今晩(2016年4月26日)配信した「メルマガ金原No.2438」を転載します。

予告6/11映画『放射線を浴びたX年後』2部作一挙上映と伊東英朗監督講演会へのお誘い(核戦争防止和歌山県医師の会)

 核戦争防止和歌山県医師の会は、「毎年の総会の折りに講演会を開き、広く一般市民の皆様にも呼びかけ、平和の問題・核廃絶の問題を一緒に考える機会としています」(今年の「映画上映と平和講演会のご案内」から)。

 私も過去何度か参加させていただきましたが、最も印象に残っているのは、2011年7月9日に行われた詩人のアーサー・ビナードさんの講演会「夏の線引き─アメリカからピカドンを見つめて─」でした。
 その講演会のことを書いた私のメルマガ(後にブログに転載)を読み返していて思い出したのですが、その日会場で、米国の画家ベン・シャーンが、第五福竜丸事件を題材に描き残した絵画をビナードさんが構成し、文章を書いた絵本『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』(集英社)を購入し、ビナードさんにサインしていただいたのでした。

 この2006年に発売された絵本は素晴らしい本です。
 とはいえ、今この本は私の手元にありません。3.11直後、福島県から和歌山県に避難していた女性の息子さんの中学進学祝いにプレゼントしたからです。
 彼は今カナダで元気にしているようですが、『ここが家だ ベン・シャーンの第五福竜丸』は、新たな読み手のもとへ旅立っているでしょうか?

 さて今年も、核戦争防止和歌山県医師の会から平和講演会のお知らせが届きました。それは、上にご紹介したベン・シャーン画/アーサー・ビナード文の絵本の素材とも密接な関連のある企画なのです。しかも、ただの講演会ではありません。まず長編ドキュメンタリー映画を2本観た上で、その監督の講演に耳を傾けてもらおうという、欲張ったというか何というか、トータル4時間半の大型企画です。

 映画は、愛媛県を放送対象地域とする南海放送という地方局が、NNNドキュメント枠のために制作したドキュメンタリー番組を基に劇場用映画として公開した『放射線を浴びたX年後』(2012年)と、その続編というべき『放射線を浴びたX年後2』(2015年)です。ちなみに、「X」は数字ではなく「エックス」と読みます。

 映画そのものは未見ながら、予告編を観たり、公式ホームページを読んだりしたところでは、「広島、長崎の後、被爆したのは第五福竜丸だけではなかった」そして「多くの人々が被爆した事実は国家によって隠蔽された」という重いテーマを時間をかけてじっくりと追いかけて作り上げた作品のようです。
 まずは、チラシの表面に記載された情報を転記します。

チラシ表面記載情報から引用開始)
2016年 平和講演会と映画上映
放射線を浴びた年後
これは、遠い時代・遠い場所の話ではなく私たちの「X年後」の物語である

1956年アメリカが行ったビキニ水爆実験で第五福竜丸以外にも多くの日本の漁船と乗組員が被爆していた。消し去られ、歴史から葬り去られようとした被ばくの実相を高知県で地道に調査し続けた教師と高校生の足跡をたどった「X年後Ⅰ」。
「私の父は、なぜ死んだのか?」早死にした父の死に疑問を抱き、調査し始める娘。半世紀前の太平洋核実験で父は「被ばく」していた。私たちの未来に及ぼす核兵器の実相に迫る「X年後Ⅱ」。
平和と、核のない世界への思いを語って頂きます。

とき 2016年6月11日(土)午後1時~5時30分
ところ 男女共生推進センター6階ホール(和歌山市あいあいセンター)
      和歌山市小人町29 電話073-432-4704
参加費無料 

映画上映と講演会
①「放射線を浴びたX年後 Ⅰ」 午後1時~2時30分
②「放射線を浴びたX年後 Ⅱ」 午後2時45分~4時15分
③ 講演会 午後4時20分~5時20分
 講師 伊東英朗監督(南海放送ディレクター)
プロフィール
 南海放送ディレクター。1960年愛媛県生まれ。1993年からビデオアーティストとして、バンクーバー国際映画祭、ベルリンビデオフェスト、イギリス短編映画祭など海外映画祭で招待上映を重ねる。2004年から取材を始めた太平洋核実験による被ばく問題では、『わしも死の海におった』で、「『地方の時代』映像祭」グランプリ、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞。映画『放射線を浴びたX年後』は2012年の全国公開から多大な反響を呼び、同年のキネマ旬報ベストテン入り、ギャラクシー賞報道活動部門大賞など、数多くの賞を受賞。

