弁護士・金原徹雄のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します。

2014年08月

映画『シロウオ 原発立地を断念させた町』と鈴木静枝さん『女から女への遺言状』

 今晩(2014年8月31日)配信した「メルマガ金原No.1834」を転載します。

映画『シロウオ 原発立地を断念させた町』と鈴木静枝さん『女から女への遺言状』
 
 上映会が開かれるのはまだだいぶ先のことですが、映画『シロウオ 原発立地を断念させた町』が、和歌山市で上映されることが本決まりとなりました。昨日(8月30日)、呼びかけ人候補者が集まり、映画の試写会が開かれ、私も参加してきました。

 日程は2014年11月29日(土)午後と夜の2回上映、会場は和歌山市あいあいセンター6F、参加協力券1,000円などの基本的事項が決まりましたが、なお詳細確定してチラシもできあがった段階であらためてご案内します。

 以下、簡単に映画の概要をご紹介しておこうと思いますが、映画の公式サイトは、本作品の監督「かさこ」氏のホームページ「かさこワールド」に間借りしているようです。
 上記サイトの「作品紹介」のページを見ていただければ、おおよそどのような映画かが分かります。

(引用開始)
原発マネーを拒否し、原発計画を追いやった徳島県蒲生田原発と、
和歌山県日高原発の反対運動を行った住民にインタビュー。
なぜ原発に反対できたのか。当時、計画推進のためにどんなことが横行していたのか。
福島の事故をどうみるか。今、原発のない町で幸せかどうか――。
原発問題を考える上での示唆がここに凝縮されている。
(引用終わり)

 予告編とは表記されていませんが、監督自身のYouTubeチャンネルにアップされている約5分間のダイジェスト映像があります。
 
映画「シロウオ~原発立地を断念させた町」紹介


 紀伊水道をはさんだ徳島県と和歌山県で原発反対運動に関わった様々な人々へのインタビューで構成された約1時間45分の長編ドキュメンタリー映画を観ながら、私は、これまで観てきた鎌仲(かまなか)ひとみさんや纐纈(はなぶさ)あやさんの作品(この2人の作風も全然違いますが)との肌合いの違いは何なんだろう?という疑問を持ち続けていました。
 別に映画の内容や構成が突飛なものである訳ではなく、撮影・録音などの技術的な点についても何の問題もありません。
 地元・和歌山の人たちには是非観てもらいたい作品だと思いましたので、呼びかけ人になることも喜んでお引き受けしたのですが。
 私が抱いた「違和感」の原因を考えるヒントになり得る映像を見つけました。
 この作品が監督第1作となる「かさこ」氏のセルフプロモーション映像です。
 
かさこ自己紹介2014


 さらに、映像だけではなく、「かさこ」氏は、「かさこマガジン」というセルフマガジンを自費出版して無償配布するという(もちろん営業の側面も大きい)活動も行っているのですが、今回の「シロウオ」の企画も、その「かさこマガジン」を読んだ矢間秀次郎氏という、一面識程度しかなかった人からの依頼で実現することになったそうで、その間のいきさつが書かれた「かさこマガジン vol.4-2 2014.5」30・31頁は是非読んでいただきたいと思います。
 鎌仲さんや纐纈さんの作品とは異質だけれど、それなりに独自のバックボーンがあってこその作品なのだなということが理解できます。
 「かさこ」監督のさらに詳細なプロフィールはこちらで。
 映画「ウォーターボーイズ」のモデルとして名高い埼玉県立川越高校から中央大学法学部に進み、大学卒業後の2年間、アイフルで不動産担保融資営業担当として「2年で10億円融資するトップセールスに」という経歴は、たしかに普通の映画監督とは違う人生経験の持ち主と言うべきでしょうね。
 
 ところで、この映画の中で私が最も感銘深く観たのは、徳島県では牧場主の米山喜義さん、和歌山県日高町では元教師の鈴木静枝さんに対するインタビューシーンでした(濱一己さんとそのご家族は別格として)。幸い、「かさこ」監督が自身のYouTubeチャンネルに鈴木さんへのインタビューの一部をアップしてくれています。もう1人、小出裕章さん(京大原子炉実験所)の登場シーン(昨年の日高町の民宿「波満の家(はまのや)」での合宿時の、多分勉強会終了後の海水浴シーンも出てきます)と併せてご紹介しましょう。
 
小出裕章先生インタビュー動画~原発を問う


戦争と原発~お上の言うこと信じたらあかん
 

 元「原発に反対する女たちの会」代表で長らく教師を務められた鈴木静枝さんについては、私のメルマガ(2011年3月28日~)の初期からの読者にとってはお馴染みの方だと思うのですが、最初にご紹介したのは、メルマガ金原No.465「鈴木静枝さん『女から女への遺言状(1993年)』」(2011年7月31日配信)によってでした。
 この『女から女への遺言状』は、1993年7月、「紀伊半島に原発はいらない女たちの会」の合宿で鈴木さんがお話された講演を文字起こしし、同会ニュース第9号に掲載されたものでしたが、3.11の後、講演からちょうど18年後に私のメルマガで配信させていただき、さらに好評につき、鈴木さんのお許しを得て複数のサイトがWEB上に転載し、その後、2012年5月に刊行された『原発を拒み続けた和歌山の記録』にも収録されました。

 
 「原発がこわい女たちの会」代表の松浦雅代さんが、『原発を拒み続けた和歌山の記録』を進呈すべく、日高町阿尾にお住まいの鈴木さんを訪ねた記録が同会ブログに掲載されています。
 

 また、昨年(2013年)8月に日高町の民宿「波満の家(はまのや)」で開かれた浦磯合宿の帰途鈴木さんを訪ねた松浦さんに、後日届いた鈴木さんからのお手紙が、「原発がこわい女たちの会ニュース」第86号に掲載されました。
 

 「かさこ」監督のブログによると、鈴木静枝さんに対するインタビューは、昨年(2013年)3月に行われたようです。ブログに掲載された写真を見ても、インタビューの映像を視聴しても、非常に聡明な方だという印象を受けます。
 

 私があらためて感銘を受けたのは、鈴木さんを原発阻止の運動に駆り立てたものが、戦時中、戦争遂行という国策を何ら疑うことをせずに子どもたちに教え込んでしまったという教師としての悔恨にあったことをあらためて述懐されていたからでしょう。
 私自身、もう一度、『女から女への遺言状』を読み直したくなりました。そして、まだ読んだことのない方々にも是非お読みいただきたいと思い、以下に、メルマガ金原No.465「鈴木静枝さん『女から女への遺言状(1993年)』」を再配信します。
 

鈴木静枝さん『女から女への遺言状(1993年)』
メルマガ金原No.465をお届けします(2011年7月31日現在の読者数138名)。

 去る2011年5月28日(土)午後、和歌山市において、海老澤徹先生(元京都大学原子炉実験所助教授)をお招きして、『ぶんぶん講座』~繋がるいのちのために~が開催されたことは、このメルマガでもご報告しましたが(No.290)、その中で、「松浦(雅代)さんからは、県内に一つも原子力発電所がないという今の和歌山県の状態を勝ち取るためにどのような闘いの軌跡があったのかについて、分かりやすく説明していただき、後輩として非常に感銘深く伺うことができました」と書いています。
 その勉強会の際に松浦さんが提供してくださった資料の中に、『紀伊半島に原発はいらない女たちの会ニュース』9号(1993.9.14)のコピーがあり、そこに掲載されていた『女から女への遺言状』(鈴木静枝さん/日高町・原発に反対する女の会)に感銘を受けた歌舞さん(にしでいづみさん)が、文章をテキスト化して送ってくださいました。

 そこで、松浦雅代さんに、紹介文をお願いしたところ、以下の文章を送ってくださいました。
 鈴木静枝さんの講演録と併せてお読みください。
 なお、5月の『ぶんぶん講座』で伺ったところでは、1918年生まれの鈴木さんはご健在だそうです。
 それにしても、様々なことを考えさせられる素晴らしい講演録だと思います。和歌山県民の方に限らず、1人でも多くの方に読んでいただきたいものです。


『女から女への遺言状』の頃

 和歌山の女たちのネットワーク(紀伊半島に原発はいらない女たちの会)は1987年に結成して、毎年夏に日高町で合宿していた。最初は故・久米三四郎氏、小出裕章氏、の専門家の講師陣、地元の人と県内の私たちが子連れで参加交流していた。その頃の記録はほとんどない。記録をとる余裕がなかった。1990年に日高町は反原発町長を選んだ、
その後の合宿は主に戦争経験者と戦争経験のない女たちの交流でした。落ち着いて現地の先輩に話をして貰った記録です。(松浦雅代)


紀伊半島に原発はいらない「女たちの会ニュース」9号 1993.9.14より
『女から女への遺言状』 鈴木静枝氏(日高町・原発に反対する女の会)述
「紀伊半島に原発はいらない女たちの会」の合宿(1993.7.29・日高町産湯/桂荘
にて)での講演より収録、編集

 昭和20年8月15日、玉音放送がありました。
 雑音混じりの、よく分からない天皇さんのお声が、どうも「戦争負けて止めた」と言うてるふうにとれてね。負けたと言うたわ。ということで皆ぼけーとしてしまいました。その時、私は、あ、口惜しい負けたと思ったのかそれとも、あ、済んで良かったと思ったのか、その時の事考えたら何も覚えていないんですよね。
 ひょこっと、そこが抜け落ちたように、どう思ったんか分からないのです。ただ私と一緒に聞いていた人がぼそっと「ほんなら今日から電気つけていいんやろか」といいました。黒い布を被せて、灯火管制です。夜なべの仕事は少しの明りの下でしか出来なかった。暑いし、暗いしねぇ、もううんざりしていて、一番先に電灯が出てきたわけです。「ほら、つけたらええわ」と言う人はいなかったです。「おとうちゃん、帰ってくるかいな」と言う人がいたんですけど、「そんな事、今頃言うたらあかん」と叱られました。
 やはり、どうもまだ戦争負けたと言われても、しゅんとこなくてね。ところが、その次の日だったか、その日だったか、ラジオがね、もうニコニコとした感じで「皆さんアメリカは良い国ですから仲良くしましょう」と言うのです。私はこれを聞いた時、負けたんやなーと、痛切に思いました。前の日まで「鬼畜米英・撃滅」とわめきたてていたんですからね。ほんとにころっと変わって。マスコミというのは、だいたい風にそよぐ葦のように敏感で時代の通り動くもんらしいけど、あれはアメリカの命令だったのか分かりませんねぇー。
 それから、その次に新聞が「一億総ざんげ」という事を書きました。まあ、この戦争負けたんは、我々もしっかりやらなかったから申し訳ない。天皇さんにお詫びしょうと云う一億総ざんげですね。その時はそうやなーと思ったんですけど、後になって考えると、これはちょっと変やなーと思いました。だってね、私たちは一生懸命に戦争に向かって走ったけど、それは上からの命令で、真に正直に、そのバカが付く位バカ正直に素直に言う事に従ったんだけど、あっち向いて走れと言って指揮した人達が上にいたでしょう。これから50年もたったら日本がぺちゃんこになってガレキの、本当に奥尻島みたいにねえ、ぺちゃんこにやられて何も残らないようになって、そしてアメリカに降参したんだという事をみな終戦という言葉で忘れてしまうのではないか、と思ってね。アメリカともうここらで戦争止めよか、と言うて握手して止めたという感じでしょう。終戦というあいまいな、もことした言葉を使ってね、戦争が終わった、という事でごまかして、それから一億総ざんげで、戦争の責任をどっかにぶっ飛ばしてしまって、経済再建という事だけに向けて、まあ50年近い年月をば、つっ走ってきたように思うんです。なんだか日本という国が非常に大事な事忘れて、ただお金儲けの為につっ走ってきて、その走り方が今でも続いているような気がするんですけどね。
 私は戦争中、疑うことなく戦争に協力しました。後から考えてみたら、なんで分からなんだやと思いますけどね、その時は本当に分からなかったんです。しかし後で戦争に反対した人が沢山いた、と聞いて、この人たちに見えてたのに何故私に戦争の本質が見えなかったのかほんまにはずかしかったです。やっぱり小学校の時から叩き込まれた、教育というのは恐ろしいですね。天皇陛下の為に死ぬ、と言う一本に絞って学校の教育はあった訳です。教育に関する勅語という天皇さんのお言葉の中に、一旦緩急あれば義勇公に奉じという所があります。戦争が起こったら、何もかも捨てて天皇さまの為に死ねという事ですよね。そういう教育が戦前の教育だった訳です。
 人間の命は今では地球より重いと言いますけど、あの頃は本当に羽毛のように軽かったんです。だから、戦場で兵隊さんを殺すと云う事に対して軍の上の人たちは、何の後悔も無かったように思うんです。その戦争が済んでから天皇さんが「私は神様ではない」とおっしゃってね。あれもびっくりしました。それまでは、畏くも、と言うたら、皆んなぴーと気をつけやりまして、あれテレビで時々やりますね、しゃちこばって。それは神様であったからです。
 ところが、その天皇が「私は神様ではない」とおっしゃるでしょう。なんだか、雲の上から下へ落っこちて来たような具合です。それもびっくりしましたけどね。
 その次に新聞が又めったやたらと、今まで報道出来なかった戦争中の悪事を暴露しはじめました。本当に、被せていたカバーをぱんと引き外したらね、下から汚いごみがわんさと出てきて、それを又手でもってわっとそこらにまき散らしているような、そんな感じでした。もう悪い事が一杯出てきました。
 その悪い事というのは、まあいろいろありましてね。一番つらかったのは天皇さんのお使いだと思って神様のように崇めていた日本の軍隊が、あちこちで、暴行だ、虐殺だ、という事をやっていた話です。
 私達は、南京が落ちたときには、提灯行列をしてお祝いをしました。その提灯行列をして私達が祝っているときに、あの南京大虐殺というのがあって、もう何万人という中国人が殺されて、そういう話が外国の新聞に出ていて、日本人だけが知らなかったということもあるんですね。私はあの数日の間に私って、なんちゅうアホやろと思ってね、なんでこんなに見えなかったんだろう、だけどこの素直な人間をば、なんだってあんなにだましたんだろうと思ってね。
 第一、大本営発表で勝った、勝ったと言ってたことがみんなウソで、負け続けばっかりだったということでしょう、そして南の島へ兵隊さんをいっぱい置き捨てて、連れに行く訳にもいかず、弾も食べ物も持って行ってあげられないから飢え死に同様に死なせたという話もあるしね。本当に、お母さんが聞いたら、自分の息子がそんなふうに死んだと聞いたら、本当にやりきれんし、すごく腹が立つだろうと思うんですよね。私もおかみがこんなことして国民をばだましていいのかと思ってね、その時はほんまにものすごう腹が立ちました。
 おかみがだますことがあるんやなぁと知って、それもびっくり仰天。おかみというと、天皇様とその政府だと私は思ってましたからね。八紘一宇の聖戦が侵略戦争であったとはね。

 それからもう、だまされまいと思って私の戦後はあったようなものです。で、戦争すんでから、原発にめぐりあったんですけどねえ。その時の話では、原発というものはクリーンなエネルギーで、すごくいいもんで、火力、水力なんかよりも値段が安いし、それからそれを持ってきたら、まあ地域に何億というお金が降ってきて、個人にたくさんの補償金がもらえて、道は広くなるし、立派な公共の建物は建つし、何年にもわたって豊かになれるということで、タナからボタモチ降ってくるような話でした。
 あんまりありがたい話なので、これまた例の戦争の時みたいな八紘一宇ではないかと思って、気をつけやなあかんなーとその時思いました。阿尾へその話がきたのは昭和42年です。
 その時私は、阿尾の小学校で教師をしていました。そして48年、原発が白紙撤回されるまでの阿尾の人の戦いぶりを、学校も窓から見せてもらったわけです。ずいぶんがんばりました。本当に見事でした。
 小浦に来たのはその2年後の昭和50年です。私はその年に教師をやめて、家で畑仕事をしていました。
 この年、阿尾は白紙撤回したけれど、その時は賛成の人、反対の人がほんまにもう、顔つき合わせてももの言わない状態になって、村が二つに割れてね、双方傷だらけになってしまった。なにせ、兄弟同士、親類同士、伯父、甥、隣人、そういう関係で二つに分かれて顔を合わせてもふんとむこうを向くような、そういう状態が何年も続いていたんですからね。まったくのとこ、やりきれなかったわけです。だから小浦に来た時、私達それがこわくて、そんなこと言うたらまた阿尾みたいになるて、この話、聞かんことにして断ったらええんと違うかい、と言うたんですけど、やっぱりそうはいきませんでした。
 反対運動が、一番小浦で燃え上がったのは52年の夏からでした。
 反対署名を集めて、反対の数をば多くして、それから役場へ抗議申し入れに行きました。私達が出かけますとね、関電の人が神経質になって、車の電灯を消してお宮さんの前で待機していて、私達がカブや自転車で出かけると、後ろをノロノロついて来るんですよね。署名もらいに入って行ったら、またその人もノソノソと入って来て、用もないのにウロウロして、「あんた何よ、もう、帰ってよ」と言うたら、「あんたらもゴキブリみたいにこんなに出てきてなんな」と言うて、けんかになったりしてね。そらもう、賑やかなものでした。私ももうちっと若かって、10年以上前ですからはりきって、小浦の人達と一緒に、ずいぶんかけ回りました。お正月の前だというのに、漁師の奥さんなんか、エプロンね、こっち向けていたら汚れたんで、裏返して着たら、また汚れたんで、また裏返したという位、洗濯もろくすっぽできん位、かけ回ったもんです。
 町会議員さんの中で反対してくれている人は、2、3人しかいなかったです。17~18人中でね。議員さんにあんたも反対に回ってください、と頼みに行ったら、その人の言うのにね、「わしらただの漁師や百姓やから、原発なんて難しい事は分からへん。その難しい事は学者先生に任しといたらええんで、あんたらかて、そんな事言わんと、おかみの言う事、聞かんせよ」と、向こうに説得されてしまったのです。私は、おかみの言う事聞いていたら間違いないわ、て言うたんで、あれこの人、戦争でえらい目におうたのに、まだおかみ信用してんかなあ、と思って、おかみ、おかみて、おかみは戦争の時、うそだましてたんやで、原発かてうそだますか分からんやないの、と言うと、そがな昔のこと言うてもはじまらんよ、と言うわけです。おかみはなかなか頑丈で、退散してくれへんのです。戦争に負けても、ほんまに、あれは徳川時代からおかみ恐れて暮らしてきたのが、もうしみついているんだと思います。もう一人は「そらなあ、原発反対でいやだっても、これは小浦へ召集きたようなもんやさかい、おかみの言うこと、聞かんわけにはいかんよ」と、これは元軍人さんの言うことです。あんな反対するやつらは、過激派みたいにおかみに手向うんやから、あの人ら赤や、言うてね。もう、その古めかしい赤というレッテルを、私らペタンと貼られてしまいまして、赤でも黒でもないけど、ただ原発というものがこわいということだけで反対しているんや、と言うても、通じません。だから、原発に賛成するか、反対するかということで、おかみに忠実であるか、手向かいする気かという、そういう踏み絵がわりに使われている傾向がありました。だから、小浦で、92人も初め署名してくれたけど、10年程の間に一人二人減っていってしまってね、足元をちょっとずつ波が崩していくように。就職する時におかみににらまれたら、ちょっと悪いさかいよう、ちょっとの間、署名はするけどよ、黙っててよ、というような形で、だんだんとだんだんと減って行くわけです。なんかおかみが光り出したら、後ろへ後ろへと下がるんやね。私もう、ほんまに、情けないと思いました。なんで、こんなにおかみにはばからんといかんのか、と思って、悔しかったです。おかみは政府でしょう。その時のおかみは自民党の政府ですからね、そのおかみが頭にすわっている以上は、こらもう原発もどうしようもないなあ、とほんまに思いました。
 それから、もうほんまに、もうあかんなあー、と思うことが何度もありまして、総代会で、事前調査受け入れて、総決議なんかされたことがありましてねえ。一票か二票の差で負けたこともあるんです。もう、今度こそやられたなあー、と思ったら、そう、丁度、あれありがたいと言うたら悪いんですけどね、スリーマイル島の事故が起こった。それからまた、今度こそあかんかなあ、と思った時分に、チェルノブイリの事故が起こったりして、まるでそれこそ神風が吹くように、その事故があった人達には申し訳ないのですけど、小浦の原発をばまあ、払いのけてくれたようなところがあります。
 それでいろいろとあって、昭和63年、町役場の横の公民館で漁協の総会がありました時にね、原発事前調査の議案、原発受け入れ調査が廃止になりまして、それで原発の、一応けりがついたわけです。
 その時はもう、ほんまに息づまるような会合でしてね、私はあの日のことは忘れられません。その台上に並んでいる賛成派や、賛成反対まじえた議員さんやら、それから下にいっぱい集まっていた漁協の組合員やら、その間でこぜりあいが起こったら、警官が何人も、ぱーと間髪を入れずに現れて、前にこう、立ちふさがるような場面があってね。そしてまあ結局、廃案やということで、廃案なら、これで原発終わりや、と言うてね、浜さんなんかバンザイ、バンザイということで外に飛び出していったもんですから、へえーほんまにこれで終わったんかい、とボケッとした位でした。
 それでも一松町長さんは諦めないで、平成2年9月3日、漁協へ事前調査の申し入れをやったんです。丁度町長さんの任期がじき切れるんで、選挙の前にけりを付けて置きたいということで。その9月3日に漁協がはっきりと「事前調査の受け入れをしない」と、拒否の発表をした訳です。ほんまにまあ、それで原発は終わりということになって、それからその月の30日に町長さんの選挙があり、反対派の押した志賀さんがうまいぐあいに当選しまして、それで、おおかた23年目に日高の原発は息を潜めてくれました。
 ほんとに長い年月でした。大阪から和歌山県の各地から久米先生をはじめ多くの方達が、事あるごとに支援にかけつけて下さって、どんなに励まされたかわかりません。ありがたいことでした。
 今の日高町は妙な安心ムードになりましてね、小浦なんかでも、原発済んだよ、とそう言って、昔の事として、原発に触れないようにして生きています。原発と言うとなんとはなしにそれは、トゲのようなもんで、賛成同志、反対同志の間では何にもないんですけど、反対と賛成の間では原発というのは禁句でして、うっかり言っては平和を掻き乱すような言葉になってしまうので、もうその話題は皆避ける事にしています。やっぱり、私らの喧嘩した年代が死んでしまわない限り、その傷痕というのはとれないだろうと思いますね。
 これは、原発に声をかけられて、ひと騒ぎしている町村はどこもかも皆、こんな傷を受けているんだと思います。本当にひどいことですよねえ。
 それに、そうそう安心ばかりしていられないのです。日高町にも、周辺の市町村にも、原発を推進したい人はいっぱい、いるのですから。風の吹きようで、いつパッと燃え上がらないとも限りません。

