今晩(2016年5月8日)配信した「メルマガ金原No.2450」を転載します。

中川五郎さんの新曲“Sports for tomorrow”をじっくりと聴く

 今日(5月8日)、放送大学和歌山学習センターでの面接授業「江戸期、城下町世界の社会史」(藤本清二郎和歌山大学名誉教授)の2日目を終え、その充実した内容に感銘を受け、日程が合えば是非第2学期も藤本先生の面接授業を受講したいものだと思いながら事務所に立ち寄り、今晩のブログの下書きを書き終えてメールで自宅に送信した・・・つもりで帰宅したのですが、何と届いていない!
 帰りを急いでいたので「送信したつもり」になっていたようです。
 さてどうしよう?と考えた結果、昨日書いたメルマガ(ブログ)「小林節さんGWも駆け回る~5/14は和歌山市民会館大ホール(付・5/7岡山弁護士会のイベントは凄かった~中川五郎さんの“新曲”にも注目!)」から、「中川五郎さんの“新曲”」をスピンオフさせることにしました。

 昨日(5月7日)、岡山シンフォニーホール大ホール(キャパ2,001席)に、満員に近い参加者が集まって大成功した岡山弁護士会主催による憲法記念県民集会「危機に立つ立憲主義―安保法廃止を目指して―」において、第1部、小林節さん(慶應義塾大学名誉教授)の講演に引き続いて行われた制服向上委員会と中川五郎さんのライブ(PANTAさんや橋本美香さんも登場)で披露された中川さんの新曲が“Sports for tomorrow”という曲でした。
 私がこの曲の存在を知ったのは、5月1日付の中川五郎さんのFacebookへの投稿によってでした。

(引用開始)
大嘘つきの安倍首相の言葉に曲をつけました。作詞安倍晋三、作曲中川五郎です。題して『Sports for tomorrow』。今日のライブで歌います。首相官邸のページの言葉に曲をつけるなんて思ってもみなかった。
(引用終わり)

 その「首相官邸の言葉」というのは以下のようなものでした。読み返すのもばかばかしいスピーチですが、そのばかばかしさを忘れぬために、日本国民は何度でも読み返すべきでしょう。・・・という風に中川五郎さんも思ったのだと推測します。
 以下に日本語訳の全文を引用します。
 それにしてもひどい。史上最低のスピーチライターの業績として後世に残ることは間違いありません。
 
(日本語訳)
 委員長、ならびにIOC委員の皆様、東京で、この今も、そして2020年を迎えても世界有数の安全な都市、東京で大会を開けますならば、それは私どもにとってこのうえない名誉となるでありましょう。
 フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。
 さらに申し上げます。ほかの、どんな競技場とも似ていない真新しいスタジアムから、確かな財政措置に至るまで、2020年東京大会は、その確実な実行が、確証されたものとなります。

 けれども私は本日、もっとはるかに重要な、あるメッセージを携えてまいりました。
 それは、私ども日本人こそは、オリンピック運動を、真に信奉する者たちだということであります。
 この私にしてからが、ひとつの好例です。
 私が大学に入ったのは、1973年、そして始めたのが、アーチェリーでした。一体どうしてだったか、おわかりでしょうか。
 その前の年、ミュンヘンで、オリンピックの歴史では久方ぶりに、アーチェリーが、オリンピック競技として復活したということがあったのです。
 つまり私のオリンピックへの愛たるや、そのとき、すでに確固たるものだった。それが、窺えるわけであります。
 いまも、こうして目を瞑りますと、1964年東京大会開会式の情景が、まざまざと蘇ります。
 いっせいに放たれた、何千という鳩。紺碧の空高く、5つのジェット機が描いた五輪の輪。何もかも、わずか10歳だった私の、目を見張らせるものでした。
 スポーツこそは、世界をつなぐ。そして万人に、等しい機会を与えるものがスポーツであると、私たちは学びました。
 オリンピックの遺産とは、建築物ばかりをいうのではない。国家を挙げて推進した、あれこれのプロジェクトのことだけいうのでもなくて、それは、グローバルなビジョンをもつことだ、そして、人間への投資をすることだと、オリンピックの精神は私たちに教えました。
 だからこそ、その翌年です。日本は、ボランティアの組織を拵えました。広く、遠くへと、スポーツのメッセージを送り届ける仕事に乗り出したのです。
 以来、3000人にも及ぶ日本の若者が、スポーツのインストラクターとして働きます。赴任した先の国は、80を超える数に上ります。
 働きを通じ、100万を超す人々の、心の琴線に触れたのです。
 敬愛するIOC委員の皆様に申し上げます。
 2020年に東京を選ぶとは、オリンピック運動の、ひとつの新しい、力強い推進力を選ぶことを意味します。
 なぜならば、我々が実施しようとしている「スポーツ・フォー・トゥモロー」という新しいプランのもと、日本の若者は、もっとたくさん、世界へ出て行くからです。
 学校をつくる手助けをするでしょう。スポーツの道具を、提供するでしょう。
体育のカリキュラムを、生み出すお手伝いをすることでしょう。
 やがて、オリンピックの聖火が2020年に東京へやってくるころまでには、彼らはスポーツの悦びを、100を超す国々で、1000万になんなんとする人々へ、直接届けているはずなのです。
 きょう、東京を選ぶということ。それはオリンピック運動の信奉者を、情熱と、誇りに満ち、強固な信奉者を、選ぶことにほかなりません。スポーツの力によって、世界をより良い場所にせんとするためIOCとともに働くことを、強くこいねがう、そういう国を選ぶことを意味するのです。
 みなさんと働く準備が、私たちにはできています。
 有難うございました。
(引用終わり)

