を締結しようとする本邦の公私の機関は、法務省令で定めるところにより、当該機関が当該外国人に対して行う、同号に掲げる活動を行おうとする外国人が当該活動を安定的かつ円滑に行うことができるようにするための職業生活上、日常生活上又は社会生活上の支援(以下「一号特定技能外国人支援」という。)の実施に関する計画(以下「一号特定技能外国人支援計画」という。)を作成しなければならないものとすること。(第二条の五第六項、第七項関係)
5 一号特定技能外国人支援計画は、法務省令で定める基準に適合するものでなければならないものとすること。(第二条の五第八項関係)
6 法務大臣は、1、2、4及び5の法務省令を定めようとするときは、あらかじめ、関係行政機関の長と協議するものとすること。(第二条の五第九項関係)
五 上陸の手続に関する規定の整備
1 入国審査官は、別表第一の二の表の特定技能の項の下欄第一号に掲げる活動を行おうとする外国人から上陸の申請があったときは、当該外国人については、一号特定技能外国人支援計画がこの法律の規定に適合するものであることも審査しなければならないものとすること。(第七条第一項第二号関係)
2 別表第一の二の表の特定技能の項の下欄第一号又は第二号に掲げる活動を行おうとする外国人は、第七条第一項第二号に掲げる条件に適合していることの立証については、在留資格認定証明書をもってしなければならないものとすること。(第七条第二項関係)
3 特定産業分野(別表第一の二の表の特定技能の項の下欄第一号に規定する特定産業分野をいう。以下同じ。)を所管する関係行政機関の長は、当該特定産業分野に係る分野別運用方針に基づき、当該特定産業分野において必要とされる人材が確保されたと認めるときは、法務大臣に対し、一時的に在留資格認定証明書の交付の停止の措置をとることを求めるものとし、法務大臣は、この求めがあったときは、分野別運用方針に基づき、一時的に在留資格認定証明書の交付の停止の措置をとるものとすること。(第七条の二第三項、第四項関係)
4 法務大臣は、3の措置がとられた後、在留資格認定証明書の交付の再開の措置をとることができるものとすること。(第七条の二第五項関係)
六 届出に関する規定の整備
1 中長期在留者であって、特定技能の在留資格をもって本邦に在留する者は、契約の相手方である本邦の公私の機関の名称若しくは所在地の変更若しくはその消滅又は当該機関との契約の終了若しくは新たな契約の締結が生じたときは、当該事由が生じた日から十四日以内に、法務省令で定める手続により、出入国在留管理庁長官に対し、その旨及び法務省令で定める事項を届け出なければならないものとすること。(第十九条の十六第二号関係)
2 特定技能所属機関は、次の⑴から⑷までのいずれかに該当するときは、法務省令で定めるところにより、出入国在留管理庁長官に対し、その旨及び法務省令で定める事項を届け出なければならないものとすること。(第十九条の十八第一項関係)
⑴ 特定技能雇用契約の変更(法務省令で定める軽微な変更を除く。)をしたとき、若しくは特定技能雇用契約が終了したとき、又は新たな特定技能雇用契約の締結をしたとき。
⑵ 一号特定技能外国人支援計画の変更(法務省令で定める軽微な変更を除く。)をしたとき。
⑶ 四の3の契約の締結若しくは変更(法務省令で定める軽微な変更を除く。)をしたとき、又は当該契約が終了したとき。
⑷ ⑴から⑶までに掲げるもののほか、法務省令で定める場合に該当するとき。
3 特定技能所属機関は、2の届出をする場合を除くほか、法務省令で定めるところにより、出入国在留管理庁長官に対し、次に掲げる事項を届け出なければならないものとすること。(第十九条の十八第二項関係)
⑴ 受け入れている特定技能外国人(特定技能の在留資格をもって本邦に在留する外国人をいう。以下同じ。)の氏名及びその活動の内容その他の法務省令で定める事項
⑵ 適合一号特定技能外国人支援計画を作成した場合には、その実施の状況(契約により九の登録支援機関に適合一号特定技能外国人支援計画の全部の実施を委託したときを除く。)
⑶ ⑴及び⑵に掲げるもののほか、特定技能外国人の在留管理に必要なものとして法務省令で定める事項
七 特定技能所属機関に対する指導及び助言等に関する規定の整備
1 特定技能所属機関に対する指導及び助言
 出入国在留管理庁長官は、次に掲げる事項を確保するために必要があると認めるときは、特定技能所属機関に対し、必要な指導及び助言を行うことができるものとすること。(第十九条の十九関係)
⑴ 特定技能雇用契約が所要の基準に適合すること。
⑵ 適合特定技能雇用契約の適正な履行
⑶ 一号特定技能外国人支援計画がこの法律の規定に適合すること。
⑷ 適合一号特定技能外国人支援計画の適正な実施
⑸ 特定技能所属機関による特定技能外国人の受入れが出入国又は労働に関する法令に適合すること。
2 報告徴収等
 出入国在留管理庁長官は、1に掲げる事項を確保するために必要な限度において、特定技能所属機関若しくはその役職員に対し、報告若しくは帳簿書類の提出若しくは提示を命じ、若しくは出頭を求め、又は入国審査官若しくは入国警備官に質問若しくは立入検査をさせることができるものとすること。(第十九条の二十第一項関係)
3 改善命令等
 出入国在留管理庁長官は、1に掲げる事項が確保されていないと認めるときは、特定技能所属機関に対し、期限を定めて、その改善に必要な措置をとるべきことを命ずることができるものとすること。(第十九条の二十一第一項関係)
八 特定技能所属機関による一号特定技能外国人支援等に関する規定の整備
 特定技能所属機関は、適合一号特定技能外国人支援計画に基づき、一号特定技能外国人支援を行わなければならないものとすること。(第十九条の二十二第一項関係)
九 登録支援機関に関する規定の整備
1 登録支援機関の登録
 契約により委託を受けて適合一号特定技能外国人支援計画の全部の実施の業務(以下「支援業務」という。)を行う者は、出入国在留管理庁長官の登録を受けることができるものとすること。(第十九条の二十三第一項関係)
2 登録の実施
 出入国在留管理庁長官は、登録の申請があったときは、登録を拒否する場合を除き、登録支援機関登録簿に登録しなければならないものとすること。(第十九条の二十五第一項関係)
3 登録の拒否
 出入国在留管理庁長官は、登録を受けようとする者が登録拒否事由に該当するときなど一定の事由に該当するときは、その登録を拒否しなければならないものとすること。(第十九条の二十六第一項関係)
4 支援業務の実施等
⑴ 1の登録を受けた者(以下「登録支援機関」という。)は、委託に係る適合一号特定技能外国人支援計画に基づき、支援業務を行わなければならないものとすること。(第十九条の三十第一項関係)
⑵ 登録支援機関は、法務省令で定めるところにより、支援業務の実施状況その他法務省令で定める
事項を出入国在留管理庁長官に届け出なければならないものとすること。(第十九条の三十第二項関係)
5 登録の取消し
 出入国在留管理庁長官は、登録支援機関が登録取消事由に該当するときは、その登録を取り消すことができるものとすること。(第十九条の三十二第一項関係)
6 その他
 登録の申請、変更の届出、支援業務の休廃止の届出、登録支援機関に対する指導及び助言、登録の抹消、報告又は資料の提出等について所要の規定を設けること。(第十九条の二十四、第十九条の二十七から第十九条の二十九、第十九条の三十一、第十九条の三十三、第十九条の三十四関係)
十 在留資格の変更に関する規定の整備
 特定技能の在留資格を有する者については、在留資格の変更に、法務大臣が指定する本邦の公私の機関又は特定産業分野の変更を含むものとすること。(第二十条第一項関係)
十一 関係行政機関との関係に関する規定の整備
 出入国在留管理庁長官又は入国者収容所長等は、出入国及び在留の管理並びに難民の認定に関する事務の遂行に当たり、当該事務の遂行が他の行政機関の事務に関連する場合には、関係行政機関と情報交換を行うことにより緊密に連絡し、及び協力して行うものとすること。(第六十一条の七の七関係)
十二 罰則等の整備
 この法律の規定に違反した者について、所要の罰則規定等を設けること。(第七十一条の三、第七十一条の四、第七十六条の二、第七十七条の二関係)
十三 別表第一の整備
1 特定技能の項を加え、特定技能の在留資格をもって在留する外国人が本邦において行うことができる活動として次に掲げる活動を定めること。(別表第一の二の表の特定技能の項関係)
「一 法務大臣が指定する本邦の公私の機関との雇用に関する契約に基づいて行う特定産業分野(人材を確保することが困難な状況にあるため外国人により不足する人材の確保を図るべき産業上の分野として法務省令で定めるものをいう。)であって法務大臣が指定するものに属する法務省令で定める相当程度の知識又は経験を必要とする技能を要する業務に従事する活動
二 法務大臣が指定する本邦の公私の機関との雇用に関する契約に基づいて行う特定産業分野であって法務大臣が指定するものに属する法務省令で定める熟練した技能を要する業務に従事する活動」
2 家族滞在の在留資格をもって在留する外国人が本邦において行うことができる活動として、別表第一の二の表の特定技能の項の下欄第二号の在留資格をもって在留する者の扶養を受ける配偶者又は子として行う日常的な活動を追加すること。(別表第一の四の表の家族滞在の項の下欄関係)
十四 その他所要の改正を行うこと。
 
第二 法務省設置法の一部改正
一 法務省の任務のうち出入国の公正な管理に係る部分を「出入国及び外国人の在留の公正な管理」に改めることとすること。(第三条関係)
二 法務省の外局として出入国在留管理庁を置き、同庁の長を出入国在留管理庁長官とすること。(第二十六条、第二十七条関係)
三 出入国在留管理庁の任務を次のとおり定めること。(第二十八条関係)
1 出入国及び外国人の在留の公正な管理を図ること。
2 1のほか、1の任務に関連する特定の内閣の重要政策に関する内閣の事務を助けること。
3 2の任務を遂行するに当たり、内閣官房を助けるものとすること。
四 出入国在留管理庁の所掌事務を定めること。(第二十九条関係)
五 法務省に施設等機関として置かれている入国者収容所を出入国在留管理庁の施設等機関として置くこととすること。(第八条、第十三条、第三十条関係)
六 法務省に地方支分部局として置かれている地方入国管理局を地方出入国在留管理局とし、出入国在留管理庁の地方支分部局として置くこととすること。(第十五条、第二十一条から第二十三条、第三十一条から第三十三条関係)
七 その他所要の改正を行うこと。
 
第三 附則
一 この法律の施行期日、経過措置等について定めること。(附則第一条から第五条関係)二 関係法律について所要の改正を行うこと。(附則第六条から第十六条関係)
三 政府は、この法律の施行後三年を経過した場合において、特定技能の在留資格に係る制度の在り方について、関係地方公共団体、関係事業者、地域住民その他の関係者の意見を踏まえて検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとすること。(附則第十七条関係)
(引用終わり)
 
 
 
 最後に、同法案についての論説記事や意見の中で目に付いたものをご紹介しておきます。
 
HUFFPOST 2018年11月06日 10時01分 JST 更新 2018年11月06日 10時12分
不安だらけの「入管法改正案」と新在留資格の創設
橋本直子(ロンドン大学高等研究院難民法イニシアチブ リサーチ・アフィリエイト)
 
 

飯島滋明さんの講演「自民党改憲案にどう向かい合うか~私たちの具体的な対抗策は~」レジュメ紹介~第15回 守ろう9条紀の川市民の会 憲法フェスタにて

 2018年11月12日配信(予定)のメルマガ金原No.3329を転載します。
 
飯島滋明さんの講演「自民党改憲案にどう向かい合うか~私たちの具体的な対抗策は~」レジュメ紹介~第15回 守ろう9条紀の川市民の会 憲法フェスタにて 
 
 昨日(11月11日)、和歌山市河北コミュニティセンターを会場として、紀の川北岸に居住する和歌山市民によって結成された「守ろう9条 紀の川市 民の会」による、回を重ねて15回目の憲法フェスタが開催されました。
 2005年1月に結成総会を開いた同会は、毎年欠かすことなく、総会(概ね春)と憲法フェスタ(概ね秋)を開催してきました。憲法フェスタについては、創立当初、年に2回開催した年があったため、今回が第15回となっています。
  私も、結成時から運営委員に名前を連ね、当初は名前だけであったことを反省(?)し、やがって実質的な運営に関わるようになって現在に至っています。
 地域9条の会としては、休止状態に陥ることなく、継続して活動してきたこと自体が重要な成果だと思いますが、同会の著しい特色として、このような地方の小さな9条の会としては、大胆にも、多くの憲法研究者の皆さんを記念講演の講師としてお招きしてきました。
 2012年の第9回憲法フェスタの吉田栄司先生(関西大学教授)から、今年の飯島滋明先生(名古屋学院大学教授)まで、全部で9人の憲法研究者の皆さんにご講演いただいてきました。その皆さんというのは、以下の方々です。
 
吉田栄司関西大学教授(2012年憲法フェスタ)
森英樹名古屋大学名誉教授(2014年総会)
清水雅彦日本体育大学教授(2014年憲法フェスタ)
高作正博関西大学教授(2015年憲法フェスタ)
石埼 学龍谷大学教授(2016年総会)
植松健一立命館大学教授(2017年総会)
本 秀紀名古屋大学大学院教授(2017年憲法フェスタ)
三宅裕一郎三重短期大学教授(2018年総会) ※現・日本福祉大学教授
飯島滋明名古屋学院大学教授(2018年憲法フェスタ)
 
飯島滋明氏① 昨日の憲法フェスタにおける飯島先生のご講演の演題「自民党改憲案にどう向かい合うか~私たちの具体的な対抗策は~」は、主催者からの要望を飯島先生がそのまま受け入れてくださったものです。
 飯島先生からは、テーマに沿った72枚のパワーポイントのスライドが事前に送られ、これを印刷したものが当日の参加者にレジュメとして配布されました。
 私の拙い要約で飯島先生のお話の内容をご紹介するよりは、このレジュメをまるごとお読みいただく方が適当であると思い、飯島先生に私のブログへの全文転載をお願いしたところ、ご快諾いただくことができました。
 飯島先生には、90分という限られた時間の中で、精一杯熱く語っていただけました。ただ、十分な質疑応答の時間を用意できなかったのは、主催者として申し訳なかったなと思います。
 
 以下に、第15回憲法フェスタを事前に告知した私のブログと、昨日のフェスタ終了後、Facebookに6回に分けて投稿した写真レポートを私の第2ブログ(あしたの朝 目がさめたら 弁護士・金原徹雄のブログ2)にまとめたものをご紹介しておきます。
 
2018年8月23日
 
2018年11月12日
 
 最後に、長年「守ろう9条 紀の川市 民の会」運営委員として、同会の発展に尽力してこられた網本和代さんが今年の9月末に逝去されたことは、私たちにとって非常に大きな痛手でした。
 特に、憲法フェスタにおける地域住民の皆さんが手作りの作品を持ち寄って交流する「展示の部屋」の実質的なプロデューサーとしての網本さんの功績は多大であり、果たして今年の憲法フェスタで「展示の部屋」を続けられるのか?と私などは大変心配しましたが、多くの会員の皆さんのご尽力により、立派な作品が多数寄せられ、「展示の部屋」が賑わっていたことをご報告したいと思います。
 そして、午後の部の冒頭、原通範代表から、「今年の憲法フェスタを網本和代さんに捧げたい」という発言が主催者挨拶の中で行われたことに、多くの役員、会員が満腔の賛意をいだいたものと確信します。
 
 なお、本ブログに掲載した飯島滋明先生の写真2枚は南本勲さんの撮影によるものをご提供いただきました。また、会場内全景の写真は金原撮影によるものです。
 

(飯島滋明先生レジュメから引用開始)
 
スライド1
自民党改憲案にどう向かい合うか~私たちの具体的な対抗策は~
 2018年11月11日
飯島 茂明(名古屋学院大学 憲法学・平和学)
 
スライド2
【1】はじめに~自民党「憲法改正」の本質~
・憲法改正誓いの儀式
・「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義、この3つをなくさなければ、本当の自主憲法にならない」(元法務大臣長勢甚遠氏の発言)
・「日本で一番大切なのは皇室」(城内実氏発言)
・「国防軍を創設する」(稲田朋美氏)
・安倍首相、下村博文氏、新藤義孝氏も参加
※金原注 2012年5月10日、創生「日本」という議員連盟(当時の会長は安倍晋三氏ですが、まだ自民党総裁に返り咲いていません)の第3回東京研修会における出席議員の発言です。もともと、主催団体が公開した3分割の全編動画があり、その3本目に収録されていたものですが、そのうち「これは凄い(ヒドイ)」という聴き所(?)を抜粋した動画を編集してYouTubeにアップした人があり、一気に知られるようになりました。
以下に、公式動画と非公式動画を並べてご紹介します。
創生「日本」第3回東京研修会③(53分~)

9分~ 稲田朋美氏
17分~ 長勢甚遠氏
19分~ 城内実氏
国民の権利没収改憲ムービー 自民党議員連盟 創生「日本」 憲法改正集会 【 自民の本音 】(2分32秒)

 なお、この会合の13日前(2012年4月27日)に、当時野党であった自由民主党が「日本国憲法改正草案」を発表したということが各議員の発言の背景となっています。
 
スライド3
・「婚姻・家族における両性平等の規定は、家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべきである」(2004年6月10日自民党憲法調査会の憲法改正プロジェクトチームの「論点整理(案)」)。
どう思います?
 
スライド4
国民投票の問題点
・憲法改正には国民投票が必要(憲法96条)
・こんな憲法改正案は国民投票で否決すればとの考えもあるかもしれない。
⇒しかしそう簡単ではない。
「国民投票」は権力者の地位や政策を強化する手段として悪用される危険性(プレビシット)
※金原注 「プレビシット」=国民投票のこと。また特に、通常の国民投票に対して、為政者による統治の正統性や領土の帰属などを問う場合に行われるものをいう。(デジタル大辞泉)
 
スライド5
・フランスではナポレオン1世、3世、ドイツではヒトラーが国民投票を悪用して自己の地位や政策を強化。
・「独裁者ほど国民投票を好む」
・ヒトラーの国民投票悪用への反省として、現在、ドイツでは一切「国民投票」は行われていない。
 
スライド6
フランスでも「国民投票」に警戒的
・二人のナポレオン、ヒトラーとフランコ、1978年のチリでのアウグスト・ピノチェト、2002年のサダム・フセインなどによる国民投票。
・Bernard Chantebout,Droit constitutionnel,26edition,Dalloz,2009,p.208.
 
スライド7 
しかも・・・・・
「投票」は必ずしも国民意志を正確に反映せず。
例 2017年10月の衆議院選挙
 自民党は284議席
 公明党は29議席
 自公で3分の2議席以上
 国民はそんなに自公政権を支持?
 「民意」を正確に反映しない「小選挙区制」のため、自民党は多くの議席を獲得。
 「投票制度」自体で主権者意志はいくらでもゆがめられる。
 
スライド8
改憲手続法(憲法改正国民投票法)の問題点の一例
「改憲手続法」も国民意志を正確に反映する「しくみ」になっていない。
①「金で買われた憲法改正」
②「デマで欺かれた憲法改正」の危険性
①に関して
「国民投票運動CM」は投票14日前まで可能(法105条)。
圧倒的な経済力を持つ団体などがテレビCMを買い占め、憲法改悪に関する意見を一方的に宣伝し、国民を洗脳する状況が生じる可能性。
 
スライド9
②に関して
国会が憲法改正を発議してから60~180日に国民投票(法2条)
期間が短いため、一時的な国民感情で投票が行われる危険性。
自民党・公明党のデマの影響を受けたままの状況での「国民投票」の危険性
2018年2月の名護市長選挙、6月の新潟知事選挙、9月の沖縄知事選挙での「デマ」
 
スライド10
【2】安倍自公政権の政治の本質「戦争できる国づくり」
「戦争できる国」になることで、例えば
自衛隊が海外で戦争⇒自衛隊員の死傷者⇒自衛隊への志願者の減少⇒徴兵制、とならないと言えるか。
野中 広務氏(元自民党幹事長)
加藤 紘一氏(元自民党幹事長)
小池 清彦氏(元防衛官僚)が主張。 
 
スライド11
①徴兵制
・現代のハイテク化した戦争では「徴兵制」は不要と安倍政権は主張。
しかし、ハイテク化しているので、子どもや女性でも可能。
「飯島さんでも3日あれば軍人として利用できる」との元自衛官の発言(2016年4月)。
80歳を超えた女性でも、車の運転ができれば「使い捨て」の兵士にすることが可能。
②徴用制
技術者や医療関係者はすでに戦場に派遣。
船員も予備自衛官に。
 
スライド12
「徴用」の可能性がないと言えるか。
「戦闘による死傷者が出て志願者が減った場合、やむをえず〔徴兵制が〕導入されるかもしれません。それよりも医師や看護師、運送業や建築業に携わる民間人を強制的に動員させる“徴用”の方が実現が高いと言えます」
『週刊女性』2013年1月15日号での私(飯島滋明教授)の発言。
 
スライド13
看護師
・朝鮮戦争時、看護婦が九州だけでも千名、全国で数千名が米軍キャンプの野戦病院で米軍看護師の指揮下、または韓国の戦場に。
・湾岸戦争(1990年~91年)の際、アメリカの要請で日本は50人の中東医療派遣団を派遣。
・2012年1月29日、長崎空港での実働訓練に医療関係者だけでなく、看護学生も参加。
 
スライド14
・周辺事態法(1999年)や有事三法(2003年)制定の際、自民党は看護師を強制的に戦場に行かせる法律を制定させようとした。
(前田哲男・飯島滋明『国会審議から防衛論を読み解く』〔三省堂、2003年〕295-297ページ)
「緊急事態条項」があれば、首相の「政令」でこうした措置が可能。
 
スライド15
「女性」も戦場に
『週刊女性』2017年5月30日号
今まで女性自衛官は戦闘部隊に配備されなかった。
砲撃で服がなくなる⇒裸にされる
戦闘相手に身体拘束されたら大変な目に。
しかし、2017年4月18日、稲田防衛大臣は普通科中隊や戦車中隊の実践部隊に女性自衛官を配備することを決定。
「安倍自公政権の『女性活躍』の実態は、女性も戦場に送ることといえます」(『週刊女性』2017年5月30日号での私のコメント)。
※金原注 飯島教授のコメントが掲載された週刊女性の記事。

スライド16
【3】憲法改正のうごき
・安倍首相は憲法改正に積極的。
「自民党として次の国会で提出できるよう取りまとめを加速する」秋の臨時国会!
(2018年8月12日山口にて)
改憲の項目
・緊急事態条項
・合区解消
・高等教育の無償化(のちに充実化に)
・自衛隊を憲法に明記
 
飯島滋明氏②スライド17
「改憲」にむけた体制づくり
・加藤勝信氏を総務会長
・下村博文氏を憲法改正推進本部長
・衆議院の憲法審査会の筆頭幹事は中谷元氏から新藤義孝氏に。
 
スライド18
小選挙区支部ごとの「憲法改正推進本部」設置の動き
・2018年10月26日、下村博文自民党憲法改正推進本部長は289ある衆議院の小選挙区支部に、「憲法改正推進本部」を設置する方向性に言及。
・改憲実現に向けて国民運動を展開し、世論の機運を高めるため。
 
スライド19
【4】自衛隊明記の憲法改正の問題
・「事理対は、違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ」というのは、あまりにも無責任です」(2017年5月3日安倍首相発言)
 
スライド20
(1)自衛隊が世界中で戦うことを憲法的に認めること。
安倍首相は「自衛隊を憲法に明記しても現状を認めるだけ」と発言。
「安保法制」では、世界中の武力行使が自衛隊の任務とされた。
今の自衛隊を憲法で認めることは、「安保法制」を憲法的に認めることに。
⇒自衛隊が世界中で戦うのを認めることに。
 
スライド21
2018年3月自民党たたき台素案
・9条の2
①前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮官監督者とする自衛隊を保持する。
②自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
 
スライド22
こうした憲法改正が実現すれば
・「国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置」であれば、「安保法制」以上の武力行使、無制限の集団的自衛権すら可能とされる危険性。
・「後法優位の原則」により、戦争や武力行使などを禁止する9条1項、戦力の不保持・交戦権を否認した9条2項は無力化。
 
スライド23
(2)戦場に行かされる自衛隊
2016年7月10日南スーダン ジュバでの戦闘の状況
※金原注 報道を2つ紹介します。
AFP 2016年7月10日 8:21 発信地:ジュバ/南スーダン
東京新聞 2017年12月18日 朝刊
 
スライド24
安倍首相、稲田防衛大臣は「戦闘ではなく武力衝突」だからと自衛隊派遣を続けていた裏で、自衛隊員は遺書を書いていた
 
スライド25
自衛官はどう思う?
 
スライド26
24~26 動画の紹介
 
スライド27
(3)自衛隊のリスク
①負傷した場合のリスクに対応できる?
戦場では手足を失う可能性
アメリカの衛生兵はモルヒネを投与し、簡単な外科手術
自衛隊の衛生兵は痛み止めすら打つことができない。(元自衛官)
医師法、薬事法の改正?それとも医師・看護師も戦場へ?
 
スライド28
②「身体拘束」のリスク
「自衛隊員、これは紛争当事国の軍隊の構成員、戦闘員ではありませんので、これはジュネーブ条約上の捕虜となることはありません」(2015年7月1日衆平和安全特別委員会での岸田外務大臣答弁)
この答弁に自衛官は納得する?
※金原注 上記岸田外相の答弁を詳しく取り上げた私のブログをご参照ください。
2015年8月25日
 
スライド29
ジュネーブ条約上の「捕虜」の扱いを受けないのであれば、自衛官は「テロの一員」と同じ扱いを受け、即裁判にかけられたり、拷問を受けたり、虐殺される可能性。
飯島滋明、清末愛砂ほか編『安保法制を語る!自衛隊員・NGOからの発言』(現代人文社、2016年)
スライド30
自衛官が戦闘行為の際に身体拘束をされればジュネーブ条約での「捕虜」にならない可能性があることは安倍首相自身も認識
『読売新聞』2013年4月17日付
「実力組織が侵略を阻止するために戦う時に、軍隊として認知されていなければジュネーブ条約上捕虜として取り扱われることはない」
「捕虜」として扱われないことを認識しながら、世界中での武力行使を任務とする安保法制を成立させた安倍首相、自衛官の生命を何だと思っているのか。
 
スライド31
(4)徴兵制・民間人徴用の可能性?
自民党の政治家や防衛官僚が危惧するように
海外の戦争で死傷者⇒自衛隊への志願者の減少⇒徴兵制
という事態がないといえるか。
「かつて私は隊員募集の幹部自衛官から『昔の日本軍みたいに赤紙一枚で徴兵ができればよいのにな、いずれ近い将来、隊員不足を補うために徴兵する時代が来る』と聞いたことがあります」
清末愛砂・飯島滋明他編『ピンポイントでわかる 自衛隊明文改憲の論点』(現代人文社、2017年)28頁での末延隆成元自衛官の発言
スライド32
「自衛隊は、違憲かもしれないけれども、何かあれば、命を張って守ってくれ」というのは、あまりにも無責任です」(2017年5月3日安倍首相発言)
①憲法違反との疑義が出される自衛隊、
②政府の命令で世界中での武力行使が憲法上の任務にされる自衛隊、
どちらを自衛官は望むか
 
スライド33
元陸上自衛官末延隆成氏の発言
清末愛砂・飯島滋明他編『ピンポイントでわかる 自衛隊明文改憲の論点』(現代人文社、2017年)27頁
・憲法改正について肯定的な発言をする自衛官は上級幹部自衛官に多いです。最前線に行かず、防衛関連企業に天下りしたり政界進出する幹部自衛官と、実際に戦場に行かされ死傷する一般自衛官の考え方は異なります。
 
スライド34
イラクに派兵された自衛隊の某隊長
現地が危険になったので、撤退したいと隊長に打診
   ↓
隊長は許可せず。「現場に来て確認してほしい」と打診
   ↓
隊長は「部族長との会議」などの名目で現場には来なかった。
隊員はその隊長を「牟田口さん」と呼んでいた。その隊長とは?
※牟田口とは、補給を全く無視した無謀な作戦で歴史的敗北を喫した「インパール作戦」(1944年)を立案・命令した牟田口廉也。退却路は日本兵の死体だれけで「靖国街道」と呼ばれた。
 
スライド35
DSCN4150【5】憲法の平和主義、国連憲章の「武力不行使の原則」を放棄して良いか
・「1931年9月、日本軍は中国の満州地方を宣戦布告なしに侵略(invades)する」
(スイス・ジュネーブにある「国連人権理事会」の資料室の展示)
 
スライド36
オーストラリアのダーウィンにある軍事博物館での写真
 
スライド37
こうした非人道的な侵略戦争は自衛権の名目で
※金原注 戦前の新聞報道の映像が紹介されています。
 
スライド38
しかもオーストラリア国立戦争記念館で
連合国は巨大な悪(immense evil)を打ちのめした。
「巨大な悪」とはドイツ、イタリア、そして日本
オーストラリア本土を攻撃したのは日本だけ。
オーストラリアにとって「第2次世界大戦」とは主に日本との戦い。
「巨大な悪」と言われる行為を日本軍は実行。
 
スライド39
旧フォード博物館(シンガポール)
・強姦
・日本軍「慰安婦」
・略奪者のさらし首
・赤ちゃんを意味なく銃剣で突き刺す(bayonet)
 
スライド40
・2016年2月17日、日本軍「性奴隷」(いわゆる日本軍慰安婦)の被害を訴え、安倍首相などの謝罪を求める元犠牲者のジャン・ラフ・オハーン氏の証言を放映するオーストラリアのテレビ THE WORLD
榎澤幸広・奥田喜道・飯島滋明編『これでいいのか 日本の民主主義 失言・名言から読み解く憲法』(現代人分社、2016年)132頁) 
スライド41~42
オーストラリアのテレビ THE WORLD の映像紹介。
 
スライド43
2017年8月15日NHKスペシャル「戦慄の記憶 インパール」
 
スライド44
アジア・太平洋戦争では
日本の侵略戦争により、近隣諸国の民衆2000万人から3000万人が犠牲
日本軍「慰安婦」のように、殺されなくても被害を受けた人も
日本の戦死者約310万人
第2次世界大戦では、5000万人から8000万人の犠牲者
 
スライド45
・「武力では平和を作れない」というのは、第1次世界大戦、第2次世界大戦という悲惨な戦争を通じて人類が経験してきた事実。
・だから国連憲章2条4項では「武力不行使の原則」。
・2016年12月19日、国際社会では「平和への権利宣言」が国連総会で採択。
平和への権利国際キャンペーン・日本実行委員会編『いまこそ知りたい 平和への権利 48のQ&A』(合同出版、2014年) 

※金原注 「平和への権利宣言」の英日対訳を私のブログでご紹介しています。
2017年2月22日
 
スライド46
・こうした非人道的な侵略戦争を起こした権力者や軍の上層部は「公教育」や「イエ」制度、「靖国神社」を利用して「愛国心」を植えつけ、「愛する国のために死ね」と国民には死を強要しながら、自分たちはいざとなれば真っ先に逃げた!
 
