今晩(2017年2月14日)配信した「メルマガ金原No.2723」を転載します。

司法に安保法制の違憲を訴える意義(10)~東京地裁「女の会」訴訟(第1回口頭弁論)における原告・原告代理人による意見陳述

 2016年8月15日、全国の女性106人が原告となり、違憲な安保法制の制定によって被った損害の賠償を求め、東京地方裁判所に国家賠償請求訴訟を提起しました。いわゆる「女の会」訴訟です。
 その第1回口頭弁論が、去る2月10日(金)午後3時から、東京地方裁判所103号法廷で開かれました。当日は、原告代理人2名(中野麻美、角田由紀子両弁護士)と原告2名(池田恵理子さん、高里鈴代さん)による意見陳述が行われましたが、その陳述用原稿を本メルマガ(ブログ)に転載するご許可をいただきましたのでご紹介します。是非1人でも多くの方にお読みいただきたいと思います。

 ご案内のとおり、東京地裁には、既に「安保法制違憲訴訟の会」による差止訴訟と国賠訴訟が提起(2016年4月26日提訴)されており、その他にも、全国各地で多くの違憲訴訟が提起されています。もちろん、それらの訴訟には数多くの女性が参加されています。
 それにもかかわらず、何故女性だけの訴訟提起が必要だったのか?について、疑問を持たれる方がおられるかもしれません。
 幸い、第1回口頭弁論前に発行された「違憲訴訟の会ニュース 第3号(2017年1月25日発行)」に、安保法違憲訴訟「女の会」事務局・亀永能布子さんによる文章が掲載されていましたので、その一部を引用させていただきます。

女たちの安保法制違憲訴訟 2 月10日、第1回口頭弁論 
傍聴へのご支援をお願いします

(抜粋引用開始)
(略)
 
私たちが女性たちだけで違憲訴訟を起こした理由の一端が、この裁判長の態度に示されています。国の違憲・違法な新安保法制の制定・施行によって、憲法に保障された私たちの権利が侵害されました。その権利とは、憲法制定権・平和的生存権・人格権ですが、特に、私たちの裁判では、法の成立過程でも、法の内容においても、女性の代表権が奪われ、女性の権利が侵害されたと訴えています。
 女性にとって、戦争は特別な影響と被害をもたらします。戦争は女性の身体と性を道具にします。戦時性暴力(日本軍「慰安婦」制度)や、今なお世界の戦争で支配の手段として行われている女性への集団レイプ、米軍基地周辺で繰り返される女性に対する性暴力犯罪や殺人事件。女性に対する暴力は、戦争・軍隊と一体化してその装置として組み込まれています。それだけではありません。戦時体制への国民の動員は、過去に経験したように、性別役割分業と家父長制による女性支配を強めます。しかし、国会では、女性にかかわる問題は一切審議されませんでした。唯一、女性と子どもが登場したのは、安倍首相が、アメリカの軍艦に女性と子どもが乗っているフリップを使って、「日本の女性と子どもを守るために自衛隊が米艦船を護衛しなければならない」と、強弁した時だけです。これは嘘で、アメリカの軍艦が他国の民間人を乗せて救護することはありえません。安倍首相は、戦争加担を正当化するために、女性と子どもを利用したのです。
 「女・子どもを守るために」という論理は、たとえば、沖縄戦で起きた悲惨な「集団自決」が「生きて米軍の捕虜になれば女は強かんされ殺される」と住民を脅し、「玉砕」に追い込んだ構造と同じものであることを思い起こさねばなりません。
 また、私たちはこの裁判で、「武力による紛争解決モデル」が社会的に承認されることによって暴力と差別が蔓延し、平和と民主主義、基本的人権の尊重という憲法で守られた生活の土台が掘り崩されていくことも訴えていきます。みなさまのご支援と、第1回口頭弁論の傍聴をよろしくお願いします。

(引用終わり)