 私が今一番言いたいのは、後になって、おかみにだまされたなどと、泣きごと言ってほしくないことです。だまされないよう心とぎすまして、時には反対する勇気をもってほしいということです。自分に出来なかったことを、人にやってもらいたいというのは、本当にあつかましい話ですけどね。
 今の若い人たち、テレビなんか見ていたら、遊ぶ時、ものすごく活力出しますけどねえ、なんでもうちょっと、政治とかPKOとか、そういう事に怒らないのでしょうね。昨年のあのPKOの派遣なんかにしたって、もしかしたら将来自分に徴兵令が来て行かんならんような事がおこるかも知れないのに平気で、そしらん顔している。投票なんかもしないでしょう、あれは、ほんまに間違っていると思うんです。こんな風に無関心で居たら、いまに、その付けをば。うんとこ払わせられるような気がします。しっかりして下さいね。
 と言うのが私の遺言です。
 なんだか、この頃、お母さんたちもお金儲けに一生懸命になってね、子どもにしっかり勉強しろとお尻叩いて、自分はお金儲けに走るだけ、みたいに成って来ましたから、家の中で、そんな風な話を子どもとゆっくり話しする暇なんか無いんじゃないでしょうかね。だからなんだか心配です。この間の選挙なんかにしても、あれだったら自民党がちっとも減らないで増えた位でしょう。あれは自民党はおかみだから自民党の言うことを聞いとかないと損だという意識が心の中にあると思うんですよね。
 もうちょっと女の人しっかりせんとあかんと思うんです。代議士なんかでも少ないでしょう。数。私はほんまにもっともっと、つくらんといかんと思います。女の人が結束して女の人をば入れるんだったら、もっと上がるはずですもんね。そして内閣総理大臣を女にして、閣僚も女にして、そして一人か二人男も入れてあげる。そしてね、私はそうしたら戦争せえへんと思うんですけどね。戦争起こりそうになったら、その国に出掛けていってん、肩なんかボコッとたたいて、にこっと笑って、あんたもそんな怖い顔しないで仲良く話して、あんたも引くし私も譲るし、お互い譲り合ったら、あんな殺人ゲームなんか、やらないで済むんじゃないですか。そして自分の子どもたちをば殺したく無いでしょう。と話し合う。女どうしだと出来ると思うんですけどね。そんな時代がこないかなーー。とこれは私の夢です。だけどもねそれまでは、とても生きていられません。まあ、若い人たちにそんな夢を託しておきたいと思うんです。ほんとに皆さん頑張って下さいね。
(すずき しずえ  一九一八年生まれ) 

住民健康管理における「過剰診断」とは何だ?

 今晩(2014年8月29日)配信した「メルマガ金原No.1832」を転載します。

住民健康管理における「過剰診断」とは何だ?
 
 長瀧重信長崎大学名誉教授が座長を務める環境省に設置された「東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う住民の健康管理のあり方に関する専門家会議」は、OurPlanet-TVが
継続的に取材・撮影してくれています。
 その全てをフォローできている訳ではないのですが、折りにふれて視聴し、色々と思うところがあ
ります。
 今日は、一昨日(8月27日)開かれた第10回会議の模様をご紹介します。
 
(番組案内引用開始)
 東京電力福島第一原発事故に伴う住民の健康調査に関する健康影響を検討している専門家会議で27日、福島県の県民健康調査検討委員会の座長らが参考人として意見を述べ、全面的な国の支援をあおいだ。また、環境省は「健康調査に関する論点整理」を提示。しかし、論点が「福島県民健康調査」に絞られている上、内容があまりに簡素なため、傍聴者か
らは「これだけなのか?」と言った怒りの声があがった。
福島県民健康調査の見直し議論
 「住民の健康管理」が会議設置の目的でありながら、過去9回にわたって、ひばく線量評価
やリスク評価のみを議論してきた同会議。前回、委員から批判があがったことを受け、27日はまず佐藤礼子参事官補佐が、福島県で実施されている福島県民健康調査の結果や国の健診体勢を説明。この後、福島県立医大の放射線医学県民健康管理センター副センター長の
安村誠二教授と県民健康調査検討委員会の星北斗座長のヒヤリングが行われた。
 星座長は県の健康調査の回答率や受診率が低い一方で、「甲状腺検査の結果だけに注
目が集まってしまっている。」と説明。「考え方を変えていく転機」ではないかと、座長による「中間まとめ」を24日に提示した背景を述べると、委員からは、、「過剰診断のおそれ」や「不安を
与える」などの理由をあげ、甲状腺がん検査の継続に慎重な意見が相次いだ。
 しかし、日本医師会の常任理事で小児科医の石川広己医師はこれに反論。「私の立場と
しては、人数的にも増やす。住民に広くやっていただく。健診をもっと発展させるという方向で議論していいのか。」と切り込み、「過剰診断」との意見に対し、「利益、不利益というが、不安を抱えている住民ががん検診をやりたいなら、できるような体制をとるべきだ。不利益とは誰の不
利益なのか」と批判した。
 また福島県民健康調査の甲状腺評価部会の座長をつとめる日本医科大学の清水一雄
教授も、「子どもの甲状腺癌は大人に比べアグレッシブ。 亡くならなくてもQOLが下がるケース
もある」として、「過剰診断」との声に反発した。
健康調査は福島県内に限定か~論点整理
 会議では、最後に佐藤参事官補佐が、健康調査に関する論点整理が示された。しかし、
内容的に福島県内の健康調査のみに論点が絞られ、県外の健診に対する健康項目や、被ばくによる健診項目についての検討も示されていないため、傍聴席からは驚きの声があがった。論点整理に対し、安村副センター長は、基金などの財政支援だけでなく、人材、ノウハウなど
の実質的な国の支援を求めた。
 同会議は、当初の会議の目的として、「福島近隣県を含め、国として健康管理の現状と課
題を把握し、そのあり方を医学的な見地から専門的に検討する」とした上で、「原発事故子ども・被災者支援法」において、国は放射線による健康への影響に関する調査等に関し、必要な施策を講ずることとされていると記載。「線量把握・評価、健康管理、医療に関する施策の
あり方等を専門的な観点から検討する」としていた。
(引用終わり)
 
ノーカット映像


 私は、まだダイジェスト版(約21分)しか視聴していないのですが、皆さんも、上記番組案内で紹介されている石川広己氏や清水一雄氏の発言と、これに対立する「過剰診断論」(ダイジェスト版では祖父江友孝大阪大学大学院医学系研究科環境医学教授の発言に代表されていましたが)を対比して、「もしも自分が福島に住む子を持つ親ならどう思うか」という視点から考えてみて欲しいと思いました。

 最後に、この会議の「開催要項」の一部をご紹介しておきます。
 これからも、この「専門家会議」の推移には注目しなければと思います。
1.趣旨
(1)平成23年3月に発生した東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う住民の健康管
理については、国が拠出した基金を活用し、福島県が県民健康管理調査を実施しているところであるが、福島近隣県を含め、国として健康管理の現状と課題を把握し、そのあり方を医
学的な見地から専門的に検討することが必要である。
(2)また、「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支
えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」(平成24年6月27日法律第48号)において、国は放射線による健康への影響に関する調査等に関し、必要な施策
を講ずることとされている。
(3)これらの状況を踏まえ、線量把握・評価、健康管理、医療に関する施策のあり方等を専
門的な観点から検討するため、「東京電力福島第一原子力発電所事故に伴う住民の健康
管理のあり方に関する専門家会議」を環境省総合環境政策局環境保健部に設置する。
2.名称
(略)
3.検討内容
(1)被ばく線量把握・評価に関すること
(2)健康管理に関すること
(3)医療に関する施策のあり方に関すること
(4)その他関連すること 
4.委員構成 
別紙のとおり。
5.運営
(1)専門家会議に座長を置き、座長は委員の互選によって選定する。
(2)座長は、専門家会議を招集し、主宰する。
(3)座長は、あらかじめこれを代行する者を指名し、座長に事故があるときは、その者がその
職務を代行する。
(4)座長は、必要に応じ、構成員以外の専門家等に出席を求めることができる。
(5)専門家会議は、原則公開とする。
6.庶務
(略)

放送予告8/30「伊福部昭の世界~ゴジラを生んだ作曲家の軌跡~」(Eテレ)ほか

 今晩(2014年8月27日)配信した「メルマガ金原No.1830」を転載します。

放送予告8/30「伊福部昭の世界~ゴジラを生んだ作曲家の軌跡~」(Eテレ)ほか
 
 被疑者国選弁護事件を受任すると、いかに「自白事件」とはいえ、次の面会までにそう何日も間をおく訳にはいかず、ましてや、弁護人以外の者との接見を禁止する決定などを付けられると、帰宅する自宅の方向とは全然方角違いの警察署であっても、結構頻繁に面会に赴くことにならざるを得ません。
 ・・・というような弁護士の日常生活を「まくら」に振ったのは、被疑者との面会を終えて夜遅く帰宅してから「今晩のメルマガ(ブログ)、何を書こうか?」と考えても、そうそう良いアイデアが浮かぶものではないし、仮に浮かんだとしても、資料を集めたり書いたりしている時間がないので、「また休みの日にでも」ということになる、という言い訳なのですが。

 ということで、今日は、今年生誕100年を迎える著名な作曲家・伊福部昭(いふくべ・あきら)氏を特集するNHKの番組を2つご紹介しようと思います(この種の紹介記事を書くのが一番時間がかからない)。
 
NHK[Eテレ]2014年8月30日(土)午後11時00分~午前0時00分
「伊福部昭の世界~ゴジラを生んだ作曲家の軌跡~」
(番組内容・引用開始)
 今年生誕100年を迎えた作曲家・伊福部昭(1914-2006)。「ゴジラ」「座頭市」「ビルマの竪琴」など300本以上映画音楽を手掛けたことで知られている。土俗的なリズムが執拗に繰り返され、「血湧き肉躍る」という形容がぴったりの生命力にあふれた音楽を生み出した伊福部は、日本作曲界の先駆者であり、日本の音楽を世界レベルに引き上げた偉人である。生誕100年、そして映画「ゴジラ」誕生60周年を機に改めて注目が集まる今年、「日本人ならでは」の音楽を探求し続けたその生涯と業績、人物像を、「日本狂詩曲」「シンフォニア・タプカーラ」などの代表作の演奏も交えながら描く。
(引用終わり)
 
NHK-FM 2014年9月5日(金)午後2時00分~6時00分
「生誕百年 伊福部昭の偉業」
(番組内容・引用開始)
 2014年に生誕100年を迎えた作曲家、伊福部昭さん。戦前にフランスの作曲コンクールで第1位を獲得して注目を集め、「ゴジラ」をはじめとする数多くの映画音楽を手がけるとともに、日本の文化に根ざした独自の作品を発表し続けました。番組では、NHKの貴重なアーカイブス音源やスタジオ・ライブを交えながら、伊福部さんの代表作を紹介し、その生涯をたどります。どうぞお楽しみに!
【出演】和田薫(作曲家)、岩瀬政雄(音楽プロデューサー)、鈴木大介(ギタリスト)、松井治伸アナウンサー
(引用終わり)

 皆さんは、「伊福部昭(いふくべ・あきら)」という作曲家の名前を聞いて、どういう作品を思い浮かべるでしょうか?やはり、NHKの番組案内にあるとおり、まずは「ゴジラ」の作曲家としてでしょうね。
 「ゴジラの伊福部」については、今年書いた以下の文章の中で少し触れています。

2014年6月8日

 実際、今年になってからTVで放映された伊福部関連の作品(実は未見なのですが)は、ずばり「ゴジラの伊福部」を描いたものだったようです。
 
NHK-BSプレミアム 2014年7月6日(再放送:7月27日)
出演:佐野史郎/黒柳徹子/アレクサンドル・デスプラ
再現ドラマ出演:吉沢悠(伊福部昭)/原田佳奈(妻・アイ)/蛍雪次郎(円谷英二)/小美野来希/岩渕敏司 他)

 また、音大などに進学された方たちにとっては、音楽教育者・伊福部昭の令名になじみ深いでしょうか。同氏は、戦後まもなく東京音楽学校(現東京藝術大学)の講師を、また、70年代以降は東京音楽大学の教授、学長、同学付属民族音楽研究所所長などを歴任し、多くの弟子を育成したことで知られており、特に初期の芥川也寸志、黛敏郎の両名はとりわけ著名な弟子でしょう。 

 実は、私が愛聴おくあたわざる伊福部昭作品のCDは、弟子の芥川也寸志(作曲家であるとともに指揮も手がけた)が、自ら手塩に掛けて育成したアマチュアオーケストラ「新交響楽団」を指揮して恩師・伊福部作品を演奏した実況録音盤なのです。収録された作品は以下の3曲です。

 この3曲の中でも、とりわけ戦時中に作曲された『交響譚詩(こうきょうたんし)』という2楽章構成(急:第1譚詩と緩:第2譚詩)の作品は、日本の現代作曲家の作品の中で私が最も愛する曲と言っても過言ではありません。
 この曲についての作者自身のコメントによれば、「第二次大戦中、蛍光質の研究に斃れた兄のために起稿し、1943年春に脱稿(札幌)したものです。戦争が次第に烈しくなり、大きな編成を採ることが困難な時代だったので、2管持ち替えの小さなものとしました」ということで、世相を反映してはいますが、この曲を初めて聴いた時の、とりわけ第1譚詩冒頭の鋭気あふれる音型の躍動に驚嘆した思いは忘れることができません。
 この『交響譚詩』には様々な指揮者・楽団による演奏がありますが、私にとってのベストチョイスは、絶対に芥川-新交響楽団なのです。
 ちなみに、新交響楽団ホームページに、オーボエを担当する桜井哲雄さんが書かれた『交響譚詩』と作曲者についての非常に充実した文章が掲載されていますので、是非お読みになることをお勧めします。
 
新交響楽団ホームページ 
伊福部昭:交響譚詩 桜井哲雄(オーボエ)
 
 番組案内だけで終わるつもりが、つい好きな作曲家のこととなると蘊蓄を傾けたくなってしまうのですが(おかげでまた睡眠不足が続く)、普通の「ブログ」というのは、皆さん、こういう調子で書いているのかもしれませんね。たまにはこういう記事もいいかな。
 
(参考サイト)

(参考書籍)
KAWADE夢ムック 文芸別冊「片山杜秀責任編集 伊福部昭」


ジュゴンを守る、ジュゴンが守る

 今晩(2014年8月26日)配信した「メルマガ金原No.1829」を転載します。

ジュゴンを守る、ジュゴンが守る
 
 米国のサンフランシスコ連邦地裁に通称「ジュゴン訴訟」が係属していることをご存知でしょ
うか?
 この訴訟に新たな動きがあったことが報じられています。
 
(引用開始)
 餌場に向かおうとしていたのだろうか。特徴ある胴体と尾ひれ。海面に浮かび上がるその姿
は、何かを訴えているようにも見える。
 米軍普天間飛行場返還に伴う名護市辺野古への新基地建設で沖縄防衛局は18日、
キャンプ・シュワブ沖のボーリング調査を本格的に開始した。
 その前日だった。国の天然記念物ジュゴンとみられる生物が辺野古の東方約5キロの沖
合で目視された。共同通信の記者がヘリコプターで上空から確認した。専門家は「ジュゴン
に間違いないだろう」と話している。
 最近になって、ジュゴンが餌を求め頻繁に辺野古海域を利用していることが分かった。市
民グループ「北限のジュゴン調査チーム・ザン」の調査で、今年5月から7月のわずか2カ月足らずの間に「ジュゴン・トレンチ」と呼ばれるジュゴンの食痕(しょくこん)が埋め立て予定海
域で110本以上も見つかったのだ。
 日米の環境保護団体が米国の文化財保護法(NHPA)に基づき同国で起こした「沖縄
ジュゴン訴訟」で、新基地建設の差し止めを求める追加申し立てが受理され、再開されることになった。米サンフランシスコ連邦地裁は、2008年の中間判決で、米国防総省に対し、
NHPAに沿ってジュゴンへの悪影響を考慮する措置を取るよう命令していた。
 同時期に起きたこれらの事柄から導き出されるのは、当然埋め立ての中止である。政府
はジュゴン保護に向け、十分に時間をかけた科学的な再調査を行うべきである。
 防衛省は環境影響評価(アセスメント)で、ジュゴンの食痕が少なかった05年から08年
までのデータに基づき、ジュゴンがこの海域を利用する可能性は小さいと結論づけた。しかし、09年以降、ジュゴンが同海域を利用する頻度が増えている。特に今年見つかった多数の食痕について防衛省はどう説明するのか。「埋め立てありき」の環境アセスのずさんさが露呈した
と言わざるを得ない。
(略)
 環境省は沖縄のジュゴンを絶滅の恐れが極めて高い「絶滅危惧1A類」に指定している。
同省はまた、ジュゴンが生息する辺野古沖などを生物学的な観点から「重要海域」として選
定した。
 10年に名古屋市で開かれた生物多様性条約締約国会議では、「脆弱(ぜいじゃく)な生
態系への悪影響を最小化する」「絶滅危惧種の絶滅・減少を防止する」などの行動計画が採択された。現在、辺野古の海で進められている埋め立て工事は、これと相反するものであ
り、続行すれば国際社会からの批判は免れない。
(引用終わり)

 この問題を神保哲生さんと宮台真司さんが分かりやすく語り合っている映像があります。

(番組案内引用開始)
 米軍の普天間基地移設先として予定されている名護市辺野古の建設予定地の沿岸に
生息するジュゴンを保護するため、日米の環境保護団体らが米国防総省に基地建設の中止を求めていた裁判で、サンフランシスコ連邦地裁は原告側の再提訴を受理する決定を8
月15日までに下していたことが、このたび明らかになった。
 今後審理が行われる過程で、サンフランシスコ連邦地裁がジュゴンへの保護策が不十分
と判断した場合、国防総省に対して十分な保護策が取られるまで事実上の工事の差し止
めを命ずる可能性がある。
 実際に基地を建設するのは日本政府だが、国防総省に対して事実上の工事の差し止め
命令が出た場合、辺野古の埋め立て滑走路が接岸することになるキャンプ・シュワブが使え
なくなるため、実質的に工事差し止めの効果を持つ可能性があるという。
 ジュゴン訴訟は2008年1月の中間判決で、米文化財保護法(NHPA)違反を認定し、米
国防総省に対し、ジュゴンへの悪影響に対応する措置を取り、これを報告するよう命じていた。今年4月に国防総省が判決で命じられた報告書を原告側に通知したが、原告側は報告書が原告側との十分な協議なく作成されたため無効であると主張し、今回の再提訴に踏み切
ったという。
 早ければ半年以内に判決が出る見通しだという。
 辺野古の基地建設工事を止める可能性があるジュゴン訴訟について、ジャーナリストの神
保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
(引用終わり)