スライド47
(例1)満州
1945年8月9日、満州にソ連が侵攻。
「軍人や役人はすぐに逃げ、祖母たちは取り残され・・・」
飯島滋明ほか編『これでいいのか 日本の民主主義 失言・名言から読み解く憲法』(現代人分社、2016年)103頁での鷹巣直美さんの発言。
残された女性や子ども、老人はソ連軍などに蹂躙。
 
スライド48
(例2)沖縄
・犠牲者20万人
・市民9万4千人
・沖縄県民の4人に1人が犠牲
 
スライド49
いわゆる「松代大本営」
沖縄戦の際、沖縄県民は徹底抗戦して死ぬことを命じた権力者は、東京から長野県の松代に逃げる準備。
 
スライド50
こうした悲惨かつ無責任な戦争を二度と権力者や軍上層部にさせないため、憲法では徹底した平和主義
「日本国民は、・・・政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し」(憲法前文)
こうした憲法を変え、「戦争できる国作り」を認めても良いか。
 
スライド51
そうはいっても中国・北朝鮮は脅威?
①軍事的には冷戦下でのソ連の方が脅威だったが、それでも「海外での武力行使が必要」という議論は出なかった。
②中国や北朝鮮と本当に戦争するつもり?
大都市に人口が集中する日本が戦争可能性か。
日本に80発の核攻撃の可能性。
中国や北朝鮮が脅威なら、原発再稼働は支離滅裂。
サイバー攻撃で日本は壊滅的破壊。
戦争など考える方がよほど平和ボケ。
 
スライド52
・もちろん、普通の人間は戦争を望まない。しかし・・・国民を戦争に参加させることは、常に簡単だ。・・・国民には、脅威にさらされていると言い、平和主義者には愛国心が欠けており、国を危険にさらすと批判すればいい。この方法はどんな国でも効果がある」
(ヒトラーの後継者ヘルマン・ゲーリング)
ソ連や中国の脅威をあげ、戦争遂行体制を作り上げるのは自民党の常とう手段!
 
スライド53
北朝鮮の脅威?
『池上彰緊急スペシャル 迫る北朝鮮の脅威 どう守る日本!?知られざる自衛隊の現実』(2017年8月4日放映)
「完全シュミレーションからできることは限られていることがわかります。まずは撃たせないようにすることが大事。そのために必要なのが外交努力であり、これがいま最も求められている」(池上さんのコメント)。
 
スライド54
・「〔特攻〕隊員の多くは、戦争をしてはならない。平和な日本であるように、ということを言っていました」(特攻基地知覧で「特攻の母」と言われた鳥濱トメさんの発言)。
・二十有余ノ今日ニ至ル迄厚キ御愛情ヲ受ケ、何一ツ孝行モ出来ズ御心配バカリカケ申シ訳御ザイマセン。厚ク御礼申シ上ゲマス。
(北海道出身特攻隊員1945年4月3日出撃戦死23歳)
 
スライド55
過去の話ではない「自衛隊員の遺言」
●様(●には妻の名前)
・楽しい人生ありがとう。
・犬達の事をよろしく御願いします。
・体を養生して幸せに長生きしてください。
・色々とありがとう。感謝しています。 隆
飯島滋明、清末愛砂、榎澤幸広ほか『安保法制を語る!自衛隊員・NGOからの発言』(現代人文社、2016年)29頁
スライド56
こうした特攻隊員たちの思いを無にし、再び海外で戦争のできる日本にしても良いのか。安倍氏の言う「積極的平和主義」の名目で、再び海外で戦争のできる国にしても良いのか。
・子どもや孫の世代のために、私たちは真剣に政治にとりくむことが必要。
 
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【6】憲法改正阻止にむけて
(1)自衛隊の憲法明記だけではなく、改憲4項目の危険性の周知の必要性。
①緊急事態条項
「戦争遂行」「反政府的言動の弾圧」の手段
自民党の政治家たちは9条の改憲とあわせて「緊急事態条項」の必要性を主張。
 
スライド58
・憲法29条では「所有権」が保障。戦争の際に軍が円滑に行動するためには、土地や建物、物資などを取り上げる必要。
・戦場での負傷者への対応のために医師や看護師、薬剤師、基地などの建設のために建築や土木業者なども戦場に送る必要。
・いちいち法律を制定していたのでは迅速な対応は不可能。
・戦争遂行のためには首相などに無制限の権限を認める緊急事態条項が必要。
 
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②教育の無償化(充実化)
教育の無償化・充実化は法律制定で十分。
「国のために死ぬことは尊い」といった思想注入の手段として、政治家たちが教育を利用するための憲法改正。
 
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③合区解消
『日経新聞』2018年2月20日付社説
「合区解消案は利己的すぎる」
・「まるで自民党の自民党による自民党のための憲法改正である。同党憲法改正推進本部がまとめた選挙制度に関する改憲案はあまりに自民党に有利な制度設計であり、到底受け入れがたい」
 
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『産経新聞』2018年2月21日付社説
「合区解消の改憲案 無理に無理を重ねるのか」
・「自民党は、合区では地方の声が国政に反映されにくいとし、現行の47都道府県を単位とする参院選挙区にこだわった。合区対象県には自民党の強固な支持基盤があるという現実を前に、党利を図っているとみられても仕方ない」。
自民党に有利な選挙区をつくるための憲法改正を850億円=私たちの税金を使って実施するか
 
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(2)国民投票そのものの危険性
「プレビシット」:主権者である国民の意志を聞くためではなく、権力者の地位や政策を国民意志の名目で強化するために悪用される国民投票。
・ヒトラーやナポレオン1世、3世は国民投票を悪用して自己の地位や権力を強化。
 
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1933年7月14日、ヒトラー・ナチスが成立させた法律
①「政党新設禁止法」
②「遺伝病子孫予防法」
③「国民の敵・国歌の敵の財産没収法」
④「国民投票法」など。
「国民の大多数の賛成が見込まれる案件をめぐって政府が国民投票を実施できるようになった」(石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ(講談社現代新書、2015年)164頁)。
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ヒトラー独裁を生み出した制度的要因に「国民投票」。
ヒトラー・ナチスと国民投票
・国際連盟脱退(1933年11月)
・ヒトラーを総統に(1934年8月)
・オーストリア併合(1938年4月)
 
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国民投票で負ければ、
2016年6月、イギリスの国民投票でEU穎脱という結果。
⇒キャメロン首相は辞職。
2016年12月、イタリアで憲法改正国民投票が否決。
⇒レンツィ首相は辞職。
2015年5月17日の「大阪都構想」の住民投票で反対票が多数。
⇒橋下徹氏は辞職。
 
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・国民投票が行われるのは、権力者に都合の良い結果が出る可能性が高い時と警戒する必要性。
・自衛隊を明記する憲法改正も、安倍自公政権が北朝鮮の脅威などを吹聴し、一部の御用メディアも「憲法改正」の必要性をさんざん報道したあとの可能性。
 
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(3)改憲手続法(憲法改正国民投票法)の問題点
※改憲賛成派が大々的に宣伝できる一方、改憲反対派の見解が封じられる危険性
①「国民投票広報協議会」(法11条など)の構成は会派ごと(法12条3項)。
②「国民投票運動CM」は投票14日前まで可能(法105条)。
③「意見表明CM」は直前まで行われる可能性。
圧倒的な経済力を持つ団体などがテレビCMを買い占め、憲法改悪に関する意見を一方的に宣伝し、国民を洗脳する状況が生じる可能性。
 
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④公務員や教師が地位を利用して国民投票運動を行うことが禁止(103条)。
⑤「組織的多数人買収及び利害誘導罪」で禁止されるのがどのような行為か不明確。
⑥国民投票の際の公平原則(105条)。
2016年2月10日の政府統一見解などで安倍自公政権は、「政治的に公平でない」テレビ局に対し、放送法174条に基づく「業務停止命令」、電波法76条1項を根拠とする電波停止の可能性を子細。
 
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※不十分な周知期間
国会が憲法改正を発議してから60~180日に国民投票(法2条)
SNSでのデマ、国民投票の際のデマへの対応
2018年6月の新潟知事選挙では、
①選挙後、池田氏の男女問題が週刊誌で報道
②「拉致問題は創作」との論文を書いた
とのデマが右翼陣営から発信。
 
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・2019年夏には参議院選挙。
・自公が3分の2の議席を喪えば、憲法改正は遠のく。
・2019年に改憲の国民投票の可能性。
「国民投票」「改憲手続法」の危険性(プレビシット、財力によるテレビCMの支配、国民投票の際のデマ拡散など)を広く市民に定着させる必要性。
 
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そこで以下の①②を同時に
①国民投票に持ち込ませない状況づくり⇒多くの学習会、改憲反対のデモや集会
②憲法改正の危険性を十分に市民に認識・定着させ、国民投票がなされても「否決」に追い込む状況づくり
 
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市民への働きかけ
①憲法改正に反対する市民
②憲法改正に賛成する市民
③憲法改正の是非について意見がない市民
③の市民に「自分に関係がない」と思わせない説明の必要性。「分かりやすい説明」
(引用終わり)
 

(付記・8人の憲法研究者の講演録を読む)
 過去「守ろう9条 紀の川 市民の会」の総会もしくは憲法フェスタで講演された憲法研究者は8人に及びます。
 各講演については、同会及び「九条の会・わかやま」の事務局を兼ねる南本勲(みなもと・いさお)さんが、会紙「九条の会・わかやま」に講演要旨を通常3回に分けて掲載する例となっています。
 私のブログと併せ、過去何度かご紹介していますが、9人目の憲法研究者・飯島滋明教授をお招きした講演会のレジュメをご紹介したのを機に、もう一度、過去の8人の憲法研究者の皆さんの講演要旨をまとめてご紹介しておきます。
 
【8人の憲法研究者の講演録を読む~「守ろう9条 紀の川 市民の会」で語られたこと(吉田栄司氏、森英樹氏、清水雅彦氏、高作正博氏、石埼学氏、植松健一氏、本秀紀氏、三宅裕一郎氏)】
 
2018年3月24日(土) 第14回 総会
三宅裕一郎氏(三重短期大学教授 ※現・日本福祉大学教授)
憲法9条が果たしてきた役割~「自衛隊」の明記によって何が変わるのか?~
 
2017年11月3日(金・祝) 第14回 憲法フェスタ
本 秀紀氏(名古屋大学大学院教授)
安倍政権の9条破壊を許さない~海外で戦争する『自衛隊』は認められない~
 
2017年4月1日(土) 第13回 総会
植松健一氏(立命館大学教授)
安倍首相はなぜ憲法(constitution)を変えたいのか
講演録① 会紙「九条の会・わかやま」321号
講演録② 会紙「九条の会・わかやま」322号
講演録③ 会紙「九条の会・わかやま」323号
金原ブログ 「植松健一氏(立命館大学教授)「安倍首相はなぜ憲法(constitution)を変えたいのか」講演レジュメを読む(守ろう9条 紀の川 市民の会 第13回総会)」

2016年4月2日(土) 第12回 総会
石埼 学氏(龍谷大学法科大学院教授)
戦争法は廃止、憲法9条が輝く日本を取り戻そう~今、私たちにできること~
講演録① 会紙「九条の会・わかやま」296号
講演録② 会紙「九条の会・わかやま」297号
講演録③ 会紙「九条の会・わかやま」298号
金原ブログ① 「石埼学龍谷大学法科大学院教授の講演をレジュメから振り返る~4/2「守ろう9条 紀の川 市民の会」第12回総会から」
金原ブログ② 「石埼学龍谷大学法科大学院教授の【設問】に答える~「安保法制」講師養成講座2」

2015年11月3日(火・祝) 第12回 憲法フェスタ
高作正博氏(関西大学教授)
「戦争法制」で日本はどんな国になるのか~私たちはどう対抗すべきか~
講演録① 会紙「九条の会・わかやま」285号
講演録② 会紙「九条の会・わかやま」286号
講演録③ 会紙「九条の会・わかやま」287号
講演録④ 会紙「九条の会・わかやま」288号
金原ブログ 「「第12回 憲法フェスタ」(11/3 守ろう9条 紀の川 市民の会)レポートと11月中の和歌山での取組予定のお知らせ」

2014年11月8日(土) 第11回 憲法フェスタ
清水雅彦氏(日本体育大学教授)
ちょっと待った!集団的自衛権~日本を戦争する国にさせない~
講演録① 会紙「九条の会・わかやま」260号
講演録② 会紙「九条の会・わかやま」261号
講演録③ 会紙「九条の会・わかやま」262号
金原ブログ 「『脱走兵』が日本の現実とならないように~11/8守ろう9条紀の川市民の会「第11回 憲法フェスタ」」

2014年3月30日(日) 第10回 総会
森英樹氏(名古屋大学名誉教授)
「国家安全保障基本法」は戦争体制を作りあげるもの
講演録① 会紙「九条の会・わかやま」243号
講演録② 会紙「九条の会・わかやま」244号
講演録③ 会紙「九条の会・わかやま」245号
金原ブログ 「森英樹氏講演会を開催しました(守ろう9条 紀の川 市民の会・第10回総会)」

2012年11月3日(土・祝) 第9回 憲法フェスタ
吉田栄司氏(関西大学教授)
改憲派は憲法を変えて日本をどんな国にしようとしているのか
講演録① 会紙「九条の会・わかやま」205号
講演録② 会紙「九条の会・わかやま」206号

市民連合と国民民主党が初の正式会合で基本合意(2018年11月6日)

 2018年11月11日配信(予定)のメルマガ金原No.3328を転載します。
 
市民連合と国民民主党が初の正式会合で基本合意(2018年11月6日)
 
 「立憲野党」という呼称は、単に「野党共闘」というような表現をとると、日本維新の会も一応野党は野党だし、弱小極右政党もあったりして紛らわしいから、ということで、「市民と野党の共闘」をスローガンとして掲げる人々の間で使われ始めたということであったと思います。
 
 ところが、その「立憲野党」の中で最大議席を保有していた民進党が、事実上、一気に崩壊するという事態を迎えたのが昨年9月の解散、10月の衆議院総選挙でした。
 あの時の「希望の党」騒動が一体どう総括されたのか?その最高責任者である前原誠司元民進党代表が今でも所属する国民民主党に是非聞いてみたいという気がするのですが、来年の夏には参議院選挙を控え、改憲発議に意欲を燃やす安倍首相は、国民投票と参院選の同時投票を狙っているのではないか?との観測もある中、ことさら対立をあぶり出すわけにもいかず、国民民主党を何とか「立憲野党」の陣営に迎え入れることが焦眉の急であると、市民連合(安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合)は考えたのでしょう。
 去る11月6日に、国民民主党と市民連合との初めての正式会合が行われました。国民民主党からは玉木雄一郎代表、平野博文幹事長らが、市民連合からは呼びかけ人の山口二郎氏(法政大学教授)らが出席したとのことです。
 その「成果」について、市民連合は自らのホームページで、2つの文書を発表しています。「国民民主党との意見交換について」と「国民民主党の野党協力路線に関する見解」がそれです。
 その内容は、以下に全文を引用しますのでお読みいただくとして、市民連合としての問題意識は以下の文章に明確に表れています。
 
「目下、私たちにとっての喫緊の課題は、安倍政権がなりふり構わず狙いつづける改憲発議を阻止することです。そのためにはより大きな市民と立憲野党の共闘を国会の内外で構築することが不可欠です。」(「国民民主党との意見交換について」より)
 
 時あたかも、市民連合との会合が行われた11月6日の夜、当初予定されていた自民党幹部との会食への出席を、玉木雄一郎代表と平野博文幹事長が土壇場でキャンセルし、このため自民党も二階幹事長が出席をとりやめたことがニュースで報じられていました。
 
2018年11月7日 0時24分 日テレNEWS24
自民と国民民主の幹部が会談 波紋広げるか
 
 自民党の思惑は誰の目にも明らかですが、国民民主党は本当にどうする気なのでしょうか。参議院1人区での候補者調整を共産党との間でやろうとすれば、(全国あるいは各地の)市民連合が仲介する以外に現実的な方策はないと思いますけどね。
 
 ちなみに、国民民主党のホームページを閲覧してみましたが、11月6日に国民民主党本部で行われた市民連合との会合については、「ニュース」コーナーにも見当たりませんでした。
 
 とにかく、市民連合と国民民主党との公式な対話のルートが開かれたのは良いことだと思います。
 これで、各地における「市民と野党の共闘」の構築もやりやすくなった、ということであればさらに良いのですが。
 
 それでは、11月9日に市民連合が公表した2つの文章を全文引用します。
 
(引用開始)
 11月6日国民民主党本部にて、市民連合は、国民民主党の玉木雄一郎代表と平野博文幹事長と意見交換を行いました。これは、国民民主党と市民連合の間で、安倍政権下での改憲発議の阻止、安保法制の廃止、立憲主義の回復といった基本的な方向性をきちんと共有できるのかを確認するために行われたものです。
 
 国民民主党は2018年5月に発足しましたが、当初は市民連合からの公式な意見交換の呼びかけに応じていませんでした。ただ9月初旬に玉木新体制が誕生してからは、同月13日の市民連合主催の街頭宣伝に平野幹事長が登壇するなど、国民民主党は市民や他の野党との協力に対して、積極的な姿勢を示してきました。先の沖縄県知事選挙においても、国民民主党は他の立憲野党とともに玉城デニー候補を支援し勝利に貢献しました。日米地位協定の見直しについても、玉木代表自ら積極的な発信を繰り返しています。
 
 そのような中で、今回改めて、立憲主義の擁護、安保法制の廃止、9条改悪の阻止、個人の尊厳を擁護する政治の実現という大原則の共有を確認するべく、公式には初めて意見交換の場が設けられ、市民連合が提示した確認文書をもとに議論を行い、市民連合と国民民主党の間で、以下の内容について合意をしました。
 
 
 その際、国民民主党の玉木代表は、市民連合による政策要望の基本的方向性に同意した上で、国家権力を拡大する方向での改憲はありえないとして、安倍政権の目指す改憲に明確に反対することを言明しました。また、安保法制についても、関連する具体的な法制における違憲部分を白紙にするために取り組む姿勢を示しました。
 
 目下、私たちにとっての喫緊の課題は、安倍政権がなりふり構わず狙いつづける改憲発議を阻止することです。そのためにはより大きな市民と立憲野党の共闘を国会の内外で構築することが不可欠です。自民党が、民意の支持なき改憲発議を正当化することを狙って、野党の共闘を切り崩す機会を窺っていることは、国民民主党の幹部数名と会食を行ったことにも明らかです。改憲発議を阻止するには、野党が分断されるようなことがあってはなりません。
 
 市民連合としては、今回の意見交換を踏まえ、改憲発議の阻止、安保法制の廃止、立憲主義の回復、そして個人の尊厳を擁護する政治の実現のために、これまで立憲民主党、日本共産党、社会民主党、自由党、無所属の会からなる立憲野党と市民連合が行ってきた意見交換の枠組みへの国民民主党の参加を求め、ひきつづき幅広い市民と立憲野党の協力を模索する方針です。
(引用終わり)
 
(引用開始)
 国民民主党が結党されて以来、同党の政策、路線を注視してきましたが、9月の代表選挙を経て、玉木雄一郎代表が来年の参議院選挙に向けて野党協力への積極的な姿勢を明らかにしていることは高く評価したいと考えます。また、玉木代表が安倍首相の進める9条改憲に対して明確に反対していることについても、心より賛意を表したいと考えます。
 
 市民連合は、昨年9月の衆議院解散の直前に、当時の民進党、共産党、自由党、社会民主党と野党協力に当たって目指すべき政策について協議を重ねていました。その後、民進党候補者の希望の党からの出馬、立憲民主党の結成という混乱の中で、昨年10月7日に改めて、立憲民主党、共産党、社会民主党に9月までの検討を土台とした政策要望を出し、各党はこれを了解しました。この要望書は、これからも野党協力の中で共有すべき政策の柱になると考えています。
 
 国民民主党の所属議員には民進党出身者が多く、市民連合と当時の民進党が共有しようとしていた政策についても共有して頂けると考え、同党と協議を行いました。同党もこの要望書の基本的方向性に賛成していただき、今日的問題を加えてこれを更新することで合意しました。
 
 以後、市民連合は国民民主党とも野党協力の協議を進め、来年の参議院選挙において、憲法改悪勢力の3分の2の打破、立憲主義の擁護、国民本位の経済社会政策への転換という課題を実現するために、幅広い野党協力を追求していきたいと考えます。
 
              2018年11月6日
              安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合
(引用終わり)
 
 なお、市民連合は、昨日(11月10日)午後2時から、渋谷駅ハチ公前広場において、
街頭集会「改憲よりもあたりまえの政治を」を開催しましたので、「Makabe Takashi」さんによる動画でご紹介しておきます。
 なお、政党代表からのスピーチが、立憲民主党、日本共産党、社会民主党の3党だけなのは、前から決まっていたことだから、ということではあると思うのですが、仮に国民民主党から誰か来たとしても、この3党の人たちほど歯切れの良い話が出来たかどうか、ということはあるでしょうけどね。
 
#改憲よりもあたりまえの政治を 市民連合 街頭集会 2018年11月10日(1時間20分)

3分~ 広渡清吾さん(市民連合、東京大学名誉教授)
13分~ 村田マユコさん(安保関連法に反対するママの会@ちば)
21分~ 政党代表登壇
23分~ 長妻昭衆議院議員(立憲民主党代表代行)
33分~ 本村伸子衆議院議員(日本共産党)
41分~ 福島瑞穂参議院議員(社会民主党副代表)
49分~ 竹信三恵子さん(和光大学教授)
56分~ 谷虹陽さん(大学生)
1時間02分~ 馬場ゆきのさん(大学生)
1時間10分~ 諏訪原健さん(市民連合)
1時間17分~ アピール

渡辺治さん講演「安倍改憲の危険性と改憲阻止のたたかい-安倍政権のめざす日本から憲法の生きる日本とアジアへ-」(11/3神戸憲法集会)を視聴する

 2018年11月10日配信(予定)のメルマガ金原No.3327を転載します。
 
渡辺治さん講演「安倍改憲の危険性と改憲阻止のたたかい-安倍政権のめざす日本から憲法の生きる日本とアジアへ-」(11/3神戸憲法集会)を視聴する
 
 一昨日(11月8日)配信した「国民投票に勝ち抜く言葉を獲得するために~石川健治さん「自衛隊を憲法に書き加えるとどうなるのか?」(2018年1月7日)講演テキストを読む」は、地味な記事にもかかわらず、私のブログにしては珍しく、丸一昼夜のうちに200アクセスを突破しました。それだけ、国民投票になった場合、どうすれば勝ち抜くことが出来るのかということについての関心が高いのかなと思います。
 
 もちろん、国民投票に勝ち抜く前に、改憲発議を許さない情勢を作っていくための運動が重要であることはいうまでもありません。
 今日は、大いにそのための参考になるはずの講演動画をご紹介します。
 一昨日ご紹介した石川健治東京大学教授とは、相当持ち味が異なりますが、ともに重要な指摘を私たちに届けてくれる講演です。
 
 11月3日(土)、神戸市中央区の神戸市勤労会館で開催された「日本国憲法公布72周年 11・3神戸憲法集会」における渡辺治さん(一橋大学名誉教授)による講演「安倍改憲の危険性と改憲阻止のたたかい-安倍政権のめざす日本から憲法の生きる日本とアジアへ-」がそれで、IWJ兵庫による中継アーカイブ動画が全編無料で視聴できます。
 
日本国憲法公布72周年 神戸憲法集会 ―講演 渡辺治氏(一橋大学名誉教授)(神戸市) 2018.11.3(全編動画1時間54分)
記事公開日:2018.11.9 取材地:兵庫県 動画
 
 「九条の会」事務局も務められる渡辺治さんは、憲法をめぐるその時々の情勢を精緻に分析し、それを踏まえた運動論を聴衆に熱く語りかけるる講演を全国各地で行っておられます。
 今年の5月19日には、「憲法九条を守るわかやま県民の会」が主催する5月憲法集会(於:和歌山県勤労福祉会館プラザホープ)でも講演してくださいました。
 
 11月3日の神戸憲法集会での講演は、安倍首相の改憲に向けた企図をどう読むか、その企図の実現に必要とされる変数は何か、企図を阻むために私たちが何に取り組まなければならないのか、という流れについて、90分間、一気呵成に語られます。
 当日の聴衆は詳細なレジュメを目で追いながら(もっとも600部用意した資料が足らなくなったそうですが)講演を聴けるからまだしも、動画を視聴していてはそれもままならず、消化不良になるかもしれません。
 渡辺先生も、それを懸念されてか、講演の最後の方で、90分でも語りきれない部分を400ページ近くもある本にまとめたことを披露しておられました。しかも、版元(新日本出版社)も、2000円を超える本にしたら売れないということで、商売気抜き(?)の価格設定にしてくれたとか。
 
渡辺 治著『戦後史のなかの安倍改憲―安倍政権のめざす日本から憲法の生きる日本へ』
新日本出版社 2018年8月31日刊 1,944円(税込) 384頁
 いわば、この本に書かれた分析のエッセンスが90分の講演で語られたということですから、この新刊の目次を読んでいただくのが、渡辺先生の現状分析の概要を理解する助けになると思います。ということで、目次を引用しますが、せっかくリーズナブルな価格にしてくれているのですから、購入して通読するのが最も良いのですけどね。
 
