弁護士・金原徹雄のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します。

歴史

2020年のゴールデンウイークに自宅で読む本~読めるかな?

 2020430日配信(予定)のメルマガ金原No.3461を転載します。

2020年のゴールデンウイークに自宅で読む本~読めるかな?

 4月7日に東京、大阪など7都府県を対象に発令された緊急事態宣言(新型インフルエンザ等対策特別措置法第32条に基づく)が同月16日に全国に拡大されてから2週間、最も長いところでは、4月25日(土)から5月10日(日)までの16連休に入っている事業所もあるようですが、コロナ問題発生前には暦通りの営業を予定していた事業所でも、今日(4/30)・明日(5/1)の2日間を休みとして、4月29日から5月6日までの8連休としたところも多いのではないでしょうか。

 昨年は、天皇家代替わりということで特別に10連休となりましたが、今年は全く想定外の新型コロナウイルス感染症対策のために、思わぬ長期休暇ということになってしまいました。
 もちろん、医療関係者、保健所等感染症対策の最前線を担う機関で働く人々の他、生活必需物資の製造、販売、物流に携わる方など、大型連休どころではないという多くの皆様がおられることは決して忘れてはならないことです。

 とにかく、極力対人接触を避けるのが至上命題ということなので、行楽地に出かける訳にもいかず、好むと好まざるとにかかわらず、誰もが自宅で長い時間を過ごすことになるはずの今年のゴールデンウイークです。

 そもそも、ゴールデンウイークという言葉自体、日本の映画業界が編み出した宣伝用の和製英語だそうですが、その肝心の映画を観るための映画館が全国的にほぼ休館状態となっており、否応なく自宅での鑑賞を余儀なくされます。
 コロナ禍とは関係なく、普段からの延長でTV放映(地上派、BSなどを含む)やネット配信、レンタルビデオなどで映画を楽しむことができるのは当然ですが、休業を余儀なくされて経済的に苦境にある全国のミニシアターにも参加してもらい、映画館、配給、製作の当事者に「金が回るシステム」を構築するための「仮設の映画館」という試みがスタートしており、早速私も、ドキュメンタリー映画『春を告げる町』(島田隆一監督)を鑑賞したということは、このブログでご報告したとおりです(「仮設の映画館」がオープンしました!~まずは『春を告げる町』(島田隆一監督)を鑑賞/2020年4月26日)。
 このシステムの提唱者である想田和弘監督の新作『精神0』も、明後日5月2日から「仮設の映画館」での上映が始まりますので、私も出来れば5月6日までの間に時間を見つけ、鑑賞したいと思っています。

 ところで、本稿は、「これから読もう(出来ればゴールデンウイーク中に)」と思っている本のご紹介です。
 私は、これまで、自分が読んだ本の感想をブログに書き留めることもしてきましたが(数は多くありません)、「これから読む本」の紹介(というか、「読むつもりで買ってきた本」の紹介)を書いたことも、思い出す限りで2回あります。それぞれどんな本を紹介したかというと、

2016年6月27日 
文庫本を3冊買った、みんな素晴らしい本に違いない~『立憲非立憲』『音楽入門』『山之口貘詩集』 
(購入した本)
佐々木惣一 著 『立憲非立憲』(講談社学術文庫)
伊福部 昭 著 『音楽入門』(角川ソフィア文庫)
高良勉 編 『山之口貘詩集』(岩波文庫)

2018年4月25日 
「憲法」についての新書を2冊買った、これから読むけどお薦めします~『五日市憲法』『広告が憲法を殺す日 国民投票とプロパガンダCM』 
(購入した本)
本間龍・南部義典 著 『広告が憲法を殺す日 国民投票とプロパガンダCM』(集英社新書)
新井勝紘 著 『五日市憲法』(岩波新書)

 それで、上記5冊は「全部読んだのか?」という質問への答えは、まあ言わぬが花ということにしておきましょう。

 ところで、当初の私のゴールデンウイーク読書計画(?)では、新しく購入するのではなく、既に購入済みだがまだ読んでいな本を考えており、4月27日の昼休みにはFacebook以下のような投稿をしていました。

(引用開始)
連休中に旅行するのもはばかられるし、自宅で読書でもと考えておられる方も多いことでしょう。私も、未読の本なら自宅にいくらでもある(あり過ぎる)ので「どれにしようか」と目移りがします。漱石全集(岩波の一つ前の版)のうち、まだ読んだことのない巻にするか(『文学論』&『文学評論』など?)、あるいはダニエル・キイスの一連の小説も悪くないとか色々考えますが、今のご時世、みんなが読み始めたという『ペスト』(カミュ)を引っ張り出すか(昔読んだか、買っただけか記憶があやふや)、それともヨーロッパの古典『デカメロン』(ボッカッチョ)にするかとも考えています。14世紀に書かれた『デカメロン』については、ちくま文庫(全3巻 柏熊達生訳)で買って、全然読んでいなかったのですが、数年前に受講した放送大学の講義の中で取り上げられたのを機に冒頭の2~3話(全部で100話ある)を読んだことがあるだけです。西洋の艶笑物語集とだけ捉えられがちな『デカメロン』が、「1348年に大流行したペストから逃れるためフィレンツェ郊外に引きこもった男3人、女7人の10人が退屈しのぎの話をするという趣向」という枠組みであることはその時知りましたが、この状況から考えれば、今が『デカメロン』を読むのに最も相応しい時期なのかもしれません。
Wikipedia「デカメロン」

(引用終わり)

 そこで、5月6日までの休みを利用して、『デカメロン』を読むことを考えていたのですが、昨日(4/29)、ある雑誌を求めて大型書店を訪れたついでに、文庫本の新刊コーナーに立ち寄ったところ、どうしても買いたい本が3種類見つかり、全部購入してしまいました。これにより、『デカメロン』読書計画は頓挫し、以下の本(冊数では4冊)がこのゴールデンウイーク中に読破すべき目標となりました。
 早速、版元のホームページから内容紹介の文章を引用してみましょう。

ルース・ベネディクト著/岡部大樹 訳 『レイシズム』 
講談社学術文庫 2020年4月8日 第1刷発行 920円(+税)
「日本人論の「古典」として読み継がれる『菊と刀』の著者で、アメリカの文化人類学者、ルース・ベネディクトが、1940年に発表し、今もロングセラーとなっている RACE AND RACISMの新訳。

ヨーロッパではナチスが台頭し、ファシズムが世界に吹き荒れる中で、「人種とは何か」「レイシズム(人種主義)には根拠はあるのか」と鋭く問いかけ、その迷妄を明らかにしていく。「レイシズム」という語は、本書によって広く知られ、現代まで使われるようになった。
「白人」「黒人」「黄色人種」といった「人種」にとどまらず、国家や言語、宗教など、出生地や遺伝、さらに文化による「人間のまとまり」にも優劣があるかのように宣伝するレイシストたちの言説を、一つ一つ論破してみせる本書は、70年以上を経た現在の私たちへの警鐘にもなっている。
訳者は、今年30歳の精神科医で、自らの診療体験などから本書の価値を再発見し、現代の読者に広く読まれるよう、平易な言葉で新たに訳し下ろした。グローバル化が急速に進み、社会の断絶と不寛容がますます深刻になりつつある現在、あらためて読みなおすべきベネディクトの代表作。」

レイシズム (講談社学術文庫)
ルース・ベネディクト
講談社
2020-04-10


浅見雅男 著 『もうひとつの天皇家 伏見宮』
 
ちくま文庫 2020年4月10日 第1刷発行 1200円(+税)
「第二次世界大戦後、皇籍を離脱した11の宮家――。その全ての源流となった伏見宮家とは、一体どのような存在だったのか?どのようにして誕生したのか?皇位継承問題で揺れる昨今。「旧宮家の復活」を求める声も聴こえてくるが、消滅に至るまでの歴史や事実を知らぬまま、易々と論じることはできないはずだ。南北朝時代にまでさかのぼる伏見宮の始まりから、明治・大正・昭和天皇との関係性までを網羅した、天皇・皇室研究に必携の一冊。」(ホームページの紹介文が簡単過ぎたので、文庫本のカバー裏記載の文章を転記しました)
※単行本は2012年刊行(講談社)。



ジョン・ロールズ 著/サミュエル・フリーマン編/齋藤純一・佐藤正志・山岡龍一・谷澤正嗣・髙山裕二・小田川大典 訳 
『ロールズ 政治哲学史講義Ⅰ』
 
岩波現代文庫 2020年4月16日 第1刷発行 1880円(+税)


ジョン・ロールズ 著/サミュエル・フリーマン編/齋藤純一・佐藤正志・山岡龍一・谷澤正嗣・髙山裕二・小田川大典 訳

『ロールズ 政治哲学史講義Ⅱ』 

岩波現代文庫 2020年4月16日 第1刷発行 1820円(+税)

ロールズ政治哲学史講義 II (岩波現代文庫)
ジョン・ロールズ
岩波書店
2020-04-17

「ロールズが退職するまで三十年間ハーバード大学で行った「近代政治哲学」講座の講義録。自らの〈公正としての正義〉という構想に照らして、リベラリズムの伝統をつくった八人の理論家(ホッブズ、ロック、ヒューム、ルソー、ミル、マルクス、シジウィック、バトラー)を取り上げて解説する。『正義論』読解に不可欠の書。」

 『レイシズム』と『もうひとつの天皇家 伏見宮』については、ネット情報で刊行されたこと自体は知っており、そのテーマに興味を引かれていたのですが、昨日実際に手に取ってみて購入を決意しました。やはり、全てをネット通販でという訳にはいきませんよね。
 『ロールズ 政治哲学史講義』は、2011年に岩波書店から単行本が刊行された際に書店で手に取り、購入するかどうか相当に迷ったのですが、買っても積んだままになりそうであり、値段も高かったので結局断念したものでした。それが9年経って文庫化され、衝動的に買ってしまいました。一つには、先月、同じく岩波現代文庫から刊行されたロールズの『公正としての正義  再説』を買ったばかりだった(まだ序文しか読んでいないけれど)からということもあります。
 ロールズの主著『正義論』はまだ未購入ですが、まずはその周辺の講義録から読んでいければと思って購入しました。けれども、2冊合計で1000ページ近くもあり、ゴールデンウイーク中に読めるだろうか?・・・多分難しいでしょうね。


(付録)
よしだよしこ『She said NO !』(よしだよしこ DVD 2016 Season I より)
作詞作曲:よしだよしこ

※現代リベラリズムの代表的論者であるジョン・ロールズ(1921~2002)を読もうというブログの(付録)としては、ローザ・パークスを歌ったよしだよしこさんのこの曲が相応しいと思いました。
※よしだよしこさんの「オリジナル・エコバッグ」(1500円+税)が好評発売中です。私も公式サイトの通販「注文フォーム」から申し込んで入手しました。素敵なデザインで縫製もしっかりしていますよ。今年の7月からはレジ袋が有料化されますので、是非お買い求めください。 
CDやDVDもご一緒に。私のお薦めは、『「She said NO!」フツウノコトバたち』が売り切れなので、やはり『笑って唄って』(CD/2500円)かな。歌詞カードは付いていませんが、ホームページからダウンロードできます。

放送予告・ETV特集「昭和天皇は何を語ったのか~初公開“拝謁記”に迫る~」(89分拡大版/2019年9月7日)

 2019年9月1日配信(予定)のメルマガ金原No.3427を転載します。

放送予告・ETV特集「昭和天皇は何を語ったのか~初公開“拝謁記”に迫る~」(89分拡大版/2019年9月7日)

 「今年の夏、NHKは頑張った」という話をよく聞きました。主に、テレビのドキュメンタリー制作部門についてのことですが。
 その中でも、最も注目を集めたのは(NHKも力を入れたのは)、8月17日(土)にNHKスペシャルで初回放送された「昭和天皇は何を語ったのか~初公開・秘録「拝謁(はいえつ)記」~」でしょう。
 初代宮内庁長官であった田島道治(たじま・みちじ)氏が克明に書き残した1949(昭和24)年から4年10か月の記録は、いずれ出版されることは間違いないでしょうし、本格的な研究はこれからですから、あまり早まった評価はすべきではなく、とりあえず、その概略だけでも念頭にとどめておきたいと思います。

 とはいえ、NHKスペシャルでは再放送も終わってしまったし、録画し損なってしまったという方にとって、うってつけの情報がありましたので、久しぶりにブログで放送予告をすることにしました。
 それは、NHKスペシャルで59分枠で放送されたものが、EテレのETV特集で89分拡大版として放送されることになったというものです。
 以下に、番組案内を引用します。

NHK・Eテレ 
本放送 2019年9月7日(土)午後11時00分~午前0時30分
再放送 2019年9月12日(木)午前0時00分~午前1時30分(11日深夜)
ETV特集「昭和天皇は何を語ったのか~初公開“拝謁記”に迫る~」

「占領の時代、昭和天皇のそばにあった田島道治の新資料「拝謁記」が公開された。1949(昭和24)年から、昭和天皇の言葉が克明に記されていた。注目されるのが戦争責任と退位の可能性だ。敗戦の道義的責任を感じていた昭和天皇は、当初退位も考えていた。さらに1952年の独立記念式典の「おことば」で戦争への反省を述べようとする。しかし、最終的に戦争の経緯は削除された。なぜか―。天皇と長官の対話を忠実に再現する。
【出演】片岡孝太郎、橋爪功」


 この「拝謁記」にNHKが力を入れていることは、「NHK NEWS WEB」に、「昭和天皇「拝謁記」―戦争への悔恨―」という特設ページを設けていることからでも分かります。
 しかもその特設ページ自体、相当気合いを入れて作っていることが、その見出しを読むだけでも伝わってきます。いちいち各ページにリンクはしませんが、「目次」代わりに、見出しだけ紹介しておきます。

昭和天皇「拝謁記」―戦争への悔恨―
 記述内容
   戦争への悔恨 
     昭和天皇 語れなかった戦争の悔恨
     繰り返し語る後悔の言葉
     強くこだわった「反省」
     削除された戦争への悔恨
        専門家「戦後も戦前・戦中を生きていたのではないか」
   退位への言及
     東京裁判後も退位に言及
     「国民が退位を希望するなら少しも躊躇せぬ」
   象徴への模索
     「象徴」への模索も明らかに
     象徴への決意
     政治的発言も
   再軍備・改憲
     東西冷戦下 再軍備や改憲にも言及
     「軍備の点だけ公明正大に…」
     「旧軍閥の再抬頭は絶対にいや」
      専門家「新たな発見だが旧軍には批判的」
     人間 昭和天皇
       歴代総理大臣の人物評繰り返す
       近衛文麿と東條英機
       芦田均と吉田茂
       「独自視点から人々を判断」
 「拝謁記」とは
      「生々しい肉声 超一級の資料」
         18冊の手帳とノート
     専門家「生々しい肉声 超一級の資料」
     拝謁の記録は600回 300時間超
     9割は「昭和天皇実録」に記載なし
     「空白期」埋める貴重な資料
     9か月かけ10人超える専門家と分析
    初代宮内庁長官 田島道治氏
      戦後初めて民間から長官に
     「焼却される寸前だった」
   終戦から独立回復 昭和天皇を取り巻く状況
     「人間宣言」から「象徴」へ
     西側陣営で国際社会復帰へ
     平和条約発効記念式典とは
     平和条約発効式典おことば
   分析に当たった専門家の評価
     「生々しい昭和天皇の本音」(古川隆久日本大学教授)
     「天皇の考えの揺らぎ伝わる」(吉田裕一橋大学特任教授)
     「一言一句の記録 見たことない」(茶谷誠一志學館大学准教授)
     「生身の昭和天皇 衝撃的な資料」(冨永望京都大学大学文書館特定助教)
     「昭和天皇の本音がわかる貴重な資料」(瀬畑源成城大学非常勤講師)
 年表

 この「NHK NEWS WEB」特設ページから、特に興味を引かれた「拝謁記」の記載を2カ所引用します。

 1つは、番組告知でも強調されている、1952年(昭和27年)4月28日の「平和条約発効式典」での「おことば」に盛り込もうとして、吉田茂首相の反対によって削除されたという部分です(既に学界では知られたことであったようですが)。

(引用開始)
 吉田総理大臣が削除を求めた一節は、「国民の康福(こうふく)を増進し、国交の親善を図ることは、もと我が国の国是であり、又摂政以来終始変わらざる念願であったにも拘(かか)わらず、勢の赴くところ、兵を列国と交へて敗れ、人命を失ひ、国土を縮め、遂にかつて無き不安と困苦とを招くに至ったことは、遺憾の極みであり、国史の成跡(せいせき)に顧みて、悔恨悲痛、寝食(しんしょく)為(ため)に、安からぬものがあります」という部分です。このうち、「勢の赴くところ」以下は、昭和天皇が国民に伝えたいと強く望んだ戦争への深い悔恨を表した部分でした。
(引用終わり)

 もう1つは「退位(譲位)」についての発言のうち、「それはそうだろうなあ」と思わず同感してしまった部分です。

(引用開始)
 サンフランシスコ平和条約の調印が翌月に迫った昭和26年8月には、「責任を色々とりやうがあるが地位を去るといふ責任のとり方は私の場合むしろ好む生活のみがやれるといふ事で安易である」と、退位した方がむしろ楽だと語ったと記されています。
(引用終わり)

 それから、NHKの委嘱により、「拝謁記」の分析にあたった学者の1人である古川隆久日本大学教授が毎日新聞に寄稿した文章は、この種の資料にどう向き合うべきかを考える上で示唆的であり、是非お読みいただければと思います。

毎日新聞WEB版 2019年8月27日 14時26分
昭和天皇「拝謁記」報道を巡って 注意深い読み解きが必要=古川隆久・日本大教授

(抜粋引用開始)
 裏付けの例としては、52年5月のサンフランシスコ講和条約発効記念式典における「おことば」について、検討の開始時期や、案文の推移はこれまでの研究でわかっていたが、悔恨の意を盛り込むことへの昭和天皇の思いの強さ、途中での修正や吉田茂が削除を要請した具体的理由は、この「拝謁記」で初めてわかったことである。
 新事実としては、日中戦争中の南京事件に関する昭和天皇の認識や、この時期に昭和天皇が防衛軍的な意味での再軍備やそのための憲法改正を強く望んでいたことなどがある。
(略)
 新発見の史料の解釈や評価は、部分的であれその史料を初めて実際に読み解いた歴史研究者の評価が最初の有力な手掛かりとなる。歴史的な文書は、それが書かれた時代、あるいはその中で話題になっている時代の状況は時代背景を踏まえなければ、先入観による全く的外れな解釈や評価が下される危険性が生じるからである。
 比較的近い時代に書かれた「拝謁記」もその例外ではない。特にこの「拝謁記」は、現代日本と共通するような政治問題が話題になっている部分が多いだけに、余計に注意深い読み解きが求められる。当然、研究者の評価や解釈の報道に問題があれば、話の出発点から的外れということになってしまうのである。

(引用終わり)

 最後に、「拝謁記」は1949年2月から53年12月までの記録ですから(田島道治氏が宮内庁の前身・宮内府の長官に就任したのが1948年6月)、あの沖縄・天皇メッセージが発せられた1947年9月の記録は当然ながらありません。
 私としては、それがいささか残念ではあります。

関良基氏(拓殖大学教授)が語る「明治維新の正体」(2018年8月8日)~「長州レジーム」とは何か?

 2018年8月10日配信(予定)のメルマガ金原No.3235を転載します。
 
関良基氏(拓殖大学教授)が語る「明治維新の正体」(2018年8月8日)~「長州レジーム」とは何か?
 
 今年(2018年)は、いわゆる「明治維新」(明治元年/1868年)から150年目ということで、「明治150年」の盛り上がりが・・・あるんですかね?
 今から50年前の1968年、私は中学2年生でしたけど、それなりに世間では「明治100年」が話題になっていたように思うのですが。
 
 試みに、「明治150年」でGoogle検索をかけてみて最初にヒットするのは以下のサイトです。
 
(引用開始)
明治150年とは
平成30年(2018年)は、明治元年(1868年)から起算して満150年の年に当たります。この「明治150年」をきっかけとして、明治以降の歩みを次世代に遺すことや、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要なことです。このため、政府においては、こうした基本的な考え方を踏まえ、「明治150年」に関連する施策に積極的に取り組んでいます。
(引用終わり)
 
 長州にルーツを持つ安倍政権から、「明治以降の歩みを次世代に遺すこと」や「明治の精神に学び、日本の強みを再認識すること」が「大変重要なことです」と言われても、「明治より前は日本ではないのか?」とか、「明治以降の『日本の弱み』や『日本の失敗』を再認識しなくて良いのか?」という突っ込みが即座に口をついて出てきます。
 まあ、世間が「明治150年」でそれほど盛り上がっているように思えないのは、また別の事情があるのかもしれませんが。
 
 さて、そういう「うさんくささ」を何となく感じていた方に、是非視聴をお薦めしたい講演動画があります。
 去る8月8日(水)に、大阪市の「エルおおさか」で開かれた、戦争あかん!ロックアクションが主催する関良基(せき・よしき)さん(拓殖大学教授)による講演「目からウロコ! 明治維新の正体 150年キャンペーンのうそ」(関さんのパワポ表題には「明治維新の正体」としか書かれていませんでしたが)が、IWJによって中継され、Twitcasting録画だからでしょうか、講演部分だけですが(質疑応答部分はなし)、全編無料で視聴できます(1時間33分)。
 
 
 概要、どんな講演かについては、主催者ホームページに掲載された開催予告記事(チラシをそのまま転記したもののようです)を引用することで、ご理解いただけるのではないかと思います。

(引用開始)
 攘夷を叫んでいた人たちが、なぜ急に開国?歴史本を何度読み返しても、その意味が分らない。でも、長洲も薩摩も土佐も、明治維新という歴史的偉業をはたした英雄たちを生み出した藩であることは間違いない…。そんな漠然とした「かっこいいイメージ」を明治維新に対して持っている人が、日本では大半なのではないでしょうか。
 いま、この明治維新観に大きな疑問を投げかける声が次々と上がっています。
 西郷隆盛、吉田松陰、高杉晋作、阪本龍馬…。NHKの大河ドラマで何度も取り上げられ、いままさに「西郷どん」が放映中の、彼らは本当に日本を開国に導いた「英雄」だったのか?
 江戸の末期、現法(注:現行?)憲法に通じる先進的な憲法構想を徳川、薩摩、越前に建白しながら、テロによって薩摩に抹殺され、その後歴史的にも抹殺され続けた赤松小三郎に注目し、明治維新の意味を問い直しておられる関良基さんをお招きして、お話を伺います。
 英雄扱いされてるけど、松陰って本当はどうなん…?西郷って本当はどうなん…?
 そんな、もや~っとしたギモンを抱いている皆さん。目からウロコのこの講演会にぜひお越し下さい。
(引用終わり)
 
 何しろ時間が限られており、後半は相当に端折らざるを得なくなったので、分かりにくいところもありますが、虚心に関教授の講演に身を委ねてみることでしょう。
 主催者が言うとおり、きっと「目からウロコ」の部分があるだろうと思います。もちろん、全てに得心という訳にはいかないでしょうし(正直、私にしてもそうです)、それが当然ですけどね。
 
 私は、「下関戦争」敗戦後の長州の対英従属路線への大転換と、「第二次世界大戦」敗戦後の日本の対米従属路線への大転換が、「長州レジーム」という一貫した外交姿勢(?とは言われなかったかもしれませんが)の流れであるという指摘に、思わず膝を打ちました。
 あと、吉田松陰の思想を「元祖ポチズム」と名付けたのはIWJの岩上安身さんだという紹介がありましたが、このような視点も「長州レジーム」と同様、「明治150年」を考える上で、大いに参考となる考え方だと思いました。
 
 「長州レジーム」ならざる別の「近代日本」があり得たのではないか?というのは魅力的な想像ですが、一種の「歴史のIF」である以上、全ての人が絶対的な確信を共有する訳にはいきません。
 けれども、もう何十年も前に、司馬遼太郎さんの『龍馬がゆく』『翔ぶが如く』『世に棲む日々』『花神』などの作品に読みふけりながらも、かすかに感じていた違和感の正体の一面に触れ得たという思いは確実にあります。
 
 ところで、関良基先生の現職は、拓殖大学政経学部教授ということで、講演の中身とイメージが一致しないが?と思われる方もおられるでしょうが、清水雅彦先生と日本体育大学という組合せもありますし、私たちが先入観にとらわれ過ぎているのかもしれませんね。
 
 参考までに、拓殖大学の教員紹介ページで関先生の経歴等を調べてみました。この種の教員紹介ページはどんな大学にもありますが、拓殖大学の教員(講義)の紹介ページはかなり充実している部類に入るという印象を受けました。
 
拓殖大学 教員紹介
関 良基[SEKI Yoshiki]
(引用開始)
所属 政経学部  職名 教授
担当科目 自然環境と人間生活、環境と生態系、アカデミック・スキル、環境政策A、環境政策B、基礎外書講読A、基礎外書講読B ほか
最終学歴 京都大学院農学研究科博士課程修了(2000年3月)
学位 博士(農学)(京都大学2002年)
学位論文 フィリピンの商業伐採跡地における林野の住民管理に関する研究
職歴   
2000年4月 早稲田大学アジア太平洋研究センター 助手(~2003年3月)
2004年4月 (財)地球環境戦略研究機関(IGES) 客員研究員
2007年4月 拓殖大学政経学部 助教
2010年4月 拓殖大学政経学部 准教授
主な所属学会・協会等
日本森林学会、林業経済学会、環境経済政策学会
主な研究分野・研究課題・研究活動
 森林と人との関わりを現場で調査し、森林の保全と再生の方策について研究してきました。おもにフィリピンや中国など海外の事例を研究対象としてきました。
 近年は、社会的共通資本の視座から、日本の公共事業のあり方を見直そうと「ダムから緑のダムへ」の政策転換の研究、また自由貿易が環境に与える負のインパクトの研究などを通してTPP問題などにも取り組んできました。
自己紹介・学生へのメッセージ
 グローバルな資本主義システムは格差の拡大や環境破壊などの問題を生み出し、行き詰りを見せています。2015年にはパリ協定が採択され、世界は持続可能な未来への確かな一歩も踏み出しました。しかし、日本および世界には解決せねばならない問題が山積しています。学生時代は人生の中でももっとも自由に使える時間が多いです。ゼミなどの場で活発な討議を行い、地球をフィールドにして学んでいって下さい。
(引用終わり)
 
 以上のとおり、関氏は、京大農学部のご出身で、森林、環境等を中心に研究してこられた方のようで、そういえば、最近も水道民営化問題などで発言されているのは、そういう流れによるものでしょう。
 
 それでは、「明治維新の正体」などの日本近代史にも研究の領域を拡げられたのは何故か?ということですが、よく分からぬながら、関氏が2016年に刊行された単著『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』(作品社)で取り上げられた赤松小三郎と同じ、信州上田のご出身であり、赤松小三郎研究が、次から次へと拡がり、ということなのかもしれません。
 ちなみに、「上田市マルチメディア情報センター」が運営する「赤松小三郎」というサイトには、豊富な資料が集積されていますので、関先生が講演の中で言及された「建白書」の画像なども見る(読む)ことができます。
 
 最後に、IWJに登場した関良基教授の動画一覧をご紹介しておきます。今回の大阪での講演動画は別として、会員登録(1カ月以上経過しているとサポート会員登録)をしないと全編が視聴できませんが、15分程度のイントロ動画はYouTubeで視聴できますので、是非視聴してみてください。
 
 
【イントロ】食い物にされる水道民営化・ダム・治水――国富を売り渡す安倍政権の水政策の裏を暴く!岩上安身による拓殖大学准教授・関良基氏インタビュー 2017.4.25

 
【イントロ】「長州レジーム」から日本を取り戻す! 歴史から消された思想家・赤松小三郎の「近代立憲主義構想」を葬った明治維新の闇~岩上安身による拓殖大学・関良基准教授インタビュー(その1) 2017.6.6


日本で最初の立憲民主主義思想は現行憲法よりリベラルだった!? 幕末の思想家・赤松小三郎の暗殺に見る「明治礼賛」の虚妄! ~岩上安身による拓殖大学関良基准教授インタビュー(その2)

 
問題だらけの治水事業!西日本豪雨被害は天災ではなく人災!? 大都市圏を豪雨が襲うリスクに迫る! 岩上安身による拓殖大・関良基教授+ジャーナリスト・まさのあつこ氏インタビュー 2018.7.21

日本記者クラブ「公文書管理を考える」~三宅弘弁護士、仲本和彦沖縄県公文書館アーキビスト、福田康夫元首相、磯田道史国際日本文化研究センター准教授、加藤丈夫国立公文書館館長

 2018年6月14日配信(予定)のメルマガ金原No.3178を転載します。
 
日本記者クラブ「公文書管理を考える」~三宅弘弁護士、仲本和彦沖縄県公文書館アーキビスト、福田康夫元首相、磯田道史国際日本文化研究センター准教授、加藤丈夫国立公文書館館長
 
 前回は6月1日に行われた福田康夫元内閣総理大臣まで(第3回)のご紹介でしたが、その後、6月5日に磯田道史国際日本文化研究センター准教授(第4回)、6月7日に加藤丈夫国立公文書館館長(第5回)の会見があいついで行われましたので、この2回分を追加しました。
 
 あらためて、過去5回の登壇者の顔ぶれを振り返ってみましょう。
 
第1回 三宅弘氏(弁護士、公文書管理委員会委員長代理)
第2回 仲本和彦氏(沖縄県公文書館アーキビスト)
第3回 福田康夫氏(元内閣総理大臣)
第4回 磯田道史氏(国際日本文化研究センター准教授)
第5回 加藤丈夫氏(国立公文書館館長)
 
 日本記者クラブでは、今回の「公文書管理を考える」シリーズのように、特定のテーマに関して様々な識者を招くことも多く、時として、非常に新鮮な角度からの見方を知ることができて有益です。
 全部一度に視聴するのは大変ですが、少しずつでも計画的に視聴されれば、きっと貴重な知見が得られることと思います。
 
2018年04月16日 15:30~16:30 10階ホール
「公文書管理を考える」(1)三宅弘・弁護士(1時間07分)

会見リポートから引用開始)
数百人規模の公文書管理庁新設でチェック強化を
 昨年来の森友・加計両学園を巡る問題が再燃し、公文書管理が改めて注目されている。内閣府の諮問機関である公文書管理委員会の委員長代理を務める三宅弘弁護士が、最近の問題を踏まえて解説した。
 役所内で複数の職員間の連絡に使われれば公文書の「組織共用性」という定義を満たすのに、職員が「個人のメモ」として作れば公文書扱いされていないケースや、役所の意思決定に関わる文書なのに保存期間「1年未満」に設定されて勝手に捨てられてしまうケースを厳しく批判。3月の朝日新聞の報道で発覚した財務省の文書改ざんを「昨年1年間の議論は何だったのか」と嘆いた。
 自衛隊の国連平和維持活動(PKO)派遣部隊の日報について、防衛省がいったん廃棄したと説明した後に次々に見つかっている問題にも触れ、「外務省外交史料館同様に、史料館を設けて戦略的な集中管理をすべきだ」と提言した。
 改善策も示した。改ざんや不作成に対しては公文書管理法を改正して科料などの罰則規定を設けることや、安易な文書廃棄を防ぎ国として文書のチェック態勢を強化するために、内閣府公文書管理課を改組・独立させた数百人規模の公文書管理庁を作ることを呼びかけた。
 さらに①公文書の定義の一つである「組織共用性」を廃止して役所で保存すべき文書の範囲を広げること②情報公開法を改正して「知る権利」を明記すること③情報公開訴訟で開示・不開示が争われた文書について、裁判所に密室での閲覧権を与えて公平な判断を促す「インカメラ審理」の導入すること――を求めた。
 三宅弁護士は15年にわたって公文書管理や情報公開について、専門家の立場から発言を続けてきた。これまでは地味な分野で脚光を浴びることが少なかったが、国民の関心が高い今こそ、解決の好機になるかもしれない。
毎日新聞社会部  青島 顕
(引用終わり)
 
2018年05月11日 14:00~15:30 10階ホール
「公文書管理を考える」(2)仲本和彦・沖縄県公文書館アーキビスト(1時間37分)

会見リポートから引用開始)
独立した管理機関設置など提言
 森友学園を巡る財務省の決裁文書改ざんや自衛隊イラク派遣部隊の日報隠蔽など公文書管理を巡る問題が相次いで発覚している。1997年から9年間、米国立公文書館(NARA)で資料調査を行い、沖縄県公文書館でアーキビストとして活躍する仲本和彦さんが、日本の公文書管理制度へ改善策を提言した。
 仲本さんの案は①公文書の定義を「組織の共有」に限定しない、②独立した記録管理院を創設、③レコードマネジャーの配置、④罰則規定を設ける―の4点だ。
 日本の公文書管理法では行政ファイルの破棄に関し首相に「協議し同意を得なければならない」とされ査察も首相が「提出を求めることができる」にとどまっている。しかし、米国では政府から独立した国立公文書館長が査察し、破棄も処分計画書を点検し、利害関係者がコメントできるよう官報に告知した後になされると違いを解説。政府の意向で破棄がされないよう、会計検査院のように独立した組織の設置などを求め「抜本的改革をしていかないとこの問題はなくならない」と指摘した。
 米国では国家戦略として記録管理が取り組まれているという。特に課題となっているのが電子媒体の保存で100年先にも閲覧できるようにするため産官学で取り組んでいると紹介した。トランプ大統領が駆使するツイッターも公文書として保存されるという。
 仲本さんは制度不備だけでなく、現在の国会論争にも苦言を呈した。首相の関与など「安倍おろし」に終始している点を疑問視し「本質は行政がゆがめられる土壌があることだ。公文書記録の管理をどうするかもっと突っ込んだ議論をしてほしい」と訴えた。今を生きる国民への説明責任だけでなく、将来の国民が政策点検するのに重要な公文書。新国立公文書館の建設までに、公文書の役割を国民が考える機会にしたい。
沖縄タイムス東京支社  上地 一姫
(引用終わり)
 
2018年06月01日 15:00~16:00 10階ホール
「公文書管理を考える」(3)福田康夫・元首相(1時間01分)

会見リポートから引用開始)
失態続出 「家内は悲憤慷慨」
 森友、加計両学園や自衛隊の日報などの問題をめぐり「政と官」の関係が再び問われている。福田康夫元首相は小泉内閣の官房長官として行政資料の保管・活用の旗を振り、自らの福田内閣で公文書管理法の制定に道筋をつけた。質問は相次ぐ失態をどう見るかに集中した。
 なぜ公文書の管理が大切か。
 「記録を残すのは、大げさに言えば歴史を積み上げている。その石垣は一つ一つがちゃんとした石じゃないと困る。正確な文書を積んでくださいということです」
 「改ざんだとか資料が無いというようなことは当初考えてなかった。あり得るのかと思いました」
 公文書管理法に罰則は必要か。
 「罰則規定を入れると文書を作らないんじゃないかと危惧して入れなかった。罰則で縛るよりも、一人ひとりの公務員が『この記録は残さないといけない』と思ってくれることの方がはるかに価値がある」
 福田氏は公務員採用時の研修強化や行政で何が起きたかを伝えるメディアの重要性に言及した。
 記者泣かせの「福田節」はいまも健在だった。行政が国民から信頼を得ていくには政治のリーダーシップが大事だと強調しつつ、安倍晋三首相や麻生太郎副総理・財務相への直接の批判にならないように慎重で穏当な言い回しを続けた。
 会見が終わりが近づくと「現状に怒ってはいないんですか」との直球の質問が出た。「私の家内ほどは怒ってない」と笑いを誘ってかわす回答に、司会者がすかさず「奥様はどういう風に怒っていらっしゃるんですか」と再質問。福田氏は少し考えてから答えた。「悲憤慷慨(ひふんこうがい)してますよ」
 情報公開の先進国である米国に少しでも近づけたいと、自ら積極的に取り組んだ公文書管理制度。当時は思いもしなかった不祥事の続出を残念に思う心情が伝わってきた。
日本経済新聞社編集委員兼論説委員  坂本 英二
(引用終わり)
 
2018年06月05日 15:00~16:30 9階会見場
「公文書管理を考える」(4)磯田道史・国際日本文化研究センター准教授(1時間28分)

会見リポートから引用開始)
「政治は暴れ馬、公文書は手綱」 
 カルテは誰のものか。それは患者がそのコピーを持って、別の病院でセカンドオピニオンを聞くためのもので、患者の命を守るためのものだ。同じように、国民の生命・財産を扱う公文書はまさに国民の財産です。それを公務員が書き換えたり、破棄したりしてはならない――。
 極めて今日的な題材で、公文書管理について語るかと思えば、農民出身でありながら、備中松山藩五万石の藩政改革を奇跡的に成し遂げた幕末明治の儒者、山田方谷が、信用を失った藩札を、見学者の見守る中、河原で焼却したエピソードを通して、公にとって都合の悪い情報も公開して、国民の信頼を得ることの大切さを説いた。
 茨城大学准教授だった時代、東日本大震災に遭遇し、防災史を研究しようと、過去600年に3度の大津波に襲われた浜松市に移り住み、静岡文化芸術大学に。そして、2年前からは歴史の宝庫である京都にある国際日本文化研究センターに移った。古文書を求めて東へ西へ。当代を代表する人気歴史学者の話は、古今東西の事象を具体的に語り、記者たちをぐっと引きつけた。
 ただし、公文書絶対主義ではない。大切なのは資料批判、資料を読み解く眼であることも強調した。家康が、武田信玄に大敗した三方ヶ原の戦い(1572年)の史料は、後世になるにつれて信玄軍の数が多くなり、江戸初期の史料では2万人だったのが、江戸後期には4万人を超えたという。そこには家康の敗戦を小さく見せるために史料を書き換えた可能性を指摘、史料の嘘を見抜くことも重要と語った。
 ただ、その嘘が分かるのは、昔の文書がいくつも残っており、史料間の矛盾があるためである。
 「政治は暴れ馬です。乗る国民がそれを操縦する手綱が公文書です」
 『日本史の内幕』(中公新書)も評判の学者は、形容も卓抜だ。
読売新聞社編集委員  鵜飼 哲夫 
(引用終わり)
 
2018年06月07日 13:30~14:30 9階会見場
「公文書管理を考える」(5)加藤丈夫・国立公文書館館長(1時間18分)

会見リポートから引用開始)
人とカネかけ記録文化養成を
 公文書管理に対して、国は人とカネの投下をいかに怠ってきたか。加藤氏の話を聞いて痛感した。
 国の省庁は年間約350万冊文書ファイルを作成し、1年~30年の保存期間を設定。保存期間満了後に廃棄するか、公文書館などに移して保管するのかを決める。その判断の妥当性を内閣府公文書管理課がチェックした後で、国立公文書館が二重にチェックし、年間約5000件について異議を申し立てるという。加藤氏は「内閣府公文書管理課は20人体制だが、専門家はほとんどいない」と指摘し、専門家のいる公文書館の役割の重さを強調した。
 国立公文書館の担当職員はデータ化された文書ファイルのリストをパソコン上でにらみ、作成部署やファイル名の付け方を手掛かりに点検する。1人当たり年間約20万件処理する必要があるから、担当職員は残業を余儀なくされているという。
 加藤氏の話は文書管理の専門家(アーキビスト)の養成の重要性を説いた場面でさらに熱を帯びた。国立公文書館のアーキビストは現在30人。東京五輪・パラリンピック後に着工を見込む東京・永田町の新館完成までに150人に増員し、中央官庁に各1人、地方にも配置したいという。公的な資格制度の導入の必要性にも言及した。「陸上のトラック競技にたとえれば欧米に1周も2周も遅れている。10年以内に追いつくためにエネルギーを費やしたい。それが国民の行政への信頼につながる」
 森友・加計学園、自衛隊の日報問題と公文書の信頼を揺るがす事態が次々に起きている。政府・与党は改革の必要性で声をそろえるが、実効性が上がるのかは不透明だ。
 本物の改革を実現させるには、証言より記録を信頼する文化を作り、それを人とカネをかけて育てることが必要だろう。企業経営者出身で、行政に対して第三者の視点を持つ館長がいま果たすべき役割は大きい。
毎日新聞社社会部  青島 顕
(引用終わり)
 