 参考までに、上記映像の冒頭で神保さんが紹介しているクリップボードの記載内容を転記
しておきます。

       ジュゴン訴訟
1996年 4月 日米普天間基地移設を合意
1999年11月 県が移設候補地に辺野古を決定
2008年 1月 サンフランシスコ連邦地裁が米文化財保護法(NHPA)違反を認定。
「ジュゴンへの悪影響を考慮する措置」を米国防総省に命令
2014年 4月 米国防総省がジュゴン保護策の「報告書」を原告側に通知
2014年 7月 日本自然保護協会が建設予定海域で2ヶ月110ヶ所のジュゴンの
海藻の食痕を報告
2014年 8月 原告が再提訴し、受理される

 沖縄タイムスが指摘する「防衛省は環境影響評価(アセスメント)で、ジュゴンの食痕が少
なかった05年から08年までのデータに基づき、ジュゴンがこの海域を利用する可能性は小さいと結論づけた」との関連で言えば、確かに、近年、ジュゴンが辺野古沖にやって来る頻度が高まっていることは間違いなく、同社説が指摘している8月17日の共同通信記者による目視以外にも、7月3日には琉球朝日放送が、8月22日には日本テレビが、それぞれ鮮明なジュゴンの泳ぐ姿の撮影に成功しています。
(記事引用開始)
 ヘリコプターの大矢記者は「けさも多くの作業船が出ているキャンプシュワブから、およそ10キ
ロほどの距離に、ジュゴンの姿が確認できます。太陽の光をさんさんと浴びながら、気持ちよさそうに泳いでいます。青く澄み渡ったやんばるの海に、真っ白なジュゴンが現れました」とリポート
しました。
 この一帯でジュゴンの食み跡調査を続けている、「北限のジュゴン調査チームZAN」の鈴木
雅子代表は、工事着手というタイミングでの発見について、「私たちが常に食み跡の調査をしている嘉陽という場所でテリトリーで餌を食んでる成体の雄だと思うんですね」「今現在確認されている地域個体群がみんな力を合わせて、自分たちはここで生きているんだよ、一緒に生きようよということを、人間に伝えてるんじゃないかと私はすごくありがたく感じてますね」と話してい
ました。
(引用終わり)
(記事引用開始)
 日本テレビのカメラが22日、絶滅危惧種のジュゴンの姿をとらえた。
 沖縄県名護市の辺野古沖で、22日午後1時半頃、日本テレビのカメラがジュゴンの映像
を撮影した。ジュゴンは絶滅危惧種に指定されていて、映像を見た三重県の鳥羽水族館の若井嘉人副館長によると、大人のジュゴンとみられるという。泳いでいるジュゴンの映像はめず
らしいという。
 辺野古沖はアメリカ軍普天間基地の移設先とされ、移設に向けたボーリング調査が始まっ
ている。基地の移設が辺野古沖の生態系に影響を及ぼすのではという声も出ている。
(引用終わり)
 
 日本政府(安倍自民公明連立政権)による辺野古沖での工事強行に符節を合わせるよ
うに、ジュゴンが頻繁に辺野古沖に現れるようになったのは「偶然」なのでしょうか?それとも何らかの「天意」が示されているのでしょうか?あるいは、鈴木雅子さんが言うように、ジュゴンが
我々に「一緒に生きようよ」と訴えかけているのでしょうか。
 私たちがジュゴンを守ろうとしているように、ジュゴンも辺野古の海を守ろうとしてくれているのかもしれま
せん。

補遺その2「自衛隊を活かす会」シンポジウムから学ぶ(1)「自衛隊の可能性・国際貢献の現場から」~会場からの発言と質疑応答

 今晩(2014年8月25日)配信した「メルマガ金原No.1828を転載します。

補遺その2「自衛隊を活かす会」シンポジウムから学ぶ(1)「自衛隊の可能性・国際貢献の現場から」~会場からの発言と質疑応答
 
 去る6月7日に設立記者会見を開くとともに、第1回シンポジウム「自衛隊の可能性・国際貢献の現場から」を開催した「自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会(略称:自衛隊を活かす会)」については、既に何度もこのメルマガ(ブログ)でご紹介してきましたし、おそらく、今後とも注目を続けていかねばらなないだろうと考えています。
 

 既に7月26日に開催された第2回シンポジウム「対テロ戦争における日本の役割と自衛隊」の文字起こしも一部同会WEBサイトにアップされていますが、これはもう少しまとまってからご紹介することとして、今日は、第1回シンポジウム「自衛隊の可能性・国際貢献の現場から」の補遺その2として、「会場からの発言と質疑応答」の文字起こしをご紹介します。
 

 以下、会場からの発言、講演者からの発言の中から、興味深く読ませてもらった部分を何カ
所か抜き出して引用したいと思います。
 落ち穂拾い的な面白さもあり、また、講演部分で「はてな?」と思った点が氷解したりと、やは
り「質疑応答」もしっかりと読むべきものですね。
 このように、大変な手間をいとわず、シンポの録音を文字起こししてWEB上に公開してくれると、その内容をじっくりと検討することができ、まことに有益です(近い将来、かもがわ出版から書籍化するための準備作業なのかもしれませんが)。
 
会場発言者 泥氏(おそらく泥憲和氏)
「兵庫県から参りました、泥と申します。かつて陸上自衛隊に奉職しておりました。若い頃ですけれど、少年工科学校というのがありまして、そこに入った時に自衛隊の任務とは非常に崇高なものであるということを教育されたのですが、何が崇高なのかさっぱりわからなかったのですよ。
しかしある時、横須賀の町で反戦デモがあった時に、一人の区隊長がこう言ったのです。
 『今日は外出禁止である。国民の中には君たちを否定する国民もたくさんいる。しかし君たち
を否定するデモをできる日本、自由な日本、民主主義の日本を守るのが君たちの任務である。
従って、君たちは崇高な任務に就いているのである』
 こういう教育をされた時に、非常に納得ができました。それ以来、日本国憲法下で日本国憲
法を守る自衛隊員であるということは、私の誇りでした。いま気になっていますのは、たとえば田母神さんが自衛隊の士気と歴史認識を絡めてみたり、集団的自衛権の議論が起こっているその最中に、総理大臣が靖国だとか従軍慰安婦だとか歴史認識に疑問を持たれるような発言をしたり、どうもすっきりと日本の自由と民主主義を守るための自衛隊なんだと言えないような雰囲気があることです。政治の道具に自衛隊を使っているのと違うかっていう疑問が湧いてきます。自衛官は基本的にノンポリですので、与えられた任務をこなすだけなのですが、やはり同期会で飲んでいると、そういった疑問も出てくるんです。「政府は我々をおもちゃのように扱っているのと違うか」と言う声も出てくる。これは自衛隊の士気にも関わることだと思うのですけれども、「自衛隊を活かす会」としては、そういう歴史認識を前に出してきて、自衛隊をどうこうしようとしている風潮について、どのようなお考えをお持ちかなということをお伺いしたいと思います」

伊勢﨑賢治氏

「ポスト2014年のアフガニスタンというのは、加藤先生にも追認していただいたように、これからの未来を考えると非常に重要です。あの辺のことを軍事的に申しますと、アフガニスタンとパキスタンとの両軍が銃を向け合っている所を、ちゃんと軍事監視しなければいけないのです。彼らは歴史的な敵対関係にあります。ですから、完全に半永久的な国際組織として、国連としてのいわ
ゆる信頼醸成措置(CBM)が必要です。
 この役割を含めて、ポスト2014のタリバン化が不可避のアフガニスタンの内政を考えた場合、
その懐に深く入るための特性を考えた場合、更に、南アジア、中国、インド、パキスタン、アフガニスタン、それと隣のイランまで含めて考えたとき、いわゆる西側の国で、この役割に適している国というのは、日本以外にはないです。ドイツの関係者に聞いても、何の疑いの余地もなく、日本が非常に最適であるということが言われます。去年、ドイツのコッホ特使が日本に来たときも、そう言われました。ボン合意のときから、ドイツはアフガンに関わっていますから。だから、かつて2003年から2004年にかけて、日本がSSRに深く関わった時見せたああいうガッツをもう一度というの
が、僕が受けたメッセージなんです。
 それと、従来の開発手法では開発できない、麻薬が取り締まれないところをどうやって開発し
ていくのか、拓いていくのかということです。麻薬が植えられているところって、衛星写真からわかるんです。だから枯れ葉剤をまけばいい話なのですが、それができないのです。それをやってしまうと農民達が怒ってタリバンの所へ行ってしまうからです。そこで2004年、2005年にNATOは、芥子の掃討作戦をやめたのです。そういうところがあの地域なのです。ここにいかに入っていくかってことを考えなければいけない。そのアイディアの一つがROZリコンストラクション・オプチュニティ・ゾーンという考え方です。いわゆる特区構想ですね。つまり、何をつくってもいい。とにかく、そういうヤバいところで採れた、つくったもの(麻薬以外は)を日本やアメリカに輸入する時、関税をかけない。つまり、国際投資促進のためのインセンティブです。こういった柔軟な発想をしてこないと、もうやっていけないということです」

升味佐江子氏(司会)

「伊勢﨑さんがおっしゃっている集団的自衛権というのは、みなさんが共有している集団的自衛権とは、たぶん概念が違うと思うのですが、どうなんでしょうか?」

伊勢﨑賢治氏

「それたぶん僕は9条にあんまりこだわりがないからです。いまのところ、得だから9条を守るべきだと思ってますけど、教義的なこだわりはありません」

柳澤協二氏

「私も政府にずっといた人間ですから、伊勢﨑さんの話には、ピンと来ない面があるのです。まあそこは、伊勢﨑さん特有の語り方という面もあるものだから気にしたってしょうがないんですけど。つまり、一般的な集団的自衛権の話しは、武力の行使をするかしないかという概念です。ところが伊勢﨑さんがおっしゃっているのはそういうことじゃなくて、アフガンはもう本当に目の前ですぐ大変になるぞ、アメリカがもうガチャガチャにして、そのまま引き上げようとしている、これを放っといていいのかということです。そこの危機感から来ているので、じつは概念はどうでもいいことなんですよね?」

伊勢﨑賢治氏
「はい」

加藤朗氏

「それともう一つ安倍さんのことで言うと、歴史認識の問題があります。戦後レジームからの脱却というのが、たぶん安倍さんのめざす最高の目標なのだろうと思います。でも安倍さんが忘れていることが一つあって、戦後レジームというのは、実は天皇制と平和主義なんです。この2つがセットなんです。憲法9条を変えるということは、同時にポツダム宣言を受け入れるときに、我々が連合国にお願いした天皇制護持の要求と密接にリンクしていますから、平和憲法だけを変えるということはできない。改憲問題では天皇制をどうするかということが、暗黙裏に問われていると思うんです。このことが解決しない限り、我々の国家戦略はなかなか合意が得られないのではないかと思います」

柳澤協二氏

「さっき私なりの総括といったことも申し上げさせていただきましたし、長くしゃべれば良い知恵が出るというわけでもないので、内容についてはお聞きの通りであります。まだまだ我々自身がつめていかなければいけないし、今日もお話しを伺いながら、このメンバーで合意点を見いだすって、このこと自体も結構難しいなと思いつつ、しかし、非常にチャレンジングでアドベンチャラスな部分もあって、いままで考えないですんできたことを考えなければいけない時代に入ったんだと思うんですね。事務局としては最終的にレポートという形で出版まで持っていきたいという希望をお持ちで、私もそうできればいいと思っていますが、必ずしも統一した結論にならなくてもいいとも思います。加藤先生のご報告などは、そのままテレビで発言してもなかなか数字を取れないと思うんですけれども、いまの世の中に対する体系だった問題提起を、この半年ぐらいでして
いければいいなと考えております。引き続きいろいろご批判、ご叱声、あるいはアイデアもいただければと思っております。最後までお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました」

(補足)
 加藤朗さんの発言「戦後レジームというのは、実は天皇制と平和主義なんです」については、分かっている人にとっては「常識」でも、もしかするとピンと来ない人がいるかもしれませんね。ただ、この話を始めるとそれだけで1つの重いテーマとなりますので、とりあえず、このテーマを理解する上で必読の歴史資料をご紹介しておきます。
(抜粋引用開始)
帝国政府ハ一九四五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ米、英、支三国政府首脳者ニ依リ発表セラレ爾後「ソ」聯政府ノ参加ヲ見タル共同宣言ニ挙ケラレタル条件ヲ右宣言ハ 天皇ノ国家統治ノ大権ヲ変更スルノ要求ヲ包含シ居ラサルコトノ了解ノ下ニ受諾ス
(引用終わり)
(引用開始)
「ポツダム」宣言ノ条項受諾ニ関スル八月十日附帝国政府ノ申入並ニ八月十一日附「バーンズ」米国国務長官発米英蘇支四国政府ノ回答ニ関聯シ帝国政府ハ右四国政府ニ対シ
左ノ通通報スルノ光栄ヲ有ス
一 天皇陛下ニ於カセラレテハ「ポツダム」宣言ノ条項受諾ニ関スル詔書ヲ発布セラレタリ
二 天皇陛下ニ於カセラレテハ其ノ政府及大本営ニ対シ「ポツダム」宣言ノ諸規定ヲ実施ス
ル為必要トセラルヘキ条項ニ署名スルノ権限ヲ与ヘ且之ヲ保障セラルルノ用意アリ又 陛下ニ於カセラレテハ一切ノ日本国陸、海、空軍官憲及右官憲ノ指揮下ニ在ル一切ノ軍隊ニ対シ戦闘行為ヲ終止シ武器ヲ引渡シ前記条項実施ノ為聯合国最高司令官ノ要求スルコ
トアルヘキ命令ヲ発スルコトヲ命セラルルノ用意アリ
(引用終わり)
(引用開始)

The Emperor is at the head of the State.
天皇は国家元首の地位にある。
His succession is dynastic.
皇位は世襲される。
His duties and powers will be exercised in accordance with the Constitution and
responsible to the basic will of the people as provided therein.
天皇の職務と権限は、憲法に基づいて行使され、憲法の定めるところにより、国民の基本
的意思に対して責任を負う。
II
War as a sovereign right of the nation is abolished.
国家の主権としての戦争は廃止される。
Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for
preserving its own security.
日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての
戦争も放棄する。
It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense
and its protection.
日本は、その防衛と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に信頼する。
No Japanese army, navy, or air force will ever be authorized and no rights of
belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.
日本が陸海空軍を保有することは、将来ともに許可されることがなく、日本軍に交戦権が
与えられることもない。
III
The feudal system of Japan will cease.
日本の封建制度は廃止される。
No rights of peerage except those of the Imperial Family will extend beyond the
limits of those now existent.
華族の権利は、皇族を除き、現在生存する一代以上に及ばない。
No patent of nobility will from this time forth embody within itself any national or
civic power of government.
華族の特権は、今後、国または地方のいかなる政治的権力も包含するものではない。
Pattern budget after British system.
予算は英国の制度を手本とする。
(引用終わり)

“沖縄差別”に抗して~森本敏前防衛大臣の離任会見を想起せよ

 今晩(2014年8月24日)配信した「メルマガ金原No.1827」を転載します。

“沖縄差別”に抗して~森本敏前防衛大臣の離任会見を想起せよ
 
 沖縄県名護市辺野古沖における、安倍自民公明連立政権による米軍・日本共用立入
限区域の設定及びボーリング工事の強行に対し、連日の粘り強い抵抗に加え、昨日(8月23日)、キャンプ・シュワブ第1ゲート周辺において、「止めよう辺野古新基地建設!8・23県民大集会」が開催され、わずか1週間の準備期間しかなかったにもかかわらず、目標とした2000
人を大きく上回る約3600人(主催者発表)が参加しました。
 琉球新報WEB版の記事をご紹介します。同サイトには、沖縄選出・出身国会議員をはじめ
とする様々な人々のアピールを編集した動画が埋め込まれており、是非視聴していただければと思います。
 
(抜粋引用開始)
 名護市辺野古沖の新基地建設に反対しようと、県内市民団体などは23日午後2時、米
軍キャンプ・シュワブ第1ゲート周辺で県民集会「止めよう新基地建設!みんなで行こう、辺野古へ。」を開催した。約3600人(主催者発表)が参加した。移設に向けた作業としてシュワブ内で建物解体工事が始まった7月1日以降、最大規模の県民集会となった。参加者は「民意を無視した強行だ」「政府の暴力を許さない」と声を上げ、米軍普天間飛行場(宜野
湾市)の県内移設に反対する意思を示した。
 実行委員会は参加団体を広げ、数万人規模の県民大会を検討している。23日と同規
模の集会も今後辺野古で定期的に開催する予定。
(略)
 集会ではアピール文「止めよう新基地建設!命育む美ら海を守り抜く」も採択。「県民の
目の前で、国家権力を総動員した横暴が繰り広げられている。私たちは海、陸での抗議行動と連携支援し、辺野古の海を絶対に埋め立てさせない。新基地建設を阻止する」と呼び
掛けている。
 ゲート前では午前9時すぎに100人余が集まり、辺野古漁港までデモ行進した。海上で
も抗議船が航行した。正午すぎには県内各地から貸し切りバスが続々と到着した。一方、実行委員会が用意した那覇市発、沖縄市発のバスに定員超えで乗車できず、集会現場に到
着できない人もいた。
(引用終わり)

 以下に、上記琉球新報動画から、稲嶺進名護市長のアピール(の一部)を文字起こしし
ました。私には、「日本人はもう一度沖縄を占領しようとしているのか?」という問いかけにしか聞こえませんでした。
 
「私たちが、県民が、これほど大きな声を出し、41市町村の首長、県議会、議会議長、全部揃って建白書を総理大臣に直接届けたにもかかわらず、私たちの思いは全く無視され、結局は、この前の新聞紙上でありました。この辺野古の海の周囲に、海上保安庁の船が、ボートがびっしり浮いてるんです。これは、69年前、沖縄を占領するために沖縄中を軍艦が取り囲んだ、その写真が、2~3日前の新聞に出ている光景と全く同じ。平時であんなことが行われているということ自体、この国はどこに向かっているんだろう?その視線はどこに向けているんだろう?そういう風に思わざるを得ません」

 なお、23日の県民集会にも参加していた糸数慶子参議院議員が、去る20日、ジュネー
ブにおいて、日本政府報告書を審査している国連人種差別撤廃委員会で発言の機会得て、以下のように訴えたという報道を目にした人も多いと思います。
 
(引用開始)
【ジュネーブ=新垣毅】社大党委員長の糸数慶子参院議員は20日、スイスのジュネーブ
で開かれた国連人種差別撤廃委員会で、米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古での新基地建設や、東村高江でのヘリパッド建設の「即時中止」を訴えた。糸数氏は琉装姿で出席し、「抗議の声を上げている多くの市民に対して、日本政府、沖縄防衛局は民間警備会社や県警機動隊、海上保安庁を使って弾圧を続けている」と報告。これらの基地建設の強行は「人権無視であり、琉球人への差別だ」と主張した。県選出国会議員による
国連への“直訴”は初めて。
 同委員会による意見聴取の場で発言する機会を得た糸数氏は、緊急課題として(1)琉
球の民意の尊重(2)辺野古新基地計画の撤回と抗議する市民への弾圧停止(3)普天間基地の即時封鎖・撤去(4)高江ヘリパッド建設工事の即時中止と計画の撤回―の四
つを訴え、国連の関与を求めた。
 委員からは「日本政府は、沖縄の人を日本人と同じだと言い続けているが、言葉や文化
など日本人との違いは何か」との質問が出た。糸数氏は独立国として500年の歴史があっ
たことや、琉球諸語がユネスコで独自の言語として認められていることを説明した。
(引用終わり)
 
 ちなみに、人種差別撤廃条約(あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約)に、日本は1995年に加入しています。
 
(抜粋引用開始)
(日本語仮訳)
21.ユネスコは沖縄の固有の民族性、歴史、文化、伝統並びにいくつかの琉球語を認
めている(2009年)ことを強調するとともに、委員会は、沖縄の特色に妥当な認識を示そうとする締約国の姿勢を遺憾に思い、沖縄の人々が被る持続的な差別について懸念を表明する。さらに、委員会は、沖縄における軍事基地の不均衡な集中は、住民の経済的、社会的及び文化的権利の享受に否定的な影響があるという現代的形式の差別に関する特別報告者の分析を改めて表明する(第2条及び第5条)。
 委員会は、沖縄の住民の権利を促進し適切な保護施策や保護政策を設けるために、
沖縄の住民が被る差別をモニターすることを目的に、沖縄の代表者と広い協議を持つこと
を締約国に慫慂する。
(英語正文)
21. While highlighting that UNESCO has recognized a number of Ryukyu languages
(2009), as well as the Okinawans’ unique ethnicity, history, culture and traditions, the Committee regrets the approach of the State party to accord due recognition to the distinctness of Okinawa and expresses its concern about the persistent discrimination suffered by the people of Okinawa. It further reiterates the analysis of the Special Rapporteur on contemporary forms of racism that the disproportionate concentration of military bases on Okinawa has a negative impact on residents’ enjoyment of economic, social and cultural rights (arts. 2 and 5)
The Committee encourages the State party to engage in wide consultations with
Okinawan representatives with a view to monitoring discrimination suffered by Okinawans, in order to promote their rights and establish appropriate protection
measures and policies.
(引用終わり)

 外務省仮訳の「沖縄の特色に妥当な認識を示そうとする締約国の姿勢」って、これ誤訳ですよ
ね?