主催/核戦争防止和歌山県医師の会
連絡先/和歌山市八番丁11番地 日本生命八番丁ビル8階 
       和歌山県保険医協会内 TEL:073-436-3766
(引用終わり)

 なお、映画公式サイトによれば、第1作は『放射線を浴びたX年後』、第2作は『放射線を浴びたX年後2』と表記するのが正しいようです。
 ここで、2本の予告編を観ていただきましょう。
 
映画「~放射線を浴びた~X年後」 予告編


映画「放射線を浴びたX年後2」予告編(90秒ver.)


 核戦争防止和歌山県医師の会から届いたチラシの裏面には、左側に第1作の、右側に第2作の、広告用チラシからそのまま転用されたと思われる内容が印刷されていますが、これを一々転記する訳にもいきませんので、詳しく知りたい方は、映画の公式サイトをご覧ください。非常にコンテンツが充実しています(一部のみ紹介します)。

【第1作 ストーリー】
「1954年アメリカが行ったビキニ水爆実験。当時、多くの日本の漁船が同じ海で操業していた。にもかかわらず、第五福龍丸以外の「被ばく」は、人々の記憶、そして歴史からもなぜか消し去られていった。闇に葬られようとしていたその重大事件に光をあてたのは、高知県の港町で地道な調査を続けた教師や高校生たちだった。その足跡を丹念にたどったあるローカル局のTVマンの8年にわたる長期取材のなかで、次々に明らかになっていく船員たちの衝撃的なその後…。そして、ついにたどり着いた、 "機密文書"…そこには、日本にも及んだ深刻な汚染の記録があった―」
 
【第1作 制作者のことば】
「監督 伊東 英朗
 映画館での上映はもちろん、その後の小さな自主上映が調査などにつながって欲しい。それが僕の強くささやかな願いだ。事件はほぼ未解明なままだ。全国津々浦々にかつてマグロ船に乗った人がいる。生存していれば70歳台から80歳台。核実験は、太平洋だけとっても1954年から1962年まで続けられた。被害者の数は計り知れない。解明の第一歩となる被害の実態を調査し、救済の道筋をつけなければならない。小さな行動が積み重なれば光が見えてくると信じている。
 日本テレビ日笠プロデューサーには番組製作から映画化まで親身になってアドバイス頂いた。また、当時のマグロ漁をとらえた「荒海に生きる」、そして高校生たちの取り組みを記録した「ビキニの海は忘れない」などの映像によって、よりリアリティをもってビキニ事件の実相に迫ることができた。
 今、被ばく者たちは自らの死をもって被ばく事件のX年後を伝えている。僕らはそれを重く受け止め、事件を伝え続けなけれならない。
 人々が事件を知ることが、被ばく事件解明の一歩につながると信じている。」
 
【第2作 ストーリー】
「東京で広告代理店を経営する川口美砂さん、59歳。故郷である高知県室戸市で、映画『放射線を浴びたX年後』を観たことがきっかけで、元漁師だった父の早すぎる死に疑問を抱き始める。当時「酒の飲みすぎで早死にした」と言われた父。本当にそうなのだろうか?高知県室戸市出身の漫画家、和気一作さん(本名:大黒正仁。代表作「女帝」など)もまた、映画との出会いがきっかけとなって父の死に疑問を抱く。愛する父への強い思いが、二人を動かし始める。
 一方、取材チームは放射線防護学の専門家と共に、1950年代当時、雨水の中に高い放射性物質が測定された沖縄、京都、山形を訪れ、独自に土壌調査をおこなう。民家の床板を外し、半世紀ぶりに現れた土。遠く離れた太平洋でおこなわれた核実験の影響は、今も日本列島に影響を及ぼしているのだろうか?
 元漁師たちの証言、破られた船員手帳、厚労省への情報開示請求―。日本列島を揺るがした巨大被ばく事件から半世紀を経た今、決して消え去ることのない「被ばく」の傷跡が、徐々に明らかになる。」