(参考法令)

日本記者クラブ「公文書管理を考える」第3回までを視聴する~三宅弘弁護士、仲本和彦沖縄県公文書館アーキビスト、福田康夫元首相

 2018年6月2日配信(予定)のメルマガ金原No.3166を転載します。
 
日本記者クラブ「公文書管理を考える」第3回までを視聴する~三宅弘弁護士、仲本和彦沖縄県公文書館アーキビスト、福田康夫元首相
 
 昨日に続き、日本記者クラブにおける記者会見の動画をご紹介しようと思います。
 昨日は、5月31日に行われた高橋和夫放送大学名誉教授と田中浩一郎慶應義塾大学教授による「核合意離脱 米・イラン関係の行方」をご紹介したのですが、その翌日の6月1日には、福田康夫元内閣総理大臣が招かれ、「公文書管理を考える(3)」として話されていることに気がつきました。
 小泉内閣の官房長官時代から公文書管理問題に取り組み、首相在任中に公文書管理法制定への道筋をつけた(成立は麻生内閣時代)福田康夫氏が、公文書の改ざん、隠匿などの不祥事が次々と暴かれる状況について、どのように発言されたか、興味津々という方も多いでしょう(私自身ももちろんそうです)ということで、2日続けて日本記者クラブ会見動画をご紹介することにしました。
 
 けれども、福田康夫元首相の会見は「公文書管理を考える(3)」であって、当然、「(1)」と「(2)」が既に行われているわけです。
 そこで、以下には、シリーズ第1回の三宅弘弁護士(昨年の8月23日には、和歌山弁護士会の招きにより、「“公文書”は誰のもの?~あらためて国民の知る権利を考える~」と題して講演していただきました)、そして、第2回の 仲本和彦氏(沖縄県公文書館・アーキビスト)の会見動画も併せて一挙にご紹介することとしました。
 もっとも、実は、この「公文書管理を考える」シリーズは、引き続き
 
 
が予告されており、とりあえずの最終回まで公開されたら、今回の投稿を増補して再配信しようかと思っています。
 森友学園問題、加計学園問題、自衛隊日報問題など、日々マスコミを賑わす問題の本質がどこにあるのか、根っこのところから理解するために、このシリーズの人選はうってつけだと思います。仲本和彦さんのお話はまだ視聴できていませんが、三宅弘弁護士と福田康夫元首相を招く(これから国立公文書館館長も招く予定)というのは日本記者クラブなればこそ実現したラインナップでしょう。
 私も、是非全編視聴して学びたいと思います。
 
 
2018年04月16日 15:30~16:30 10階ホール
「公文書管理を考える」(1)三宅弘弁護士(1時間07分)

会見リポートから引用開始)
数百人規模の公文書管理庁新設でチェック強化を
 昨年来の森友・加計両学園を巡る問題が再燃し、公文書管理が改めて注目されている。内閣府の諮問機関である公文書管理委員会の委員長代理を務める三宅弘弁護士が、最近の問題を踏まえて解説した。
 役所内で複数の職員間の連絡に使われれば公文書の「組織共用性」という定義を満たすのに、職員が「個人のメモ」として作れば公文書扱いされていないケースや、役所の意思決定に関わる文書なのに保存期間「1年未満」に設定されて勝手に捨てられてしまうケースを厳しく批判。3月の朝日新聞の報道で発覚した財務省の文書改ざんを「昨年1年間の議論は何だったのか」と嘆いた。
 自衛隊の国連平和維持活動(PKO)派遣部隊の日報について、防衛省がいったん廃棄したと説明した後に次々に見つかっている問題にも触れ、「外務省外交史料館同様に、史料館を設けて戦略的な集中管理をすべきだ」と提言した。
 改善策も示した。改ざんや不作成に対しては公文書管理法を改正して科料などの罰則規定を設けることや、安易な文書廃棄を防ぎ国として文書のチェック態勢を強化するために、内閣府公文書管理課を改組・独立させた数百人規模の公文書管理庁を作ることを呼びかけた。
 さらに①公文書の定義の一つである「組織共用性」を廃止して役所で保存すべき文書の範囲を広げること②情報公開法を改正して「知る権利」を明記すること③情報公開訴訟で開示・不開示が争われた文書について、裁判所に密室での閲覧権を与えて公平な判断を促す「インカメラ審理」の導入すること――を求めた。
 三宅弁護士は15年にわたって公文書管理や情報公開について、専門家の立場から発言を続けてきた。これまでは地味な分野で脚光を浴びることが少なかったが、国民の関心が高い今こそ、解決の好機になるかもしれない。
毎日新聞社会部  青島 顕
(引用終わり)
 
2018年05月11日 14:00~15:30 10階ホール
「公文書管理を考える」(2)仲本和彦・沖縄県公文書館・アーキビスト(1時間37分) 

(会見リポートから引用開始)
独立した管理機関設置など提言
 森友学園を巡る財務省の決裁文書改ざんや自衛隊イラク派遣部隊の日報隠蔽など公文書管理を巡る問題が相次いで発覚している。1997年から9年間、米国立公文書館(NARA)で資料調査を行い、沖縄県公文書館でアーキビストとして活躍する仲本和彦さんが、日本の公文書管理制度へ改善策を提言した。
 仲本さんの案は①公文書の定義を「組織の共有」に限定しない、②独立した記録管理院を創設、③レコードマネジャーの配置、④罰則規定を設ける―の4点だ。
 日本の公文書管理法では行政ファイルの破棄に関し首相に「協議し同意を得なければならない」とされ査察も首相が「提出を求めることができる」にとどまっている。しかし、米国では政府から独立した国立公文書館長が査察し、破棄も処分計画書を点検し、利害関係者がコメントできるよう官報に告知した後になされると違いを解説。政府の意向で破棄がされないよう、会計検査院のように独立した組織の設置などを求め「抜本的改革をしていかないとこの問題はなくならない」と指摘した。
 米国では国家戦略として記録管理が取り組まれているという。特に課題となっているのが電子媒体の保存で100年先にも閲覧できるようにするため産官学で取り組んでいると紹介した。トランプ大統領が駆使するツイッターも公文書として保存されるという。
 仲本さんは制度不備だけでなく、現在の国会論争にも苦言を呈した。首相の関与など「安倍おろし」に終始している点を疑問視し「本質は行政がゆがめられる土壌があることだ。公文書記録の管理をどうするかもっと突っ込んだ議論をしてほしい」と訴えた。今を生きる国民への説明責任だけでなく、将来の国民が政策点検するのに重要な公文書。新国立公文書館の建設までに、公文書の役割を国民が考える機会にしたい。
沖縄タイムス東京支社  上地 一姫
(引用終わり)
 
2018年06月01日 15:00~16:00 10階ホール
「公文書管理を考える」(3)福田康夫・元首相(1時間01分)

(動画説明から引用開始)
首相在任時に、公文書管理法制定に取り組んだ福田氏が、管理法制定までの経緯や現在の在り方について話した。
「記録を残すということは歴史を積み上げること。日本の形を作るという意識を持って欲しい」と、公務員の意識の重要性を強調した。一方で罰則を設けることについては「一人ひとりの良心に依存」と、否定的な味方を示した。
司会 川村晃司 日本記者クラブ企画委員(テレビ朝日)
(引用終わり)
 
(参考法令)

(再配信)NNNドキュメント「南京事件Ⅱ」(2018年5月13日放送予定)に注目しよう

 2018年5月7日配信(予定)のメルマガ金原No.3140を転載します。
 
(再配信)NNNドキュメント「南京事件Ⅱ」(2018年5月13日放送予定)に注目しよう
 
 今日お送りするのは、去る4月30日に配信した「NNNドキュメント「焼却された機密文書(仮)」(2018年5月13日放送予定)に注目しよう」を再配信するものです。
 
 なぜ、わずか1週間にして再配信することにしたかというと、今日、たまたまNNNドキュメントのホームページを閲覧したところ、5月13日放送予定の番組名が、仮題から本タイトルに変更されており、しかもそれが「南京事件Ⅱ」だったからです。
 「南京事件Ⅱ」という以上、当然「南京事件Ⅰ」があった訳で、それは、2015年10月4日に放送され、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞を受賞した「南京事件 兵士たちの遺言」のことです。
 この番組については、ネトウヨ界隈からの攻撃の対象となったことは言うまでもありませんが、産経新聞もその尻馬に乗って<「虐殺」写真に裏付けなし>という記事を掲載し、日本テレビがこれに対して正式に文書で抗議する事態となりました(産経新聞 2016年10月16日付掲載〈「虐殺」写真に裏付けなし〉記事について)。

 私は、この「南京事件 兵士たちの遺言」については、本放送には気がついていなかったものの、放送された直後の評判で番組の存在を知り、再放送の視聴を薦める記事を書いたものでした(10/11再放送(BS&CS)に注目~NNNドキュメント'15「南京事件 兵士たちの遺言」/2015年10月8日)。
 その中で、私は「本と雑誌のニュースサイト/リテラ」に掲載された小杉みすずさんの記事「安倍首相が否定したい南京大虐殺を日本テレビの番組が精緻な取材で「事実」と証明! ところが番組告知は…」の一部を引用したのですが、とりわけ注目すべき部分を再掲します。
 
(抜粋引用開始)
 ただ、ひとつだけ気になるのは、今回の放送のタイトルが、事前の新聞のラテ欄では「しゃべってから死ぬ 封印された陣中日記」とされていて、「南京」の文字がなかったことだ。先週の『NNNドキュメント』の最後に流された予告編でも「南京」の言葉は一言も出てこず、番組公式サイトでも事前に告知されていなかった。ようするに、4日深夜の初放映時になって初めて「南京事件 兵士たちの遺言」という真のタイトルが明かされたわけだが、ここに何か裏を感じるのは穿ち過ぎだろうか。
 権力を忖度し、ネット上の批判に怯え、萎縮した報道を続けるテレビ業界だ。その圧力を避けようとしたのか、真相は不明だが、こうした番組が継続して放送されれば、業界の失いつつある信頼も取り戻せるはず。
(引用終わり)
 
 そう、これでお分かりになったでしょうか。前回も今回も、事前に告知された仮題には「南京事件」という文字は一切使われていなかったのです。
 もっとも、前回は、予告編でも秘匿されたままだったのに対し、今流れている予告編では、しっかりと「南京事件Ⅱ」と題されているところが大きな違いです。
 
NNNドキュメント 2018/5/13 「南京事件Ⅱ」(20秒)

(文字起こし)
「封印されていた南京事件。残されていた兵士たちの肉声が伝える現実とは。(兵士の肉声の一部は、最後の「凄かったです」以外は聴き取れなかった)」
 
 それだけ、ディレクターも今回の放送には「腹をくくった」のでしょう。中国人捕虜の集団虐殺と思われるCG再現映像まで流そうというのですから。
 もちろん、「焼却された機密文書」という仮タイトルが、単にめくらましのために付けられた訳ではないでしょう。日本にとって都合の悪い(とりわけ戦争犯罪の証拠となり得るような)書類は、徹底的に焼却されたのですから。そのような中で、裏付によって信頼できる証言を積み重ね、歴史的事実に肉薄しようとするジャーナリスト魂の成果を心して視聴したいと思います。
 
 それでは、4月30日に配信したブログをそのまま再配信します(タイトルも仮題のままとしておきます)。ただし、現在の番組案内は、タイトルが「南京事件Ⅱ」となっている他、少し補充された部分もありますので、それのみまず以下に引用しておきます。
 
日本放送系列
2018年5月14日(月)午前0時55分~(13日深夜)【拡大版】
NNNドキュメント'18「南京事件Ⅱ」
(番組案内から引用開始)
かつて日本が行った日中戦争や太平洋戦争。
残された兵士のインタビューや一次資料を分析、
さらに再現CGで知られる事のなかった戦場の全貌に迫る。
政府の公式記録は、焼却されるなどして多くが失われた。
消し去られた事実の重みの検証を試みるとともに現代に警鐘を鳴らす。
ナレーター/湯浅真由美 制作/日本テレビ 放送枠/55分
再放送   
2018年5月20日(日)11:00~ BS日テレ
2018年5月20日(日)5:00~/24:00~ CS「日テレNEWS24」
(引用終わり)
 

(再配信)
 まずは、5月13日(日)深夜に放送予定のNNNドキュメント'18の放送予告をお読みください。
 
日本放送系列
2018年5月14日(月)午前0時55分~(13日深夜)【拡大版】
NNNドキュメント'18「焼却された機密文書(仮)」
(番組案内から引用開始)
かつて日本が行った日中戦争や太平洋戦争。残された兵士のインタビューや一次資料を分析、さらに再現CGで知られる事のなかった戦場の全貌に迫る。政府の公式記録は、焼却されるなどして多くが失われた。消し去られた事実の重みの検証を試みるとともに現代に警鐘を鳴らす。【制作:日本テレビ】
再放送   
2018年5月20日(日)11:00~ BS日テレ
2018年5月20日(日)5:00~/24:00~ CS「日テレNEWS24」
(引用終わり)
 
 NHK/Eテレの「ETV特集」や毎日放送の「映像」と並び、私がいつも注目し、ブログでもよくご紹介している「NNNドキュメント」ですが、2週間後に放送される上記番組は、是非録画せねばと思っています。NNNドキュメントは、通常、コマーシャルを含めて30分枠での放送ですが、この番組は【拡大版】ということなので、おそらく1時間枠での放送ではないかと思います(注:実際は55分枠)。
 
 私たちは、森友学園問題にからんで財務省によって組織的に行われた公文書改ざん問題に怒っている訳ですが、首相や首相夫人に対する「忖度」が許せないというようなレベルを超えて、ことの本質は、歴史に対する冒涜というところにあるはずです。
 
 そういう意味から、森友問題などとは比較にもならない(もちろん、森友学園公文書改ざん事件の重要性が低下する訳では決してありませんが)、1945年8月に日本政府によって組織的に行われた公文書抹殺作戦は、日本史上の一大汚点として、全ての国民が記憶にとどめる必要があります。
 
 日本政府は、中立国を通じ、ポツダム宣言受諾を連合国に通知した1945年(昭和20年)8月14日、国や自治体が保有する機密文書の廃棄を閣議決定したと言われています。
 ただし、後掲する神本美恵子参議院議員(民進党)の質問主意書に対する内閣答弁書を読めば分かるとおり、1945年8月18日付・各市町村長宛「機密重要書類焼却ノ件」、8月21日付「大東亜戦争関係ポスター類焼却ノ件」という通達のように、後日、物証が残っていることが明らかになった(長野県東筑摩郡今井村役場(現松本市)の庶務関係書類綴の中から発見)ものでさえ、「政府内にこれらの事実関係を把握することができる記録が見当たらない」という木で鼻をくくったような回答であり、ましてや記録自体が残っていない「8月14日閣議決定」に至っては、「お尋ねの「本件閣議決定の内容」が具体的に何を指すのか必ずしも明らかではなく」というのが政府の公式見解です。
 
※松本市文書館が保管する「東筑摩郡 今井村役場 庶務関係書類綴 昭和二十年」の写真が数枚、以下のブログ(季節の変化 活動の状況)に掲載されています。
 
 ポツダム宣言を受諾した鈴木貫太郎内閣、8月17日から政権を引き継いだ東久邇宮内閣は、この国をあげての組織的機密文書廃棄という歴史に対する犯罪について、大きな責任を負っていると思います。
 そういう意味からも、今度のNNNドキュメントには期待しています。
 是非視聴されますよう、お薦めします。
 
(参考)
第189回国会(常会)質問主意書
質問第二一八号
(引用開始)
一九四五年八月十四日の閣議に関する質問主意書
 
右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。
  平成二十七年七月二十九日
                               神本 美恵子   

    参議院議長 山崎 正昭 殿
 
                  一九四五年八月十四日の閣議に関する質問主意書
 
 今年は戦後七十年ということで様々な歴史的検証が行われている。歴史を構成するのは、一つは記憶であり、もう一つは記録である。戦争を体験した人が減少する一方で、記録の重要性はこれ以後も増すことはあっても減少することはない。
 記録の第一のものは国家の持つものである。国家の統治行為、命令などを誰が、いつ、どのように発したかは極めて重要な歴史資料である。戦後七十年を経てなお続いている近隣諸国との歴史認識の溝を埋め、共通認識を得るために最重要な記録である。そこで質問する。
 
一 一九四五年八月十四日の閣議(以下「本件閣議」という。)の内容、出席した閣僚名、場所、時刻を明らかにされたい。
 
二 本件閣議決定の内容はどのように実行に移されたか、明らかにされたい。
 
三 一九四五年七月二十六日に出された「ポツダム宣言」は第十項で「吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ」としているが、この項目の内容と本件閣議の関連について明らかにされたい。
 
四 一九四五年八月十五日以前から、軍部、政府関係機関では公文書の焼却が大量に何日間も行われたが、この焼却行為の法的根拠を示されたい。
 
五 政府は一九四五年八月十八日に各市町村長に宛て「機密重要書類焼却ノ件」を、八月二十一日に「大東亜戦争関係ポスター類焼却ノ件」という通達を出した。これらの通達の法的根拠をそれぞれ示されたい。
 
六 「機密重要書類焼却ノ件」と「大東亜戦争関係ポスター類焼却ノ件」の二つの通達は、通達そのものの棄却までも命じている。このような組織的な証拠隠滅行為を国家が行うことをどのように判断すればよいか、政府の見解を明らかにされたい。
 
七 本件閣議及び前記五の通達について、これまで国会で議論されたことがあるか否か、あった場合にはその内容につき、政府の承知するところを示されたい。
 
八 極東国際軍事裁判では、本件閣議決定に関する言及がなされたか否か、政府の承知するところを示されたい。
 
九 これまで政府は、戦後賠償問題や戦時・戦後補償問題で各国と交渉した際、本件閣議決定や各種通達について各国に説明したことがあるか否か示されたい。
 
十 本件閣議決定とそれによる行為は近代国家として許されざる卑怯・卑劣なことである。また、当時の軍事・政治指導者が自分たちが裁かれるのを防ぐため政策決定の重要資料を全て焼却するというのは、その時代の国民に対して責任を負うつもりがないこと、さらに、歴史上の判断を仰ぐ意思もないことを示している。戦後七十年の今、これらをどう評価、判断するのか、政府の見解を明らかにされたい。
 
  右質問する。
(引用終わり)
 
第189回国会(常会)
答弁書第二一八号
(引用開始)
内閣参質一八九第二一八号
 平成二十七年八月七日
                           内閣総理大臣 安倍 晋三   

    参議院議長 山崎 正昭 殿

参議院議員神本美恵子君提出一九四五年八月十四日の閣議に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。
 
参議院議員神本美恵子君提出一九四五年八月十四日の閣議に関する質問に対する答弁書
 
一について
 お尋ねの昭和二十年八月十四日の閣議で決定した案件としては、現在確認できる範囲では、詔書案(終戦の詔書案)、内閣告諭、塩ノ専売ニ関スル事務ノ委譲ニ関スル件、詔書喚発ニ際シ恩赦奏請ノ件、軍其他ノ保有スル軍需用保有物資資材ノ緊急処分ノ件、外地、満州及支那ニ所在スル生産設備等ニ対シ破壊行為ヲ厳禁スル件及び外務省所管赤十字国際委員会特別寄附金第二予備金ヨリ支出ノ件がある。
 また、お尋ねの「出席した閣僚名、場所、時刻」については、資料を確認することができず、お答えすることは困難である。
 
二について
 お尋ねの「本件閣議決定の内容」が具体的に何を指すのか必ずしも明らかではなく、お答えすることは困難である。
 
三について
 お尋ねの「本件閣議」が具体的に何を指すのか必ずしも明らかではなく、お答えすることは困難である。
 
四について
 お尋ねの「焼却行為の法的根拠」について、調査した限りでは、政府内に確認することができる記録が見当たらないことから、お答えすることは困難である。
 
五及び六について
 お尋ねの各市町村長に宛てた「機密重要書類焼却ノ件」及び「大東亜戦争関係ポスター類焼却ノ件」について、調査した限りでは、政府内にこれらの事実関係を把握することができる記録が見当たらないことから、お尋ねについてお答えすることは困難である。
 
七について
 お尋ねの「本件閣議」が具体的に何を指すのか必ずしも明らかではないが、お尋ねの各市町村長に宛てた「機密重要書類焼却ノ件」及び「大東亜戦争関係ポスター類焼却ノ件」について、国会において言及がなされているものとしては、現在確認できる範囲では、平成二十五年十二月五日の参議院国家安全保障に関する特別委員会における質疑があると承知している。
 
八及び九について
 お尋ねの「本件閣議決定」及び「各種通達」が具体的に何を指すのか必ずしも明らかではなく、お尋ねについてお答えすることは困難である。
 
十について
 お尋ねの「本件閣議決定とそれによる行為」が具体的に何を指すのか必ずしも明らかではないが、「当時の軍事・政治指導者が自分たちが裁かれるのを防ぐため政策決定の重要資料を全て焼却」したことについては、調査した限りでは、政府内に事実関係を把握することができる資料が確認できないことから、お尋ねについて一概にお答えすることは困難である。
(引用終わり)

NNNドキュメント「焼却された機密文書(仮)」(2018年5月13日放送予定)に注目しよう

 2018年4月30日配信(予定)のメルマガ金原No.3133を転載します。
 
NNNドキュメント「焼却された機密文書(仮)」(2018年5月13日放送予定)に注目しよう
 
 まずは、5月13日(日)深夜に放送予定のNNNドキュメント'18の放送予告をお読みください。
 
日本放送系列
2018年5月14日(月)午前0時55分~(13日深夜)【拡大版】
NNNドキュメント'18「焼却された機密文書(仮)」
(番組案内から引用開始)
かつて日本が行った日中戦争や太平洋戦争。残された兵士のインタビューや一次資料を分析、さらに再現CGで知られる事のなかった戦場の全貌に迫る。政府の公式記録は、焼却されるなどして多くが失われた。消し去られた事実の重みの検証を試みるとともに現代に警鐘を鳴らす。【制作:日本テレビ】
再放送   
2018年5月20日(日)11:00~ BS日テレ
2018年5月20日(日)5:00~/24:00~ CS「日テレNEWS24」
(引用終わり)
 
 NHK/Eテレの「ETV特集」や毎日放送の「映像」と並び、私がいつも注目し、ブログでもよくご紹介している「NNNドキュメント」ですが、2週間後に放送される上記番組は、是非録画せねばと思っています。NNNドキュメントは、通常、コマーシャルを含めて30分枠での放送ですが、この番組は【拡大版】ということなので、おそらく1時間枠での放送ではないかと思います。
 
 私たちは、森友学園問題にからんで財務省によって組織的に行われた公文書改ざん問題に怒っている訳ですが、首相や首相夫人に対する「忖度」が許せないというようなレベルを超えて、ことの本質は、歴史に対する冒涜というところにあるはずです。
 
 そういう意味から、森友問題などとは比較にもならない(もちろん、森友学園公文書改ざん事件の重要性が低下する訳では決してありませんが)、1945年8月に日本政府によって組織的に行われた公文書抹殺作戦は、日本史上の一大汚点として、全ての国民が記憶にとどめる必要があります。
 
 日本政府は、中立国を通じ、ポツダム宣言受諾を連合国に通知した1945年(昭和20年)8月14日、国や自治体が保有する機密文書の廃棄を閣議決定したと言われています。
 ただし、後掲する神本美恵子参議院議員(民進党)の質問主意書に対する内閣答弁書を読めば分かるとおり、1945年8月18日付・各市町村長宛「機密重要書類焼却ノ件」、8月21日付「大東亜戦争関係ポスター類焼却ノ件」という通達のように、後日、物証が残っていることが明らかになった(長野県東筑摩郡今井村役場(現松本市)の庶務関係書類綴の中から発見)ものでさえ、「政府内にこれらの事実関係を把握することができる記録が見当たらない」という木で鼻をくくったような回答であり、ましてや記録自体が残っていない「8月14日閣議決定」に至っては、「お尋ねの「本件閣議決定の内容」が具体的に何を指すのか必ずしも明らかではなく」というのが政府の公式見解です。
 
※松本市文書館が保管する「東筑摩郡 今井村役場 庶務関係書類綴 昭和二十年」の写真が数枚、以下のブログ(季節の変化 活動の状況)に掲載されています。
 
 ポツダム宣言を受諾した鈴木貫太郎内閣、8月17日から政権を引き継いだ東久邇宮内閣は、この国をあげての組織的機密文書廃棄という歴史に対する犯罪について、大きな責任を負っていると思います。
 そういう意味からも、今度のNNNドキュメントには期待しています。
 是非視聴されますよう、お薦めします。
 
(参考)
第189回国会(常会)質問主意書
質問第二一八号
(引用開始)
一九四五年八月十四日の閣議に関する質問主意書
 
右の質問主意書を国会法第七十四条によって提出する。

  平成二十七年七月二十九日

神本 美恵子   
                         参議院議長 山崎 正昭 殿
 
                    一九四五年八月十四日の閣議に関する質問主意書
 
 今年は戦後七十年ということで様々な歴史的検証が行われている。歴史を構成するのは、一つは記憶であり、もう一つは記録である。戦争を体験した人が減少する一方で、記録の重要性はこれ以後も増すことはあっても減少することはない。
 記録の第一のものは国家の持つものである。国家の統治行為、命令などを誰が、いつ、どのように発したかは極めて重要な歴史資料である。戦後七十年を経てなお続いている近隣諸国との歴史認識の溝を埋め、共通認識を得るために最重要な記録である。そこで質問する。
 
一 一九四五年八月十四日の閣議(以下「本件閣議」という。)の内容、出席した閣僚名、場所、時刻を明らかにされたい。
 
二 本件閣議決定の内容はどのように実行に移されたか、明らかにされたい。
 
三 一九四五年七月二十六日に出された「ポツダム宣言」は第十項で「吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ」としているが、この項目の内容と本件閣議の関連について明らかにされたい。
 
四 一九四五年八月十五日以前から、軍部、政府関係機関では公文書の焼却が大量に何日間も行われたが、この焼却行為の法的根拠を示されたい。
 
五 政府は一九四五年八月十八日に各市町村長に宛て「機密重要書類焼却ノ件」を、八月二十一日に「大東亜戦争関係ポスター類焼却ノ件」という通達を出した。これらの通達の法的根拠をそれぞれ示されたい。
 
六 「機密重要書類焼却ノ件」と「大東亜戦争関係ポスター類焼却ノ件」の二つの通達は、通達そのものの棄却までも命じている。このような組織的な証拠隠滅行為を国家が行うことをどのように判断すればよいか、政府の見解を明らかにされたい。
 
七 本件閣議及び前記五の通達について、これまで国会で議論されたことがあるか否か、あった場合にはその内容につき、政府の承知するところを示されたい。
 
八 極東国際軍事裁判では、本件閣議決定に関する言及がなされたか否か、政府の承知するところを示されたい。
 
九 これまで政府は、戦後賠償問題や戦時・戦後補償問題で各国と交渉した際、本件閣議決定や各種通達について各国に説明したことがあるか否か示されたい。
 
十 本件閣議決定とそれによる行為は近代国家として許されざる卑怯・卑劣なことである。また、当時の軍事・政治指導者が自分たちが裁かれるのを防ぐため政策決定の重要資料を全て焼却するというのは、その時代の国民に対して責任を負うつもりがないこと、さらに、歴史上の判断を仰ぐ意思もないことを示している。戦後七十年の今、これらをどう評価、判断するのか、政府の見解を明らかにされたい。
 
  右質問する。
(引用終わり)
 
第189回国会(常会)
答弁書第二一八号
(引用開始)
内閣参質一八九第二一八号 平成二十七年八月七日

内閣総理大臣 安倍 晋三   
                         参議院議長 山崎 正昭 殿

参議院議員神本美恵子君提出一九四五年八月十四日の閣議に関する質問に対し、別紙答弁書を送付する。
 
参議院議員神本美恵子君提出一九四五年八月十四日の閣議に関する質問に対する答弁書
 
一について
 お尋ねの昭和二十年八月十四日の閣議で決定した案件としては、現在確認できる範囲では、詔書案(終戦の詔書案)、内閣告諭、塩ノ専売ニ関スル事務ノ委譲ニ関スル件、詔書喚発ニ際シ恩赦奏請ノ件、軍其他ノ保有スル軍需用保有物資資材ノ緊急処分ノ件、外地、満州及支那ニ所在スル生産設備等ニ対シ破壊行為ヲ厳禁スル件及び外務省所管赤十字国際委員会特別寄附金第二予備金ヨリ支出ノ件がある。
 また、お尋ねの「出席した閣僚名、場所、時刻」については、資料を確認することができず、お答えすることは困難である。
 
二について
 お尋ねの「本件閣議決定の内容」が具体的に何を指すのか必ずしも明らかではなく、お答えすることは困難である。
 
三について
 お尋ねの「本件閣議」が具体的に何を指すのか必ずしも明らかではなく、お答えすることは困難である。
 
四について
 お尋ねの「焼却行為の法的根拠」について、調査した限りでは、政府内に確認することができる記録が見当たらないことから、お答えすることは困難である。
 
五及び六について
 お尋ねの各市町村長に宛てた「機密重要書類焼却ノ件」及び「大東亜戦争関係ポスター類焼却ノ件」について、調査した限りでは、政府内にこれらの事実関係を把握することができる記録が見当たらないことから、お尋ねについてお答えすることは困難である。
 
七について
 お尋ねの「本件閣議」が具体的に何を指すのか必ずしも明らかではないが、お尋ねの各市町村長に宛てた「機密重要書類焼却ノ件」及び「大東亜戦争関係ポスター類焼却ノ件」について、国会において言及がなされているものとしては、現在確認できる範囲では、平成二十五年十二月五日の参議院国家安全保障に関する特別委員会における質疑があると承知している。
 
八及び九について
 お尋ねの「本件閣議決定」及び「各種通達」が具体的に何を指すのか必ずしも明らかではなく、お尋ねについてお答えすることは困難である。
 
十について
 お尋ねの「本件閣議決定とそれによる行為」が具体的に何を指すのか必ずしも明らかではないが、「当時の軍事・政治指導者が自分たちが裁かれるのを防ぐため政策決定の重要資料を全て焼却」したことについては、調査した限りでは、政府内に事実関係を把握することができる資料が確認できないことから、お尋ねについて一概にお答えすることは困難である。
(引用終わり)

丹羽宇一郎氏が「歴史の節目の日」に発表する論考(東洋経済ONLINE)を読む~『戦争の大問題』その後

 2017年12月12日配信(予定)のメルマガ金原.No.3014を転載します。
 
丹羽宇一郎氏が「歴史の節目の日」に発表する論考(東洋経済ONLINE)を読む~『戦争の大問題』その後
 
 伊藤忠商事の社長、会長を歴任した後、民主党政権時代の2010年6月から2012年12月まで、中華人民共和国駐箚特命全権大使を務めた丹羽宇一郎(にわ・ういちろう/1939年1月生)氏は、大使退任後の2015年には、公益社団法人日本中国友好協会の代表理事会長に就任されています。
 
 また、今年の8月4日に東洋経済新報社から刊行した著書『戦争の大問題』が大きな反響を呼び、10月には赤旗の「焦点・論点」欄で大きく著者へのインタビューが取り上げられました(後に読んだのですが)。
 その一部を引用してみましょう。
丹羽宇一郎 戦争の大問題
丹羽 宇一郎
東洋経済新報社
2017-08-04

 
(抜粋引用開始)
 最近の反中、嫌韓の世論も気になります。相手をバカにし、敵意を持てば、相手も同じ感情を持ちます。人は自分の鏡です。いくら相手をバカにしても、それで自分が立派になることはありません。一時的に留飲は下がりますが、自分自身の尊厳も下げます。
 お互いに共通することだけでなく、違っていることを認め受け入れることが基本です。敵意や戦意をあおるのは、平和友好を説くよりもずっと簡単で、国民の感情的な支持は得やすいものです。現在の日本でも、北朝鮮や韓国、中国に対し、強硬な議員の方が支持を得やすいでしょう。
 日本人に限らず、外国と対立すると、国民は強硬論を好む傾向にあります。慎重論は弱腰とされ、政府の政策が強硬になるとメディアも自由を失い、強硬論以外は排除されていきます。戦前のメディアがまさにそうで、いままた同じ過ちを繰り返そうとしています。
(略)
 日本が目指すべきは世界中から尊敬される国です。尊敬される国とは世界を屈服させる国ではなく、世界が感服し、見本となる国です。平和的手段で問題を解決するというのは当たり前のことです。
 歴史は勝者がつくるものといわれます。日本が目指すべきは「敗者の歴史」を冷静に検証する国です。
 相手にいかに非があっても、武力で正す方法は避けなければいけません。戦争による解決は選んではいけないのです。
(引用終わり)
 
 このような丹羽さんの発言は、昨日、今日言い出されたことではありませんが、ネトウヨ界隈やその周辺からの誹謗中傷(少しネット検索してみればぞろぞろヒットします)にもめげず、「今言っておかなければ」という義務感・切迫感が直接伝わってくるような発言を続けておられます。
 特に、『戦争の大問題』の版元である東洋経済新報社が運営する「東洋経済ONLINE」に掲載を続けている論考の内容を確認すると、その感を強くします(「習近平の3期目はない」というような観測を記したものもありますけど)。
 以下に、『戦争の大問題』を刊行した今年の8月以降、戦争を振り返る際に節目となる日に丹羽さんが「東洋経済ONLINE」に発表した論考をご紹介したいと思います。
 その節目の日というのは、以下の5日です。
 
8月 6日 広島への原爆投下(1945年)
8月15日 敗戦の国民への公表(1945年)
9月18日 満州事変開戦(1931年)
9月29日 日中国交正常化(1972年)
12月8日 太平洋戦争開戦(1941年)
 
 おそらく、節目の日に「東洋経済ONLINE」に掲載された論考は、『戦争の大問題』の続編として刊行されることになるのでしょう。
 是非皆さんにもお読み戴きたく、ご紹介します。
 
いま聞かないと「戦争体験者」がいなくなる
「母は必死に座布団で焼夷弾の火を消した」
丹羽 宇一郎:元伊藤忠商事社長・元中国大使 2017年08月06日
(抜粋引用開始)
 私の記憶にある戦争体験は1945年3月の名古屋大空襲だ。米軍機の空襲を受け、母と兄弟5人で防空壕に逃げ込んだ。そのとき投下された焼夷弾のひとつは防空壕の入り口に落ちた。焼夷弾は発火し、防空壕の中に炎が吹き込んできた。そのため母は必死になって座布団で焼夷弾の火を消していた。
 その後、一家は焼夷弾の炎の道を縫うように走った。まるで道の両側に焼夷弾のろうそくの列があり、ろうそくの灯りに照らし出された道の上を艦載機の機銃に追われ走っているような光景は、いまでも鮮明に憶えている。戦後72年経ったいまでも時折、夢に見るほどだ。これが私にとっての戦争である。
(略)
 故田中角栄元首相は「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が政治の中枢となったときはとても危ない」と若い議員によく言っていたという。
 われわれはいま貴重な戦争の語り部を失いつつある。体験の裏付けのない戦争論も非戦論もどこか弱く、空々しい。だが、それでもわれわれは追体験によって真実を推し量るという行為まであきらめてはいけない。 
(略)
 しかし、近年の世界情勢や、反中、嫌韓の世論を見ていると、日本が戦争当事国になる危険を感じることさえ禁じえない。私が最も危惧するのは、日本の世論に強硬論が目立つことである。
 戦前の日本も国民感情が対米強硬論、対中強硬論へ先鋭化するとともに、その反動として親ドイツ、親イタリアの論調が高まった。結局、それが世界を相手にする戦争へ日本を突入させる要因の1つとなる。
 強硬論、好戦的な発言が飛び交う背景には、戦争体験者が少なくなったという問題があると思われる。戦争を知らない世代は、戦争というものを具体的にイメージできない。戦争を知らずに、気に入らない国はやっつけてしまえという勢いだけがいい意見にはどこかリアリティがない。彼らはどこまで戦争を知っているのだろうか。
 私自身も、戦争はわずかに記憶の片隅にある程度だ。それでも、冒頭に書いたように、時折、名古屋大空襲で炎の中を逃げる夢を見る。幼心の記憶が、いまも鮮明に脳に刻まれている。
 中国や北朝鮮に対し強硬な意見を述べる人たちは、戦争の痛みも考えず、戦力の現実も知らないまま、勢いだけで述べているのではないか。戦争を知って、なお戦争も辞せずと主張するのなら、私とは相いれない意見ではあるが、それも1つの意見として聴こう。しかし、戦争を知らずに戦争して他国を懲らしめよという意見が人の道に反することだけは間違いない。
 われわれは、一度、戦争の真実を追ってみるべきだ。それは私とは意見を異にする人たちとともにやってもよい。そのうえでもう一度、日本の平和と防衛を考えてみるべきではないか。
 2017年8月6日、72年前に広島に原爆が投下されたこの日に私が思うのは、唯一の被爆国である日本には、戦争をしない世界をつくる使命があるということだ。この一点に尽きる。
(引用終わり)
 
戦後72年「戦後はまだ終わっていない」理由
日本人は勇気をもって「敗者の歴史」を学べ
丹羽 宇一郎:元伊藤忠商事社長・元中国大使 2017年08月15日
(抜粋引用開始)
 昭和天皇は1975年を最後に靖国神社を訪れなくなった。今上陛下も靖国に行かれていない。その理由にはA級戦犯の合祀があるといわれる。古賀氏の言う「陛下がご親拝できる環境を整える」とはA級戦犯の分祀である。古賀(誠)氏はこう言われた。
 「マリアナ沖海戦以後に200万人の日本人が死んでいます。マリアナ沖海戦は1944年6月です。マリアナ沖海戦で戦争をやめていれば東京大空襲はなかったし、日本全国の主要都市を襲った大空襲もなかった。沖縄戦もなかった。広島、長崎の原爆投下もなかったのです。日本はあのとき戦争をやめる決断をするべきだった。それをしなかったのは為政者の責任です」
 「決断するべき決断をせずに、大変な犠牲者を出した為政者と一緒に祀られることを英霊がよろこぶはずがありません」
 古賀氏が最後に口にした言葉は印象的だった。
(略)
 私は、日本人はあえて「敗者」の歴史を、勇気を持って学ぶべきと思う。普通の国は「勝者」の歴史を学ぶが、日本が目指すべきは敗者の物語も真摯に検証していく「特別な歴史」の学びである。
 検証すべきことは何か。それは、戦争は国民を犠牲にする。戦争で益する人はいない。結局、人も物もすべてを害する。特に弱い立場の人ほど犠牲になる。日本は二度と戦争をしてはいけないということである。これらは敗者の歴史からしか学べない重要なことだ。
 戦争を知っている世代が元気で、政治の中枢にいた時代は現代史を知らなくてもまだよかった。しかし、戦争を知っている人がいなくなっていく現在、日本人は文献や記録からだけでも戦争を学び知らなくてはいけない。
 日本は無責任文化から決別し、現代史を学ぶべきである。それが敗者の歴史に重要な区切りをつける最後の年になりつつある今年の8月15日に、私が強く言いたいことだ。
(引用終わり)
 