 ところで、多くの「善良な日本人」は、人種差別撤廃条約を引き合いに出されて驚き、かつ、心外に
思うかもしれません。
 そういう人には、是非、民主党政権時代の最後の防衛大臣を務めた森本敏氏が、2012
年12月25日、事実上の離任会見となった最後の定例記者会見における「最後の質問」
に何と答えたかを想起して欲しいと思います。
 防衛大臣という責任ある立場の者が、公式記者会見で述べた「最後の正直な見解」です。
 これを読んでも、
なお「沖縄差別はない」と言えるでしょうか?

 以下は、2012年12月26日にメルマガ金原No.1213として配信し、同日、「wakaben6888のブログ」
に、その後、2013年2月24日に「弁護士・金原徹雄のブログ」に転載した「森本敏防衛大臣、最後の記者会見での問題発言」を再配信するものです。
 

 今日(2012年12月26日)の自公連立政権の発足を前に、昨日、森本敏(もりもと・さとし)防衛大臣による最後の定例記者会見が行われました。
 初の民間からの防衛大臣起用(元自衛官という経歴もありますが)ということで物議を醸した
りもしましたが、仕事ぶりは、これまでの防衛大臣と何ら異なることはなく、ひたすら従米路線一筋であり、訪米中にオスプレイに試乗し、「いやあ、快適だった」と感想を述べて顰蹙を買ったり
しました。
 
 ところで、その森本防衛大臣が、「最後の記者会見」の中の「最後の質問」で、気が緩んだ
のか、つい「本音」を語ってしまったことを、辺野古浜通信で知りました。

 その記者会見の文字起こしが防衛省・自衛隊のサイトに掲載されています。

 最大の「問題発言」は末尾の部分です。

(引用開始)
Q:沖縄問題にとてもお詳しい大臣で、今回、半年の間に沖縄の負担軽減に努力されてい
と思いますが、1点だけ確認というか。普天間の辺野古移設は地政学的に沖縄に必要だから辺野古なのか、それとも本土や国外に受入れるところがないから辺野古なのか、その1点だけ、考えをお願いします。
A:アジア太平洋という地域の安定のために、海兵隊というのは今、いわゆるMAGTFという、
MAGTFというのはそもそも海兵隊が持っている機能のうち、地上の部隊、航空部隊、これを支援する支援部隊、その3つの機能をトータルで持っている海兵隊の空地の部隊、これをMAGTFと言っているのですが、それを沖縄だけはなく、グアムあるいは将来は豪州に2,500名以上の海兵隊の兵員になったときにはそうなると思いますし、それからハワイにはまだその態勢がとられていないので、将来の事としてハワイにもMAGTFに近い機能ができると思うのです。こういうMAGTFの機能を、割合広い地域に持とうとしているのは、アジア太平洋のいわゆる不安定要因がどこで起きても、海兵隊が柔軟にその持っている機能を投入して、対応できる態勢をある点に置くのではなくて、面全体の抑止の機能として持とうしているということであり、沖縄という地域にMAGTFを持とうとしているのは、そういうアジア太平洋全体における海兵隊の、いわゆる「リバランシング」という、かつては1997年頃、我々は「米軍再編計画」と言って、「リアライメント」という考え方ではなくて「リバランシング」というふうに言っているのですが、そのリバランシングの態勢として沖縄にもMAGTFを置こうとしているということです。これは沖縄という地域でなければならないのかというと、地政学的に言うと、私は沖縄でなければならないという軍事的な目
的は必ずしも当てはまらないという、例えば、日本の西半分のどこかに、その3つの機能を持っているMAGTFが完全に機能するような状態であれば、沖縄でなくても良いということだと。これは軍事的に言えばそうなると。では、政治的にそうなるのかというと、そうならないということは、かねて国会でも説明していたとおりです。そのようなMAGTFの機能をすっぽりと日本で共用できるような、政治的な許容力、許容できる地域というのがどこかにあれば、いくつもあれば問題はないのですが、それがないがゆえに、陸上部隊と航空部隊と、それから支援部隊をばらばらに配置するということになると、これはMAGTFとしての機能を果たさない。したがって3つの機能を一つの地域に、しかも、その持っている機能というのは、任務を果たすだけではなくて、必要な訓練を行う、同時にその機能を全て兼ね備えた状況として、政治的に許容できるところが沖縄にしかないので、だから、簡単に言ってしまうと、「軍事的には沖縄でなくても良いが、政治的に考えると、沖縄がつまり最適の地域である」と、そういう結論になると思います。というのが私の考え方です。
(引用終わり/下線は金原による)

 この最後の質問をした記者が誰かは不明ですが、「お見事!」と言いたいですね。出来れば
もっと早い段階で質問して欲しかったとは思いますが。もっとも、退任前日だからこそここまで「正
直な」意見が述べられたのかもしれません。

 米海兵隊の「MAGTF」なる構想が全く無批判に所与の前提となっていることはともかくとし
て(これも大問題ですが)、地政学的、軍事的に沖縄(辺野古)でなければならない理由はなく、要するに本土で受け入れるところを確保することが「政治的に」無理だから、沖縄に押しつ
けるのだと公言しているのです。

 辺野古浜通信が以下のように批判するのも当然と言わねばなりません。

(抜粋引用開始)
どういう意味だ!沖縄の民衆も政治もすべて猛烈に反対してきた。
何十年も「理解を求め」られるたびに、もう無理だ、これ以上無理だと。
現に沖縄の社会も、民衆も、日米の基地と暴力によってこの70年、徹底的に傷つけられ続け
てきた。本土が受け入れないなら、差別的に、戦争で日米が滅茶苦茶にした沖縄に、他府県がほんのわずか(な)でも嫌がる基地を、更に、徹底的に、押し(つけ?)ていいのか。
「理解を求める」ように脅迫し…、反抗する人間を国はSLAP訴訟に訴えるのか?
県知事の権限を剥奪してでも、公有水面埋め立てを強行し、沖縄の海を潰すのか?
もはや防衛省官僚、政治家達は、最近うろちょろしているチンピラ右翼並のレイシストだ。愛
国者なら国家としてこのようなレイシストが行政や政治にいること(が?)恥ずかしくないのか?
(引用終わり)

 第2次安倍内閣で防衛大臣に就任することになった小野寺五典氏に対しても、是非同じ
質問をして欲しいものです。

ポリスケ市は全市避難を決めた~チェルノブイリ事故から4年後に

 今晩(2014年8月21日)配信した「メルマガ金原No.1824」を転載します。

ポリスケ市は全市避難を決めた~チェルノブイリ事故から4年後に
 
 ウクライナといえば、ロシアと隣接する東部地域を中心として政情不安に陥り、国際的な安
全保障上の重大な懸念地域となっており、外務省の「海外安全ホームページ」にも、以下の
ような「渡航情報(危険情報)」(地図情報文書情報)が掲載されています。

●クリミア自治共和国およびセバストーポリ:「渡航の延期をお勧めします。」(滞在中の方は
事情が許す限り早期の退避を検討してください。)(継続)
●ドネツク州,ルハンスク州:「渡航の延期をお勧めします。」(引き上げ)
●ハルキフ州:「渡航の是非を検討してください。」(継続)
●上記地域を除く全土:「十分注意してください。」(継続)

 そのウクライナは、今年(2014年)で28年目を迎えたチェルノブイリの国でもあります。
 OurPlanet-TVでは、ウクライナでの現地取材を敢行し、映像報告『チェルノブイリ・28年
目の子どもたち』を完成させ、そのDVD(1枚2000円)を普及して自主上映することを呼びかけています(28年目の今年4月から)。
 

(引用開始)
今年3月で、福島第一原発事故から3年を迎えた。しかし現在も年間20ミリシーベルトを
避難基準に設定したまま、住民の早期帰還策が進められている。また除染以外の被ばく
防護策や健康調査は極めて限定的だ。
そんな中、OurPlanetTVではチェルノブイリ事故後28年経つウクライナへ足を運び、子ども
たちの健康状態や学校生活などを取材した。汚染地域の子どもや住民の罹患率が今も上昇する中、医師、教師たちの懸命な努力が続けられている。日本はここから何を学べるか。子どもを取り巻く学校や教育関係者、医療従事者、保護者たちの取組みや思いを取
材した。
(引用終わり)
 
(引用開始)
チェルノブイリ原発事故から28年経った現在のウクライナを取材した「チェルノブイリ?28年目
の子どもたち」。学校や医療機関でどのように健康診断を行い、保養につなげているのか?
日本にとって、参考になる取組みや日々の暮らし、行政や専門家の声をまとめています。
OurPlanetTVでは、多くの人にご覧いただけるようDVDを販売しています。「上映権つき」で
すので、地域やグループで上映会を開催するなど、自由にご活用ください。報告講演のご
依頼は、別途、ご相談に応じます。
(引用終わり)
 
 OurPlanet-TVでは、今回のウクライナ取材の成果として、上記の映像報告『チェルノブイリ・28年目の子どもたち』以外に、2本の作品を公開しています。
 

(抜粋引用開始)
チェルノブイリ事故後、ウクライナ国内において、甲状腺の診断や治療に関して指導的な立
場にを果たしてきた「ウクライナ国立代謝問題研究所」。事故当時0~18歳だった子どもの
治療のほとんどがここで行われてきた。昨年11月に取材した際のビデオ報告を配信する。
(引用終わり)
 

(抜粋引用開始)
チェルノブイリ原発事故から3年が経過した1989年。ソ連共産党の機関紙プラウダは、政府
によって隠ぺいされていた汚染地図を報道した。汚染ははるか100キロ以上にも及び、避難していなかった30キロ圏外の汚染地域には激震が走った。ウクライナ報告第3弾は、チェルノ
ブイリ原発から55キロのポリスケ市に住んでいたハルバラさんご家族のインタビューを配信する。
(引用終わり)

 他の2本も非常に示唆に富む内容で、今後の日本の将来を展望する上で、チェルノブイリ
から学ぶことはまだまだいくらでもある、ということに気づかされますが、私はとりわけ、最後の「チ
ェルノブイリ・5年目の移住者~除染から移住に転じた町」を興味深く視聴しました。
 この「除染から移住に転じた町」というのは、キエフ州にあったポリスケ市という町なのですが、
OurPlanet-TVでも紹介されていましたが、この今や「消滅した」町がたどった運命を叙述した「キエフ州ポリスケ市の終焉」(ボロディーミル・ティーヒー著、今中哲二訳)という論考が、京大原子炉実験所・原子力安全研究グループのホームページに掲載されているのです(日本語初出は「「技術と人間」2005 年6月号)。
 ボロディーミル・ティーヒー氏の論考の一部を抜粋してご紹介してみます。

(抜粋引用開始)
 ポリスケ市は、チェルノブイリ原発から南西に55㎞、ウシ川に沿って位置し、地質学的には
ウクライナ・ポレシエに属している。この地域は古くからの文化で知られている。(1934年以
前はハブネと呼ばれていた)ポリスケの名が最初に出てくるのは1425年の古文書である。
 ポリスケ市は、チェルノブイリから南西方向に延びた汚染ゾーンの中にあり、セシウム137に
よる土壌汚染密度は1平方㎞当り15~40キュリーである。私の知り合いで、1986年の事故直後に30㎞圏避難範囲の決定に深く関わっていた科学者によると、ポリスケ市も避難すべきであった。しかし、除染活動などのため、様々な兵站機能に利用できるインフラを備えた町がどうしても必要であり、ポリスケ市は避難範囲から除外された。それどころか、1986年4月27日から5月5日にかけて、プリピャチ市その他の村々から2万8000人の避難民がポ
リスケにやってきた。
(略)
 1986年また1987年~1989年にかけて汚染地域の多くの村々が避難した際にもポリ
スケ市の避難は実施されなかった。その替わり、大規模な除染活動が実施された。家々の屋根や壁を取り替え、汚染道路のアスファルトを敷き替え、広場や校庭には新しいアスファルトが敷きつめられた。こうした作業には予備役として徴兵された30~40歳の男性が従事し、人々は彼らを「パルチザン」と呼んでいた。こうした「除染作業」も、生活環境を安全にするに
は不十分であることが分かった。
 1988年の秋、私がポリスケ市の一軒一軒を回りながらセシウム137による庭先の土壌
汚染を測定していたとき、郡執行委員会の議長に測定結果を説明する機会があった。測定結果は明らかに基準を上回っていたが、議長は、「ここは我々の土地である、我々はここで生まれ、育ち、ここに留まる」と述べた。彼の信念が郷土愛か、危険の過小評価か、命令への忠実さか、また誰かの受け売りか、何に由来しているかは私には分からなかった。おそらくは、ソ連最高会議メンバーという彼の立場が大事だったのだろう。その立場は、権威そのも
のであり、大衆のことなどにまどわされなかったのだろう。
 何百万ルーブルという大金が社会基盤の整備に投入された。新たな病院やアパートが建
設され、天然ガスの供給パイプが整備され、個人住宅にガスオーブンが設置された。また、老若男女に「クリーン」地域での夏のバケーションが無料で提供された。これらのことは、1986
年から1991年の間に国家が行った対策リストの一部にすぎない。
 農業分野では、ポリスケ市周辺での農産物生産や缶詰加工の継続に向けて(ときには増
産に向けて)真剣な努力が注がれた。今から振り返ればなんだか奇妙だが、汚染された野イチゴ、キノコ、乳製品、野菜などをせっせと缶詰に加工していたのである。牛乳や肉の生産、野菜畑や亜麻畑での作業、木材の生産のため、人々は畑や森の中で働いた。つまり、放
射能のチリを吸い込みながら働いたのだった。
(略)
 1989年12月14日ウクライナ共和国閣僚会議は、14歳以下の子供がいる家族は望
めば移住が許可される、という決定を採択した。その2カ月後の1990年2月には、子供や妊婦のいる家族はポリスケから強制的に移住させることを決定した。しかし、当然のことながらこの移住決定を直ちに実行に移すための家やアパートはなかった。そして最後に、1990年8月23日の閣僚会議決定により、町全体が強制移住の対象となった。1991年7月23日の閣僚会議決定で再度、ポリスケは86カ所のウクライナでの強制移住居住区のひ
とつにリストアップされた。
(略)
(引用終わり)
 
 OurPlanet-TVが取材したハルバラさん一家の証言にもあるとおり、ポリスケ市の住民を
同市から移住させぬため、徹底した除染、雇用や住居での優遇策などがとられたものの、それでも汚染低減に効果がなかったことを隠し通すことができず、チェルノブイリ事故から約4年4か月が経過した1990年に至り、町全体が強制移住の対象となったという事実はまことに示唆的です。また、チェルノブイリからポリスケ市までの距離が約55㎞であったというの
も、福島の実情を踏まえれば これもまた非常に示唆的な数字です。
 チェルノブイリから学ぶべき多くの事柄の中には、この「除染の失敗」ということも、当然含
まれてしかるべきだと思われます。
 

(付録)
『東電に入ろう(倒電に廃炉)』 
原曲『自衛隊に入ろう』 原曲の原曲『I wan't to go to Andorra』
歌詞:ヒポポ大王(おそらく) 演奏:ヒポポフォークゲリラ(おそらく)
 

東日本からの避難者健診のご案内(和歌山民医連)

 今晩(2014年8月20日)配信した「メルマガ金原No.1823」を転載します。

東日本からの避難者健診のご案内(和歌山民医連)
 
 今日は、和歌山県にお住まいの方限定のご案内です。しかも、「東日本大震災の影響から避難され」ておられる方(年齢不問)を対象とした企画のお知らせです。

 和歌山民医連(和歌山県民主医療機関連合会/〒641-0012 和歌山市紀三井寺736-16)事務局長の藤沢衛さんから、「2014年 和歌山民医連 東日本からの避難者検診のご案内」をお送りいただきましたので、本メルマガ(ブログ)にそのまま掲載させていただくこととしました。対象となる方で、まだこの企画に気がついていない方の目に少しでも触れるように、ご協力をよろしくお願い致します。
 「ご案内」と「申込書」のPDFファイルは以下のとおりです。
 

 以下に、「ご案内」を貼り付けておきます。

(引用開始)
      2014年 和歌山民医連 東日本からの避難者健診のご案内

東日本からの避難者健診を下記のとおり、実施いたします。
別紙申込書に必要事項を記入し、指定の宛先までFAXかメールで送信してください。

1)日時 2014年 9月 6日(土)13時30分受付開始
2)会場 和歌山生協病院・附属診療所
  〒640-8390 和歌山市有本143-1  電話 073-471-7711
3)対象 東日本大震災の影響から避難され、和歌山県内に住んでおられる方(年齢不問)
4)申込方法と〆切
  別紙の申込書にて、お申込み下さい。
  申込先は、和歌山民医連 TEL 073-441-5090
                      FAX 073-441-2550
         申込項目をメール送信可
             メールアドレス:
wa.min-iren@maia.eonet.ne.jp
  申込〆切 8月15日(金)第1次
5)健診内容
① 身長・体重・腹囲(BMI)・血圧
② 血液検査(赤血球数・ヘマトクリット・ヘモグロビン・血小板数・白血球分画)
③ 尿検査(尿蛋白・尿糖・尿潜血)
④ 血液生化学(AST、ALT、γ-GTP、TG、HDL-C、HbA1c、空腹時血糖、血清クレアチニン、eGFR、尿酸)
⑤ 心電図
⑥ 甲状腺エコー
*小学生未満は、血圧と心電図は希望者のみ実施いたします。
6)当日の流れ
  13:30 受付開始 
     1.問診
     2.診察・腹囲
     3.心電図   
     4.甲状腺エコー 
     5.採血    
     6.最終確認   以上、1~6は順不同です
7)費用
     高校生以上 3000円    中学生以下 1000円
8)結果説明
  健診結果説明会(和歌山生協病院)を開催します。
  →日程調整中です。しばらくお待ちください。
9)連絡先
  和歌山生協病院 担当:森岡   073-471-7711
  和歌山民医連   担当:藤沢   073-441-5090 
(引用終わり)

 以下に、若干の補足説明をしておきます。

○「申込〆切 8月15日(金)第1次」とある点について藤沢さんに確認したところ、「申込み最終〆切は8月末まではOKです。9月も3日くらいまでなら準備は可能です」とのことでした。
従って、8月末までなら和歌山民医連宛のFAXまたはメールで申し込み、万一8月末を過ぎた場合には、一度、民医連に電話(073-441-5090)で問合せをしてみてください。
 
○また、藤沢さんによると、この避難者検診は、「全日本民医連(全日本民主医療機関連合会)の方針に基づいて、各都道府県(の民医連)が自主的に実施しているものです。検診料金もそれぞれです」とのことでした。
 
○なお、子どもさんの検診を希望される場合には、普通は同行する保護者の方も検診を希望されることが多いと思いますので、その場合には、「申込書」上段に、保護者の氏名・住所・連絡先等を記入し、下段の「検診ご希望のご家族」欄にお子さんの氏名・生年月日等を記入すれば良いと思うのですが、小さなお子さんだけの検診を希望されるような場合に、どのように記入すれば良いのか、やや分かりにくいので、その際は事前に和歌山民医連までお問い合わせください。
 
○この避難者検診は昨年も実施されましたが、その模様が、和歌山中央医療生活協同組合の隔月刊の機関紙「健康とくらし」2013年9月号(通算228号)の3頁に掲載されていましたので、その一部を抜粋してご紹介します。
(抜粋引用開始)
東日本からの避難者検診 和歌山生協病院附属診療所で実施
(略)
 和歌山県民主医療機関連合会(以下、和歌山民医連)は、3・11東日本大震災直後より、医療や生活分野で様々な支援活動を行ってきました。今回支援の一環として、「東日本からの避難者検診実行委員会」を設置し準備をすすめてきました。
 7月21日健康診断当日は、12家族38名が健康診断を受けられました。健康診断内容は、問診・身体測定・診察・血液検査・尿検査・心電図検査・甲状腺エコー検査で、職員34名がそれぞれの専門性を発揮し任務にあたりました。こどもの不安を和らげるため診察室への飾り付けなどを工夫しました。そして、避難者の健康とくらしの内容を詳細にききながら、初めて来院される避難者家族が検診をスムーズに受けることができるよう終了まで担当者が家族に付き添いました。
 当日参加した職員からは、「初めての経験なのでうまく運営できるのか心配でしたが大きな問題もなく終了できて良かった」「父親と離れて母子が暮らしている大変な状況がよくわかった」「みえない放射線被害に対し、こどもの身体への影響が心配される」「うすれていく災害の記憶が再びよみがえり、これから先も自分で役に立てるならできる限りしなければという思いが強くなり、原発廃止という気持ちも強くなった」など、感想と決意が寄せられました。
(略)
(文・民医連事務局長 藤沢 衛)
(引用終わり)
 