 私がこれに付け加えることはありません。ただ、引用部分の冒頭で「この裁判長の態度」と述べられた内容を知りたい方は、リンク先で原文をお読みください。裁判官も口が滑るということはあるでしょうが、それも元来の心掛けが自然に発露するものですからね。
 もっとも、報告集会冒頭での中野麻美弁護士の報告によると、事前協議から第1回弁論までの間に裁判長が交代したようです(事前協議での不適切発言が交代の原因か否かは不明です)。
 なお、その中野弁護士の報告で語られた(法廷でも陳述された)キャッチフレーズ「平和なくして男女平等なし 男女平等なくして平和なし」が端的にこの訴訟の意義を語っていることを申し添えます。

 当日、裁判終了後に行われた記者会見と報告集会の模様については、UPLANによって動画がアップされていますのでご紹介します。

20170210 UPLAN【記者会見・報告集会】女たちの安保法制違憲訴訟(1時間32分)


冒頭~ 開廷前の東京地裁前街頭宣伝
5分~ 第1回口頭弁論終了後の記者会見

 6分~ 中野麻美弁護士
 9分~ 原告・池田恵理子さん(元NHKディレクター)
 14分~ 原告・高里鈴代さん(元那覇市議会議員)
 17分~ 角田由紀子弁護士
 19分~ 経過報告
 20分~ 質疑応答
32分~ 報告集会
 33分~ 第1回口頭弁論の報告 中野麻美弁護士
 44分~ 原告・福島瑞穂さん(弁護士、参議院議員)
 47分~ 原告・池田恵理子さん
 54分~ 原告・高里鈴代さん
 1時間07分~ 角田由紀子弁護士
 1時間14分~ 全国の訴訟の取組から 杉浦ひとみ弁護士
 1時間22分~ 質疑応答
 

原告ら代理人 弁護士 中野麻美

1「平和なくして男女平等なし」「男女平等なくして平和なし」
 これは、女性の参政権と地位向上に尽力した市川房枝が先の戦争から得た教訓です。
 日本国憲法は、個人の尊厳のうえに差別のない社会を実現することを国家の使命とし、軍隊をもたず戦争を放棄することを誓いました。この憲法をもったことは、原告らの誇りであり、粉骨砕身、差別や暴力のなかから人生を切り開き、行動する支えになってきたものでした。

2 戦争は人間を目的化・道具化・序列化します。個人こそ社会の主人公であって、自由にして平等であるという基本原理にたったときには、戦争は放棄されるべきです。また、戦争と軍隊は、女性の性を道具として支配の対象にしてきました。憲法が男女平等の本質的かつ普遍的な権利を保障する以上、戦争放棄条項も永久普遍の原理として守られるべきものです。

3 私たちがこの訴訟で問題にしている安全保障法制は、その制定過程から重大な憲法違反を重ねるものでした。
 憲法学者のほとんど全員が憲法違反だというのに、政府は、これまでの解釈をクーデタのように変えてこの法律を国会に上程し、武力による紛争解決を法的に承認してしまいました。
 世論が注目する国会などの場面では、何度も「女性と子どもを護る」というフリップを用いて武力行使の必要性を説明し、家父長制と戦争の正当性を繰り返し人々にイメージさせました。
 世界各地で、女性に対する性暴力・性虐待が戦争の手段にされたくさんの人たちを傷つけています。日本軍性奴隷制や米軍による性暴力がいまだに女性たちを傷つけていて、戦争は終わっていないのです。そして、戦争の正当化が日常の生活における女性に対する暴力や差別を強化することが告発されてきました。
 安全保障法制は、生活のあらゆる場面において女性の権利を脅かします。
 それなのに、これらのことは何一つとして議論・検討されないまま、この法律は強行採決されました。いったい、どうしてそれが「積極的安全保障」に資するもので、「国民の人権を守る」ことになるのか、国際紛争への軍事介入や日本の軍事化は女性たちの人権を侵害するものではないのか、私たちはきちんとした説明を受けていないのです。
 にもかかわらず数を頼んでこの法律を強行採決するのは、デモクラシーの理念の否定であると同時に、女性たちの政治的権利を否定するものです。