対北朝鮮政策は、「満州事変の教訓」から学べ
86年前、なぜ日本は「暴走」したのか
丹羽 宇一郎:元伊藤忠商事社長・元中国大使 2017年09月18日
(抜粋引用開始)
 北朝鮮のミサイルと核は由々しき問題であるが、『戦争の大問題』で述べているように、問題を力対力で解決しようとすれば必ず戦争になる。それが先の大戦を体験した先人たちが、身をもってわれわれに教えてくれたことだ。
 北朝鮮に対しては圧力と制裁をもって臨むべきという意見が多い。かつて「対話と圧力」と言っていた人物まで、対話を忘れたかのように圧力と制裁が必要と繰り返している。確かに弾道ミサイルと核実験を繰り返す北朝鮮相手には、対話は手ぬるいように思えることもある。北朝鮮は周辺国に対して挑発的な態度を取り続け、対話のムードはみじんもない。われわれは、北朝鮮は言葉で言ってわかるような相手ではないと見限りがちだ。
 しかし、そもそも利害の対立する両国で、初めから意見が一致しているはずがない。言ってわからない相手は、力で懲らしめるというのでは、満州事変から日中戦争へと進んでいったときの日本人の意識にほかならない。意見の違いを乗り越え、妥協点を見いだすのが対話の目的である。初めから言ってわからない相手と見下していては、対話は成り立たない。
 お互いが相手を物わかりの悪い、話にならない国民と見下して、対話のための努力を放棄したのは戦前の姿そのものである。世論もそれに同調した。戦前の新聞紙面に躍った「不法背信暴戻止まるところを知らぬ」の文言や「膺懲」という文字は今日の新聞にはないが、論調はどこか似通っている。
 私は、仮にも2500万人の国民を率いるリーダーが、対話もできないような野蛮人ということはありえないと思っている。対話する余地があるのに相手に“力”をかけ、窮鼠(きゅうそ)に追い込み対話を放棄することは、とても危険なことである。
 日本は戦前の轍を踏んではならない。力対力は決して選んではいけない。日本人は、なぜ戦争が起こるのか、なぜ戦争を終わらせることが難しいのか、満州事変から終戦までの歴史をもう一度振り返る必要がある。それが、86年前に満州事変が起きた今日9月18日に、私が言いたいことである。
(引用終わり)
 
田中角栄×周恩来「尖閣密約」はあったのか
日中問題は45年前の智慧に学べ
丹羽 宇一郎:元伊藤忠商事社長・元中国大使 2017年09月29日
(抜粋引用開始)
 ほんの小さな小競り合いからでも、全面戦争に至ることがある。
 もし、尖閣諸島周辺で日中衝突となったら、はたして国民は冷静でいられるだろうか。世論の後押しを受ければ事態はエスカレートする。そうなればもはや小競り合いでは済まなくなる。全面戦争に至る可能性は否定できないだろう。
 こうした想像が根も葉もない妄言と一蹴されるなら、そのほうがよい。だが、武力衝突が起きれば、それが小規模であっても国民の間にある反感や得体の知れない恐怖は、明確な敵愾心(てきがいしん)に変わり、攻撃的な感情がむき出しになるのではないか。おそらくそうなるだろう。
 領土主権がどちらにあるかは戦争をしなければ解決しない。これは古今の戦争の多くが国境紛争から始まったことからもわかる。
 領土であれ、権益であれ、それは国民を豊かにする手段である。しかし、領土に関しては、国民の間で合理的な思考が止まりがちだ。現代の戦争で利益を得ることはない。戦争は勝っても損、負ければ大損である。
 われわれは、尖閣諸島の領有権にあえて白黒をつけず、棚上げとしたまま国交を回復させた日本と中国の先輩たちの智慧(ちえ)に学ぶべきだ。それが、45年前に日中の国交が正常化した今日9月29日に、私が言いたいことである。
(引用終わり)
 
太平洋戦争「開戦の日」に考えてほしいこと
現代史は日本人が学ぶべき最重要科目である
丹羽 宇一郎:元伊藤忠商事社長・元中国大使 2017年12月08日
(抜粋引用開始)
 歴史(History)とは勝者の物語(Story)である。歴史はただ事実を時系列に並べただけのものととらえるのは、あまりにもナイーブだ。同じ出来事でも国によって解釈が異なる。その解釈が「歴史」なのである。事実を勝者にとって都合よく意味づけ、勝者を正当化したものが歴史だ。
(略)
 われわれ日本人には勝者の現代史はない。あるのは敗者の物語だ。だが、勝者の歴史は勝者を正当化するため、過去の出来事を脚色し、勝者の正当化を図る。一方、敗者の歴史は過去の事実を粉飾する必要はなく、歪曲することも求められない。
 勝者の歴史は、過去から現代までで終わるが、敗者の歴史は過去の事実から学んだことを未来のために生かす。敗者である日本の現代史は、未来志向の歴史なのである。
 日本の現代史は敗者の物語であるが、日本人はあえて敗者の現代史を、勇気を持って学ぶべきである。そして、学ぶべき眼目で最大のものが、戦争をしない、戦争に近づかないための知恵である。
 戦争は国民を犠牲にする。戦争で得する人はいない。結局みんなが損をする。特に弱い立場の人ほど犠牲になる。日本は二度と戦争をしてはいけない。これは敗者の歴史からしか学べないことだ。だから日本人は現代史を学ぶべきなのである。
 戦争を実際に知っている人がいなくなっている今日、日本人は文献や記録からだけでも戦争を知らなくてはいけない。現代史は日本人が学ぶべき最重要科目である。
 私は「あの戦争は正しかった」という発言があってもよいと考えている。問題は正しかったか、間違っていたかではないからだ。
 アメリカは広島、長崎への原爆投下を正しかったとしている。しかし、原爆投下の判断がどんなに正しかろうとも、原爆がもたらした惨状を肯定できるはずがない。正しかろうと、正しくなかろうと、人々を不幸のどん底に突き落とす戦争をしてはいけない。戦争が引き起こす悲惨さを、戦争なのだから仕方がないで済ませるようであれば、世界は日本国民を歴史から学ぶことを忘れた愚か者と言うだろう。
 戦争に近づいてはいけない。これを日本のみならず、世界各国の共通の歴史認識としていくことが、日本国民の叫びであり、われわれが現代史を学ぶ意味とすべきだ。これが開戦の日である今日12月8日に私が言いたいことである。
(引用終わり)
 
 最後に、10月20日、日本記者クラブに招かれて丹羽さんがお話された動画を視聴できます。会見リポートの末尾に「丹羽さんは、本書をはじめ著書の印税を、中国から日本に来る私費留学生の奨学金として全額寄付している。本の出版は、隣国とのパートナーシップづくりのためでもあるのだ。」と書かれているのを読んで驚きました。正直、すごいなあと思います。
 
著者と語る『戦争の大問題』 丹羽宇一郎 元中国大使 2017.10.20(1時間37分)

会見リポートから引用開始)
悲惨な戦争の事実知るべき
 40年ほど前、わざわざ終着駅のある郊外に家を構えたのは、座って本を読む時間を捻出するためだった。2010年、民間出身では初の中国大使に就任、日中友好協会会長を務める今も、始発駅からの1時間の読書が「極上です」という活字の虫は、新聞も丹念に読む。1つの記事を書くために記者がいかに足を使っているかは、伊藤忠商事のアメリカ駐在時代、穀物相場の現場を歩いた経験からよく知っている。だからこそ自分が本を書くときにも取材する。
 戦後72年目のこの夏出版した『戦争の大問題』(東洋経済新報社)では戦争体験者、軍事専門家に聞いて歩き、いかに戦争が人間性を狂わせるかを事実で示した。「人間は動物的で賢くもあれば、鬼や邪になることもある非合理な存在。その人間を愚かにする戦争の真実から目を覆ってはいけない」
 世界の指導者の多くに戦争体験がなく、戦争を格好いいと思いこんでいる若い世代がいることに危機感を覚える。「私たち日本人には原爆の惨禍を知っている人もいる。戦争の悲惨な事実を知ってもらおうと、この本を書きました」
 北朝鮮の核・ミサイル開発を巡り米朝対立が激化していることを懸念している。最大の心配は、金正恩体制下の北の指導層と対話のチャンネルを持っている国が少ないことだ。「力で圧力をかけてごめんなさいという国はないし、力ずくで頭を下げろというのは子どもの喧嘩。窮鼠猫を噛む、ではないが、戦前にアメリカがハル・ノートで日本を追い込み、戦争になったように、力で北朝鮮を追いつめる〝出口なき戦略〟は暴発を生む可能性がある」と憂慮した。
 ビジネスも外交も基本は「信頼関係」という丹羽さんは、本書をはじめ著書の印税を、中国から日本に来る私費留学生の奨学金として全額寄付している。本の出版は、隣国とのパートナーシップづくりのためでもあるのだ。
読売新聞社編集委員  鵜飼 哲夫
(引用終わり)

中川五郎さんの『トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース』を聴き、変わろうとしないこの国の人たちを思う

 2017年9月6日配信(予定)のメルマガ金原.No.2927を転載します。
 
中川五郎さんの『トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース』を聴き、変わろうとしないこの国の人たちを思う
 
 今日(9月6日)の夕方、和歌山弁護士会の委員会を終え、徒歩約1分の事務所に戻ったところ、郵便ポストに、全国一律164円で日本郵便が配達する「クリックポスト」サービスで、注文していたCDが届いていました。
 私は、即座に、今日のブログはこのCDを取り上げようと決めました。
 それは、中川五郎さんの発売されたばかりのシングルCD『トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース』です。
 収録されているのはタイトル曲1曲のみ。ただし、演奏時間は17分49秒あります。
 
 私が敬愛するフォークシンガー中川五郎さんのことをブログで取り上げるのはこれが何回目でしょうか。巻末に、「中川五郎/金原」というキーワードでGoogle検索して見つかったブログ記事にリンクしておきましたが、これでも何本かは漏れているような気がします。
 一番最近書いたのは、中川さんが今年の7月30日、「くまの平和の風コンサート」でメインゲストとして歌われるということをご紹介した記事で、残念ながら他用のために新宮まで伺えませんでしたが、後に主催者の1人から送ってもらったメールによれば、とても素晴らしいコンサートだったようです。
 
 さて、『トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース』です。
 この作品は、中川さんが、『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』(加藤直樹著/ころから刊/2014年3月)という本を読んで受けた衝撃から、作られたものです。

 今年の9月初旬にCDをリリースするという時期の設定は、この曲が題材とする事件が起きた9月2日(関東大震災の翌日)に合わせてということだったのでしょうが、時あたかも、小池百合子東京都知事が、従前の慣例を破り、関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文を送らないこととしたというニュースと時期が重なり、以下のようにメディアが中川さんのCDを紹介するきっかけになったのは、何というタイミングかと正直驚きます。
 
朝日新聞デジタル 2017年9月1日09時07分
神社の木に伝わる朝鮮人虐殺 中川五郎さん、題材に新曲(吉野太一郎)
(抜粋引用開始)
 1923(大正12)年9月1日の関東大震災で起きた朝鮮人虐殺。この事件をテーマに、フォーク歌手の中川五郎さん(68)が歌を作った。民族差別的なヘイトスピーチのデモが相次ぐ現代に警鐘を鳴らす約18分の長い歌だ。
 曲名は「トーキング烏山神社の椎(しい)ノ木ブルース」。かつて住んでいた東京都世田谷区の千歳烏山駅近くで、虐殺に絡んで植えられたというシイの木の伝承を題材にした。
 中川さんは60年代後半からベトナム反戦や反差別をテーマにした米国のフォークソングに影響を受けて歌い始め、69年には第1回の「中津川フォークジャンボリー」にも参加。高田渡や岡林信康らとともに、フォークを代表する歌手の1人だ。
 94年前の震災直後、「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などとするデマが流れ、関東各地で朝鮮人や中国人が暴行を受けて殺害された。世田谷区南烏山2丁目の烏山神社にあるシイの木は「殺された朝鮮の人13人の霊をとむらって地元の人びとが植えた」と、区制50年誌に記されている。
 一方、加害者として起訴された12人が「晴れて郷土にもどり(中略)記念として植樹した」との古老の証言記録も残る。この証言を紹介したノンフィクション「九月、東京の路上で」(加藤直樹著、ころから刊)が2014年に出版された。読んだ中川さんは、「異質なものを排除し、加害者をかばって木まで植えてしまった」と衝撃を受けた。
(引用終わり)
 
 もう1つ、同じく9月1日にハフィントン・ポストにも以下のような記事が掲載されました。
 
HUFFPOST 2017年09月01日11時49分 更新:2017年09月03日08時04分
「歴史修正が恐ろしい」日本フォークソングの始祖、中川五郎はだから歌い続ける
かつて朝鮮人虐殺が起こった現場で、彼は語った。
(抜粋引用開始)
 1923年、関東大震災から一夜明けた9月2日の午後8時頃。東京府北多摩郡千歳村字烏山において新宿方面に移動中のトラックが自警団によって止められ、竹やり、棍棒、トビ口などで武装した人々に取り囲まれた。
 車中に乗っていたのは17人の朝鮮人労働者たちで京王電鉄の依頼を受けて土木作業現場に就く途中であった。すでに「震災の混乱に乗じて転覆を図る朝鮮人暴徒が世田谷方面から集団で襲って来る」等のデマが千歳村に流布されており、尋常ならざる興奮状態であった武装集団は数回の押し問答の末、朝鮮人という言葉に反応し手にした凶器で襲い掛かった。
 法に基づいた調査もなされずにただ朝鮮人ということだけで凄惨を極める私刑が行われた。当時35歳だった洪其白さんたち13名が犠牲になった。
(略)
 「怖いことです。僕も住んでいたからこそ分かるんですが、千歳の村でかばい合う意味での絆があったんでしょうね。身内の団結というか、例え誤ったことでもそれは地元のためにやったことだからと正当化してしまう。内向きでそれを正義にしてしまう。日本の恐ろしい所、この国が犯して来た過ちです。これを歌わなければと強く思ったわけです」
 本が出たのが2014年3月で5月にはもう曲を作っていた。烏山で起きた事件をひとつの物語としてろうろうと歌い上げるバラッドは実に17分49秒におよぶ大作となった。
 「でもね」と続ける。「僕が歌っているのは、94年前のことではなく、今の日本のこと。事件は過去のことでも現在と未来のことを歌っているんです」
 一時ほどではないにせよ、白昼堂々と「朝鮮人を殺せ」と叫ぶヘイトスピーチが横行し、それらを企んだ人物が政党を作った。一年前には相模原の障害者施設で19人が殺害される事件が起こった。
 「自分たちと異なる人たち、出自を外国に持つ人であったり、障害を持つ人たちとこの国で共に生きようとするのではなくて排除しようとしている。そんなひどい社会になっているじゃないですか」
 そして関東大震災の虐殺については、歴代都知事が行って来た朝鮮人犠牲者の追悼式に対する追悼文を小池百合子都知事が、約6000人という犠牲者の数に疑義を呈して今回は見送ると表明した。
 「ああいう歴史修正が恐ろしい。小池知事は東京大空襲や広島、長崎の被害の数字にはこだわりは見せていないじゃないですか。それでいて関東大震災の虐殺については数字から事実ではないのではないかという言いがかり。仮にその数字に信憑性がなかったとしても、例え犠牲者の数が少なかったとしても、デマがあって自分たちと違う人々がそれを理由に殺されたという悲惨な出来事自体はあったわけです」
 「都知事の立場ならば、かつて東京でそういう事件が起こったということ、数字の正確さよりもそれを二度と繰り返さないという誓いを言わないといけないと思うんですよ。ところが、数字の問題にすり替えて、あった事実をゼロにしてしまう。知事が追悼の言葉を送らないなんて考えられないですよ。恐ろしい時代になって来ました。そのおかげで僕はこの年になって歌いたいことがどんどん出て来ました」
(略)
(引用終わり)
 
 上記HUFFPOSTの記事はほぼ良い内容なのですが、かなりまずい表現が1箇所あります。それは、「13名が犠牲になった」という部分です。これを読んだ人は、当然、中川さんの『トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース』は、13人の虐殺された朝鮮の人たちの悲劇を歌い上げ、そのような悲劇的な歴史を直視せず、ヘイトスピーチに走ったりする世相を厳しく批判している曲に違いないと思うでしょう?
 違うのです。この曲が取り上げた事件で亡くなった(殺された)方は1人だけなのです。17人の朝鮮人労働者のうち、2人は現場から逃げ、残る15人が集団暴行を受けて重軽傷を負い、その内1人が病院に搬送されるも亡くなったということだったのです。
 中川さんの約18分の曲は、甲州街道沿いの烏山村で発生した事件を語り、暴行に加わった自警団員のうち12人(「その中には大学で英語を教える教授もいた。」)が殺人罪で起訴された、と歌ったところでちょうど半分あたり(9分過ぎ)となり、しばらくギターだけの間奏となります。
 従って、この曲の残る半分は、事件そのものを語る訳ではないのです。後半の始めの方の歌詞を一部引用します。
 
(引用開始)
少し時が流れて 烏山神社の参道に椎ノ木が植樹された
そして もっと大きな時の流れの中で
事件のことは 人々の口には上らなくなっていった
60年後の1982年 世田谷区制50年を祝って
世田谷区から 郷土史の本が出版された
その本では 大橋場の事件に触れて こう書かれていた
今の烏山神社の参道には 13本の椎ノ木が粛然と立っている
これは殺された朝鮮人13人の霊を弔うために 村の人たちが植えたもの
しかし 殺されたのは「ホン ギペック(?)」ただ1人
重軽傷を負った朝鮮人の土工たちは全部で14人
烏山神社の参道に植えられた椎ノ木は全部で12本
13人の霊を弔うと書いたその本の文章は摩訶不思議
そして 真相が明らかになった
烏山神社の参道に植えられた12本の木は 
起訴された自警団員の男たちが
晴れて村に戻れたことを祝って植えられたものだった
(引用終わり)
 
 小池百合子知事の発言に対し、問題は「人数」ではないとして厳しく批判する中川さんの発言の背景には、当然この『トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース』で歌った事件があります。そう、問題は「人数」ではないのです。
 それでは何が問題なのか?
 『トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース』の歌詞の最後の部分を引用することでその説明に代えたいと思います。
 
(引用開始)
変わらないこの国 変わらないこの国の人たち
変わろうとしないこの国 変わろうとしないこの国の人たちを
残った椎ノ木は 見つめている
また同じことを 繰り返そうとしている
この国を見つめている
「良い朝鮮人も 悪い朝鮮人も みんな殺せ」
そんなことを 街中で大声で叫ぶ人たちがいて
それに 見て見ぬふりをして
何も言おうとしない人たちが あふれるこの国
変わらないこの国 変わらないこの国の人たち
変わろうとしないこの国 変わろうとしないこの国の人たち
今も残った椎ノ木は 同じことを繰り返す
この国を見て 一体何を思うのか
僕は思った 僕は思った
変わろうとしないこの国を 変わろうとしないこの国の人たちを
変わろうとしないこの国を 変わろうとしないこの国の人たちを
まるで まるで まるで まるで
まるで まるで まるで まるで
祝福しているかのうような この大きな椎ノ木を
ぶった切ってやりたいと
あー あー あー あー あー あー あー あー
(引用終わり)
 
 私は事務所に戻ってから、届いたばかりのCDを聴きながら windows media player に取り込み、聴き終わった後、すぐに文字起こしを始めました。18分弱の全ての歌詞を文字起こしするのに1時間以上かかりました。
 1つには、歌詞カードが付いていなかったからですが、もう1つの理由は、一字一句書き取ることによって、中川さんの叫びを直接私の中に取り込みたい、そのためには、自分で文字起こしするのが一番良い、と直感したのですね。
 ですから、私が皆さんにお勧めしたいのは、すぐにこのCDを注文して入手され(送料・消費税込みで1,000円です)、自分で最初から最後まで文字起こしをすることです。
 固有名詞を正確にどう表記すべきかは、加藤直樹さんの『九月、東京の路上で』を参照しないと分からない箇所もありますが、それ以外は大体正確に書き取れるはずです。
 
 
中川五郎 - トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース(Trailer)(2分41秒)
 

 上記動画はプロモーション用のトレーラーですが、18分の全曲にわたり、このような語りというかメロディが続いていきます。これが由緒正しいバラッドの姿だと思いますが、これを「歌」ということに躊躇する人がいるかもしれませんね。
 でも、私はやはりこれは「歌」以外のものではない、トーキングという「歌」だろうと思います。
 
 なお、是非1人でも多くの方に発売されたばかりの中川五郎さんの『トーキング烏山神社の椎ノ木ブルース』を購入して聴いていただきたいのですが、「とにかく今すぐ全曲を聴きたい」という方には、YouTubeで曲名を入力して検索すれば、中川さんによる複数のこの曲のライブ動画がヒットすることを申し添えておきます。
 
 それから、この曲で歌われた烏山村の大橋場で発生した事件の内容については、基本的に、加藤直樹さんの著書『九月、東京の路上で 1923年関東大震災ジェノサイドの残響』に準拠したものであり、異説があっても不思議はありません。
 
(付記)
  関東大震災における朝鮮人等の虐殺については、政府の中央防災会議に設けられた「災害教訓の継承に関する専門調査会」における報告書でも取り上げられていますので、ご紹介しておきます。
 
(弁護士・金原徹雄のブログから/中川五郎さん関連)
2012年8月22日(2013年2月11日に再配信)
2012年9月25日(2013年2月3日に再配信)
2015年1月2日
2016年5月7日
2016年5月8日
2017年6月12日

ルビ付き原文と超訳で読む「戦時家庭教育指導要項」(1942年5月) 統合版

 2017年8月6日配信(予定)のメルマガ金原.No.2896を転載します。
 
ルビ付き原文と超訳で読む「戦時家庭教育指導要項」(1942年5月) 統合版
 
 1942年(昭和17年)5月7日付で、文部次官から各地方長官に通牒された「戰時家庭教育指導ニ關スル件」(昭和十七年五月七日發一二八號)及びその別紙として一体をなしていた「戰時家庭教育指導要項」については、戦時下の国が、家庭教育に何を求めていたかを集大成したものとして、貴重な歴史的資料であり、2006年の教育基本法全部「改正」、文部科学省が主導する家庭教育支援の諸方策、全国各地の自治体で進む家庭教育支援条例の制定、国会への上程が間近と言われる家庭教育支援法案の準備などの動きを批判的に考察するために、是非とも読み込んでおくべきものだと思います。
 「要項」自体、そんなに長いものではありませんが、戦前の行政文書の通例で、難解な熟語が頻出し、原則として句読点もない漢文読み下し調の文体で書かれていますので、それだけで恐れをなし、読んでみようという意欲がわいてこないかもしれません。
 以上の問題意識から、東京の城北法律事務所に所属する大久保秀俊、久保木太一両若手弁護士が、「要項」作成の歴史的・思想的背景等も踏まえた上で、誰にも分かりやすい「超訳」を作成したことを知り、お2人のご快諾を得て私のブログに全文転載させていただくことになり、8月3日から5日まで、3回に分けて掲載させていただきました。
 また、「超訳」と対照して原文の「要項」も読んでいただきたいと思い、仲里歌織弁護士のご協力を得て、「超訳」の底本となった奥村典子著『動員される母親たち 戦時下における家庭教育振興政策』(六花出版/2014年10月刊)に掲載された原文(同書109~111頁/漢字は旧字体から新字体に改められている)を転記した上で、全ての漢字にルビを振りました(技術上の問題から、本文内に括弧書きで読み方を表示しました)。
 また、以上のブログ用草稿作成の途上で、奈良県立図書情報館ホームページに掲載されている「戰時家庭教育指導要項」を発見し、一般に流布している「要項」と明らかに版が違うものであったため、資料的価値もあろうかと思い、これも併せてブログに掲載しました。
 そして、各大項目(「通牒」、「一、我ガ国ニ於ケル家ノ特質ノ闡明並ニ其ノ使命ノ自覚」、「二、健全ナル家風ノ樹立」、「三、母ノ教養訓練」、「四、子女ノ薫陶養護」、「五、家生活ノ刷新充実」)ごとに、「超訳」、「原文」、「原文(ルビ付き)」、「奈良版・原文」、「奈良版・原文(ルビ付き)」の順番で掲載しました。
 最後に、戦前における家庭教育に対する国の方針がどう推移して「戦時家庭教育指導要項」に至ったのか、その特質がどこにあるのかをより詳しく知っていただくため、「超訳」の訳者である大久保秀俊弁護士、久保木太一弁護士にる解説「戦時家庭教育指導要項の成立とその背景」を末尾に転載させていただきました。
 
 以上のような方針で、ブログ草稿を作ったため、全体の分量が長くなり過ぎ、やむなく3回分載としたのですが、いざこの記事を多くの人に活用してもらおうと考えると、3つの記事に分かれていては何かと不便であるということに思い至りました。
 そこで、資料的価値はともかくとして、「戦時家庭教育指導要項」自体を理解するためには必要ないと思われる奈良県立図書情報館版はカットすることとし、以下の方針で「統合版」を作ることにしました。
 
1 原文は、大久保秀俊先生からブログ草稿完成後に提供いただいた資料・文部大臣官房文書課編『文部省例規類纂』昭和十七年(復刻版『文部省例規類纂』第7巻/大空社/1987年)20頁~25頁に掲載された「戰時家庭教育指導ニ關スル件」(昭和十七年五月七日發一二八號 各地方長官ヘ文部次官通牒)及びその別紙たる「戰時家庭教育指導要項」に準拠する。ただし、漢字については、読みやすさを考慮して、旧字体から新字体に書き改める。その際、『動員される母親たち 戦時下における家庭教育振興政策』所収版を参照する。
2 統合版における構成(目次)は以下のとおりとする。
 (1)ルビ付き原文と超訳で読む「戦時家庭教育指導要項」 
      ①「戦時家庭教育指導ニ関スル件」ルビ付き原文
      ②「一、我ガ国ニ於ケル家ノ特質ノ闡明並ニ其ノ使命ノ自覚」ルビ付き原文
   ③「1 日本における家の特徴と家の使命を教えます」超訳
   ④「二、健全ナル家風ノ樹立」ルビ付き原文
   ⑤「2 健全な家風を作ってください」超訳
   ⑥「三、母ノ教養訓練」ルビ付き原文
   ⑦「3 母親を教育してください」超訳
   ⑧「四、子女ノ薫陶養護」ルビ付き原文
   ⑨「4 子供を正しく育ててください」超訳
   ⑩「五、家生活ノ刷新充実」ルビ付き原文
   ⑪「5 今までの家庭生活から新しい家庭生活へ」超訳
 (2)原文で読む「戦時家庭教育指導ニ関スル件」と「戦時家庭教育指導要項」
 (3)「戦時家庭教育指導要項の成立とその背景」
 (4)参考文献
 
 なお、「戦時家庭教育指導要項」が発表された同じ年(昭和17年)、戸田貞三著『家の道 文部省戦時家庭教育指導要項解説』(中文館)という注釈書が刊行されており、国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができます。
 
 4日にわたってお送りしてきた「ルビ付き原文と超訳で読む「戦時家庭教育指導要項」(1942年5月)」も、いよいよ今日の「統合版」で最終回を迎えました。
 家庭教育の歴史や現状の問題点について全く無知であった私に、様々な資料や情報を提供してくださり、また玉稿の転載をご了解いただいた仲里歌織先生、大久保秀俊先生、久保木太一先生に、あらためて心より御礼申し上げます。
 また、私がこの問題に関心を持つ重要なきっかけとなった某メーリングリストに熱い投稿を行い、私のやる気に火を付けていただいた漆原由香先生(岐阜県弁護士会)にも感謝します。
 3回分載時にも書きましたが、この「ルビ付き原文と超訳で読む「戦時家庭教育指導要項」(1942年5月)」が多くの人のお役に立てればと念願します。
 
 
-ルビ付き原文と超訳で読む「戦時家庭教育指導要項」-
 
       戦時家庭教育指導(せんじかていきょういくしどう)ニ関(かん)スル件(けん)

(昭和十七年五月七日 発社一二八号 各地方長官(かくちほうちょうかん)ヘ文部次官(もんぶじかん)通牒(つうちょう))

未曽有(みぞう)ノ重大時局(じゅうだいじきょく)ニ際会(さいかい)シ、肇国(ちょうこく)ノ大精神(だいせいしん)ニ則(のっと)リ、国家総力(こっかそうりょく)ヲ結集(けっしゅう)シ、以テ(もって)聖業翼賛(せいぎょうよくさん)ニ邁進(まいしん)スベキ時(とき)、国運進展(こくうんしんてん)ノ根基(こんき)ニ培(つちか)フベキ家(いえ)ノ使命(しめい)愈々(いよいよ)重(おも)キヲ加(くわ)フルニ至(いた)レリ
仍テ(よって)家生活(いえせいかつ)ヲ刷新充実(さっしんじゅうじつ)シ、家族制度(かぞくせいど)ノ美風(びふう)ヲ振起(しんき)シ、皇国(こうこく)ノ重責(じゅうせき)ヲ負荷(ふか)スルニ足(た)ル健全有為(けんぜんゆうい)ナル子女(しじょ)ヲ育成薫陶(いくせいくんとう)スベキ家庭教育(かていきょういく)ノ振興(しんこう)ヲ図(はか)ルハ、正(まさ)ニ刻下(こっか)ノ急務(きゅうむ)タリ。茲(ここ)ニ戦時家庭教育指導要項(せんじかていきょういくしどうようこう)別紙(べっし)ノ通(とおり)相定(あいさだ)メラレタルニ付(つき)、之(これ)ガ徹底(てってい)ニ関(かん)シ、万(ばん)遺憾(いかん)ナキヲ期(き)セラレ度(たく)、此段(このだん)依命通牒(いめつうちょう)ス。
 
【超訳は未訳】


          戦時家庭教育指導要項(せんじかていきょういくしどうようこう)
 
【一、我ガ国ニ於ケル家ノ特質ノ闡明並ニ其ノ使命ノ自覚】
一、我(わ)ガ国(くに)ニ於(お)ケル家(いえ)ノ特質(とくしつ)ノ闡明(せんめい)並(ならび)ニ其(そ)ノ使命(しめい)ノ自覚(じかく)
我(わ)ガ国(くに)ニ於(お)ケル家(いえ)ハ
イ、祖孫一体(そそんいったい)ノ道(みち)ニ則(のっと)ル家長中心(かちょうちゅうしん)ノ結合(けつごう)ニシテ人間生活(にんげんせいかつ)ノ最(もっと)モ自然(しぜん)ナル親子(おやこ)ノ関係(かんけい)ヲ根(ね)トスル家族(かぞく)ノ生活(せいかつ)トシテ情愛敬慕(じょうあいけいぼ)ノ間(かん)ニ人倫本然(じんりんほんねん)ノ秩序(ちつじょ)ヲ長養(ちょうよう)シツツ、永遠(えいえん)ノ生命(せいめい)ヲ具現(ぐげん)シ行(ゆ)ク生活(せいかつ)ノ場(ば)ナルコト。
ロ、畏(かしこ)クモ 皇室(こうしつ)ヲ宗家(そうけ)ト仰(あお)ギ奉(たてまつ)リ恒(つね)ニ国(くに)ノ家(いえ)トシテ生成発展(せいせいはってん)シ行(ゆ)ク歴史的現実(れきしてきげんじつ)ニシテ忠孝一本(ちゅうこういっぽん)ノ大道(だいどう)ニ基(もと)ヅク子女錬成(しじょれんせい)ノ道場(どうじょう)ナルコト。
ハ、親子(おやこ)、夫婦(ふうふ)、兄妹(きょうだい)、姉妹(しまい)和合団欒(わごうだんらん)シ序(じょ)ニ従(したが)ツテ各自(かくじ)ノ分(ぶん)ヲ尽(つ)クシ老(ろう)ヲ扶(たす)ケ幼(よう)ヲ養(やしな)フ親和(しんわ)ノ生活(せいかつ)ノ裡(うち)ニ自他一如(じたいちにょ)、物心一如(ぶっしんいちにょ)ノ修錬(しゅうれん)ヲ積(つ)ミ進(すす)ンデ世界新秩序(せかいしんちつじょ)ノ建設(けんせつ)ニ参(さん)スルノ素地(そじ)ニ培(つちか)フモノナルコト
等(とう)ヲ其(そ)ノ特質(とくしつ)トスルコトヲ闡明(せんめい)シ我(わ)ガ国(にく)ニ於(お)ケル家(いえ)ノ国家的(こっかてき)並(ならび)ニ世界的意義(せかいてきいぎ)ニ徹(てっ)セシメ之(これ)ガ使命(しめい)ノ完遂(かんすい)ニ遺憾(いかん)ナカラシメンコトヲ要(よう)ス。
 
【1 日本における家の特徴と家の使命を教えます】
 日本における家は、
イ 家長が中心の結合体で、先祖も君たちもみんな一体です。
 親子関係をベースとして、愛情や尊敬に包まれながら人格を形成して、永遠に続いていく場所です。
ロ こんなこと言うとバチが当たりそうですが、皇室は君たちみんなの本家です。そうやって君たちの家は発展していきました。なので、家は、天皇への忠誠心を持った天皇のしもべとしての子供を生み出し、天皇への奉仕者としての資質を伸ばすことに全力を傾ける場にしてください。
ハ 親子、夫婦、兄弟、姉妹は仲良くしてください。上下関係といった役割にしたがってお年寄りや子供の面倒もみてください。自分も他人も一心同体です。贅沢は敵なので、誘惑に負けない訓練をつみ、大東亜戦争を遂行するためのベースを培うことが日本の家の役割です。日本のため、大東亜戦争のための使命を完璧に果たしてもらうことが必要です
 
 
【ニ、健全ナル家風ノ樹立】
ニ、健全(けんぜん)ナル家風(かふう)ノ樹立(じゅりつ)
 家風(かふう)ハ家々(いえいえ)ノ伝統(でんとう)ノ具体的表現(ぐたいてきひょうげん)ナルト共(とも)ニ不断(ふだん)ニ生成発展(せいせいはってん)スベキモノナリ。家人(かじん)ノ性格(せいかく)ハ家風(かふう)ニヨリ律(りっ)セラルルコト大(だい)ニシテ家人(かじん)ノ、従(すたが)ツテ国民(こくみん)ノ健全(けんぜん)ナルカ否(いな)カハ家風(かふう)ノ如何(いかん)ニ関(かか)ハル。家風(かふう)ハ家(いえ)ニヨリテ異(こと)ナルモノアリト雖(いえど)モ我(わ)ガ国(くに)ニ於(お)ケル家(いえ)ノ特質(とくしつ)ニ鑑(かんが)ミ健全(けんぜん)ナル家風(かふう)ノ樹立(じゅりつ)ノ為(ため)ニ特(とく)ニ左記諸項(さきしょこう)ノ徹底(てってい)ニツキ留意(りゅうい)スルヲ要(よう)ス
イ、敬神崇祖(けいしんすうそ))
 敬神崇祖(けいしんすうそ)ハ祖孫一体(そそんいったい)ノ道(みち)ノ中枢(ちゅうすう)タルベキモノナリ。敬神(けいしん)ハ実(じつ)ニ 天皇(てんのう)ニ帰一(きいつ)シ奉(たてまつ)ル所以(ゆえん)、崇祖(すうそ)ハ 天皇(てんのう)ニ仕(つか)ヘマツレル祖先(そせん)ヲ祀(まつ)リ崇(たっと)ブ所以(ゆえん)ニシテ敬神(けいしん)ト崇祖(すうそ)トハ相合致(あいがっち)シテ忠孝一本(ちゅうこういっぽん)ノ大道(だいどう)ヲ顕現(けんげん)スルモノナリ。従(したが)ツテ各戸(かくこ)必(かなら)ズ神棚(かみだな)ヲ設(もう)ケテ日常礼拝(にちじょうらいはい)ヲ怠(おこた)ラズ祭祀(さいし)ヲ行事(ぎょうじ)トシテ厳粛(げんしゅく)ニ執行(しっこう)シ敬神崇祖(けいしんすうそ)ノ精神(せいしん)ヲ具現(ぐげん)セシムルヲ要(よう)ス。
ロ、敬愛(けいあい)、親和(しんわ)、礼節(れいせつ)、謙譲(けんじょう)
 家長(かちょう)ヲ中心(ちゅうしん)トシテ親子(おやこ)、夫婦(ふうふ)、兄妹(きょうだい)ノ序(じょ)ヲ正(ただ)シクスルコトハ家生活(いえせいかつ)ノ根本(こんぽん)ナリ。家人(かじん)相互(そうご)ニ敬愛(けいあい)ノ情(じょう)ヲ尽(つ)クシ親和(しんわ)ノ間(かん)ニ礼節(れいせつ)ヲ忘(わす)レズ相互(そうご)ニ謙譲(けんじょう)シテ協力奉公(きょうりょくほうこう)ノ実践(じっせん)ニ力(つと)メテ家生活(いえせいかつ)ヲ健全(けんぜん)ナラシメ此(こ)ノ間(かん)健全(けんぜん)ナル国家(こっか)ノ基礎(きそ)ヲ確立(かくりつ)ス。
ハ、一家和楽(いっかわらく)
 家生活(いえせいかつ)ハ国家活動(こっかかつどう)ノ源泉(げんせん)ニシテ道義(どうぎ)ニ基(もと)ヅク家生活(いえせいかつ)ノ実践(じっせん)ハ自(おのず)カラ之(これ)ヲ和楽(わらく)ナラシム。勤労(きんろう)ト規律(きりつ)トヲ和(わ)スルニ寛(くつろ)ギヲ以テ(もって)シ一家団欒(いっかだんらん)ノ楽(たのし)ミヲ偕(とも)ニスルコトハ更(さら)ニ豊(ゆた)カナル生活力(せいかつりょく)ニ培(つちか)フ所以(ゆえん)ナリ。
ニ、隣保協和(りんぽきょうわ))
 血縁(けつえん)ト地縁(ちえん)トハ古来(こらい)我(わ)ガ国(くに)ニ於(お)ケル家(いえ)ト家(いえ)トノ結合(けつごう)ノ基本(きほん)ニシテ血縁(けつえん)ニヨル家(いえ)ト家(いえ)トノ親和(しんわ)ノ実(じつ)ヲ移(うつ)シテ地縁(ちえん)ニヨル隣保(りんぽ)ニ及(およ)ボシ延(ひ)イテハ国家的結合(こっかてき)けつごう)ヲ家族的(かぞくてき)ナラシムルトコロニ家(いえ)ノ日本的性格(にほんてきせいかく)ノ存(そん)スル所以(ゆえん)ヲ認識(にんしき)セシメ隣保協和(りんぽきょうわ)ノ実(じつ)ヲ挙(あ)ゲシム。
 
【2 健全な家風を作ってください】
 家風はその家の伝統であり、ずっと発展していかなければならないものです。家風は家族の性格に影響します。なので、国民が健全かどうかは家風が健全かどうかによります。家風は家によって異なっていると思いますが、日本の家の役割を考えて、健全な家風を作るために下記の点に注意してください。
イ 神と祖先をリスペクトしてください
 先祖も君たちもみんな一体となるために、これはとても大切なことです。
 神をリスペクトすることがなぜ大事かというと、神とは実は天皇だからです。
 先祖をリスペクトすることがなぜ大事かというと、先祖も君たちと同じように天皇に仕えていたからです。
 つまり、神をリスペクトすることも祖先をリスペクトすることも、全部天皇に対する忠誠心へとつながります。
 どの家も必ず神棚を設け毎日ちゃんとお祈りしましょう。祭祀も行事としてちゃんとやりましょう。そうやって神と祖先をリスペクトすることで、天皇への忠誠を示してください。
ロ 礼儀や上下関係は守った上で、家族を敬愛し、仲良くしてください
 家長が一番で、子よりは親、妻よりは夫、弟よりは兄が偉いという上下関係をしっかりすることは家族の基本です。敬愛することも大事ですが、親しき中にも礼儀はあります。自分より偉い人には奉公し、自分より偉くない人には協力してあげることによって健全な家庭を築くことが、健全な国家のベースになります。
ハ 円満な家庭を築きましょう
 家庭生活は国のベースです。家庭円満のために、道徳をちゃんと守りましょう。勤労と規律によって家族がまとまることは、豊かな生活につながります。
ニ お隣さんと仲良く協力しよう
 血縁と地縁は昔からある日本の家ぐるみの付き合いのベースです。血のつながった者同士が協力するように、お隣さん同士も協力してください。それをさらに広げて、国で一体となって協力しましょう。これが日本の家の役割です。そういうことなので、お隣さんとは仲良くしてください。
 
