久々に「メルマガ金原」アーカイブスをお送りします。2011年7月9日に配信したNo.415「アーサー・ビナード氏講演会(in和歌山市)レポート」です。

アーサー・ビナード氏講演会(in和歌山市)レポート/2011年7月9日

アーサー・ビナード氏講演① 米軍の空襲によって1000数百人の死者・行方不明者を出した和歌山大空襲から66年目の今
年(2011年)の7月9日、和歌山市内においては、様々な催しが行われましたが、私は、午後3時から、和歌山地域地場産業振興センター5階ホールで開催された核戦争防止和歌山県医師の会主催(和歌山県保険医協会後援)による「アーサー・ビナード氏講演会『夏の線引き─アメリカからピカドンを見つめて─』」に参加しました。

 和歌山
市民会館の方(『消えた番丁小学校』と『ぞうれっしゃがやってきた』)も気にはなっていたの
すが、全く同時刻ではいかんともしがたく、ビナードさんの講演会に行くことにしました。

 この講演会の企画について、西谷文和さんから「アーサービナードさん、おすすめです。
彼の話は
面白いし、ためになるし、考えさせられる」と伺っていたことにも後押しされて和歌山地域地場産業振興センターを目指すことになったのですが、「やはり西谷さんの目は高い。おっしゃるとおりでした」と書けるのは幸いでした。

 講演の流れに沿って全体の構成をご紹介するのは荷が重いので(「九条の会・わかやま」の南本
勲さんが来ておられましたので、いずれ会紙「九条の会・わかやま」に詳細な紹介が掲載されるものと思います)、記憶に残るエピソードをアトランダムに書いてみます。

ATOMIC FIRE BALL(原子力火の玉ボール)○添付した写真の中に「ATOMIC FIRE BALL」と表に印刷されたものがありますね。これは、講演
の冒頭でビナードさんが紹介されたアメリカで売っている子ども向けの駄菓子なのです。
 ビナードさんが「Atomic Bomb」に関連するものと初めて接したのは何であったかを思い出し、アメリカでまだ売っていたものを入手されたのだそうです。もちろん、子どもは放射能の恐ろしさなどは何も知らず、「そごい、迫力のあるもの」というイメージを「ATOMIC」という言葉に感じるのだそうです。

○「原子爆弾」そのものについては、中学、あるいは高校の歴史の授業で、抵抗を続ける日本軍を
降伏させるためにはやむを得ない使用であった、というお馴染みの教育を受けたが、その時感じた違和感は、「なぜ2発必要だったの?」というものだった。

○1990年に来日した後、俳句を始めたが、日本人の知人から、「季語の基準が新暦になってしま
て季節感がおかしくなってしまった。古い歳時記に戻すべきだ」という話を聞き、その例として、
 広島の原爆忌→夏、
 長崎の原爆忌、終戦記念日→秋
が挙げられていた。しかし、私(ビナードさん)は「それでこそ良い」と思った(金原注:「原爆忌」が夏の季語か秋の季語かについては両説あるようで、よく分かりませんが)。
 これが講演タイトル「夏の線引き」の由来で、別々の季語となる方が、米国にとって、広島とはまた別個の必要性があって長崎への原爆投下がなされたということを表すのに相応しいと思った。

○1995年、戦後50年経ち、米国における情報公開の結果、トルーマン大統領の直筆日記も公開
され、その1945年7月18日の欄に、日本の天皇から平和を乞う電報が届いた旨の記載があることが分かった。
 7月の時点で、日本に抵抗する戦力が残っていないことは、米国中枢にとっては明白なことだった一般国民は別であるが)。

○8月6日に広島に投下された原爆にはウラン235が使われていたが、3日後に長崎に落とされた原爆
にはプルトニウム239が使われていた。米軍の「実験」のためにはどうしても「2か所」への投下が必要だった。