4 立法やその制定過程が憲法に違反し、正当性もなく、民主的代表制を完全に無視して制定されたとき、そのような法律は廃止されるべきであり、この国と社会の主人公としてその効力を認めるわけにはいきません。立法府と異なる立場からそれを判断するのが裁判所に与えられた使命です。裁判の公開の原則のもとに立法過程をすべて明らかにし、検証しなければならず、私たちにはそれを求める権利があります。
 被告国は、私たちの主張は、単なる不安や危惧を抽象的に述べるにとどまるものであるから国賠法上の要件を満たさないといっています。そして、安保法制の違法性を裏付ける重要な事実について、「認否に値しない」として回答を拒否しています。このような姿勢は、国民から信託を受けた政府の対応としても、訴訟当事者としても許されるべきではありません。

5 原告ら各人の権利侵害はそれぞれ多様です。そして、政府や国会議員の違法行為は、既に原告らそれぞれの権利利益を現実に侵害しています。被告国には、このような訴訟態度を直ちに撤回してきちんと認否反論して証拠を提出するよう求めます。また裁判所には、違憲審査権を行使するにふさわしく、訴訟指揮権を行使されるよう強く求めるものです。
                                        以上
 

原告 池田恵理子

 私は1950年、大空襲で多数の犠牲者を出した東京・江東区に生まれ育ち、高校時代にはベトナム戦争での惨たらしい戦場報道に接して戦争は絶対嫌だと思ってきました。中国に出征した父に戦争体験を聞いても、住民虐殺や強かんには沈黙するだけだったので、「加害兵士の娘である私」を自覚するようにもなりました。1973年にNHKのディレクターになってからは、大空襲や原爆、中国残留孤児など、戦争体験を語り継ぐ番組を数多く作りました。「慰安婦」の番組も1991年から96年までに8本は作りましたが、97年以降は企画が全く通らなくなり、一市民として「慰安婦」被害者や元兵士の証言を記録する活動を始めました。「慰安婦」制度を裁いた2000年の女性国際戦犯法廷には主催団体の一員として取り組み、2010年にNHKを定年退職した後は、日本で唯一の「慰安婦」資料館、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)の館長となって今に至っています。
 こうした経験から、憲法改正をライフワークと公言する安倍晋三首相が、日本を「普通に戦争ができる国」にしようと強行した安保法制の制定・施行を許すことができません。首相はこの20年余り、「慰安婦」の記録と記憶を抹殺しようと躍起になってきました。これは、戦争と性暴力をなくすために勇気をふるって凄惨な被害体験を語ってくれた女性たちを再び傷つけるものです。

●日本軍は戦争中、アジア各地に慰安所を作りましたが、そのきっかけは日本兵の強かんが頻発した南京大虐殺でした。慰安所は強かん防止と性病予防のため中国各地に設置され、戦域が東南アジアに広がると、現地女性を拉致・監禁・輪かんする「強かん所」も増え続けました。しかし厳しい報道規制によって慰安所の存在は国民には知らされず、敗戦直前には戦犯裁判を恐れた軍上層部が関連文書を焼却させました。兵士たちは「慰安婦」を“戦場の売春婦”と思い込まされ、加害の意識はありませんでした。
 「慰安婦」制度が性奴隷制であり、女性への人権侵害で重大な戦争犯罪だと知られるようになったのは、1991年に韓国の金学順さんが名乗り出てからです。彼女は日本政府が「慰安婦は民間業者が連れ歩いた」と答弁したことに憤り、立ちあがりました。それを機に、韓国、フィリピン、中国、台湾、オランダなど各国の女性が名乗り出て、日本政府に謝罪と賠償を求める裁判を起こしました。これら10件の裁判は最高裁で原告敗訴となりましたが、8件の裁判では事実認定がされています。また審理過程で綿密な聞き取りや資料発掘が行われ、「慰安婦」制度の実態と全貌がわかってきました。
 この事実は国際社会に大きな衝撃を与えます。旧ユーゴやルワンダでの集団強かんが問題となった時代です。1993年の国連の世界人権会議は「女性に対する暴力は人権侵害」と決議し、国連総会では「女性への暴力撤廃宣言」を採択しました。
 対応を迫られた日本政府は「慰安婦」調査を行い、93年には河野官房長官が「慰安婦」の強制を認めてお詫びと反省を発表しました。しかし政府は「法的責任はない」と「賠償」は行わず、国民からの募金で「女性のためのアジア平和国民基金」を推進したので、被害女性からは批判や受け取り拒否が起こりました。