(目次から引用開始)
戦後史のなかの安倍改憲
安倍政権のめざす日本から憲法の生きる日本へ
第Ⅰ部  戦後史のなかの安倍改憲
第一章  安倍改憲に至る道―運動が改憲を阻み憲法を力にした―
 1  50年代改憲の挫折と憲法の定着
 (1)50年代改憲台頭の背景とねらい
 (2)50年代改憲構想の2つの柱
 (3)50年代改憲の最初の挫折と自衛隊合憲解釈の要請
 (4)60年安保闘争による50年代改憲の挫折―国民が憲法を選び直した!―
 2  明文改憲断念の30年―軍事化阻む壁となった9条―
 (1)自民党政治の転換と改憲消極政策
 (2)平和運動の昂揚と自衛隊の活動を制約する政府解釈の形成
 3  冷戦後、自衛隊の海外派兵の企図と改憲第2の波
 (1)アメリカの一極覇権、海外派兵圧力と改憲の再台頭
 (2)既存政治体制を改変した「政治改革」
 (3)平和運動の陣営の変容と新たな隊列
 (4)自衛隊派兵をめぐる攻防と内閣法制局
 (5)PKO協力法から周辺事態法へ
 (6)小泉政権による自衛隊海外派兵強行
 4  明文改憲の台頭と挫折―自衛隊海外派兵の停滞―
 (1)9条明文改憲の動き
 (2)九条の会運動が改憲をまたしても挫折させた
 (3)改憲第2の波の挫折
第Ⅱ部  安倍改憲を阻む
第二章  安倍晋三はなぜ改憲に執念を燃やすのか?
 1  安倍晋三が改憲に執念を燃やす理由
 (1)安倍と改憲執着の原点―岸信介の亡霊―
 (2)安倍の改憲論
 (3)第2次安倍政権における改憲切迫の理由
 2  解釈改憲をねらった安倍首相
 (1)第2次安倍政権の解釈改憲先行戦略
 (2)集団的自衛権限定容認へ
 (3)ガイドラインと安保法制(戦争法)
 3  解釈改憲から明文改憲へ
 (1)9条は死んだのか?
 (2)9条の重し―その1・止まぬ安保法制違憲論
 (3)9条の重し―その2・安保法制の限界
第三章  安倍5・3改憲提言は何をねらうのか?
 1  なぜ安倍は5・3改憲提言を出したのか?―安倍改憲に立ちはだかった壁―
 (1)5・3改憲提言の異様
 (2)安倍改憲に立ち塞がった壁―市民と野党の共同―
 (3)共同がつくりだした2つの困難
 2  5・3改憲提言の特徴とねらい
 (1)5・3改憲提言の特徴
 (2)5・3改憲提言のねらいは何か?
 3  安倍改憲戦略の手直しと解散・総選挙
 (1)安倍改憲をめぐる情勢変化と解散断行への変化
 (2)安倍首相の解散・総選挙のねらい
 (3)総選挙の結果―その1・安倍首相のねらいは半分成功
 (4)総選挙の結果―その2・安倍首相の最大のねらいは失敗
 (5)決着はこれからに持ち越された
 4  総選挙から自民党大会へ―安倍改憲に立ちはだかる困難―
 (1)新たに立ちはだかる2つの困難
 (2)安倍首相の改憲戦略と誤算
 (3)自民党大会案をめぐるジグザグ
第四章  安倍9条改憲の危険性
 1  安倍9条改憲の危険性
 (1)軍事組織が憲法に明記され、9条も憲法全体も変質
 (2)9条2項は死文化し、国民が信頼する自衛隊は変質
 (3)安保法制で海外の武力行使が認められた自衛隊が合憲となる
 (4)自衛隊明記論と緊急事態規定
 2  9条改憲で、日本とアジアの平和は確保できるか
第五章  安倍改憲を阻む力―市民と野党の共闘の力―
 1  憲法は死んでいない
 (1)憲法は軍事化の最強の歯止め
 (2)「立憲的改憲論」の批判
 2  かつてない市民と野党の共闘で安倍改憲を阻もう
 (1)「全国市民アクション」でかつてない共同を!
 (2)共同の取り組み、3つの力点
第Ⅲ部  安倍政権のめざす日本から憲法の生きる日本への道
第六章  憲法の生きる日本への転換は野党連合政権で
 1  安倍改憲阻止の力を梃子に安倍政治を変え、憲法の生きる日本へ
 (1)安倍改憲阻止の共同から安倍政治を変える共同へ
 (2)安倍政治を変えるには?―安倍政治に代わる選択肢
 2  野党連合政権はなぜ必要か?
 (1)野党連合政権に対する異論―その1・野合論
 (2)野党連合政権に対する異論―その2・時期尚早論
 (3)安保闘争と政権構想
 (4)民主党政権の教訓から学ぶ
 3  憲法のめざす日本の第一歩は野党連合政権で
 (1)野党連合政権を構想する土台となる政策合意
 (2)野党連合政権がめざす政治の3つの柱
第七章  憲法の生きる日本とアジアをめざして
 1  憲法の生きる日本をめぐる2つの構想
 (1)連合政権下の日本とアジア
 (2)将来に本に関する2つの平和・安保構想
 2  安保のない日本が拓く可能性
 (1)安保条約の見直し・廃棄
 (2)自衛隊の縮小・解体
(引用終わり)
 
(弁護士・金原徹雄のブログから/渡辺治さん関連) 
2015年5月21日
2015年7月20日
2015年12月13日
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2016年11月10日
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2017年6月27日
2017年11月7日
2018年4月7日

樋口健二さん&小出裕章さんコラボ講演会 3年のあゆみ(主催:Mamademo♡ママデモ)

 2018年11月9日配信(予定)のメルマガ金原No.3326を転載します。
 
樋口健二さん&小出裕章さんコラボ講演会 3年のあゆみ(主催:Mamademo♡ママデモ)
 
  Mamademo(ママデモ)という団体というのか組織というのか、あるいは緩い繋がりというのか、表現に困惑しますが、そこが主催して、被曝労働者の取材等で知られる報道写真家の樋口健二さんと小出裕章さんによるコラボ講演会を毎年開催しており、今年(11月4日)で3回目となりました。
 
 「これまでのMamademoのアクションをまとめました。」という動画がありましたのでご覧ください。ちなみに、ホームページによると、Mamademo(ママデモ)は樋口健二さんの「エージェント」でもあるそうです。
 
Mamademo's Actions(6分06秒)

  
 小出さんと樋口さんのコラボ講演会の模様は、毎年、UPLANさんが収録し、2本に分割してアップしてくださっていますが、2016年の第1回については、私のブログでも紹介させていただきました(樋口健二氏と小出裕章氏の講演会&トークディスカッション「世界が核で滅びる前に~日本中で原発廃炉の波を起こしたい!~」(10/16)動画(UPLAN)のご紹介/2016年10月20日)。
 
 毎回、聴き応えのある長時間の動画なので、一気に全編視聴は難しいかもしれませんが、折にふれて視聴していただく便宜のために、過去3年分のUPLANさんによる動画をまとめてご紹介しておきます。私自身の備忘録代わりでもあります。
 
【第1回 2016年】
樋口健二氏&小出裕章氏の講演会&トークディスカッション
世界が核で滅びる前に~日本中で原発廃炉の波を起こしたい~
2016年10月16日 一橋大学国立西キャンパス本館21教室
 
20161016 UPLAN【前半】小出裕章「生命と被曝」(樋口健二さんと小出裕章さんのコラボトーク)(1時間08分)

3分~ 小出裕章氏講演
 
20161016 UPLAN【後半】樋口健二さんと小出裕章さんのコラボトーク(2時間55分)

4分~ 樋口健二氏講演
1時間48分~ 小出裕章氏・樋口健二氏トーク(質問タイム)
 
【第2回 2017年】
脱原発2Days~A World Without Nuclear~
樋口健二氏&小出裕章氏コラボ講演会
2017年11月5日 専修大学神田キャンパス5号館571教室
 
20171105 UPLAN【前半】小出裕章「樋口健二氏&小出裕章氏コラボ講演会」(1時間40分)

冒頭~ 会場内に並べられた樋口健二氏の写真
8分~ 小出裕章氏講演
 
20171105 UPLAN【後半】樋口健二+小出裕章「樋口健二氏&小出裕章氏コラボ講演会」(2時間40分)

2分~ 樋口健二氏講演
1時間30分~ 小出裕章氏・樋口健二氏トーク(質問タイム)
 
【第3回 2018年】
NO NUKES NO WAR NO DISCRIMINATION FOR PEACE Vol.1
核も原発も戦争も差別も日本のどこにも世界のどこにもいらない!
樋口健二氏&小出裕章氏コラボ講演会
2018年11月4日 専修大学神田キャンパス7号館731教室
 
20181104 UPLAN【前半】小出裕章「核=原子力の歴史」差別の世界を超える道(1時間34分)

3分~ 小出裕章氏講演
 
20181104 UPLAN【後半】樋口健二「毒ガスの島・忘れられた皇軍兵士たち」(2時間34分)

4分~ 樋口健二氏講演
1時間37分~ 小出裕章氏・樋口健二氏トーク(質問タイム) 
 
 以上、UPLANさんによる3年分の動画をご紹介しましたが、最近、私がよく視聴している(ブログでもお世話になっている)「なにぬねノンちゃんねる」さんが、今年のコラボ講演会の録画をアップされていることに気がつきました。そして、さらに遡って調べてみると、昨年6月に収録され樋口健二さんに対する「独占インタビュー」もアップされていましたので、この2つの動画を最後にご紹介しておきます。
 樋口さんは、小出さんだけではなく、詩人のアーサー・ビナードさんとも複数回コラボ講演会をされているようなので、その動画もまた探してまとめてみようかなと思っています。
 
【「なにぬねノンちゃんねる」による動画2本】
 
『フォトジャーナリスト樋口健二が出来るまで!』2017年6月13日 樋口健二氏宅にて(1時間13分)

 
20181104 小出裕章と樋口健二のコラボ講演会(3時間56分)

国民投票に勝ち抜く言葉を獲得するために~石川健治さん「自衛隊を憲法に書き加えるとどうなるのか?」(2018年1月7日)講演テキストを読む

 2018年11月8日配信(予定)のメルマガ金原No.3325を転載します。
 
国民投票に勝ち抜く言葉を獲得するために~石川健治さん「自衛隊を憲法に書き加えるとどうなるのか?」(2018年1月7日)講演テキストを読む
 
 自衛隊の高級幹部会同(9月3日)及び自衛隊記念日観閲式(10月14日)での訓示、さらには臨時国会冒頭(10月24日)での所信用命演説において、自民党総裁の安倍晋三氏は、「内閣総理大臣」としての立場において、事実上、自衛隊を憲法に明記する憲法「改正」への強い意欲を明らかにしました。
 
 このような、憲法尊重擁護義務(日本国憲法99条)を一顧だにしない内閣総理大臣が主導する改憲への動きにどう対峙するかということが、差し迫った課題として私たちに突き付けられています。
 
 来年夏の参議院議員通常選挙では、6年前の民主党が惨敗した選挙で当選した議員が改選期を迎えるため、野党の闘い方次第では、与党が議席を減らす可能性も十分あり、そうなると、今でさえ与党だけでは2/3を超えず、日本維新の会などの協力が必要な状況なのに、いよいよ改憲発議が困難となります。
 このような状況下で「何としてでも改憲を実現する」と決意した内閣総理大臣が打ってくるであろう手立てを素直に予想してみれば、来年夏の参院選挙と憲法「改正」国民投票の同時実施だろう、ということが容易に推測されます。
 来年改選期を迎える参議院議員の任期は7月28日までですが、公職選挙法32条、国会法10条により、最も遅い日曜日として8月25日を投票日とすることも可能です。
 改憲発議から国民投票までには最低60日の期間を空けねばなりませんから、6月20日ころまでに衆参両院で2/3以上の賛成を得て改憲発議すれば、参院選と国民投票との同時投票が可能となります。
 首相らが同日投票を考えるであろうと推測する根拠としては、①参院選の結果、改憲派が2/3を割り込む可能性を考えると、現有議席を保持しているうちに国民投票を実施すべきである、ということだけではなく、②改憲派が選挙で少々議席を減らすとしても、過半数割れの可能性は低く、国民投票は過半数で改憲成立なのだから、選挙運動と連動して国民投票運動を戦った方が有利ということがあるでしょうし、③公職選挙法によって厳しく規制されている選挙運動と、野放しに近い国民投票運動とが同時実施されることによる混乱や萎縮効果は、改憲反対派の方により影響が大きいだろう(改憲派は資金力に物を言わせられるが、反対派はそうではないので)ということがあると思われます。
 さらに、これ以上の「最悪のシナリオ」としては、衆議院も解散して衆参同日選挙とし、野党の選挙協力を分断する、つまり、トリプル投票を仕掛けるということもあり得ない訳ではありません。
 「まさか」と思われるでしょうか?そう考える人には、今まで安倍内閣がやってきた「まさか」という事例を指折り数えていただきたいと思います。
 
 さて、以上のような情勢認識を基に、我々が何をしなければならないかということですが、改憲発議を阻止するための活動はもちろん重要ではあるものの、国民投票はある、ということを前提とした取組にも力を注ぐべき時期ではないかと思います。
 和歌山では、来る2019年1月19日(土)午後1時30分から、和歌山県民文化会館大ホールにおいて、「安倍改憲阻止!和歌山県民集会(仮称)」を開催すべく準備中ですが、第1部の基調講演を小林節先生(慶應義塾大学名誉教授、弁護士)にお願いするとともに、第2部では、「国民投票運動を勝ち抜くために」をテーマにしたいと内容を練っているところです。   
 もっとも、誰もやったことのない「国民投票運動」を、どうすれば勝ちぬ抜くことができるのか、即効性のある処方箋があれば誰も苦労はしない(改憲派も是非知りたいと思っているでしょう)のですけどね。
 ただし、運動の目標はかなり明確だと思います。つまり、①もともと改憲に反対もしくは消極的な人には、絶対に棄権せずに投票所に足を運んで「反対」に〇をしてもらうこと、②態度未定の人を1人でも多く、「反対」に引き入れるための説得力ある言葉を持ち、これを有効に伝えること、でしょう。改憲派も、この逆をやろうとしているはずです。
 
 自民党改憲4項目の焦点は、何といっても自衛隊明記(緊急事態条項も重要ですが)です。
 様々な団体が、「自衛隊を憲法に明記することによって何が変わるのか?」をテーマとした講演会やシンポジウムを企画・実施しているのも、そのような問題意識からでしょう。
 この間、憲法研究者を中心とした多くの識者の皆さんから、とても有益なお話をたくさん伺ってきました。
 今日ご紹介しようと思う(実は2度目のご紹介です)、今年1月7に行われた石川健治東京大学教授(憲法学)による講演は、中でも目を開かれるところが多く、注目していました。
 その講演が行われたのは、今年の1月7日、東京都北区の北とぴあ・さくらホールにおいて開催された「戦争とめよう!安倍9条改憲NO!2018新春のつどい」(共催:安倍9条改憲NO!全国市民アクション実行委員会、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会)においてでした。
 その「つどい」については、実に多くの動画がアップされていましたが、音声レベルが聴きやすいものを中心に、複数の動画を私のブログでご紹介しました。
 
2018年1月9日
 
 そのように、一度ご紹介した石川健治教授の講演を、あらためてご紹介することにしたのは、安倍首相が自民党総裁選挙で三選され、その後、冒頭で書いたように、「内閣総理大臣」の立場から、自衛隊明記の改憲に号令をかけるという異常事態を迎え、いよいよ私たちの理論武装も待ったなしであるということもありますが、そのための非常に有力なツールを提供してくれているサイトがあることが分かったことによります。
 
 1月7日に行われた「戦争とめよう!安倍9条改憲NO!2018新春のつどい」については、多くの動画サイトが録画をアップしてくれており、私は翌々日の1月9日にそれらの動画をブログでご紹介したのですが、それらのチャンネルよりもずっと遅れ、1月17日に石川健治教授の講演部分のみをアップしてくれたところがありました。
 それが「映像ドキュメント」です。
 
自衛隊を憲法に書き加えるとどうなるのか? 石川健治(38分26秒)

 
 一見すると、他のサイトにアップされた動画と変わりはないように思えるかもしれませんが、動画の再生を開始した後、画面右下に並んでいるアイコンの内、一番左のものをクリックしてください。これが「字幕」を表示させる機能であり、石川教授の発言部分に、きっちりとした「字幕」が現れます。その内容は、要約というようなものではなく、ほぼ正確な文字起こしに近いもので、私は感動してしまいました。
  WEB&YouTube配信 2018年1月17日
  字幕版 8月13日
  テキスト 8月15日
と記載されていました。

 上記のテキストというのは、字幕版を作るための前提として行った講演全体の文字起こしの結果をテキスト化してアップしたものです。
 
憲法の考え方
自衛隊を憲法に書き加えるとどうなるのか? 石川健治さんの講演
文字起こしテキスト
 
 ここまでやっている動画サイトが(ことに憲法問題などを多く取り上げている動画チャンネルで)他にあるのか、寡聞にして私は知りません。もしかしたら他にもあるのかもしれませんが、珍しいことは間違いないでしょう。

(追記/2018年11月9日)
 YouTubeの「字幕」ボタンをクリックすれば、普通の動画でも「字幕」が流れます。自動反訳ソフトが立ちあがって次々と文字起こししてくれるのですが、よほど滑舌良く、ソフトが認識しやすいように意識して発音しない限り、とても完璧な「字幕」にはなりません。従って、「映像ドキュメント」のような「字幕」を流そうとすれば、非常に手間暇のかかる修正作業が必要だったに違いありません。

 まあ、ここまでやる以上、主催者及び講演者ご本人の承諾は当然得ているはずだと思い、
私もリンクさせてもらっているのですが。
 
 石川教授の講演文字起こしには、以下のような見出しが付されています。多分、「映像ドキュメント.com」のスタッフによって付けられたのでしょうが、適切なものだと思います。これによってお話の大体の構成をのみ込んでいただけるでしょう。
 
(石川健治さんの講演はじまる)
1.明治維新から150年の歴史のなかの憲法
 ◎文明国になるために必要だった「憲法」
 ◎2つの魂を持った明治憲法
 ◎文明国として認められたのだが、葬られた立憲主義
 ◎立憲主義を根づかせた日本国憲法
 ◎改憲論が起こるのは
2.9条に関する戦後の議論
 ◎カントの「定言命法」
 ◎悪評にさらされてきた憲法学者
3.9条加憲論が通るとどうなるのか
 ◎9条がはたした役割のひとつ、軍事力統制
 ◎軍事力統制─ドイツの場合
 ◎軍事力統制─日本の場合
 ◎9条の光と影
 ◎軍事力統制─ひとつのやり方
 ◎加憲論の問題点
 ◎9条方式をやめて軍事力統制をするなら必要な大前提
 ◎現状追認にならない加憲論
4.外国から攻撃されたら─という批判に対して
 ◎ニーチェの言葉
          
 冒頭、石川先生が、「タイトルも私が決めたわけではなくて、高田(健)さんがつけちゃったタイトルです。〈笑い〉(元タイトルは憲法講演「安倍9条改憲の危険性」)私は基本的に、学問的な話しかできない人間ですので、こういうセンセーショナルなタイトルは、困ったものだなあというふうには思わないではないんですけども」と仰っているとおり、アカデミックなお話には違いないのですが、この種の集会での基調講演も数を重ね、石川先生としても、そのような「学問的な話」を、いかに普通の聴衆に理解できるように語りかけるかということに、かなり慣れてこられたのではないかと推測します。
 実際、文字起こしされたテキストを通読してもらえれば、難し過ぎるということはないのではないかと思います。
 
 是非、「映像ドキュメント.com」サイトで全文をお読みいただきたいのですが、とりわけ私たちの運動において参考となる「3.9条加憲論が通るとどうなるのか」の重要部分を抜粋してご紹介したいと思います。
 
(1/7石川健治さんの講演文字起こしテキストから抜粋引用開始)
3.9条加憲論が通るとどうなるのか
◎9条がはたした役割のひとつ、軍事力統制
 その問題というのはですね、日本国憲法の9条が果たしてきた役割の一つ、あくまでも一つとしての軍事力統制という役割であるわけです。日本の憲法9条っていうのは、先ほど申しましたように、日本の政治社会を初めて非軍事化することに成功したと。そして、立憲主義を実現することになりましたし、それが、戦後の自由な空気を作ってくれたわけなんですが、それだけではなくて、あくまで日本の統治機構の一環をなしていたということです。ここをまあ強調しておきたいわけなんですね。
◎軍事力統制─ドイツの場合
 ここでまあ、しばしば対比されるのが戦後の西ドイツのあり方であるわけですが、戦後、西ドイツはとにかく動かない軍隊を憲法につくる、刻んだわけです。普通の国よりも面倒臭い規定を憲法に書き込んで、いろんなコントロール、コントラ・ロールを用意して、で、使えない軍隊、弱い軍隊、動かない軍隊をつくりました。
 緊急事態条項についても同様で、これも非常に激しい反対運動があったんですけれども、ぎりぎり成立した緊急事態条項というのは動かないものになっていて、現在でも動いていません。
 ただあの軍事の方はですね、緊急事態条項とは違いまして、動き始めちゃったわけです。最後の歯止めになっていた憲法裁判所というのが、このドイツ軍の域外派兵を合憲だと言ってしまったために、現在ではアフガニスタンとかですね、いろんなところに「平和維持」のために軍隊が飛んでいるということになってしまいました。
 で、まあとにかく、これが一つの行き方ですね。動かない軍隊をつくるということです。
◎軍事力統制─日本の場合
 日本の場合は、もうすでに軍隊がないという前提のもとで、それを永続させようというように考えたわけで、それが9条だったということです。軍隊というものから正統性っていうのを剥奪した。つまり軍隊は本来ないことになっている、というかたちで軍事組織からですね、その理由を奪ったわけです。存在理由を奪ったわけです。
 で、この存在理由を奪う、難しく言えば、正統性を剥奪するというやり方というのは、これは権力統制の一つのやり方ではあるんですね。たとえば、明治憲法の場合を考えてみますと、明治憲法ができる前に内閣という制度はもうできあがっていまして、初代の内閣総理大臣は伊藤博文であったわけです。ところが、明治憲法の中に内閣という存在はないんですね。明治憲法は内閣というものを認めなかった。内閣から憲法上の正統性を剥奪したんです。 憲法上存在理由はないということになって、書かれているのは個々の国務大臣だけです。でまあ、いろいろな説明が可能で、これを話すと何時間もかかっちゃうんですけども、まあ、当時言われた言い方としては、幕府をつくってしまうのを恐れたんだと。
 内閣を認めてしまうと、これがまた江戸幕府に替わる新しい「明治幕府」になってしまうのではないかとかですね、いろいろな説明がありますが、とにかく内閣というものを認めなかった。これがまあ明治憲法下の統治機構の弱点にもなっていったわけです。統治がですね、常に不安定であったと、で、その内閣という憲法上認められていない場を巡って、軍部と、それから宮中と官界と政界とですね、いろんな人たちが、権力ゲームを繰り返す、いうことになっちゃったわけです。
 そこで、戦後日本国憲法は内閣に正統性を付与した、正当性を与えたわけで、戦後の日本国憲法には内閣というのがちゃんと書いてあります。それと入れ替わるように今度はですね、軍隊についての規定がなくなっちゃった。というわけですね。
 ですから、こうやってこの既存のものから正統性を剥奪するというのは、一つの権力統制のかたちであるわけです。で、期せずして9条はそういう機能を果たすことになってきたということ、これはまあ、強調しておく必要があります。
(略)
◎加憲論の問題点
 時間がありませんので、いくつか端折ってお話をさせていただきますけれども、まず第1にですね、加憲案の問題というのは、構成だけあって統制がないということです。
 これまではですね、9条の例外として自衛隊を位置づけるという論法が、自衛隊の合憲性を支えてきたんです。もちろん違憲論は有力なんですが、政府筋では自衛隊に例外をつくる、失礼、9条に例外をつくると。
 この例外というのは常にあるわけですね。たとえば人を殺したら殺人罪なんですけれども、その例外として、正当防衛の場合は違法でない。少なくとも処罰はされないということになっています。そうやって、この例外をつくる論理というのがあって、その例外をつくる論理によって自衛隊を正当化していると。
 だから逆にいうと、「正当防衛の場合には人を殺していい」という規定はいらないわけですね。「人を殺したるものはこれこれの刑に処す」という条文だけで足りるわけで、それを、その例外の論理によって正当化すると、そういうことをやってきたと、こういう話であるわけです。
 ですから、現在はあくまで例外としておかれている。例外であるということによってコントロールされているということ、これをまあ考えていただきたいわけですね。
 ところが、これをその正面から認めると、自衛隊というものに憲法上の正統性を与えると。これは、すでに法律上の正統性は与えられているのですけれども、憲法上の正統性を与えることになりますと、原則と例外がひっくり返ってしまうわけですので、今度は、正面からいろいろなかたちでコントロールシステムを憲法に盛り込まなきゃいけないということになります。
 まあドイツに倣って、非常に面倒臭い規定を設けていくというのが、一つのプランということになるわけですが、今回の9条加憲案というのは、そもそも統制する気がないわけですね。
 この、3項なのか、9条の2か分かりませんが、加憲だけしておいて、それに対するコントロールシステムを用意しようとしていない。ここに現在の改憲論の地金が自ずと現れているというふうに考えていただきたいと思います。構成だけしていく。そうすると何が起こるかというとですね、これまではコントロールされてきたのに、そのコントロールがなくなっちゃうわけですね。もちろん、それは政府がコントロールしているんだと言いたいかもしれませんけれども、この点は必ずしも期待できるものではないというふうに思います。
◎9条方式をやめて軍事力統制をするなら必要な大前提
 と申しますのはですね、なんかだんだん時間もおしているので、慌ててるんですけれども、もしこうやって、いわば9条方式をやめて、普通のコントロール方式に切り替えるということになるとすればですね、そこには必要な前提条件というのがあるわけですが、その前提条件が現在まったく整っておりません。
 まずですね、普通の方式ってのは、いわば市民社会と、そして軍隊を切り離すというところから始まります。あるいは、市民的な統治システム、いわば政府と、それから軍隊を切り離すところからスタートするわけです。そして、切り離したうえで、今度は市民的な権力の方を軍隊よりも上位に置くということをやります。そして上位に置いたうえで、この上位にある、まあ市民的な権力が軍事的権力を統制する、コントロールするという、そういう順序をとるわけです。これがシビリアンコントロールという風にいわれる方式で、逆に言えばシビリアンコントロールの前提は政・軍の分離なんですね。政・軍の分離があり、政の優位がありですね、そして政による統制があると、こういう順序になりますので、シビリアンコントロールの前提には政・軍の分離っていうのは、大前提としてなくてはいけないわけです。
 が、まあ辞めちゃった人の発言を、あれこれあげつらうのは、あまりよくないかもしれませんが、たとえば、稲田元防衛大臣は、選挙において防衛省の立場からも自衛隊の立場からも応援したいというかたちで政・軍の分離を無視していたわけです。つまり、シビリアンコントロールを語る前提がないんですね。前提がないところに自衛隊を正統化してしまったら、何が起こるかっていうことです。つまり、まっとうな軍事力統制を語る前提がまだ成立していない。で、また、そういう前提を持っていない人たちが、改憲を動かしているということになります。
 冒頭に申しましたが、これは結局近代的な意味でのコンスティテューションを知らない人たちがやっているからそうなるわけです。これまではやはりその、まず慎み深い、まあ、いろいろ問題がなかったといえないとしても、慎み深い軍隊として国民に受け入れられるように努力してきた、これが自衛隊だというふうに思いますが、大手を振って憲法上正統化されて、で、なおかつ、その統制がまったくないということになった状態で、あとからですね、果たして政治がそれをコントロールできるのだろうか、ということがあるわけです。
 大前提として、やはりいくつかの条件が整っていないこの段階で、この9条の加憲をするというのは、最も危険な提案だということになるわけですね。
◎現状追認にならない加憲論
 現状を追認するわけではないんです。現状を追認するのではなくて、むしろ無統制状態をつくっていくという提案を、しかもこともなげにやろうとしているということなわけで、まあ結局、真面目に憲法のことを考えてくれていないということなんだろうと思います。
真面目に憲法のことを考えてくれていないということは、真面目に自由のことを考えてくれていないということになるわけですね。
(引用終わり)
 
 いかがでしょうか。書いていないということに意味がある(正統性の剥奪)という重要なポイントも、1889年に発布された大日本国憲法に、1885年から施行されていた「内閣」制度を書き込まなかったことと対比して説明されており、とてもよく分かりました。
 とはいえ、これを改憲について「態度未定の人」に読んで欲しいと言ってもね・・・。
 このような識者の見解に学んだ後は、これを短い自分のことばに翻訳する作業が必要でしょう。それが、安倍改憲反対の運動に関わっている者にとっての課題です。

(参考法令)
 (通常選挙)
第三十二条 参議院議員の通常選挙は、議員の任期が終る日の前三十日以内に行う。
2 前項の規定により通常選挙を行うべき期間が参議院開会中又は参議院閉会の日から二十三日以内にかかる場合においては、通常選挙は、参議院閉会の日から二十四日以後三十日以内に行う。
3 通常選挙の期日は、少なくとも十七日前に公示しなければならない。
 