○マンハッタン計画には、米国民の知らない間に途方もない額の国家予算がつぎ込まれており(明らか
に連邦憲法違反)、この計画に関わった者には、何の目に見える「成果」もなく戦争が終わってしまうことは許されなかった。

○原発投下のおかげで多くの米軍兵士の命を救ったという「成果」を米国民にすり込むことに成功する
と、戦後は、ソ連との間の軍拡競争を続けることとなった。しかし、「核兵器」だけでは、普通の「生活者」(お母さんたち)にとって、何の「メリット」も実感することができなくなりつつあった。
 そこで、どうしても「新商品」を投入して目先を変える必要が生じ、コピーライターや大統領のスピーチライターが頭をひねったのが、1953年12月、国連総会で行われたアイゼンハワー大統領の演説で使われた「Atoms for Peace」であり、翌1954年、第五福竜丸事件で沸騰する日本の反核世論を沈静化させるため、日本政府が使ったキャッチフレーズが「原子力の平和利用」(もちろん、「Atoms for Peace」の焼き直し)だった。
 中曽根康弘が中心となって予算に盛り込まれた原子力関連予算の額は「2億3500万円」。これは、 「ウラン235」の語呂合わせであることは疑いない。

○米国は、原子力に関して4つの大きな「詐欺」を行ってきた。
第1 広島、長崎への原爆投下が、日本を降伏させるための「やむを得ないものであった」という詐
第2 1947年の行政改革で、「戦争省」を「国防総省」に変更したのをはじめ、行政組織の中か「war」という概念を消してしまうという詐欺(以降、米国は様々な「戦争」をしているにもかかわず、「宣戦布告」したことはない)。
第3 1953年 アイゼンハワーが使った「Atoms for Peace」という詐欺
第4 原子力発電は、(発電時に)二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギーであるという詐

○福島県を原子力発電所から排出される放射性廃棄物の最終処分場にしようという計画が公表さ
れる前に、これを阻止するための市民運動を組織しなければならない。

 会場では、ビナードさんの著作が販売され、講演後サイン会も開かれました。私は、最新のエッセイ
集『亜米利加にも負ケズ』(日本経済新聞出版社)の他にもう一冊、米国の画家ベン・シャーンが、五福竜丸事件を題材に描き残した絵画を、ビナードさんが構成し、文章を書いた絵本『ここが家 ベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)も購入して読みました。2006年に発売された本で、第12回日本絵本賞を受賞したそうですが、素晴らしい本です。是非、一度読んでいただきたいと思います。特に、被曝後、米軍からの発見を免れるために無線を使わず、2週間かけて母港の焼津に無事たどり着き、被曝の証拠を持ち帰ったこと、そして、治療の甲斐なく無線長の久保山愛吉さんが亡くなるまで、まさにビナードさんの言われる「叙事詩」が簡潔に語られていきます。
ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸 [単行本]
著者:アーサー・ビナード
出版:集英社
(2006-09-26)
 
 「原爆」と「原発」の関係については、様々な考え方があるでしょう。アーサー・ビナードさんのように、両者を一体のものと考える見方が唯一のものと言う気はありません。
 しかし、ビナードさんが指摘されたような歴史的経緯を忘れてならないことは言うまでもありません。

 最後に、講演の前に松井和夫医師から「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」から呼びかけられ
ている「核兵器禁止条約」への積極的協力を求めるアピールがなされました。松井先生から、分かりやすいリーフレットを50部頂戴してきましたので、活用してくださる方は金原までご連絡ください。

(2013年7月6日追記)
 アーサー・ビナードさんの講演会が開かれてから2年、本日(2013年7月6日)午後2時30分から、和歌山市のプラザホープ4階ホールにおいて今年の核戦争防止和歌山県医師の会主催による平和講演会が開かれ、私も参加してきました。今年は、元NHKディレクターの馬場朝子さんによる講演「低線量汚染地域からの報告-チェルノブイリ26年後の健康被害」でしたが、上記リーフレットも配布されていました(ちなみに、もう50部はありませんが、私のところにも少し残っています)。