●こうした国内外の動きに危機感をつのらせたのが、歴史修正主義の政治家やメディアでした。彼らは「慰安婦」を“戦場の売春婦”として、90年代後半から激しいバッシングに乗り出します。1997年度版の中学歴史教科書の全てに「慰安婦」が記述されたために教科書会社への攻撃が始まり、やがて教科書から「慰安婦」は削除され、2012年度版では遂にゼロになってしまいました。
 報道現場でも、90年代後半から「慰安婦」報道を抑える動きが強まりました。2000年の「女性法廷」を取り上げたNHKの番組が政治介入による改竄が暴露されて、その一端が明るみに出ました。「女性法廷」は右翼の猛攻撃を受けながら開催されましたが、各国から被害女性64人が参加し、海外メディアは95社、200名が取材に訪れて世界中に報じ、今では現代史に残る出来事となっています。ところが国内での報道は低調で、とりわけNHKが放送した「女性法廷」の番組は異常でした。法廷の起訴状も判決も主催団体もカットされ、出演者のコメントは脈絡なく編集され、「女性法廷」を否定するトーンになっていたのです。あまりのことに主催団体はNHKや制作会社を提訴したところ、その審理中にNHK職員の内部告発によって、安倍晋三官房副長官(当時)ら自民党の政治家たちの介入で、放送直前に番組が改竄されたことが明らかになりました。東京高裁では政治による番組改竄を認めて原告は勝訴、被告NHKらに200万円の賠償支払いを命じました。この事件は報道への政治介入が克明に暴かれた、放送史上稀にみる事件になりました。

●ここまで徹底して「慰安婦」がなきものにされるのは何故か。安倍首相は1993年に国会議員になってから一貫して、あの戦争は「アジア解放の正しい戦争」だったと言っています。しかし女性たちを性奴隷にした「慰安婦」制度は明らかな戦争犯罪であり、「正しい戦争」とは相いれません。そこで「慰安婦」は民間業者が連れ歩いたもので、日本軍に責任はなかったことにしたい…つまり日本軍が犯した加害事実に向き合う勇気がないのです。
 安倍首相は第1次安倍政権の時から「慰安婦の強制の証拠はない」と主張し続け、メディアは政権に同調して「慰安婦」を否定するか、報道を自粛してタブー扱いしてきました。2015年12月末に日韓両政府が「慰安婦」問題は「最終的・不可逆的解決」に達したとする日韓「合意」を発表し、日本のメディアの多くが「一件落着」と報じ、大方の世論もそう受け止めました。ところが、韓国の被害女性も世論も日本とは真逆で、日韓両政府への批判を強めており、この落差は大きくなるばかりです。このような日本国内の世論形成は、安倍首相たちが20年余りかけて「慰安婦」の報道と教育を管理・統制してきた結果だと言えましょう。
 昨年5月末には日本を含むアジア8ヵ国の民間団体がユネスコの世界記憶遺産に「日本軍『慰安婦』の声」の登録を共同申請しました。右派のメディアや日本政府はこの登録を阻止しようと、官「民」一体で取り組んでいます。日本の登録団体の中心にいるwamへの攻撃は激化し、爆破予告の脅迫状まで送られてきました。こうした不穏な動きは、安保法制下での出来事です。「慰安婦」問題を訴える輩は”敵“として攻撃してもいいのだ…と思う者たちがうごめき出したのです。