 
【三、母ノ教養訓練】
三、母(はは)ノ教養訓練(きょうようくんれん)
 家庭教育(かていきょういく)ハ固(もと)ヨリ父母(ふぼ)共(とも)ニ其(そ)ノ責(せめ)ニ任(にん)ズベキモノナレドモ、子女(しじょ)ノ薫陶養護(くんとうようご)ニ関(かん)シテハ特(とく)ニ母(はは)ノ責務(せきむ)ノ重大(じゅうだい)ナルニ鑑(かんが)ミ、母(はは)ノ教養訓練(きょうようくんれん)ニ力(ちから)ヲ致(いた)シ、健全(けんぜん)ニシテ豊(ゆた)カナル母(はは)ノ感化(かんか)ヲ子(こ)ニ及(およ)ボシ、次代(じだい)ノ皇国民(こうこくみん)ノ育成(いくせい)ニ遺憾(いかん)ナカラシムルト共(とも)ニ、健全(けんぜん)ニシテ明朗(めいろう)ナル家(いえ)ヲ実現(じつげん)セシメンガ為(ため)ニ特(とく)ニ左記諸項(さきしょこう)ノ徹底(てってい)ニツキ留意(りゅうい)スルヲ要(よう)ス。
イ、国家観念(こっかかんねん)ノ涵養(かんよう)
 家生活(いえせいかつ)ハ単(たん)ナル家(いえ)ノ生活(せいかつ)ニ止(とど)マラズ、常(つね)ニ国家活動(こっかかつどう)ノ源泉(げんせん)ナルコトヲ理解(りかい)セシメ、一家(いっか)ニ於(お)ケル子女(しじょ)ハ単(たん)ニ家(いえ)ノ子女(しじょ)トシテノミナラズ、実(じつ)ニ皇国(こうこく)ノ後勁(こうけい)トシテコレヲ育成(いくせい)スベキ所以(ゆえん)ヲ自覚(じかく)セシム。
ロ、日本婦道(にほんふどう)ノ修錬(しゅうれん)
 個人主義的思想(こじんしゅぎてきしそう)ヲ排(はい)シ、日本婦人(にほんふじん)本来(ほんらい)ノ従順(じゅうじゅん)、温和(おんわ)、貞淑(ていしゅく)、忍耐(にんたい)、奉公(ほうこう)等(とう)ノ美徳(びとく)ヲ涵養錬磨(かんようれんま)スルニ努(つと)メシム。
ハ、母(はは)ノ自覚(じかく)
 子女(しじょ)ノ性格(せいかく)ハ母(はは)ノ性格(せいかく)ノ反映(はんえい)ニヨルコト極(きわ)メテ大(だい)ニシテ、皇国(こうこく)ノ次代(じだい)ヲ荷(にな)フベキ人材(じんざい)ノ萌芽(ほうが)ハ今日(こんにち)ノ母(はは)ノ手(て)ニヨリテ育成(いくせい)セラルルコトヲ思(おも)ヒ、子女(しじょ)ノ薫陶養護(くんとうようご)ニ対(たい)スル母(はは)ノ責任(せきにん)ト使命(しめい)トヲ自覚(じかく)セシム。
ニ、科学的教養(かがくてききょうよう)ノ向上(こうじょう)
 国民(こくみん)ノ科学的教養(かがくてききょうよう)ハ幼少(ようしょう)ノ間(かん)ニ啓培(けいばい)スルコトヲ要(よう)シ、而(しか)モ子女(しじょ)ノ科学愛好(かがくあいこう)ノ精神(せいしん)ハ母(はは)ノ教養(きょうよう)ニ負(お)フトコロ極(きわ)メテ大(だい)ニシテ、家生活(いえせいかつ)各般(かくはん)ノ問題(もんだい)ヲ処理(しょり)スルニ科学(かがく)ノ謬(あやま)ラザル活用(かつよう)ヲ図(はか)ルコトハ国策(こくさく)ヘノ協力(きょうりょく)ニトリテ極(きわ)メテ緊要(きんよう)ナリ。仍テ(よって)特(とく)ニ母(はは)ノ科学的教養(かがくてききょうよう)ノ向上(こうじょう)ヲ図(はか)リ、子女(しじょ)ノ教養(きょうよう)ニ寄与(きよ)セシムルト共(とも)ニ国策(こくさく)ヘノ協力(きょうりょく)ヲ徹底(てってい)セシム。
ホ、健全(けんぜん)ナル趣味(しゅみ)ノ涵養(かんよう)
 母(はは)タルモノノ趣味(しゅみ)ノ向上(こうじょう)ガ家生活(いえせいかつ)ヲ豊(ゆた)カニシ之(これ)ヲ明朗(めいろう)ナラシムルト共(とも)ニ、子女(しじょ)ノ品性情操(ひんせいじょうそう)ノ陶冶(とうや)ニ影響(えいきょう)スルトコロ大(だい)ナル所以(ゆえん)ヲ認識(にんしき)セシメ、日常生活(にちじょうせいかつ)ノ間(かん)健全優美(けんぜんゆうび)ナル趣味(しゅみ)ノ涵養(かんよう)ニ努(つと)メシム。
ヘ、強健(きょうけん)ナル母体(ぼたい)ノ錬成(れんせい)
 強健(きょうけん)ナル子女(しじょ)ハ強健(きょうけん)ナル母(はは)ヨリ生(う)マル。母(はは)タルモノニ保健衛生(ほけんえいせい)ノ思想(しそう)ヲ徹底(てってい)セシメ、常(つね)ニ活動(かつどう)ト休息(きゅうそく)トニ関(かん)スル正(ただ)シキ考慮(こうりょ)ヲ払(はら)ハシムルト共(とも)ニ、積極的(せっきょくてき)ニ心身鍛錬(しんしんたんれん)ノ方途(ほうと)ヲ講(こう)ジ、以テ(もって)心身(しんしん)ノ保健(ほけん)ヲ向上維持(こうじょういじ)セシムルコトハ極(きわ)メテ肝要(かんよう)ナリ。特(とく)ニ産前産後(さんぜんさんご)ノ保健衛生(ほけんえいせい)ニハ万全(ばんぜん)ノ処置(しょち)ヲ講(こう)ゼシム。
 
【3 母親を教育してください】
 そもそも家庭教育は父親と母親が協力してやるべきものですが、子供を立派にするためには特に母親の責任が重大です。なぜなら、母親は生まれつき、子供を産み、育てる生き物だからです。なので、母親を訓練して、健全な影響を子供に及ぼす必要があります。そのためには、子供を生み、育てる母親が変わらなければなりません。そうやって母親が、子供を天皇に無条件で奉仕する者へと育て上げると同時に、健全で素晴らしい家を作り上げましょう。そのために、下記の点に注意してください。
イ 「お国のために」という考え方を徹底してください
 家庭生活は単なる家庭生活にとどまりません。常に国ベースで理解してください。あなたの家の子供は、単なるあなたの家の子供ではありません。天皇を守るための将来の精鋭部隊です。そういった人材を育成していることを自覚してください。
ロ 国が望む理想の母親像を目指してください
 まず、個人主義的思想は排除してください。そして、日本の母が本来有していた従順さ、温和さ、貞淑さ、我慢強さ、奉公精神などをちゃんと身につけるよう努力してください。
ハ この国の母親であることを自覚してください
 子供の性格は、母の性格に影響される部分がとても大きいです。なので、将来、天皇に無条件で奉仕する立派な者になるかどうかは母親にかかっています。子供が変われば国も変わります。子供を育てるというのはそういうことなので、責任と使命感を自覚してください。
ニ 科学的な教養力を向上してください
 本能的な愛情は、子供をダメにします。合理的で科学的な育児によって子供を天皇への献身者へと育てあげることこそが、真実の愛情です。今までの誤った考えは捨ててください。
 科学的素養は幼い頃に身につくものなので、子供と接する母親にちゃんとした教養があるかどうかはとても大切です。家庭の問題を科学で解決することは大東亜戦争を遂行する上でもとても大切です。なので、母親が科学をちゃんと勉強して、子供に教えるとともに、子供を大東亜戦争に協力するよう徹底してください。
ホ 健全なセンスを持ってください
 母親のセンスを向上させることが、家を豊かにし立派にするとともに、子供のセンスにも影響するところが大きいということを理解してください。だから健全なセンスを持ってください。
へ 強い子供を産むために強い身体を作ってください
 強い子供は強い母親から産まれます。なので、健康についての知識を正しく得て、適度な運動と休憩をとると同時に、心身を鍛えて心身ともに健康であることはとても重要です。特に子供を産む直前と授乳期は万全にしてください。
 
 
【四、子女の薫陶擁護】
四、子女(しじょ)ノ薫陶養護(くんとうようご)
 子女(しじょ)ノ薫陶養護(くんとうようご)ハ家庭教育(かていきょういく)ノ中核(ちゅうかく)ナリ。父母(ふぼ)ノ慈愛(じあい)ノ下(もと)、健全(けんぜん)ナル家風(かふう)ノ中(うち)ニ有為(ゆうい)ナル次代(じだい)皇国民(こうこくみん)ノ錬成(れんせい)ヲ為(な)スベク特(とく)ニ左記諸項(さきしょこう)ニ留意(りゅうい)スルヲ要(よう)ス。
イ、皇国民(こうこくみん)タルノ信念(しんねん)ノ啓培(けいばい)
 我(わ)ガ国体(こくたい)ノ万邦無比(ばんぽうむひ)ニシテ皇恩(こうおん)ノ宏大無辺(こうだいむへん)ナル所以(ゆえん)、日本人(にっぽんじん)トシテ生(せい)ヲ享(う)ケタルコトノ喜(よろこ)ビト矜(ほこり)トヲ体得(たいとく)セシメ以テ(もって)幼少(ようしょう)ノ間(かん)ニ自(おのず)カラ尽忠報国(じんちゅうほうこく)ノ信念(しんねん)ヲ固(かた)メシム。
ロ、剛健(ごうけん)ナル精神(せいしん)ノ鍛錬(たんれん)
 質実剛健(しつじつごうけん)、堅忍持久(けんにんじきゅう)、勇往邁進(ゆうおうまいしん)ノ精神(せいしん)ヲ養(やしな)ヒ気宇(きう)ヲ高大(こうだい)ナラシメ強固(きょうこ)ナル意志(いし)ヲ鍛錬(たんれん)シ其(そ)ノ実践力(じっせんりょく)ヲ培養(ばいよう)セシム。
ハ、醇乎(じゅんこ)タル情操(じょうそう)ノ陶冶(とうや)
 清雅(せいが)ニシテ醇乎(じゅんこ)タル情操(じょうそう)ヲ陶冶(とうや)シ明朗闊達(めいろうかったつ)ナル性格(せいかく)ト高潔(こうけつ)ナル品位(ひんい)トヲ涵養(かんよう)セシム。
ニ、良(よ)キ躾(しつけ)
 子女(しじょ)ノ自発的(じはつてき)活動性(かつどうせい)ヲ徒(いたずら)ニ阻止(そし)スルコトナク自立自制(じりつじせい)ノ訓練(くんれん)ヲ加(くわ)ヘ日常生活(にちじょうせいかつ)ノ間(かん)自(おのず)カラ良習慣(りょうしゅうかん)ヲ修得(しゅうとく)セシム。就中(なかんずく)剛健(ごうけん)ナル国民(こくみん)ノ基礎(きそ)ニ培(つちか)フ為(ため)ニ勤労(きんろう)、節倹(せっけん)、忍苦(にんく)ノ精神(せいしん)ヲ涵養(かんよう)シ之(これ)ガ習慣(しゅうかん)ヲ養(やしな)ハシム。
ホ、身体(しんたい)ノ養護鍛錬(ようごたんれん)
 子女(しじょ)ノ身体(しんたい)ノ発育情況(はついくじょうきょう)、健康状態(けんこうじょうたい)ニ留意(りゅうい)シ、之(これ)ガ養護(ようご)ニ力(つと)ムルト共(とも)ニ、積極的(せっきょくてき)ナル鍛錬(たんれん)ヲ重(おも)ンジ、強健(きょうけん)ナル身体(しんたい)ノ中(うち)ニ雄渾(ゆうこん)ナル気魄(きはく)ヲ培養(ばいよう)セシム。
 
【4 子供を正しく育ててください】
 子供を正しく育てることは家庭教育の中核です。父親と母親の愛情の下、健全な家風の中で、ちゃんと使い物になる、将来の天皇に無条件で奉仕する献身者を作り出してください。そのために下記のことに注意してください。
イ 天皇に献身する信念を身につけさせてください
 日本は世界で一番素晴らしい国です。それは天皇のおかげであり、あなたたちは天皇に恩返しをしなければならないのです。日本人として生まれたことの喜びと誇りをもって、幼い頃から天皇に尽くすという信念を自ら固めさせてください。
ロ 強いメンタルを鍛えさせてください
 強い身体、我慢強さ、勇敢さをきたえ、大東亜戦争への士気を高め、強い決意と戦争に協力するための力を培ってください。
ハ 素直な子に育ててください
 清らかさと素直さと明るい性格、そして高潔な品位を持った、兵隊向きの子に育てましょう。
ニ よくしつけてください
 子供の自発性をいたずらに阻止してはいけませんが、自制心を身につけさせる訓練をし、良い習慣を身につけさせてください。強い兵隊のベースとするために、勤労、節約、我慢の精神を育てて、習慣にさせてください。それを通じ、幼い頃から天皇に尽くすという信念を自ら固めさせましょう。
ホ 身体を鍛えさせてください
 子供の身体の発育状況や健康状態を気にしつつ、身体をきたえさせてください。ただ、身体が強いだけでは兵隊としては足りません。加えて、勇敢さを身につけさせてください。大東亜共栄圏における指導的な国民としての精神を育むのです。
 
 
【五、家生活ノ刷新充実】
五、家生活(いえせいかつ)ノ刷新充実(さっしんじゅうじつ)
 大東亜戦争(だいとうあせんそう)ノ目的(もくてき)ヲ完遂(かんすい)シ、皇国永遠(こうこくえいえん)ノ発展(はってん)ヲ期(き)スル為(ため)、家生活(いえせいかつ)ノ刷新充実(さっしんじゅうじつ)ヲ図(はか)ルハ正(まさ)ニ今日(こんにち)ノ急務(きゅうむ)ト謂(い)フベク、特(とく)ニ左記各項(さきかくこう)ニ留意(りゅうい)スルヲ要(よう)ス。
イ、時局認識(じきょくにんしき)
 国家活動(こっかかつどう)ノ基礎(きそ)ハ家(いえ)ヲ斉(ととの)フルニアルハ古今(ここん)ノ通則(つうそく)ニシテ、大東亜建設(だいとうあけんせつ)ノ目的完遂(もくてきかんすい)ニ家生活(いえせいかつ)ガ如何(いか)ニ大(だい)ナル関連(かんれん)ヲ有(ゆう)スルカヲ自覚(じかく)セシムルト共(とも)ニ、絶(た)エズ時局(じきょく)ニ関(かん)スル綜合的認識(そうごうてきにんしき)ヲ深(ふか)メ、時局(じきょく)ニ即応(そくおう)スル主婦(しゅふ)ノ責務(せきむ)ニ関(かん)シテ常(つね)ニ正鵠(せいこく)ナル識見(しきけん)ヲ養成(ようせい)セシム。
ロ、家庭経済(かていけいざい)ノ国策(こくさく)ヘノ協力(きょうりょく)
 国策(こくさく)ヲ理解(りかい)セシムルト共(とも)ニ、家庭経済(かていけいざい)ノ国家的意義(こっかてきいぎ)ヲ十分(じゅうぶん)自覚(じかく)セシメ、之(これ)ガ国策(こくさく)ヘノ積極的協力(せっきょくてききょうりょく)ヲ為(な)サシム。
ハ、家生活(いえせいかつ)ニ於(お)ケル科学(かがく)ノ活用(かつよう)
 家生活(いえせいかつ)ニ関(かん)スル実際(じっさい)ノ科学的知識(かがくてきちしき)ヲ与(あた)ヘ、家生活(いえせいかつ)ノ各般(かくはん)ニ亘(わた)リ、其(そ)ノ整斉(せいせい)ニ対(たい)シテ科学(かがく)ノ活用(かつよう)ヲ十分(じゅうぶん)円滑(えんかつ)ナラシメ、偏曲(へんきょく)セル生活(せいかつ)ノ科学化(かがくか)ヲ是正(ぜせい)スルト共(とも)ニ、時局(じきょく)ノ進展(しんてん)ニ即応(そくおう)スル生活態度(せいかつたいど)ヲ修得(しゅうとく)セシム。
ニ、家族皆労(かぞくかいろう)
 勤労(きんろう)ノ精神(せいしん)ガ家(いえ)二漲(みなぎ)リ、家族(かぞく)ノ全員(ぜんいん)ガ夫々(それぞれ)分(ぶん)ニ応(おう)ジテ進(すす)ンデ勤労(きんろう)ニ従(したが)フコトハ、健全(けんぜん)ナル家生活(いえせいかつ)ヲ維持(いじ)シ、延(ひ)イテハ国家(こっか)ノ興隆(こうりゅう)ヲ図(はか)ル所以(ゆえん)ナリ。戦時下(せんじか)労力不足(ろうりょくぶそく)ノ今日(こんにち)ニ在(あ)リテハ、特(とく)ニ家族全員(かぞくぜんいん)ノ協力(きょうりょく)ニヨル労力(ろうりょく)ノ補?(ほてん)並(ならび)ニ増強(ぞうきょう)ガ国家(こっか)ニ極(きわ)メテ重要(じゅうよう)ナル所以(ゆえん)ヲ強(つよ)ク自覚(じかく)セシメ、之(これ)ガ実行(じっこう)ニ力(つと)メシム。
ホ、隣保相扶(りんぽそうふ)
 家生活(いえせいかつ)ノ刷新充実(さっしんじゅうじつ)ヲ図(はか)ランガ為(ため)ニハ、各家(かくいえ)互(たがい)ニ孤立(こりつ)シテハ到底(とうてい)其(そ)ノ実現(じつげん)ヲ期(き)スベカラズ。隣保(りんぽ)相扶(あいたす)ケ有無(うむ)相通(あいつう)ジ、特(とく)ニ軍事援護(ぐんじえんご)ノ実(じつ)ヲ挙(あ)ゲ協力一致(きょうりょくいっち)以テ(もって)家(いえ)ノ内外(ないがい)ヲ通(つう)ジテ生活(せいかつ)ノ刷新充実(さっしんじゅうじつ)ニ力(ツト)メシム。
ヘ、国防訓練(こくぼうくんれん)
 国家総力戦(こっかそうりょくせん)ノ一翼(いちよく)トシテ、防空(ぼうくう)、防火(ぼうか)、防諜(ぼうちょう)ノ重要(じゅうよう)ナル所以(ゆえん)ヲ自覚(じかく)セシメ、必要(ひつよう)ニ応(おう)ジ、其(そ)ノ訓練(くんれん)ヲ実施(じっし)シテ国防(こくぼう)ノ完璧(かんぺき)ヲ期(き)セシム。
ト、家庭娯楽(かていごらく)ノ振興(しんこう)
 健全(けんぜん)ナル家庭娯楽(かていごらく)ハ家生活(いえせいかつ)ヲ明朗(めいろう)且(か)ツ豊(ゆた)カナラシムルト共(とも)ニ、子女(しじょ)ノ性格陶冶(せいかくとうや)ニ影響(えいきょう)スルトコロ甚大(じんだい)ナリ。仍テ(よって)健全(けんぜん)ナル家庭娯楽(かていごらく)ノ指導(しどう)ニ意(い)ヲ用(もち)ヒ、地方(ちほう)ノ実情(じつじょう)ニ応(おう)ジ、個々(ここ)ノ家庭(かてい)ニ適合(てきごう)スル娯楽(ごらく)ヲ奨励(しょうれい)シテ、健全(けんぜん)ナル生活(せいかつ)ノ維持増進(いじぞうしん)ニ寄与(きよ)セシム。
 
【5 今までの家庭生活から新しい家庭生活へ】
5 今までの家庭生活から新しい家庭生活へ
 大東亜戦争の目的を完遂させて、天皇の国の永遠の発展を期するためには今までの家庭生活ではダメです。新しい家庭生活へと刷新することが急務です。そのために以下のことに注意してください。
イ 情勢を認識してください
 昔から国のベースは家庭にあります。なので、大東亜戦争の目的の達成において家庭生活が密接な関連を持っていることを自覚してください。同時に、今の情勢についてちゃんと理解して、情勢に即応するために主婦にはどんな義務があるかについて、家庭がちゃんと把握してください。
ロ 倹約によって大東亜戦争に協力する
 大東亜戦争の重要性について理解するとともに、倹約することが戦争遂行に大きな意味を持つことを自覚し、積極的に戦争に協力してください。
ハ 家庭生活に科学を活用してください
 家庭生活についての科学的知識を持ち、家庭生活の隅々に科学を生かし、今までのねじ曲がった生活を是正してください。本能的な愛情は、非科学的で不合理で、真実の愛情ではありません。また、情勢に即対応できる生活態度を習得してください。
ニ 家族みんなで勤労してください
 勤労の精神が家に浸透し、家族それぞれが進んで働けば健全な家庭生活が維持でき、さらには国が栄えていきます。そして、戦時下で人材が不足している今日にあっては、特に家族全員の協力よって軍事産業などの労働力が補強されることが国にとって重要です。そのことを強く自覚し、実行に移してください。
ホ お隣さん同士で助け合ってください
 新しい家庭生活を実現するためには、それぞれの家が孤立していてはいけません。お隣さん同士での助け合いを通じて、特に軍事を援護するために協力一致して、自分の家だけではなく、人の家にも新しい家庭生活を実現してください。
へ 国を守ってください
 国で一丸となって大東亜戦争を遂行するために、防空訓練、防火訓練、スパイ対策が重要であることを自覚して、必要に応じて訓練をして国防を完璧にしてください。
ト 娯楽は健全さの範囲で行ってください
 家庭での娯楽は、それが健全なものであれば家生活を明るく豊かなものにするし、子供の性格にも影響します。だから、家庭での娯楽が健全になるようための指導に意を用いることで地方の実情にあった、個々の家庭にあった娯楽に興じて、健全な家庭生活を送ってください。
 
 
-原文で読む「戦時家庭教育指導ニ関スル件」と「戦時家庭教育指導要項」-
 
※文部大臣官房文書課編『文部省例規類纂』昭和十七年版所収のテキストに準拠した(ただし、漢字は新字体に改めた)。
 
                 戦時家庭教育指導ニ関スル件
 
(昭和十七年五月七日 発社一二八号 各地方長官ヘ文部次官通牒)

未曽有ノ重大時局ニ際会シ肇国ノ大精神ニ則リ国家総力ヲ結集シ以テ聖業翼賛ニ邁進スベキ時国運進展ノ根基ニ培フベキ家ノ使命愈々重キヲ加フルニ至レリ
仍テ家生活ヲ刷新充実シ家族制度ノ美風ヲ振起シ皇国ノ重責ヲ負荷スルニ足ル健全有為ナル子女ヲ育成薫陶スベキ家庭教育ノ振興ヲ図ルハ正ニ刻下ノ急務タリ茲ニ戦時家庭教育指導要項別紙ノ通相定メラレタルニ付之ガ徹底ニ関シ万遺憾ナキヲ期セラレ度此段依命通牒ス
 
                   戦時家庭教育指導要項
 
一、我ガ国ニ於ケル家ノ特質ノ闡明並ニ其ノ使命ノ自覚
我ガ国ニ於ケル家ハ
イ、祖孫一体ノ道ニ則ル家長中心ノ結合ニシテ人間生活ノ最モ自然ナル親子ノ関係ヲ根トスル家族ノ生活トシテ情愛敬慕ノ間ニ人倫本然ノ秩序ヲ長養シツツ永遠ノ生命ヲ具現シ行ク生活ノ場ナルコト
ロ、畏クモ 皇室ヲ宗家ト仰ギ奉リ恒ニ国ノ家トシテ生成発展シ行ク歴史的現実ニシテ忠孝一本ノ大道ニ基ヅク子女錬成ノ道場ナルコト
ハ、親子、夫婦、兄妹、姉妹和合団欒シ序ニ従ツテ各自ノ分ヲ尽クシ老ヲ扶ケ幼ヲ養フ親和ノ生活ノ裡ニ自他一如、物心一如ノ修錬ヲ積ミ進ンデ世界新秩序ノ建設ニ参スルノ素地ニ培フモノナルコト
等ヲ其ノ特質トスルコトヲ闡明シ我ガ国ニ於ケル家ノ国家的並ニ世界的意義ニ徹セシメ之ガ使命ノ完遂ニ遺憾ナカラシメンコトヲ要ス
 
ニ、健全ナル家風ノ樹立
 家風ハ家々ノ伝統ノ具体的表現ナルト共ニ不断ニ生成発展スベキモノナリ家人ノ性格ハ家風ニヨリ律セラルルコト大ニシテ家人ノ、従ツテ国民ノ健全ナルカ否カハ家風ノ如何ニ関ハル家風ハ家ニヨリテ異ナルモノアリト雖モ我ガ国ニ於ケル家ノ特質ニ鑑ミ健全ナル家風ノ樹立ノ為ニ特ニ左記諸項ノ徹底ニツキ留意スルヲ要ス
イ、敬神崇祖
 敬神崇祖ハ祖孫一体ノ道ノ中枢タルベキモノナリ敬神ハ実ニ 天皇ニ帰一シ奉ル所以崇祖ハ 天皇ニ仕ヘマツレル祖先ヲ祀リ崇ブ所以ニシテ敬神ト崇祖トハ相合致シテ忠孝一本ノ大道ヲ顕現スルモノナリ従ツテ各戸必ズ神棚ヲ設ケテ日常礼拝ヲ怠ラズ祭祀ヲ行事トシテ厳粛ニ執行シ敬神崇祖ノ精神ヲ具現セシムルヲ要ス
ロ、敬愛、親和、礼節、謙譲
 家長ヲ中心トシテ親子、夫婦、兄妹ノ序ヲ正シクスルコトハ家生活ノ根本ナリ家人相互ニ敬愛ノ情ヲ尽クシ親和ノ間ニ礼節ヲ忘レズ相互ニ謙譲シテ協力奉公ノ実践ニ力メテ家生活ヲ健全ナラシメ此ノ間健全ナル国家ノ基礎ヲ確立ス
ハ、一家和楽
 家生活ハ国家活動ノ源泉ニシテ道義ニ基ヅク家生活ノ実践ハ自カラ之ヲ和楽ナラシム勤労ト規律トヲ和スルニ寛ギヲ以テシ一家団欒ノ楽ミヲ偕ニスルコトハ更ニ豊カナル生活力ニ培フ所以ナリ
ニ、隣保協和
 血縁ト地縁トハ古来我ガ国ニ於ケル家ト家トノ結合ノ基本ニシテ血縁ニヨル家ト家トノ親和ノ実ヲ移シテ地縁ニヨル隣保ニ及ボシ延イテハ国家的結合ヲ家族的ナラシムルトコロニ家ノ日本的性格ノ存スル所以ヲ認識セシメ隣保協和ノ実ヲ挙ゲシム
 
三、母ノ教養訓練
 家庭教育ハ固ヨリ父母共ニ其ノ責ニ任ズベキモノナレドモ子女ノ薫陶養護ニ関シテハ特ニ母ノ責務ノ重大ナルニ鑑ミ母ノ教養訓練ニ力ヲ致シ健全ニシテ豊カナル母ノ感化ヲ子ニ及ボシ次代ノ皇国民ノ育成ニ遺憾ナカラシムルト共ニ健全ニシテ明朗ナル家ヲ実現セシメンガ為ニ特ニ左記諸項ノ徹底ニツキ留意スルヲ要ス
イ、国家観念ノ涵養
 家生活ハ単ナル家ノ生活ニ止マラズ常ニ国家活動ノ源泉ナルコトヲ理解セシメ一家ニ於ケル子女ハ単ニ家ノ子女トシテノミナラズ実ニ皇国ノ後勁トシテコレヲ育成スベキ所以ヲ自覚セシム
ロ、日本婦道ノ修錬
 個人主義的思想ヲ排シ日本婦人本来ノ従順、温和、貞淑、忍耐、奉公等ノ美徳ヲ涵養錬磨スルニ努メシム
ハ、母ノ自覚
 子女ノ性格ハ母ノ性格ノ反映ニヨルコト極メテ大ニシテ皇国ノ次代ヲ荷フベキ人材ノ萌芽ハ今日ノ母ノ手ニヨリテ育成セラルルコトヲ思ヒ子女ノ薫陶養護ニ対スル母ノ責任ト使命トヲ自覚セシム
ニ、科学的教養ノ向上
 国民ノ科学的教養ハ幼少ノ間ニ啓培スルコトヲ要シ而モ子女ノ科学愛好ノ精神ハ母ノ教養ニ負フトコロ極メテ大ニシテ家生活各般ノ問題ヲ処理スルニ科学ノ謬ラザル活用ヲ図ルコトハ国策ヘノ協力ニトリテ極メテ緊要ナリ仍テ特ニ母ノ科学的教養ノ向上ヲ図リ子女ノ教養ニ寄与セシムルト共ニ国策ヘノ協力ヲ徹底セシム
ホ、健全ナル趣味ノ涵養
 母タルモノノ趣味ノ向上ガ家生活ヲ豊カニシ之ヲ明朗ナラシムルト共ニ子女ノ品性情操ノ陶冶ニ影響スルトコロ大ナル所以ヲ認識セシメ日常生活ノ間健全優美ナル趣味ノ涵養ニ努メシム
ヘ、強健ナル母体ノ錬成
 強健ナル子女ハ強健ナル母ヨリ生マル母タルモノニ保健衛生ノ思想ヲ徹底セシメ常ニ活動ト休息トニ関スル正シキ考慮ヲ払ハシムルト共ニ積極的ニ心身鍛錬ノ方途ヲ講ジ以テ心身ノ保健ヲ向上維持セシムルコトハ極メテ肝要ナリ特ニ産前産後ノ保健衛生ニハ万全ノ処置ヲ講ゼシム
 
四、子女ノ薫陶養護
 子女ノ薫陶養護ハ家庭教育ノ中核ナリ父母ノ慈愛ノ下、健全ナル家風ノ中ニ有為ナル次代皇国民ノ錬成ヲ為スベク特ニ左記諸項ニ留意スルヲ要ス
イ、皇国民タルノ信念ノ啓培
 我ガ国体ノ万邦無比ニシテ皇恩ノ宏大無辺ナル所以、日本人トシテ生ヲ享ケタルコトノ喜ビト矜トヲ体得セシメ以テ幼少ノ間ニ自カラ尽忠報国ノ信念ヲ固メシム
ロ、剛健ナル精神ノ鍛錬
 質実剛健、堅忍持久、勇往邁進ノ精神ヲ養ヒ気宇ヲ高大ナラシメ強固ナル意志ヲ鍛錬シ其ノ実践力ヲ培養セシム
ハ、醇乎タル情操ノ陶冶
 清雅ニシテ醇乎タル情操ヲ陶冶シ明朗闊達ナル性格ト高潔ナル品位トヲ涵養セシム
ニ、良キ躾
 子女ノ自発的活動性ヲ徒ニ阻止スルコトナク自立自制ノ訓練ヲ加ヘ日常生活ノ間自カラ良習慣ヲ修得セシム就中剛健ナル国民ノ基礎ニ培フ為ニ勤労、節倹、忍苦ノ精神ヲ涵養シ之ガ習慣ヲ養ハシム
ホ、身体ノ養護鍛錬
 子女ノ身体ノ発育情況、健康状態ニ留意シ之ガ養護ニ力ムルト共ニ積極的ナル鍛錬ヲ重ンジ強健ナル身体ノ中ニ雄渾ナル気魄ヲ培養セシム
 
五、家生活ノ刷新充実
 大東亜戦争ノ目的ヲ完遂シ皇国永遠ノ発展ヲ期スル為家生活ノ刷新充実ヲ図ルハ正ニ今日ノ急務ト謂フベク特ニ左記各項ニ留意スルヲ要ス
イ、時局認識
 国家活動ノ基礎ハ家ヲ斉フルニアルハ古今ノ通則ニシテ大東亜建設ノ目的完遂ニ家生活ガ如何ニ大ナル関連ヲ有スルカヲ自覚セシムルト共ニ絶エズ時局ニ関スル綜合的認識ヲ深メ時局ニ即応スル主婦ノ責務ニ関シテ常ニ正鵠ナル識見ヲ養成セシム
ロ、家庭経済ノ国策ヘノ協力
 国策ヲ理解セシムルト共ニ家庭経済ノ国家的意義ヲ十分自覚セシメ之ガ国策ヘノ積極的協力ヲ為サシム
ハ、家生活ニ於ケル科学ノ活用
 家生活ニ関スル実際ノ科学的知識ヲ与ヘ家生活ノ各般ニ亘リ其ノ整斉ニ対シテ科学ノ活用ヲ十分円滑ナラシメ偏曲セル生活ノ科学化ヲ是正スルト共ニ時局ノ進展ニ即応スル生活態度ヲ修得セシム
ニ、家族皆労
 勤労ノ精神ガ家二漲リ家族ノ全員ガ夫々分ニ応ジテ進ンデ勤労ニ従フコトハ健全ナル家生活ヲ維持シ延イテハ国家ノ興隆ヲ図ル所以ナリ戦時下労力不足ノ今日ニ在リテハ特ニ家族全員ノ協力ニヨル労力ノ補?並ニ増強ガ国家ニ極メテ重要ナル所以ヲ強ク自覚セシメ之ガ実行ニ力メシム
ホ、隣保相扶
 家生活ノ刷新充実ヲ図ランガ為ニハ各家互ニ孤立シテハ到底其ノ実現ヲ期スベカラズ隣保相扶ケ有無相通ジ特ニ軍事援護ノ実ヲ挙ゲ協力一致以テ家ノ内外ヲ通ジテ生活ノ刷新充実ニ力メシム
ヘ、国防訓練
 国家総力戦ノ一翼トシテ防空、防火、防諜ノ重要ナル所以ヲ自覚セシメ必要ニ応ジ其ノ訓練ヲ実施シテ国防ノ完璧ヲ期セシム
ト、家庭娯楽ノ振興
 健全ナル家庭娯楽ハ家生活ヲ明朗且ツ豊カナラシムルト共ニ子女ノ性格陶冶ニ影響スルトコロ甚大ナリ仍テ健全ナル家庭娯楽ノ指導ニ意ヲ用ヒ地方ノ実情ニ応ジ個々ノ家庭ニ適合スル娯楽ヲ奨励シテ健全ナル生活ノ維持増進ニ寄与セシム
 
 
-背景事情の解説-
 
             戦時家庭教育指導要項の成立とその背景
 
                                   大久保秀俊(弁護士)
                                   久保木太一(弁護士)
 
第1 はじめに
 戦時家庭教育指導要項の超訳文を作成する上で、同要項の成立背景や目的が重要と考えた。訳文作成において、あえて明言していない部分について、背景や目的から言葉を補っている。
 また、3から5に出てくる「皇国民」あるいは「大東亜戦争」といったキーワードについても趣旨を補って訳している。
 重要なキーワードは「皇国民ノ錬成」であり、母親を錬成体制に巻き込んだ点に特色がある。
 なお、「錬成」とは当時の文部省によれば、練磨育成の意であり、皇国の道に則って、児童の全能力を正しい目標に集中させて、国民的性格を強化するという意味である。
 
第2 成立背景 
1 「家庭教育ニ関スル要綱」
 1937年(昭和12)年に内閣に設置された教育に関する審議会「教育審議会」により、社会教育に関する答申を構成する要綱の一つとして家庭教育の振興策「家庭教育ニ関スル要綱」が作成された。
 もともと、家庭教育は教育制度の範疇とはとらえられていなかったが、家庭教育の政策化に国家が本格的に乗り出していく戦時下の動向の起点をなす。
2 年表
1938年 文部省主催「家庭教育講座」開始。「新東亜建設」を支える家庭の樹立を目的とし、家庭を皇国民錬成の実施組織として位置づけ
1941年 文部省が家庭教育振興に関する予算を特別に計上し、教育審議会が「家庭教育ニ関スル要綱」を答申
「臣民の道」刊行。「家」における錬成のあり方が提示
以後、第5期国定教科書
1942年 「戦時家庭教育指導ニ関スル件」
 かかる文部次官通牒所収の「戦時家庭教育指導要項」に基づき、大日本婦人会との共同主催の下、以後、毎年地方別に「家庭教育指導者講習会」が開催。同会において、その指導者を中心講師として、市町村に「家庭教育講座」が開催。開設箇所は約1千か所
 文部省が直轄学校に委嘱して開催する「母の講座」や、「文部省家庭教育指導指定町村」を指定することを通じて戦時下家庭教育の研究と振興が図られた
3 「家庭教育ニ関スル要綱」から「戦時家庭教育指導要項」へ
 国民統合のイデオロギーとしての家族国家観に基づき、「家」を大東亜建設に結び付ける。
 大東亜戦争の目的完遂のために、母親を戦時下生活に奉仕させるねらいがある。母親が戦時動員体制を支えるうえで不可欠の、家庭生活固有の特質の理解とその実践に努めることが重要と考えられていた。   
4 道場型の錬成から生活型の錬成へ
(1)    家における錬成の理念の確立
(2) 家の任意に任せていた家庭教育に対し国家による根本方針の提示
 これにより家における錬成の基本的なあり方が枠付けされる。
(3) 家における錬成体制の完成
 学校における錬成は計画的かつ集団的な訓練に伴い実施される。
 他方、家においては、すべての日常生活の場面での親の無意識的な一挙手一投足に教育効果を認める「感化」という方式。
 家における錬成の特質として「健全ニシテ豊カナル母ノ感化ヲ子ニ及ボ」すこと。
 家における錬成については、学校における錬成と異なり、命令服従といった関係に基づく画一的教育は逆効果であり、子供の自発性に応じた手立てが必要となる。そのため、「子女ノ自発的活動性ヲ徒ニ阻止スルコトナク自律自制ノ訓練ヲ加ヘ日常生活ノ間カラ良習慣ヲ習得セシム」となる。
 ただし、ここで言う自発性とは幼い頃から天皇に尽くすという信念を自ら固めさせるという意味での自発性であることに注意が必要である。
        
第3 皇国民錬成と家庭教育
1 家ニ関スル調査報告書(1943(昭和18)年8月)
 「『家』ハ第二ノ国民ノ養成所ナリ。日本人ノ真ノ国民的性格ハ伝統ノ『家』に於テ養ハル。総テノ子女ハ『家』ニ於テ為人ヲ得、彼等ノ全生涯ヲ通ジテ其ノ家庭ノ感化ヨリ偉大ナルハナシ。日本精神ノ具体トシテノ『家』ハ無二ノ健兵健民ノ母胎タリ。他ニ比肩スルモノナキ好個ノ皇国民錬成ノ道場タリ」
2 家庭教育が皇国民錬成体制の根源として位置づけられた要因
(2)    「家庭ハ実ニ修養ノ道場」
 家庭という最も日常的な生活を通じての感化や、両親が模範となることこそが教育効果を有するという考え方があった。
 当時の社会教育局長関屋龍吉によれば、この時期大きな社会問題となった左傾問題といった思想悪化に関し、左傾学生を「転向」させた最も大きな要因こそが、「家庭の愛」「母の涙」であるとの指摘がある。
 司法省行刑局の統計による転向動機の調査結果によれば、家庭関係による場合が圧倒的多数である。
 ① 宗教関係 45名
 ② 家庭関係 203名
 ③ 理論的清算 46名
 ④ 国民的自覚 90名
 ⑤ 性格健康等の身上関係 33名
 ⑥ 拘禁生活に後悔 49名
 ⑦ その他 20名
 このような結果から、家庭における教育機能を国家の意図のもとに再編成することが政策課題となる。
(2) 母親の教育
 思想的な背景として、三田谷啓の母親教育構想がある。
ア 背景にある女性認識
 子供を産むという身体的機能と、子のためには母の身は棄ててもいとわないという我が子に対する母の愛に見られるような、本能ともいうべき普遍的な「女性性」という認識がある。
イ なぜ母親の教育が必要なのか
 国家の改造のためには、子供の改造から始めなければならず、そのためには、子供を生み育てる母親の改造から始めなければならないと考えた。
 また、母親の本能的な愛情はそのままでは子供を損なう危険性のある「不合理な愛」と考えられており、合理的で科学的な育児法と実践によって、子供をより善く育てることの出来る方向へと導く必要があると考えられた。
(3) 家庭教育と学校教育の接合
 児童の全生活を見通し、24時間の教育体制をどう作るのかが「錬成」における重大な課題であった。学校教育における錬成だけでは足りない。
 そこで、「家」を場とする錬成が皇国民錬成体制の根源として位置づけられることとなる。
 学校教育を中心とした道場型の錬成から生活型の錬成へと変貌していく。
 