○避難者検診とは何の関係もありませんが、上記記事掲載号の前号(「健康とくらし」2013年7月号)に、私が「憲法改悪をめぐる情勢と私たちのくらし」という短文を寄稿させてもらっています。

 原発事故子ども被災者支援法に基づく医療支援については、その必要性の高さにもかかわらず、国の施策は遅々として進んでいないと言わざるを得ません。そのような中で、「東日本大震災の影響から避難され」ている方(和歌山県在住という条件はつきますが)という非常にゆるやかな条件で、低廉な価格による健康診断の機会を提供する和歌山民医連の取組は貴重だと思い、ご紹介することとしました。
 避難者の方には、是非この機会を積極的に活用されることを、また、和歌山民医連・和歌山生協病院には、利用者の声を反映させ、さらに充実した検診の機会を継続して提供していただけることを、それぞれお願いしたいと思います。
 

(付録)
『ラブソング・フォー・ユー(LOVESONG FOR YOU)』 
作詞作曲:ヒポポ大王 演奏:ヒポポフォークゲリラ
 

“チームお笑い国際便”アフガンを行く

 今晩(2014年8月19日)配信した「メルマガ金原No.1822」を転載します。

“チームお笑い国際便”アフガンを行く

 去る6月28日、私の地元(自宅から車で5分!)、和歌山市の河北コミュニティセンターに
おいて、少し珍しい「寄席」が開かれました。
 私が書いた告知記事を読んでくださった方もおられるかもしれません。
 

CIMG2294 その記事でご紹介したとおり、落語家の笑福亭鶴笑さん、桂三金さん、マジシャンの阪野登さんの3人が、ジャーナリストの西谷文和さんをガイド役(?)として、アフガニスタンに「笑いと支援物資」を届けようという“チームお笑い国際便”を結成し、その資金集めのためのチャリ
ティ-寄席が各地で開催されたという訳です(写真は河北コミセンでパペット落語を熱演する鶴笑師匠です)。
 チラシに書かれた笑福亭鶴笑さんの文章を再掲します。
 
笑福亭鶴笑 落語家
 この地球に、今なお戦争や紛争が続いてます。僕は戦争を知らずに育ちました。しかし戦
争しか知らない子ども達がいます。子どもは笑って育たなあかんと思います。子ども達に笑顔を届けたい。異文化交流で一緒に笑えば間違った偏見もなくなります。世界の皆が笑って仲良く暮らせる時代が来てほしい。ある意味世界で一番危険な場所、「アフガンでの落語会」が平和へのメッセージだと信じます。我々個人の力では行く事すら難しいです。皆様のお力が必要です。我々をアフガンに行かせてください。

 その“チームお笑い国際便”が、去る8月11日から17日までの1週間、カブールを訪問して「アフガニスタン寄席」を興業(?)し、「笑いと支援物資」をアフガニスタンの子どもたちに届け
るという大きな成果を上げ、3人とも無事帰国されました。
 なお、西谷さんは、まだカブールにとどまり、取材を続行されているようです。

 この“チームお笑い国際便”アフガニスタン訪問の模様が、西谷文和さんのブログ(
イラクの子どもを救う会ブログ)に掲載されていますので、是非お読みください。
 だいたい、西谷さんは、日本にいる時はほぼ全くブログを更新しないのに(twitterは熱心に発信されていますが)、海外に出たとたんにめちゃくちゃ「筆まめ」になるという特性があり、おかげで、このブログのアーカイブは、「西谷文和の見た現代の戦争―誰が犠牲になるのか?」と私が勝手に名付けたような、貴重な情報の集積庫となっています(是非みんなに紹介して
欲しい)。

 それでは、西谷文和さんの文章で追体験する「“チームお笑い国際便”アフガンを行く」です。どうぞお読みください。

2014年8月11日 カブール初日 2014 

 なお、“チームお笑い国際便”公式Facebook には、西谷さんのブログを始め、メンバーのブログ更新情報も随時掲載されています。
 上記Facebookでも予告されていますが、来る10月7日(火)午後6時30分から、天満天神繁昌亭において、「チームお笑い国際便『アフガン報告会』ー全員無事でした(仮)?-」が開かれます(前売2,000円、当日2,500円)。ご都合のつく方は是非どうぞ。
 

(付録)
『世界』 作詞作曲:ヒポポ田 演奏:ヒポポフォークゲリラ
 

続 “コピペ”でなければ良いというものではない~“平和と繁栄”はいかにして築かれたのか

 今晩(2014年8月18日)配信した「メルマガ金原No.1821」を転載します。

続 “コピペ”でなければ良いというものではない~“平和と繁栄”はいかにして築かれたのか

 去る8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式における安倍晋三首相「式辞」について、先の戦争における加害責任について一切言及せず、「戦没者の皆様の、貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります」と述べたことに対して、「そこに『反省』という契機が抜け落ちている以上、戦没者の犠牲をもたらした『戦争』があったからこそ、今の『平和』があるという倒錯した論理の罠にからめとられることになります」と批判しました。

 同じ8月15日、ビデオニュース・ドットコムのニュース・コメンタリーにおいて、神保哲生さんと宮台真司さんが、この「式辞」について、私とはやや異なった観点から語り合っておられるのを興味深く拝見しました。
 

(番組案内から引用開始)
 8月15日の全国戦没者追悼式の首相の式辞の中に、歴代の首相式辞が必ず触れていた戦争に対する日本の加害責任や謝罪の言葉が含まれていなかったことが、一部のメディア
で大きく取り上げられるなどして、注目を集めている。
 確かに、これまで歴代政権は戦没者追悼式の式辞の中で、「先の大戦では、多くの国々、
とりわけアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えました。深く反省するとともに、犠牲になられた方々とそのご遺族に対し、謹んで哀悼の意を表します」などと、不戦の誓いやアジア諸国への加害責任とそれに対する反省の言葉を述べることが慣習になっていた。今回、安倍首相があえてそれを式辞から外したことは安倍氏自身、あるいは安倍政権の過去の戦争
に対する認識が強く反映されたものとして注目に値する。
 しかし、今回の式辞にはそれとは別にもう一つ、安倍首相の歴史認識を色濃く反映する興
味深い文言が含まれていた。それが以下のくだりだ。
 「戦没者の皆様の、貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。」
 安倍首相がそう語ったのに対し、その後壇上に上った天皇陛下は「終戦以来既に69年、
国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられました」とする式
辞を読み上げている。
 相前後した2つのスピーチの中で、今日の日本の繁栄が何の上に築かれたものと認識して
いるかについての違いが際だつ形となった。
 実は歴代の首相の式辞では現在の日本の平和と繁栄について、多少のバリエーションはあ
るものの、概ね「戦争によって命を落とした方々の尊い犠牲と、戦後の国民のたゆまぬ努力の上に築かれたもの」とすることが、歴代政権によって踏襲されてきた。安倍首相自身も、第一次安倍政権の式辞では「今日の平和と繁栄は戦争によってかけがえのない命を落とした方々
の尊い犠牲と、戦後の国民のたゆまぬ努力の上に築かれたもの」としていた。
 今回の式辞で安倍首相は、そこからあえて「国民のたゆまぬ努力」のくだりを削り、今日の日
本の繁栄が戦争の犠牲者の上に成し遂げられたものであるという部分のみを残すことを選択し
ていた点が際立った。
 追悼式のスピーチから見えてくる安倍首相の歴史認識の意味するところを、ジャーナリストの
神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
(引用終わり)

 なるほど、こういう視点から見る見方もあるのだなあ、と感心しました。
 3日前、私は「加害責任」について歴代首相がどう言及していたかという部分のみを検証していましたので、今日は、その補遺(続編)として、“平和と繁栄”がいかに築かれたのかという部分を確認してみることにします。

平成8年(1996年) 橋本龍太郎首相
戦後我が国は、焦土の中から立ち上がり、平和を国是とし、幾多の困難を乗り越えて、国民のたゆまぬ努力により目覚しい発展を遂げてまいりました。
戦後我が国は、焦土の中から立ち上がり、平和を国是とし、幾多の困難を乗り越えて、国民のたゆまぬ努力により目覚ましい発展を遂げてまいりました。
戦後我が国は、焦土の中から立ち上がり、平和を国是とし、幾多の困難を乗り越え、国民のたゆまぬ努力により目覚ましい発展を遂げてまいりました。

平成11年(1999年) 小渕恵三首相
戦後我が国は、焦土の中から立ち上がり、平和を国是とし、幾多の困難を乗り越え、国民のたゆまぬ努力により目覚ましい発展を遂げてまいりました
戦後我が国は、平和を国是として焦土の中から立ち上がり、国民のたゆまぬ努力により、幾多の困難を乗り越え、目覚しい発展を遂げてまいりました。
現在我々が享受している平和と繁栄が、祖国のために心ならずも命を落とされた戦没者の方々の犠牲の上に築かれていることに思いを致し、戦没者の方々に敬意と感謝の誠を捧げたいと思います。(略)
我が国は、戦後、平和を国是として、国民のたゆまぬ努力により、焦土の中から立ち上がり、
幾多の困難を乗り越え、めざましい発展を遂げてまいりました。

平成14年(2002年) 小泉純一郎首相
私たちは、現在享受している平和と繁栄が、戦争によって心ならずも命を落とした方々の犠牲の上に築かれていることを、ひとときも忘れることはできません。(略)
我が国は、戦後、平和を国是として、国民のたゆまぬ努力により、幾多の困難を乗り越え、めざましい発展を遂げてまいりました。

平成15年(2003年) 小泉純一郎首相
私たちは、現在享受している平和と繁栄が、戦争によって心ならずも命を落とした方々の犠牲の上に築かれていることを、ひとときも忘れることはできません。(略)
我が国は、戦後、平和を国是として、国民のたゆまぬ努力により、幾多の困難を乗り越え、
平和で豊かな日本へ、めざましい発展を遂げてまいりました。

平成16年(2004年) 小泉純一郎首相
今日の平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とした方々の尊い犠牲と、戦後の国民のたゆまぬ努力の上に築かれています。
この尊い犠牲の上に、今日の平和は成り立っていることに思いを致し、衷心からの感謝と敬意を捧げます。

平成18年(2006年) 小泉純一郎首相
今日の平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とした方々の尊い犠牲と、戦後の国民のたゆまぬ努力の上に築かれています。

平成19年(2007年) 安倍晋三首相
今日の平和と繁栄は、戦争によってかけがえのない命を落とした方々の尊い犠牲と、戦後の国民のたゆまぬ努力の上に築かれています。

平成20年(2008年) 福田康夫首相
戦後、我が国は、一貫して平和国家としての途を歩み、国民ひとりひとりのたゆまぬ努力により、平和と繁栄を享受してまいりました。私たちは、今日の平和と繁栄が、戦争によってかけがえのない命を落とされた方々の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、ひとときも忘れることはありません。

平成21年(2009年) 麻生太郎首相
今日の日本の平和と繁栄は、戦争によって、命を落とされた方々の尊い犠牲と、戦後の国民の、たゆまぬ努力の上に築かれております。

平成22年(2010年) 菅直人首相
戦後、私達国民一人一人が努力し、また、各国・各地域との友好関係に支えられ、幾多の困難を乗り越えながら、平和国家としての途を進んできました。

平成23年(2011年) 菅直人首相
我が国は、国民一人一人の努力によって、戦後の廃墟から立ち上がり、今日まで幾多の困難を乗り越えてきました。(東日本大震災からの復旧・復興を述べた箇所で言及)

平成24年(2012年) 野田佳彦首相
今日の我が国の平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた方々の尊い犠牲の上に築かれています。

平成25年(2013年) 安倍晋三首相
いとしい我が子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、貴い命を捧げられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません。

平成26年(2014年) 安倍晋三首相
戦没者の皆様の、貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません。

 このように、橋本龍太郎首相時代から延べ19回の首相「式辞」を読んでみると、小泉純一郎氏が「式辞」を述べることになった平成13年に重要な変化があったことに気づきます。それは、我が国の戦後の“平和と繁栄”が、戦没者の犠牲の上に築かれているというフレーズの登場です。それ以前の橋本龍太郎、小渕恵三、森喜朗各総理の「式辞」にも、戦没者の「尊い犠牲」についての言及はありましたが、それは「この平和で豊かな今日においてこそ、過去を謙虚に振り返り、戦争の悲惨さと、そこに幾多の尊い犠牲があったことを次の世代に語り継ぐとともに、国際社会において再び戦争の惨禍を繰り返すことのないよう、恒久の平和を確立することが、我々に課せられた重大な責務であります。」(平成11年の小渕恵三首相の「式辞」から)というように、「尊い犠牲」は、「戦争の悲惨さ」とともに、次の世代に語り伝えるべきもの、という文脈において使われていました。
 小泉首相の平成13年「式辞」にも、同じように「戦争の悲惨さと、そこに幾多の尊い犠牲があったことを次の世代に語り継ぐ」ことはうたわれていますが、その前の部分で戦没者の「犠牲」に対し、「敬意と感謝の誠を捧げたいと思います」とまで賞揚している以上、受け取る印象は相当に異質なものにならざるを得ません。
 そして、この“平和と繁栄”が戦没者の犠牲の上に築かれているというフレーズは、繁簡の差はあっても、ほぼ歴代首相の「式辞」に引き継がれることになりました。
 ただし当初は、「今日の平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とした方々の尊い犠牲と、戦後の国民のたゆまぬ努力の上に築かれています」(平成16年の小泉純一郎首相の「式辞」から)というように、「尊い犠牲」と「国民のたゆまぬ努力」を併置するのが基本パターンとして定着していました(平成17年は例外)。
 このパターンが崩れたのは民主党に政権交代してからで、2回「式辞」を述べた菅直人首相は、国民の努力を残しながら、「尊い犠牲」を賞揚する部分は削除しました。
 続く野田佳彦首相は、一転して、「今日の我が国の平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた方々の尊い犠牲の上に築かれています」という部分を復活させながら、従来の自民党首相は必ず言及していた「国民のたゆまぬ努力」には触れないという新しいパターンを生み出しました。
 言い回しの違いはあれ、昨年、今年と続いた安倍晋三首相による「式辞」は、パターン的には「野田方式」を踏襲したものです。ただし、野田首相の「式辞」にはあったアジア諸国民に与えた損害と苦痛への反省と哀悼の意、不戦の誓いはすっぽりと抜け落ちていますが。

 以上で、昨年及び今年の全国戦没者追悼式における「式辞」において、安倍首相が、何を述べ、何を述べなかったかが明らかになったと思います。要約すれば以下のとおりです。

① 村山富市首相から数えれば19年にも及んだ歴代首相によるアジア諸国民に対する加害についての反省と哀悼の意の表明を削除した。
② 多くの首相が述べた「不戦の誓い」にも言及しなかった。
③ 戦没者の犠牲の上に“平和と繁栄”があると述べながら、“平和と繁栄”をもたらしたものが「国民のたゆまぬ努力」との言及はなかった。

 以上を踏まえれば、安倍首相は、アジア諸国民に対する加害責任があるとは思っておらず、我が国の“平和と繁栄”をもたらしたのは戦没者らの「犠牲」によるものでり、今後、場合によっては日本が自ら武力行使に及ぶこともあると考えていると解するのがごく素直な解釈というものでしょう(これ以外の解釈の余地ってあるでしょうか?)。

 最後に、ビデオニュース・ドットコムで神保さんと宮台さんが触れられていた戦没者追悼式における天皇陛下「おことば」をご紹介しておきます。

全国戦没者追悼式 平成26年(2014年)8月15日 での 天皇陛下おことば
(引用開始)
 本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを
新たにいたします。
 終戦以来既に69年,国民のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き
上げられましたが,苦難に満ちた往時をしのぶとき,感慨は今なお尽きることがありません。
 ここに歴史を顧み,戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い,全国民と共に,戦
陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層
の発展を祈ります。
(引用終わり)

 なお、平成元年(1989年)即位後の主要な「おことば」を宮内庁公式サイトで読むことができます。

 最後に、即位後初の戦没者追悼式(平成元年)における「おことば」をご紹介します。今年のものと大筋ではほとんど同じです。平成のはじめ頃に「コピペ」などという言葉はありませんでしたが、実質的に毎年同じ「おことば」を述べられているのです。けれど、それを非難しようとする人は(天皇制廃止論者は別として)、ほとんどいないのではないでしょうかね。「変えなくても良い」、あるいは「変えてはならない」言葉があるということでしょう。
 他方、最後のパラグラフを比較すると、平成元年にはなかった「戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い」という憲法前文を踏まえた表現が付け加えられています。調べてみたところ、これは平成7年(1995年)の追悼式から述べられるようになったということが分かりました(当時の首相は村山富市氏)。おそらく、天皇陛下ご自身の意向により付け加えられたのでしょうが、この一言を付け加えるためにどれだけの努力が必要であったのかはさておくとしても、変更するのであれば、このような方向で変更して欲しいものだと、歴代首相に対しても思わずにはいられません。
(引用開始)
 「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に際し,ここに,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,尊い命を失った数多くの人々やその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。
 顧みれば,終戦以来すでに44年,国民のたゆみない努力によって築きあげられた今日の
平和と繁栄の中にあって,苦難にみちた往時をしのぶとき,感慨は誠につきるところを知りま
せん。
 ここに,全国民とともに,我が国の一層の発展と世界の平和を祈り,戦陣に散り,戦禍に
たおれた人々に対し,心から追悼の意を表します。
(引用終わり)

“コピペ”でなければ良いというものではない~全国戦没者追悼式での安倍晋三首相の式辞を聴いて

 今晩(2014年8月15日)配信した「メルマガ金原No.1818」を転載します。

“コピペ”でなければ良いというものではない~全国戦没者追悼式での安倍晋三首相式辞を聴いて

 本日(8月15日)正午から日本武道館において、政府主催による全国戦没者追悼式が開かれました。この追悼式では、天皇陛下が「おことば」を、総理大臣が「式辞」を述べることになっています。
 そして、今年の戦没者追悼式では、おそらくこれまで例のなかった注目が総理大臣「式辞」に集まったものと思われます。
 すなわち、8月6日の広島市原爆死没者慰霊式・平和祈念式9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典のいずれにおいても、前年に述べた「あいさつ」とそっくりの「コピペあいさつ」を繰り返したことに批判が集まり、「2度あることは3度ある」となるのかどうか、多くの人が「固唾の飲んで(?)」今日の安倍首相の式辞朗読に耳を傾けたのではないかと思います。
 それにしても、過去、これほどばかげた注目の浴び方をした総理大臣があったためしはないと思いますがね。

 結果はといえば、まずまず「3度目の正直」で、「コピペではない」と主張できる程度には工夫していたようです。今年の「式辞」と昨年の「式辞」を比べてみましょう。
 
(引用開始)
 天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、戦没者の御遺族、各界代表、多数の御列席を得て、
全国戦没者追悼式を、ここに挙行致します。
 祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠
い異郷に亡くなられた御霊、いまその御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げ
ます。 
 戦没者の皆様の、貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そ
のことを、片時たりとも忘れません。
 いまだ、ふるさとへの帰還を果たされていないご遺骨のことも、決して忘れません。過日、パ
プアニューギニアにて、ジャングルで命を落とされ、海原に散った12万を超える方々を想い、手
を合わせてまいりました。
 いまは、来し方を想い、しばし瞑目し、静かに頭を垂れたいと思います。
 日本の野山を、蝉しぐれが包んでいます。69年前もそうだったのでしょう。歳月がいかに流
れても、私たちには、変えてはならない道があります。 
 今日は、その、平和への誓いを新たにする日です。 
 私たちは、歴史に謙虚に向き合い、その教訓を深く胸に刻みながら、今を生きる世代、そし
て、明日を生きる世代のために、国の未来を切り拓いてまいります。世界の恒久平和に、能
うる限り貢献し、万人が、心豊かに暮らせる世の中の実現に、全力を尽くしてまいります。
 終わりにいま一度、戦没者の御霊に永久の安らぎと、ご遺族の皆様には、ご多幸を、心よ
りお祈りし、式辞と致します。
(引用終わり)
 
(引用開始)
 天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、戦没者の御遺族、各界代表多数の御列席を得て、
全国戦没者追悼式を、ここに挙行致します。
 祖国を思い、家族を案じつつ、戦場に倒れられた御霊、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠
い異郷に亡くなられた御霊の御前に、政府を代表し、式辞を申し述べます。
 いとしい我が子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じ
つつ、貴い命を捧げられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄が
あります。そのことを、片時たりとも忘れません。
 御霊を悼んで平安を祈り、感謝を捧げるに、言葉は無力なれば、いまは来し方を思い、し
ばし瞑目し、静かに頭を垂れたいと思います。
 戦後わが国は、自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道を邁進してまいりました。
 今日よりも明日、世界をより良い場に変えるため、戦後間もない頃から、各国・各地域に、
支援の手を差し伸べてまいりました。
 内にあっては、経済社会の変化、天変地異がもたらした危機を、幾たびか、互いに助け合
い、乗り越えて、今日に至りました。
 私たちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ち
た、国の未来を切り拓いてまいります。世界の恒久平和に、能うる限り貢献し、万人が、心
豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります。
 終わりにいま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様には、ご健勝をお祈りし、式辞
といたします。
(引用終わり)
 