●安保法案をめぐる国会審議では、「慰安婦」制度に関する国連の勧告も、南スーダンやアフガニスタン、イラクなど紛争下での戦時性暴力についても、何ひとつ取り上げませんでした。私に参考人として意見を述べたり、公聴会で発言する機会を与えてほしかったと痛切に思います。国会審議で戦争遂行の装置だった「慰安婦」問題を議論できず、法案を廃案にできなかったことは、日本人としての戦後責任を果たせなかったという点で、慚愧の念に堪えません。「慰安婦」問題の真の解決を目指してきた被害女性や国内外の女たちの努力を無にすることだからです。
 私はジャーナリストとしての仕事も、「慰安婦」支援や資料館の運営に取り組んできたこれまでの人生も全て否定されたような衝撃と苦痛に襲われています。安保法制は、加害国だった日本がやってはならないことなのです。戦争と性暴力のない世界を築くためにも、違憲である安保法制を何としても廃止しなければなりません。
                                        以上
 

原告 高里鈴代

1 5歳で終戦を迎え、台湾から宮古島へ、そして那覇へ
 私は、現在76歳です。1940年に台湾で生まれました。父は東京農大卒業と同時に、台湾総督府農林省に勤務しました。私の家族は、米軍の爆撃を避けて防空壕で終戦を迎え、終戦の混乱の中をかいくぐって郷里の沖縄・宮古島に引き揚げてきました。そのとき私は5歳でした。
 私が小学校4年生の2学期に父の転職で那覇市に移りました。家庭の経済は、宮古島でそうであったように、那覇でも厳しく、母親の着物は下駄の鼻緒となって売られました。

2 フィリッピン留学が私の人生を決めた
 私は沖縄の短大卒業後、フィリッピン・マニラにあるハリス・メモリアル・大学へ留学しました。そこでの2年間が私の生き方を方向づけました。
 第1は、アジア・太平洋戦争で日本軍がフィリッピンの人々への残忍な戦争行為をした事実とそれが犠牲者に深い痛みをもたらしていたことを、現地の人々の口から繰り返し聞いて知ったことでした。
 もう1つは、クリスマス休暇で訪ねた友人の住んでいる町が、実は米軍基地の町であったことの衝撃でした。友人の町は、沖縄のコザに来ているのかと錯覚するほど、沖縄の基地の街そのものの姿でした。その街は、アジア最大の米海軍スービック基地のオロンガポ市でした。沖縄に基地があるのではなく、基地の一部に沖縄があると強く実感しました。

3 売春防止法の制定が遅れた背景
 本土では、1956年に売春防止法が制定されていたのですが、沖縄にはありませんでした。1967年に、本土で売防法制定のために奔走していた矯風会の高橋喜久江さんが、沖縄での売防法成立の遅れを調査するために、来沖されました。私は高橋さんに同行し、沖縄の現状を学びました。立法院議会へ再三の立法要請がなされても、法律が成立しなかったのには2つ理由がありました。
 第1は、もし、売防法が成立したら、米軍兵士たちの暴力のはけ口は、かつてのようにまた地域社会に戻って来るのではないかという恐れが、議員たち及び地域社会の中に強くあったということでした。軍事支配を背景に、そこでは圧倒的なむき出しの暴力が日常的に存在していたのです。日本の敗戦により、沖縄の女性の身体は米軍兵士たちに文字通り踏み荒らされ続けてきたのです。米兵の容赦ない暴力から一般の人が逃れるために、沖縄に集娼地区が作られたのです。これが廃止されると、それ以前のように米兵が民家に踏み込んだり、歩いている女性を掴まえたりして手当たり次第に強姦をするようになるという心配でした。
 もう一つは、売防法が成立すると、女性たちが米兵から日々稼ぐドルはどこへ行ってしまうのかという心配でした。当時の沖縄の女性たちは、厳しい強制管理売春の中で生きて、沖縄経済を支えるドルをかせいでいたのです。私は、この女性の状況と彼女たちの心身をむさぼりつくすとでもいうしかない売買春の実態に触れて、女性の人権侵害であると強く思いました。