第十条 常会の会期は、百五十日間とする。但し、会期中に議員の任期が満限に達する場合には、その満限の日をもつて、会期は終了するものとする。
 
(弁護士・金原徹雄のブログから/石川健治さん関連)
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小泉純一郎元総理が白浜で語る「原発ゼロ・核のゴミいらん」講演会~日本の歩むべき道~(2018年11月28日@町立白浜会館)

 2018年11月7日配信(予定)のメルマガ金原No.3324を転載します。
 
小泉純一郎元総理が白浜で語る「原発ゼロ・核のゴミいらん」講演会~日本の歩むべき道~(2018年11月28日@町立白浜会館)
 
 私のブログでは、県内の様々な行事(特に、憲法、原発、人権などに関わる)をご案内しているのですが、それにしても、小泉純一郎元内閣総理大臣の講演会を取り上げることになろうとは思っていませんでした。
 2018年11月28日(水)午後2時から、和歌山県白浜町立白浜会館で開催されます。相当広い会場のようで、チラシには「定員1000人」と記載されています。
 
 巻末の私のブログへのリンク一覧をご覧いただければお分かりと思いますが、パンダと温泉の町、白浜町は、合併前の旧日置川町地区内に関西電力が保有する広大な土地に、使用済み核燃料の中間貯蔵施設が建設されるのではないか?という疑惑の渦中に投げ込まれ、様々な動きがめまぐるしく展開しています。
 中でも、今回の小泉元総理による講演会に直接結びつくのは、(多分)今年の2月23日に田辺市(白浜町に隣接)のビッグユーで開催された「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」会長の吉原毅(よしわら・つよし)氏(城南信用金庫相談役)による講演会「「原発ゼロ法案」と「核のゴミ」を考える~白浜に核のゴミ(中間貯蔵施設)は来るのか!?~」でしょう。
 そして、その9か月後に白浜町で講演される小泉元総理は、吉原氏が会長を務める「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」の顧問であるだけではなく、吉原氏とは、慶應義塾大学経済学部で故・加藤寛氏の教えを受けた同門同士でもあります。
 新自由主義経済学の旗振役であった加藤教授でしたが、晩年には「即時原発ゼロ」「再生可能エネルギーへの大胆な転換」を強く主張されていました。
 
 私のブログでも、加藤寛氏及び小泉純一郎氏の「原発ゼロ」の主張を取り上げたことがありました。
 
2012年11月9日(2013年2月2日に再配信)
 
2013年8月26日
 
 今回の小泉純一郎氏の白浜町での講演会が実現に至った経緯などは、私自身全く情報の持ち合わせがありませんので、推測もしかねます。
 とりあえず、以下にチラシ記載情報を転記し、Facebookイベントページにリンクしておきますので、ご自身で判断をお願いします。
 
(チラシから引用開始)
小泉純一郎元総理来たる!!
「原発ゼロ・核のゴミいらん」講演会
~日本の歩むべき道~

2018年11月28日(水)
開会14:00~〈開場13:00〉
白浜町立白浜会館
入場無料(定員1000人)
 
〈主催 共催〉
 「原発ゼロ」と「核のゴミ」を考える会
 「核のゴミはいらん白浜の会」
 「核のゴミはいらん日置川の会」
〈協賛〉
 原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟
 つゆくさと大地の会
 紀南に自然エネルギーを推進する会
 エコネット和歌山
 脱原発わかやま
〈協力〉
 小田洋介氏(元太鼓芸能集団 鼓童メンバー、国内外で活躍。)
〈連絡先〉
 080(090?)-3622-3623(野中)
  090-8653-2514(冷水)
  090-9547-4692(島)
 EMAIL:norw2018@yahoo.co.jp
(引用終わり)
 
Facebookイベントページ
原発ゼロ・核のゴミいらん講演会~日本の歩むべき道~
 
 最初の〈連絡先〉の番号が080で始まるのか(チラシはこう読める)、それとも090で始まるのか(FBイベントページではこうなっている)不明です。もしも問い合わせをしたい場合には、残る2つのどちらかにかけた方が無難かと・・・。
 
 私自身は、平日の昼間ということもあり、仕事のために和歌山市を離れることができませんが、白浜町近辺にお住まいの方は、是非連れ立って(とりわけ、いつも自民党に投票しているような方をお誘いいただいて)参加されてはいかがかと思い、ご案内しました。
 
(弁護士・金原徹雄のブログから/白浜町・中間貯蔵施設関連)
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追悼 月山 桂 先生 Ⅱ~「新憲法と極東軍事裁判の思い出」他 折々の月山先生の思いを読む

 2018年11月6日配信(予定)のメルマガ金原No.3323を転載します。
 
追悼 月山 桂 先生 Ⅱ~「新憲法と極東軍事裁判の思い出」他 折々の月山先生の思いを読む
 
 11月2日に配信した「追悼 月山 桂 先生~講演録「月山 桂 弁護士 憲法への思いを語る」(2005年8月25日)を読む」は、思いの他多くの方にお読みいただくことができたようであり、心から感謝致します。
 
 今日は、上記ブログでも少し予告させていただきましたが、月山桂先生が憲法に関わって書かれた短いエッセイを、ご遺族のご了解の下、紹介させていただきます。
 この「新憲法と極東軍事裁判の思い出」は、2006年6月に発行された「憲法9条を守る和歌山弁護士の会 創立1周年記念誌 平和のうちに生きるために」の「第3部 会員寄稿~憲法にかける会員の思い~」のために月山先生が寄稿してくださった文章です。極東国際軍事裁判の結果について、「私は,これで良いのだと思った。」と書かれた月山先生のお言葉の背後には、日本国憲法への思いに裏付けられた、考え抜かれた末の深い思索があることを見逃すべきではないでしょう。
 
月山桂先生(2013年憲法記念日)アピール行進 また、月山先生は、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」顧問、あるいは「九条の会・わかやま」呼びかけ人として、市民向け講演会などにおける開会挨拶や閉会挨拶を引き受けられる機会も多かったのですが、そのような中から、2005年と2007年に行われた行事での挨拶をご紹介します。
 はじめは、2005年12月9日に和歌山市民会館市民ホールで開催された「リレートーク 自民党改憲案の検証」(主催:憲法9条を守る和歌山弁護士の会)での閉会挨拶、もう1つは、2007年6月2日に和歌山県勤労福祉会館プラザホープ4階ホールで行われた品川正治氏講演会「戦争・人間・憲法九条」(主催:九条の会・わかやま、憲法9条を守る和歌山弁護士の会)における閉会挨拶です。
 月山先生は、私の知る限り、ご自身が講演される場合はもとより、短い挨拶の場合であっても、周到に原稿を用意されるのが常でした。それでいて、一々原稿に目を落とされるというのではなく、ちゃんと聴衆に向かって話しかけられており、法廷での月山先生の弁論ぶりも(私自身はあまり拝見する機会がありませんでしたが)かくやであろうか、などと拝察していました。

月山桂先生(2014年5月3日)Happy Birthday 憲法 in Wakayama 月山桂先生は、聖書研究にかかわるご著書を何冊か自費出版されていますが、「平和」についての思いをまとめられた著書としては、2009年5月1日に刊行された『法曹界に生きて平和をおもう』があります。
 自費出版でしたので、入手は困難であろうと思われますので、その「はしがき」の一部を引用させていただきます。
 先日ご紹介した講演も、今日ご紹介するエッセイや集会でのご挨拶も、全てはここに書かれた思いに導かれてのことであったと思います。
 
『法曹界に生きて平和をおもう』「はしがき」より
(抜粋引用開始)
 私は、「九条の会 わかやま」の呼びかけ人の一人として、前大戦当時の軍隊時代の思い出を語り、在野法曹として憲法九条改正の動きに反対し、微力ながら何としてもこれを阻止したい。この想いが筆をとる切っ掛けとなった。
(略)
 私は、戦争とか、軍隊というものの実態を知らないまま九条が改正され、日本が再び軍隊を持ち、戦争のできるような体制になることは、前大戦の犠牲となり、現在の平和を購ってくれたあの世代の人たちに申し訳ない。国のために死んでいった戦友たちの死を無駄にすることになる。
 「学徒出陣」の名の下に、軍隊に駆り出されながら、「不思議に命永らえる」ことのできた一人として、北に南に、海に山に、戦死していった同僚たちの死を、何とかして今の世に意義あるものにしたい。そう願い、恥をも顧みず拙文を世に出す次第である。
(引用終わり)
 
 以下に、月山先生が遺されたエッセイやご挨拶を掲載しますが、その前に、11月3日(奇しくも日本国憲法が公布された日)に行われた月山桂先生の告別式に、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」会員一同が送った弔電をご紹介します。
 
「日本国憲法9条が最大の危機を迎えた今、月山桂先生を喪ったことは痛恨の極みです。遺された私たちは、9条を守るという重大な責務を必ずまっとうすることを先生の御霊前にお誓いします。」
 
 なお、今回掲載した2枚の写真は、いずれも憲法記念日に撮影されたものです(ともに金原撮影)。
 1枚目は、2013年5月3日、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」が呼びかけて実施された「憲法9条を守り生かそう わかやまアピール行進」の先頭で、「平和憲法9条を守ろう」と書かれた横断幕を持って先導される月山桂先生です(先頭の左からお2人目が月山先生)。 
 もう1枚は、その翌2014年の5月3日、「9条ネットわかやま」と「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」が提唱して、和歌山城西の丸広場で開催された第1回“HAPPY BIRTHDAY 憲法 in Wakayama”の会場を訪れた月山先生のお姿です(向かって右側は「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」共同代表の山﨑和友弁護士、左側は「9条ネットわかやま」共同代表、「九条の会・わかやま」呼びかけ人の花田惠子さんです)。
 

「憲法9条を守る和歌山弁護士の会 創立1周年記念誌 平和のうちに生きるために」(2006年6月28日発行)
「第3部 会員寄稿~憲法にかける会員の思い~」から
 
                          新憲法と極東軍事裁判の思い出
 
                                    月 山   桂
 
 1948年11月中旬のある日,司法修習生の見学会か何かの催しが蔵前の国技館であり,その帰り,友人たちと別れ,駿河台の英米法研究室に立ち寄るべく,独り蔵前から両国橋近くを歩いていた。焼け野原も徐々に復興し,バラック建てながら店舗が立ち並んでいた。とあるラヂオ屋さんの前で5,6名の人が耳をそば立て佇んでいた。極東軍事裁判の判決の言渡しだ。私も仲間に入れて貰って聞き始めて間もなく,Hideki.Tojo,Death by hanging。ウェッブ裁判長による判決の宣告は,そのあとも続いた。聞いていたひとはみな特別の反応を表わすこともなく,黙って去っていった。私も。勝者が敗者を裁く。占領軍の統治下にあって占領軍が被占領軍の戦争指導者を裁く。インドのパル判事ならずとも,裁判に名を藉りた復讐にすぎない,と,裁判の国際法的な正当性に疑問はあった。しかし私は,これで良いのだと思った。国民の目を蔽い,国民を欺いて正義の戦いと思い込ませ,何百万もの国民を死に至らせるほか,広島,長崎,この東京をはじめ,50を超す都市を戦火により灰燼に帰せさせ,数え切れない犠牲を国民に強いた彼らの罪は,国内的にも許されるものではない。誰かによって裁かれなければならない。しかし果たして日本人が日本の法廷で能く裁くことをなし得ただろうか。悔しい想いがしつつ,私は,これで良いのだと思った。
 私は,その2年前の11月頃だったか,戦後最初の,そして最後の高文試験・司法科試験を受験した。憲法は,新・旧どちらでもよいと言うことなので,私は,新憲法を選択した。準備のできていない私には,印刷された資料といえば帝国議会での草案説明の新聞報道しかない新憲法の方が取り組み易かった。裏表ぎっしり印刷された新聞紙を,コピー機もなく紙質も良くなかった当時のこととて大切に保管し,これに赤線,青線を引いた記憶がある。内容的には殆ど記憶していない。三原則のうち平和主義に出た戦争放棄の九条については,左程違和感なく私には理解された。一つには,ポツダム宣言受諾による無条件降伏,軍の解体,占領軍の進駐前に一刻も早く兵隊を復員帰郷させる,軍用物資全部を進駐軍に滞りなく引渡しする,そういった終戦業務に携わったものとして「交戦権は認めない」とか「陸海空軍は持たない」ということは,やってきた業務の延長線上のものだった。また,それにもまして満州の陸軍経理学校の卒業のとき,校門まで見送って「手を揮って茲より去れば,蕭蕭として班馬鳴く(てをふるってここよりされば、しょうしょうとしてはんばいななく)」の想いで別れた戦友の多くが未だシベリヤから帰れないでいる。戦争とは,何と悲惨な,何とむなしいものか。そんな想いでいた私には,戦争放棄の規定は,理屈なしに受け容れられた。戦争のない世界,戦争をしない国,軍隊をもたない国。戦火によって人間を不幸にしない国。それは人類至高の夢であり,憧れだ。日本をその理想を掲げる国,その栄誉ある国にしたのが,ほかならぬ戦勝国である連合国であり,アメリカであった。アメリカや連合国には,日本を再び自分たちに刃向かうことのできない国にするため,という考えがあったかも知れない。しかし,このような機会がなければ,九条の規定は生まれない。
 私は,2年前に公布された新憲法と,先程聞いた極東軍事裁判の判決の意義を考えつつ,夕暮れ迫る駿河台の坂道を上ったことであった。60年も前のことである。
 

リレートーク 自民党改憲案の検証
日時 2005年12月9日
場所 和歌山市民会館市民ホール
主催 憲法9条を守る和歌山弁護士の会

閉会のあいさつ
 
○月山 桂
 たいへんお疲れでございました。
 私が伺っておりましても、ある意味では難解で、こういう難しいことで憲法九条を守らなければいけないのかなという感じをしたぐらい、難しい問題というふうに捉えられた向きもあったんじゃないかと。尤も、今日お越しの方は、皆さん日頃から勉強されておりますので、聞いておられてもそれほど難しい問題じゃない、ある意味ではもっと高次な考え方をすべきだというふうな方もいらっしゃるかとも思います。
 この九条の問題、これは単なる政治の問題じゃない。また、政治家のみの問題じゃない。国民一人ひとりの問題、命の問題だと。そういうところに原点をおかなければいけないというふうに常々思っております。
 自民党の案では、交戦権を認めよう。戦うことを認めよう。あるいはまた、戦うことの正当性というものを見出そうというふうなことで一生懸命になっているように感じます。自民党のような考え方もあろうかとは思いますけれども、この交戦権を認めた場合の軍隊、その軍隊に組み込まれていく我々国民、それはどういうふうになるのかという点です。戦力に組み込まれる国民。私はその国民の立場に立たなければ、この憲法九条の問題というのは理解しがたいんじゃないかというふうに思っています。
 先程から理論的に立派なお話を伺いましたけれども、私はしょっちゅう感じるんですけれども、憲法九条の問題というのは命の問題だ。そして、この憲法九条のそもそもの制定の由来、これはやはり戦争による悲惨さ、そこから出ているんだというふうに思うんです。我々の親兄弟、あるいはまた子どもたち、これらが戦場で、また銃後で非常に苦しい中を戦い、そして倒れていった。そういうふうな思い。あるいはまた、原爆によるあの広島・長崎の悲惨な状態。それは象徴的なもので、この我々和歌山市民にとりましても、この温かい町の全てが灰じんに帰せられたあの7月9日の焼夷爆弾。死の灰じん。私はそういうところがやはり憲法九条の出発点だというふうに思うんです。憲法九条は、そういうふうな戦争の悲惨さということを背景にしてできた。その点を決して忘れてはいけない。憲法九条を守ろうという出発点はやはり広島であり長崎であり、この空襲で焼けて灰じんと帰した和歌山市の情景だというふうに私は常々思っております。
 だから、非常に難しい問題も学ぶことは大切だと思いますけれども、何よりも戦争の悲惨さ、この点を私どもは出発点におかなければいけないと考えます。
 私は、昭和18年というと、ちょっと古い言い方ですが、1943年でしょうか、東条首相による学徒出陣で代々木の外苑を雨の中を行進させられた1人でございますけれども、その時の私どもの仲間の誓いといいますか、「二度とこういう戦争は…」という強い思いであります。
 また、弁護士というような、これは法曹の中でも在野法曹、私は在野ということに非常に誇りをもっております。また、在野精神、これを忘れては弁護士というものは駄目だというふうに私は思っております。ところがこの頃はみんな賢くなりまして、在野ということについてそれほど誇りをもたない。在野精神というようなことを言うのは古ぼけているというふうに考えているんじゃないかと思われる先生方もいらっしゃると思うんですが。しかし、私は弁護士が在野の精神を忘れたら、もうこれは弁護士じゃないというふうにさえ思っております。これは弁護士、お前達自身が考えればいいことだということかもしれませんけれども、これはですね、決して弁護士だけのことじゃなくて、先ほど申しましたように、この憲法九条を考えるということは、これは自分の問題として考えなければいけない。その点につきまして、私は弁護士ということを一つの例にとって申し上げたわけです。
 私ども弁護士が、この「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」というのを立ち上げたのも、そういうふうなところにあるわけです。駒を振る立場、政治家の立場、総理大臣や、あるいは防衛庁長官、外務大臣、そういうふうな立場の人が考えるような、そういう立場に立って考えるんじゃなくて、振られる駒の立場、戦場に赴かされる恐れのある我々の立場、苦しい目にあわされる国民の立場、その立場に立って物事を考えなければいけないというふうに思っております。
 そういう意味で、この9条の会というものが立ち上げられたというふうに聞いております。そういう意味で、今日、大勢の方々がご参加いただきましたことにつきまして、非常に感謝申し上げるとともに、是非とも我々一致協力しまして、九条を守るということに頑張っていこうではありませんか。たいへん長時間にわたり、ご静聴いただき、ご参加いただきましたことを感謝いたします。ありがとうございました。(拍手)
 どうかお気をつけてお帰りください。
 

品川正治氏講演会「戦争・人間・憲法九条」
日時 2007年6月2日(土)午後2時~
場所 和歌山県勤労福祉会館プラザホープ4階ホール
主催 九条の会・わかやま、憲法9条を守る和歌山弁護士の会

閉会挨拶
 
月山 桂 氏
 今ご紹介にあずかりました月山でございます。主催者の1人と致しまして、閉会のご挨拶を申し上げたいと思います。品川先生には、遠路、非常にご多忙の中、私どもの願いをお聞き届け戴きまして、本日このように盛会裡に先生のご講話を承ることができました。厚くお礼申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
 また、ご参加戴きました皆様には、私どもの意のあるところをご了解戴きまして、先生の貴重な体験を通じてのお話を最後まで熱心にご静聴戴きました。これもまた、主催者と致しまして、非常に感謝に堪えない次第でございます。
 時間が押し迫っているところ、私ごとで恐縮なんですけれども、私も先生と同じような歳、私の方が一つ年上でございます。私は、先生よりも甘い戦時中を過ごした、例のあの学徒出陣っていうので、昭和18年の6月から12月まで、満州の経理学校、教育隊の方におりました。ところが、原隊復帰っていうことで、早く日本に帰ることが出来ました。で、内地勤務となりました。そういう関係で、先生が体験されたような戦争体験っていうもの、戦闘体験と申しますか、そういう風な体験を全く持っておりません。従って、戦争の時の話、苦しみっていう風なことを話す資格は全くない訳でございます。確かに早く復員することが出来ました。また、復学することも早かった訳で、その上に、司法試験もですね、火事場泥棒と申しますか、(笑)火事場泥棒というのは、例えば憲法にしましても、新憲法は出来たてのほやほやで、教科書も出来ていないという風な状態ですね。それからまた、よく出来た同僚、これらがまだ復学してきていない。(笑)相手は、こんなこと言って非常に恐縮ですけども、まさに火事場泥棒。そういう風な中で、第1回の司法試験に合格致しました。
 そういうことで、それも幸いして、判事補としまして、東京地方裁判所に職を得まして、そこでですね、いわゆる戦後訴訟って言われるものに色々関係することが出来ました。先ほどちょっと先生のお話にも出ましたけれども、戦争による利得、戦時利得、こういうものが許されるべきじゃないんだというような趣旨のこともお話あったかと思いますけれども、それに見合ったようなものとして、戦争中に、中島飛行機が第一軍需工廠というものになりまして、戦争が終わると同時に、第一軍需工廠というものが、これが元の中島飛行機に還った。その間に、軍の援助でですね、非常にたくさんの施設・物資で太っておった。非常な利得を得た。そういう風なところから、戦時補償特別措置法っていうのが出来まして、その利得というものを税金の形で国が取り上げていった訳です。その戦時補償特別措置法っていう税金訴訟にも関係することが出来ましたし、その判決も書かせて戴いた。
 また、刑事の面では、皆様方としてはご承知かどうか、もう昔のことになりますけども、皇居前のメーデー騒擾事件というのがございました。あの事件では、非常に被告がたくさん逮捕されていまして、何百人といた、そういう関係で一つの部で、一つの法廷で審理することが出来なくって、八つの部に分かれて審理しておった。そういう風なことで、中の一つに私も関係させて戴いたというようなことも記憶しております。そういう風なことで、いわゆる戦後訴訟っていう風なものに、私も関係することが出来まして、先ほど先生が色々とお話されていることを伺いながらですね、かつて裁判官として日々仕事に追われながら、判決書きに追われながら、その下でなおかつ新憲法での訴訟制度のあり方、あるいはまた憲法自体を一生懸命勉強した。かつては、本もなかったですから。
 そういう風な勉強をしておった当時のことを非常に懐かしく、先生のお話を承りながら、思い出させて戴きました。そして、あらためて憲法への思いというものを熱くさせて戴いたというようなことでございます。立場は違いますものの、今日お越し戴きました皆さん方も、品川先生のお話を伺って、非常に深い感銘を受けられたという風に私は思います。また、今日先生からお教え戴いたところを、それぞれの活動におきまして、日常活動におきまして、あるいはまた、我々の九条の会の取組にあたりましても、活かして戴くようにする、このことが、先生がわざわざ今日お越し戴いた先生のご苦労に対するご恩返しだという風に思います。是非とも皆様方も、先生のご期待に添うように、私ももちろんそういう風に頑張っていきたいと思いますけども、みんな一生懸命頑張っていこうじゃありませんか。(拍手)
 先生におかれましては、どうぞくれぐれも健康にご留意賜りまして、今後とも憲法9条を守る取組につきまして、とりわけ、先生が仰った9条2項、軍隊を持たない、日本はもう軍隊を持たないぞという風な決意の下での運動、闘い、これにつきまして一層ご尽力賜る、ご指導賜るということをお願い致しまして、この私どものお礼の言葉、そしてまた、本日のこの会の閉会の言葉とさせて戴きたいと思います。どうも大変ありがとうございました。(拍手)

放送予告・ETV特集「写真は小さな声である~ユージン・スミスの水俣~」(2018年11月10日)

 2018年11月5日配信(予定)のメルマガ金原No.3322を転載します。
 
放送予告・ETV特集「写真は小さな声である~ユージン・スミスの水俣~」(2018年11月10日)
 
 写真集『水俣(MINAMATA)』で知られるアメリカの著名な報道写真家、故ウィリアム・ユージン・スミス氏(William Eugene Smith、1918年12月30日~1978年10月15日)を、俳優のジョニー・デップ(Johnny Depp)が演じることになり、来年の1月には日本で撮影が始まると報じられたのはごく最近のことでした。
 
シネマトゥデイ 2018年10月24日 15時11分
ジョニー・デップ、水俣病を扱った新作で実在の写真家に!日本でも撮影
(引用開始)
 米俳優ジョニー・デップが、水俣病の問題を扱った新作『ミナマタ(原題) / Minamata』で、実在の写真家ウィリアム・ユージン・スミスさん役に挑戦するとDeadlineなどが報じた。
 本作はウィリアムさんと妻アイリーン・美緒子・スミスさんが共同で執筆した同名著書「ミナマタ(原題) / Minamata」を基に、ハンウェイ・フィルムズが手掛けて映画化する予定。監督は『最低で最高のサリー』で製作総指揮を務めたアンドリュー・レヴィタスで、デヴィッド・K・ケスラーが脚色する。
 第2次世界大戦中にサイパン、沖縄、硫黄島で活動した写真家ウィリアム・ユージン・スミスさんが、1970年代にライフ誌の編集長ラルフ・グレイヴスの依頼でチッソが引き起こした水俣病の取材をし、その実態を暴いた経緯を描く。
 2019年1月から日本で撮影に入り、その後セルビアで撮影することになっている。(細木信宏/Nobuhiro Hosoki)
(引用終わり)
 
 同趣旨の日本語によるニュースのソースは、上記記事でも触れられているDeadlineによる以下の記事です。
 
Johnny Depp To Star As Photojournalist W. Eugene Smith In Thriller ‘Minamata’, HanWay To Launch Sales – AFM
by Andreas Wiseman  October 23, 2018 8:18am
 
 日本独自の取材による報道として、朝日新聞デジタルの記事を引用しておきましょう。
 
朝日新聞デジタル 2018年10月31日09時00分
水俣病伝えた米国人、ジョニー・デップさん映画で演じる
(抜粋引用開始)
 「公害の原点」といわれる水俣病を世界に伝えた著名な米国人写真家の故ユージン・スミスさん(1918~78)を、俳優のジョニー・デップさんが演じる映画制作の計画が進んでいる。米映画関係者が熊本県水俣市を訪れ、水俣病患者らに制作の意向を伝えた。
 スミスさんは第2次世界大戦中、従軍カメラマンとして沖縄などの戦地を踏み、71年から3年間、妻のアイリーン・美緒子・スミスさん(68)と水俣に滞在。母に抱かれて入浴する胎児性水俣病患者の上村智子さん(77年に21歳で死去)らの撮影に共同で取り組み、集大成の写真集「MINAMATA」で世界に衝撃を与えた。今年はスミスさん生誕100年にあたる。
 アイリーンさんや米映画制作会社の関係者が9月に水俣市を訪れ、智子さんの父好男さん(84)や、胎児性患者の坂本しのぶさん(62)らと面会。坂本さんは「本当のことを伝えてほしい」などと伝えた。
(略)
(引用終わり)
 
 映画館で映画を定期的に観るという習慣をなくして相当経つ私は、ジョニー・デップ主演作のうち、映画館で観たのは『チャーリーとチョコレート工場』(ティム・バートン監督/2005年)1本だけという有り様ではありますが、これらのニュースに接し、「『MINAMATA』が優れた作品として完成して欲しい、是非映画館で観たい」と思ったものでした。
 そのような気持ちの幾分かは、私自身まだかけ違ってお目にかかったことはないものの、アイリーン・美緒子・スミスさんのお名前が、京都の「グリーン・アクション」代表としてお馴染みであったことによります。
 アイリーンさんの現在の活動(の一端)を知っていただくために、本ブログ末尾にこのアピール全文を転載しておきます。
 
 さて、前置きが長くなり過ぎました(私のブログではよくあることですが)。
 今度のETV特集で、そのユージン・スミスさんを取り上げた番組「写真は小さな声である~ユージン・スミスの水俣~」が放送されるのです。
 これは絶対に見逃せません。1人でも多くの方に録画・視聴をお勧めしたく、今日のブログでご紹介することにしたものです。
 
NHK・Eテレ
本放送 2018年11月10日(土)午後11時00分~12時00分
再放送 2018年11月15日(木)午前0時00分~1時00分(14日深夜)
ETV特集「写真は小さな声である~ユージン・スミスの水俣~」
(番組案内から引用開始)
写真集「水俣」で知られるユージン・スミス。今年生誕100年を迎えた彼のプリントや撮影時の録音が公開された。水俣に住み込み、患者さんの姿を世界に伝えた素顔に迫る。
公害の原点・水俣を世界に伝えたアメリカの写真家ユージン・スミス。その膨大なプリントや取材時の録音テープが公開された。従軍カメラマンとして太平洋戦争の激戦地を撮影した彼は、沖縄で負傷。戦後、近代化の影で切り捨てられようとした弱者に目を向けていく。妻・アイリーンと水俣に住み込み、患者さんに向き合い続けた日々。初公開の資料や患者さんらの証言から、悩みながら水俣を撮り続けたユージン・スミスの素顔に迫る。
(引用終わり)
 