 さて、本題はこれからです。
 「“コピペ”でなければ良いというものではない」その1は、加害責任の無視についてです。
 
(抜粋引用開始)
 69回目の終戦記念日となる15日、政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館(東京都千代田区)で開かれた。安倍晋三首相は約310万人の戦没者を悼み、「今日は平和への誓いを新たにする日」と述べた。一方、昨年に続きアジア諸国への加害責任には言
及がなかった。
(略)
 安倍首相は昨年の追悼式で、歴代首相が繰り返してきた式辞内容の一部を変えた。
1993年に細川護熙首相が「哀悼の意」を表明し、次の村山富市首相が「深い反省」を加えて引き継がれてきたアジア諸国に対する加害責任への言及をしなかった。「不戦の誓い」という表現も使わなかった。今年の式辞もそれは変わらなかった。
 一方で「歳月がいかに流れても、私たちには変えてはならない道がある」などの言葉で、平
和への誓いを語った。
(略)
(引用終わり)
 
 具体的に示した方が分かりやすいでしょう。幸い、首相官邸ホームページには、第81代・村山富市首相以降の歴代総理大臣の演説・記者会見などのアーカイブが掲載されていますので、煩雑になるのをいとわず、「アジア諸国に対する加害責任への言及」を抜粋してみます。ただし、残念なことに、村山首相時代のアーカイブに掲載されているのは所信表明演説など数点に過ぎず、戦没者追悼式式辞を確認できるのは橋本龍太郎首相以降ということになります。
 
また、あの戦いは、多くの国々、とりわけアジアの諸国民に対しても多くの苦しみと悲しみを与えました。私は、この事実を謙虚に受けとめて、深い反省とともに、謹んで哀悼の意を表したいと思います。
また、あの戦いは、我が国のみならず多くの国々、とりわけアジア近隣諸国に対しても多くの苦しみと悲しみを与えました。私は、この事実を謙虚に受けとめ、深い反省とともに、謹んで哀悼の意を表するものであります。
また、あの戦いは、我が国のみならず多くの国々、とりわけアジアの近隣諸国に対しても多くの苦しみと悲しみを与えることとなりました。私は、このことを謙虚に受けとめ、深い反省とともに、ここに謹んで哀悼の意を表したいと思います。
また、あの戦いは、我が国のみならず多くの国々、とりわけアジアの近隣諸国に対しても多くの苦しみと悲しみを与えました。私は、この事実を謙虚に受けとめ、深い反省とともに、ここに謹んで哀悼の意を表したいと思います。
また、あの戦いは、我が国のみならず多くの国々、とりわけアジアの近隣諸国に対しても多くの苦しみと悲しみを与えました。私は、このことを謙虚に受け止め、深い反省とともに、謹んで哀悼の意を表したいと思います。
また、先の大戦において、我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して、ここに改めて深い反省の意を表するとともに、犠牲となられた方々に謹んで哀悼の念を捧げます。
また、先の大戦において、我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して、ここに深い反省の念を新たにし、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します。
また、先の大戦において、我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して、ここに深い反省の念を新たにし、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します。
先の大戦において、我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します。
先の大戦において我が国は、多くの国々、とりわけアジアの諸国民に対しても、多大の損害と苦痛を与えました。内外の戦没者及び犠牲者の御冥福を心よりお祈り申し上げます。
また、我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します。
また、我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します。
また、我が国は、多くの国々、とりわけアジアの諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えました。私は、国民を代表して、ここに深い反省とともに、犠牲となられたすべての方々に対し、謹んで哀悼の意を表します。
また、我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えております。国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となられた方々に、謹んで哀悼の意を表します。
先の大戦では、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大の損害と苦痛を与えました。深く反省するとともに、犠牲となられた方々とそのご遺族に対し、謹んで哀悼の意を表します。
先の大戦では、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えました。深く反省するとともに、犠牲になられた方々とそのご遺族に対し、謹んで哀悼の意を表します。
先の大戦では、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大の損害と苦痛を与えました。深く反省し、犠牲となられた方々とそのご遺族に、謹んで哀悼の意を表します。

 いかがでしょうか?「コピペの連続」といえばそのとおりに違いありませんが、一国を代表する総理大臣の公式式典での発言である以上、「同じ言葉を繰り返すことに重要な政治的意義がある」こともある、ということでしょう。

 安倍晋三という人物は、2007年には、歴代総理の式辞を踏襲することに(該当箇所は前年に小泉首相が読み上げたものと1字1句同じです)特段異議を述べなかったのか、述べたかったのだが、どこかからブレーキがかかったのか、とにかく「コピペ式辞」を読み上げていたのですが、2度目の登板となった2013年の戦没者追悼式において、ついに地金を出して「コピペ」を拒絶した訳です。

 一度、2013年の式辞と、前年の野田首相の式辞、あるいは1人で6回も戦没者追悼式の式辞を述べた小泉首相時代のものと読み比べてみてください。
 皆さんはどういう感想を持たれるでしょうか?
 私の感想は、「まことに危うい」ということに尽きます。
 何という情緒的なフレーズ、何という自己陶酔、こういう人間が国家のリーダーになってはいけない。この人物に比べれば、小渕恵三氏や福田康夫氏などは実に立派な宰相だったと思えてくるし、あの小泉純一郎氏でさえ、これほどの「危うさ」はありませんでした。
 この「危うさ」が、ストレートに、集団的自衛権行使容認を訴え、1人で「高揚」する今年5月15日7月1日の記者会見に結びついているのです。

 1994年の村山富市首相から数えれば19年、1993年の細川護煕首相からなら20年にも及ぶ長期間、歴代首相が(コピペを)繰り返してきたアジア諸国民への加害についての反省と哀悼の意を「削除」するということは、「反省することをやめた」という明確なメッセージの発信となるということが分からないはずはありません(そんなセンスがなければ一瞬たりとも首相を務める資格などありません)。

 そして、広島と長崎での今年の「コピペ事件」です。
 安倍晋三という人間は、「コピペ」しなければならない言葉を、子どもじみた高揚感から削除して波紋を広げ、「コピペ」してはならないところで投げやりな態度を露呈して批判を集めているというのが実態です。
 とにかく、戦後ここまで愚かで危険な首相は他に誰もいなかった、と評する以外に適切な言葉が見つかりません。
 
 さて、「その1」だけで相当長くなってしまいましたので、「“コピペ”でなければ良いというものではない」その2は、簡単に済ませます。

 それは、今年の式辞の「戦没者の皆様の、貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります」という部分についてです。
 このような表現は歴代総理の「式辞」にも見られるものですが、安倍首相の場合には、特別な文脈で理解する必要があります。
 皆さんは、昨年の12月26日に安倍首相が靖国神社に参拝し、当日のうちに発表した談話「恒久平和への誓い」をご記憶でしょうか? その一節を引用します。

(抜粋引用開始)
 今の日本の平和と繁栄は、今を生きる人だけで成り立っているわけではありません。愛する妻や子どもたちの幸せを祈り、育ててくれた父や母を思いながら、戦場に倒れたたくさんの
方々。その尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります。
(引用終わり)

 もう1例、昨年(2013年)10月3日に明治神宮会館で行われた「戦傷病者特別援護法制定50周年並びに財団法人日本傷痍軍人会創立60周年記念式典」における首相「祝辞」の一部を引用します。

(抜粋引用開始)
 先の大戦が終わりを告げてから、六十八年の歳月が流れました。この間、我が国は、自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道を邁進し、繁栄を享受してまいりました。これは、戦場に倒れられた方々や戦禍に遭われ傷病を負われた方々の尊い犠牲の上に、築かれたものであります。そのことを片時も忘れてはなりません。
(引用終わり)
 
 今日の式辞で述べられた「戦没者の皆様の、貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります」という部分を敷衍すれば、上記のような表現となります。
 このような表現に何の違和感も感じないという方も、もしかするとおられるかもしれません。
 確かに、歴代総理大臣の追悼式式辞のように、このようなフレーズが、加害責任の自覚と反省の言葉とセットで語られているのであれば、(私はもっと適切な表現があると思いますが)まだしも理解できないこともありません。 

 しかし、安倍晋三という人間はそうではありません。彼は決して加害責任を認めようとはしません(多くの「靖国派」と同様に)。国会でも、「侵略の定義は定まっていない」と言い張っています。
 そのような人間が「戦没者の皆様の、貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります」という時、そこに「反省」という契機が抜け落ちている以上、戦没者の犠牲をもたらした「戦争」があったからこそ、今の「平和」があるという倒錯した論理の罠にからめとられることになります。
 安倍首相を盛り立てる「靖国派」や「ネトウヨ」の「まやかしの論理」のポイントはこの点にこそあると私は考えています。

 私は、このような「論理」のまやかしが我慢ならず、今年の1月に以下のような文章を書いていますので、是非お読みいただきたいと思います。

平成26年1月14日 

 私の批判の骨子となる部分を再掲します。
 これは、先述の「戦傷病者特別援護法制定50周年記念式典並びに財団法人日本傷痍軍人会創立60周年記念式典」における安倍首相「祝辞」を、同式典における天皇陛下「おことば」と対比させて批判した部分であり、私の言いたいことはほぼこれに尽きます。
 
(引用開始)
 さて、安倍首相の「祝辞」です。既に上に述べたことでお分かりでしょうが、我が国が「自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道を邁進し、繁栄を享受」してきた(書き写すのが恥ずかしくなるほど歯の浮くような言葉ですね)のは、戦没者や戦傷病者の「尊い犠牲
の上に」築かれたとする主張は、全く非論理的と言うしかありません。
 大規模な戦争の当事国となれば、国民に多大な犠牲者を出すのが当然であり、その
追悼や補償は各国に共通する普遍的な課題に違いありませんが、だからといって、犠牲
があった「から」、その後に「平和」や「繁栄」が築かれるものでは決してありません。
 安倍首相をはじめとする「靖国派」の主張は、そもそもその出発点において根本的に間
違っています。
 戦後の「平和」や「繁栄」は、戦争に至る経過を「反省」し、2度と同じような悲劇を繰り
返さぬようにしたいという国民の「願い」や「思い」が国の政策となって結実し、初めて達成
されるものではないですか。
 戦没者や戦傷病者を顕彰することを隠れ蓑に、戦争への「反省」を「自虐史観」と貶め
る論理が、すなわち「靖国派」の「まやかしの論理」に他なりません。
(引用終わり) 

刑事特別法で住民を威嚇する植民地政府に対抗するために

 今晩(2014年8月14日)配信した「メルマガ金原No.1817」を転載します。

刑事特別法で住民を威嚇する植民地政府に対抗するために

 今日(8月14日)、沖縄県名護市辺野古沖合で、沖縄防衛局によるブイやフロートの設置
作業が始まりました。ブイなどは普天間基地の移設に伴う海底ボーリング調査の工事区域を示すもので、反対派がその区域内に立ち入った場合、警備にあたる海上保安庁が、刑事特別法によって検挙するとの方針が報じられています。

 この「政府方針」は、昨年末の仲井眞弘多沖縄県知事による「変節」直後、産経ニュースが
政府は28日、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾(ぎのわん)市)の名護市辺野古への移設について、辺野古での代替施設建設に対する妨害を排除するため、米軍施設・区域への侵入を禁じる「刑事特別法」を適用する方針を固めた。建設場所のキャンプ・シュワブ沿岸部は立ち入り制限海域で、同法の適用が可能だ。海上保安庁と沖縄県警を積極投入して妨害を厳
正に取り締まる」と誇らしげに報道していましたが、その後の他メディアの続報などから、よくある産経の「ガセ」ではなかったことが明らかになりました。
 
 その刑事特別法とは、以下のような長大な名称の法律です。
 

 この法律によって住民を「威嚇」しようとしている罰条は第2条です。

(施設又は区域を侵す罪)

第二条 正当な理由がないのに、合衆国軍隊が使用する施設又は区域(協定第二条第一
項の施設又は区域をいう。以下同じ。)であつて入ることを禁じた場所に入り、又は要求を受けてその場所から退去しない者は、一年以下の懲役又は二千円以下の罰金若しくは科料に処
する。但し刑法 (明治四十年法律第四十五号)に正条がある場合には、同法による。

 上記構成要件中の「合衆国軍隊が使用する施設又は区域(協定第二条第一項の施設又
は区域をいう。以下同じ。)」を理解するため、日米地位協定も読んでおきましょう。
第二条
1(a) 合衆国は、相互協力及び安全保障条約第六条の規定に基づき、日本国内の施設
及び区域の使用を許される。個個の施設及び区域に関する協定は、第二十五条に定める合同委員会を通じて両政府が締結しなければならない。「施設及び区域」には、当該施設及び
区域の運営に必要な現存の設備、備品及び定着物を含む。
(b) 合衆国が日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定の終了
の時に使用している施設及び区域は、両政府が(a)の規定に従つて合意した施設及び区域とみなす。

 そして、去る7月1日の閣議(そう、例の「閣議決定」と同じ日の午前中に行われた定例閣議です)において、キャンプシュ
ワブ沖水域について、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定」第2条に基づく施設及び区域の共同使用、使用条件変更及び追加提供についての決定がなされ、翌
月2日付の官報で告示されました。
 これを報じた琉球朝日放送の映像と沖縄タイムスの記事をご覧ください。
(抜粋引用開始)
 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に関して政府は2日、キャンプ・シュワブ沖を
工事完了日まで常時立ち入り禁止とする臨時制限区域(約561ヘクタール)の設定と、同区域の共同使用を官報に告示した。告示によって効力が発生し、反対活動などで進入した場合、刑事特別法などが適用される可能性がある。これまで陸岸から50メートルだった常時立
ち入り禁止の範囲は、最大で沖合約2キロまで拡大した。
 海上の臨時制限区域を明確にするため、沖縄防衛局は今月中にも着手する海底ボーリン
グ調査を前に、ブイ(浮標)の設置を予定している。
 防衛省は制限区域を設定する目的を安全確保とするが、法的に進入を制限し、円滑に工
事を進めるため、反対派による妨害行為を阻止することも狙いとみられる。
 漁船操業制限法を一部改正し、臨時制限区域と同じ範囲を常時、漁船操業禁止とする
ことも合わせて告示され、沖縄防衛局は同日、関係漁協に連絡するよう県に対して通知した。
同局は今後、関係漁協との補償調整を進める。
 臨時制限区域の設定と共同使用は6月20日に日米合同委員会で合意し、1日の閣議
で決定した。
 官報では同区域の設定について、「陸上施設と普天間飛行場代替施設の建設に係る区
域の保安並びに水陸両用訓練に使用するため」と記載した。
 日米地位協定に基づく共同使用は「沖縄防衛局が普天間飛行場代替施設の建設のた
め」と、日本政府が移設工事のため制限区域に出入りする根拠としている。
(略)
(引用終わり)

 今日(8月14日)のブイ設置は、7月1日・閣議決定で定めた安倍内閣の規定方針がい
よいよ現地で実施に移されたということです。
 産経ニュースが「海上保安庁と沖縄県警を積極投入して妨害を厳正に取り締まる」と「威
嚇」したことが現実のものになろうとしています。

 刑事特別法2条が適用された著名な事件として「砂川事件」がありますが(1957年)、そ
れから半世紀以上も経過した21世紀の今日、本気で国はそのような事態を繰り返そうというのでしょうか?おそらく安倍政権ならやるでしょう。あの内閣には冷静なブレーキ役など存在しないということは、政権発足後、いやというほど見せつけられてきましたから。

 しかし、考えてもみて欲しいのですが、刑事特別法というのは、長々しい正式名称から一目
瞭然のとおり、日米安保条約及び日米地位協定を実効あるものとするため、日本国の施政下にある人間(多くは日本国民)を規制して、米軍を守るための法律ですよ。
 今まさに住民と海上保安庁とがにらみ合っている海域は、7月1日「閣議決定」及び翌日の官報「告示」によって、日本も「共同使用」できるとはいえ、基本的に「合衆国軍隊が使用する施設又は区域」ということになったのであり、海上保安庁は、その米軍が「使用する施設又は区域」を守るために日本国民を排除しようとしているのです。
 いずれこの海上保安庁の艦船群に、海上自衛隊の掃海母艦ぶんごを加え、国民に武器を向けて威圧しようとしているのが安倍政権の姿です。

 砂川事件が「(旧)日米安保条約の合憲性」を正面から争う事件に発展したように、
今、安倍政権がやろうとしていることは、究極的には、多くの国民に、日米安保条約が本当に国民のために役立っているのか?必要なものなのか?という根本的な問題に否応なく直面させることにならざるを得ません(政権にそんな覚悟があるのかという疑問はありますが)。

 辺野古沖で展開している事態は、心ある人にとっては、宗主国の利益を守るために住民を抑圧
する植民地政府そのものという実に「分かりやす過ぎる」構図になっています。
 私たちは、この構図を徹底的に国民の共有認識に高めるためにあらゆる努力を惜しまない
ことが必要だと思います。

「原発がこわい女たちの会ニュース」第90号が届きました

 今晩(2014年8月12日)配信した「メルマガ金原No.1815」を転載します。

「原発がこわい女たちの会ニュース」第90号が届きました

 先週、「原発がこわい女たちの会」の松浦雅代さんから、同会ニュース第90号をお送りしただ
きながら、台風の余波で(?)という訳でもありませんが、どたばたしていてご紹介が遅くなりました。
 ニュースにも掲載されていますが、前号(第89号)発行以降、5月21日に福井地裁による大飯原発3、4号機運転差止判決が言い渡され、7月31日(議決は23日付)には、東京第五検察審査会が、勝俣恒久元会長ら3人の元東電役員に対し起訴相当の議決を行ったことが公表されるなど、原発をめぐる大きな司法的判断がありました。
 他方、政治の世界では、何事もなかったかのように、たんたんと川内原発(鹿児島県)の再稼働が進められようとしています。
 原発にしても、集団的自衛権にしても、沖縄の基地問題にしても、TPPにしても、消費税にしても、民意など「見なければ無いのも同じ」という政権の態度は見事に一貫しています。その意味で言えば、たしかに「ぶれない政治」に違いありません。
 私たちは、このような「ぶれない政治」をどうすれば変えていけるのだろうか?と、ニュース第90号を読みながら、しばし考えに耽りました。
 

原発がこわい女たちの会ニュース NO90号・2014年8月6日発行
事務局 〒640-0112 和歌山市西庄1024-15 Tel・fax073/451/5960 松浦雅代方
原発がこわい女たちの会ブログ 
http://blog.zaq.ne.jp/g-kowai-wakayama/
 
     2014年8月6日ヒロシマに原爆が投下されてから69年
            何故再稼働を許せるのか
    
川内原発再稼働へ      
 7月16日、原子力規制委員会は、九州電力・鹿児島県川内(せんだい)原発1、2号機について、新規制基準を満たすとの審査書案を出した。

 ただし、ここがややこしいところだが、田中俊一委員長は、「安全だということは、私は申しげません」「避難対策は自治体が主体」と記者会見で述べた。新規制基準には適合し
ているけれど、それで安全が担保されたとは言わない。ゼロリスクではないから。さらに防災避
難の策定は委員会の役割ではない、というのだ。
 基準は基準であって、適合しているからといって絶対安全などと言えないことは、まったくもっ
てそのとおり。田中委員長は正直ですね。…オリンピック招致の演説で「フクシマの汚染水は
コントロールされている」など大ウソをついた日本の首相よりも。
 さらに、原発が重大事故を起こした場合、周辺住民をどう安全に避難させるのか、審査書
案にはまったく反映されていない。避難先の確保、スクリーニング実施、要援護者の避難等など、防災避難計画の策定は30キロ圏自治体に丸投げされ、実効性ある計画は何も立て
られてないのが実状だ。
 規制委員会というところはあくまで、原子炉や原発施設が新規制基準に照らして合格して
いるかどうかをチェックするところだということらしい。
 これに対して、政府は「規制委が基準に適合すると認めた原発は再稼働を進める」という方
針であり、菅官房長官はこの日の会見で「原発の安全性は規制委に委ねている。個々の再
稼働は事業者(電力会社)の判断で決めること」と述べたという。
 政府は原発の安全性は規制委員会で判断するといい、規制委員会は規制基準に適合し
てもリスクはゼロではないから安全とは言わない。電力会社(と立地自治体)は、再稼働のお
墨付きを与えられたとして、嬉々として「判断」する。
 これでは安全の責任の所在がさっぱりわからない。というより福島原発事故で東京電力は倒
産することもなく、電力会社も国も誰も責任をとっていない。
 