4 ベトナムの狂気は基地の街で
 そのような状況の中で、施行は2年後の復帰時として、1970年には売防法が成立しましたが、その同じ日にもうひとつの決議があります。それは当時前原高校3年の女子生徒がレイプの被害から逃れるために抵抗し体中をナイフで切られ重傷を負う事件を受けてのものです。沖縄は米兵からの暴力を防ぐための集娼地帯のはずだったのですが、実際はそういうものを越えて暴力が起こり続けていたわけです。70年の売防法制定日には、この女子高校生の被害に対する抗議声明が出されたのです。
 ベトナム戦争中、米兵は沖縄から出撃し、休暇になれば沖縄に戻ってきました。ベトナムに送られれば命の保障はないことを米兵たちは知っていましたし、殺戮の現場から戻ってきた兵隊は荒れており、売春女性たちが彼らの不安や怒りなどの受け皿とされていました。
 私は高橋さんに同行しての見聞で、沖縄の女性の問題に深く関わりたいと考え、その後は、まず、売春に関する新聞資料の収集を始め、売防法の問題に関心を持つようになっていきました。

5 婦人相談員に
 私は、婦人相談員の仕事を知って勉強をし直して、1977年4月、東京都婦人相談センターの電話相談員第一号に採用され、女性が女性であるが故に受ける暴力、理不尽な差別扱いなどの相談に携わるようになりました。1981年4月に沖縄へ帰り、1年間、うるま婦人寮(婦人保護施設)でボランティアの後、那覇市の婦人相談員として1982年から7年間働きました。

6 那覇市議会での活動
 私は、1989年、那覇市議会議員へ立候補し当選しました。以後、市議会議員を4期務めました。婦人相談員としての仕事は、女性を人権の回復へ支援する意義ある仕事だと思っていましたが、婦人相談員の仕事と司法の限界を思い知らされ、社会の性差別意識を変えたいという思いから選挙に出ることを決意し、女性たちと共に当選を勝ち取ったのです。

7 北京女性会議へ
 日本への復帰後も米軍の削減はなく、米軍の演習による事故・事件は続き、女性に対する暴力も後を絶ちませんでした。1995年、国連の世界女性会議(北京会議)への参加準備の中で、沖縄は直接の紛争状態の中にあるのではないけれども、戦後から50年にわたり、大規模の米軍が駐留し、人権侵害、生命の危機、暴力が起こり続けており、「長期軍隊駐留下における性暴力」を戦争犯罪として捉えるべきではないかと、「軍隊・その構造的暴力と女性」のワークショップを北京会議の一角で開きました。

8 北京会議の最中に3米兵による少女強姦事件が起こった
 北京会議のさなか、1995年9月に起こった3米兵による少女強姦事件は、復帰後の米軍人の特徴を現した事件です。事件に抗議する県民大会には、沖縄の人々の積年の怒り、痛み、そしてこれ以上の人権侵害を許さないと8万5千人の県民が結集しました。
 この県民大会の会場で、私は、女性たちと一緒に立ち上げた「強姦救援センター・沖縄、REICO」を10月25日に開設するとのチラシを配り続けていました。性暴力相談活動は、今も継続しています。
 同時にその県民大会直後に結成されたのが、女性たちによる「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」です。早速に政府に対して、日米地位協定を北京行動綱領(日本政府は署名しています)の精神に則して改正することを求めました。
 