 以上にご紹介した映画化に関わる報道やETV特集の番組案内には記載されていませんが、ユージン・スミスさんと水俣に関しては、以下のような痛ましい事件もあったそうです。Wikipediaから引用します。
(抜粋引用開始)
1972年1月、千葉県市原市五井にあるチッソの工場を訪問した際に、交渉に来た患者や新聞記者たち約20名が会社側の雇った暴力団に取り囲まれ、暴行を受ける事件が発生する。スミスもカメラを壊された上、脊椎を折られ片目失明の重傷を負う。この事件でスミスは「患者さんたちの怒りや苦しみ、そして悔しさを自分のものとして感じられるようになった」と自らの苦しみを語った。その後『ライフ』1972年6月2日号に「排水管からたれながされる死」を発表した。
(引用終わり)
 
 Wikipediaでも引用されていますが、水俣に住み込んでいたスミス夫婦のアシスタントを買って出ていた高校生で、後にフォト・ジャーナリストとなった森枝卓士さんのインタビューが、その当時の現地の状況を彷彿とさせてくれます。
 
MANMO.TV 5934号 2017.03.31
インタビュー 森枝卓士
(抜粋引用開始)
問:水俣病というと、公害の原点ともいわれる大変な社会問題でした
もちろんそこに住んでいたのだし、いくら能天気だといっても高校生だったのだから、それがどんなことかはわかっていた。ただ僕はあまりにも水俣という土地になじんでいたから、そのことよりもただ偉いカメラマンが、あのすばらしい写真を撮ったカメラマンがやってくるという、そのことだけで興奮していたと思う。だから、やってきたばかりのアイリーンに街で声をかけた。
問:ユージン・スミスは水俣病患者の姿を撮って社会告発するということだったのでしょうか?
「公害病」という言い方をするけど、要するに水俣は環境問題の原点であるわけです。そういうことから、さまざまな社会問題をテーマに写真を撮っていたユージンの目に留まったのではないでしょうか。
でも、水俣の人間の側からすると、水俣というのはそのチッソのおかげでみんなが食べていたような町だったんですよ。いくつもの企業があってその中のひとつというわけではなかった。チッソただそれだけ。
僕の父も母もチッソで働いていたし、そのおかげで自分たちがかなわなかった夢だった、東京の大学に僕と弟、妹の3人の子供を送り卒業させた。だから、複雑な感情があったわけですね。
問:それで、あの冒頭のアイリーンさんの文章につながるわけですね?
僕は父に隠れてこそこそと彼らのところに通ってました。家から高校までは電車で行くんだけれど、帰りは電車には乗らずにバスに乗り彼らの住むところに寄るというぐあいだった。
ユージンが住んでいたのは水俣病患者がもっとも多かった地域。何度も通ってアルバイトのようなことをしているうちに、彼らのやろうとしていることを身近で見ているうちに社会に対する問題意識も徐々にもつようになっていったと思う。
新聞もずいぶん熱心に読むようになり、英語しかしゃべれないユージンと直接話したいと英語の勉強もがんばるようになった。
問:でも隠れて通わなければならなかった
前にも言ったように、水俣は「チッソ城下町」のようなところだから。その上、父親はその社員でバリバリの保守系だったから。
僕がそもそも一番最初にユージンと会ったのは、その父親が参加していた保守派の集会で、しかも初めて会ったというのに、ユージンのカメラバッグを持っていっぱしの助手のような顔をしていた。
このときの父親のショックはそれは想像を絶するものだったろうね。家に帰ったら寝込んでいたもの。僕を怒鳴りつけた父親のあまりの剣幕にただただうなだれて従ったふりをしていたが、これからはわからないように彼らに会いにいこうと決心していた。
(引用終わり)
 
 また、アイリーン・美緒子・スミスさんに対する興味深いインタビューもありました。
 
Ko-e magagine online July 2009
Aileen Mioko Smith Text & Interview: Ian Priestley
(抜粋引用開始)
IP. その暴行事件で生活に何か影響はありましたか?
AMS. その事件以来、私たちの生活は一変しました。それ以前にも彼はたくさんの傷を負っていました。太平洋戦争中に3回の飛行機事故を経験し、チッソでの暴行事件以前に30回以上も手術を受けていましたから、もともと辛い状態ではあったわけです。そして彼はアルコールに依存していました。酒の力で痛みを忘れようとしていました。そしてチッソの暴行事件による大怪我で私たちの取材活動はますます難しくなってしまいました。
ユージンは手を上げるという動作をすると時々気を失いそうになっていました。そんなときは私が彼を脇の方へ引っ張って行って私が代わりに写真を撮りました。またあるときは、ちょっと手を上げただけでも失神しそうになるというので口でシャッターを切ろうとしていたこともありました。
彼はひどい頭痛にも悩まされていました。水俣では古い借家に住んでいて暖房には薪を焚いていました。薪を割るのに使う斧があったのですが、ある日彼は「斧を持ってきてこの頭をかち割ってくれ」と言ったくらい辛かったようです。
(引用終わり)     
 
 ETV特集「写真は小さな声である~ユージン・スミスの水俣~」を視るための予習としては盛り沢山過ぎたでしょうか。あまり、先入観を持たずに虚心に番組に向き合いたいという方には、余計な情報だったかもしれません。
 それでも、故ユージン・スミスさんや水俣について、多くのことを学ぶ契機となればと思って調べてみました。
 
(引用開始)
 原発の使用済燃料の行方が、いまや差し迫って大きな問題になっている。運びこむべき六ケ所再処理工場の受入貯蔵プールが満杯になっているためである。それに加えて新たに、福島事故以後に進行している老朽原発の廃炉が、電力会社にとってきわめて深刻な状況をつくりだしている。
 美浜1・2号の廃炉に伴って、そこの使用済燃料プールも廃止になり、3号炉のプールに移すと現状でもあふれてしまう。同様に、大飯1・2号から3・4号に移すと、そこはおよそ満杯に近くなる。にもかかわらず関電は、無謀にも、大飯3・4号の運転を再開し、美浜3号も運転再開しようとしている。
 大飯3・4号の運転再開を容認するにあたって福井県知事は、使用済燃料を県外に移送するよう要求した。関西電力は、県外の中間貯蔵の計画地点を今年中に公表すると約束し、これを条件として、福井県知事は大飯3・4号の運転再開を昨年11月に容認した。
 その期限までに2か月を残すばかりとなった本日、私たちは関西集会に集い、使用済燃料という名の核のゴミの実情を直視した。
 和歌山県白浜町では「核のゴミはいらん日置川の会」が7月29日に結成され、他の2地区でも、8月に同趣旨の白浜の会が結成された。和歌山県、関西、生協関係の運動団体からも白浜町に反対の申入れがなされてきた。これらを受けて白浜町長は9月町議会冒頭で、それまでの姿勢を転換し、関電から申入れがあっても協議には応じないとの意思をついに初めて表明した。
 青森県むつ市は関電からは受け入れない方針であることを、私たちは9月13日に直接出向いて確認した。兵庫県北部など関電管内のどこも受け入れる意思はないことを、アンケートなどで確認している。
 他方、福井県の高浜町長とおおい町長は8月末に相次いで、敷地内乾式貯蔵も選択肢としてあり得ると表明した。9月の福井県議会でも、若狭地域選出議員が知事の県外搬出方針を槍玉にあげている。これらは県外立地の困難を見越し、事実上、関電を援護するものである。ただし、両町とも今のところ、知事の県外立地方針を認め、関電の計画を注視する姿勢であることは10月の申入れ時に確認した。
 本日私たちは白浜町からの報告を聞き、反対組織の立ち上げに踏み切った思いを受け止めた。「ゆたかな海・山・川を子どもや孫たちに残そう、日置川に核のゴミはいりません」がそのスローガンである。
 その思いは、原発立地点の高浜町やおおい町の人たちにも共通ではないだろうか。白浜に許されない施設は、やはり高浜やおおいにも許されるべきではない。
 実際、ひとたび貯蔵施設がつくられれば、そこは永久的な核のゴミ捨て場とならざるを得ない。以前に50年の貯蔵期間終了後に運ぶ予定であった第二再処理工場は、現在は事実上消滅している。六ヶ所再処理工場も、寿命が40年なので、そのころには幻と化している。
 中間貯蔵施設も敷地内乾式貯蔵施設も、原発を延命させ、ますます多くの使用済燃料というゴミをつくるための施設である。原発と核燃料サイクルの矛盾はいまや誰の目にも明らかである。全国各地の運動は連携を強め、使用済燃料の新たな貯蔵施設の計画に反対しよう。
 福井県外の計画地点の公表ができないよう監視を強めよう。敷地内乾式貯蔵施設も永久的な核のゴミ捨て場となることを、地域の人たちに広く知らせて行こう。
 大飯3・4号の稼働に関する知事の承認は、年末に約束違反となれば事実上無効となる。大飯3・4号を止め、さらに高浜3・4号、高浜1・2号、美浜3号を止めていこう。
  2018年10月28日 
  核のゴミ捨て場「中間貯蔵」はいらない!関西集会 参加者一同
(引用終わり)

「止めよう!改憲発議―この憲法で未来をつくる11・3国会前大行動―」を視聴して決意をあらたにしよう

 2018年11月4日配信(予定)のメルマガ金原No.3321を転載します。
 
「止めよう!改憲発議―この憲法で未来をつくる11・3国会前大行動―」を視聴して決意をあらたにしよう
 
 日本国憲法が公布されてから72年となる昨日(11月3日)、この記念すべき日に、全国各地で様々な行事が取り組まれたことと思いますが、東京の国会前では、「安倍9条改憲NO!全国市民アクション」と「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」が主催する「止めよう!改憲発議―この憲法で未来をつくる11・3国会前大行動―」が開かれました。
 いくつかの動画がアップされていますが、一番最初に気がついて視聴し、画質・音質ともとても良好な「Makabe Takashi」さんのチャンネルをご紹介します。
 動画は2本に分かれており、1本目がジンタラムータの皆さんによるオープニングライブ、2本目が「開会挨拶 政党挨拶 各分野からの発言 行動提起」とチラシに予告されたリレートークです。
 是非、全編を視聴して、「止めよう!改憲発議―この憲法で未来をつくる」という意欲を全国で共有しましょう。
 
ジンタらムータ 止めよう!改憲発議―この憲法で未来をつくる11・3国会前大行動―オープニング 2018年11月3日(25分50秒)
 
止めよう!改憲発議―この憲法で未来をつくる11・3国会前大行動― 2018年11月3日(1時間27分51秒)

冒頭~ 開会 司会・菱山南帆子(総がかり行動実行委員会)
1分~ コール1 加藤れいこ氏(憲法共同センター)
〇安倍9条の 改憲反対
〇改憲発議 絶対止めよう
〇9条変えるな 憲法活かせ
〇安倍政権は 今すぐ退陣
〇戦争法は 必ず廃止
〇戦争したがる 総理はいらない
〇森友疑惑 徹底追及
〇加計疑惑も 徹底追及
〇ウソをつくな
〇国家の私物化 許さないぞ
〇セクハラ発言 許さないぞ
〇人権守れ
〇増税増税 絶対反対
〇10%は許さない
〇軍事費けずって 暮らしに回せ
〇軍事費けずって 福祉に回せ
〇オスプレイ飛ばすな どこにもいらない
〇イージスアショア (聴取不能)
〇朝鮮半島 対話で平和
〇辺野古に基地は 作らせないぞ
〇沖縄県民の 声を聞け
〇核兵器なくし 原発いらない
〇原発再稼働 絶対反対
〇市民と野党の 共闘前進
〇野党は共闘
〇野党がんばれ
〇安倍政権を 必ず倒そう
〇憲法改悪 必ず止めよう
〇みんなの力で 政治を変えよう
〇あきらめないぞ
〇あきらめないぞ
4分~ 主催者開会挨拶 福山真劫さん(総がかり行動実行委員会共同代表)
(政党挨拶)
12分~ 又市征治氏(社会民主党党首、参議院議員)
19分~ 小池晃氏(日本共産党書記局長、参議院議員)
25分~ 有田芳生氏(立憲民主党特命副幹事長、参議院議員)
33分~ コール2 加藤れいこ氏(憲法共同センター)
(各分野からの発言)
37分~ 清水雅彦氏(日本体育大学教授・憲法学)
42分~ 小森陽一氏(東京大学教授、安全保障関連法に反対する学者の会)
(政党挨拶)
47分~ 小宮山泰子氏(国民民主党総務会副会長、衆議院議員)
(各分野からの発言)
53分~ 高里鈴代氏(オール沖縄会議共同代表)
1時間01分~ 久保田竜子氏(ブリティッシュコロンビア大学教授、カナダ9条の会)
1時間07分~ 川崎哲氏(ピースボート共同代表)
1時間13分~ 濱田すみれ氏(24条変えさせないキャンペーン)
1時間19分~ 行動提起 高田健氏(総がかり行動実行委員会共同代表)
1時間24分~ コール3 加藤れいこ氏(憲法共同センター)
 
(付記/生かそう憲法 守ろう9条 11.3憲法集会 in 京都)
 11月3日には、全国各地で様々な大型企画が開催されたようですが、そのうち、京都市東山区の円山野外音楽堂では、憲法9条京都の会と安倍9条改憲NO!全国市民アクション・京都が主催する「生かそう憲法 守ろう9条 11.3憲法集会 in 京都」が開かれました。集会での基調講演は、広渡清吾氏(東京大学名誉教授、元日本学術会議会長、安全保障関連法に反対する学者の会発起人)でした。
 この集会とその後のデモ行進が、IWJ京都によるTwitcasting録画で公開されていますのでご紹介しておきます(集会とデモの2本に分かれています)。
 ちなみに、集会での政党挨拶の最後が、メッセージ朗読(それも抜粋)だけとはいえ、前原誠司国民民主党衆議院議員(京都府総支部連合会会長)からのものだった、というのにはある種の感慨を覚え(ちなみに、立憲民主党の福山哲郎幹事長もメッセージでしたが)、思わず文字起こししてしまいましたのでお読みください(これから、来年夏の参院選に向けて、市民と野党の共闘をどう構築していくかに悩んでいる全国各地の皆さん~和歌山を含む~の参考になるでしょうか?)。
[前原誠司国民民主党衆議院議員メッセージ(代読)抜粋]
   私たちは、現在の日本国憲法の下で世界に誇る平和と経済的繁栄を獲得してきました。敗戦直後の絶望の中にあって、国民が未来に一縷の望みを抱き生活と社会の再建に心血を注いでこられたのは何故か。それは日本国憲法に国民主権、基本的人権の尊重、平和主義が明記され、その具現化が図られたからであります。「生かそう憲法 守ろう9条 11.3憲法集会 in 京都」がその契機となり、また、私たち国民民主党への、本日ご参集されておられる全ての方々からのご期待を受け止め、ここ京都から取り組むことをお約束し、開催にあたってのメッセージとさせていただきます。

安倍晋三首相による「私は立法府の長」発言4事例+番外「立法府の私」1事例を再確認する~2007年5月11日~2018年11月2日

 2018年11月3日配信(予定)のメルマガ金原No.3320を転載します。
 
安倍晋三首相による「私は立法府の長」発言4事例+番外「立法府の私」1事例を再確認する~2007年5月11日~2018年11月2日
 
 昨日(11月2日)の衆議院予算委員会における審議の中でのささやかなエピソードをご紹介しておきます。
 私がこのエピソードを、裏付けとなる衆議院インターネット審議中継の書き起こしとともにブログに掲載しておこうと考えた問題意識については、後に説明させていただきます。
 
 まず、このエピソードを短く伝えた報道記事を3本ご紹介しておきます。
 
毎日新聞 2018年11月2日 20時29分(最終更新 11月3日 10時28分)
衆院予算委 安倍首相また「私は立法府の長」 議場嘆声
(抜粋引用開始)
 安倍晋三首相は2日の衆院予算委員会で、「私が今ここに立っているのは、『立法府の長』として立っているわけだ」と答弁し、直後に「行政府の長」と言い直した。首相が国会で自身を「立法府の長」と言い間違えるのは2007年5月、16年4、5月に続き少なくとも4回目。今回は議場の「あー」という嘆声で気付いてすぐに訂正した。
 国民民主党の奥野総一郎氏が、消費増税とセットで行うはずの国会議員定数削減が進んでいないと指摘。言い間違えた後、首相は「失礼、すいません、行政府の長として立っており、立法府の議員定数について少ない方がいいと言ってはいけない」と述べた。
(略)
(引用終わり)
 
しんぶん赤旗 2018年11月3日(土)
3度「立法府の長」発言 安倍氏の無理解極まる
(引用開始)
 「ここに立法府の長として立っている」。安倍晋三首相は2日の衆院予算委員会で、自身を「立法府の長」だとする間違った発言をし、与野党議員から失笑を買いました。
 問題の発言は、国民民主党の奥野総一郎氏が国会議員の定数削減への取り組みをただしたさいの答弁。直後に「行政府の長」と訂正し、謝罪しました。
 安倍首相が国会で「立法府の長」だと述べたのは、2007年5月と16年5月の答弁に続く3度目です。
 安倍氏は今回、答弁を訂正する際に、「行政府の長」として「立法府の議員の定数について、私が少ないほうがいいと言うのはあってはならないのだろう」と表明しました。
 ところが、安倍氏は今国会での所信表明演説(10月24日)では、衆参両院の憲法審査会で各党が改憲案を示して議論することは「私たち国会議員の責任」だと主張し、「行政府の長」として国会に改憲の大号令をかけました。
 「行政府の長」として、議員定数への言及が「あってはならない」というなら、改憲案審議を立法府=国会に促すこともあってはならないはずです。憲法の三権分立原則への安倍氏の無理解ぶりを示しています。
(引用終わり)
 
朝日新聞(大阪本社) 2018年11月3日 朝刊 13版 4面
首相また「私は立法府の長」
(抜粋引用開始)
(略)
 首相は2016年5月の衆院予算委員会でも「私は立法府の長」と答弁。同月の参院予算委でも「立法府の私」と答えた。
(引用終わり)  
 
 上記3紙が、全て先例として指摘している2016年5月の「私は立法府の長」発言というのは、2016年5月16日開催の第190回国会(常会)衆議院予算委員会における山尾志桜里議員(民進党・無所属クラブ)からの質問に対し、「私は立法府、立法府の長であります。」と答えたことを指しており、これは当時相当に大きな話題となりましたので、ご記憶の方も多いことでしょう。
 けれども、各紙が指摘している先例はそれだけではありません。今回も含めて時系列順に「私は立法府の長」発言を並べると以下のようになります。
 
1 2007年5月 (毎日が指摘)
2 2016年4月 (毎日が指摘)
3 2016年5月 (毎日、赤旗、朝日が指摘)
(番外)2016年5月「立法府の私」 (朝日が指摘)    
4 2018年11月 (今回の発言)
 
 上記の1、2、3、(番外)の4事例については、私も2年前のブログでフォローしていました。
 
2016年5月19日
2016年6月9日
 
 (番外)を含めた「私は立法府の長」発言5事例の年月日等のデータを一覧にしてみましょう。
 
第1事例
2007年5月11日
第166回国会(常会)参議院日本国憲法に関する調査特別委員会
簗瀬進委員(民主党)からの質問に答えて
 
第2事例
2016年4月18日
第190回国会(常会)衆議院環太平洋パートナーシップ協定等に関する特別委員会
下地幹郎委員(おおさか維新の会)からの質問に答えて
 
第3事例
2016年5月16日
第190回国会(常会)衆議院予算委員会
山尾志桜里委員(民進党・無所属クラブ)からの質問に答えて
 
(番外)事例~「立法府の私」
2016年5月17日
第190回国会(常会)参議院予算委員会
福山哲郎委員(民進党・新緑風会)からの質問に答えて
 
第4事例
2018年11月2日
第197回国会(臨時会)衆議院予算委員会
奥野総一郎委員(国民民主党・無所属クラブ)からの質問に答えて
 
 以上からお分かりのとおり、安倍晋三首相による「私は立法府の長」という発言は、「少なくとも4回目」という毎日新聞の記載が正しく、しんぶん赤旗の「3度目です」というのは、2016年4月事例のカウント漏れです。ちなみに、赤旗の記事後半、所信信表明演説での改憲への言及との矛盾を指摘した部分は素晴らしい着眼だと思います。
 
 過去2回ブログで取り上げてはいるのですが、最新事例が加わったのを機に、(番外)編を含めた5事例をまとめてご紹介しておきましょう。
 その際、安倍首相の発言を「何によって」確認したかというと、
 
第1事例 2007年5月11日 参議院
 ⇒参議院会議録
第2事例 2016年4月18日 衆議院
 ⇒衆議院インターネット審議中継、衆議院会議録
第3事例 2016年5月16日 衆議院
 ⇒衆議院インターネット審議中継、衆議院会議録
(番外)事例 2016年5月17日 参議院
 ⇒参議院インターネット審議中継(現在は削除)、参議院会議録
第4事例 2018年11月2日 衆議院
 ⇒衆議院インターネット審議中継
 
となります。
 実は、衆議院インターネット審議中継は、「公開期間は、第174回国会(常会)より継続して公開しています。」(FAQ)ということで、2010年1月召集の常会(第174回国会)以降の動画は全て視聴できますが、参議院インターネット審議中継は、「視聴できるのは、各国会ごとに、会期終了日から1年が経過した日までです。」(よくある質問)という非常に短期間だけの公開にとどまっており、これは至急、衆議院と同様に永年公開継続すべきです。
 以下にご紹介しますが、「私は立法府の長」発言が、安易に「私は行政府の長」と会議録で書き換えられており、これが、衆議院であれば、まだしも動画と対照して書き換えの経過を検証できますが、参議院のようにあっという間に動画が削除されてしまえば、この検証作業自体が不可能になってしまいます。
 実際、上記(番外)事例も、いまや動画で確認することができませんので、公開当時、私が文字起こししたものをそのまま転載しています。
 昨日の第4事例は、幸い(?)衆議院でしたので、1年で動画が削除されることはありませんが、多くの方に情報を共有していただくためにも、書き起こしておくことは重要であると考え、以下にご紹介することとした次第です。
 
 それでは、安倍首相「私は立法府の長」発言4事例プラス番外「立法府の私」を一挙紹介します。
 今回は、昨日の最新事例を先頭に、順次過去に遡って配列します。
 
【第4事例/平成30年(2018年)11月2日】
第197回国会(臨時会)衆議院予算委員会
奥野総一郎議員(国民民主党・無所属クラブ)からの質問に答えて
安倍晋三内閣総理大臣 そこで、しかし、その時代には1議席もですね、削減することができなかった訳でございますが、我々は15議席ですね、15議席これは削減した訳でございます。で、そこでですね、そこでそれが多々益々便宜(?)なのか、削減する議員の定数が多ければ多いほどいいのかという議論もですね、真剣にしなければいけないわけでございまして。私は、まさに今ここに立っているのはですね、立法府の長としてここに立っているわけでございます。(議場ざわめく)その上・・・失礼しました。あの、行政府の長として、行政府の長として立っているわけでありますから、ええ、あの、行政府の長として立っているわけでありますから、立法府の議員のですね、定数ということについて、私が「少ない方がいい」ということがあってはならないんだろうと、こう思うわけでありまして、立法府のことにつきましては、まさにこれはしっかりとですね、議員の定数のあり方については、これは議会の根幹に、議会政治の根幹にかかわることでありますから、重要な課題であり、各党、各会派において、真摯に行われるべきものであろうと、こう思うわけであります。
 
【番外/平成28年(2016年)5月17日】
第190回国会(常会)参議院予算委員会
福山哲郎委員(民進党・新緑風会)からの質問に答えて
福山哲郎委員(民進党・新緑風会) 事務総長にお伺いします。この議事録が10月に掲載された時に、特別委員会の委員長ならびに委員は、理事は存在しましたか。
中村剛参議院事務総長 昨年の通常国会は9月27日に閉会してございますので、当日、9月17日の会議録が出た時点では、特別委員会は存在しておりません。
福山哲郎委員 総理は国会の判断だと言われましたが、国会の委員長も理事も存在してないんですよ。じゃあ、誰が判断してるんですかね、これ。誰が判断してるんですかね。総理、どうお考えですか。
安倍晋三内閣総理大臣 議院の事務局がお答えしていることについて、私は、立法府の私としてはお答えのしようがないわけであります。
○福山哲郎君 事務総長にお伺いします。
 この議事録が十月に掲載されたときに、特別委員会の委員長並びに委員は、理事は存在しましたか。
○事務総長(中村剛君) 昨年の通常国会は九月二十七日に閉会してございますので、当日、九月十七日の会議録が出た時点では特別委員会は存在しておりません。
○福山哲郎君 つまり、国会の判断だと、総理は国会の判断だと言われましたが、国会の委員長も理事も存在していないんですよ。
 じゃ、誰が判断しているんですかね、これ。誰が判断しているんですかね。総理、どうお考えですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) 院の事務局がお答えをしていることについて、私は、立法府のとしてはお答えのしようがないわけであります。
※金原注 この会議録の書きぶりは、一見すると発言通りと思われるかもしれませんが、「立法府の」と「私としては」の間の「、」がくせ者です。素直に読めば、何かここに間合いがあったという感じを受けるでしょうが、私の記憶によれば、「立法府の私としては」は一気に発言され、間合いなどなかったのですけどね。動画が削除されてしまうと、こういう点の検証ができなくなってしまうのです。
 仕方がないので、2016年6月9日に書いた私のブログの該当箇所を再掲しておきます。
「さらに、もっと微妙というか巧妙なのが【事例4】(注:上記【番外】のこと)です。会議録では「立法府の、私としては」と間に「、」が入っています。この「、」は、誰がどういう意図で挿入したのでしょうか。速記官が作成したもともとの原稿(速報)に「、」はあったのでしょうか?(あるわけないと思いますけどね)
 皆さんも動画を視聴して確認いただきたいのですが、何度聞いても、安倍首相は、「立法府の私としては」とよどみなく一続きの流れで発言していますよね。誰が考えても、「立法府の私」であって、「立法府の」「、」「私」ではないですよ。
 後世、何も知らない人が会議録のこの部分を読めば、首相は、「立法府の(ことについては)、私としてはお答えのしようがない」と答えたのかな(括弧内をつい省略して)と勘違いしかねません。これは巧妙というより悪質です。」
 
【第3事例/平成28年(2016年)5月16日】
第190回国会(常会)衆議院予算委員会
山尾志桜里委員(民進党・無所属クラブ)からの質問に答えて
山尾志桜里委員(民進党・無所属クラブ) ・・・この社会が求めている待機児童問題、保育士さんの給料をどうするのかという問題、議論をこの国会で、しっかり与野党前向きにできるんですよ。この場で是非、「一歩でも前に進めよう」「対案を議論すべきだ」とおっしゃることできないんですか。
安倍晋三内閣総理大臣 ええ、山尾委員はですね、議会の運営ということについて、少し勉強していただいた方がいいと思います。議会についてはですね、私は立法府、立法府の長であります。国会は、国権の最高機関として、その誇りをもってですね、いわば立法府とは、行政府とはですね、別の権威として、どのように審議をしていくかということについては、各党、各会派において、議論をしているわけでございます。
○山尾委員 ・・・社会が求めているこの待機児童問題、保育士さんの給与をどうするのかという問題、議論をこの国会でしっかり与野党が前向きにできるんですよ。この場でぜひ、一歩でも前に進めよう、対案を議論するべきだとおっしゃることはできないんですか。
○安倍内閣総理大臣 山尾委員は、議会の運営ということについて少し勉強していただいた方がいいかもわかりません。
 議会については、私は行政府の長であります。国会は国権の最高機関としてその誇りを持って、いわば行政府とは別の権威として、どのように審議をしていくかということについては、各党各会派において議論をしているわけでございます。
※金原注 「私は立法府、立法府の長であります。」という発言は、きれいに「私は行政府の長であります。」と修正されました。こういう「改竄」を阻止しようとすすれば、質問者において、その直後に「総理は、自分が『立法府の長』だと信じているのですか?」
という質問をするしかないのでしょうかね。こうしておけば、首相発言の書き換えをしてしまうと、後の質問者の質問まで削除しなければならなくなり、質問者が納得するはずないですからね(【事例1】を参照願います)。
 
【第2事例/平成28年(2016年)4月18日】
第190回国会(常会)衆議院環太平洋パートナーシップ協定等に関する特別委員会
下地幹郎委員(おおさか維新の会)からの質問に答えて
安倍晋三内閣総理大臣 ・・・議員歳費につきましては、これはまさに、これはまあ、国会、国会議員の、これはいわば権利につく話、関わる話でございますから、まあ、立法府の長である私がですね、それについてコメントすることは差し控えさせていただきたい。是非・・・(議場がざわめき、「行政府、行政府」と注意する者あり)あっ、行政府だ、失礼、ちょっと。あの、行政府の歳費の削減でございますが・・・。
○安倍内閣総理大臣 ・・・議員歳費につきましては、これはまさに国会議員のいわば権利にかかわる話でございますから、行政府の長である私はそれについてコメントすることは差し控えさせていただきたい。
※金原注 事例がこれ1つだけであったなら、「うっかりミスでしょう」ということで見過ごしてもらえたかもしれないのですがね。
 
