今晩(2015年8月23日)配信した「メルマガ金原No.2191」を転載します、

自衛隊員を新たな戦没者にしてはなりません~「2015年 中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式 式辞」(曽我逸郎村長)を読む

 「国旗に一礼をしない村長」ということで名高くなってしまったことは、長野県上伊那郡中川村
曽我逸郎(そが・いつろう)村長にとって、あるいは不本意なことであったかもしれません。
 しかし、その後も、村民からの負託を受けて3期目の村長職を務めながら、自らの信念に基づく行動や意見の発信を積極的に続けておられるようです。
 もっぱら、同村公式サイトの中の「村長の部屋」の中の「村長からのメッセージ」を読んでの印象です
が。

 2013年2014年の中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式での村長式辞をブログでご紹介してきた私としては(末尾参照)、今年はどんな式辞を述べられたのだろうか?ということが気になり、読んでみました。
 何しろ、昨年の戦没者・戦争犠牲者追悼式が開かれたほぼ1ヶ月後に集団的自衛権行使を容認する閣議決定がなされ、そして、それを法制化するための安全保障関連法案が国会に上程されたわずか3週間後(6月4日)に開催された今年の中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式です。
 おそらく、厳しく安保法案を批判しているだろうなあと思って読み始めましたが、予想以上でした。全国様々な市町村で戦没者・戦争犠牲者追悼式が開かれたと思うのですが、ここまで踏み込んだ式辞をべ
た首長がはたして他にもいたのかどうか。
 この式辞を読んで、私は、2年前には曽我村長に激しく抗議を申し入れた中川村遺族会の人々は、今年の式辞をどういう思いで聞いていたのだろうか、ということが気になりました。
 「自衛隊員を新たな戦没者にしてはなりません。その家族を新たな遺族としてこの追悼式に迎え入れてもいけません。」という村長の言葉にうなずいてくれたでしょうか?

 私たちが安全保障関連法案を“戦争法案”と呼び、絶対に“平和安全法案”とは呼ばない理由を、周囲の人に説得的に説明しようとする際に、この曽我村長の式辞は非常に参考になると思いました。
 是非、ご一読ください。

(引用開始)
         2015年 中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式 式辞

 中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式を挙行いたしましたところ、ご多忙の中にも拘わらず、上伊那地方事
務所長様はじめ、ご来賓各位、ご遺族の皆様など、大勢の方々のご臨席を賜り、真にありがとうございます。

 敗戦から70年が経とうとする今、現実の戦争がどういうものであるのか、その実態を経験し記憶する人
の数はずいぶん少なくなってしまいました。夫や父親、兄弟を戦争で奪われ、頼りにすべき大黒柱を失って、つらく苦しい生活をなんとか乗り越えてこられた遺族の皆さんも、ご高齢になっておられます。今日に至るご遺族のご労苦はいかほどのものがあったことでしょう。また、将来の夢を奪われ、異国の地で、家族を残して死ななければならなかった兵士達は、どれほど悔しかったことでしょう。戦争の実態がどういうものか、戦争が何をもたらすのか、私たちはしっかりと引き継いでいかねばなりません。今年3月、村教育委員会から発行された冊子『終戦から七十年 平和への誓い』は、村に豊富に残る兵事資料をもとに、白木の箱でもどってきた兵士たちの村葬など、銃後の暮らしを紹介しています。しかしながら、そういう取り組みはあっても、日本全体としては、戦争の記憶は遠のいてしまっていると言わざるを得ません。

 このような状況において、戦争の悲惨さも愚かさも認識できない一部の「平和ボケ」の人たちが、日本
を、戦争をする、普通の、志のない、低俗な国にしようとしています。安倍首相は国会で、「後方支援だから攻撃されない」とか「攻撃されないように護衛される」あるいは「攻撃されたら活動を停止する」と答弁しました。しかし、補給を断つために兵站部隊を奇襲攻撃することは戦争の常道です。かつて日本軍は兵站をないがしろにした無謀な作戦で、おびただしい兵士たちを餓死、病死させました。またしても、兵站の実際を軽んじた現実離れの空想によって戦争が語られています。米国の国務長官を務めたキッシンジャー氏は、「軍事同盟は、抑止力として機能するよりも、どこかで起こった戦闘を瞬く間に同盟全体に広げる戦争導火線として機能する」と語ったそうです。集団的自衛権の行使は、自衛隊員を「気づいたら戦場に立っていた」という状況に置くことになります。国会でのやりとりを見ると、安倍首相は、ヤジを飛ばしたり、騒ぎ立てたり、冷静沈着さのかけらもありません。そんな人を最高指揮官として自衛隊の若者たちが戦場に送られようとしていることは、非常に心配です。与党政治家や外務省は、自衛隊員の命と身体を危険にさらすことによって、米国におもねているとしか思えません。