9 私が原告になった理由・私の被害
 私は、沖縄で米兵による女性の人権侵害をつぶさに近距離でみてきました。沖縄は71年間軍隊の支配下にあります。
 婦人相談員として、あるいは那覇市の市議会議員として、常に女性たちの苦しい現実に寄り添い、解決に力を尽くしてきました。沖縄ではいまも毎日軍隊との共存を強いられているのです。軍隊が女性にとってどのようなものであるかを身に沁みて知りました。
 軍隊の本質は、家父長制に基づく力による支配を強行する組織です。沖縄では特に、米軍人の女性に対するレイプ、絞殺事件は、9ケ月の乳児から5歳の幼児を含めあらゆる年齢に及んでおり、ベトナム戦当時には、年間2~4人の女性が絞殺されました。
 沖縄の戦後71年を軍隊の女性への性暴力、殺害などを通して振り返る中で、その人権侵害性を声を大にして訴えます。軍隊の駐留によってもたらされる暴力、それによって傷つき、苦しむ女性たちの存在、その回復支援に取り組んできた者として、訴えます。
 私は、少しでも性差別のない、暴力のない社会を作ろうと働いてきました。沈黙を強いられている女性たちと共に、暴力の元凶である米軍の撤退、削減を求め、声を上げてきました。しかし、安保法制法は、その全く真逆なところにあり、私の、私たちの声を完全にかき消すものです。戦後71年経って、再び振り出しに押し戻されたような屈辱感と怒りを強く感じます。私は、安保法制法の撤回を求めます。
                                        以上
 

原告ら代理人 弁護士 角田由紀子

1 戦争被害の現在性
 日本において、戦争が一般の人々に与えた被害の悲惨な事実は、アジア・太平洋戦争の時期を通じて、多くの人々の体験の中に刻印されています。女性や子どもはその被害の中心にありましたが、今日に至るも被害は癒されることなく、人々の心身の深いところで存在し続けております。今回の安全保障法制は、それらの深い傷を呼び起し、再体験を迫るものです。安全保障法制の制定過程そのものが、女性の存在を無視し、女性の声に一度たりとも耳を傾けることなく、文字通り、暴力的なものでした。その内容と制定過程に直面して、原告たちは、深い苦痛と不安に曝されています。その苦痛や不安は、漠たるものではなく、現実に女性たちの心身に深い打撃を与えるものです。

2 戦争と女性の性的被害について
 戦争がその本質において、女性への性的加害行為を伴うものであることは、過去世界中の様々な戦争で、十二分に証明されております。そのことは、沖縄では戦争中に始まり敗戦後から今日まで、常に現在進行形であり、どれだけ多くの女性が命を奪われ、人としての尊厳を奪われたかを、特に注目しなければなりません。この事実は、私たちに戦争と女性の関係の本質をはっきりと示すものです。
 日本軍「性奴隷制」の問題の真摯な解決を置き去りにした政権による安全保障法制に、原告たちは「安全保障」という言葉とは裏腹に極めて大きな危険を感じております。安全保障法制は、次の戦争を確実に準備するものとして、目に見える形であるいは見えない形で、既に女性たちの生活の安全を脅かしております。原告たちの多くは、女性への性暴力を含む暴力と闘ってきております。この社会を女性や子どもなど権力を持たない人々にとってできるだけ安全なものにしたいと、日々努力をしてきました。それが、戦争という究極の暴力を肯定する法制がとられたことで、これまでの努力が根こそぎ否定されてしまいました。それは、そのことに力を尽くしてきた原告たちの生き方そのものの否定であります。原告たちの努力を支えてきた根幹にあるのは、日本国憲法です。
 憲法の平和主義、個人の尊重などを明確に否定する今回の法制は、原告たちから将来への希望を奪い、打ちのめしました。言うまでもないことですが、女性への暴力の加害者の多くは、男性であり、男性のそのような暴力にいわば「お墨付き」を与えるのが、今回の法制です。その法制は、昨年3月29日に施行され、昨年11月から南スーダンに派遣されている自衛隊には、武力行使を容認する新任務が与えられました。南スーダンでは、性暴力が頻繁に起きていることは、新聞等で報道されており、国民の多くが知っております。このことは、国内での女性の安全に大きく悪影響を与えるものといわざるを得ません。
 いかに近代化された戦争であっても、戦争はそれに従事する人間を必要とします。かつての戦争の時代に国を挙げて「産めよ増やせよ」がとなえられ、その実現が強要されました。病弱な女性が子どもを産むことに耐えられず、堕胎をした例がありましたが、その女性は堕胎罪で逮捕されました。堕胎罪は、今でも刑法に規定されており、戦争に向かう社会が、女性の性にどのように敵対的であるかの例です。少子化対策という言葉でさまざまに行われている政策は、「産めよ増やせよ」政策と無関係ではありません。