【第1事例/平成19年(2007年)5月11日】
第166回国会(常会)参議院日本国憲法に関する調査特別委員会
簗瀬進委員(民主党)からの質問に答えて
○簗瀬進君(民主党) 国民とともに議論をすると、そういう総理にお言葉がございました。私は、まあ私がどう評価しようと、それは国民がよく分かっていると思うんですよ。
 何しろ今日、先ほどの理事会で、残念ながら私たちは本日審議を終局するということで合意をせざるを得ませんでした。この週後半はずっと私たちが何を求めたかといえば、正に国民とともに議論をする、それが制度的にしっかりと表れたものとして何があるかといえば、これは公聴会じゃないですか。地方公聴会は六回やりました。しかし、前日連絡をして翌日公述人を選ぶような、そういう地方公聴会と、官報に掲載をして五日間国民の皆さんに対してしっかりと議論をする、意見を述べる、そういう機会を保障する中央公聴会とは、委員派遣の実質の地方公聴会は全く違うんです。その中央公聴会を私たち何度も求めましたけれども、結局自民党、公明党はそれを受けてくれませんでした。
 正にそれは総理が、総裁として、自民党の総裁として国民とともに議論をするとおっしゃったその言葉と全く矛盾する対応を現場がしている。これどう思うんですか。
○内閣総理大臣(安倍晋三君) それは、正に参議院のこの委員会の運営は委員会にお任せをいたしておりますから、私が立法府の長として何か物を申し上げるのは、むしろそれは介入になるのではないかと、このように思います。
○簗瀬進君 先ほど憲法尊重擁護義務の話がございましたけれども、総理大臣として現在の憲法を尊重し擁護をすると、これは憲法にちゃんと明記されている。しかも、三権分立というものがあります。国権の最高機関として定められているのは国会である。そして、その国権の最高機関と分立する形で立法府のほかに内閣があり司法があって三権が成り立っているんです。あなたはそういう意味では行政府の長であります。
 正にそういう意味では、行政府の長として、内閣の例えば審議の在り方に対する外部的な様々な注文というのは絶対にこれ抑制すべきじゃないですか。正に、審議促進を様々にさせるような、そういう圧力を国会やら自民党に対して掛けてくるということは、これは絶対に避けるべきじゃないですか。それを延々とおやりになって今日まで来ているんじゃないんですか。正にそういう意味では、総理のこの国会に対する様々な総理としての圧力というようなものは行政府の立法府に対する容喙であり、立憲主義に違反する憲法違反の態度だと私は思いますが、いかがですか。
※金原注 簗瀬進議員が直ちに切り返したので、「私が立法府の長」を「私が行政府の長」と書き換えることができなかったのでしょう。
 
 以上で、安倍首相「私は立法府の長」発言4事例プラス番外「立法府の私」の一挙紹介を終わります。
 この問題に関連して、上述したとおり、会議録のあり方や、参議院インターネット審議中継の動画保存期間1年間を衆議院と同様に永年保存とすべきなど、重要な論点に気がつくのですが、間もなく在任6年にもなろうとする内閣総理大臣が、「私は立法府の長」という観念にとりつかれている(?)ことも大問題です。
 これは、単に「教養」とか「能力」の欠如という問題を超えているという気がします。
 そういう観点からすると、昨日の衆議院予算委員会で、安倍首相が言い間違いに気がつき、訂正発言をした際、これみよがしに「あーあー」という不規則発言(?)をした野党議員は、問題の本質が分かっていない。満場が息をのみ、「恐怖の沈黙」をもって対峙すべき場面だった、というのが私の感想です。

追悼 月山 桂 先生~講演録「月山 桂 弁護士 憲法への思いを語る」(2005年8月25日)を読む

 2018年11月2日配信(予定)のメルマガ金原No.3319を転載します。
 
追悼 月山 桂 先生~講演録「月山 桂 弁護士 憲法への思いを語る」(2005年8月25日)を読む
 
 先ほど、和歌山弁護士会会員、月山桂先生の通夜式に参列して事務所に戻ってきたところです。昨日午後、和歌山弁護士会事務局から「本日(11月1日)月山桂先生がお亡くなりになった」ことを会員に知らせるFAXが届き、悲嘆の思いにかられた弁護士は数多かったことでしょう(弁護士だけではなく事務職員も~私の事務所の事務員のように)。
 
 月山桂先生の略歴は、先生が2009年5月に自費出版された『法曹界に生きて平和を思う』の巻末に掲載されたものを、本稿末尾でご紹介しています。
 そこに記載されているとおり、大正12年3月31日生まれの先生は、中央大学法学部在学中の昭和18年、学業半ばで応召され、多くの学友、戦友を喪うという体験をされた後、戦後学業に復帰して司法試験(高等文官試験司法科)に合格され、6年余り裁判官生活をされました。
 昭和31年6月から、郷里の和歌山で弁護士としての仕事をスタートされ、長らく第一線で活躍してこられました。
 本来の弁護士としての業務以外にも、様々な公職を務められた月山先生が、とりわけ熱心に取り組まれていたのが「人権と平和」でした。

 応召後の月山先生は、満州にあった関東軍経理部教育隊での勤務の後、内地の原隊に復帰し、郷里和歌山に置かれた護阪師団の主計少尉として敗戦を迎えたのですが、先生は、そのように幸いにも命ながらえた自分には、「戦争とか軍隊というものの勝手気ままな、軍、優先の実態を」「語り継ぐのが私の義務だと思っております。」(後掲の講演録から)という揺るがぬ信念を生涯貫かれました。
 
 2005年5月13日に和歌山弁護士会会員有志が「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」を立ち上げた際にも、その趣旨に全面的に賛同され、進んで顧問を引き受けてくださいました。
 また、同年9月に発足した「九条の会・わかやま」よびかけ人も引き受けられました。
 月山先生は、単に顧問やよびかけ人に名前を連ねるというだけではなく、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」が提唱して、憲法記念日にJR和歌山駅前で行うようになった9条を守る署名活動にも進んで参加され、また、8月の第一土曜日に開催される紀州おどりに「九条連」を結成して参加するようになってからは、何年も、横断幕を持って「九条連」を先導される月山先生のお姿がありました。

 ここ何年かは体調がすぐれず、お姿を拝見する機会もめっきり減っていたので、心配していたところに接した訃報でした。
 今まさに、現職の内閣総理大臣が、憲法尊重擁護義務をかなぐり捨て、自衛隊の幹部会同や観閲式、さらには国会での施政方針演説において、9条改憲への強い意欲を示すという、日本国憲法制定以来最大の危機を迎えています。
 この時にあたり、月山桂先生を喪ったことは私たちにとって痛恨の極みです。
 私を含む多くの方が、自らの責務を自覚し、日本国憲法の平和主義を守るためになし得る全てをやりぬくことを、月山先生のご霊前に誓ったことと思います。
 
 月山桂先生が、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」からの依頼に応え、「憲法への思いを語る」と題して和歌山弁護士会館でお話されたのは2005年8月25日のことでした。
 その講演録については、翌年6月に刊行された「憲法9条を守る和歌山弁護士の会 創立1周年記念誌 平和のうちに生きるために」の中に収録され、これを同会創立10周年の日に、月山先生のお許しを得て、私のブログで紹介させていただきました。
 
2015年5月13日
 
 ただ、その際は、講演録全文のPDFファイルにはリンクしていたものの、ブログ本体には抜粋してのご紹介となっていました。
 このたび、月山桂先生を追悼するため、この13年前の講演録「月山 桂 弁護士 憲法への思いを語る」全文をご紹介することと致しました。
 是非、多くの方にお読みいただければと思います。
 
 なお、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会 創立1周年記念誌 平和のうちに生きるために」の中には、講演録の他に、月山先生のご発言や文章が2つ掲載されています。
 1つは、2005年12月9日に「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」が開催した「リレートーク 自民党改憲案の検証」における月山先生による閉会のご挨拶。もう1つは、「会員寄稿~憲法にかける会員の思い」に掲載された「新憲法と極東軍事裁判の思い出」という短いエッセイです。
 特に、「新憲法と極東軍事裁判の思い出」については、著作権継承者から許諾をいただければ、あらためて私のブログでご紹介したいと思っています。
 
 他に、2007年6月2日に「九条の会・わかやま」と「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」が共催した品川正治氏講演会において、月山桂先生が閉会挨拶をされており、その書き起こしが「九条の会・わかやま」ホームページに掲載されていますので、ご紹介しておきます。
  
月山桂先生(2013年) なお、今回のブログに掲載させていただいた写真は、2013年9月8日に「九条の会・わかやま」が県下の「9条の会」に呼びかけて和歌山県勤労福祉会館プラザホープで開催した「第2回 和歌山県「9条の会」交流集会」で開会挨拶をされる満90歳の月山桂先生のお姿です(撮影:南本勲氏)
 
月山 桂 弁護士 憲法への思いを語る
日時 2005年8月25日      
場所 和歌山弁護士会館 4階講堂
主催 憲法9条を守る和歌山弁護士の会

(引用開始)
○司会 藤井幹雄
 予定の時間になりましたので、「月山桂先生憲法への思いを語る」を始めたいと思います。桂先生にお願いに行った者を代表して藤井の方から最初にあいさつさせていただきます。
 5月13日に和歌山弁護士会の有志で「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」を発足いたしまして、月山桂先生には、その顧問をお願いして快諾をいただきました。現在、憲法9条を守る和歌山弁護士の会が県内の各層の方々へ呼びかけて、「9条ネットわかやま」というものを立ち上げようと、具体的には11月19日に市民会館大ホール1,500人収容を押さえるという無謀なことを計画しております(注:実際には、2006年2月25日に「9条を守ろう平和の集いinわかやま」として開催された)。
 会の活動として、この前、映画「日本国憲法」というのを見たんですけれども、憲法九条については、理念論であるとか、現実の国際情勢がこういうことであるとか、机上でのいろんな話があるんですけども、もう一度、われわれは、先輩方が60年前に経験したことは何だったんだろうかということを、もう一度足を地に着けて、そこから考える必要があると思い、そのために月山先生に今から60年前の今頃どういう思いでおられたかということをお話しいただいて、それをわれわれも共有し、そこからもう一度日本のあるべき姿というものを考えてみたいと思って企画したわけです。
 われわれ若輩が、桂先生にこういうことをお願いしに行くということで非常にどきどきしたんですけれども、先生に快諾いただいたときは胸のつかえがすっとおりたような感じでした。それではこれから、月山桂先生のお話をお伺いしたいと思います。桂先生、よろしくお願いします。
 
○月山 桂
 題名がものすごい題名でありまして、私の任にたえるかどうか、疑問に思っておりました。「憲法への思い」といいましても、難しいことを話せるわけじゃありません。今、憲法への思いというのは、九条への思いということだろうと思いますし、同時に私に話せというのは、お前はかなり年寄りだから、かつての戦争のことを知っているやろうということから、ご指名いただいたと思います。
 そういう意味で、私が今日お話することは、別に九条についてどうのこうのという、そんな難しいことは到底ようお話しませんし、この九条につながるであろうと私が考えている前の戦争、これに参加したというと、大げさですが、召集された一人として思い出を話させていただきます。
 
 私は、昭和19年11月末、満州で陸軍経理学校を卒業する時に、運良く、原隊復帰ということで内地へ、しかも和歌山へ帰ってきましたけれども、仲間の多くは、満州の各地に関東軍の要員として残りました。もっとも、その満州に残ったものでも、大体、3分の2くらいは、終戦までに本土防衛ということで内地へ帰ってきたということですけれども、運悪くといいますか、最後まで満州に残らされた人たちの殆どはシベリヤに抑留され、その中の大体4分の1くらいは向こうで亡くなったんではないか、というふうな話があります。
 その満州での陸軍経理学校の卒業の時に、原隊復帰で内地に帰る者の出発は後回しになりまして、満州でも遠隔の地に行く者から順番に出発して行く。内地組は、雪の中、それを見送るわけです。「此の地一たび別れを為し、孤蓬万里に征く」あの李白の「友人を送る」詩の思いで別れました。当時、あのような終戦の迎え方をすることになるとは思いもよらず、送る者も送られる者も、士官勤務の陸軍経理部見習士官として任官したばかりで、それなりに士気軒昂たるものがありました。ところが、敗戦、その何分の一かの者が、シベリヤで捕虜として故国を夢見つつ死んでいったのです。
 
 そういうふうなことからして、私は、私どもの体験を後の世代に語るのがわれわれの責務だということを感じておりまして、藤井先生の方から話しせよとおっしゃっていただいたんで、ああ、これは宿題を果たせる一つの機会だということで、喜んで参加させていただいたことでございます。
 お話をするにあたりまして、戦争を中心に自分の履歴をずっと書いてみました。
 書いてみて、兵隊に召集されたのが昭和18年の12月、中央大学の2年生だったと思います。その時に中退しまして、応召した。それ以後、昭和20年8月15日まで。それで戦争は終りましたが、私は主計だった関係上、占領軍に対して軍の物資を引渡ししなければならず、その引渡しが終わったのが昭和20年の10月頃だったと思います。この2年間というのが私の人生にとりまして、非常に意義のある時代だったと思うんです。その時代についての思い出をお話したいと思うんです。
 それかといって、これ全部お話したらなかなか時間が足りません。だから、今日お話させていただくのは昭和20年敗戦の年、この年の3月ぐらいから、終戦になって、進駐軍に対して物資の引渡しを終えて除隊になった。その間の思い出についてお話させていただきたいということです。
 
 護阪師団、大阪を守る師団というのが編成されたのは、昭和20年3、4月頃のことと思います。護阪師団の中に歩兵の方としてイ、ロ、ハという3つの連隊があります。私が配属されたのは、3つの連隊の中のロ部隊、部隊の大きさとすれば2個大隊で、約1,000名余りの割合と小さい連隊だった。連隊に2つ大隊がありました。大隊というのが3個中隊からなっている。中隊というのは、1個中隊が3個小隊ぐらいからなっている。1個小隊というのは大体50人ぐらい。一般的にですよ。
 私は満州の経理学校を卒業して間もない経理部見習士官だった。主計少尉になる寸前の士官勤務の見習士官で、本来は、第一大隊付主計ということで配属になっておったんです。ところが私どもロ部隊の高級主計、連隊の経理部の最高責任者が貨物廠といいまして、食糧とか、被服とか、そういうふうな軍需物資を大量に集積、管理する軍の倉庫、お役所の出身だったんです。そのため、金銭経理、糧秣経理、被服経理、営繕等すべてをやらなければならない、一般部隊、野戦部隊の主計業務の経験がなかった。
 それで、私は第一大隊の主計だったんですが、高級主計の補佐ということで、連隊全部について高級主計の仕事をやることになりました。その当時の私は、関東軍で鍛え抜かれた精鋭の気位があり、高級主計をさしおいて自分が高級主計みたいな顔をして、全部取り仕切ることになった。そういう状態で私は終戦の年の3、4月頃を迎えました。
 
 ご承知かもしれませんが、軍隊は一般社会から完全に隔絶され、兵営とも兵舎ともいわれる宿舎があって、そこで、1000人あるいは2000人の兵隊が集団で生活し、そのなかで、日夜、軍事訓練されていました。一般人(娑婆の人)はその兵営に立ち入ることはできないし、兵隊もまた、演習のときや、とくに外出・外泊を許された場合のほか兵営外に出ることは一切許されませんでした。例えば、みなさまご承知だと思いますが、和歌山には第24部隊(第61連隊)がありました。小松原5丁目をまっすぐ西につきあたったところにある和商や西和中学のあるあたり一帯がそうで、裁判所の葵町宿舎もその一部でした。そしてそれから南は、愛徳整肢園や西浜中学をも含め、小二里までの間が第24部隊の練兵場でした。軍律が厳しく、演習も純然たる銃や剣あるいは機関銃でする、いわゆる軍事演習が行われていました。
  ところが、敗戦間近な昭和19年、20年頃には、本土決戦といって、そのような兵舎に閉じこもることなく、軍隊は、上陸してくるであろう連合軍に対する戦闘のため、兵営を離れ、山野に展開することになりました。一つには、動員されてくる兵隊が常時の数倍もあって、とても兵営に収容しきれなかったということもあったと思います。
 
  私たちの連隊は、最初24部隊で編成され、その後間もなく海南高校に連隊本部を移し、下津、海南から以東の野上谷にかけて陣地構築をし、第2大隊は有田の宮原で作業しておりました。もちろん兵営はなく、学校やお寺等を兵営代わりにして分宿していましたが、その後、昭和20年の7月下旬に至って、2度目の移動で、うちの連隊は、構築した陣地や集積した軍需物資は後の連隊に引継ぎ、新たに中貴志の小学校に連隊本部を移し、後に言いますように師団の予備連隊として師団司令部の防衛にあたることになりました。
  兵隊の業務は本来いえば敵軍と銃砲刀剣をもって戦うことにありますが、また、そのための演習をすることが本業であると思われますが、この当時の兵隊の業務は、屡々述べますように、専ら土木作業でした。アメリカが上陸してきた場合に、陣地に立て籠もって迎撃する、そのための陣地を構築することにありました。私どもの部隊、ロ部隊は、御茶屋御殿山といいますか、船戸山にできる師団司令部の防衛部隊、ある意味では師団の予備連隊というふうな位置付けだった。そういうことで、御茶屋御殿山、船戸山あたりを中心にして、丸栖、貴志川、貴志、山東、それからもう一つ紀ノ川沿いの田井ノ瀬、布施屋、船戸、あそこらあたりの山へ横穴を掘っていた。私とこの部隊はそういうふうなことで、専ら陣地構築しておったわけですけれども、その他にイ部隊とか、ハ部隊というのがあります。どちらがどちらだったか忘れましたが、一つの方は加太の方ですね、加太から磯ノ浦、孝子、水軒、和歌浦の方にかけての陣地を構築しておったと思います。それからハ部隊の方は、下津、有田、湯浅、由良の方にかけて陣地を構築しておったと思います。陣地の構築というのは先程も言いましたように横穴掘ってアメリカが上陸してきた時に、そこへ立て籠もって大阪へ進出するのを妨げる、防衛すると、そういうふうな役割を担っていたと思います。そういうことのために陣地構築、土木作業をするのがわれわれ護阪師団各隊の仕事だった。
 私とこは、師団の予備連隊だったため、移動もあって陣地の構築ということが遅れておった。加太とか有田、ああいうふうな海岸に近いところの連隊は陣地構築も終えて、アメリカが上陸してきた場合は、どこからどこへ上陸させて、どういうふうな方法でやっつける、やっつけるかやっつけられるか知りませんけど、そういうふうな演習もしておったのかな、と思いますけれども、私どもの連隊はまだ穴堀が十分できていないというふうな状態だったために、そこまでいっておりませんでした。
 
 主計の仕事の中には、兵への給与その他の金銭経理というのがありますし、営繕といいますか、宿舎を借りたりとか、いろんな営繕関係の仕事もある。その外、野戦部隊の主計の中心が、糧秣、兵隊に食べさせる食糧ですね、それから陣地構築した場合に、どれぐらいの期間かアメリカと抗戦しなければいけない、その抗戦期間中における物資の確保ですね。
 その当時、民間の方では、食糧はほとんど枯渇しておったかと思います。昭和19年の春頃だったと思いますが、藤原銀治郎という軍需大臣がおりまして、「我が国は19年の終わり頃には物資が枯渇するであろう」というようなことを話して物議を醸したことがありましたけれども、そのとおりになって、19年の終わり頃、20年の初め頃には、民間では主食も事欠いてくるというふうな状態でした。
 そのような状態でありましたけれども、軍隊の方に対しては本土決戦用としてどんどんと食糧を送ってくるわけですね、カマスに入った米が毎日のように大量に送られてくる状態でした。私の部隊は今の中貴志の小学校へ移る以前、連隊本部が海南高校にあった当時、野上谷の倉庫という倉庫、これを全部借り上げたんです。あそこは造り酒屋のたくさんあるところです。酒屋の蔵は全部借りた。それと同時に棕櫚や笹ものの産物が多いところで、その産物のための倉庫というのが、小さい倉庫ですけれども、そういう倉庫もみな借り上げ、今、申しました食糧をそういう倉庫に貯蔵しました。
 私らが今度、中貴志に移動して来てからも同じように食糧がどんどん来るわけです。置くところに困りまして、最後にはやむを得ず、校庭に丸太を組みまして、丸太の上に、カマス、そうですね、今思い出すんですけど、コーリャンを80㎏の麻袋(マータイ)に詰め込んでいるんですけれども、それが貴志川線ですか、あれで送られてくるわけです。それをそれぞれの倉庫の所在地に近い所で降ろしてもらって、それを倉庫まで運ぶわけです。大体その当時の兵隊は最終動員の補充兵というとなんで、年齢も30を越し、あまり体力はない。そういうふうな兵隊にこの80㎏のマータイを倉庫まで運べといってもなかなかいかん。私は自分でこういうふうにやるんだというて、貨車から降ろすときに、自分の背中のところにマータイを背負わせるように落としてもらって、それを50mぐらい先にある倉庫まで、こうして運ぶんだというて見本を示した記憶があります。そういうふうなことでコーリャンなんかを倉庫まで運ぶ。いよいよ、倉庫もなくなったということで校庭に丸太を組んで。それくらい軍は食糧が非常に豊富だった、とにかく困るくらいどんどん送ってきた。
 民間があの当時困っておって、すいとん(うどん粉の団子汁)までいっておったかどうか知りませんけれども、麦とか、サツマイモ、そういうふうなもので飢えを凌ぐほどになっていた。終戦直後ほどではなかったにしたところで、かなり急迫しておったことは間違いない。そういうふうな状態であった。
 
 そういうふうな時代、私は、あるとき、連隊長から、「この頃うちの部隊の食餌の状態が悪いぞ、カロリーが落ちてるじゃないか」と。これは師団で各連隊ごとにカロリーを計算したカロリー表というものが連隊長の方まで届けられるらしいんですね。うちの連隊が上位から落ちていると、「月山、これなんとかせないかんな」といわれる。カロリーは充分あるんです。主食はあるんだけれども、カロリーの計算をするときに副食がかなりを占めるわけなんですが、副食については、各隊毎に調達しなければならない部分があるんです。そこで副食を余計目にとらないといかんと。余計目にとるには、結局は、その当時、食肉組合とか漁業組合とか、民需を扱っていた生活必需品協同組合とかと交渉して、民需を横取りしにいくわけです。
 そういうことを重ねて他の部隊のカロリーを追い越していくというふうな状態。連隊のための、兵隊のためのカロリーというよりも他の部隊との競争のためのカロリーというふうな、そういうふうなカロリー競争だったんです。そのような競争のために民間の貴重な物資といいますか、そういうふうなものも横取りしに行ったこともありました。
 
 思い出すんですけど、あるとき、ある組合長さんが親しい付き合いの中で、「月山さん、あなたの軍隊も大変だろうけれども、見てみなさい、あそこの工場には学徒動員で来ている女子挺身隊の子どもらがいろんな仕事をしている。あの工場、小さい工場だけれども、そこで、仕事をしている人らを見て見なさい、お昼弁当のご飯だって、お米なんか殆どありませんよ、弁当の中は芋ですよ。銃後の国民はそうしてやっている。休憩になれば、あの子ら腰降ろして休めるかといえばそうじゃなくて、竹槍、アメリカが来た時に、竹槍で抵抗する、そのため竹槍の訓練をする。休憩の時間さえ、そういうふうにして竹槍をやっている。だから兵隊さんもご苦労やと思うし、お腹も減るやろうけれども、民間だってそういうふうなことで」と。「だから兵隊さんあまり無理言わんといて下さい」とまで言われたかどうか、痛いところをブスッと突かれた記憶があります。
 その当時、兵隊の場合は、赤紙で召集するわけですね、民間の方では徴用令というのがありまして、徴用令のことを白紙召集、兵隊の赤紙召集に対して白紙召集。さっきの組合長から言われたんですけど、「兵隊さんのように赤紙召集の人も大変だけれども、白紙召集の人もしんどい」ということをよく言われて、確かに白紙召集の方がしんどいなということを私自身も感じたことが幾度となくあります。
 
 危険かどうかという点ですけれども、どちらかといえば、本土防衛部隊に限れば、兵隊の方が危険が少ないんですね、危険が少ないというのは、現に私ら自身が海南高校、あるいは中貴志小学校、山の中で穴掘りしているんですから、やられるはずない、めったに。
 僕の弟はその当時、学徒動員で名古屋におったんですけれども、名古屋におって6回焼け出されたんです。空襲で。6回焼け出されて家から代わりの布団よこせというとまた送り、また、代わりの布団よこせといわれて、また送ったと。もちろん空襲で焼かれるわけですから、ただ、単に着るものがないとか、そういうだけじゃなしに命の問題もあります。
 和歌山市内でいえば、由良浅(今の本州化学工場)あそこらあたりに徴用令でいた学徒の子らがたくさん働いていました。あそこらも空襲でやはりかなり危険な目にあったということを聞いていますね。どちらが危険かといえばむしろ民間の方が危険だったんじゃないかな。勿論、外地での戦場は別ですよ。
 
 和歌山空襲がありまして、私は和歌山空襲の時に海南高校におりました。その時に、和歌山にある倉庫がどういう状態かと思って視察に出かけたんですけれども、焼夷弾の落ちてくる時のものすごい状態ですね、花火というのをまともに真下で見られたことがおありだと思いますけど、あれの何十倍、何百倍の状態で、ワァーと焼夷弾が炸裂し乍ら物凄い音を立てて落下してくる。普通の爆弾は狙ったところに落として、その破壊によって人間あるいは施設を破壊するということですけれども、焼夷弾というのは、何でもかんでも焼くことが目的なんですね、最初のうちは、アメリカのB-29は施設を破壊する、ところが施設を破壊してもなかなか日本は音を上げないということで絨毯爆撃といいますか、全国各都市を焼き払うという戦法に変えたわけですね。絨毯爆撃。その絨毯爆撃の一つとして、和歌山なんかも空襲にあった。焼くことが目的なんで、別に目標なんて定める必要はないわけですね。とにかく今度は和歌山を焼けと。和歌山の場合はテニアンからB-29が108機飛んできたということですけれども、上から撒くわけですね、下から見てましたらものすごいんですね。私は、最初、毛見のトンネルからよう出なかったんです。一つには連隊本部の許可を得て出てきたわけじゃないんで、もし万一事故でもあったら、申し開きもつかんというようなこともありましたけれども、正直言ってそれよりも怖かった。ところが、その怖さというのを空襲に遭った市民の人たちは、まさに自分の頭で受け止めているわけですね。よく物語で聞くのは、歩兵は、真正面から敵の銃火を浴びる。鉄砲の弾が雨、霰と飛んでくる、これに立ち向かう。ところが、空襲では、それが上からくるわけですね、焼夷弾が。
 
 私の隊は、和歌山市の小二里に倉庫を一つ持っておりましてね、その小二里へ視察に行ったんですけど、焼夷弾というものの現物を見たんです。行ったところ、倉庫の家主が、兵隊さん、一遍見て下さいということで行ってみたら、米俵と米俵の間に柱がある、その柱のところへ焼夷弾が長さ1m余りでしょうかね、突き刺さっているんです。焼夷弾というのは、爆弾のところに、50あるか、100あるかしりませんけど、小さい、爆弾が貼り付けてある。上から落ちてくるときに炸裂してくるんですね、だから小さい爆弾をバァーとばらまきながら落ちてくるわけなんです。普通の場合だったら下へ落ちるまでに小爆弾が全部炸裂して焼夷弾としての目的を達するわけですが、たまたまうちの倉庫に当たった爆弾、よう炸裂しませんでね、米俵の間の柱へ刺さったということです。ワァーすごいなと。倉庫の家主がいうことには、「うちの近辺で、うちだけしかやられていない。これ兵隊さんのものをうちが預かったから狙われたんと違うか」「そんなことない、1万m上からあんたとこの倉庫だけ狙うはずない」というような話もありましたけれども、とにかく焼夷弾で、一般の民間の人たちはやられた。私の家も焼夷弾でやられ、家族は焼け出された。この焼夷弾による被害というのは実にすごかった。
 