 福島の事故やそれ以上の事故が起こった場合でも、どこも責任を取らなくてもよい仕組みと
して、結局私たち国民が健康のリスクを負い、私たち国民が事故費用の大半を負担するとい
うのが、福島原発事故の実態である。
 責任の追及はあいまいなまま、政府は原発輸出や再稼働を画策する。福島の教訓は生か
されることなく、再び安全神話の復活だ。
 それとも、もう一度大惨事が起こっても「許した私たちみんなが悪かったのよね~」てなことにな
るのだろうか?冗談ではありません。
 
 事故から3年半たった今も、汚染水問題一つ見ても事故の収束とはほど遠く、深刻な作業
員の被ばく、海や大地での環境汚染が続いている。
 膨大な数の福島及び近隣住民は、被ばくに怯えなければならない生活だ。福島を離れ全
国に避難した住民も心身の負担を強いられている。
 福島の現実を置き去りにしたまま、防災避難対策も確立されないまま、再稼働なんてありえ
ない、と思うのだが。
 
*************************************
あなたもパブコメを出しましよう。
 川内原発1、2号機についての原子力規制委員会の審査書案について、意見募集(パブ
リックコメント)がおこなわれています。8月15日締め切り。この後に正式に決定となります。
 わざわざタイトルにまで「科学的・技術的意見の募集」などとあげられているのには、恐れ入
りますが、フツーの市民の感覚で応募しようと思っています。
 
 原子力規制を監視する市民の会からの川内原発審査書案への「パブコメのタネ」と原子力
規制委員会宛の用紙も一緒に同封していますので御利用下さい。FAXで送られる方は裏表を送って下さい。(sora)

(参考サイト)


報告6月22日
大島堅一氏(立命館大学国際関係学部教授)の講演  
                 主催「脱原発わかやま」―田辺市にて
「原発は安い!?~原発のコストはいったいいくらなのか~」
 
 福島県の原発事故後、社会の見方が変わって、原発を即時停止の人が35%位。将来的
には無くして行きたい人は50%位。合わせると、85%との圧倒的多数の国民が原発を無くした
方が良いとの世論に今はなっている。
大島堅一氏 事故が起こってしまったことをふまえてどんなコスト問題があるのか。原発事故は金銭で表せな
いことが圧倒的に大きいとはいえ。
 福島の人たちが今だに3万人仮設に放置されていること。故郷を無くし、家を無くし生活その
ものがなくなり、お金では換算できないものが圧倒的に多い。ぜったい元には戻らない、そこが本質なのですけど、と。できるところだけでも、最低限いくらかと云う事を表すだけでも非常に大切な大きな事ですね、と話された。
 
最初にエネルギ―基本計画について
 自民党は2014年4月11日に「エネルギ―基本計画」を閣議決定しましたが、電源構成が示
せないで、原子力の扱いは事故前の2010年と全く同じ。準国産エネルギ―の「準」は、まやかしである。等、原子力の位置づけと現実に問題が多いと大島さんの指摘がありました。
 
原発事故関連費用と負担について、大半が国民負担になっている。
 原子力発電所事故の費用の負担。誰が支払うのか、を明らかにするのに大変時間がかった、
と話されました。水俣の公害は損害賠償額約1000億円。福島の原発事故は損害賠償額5兆円。下表は、大島さん等が作成した「事故費用はいくらか」です。合計金額は11兆円を越えています。
 

         事故費用はいくらか
     項 目                  金 額(億円)
損害賠償費用  要賠償額            49,088(東電は出し渋る。値切る。打ち切る。)
           賠償対応費用             777
原状回復費用  除染費用            24,800
                   中間貯蔵施設         10,600
事故収束・廃止費用              21,675
行政による事故対応費用(除染を除く)     3878 
  合 計                             110,819
出所:大島・除本(2014)「福島原発事故のコストを誰が負担するのか―再稼働の動きのもと
で進行する責任の曖昧化と東電救済―」『環境と公害』7月号
注:追加的安全対策費用は含まない。
 

東電と国の責任を明確にする必要について
<東電の責任>

★東京電力は国の資金援助無しには存立しえない状況(一般企業であれば破綻状態)
★原賠法第1条「原子力事業の健全な発達」~国会事故調報告書では、事業者が規制
者を「虜」にしてきた実態が明らかに。
★未曾有の事故を起こしたにもかかわらず、かえって経営が強化されることになっている。(「絶
対に破綻しない会社」化)
★賠償に関する大規模訴訟が複数堤起されているが、「不十分で不誠実な賠償」→モラル
ハザード「健全な発達とは正反対」
★事故発生責任→破綻処理が適当
<国の責任>
1、原発事故を防ぎ得なかった
―規制者が規制される側の「虜」となってきた。(国会事故調報告書)
2、開発一辺倒の原子力政策
 ◎事故を引き起こした「責任」が国にはある。
 ◎このことに対する「真摯な反省」に基づき、賠償と廃炉の双方を行う体制を築く。

 上記のように、大島さんは東電と国の責任の明確さを述べられました。福島原発事故は誰
も責任をとっていません。事故の費用は巨額(しかもこれで終わりではない)。その大半が国民負担になっています。

 東電を事故発生責任者として、破綻させ、資産処理をし、国民の負担を低減させるべきだ
と思う。事故を起こす事で絶対に破綻しない会社になるのですから、電力会社は再稼働で事故が起きても責任も取らずに破綻も心配することはない。こんないい話はない。だから東電は
新潟の柏崎刈羽原発を再稼働させようとしている、と大島さんは言われました。
 電力会社も政府も、反省もせずに再稼働にやっきになっています。そして嫌でも私たち国民
がお金を出して東電を救済し、電気料金から、原発の負担金を徴収させられていることに変わりはありません。

今後については

☆エネルギー政策(特に電力システム改革)が具体化する中で、原子力のための新たな補
助制度が構築される可能性がある。と指摘されました。
 頭のいい原子力官僚が原発を温存させるために2016年に向けて電力自由化を進める中
でどんな手を打って来るのか。電力自由化を喜んではいられない。怖いですね。それから、福島原発事故で、原発のコストは私たちにとってはとてつもなく高くつくことをあらためて認識しま
した。  
                                           松浦雅代     

(追記)2011年2月27日、大島堅一氏に「原発がこわい女たちの会」で、「ほんとうのこと 知
ろう 『原子力のはなし』 原子力発電は本当に安いのか」と題して講演して頂きました。
 その12日後に東京電力福島原発事故が起きました。
 大島堅一著「再生可能エネルギーの政治経済学」定価3800円の高くて難しい本を買っ
て頂きました。この本はその後(環境経済・政策学会奨励賞)を受賞しています。
(金原注:私も松浦さんからこの「高くて難しい本」を買わされました。もちろん、3.11前のことです)
再生可能エネルギーの政治経済学
大島 堅一
東洋経済新報社
2010-02-26

 福島事故後に出された岩波新書の「原発のコスト」は大佛次郎論壇賞を受賞。

 読みやすいのは「原発はやっぱり割に合わない」東洋経済新報社1600円がお勧めです。
 現在は「原発ゼロ社会への道」原子力市民委員会のメンバーとして活動されています。 
 

                二度目の福島へ                  
                                       古田伊公子
 
 「福島へは行ってみたいけど手がかりがないと……」と云う私の昔なじみの2人(2人は初
対面)を誘って7月14、15、16日の日程で、又々昨年お世話になった方々に遠路終日
お付き合い願って南相馬へ、浪江町へ、行って来ました。
 田んぼ、請戸港、被災住宅、希望の牧場と何とも欲張りなかけ足ながらもそれぞれに濃
い1日を過ごさせて頂く。
2度目の福島へ 太平洋沿いの常磐線がいまだに、永久(?)に不通の為、内陸の東北本線で福島に入
る、浜通りの南相馬、浪江へは車で移動となる。福島(東北本線、新幹線とも同じ駅構内)から南相馬の原町への定期バスが1日4本位、所要時間2時間というのがあることを
知る。帰路はこれを利用した。
 なかなか快適でした。
 2泊とも農業民宿(二本松・南相馬)を紹介して頂き、初体験。アットホームで民宿の御
夫婦も一緒に食卓を囲み同じものを頂き、初対面なのに里帰りして来た家族をむかえるよ
うな雰囲気で、つもる(?)話をして下さる。
 村をあげて頑張ってきた有機農業の村(旧東和町)の震災後、悩んだ末やっぱり皆で頑
張ろうと歩み続けている姿や、道の駅やあじさいロード(あじさい寺も)、ハーフマラソンする距
離、見事につづくあじさいを夕方遅く案内して下さる。
                            
 放射線量は一律という訳ではないので、皆さんそれぞれに気にしながら収穫物は全て測
定所に持ち込み測定した上で食べ、分け、販売しているそうです。
希望の牧場 南相馬のお百姓さんも希望の牧場の牧場主さんも、稲が立派に育っても、牛(300頭)
に毎日毎日大量のエサ(牧草ロール一日10ロール)をあげて生命をつないでも、一粒たりとも、一切れたりとも食べることができない状態です。それでもなお、稲作を後世に引き継ぐ為(自分の生きがいだから、やめられないとおっしゃってはいるが)、また生命あるもの政府の
いうように殺処分出来ず、栃木、宮城の汚染された牧草をもらって(運送費だけでもバカにならない)大量に積み上げました。原発から14㎞全部で30町あるという牧場のうちの一番北の端(原発から遠い方)で現在放牧中。牛さんたちの表情のやわらかなこと、目のやさしいこと、とってもいとおしく申し訳ない思いでした。お百姓さんと牧場主さんの固い握手、目に焼き付いています。
                         
 橘柳子さんはお元気でした。今回は橘さんの夫君・毅氏の車で浪江町のお宅まで連れ
て行って頂きました。お家の中は震災当時のまま片付けも出来ず、倒れ散乱した家具や本、書類など3年4カ月も経つとほこりや湿気、毅氏は何かの動物の毛が床に落ちている
のを見つけられる。「放射能が入る!」と厳重に戸閉まりされているのですが―。
 お庭の芝生は4.4μシーベルト/h(放射線管理区域で0.6μシーベルト/hが上限な
のに)!
 御夫妻で定年まで勤められて思いを込めて建てられたでしょうお家。お庭の木々も毎年
新緑を、お花を楽しまれていたでしょうに。なんとも酷なこと。かけられる言葉はありません。
 車の中で毅氏は、お父様の従兄弟である鈴木安蔵さんのお話しをして下さり、幼いころ
よく遊んでもらったと聞かされていて、日本国憲法の草案に大きな役割を果たされた従兄弟さんのことを、お父さんは毅氏に、又そのパートナーになられた柳子さんにも語って聞かせ
ておられたそうです。
 社会科の教師となられた毅氏は、生徒たちに誇れる日本国憲法を大切にと教えられて
いたそうです。
 また毅氏は、南相馬のお百姓さんの長男の担任だったとか「あら、まあまあ先生、お久し
ぶりです」と30年振り位の再開に花が咲き、その夜泊めて頂いた民宿では、私と同行者の一人とも旧知である名前が出てきてびっくり仰天。
 相変わらず何も変わらずどころか、こわれた原発のガレキ処理が進んで放射能がより一層放出拡散して(7月23日東電も認めニュースになっていましたね)2012年産米は20Bqだったのに2013年産米は100Bqに(南相馬小高)!!
 まだまだ想定外のことが起こってくるのでしょう。廃炉などできるのでしょうか。再稼働など
と、どんな心や頭なら言えるのか庶民にはさっぱりわからないね。
 それでも、とても楽しい旅でした。
 一度会ったらすぐ友達に。二度目会う時は親戚。握手の手を離すことが出来ませんで
した。
 南相馬の試験田の稲刈りに、会津からの私のお米の故郷へ、これからもおこずかい貯
めて行きます。みなさん福島へ御一緒しませんか?
 
※古田伊公子さんは大阪豊中から農業をするために有田川町に11年前に引っ越してこ
られた方です。
 

◎5月21日 福井地裁大飯原発運転差し止判決・司法は生きていた!
 福井地方裁判所において、樋口英明裁判長により大飯原発3、4号機の運転差止を
命じる判決が言い渡されました。歴史的な住民側勝訴判決となりました。
 大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決要旨を同封しています。
 少し時間が経っていますが、今後日本全国の原発裁判で影響があると思います。大阪
地裁、京都地裁でも裁判中です。是非、読みやすいので読んで下さい。本判決が指摘する原発の危険性は、いずれも原発が抱える本質的危険性です。
(金原注:同判決要旨は以下のサイトでも読むことができます)
 
 5月9日女たちの会前号に載せた却下された大阪高裁での裁判は関西電力相手の運転差し止仮処分裁判でした。大阪地裁での国相手の裁判は9月12日に大阪地裁202号法廷で行われます。
 
◎7月31日 福島原発事故の責任を問う告訴
 2012年6月に福島県民1324人の第一次告訴に続いて11月には全国的に約15000人
の告訴団になりました。2013年9月9日福島地検から東京地検に移送され、その日のうちに東京地検は不起訴判決。「不起訴処分」と決定したことを不服として2013年11月22日東京地裁に、検察審査会第二次申し立て5737人分を提出。今回は罪名を「業務上過失致死傷」だけに絞り、被告発人を東電の原子力担当役員6人に絞り、因果関係の立証
が難しい人等を除外し、審査員にわかりやすくしたそうです。
 2014年7月31日「11人の市民」による検察審査会が出した議決は、東電元幹部3人の
「起訴相当」でした。東京地検は再捜査を開始し、原則3カ月以内に起訴か不起訴か改
めて判断することになりました。(松浦も第二次申立て人になっています)
 
(記)2014年7月1日安倍内閣は集団的自衛権容認を閣議決定した。
 そもそも、閣議で憲法解釈を決めること自体がおかしい。憲法の根幹を切り落とす介錯だ
と言った人がいた。わたしもそう思います。安倍総理のシナリオが支離滅裂でもより能弁にな
ってきている。危険だ、まくら言葉は国民の健康と安全を守る。私たちを愚弄している。
 私たちが行動することでやっと自由と民主主義が生かされる。私たちが試されているのだ。
一人一人が、行動しましょう。

会員の皆さまへ
 会員の交流会を10月25日(土)又26日(日)(原子力の日)どちらかで開催したいと思
います。会場が決まれば連絡します。ゲストは考えておりませんが、会員の皆さんでこんな
話が聞きたいとの声を届けて下さい。
                                         松浦雅代
 

(付録)
『原発ゼンキハイロ』 はちようび
 

予告 9/6 シンポ広域避難者の安定した住宅保障はどうあるべきか(近畿弁護士会連合会)

 今晩(2014年8月10日)配信した「メルマガ金原No.1813」を転載します。

予告 9/6 シンポ広域避難者の安定した住宅保障はどうあるべきか(近畿弁護士会連合会)

 来る9月6日(土)に、大阪弁護士会館で開かれるシンポジウム「広域避難者の安定した
住宅保障はどうあるべきか」(主催:近畿弁護士会連合会)をご案内します。
 このシンポは、10月2日・3日の両日、函館市で開かれる日本弁護士連合会の年間最
大行事である第57回日弁連人権擁護大会のプレシンポジウムという位置付けです。
 そして、今年の人権擁護大会の1日目(分科会~シンポジウムは1日目に開かれます)の第1分科会のテーマが「北の大地から考える、放射能汚染のない未来へ-原発事故と司法の責任、核のゴミの後始末、そして脱原発後の地域再生へ-」というものなのです。
 
 
 だいたい、日弁連人権擁護大会のシンポジウムといえば、数時間の長丁場で(今年の第1分科会は12時00分~18時30分)、最初から最後まで参加するとぐったりと疲れ果てる
のが通例ですが、今年の第1分科会の内容も、チラシを読む限り実に盛り沢山ですね。
 小出裕章氏(京大原子炉実験所助教)、村上達也氏(前東海村村長)などの他に、大間原発の建設差止訴訟を提起した地元・函館市の工藤壽樹市長に対する特別インタビュ
ーも用意されているようです。
 日弁連人権大会の開催時には、地元の首長が来賓として挨拶するのが慣例だったと思いますが、それは2日目の大会での話であって、分科会に、そのテーマと密接な関連を持つ訴
訟の当事者として地元自治体の代表が登場するなどということはめったにないはずです。

 今年の開催地が函館になるということは、何年か前から内定していたと思うので、上記訴訟があるから函館で人絹大会を開催することになった訳ではありませんが、函館が開催地であるので、第1分科会のテーマが「放射能汚染のない未来へ」になったという可能性はあるでしょうね。

 さて、上記日弁連人権擁護大会のプレシンポジウムとして開催される「広域避難者の安
定した住宅保障はどうあるべきか」についてです。
 函館の人権大会シンポは以下の3部構成となっています。
 ① 司法の責任を考える
 ② 核燃料サイクル、高レベル放射性破棄物を考える
 ③ 原発等立地地域の経済と再生可能エネルギー等を通じた地域再生を考える
 いずれも重要な課題に違いありませんが、現に起こってしまった事故の被害者の救済につ
いては、主要なテーマとしては取り上げられていません。
 実は、このテーマについては、昨年広島市で開催された第56回人権擁護大会で取り上げられ、以下の決議がなされているのです。

 今回の近弁連シンポは、従来から継続的に取り組んできた広域避難者支援活動の延長線上での開催であるとともに、昨年の日弁連人権大会決議をフォローするものでもあると思います。
 以下に、近弁連シンポの概要をチラシから転記します。
 
チラシから引用開始)
日弁連第57回人権擁護大会プレシンポジウム
広域避難者の安定した住宅保障はどうあるべきか

日時 2014年9月6日(土)13時30分~16時(13時開場)
場所 大阪弁護士会館2階ホール

     大阪市北区西天満1-12-5

参加費無料

東日本大震災、東京電力福島第一原子力発電所事故から3年半が経過しようとしている
なか、今なお多くの避難者が避難生活を余儀なくされています。関西広域連合発表では、平成26年7月4日現在3,694名の方が、関西広域連合内に避難されています。しかし、現状は、仮設住宅入居の入居期限は、災害救助法に基づく1年ごとの延長決定がなされているに過ぎません。果たして、災害救助法の枠内での支援継続で、避難者の方々の今後の人生設計、生活設計がたてられるのか、もっと、長期間の延長あるいは、抜本的な新たな立法が必要ではないのか。関西方面への避難者の方々、自治体関係者の方、被災者支援の先頭に立って活動されているNPO、弁護士によるシンポジウムを企画いたしました。このシンポジウムによって、避難者の方々が必要とする提言に結びつけることができないか、皆様と一緒になって考えてみたいと思います。
 
内容
1)基調講演「災害時の避難者の住宅保障の現状と今後のあるべき施策」
   講師:津久井 進 弁護士(兵庫県弁護士会会員)
2)多様なニーズについての避難者の声
3)パネルディスカッション「避難者の安心できる住宅保障とは?」

パネリスト
津久井 進 弁護士(兵庫県弁護士会会員)
古部真由美 氏(まるっと西日本)
その他自治体関係者
支援団体等交渉中
コーディネーター
青木佳史 弁護士(近畿弁護士会連合会災害対策及び避難者支援に関する連絡協議
会副座長)
4)近畿弁護士会連合会としての意見書の提案

主催/近畿弁護士会連合会
共催/日本弁護士連合会・大阪弁護士会
 
一時保育あります(完全予約制)
申込方法:大阪弁護士会法律相談部までお電話にてお申し込み下さい。
        06-6364-1238
申込期間:8月29日(金)午後5時まで
【対象】首のすわった幼児から未就学児まで
【時間】シンポジウム開始15分前から終了15分後まで

シンポジウムへの参加申込方法
 チラシ裏面の参加申込書に必要事項を記入して大阪弁護士会法律相談部宛にFAXを
送信する。
  FAX 06-6364-5069
 もしくは、以下の申込フォームから申し込む。
(引用終わり)

 最後に、コーディネーターを務める青木佳史弁護士から広域避難者支援ネットワークMLに届いたメールの一部をご紹介します。
 
(引用開始)
 基調講演に、津久井進弁護士を迎え、災害時の住宅支援のあり方の経過と限界、今後の方向性、原発避難者についての住宅保障のあり方などを、最新の状況を踏まえて、お話を
いただきます。
 さらに、関西の避難者のおかれている住宅ニーズの声を、近畿各地から直接にお話をいただ
きます。
 そして後半には、この三年間、公営住宅の住宅提供をフォローしてきたまるっと西日本の古
部さんにお話をいただくとともに、岡山県で、関東からの避難者を中心に、民間住宅の提供や移住のネットワークを、自治体とも共同して行ってこられた「おいでんせえ岡山」の逢澤直子さんの貴重な実践のお話をいただき、津久井弁護士を助言者として、今後の公営住宅、民間
住宅のそれぞれに、広域避難者の住宅保障の方向性をさぐりたいと思います。
 全ての避難者、全ての支援者にとって、重要な課題になりますので、ぜひご参加をいただき
ますように、お願いします。
(引用終わり)
 