3 個人としての女性の否定
 戦争とそれに伴う戦時性暴力の基盤になっているのは、日常生活の隅々までを支配している家父長制です。今日では「家父長制」という言葉が使われることは少なくなりましたが、社会の仕組みとしてのそれは生き続けております。
 家父長制の仕組みがむき出しであった社会において、憲法は女性に人間解放をもたらしました。戦争肯定社会は、憲法が女性にもたらした個人としての権利を否定するものです。多くの原告たちは、憲法13条、14条及び24条等によって保障された人権をしっかりと手にして戦後の人生を築いてきました。戦前には閉ざされていた多くの場所で女性たちは、羽ばたいてきたのです。もちろん、彼女たちの生き方の骨格は憲法です。しかし、安全保障法制は、それらを否定するものです。原告たちが体験させられた苦痛や恐怖や不安は、彼女たちが生きることの根幹にかかわるものです。
 ある原告は、教育者や研究者として、憲法に導かれて新しい社会を作ることに尽力してきました。ある原告は、政治家として国会等で奮闘してきましたが、安保法制法は、女性政治家からその本来の活動の場を奪い、大きな被害を与えました。ジャーナリストや公務員等の原告たちも、その自由な活動を制約されたり、不本意な活動を強制される危機に瀕しており、これらの原告たちが具体的に受けた苦痛に対して、被告が損害賠償をするべきであります。原告たちが現に被っている被害及び損害が正当に償われるべきです。そのために、司法が憲法によって付与されている責務を果たさねばなりません。
 私は原告の女性たちが、既に被っている被害について、その一部を指摘しました。詳細は、今後原告本人尋問等で立証する予定です。 
                                        以上
 

(弁護士・金原徹雄のブログから)
2016年9月3日
東京・安保法制違憲訴訟(国賠請求)が始まりました(2016年9月2日)
※過去の安保法制違憲訴訟関連のブログ記事にリンクしています。
2016年9月6日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(1)~東京・国家賠償請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告訴訟代理人による意見陳述
2016年9月10日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(2)~東京・国家賠償請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告による意見陳述
2016年10月4日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(3)~東京・差止請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告訴訟代理人による意見陳述
2016年10月5日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(4)~東京・差止請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告による意見陳述

2016年12月9日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(5)~東京・国家賠償請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告代理人による意見陳述

2016年12月10日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(6)~東京・国家賠償請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告による意見陳述

2017年1月5日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(7)~寺井一弘弁護士(長崎国賠訴訟)と吉岡康祐弁護士(岡山国賠訴訟)の第1回口頭弁論における意見陳述

2017年1月7日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(8)~東京・差止請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告訴訟代理人による陳述
2017年1月8日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(9)~東京・差止請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告(田中煕巳さんと小倉志郎さん)による意見陳述


(付録)
「女の平和」1.17国会ヒューマンチェーンのテーマ~弱いものいじめをするな