 そういうふうなことで、民間と軍とどちらの方が危険だったかといえば、前の戦争の時に、これ外地・戦地に行った人は別ですよ、本土決戦といって内地の防衛に当たったものは、民間の方が危険だったと思いますね。軍の方は山野に展開(疎開)して陣地にへばり付いてさぁこいと言うんだけれども、さぁこいと言ったってね。そういうことで、軍隊と民間とどちらが危険だったかといえば、僕の経験からすれば軍隊の方が危険が少なかった。それに、和歌山空襲のときも不思議に24部隊は厳然として残っていた。そして、空襲中にも、空襲解除後も、24部隊が民間の消火、救助に当ったということは全く聞きません。
 
 話は別ですけれども、貴志へ移って以後のこと、連隊長の方から、倉庫その他に収積している糧秣を、できる限り早く、各小隊に割り当て、陣地内に収容せよ、と命ぜられました。臨戦体制を速やかにととのえよ、というのです。
 連隊長は、イ部隊とか、ハ部隊はほとんど終わっているらしい、うちの連隊は遅いと師団の方で言われたらしいんですね、それで私に早いこと、各小隊、各中隊に配れということだったんです。私も逆らうわけにもいきませんから「わかりました」と言うたものの、連隊長に、「陣地の構築状態を見計らいながら渡すようにします」と言うたんです。それに対し連隊長も、黙って言うこと聞けとまでは言いませんでした。というのが、各隊に渡した場合に、まだ陣地は完全に構築されていない、まだ、地面が湿っているような状態ですね、それどころか、まだ掘削工事の最中です。そこへカマス入りのお米とか、麦とか、あるいは厚紙に入った小麦粉、そういうふうなものを配った場合、みるみるうちに腐敗したり萌芽してくることは、目に見えているわけです。主計にとって、糧秣をいかに安全に必要な時に使用できるように保管するか、これは非常に大きな仕事なんです。そういうこともありましたので、私は「陣地構築の状況を見ながら搬入させるようにします」というて、これを拒否しておったんです。各隊に渡すことを躊躇したのは、次のような事情もありました。主計という関係から民間との接触が多いわけです。そういうことから、民間がどんなに困っているかよく分かっております。同時に、陣地構築というのは、誰の陣地か、誰のための、ということが、常に頭の片隅から離れませんでした。そういうふうな中で、この米を、この麦を、このコーリャンを各隊に渡した場合に、陣地内でこの米とか麦とか、これは誰が食うんだろうかと。私自身の家族がふもとの三毛の方に、和歌山から焼け出されて疎開してきておりました。勿論、その他にもたくさん民間人がおるわけです。その人たちは竹槍で闘うべく頑張っておるわけです。もし、竹槍が折れて「兵隊さんすまんけど、私らもその壕に入れてくれ」と言うて、壕へ駆け込んできたとした場合、あの当時の軍の考え方からして、「みんな入れ、お前らもみんな入れ」と言うたかどうか。「この米も一緒に食おうや」というようなことを兵隊が言うたかどうか。私のあの当時の考えでは、なかなかそうじゃなしに、軍隊は、「すまんけれども、あんたら、もっと、そっちの方で竹槍で頑張ってくれ、ワシらはワシらでこの陣地の中に閉じこもって最後の一兵になるまで頑張るんやから」というようなことで、受け入れることを拒んだんじゃないかと。せっかくの米とか麦とかそういうふうな糧秣を果たして、民間の者にも分かち与えたかどうか。私の家族を含め民間人がこの山のふもとにたくさんおるわけです。それらの思いが、こんな貴重品を陣地の中に急いで入れて腐らせるよりもこのまま置いておいた方がいいなという考えに走らせたことも否定できません。
 第2大隊の主計だった森口に、「連隊長あんなこと言うてるけれども、お前とこ、どうや」「いや、ワシとこ、そんなこと、ちょっとね」、どうも第2大隊の主計も同じような考えでいるようで、ゆっくりいこうやということにしました。
 
 昭和20年6、7月頃、海南高校におったときですけれども、あるときに連隊長の話では潮岬の沖合にアメリカの潜水艦が浮上したということです。ちょうどこれは沖縄がやられてしまって、いよいよ本土へ、ということが言われた頃のことです。そこで各連隊から1個小隊(か2個小隊)を補強要員として出撃させるということがありました。そして連隊長の方から主計の方に、兵隊に戦争用の装備をさせるように、ということなんです。お米とか、乾パン、今は見向きもしませんが、あの当時は乾パンというのは貴重品だった。それから氷砂糖。氷砂糖などというのは、戦争でいよいよ死ぬ間際に食う位、貴いものですね、氷砂糖、乾パン。普通食の外にそういうものも持っていかせということなんです。私はその時に言うた記憶があるんですけれども、「お前たち、必ず帰ってくるに決まっているんやから、今渡した食糧、特に氷砂糖とか乾パン、これは必ず返せ」。戦争に出ていく人間にですね、「帰ってくるに決まっているんだから、渡したものを返せ」と言うのもどうかと思いますけど、そういうふうなことを言うた記憶があります。というのは、私、そのとき、兵科の将校に「お前のとこどういうふうな装備でいかすんや」と聞きましたら、「軽機関銃を1丁、それから擲弾筒も持っていかす」「擲弾筒どのくらい持っていかすんだ」「1丁」。擲弾筒というのは、手榴弾というのがありますね、この手榴弾を50㎝~1m足らずの筒の中へ入れまして、下からパンとやれば飛んでいくやつです。せいぜい100m位しか飛びませんけどね。それを持っていかすんです。「機関銃と擲弾筒と、あとは何やね」「あとは三八に決まっている」。アメリカの潜水艦が潮岬の沖、潜水艦が浮上するんですから沖合1000mもあるでしょう。そんなところに擲弾筒と機関銃と三八銃を持っていく、戦争にもクソにもなりません。大体、アメリカが潮岬や新宮辺りに上陸してくるはずがない、そういうふうな状態でアメリカの潜水艦を迎えたというふうなこともありました。
 
 こういうこともありました。海南高校の方におった当時です。私の部隊が。海南の方で穴掘り(陣地構築)をやっている時に、ある小隊の者が電灯か、何か光を出した。空襲警報中だったようで、そのために、焼夷弾じゃなしに本当の爆弾をドンとやられて、それで3人の兵隊が重傷を被ったんです。戦死に近い状態だったと思いますけれども、先程言いました24部隊の方の衛戍病院、軍隊の病院ですね、そこに収容になりました。2、3日後にやっぱりダメだったということで、「主計、3人とも死亡したから迎えに行ってくれ」といわれて、私、引き取りに行ったことがありました。軍隊の場合は生きている間は軍医さん、死んだ場合に主計の仕事になるんでしょうか。おそらく病院にいる間では白衣着てちゃんとした療養看護をしてくれていたんだと思いますけれども、私が行った時にはもう軍服に着替えまして、おそらく戦死だからということで、ちゃんと軍服に着替えさせて私に引き渡したと思います。人間の体というのはみんなそうだと思います。傷口からウジ虫がわくんですね、肩から胸にかけて爆弾でやられたところがウジ虫ですごいんですね。軍服も破裂したままのやつで、外から見れば一見してウジが見える。そういう状態で私は受け取ってきたことがありました。受け取って後に部隊に帰ってから新しい軍服に着替えさせて、それで遺族の方に面会をさせた。面会させたのは副官の方で、もうその段階のことはよく憶えておりませんけれども、とにかく新しい軍服を支給して、新しい軍服に着替えさせたということ、それを憶えているんです。内地の普通部隊の場合でもそういうふうな戦死があったということです。
 
 それからだんだん終戦に近づきましてね、7月9日が和歌山の空襲ですから、8月に入ってからだったと思いますけれども、8月の上旬頃にはP何とかというアメリカの偵察機ですね、下駄履きの偵察機が飛んできまして、丸栖から貴志川辺り、あそこはちょっと低いですね、だから、そこのところを中貴志の小学校の方から見ていたら、ほとんど同じぐらいの高さのところで偵察機が旋回しているんです。まるで我がもの顔にね、日本の兵隊はどうかといったら、「みんな隠れよ、絶対に姿見せたらあかん」。あんなの機関銃でもやっつけられるような状態だったんですけど、「みんな隠れよ、絶対に姿見せたらあかん」と。何のための軍人かな、兵隊かなと思いました。もっとも、その当時、8月に入ってましたから広島、長崎の原爆もあった月ですから、あるいはもう講和の試みがなされていたかもしれません。とにかく隠れよ。私が満州から原隊復帰してきた金岡の輜重隊にいた昭和19年末当時も、B-29が何度も飛んできた。その時にも「みんな隠れよ、隠れよ」といわれて隠れた記憶がありますけれどもね。戦争しに行って、B-29が来たとたんに、みんな隠れよ、隠れよ、何のための軍隊かなというような感じを抱いたことは今も忘れません。
 
 (なるべく早いこと終戦に…。)
 
 そうこうするうちに、今日は、天皇陛下の玉音放送がある、みんな校庭に集まって聞くようにという命令が出ました。後からいえばそれが終戦のご詔勅だったわけです。中貴志の小学校、その当時、東西に棟が4つ5つ並んでいました。その棟の東側の方の運動場に面したところにラジオの放送器がありまして、おそらくラジオ体操なんかに使ったラジオだと思います。そこへみんな集まって、これから玉音放送があるからということで集まって聞いたんです。玉音放送というので、玉のような麗しいお声だろうと思っていたら、全然聞こえない。静かなんですね、あたりは。中貴志の小学校は静かなところなんですけれども、雑音が入って全然分からない。陛下が放送されるというんだから、いよいよ本土決戦、徹底抗戦ということで「朕のためにお前たちの命を預けてほしい」というふうな、国民に対する、兵隊に対する激励、要望のお言葉かな。しかし周囲の空気というのは、もう日本は戦えない、日本は降伏せざるを得ないというような状態になっておりましたから、それにしてはちょっとおかしいなと言いながら聞いておったんです。聞いている間に、「…耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで…」と、それが不思議に耳に残っているんですけど、どうも耐え難きを耐え、忍び難きを忍びという、あの音調からするとどうも「しっかりやってくれ、私も頑張るから、お前たちも頑張ってくれ」と、そんな口調とぜんぜん違うんですね。どうもおかしい、聞き終わった後で、連隊長もわからななかったと見え、師団の方に問い合わせた上で、伝達するからそれまで平常通り軍務に服するようにというようなことでした。しかし、われわれは、今のはどうも日本は参ったという放送みたいやないか、と言ううち、2、3時間した後に、連隊長の方から無条件降伏したことの放送だったということを聞きました。
 夏の静かな真昼、その日も、校庭北隅の竹やぶから、蝉の鳴く音がいつものように聞こえていました。
 
 (やっと終戦まで、きました…。)
 
 で、そういうことがありましてから後に、私の方の仕事はすごく忙しくなったんです。これは終戦というものの日本は無条件降伏したわけですね。降伏した。それで、軍を直ちに解体しなければいけない、武装解除しなければいけないというわけです。各隊とも3日以内に兵隊を復員、帰郷させよ、また、軍需物資は、諸帳簿の員数どおり占領軍に引き渡すよう準備せよ、というのです。3日以内という、これは日本が降伏した時の条件に一刻も早く武装解除せよということだったそうですね。ところが、主計の方としましたら1000名以上の兵隊に給与を支払わなければいけません、帰郷するための旅費の計算もしなければならない、それと同時に、当時はお金よりもモノということで、兵隊に衣類と糧秣、5日分の食糧・米を持ってかえらさなければならないというようなことで、それはそれは大変だった。
 幸いですね、うちの部隊は各陣地にまだ食糧を入れてなかった、倉庫においたまま、積んだまま、ということだったので、食糧等の引渡しについては、それほどはバタバタしなくてすんだんです。それでも、兵隊たちが帰郷するまでに、占領軍への引渡しをスムーズに行えるよう集積箇所をできる限り集中し、且つ整頓する必要がある。とにかく3日以内にやらなければいかんということで、寝る間もなく大変だったことが非常に強く印象に残っています。
 
 当時、私は営外居住ということで、家族が焼け出されて疎開してきていた下三毛(船戸近く)の自分の家から毎日行き帰りしていました。そうして、終戦を迎えた。終戦を迎えたけれども、私は、主計として、終戦処理業務のためなかなか本当の終戦というふうな感じがしないままに日を過ごしておったんです。ゴルフへ行かれたりしてご存じの方が多いと思いますが、貴志、丸栖の方から船戸の方へ下りる時、非常に印象に残るのは紀ノ川が真ん中に流れておってそれを挟んで北と南に山があります。それまでの間家へ行き帰りするのは、毎日夜8時、9時以前に帰ったことがないんです。帰る時は見渡す限り真っ暗闇で、右側には龍門山、向こうの方に高野山があるんでしょう、その高野山は見えませんで、その向かいの方の金剛山、岩湧山、葛城山そういうのがあって、私の真向かいの方が根来、それの西にずっとつながる先は加太、加太の方に行くまでにこちら側、南側の高積山というんでしょうかね、布施屋の山があってさえぎられる。その間に紀ノ川がずうっと、東から西、右から左へ、あるところでは、太く、あるところでは細く、ずっと真っ白く流れているわけです。その間真っ暗なんです。電灯の光一つない、真っ暗な山裾、そういう中を毎日行き帰りしておったんです。
 ところが、終戦後2日目か3日目かですね、いつものように、家へ帰る途中、丸栖の方から船戸の方へ曲がっておりる、角くらいのところでしょうかね、その所へ来た時に、はっと思った。それは、今まで真っ暗だったんです。両側に山があり、その真ん中のところに白く紀ノ川が流れている。その両側は真っ暗だった。ところが、その時に、ハッと気がついたら暗闇の中、電灯が左の方に2つ、3つ、真向かいの方に3つ、4つ、右の方にも3つ、4つ。電灯の光が見えたんです。
 これ、何でもないと思いますけれども、その時、私は本当にびっくりしましたね。当たり前のことだと思います。けれども、その時、生まれて初めて「やあ~、光だ」という気持ちになりましたね、その電灯の光を見て。思わず、しゃがみ込んでしまった。その電灯の光がその次の日には、増えるんです。昨日2つ3つだったやつが、6つになる、7つになる。そういうようなことで、日を追うて1週間ぐらいするうちに、この部落、あの部落がというふうに大体昔通りによみがえった。今のように電灯の光がずうっと紀ノ川の流れに沿って連なっているという状況じゃありませんで、各部落ごとの一つの群れがあったんです。
 そういう部落ごとの光が1週間ぐらいするうちに全部復活してきた。その時、私がはっとした状態というのは、皆さんにはお分かりいただけるかどうか。今まで真っ暗だった。真っ暗だったのは、どういうことかといいますと、ご承知だと思いますけれども、灯火管制、アメリカの飛行機から爆弾を落とされないように各戸とも家の中を真っ暗にしていた。暗幕というのは、電灯といいましても電灯笠があって、電球があって、というのは、今の子にはわからんような状況だと思いますけど、その電灯の笠に暗幕というのを掛けまして、大体50㎝くらいの暗幕を電燈の笠にかけて垂らすわけですね。それは光が外に漏れないように、空襲があったって、上空から見えないように、爆弾落とされないために。もし光が漏れようもんなら、隣組のおっさんからえらい怒られる。そして暗幕のために、8畳の部屋いっぱいを明るくする電灯の光が下の方の畳の上、直径1mぐらいしか、明かりが見えない、そういう状況で暮らしておった。
 私は、あちらの方で、こちらの方で電灯の光が蘇ってきたときに、その暗幕が各家ごとに外されていく、その情景というのが手に取るように分かりましてね。この暗幕が外されていく、それによって光が呼び戻される、光が呼び戻されていくというのは、単に空襲とか何とか言うんじゃなくて、人々の自由とか普通の幸せとか、そういうふうなもの、それまで暗幕によって閉ざされ、失われていたものが生き返ってくるわけです。また私自身が兵隊に引っ張られていたそのような制限、抑圧された状態、そういうふうなものから解放される、暗幕が外されていくということに非常な感銘を受けました。そこで光を見てしゃがみ込んでおった時間は5分か10分ぐらいだと思いますけれども、ああ、平和がもどって来たんだと、じーんと胸に来ました。
 私は、玉音放送聞いたとき、ああ、やっぱり負けたんだという思いはしましたが、戦争が終わったんだとか、平和になるんだ、という感じがしませんでしたけれども、真っ暗な紀ノ川平野の中に電灯が蘇ってくる、光が蘇ってくる、これを見て、ああ、平和が来たんだ、本当に終戦だという気持ちが蘇ったことを記憶しております。思いもよらず、これでもう一度大学へ帰れるんかな、というふうなことも、そういうこともありました。この光によって初めて、暖かみといいますか、心の明るさといいますか、平和が帰ってきたという思い、本当の意味での戦争が終わったという感じがしました。
 
 (大体、終戦まできましたね。)
 
 それから後は、進駐軍の方に物資等の引き渡しをしたわけです。その当時、占領軍、進駐軍というのは怖いと思っていましたね。ものすごい怖いと思ってました。ところがその進駐軍に引き渡す当時は、連隊長なんか、どこかへ行ってしまって、いないんです。高級主計も。おるのは連隊本部主計の僕と、第2大隊主計の森口と2人だけしかおりませんでした。進駐軍は怖いらしいぞ、員数が足らなかったら、パーン、とやられるらしいぞと。先に引渡しを済ませた他隊から噂がまことしやかに流れてくる。そういうことから員数の点検、確保に随分と注意を払っていました。各倉庫や集積所毎の明細、表の整備、それと現物が合致するかどうか。復員のドサクサで米など糧秣の員数が足りなくなっている。そんなとき、員数揃えのため、かなりのことをしましたね。お米はカマスに入っていますね、からのカマスを横に置いて、米の入ったカマスへ、竹筒の両端を鋭角にスパッと切ったのを突っ込みます。そうすると、お米がさーっと流れ出てくるんですね。それを空きカマスへ流し込む、それを繰り返して何とか1俵作るんです。かつて兵隊たちから教わったことです。そんなことをして員数揃えしたことも記憶に残っております。
 
 そういうふうなことしていたある日、師団からの引渡しの日時が通知され、ジョージ何とかいう大佐が来ました。ジープ2、3台で。私、その当時、兵隊服は拙い、武装解除されたんだから。というわけで、学生服を着て、帽子だけは軍隊のを被って敬礼したら「ハロー、ボーイ」。「ハロー、ボーイ」と親しみをもってジープに乗せてくれた。そして十幾つかの倉庫を回って、無事滞りなく引き継ぎを終えたことでした。その当時、昭和20年10月頃には、もう、私ら主計以外、兵隊は、勿論、将校も一人もいない。みんな復員、帰郷してしまっていました。私たちも師団に引渡し関係の書類を送付して主計の業務を終え、兵隊生活に別れを告げました。
 私にとって、終戦というのは、召集されたときと大違いです。召集され、軍隊へ入営のときは、一つのセレモニーがあり、緊張感があったわけですけれども、終戦の時には何か知らないうちに流れ解散していたという、非常に惨めな復員だったという記憶があります。
 
 (私がお話させていただく時間は過ぎました。藤井先生気が気でなさそうなので、この辺で終わらせて頂きます。)
 
 司会の藤井先生から、「そこで新憲法への思いを」と促されるのですが、今ここで、私にとって、新憲法は、とか戦争の放棄とは、と尋ねられても、一言で整理してお話できるものではありません。たって新憲法といわれるならば、私にとっての新憲法は、司法試験に非常にありがたいものだった。昭和21年の11月頃に筆記試験があったと記憶しますが、その頃は、新憲法が公布されたか、未だされていないかの頃で、新憲法の解説といえば、帝国議会での憲法草案に関する提案理由といいますか、解説についての新聞記事しかない。憲法の試験は旧憲法でも新憲法でもどちらでも良いということでしたので、私は、試験を受け易い新憲法を選びました。私が、司法試験に合格できたのは、そういう意味で、新憲法のおかげだったと思っております。と同時に、先ほどからの戦争の話の続きになりますが、私は、戦争に負けてよかったと、負けてくれてよかったと、心から思ったということです。もし、仮に軍の指導下に、国民が軍の統制下におかれて、万一、戦争に勝っておったならば(そんなことはありえませんが)、どんな日本になっただろうかと思うと、ぞっとするのです。あるいは、当時いわれたように大東亜共栄圏で国際的に国威が発揚できたかもしれませんが、日本の国は神国となり、国民の思想は統一され、軍の横暴は極点に達し、国民の自由と権利は抑圧され、誇りのある非文明国となっていたんではないかと思っております。到底生きてはいけない。だからよくぞ負けてくれたという思いがします。そういう意味で、「戦争の放棄」というのはすばらしいことだと、軍隊、戦力を一切持たないというのは、正にそうあって然るべきだという思いに満たされた。そういう意味で、「第2章 戦争の放棄」、「第3章 国民の権利及び義務」という憲法の組み立ては、私には非常に分かり易い、立派な組み立てであると思われたのです。この思いは、終戦直後も、新憲法制定の当時も、今現在も少しも変っておりません。
 
 先程来述べましたように、私は、応召し、満州へ行き、関東軍に在籍していたとはいうものの、間もなく原隊復帰となり、戦地へ行ったこともなければ、シベリヤに抑留されたこともない。従って、私などは、戦争の苦しみを語る資格はありません。亡くなりましたが、私と同じ年代の岡崎弁護士(元当会会員)は、シベリヤに抑留され、帰ってきたのが昭和23~4年頃だった。そのため、司法試験も少し遅れた。彼に、シベリヤ抑留の話を聞かせてもらおうと思って話しかけるんですが、苦しかったというところまでは言ってくれても、それ以上のことは言ってくれない。私の修習生の同期でインパール作戦に参加した男がいました。彼も戦闘の激しさとか苦しさは話してくれましたが、あるところ以上は話してはくれませんでした。戦争中の人間のもっとも醜いところについては、話してくれない。関東軍の経理学校の同期で「白雲悠々」という上下2冊の思い出の記録が作られています。それによると、「収容所生活というのは、作業に堪え、空腹に堪え、望郷の念に堪える日々であり、いつの日になるか分からない帰国の日をひたすらに待ち続ける毎日であった。」とあります。そのような中で、いわゆる民主教育、共産主義教育が行われる。そして、ノルマを監視するソ連兵に対し、自らが生き残るために、そして、なんとか早く帰れるように、同僚を裏切るようなことが行われるようになったといいます。零下何十度という極寒の中で、お互い温め合うべきなのに。戦争というものは、人間を非情にし、同僚を売るようなことまでさせるんです。これが戦争なんです。軍隊は、戦争は、決して家族を守り、国を守るために生命を捧げるといった、そういう崇高なものばかりでは断じてない。これが実態だということを、私どもは知らなければならないと思うのです。私は、内地での、極めて平穏な軍隊生活、前にもいったように一般の民間人以上に平穏な軍隊生活を送ったものですが、それだけに、戦争とか軍隊というものの勝手気ままな、軍、優先の実態を知り得たという思いです。恥ずかしいことですが、この実態を語り継ぐのが私の義務だと思っております。
 以上で一応終わらせていただきます。下手な話を長々、お聴き頂き恐縮しました。有り難うございました。
 
○司会 藤井幹雄
 それでは、これで一応閉会とさせて頂きます。桂先生には予定時間を超えてお話し頂き、大変有り難うございました。また、会員の先生方も長時間ご清聴賜って有り難うございました。一応これで閉会とします。
 
○月山 桂 雑談(追加)
 軍隊とか、戦争といえば、非常に格好のよい、勇ましく、やりがいのあるように思われますが、自分がいざ軍隊に入れば、決してそのようなものでないことがわかります。私は、学徒兵として召集されるにあたって、愈々になれば仕様がないとして、できれば、死の危険に近づきたくはない、ということで、歩兵は第一線で銃剣を交えなければならない。その点、輜重隊は後方支援部隊で、敵とぶつかることはない。できれば輜重隊に、と思って、徴兵検査のときに、「こいつは長距離の歩行は不可能だ」と見てもらおうと思って、偏平足よろしく足の裏に水をいっぱいつけて、板の間に足跡をつけました。検査官は、これを見て、この足ではそれ程歩けまいと言って、図に当って、私は、堺の金岡の輜重隊に入ることになりました。私は、当時、輜重隊は馬部隊などなく、全部トラックだと思っておったところが、何と私の入った部隊は馬部隊、それも輓馬部隊と違って駄馬部隊。荷を車に載せて、車を馬に引かせるのではなくて、馬の背中に弾薬を載せて最前線まで補給に行く部隊。歩兵のような装備もなく、もっとも命に危険のある部隊だったのです。それに、昔からそうでしたが、輜重隊(馬部隊)の兵隊は、「輜重輸率が兵隊ならば、蝶やトンボも鳥のうち」といわれるように馬鹿にされ、見くびられた兵隊でした。朝起きれば、寝藁動作といって、馬房の寝藁を厩舎から運び出して、外に干してやるわけですが、その寝藁たるや、馬が一晩かかって大量の糞と小便で蒸しあげたホコホコのもので、それを顎につかえるぐらい胸いっぱいに抱え上げて、干し場に出す。そのあと、馬の背中や脚、体じゅうを藁でこすってやったうえ、按摩をしてやる。そのあと蹄をきれいに洗ってやる。さらに、水を飲ましに水槽のとこまで連れて行く。大体、ゴクンゴクンと40回くらい飲ませるのですが、馬が素直に飲んでくれないときがある。そのような私たちの動作を一つ一つ、助教といわれる古年次兵が監視していて、馬が水を飲んでくれないときまで、何してる、馬鹿野郎とこちらに怒ってくる。「お前たちは一銭五厘、お馬さんは十円」(兵隊は一銭五厘の赤紙で召集できる。馬は十円もいる)ということで、馬以下の扱いしかしてくれない。当たり前で、馬は20㎏の弾薬箱を2つ背中に背負って何10kmも歩く。人間は到底そんなことはできない。さらにまた、行軍のときに、10kmくらい行ったら小休止になる。我々は銃を叉銃したのち歩兵ならば休むところ、こちらは20㎏の弾薬箱を馬の背中から2つ下ろしてやらなければならない。そして鞍を取り、毛布をとってやって、また藁束で背中をこすってやらなければならない。そのうえ、とんとんと按摩も。そして、やっと馬の世話が終わったころに、ピィーッと出発用意となる。こちらの休む暇もあらばこそです。また、毛布をかけ、鞍を置き、腹帯を締め、弾薬を背中へ置き、ちょっと遅ければ、「あほったれ、馬鹿野郎」と。この怒声を聞かない日はなかったくらいです。そんなことで怒られ、馬鹿扱いされていたときに、ふと、召集を受けて親戚のものや町内会の人たちに万歳万歳と歓呼の声に送られて、勇ましく送られてきた日のことを思い出すんです。みじめで情けなくなるようなことが何べんあったかしれません。そのうえ、軍隊というところは、上命下従、上官のいうことは朕の命令と心得よということで、理屈の有無は問わないところ。それはもっともで、上官が「突撃! 進め!」と命じたときに、部下が、いや、それは間違っておりませんか、などといって命に従わない場合、戦争は成り立たない。軍隊とはそういうところです。輜重隊だけのことではなくって、軍全体に通じることだと思われます。軍隊とは、上官の命に盲目的に従わせる演習の場であり、そのための日常生活です。そのうえに、時間の都合でいえませんけれども、毎夜のように消灯後、内務班でのしごき、いじめがあります。幸い、私たちは、幹部候補生要員であったから、そのような初年兵生活は3ヶ月くらいですみましたが、一般兵はそれがずっと続くのです。
 私が、九条を考え、軍について語るとき、将棋の駒を振る立場でなくて、振られる駒の立場で考えなければならないというのは、こういう点もあってのことです。
                                                                            以上
(引用終わり)
 
 
月山桂(つきやまかつら)弁護士 履歴
 
生年月日 大正12年3月31日
 
学歴
昭和15年 3月 和歌山中学校卒業
昭和17年 9月 中央大学予科卒業
昭和17年 9月 中央大学法学部入学
昭和18年12月 2年在学中召集を受け中途退学
昭和21年 9月 召集解除により同大学2年に復学
昭和22年 3月 高等文官試験司法科試験合格
昭和23年 3月 中央大学法学部卒業
昭和25年 3月 司法修習生の修習終了
 
軍務 
昭和18年12月 陸軍中部第31部隊(輜重隊)入隊
昭和19年 6月 満州(関東軍)第815部隊(経理部教育隊)転属
昭和19年12月 陸軍経理部見習士官(士官勤務)任命 原隊復帰
昭和20年 3月 護阪師団〈ろ〉部隊に転属昭和20年9月 陸軍少尉任命
 
