今晩(2013年10月16日)配信した「メルマガ金原No.1514」を転載します。

大逆事件と和歌山(予告12/8映画『100年の谺 大逆事件は生きている』上映)

 「和歌山県教育センター学びの丘」という組織が、和歌山県田辺市新庄町の「県
立情報交流センターBig・U」内にあります。「学校教職員の研修事業や授業改善等への取組、並びに教育に関する専門的及び技術的な調査研究を通じて指導及び支援を行うとともに、教育相談の充実や生涯学習の支援等により、学校教育や地域の振興を図る」ことを目的とする公的機関です。

 同サイトの中に、和歌山県教育委員会が作成した
「ふるさと教育副読本 わかやま発見」が掲載されたコーナーがあります。
 和歌山県民にとって、なかなか興味深い内容の「副読本」であり、機会を見てじっくりと読んでみたいと思いますが、私がこの「わかやま発見」にたどり着いたのは、かつて和歌山県田辺市(市政施行前は田辺町)から発行されていた新聞「牟婁新報」のことを調べていて、以下のページにたどり着いたことによります。
 
 
 少し長くなりますが、「牟婁新報」と「大逆事件」について分かりやすく説明されていますので引用します。

(引用開始)
社会主義思想と「牟婁新報」
 日露戦争に反対する声は,和歌山市でもキリスト教青年グループを中心に行われ
ています。日露戦争の勝利は,わが国の国民に大きな自信を与えましたが,多大の負担を強いることにもなりました。そういった世相を反映して,社会主義の思想もおこ
ってきました。
 毛利柴庵(もうりさいあん)が1900年に紀南の中心地田辺で発行した『牟婁新報
(むろしんぽう)』は,社会主義の考えをもった記事も書かれている新聞として,広く世に認められていきました。柴庵は,新しい仏教の考えを取り入れた社会主義の傾向のもち主でしたが,考え方の広い人でしたから,1905年に社会主義者の荒畑寒村(あらはたかんそん)が記者として田辺に招かれ,ついで管野(かんの)スガ(後に幸徳秋水の妻)も田辺に赴任すると,同紙はさらに激しい社会主義的主張をくり広げました。また,東京などの社会主義者たちとも交流が深かった,新宮の医師大石誠之助(おおいしせいのすけ)も,この『牟婁新報』の有力な投稿者の1人でした。
大逆事件と大石誠之助らの悲劇
 社会主義思想が田辺で最も盛んであったのが,荒畑寒村(あらはたかんそん)らが
活躍した1905~06年で,新宮で最も盛んになったのは1908年のことです。幸徳秋水がこの年の夏,新宮に大石をたずねています。大石は困っている人からは治療費をもらわないなど,「ドクトル(毒取る)さん」と親しまれていました。若者にも共感をよせていた大石の人柄をしたって,社会主義に関心をもつ青年たちが,大石のまわりに
集まり,さかんに論議しあいました。
 1910年,長野県で弾を持っている者が見つかり,天皇の暗殺を企てたとして,全
国で社会主義者の逮捕がつづきました。その中心者は,幸徳秋水ということにされました。世に大逆事件とよばれた事件ですが,このとき,大石を中心とする「紀州グループ」の人々6名も次々にとらえられていきました。そして,大石と成石平四郎(なるいしへいしろう)の2人が死刑,成石勘三郎(なるいしかんざぶろう)・高木顕明(たかぎけんみょう)らが無期懲役に処せられました。高木顕明は,新宮の浄泉寺(じょうせんじ)の住職で,貧困などで苦しんでいる人々の相談相手としてやさしく手をさしのべていました。そうしたことから,たくさんの人々からしたわれていました。また,成石勘三郎と平四郎の兄弟は請川(うけがわ)(田辺市)で将来を期待されていた青年
たちでした。
 この事件をきっかけに,日本では,特に社会主義者のとりしまりがたいへん厳しくな
りました。第二次世界大戦後,大逆事件にかかわる資料が次々と発見されてこの
事件の真相が明らかにされ,大石らは,全くの無実であったことがわかりました。
(引用終わり)

 以上に書かれているようなことは、かねてから大逆事件について調べてきた方、犠
牲者の顕彰活動に尽力してこられた方には「いまさら」という初歩的な事実に過ぎないと思いますが、大逆事件で死刑・無期懲役となった24名の内、実にその1/4たる6名が「紀州(熊野・新宮)グループ」であったということは、和歌山県民の間も決して「常識」ではありません。