第4 家庭教育支援法との類似性
1 「我が国の伝統」というレッテル貼り
 新しいイデオロギーを植え付ける際に、新たなものとして導入するのではなく、所与のもの、本来の意味がそうであった、現状の認識が誤っているだけという切り口で語られる。
「戦時家庭教育指導要項」における「闡明」「自覚」「本来」といった文言からも明らか。あくまで現状認識を誤っており、それを正すというスタンスが透けて見える。
2 家庭教育における私事性の否定
 当時の教育審議会委員の下村寿一の問題意識が家庭教育支援法においても妥当する。
(1) 家庭の教育力が低下しているという勝手な現状認識
 青少年の逸脱行動の責任は家庭にあるから、家庭教育の機能強化が急務だと考えられていた。
(2) 教育内容への干渉
 教育振興を図るためにその振興手段を定めるにとどまらず、実質的に教育内容について規定してしまうことになる。
 「家庭教育ニ関スル要綱」の答申の際、審議会委員であった佐々井信太朗は、個々の過程の教育に文部省が干渉することはありえないだろうと述べていたが、結局、介入を認めることになった。
3 運用による変化
 教育勅語は発布当時、特に問題視されていなかった。
 しかし、その後、利用されるに至ったように、規程自体は抽象的かつ問題のなさそうなものであっても、その後の解釈によってゆがめることは容易であることが指摘できる。
 
(注)
「子供」との表記に対しては、子どもが大人に従属するものであるかのような印象を抱かせるとの指摘がある。もっとも、同要項は、国や天皇への奉仕者としての子どもを育て上げることを目的とするものであるから、むしろその意に沿うものとして、あえて本稿では「子供」という表記で統一している。
                                            以上
 
 
-参考文献-
〇『家の道 文部省戦時家庭教育指導要項解説』
 戸田貞三著/中文館/1942年11月
※国立国会図書館デジタルコレクションで全頁の画像を閲覧できます。
〇『総力戦体制と教育 皇国民「錬成」の理念と実践』
 寺崎昌男、戦時下教育研究会編/東京大学出版会/1987年3月

〇「戦時下の家庭教育論-1930年代後半以降を中心に-」
 真橋美智子著/日本女子大学紀要.人間社会学部19巻41頁~54頁/2008年
※上記論文は以下からダウンロードできます。
〇「家庭教育の私事性否定の論理構造に関する研究-戦時体制下「教育審議会」における家庭教育振興策の議論の分析を中心にして-」
 松岡寛子・福田修著/山口大学教育学部研究論叢(第3部)芸術・体育・教育・心理第60巻239頁~253頁/2011年1月
※上記論文は以下のページからダウンロードできます。
〇『動員される母親たち 戦時下における家庭教育振興政策』
 奥村典子著/六花出版/2014年10月

※本文でお名前を挙げた仲里歌織先生、漆原由香先生、大久保秀俊先生からご教示いただいた文献を掲げました。
 
 
(弁護士・金原徹雄のブログから/家庭教育支援関連)
2017年3月29日
2017年6月28日
2017年7月4日
2017年7月27日
2017年8月3日
2017年8月4日
2017年8月5日

ルビ付き原文と超訳で読む「戦時家庭教育指導要項」(1942年5月) 後編

 2017年8月5日配信(予定)のメルマガ金原.No.2895を転載します。
 
ルビ付き原文と超訳で読む「戦時家庭教育指導要項」(1942年5月) 後編
 
中編から続く
 
【超訳 5 今までの家庭生活から新しい家庭生活へ】
5 今までの家庭生活から新しい家庭生活へ
 大東亜戦争の目的を完遂させて、天皇の国の永遠の発展を期するためには今までの家庭生活ではダメです。新しい家庭生活へと刷新することが急務です。そのために以下のことに注意してください。
イ 情勢を認識してください
 昔から国のベースは家庭にあります。なので、大東亜戦争の目的の達成において家庭生活が密接な関連を持っていることを自覚してください。同時に、今の情勢についてちゃんと理解して、情勢に即応するために主婦にはどんな義務があるかについて、家庭がちゃんと把握してください。
ロ 倹約によって大東亜戦争に協力する
 大東亜戦争の重要性について理解するとともに、倹約することが戦争遂行に大きな意味を持つことを自覚し、積極的に戦争に協力してください。
ハ 家庭生活に科学を活用してください
 家庭生活についての科学的知識を持ち、家庭生活の隅々に科学を生かし、今までのねじ曲がった生活を是正してください。本能的な愛情は、非科学的で不合理で、真実の愛情ではありません。また、情勢に即対応できる生活態度を習得してください。
ニ 家族みんなで勤労してください
 勤労の精神が家に浸透し、家族それぞれが進んで働けば健全な家庭生活が維持でき、さらには国が栄えていきます。そして、戦時下で人材が不足している今日にあっては、特に家族全員の協力よって軍事産業などの労働力が補強されることが国にとって重要です。そのことを強く自覚し、実行に移してください。
ホ お隣さん同士で助け合ってください
 新しい家庭生活を実現するためには、それぞれの家が孤立していてはいけません。お隣さん同士での助け合いを通じて、特に軍事を援護するために協力一致して、自分の家だけではなく、人の家にも新しい家庭生活を実現してください。
へ 国を守ってください
 国で一丸となって大東亜戦争を遂行するために、防空訓練、防火訓練、スパイ対策が重要であることを自覚して、必要に応じて訓練をして国防を完璧にしてください。
ト 娯楽は健全さの範囲で行ってください
 家庭での娯楽は、それが健全なものであれば家生活を明るく豊かなものにするし、子供の性格にも影響します。だから、家庭での娯楽が健全になるようための指導に意を用いることで地方の実情にあった、個々の家庭にあった娯楽に興じて、健全な家庭生活を送ってください。
 
【五、家生活ノ刷新充実~『動員される母親たち 戦時下における家庭教育振興政策』所収版】
五、家生活ノ刷新充実
 大東亜戦争ノ目的ヲ完遂シ皇国永遠ノ発展ヲ期スル為家生活ノ刷新充実ヲ図ルハ正ニ今日ノ急務ト謂フベク特ニ左記各項ニ留意スルヲ要ス
イ、時局認識
 国家活動ノ基礎ハ家ヲ斉フルニアルハ古今ノ通則ニシテ大東亜建設ノ目的完遂ニ家生活ガ如何ニ大ナル関連ヲ有スルカヲ自覚セシムルト共ニ絶エズ時局ニ関スル綜合的認識ヲ深メ時局ニ即応スル主婦ノ責務ニ関シテ常ニ正鵠ナル識見ヲ養成セシム
ロ、家庭経済ノ国策ヘノ協力
 国策ヲ理解セシムルト共ニ家庭経済ノ国家的意義ヲ十分自覚セシメ之ガ国策ヘノ積極的協力ヲ為サシム
ハ、家生活ニ於ケル科学ノ活用
 家生活ニ関スル実際ノ科学的知識ヲ与ヘ家生活ノ各般ニ亘リ其ノ整斉ニ対シテ科学ノ活用ヲ十分円滑ナラシメ偏曲セル生活ノ科学化ヲ是正スルト共ニ時局ノ進展ニ即応スル生活態度ヲ修得セシム
ニ、家族皆労
 勤労ノ精神ガ家二漲リ家族ノ全員ガ夫々分ニ応ジテ進ンデ勤労ニ従フコトハ健全ナル家生活ヲ維持シ延イテハ国家ノ興隆ヲ図ル所以ナリ戦時下労力不足ノ今日ニ在リテハ特ニ家族全員ノ協力ニヨル労力ノ補塡並ニ増強ガ国家ニ極メテ重要ナル所以ヲ強ク自覚セシメ之ガ実行ニ力メシム
ホ、隣保相扶
 家生活ノ刷新充実ヲ図ランガ為ニハ各家互ニ孤立シテハ到底其ノ実現ヲ期スベカラズ隣保相扶ケ有無相通ジ特ニ軍事援護ノ実ヲ挙ゲ協力一致以テ家ノ内外ヲ通ジテ生活ノ刷新充実ニ力メシム
ヘ、国防訓練
 国家総力戦ノ一翼トシテ防空、防火、防諜ノ重要ナル所以ヲ自覚セシメ必要ニ応ジ其ノ訓練ヲ実施シテ国防ノ完璧ヲ期セシム
ト、家庭娯楽ノ振興
 健全ナル家庭娯楽ハ家生活ヲ明朗且ツ豊カナラシムルト共ニ子女ノ性格陶冶ニ影響スルトコロ甚大ナリ仍テ健全ナル家庭娯楽ノ指導ニ意ヲ用ヒ地方ノ実情ニ応ジ個々ノ家庭ニ適合スル娯楽ヲ奨励シテ健全ナル生活ノ維持増進ニ寄与セシム
 
五、家生活(いえせいかつ)ノ刷新充実(さっしんじゅうじつ)
 大東亜戦争(だいとうあせんそう)ノ目的(もくてき)ヲ完遂(かんすい)シ、皇国永遠(こうこくえいえん)ノ発展(はってん)ヲ期(き)スル為(ため)、家生活(いえせいかつ)ノ刷新充実(さっしんじゅうじつ)ヲ図(はか)ルハ正(まさ)ニ今日(こんにち)ノ急務(きゅうむ)ト謂(い)フベク、特(とく)ニ左記各項(さきかくこう)ニ留意(りゅうい)スルヲ要(よう)ス。
イ、時局認識(じきょくにんしき)
 国家活動(こっかかつどう)ノ基礎(きそ)ハ家(いえ)ヲ斉(ととの)フルニアルハ古今(ここん)ノ通則(つうそく)ニシテ、大東亜建設(だいとうあけんせつ)ノ目的完遂(もくてきかんすい)ニ家生活(いえせいかつ)ガ如何(いか)ニ大(だい)ナル関連(かんれん)ヲ有(ゆう)スルカヲ自覚(じかく)セシムルト共(とも)ニ、絶(た)エズ時局(じきょく)ニ関(かん)スル綜合的認識(そうごうてきにんしき)ヲ深(ふか)メ、時局(じきょく)ニ即応(そくおう)スル主婦(しゅふ)ノ責務(せきむ)ニ関(かん)シテ常(つね)ニ正鵠(せいこく)ナル識見(しきけん)ヲ養成(ようせい)セシム。
ロ、家庭経済(かていけいざい)ノ国策(こくさく)ヘノ協力(きょうりょく)
 国策(こくさく)ヲ理解(りかい)セシムルト共(とも)ニ、家庭経済(かていけいざい)ノ国家的意義(こっかてきいぎ)ヲ十分(じゅうぶん)自覚(じかく)セシメ、之(これ)ガ国策(こくさく)ヘノ積極的協力(せっきょくてききょうりょく)ヲ為(な)サシム。
ハ、家生活(いえせいかつ)ニ於(お)ケル科学(かがく)ノ活用(かつよう)
 家生活(いえせいかつ)ニ関(かん)スル実際(じっさい)ノ科学的知識(かがくてきちしき)ヲ与(あた)ヘ、家生活(いえせいかつ)ノ各般(かくはん)ニ亘(わた)リ、其(そ)ノ整斉(せいせい)ニ対(たい)シテ科学(かがく)ノ活用(かつよう)ヲ十分(じゅうぶん)円滑(えんかつ)ナラシメ、偏曲(へんきょく)セル生活(せいかつ)ノ科学化(かがくか)ヲ是正(ぜせい)スルト共(とも)ニ、時局(じきょく)ノ進展(しんてん)ニ即応(そくおう)スル生活態度(せいかつたいど)ヲ修得(しゅうとく)セシム。
ニ、家族皆労(かぞくかいろう)
 勤労(きんろう)ノ精神(せいしん)ガ家(いえ)二漲(みなぎ)リ、家族(かぞく)ノ全員(ぜんいん)ガ夫々(それぞれ)分(ぶん)ニ応(おう)ジテ進(すす)ンデ勤労(きんろう)ニ従(したが)フコトハ、健全(けんぜん)ナル家生活(いえせいかつ)ヲ維持(いじ)シ、延(ひ)イテハ国家(こっか)ノ興隆(こうりゅう)ヲ図(はか)ル所以(ゆえん)ナリ。戦時下(せんじか)労力不足(ろうりょくぶそく)ノ今日(こんにち)ニ在(あ)リテハ、特(とく)ニ家族全員(かぞくぜんいん)ノ協力(きょうりょく)ニヨル労力(ろうりょく)ノ補塡(ほてん)並(ならび)ニ増強(ぞうきょう)ガ国家(こっか)ニ極(きわ)メテ重要(じゅうよう)ナル所以(ゆえん)ヲ強(つよ)ク自覚(じかく)セシメ、之(これ)ガ実行(じっこう)ニ力(つと)メシム。
ホ、隣保相扶(りんぽそうふ)
 家生活(いえせいかつ)ノ刷新充実(さっしんじゅうじつ)ヲ図(はか)ランガ為(ため)ニハ、各家(かくいえ)互(たがい)ニ孤立(こりつ)シテハ到底(とうてい)其(そ)ノ実現(じつげん)ヲ期(き)スベカラズ。隣保(りんぽ)相扶(あいたす)ケ有無(うむ)相通(あいつう)ジ、特(とく)ニ軍事援護(ぐんじえんご)ノ実(じつ)ヲ挙(あ)ゲ協力一致(きょうりょくいっち)以テ(もって)家(いえ)ノ内外(ないがい)ヲ通(つう)ジテ生活(せいかつ)ノ刷新充実(さっしんじゅうじつ)ニ力(ツト)メシム。
ヘ、国防訓練(こくぼうくんれん)
 国家総力戦(こっかそうりょくせん)ノ一翼(いちよく)トシテ、防空(ぼうくう)、防火(ぼうか)、防諜(ぼうちょう)ノ重要(じゅうよう)ナル所以(ゆえん)ヲ自覚(じかく)セシメ、必要(ひつよう)ニ応(おう)ジ、其(そ)ノ訓練(くんれん)ヲ実施(じっし)シテ国防(こくぼう)ノ完璧(かんぺき)ヲ期(き)セシム。
ト、家庭娯楽(かていごらく)ノ振興(しんこう)
 健全(けんぜん)ナル家庭娯楽(かていごらく)ハ家生活(いえせいかつ)ヲ明朗(めいろう)且(か)ツ豊(ゆた)カナラシムルト共(とも)ニ、子女(しじょ)ノ性格陶冶(せいかくとうや)ニ影響(えいきょう)スルトコロ甚大(じんだい)ナリ。仍テ(よって)健全(けんぜん)ナル家庭娯楽(かていごらく)ノ指導(しどう)ニ意(い)ヲ用(もち)ヒ、地方(ちほう)ノ実情(じつじょう)ニ応(おう)ジ、個々(ここ)ノ家庭(かてい)ニ適合(てきごう)スル娯楽(ごらく)ヲ奨励(しょうれい)シテ、健全(けんぜん)ナル生活(せいかつ)ノ維持増進(いじぞうしん)ニ寄与(きよ)セシム。
 
【五、家庭生活ノ刷新充實~奈良県立図書情報館版】
五、家生活ノ刷新充實
 大東亞戰争完遂ノタメ、皇國永遠ノ發展ノタメ、家庭生活ノ刷新充實ヲ圖ルコトハ正ニ今日ノ急務ト云フベク特ニ左記各項ニ留意スルヲ要ス
イ、家庭經濟ノ國策ヘノ協力
 國策ヲ理解セシムルト共ニ家庭經濟ノ國家的意義ヲ十分自覺セシメ、コレガ國策ヘノ積極的協力ヲナサシム
ロ、家庭生活ノ科學化
 家庭科學ノ知識ヲ與ヘ、時局ノ進展ニ應スル家庭生活ノ調整並ニ合理化ヲ圖ラシム
ハ、家族皆勞
 勤勞ノ精神ガ家二漲リ家族ノ全員ガ夫々分ニ應ジテ進ンデ勤勞ニ從フコトハ健全ナル家庭ヲ維持シ延イテハ健全ナル國家ノ發達ヲ圖ル上ニ於テ最モ肝要ナリ、戰時下勞力不足ノ今日ニアツテハ特ニ家族全員ノ協力ニヨル勞力ノ補塡竝ニ增強ノ國家的重要性ヲ強ク自覺セシメコレガ實行ニ力メシム
ニ、隣保相扶
 家生活ノ刷新充實ヲ圖ルタメニモ各家互ニ孤立シテハ到底ソノ實現ヲ期スベカラズ、茲ニ於テ隣保相扶ケ有無相通ジ、協力一致以テ家ノ内外ヲ通ジテ生活ノ刷新充實ノ實ヲ擧クルニ力メシム
ホ、國防訓練
 防空、防火、防諜ノ重要ナル所以ヲ自覺セシメ、必要ニ應ジソノ訓練ヲ實施シテ國防ノ完璧ヲ期セシム
ヘ、家庭娯樂ノ振興
 健全ナル家庭娯樂ハ明朗ニシテ豊カナル家庭ヲ維持シ更ニ子女ノ性格陶冶ノ上ニモ影響スルトコロ大ナルニ鑑ミ、健全ナル家庭娯樂ノ指導ニ意ヲ用ヒ、地方ノ實情ニ應ジ個々ノ家庭ニ適合スル娯樂ヲ生活ノ間ニ加ヘ以テ健康ナル生活ノ維持增進ニ寄與セシム
 
五、家生活(いえせいかつ)ノ刷新充實(さっしんじゅうじつ)
 大東亞戰争(だいとうあせんそう)完遂(かんすい)ノタメ、皇國(こうこく)永遠(えいえん)ノ發展(はってん)ノタメ、家庭生活(かていせいかつ)ノ刷新充實(さっしんじゅうじつ)ヲ圖(はか)ルコトハ、正(まさ)ニ今日(こんにち)ノ急務(きゅうむ)ト云(い)フベク、特(とく)ニ左記各項(さきかくこう)ニ留意(りゅうい)スルヲ要(よう)ス。
イ、家庭經濟(かていけいざい)ノ國策(こくさく)ヘノ協力(きょうりょく)
 國策(こくさく)ヲ理解(りかい)セシムルト共(とも)ニ、家庭經濟(かていけいざい)ノ國家的意義(こっかてきいぎ)ヲ十分(じゅうぶん)自覺(じかく)セシメ、コレガ國策(こくさく)ヘノ積極的協力(せっきょくてききょうりょく)ヲナサシム。
ロ、家庭生活(かていせいかつ)ノ科學化(かがくか)
 家庭科學(かていかがく)ノ知識(ちしき)ヲ與(あた)ヘ、時局(じきょく)ノ進展(しんてん)ニ應(おう)スル家庭生活(かていせいかつ)ノ調整(ちょうせい)並(ならび)ニ合理化(ごうりか)ヲ圖(はか)ラシム。
ハ、家族皆勞(かぞくかいろう)
 勤勞(きんろう)ノ精神(せいしん)ガ家(いえ)二漲(みなぎ)リ、家族(かぞく)ノ全員(ぜんいん)ガ夫々(それぞれ)分(ぶん)ニ應(おう)ジテ進(すす)ンデ勤勞(きんろう)ニ從(したが)フコトハ、健全(けんぜん)ナル家庭(かてい)ヲ維持(いじ)シ、延(ひ)イテハ健全(けんぜん)ナル國家(こっか)ノ發達(はったつ)ヲ圖(はか)ル上(うえ)ニ於(おい)テ最(もっと)モ肝要(かんよう)ナリ。戰時下(せんじか)勞力不足(ろうりょくぶそく)ノ今日(こんにち)ニアツテハ、特(とく)ニ家族全員(かぞくぜんいん)ノ協力(きょうりょく)ニヨル勞力(ろうりょく)ノ補塡(ほてん)竝(ならび)ニ增強(ぞうきょう)ノ國家的重要性(こっかてきじゅうようせい)ヲ強(つよ)ク自覺(じかく)セシメ、コレガ實行(じっこう)ニ力(つと)メシム。
ニ、隣保相扶(りんぽそうふ)
 家生活(いえせいかつ)ノ刷新充實(さっしんじゅうじつ)ヲ圖(はか)ルタメニモ各家(かくいえ)互(たがい)ニ孤立(こりつ)シテハ到底(とうてい)ソノ實現(じつげん)ヲ期(き)スベカラズ。茲(ここ)ニ於(おい)テ、隣保(りんぽ)相扶(あいたす)ケ、有無相通(うむあいつう)ジ、協力一致(きょうりょくいっち)以テ(もって)家(いえ)ノ内外(ないがい)ヲ通(つう)ジテ生活(せいかつ)ノ刷新充實(さっしんじゅうじつ)ノ實(じつ)ヲ擧(あ)クルニ力(つと)メシム。
ホ、國防訓練(こくぼうくんれん)
 防空(ぼうくう)、防火(ぼうか)、防諜(ぼうちょう)ノ重要(じゅうよう)ナル所以(ゆえん)ヲ自覺(じかく)セシメ、必要(ひつよう)ニ應(おう)ジ、ソノ訓練(くんれん)ヲ實施(じっし)シテ、國防(こくぼう)ノ完璧(かんぺき)ヲ期(き)セシム。
ヘ、家庭娯樂(かていごらく)ノ振興(しんこう)
 健全(けんぜん)ナル家庭娯樂(かていごらく)ハ、明朗(めいろう)ニシテ豊(ゆた)カナル家庭(かてい)ヲ維持(いじ)シ、更(さら)ニ子女(しじょ)ノ性格陶冶(せいかくとうや)ノ上(うえ)ニモ影響(えいきょう)スルトコロ大(だい)ナルニ鑑(かんが)ミ、健全(けんぜん)ナル家庭娯樂(かていごらく)ノ指導(しどう)ニ意(い)ヲ用(もち)ヒ、地方(ちほう)ノ實情(じつじょう)ニ應(おう)ジ、個々(ここ)ノ家庭(かてい)ニ適合(てきごう)スル娯樂(ごらく)ヲ生活(せいかつ)ノ間(かん)ニ加(くわ)ヘ以テ(もって)健康(けんこう)ナル生活(せいかつ)ノ維持增進(いじぞうしん)ニ寄與(きよ)セシム。
 
 
                           戦時家庭教育指導要項の成立とその背景
 
                                                                   大久保秀俊(弁護士)
                                                                   久保木太一(弁護士
 
第1 はじめに
 戦時家庭教育指導要項の超訳文を作成する上で、同要項の成立背景や目的が重要と考えた。訳文作成において、あえて明言していない部分について、背景や目的から言葉を補っている。
 また、3から5に出てくる「皇国民」あるいは「大東亜戦争」といったキーワードについても趣旨を補って訳している。
 重要なキーワードは「皇国民ノ錬成」であり、母親を錬成体制に巻き込んだ点に特色がある。
 なお、「錬成」とは当時の文部省によれば、練磨育成の意であり、皇国の道に則って、児童の全能力を正しい目標に集中させて、国民的性格を強化するという意味である。
 
第2 成立背景 
1 「家庭教育ニ関スル要綱」
 1937年(昭和12)年に内閣に設置された教育に関する審議会「教育審議会」により、社会教育に関する答申を構成する要綱の一つとして家庭教育の振興策「家庭教育ニ関スル要綱」が作成された。
 もともと、家庭教育は教育制度の範疇とはとらえられていなかったが、家庭教育の政策化に国家が本格的に乗り出していく戦時下の動向の起点をなす。
2 年表
1938年 文部省主催「家庭教育講座」開始。「新東亜建設」を支える家庭の樹立を目的とし、家庭を皇国民錬成の実施組織として位置づけ
1941年 文部省が家庭教育振興に関する予算を特別に計上し、教育審議会が「家庭教育ニ関スル要綱」を答申
「臣民の道」刊行。「家」における錬成のあり方が提示
以後、第5期国定教科書
1942年 「戦時家庭教育指導ニ関スル件」
 かかる文部次官通牒所収の「戦時家庭教育指導要項」に基づき、大日本婦人会との共同主催の下、以後、毎年地方別に「家庭教育指導者講習会」が開催。同会において、その指導者を中心講師として、市町村に「家庭教育講座」が開催。開設箇所は約1千か所
 文部省が直轄学校に委嘱して開催する「母の講座」や、「文部省家庭教育指導指定町村」を指定することを通じて戦時下家庭教育の研究と振興が図られた
3 「家庭教育ニ関スル要綱」から「戦時家庭教育指導要項」へ
 国民統合のイデオロギーとしての家族国家観に基づき、「家」を大東亜建設に結び付ける。
 大東亜戦争の目的完遂のために、母親を戦時下生活に奉仕させるねらいがある。母親が戦時動員体制を支えるうえで不可欠の、家庭生活固有の特質の理解とその実践に努めることが重要と考えられていた。   
4 道場型の錬成から生活型の錬成へ
(1)    家における錬成の理念の確立
(2) 家の任意に任せていた家庭教育に対し国家による根本方針の提示
 これにより家における錬成の基本的なあり方が枠付けされる。
(3) 家における錬成体制の完成
 学校における錬成は計画的かつ集団的な訓練に伴い実施される。
 他方、家においては、すべての日常生活の場面での親の無意識的な一挙手一投足に教育効果を認める「感化」という方式。
 家における錬成の特質として「健全ニシテ豊カナル母ノ感化ヲ子ニ及ボ」すこと。
 家における錬成については、学校における錬成と異なり、命令服従といった関係に基づく画一的教育は逆効果であり、子供の自発性に応じた手立てが必要となる。そのため、「子女ノ自発的活動性ヲ徒ニ阻止スルコトナク自律自制ノ訓練ヲ加ヘ日常生活ノ間カラ良習慣ヲ習得セシム」となる。
 ただし、ここで言う自発性とは幼い頃から天皇に尽くすという信念を自ら固めさせるという意味での自発性であることに注意が必要である。
        
第3 皇国民錬成と家庭教育
1 家ニ関スル調査報告書(1943(昭和18)年8月)
 「『家』ハ第二ノ国民ノ養成所ナリ。日本人ノ真ノ国民的性格ハ伝統ノ『家』に於テ養ハル。総テノ子女ハ『家』ニ於テ為人ヲ得、彼等ノ全生涯ヲ通ジテ其ノ家庭ノ感化ヨリ偉大ナルハナシ。日本精神ノ具体トシテノ『家』ハ無二ノ健兵健民ノ母胎タリ。他ニ比肩スルモノナキ好個ノ皇国民錬成ノ道場タリ」
2 家庭教育が皇国民錬成体制の根源として位置づけられた要因
(2)    「家庭ハ実ニ修養ノ道場」
 家庭という最も日常的な生活を通じての感化や、両親が模範となることこそが教育効果を有するという考え方があった。
 当時の社会教育局長関屋龍吉によれば、この時期大きな社会問題となった左傾問題といった思想悪化に関し、左傾学生を「転向」させた最も大きな要因こそが、「家庭の愛」「母の涙」であるとの指摘がある。
 司法省行刑局の統計による転向動機の調査結果によれば、家庭関係による場合が圧倒的多数である。
 ① 宗教関係 45名
 ② 家庭関係 203名
 ③ 理論的清算 46名
 ④ 国民的自覚 90名
 ⑤ 性格健康等の身上関係 33名
 ⑥ 拘禁生活に後悔 49名
 ⑦ その他 20名
 このような結果から、家庭における教育機能を国家の意図のもとに再編成することが政策課題となる。
(2) 母親の教育
 思想的な背景として、三田谷啓の母親教育構想がある。
ア 背景にある女性認識
 子供を産むという身体的機能と、子のためには母の身は棄ててもいとわないという我が子に対する母の愛に見られるような、本能ともいうべき普遍的な「女性性」という認識がある。
イ なぜ母親の教育が必要なのか
 国家の改造のためには、子供の改造から始めなければならず、そのためには、子供を生み育てる母親の改造から始めなければならないと考えた。
 また、母親の本能的な愛情はそのままでは子供を損なう危険性のある「不合理な愛」と考えられており、合理的で科学的な育児法と実践によって、子供をより善く育てることの出来る方向へと導く必要があると考えられた。
(3) 家庭教育と学校教育の接合
 児童の全生活を見通し、24時間の教育体制をどう作るのかが「錬成」における重大な課題であった。学校教育における錬成だけでは足りない。
 そこで、「家」を場とする錬成が皇国民錬成体制の根源として位置づけられることとなる。
 学校教育を中心とした道場型の錬成から生活型の錬成へと変貌していく。
 
第4 家庭教育支援法との類似性
1 「我が国の伝統」というレッテル貼り
 新しいイデオロギーを植え付ける際に、新たなものとして導入するのではなく、所与のもの、本来の意味がそうであった、現状の認識が誤っているだけという切り口で語られる。
「戦時家庭教育指導要項」における「闡明」「自覚」「本来」といった文言からも明らか。あくまで現状認識を誤っており、それを正すというスタンスが透けて見える。
2 家庭教育における私事性の否定
 当時の教育審議会委員の下村寿一の問題意識が家庭教育支援法においても妥当する。
(1) 家庭の教育力が低下しているという勝手な現状認識
 青少年の逸脱行動の責任は家庭にあるから、家庭教育の機能強化が急務だと考えられていた。
(2) 教育内容への干渉
 教育振興を図るためにその振興手段を定めるにとどまらず、実質的に教育内容について規定してしまうことになる。
 「家庭教育ニ関スル要綱」の答申の際、審議会委員であった佐々井信太朗は、個々の過程の教育に文部省が干渉することはありえないだろうと述べていたが、結局、介入を認めることになった。
3 運用による変化
 教育勅語は発布当時、特に問題視されていなかった。
 しかし、その後、利用されるに至ったように、規程自体は抽象的かつ問題のなさそうなものであっても、その後の解釈によってゆがめることは容易であることが指摘できる。
                                                                            以上
 
(付記)
 上記「戦時家庭教育指導要項の成立とその背景」の執筆者の1人である大久保秀俊弁護士から、「本稿では子どものことを、あえて「子供」と記載しています。学習会において、なぜ「子供」と記載したのかとの指摘をうけましたので、下記のような注を入れることにしています。」というメールをいただきましたので、お送りいただいた「注」をそのままご紹介します。
 
(注)
「子供」との表記に対しては、子どもが大人に従属するものであるかのような印象を抱かせるとの指摘がある。もっとも、同要項は、国や天皇への奉仕者としての子どもを育て上げることを目的とするものであるから、むしろその意に沿うものとして、あえて本稿では「子供」という表記で統一している。
 
 
(弁護士・金原徹雄のブログから/家庭教育支援関連)
2017年3月29日
2017年6月28日
2017年7月4日
2017年8月3日
2017年8月4日

ルビ付き原文と超訳で読む「戦時家庭教育指導要項」(1942年5月) 中編

 2017年8月4日配信(予定)のメルマガ金原.No.2894を転載します。
 
ルビ付き原文と超訳で読む「戦時家庭教育指導要項」(1942年5月) 中編
 
前編から続く
 
【超訳 3 母親を教育してください】
 そもそも家庭教育は父親と母親が協力してやるべきものですが、子供を立派にするためには特に母親の責任が重大です。なぜなら、母親は生まれつき、子供を産み、育てる生き物だからです。なので、母親を訓練して、健全な影響を子供に及ぼす必要があります。そのためには、子供を生み、育てる母親が変わらなければなりません。そうやって母親が、子供を天皇に無条件で奉仕する者へと育て上げると同時に、健全で素晴らしい家を作り上げましょう。そのために、下記の点に注意してください。
イ 「お国のために」という考え方を徹底してください
 家庭生活は単なる家庭生活にとどまりません。常に国ベースで理解してください。あなたの家の子供は、単なるあなたの家の子供ではありません。天皇を守るための将来の精鋭部隊です。そういった人材を育成していることを自覚してください。
ロ 国が望む理想の母親像を目指してください
 まず、個人主義的思想は排除してください。そして、日本の母が本来有していた従順さ、温和さ、貞淑さ、我慢強さ、奉公精神などをちゃんと身につけるよう努力してください。
ハ この国の母親であることを自覚してください
 子供の性格は、母の性格に影響される部分がとても大きいです。なので、将来、天皇に無条件で奉仕する立派な者になるかどうかは母親にかかっています。子供が変われば国も変わります。子供を育てるというのはそういうことなので、責任と使命感を自覚してください。
ニ 科学的な教養力を向上してください
 本能的な愛情は、子供をダメにします。合理的で科学的な育児によって子供を天皇への献身者へと育てあげることこそが、真実の愛情です。今までの誤った考えは捨ててください。
 科学的素養は幼い頃に身につくものなので、子供と接する母親にちゃんとした教養があるかどうかはとても大切です。家庭の問題を科学で解決することは大東亜戦争を遂行する上でもとても大切です。なので、母親が科学をちゃんと勉強して、子供に教えるとともに、子供を大東亜戦争に協力するよう徹底してください。
ホ 健全なセンスを持ってください
 母親のセンスを向上させることが、家を豊かにし立派にするとともに、子供のセンスにも影響するところが大きいということを理解してください。だから健全なセンスを持ってください。
へ 強い子供を産むために強い身体を作ってください
 強い子供は強い母親から産まれます。なので、健康についての知識を正しく得て、適度な運動と休憩をとると同時に、心身を鍛えて心身ともに健康であることはとても重要です。特に子供を産む直前と授乳期は万全にしてください。
 
【三、母ノ教養訓練~『動員される母親たち 戦時下における家庭教育振興政策』所収版】
三、母ノ教養訓練
 家庭教育ハ固ヨリ父母共ニ其ノ責ニ任ズベキモノナレドモ子女ノ薫陶養護ニ関シテハ特ニ母ノ責務ノ重大ナルニ鑑ミ母ノ教養訓練ニ力ヲ致シ健全ニシテ豊カナル母ノ感化ヲ子ニ及ボシ次代ノ皇国民ノ育成ニ遺憾ナカラシムルト共ニ健全ニシテ明朗ナル家ヲ実現セシメンガ為ニ特ニ左記諸項ノ徹底ニツキ留意スルヲ要ス
イ、国家観念ノ涵養
 家生活ハ単ナル家ノ生活ニ止マラズ常ニ国家活動ノ源泉ナルコトヲ理解セシメ一家ニ於ケル子女ハ単ニ家ノ子女トシテノミナラズ実ニ皇国ノ後勁トシテコレヲ育成スベキ所以ヲ自覚セシム
ロ、日本婦道ノ修錬
 個人主義的思想ヲ排シ日本婦人本来ノ従順、温和、貞淑、忍耐、奉公等ノ美徳ヲ涵養錬磨スルニ努メシム
ハ、母ノ自覚
 子女ノ性格ハ母ノ性格ノ反映ニヨルコト極メテ大ニシテ皇国ノ次代ヲ荷フベキ人材ノ萌芽ハ今日ノ母ノ手ニヨリテ育成セラルルコトヲ思ヒ子女ノ薫陶養護ニ対スル母ノ責任ト使命トヲ自覚セシム
ニ、科学的教養ノ向上
 国民ノ科学的教養ハ幼少ノ間ニ啓培スルコトヲ要シ而モ子女ノ科学愛好ノ精神ハ母ノ教養ニ負フトコロ極メテ大ニシテ家生活各般ノ問題ヲ処理スルニ科学ノ謬ラザル活用ヲ図ルコトハ国策ヘノ協力ニトリテ極メテ緊要ナリ仍テ特ニ母ノ科学的教養ノ向上ヲ図リ子女ノ教養ニ寄与セシムルト共ニ国策ヘノ協力ヲ徹底セシム
ホ、健全ナル趣味ノ涵養
 母タルモノノ趣味ノ向上ガ家生活ヲ豊カニシ之ヲ明朗ナラシムルト共ニ子女ノ品性情操ノ陶冶ニ影響スルトコロ大ナル所以ヲ認識セシメ日常生活ノ間健全優美ナル趣味ノ涵養ニ努メシム
ヘ、強健ナル母体ノ錬成
 強健ナル子女ハ強健ナル母ヨリ生マル母タルモノニ保健衛生ノ思想ヲ徹底セシメ常ニ活動ト休息トニ関スル正シキ考慮ヲ払ハシムルト共ニ積極的ニ心身鍛錬ノ方途ヲ講ジ以テ心身ノ保健ヲ向上維持セシムルコトハ極メテ肝要ナリ特ニ産前産後ノ保健衛生ニハ万全ノ処置ヲ講ゼシム
 
三、母(はは)ノ教養訓練(きょうようくんれん)
 家庭教育(かていきょういく)ハ固(もと)ヨリ父母(ふぼ)共(とも)ニ其(そ)ノ責(せめ)ニ任(にん)ズベキモノナレドモ、子女(しじょ)ノ薫陶養護(くんとうようご)ニ関(かん)シテハ特(とく)ニ母(はは)ノ責務(せきむ)ノ重大(じゅうだい)ナルニ鑑(かんが)ミ、母(はは)ノ教養訓練(きょうようくんれん)ニ力(ちから)ヲ致(いた)シ、健全(けんぜん)ニシテ豊(ゆた)カナル母(はは)ノ感化(かんか)ヲ子(こ)ニ及(およ)ボシ、次代(じだい)ノ皇国民(こうこくみん)ノ育成(いくせい)ニ遺憾(いかん)ナカラシムルト共(とも)ニ、健全(けんぜん)ニシテ明朗(めいろう)ナル家(いえ)ヲ実現(じつげん)セシメンガ為(ため)ニ特(とく)ニ左記諸項(さきしょこう)ノ徹底(てってい)ニツキ留意(りゅうい)スルヲ要(よう)ス。
イ、国家観念(こっかかんねん)ノ涵養(かんよう)
 家生活(いえせいかつ)ハ単(たん)ナル家(いえ)ノ生活(せいかつ)ニ止(とど)マラズ、常(つね)ニ国家活動(こっかかつどう)ノ源泉(げんせん)ナルコトヲ理解(りかい)セシメ、一家(いっか)ニ於(お)ケル子女(しじょ)ハ単(たん)ニ家(いえ)ノ子女(しじょ)トシテノミナラズ、実(じつ)ニ皇国(こうこく)ノ後勁(こうけい)トシテコレヲ育成(いくせい)スベキ所以(ゆえん)ヲ自覚(じかく)セシム。
ロ、日本婦道(にほんふどう)ノ修錬(しゅうれん)
 個人主義的思想(こじんしゅぎてきしそう)ヲ排(はい)シ、日本婦人(にほんふじん)本来(ほんらい)ノ従順(じゅうじゅん)、温和(おんわ)、貞淑(ていしゅく)、忍耐(にんたい)、奉公(ほうこう)等(とう)ノ美徳(びとく)ヲ涵養錬磨(かんようれんま)スルニ努(つと)メシム。
ハ、母(はは)ノ自覚(じかく)
 子女(しじょ)ノ性格(せいかく)ハ母(はは)ノ性格(せいかく)ノ反映(はんえい)ニヨルコト極(きわ)メテ大(だい)ニシテ、皇国(こうこく)ノ次代(じだい)ヲ荷(にな)フベキ人材(じんざい)ノ萌芽(ほうが)ハ今日(こんにち)ノ母(はは)ノ手(て)ニヨリテ育成(いくせい)セラルルコトヲ思(おも)ヒ、子女(しじょ)ノ薫陶養護(くんとうようご)ニ対(たい)スル母(はは)ノ責任(せきにん)ト使命(しめい)トヲ自覚(じかく)セシム。
ニ、科学的教養(かがくてききょうよう)ノ向上(こうじょう)
 国民(こくみん)ノ科学的教養(かがくてききょうよう)ハ幼少(ようしょう)ノ間(かん)ニ啓培(けいばい)スルコトヲ要(よう)シ、而(しか)モ子女(しじょ)ノ科学愛好(かがくあいこう)ノ精神(せいしん)ハ母(はは)ノ教養(きょうよう)ニ負(お)フトコロ極(きわ)メテ大(だい)ニシテ、家生活(いえせいかつ)各般(かくはん)ノ問題(もんだい)ヲ処理(しょり)スルニ科学(かがく)ノ謬(あやま)ラザル活用(かつよう)ヲ図(はか)ルコトハ国策(こくさく)ヘノ協力(きょうりょく)ニトリテ極(きわ)メテ緊要(きんよう)ナリ。仍テ(よって)特(とく)ニ母(はは)ノ科学的教養(かがくてききょうよう)ノ向上(こうじょう)ヲ図(はか)リ、子女(しじょ)ノ教養(きょうよう)ニ寄与(きよ)セシムルト共(とも)ニ国策(こくさく)ヘノ協力(きょうりょく)ヲ徹底(てってい)セシム。
ホ、健全(けんぜん)ナル趣味(しゅみ)ノ涵養(かんよう)
 母(はは)タルモノノ趣味(しゅみ)ノ向上(こうじょう)ガ家生活(いえせいかつ)ヲ豊(ゆた)カニシ之(これ)ヲ明朗(めいろう)ナラシムルト共(とも)ニ、子女(しじょ)ノ品性情操(ひんせいじょうそう)ノ陶冶(とうや)ニ影響(えいきょう)スルトコロ大(だい)ナル所以(ゆえん)ヲ認識(にんしき)セシメ、日常生活(にちじょうせいかつ)ノ間(かん)健全優美(けんぜんゆうび)ナル趣味(しゅみ)ノ涵養(かんよう)ニ努(つと)メシム。
ヘ、強健(きょうけん)ナル母体(ぼたい)ノ錬成(れんせい)
 強健(きょうけん)ナル子女(しじょ)ハ強健(きょうけん)ナル母(はは)ヨリ生(う)マル。母(はは)タルモノニ保健衛生(ほけんえいせい)ノ思想(しそう)ヲ徹底(てってい)セシメ、常(つね)ニ活動(かつどう)ト休息(きゅうそく)トニ関(かん)スル正(ただ)シキ考慮(こうりょ)ヲ払(はら)ハシムルト共(とも)ニ、積極的(せっきょくてき)ニ心身鍛錬(しんしんたんれん)ノ方途(ほうと)ヲ講(こう)ジ、以テ(もって)心身(しんしん)ノ保健(ほけん)ヲ向上維持(こうじょういじ)セシムルコトハ極(きわ)メテ肝要(かんよう)ナリ。特(とく)ニ産前産後(さんぜんさんご)ノ保健衛生(ほけんえいせい)ニハ万全(ばんぜん)ノ処置(しょち)ヲ講(こう)ゼシム。
 