【第2作 制作者のことば】
「監督 伊東英朗
 広島、長崎の原爆投下からわずか10ヶ月後、マグロの漁場で始められた核実験。繰り返される核実験で漁場は激しく汚染。第五福竜丸の被ばく発覚後、放射能検査が行われ、延べ992隻もの被ばく船が見つかったにもかかわらず、政府は「すでに測定の必要がない」とし、その年の12月、わずか10か月で検査を打ち切った。『直ちに健康に影響がでない』ため、人々は少しずつ事件を忘れていった。10年後には東京オリンピックが開催され、日本は、さらに上を向いて歩み始めた。いつしか、事件は完全に忘れられ、「第五福竜丸」と「髪の毛がぬける」という言葉だけが脳裏に刻まれた。
 そして第五福竜丸の事件から57年後の2011年3月。福島で原発事故が起こり、放射能検査が始まった。そして12月、安全宣言がされた。事故からもうすぐ5年。放射能の影響があいまいなままだ。「いつまでも、悲しいことを考え続けるのはやめよう。前向きに生きようじゃないか」という声が聞こえてくる。奇しくも事故から9年後となる2020年、東京オリンピック・パラリンピックが開催される。ビキニ事件では、半世紀後、事件の記憶はほぼ消えていた。いま、新たなX年後に向けてカウントダウンが始まっている。半世紀後、日本人は、何を覚えているのだろうか。そしてその時、人体に何が起こっているのだろうか。
 36歳で亡くなった川口さんの父親や、45歳で亡くなった和気(大黒)さんの父親が受けた被ばくを医学的に裏付けることは難しい。しかし人体に重大な危害を加える危険な物質が蔓延する中で操業を続けたことは、船員手帳と厚生省の文書をつき合わせば事実であることは分かる。
 この事件に限らず、被ばく事件においては、被害者が『被ばくしていること』証明しなければならない。なんという矛盾だろう。本来ならば、加害側に立つ者が、激しく放射能汚染した漁場で働き、早く亡くなった乗組員の死が、100パーセント放射能によるものではないことを医学的に証明し、被害者や遺族に伝えるべきだろう。想像を絶する量の放射線を生み出し、アメリカ本土や日本列島が放射能汚染していることを、少なくとも1952年には把握しながら実験を続けた責任は重い。 
 2004年に前作『放射線を浴びたX年後』のための取材を開始してから12年。これまで多くの方々に支えられて、ここまで来ることができた。これまで自分が倒れるまで一生追い続けていくものだ、と覚悟を決め、取材を続けてきた。『放射線を浴びたX年後2』が完成した今、ますますその思いは強くなっている。僕の旅はまだ終わっていない。これからも被災者と共にありたい。
 何があっても諦めないぞ!」
 
 充実したインタビュー記事を掲載する週刊通販生活ですが、やはり第1作公開時も第2作公開時も、伊東英朗監督のインタビューを掲載していました。
 
『放射線を浴びたX年後 2』監督・伊東英朗さんインタビュー

 映画公式サイトの「制作者のことば」や週刊通販生活のインタビューを読むにつれ、監督の伊東秀朗さんの、この映画にかけた思いというのはただごとではないと感じられると思います。どうやら、伊東さんにとって映画を作ることは、あくまで手段であって、目的ではないようなのです。
 その目的とは何か?については、6月11日の講演で是非直接お話をうかがうべきなのでしょうが、最後に、昨年OurPlanet-TVの白石草さんが伊東監督にインタビューした動画をご紹介します。
 和歌山県も、マグロ漁と無縁どころではないにもかかわらず、いかにして被爆の記憶が消されていったのか、これは私たち自身の問題なのですね。
 
封印された「被ばく」の記憶を解く~映画「X年後2」(16分10秒)


(参考書籍)


(付記)
 実は、6月11日(土)の午後というのは、先日(3月27日)和歌山で初めて行われたサウンドデモの第2弾実施日として候補にあがっているらしいのですよね。まいったなあ。この映画2部作上映と伊東監督講演会は、「被ばく(被爆・被曝)」について関心を持つ人たちにとっては、絶対に逸することのできない企画なんだけど。

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