(付録)
『ラブソング・フォー・ユー(LOVESONG FOR YOU)』 
作詞作曲:ヒポポ大王 演奏:ヒポポフォークゲリラ
 

安倍晋三という男の“闇”~広島・長崎「連続コピペ事件」から映画監督・想田和弘氏が考察する

 本日(2014年8月10日)配信した「メルマガ金原・臨時増刊号」を転載します。

安倍晋三という男の“闇”~広島・長崎「連続コピペ事件」から映画監督・想田和弘氏
が考察する

 3日前の8月6日、広島市で行われた平和記念式典での安倍晋三首相の来賓あいさつが、
昨年のものとそっくりではないか?使い回しではないか?ということが話題となりました。

朝日新聞デジタル 2014年8月8日 
昨年のコピペ? 平和式典の首相あいさつ ネットで批判
 
 ところが、そのわずか3日後に行われた長崎市での平和祈念式典での首相あいさつが、またしても「コピペ」だったのです。

朝日新聞デジタル 2014年8月9日
首相コピペあいさつ、長崎も? 被爆者からの批判に無言

 この「居直り」をどう捉えたら良いのでしょうか。
 この問題について、今のところ最も鋭い考察を加えたのが、映画監督の想田和弘さんでした。一読、非常に「怖く」なりました。想田さんの Facebook から引用します。是非ご一読ください。

(引用開始) 
 ええええっ?!マジですか。そこまでいっちゃってるのか、安倍さんって。現実とは思えない。
 安倍氏が広島で批判されたにもかかわらず、長崎でもコピペしたことは、彼が過ちを犯したと
き、それを認め訂正することで自らの無謬性を損なうくらいなら、もう一度過ちを繰り返して居直ることを選ぶ人間であることを示している。国家の最高権力者として、これほど危険な人物
はいない。
 なぜ安倍氏が危険であるかといえば、例えば安倍氏が日本を破滅に追いやるような戦争を
始めたとする。そのとき彼は「しまった」と後悔したとしても、たぶん戦争はやめない。やめないどころか、別の戦争を新たに起こすだろう。そのようにして自らの無謬性を担保しようとするのが安
倍という男である。
 広島と長崎で続いて起きたコピペ事件は、そのような安倍晋三という男の本質を曝け出した
重大事件ではないだろうか。コピペしたこと自体はたわいもない怠慢な失策にも思えるが、その失策をどのように挽回しようとしたかという点にこそ、安倍氏の闇の深さが窺えるのである。
(引用終わり) 

絵本『戦争のつくりかた』(2004年)が描いた“未来の日本”と“現在の日本”

 今晩(2014年8月7日)配信した「メルマガ金原No.1810」を転載します。

絵本『戦争のつくりかた』(2004年)が描いた“未来の日本”と“現在の日本”

 既に、最初の小冊子版、続いて刊行されたマガジンハウス版で読んだ方も多いでしょうし(い
ずれも現在は絶版)、無料公開されているWEB版で読んだという人も少なくないと思います。
 けれど、この絵本『戦争のつくりかた』(文:りぼんぷろじぇくと、絵:井上ヤスミチ)の存在をまだ
知らないという人も少なくないと思いますので、ご紹介することとしました。
 

 上記公式サイトから、この絵本の成り立ちを説明した部分を引用したいと思います。この絵
本の制作に関わった人たちの思いを伝えて間然するところがありません。
 
(引用開始)
 絵本『戦争のつくりかた』が生まれたのは、いまから9年前。 戦争に備えるための有事法制
(「有事7法案」と「有事関連3条約」)が国会で審議されていた2004年5月でした。
 いままで戦争をしてこなかった、私たちの国が その「かたち」や「ありよう」を大きく変えようとし
ている------。 そのことに気づき始めた人たちが、インターネットを通じてつながってゆく中で、偶然にも憲法記念日の5月3日、ひとりの人の頭に、突然浮かんだもの。それが、絵本『戦
争のつくりかた』でした。
 最初は絵本を、ささやかな手作りの冊子にして周りの人たちに配っていましたが、配布と同
時に思いがけず大きな反響が巻き起こり、刷り上げた3万3千部はわずか3カ月で底をついてしまいました。多くのマスメディアでも次々と取り上げられ、より多くの方にこの絵本をお届けしたいとの思いから、2004年7月には「株式会社マガジンハウス」より書籍として出版することと
なりました。
 絵本『戦争のつくりかた』は、決して空想にもとづく作り話ではありません。2004年6月に成
立した有事関連法をはじめ、すでに施行されている法律や政令、審査中の法案、国会答弁の内容などをひとつひとつ丹念に読み解いた上でつむいだ「日本のひとつの未来像」を示しています。その際、素人の曲解がないか、法律家の冷静で厳しい目を通してもらうことにも
心を配りました。
 残念ながらこの本で予言された未来は、着実に現実となりつつあるのではないでしょうか。
私たちに残された時間は、もうあまりないのかもしれません。 それでも、まだ道は残されています。私たちが気づき、変えていくことの出来る未来がきっとあります。この国を愛するひとりでも多くの人たちが、「戦争をしない未来を選びとる」ことを、私
たちは願ってやみません。
 2013年5月 りぼんぷろじぇくと
(引用終わり)
 
 以上のような思いから、早い時期からWEB版が公開されており、著作権についても「非営利的使用に限りオープン」とされています。

 WEB版では、全34ページであり、その内訳は、
  表紙 1ページ
  挿絵 11ページ
  文章 16ページ
  空白 3ページ
  注解 1ページ
  奥書 1ページ
  裏表紙 1ページ
となっています。
 全部印刷しても34ページですから、家庭用プリンターでプリントアウトしてもそれほど手間は
かかりません。

 ところで、私はこの『戦争のつくりかた』の文章を全文ワープロで再入力したことがあります。そ
の時私は、「これによく似た文体の文章を、以前入力した覚えがある」という印象を抱いたもの
でした。
 その「よく似た文体の文章」というのが、『世界がもし100人の村だったら 4 子ども編』(池
田香代子編、2006年7月・マガジンハウス刊)なのです。

 2008年12月、私が運営委員を務める「守ろう9条 紀の川 市民の会」主催による
第5回憲法フェスタで、私の知人のお孫さん2人に『世界がもし100人の村だったら(子ども編)』を朗読してもらうという企画を立て、その準備のために朗読用の原稿を私が作ることになり、まずは全文再入力したのです。
 その時キーボードを叩きながら感得した文体と、その後入力した『戦争のつくりかた』の文体に大きな類似性を感じたという訳です。
 もっとも、WEB版の巻末には、「制作協力」15人の筆頭に池田香代子さんの名前が掲げら
れており、「100人村」と同じマガジンハウスから出版されたことから考えても、池田さんがかなりの程度、『戦争のつくり方』に関わられたことは間違いないでしょうから、そういう「予備知識」が「文体が似ている」という印象に影響した可能性も排除はできませんが。

 さて、前置きが長くなり過ぎました。
 絵本『戦争のつくりかた』をじっくりとお読みください。
 

中国語版(PDF)と韓国語版(PDF)は、以下のページからダウンロードできます。

絵本『戦争のついくりかた』テキスト部分引用開始)
(2頁)
あなたは戦争がどういうものか、知っていますか?
 おじいさんやおばあさんから、
 むかしのことを聞いたことが
 あるかもしれません。
学校の先生が、戦争の話を
してくれたかもしれません。
 話に聞いたことはなくても、
 テレビで、戦争している国を見たことなら、
 あるでしょう。
(3頁)
わたしたちの国は、60年ちかくまえに、
「戦争しない」と決めました。
だからあなたは、戦争のために
なにかをしたことがありません。
 でも、国のしくみやきまりをすこしずつ変えていけば、
 戦争しないと決めた国も、戦争できる国になります。
そのあいだには、
たとえば、こんなことがおこります。
(4頁)
わたしたちの国を守るだけだった自衛隊が、
武器を持って よその国にでかけるようになります。
 世界の平和を守るため、
 戦争でこまっている人びとを助けるため、と言って。
せめられそうだと思ったら、先にこっちからせめる。
とも言うようになります。
(6頁)
戦争のことは、
ほんの何人かの政府の人たちで決めていい、
というきまりを作ります。
 ほかの人には、
 「戦争することにしたよ」と言います。
 時間がなければ、あとで。
(8頁)
政府が、
戦争するとか、戦争するかもしれない、と決めると、
テレビや新聞やラジオは、
政府が発表したとおりのことを言うようになります。
 政府につごうのわるいことは言わない、
 というきまりも作ります。
(10頁)
みんなで、ふだんから、
戦争のときのための練習をします。
 なんかへんだな、と思っても、
 「どうして?」と聞けません。
聞けるような感じじゃありません。
(12頁)
学校では、
いい国民はなにをしなければならないか、
をおそわります。
 どんな国やどんな人が悪者か、もおそわります。
(14頁)
町のあちこちに、カメラがつけられます。
いい国民ではない人を見つけるために。
 わたしたちも、おたがいを見張ります。
 いい国民ではない人がまわりにいないかと。
だれかのことを、
いい国民ではない人かも、と思ったら、
おまわりさんに知らせます。
 おまわりさんは、
 いい国民ではないかもしれない人を
 つかまえます。
(16頁)
戦争が起こったり、起こりそうなときは、
お店の品物や、あなたの家や土地を
軍隊が自由に使える、というきまりを作ります。
 いろんな人が軍隊の仕事を手伝う、というきまりも。
たとえば、飛行機のパイロット、お医者さん、
看護師さん、トラックの運転手さん、
ガソリンスタンドの人、建設会社の人などです。
(18頁)
戦争には、お金がたくさんかかります。
 そこで政府は、税金をふやしたり、
 わたしたちのくらしのために使うはずのお金をへらしたり、
 わたしたちからも借りたりして、お金を集めます。
みかたの国が戦争するときには、
お金をあげたりもします。
(20頁)
わたしたちの国の「憲法」は、
「戦争しない」と決めています。
 「憲法」は、
 政府がやるべきことと、
 やってはいけないことを
 わたしたちが決めた、
 国のおおもとのきまりです。
戦争したい人たちには、つごうのわるいきまりです。
そこで、
「わたしたちの国は、戦争に参加できる」と、
「憲法」を書きかえます。
(22頁)
さあ、これで、わたしたちの国は、
戦争できる国になりました。
 政府が戦争すると決めたら、
 あなたは、国のために命を捨てることができます。
政府が、「これは国際貢献だ」と言えば、
そのために命を捨てることができます。
 戦争で人を殺すこともできます。
(23頁)
おとうさんやおかあさんや、
学校の友だちや先生や、近所の人たちが、
戦争のために死んでも、悲しむことはありません。
 政府はほめてくれます。
 国や「国際貢献」のために、いいことをしたのですから。
(25頁)
人のいのちが世の中で一番たいせつだと、
今までおそわってきたのは 間違いになりました。
 一番たいせつなのは、「国」になったのです。
(28頁)
もしあなたが、「そんなのはいやだ」と思ったら、
お願いがあります。
 ここに書いてあることが
 ひとつでもおこっていると気づいたら、
 おとなたちに、
 「たいへんだよ、なんとかしようよ」と
 言ってください。
おとなは、「いそがしい」とか言って、
こういうことに なかなか気づこうとしませんから。
(31頁)
わたしたちは 未来をつくりだすことができます。
戦争しない方法を、えらびとることも。
(32頁)
これは、すでに施行されている法律や法令、
審議中の有事関連法案(2004年6月7日現在)や
国会答弁の内容などを踏まえて書かれた物語です。
(引用終わり)
 
 『戦争のつくりかた』が書かれてから10年経ちました。10年前の「予言」がほぼ実現の「一歩手前」にまで来ていることは、まことに残念ながら認めざるを得ません。
 しかし、そのような状況であるからこそ、「まだ道は残されてい」ると信じて、自らの責任を果たす
以外にありません。
 そして、「戦争をしない未来を選びとる」ための有力なツールとして、この絵本『戦争のつくりか
た』をみんなで活用できればと思います。
 

(付録)
『Don't mind (どんまい)』 作詞作曲:ヒポポ大王 演奏:ヒポポフォークゲリラ
 

猿田佐世ND(新外交イニシアティブ)事務局長から学ぶ米国でのロビー活動

 今晩(2014年8月1日)配信した「メルマガ金原No.1804」を転載します。

猿田佐世ND(新外交イニシアティブ)事務局長から学ぶ米国でのロビー活動
 
 いささか旧聞に属することですが・・・。
 去る5月15日から23日の日程で、沖縄県名護市の稲嶺進市長が訪米されましたが、稲嶺市長訪米に際しての、現地での面談、会合、ワークショップ、取材等のコーディネイトを一手に引き受けたのが、シンクタンク「新外交イニシアティブ(ND)」でした。ちなみに、名護市は新外交イニシアティブの「団体会員」だそうです。
 稲嶺市長の米国滞在中の行事の多くは、新外交イニシアティブの公式Facebookページで順次紹介されていました。

 そして、稲嶺市長が米国から帰国された後、新外交イニシアティブ事務局長の猿田佐世弁護士が、沖縄タイムスに寄稿した「名護市長訪米行動を振り返る」が、NPJ通信に3回にわたって転載されていました。

 また、6月18日には、衆議院議員会館国際会議室で、猿田事務局長による訪米報告会が開催され、その映像を視聴することができます。

'14 6/18, 事務局長猿田佐世訪米報告会「米国に声を伝える-名護市長訪米活動
のコーディネート経験を踏まえて-」


 米国でのロビイングなどと聞くと、始めから「自分たちには手が出ない」世界のことと思い込み、はては「自分たちには関係がない」として、関心すら寄せないということはないでしょうか?正直言って、私自身がそうでした。
 「日本政府の対米従属は許せない」と言い募ったところで、それで「対米外交」が不要になるはずはないのですから、「それではどうするのか?」ということについて、最低限の基本的な認識は持っていたいものです。
 その意味からも、昨年設立された新外交イニシアティブの目覚ましい活動には瞠目の連続です。
 上記映像の猿田事務局長の報告に是非耳を傾けていただきたいと思います。得ることがたくさんあるはずです。
 以下には、NPJ通信に転載された猿田さんの文章から、特に印象深かった部分を引用してご紹介します。
 ところで、1月10日に名護市で緊急開催されたシンポジウム「普天間基地返還と辺野古移設を改めて考える」以降、「怒濤の」という表現がふさわしい矢継ぎ早の、とりわけ沖縄問題に関連した新外交イニシアティブの活動には、驚嘆しきりですが、猿田さんの文章の中に、「(ワシントンに住んでいた当時)沖縄の知人から『なぜ沖縄の声は米国に届かないのか、何か動いてくれないか』と声がかかり、ウチナー3世の夫に背中を押され、ワシントンでの活動を始めた」という箇所を見つけ、思わずうなずいたものでした。
 
名護市長訪米行動を振り返る 寄稿:猿田佐世
(抜粋引用開始)
 今回の訪米行動に向けては、4カ月近い準備をしてきた。多くの方の協力を得て、米政府、連邦議会、シンクタンク関係者との面談、また、議会調査局やブルッキングス研究所におけるグループ討論など、計48件の行程を設定。特に今回は「一般市民へ思いを伝えたい」との市
長の希望を受け、13件のメディア個別取材および4件の一般公開の講演の機会を設定した。
 国務省・国防総省のカウンターパートがワシントン不在だったために政府面談が国務省日本
副部長に限られてしまったが、250人以上と直接意見交換する機会を持ち、また、ニューヨーク・
タイムズ、ブルームバーグなど多くのメディアが詳細な記事を掲載したことは大きな成果であった。
 多くの米国の人々は、沖縄の基地問題に関心がない。政策決定権者の集まるワシントンに
も沖縄の声が届くことは少なく、今回のような訪問は「こういう声が存在することを私たちに思い出させる」(リチャード・ブッシュ・ブルッキングス研究所東アジア政策研究センターディレクター)機
会として大変重要である。
(略)
 ワシントンで日米関係に影響力を与えうる人々は、大きく分けて三層ある。国務省を代表と
する米政府、シンクタンク等の研究員、連邦議会関係者である。
 シンクタンクは元政府関係者や日本専門家からなり、報告書の発表や政権担当者との人
間関係、自らの政権入りなどを通じて米政府の政策に直接・間接の影響を及ぼす。議会関係者の多くは日本の問題にほとんど関心がないが、場合によって予算などを通じて強い影響
力を持つ。
(略)
 さらに今回は、2年前の前回の市長訪米とは異なる事情もあった(前回も当方でコーディネ
ートを担当)。現在、米関係者の間では安倍政権のナショナリスト的外交政策、尖閣・歴史問題、そして直近では集団的自衛権の行使の問題に関心が集まり「沖縄の基地問題に触れようとする人はほとんどいない」との発言すら耳にする状況であった。何ら事態は解決していないにもかかわらず、関心が薄れている状況に憤りを覚えるが、合わせて継続的な働きかけの
重要性を痛感する。
(略)
 ワシントンへの訴えは継続的に行う必要がある。議員は入れ替わり、もともと関心がない人
々も少なくないため、すぐ忘れられてしまう。沖縄の国会議員や首長の訪米は、象徴として大きな意味を持つが、1度の訪米では面談数にも議論の深まりにも限界があるため、ワシントンに根差した継続的働き掛けが必要である。議会の動向や米国の政策の変化について関連事項をあぶりだしながら、その時々に働きかけ方を判断する必要がある。法案や予算の詳細
な検討も必要であろう。
(略)
 また、相手と同じ「言語」で話す必要がある。ワシントンでは軍事戦略的視点で議論が展
開し、ヒューマンストーリーや具体的戦略を伴わない平和指向は軽視される傾向にある。海
兵隊の沖縄駐留が抑止力維持の観点から必要かという議論は避けて通れない。
 他方、米国の歴史が人々の喜びや悲しみで動いてきたことも忘れてはならない。思いに共
感した一般の人々が協力してくれることも多い。場を見定め、言葉を選ばねばならない。
 そして、何よりも、沖縄の声を真に代弁する人がワシントンに常駐し、人間関係をつくりなが
ら適切な働き掛けを継続的に行う必要がある。
 なお、多くの米国人が、日本政府さえ「辺野古案は駄目だ。」と主張すれば米国は受け入
れる、と話す。ジョーンズ元大佐が「日本政府が変わらねばならない」と言ったように、日本国
内の対策は当然ながらより重要である。
 しかし、それを前提にしながらも、ワシントンからの影響力を得ながら日本政府の政策に変
化を与えることは有用だろう。集団的自衛権行使の問題でも、多くの政治家がワシントンに渡り、米「知日派」からお墨付きを得ようと躍起になっている。それは日本で大きく報道され日本政府の政策に影響を与える。彼らばかりにワシントンの「拡声器効果」を利用させては
ならない。
(引用終わり)
■開催日時 2014/08/25 Mon. 18:00開場 19:00~21:00
■会場:
沖縄かりゆしアーバンリゾート・ナハ 6階 ニライカナイ
住所:沖縄県那覇市前島3ー25ー1
TEL:098-860-2111
地図:
■最寄り駅:
〈モノレールでお越しの場合〉美栄橋駅下車 徒歩約10分
〈バスでお越しの場合〉泊高橋停留所 徒歩約1分
〈お車でお越しの場合〉隣接の「とまりんパーキング」あり
約600台駐車可(有料・駐車場チケットをホテル「かりゆしアーバンリゾート・ナハ」の受付にご提示ください)
チラシはPDFを閲覧・ダウンロードできます。
仲井真弘多沖縄県知事による埋立承認を機に、米普天間飛行場の辺野古移設が本格的に動き出しています。他方、移設反対を掲げた稲嶺進名護市長が再選し、県内世論調査でも74%が「県内移設反対」を表明するなど、依然として沖縄県民は辺野古移設に反対しています。日本政府は「在沖海兵隊は抑止力」といいますが、本当に「抑止力」となるのでしょうか。
安倍政権はこの7月、集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をしました。「抑止力」のためと安倍首相は強調しますが、沖縄を取り巻く安全保障環境はこれによりどう変わるのでしょうか。
本シンポジウムでは、防衛・安全保障の専門家が米軍基地と集団的自衛権の問題の本質に切り込みます。日本の安全保障の名のもとで過重な基地負担が続いてきた沖縄で、市民ひとりひとりの選択が、今、大きく問われています。
協賛:(株)かりゆし
後援:(株)旬報社
■登壇者:
●パネルディスカッション登壇者:
柳澤 協二(ND理事/元内閣官房副長官補)
半田 滋氏(東京新聞論説兼編集委員)
屋良 朝博氏(元沖縄タイムス論説委員/フリージャーナリスト)
●全体司会
草柳 悟堂氏(琉球朝日放送記者)
●コーディネーター
猿田 佐世(ND事務局長/弁護士)
■参加費:
前売り券500円、当日券700円(ND会員・学生は無料、当日入会可)  前売り券をご希望の方はメールにて、氏名、所属、住所、電話番号、E-mailを  
info@nd-initiative.org までご連絡ください。当日500円にてご入場いただけます。  
※ND会員の方は、受付でその旨お伝えください。
定員:1000名
 

(付録)
『日照り 가뭄(カムム)』 趙博(パギやん)&はちようび
 
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