【三、母性ノ教養訓練~奈良県立図書情報館版】
三、母性ノ教養訓練
 家庭教育ハ固ヨリ父母共ニソノ責ニ任ズベキモノナリト雖モ子女ノ薰陶養護ニ關シテハ特ニ母ノ責務ノ重大ナルニ鑑ミ、先ズ母性ノ教養訓練ニ力ヲ致シ健全ナル母性ノ感化ヲ子ニ及ボシ次代ノ皇國民ノ育成ニ遺憾ナカラシムルト共ニ、健全ニシテ明朗ナル翼賛家庭ヲ建設セシメンガ爲ニ特ニ左記諸項ノ徹底ニツキ留意スルヲ要ス
イ、國家觀念、社會觀念ノ涵養
 母性ノ活動ヲ中心トスル家庭生活ハ單ナル家庭内部ニ留マラズ常ニ國家生活、社會生活ノ一環ナルコトヲ理解セシメ一家ノ子女ノ育成モ亦皇國ノ子女ノ育成ナルコトノ自覺ニ導ク
ロ、日本婦道ノ修鍊
 個人主義的外來思想ノ浸潤ヲ排シ日本婦人本來ノ柔順、溫和、貞淑、忍耐、犠牲、奉公等ノ美德ヲ守リ、之ガ涵養錬磨ニ努メシム
ハ、母性ノ自覚
 子女ハ母性ノ反映ニシテ更ニ將來世界ヲ動カス者ハ今日搖籃ヲ動カス母性ノ手ニアルコトヲ思ヒ、子女ノ薰陶養護ニ對スル母性ノ責任ト使命ヲ自覺セシム
ニ、時局認識
 家齊ヒテ國治マル、國家活動ノ基礎ハ家庭ノ整備ニアルコトハ古今ノ通則ナリト雖モ特ニ大東亞建設途上ニ於イテ家庭生活ガ如何ニ目的完遂ニ大ナル關連ヲ有スルカヲ自覺セシメ、更ニ子女ヲシテ次代ノ大東亞指導者トシテ教育スル爲ニ斷エズ時局ニ關スル綜合的認識ヲ母性ニ与へ、時局ト母性ノ責務ニ關シテ常ニ正鴻ナル識見ヲ養成セシム
ホ、科學的教養ノ向上
 國民ノ科學的興味ハ幼少ノ間ニ養ハル、幼少者ノ科學的興味ハ母性ノ科學的教養ニ負フトコロ極メテ大ナリ、然ルニ從來我が國女性ノ科學的教養ニ關シテハ低調ノ憾尠シトセズ、茲ニ於テ特ニ母性ノ科學的教養ノ向上ヲ圖リ直接的ニハ家庭各般ノ問題ヲ科學的ニ處理シ、國策ヘノ協力ヲ徹底セシムルト共ニ延イテハ次代ノ科學的向上ニ寄與セシム
ヘ、健全ナル趣味ノ向上
 母性ノ趣味ノ向上ガ家生活ヲ豊カニシコレヲ明朗ナラシムルト共ニ子女ノ品性陶冶ニ影響スルトコロ大ナル所以ヲ認識セシメ、日常生活ノ間、健全優美ナル趣味ノ向上ニ努メシム
ト、強健ナル母體ノ鍊成
 強健ナル子女ハ強健ナル母體ヨリ生ズ、母タル者ニ保健衛生ノ思想ヲ涵養シ常ニ榮養ト活動ト休息ニ關スル正シキ考慮ヲ拂ハシムルト共ニ積極的ニ心身鍛鍊ノ方途ヲ講ジ以テ健全ナル母體ヲ保持セシムルコトハ極メテ刊要ナリ、特ニ産前産後ノ保健衛生ニハ萬全ノ處置ヲ講セシムル要アリ
 
三、母性(ぼせい)ノ教養訓練(きょうようくんれん)
 家庭教育(かていきょういく)ハ固(もと)ヨリ父母(ふぼ)共(とも)ニソノ責(せめ)ニ任(にん)ズベキモノナリト雖(いえど)モ、子女(しじょ)ノ薰陶養護(くんとうようご)ニ關(かん)シテハ、特(とく)ニ母(はは)ノ責務(せきむ)ノ重大(じゅうだい)ナルニ鑑(かんが)ミ、先(ま)ズ母性(ぼせい)ノ教養訓練(きょうようくんれん)ニ力(ちから)ヲ致8いた)シ、健全(けんぜん)ナル母性(ぼせい)ノ感化(かんか)ヲ子(こ)ニ及(およ)ボシ、次代(じだい)ノ皇國民(こうこくみん)ノ育成(いくせい)ニ遺憾(いかん)ナカラシムルト共(とも)ニ、健全(けんぜん)ニシテ明朗(めいろう)ナル翼賛家庭(よくさんかてい)ヲ建設(けんせつ)セシメンガ爲(ため)ニ、特(とく)ニ左記諸項(さきしょこう)ノ徹底(てってい)ニツキ留意(りゅうい)スルヲ要(よう)ス
イ、國家觀念(こっかかんねん)、社會觀念(しゃかいかんねん)ノ涵養(かんよう)
 母性(ぼせい)ノ活動(かつどう)ヲ中心(ちゅうしん)トスル家庭生活(かていせいかつ)ハ、單(たん)ナル家庭内部(かていないぶ)ニ留(とど)マラズ、常(つね)ニ國家生活(こっかせいかつ)、社會生活(しゃかいせいかつ)ノ一環(いっかん)ナルコトヲ理解(りかい)セシメ、一家(いっか)ノ子女(しじょ)ノ育成(いくせい)モ亦(また)皇國(こうこく)ノ子女(しじょ)ノ育成(いくせい)ナルコトノ自覺(じかく)ニ導(みちび)ク。
ロ、日本婦道(にほんふどう)ノ修鍊(しゅうれん)
 個人主義的(こじんしゅぎてき)外來思想(がいらいしそう)ノ浸潤(しんじゅん)ヲ排(はい)シ、日本婦人(にほんふじん)本來(ほんらい)ノ柔順(じゅうじゅん)、溫和(おんわ)、貞淑(ていしゅく)、忍耐(にんたい)、犠牲(ぎせい)、奉公(ほうこう)等(とう)ノ美德(びとく)ヲ守(まも)リ、之(これ)ガ涵養錬磨(かんようれんま)ニ努(つと)メシム。
ハ、母性(ぼせい)ノ自覚(じかく)
 子女(しじょ)ハ母性(ぼせい)ノ反映(はんえい)ニシテ、更(さら)ニ將來(しょうらい)世界(せかい)ヲ動(うご)カス者(もの)ハ、今日(こんにち)搖籃(ようらん/金原注「ゆりかご」かも?)ヲ動(うご)カス母性(ぼせい)ノ手(て)ニアルコトヲ思(おも)ヒ、子女(しじょ)ノ薰陶養護(くんとうようご)ニ對(たい)スル母性(ぼせい)ノ責任(せきにん)ト使命(しめい)ヲ自覺(じかく)セシム。
ニ、時局認識(じきょくにんしき)
 家(いえ)齊(ととの)ヒテ國(くに)治(おさ)マル。國家活動(こっかかつどう)ノ基礎(きそ)ハ家庭(かてい)ノ整備(せいび)ニアルコトハ、古今(ここん)ノ通則(つうそく)ナリト雖(いえど)モ、特(とく)ニ大東亞建設(だいとうあけんせつ)途上(とじょう)ニ於(お)イテ、家庭生活(かていせいかつ)ガ如何(いか)ニ目的完遂(もくてきかんすい)ニ大(だい)ナル關連(かんれん)ヲ有(ゆう)スルカヲ自覺(じかく)セシメ、更(さら)ニ子女(しじょ)ヲシテ次代(じだい)ノ大東亞指導者(だいとうあしどうしゃ)トシテ教育(きょういく)スル爲(ため)ニ、斷(た)エズ時局(じきょく)ニ關(かん)スル綜合的認識(そうごうてきにんしき)ヲ母性(ぼせい)ニ与(あた)へ、時局(じきょく)ト母性(ぼせい)ノ責務(せきむ)ニ關(かん)シテ常(つね)ニ正鴻(せいこう)ナル識見(しきけん)ヲ養成(ようせい)セシム
ホ、科學的教養(かがくてききょうよう)ノ向上(こうじょう)
 國民(こくみん)ノ科學的興味(かがくてききょうみ)ハ幼少(ようしょう)ノ間(かん)ニ養(やしな)ハル。幼少者(ようしょうしゃ)ノ科學的興味(かがくてききょうみ)ハ母性(ぼせい)ノ科學的教養(かがくてききょうよう)ニ負(お)フトコロ極(きわ)メテ大(だい)ナリ。然(しか)ルニ從來(じゅうらい)我(わ)が國(くに)女性(じょせい)ノ科學的教養(かがくてききょうよう)ニ關(かん)シテハ低調(ていちょう)ノ憾(うらみ)尠(すくな)シトセズ。茲(ここ)ニ於(おい)テ特(とく)ニ母性(ぼせい)ノ科學的教養(かがくてききょうよう)ノ向上(こうじょう)ヲ圖(はか)リ直接的(ちょくせつてき)ニハ家庭各般(かていかくはん)ノ問題(もんだい)ヲ科學的(かがくてき)ニ處理(しょり)シ、國策(こくさく)ヘノ協力(きょうりょく)ヲ徹底(てってい)セシムルト共(とも)ニ、延(ひ)イテハ次代(じだい)ノ科學的向上(かがくてきこうじょう)ニ寄與(きよ)セシム。
ヘ、健全(けんぜん)ナル趣味(しゅみ)ノ向上(こうじょう)
 母性(ぼせい)ノ趣味(しゅみ)ノ向上(こうじょう)ガ家生活(かていせいかつ)ヲ豊(ゆた)カニシ、コレヲ明朗(めいろう)ナラシムルト共(とも)ニ、子女(しじょ)ノ品性陶冶(ひんせいとうや)ニ影響(えいきょう)スルトコロ大(だい)ナル所以(ゆえん)ヲ認識(にんしき)セシメ、日常生活(にちじょうせいかつ)ノ間(かん)、健全優美(けんぜんゆうび)ナル趣味(しゅみ)ノ向上(こうじょう)ニ努(つと)メシム。
ト、強健(きょうけん)ナル母體(ぼたい)ノ鍊成(れんせい)
 強健(きょうけん)ナル子女(しじょ)ハ強健(きょうけん)ナル母體(ぼたい)ヨリ生(しょう)ズ。母(はは)タル者(もの)ニ保健衛生(ほけんえいせい)ノ思想(しそう)ヲ涵養(かんよう)シ、常(つね)ニ榮養(えいよう)ト活動(かつどう)ト休息(きゅうそく)ニ關(かん)スル正(ただ)シキ考慮(こうりょ)ヲ拂(はら)ハシムルト共(とも)ニ、積極的(せっきょくてき)ニ心身鍛鍊(しんしんたんれん)ノ方途(ほうと)ヲ講(こう)ジ、以テ(もって)健全(けんぜん)ナル母體(ぼたい)ヲ保持(ほじ)セシムルコトハ極(きわ)メテ刊要(かんよう)ナリ。特(とく)ニ、産前産後(さんぜんさんご)ノ保健衛生(ほけんえいせい)ニハ萬全(ばんぜん)ノ處置(しょち)ヲ講(こう)ゼシムル要(よう)アリ。
 
 
【超訳 4 子供を正しく育ててください】
 子供を正しく育てることは家庭教育の中核です。父親と母親の愛情の下、健全な家風の中で、ちゃんと使い物になる、将来の天皇に無条件で奉仕する献身者を作り出してください。そのために下記のことに注意してください。
イ 天皇に献身する信念を身につけさせてください
 日本は世界で一番素晴らしい国です。それは天皇のおかげであり、あなたたちは天皇に恩返しをしなければならないのです。日本人として生まれたことの喜びと誇りをもって、幼い頃から天皇に尽くすという信念を自ら固めさせてください。
ロ 強いメンタルを鍛えさせてください
 強い身体、我慢強さ、勇敢さをきたえ、大東亜戦争への士気を高め、強い決意と戦争に協力するための力を培ってください。
ハ 素直な子に育ててください
 清らかさと素直さと明るい性格、そして高潔な品位を持った、兵隊向きの子に育てましょう。
ニ よくしつけてください
 子供の自発性をいたずらに阻止してはいけませんが、自制心を身につけさせる訓練をし、良い習慣を身につけさせてください。強い兵隊のベースとするために、勤労、節約、我慢の精神を育てて、習慣にさせてください。それを通じ、幼い頃から天皇に尽くすという信念を自ら固めさせましょう。
ホ 身体を鍛えさせてください
 子供の身体の発育状況や健康状態を気にしつつ、身体をきたえさせてください。ただ、身体が強いだけでは兵隊としては足りません。加えて、勇敢さを身につけさせてください。大東亜共栄圏における指導的な国民としての精神を育むのです。
 
【四、子女の薫陶擁護~『動員される母親たち 戦時下における家庭教育振興政策』所収版】
四、子女ノ薫陶養護
 子女ノ薫陶養護ハ家庭教育ノ中核ナリ父母ノ慈愛ノ下、健全ナル家風ノ中ニ有為ナル次代皇国民ノ錬成ヲ為スベク特ニ左記諸項ニ留意スルヲ要ス
イ、皇国民タルノ信念ノ啓培
 我ガ国体ノ万邦無比ニシテ皇恩ノ宏大無辺ナル所以、日本人トシテ生ヲ享ケタルコトノ喜ビト矜トヲ体得セシメ以テ幼少ノ間ニ自カラ尽忠報国ノ信念ヲ固メシム
ロ、剛健ナル精神ノ鍛錬
 質実剛健、堅忍持久、勇往邁進ノ精神ヲ養ヒ気宇ヲ高大ナラシメ強固ナル意志ヲ鍛錬シ其ノ実践力ヲ培養セシム
ハ、醇乎タル情操ノ陶冶
 清雅ニシテ醇乎タル情操ヲ陶冶シ明朗闊達ナル性格ト高潔ナル品位トヲ涵養セシム
ニ、良キ躾
 子女ノ自発的活動性ヲ徒ニ阻止スルコトナク自立自制ノ訓練ヲ加ヘ日常生活ノ間自カラ良習慣ヲ修得セシム就中剛健ナル国民ノ基礎ニ培フ為ニ勤労、節倹、忍苦ノ精神ヲ涵養シ之ガ習慣ヲ養ハシム
ホ、身体ノ養護鍛錬
 子女ノ身体ノ発育情況、健康状態ニ留意シ之ガ養護ニ力ムルト共ニ積極的ナル鍛錬ヲ重ンジ強健ナル身体ノ中ニ雄渾ナル気魄ヲ培養セシム
 
四、子女(しじょ)ノ薫陶養護(くんとうようご)
 子女(しじょ)ノ薫陶養護(くんとうようご)ハ家庭教育(かていきょういく)ノ中核(ちゅうかく)ナリ。父母(ふぼ)ノ慈愛(じあい)ノ下(もと)、健全(けんぜん)ナル家風(かふう)ノ中(うち)ニ有為(ゆうい)ナル次代(じだい)皇国民(こうこくみん)ノ錬成(れんせい)ヲ為(な)スベク特(とく)ニ左記諸項(さきしょこう)ニ留意(りゅうい)スルヲ要(よう)ス。
イ、皇国民(こうこくみん)タルノ信念(しんねん)ノ啓培(けいばい)
 我(わ)ガ国体(こくたい)ノ万邦無比(ばんぽうむひ)ニシテ皇恩(こうおん)ノ宏大無辺(こうだいむへん)ナル所以(ゆえん)、日本人(にっぽんじん)トシテ生(せい)ヲ享(う)ケタルコトノ喜(よろこ)ビト矜(ほこり)トヲ体得(たいとく)セシメ以テ(もって)幼少(ようしょう)ノ間(かん)ニ自(おのず)カラ尽忠報国(じんちゅうほうこく)ノ信念(しんねん)ヲ固(かた)メシム。
ロ、剛健(ごうけん)ナル精神(せいしん)ノ鍛錬(たんれん)
 質実剛健(しつじつごうけん)、堅忍持久(けんにんじきゅう)、勇往邁進(ゆうおうまいしん)ノ精神(せいしん)ヲ養(やしな)ヒ気宇(きう)ヲ高大(こうだい)ナラシメ強固(きょうこ)ナル意志(いし)ヲ鍛錬(たんれん)シ其(そ)ノ実践力(じっせんりょく)ヲ培養(ばいよう)セシム。
ハ、醇乎(じゅんこ)タル情操(じょうそう)ノ陶冶(とうや)
 清雅(せいが)ニシテ醇乎(じゅんこ)タル情操(じょうそう)ヲ陶冶(とうや)シ明朗闊達(めいろうかったつ)ナル性格(せいかく)ト高潔(こうけつ)ナル品位(ひんい)トヲ涵養(かんよう)セシム。
ニ、良(よ)キ躾(しつけ)
 子女(しじょ)ノ自発的(じはつてき)活動性(かつどうせい)ヲ徒(いたずら)ニ阻止(そし)スルコトナク自立自制(じりつじせい)ノ訓練(くんれん)ヲ加(くわ)ヘ日常生活(にちじょうせいかつ)ノ間(かん)自(おのず)カラ良習慣(りょうしゅうかん)ヲ修得(しゅうとく)セシム。就中(なかんずく)剛健(ごうけん)ナル国民(こくみん)ノ基礎(きそ)ニ培(つちか)フ為(ため)ニ勤労(きんろう)、節倹(せっけん)、忍苦(にんく)ノ精神(せいしん)ヲ涵養(かんよう)シ之(これ)ガ習慣(しゅうかん)ヲ養(やしな)ハシム。
ホ、身体(しんたい)ノ養護鍛錬(ようごたんれん)
 子女(しじょ)ノ身体(しんたい)ノ発育情況(はついくじょうきょう)、健康状態(けんこうじょうたい)ニ留意(りゅうい)シ、之(これ)ガ養護(ようご)ニ力(つと)ムルト共(とも)ニ、積極的(せっきょくてき)ナル鍛錬(たんれん)ヲ重(おも)ンジ、強健(きょうけん)ナル身体(しんたい)ノ中(うち)ニ雄渾(ゆうこん)ナル気魄(きはく)ヲ培養(ばいよう)セシム。
 
【四、子女ノ薰陶擁護~奈良県立図書情報館版】
四、子女ノ薫陶養護
 子女ノ薫陶養護ハ家庭教育ノ中核ナリ、斯教育ハコヽニ重點ヲ置き父母慈愛ノ下、健全ナル家風ノ中ニ有爲ナル次代皇國民ノ鍊成ヲ為ル(金原注:「ル」は「ス」の誤記か)ベク、特ニ左記諸項ニ留意スルヲ要ス
イ、皇國民タルノ信念ノ啓培
 我ガ國體ノ萬邦無比ナル所以ヲ知ラシメ、皇恩ノ感謝ト共ニ日本人トシテ生ヲ享ケタルコトノ喜ビヲ體得セシメ以テ幼少ノ間ニ自カラ奉公ノ信念ヲ固カラシム
ロ、剛健ナル精神ノ鍛鍊
 盡忠報國、質實剛健、堅忍持久、勇往邁進ノ精神ヲ養ヒ、強固ナル意志ヲ鍛鍊シ、其ノ實踐力ヲ培養セシム
ハ、醇乎タル情操ノ陶冶
 健全ナル兒童文化ノ活用ニヨリ醇乎タル情操ヲ涵養シ明朗濶達ナル性格ヲ養ヒ豊カナル生命力ヲ培養セシム
ニ、良キ躾
 子女ノ自發的活動性ヲ活カシツヽ自立自制ノ訓練ヲ加ヘ、日常生活ノ間自カラ良習慣ヲ修得セシム 就中勤勞ノ精神ヲ尊重シコレガ習慣ヲ養フコトハ剛健ナル國民ノ基礎ヲ培フ意味ニ於テ特ニ意ヲ用ヰル要アリ
ホ、身體ノ養護鍛鍊
 子女ノ身體ノ發育情況、健康狀態ニ留意スルト共ニ積極的ナル鍛鍊ヲ重ンジ、強健ナル肉體ノ中ニ雄渾ナル氣魄ヲ培養セシム
 
四、子女(しじょ)ノ薫陶養護(くんとうようご)
 子女(しじょ)ノ薫陶養護(くんとうようご)ハ家庭教育(かていきょういく)ノ中核(ちゅうかく)ナリ、斯(かかる)教育(きょういく)ハコヽニ重點(じゅうてん)ヲ置(お)き父母(ふぼ)慈愛(じあい)ノ下(もと)、健全(けんぜん)ナル家風(かふう)ノ中(うち)ニ有爲(ゆうい)ナル次代(じだい)皇國民(こうこくみん)ノ鍊成(れんせい)ヲ為(な)ル(金原注:「ル」は「ス」の誤記か)ベク、特(とく)ニ左記諸項(さきしょこう)ニ留意(りゅうい)スルヲ要(よう)ス。
イ、皇國民(こうこくみん)タルノ信念(しんねん)ノ啓培(けいばい)
 我(わ)ガ國體(こくたい)ノ萬邦無比(ばんぽうむひ)ナル所以(ゆえん)ヲ知(し)ラシメ、皇恩(こうおん)ノ感謝(かんしゃ)ト共(とも)ニ、日本人(にっぽんじん)トシテ生(せい)ヲ享(う)ケタルコトノ喜(よろこ)ビヲ體得(たいとく)セシメ以テ(もって)幼少(ようしょう)ノ間(かん)ニ自(おのず)カラ奉公(ほうこう)ノ信念(しんねん)ヲ固(かた)カラシム。
ロ、剛健(ごうけん)ナル精神(せいしん)ノ鍛鍊(たんれん)
 盡忠報國(じんちゅうほうこく)、質實剛健(しつじつごうけん)、堅忍持久(けんにんじきゅう)、勇往邁進(ゆうおうまいしん)ノ精神(せいしん)ヲ養(やしな)ヒ、強固(きょうこ)ナル意志(いし)ヲ鍛鍊(たんれん)シ、其(そ)ノ實踐力(じっせんりょく)ヲ培養(ばいよう)セシム。
ハ、醇乎(じゅんこ)タル情操(じょうそう)ノ陶冶(とうや)
 健全(けんぜん)ナル兒童文化(じどうぶんか)ノ活用(かつよう)ニヨリ醇乎(じゅんこ)タル情操(じょうそう)ヲ涵養(かんよう)シ、明朗濶達(めいろうかったつ)ナル性格(せいかく)ヲ養(やしな)ヒ豊(ゆた)カナル生命力(せいめいりょく)ヲ培養(ばいよう)セシム。
ニ、良(よ)キ躾(しつけ)
 子女(しじょ)ノ自發的活動性(じはつてきかつどうせい)ヲ活(い)カシツヽ、自立自制(じりつじせい)ノ訓練(くんれん)ヲ加(くわ)ヘ、日常生活(にちじょうせいかつ)ノ間(かん)、自(おのず)カラ良習慣(りょうしゅうかん)ヲ修得(しゅうとく)セシム。 就中(なかんずく)勤勞(きんろう)ノ精神(せいしん)ヲ尊重(そんちょう)シ、コレガ習慣(しゅうかん)ヲ養(やしな)フコトハ剛健(ごうけん)ナル國民(こくみん)ノ基礎(きそ)ヲ培(つちか)フ意味(いみ)ニ於(おい)テ、特(とく)ニ意(い)ヲ用(もち)ヰル要(よう)アリ。
ホ、身體(しんたい)ノ養護鍛鍊(ようごたんれん)
 子女(しじょ)ノ身體(しんたい)ノ發育情況(はついくじょうきょう)、健康狀態(けんこうじょうたい)ニ留意(りゅうい)スルト共(とも)ニ、積極的(せっきょくてき)ナル鍛鍊(たんれん)ヲ重(おも)ンジ、強健(きょうけん)ナル肉體(にくたい)ノ中(うち)ニ雄渾(ゆうこん)ナル氣魄(きはく)ヲ培養(ばいよう)セシム。
 
後編に続く)

ルビ付き原文と超訳で読む「戦時家庭教育指導要項」(1942年5月) 前編

 2017年8月3日配信(予定)のメルマガ金原.No.2893を転載します。
 
ルビ付き原文と超訳で読む「戦時家庭教育指導要項」(1942年5月) 前編
 
 今年の3月終わりから、それまで私の「得意分野」でも「重点関心分野」何でもなかった「教育」、それも「家庭教育」について、考えざるを得ない事態となっています。
 その間の事情は、私がブログに書いた以下の4本の記事に書き留めてきました。
 
2017年3月29日
2017年6月28日
2017年7月4日
2017年7月27日
 
 上記のブログを読んで(読み返して)いただければ一番良いのですが、手短かに要約すれば、以下のようになるでしょうか。
 
自民党「日本国憲法改正草案」(2012年4月)第24条1項「家族は、互いに助け合わなければならない。」に代表されるように、いわゆる改憲派が、9条や緊急事態条項と並んで重点改憲目標としているのが「家族問題」である。
〇改憲派の家族感には、戦前に回帰しようという価値観(それを国民に押し付けようという意図)が濃厚に認められる。
〇そのことは、自民党が中心となって準備している「家庭教育支援法案」の内容にも反映している。
〇地方自治体レベルでは、法律を先取りする形で「家庭教育支援条例」を制定するところが増えつつある。
〇また、法律や条例の制定を待たずとも、各自治体の中には、国が推奨する「家庭教育支援チーム」を設置し、家庭訪問などを実施しているところも少なくない。
〇ちなみに、私の住む和歌山県は、小中学生のいる全家庭を訪問する家庭教育支援チームが活動していたり(湯浅町)、県庁所在地の和歌山市が、全国の政令市・中核市の先陣を切って家庭教育支援条例を制定するなど、「家庭教育支援」の「先進県」だったりする。
 
 以上の要約の最後に書いた地元の事情にあまりにも無知・無関心だったことを反省し、まことに遅ればせながら、「家庭教育」問題をフォローしなければと思い立ったという次第です。
 
 さて、今日から3回にわたってご紹介するのは、文部省が太平洋戦争開戦の5ヶ月後(1942年5月7日付)、文部次官通牒として、全国の各地方長官宛に発出した「戦時家庭教育指導ニ関スル件」(発社128号)で発表された「戦時家庭教育指導要項」です。
 この要項では、以下の5項目について、家庭教育指導の方向性を指示しています。
 
1 我ガ国ニ於ケル家ノ特質ノ闡明並ニ其ノ使命ノ自覚
2 健全ナル家風ノ樹立
3 母ノ教養訓練
4 子女ノ薫陶養護
5 家生活ノ刷新充実
 
 「家庭教育支援法案」や「家庭教育支援条例」の思想的背景に、国策として推進された戦前の「家庭教育」への回帰志向があるのではないか?ということがよく論じられているようなのですが、自信をもって「そうだ」と言うためには、その前提として、戦前の「家庭教育」がどのようなものであったか、基本的なところから勉強しなければと思っていたところ、戦時中の「家庭教育」に関する基礎的文献の1つである上記「戦時家庭教育指導要項」を、東京の若手弁護士お2人が「超訳」したという報告が、私も登録している某メーリングリストになされ、早速、添付されていた「超訳」と「解説」を読ませてもらったところ、「これは多くの人に読んでもらうべきだ」と確信しました。幸い、訳者の大久保秀俊さん、久保木太一さん(いずれも東京の城北法律事務所に所属する若手弁護士)のお2人から、私のブログへの全文転載をご了解いただきました。大久保さん、久保木さん、ありがとうございました。
 
 ところで、せっかく「超訳」をご紹介するのですから、原文も一緒に読みたいですよね。けれども、戦前の行政文書の通例で、漢文読み下し調で、やたらと漢語、四字熟語が出てくる、原則として句読点もない、というものですから、漢字に全部振り仮名でも振られていなければ、読んでみようという意欲もわかないかもしれないと思い、一念発起して、「原文に全部ルビを付けよう」と決意しました。
 大久保先生と久保木先生が「超訳」する際の底本とされたのは、2014年10月に刊行された奥村典子著『動員される母親たち 戦時下における家庭教育振興政策』(六花出版)に掲載された原文(同書109~111頁)ということであり、しかも、お2人に「超訳」を勧めた仲里歌織弁護士が、必要あってその原文を文書ファイルに入力したデータがあるということで、仲里先生からそのデータをご提供いただけたおかげで、原文を一から入力していく手間を省くことができ、とても助かりました。なお、以下にご紹介する原文(『動員される母親たち 戦時下における家庭教育振興政策』所収版)は、仲里さんから提供いただいたデータを基に、あらためて同著に掲載された原文と照合し、私の責任で修正を加えたりしていますので、転記ミスがあれば、それは私の責任です。
 
 あとは、総ルビを振る作業です。これが一昔前なら、国語辞典や漢和辞典と首っ引きで調べる必要が生じたところでしょうが、幸い、今はインターネットの普及により、漢字を入力して検索すれば、代表的な「読み」を知ることは非常に容易になりました。
 もっとも、そう一々インターネットで読み方を調べた訳ではなく、「こう読むはずだ」という私の直感でルビを振った箇所の方が圧倒的に多いので、間違っている箇所があったらご容赦ください。
 ちなみに、私が大久保、久保木両弁護士による「超訳」を知った某MLに、「戦時家庭教育指導要項」(後にご紹介する奈良県立図書情報館版の)前文のルビ付き試案を投稿し、「漢字の読み方が間違っていないか?が不安です」という正直な感想を吐露したところ、ベテランの澤藤統一郎先生(毎日更新している「憲法日記」で有名)から、「未曾有」のルビは「みぞうう」でも間違いではないが、大勢は「みぞう」となっているのでは、というご指摘をいただき、そのように修正しました。たしかに、漢字変換ソフトでも、「みぞう」と入力しないと「未曾有」になってくれません。ただし、発音は「MI-ZO」ではなく、「MI-ZO-U」だろうと思いますが。
 
 さて、総ルビ付き原文と「超訳」を各項目ごとに交互に掲載して、「戦時家庭教育指導要項」を読んでいただくという狙いは、一応は以上で達成されることになるのですが、私自身、それではやや物足りない点があるのです。
 それは、はたして原文の校訂がきっちりと出来ているかどうか、確信が持てないという問題が残るからです。
 『動員される母親たち 戦時下における家庭教育振興政策』に掲載された「戦時家庭教育指導要項」に関する注釈(140頁の注25)によると、「『近代日本教育制度資料』第7巻3-5頁」が出典として明示されていますので、それに当たれれば良いのですが、それを待っていては、このブログをいつアップできるか分かりません。
 そこで、得意の(?)ネット検索で「戦時家庭教育指導要項」の原文をアップしているサイトはないか?と探してみたところ、1つだけ、奈良県立図書情報館ホームページに、8枚の画像として掲載されているのを発見しました。
 
 奈良県立図書情報館ホームページには、「5月7日付で文部省から各都道府県知事に通牒された要項。「重大時局」に際して「家生活」を改め、「皇国の重責」を負うに足る子女の育成を説いたもの。作成者:奈良県 作成年代:昭和17年5月」という簡単な解説が載っているだけでした。
 これが、文部省が各地方長官宛に送付した「要項」に間違いないはずですから、「超訳」の底本となった『動員される母親たち 戦時下における家庭教育振興政策』所収の原文と、基本的には同じもののはずと思って読み進んでみると・・・驚きました。これは、同じ目的を持った、同じ表題の、同じ構成の文章には違いありませんが、明らかに「版」が違います。
 比べてみると、大項目内の小項目の見出しが違っている箇所がたくさんあるだけではなく、大項目自身の表記が異なっているものもあります。
 「三、母ノ教養訓練」⇔「三、母性ノ教養訓練」(奈良版)
 「五、家生活ノ刷新充実」⇔「五、家庭生活ノ刷新充實」(奈良版)
 さらに、「時局認識」という小項目に至っては、『動員される母親たち』所収版では「五、家生活ノ刷新充実」の中にあるのに、奈良版では、「三、母性ノ教養訓練」で論じられています。
 細かな文章の相違などは数知れずです。
 これは、一体どう解釈したら良いのでしょうか?
 文部省から送られた「要項」の文章が気にくわないと思って、奈良県の担当者が勝手に改訂したのでしょうか?これはとてもありそうもないですけど。
 
 ところで、「要項」が発表された同じ年に、戸田貞三著『家の道 文部省戦時家庭教育指導要項解説』(中文館)という注釈書が刊行されており、国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができます。
 同書で引用されている「要項」は、基本的に、『動員される母親たち 戦時下における家庭教育振興政策』に掲載された版と同一のようです。
 そうすると、いよいよこの「奈良版」は何なんだ?という疑問がわいてきますが、今のところ、これ以上探索のしようがありません。奈良県立図書情報館まで行って調査するような余裕は残念ながらありません。
 けれども、せっかく見つけた「原文」をスルーするのも惜しいし、資料的価値もあるかもしれないということで、各大項目ごとに、
 『超訳』(黒色表示)
 『動員される母親たち 戦時下における家庭教育振興政策』所収版(紺色表示)
   原文
   総ルビ付き原文
 『奈良県立図書情報館版』(茶色表示)
   原文
   総ルビ付き原文
の順番で掲載することにしました(前文は奈良版しかありません)。おかげで、えらく長いものになってしまいましたので、3回に分載することにしました。
 そして、超訳と原文だけでは分かりにくい点を補充する意味で、大久保秀俊弁護士、久保木太一弁護士による解説「戦時家庭教育指導要項の成立とその背景」を末尾に掲載させていただくことにしました(黒色表示)。
 あらためて、ご協力いただいた、仲里歌織先生、大久保秀俊先生、久保木太一先生に、心より御礼申し上げます。
 この「ルビ付き原文と超訳で読む「戦時家庭教育指導要項」(1942年5月)」が多くの人のお役に立てればと念願します。
 
(付記)
 以上まで書き上げたところで上に謝辞を述べた3人の皆さまに草稿をお送りしたところ、「超訳」及び「戦時家庭教育指導要項の成立とその背景」の執筆者である大久保秀俊弁護士から、貴重な資料をメールでお送りいただきました。
 それは、文部大臣官房文書課編『文部省例規類纂』昭和十七年(復刻版『文部省例規類纂』第7巻/大空社/1987年)の20頁~25頁で、そこに「戰時家庭教育指導ニ關スル件」(昭和十七年五月七日發社一二八號 各地方長官ヘ文部次官通牒)及び「戰時家庭教育指導要項」が掲載されており(もちろん、漢字は旧字体です)、これが、文部省文書課が「例規」として記録すべきと認めたオフィシャルな「要項」だと思われます。
 もちろん、以下にご紹介している『動員される母親たち 戦時下における家庭教育振興政策』所収版もこれに準拠しています(もっとも、漢字は新字体に改められていますが)。ただし、「文部省例規類纂」版と対照してみると、誤記と思われるところが何箇所かありましたので、気の付いたところは「文部省例規類纂」版に基づき訂正しました。
 
 これによって、「奈良版」の謎はいよいよ深まるばかりですが、1つ分かったことがあります。それは、「奈良版」にあった前文が、実は「戰時家庭教育指導ニ關スル件」という文部次官から各地方長官への通牒の本文であり、「要項」は別紙とされていたことがはっきりしました。
 そこで、当初の草稿では、奈良県立図書情報館版の前文だけを掲載していたのですが、大久保先生からお送りいただいた上記資料に基づき、これに対応する「戰時家庭教育指導ニ關スル件」本文を追加掲載することにしました(旧字体のまま転記しました)。
 このように、「文部省例規類纂」に収載された「通牒」「要項」と「奈良版」の「要項」とをあらためて比べてみると、文部省が発出したものは「通牒」とその別紙たる「要項」に分かれていたものが、「奈良版」では、一つの「要項」の前文と本文に改められており、奈良県独自に改変を加えたという可能性が~とてもありそうもないと思っていましたが~もしかしたらあるかもしれないと思えてきました。もっとも、仮にそうだとしても、その理由は全然想像がつきません。
 しかし、他の県ではどうだったんだろうか?
 