 このありさまを見れば、かつて米軍との戦いに駆り出され、飢えに苦しみ、病に倒れ、機銃掃射の中に
万歳突撃を強いられた兵士たちは、なにを思うでしょうか。「自分たちを戦わせた相手に、今度はこびを売って日本の若者たちを差し出すのか。こんなことになるなら、自分たちはなぜ死なねばならなかったのか。昔も今も、指導層が自分勝手でいい加減なことは、まったく変わるところがない。」そう考え、歯ぎしりをして悔しがることでしょう。
 自衛隊員を新たな戦没者にしてはなりません。その家族を新たな遺族としてこの追悼式に迎え入れてもいけません。自衛隊員だけではありません。今の戦争は、テロとの戦争と言われるように、戦場でだけ行われるわけではないのです。軽々しい発言で敵を作れば、私たちの普段の生活の場でことが起こされるか
もしれません。オリンピックだと浮かれている場合ではなくなるでしょう。
 仮想敵国をつくり軍事力にものを言わせてそれを抑え込もうとするのは大間違いです。そうではなくて、やはり、我々が憲法前文で誓ったとおり、日本だけでなく世界中のすべての人々が分け隔てなく、「ひ
としく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する」ことができるよう、「国家の名誉にかけ、全力をあげて…達成す」べく真剣に努力する。これこそが、先の戦争で犠牲にされた人たちの気持ちに応えることであるし、日本を誇れる国にすることです。私たちの平和な暮らしを守ることにもなると考えます。
 この努力を、この場におられる皆様とともに改めて誓い、中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式の式辞とします。

                    2015年6月4日  中川村長 曽我逸郎

(引用終わり)
 
(付記その1「良心的不服従と自治体の立ち位置」について)
 曽我逸郎村長による最近の「メッセージ」としては、上にご紹介した「2015年 中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式 式辞」の後にも、非常に注目すべき意見が掲載されていました。出来ればじっくりと検討したい内容ですが、今日のところは時間がないので、リンク先だけご紹介しておきます。
 
2015年6月21日
辺野古報告 良心的不服従と自治体の立ち位置
2015年7月17日
「主義主張のためなら法を犯しても構わないのか」への返信 Re:良心的不服従
※曽我村長への賛否の反応については、「村長への手紙」コーナーをご覧ください。

(付記その2「8/16 中川村 安保法案に反対する村民の集いとデモ」)
 長野県は、小さな村がたくさん生き残っており(和歌山県とはえらい違いだ)、安保法案に反対する村
民デモが全国的に報じられたりしています。そして、中川村でも、去る8月16日に村民の集いとデモが行われ、その動画を視聴することができます。しかも、当然かもしれませんが、先頭で横断幕を持つ4人のうちの1人が村長自身(向かって右から2人目)であるということが中川村らしいですね。5本分割のうちの4本しか見つかりませんでしたが、デモの動画をご紹介します。

2015年8月16日 中川村 もうだまってはいられない!安保法案に反対する村民の集いとデモ1/5


2015年8月16日 中川村 もうだまってはいられない! 安保法案に反対する村民の集いとデモ 2/5


2015年8月16日 中川村 もうだまってはいられない! 安保法案に反対する村民の集いとデモ 3/5

2015年8月16日 中川村 もうだまってはいられない! 安保法案に反対する村民の集いとデモ 4/5


(弁護士・金原徹雄のブログから)
2012年6月20日(2013年2月4日にブログで再配信)
曽我逸郎中川村村長(長野県)からのメッセージ
2013年12月13日
戦没者・戦争犠牲者はどのように追悼すべきか?(長野県中川村の場合)
2014年6月17日
「2014年 中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式 式辞」で語られたこと