 私自身、大逆事件に連座した者の中に新宮方面の人が複数存在したという知
識はうっすらとあったものの、大石誠之助らの名前については、同人を一種の「モデル」とした辻原登氏の小説『許されざる者』を読んだ際、少し調べて初めて認識したようなものでした。なお「読んだ」と言いましたが、より正確に言うと、用事があって私の中学時代の恩師を訪ねたところ、辻原氏の中学校の同級生であったその先生から『許されざる者』上下2巻本を「押し売り」されたというのが真相です(ちなみに、辻原氏も私の恩師も、私の中学校の先輩でもあります)。

 ところで、今さらながら、私が「牟婁新報」のことを調べてみようと思ったのは、大逆
事件で刑死した唯一の女性、管野スガ(須賀子とも)が田辺で発行されていた新聞(牟婁新報)で記者をしていたことがあるということを最近知ったことによります。
 そして、その事実を知ったのは、大逆事件により、幸徳秋水、大石誠之助、管野スガら12人が刑死(他に無期懲役に減軽されたものが12人、有期懲役が2人)した1911年から100年が経過したのを機に制作されたドキュメンタリー映画『100年の谺(こだま) 大逆事件は生きている』(2012年)の上映会が、私も呼びかけ人の1人に名前を連ね、来る12月8日(日)に和歌山市で開催されることになったのですが、その準備のために同作品のDVD試写会があった時でした。

 ここで、上記上映会への参加を呼びかける文章を引用します。

(引用開始)
        映画『100年の谺 大逆事件は生きている』上映協力のお願い

 1911年(明治44年)、幸徳秋水ら12名が絞首刑、12名が無期懲役に処せられ
た「大逆事件」は、大石誠之助ら熊野・新宮グループからも死刑2名、無期懲役4名を出すという、当地和歌山にも非常に深い関連を有する大事件であったばかりでなく、その後の日本が軍国主義の道を歩むこととなる歴史的な分岐点となった事件
です。
 「大逆事件」については、その後の研究により、国家によるフレームアップ事件であ
り、冤罪であったことが明らかとなってきています。
 和歌山においても、大石らの地元・新宮市では、「『大逆事件』の犠牲者を顕彰
する会」が2001年8月25日に結成され、同年9月、名誉回復と顕彰の決議が市議会全会一致で可決されました。また、本宮町(現田辺市)でも、「本宮町『大逆事件』犠牲者の名誉回復を実現する会」が2003年3月7日に発足、2004年11月、
同町議会で名誉回復と顕彰の決議が全会一致で可決されています。
 大逆事件100年を機に製作された映画『100年の谺 大逆事件は生きている』
(2012年)は、犠牲者たちが何を考え、何をしようとしていたかを明らかにしようとした非常に優れたドキュメンタリー映画です。時代背景が異なるとはいえ、現在まで根絶できない冤罪事件や、いよいよ閉塞感が強まる一方の社会の傾向を見つめ直
すきっかけともなり得る作品であると考え、和歌山市での上映会を企画しました。
 皆さまのお力を得て、1人でも多くの方に上映会にご参加いただきたいと存じます
ので、何卒よろしくお願い申しあげます。

◎日時 2013年12月8日(日)
      第1回上映 14時00分~15時30分
      第2回上映 18時00分~19時30分
◎会場 あいあいセンター6階(男女共生推進センター“みらい”)
      和歌山市小人町29
◎参加協力費  一般1000円 / 学生500円
◎主催 映画「100年の谺」を観る会
      (連絡先:電話073-451-5960/携帯090-5120-2451 松浦)

-私たちからも参加を呼びかけます-
【呼びかけ人】(あいうえお順・敬称略)
赤木俊之・内海洋一・烏野久子・貴志公一・金原徹雄・越野章史・琴浦龍彦・
西郷章・里崎正・城久道・竹内孝子・土みゆ子・道本みどり・中島俊之・花田惠子・
藤井幹雄・船山レイラ・古谷哲二・松浦雅代・松浦攸吉
(引用終わり)

(参考)
映画予告編
  

 上映会の趣旨自体については、上記の呼びかけ文に付け加えることはありません。
 ただ、個人的には、映画の中で、フランスの「ドレフュス事件」と文学者ゾラの出処進退との対比において、日本の文学者が「大逆事件」をどのように受け止めたかについて言及された部分に是非注目して欲しいと思っています。
 大逆事件に真正面から向き合った希有な(ほとんど唯一の)文学者・徳富健次郎(蘆花)の「天皇陛下に願ひ奉る」という文章がかねてから気になっていましたので。

(追記)
 徳富健次郎が、幸徳らの刑死から間もない1911年2月1日に第一高等学校で行った講演「謀叛論」の草稿を青空文庫で読むことができます。