 
【文部大臣官房文書課編『文部省例規類纂』昭和十七年版所収】
                              戰時家庭教育指導ニ關スル件
未曾有ノ重大時局ニ際會シ肇國ノ大精神ニ則リ國家總力ヲ結集シ以テ聖業翼贊ニ邁進スベキ時國運進展ノ根基ニ培フベキ家ノ使命愈々重キヲ加フルニ至レリ
仍テ家生活ヲ刷新充實シ家族制度ノ美風ヲ振起シ皇國ノ重責ヲ負荷スルニ足ル健全有爲ナル子女ヲ育成薰陶スベキ家庭教育ノ振興ヲ圖ルハ正ニ刻下ノ急務タリ茲ニ戰時家庭教育指導要項別紙ノ通相定メラレタルニ付之ガ徹底ニ關シ萬遺憾ナキヲ期セラレ度此段依命通牒ス
 
        戰時家庭教育指導(せんじかていきょういくしどう)ニ關(かん)スル件(けん)
未曾有(みぞう)ノ重大時局(じゅうだいじきょく)ニ際會(さいかい)シ、肇國(ちょうこく)ノ大精神(だいせいしん)ニ則(のっと)リ、國家總力(こっかそうりょく)ヲ結集(けっしゅう)シ、以テ(もって)聖業翼贊(せいぎょうよくさん)ニ邁進(まいしん)スベキ時(とき)、國運進展(こくうんしんてん)ノ根基(こんき)ニ培(つちか)フベキ家(いえ)ノ使命(しめい)愈々(いよいよ)重(おも)キヲ加(くわ)フルニ至(いた)レリ。
仍テ(よって)家生活(いえせいかつ)ヲ刷新充實(さっしんじゅうじつ)シ、家族制度(かぞくせいど)ノ美風(びふう)ヲ振起(しんき)シ、皇國(こうこく)ノ重責(じゅうせき)ヲ負荷(ふか)スルニ足(た)ル健全有為(けんぜんゆうい)ナル子女(しじょ)ヲ育成薰陶(いくせいくんとう)スベキ家庭教育(かていきょういく)ノ振興(しんこう)ヲ圖(はか)ルハ、正(まさ)ニ刻下(こっか)ノ急務(きゅうむ)タリ。茲(ここ)ニ戰時家庭教育指導要項(せんじかていきょういくしどうようこう)別紙(べっし)ノ通(とおり)相定(あいさだ)メラレタルニ付(つき)、之(これ)ガ徹底(てってい)ニ關(かん)シ、萬(ばん)遺憾(いかん)ナキヲ期(き)セラレ度(たく)、此段(このだん)依命通牒(いめいつうちょう)ス。
 
【前文~奈良県立図書情報館版】
                                   戰時家庭教育指導要項
未曾有ノ重大時局ニ際會シ肇國ノ大精神ニ則リ國家總力ノ總動員ヲ以テ聖業翼贊ニ邁進スベキ時國運進展ノ根基ニ培フベキ「家」ノ使命愈々重キヲ加フルニ至レリ
仍テ此ノ際家生活ヲ刷新シ家族制度ノ美風ヲ振起シ皇國ノ重責ヲ負荷スルニ足ル健全有為ナル子女ヲ育成薰陶スベキ家庭教育ノ振興ヲ圖ルハ正ニ刻下ノ急務タリ、茲ニ左記要項ニ依リ之ガ徹底ヲ期セントス
 
               戰時家庭教育指導要項(せんじかていきょういくしどうようこう)
未曾有(みぞう)ノ重大時局(じゅうだいじきょく)ニ際會(さいかい)シ、肇國(ちょうこく)ノ大精神(だいせいしん)ニ則リ(のっとり)、國家總力(こっかそうりょく)ノ總動員(そうどういん)ヲ以テ(もって)聖業翼贊(せいぎょうよくさん)ニ邁進(まいしん)スベキ時(とき)、國運進展(こくうんしんてん)ノ根基(こんき)ニ培フ(つちかう)ベキ「家(いえ)」ノ使命(しめい)愈々(いよいよ)重(おも)キヲ加(くわ)フルニ至(いた)レリ。
仍テ(よって)此(こ)ノ際(さい)家生活(いえせいかつ)ヲ刷新(さっしん)シ、家族制度(かぞくせいど)ノ美風(びふう)ヲ振起(しんき)シ、皇國(こうこく)ノ重責(じゅうせき)ヲ負荷(ふか)スルニ足(た)ル健全有為(けんぜんゆうい)ナル子女(しじょ)ヲ育成薰陶(いくせいくんとう)スベキ家庭教育(かていきょういく)ノ振興(しんこう)ヲ圖(はか)ルハ正(まさ)ニ刻下(こっか)ノ急務(きゅうむ)タリ。茲(ここ)ニ左記(さき)要項(ようこう)ニ依(よ)リ之(これ)ガ徹底(てってい)ヲ期(き)セントス。
 
 
【超訳 1 日本における家の特徴と家の使命を教えます】
 日本における家は、
イ 家長が中心の結合体で、先祖も君たちもみんな一体です。
 親子関係をベースとして、愛情や尊敬に包まれながら人格を形成して、永遠に続いていく場所です。
ロ こんなこと言うとバチが当たりそうですが、皇室は君たちみんなの本家です。そうやって君たちの家は発展していきました。なので、家は、天皇への忠誠心を持った天皇のしもべとしての子供を生み出し、天皇への奉仕者としての資質を伸ばすことに全力を傾ける場にしてください。
ハ 親子、夫婦、兄弟、姉妹は仲良くしてください。上下関係といった役割にしたがってお年寄りや子供の面倒もみてください。自分も他人も一心同体です。贅沢は敵なので、誘惑に負けない訓練をつみ、大東亜戦争を遂行するためのベースを培うことが日本の家の役割です。日本のため、大東亜戦争のための使命を完璧に果たしてもらうことが必要です。
 
【一、我ガ国ニ於ケル家ノ特質ノ闡明並ニ其ノ使命ノ自覚~『動員される母親たち 戦時下における家庭教育振興政策』所収版】
一、我ガ国ニ於ケル家ノ特質ノ闡明並ニ其ノ使命ノ自覚
我ガ国ニ於ケル家ハ
イ、祖孫一体ノ道ニ則ル家長中心ノ結合ニシテ人間生活ノ最モ自然ナル親子ノ関係ヲ根トスル家族ノ生活トシテ情愛敬慕ノ間ニ人倫本然ノ秩序ヲ長養シツツ永遠ノ生命ヲ具現シ行ク生活ノ場ナルコト
ロ、畏クモ 皇室ヲ宗家ト仰ギ奉リ恒ニ国ノ家トシテ生成発展シ行ク歴史的現実ニシテ忠孝一本ノ大道ニ基ヅク子女錬成ノ道場ナルコト
ハ、親子、夫婦、兄妹、姉妹和合団欒シ序ニ従ツテ各自ノ分ヲ尽クシ老ヲ扶ケ幼ヲ養フ親和ノ生活ノ裡ニ自他一如、物心一如ノ修錬ヲ積ミ進ンデ世界新秩序ノ建設ニ参スルノ素地ニ培フモノナルコト
等ヲ其ノ特質トスルコトヲ闡明シ我ガ国ニ於ケル家ノ国家的並ニ世界的意義ニ徹セシメ之ガ使命ノ完遂ニ遺憾ナカラシメンコトヲ要ス
 
一、我(わ)ガ国(くに)ニ於(お)ケル家(いえ)ノ特質(とくしつ)ノ闡明(せんめい)並(ならび)ニ其(そ)ノ使命(しめい)ノ自覚(じかく)
我(わ)ガ国(くに)ニ於(お)ケル家(いえ)ハ
イ、祖孫一体(そそんいったい)ノ道(みち)ニ則(のっと)ル家長中心(かちょうちゅうしん)ノ結合(けつごう)ニシテ人間生活(にんげんせいかつ)ノ最(もっと)モ自然(しぜん)ナル親子(おやこ)ノ関係(かんけい)ヲ根(ね)トスル家族(かぞく)ノ生活(せいかつ)トシテ情愛敬慕(じょうあいけいぼ)ノ間(かん)ニ人倫本然(じんりんほんねん)ノ秩序(ちつじょ)ヲ長養(ちょうよう)シツツ、永遠(えいえん)ノ生命(せいめい)ヲ具現(ぐげん)シ行(ゆ)ク生活(せいかつ)ノ場(ば)ナルコト。
ロ、畏(かしこ)クモ 皇室(こうしつ)ヲ宗家(そうけ)ト仰(あお)ギ奉(たてまつ)リ恒(つね)ニ国(くに)ノ家(いえ)トシテ生成発展(せいせいはってん)シ行(ゆ)ク歴史的現実(れきしてきげんじつ)ニシテ忠孝一本(ちゅうこういっぽん)ノ大道(だいどう)ニ基(もと)ヅク子女錬成(しじょれんせい)ノ道場(どうじょう)ナルコト。
ハ、親子(おやこ)、夫婦(ふうふ)、兄妹(きょうだい)、姉妹(しまい)和合団欒(わごうだんらん)シ序(じょ)ニ従(したが)ツテ各自(かくじ)ノ分(ぶん)ヲ尽(つ)クシ老(ろう)ヲ扶(たす)ケ幼(よう)ヲ養(やしな)フ親和(しんわ)ノ生活(せいかつ)ノ裡(うち)ニ自他一如(じたいちにょ)、物心一如(ぶっしんいちにょ)ノ修錬(しゅうれん)ヲ積(つ)ミ進(すす)ンデ世界新秩序(せかいしんちつじょ)ノ建設(けんせつ)ニ参(さん)スルノ素地(そじ)ニ培(つちか)フモノナルコト
等(とう)ヲ其(そ)ノ特質(とくしつ)トスルコトヲ闡明(せんめい)シ我(わ)ガ国(にく)ニ於(お)ケル家(いえ)ノ国家的(こっかてき)並(ならび)ニ世界的意義(せかいてきいぎ)ニ徹(てっ)セシメ之(これ)ガ使命(しめい)ノ完遂(かんすい)ニ遺憾(いかん)ナカラシメンコトヲ要(よう)ス。
 
【一、我ガ國ニ於ケル家ノ特質ノ闡明竝ニ其ノ使命ノ自覺~奈良県立図書情報館版】
一、我ガ國ニ於ケル家ノ特質ノ闡明竝ニ其ノ使命ノ自覺
我ガ國ニ於ケル家ノ特質ハ
イ、祖孫一體ノ連繫ト家長中心ノ結合トヨリ成り、人間存在ノ最モ自然的ナル親子ノ關係ヲ根本トスル情愛敬慕ノ生活ノ間ニ人倫本然ノ德性秩序ヲ長養シツヽ永遠ノ生命ヲ具現シ行クモノナルコト
ロ、畏クモ 皇室ヲ宗家ト仰キ奉リ恒ニ國トノ繫ガリニ於テ生成發展シユク歴史的具體的ナル存在ニシテ、忠孝一本ノ大道ニ基ツク子女鍊成ノ道場ナルコトハ、親子、夫婦、兄妹、姉妹和合團欒シ各自ノ分ヲ盡シ老ヲ扶ケ幼ヲ養フ互助共同ノ生活ノ裡ニ自他一如ノ修練ヲ積ミ進ンデ世界新秩序ノ建設ニ邁往スル素地ニ培フモノナルコト等ノ諸點ニアルコトヲ闡明シ、我ガ國ニ於ケル家ノ國家的竝ニ世界的意義ニ徹セシメコレガ使命ノ完遂ニ遺憾ナカラシメンコトヲ要ス
 
一、我ガ國(わがくに)ニ於(お)ケル家(いえ)ノ特質(とくしつ)ノ闡明(せんめい)竝(ならび)ニ其(そ)ノ使命(しめい)ノ自覺(じかく)
我(わ)ガ國(くに)ニ於(お)ケル家(いえ)ノ特質(とくしつ)ハ
イ、祖孫一體(そそんいったい)ノ連繫(れんけい)ト家長中心(かちょうちゅうしん)ノ結合(けつごう)トヨリ成(な)リ、人間存在(にんげんそんざい)ノ最(もっと)モ自然的(しぜんてき)ナル親子(おやこ)ノ關係(かんけい)ヲ根本(こんぽん)トスル情愛敬慕(じょうあいけいぼ)ノ生活(せいかつ)ノ間(かん)ニ人倫本然(じんりんほんねん)ノ德性秩序(とくせいちつじょ)ヲ長養(ちょうよう)シツヽ永遠(えいえん)ノ生命(せいめい)ヲ具現(ぐげん)シ行(ゆ)クモノナルコト。
ロ、畏(かしこ)クモ 皇室(こうしつ)ヲ宗家(そうけ)ト仰キ(あおぎ)奉(たてまつ)リ恒(つね)ニ國(くに)トノ繫(つな)ガリニ於テ(おいて)生成發展(せいせいはってん)シユク歴史的(れきしてき)具體的(ぐたいてき)ナル存在(そんざい)ニシテ、忠孝一本(ちゅうこういっぽん)ノ大道(だいどう)ニ基ツク(もとづく)子女鍊成(しじょれんせい)ノ道場(どうじょう)ナルコトハ、親子(おやこ)、夫婦(ふうふ)、兄弟(きょうだい)、姉妹(しまい)和合團欒(わごうだんらん)シ各自(かくじ)ノ分(ぶん)ヲ盡(つく)シ老(ろう)ヲ扶(たす)ケ幼(よう)ヲ養(やしな)フ互助共同(ごじょきょうどう)ノ生活(せいかつ)ノ裡(うち)ニ自他一如(じたいちにょ)ノ修練(しゅうれん)ヲ積(つ)ミ進(すす)ンデ世界新秩序(せかいしんちつじょ)ノ建設(けんせつ)ニ邁往(まいおう)スル素地(そじ)ニ培(つちか)フモノナルコト等(とう)ノ諸點(しょてん)ニアルコトヲ闡明(せんめい)シ、我ガ國(わがくに)ニ於(お)ケル家(いえ)ノ國家的(こっかてき)竝(ならび)ニ世界的(せかいてき)意義(いぎ)ニ徹(てっ)セシメコレガ使命(しめい)ノ完遂(かんすい)ニ遺憾(いかん)ナカラシメンコトヲ要(よう)ス。
 
 
【超訳 2 健全な家風を作ってください】
 家風はその家の伝統であり、ずっと発展していかなければならないものです。家風は家族の性格に影響します。なので、国民が健全かどうかは家風が健全かどうかによります。家風は家によって異なっていると思いますが、日本の家の役割を考えて、健全な家風を作るために下記の点に注意してください。
イ 神と祖先をリスペクトしてください
 先祖も君たちもみんな一体となるために、これはとても大切なことです。
 神をリスペクトすることがなぜ大事かというと、神とは実は天皇だからです。
 先祖をリスペクトすることがなぜ大事かというと、先祖も君たちと同じように天皇に仕えていたからです。
 つまり、神をリスペクトすることも祖先をリスペクトすることも、全部天皇に対する忠誠心へとつながります。
 どの家も必ず神棚を設け毎日ちゃんとお祈りしましょう。祭祀も行事としてちゃんとやりましょう。そうやって神と祖先をリスペクトすることで、天皇への忠誠を示してください。
ロ 礼儀や上下関係は守った上で、家族を敬愛し、仲良くしてください
 家長が一番で、子よりは親、妻よりは夫、弟よりは兄が偉いという上下関係をしっかりすることは家族の基本です。敬愛することも大事ですが、親しき中にも礼儀はあります。自分より偉い人には奉公し、自分より偉くない人には協力してあげることによって健全な家庭を築くことが、健全な国家のベースになります。
ハ 円満な家庭を築きましょう
 家庭生活は国のベースです。家庭円満のために、道徳をちゃんと守りましょう。勤労と規律によって家族がまとまることは、豊かな生活につながります。
ニ お隣さんと仲良く協力しよう
 血縁と地縁は昔からある日本の家ぐるみの付き合いのベースです。血のつながった者同士が協力するように、お隣さん同士も協力してください。それをさらに広げて、国で一体となって協力しましょう。これが日本の家の役割です。そういうことなので、お隣さんとは仲良くしてください。
 
【ニ、健全ナル家風ノ樹立~『動員される母親たち 戦時下における家庭教育振興政策』所収版】
ニ、健全ナル家風ノ樹立
 家風ハ家々ノ伝統ノ具体的表現ナルト共ニ不断ニ生成発展スベキモノナリ家人ノ性格ハ家風ニヨリ律セラルルコト大ニシテ家人ノ、従ツテ国民ノ健全ナルカ否カハ家風ノ如何ニ関ハル家風ハ家ニヨリテ異ナルモノアリト雖モ我ガ国ニ於ケル家ノ特質ニ鑑ミ健全ナル家風ノ樹立ノ為ニ特ニ左記諸項ノ徹底ニツキ留意スルヲ要ス
イ、敬神崇祖
 敬神崇祖ハ祖孫一体ノ道ノ中枢タルベキモノナリ敬神ハ実ニ 天皇ニ帰一シ奉ル所以崇祖ハ 天皇ニ仕ヘマツレル祖先ヲ祀リ崇ブ所以ニシテ敬神ト崇祖トハ相合致シテ忠孝一本ノ大道ヲ顕現スルモノナリ従ツテ各戸必ズ神棚ヲ設ケテ日常礼拝ヲ怠ラズ祭祀ヲ行事トシテ厳粛ニ執行シ敬神崇祖ノ精神ヲ具現セシムルヲ要ス
ロ、敬愛、親和、礼節、謙譲
 家長ヲ中心トシテ親子、夫婦、兄妹ノ序ヲ正シクスルコトハ家生活ノ根本ナリ家人相互ニ敬愛ノ情ヲ尽クシ親和ノ間ニ礼節ヲ忘レズ相互ニ謙譲シテ協力奉公ノ実践ニ力メテ家生活ヲ健全ナラシメ此ノ間健全ナル国家ノ基礎ヲ確立ス
ハ、一家和楽
 家生活ハ国家活動ノ源泉ニシテ道義ニ基ヅク家生活ノ実践ハ自カラ之ヲ和楽ナラシム勤労ト規律トヲ和スルニ寛ギヲ以テシ一家団欒ノ楽ミヲ偕ニスルコトハ更ニ豊カナル生活力ニ培フ所以ナリ
ニ、隣保協和
 血縁ト地縁トハ古来我ガ国ニ於ケル家ト家トノ結合ノ基本ニシテ血縁ニヨル家ト家トノ親和ノ実ヲ移シテ地縁ニヨル隣保ニ及ボシ延イテハ国家的結合ヲ家族的ナラシムルトコロニ家ノ日本的性格ノ存スル所以ヲ認識セシメ隣保協和ノ実ヲ挙ゲシム
 
ニ、健全(けんぜん)ナル家風(かふう)ノ樹立(じゅりつ)
 家風(かふう)ハ家々(いえいえ)ノ伝統(でんとう)ノ具体的表現(ぐたいてきひょうげん)ナルト共(とも)ニ不断(ふだん)ニ生成発展(せいせいはってん)スベキモノナリ。家人(かじん)ノ性格(せいかく)ハ家風(かふう)ニヨリ律(りっ)セラルルコト大(だい)ニシテ家人(かじん)ノ、従(すたが)ツテ国民(こくみん)ノ健全(けんぜん)ナルカ否(いな)カハ家風(かふう)ノ如何(いかん)ニ関(かか)ハル。家風(かふう)ハ家(いえ)ニヨリテ異(こと)ナルモノアリト雖(いえど)モ我(わ)ガ国(くに)ニ於(お)ケル家(いえ)ノ特質(とくしつ)ニ鑑(かんが)ミ健全(けんぜん)ナル家風(かふう)ノ樹立(じゅりつ)ノ為(ため)ニ特(とく)ニ左記諸項(さきしょこう)ノ徹底(てってい)ニツキ留意(りゅうい)スルヲ要(よう)ス
イ、敬神崇祖(けいしんすうそ))
 敬神崇祖(けいしんすうそ)ハ祖孫一体(そそんいったい)ノ道(みち)ノ中枢(ちゅうすう)タルベキモノナリ。敬神(けいしん)ハ実(じつ)ニ 天皇(てんのう)ニ帰一(きいつ)シ奉(たてまつ)ル所以(ゆえん)、崇祖(すうそ)ハ 天皇(てんのう)ニ仕(つか)ヘマツレル祖先(そせん)ヲ祀(まつ)リ崇(たっと)ブ所以(ゆえん)ニシテ敬神(けいしん)ト崇祖(すうそ)トハ相合致(あいがっち)シテ忠孝一本(ちゅうこういっぽん)ノ大道(だいどう)ヲ顕現(けんげん)スルモノナリ。従(したが)ツテ各戸(かくこ)必(かなら)ズ神棚(かみだな)ヲ設(もう)ケテ日常礼拝(にちじょうらいはい)ヲ怠(おこた)ラズ祭祀(さいし)ヲ行事(ぎょうじ)トシテ厳粛(げんしゅく)ニ執行(しっこう)シ敬神崇祖(けいしんすうそ)ノ精神(せいしん)ヲ具現(ぐげん)セシムルヲ要(よう)ス。
ロ、敬愛(けいあい)、親和(しんわ)、礼節(れいせつ)、謙譲(けんじょう)
 家長(かちょう)ヲ中心(ちゅうしん)トシテ親子(おやこ)、夫婦(ふうふ)、兄妹(きょうだい)ノ序(じょ)ヲ正(ただ)シクスルコトハ家生活(いえせいかつ)ノ根本(こんぽん)ナリ。家人(かじん)相互(そうご)ニ敬愛(けいあい)ノ情(じょう)ヲ尽(つ)クシ親和(しんわ)ノ間(かん)ニ礼節(れいせつ)ヲ忘(わす)レズ相互(そうご)ニ謙譲(けんじょう)シテ協力奉公(きょうりょくほうこう)ノ実践(じっせん)ニ力(つと)メテ家生活(いえせいかつ)ヲ健全(けんぜん)ナラシメ此(こ)ノ間(かん)健全(けんぜん)ナル国家(こっか)ノ基礎(きそ)ヲ確立(かくりつ)ス。
ハ、一家和楽(いっかわらく)
 家生活(いえせいかつ)ハ国家活動(こっかかつどう)ノ源泉(げんせん)ニシテ道義(どうぎ)ニ基(もと)ヅク家生活(いえせいかつ)ノ実践(じっせん)ハ自(おのず)カラ之(これ)ヲ和楽(わらく)ナラシム。勤労(きんろう)ト規律(きりつ)トヲ和(わ)スルニ寛(くつろ)ギヲ以テ(もって)シ一家団欒(いっかだんらん)ノ楽(たのし)ミヲ偕(とも)ニスルコトハ更(さら)ニ豊(ゆた)カナル生活力(せいかつりょく)ニ培(つちか)フ所以(ゆえん)ナリ。
ニ、隣保協和(りんぽきょうわ))
 血縁(けつえん)ト地縁(ちえん)トハ古来(こらい)我(わ)ガ国(くに)ニ於(お)ケル家(いえ)ト家(いえ)トノ結合(けつごう)ノ基本(きほん)ニシテ血縁(けつえん)ニヨル家(いえ)ト家(いえ)トノ親和(しんわ)ノ実(じつ)ヲ移(うつ)シテ地縁(ちえん)ニヨル隣保(りんぽ)ニ及(およ)ボシ延(ひ)イテハ国家的結合(こっかてき)けつごう)ヲ家族的(かぞくてき)ナラシムルトコロニ家(いえ)ノ日本的性格(にほんてきせいかく)ノ存(そん)スル所以(ゆえん)ヲ認識(にんしき)セシメ隣保協和(りんぽきょうわ)ノ実(じつ)ヲ挙(あ)ゲシム。
 
【ニ、健全ナル家風ノ樹立~奈良県立図書情報館版】
ニ、健全ナル家風ノ樹立
 家風ハ家々ノ傳統ノ具体的表現ナルト共ニ不斷ニ生成發展スベキモノナリ、人々ノ性格ハ家風ニヨリテ規定セラレルコト大ニシテ從ツテ家風ノ健否ハ又國民ノ健否ニ關ハル家風ノ内容ハ多々アリト雖モ我ガ國ニ於ケル家ノ特質ニ鑑ミ健全ナル家風ノ樹立ノ為ニ特ニ左記諸項ノ徹底ニツキ留意スルヲ要ス
イ、敬神崇祖
 敬神崇祖ハ祖孫一體ノ家生活ノ中樞タルベキモノナリ、敬神ハ實ニ 天皇ニ歸一シ奉ル精神ニシテ祖先崇拜ハ 天皇ニ仕ヘマツレル祖先ノ(金原注:「祖先ヲ」の誤りか?)祀ル所以ノモノ乃チ敬神ト相合致シ忠孝一本ノ原理モ亦此處ニ存ス家々ニ於ケル祭祀行事ハ敬神崇祖ノ精神ノ具現ニシテ從ツテ各戸必ス神棚ヲ設ケテ日常禮拜ヲ怠ラス祭祀ヲ嚴肅ニ執行セシムルヲ要ス
ロ、家族道義ノ實踐
 家長ヲ中心トシテ親子、夫婦、兄妹ノ序ヲ正シクスルコトハ家生活ノ根本ナリ、家人相互ニ敬愛ノ情ヲ以テシ、親和ノ間ニ禮節ヲ忘レズ、相互ノ理解ヲ深メテ協力奉仕ノ實踐ニ力メ、家族道義ノ徹底ヲ圖ルハ健全ナル家生活ヲ維持スル所以ニシテ、健全ナル國民ノ基礎モ亦自カラ此ノ間ニ養ハル
ハ、一家和樂
 一家和樂ノ生活ハ社會的活動力ノ源泉ナリ、此ノコトハ家族道義ノ實踐ニヨリ自カラ招來サレルトコロトハ言ヘ、勤勞ト規律ノ間ニ寬ギヲ加ヘ一家團欒ノ樂ミヲ與フルコトハ更ニ豊カナル生活力ヲ培フ所以ナリ
ニ、隣保協和
 血緣ト地縁トハ我ガ國古來ノ基本的社會結合ニシテ、兩者ハ矛盾背馳セザルノミナラズ、血緣ニヨル家生活ニ於ケル共存共榮ノ觀念ヲ移シテ地緣ニヨリ隣保ニ及ボシ、延イテハ國家社會ノ結合ノ基本精神トナス(金原注:この箇所「ト」脱落か?)コロニ日本的性格ノ存スル所以ヲ認識セシメ隣保協和ノ實ヲ擧ゲシム
 
ニ、健全(けんぜん)ナル家風(かふう)ノ樹立(じゅりつ)
 家風(かふう)ハ家々(いえいえ)ノ傳統(でんとう)ノ具体的表現(ぐたいてきひょうげん)ナルト共(とも)ニ不斷(ふだん)ニ生成發展(せいせいはってん)スベキモノナリ、人々ノ性格(せいかく)ハ家風(かふう)ニヨリテ規定(きてい)セラレルコト大(だい)ニシテ從(したが)ツテ家風(かふう)ノ健否(けんぴ)ハ又(また)國民(こくみん)ノ健否(けんぴ)ニ關(かか)ハル。家風(かふう)ノ内容(ないよう)ハ多々(たた)アリト雖(いえど)モ我(わ)ガ國(くに)ニ於(お)ケル家(いえ)ノ特質(とくしつ)ニ鑑(かんが)ミ健全(けんぜん)ナル家風(かふう)ノ樹立(じゅりつ)ノ為(ため)ニ特(とく)ニ左記諸項(さきしょこう)ノ徹底(てってい)ニツキ留意(りゅうい)スルヲ要(よう)ス。
イ、敬神崇祖(けいしんすうそ)
 敬神崇祖(けいしんすうそ)ハ祖孫一體(そそんいったい)ノ家生活(いえせいかつ)ノ中樞(ちゅうすう)タルベキモノナリ、敬神(けいしん)ハ實(じつ)ニ 天皇(てんのう)ニ歸一(きいつ)シ奉(たてまつ)ル精神(せいしん)ニシテ祖先崇拜(そせんすうはい)ハ 天皇(てんのう)ニ仕(つか)ヘマツレル祖先(そせん)ノ祀(まつ)ル所以(ゆえん)ノモノ乃(すなわ)チ敬神(けいしん)ト相合致(あいがっち)シ忠孝一本(ちゅうこういっぽん)ノ原理(げんり)モ亦(また)此處(このところ)ニ存(そん)ス。家々(いえいえ)ニ於(お)ケル祭祀行事(さいしぎょうじ)ハ敬神崇祖(けいしんすうそ)ノ精神(せいしん)ノ具現(ぐげん)ニシテ從(したが)ツテ各戸(かくこ)必(かなら)ス神棚(かみだな)ヲ設(もう)ケテ日常(にちじょう)禮拜(らいはい)ヲ怠(おこた)ラス祭祀(さいし)ヲ嚴肅(げんしゅく)ニ執行(しっこう)セシムルヲ要(よう)ス。
ロ、家族道義(かぞくどうぎ)ノ實踐(じっせん)
 家長(かちょう)ヲ中心(ちゅうしん)トシテ親子(おやこ)、夫婦(ふうふ)、兄妹(きょうだい)ノ序(じょ)ヲ正(ただ)シクスルコトハ家生活(いえせいかつ)ノ根本(こんぽん)ナリ、家人(かじん)相互(そうご)ニ敬愛(けいあい)ノ情(じょう)ヲ以テ(もって)シ、親和(しんわ)ノ間(かん)ニ禮節(れいせつ)ヲ忘(わす)レズ、相互(そうご)ノ理解(りかい)ヲ深(ふか)メテ協力奉仕(きょうりょくほうし)ノ實踐(じっせん)ニ力(つと)メ、家族道義(かぞくどうぎ)ノ徹底(てってい)ヲ圖(はか)ルハ健全(けんぜん)ナル家生活(いえせいかつ)ヲ維持(いじ)スル所以(ゆえん)ニシテ、健全(けんぜん)ナル國民(こくみん)ノ基礎(きそ)モ亦(また)自(おのず)カラ此(こ)ノ間(かん)ニ養(やしな)ハル。
ハ、一家和樂(いっかわらく)
 一家和樂(いっかわらく)ノ生活(せいかつ)ハ社會的(しゃかいてき)活動力(かつどうりょく)ノ源泉(げんせん)ナリ、此(こ)ノコトハ家族道義(かぞくどうぎ)ノ實踐(じっせん)ニヨリ自(おのず)カラ招來(しょうらい)サレルトコロトハ言(い)ヘ、勤勞(きんろう)ト規律(きりつ)ノ間(かん)ニ寬(くつろ)ギヲ加(くわ)ヘ一家團欒(いっかだんらん)ノ樂(たのし)ミヲ與(あた)フルコトハ更(さら)ニ豊(ゆた)カナル生活力(せいかつりょく)ヲ培(つちか)フ所以(ゆえん)ナリ。
ニ、隣保協和(りんぽきょうわ)
 血緣(けつえん)ト地縁(ちえん)トハ我(わ)ガ國(くに)古來(こらい)ノ基本的(きほんてき)社會結合(しゃかいけつごう)ニシテ、兩者(りょうしゃ)ハ矛盾背馳(むじゅんはいち)セザルノミナラズ、血緣(けつえん)ニヨル家生活(いえせいかつ)ニ於(お)ケル共存共榮(きょうぞんきょうえい)ノ觀念(かんねん)ヲ移(うつ)シテ地緣(ちえん)ニヨリ隣保(りんぽ)ニ及(およ)ボシ、延(ひ)イテハ國家社會(こっかしゃかい)ノ結合(けつごう)ノ基本精神(きほんせいしん)トナスコロニ日本的性格(にほんてきせいかく)ノ存(そん)スル所以(ゆえん)ヲ認識(にんしき)セシメ隣保協和(りんぽきょうわ)ノ實(じつ)ヲ擧(あ)ゲシム。
 
中編に続く)

越野章史さん(和歌山大学教育学部)スピーチ全文「教育勅語と共謀罪がもたらす社会」~5/20「安倍政権に反対する和歌山デモ」から

 今晩(2017年5月22日)配信した「メルマガ金原No.2820」を転載します。

越野章史さん(和歌山大学教育学部)スピーチ全文「教育勅語と共謀罪がもたらす社会」~5/20「安倍政権に反対する和歌山デモ」から

 一昨日(5月20日)、和歌山市で行われた「安倍政権に反対する和歌山デモ(ABE NO! DEMONSTRATION)」に、私は所用のために途中からの参加となったのですが、集合場所の大新公園では、出発前の集会に、政党関係者の挨拶やメッセージの披露などがあったようですね。友人・知人のFacebookに掲載された写真、レポート、メッセージなどによると、岸本周平衆議院議員(民進党)や原矢寸久さん(日本共産党和歌山県委員会)による挨拶があり、自由党からはメッセージが届けられたようです。
 
 また、サウンドデモ恒例のスピーチも勿論行われましたが、私が合流したのは、和歌山大学教育学部の越野章史先生によるスピーチが佳境に入ったところでした。どうやら、教育勅語の学校現場での使用を容認する一方で、共謀罪を強引に成立させようという安倍政権の政策が何をもたらすかについての警告であると思われました。「最初から全部聴きたかったな」と残念に思っていたところ、WAASA(安全保障関連法制の廃止を求める和歌山大学有志の会)ホームページに掲載されていることを、「九条の会・わかやま」の柏原卓先生から教えていただきました。
 そこで、早速一読したところ、サウンドデモでの先導車からのスピーチという制約の中で、いかに分かりやすく問題の本質を伝えるかということについての配慮が行き届いたスピーチ原稿であり、非常に感銘を受けました。
 これは、是非皆さんにもお読みいただきたいと思い、越野先生に本メルマガ(ブログ)への全文転載についてのご許可をお願いしたところ、ご快諾いただくことができました。
 なお、越野先生が昨年刊行された著書『市民のための道徳教育―民主主義を支える道徳の探求―』をご紹介した私のブログも是非併せてご参照いただければと思います。


 本稿は、今年の2月6日から私のメルマガ(ブログ)でスタートした共謀罪シリーズの第27回でもあります。
 

WAASA(安全保障関連法制の廃止を求める和歌山大学有志の会)ホームページより
(引用開始)
 2017年5月20日に和歌山市内で行われた「安倍政権に反対する和歌山デモ ABE NO! DEMONSTRATION」でのスピーチから、和歌山大学の越野章史先生のスピーチ全文をご本人から提供された原稿で紹介します。安倍政権が戦前回帰の改憲をめざして暴走する中、「教育勅語と共謀罪」というタイムリーで核心的な内容を、専門の教育史を踏まえて分かりやすく語られたものです。
 
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 
皆さん、こんにちは。
 私は、教育の歴史を研究しています。
 今日は、森友学園問題によって急に話題になるようになった「教育勅語」というもの、森友系列の幼稚園で子どもたちが暗唱させられていたものですが、それがどういうものなのかを話してほしいと言われて、この場に立っています。その話だけしようと思っていたのですが、昨日になって、国会で審議されている、いわゆる「テロ等準備罪法案」、以下では「共謀罪法案」と呼びますが、それが衆議院の委員会を通過してしまいました。これはとても重大で危険なことだと思い、急遽、この二つを合わせて話をさせてもらいたいと思います。
 「教育勅語」と「共謀罪」、この二つには関係がないんじゃないか、と思う人も多いかもしれませんが、私は、この二つがあわさった時、日本の社会がどうなるのかを想像してほしいと思うんです。それを具体的に想像するために、今からおよそ80年と少し前、1930年代の日本社会がどのような社会だったのかを、少し話させてください。
 1930年代の日本と言えば、教育勅語がつくられてからすでに40年以上が経過しています。学校教育を通じて子どもたちはそれを繰り返し暗唱させられ、意味はわからなくても、それが大事なものだということだけは徹底的に教え込まれています。当時の小学校高学年の道徳の教科書には、勅語の意味を解説した教材も収められていますが、そこで言われていることは大きく2点です。
 一つは、日本という国が他の国とは違う、特別なすばらしい国だということです。なぜすばらしいかと言えば、日本には遙か昔からずっと続いてきた天皇家という統治者がおり、その統治者はやはり遙か昔に道徳を樹立し、この道徳を国民全員が受け入れ、実践し、受け継いできたのだ、というのです。つまり他の国とは違い、日本という国は、ありがたい天皇家と国民全員が、ひとつの道徳を共有し、道徳によって結びついた国だ、そういう意味で他の国とは違う、「美しい国」だ、ということが述べられています。そして、こういう国のあり方、成り立ち方を指して、「国体」という言葉が使われています。また、この、天皇家が樹立したとされる「道徳」こそが日本人を結び付けているものなのだから、それを次の世代にも教えていくこと、それが教育の目的なんだ、ということも言われています。
 もう一つは、そこで言う「道徳」の中味です。「教育勅語」にはそれも書かれています。はじめは親孝行とか友だちは信じ合えといった、国民にも分かりやすい、受け入れやすいことから書かれていますが、そういう日本人の「道徳」をだんだんと範囲の広いものに拡げていくことで、最後に行き着くのは「戦争になったら天皇家を助けて勇ましく戦いなさい」ということです。これこそが、「日本人」であるために実践しなければならない「道徳」だ、ということが学校を通じて徹底的に教え込まれていたわけです。そういう教育を、すでに40年以上にわたって続けていたのが、1930年代の日本社会の一つの側面です。
DSCN1539 もう一つ、その時代の日本社会についてお話ししたいのが、その頃はまだ比較的「できたばかり」だった、「治安維持法」という法律です。1925年に、普通選挙の実施と同時につくられた法律ですね。この法律は、先ほど出てきた「国体」というもの、これを変えることを目的とした団体をつくったり、それに加入したりした人は罰する、という法律です。最高刑ははじめは懲役10年ですが、第2条で、そういう団体をつくろうという話し合いをしただけでも、懲役7年を最高とする罰則が設けられています。
 つまり、天皇(実態としてはその周囲にいる政治支配者)の考えを、国民が一体となって共有し実践する、そういう国のあり方を変更しようと企む団体を、それをつくろうとする話し合いの段階から、警察が取締り、罰しようというものです。「教育勅語」がうたいあげた国のあり方を、刑事罰でもって国民に強制しようというのが「治安維持法」だったわけです。治安維持法はその後数回の改正を経て、1940年には、問題となる団体の役員・指導者には死刑、ただ協議をしただけでも懲役10年という、非常に苛酷な罰を伴った法律になります。さらに、「国体の変革」など目的としていない団体・個人であっても、政府の方針に逆らった言動が明らかになれば、治安維持法が適用されて逮捕されるようになっていきます。一つだけ例を挙げますが、1939年、キリスト教宗派の一つである「灯台社」の信者が陸軍に召集された後に「兵器は殺人の道具である」として、宗教上の理由から銃の使用を拒否し返納するという事件が起きたのですが、この信者の態度を支持した灯台社の指導者達が治安維持法違反で一斉に130名検挙されています。灯台社は結社禁止とされます。つまり、宗教上の理由から戦争への反対を言っただけで逮捕される、下手をすれば死刑、そのために使われる法律になっていくわけです。
 教育勅語に基づいた教育と治安維持法によって、政府に反する言論や活動を一切封じられた社会。それが1930年代の日本です。そして言うまでもなく、1931年には満州事変、37年に日中戦争、41年の太平洋戦争と、この時代こそが、あの戦争へと突入していく時代です。勅語と治安維持法は、日本が戦争へと突入していく際に、国民から批判的思考を奪い、市民社会の異論を力で封じ込めるための、二つの大きな装置、車の両輪であったと言っていいでしょう。
 現在の政府は、森友騒動を受けて、教育勅語を教材として使うことまでは否定しないという見解をわざわざ明らかにしました。それは、歴史を学ぶ題材として教育勅語を批判的に扱おうということを奨励したものではないと思います。塚本幼稚園のような教育に共感する人が総理大臣を務めているわけですから、まだ意味などわかりようもない幼い子どもに、それを暗唱させるような教育を「アリ」だと言っているわけです。
 そして昨日成立に向けて一歩進んでしまった共謀罪法案。たとえば何かの政策に反対するために座り込みを計画したら、たとえ後からそれが法に触れると判断して中止したとしても、「共謀」罪は成立してしまいます。テロとは何の関係もないような犯罪も含めて、非常に多くの犯罪が、「共謀」の段階から罪に問われることになっています。国会ではキノコ採りが話題になりましたが、一般の窃盗罪も、著作権法違反も、威力業務妨害罪も、すべて「共謀」で逮捕・処罰可能になります。普通の市民のする普通の行為や会話が、ものすごく広い範囲で捜査と取締りの対象になりうる。これは政府に批判的な市民運動などにとって、強烈な萎縮効果をもつでしょう。
 教育と刑罰、この二つをセットにして、政権が目論んでいるのは、1930年代のような、政府の行うことに国民が一切異論を唱えることのできない社会の再来ではないでしょうか。戦前への回帰、戦前のような社会をふたたびつくること、それがねらわれているように思えてなりません。そして、それは戦争へのブレーキを失わせる道です。
 かつてこの国がおかした過ちを、同じような形でふたたび繰り返させるわけにはいきません。できることをしましょう。情報を集め、学習し、周りの人と話しましょう。Noと言える今のうちに、精いっぱい、Noをつきつけましょう。
 2017年5月20日、私は、戦前社会の再来を拒否し、それを推進する者に断固としてNoと言います。
(引用終わり)

(弁護士・金原徹雄のブログから/越野先生関係)
2013年3月29日
4/7楠見子連れ9条の会・学習会のお知らせ(in和歌山市)
2016年8月14日
越野章史著『市民のための道徳教育―民主主義を支える道徳の探求―』を読む