 さて、IWJ岡山チャンネル1によって中継されたライブのアーカイブ映像の47分~で“Sports for tomorrow”を視聴することができます。歌詞を書き出しても、中川五郎さんから文句は出ないでしょう(首相官邸は分かりませんが)。
 もっとも、この曲の作詞者って誰だろう?中川さんの言にもかかわらず、一応「作詞・作曲:中川五郎」としておきます。
 なお、歌詞書き出しの文字使いは当然私(金原)の判断によるものであり、聞き間違いという可能性もあることをお断りします。

♪(歌詞書き出し)
“Sports for tomorrow” 作詞・作曲:中川五郎
 
ウエルカム・トゥ・東京  ウエルカム・トゥ・東京
ドント・ウォリー・アバウト福島 ドント・ウォリー・アバウト福島
私が保証いたします
状況はアンダー・コントロール
 
ウエルカム・トゥ・東京  ウエルカム・トゥ・東京
ドント・ウォリー・アバウト福島 ドント・ウォリー・アバウト福島
私が保証します
状況はアンダー・コントロール

これまでも 今後も
東京には いかなる悪影響もなし

ウエルカム・トゥ・東京  ウエルカム・トゥ・東京
ドント・ウォリー・アバウト福島 ドント・ウォリー・アバウト福島
世界有数 安全な都市 東京
真新しいスタジアム 確かな財政措置

スポーツ・フォー・トゥモロー スポーツ・フォー・トゥモロー
スポーツ・フォー・トゥモロー スポーツ・フォー・トゥモロー
スポーツは万人に 等しい機会を与え
スポーツこそは 世界を繋げる

1964(いちきゅうろくよん) 東京オリンピック
国家的な推進 立派な建物も残った
でもそれだけじゃない オリンピック精神が教えてくれたもの
グローバルなビジョンを持つことに 人間に投資すること

2020年まで 100を超える国
1000万人にお届けしましょう スポーツの道具
学校も作りましょう
スポーツで世界は よりよい場所に

ウエルカム・トゥ・東京  ウエルカム・トゥ・東京
ドント・ウォリー・アバウト福島 ドント・ウォリー・アバウト福島
情熱と誇りに満ちた オリンピックの信奉者 東京
福島のことは ひとまず忘れましょう

ウエルカム・トゥ・東京  ウエルカム・トゥ・東京
ドント・ウォリー・アバウト福島 ドント・ウォリー・アバウト福島
情熱と誇りに満ちた オリンピックの信奉者 東京
福島のことは このまま忘れましょう

ウエルカム・トゥ・東京  ウエルカム・トゥ・東京
ドント・ウォリー・アバウト福島 ドント・ウォリー・アバウト福島
情熱と誇りに満ちた オリンピックの信奉者 東京
福島のことは 今はもうあってない
福島のことは 今はもうあってねえ
福島のことは 今はもうあってね
福島のことより 今はもうアテネ

※当初の書き出しに一部誤りがあることを中川五郎さんご本人から(Facebookを通じて)ご指摘いただきましたので、訂正しました。

(参考動画)
 昨日の岡山弁護士会のイベント全体(小林節さんの講演や閉会後の安保法廃止を求めるパレードを含む)の動画こちらから。
(弁護士・金原徹雄のブログから)
2012年8月22日(2013年2月11日に再配信)
中川五郎さんの新しい“We Sall Oercome”=『大きな壁が崩れる』
2012年9月25日(2013年2月3日に再配信)
『一台のリヤカーが立ち向かう』~彼は3.11前から3.11後を歌っていた~
2015年1月2日
中川五郎さんは問いかける~“ああ どうすれば男の耳を傾けさせられるのか”


(付録)
『腰まで泥まみれ』 作詞・作曲:ピート・シーガー 日本語詞・演奏:中川五郎