裁判官勤務
昭和25年4月~同29年6月 東京地方裁判所・同家庭裁判所
昭和29年6月~同31年6月 松山地方裁判所・同家庭裁判所
 
弁護士勤務
昭和31年6月~現在
 和歌山弁護士会に登録    
昭和44年、同50年
 和歌山弁護士会会長、日本弁護士連合会常務理事
 
その他の職歴
法務省人権擁護委員
 和歌山県人権擁護委員連合会会長(法務省)
和歌山地方裁判所・同家庭裁判所調停委員
和歌山県人事委員
和歌山県情報公開審査会・同個人情報保護審査会会長
など歴任
 
※以上、月山桂先生著『法曹界に生きて平和を思う』(2009年5月1日刊)より引用
 
平成30年11月1日 ご逝去 享年96

辺野古沿岸公有水面埋立承認取消(撤回)の執行停止を決定した石井啓一国土交通大臣~考えるための資料のご紹介

 2018年11月1日配信(予定)のメルマガ金原No.3318を転載します。
 
辺野古沿岸公有水面埋立承認取消(撤回)の執行停止を決定した石井啓一国土交通大臣~考えるための資料のご紹介
 
  8月31日に沖縄県知事職務代理者富川盛武副知事から権限の委任を受けた謝花喜一郎副知事が行った辺野古沿岸公有水面埋立についての承認を取り消す(講学上の撤回)旨の決定に対し、10月17日、沖縄防衛局は、行政不服審査法に基づく審査請求及び執行停止を国土交通大臣に申し立てました。
 そして、一昨日(10月30日)、石井啓一国土交通大臣は、同法25条に基づく執行停止を決定しました。
 予想されたこととはいえ、多くの行政法研究者が違法と断じる中、白昼演じられた国による「自作自演」を絶対に忘れぬためにも、必要な資料を収集し、記録しておくことにしました。
 本日(11月1日)現在、国土交通大臣による執行停止の決定自体を読めていないのが残念ですが、見つけ次第、本ブログでご紹介するつもりです。
 今日ご紹介する資料は以下のとおりです。
 
資料1 10/30 石井啓一国土交通大臣 会見要旨
資料2 10/30 岩屋毅防衛大臣 記者会見
資料3 10/30 玉城デニー沖縄県知事 記者会見でのコメント
資料4 10/30 琉球朝日放送 報道制作局 Qプラス による報道(動画付)
資料5 10/30 朝日新聞デジタル による報道
資料6 10/31 日本記者クラブでの玉城デニー沖縄県知事記者会見動画
資料7 石井国交相が執行停止の根拠にあげた最高裁判例
 
 資料1~3は、執行停止申立ての判断者(資料1)、申立人(資料2)、被申立人(資料3)による、10月30日の各会見での発言、コメントです。
 ところで、石井国交相が、記者から、国の機関が行政不服審査法7条2項にいう「その固有の資格において当該処分の相手方となるもの」については明確に適用除外と定められていることについてどう解釈したのか?と質されたの対し、「行政不服審査法でいうところの処分を受けたのが国の機関であっても、処分を受けたものといえれば、一般私人と同様の立場で処分を受けたものとして、その処分について審査請求をなし得る。前回、取消しの要請を判断された平成28年の最高裁判決では、この取消しというのは行政不服審査法にいうところの処分に該当すると、そういう判断がなされているわけですね。」と答えているところは「ご飯論法」のバリエーションでしょうが、まことに勇将の下に弱卒なしであり、公明党も立派な人物を閣僚に推薦したと、さぞ誇らしいでしょう。
 なお、報道は探せばいくらでもありますが、要領良くまとまっている琉球朝日放送(動画が分かりやすいです/資料4)と朝日新聞デジタル(資料5)の記事をご紹介しました。
 資料6は、昨日(10月31日)、日本記者クラブで行われた玉城デニー沖縄県知事による会見動画です。現時点までの経過を踏まえ、沖縄県の新しいリーダーが、今後どう困難な状況に立ち向かおうとしているのかについて、まとまった意見が聴ける貴重な動画です。もっとも、それは主として後半の質疑応答部分でのことで、前半の講演部分では、玉城知事自身の生い立ちがかなり詳しく語られ、これも非常に興味深いものです。
 資料7は、石井国交相が引用した最高裁判例ですが、この判例のどこをどう読めば、国の機関である沖縄防衛局が、沖縄県知事による公有水面埋立承認取消(撤回)について、私人と同様の立場で、国土交通大臣に対して行政不服審査法に基づく審査請求や執行停止の申立てができる根拠となるのか、見当がつきませんでした。いずれ、しかるべき行政法研究者が解説してくださるのではないかと期待しているのですが。
 
 それでは、資料1~7をご紹介します。ご活用いただければ幸いです。
 
【資料1 10/30 石井啓一国土交通大臣 会見要旨】
国土交通省ホームページ 大臣会見
石井啓一大臣会見要旨 2018年10月30日(火)9:44~9:54
参議院本館 議員食堂
(抜粋引用開始)
本日の閣議案件で、特に私の方から御報告するものはございません。
このほか、私の方から2点御報告がございます。
(略)
2点目は「沖縄県による辺野古沖の公有水面埋立承認の撤回の執行停止について」であります。
沖縄県による辺野古沖の公有水面埋立承認の撤回につきましては、去る10月17日に、沖縄防衛局より審査請求及び執行停止の申立てがございました。
このうち、執行停止の申立てにつきまして、沖縄防衛局及び沖縄県の双方から提出された書面の内容を審査した結果、承認撤回の効力を停止することといたしましたので、御報告いたします。
なお、執行停止の効力につきましては、決定書が沖縄防衛局に到達した時点から発生いたしますが、明日10月31日には到達すると見込んでおります。
今回の決定では、事業者である沖縄防衛局が、埋立工事を行うことができないという状態が継続することにより、埋立地の利用価値も含めた、工事を停止せざるを得ないことにより生じる経済的損失ばかりでなく、普天間飛行場周辺に居住する住民等が被る航空機による事故等の危険性の除去や騒音等の被害の防止を早期に実現することが困難となるほか、日米間の信頼関係や同盟関係等にも悪影響を及ぼしかねないという外交・防衛上の不利益が生ずることから、「処分、処分の執行又は手続の続行により生ずる重大な損害を避けるために緊急の必要があると認めるとき」に該当すると判断いたしました。
詳細は後ほど事務方から説明させます。
私からは以上であります。
質疑応答
(略)
(問)辺野古の埋立てについてなんですけれども、今回は、承認の取消しを求める県に代わる代執行という手続きをとっているのですけれども、今後の裁決等を含めた承認取消しの申立てについての対応について方針を教えてください。
(答)審査請求について審査中でありますので、それ以外のことにつきましては、コメントは控えさせていただきます。
(問)辺野古についてお尋ねしたいのですけれども、行政不服審査については、国の機関同士であり身内同士ではないかという批判も出ていますけれども、これについて大臣のお考えをお願いします。
(答)行政不服審査法で、審査請求をすることができる者につきましては、行政不服審査法第2条は、「行政庁の処分に不服がある者」と規定されております。
ここにいう処分とは、「直接国民の権利義務を形成し、またはその範囲を確定する」ものをいいます。
沖縄防衛局のような国の機関であっても、この意味での処分を受けたものといえれば、一般私人と同様の立場で処分を受けたものとして、その処分について、審査請求をなし得ると解釈することができます。
この点、前回の承認取消しの違法性が判断された平成28年の最高裁判決では、取消しがこの意味での処分であることを前提とした判断を行っております。
今回の承認処分の撤回も、埋立てをなし得る法的地位を失わせるという点で取消しと変わらず、沖縄防衛局も、行政不服審査法第2条の処分を受けたものといえる以上、固有の資格において撤回の相手となったものではなく、審査請求ができると判断したところであります。
(問)行政不服審査法で、固有の資格において、行政主体あるいは行政機関が行政処分の相手となる処分については、明示的に適用除外にしているという指摘もあるかと思いますが、そこら辺の解釈は今回どのように行ったのか教えていただければと思います。
(答)今、答弁したと思うのですけれども、行政不服審査法でいうところの処分を受けたのが国の機関であっても、処分を受けたものといえれば、一般私人と同様の立場で処分を受けたものとして、その処分について審査請求をなし得る。
前回、取消しの要請を判断された平成28年の最高裁判決では、この取消しというのは行政不服審査法にいうところの処分に該当すると、そういう判断がなされているわけですね。
今回の承認処分の撤回も、ほとんど取消しと変わらないと、それは埋立のなし得る法的地位を失わせるという意味では、取消しも処分もほとんど変わらないという意味では、この撤回も最高裁判決に基づけば処分とみなせるということで、沖縄防衛局が国の固有の資格において撤回の相手方になったものではないといえるわけであります。
(引用終わり)
 
【資料2 10/30 岩屋毅防衛大臣 記者会見】
防衛省・自衛隊ホームページ 防衛大臣記者会見 
平成30年10月30日(09:44~09:48) 官邸エントランス
岩屋防衛大臣閣議後
(抜粋引用開始)
質疑応答
(略)
Q:普天間基地の移設を巡って、行政不服審査法に基づいて、国土交通大臣に執行停止を求めておりましたが、その後どのようになったのか。また、それを受けてどのように対応されるかについてお聞かせください。
A:今朝、国土交通省から沖縄防衛局に対して、執行停止決定が出たという第一報を受けております。その内容の詳細については、まだ確認しておりませんので、お答えは差し控えたいと思います。
Q:今後の埋立工事については、どのような方針で臨まれますでしょうか。
A:現地の気象状況を踏まえ、工事の再開に向けた準備が整い次第、速やかに再開させていただきたいと思います。
(略)
Q:執行停止に関して、先ほどの閣議で何かお話はありましたでしょうか。
A:それはございませんでした。
Q:執行停止に関して、今回の受け止めを伺えますか。
A:私どもは、日本を守るための抑止力を維持しながら、しかし一方で、沖縄の負担軽減をしっかり図っていきたいという一貫した方針で進めてまいりました。危険な普天間基地については、一日も早い全面返還を成し遂げたいと、そのために工事もできるだけ速やかに再開をさせていただきたいと思っております。
Q:玉城デニー沖縄県知事が上京予定ですが、この件に関して直接お話をする予定などありますか。
A:知事の予定について承知しておりませんし、これから検討します。
(引用終わり)
 
【資料3 10/30 玉城デニー沖縄県知事 記者会見でのコメント】
沖縄県ホームページ
「平成30年10月30日、玉城知事は、国土交通大臣が行った執行停止決定についての会見を行いました。」
知事コメント(国土交通大臣による執行停止決定について)
(引用開始)
 普天間飛行場代替施設建設事業に係る公有水面埋立承認の取消しに対し、沖縄防衛局長が国土交通大臣に行った執行停止申立てに関し、本日、国土交通大臣が執行停止決定を行ったとの報告を受けました。
 沖縄県は、10月25日に国土交通大臣に提出した執行停止申立てに関する意見書においても、
・国の機関である沖縄防衛局には、私人の権利利益の救済制度である行政不服審査法による審査請求等の適格が認められないため不適法であること
・今回の執行停止申立ては、「重大な損害を避けるために緊急の必要」性の要件を充足していないこと
・沖縄県が今回行った埋立承認取消しは適法になされたこと
等を詳細に主張し、今回の執行停止申立ての違法性を国土交通大臣に訴えたところです。
 また、去る10月26日には、110名もの行政法学者により、今回の国の対抗措置について、「国民のための権利救済制度である行政不服審査制度を濫用するもの」と指摘され、執行停止申立てとともに審査請求も却下するよう求める声明が発表されたところです。
 しかし、国土交通大臣は、3年前の承認取消しと同様、沖縄防衛局長が一私人の立場にあるということを認め、県の意見書提出から5日後という極めて短い審査期間で、執行停止決定を行いました。
 今回の決定は、結局のところ、結論ありきで中身のないものであります。
 私は、去る10月17日の会見において、仮に本件において国土交通大臣により執行停止決定がなされれば、内閣の内部における、自作自演の極めて不当な決定といわざるを得ないと申し上げましたが、まさにそのような状況となり、審査庁として公平性・中立性を欠く判断がなされたことに、強い憤りを禁じ得ません。
 県としては、今回の執行停止決定に対し、当該決定に係る文書を精査の上、国地方係争処理委員会への審査申出を軸に、速やかに対応してまいります。
 承認取消しの効力の執行停止決定がなされたとしても、承認に付した留意事項に基づき、沖縄防衛局は、沖縄県との間で実施設計及び環境保全対策等に関する事前協議を行う必要
があります。
 事前協議が調うことなく工事に着工することや、ましてや土砂を投入することは、断じて認められません。
 私は、辺野古に新基地はつくらせないという公約の実現に向けて、全身全霊で取り組んでまいります。
 私はぶれることなく、多くの県民の負託を受けた知事として、しっかりとその思いに応えたいと思いますので、県民・国民の皆様の御支援、御協力をよろしくお願い申し上げます。
                平成30年10月30日
                沖縄県知事 玉城 デニー
(引用終わり) 
 
【資料4 10/30 琉球朝日放送 報道制作局 Qプラス による報道(動画付)】
2018年10月30日 18時30分
県の承認撤回 国が効力停止へ
(抜粋引用開始)
 県は今後、第三者機関である国地方係争処理委員会に審査を申し出る方針ですが、申し出た場合でも埋め立て工事の再開は可能です。
 工事が止まっている間静けさを取り戻している名護市キャンプシュワブのゲート前では「とにかく格好だけ付けようと思っているんじゃないでしょうかね」「いっぱい、色々問題抱えているわけでしょう、地盤が弱いとかね。なんでもやるんだぞと、格好だけつけようということだと思う」の声が聞こえました。
 国の機関の申し立てを国の機関が認めた今回の事態は、予想されていたことだと冷静に受け止めました。一方で、今後の工事はゲート前からの資材搬入だけでなく、海からの土砂の搬入も加わるため、今までの抗議運動で対抗することは難しいと警戒していました。
(引用終わり)
 
【資料5 10/30 朝日新聞デジタル による報道】
朝日新聞デジタル 2018年10月30日11時19分
辺野古埋め立て承認撤回、国が効力停止 移設工事再開へ
(抜粋引用開始)
 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設をめぐり、石井啓一国土交通相は30日の閣議後会見で、沖縄県による辺野古沿岸部の埋め立て承認撤回の効力停止を決めたと発表した。防衛省は決定を受けて、8月以降止まっている工事を再開し、土砂投入に踏み切る方針だ。
(略)
 西村康稔官房副長官は同日の閣議後会見で「負担軽減を目に見える形で実現するという方針を丁寧に説明し、地元の理解を得られるよう粘り強く取り組んでいく」と述べた。
 防衛省は17日に、沖縄県による辺野古沿岸部の埋め立て承認撤回に対抗措置を講じた。2015年に沖縄県が承認を取り消した際と同じ手段だった。政府は当初、撤回の効力を一時的に失わせる執行停止を裁判所に申し立てる案も検討した。しかし、8月末の撤回から1カ月半がたち、政府内でも要件の「緊急性」が疑問視されたことから、3年前と同じく、行政不服審査法に基づき、「身内」の国交相への申し立てを選んだ。
 一方、沖縄県では辺野古への移設計画に対する賛否を問う県民投票が来春までに行われる予定だ。ただ、県民投票には法的拘束力はないため、政府は「辺野古への移設が唯一の現実的な解決策であるとの考え方に変わりはない」(岩屋氏)として、県民投票の結果にかかわらず計画を進める考えを示している。
(引用終わり)
 
【資料6 10/31 日本記者クラブでの玉城デニー沖縄県知事記者会見動画】
 10月30日の琉球新報電子版が伝えるところによると、「玉城デニー知事は日本記者クラブでの講演のため30日朝に上京し、執行停止の決定に対して遺憾の意を表明する知事コメントなどの対応を都内で検討する。(略)基地担当の謝花喜一郎副知事も国会で国政野党合同ヒアリングに出席するため上京しており、担当部署は情報収集や報告に追われた。」(沖縄県、係争処理委に申し立てへ 国の執行停止受け/2018年10月30日11:34
とのことでした。
 そして、予定通り、10月31日の午後1時から、千代田区内幸町の日本プレスセンタービル10階ホールにおいて、玉城デニー知事の会見が行われ、その動画が公開されましたのでご紹介します。
玉城デニー・沖縄県知事 会見 2018.10.31(1時間02分)

 
【資料7 石井国交相が執行停止の根拠にあげた最高裁判例】
平成28年(行ヒ)第394号
地方自治法251条の7第1項の規定に基づく不作為の違法確認請求事件
平成28年12月20日 最高裁判所第二小法廷 判決
判例集等巻・号・頁  民集 第70巻9号2281頁
(弁護士・金原徹雄のブログから/辺野古沿岸埋立承認撤回関連)
2018年7月27日
2018年9月1日
2018年10月20日
2018年10月25日
2018年10月27日

三たび「避難の権利」を訴える総理大臣と福島県知事への手紙~森松明希子さんから

 2018年10月31日配信(予定)のメルマガ金原No.3317を転載します。
 
三たび「避難の権利」を訴える総理大臣と福島県知事への手紙~森松明希子さんから
 
 明日(11月1日)の午後、大阪地方裁判所で、福島第一原発事故被災者(避難者)が国と東京電力を訴えた原発賠償関西訴訟の第20回口頭弁論期日が開かれます。 
 同訴訟もいよいよ終盤に差しかかり、間もなく全ての原告の陳述書が提出され、来年には原告本人尋問が行われる段階となっています。
 
 その原発賠償関西訴訟の原告団代表であり、また、東日本大震災避難者の会 Thanks&Dream(サンドリ)の代表でもある森松明希子さんについては、本ブログの常連登場者(?)として、皆さまにもお馴染みでしょうから、あらためてご紹介するまでもないとは思いますが、森松さんが2人のお子さんを連れて福島県郡山市から大阪に母子非難を決意されたいきさつについては、私のブログに転載させていただいた以下の手記などをお読みいただければと思います。
 
2014年9月12日
 
 さて、その森松明希子さんがFacebookに、内閣総理大臣と福島県知事宛の公開書簡(2018年10月29日付)をアップされているのに気がつきました。
 
 実は、森松さんが内閣総理大臣と福島県知事宛の公開書簡を書かれたのは、これが3回目のことであり、以前の2回の書簡は、サンドリのホームページで読むことができます。
 
 
 これら3通の手紙は、基本的には同じことを訴えているのですが(それはそうですよね)、前回(2016年11月)の第二信は、国や福島県による2017年3月で災害救助法に基づく借上住宅の無償提供を打ち切るという方針の撤回を求める運動の力になりたいということで(森松さん自身は住宅支援を受けていません)書かれたものであったと思いますし、今回の第三信は、本文にはさらっと書かれているだけですが、10月25日の国連総会で、国連人権理事会が任命したトゥンジャク特別報告者が、東京電力福島第一原子力発電所事故の後、日本政府が避難指示を解除する基準の1つを年間の被ばく量20ミリシーベルト以下としていることにはリスクがあるとして、子どもたちや出産年齢にある女性の帰還を見合わせるよう求めたとの報道に触発されて書かれたものではなかったでしょうか。
 
 森松さんのFacebookへの投稿には、「※本人の希望により、無断で転記・転載、大歓迎です。」と書かれていましたので、(第二信の時と同じように)形式的な書式は私の趣味で整理させていただいた上で、全文転載しました。
 是非、シェア、転載などの方法で多くの方の目に触れるよう、ご協力いただければ幸いです。
 
(引用開始)
内閣総理大臣 安倍 晋三 さま
福島県知事 内堀 雅雄 さま
 
 前略
 
 「復興庁 避難者消したら 復興か」
 「福島県 避難者無視して 復興か」
 
 福島県郡山市から大阪市に2児を連れて母子避難を7年7か月間、敢行しつづけている森松明希子と申します。
 3年前・2年前にも内閣総理大臣および福島県知事にお手紙を差し上げました。
 
 何度でも繰り返します。
 放射線被曝から免れ健康を享受する権利は、人の命や健康に関わる最も大切な基本的人権にほかなりません。
 誰にでも、等しく認められなければいけないと、私は思うのです。
 なぜなら、少しも被ばくをしたくないと思うことは人として当然のことであり、誰もが平等に認められるべきことだと思うからです。
 また、これから先、将来のある子どもたちに、健康被害の可能性のリスクを少しでも低減させたいと思うことは、親として当然の心理であり、子どもの健やかな成長を願わない親は一人としていないと思うのです。
 そこには、一点の曇もなく、放射線被曝の恐怖、健康不安があってはならないと思うのです。
 たまたま県外に親戚・縁者・支援者のつながりがあった人だけが被ばくを免れることができるとか、経済力はじめ運良く様々な条件に恵まれた人たちだけが被ばくから遠ざかることができた、というようなことで本当に良いのでしょうか?
 今、次々となされる施策、法律で定められている年間1ミリシーベルトを超える放射線量が確認されても帰還困難区域を解除する、避難者にとっての命綱である支援住宅の打ち切り(他方で帰還者にだけは手厚い保護)など、これらの非道な施策により、幼い子どもの被ばくを少しでも避け避難を続けていたいと願っても、泣く泣く帰還するしか選択肢がなくなるという世帯もあるということをご承知の上での措置なのでしょうか?
 そして、それが本当に平等でフェアな施策だと言えるのでしょうか?
 何よりも、それは本当に正しいことなのでしょうか?
 
 そもそも、避難するという選択肢を選び、安心して避難を続けるという道筋が立てられる制度が7年以上経過しても何一つ確立されることもなく、避難したくてもできない世帯があることを国や福島県は分かった上でのこれまでのこの7年7か月間のご対応なのでしょうか。
 もしもご存知ないのでしたら、それは、「声なき声」、生活者の視点、ふつうの暮らしをしている人々の思いや声を聞き漏らしていることにほかならず、大変な無礼を承知の上で申し上げますが、為政者としては致命的であると言っても過言で無いと思うのです。
 原発事故子ども被災者支援法という法律はあるのにずっと棚晒しの現状・・・
 法律があっても、実際の被災者は何ら救済されないというこの現実。
 私は、福島にとどまり日々放射線と向き合う暮らしを余儀なくされていらっしゃる方々の選択をとやかく申し上げたことは一度もありません。
 むしろ、子どもを育てる同じ親としてのお立場の方々を思うにつけ、心中、心よりお察し申し上げる次第です。
 一方で、避難という選択をした私たちもまた、紛れも無く福島県民であることにかわりありません。
 遠く離れた土地に幼子と避難をしていたとしても、福島が、3.11前の何の健康被害のリスクも不安もない状態にもどりさえするのなら、すなわち、3.11前には現存しなかった放射線がなくなり3.11前の福島でありさえするのなら、今すぐにでも家族揃って福島での生活をまた再開したいと心から願っているのです。
 
 そう願い続けて7年7か月の歳月が流れました。
 避難をしている福島県民の「声」は届いているのでしょうか。
 それとも「意図的に無視」されているのでしょうか。
 県政を担われる内堀知事におかれましても、どうか、避難という選択をした者もまた県民の一人として捨て置くことなく、人の生命・健康にかかわる最も大切な基本的人権を尊重していただけますよう、全国に散らばる国内避難民にもまた、温容な具体的施策の継続、実施をお願いしたく存じます。
 原子力災害がひとたび起きた時に、これまでのご対応が常套の手法とされてしまうことで計り知れない国民の権利が将来にわたり侵害されることになると私は危惧するのです。
 人の命や健康よりも大切にされなければならないものはあるのでしょうか?
 全世界の国民は、等しく、自らの命を守り健康を享受する権利があるはずです。
 生命や健康を守る行為が原則であり、その原則的行為を選択した人に対して、どうか最低限度の制度を保障してください。
 そして、不幸にも原子力災害を経験してしまった県民(国民)として、次の世代に対して恥ずかしくないアクションを県政、県民として手を取り合って進めて頂きたいと思うのです。
 同様の事が、国政においても言えると思います。
 そのためには、一部の経済的利害関係の発生する人々の声だけでなく、人として当たり前の事を申し上げているだけにすぎない一母親、一生活者、一県民、一国民の真摯な声にどうか耳を傾けてくださいますよう、心からお願い申し上げます。
 
 避難者の存在そのものが社会的事実であり歴史的証拠なのです。
 「意図的な無視」により数にも数えようともしない、数に上げてしまったものは線引き・支援の打ち切りによって、全力で存在そのものを消そうとすることは、為政者としてあるまじき恥ずべき行為だと思うのです。
 私や私の子どもたちも含め、「避難している人々」は間違いなく存在しているのです。
3.11から今現在に至るまで、間断なく避難という選択をし続けています。
 汚染があるから帰らないという選択を尊厳をもって敢行しているのです。
 
 最後にこれだけはお伝えさせてください。
 トップが事実から目を背け、隠蔽体質を貫かれますと、国民・住民はさらなる苦痛と困難を強いられます。
 福島原発事故による国土の汚染は国のトップが世界に向けてアンダーコントロールと隠蔽しました。
 福島県からの避難者は北海道から沖縄まで全47都道府県全てに存在するというのに、県のトップは物産売り込みには熱心で全国飛び回ったとしても、全国に散らばる避難者には会おうともせず無視しつづけています。
 私たち避難者の正確な数や実態、苦難の状況を把握しようともしないし、声も聞かない、
受け入れ先の自治体に「避難者をよろしく」とお願いもしてくれない。
 学校のいじめは学校長が無視、隠蔽したら苦しむのは子どもたちです。
 隠蔽されて再発防止策が講じられないと、被害の子も加害の子も、そして今は加害者にも被害者にもなっていないけれど、新たな犠牲者が出ることは必至です。
 そして再発防止は事実(何が起きていたかという被害の事実)と向き合わずしてはありえないと思うのです。
 いじめも原子力惨禍もそれは同じことです。
 なかったことにする、見ないことにする、臭いものに蓋が、どれだけ多くの子供たちの未来を奪っていることか・・・
 そのことに全ての人が気づくべきだと私は思うのです。
 避難児が恐喝いじめ事件に遭っていたという痛ましい事件がありましたが、全国に散らばる避難者の子どもたちは、国・県からの保護が皆無に等しく、同様の危険にさらされ続けているという現状があります。
 避難するという選択を尊重されないばかりか、さらなる危険にさらされながらの避難の継続を強いられることは、あってはならないことです。
 
 子どもたちの未来と健康を最優先に考えてください。
 子どもたちはこの国の未来であり、福島県にとっても大切な宝物です。
 避難を続ける人々の選択を尊重し、特に保護すべき避難の子どもたちをどうか全力で守ってください。
 内閣総理大臣と福島県知事が全力でその姿勢を示してください。
 
 長文かつ乱文、大変失礼いたしました。
 福島の復興を切に願う一県民として、また、東日本大震災の真の復興を心から願う一国民として、筆を取らせていだだきました。
 最後までお読み下さいましてありがとうございます。
 
  2018年10月29日
 
    森松明希子   
      福島→大阪・2児を連れて母子避難中、国内避難民、
      東日本大震災避難者の会 Thanks & Dream(サンドリ)代表
(引用終わり)
 
(参考サイト1 森松さんやサンドリの書籍のご紹介)
※この冊子の内容をご紹介した私のブログ(『3.11避難者の声~当事者自身がアーカイブ~』(東日本大震災避難者の会Thanks&Dream(サンドリ))を是非お読みください/2017年3月5日)もご参照ください。
 
(参考サイト2 トゥンジャク特別報告者による声明についての報道)
NHK NEWS WEB 2018年10月26日 13時03分
国連の特別報告者 福島への子どもの帰還見合わせを求める
(抜粋引用開始)
 国連の人権理事会が任命したトゥンジャク特別報告者は、25日の国連総会の委員会で、東京電力福島第一原子力発電所の事故のあと、日本政府が避難指示を解除する基準の1つを年間の被ばく量20ミリシーベルト以下にしていることについて「去年、人権理事会が勧告した1ミリシーベルト以下という基準を考慮していない」と批判しました。
 これに対し、日本政府の担当者は、この基準は専門家で作るICRP=国際放射線防護委員会が2007年に出した勧告をもとにしており、避難指示の解除にあたっては国内の専門家と協議して適切に行っているとして、「こうした報告が風評被害などの否定的な影響をもたらすことを懸念する」と反論しました。
 この反論に、トゥンジャク特別報告者は、同じ専門家の勧告で、平常時は年間の被ばく量を1ミリシーベルト以下に設定していると指摘し、これを下回らないかぎりリスクがあるとして、子どもたちや出産年齢にある女性の帰還は見合わせるべきだと主張し、日本側との立場の違いが浮き彫りになりました。
(引用終わり)
 
(弁護士・金原徹雄のブログから/森松明希子さん関連)
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2014年2月8日
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