(弁護士・金原徹雄のブログから/共謀罪シリーズ)
2017年2月6日
レファレンス掲載論文「共謀罪をめぐる議論」(2016年9月号)を読む
2017年2月7日
日弁連パンフレット「合意したら犯罪?合意だけで処罰?―日弁連は共謀罪に反対します!!―」(五訂版2015年9月)を読む
2017年2月8日
「共謀罪法案の提出に反対する刑事法研究者の声明」(2017年2月1日)を読む
2017年2月10日
海渡雄一弁護士with福島みずほ議員による新春(1/8)共謀罪レクチャーを視聴する
2017年2月21日
共謀罪をめぐる最新ニュース、動画、声明のご紹介
2017年2月23日
日本弁護士連合会「いわゆる共謀罪を創設する法案を国会に上程することに反対する意見書」(2017年2月17日)を読む
2017年2月24日
「安倍政権の横暴を許すな!」連続企画@和歌山市のご案内~3/3共謀罪学習会&3/25映画『高江―森が泣いている 2』上映と講演
2017年2月28日
共謀罪をめぐる最新ニュース、動画、声明のご紹介vol.3
2017年3月1日
ついに姿をあらわした共謀罪法案(組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案)
2017年3月3日
「共謀罪」阻止の闘いは“総がかり”の枠組みで~全国でも和歌山でも
2017年3月4日
共謀罪をめぐる最新ニュース、動画、声明のご紹介vol.4

2017年3月6日
共謀罪に反対するのも“弁護士”、賛成するのも“弁護士”
2017年3月8日
共謀罪をめぐる最新ニュース、動画、声明のご紹介vol.5~「テロリズム集団その他」のまやかし

2017年3月9日
3月9日、和歌山で共謀罪に反対する街頭宣伝スタート~総がかり行動実行委員会の呼びかけで
2017年3月17日
共謀罪をめぐる最新ニュース、動画、声明のご紹介vol.6~立憲デモクラシーの会が声明を出しました
2017年3月21日
閣議決定された「共謀罪」法案~闘うための基礎資料を集めました
2017年3月31日
2017年4月7日
2017年4月14日
共謀罪をめぐる最新ニュース、動画、声明のご紹介vol.9~民科法律部会の声明を読む
2017年4月18日
声明「許せない「共謀罪」」~「「大逆事件」の犠牲者を顕彰する会」が引き継ぐ「志」
2017年4月26日
緊急開催!和歌山弁護士会「共謀罪法案(テロ等準備罪)を考える県民集会」(5/10@プラザホープ)
2017年4月27日
高山佳奈子京都大学大学院教授による共謀罪法案についての参考人意見陳述(2017年4月25日・衆議院法務委員会)を読む

2017年5月9日
「共謀罪」阻止のために~5/9WAASA学習会で話したこと、6/11くまの平和ネットワーク講演会で話すべきこと

2017年5月17日
「共謀罪」をめぐる5月16日の動きを動画で振り返る~衆議院法務委員会参考人質疑、日比谷野音大集会、立憲デモクラシーの会シンポ

2017年5月20日
闘いはこれからだ~5/19「安倍政治を終わらせよう5.19院内集会」&5/20「安倍政権に反対する和歌山デモ」

安倍ノーデモ裏安倍ノーデモ裏 

第1回イラク戦争公聴会(証言者:柳澤協二氏)を視聴する

 今晩(2016年6月2日)配信した「メルマガ金原No.2475」を転載します。
 
第1回イラク戦争公聴会(証言者:柳澤協二氏)を視聴する

 イラクに自衛隊を長期間派遣し、そのうち、航空自衛隊による空輸活動が憲法9条1項に違反するとの高裁判決まで出されながら、外務省から「僕らは悪くないもん」と言わんばかりの子供だましの報告書(それも肝心な部分は非公開!)が出されただけで、いまだに公的な検証委員会さえ設置されない我が国において、今年3月29日、ついに新安保関連法が施行され、憲法上の制約から、今まで与えられることのなかった任務まで自衛隊に行わせることが可能となりました。
 このような事態を承け、「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」が中心となり、民間による「イラク戦争公聴会」が連続して開催されることとなり、その第1回が、去る5月31日、柳澤協二氏を1人目の証言者として招いて実施されました。
 その開催趣旨などについては、事前に事務局から発表されたプレスリリースをお読みいただければと思います。
 
プレスリリース 2016年5月26日
第1回イラク戦争公聴会のご案内

(引用開始)
報道各位
 このたび、2003年に始まるアメリカのイラク攻撃(「イラク戦争」)の過程を今あらためて振り返り、日本がこの戦争を支持し、イラクに自衛隊を派遣したことが正しかったのかを市民の手で検証する試みとして、「イラク戦争公聴会」を開始することにしました。
 昨年の「安保法制」審議の過程では、この法案によって日本がアメリカの戦争に世界中で協力を強いられる危険性が指摘され、さまざまなケースをめぐる質疑が行われましたが、国会での安倍政権の「説明」は、戦争の実態とはかけ離れたひどいものであり、実際に日本が中東でアメリカ主導の戦争に協力した前例と言えるイラク戦争についても、何ら真剣な総括や反省が行われませんでした。
 日本政府がイラク戦争の検証を怠ってきたことが、「安保法制」強行という暴挙の伏線となっているとも言えます。逆に今こそイラク戦争をめぐる真剣で客観的な検証を行なうことが、「安保法制」の危うさや問題性を明らかにし、安倍政権による憲法破壊の動きを食い止める上で不可欠な作業なのではないでしょうか。
 「公聴会」は複数回にわたって開催され、市民・研究者・法律家・超党派の国会議員等からなる委員が、検証作業を行なっていきます。毎回、イラク戦争に関わる政策の立案や実行に関わった人たちや、戦争後のイラクで活動したNGOやジャーナリスト、イラク専門家、さらにはイラクやアメリカ等からの関係者等を「証言者」もしくは「公述人」として招聘し、戦争の性格・実態と日本が果たした役割を多面的に明らかにしていく予定です。
 第1回は、元内閣官房副長官補の柳澤協二氏を招き、日本政府のイラク戦争支持・支援について証言・陳述して頂いた上で、質疑応答を行なっていきます。公聴会は原則、公開で行ないますので、多くの報道関係者に傍聴・取材していただければ幸いです。
【日時】2016年5月31日(火) 午後3時~
【会場】衆議院第一議員会館・国際会議室
【進行】(予定)
・趣旨説明(事務局)と委員紹介
・柳澤協二氏(元内閣官房副長官補)の証言・意見陳述
・証言をめぐる質疑応答
☆本件へのお問い合わせは「イラク戦争公聴会」事務局までご連絡ください。
(幹事団体:「イラク戦争の検証を求めるネットワーク」「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」)
(引用終わり)

 動画は、三輪祐児さんによるUPLANのものをご紹介します。

20160531 UPLAN イラク戦争公聴会 第1回(2時間43分)

冒頭~ 司会 志葉 玲氏(ジャーナリスト)
5分~ 検証委員紹介
 長澤榮治氏(東京大学東洋文化研究所教授)
 谷山博史氏(日本国際ボランティアセンター代表理事)
 栗田禎子氏(千葉大学文学部教授)
 三木由希子(情報公開クリアリングハウス理事長)
 高田健氏(戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会)
7分~ 国会議員挨拶
 原口一博衆議院議員(民進党)
 近藤昭一衆議院議員(民進党)
 井上哲士参議院議員(日本共産党)
 藤田幸久参議院議員(民進党)
 山本太郎参議院議員(生活の党と山本太郎となかまたち)
 増山麗奈氏(社民党参院選東京都選挙区予定候補)
21分~ 柳澤協二氏(元内閣官房副長官補)の証言・意見陳述
1時間16分~ 質疑・意見交換会(司会:長澤榮治氏)
 
 私自身、まだ全編視聴するだけの時間はとれていないのですが、いつもの講演会やシンポジウムで聴き慣れた柳澤協二さんと、別に全く違うことを言っておられる訳ではないのですが、やはり防衛官僚、しかも官邸詰めの高級防衛官僚として、イラク戦争について、どのように考え行動したかを語る柳澤さんの証言は、非常に貴重なものだと思います。是非多くの方に耳を傾けていただければと思います。
 
(wakaben6888のブログから)
2012年12月27日
12/21外務省「対イラク武力行使に関する我が国の対応(検証結果)」について
※なお、このブログでご紹介した外務省の検証結果を掲載したページはこちらです。
対イラク武力行使に関する我が国の対応(検証結果) 2012年12月21日

「早大有志の会」連続講座第一回「安倍政権の歴史認識と安保法制」(2/26)を視聴する

 今晩(2016年2月27日)配信した「メルマガ金原No.2379」を転載します。

「早大有志の会」連続講座第一回「安倍政権の歴史認識と安保法制」(2/26)を視聴する

 「立憲デモクラシーの会」が主催する立憲デモクラシー講座が、第1回の石川健治東京大学教授(憲法学)から第5回の杉田敦法政大学教授(政治学)まで、そして予告されているところでは、3月4日の三浦まり上智大学教授(政治学)、3月18日の齋藤純一早稲田大学教授(政治学)まで、ずっと早稲田大学早稲田キャンパスを会場として開催され、もしくは予定されています。そのうちの一部は「安保関連法の廃止を求める早稲田政経有志の会」との共催とされていますが、このたび、「安全保障関連法の廃止を求める早稲田大学有志の会」が独自に主催する連続公開講座が昨日(2月26日)からスタートしました
。その概要を知るため、第1回のフライヤーから主要部分を転記します。

(抜粋引用開始)
反知性主義に抗う「早大有志の会」が放つ
危機における“時代の正体”公開講座”
 
第一回 2016年2月26日(金)18:30~20:30
二・二六事件から80年目の日に問う!
安倍政権の歴史認識と安保法制

大日向純夫(早稲田大学教授)
『安倍「戦後70年談話」の検証』
 おびなた・すみお 1950年生まれ。早稲田大学教授(文学学術院)。専門は日本近現代史。2002年以来、日中韓3国共同の歴史書づくりに参加し、共編著として、2005年「未来をひらく歴史」(高文研、日本ジャーナリスト会議特別賞受賞)、2012年「新しい東アジアの近現代史」上・下(日本評論社)を刊行。

戸邉秀明(東京経済大学准教授)
『戦後沖縄史から見た日本政府の歴史認識』 
 とべ・ひであき 1974年生まれ。東京経済大学准教授(経済学部)。専門は沖縄近現代史、特に復帰運動史。2015年11月、本土の沖縄現代史研究者の連名で「戦後沖縄・歴史認識アピール」を起草・発表(『世界』2016年1月号掲載)。アピール正式標題は、「沖縄と日本の戦後史をめぐる菅義偉官房長官の発言に抗議し、公正な歴史認識をともにつくることを呼びかける声明」。

趣旨
 安全保障関連法案に反対する国会内外の運動の過程において、安全保障政策の問題点だけではなく、立憲主義・民主主義・平和主義という日本という国を成り立たせている基盤そのものの毀損が露わになってきました。この連続公開講座は、現政権の推進する諸政策、メディア対策、あるいは、その背後にある歴史認識・価値認識の検討を通じて、この危機における“時代の正体”を解明することを目指します。

会場
 早稲田大学(早稲田キャンパス) 14号館101教室

今後の予定
第二回 2016年4月15日(金)18:30~
 安倍政権の教育政策と安保法制
第三回 2016年4月28日(木)18:30~
 改憲と沖縄(仮題)
第四回 2016年6月24日(金)18:30~
 安倍政権のメディア対策と安保法制

主催 安全保障関連法の廃止を求める早稲田大学有志の会
後援 早稲田大学憲法懇話会
(引用終わり)  

 立憲デモクラシーの会は、その名が示すとおり、憲法学者・政治学者が呼びかけ人の中心となっており
、そのことは、立憲デモクラシー講座の内容にも反映しています。
 その点、「安全保障関連法の廃止を求める早稲田大学有志の会」が主催する連続公開講座は、予告されている第四回までのテーマを眺めても、近現代史、教育、メディア論などの幅広い視点から“時代の正体”を解明しようとしており、非常に有益な知見が得られるのではないかと期待されます。
 
 昨日の連続講座第一回についても、立憲デモクラシー講座と同様、UPLANの三輪祐児さんが撮影して動画を公開されていますので、是非視聴をお奨めしたいと思います。
 
20160226 UPLAN【早稲田有志の会・連続公開講座第1回】「二・二六事件から80年目の日に問う!安倍政権の歴史認識と安保法制」(2時間06分)

7分~ 大日向純夫早稲田大学教授『安倍「戦後70年談話」の検証』
50分~ 戸邉秀明東京経済大学准教授『戦後沖縄史から見た日本政府の歴史認識』 
1時間37分~ 質疑応答

徳冨健次郎(蘆花)の『天皇陛下に願ひ奉る』と『死刑廃すべし』

 今晩(2016年2月18日)配信した「メルマガ金原No.2370」を転載します。

徳冨健次郎(蘆花)の『天皇陛下に願ひ奉る』と『死刑廃すべし』

 去る2月14日、東京新聞の「本音のコラム」に山口二郎氏(法政大学教授)が書かれた「蘆花の嘆願書」という文章が掲載されたということをFacebookで知りました。
 以下にその一部を引用します。
 
(抜粋引用開始)
 先週、熊本に行った折、徳富蘇峰(とくとみそほう)、蘆花(ろか)兄弟の資料を展示した記念館を見学した。そこで、蘆花が大逆事件の際に、幸徳秋水などの被告人の助命を明治天皇に向けて訴えた嘆願書の直筆原稿を読み、深い感動を覚えた。その中で蘆花は、幸徳たちは放火や殺人を犯した犯罪者ではなく、日ごろ世の中のために考え、行動した志士であると弁護した。立場や思想は違っても、国や人民のため
に真剣に行動する者に対する敬意が原稿にあふれていた。
(引用終わり)
 
 山口氏のコラムの主眼は、蘆花の態度と対比して、「高市早苗総務相が、テレビが不公平な報道をした時には、電波の停止を命じることもあると繰り返し発言した」姿勢を厳しく批判することにあるのですが、その部分はリンク先でお読みください。

 山口氏が熊本で訪れた記念館というのは、おそらく熊本市にある徳富記念園の中の徳富記念館のことだろうと思いますが(残念ながら私は行ったことがありません)、そこに展示されていた「嘆願書」という
のは、『天皇陛下に願ひ奉る』という標題で知られる短文のオリジナル手稿
のことと思われます。

 ここで、「大逆事件」という歴史的な大事件について詳細な解説を加えるのが本稿の目的ではありませんし、その能力もありませんので、幸徳秋水らの死刑が執行されて百年目にあたる2011年に発表された「大逆事件死刑執行100年の慰霊祭に当たっての日弁連会長談話」をご紹介するにとどめます。
 
2011年(平成23年)9月7日 日本弁護士連合会
大逆事件死刑執行100年の慰霊祭に当たっての会長談話

(引用開始)
 1910年(明治43年)、明治天皇の殺害を計画したとして幸徳秋水ら26名が刑法73条の皇室危害罪=大逆罪(昭和22年に廃止)で大審院に起訴された。大審院は審理を非公開とし、証人申請をすべて却下した上、わずか1か月ほどの審理で、1911年(明治44年)1月18日、そのうち2名について単に爆発物取締罰則違反罪にとどまるとして有期懲役刑の言渡しをしたほか、幸徳秋水ら24名について大逆罪に問擬し、死刑判決を言い渡した。死刑判決を受けた24名のうち12名は翌19日特赦により無期懲役刑となったが、幸徳秋水を含む残り12名については、死刑判決からわずか6日後の1月24日に11名、翌25日に1名の死刑の執行が行われた。いわゆる大逆事件である。本年は死刑執行から10
0年に当たる。
 幸徳秋水らが逮捕、起訴された1910年(明治43年)は、同年8月に日本が韓国を併合するなど絶対主義的天皇制の下帝国主義的政策が推し進められ、他方において、社会主義者、無政府主義者など政府に批判的な思想を持つ人物への大弾圧が行われた。そのような政治情勢下で発生した大逆事件は、戦後、多数の関係資料が発見され、社会主義者、無政府主義者、その同調者、さらには自由・平等・博愛といった人権思想を根絶するために当時の政府が主導して捏造した事件であるといわれている。戦後、大逆事件
の真実を明らかにし、被告人となった人たちの名誉を回復する運動が粘り強く続けられた。
 死刑執行から50年の1961年(昭和36年)1月18日、無期懲役刑に減刑された被告人と、刑死した被告人の遺族が再審請求を行い(棄却)、1990年代には死刑判決を受けた3人の僧侶の復権と名誉回復がそれぞれの宗門で行われ、2000年(平成12年)12月には幸徳秋水の出生地である高知県中村市(現在、四万十市)が幸徳秋水を顕彰する決議を採択、2001年(平成13年)9月には犠牲者
6人を出した和歌山県新宮市が名誉回復と顕彰を宣言する決議を採択した。
 また、当連合会は、1964年(昭和39年)7月、東京監獄・市ヶ谷刑務所刑場跡慰霊塔を建立し、大逆事件で12名の死刑執行がなされたことへの慰霊を込め、毎年9月、当連合会と地元町内会の共催で
慰霊祭を開催してきた。
 政府による思想・言論弾圧は、思想及び良心の自由、表現(言論)の自由を著しく侵害する行為であることはもちろん、民主主義を抹殺する行為である。しかも、裁判においては、上記のとおり、異常な審理により実質的な適正手続保障なしに、死刑判決を言い渡して死刑執行がなされたことは、司法の自殺行為にも等しい。大罪人の汚名を着せられ、冤罪により処刑されてしまった犠牲者の無念を思うと、悲しみと
ともに強い怒りが込み上げてくる。
 当連合会は、大逆事件を振り返り、その重い歴史的教訓をしっかり胸に刻むとともに、戦後日本国憲法により制定された思想及び良心の自由、表現(言論)の自由が民主主義社会の根本を支える極めて重要な基本的人権であることを改めて確認し、反戦ビラ配布に対する刑事弾圧や「日の丸」・「君が代」強制や、これに対する刑事処罰など、思想及び良心の自由や表現(言論)の自由を制約しようとする社会の動きや司法権を含む国家権力の行使を十分監視し続け、今後ともこれらの基本的人権を擁護するために全力で取り組む所存である。また、政府に対し、思想・言論弾圧の被害者である大逆事件の犠牲者の名誉回復の
措置が早急に講じられるよう求めるものである。
  2011年(平成23年)9月7日
     日本弁護士連合会
     会長 宇都宮 健児
(引用終わり)  

 山口二郎氏のコラムが、大逆事件被告人の助命を天皇に嘆願しようとした徳冨蘆花の文章を読んだ感動を語りつつ、返す刀で高市早苗総務相による電波停止発言を批判する文脈(関連性)がよく分からなかった方がいるかもしれませんが、上記の日弁連会長談話をお読みいただければ、「思想及び良心の自由、表現(言論)の自由が民主主義社会の根本を支える極めて重要な基本的人権であること」をこそ訴えようとしたコラムであることが腑に落ちるとともに、これは、2月15日の衆議院予算委員会における民主党の山尾志桜里議員と安倍晋三
首相による「表現の自由の優越的地位」問答(?)にも共通する、非常に重要な問題であることに思い至ります。
 しかし、このテーマに踏み込むと、今日の本論にいつまでたってもたどり着けなくなることは明らかので、ここでは、15日の質疑の動画とその一部文字起こしをご紹介するにとどめます。
 
【国会中継】民主党 山尾志桜里 衆議院 予算委員会 2016年2月15日(37分)

 さて、本論は徳冨蘆花(とくとみ・ろか)です。小説『不如帰(ほととぎす)』(1899年)や随筆『自然と人生』(1900年)で有名な(私自身、後記『謀叛論 他六編・日記』を除けば、この2冊しか読んだことはないのですが)作家・徳冨蘆花(本名:健次郎/1868年~1927年)が、大逆事件に際し、幸徳秋水ら12名の死刑執行を何とかとどめたいと願い、当時疎遠となっていた兄・徳富蘇峰(「國民新聞」主宰・ジャーナリスト・思想家)を通じて桂太郎首相に助命嘆願を願う手紙を送ったもののなしのつぶてであったため(中野好夫氏による後掲岩波文庫解説中の推論による)、東京朝日新聞主筆の池辺三山宛に掲載を依頼して送った明治天皇
宛の嘆願書が、後年(終戦後)『天皇陛下に願ひ奉る』として知られることになった文章です。
 ただし、この原稿が届いた時には、幸徳らの死刑は既に(1911年1月24日に)執行されており、原稿は掲載されることなく、そのまま蘆花のもとに返却されました。山口二郎氏が熊本の徳富記念館で見た「嘆願書」というのは、池辺三山から返されてきた手稿そのものでしょう。

 この『天皇陛下に願ひ奉る』の最も読みやすい版は、1976年に中野好夫氏が編集して岩波文庫から刊行された『謀叛論 他六編・日記』の巻頭に収められたものでしょう。ただし、どうやら現在品切れのようですが、AMAZONマーケットプレイスなど、インターネットサイトから中古品を求めることは容易です(それほど高騰もしていないようです)。
謀叛論―他六篇・日記 (岩波文庫)
徳冨 健次郎
岩波書店
1976-07-16


 私が購入した岩波文庫は、1995年3月8日発行の第6刷ですが、いつ読んだかまでは記憶にありま
せん(買ってもすぐに読むとは限りませんから)。
 けれども、2011年2月16日に私が「9条ネットわかやま」メーリングリストに以下のような投稿をしていたことは間違いありません。

「昨晩の投稿でご紹介した徳冨蘆花の「謀叛論」は、幸徳秋水らが刑死した直後に第一高等学校で行った講演でしたが、その直前、何としても幸徳らの死刑執行をとどめたいと願った蘆花が、明治44年(1911年)1月25日、東京朝日新聞主筆の池辺三山宛に郵送し、掲載を依頼したものの、その前日、幸徳
らの死刑は既に執行されており、掲載には至らなかった「天皇陛下に願ひ奉る」という文章があります。
 幸徳秋水らの嫌疑が冤罪であったことは今や明らかであり、徳富蘆花もそれは承知であったと思うのですが、あえて天皇の恩典を請うという嘆願書の形式をとってでも、何とか幸徳らの命を救いたいと願った一人の誠実な文学者の文章が胸を打ちます。」
 
 そして、以上の述懐に続けて、岩波文庫から『天皇陛下に願ひ奉る』(2ページにわたっていますが、実質的にはほぼ1ページの分量です)を丸ごと書き写して紹介しました。50年の著作権保護期間はとうに過ぎていましたしね。後にこの投稿は私のブログ「あしたの朝 目がさめたら(弁護士・金原徹雄のブログ 2)」に転載しました(徳富蘆花の『天皇陛下に願ひ奉る』/2013年4月18日)。

 その後、この『天皇陛下に願ひ奉る』が青空文庫などのネット図書館に掲載されているのではないかと
思い、時々調べてみるのですが、いまだに他に本文自体をアップしたサイトはないようです。
 そこで、山口二郎氏のコラムを読んで触発されたこともあり、再度、このメルマガ(ブログ)でご紹介
しようと思い立ちました。
 今回は、『天皇陛下に願ひ奉る』に加え、同じく『謀叛論 他六編・日記』(岩波文庫)に収録されて
いる『死刑廃すべし』という、これも短い文章(文庫で3ページ)を併せて掲載することにしました。中野好夫氏は解説の中で、「当時ほとんど同じ時期に(金原注:『天皇陛下に願ひ奉る』が書かれた時期に)、やはり大逆事件に触発されて草されたものであることは、内容からして明らかだが、発表された形迹はない。」と述べています。
 
 この2つの短文を読んで皆さんはどう思われるでしょうか。
 私の感想を一、二、書いておきます。
 まず『天皇陛下に願ひ奉る』です。5年前に「9条ネットわかやま」MLに書いたことに付け加えると
すれば、執筆者と天皇(この場合は明治天皇ですが)との間の意識上の距離の近さです。これは、1911年2月1日、徳冨健次郎(蘆花)が第一高等学校で行った講演「謀叛論」の草稿を読んでもすぐ分かることです。中野好夫氏は『謀叛論』についての解説の中で、「これ(天皇崇拝)は蘆花、というよりは徳冨一族のアキレス腱であり、あくまでもやはり彼の本音、決して当時の言論閉塞状態を考えての奴隷の言葉ではない」と評しています。

 ところで、山本太郎参議院議員が園遊会で今上陛下に手紙を手渡した「事件」が報じられた時、田中正造による明治天皇への直訴事件(足尾銅山鉱毒からの住民救済を訴える)を引き合いに出す人が多かったと思いますが、私は徳冨蘆花の『天皇陛下に願ひ奉る』を思い出していました。そういえば、田中正造の直訴状(の草稿)を書いたのは幸徳秋水だったと伝えられており、十分関連性も脈絡もある訳です。

 これに対し、『死刑廃すべし』は、「天皇崇拝」という文脈から離れ、「人間には人を殺す権理(金原
注:おそらく権利に同じ)はない」というストレートな信念が吐露されており、蘆花による大逆事件被告人らの死刑阻止のための奔走が、彼のヒューマニズム(人間主義)に根ざしたものであったことを推測させて
くれます。 
 
 以下に、2つの短文を底本(岩波文庫)から転記しますが、このような短い文章であればこそ、様々な
解釈や受け取り方があり得ます。
 是非、多くの方に読んでいただきたいと思います。
 なお、『天皇陛下に願ひ奉る』は、岩波文庫版からルビを省略して転記したものだけでは読みにくいと思いますので、かなりの漢字を平仮名に開き、残った難読漢字に振り仮名を付加したものも掲載しておきます。

 

                    天皇陛下に願ひ奉る

 乍畏奉申上候
 今度幸徳伝次郎等二十四名の者共不届千万なる事仕出し、御思召の程も奉恐入候。然るを天恩如海十二名の者共に死減一等の恩命を垂れさせられ、誠に無勿体儀に奉存候。御恩に狃れ甘へ申す様に候得共、此上の御願には何卒元凶と目せらるゝ幸徳等十二名の者共をも御垂憐あらせられ、他の十二名同様に御恩典の御沙汰被為下度伏して奉希上候。彼等も亦陛下の赤子、元来火を放ち人を殺すたゞの賊徒には無之、平素世の為人の為にと心がけ居候者共にて、此度の不心得も一は有司共が忠義立のあまり彼等を苛め過ぎ候より彼等もヤケに相成候意味も有之、大御親の御仁慈の程も知らせず、親殺しの企したる鬼子として打殺し候は如何にも残念に奉存候。何卒彼等に今一度静に反省改悟の機会を御与へ遊ばされ度切に奉祈候。斯く奉願候者は私一人に限り不申候。あまりの恐多きに申上兼居候者に御座候。成る事ならば御前近く参上し心腹の事共言上致度候得共、野渡無人宮禁咫尺千里の如く徒に足ずり致候のみ。時機已に迫り候間不躾ながら斯くは遠方より申上候。願はくは大空の広き御心もて、天つ日の照らして隈なき如く、幸徳等十二
名をも御宥免あらんことを謹んで奉願候。叩頭百拝


                  天皇陛下に願ひたてまつる

 おそれながら申し上げたてまつりそうろう。
 このたび幸徳伝次郎ら二十四名のものども不届き千万なることしだし、おんおぼしめしのほども恐れ入りたてまつりそうろう。しかるを天恩海のごとく十二名のものどもに死減一等(しげんいっとう)の恩命
をたれさせられ、まことにもったいなき儀に存じたてまつりそうろう。ご恩になれ甘へもうすようにそうらえども、このうえのお願いには、なにとぞ元凶と目せらるる幸徳ら十二名の者どもをもご垂憐(すいれん)あらせられ、他の十二名同様にご恩典のごさたなしくだされたく伏してこいねがいあげたてまつりそうろう。彼らもまた陛下の赤子(せきし)、元来火をはなち人を殺すただの賊徒にはこれなく、平素世のため人のためにと心がけおりそうろう者どもにて、このたびの不心得も、ひとつは有司(ゆうし)どもが忠義だてのあまり彼らをいじめ過ぎそうろうより彼らもヤケにあいなりそうろう意味もこれあり、大御親(おおみおや)のご仁慈(じんじ)のほども思ひ知らせず、親殺しのくわだてしたる鬼子(きし)として打ち殺しそうろうは、いかにも残念に存じたてまつりそうろう。なにとぞ彼らにいま一度静かに反省改悟の機会をお与えあそばされたく切(せつ)に祈りたてまつりそうろう。かく願いたてまつりそうろう者は私一人に限りもうさずそうろう。あまりの恐れ多きに申し上げかねおりそうろうものにござそうろう。なることならば、御前(みまえ)近く参上し心腹(しんぷく)のことども言上(ごんじょう)いたしたくそうらえども、野渡無人(やとひとなく)宮禁咫尺千里(きゅうきんしせきせんり)のごとく、いたずらに足ずりいたしそうろうのみ。時機すでに迫りそうろうあいだ、ぶしつけながらかくは遠方より申し上げそうろう。願はくは大空の広きみ心もて、天(あま)つ日の照らして隅(くま)なき如く、幸徳等十二名をも御宥免(ごゆうめん)あらんことをつつしんで願いたてまつりそうろう。叩頭百拝(こうとうひゃくはい)


底本
 岩波文庫『謀叛論 他六編・日記』(徳冨健次郎著・中野好夫編)7~8頁(1995年3月8日第6刷)を底本として使用した。なお、底本では振り仮名(ルビ)は該当箇所の右横に付されているが、本稿では、まず振り仮名を省略した本文を掲載し、次に漢字の多くを平仮名に開き、残した漢字の一部の読み方を括弧書きで表記した(一部金原の判断による読み方もある)。
 なお底本の校訂方針は、「『天皇陛下に願ひ奉る』、『日記』については、新字体を採用し、句読点、濁点を補い、ルビを付加するにとどめ、できるだけ原形を保存することとした。」とされている(凡例より)。

 

                      死刑廃すべし

 僕が八歳の年の事だ、ある日学校生徒一同を集めて先生が僕を呼び出し、健次郎さん、あなたはかくかくの日にかくかくの場所でかくかくの人にかくかくの事をしたそうだ。不届きだから竹指篦(しっぺい)
の罰に処する、膝を出しなさい、といってはや竹指篦を弓形に構えた。まるで覚(おぼえ)もない事で、呆然としていると、生徒の中から誰やら声をかけて、先生違います、それは吉村健次郎さんの事でござります、というた。健次郎違いで僕は今些(いますこし)で両膝に蚯蚓(みみず)ばれをこさえてもらうと
ころだった。
 ある裁判官の話に、どんな良い裁判官でも、一生の中(うち)には二三人位無実の者を死刑に処する経験がない者はないというた。既に先年も讃岐(さぬき)で何某(なにがし)という男が死刑に定まって、もはや執行という場合に偶然な事からその同名異人であったことがわかり、当人は絞台からすぐ娑婆へ無罪放免となったことがある。死刑は実に剣呑(けんのん)なものである。
 全体法律ほど愚なものはない。理屈なんてものは?粉(しんこ)同様いかようにでも捏(こ)ねられるものだ。証拠なんぞは見方見様で、いかようにでも解釈がつく。もし悪意があって、少し想像を加えれば、人を罪に擠(おと)すなんか造作もないことだ。
 稲妻強盗坂本慶次郎は思切(おもいき)って猛烈な罪人であった。それが心機一転して旧悪を悔い、以前の猛虎(もうこ)は羊のごとくなって絞台に上った。彼は昔の稲妻強盗ではない、復活した坂本慶次郎である。発心(ほっしん)した者を、何の必要があって、何の権理があって死刑にするか。こんな場合に死刑はほとんど無意味である。
 野口男三郎はついに十分の懺悔(ざんげ)をせずして死んだ。彼は始終自己を客観して、責任を感じなかった。寸毫(すんごう)も後悔の念は無かったのである。悔いざる者を殺したって、妄執晴るる時がなければ、再び人間に形をとって殃(わざわい)するは知れた事である。こんな場合に死刑は何の効もない。某(なにがし)の悪婆は死刑に臨んで狂い叫び、とうとう狂い死にに死んだ。立合いの裁判官や教誨師(きょうかいし)は、三日も飯が食えなかったそうだ。こんな場合の死刑は残忍至極ではないか。 
 要するに人間には人を殺す権理はない。国家の名を以(もっ)てするも、正義の名を以てするも、人を殺す権理は断じてない。
 我(わが)日本国民は正直で、常に義理に立つ国民である。義理は復讐(ふくしゅう)をゆるす、義理は罰をゆるす、戦争をゆるす、死刑をゆるす。
 しかしながら我々はこの義理の関を突破して、今一層の高処に上りたい。個人としても、国民としても今一層の高処に上りたい。それは仁の天地である、愛の世界である。
 我日本国民は死を恐れざる国民である。死を恐れぬということは長所で、同時に短所である。吾(わ)が命を惜まぬ者は、とかく人の命を惜まぬ。手取早(てっとりばや)い平均を促す種族である。暗殺を奨励する国である。刺客を嘆美する民である。一種の美はあるが、我々は今一層進歩したい。
 この意味において、僕はいかに酌量すべき余地はあるにせよ爆裂弾で大逆の企をした人々に(もし真にそのこころがあったなら)大反対であると同時に、これを死刑にした人々に対して大不平である。お互に殺し合いはよしたらどうだろう。
 註文は沢山ある。まず僕は法律の文面から死刑の二字を除きたい。廃止を主張する。


底本
 岩波文庫『謀叛論 他六編・日記』(徳冨健次郎著・中野好夫編)38~40頁(1995年3月8日第6刷)を底本として使用した。なお、底本では振り仮名(ルビ)は該当漢字の右横に付されているが、本稿では、そのうちの一部を括弧書きで表記した。
 なお底本の校訂方針は、「表記は原則として、新字体・新かなを採用、ルビをふやし若干の漢字をかな書きに改めた」とされている(凡例より)。
 

(参考書籍)
不如帰 (岩波文庫)
徳冨 蘆花
岩波書店
1938-07-01

自然と人生 (岩波文庫)
徳富 蘆花
岩波書店
1933-05-25
 

放送予告(1/24)「新・映像の世紀 第4集 世界は秘密と嘘(うそ)に覆われた」(NHKスペシャル)

 今晩(2016年1月22日)配信した「メルマガ金原No.2343」を転載します。

放送予告(1/24)「新・映像の世紀 第4集 世界は秘密と嘘(うそ)に覆われた」(NHKスペシャル)

 去年から、NHKスペシャルで全5回のシリーズ「新・映像の世紀」の放送が始まり、先月(12月)20日に放映された「第3集 時代は独裁者を求めた」は大きな話題を集めました。
 全5回の番組タイトルは以下のとおりです(第5集のみは仮題)。

第1集 百年の悲劇はここから始まった(初回放送:2015年10月25日)
第2集 グレートファミリー 新たな支配者(初回放送:2015年11月29日)
第3集 時代は独裁者を求めた(初回放送:2015年12月20日)
第4集 世界は秘密と嘘(うそ)に覆われた(初回放送:2016年1月24日予定)
第5集 NOの嵐が吹き荒れる(仮)(初回放送:2016年2月21日予定)

 既に初回放送、再放送が行われた第1集~第3集についても、いずれまた再放送の機会はあるでしょう。
 とりあえず、間もなく初回放送が行われる第4集の案内をご紹介しようと思います。

NHK総合テレビ 2016年1月24日(日)午後9時00分~9時49分
NHKスペシャル 新・映像の世紀 
第4集 世界は秘密と嘘(うそ)に覆われた

(番組案内引用開始)
 
資本主義のアメリカ、社会主義のソビエト。冷戦時代、両陣営は激しいスパイ合戦を繰り広げた。アメリカの諜報機関CIA、ソビエトの秘密警察KGB。諜報活動、破壊工作、暗殺。米ソのスパイ合戦は空前の規模で拡大した。疑心暗鬼にとりつかれた権力者は、異常な監視社会を生みだし、人々の自由を奪った。冷戦時代に東独の秘密警察シュタージが行った諜報活動の映像が公開された。夫婦がお互いに監視し合ったり、親しい隣人を盗撮するなど、人間性破壊のおぞましい映像である。一方、アメリカでも同様のことが行われていた。国内にいる共産主義者を探し出すために、盗聴、郵便開封、家宅侵入が行われた。また、CIAは秘密工作によって外国の反米政権を次々に転覆させた。
 核兵器による恐怖の均衡が続く中、米ソは直接戦うことを避け、アジア、南米、アフリカなど世界各地で代理戦争を繰り返した。
 冷戦終結から25年、情報公開が進み、舞台裏の全貌がみえてきた。CIAとKGB、FBIやシュタージ。世界を秘密と嘘が覆った。第3次世界大戦という破局に怯えた冷戦の時代を、スパイ戦という視点から見つめ直す。
(引用終わり)

 このシリーズは、貴重な映像の数々を見られるというのが魅力であることは間違いありません。第3集冒頭で使われたアドルフ・ヒトラーとエヴァ・ブラウンのプライベート・フィルムには驚かされましたしね。
 第4集でも、どのような映像の数々が見られるのか楽しみではありますが、もちろん、珍しい映像を紹介することだけが制作者の意図でないことは当然でしょう。
 映像が切り取った過去は、今目の前にある現在の原因であると同時に、変わらずに繰り返される歴史が何であるかを映し出す鏡でもあります。
 そのような視点からこれらの番組を視聴すれば、一層興味深く見られるだろうと思います。

(追記 2016年1月30日)
 以下の日程で再放送が行われます。
NHK総合テレビ
2016年2月5日(金)午前1時30分~2時19分(4日深夜)
  

NHK「戦後史証言PROJECT 日本人は何をめざしてきたのか」最終4作品放映予定とアーカイブスのご紹介

 今晩(2016年1月12日)配信した「メルマガ金原No.2333」を転載します。

NHK「戦後史証言PROJECT 日本人は何をめざしてきたのか」最終4作品放映予定とアーカイブスのご紹介

 NHKに対して言いたいことは山のようにあるものの、いまだに受信料を払い続けている人も少なくな
いことと思います。かくいう私もその1人なのですが。
 受信料を自動引落としやクレジット払い契約にしていたり、ケーブルテレビ契約とセットで払うことにしているので、支払いを止めるための手続きが面倒だという人もいるでしょうが、NHKが提供する番組の中には、視聴料を払うだけの価値があるものもあるので、受信契約解除に踏み切れないということもあ
るかと思います。
 私の場合、事務手続の面倒さが主なのか、番組に対する評価が主なのか、自分でもにわかに判断をつけかねますが、いまだにNHKとの契約を続けながら、ETV特集やNHKスペシャルを(いつもという訳ではありませんが)見ています。もっとも、ニュースやドラマは全く見ませんけどね。

 ところで、今日ご紹介しようというのは、ETV特集でもNHKスペシャルでもありません。2013年から3年がかりで放映してきた戦後史証言PROJECT「日本人は何をめざしてきたのか」の2015年度「未来への選択」の後半4本が、通常はETV特集を放送する枠で今月放送されているのです。そのうち、「第5回 教育 “知識”か“考える力”か」は既に本放送は終了しましたが、まだ再放送が視聴できますので、プロジェクトの概要と併せ、これから視聴できる4本全部の放送予定をご紹介しておきます。
 
戦後史証言PROJECT 日本人は何をめざしてきたのか プロジェクト概要
(引用開始)
 2015年、日本は戦後70年を迎える。「戦後日本」は、今大きな試練の中にある。震災・原発事故からの復興、低迷が続く経済、領土問題などで混迷する外交…。私たちは、戦後何をめざしてきたのだろうか―

 政財界から一般市民まで、新たな証言を記録し、廃墟から立ち上がった日本人の姿を描く大型プロジェ
クト「戦後史証言プロジェクト」が2013年7月にスタート。
 Eテレの大型シリーズ「日本人は何をめざしてきたのか」を3年にわたって放送するほか、取材で得た貴
重な証言を「戦後史証言アーカイブス」としてウェブでも公開、未来への遺産としていく。
貴重な証言をネット上に公開「戦後史証言アーカイブス」
 インターネット上での「戦後史証言アーカイブス」を今年度後半以降に開設予定。番組取材にご協力い
ただいた政治家、財界人、一般市民にいたる証言を、未放送の部分も含めて、ネット上で誰もがいつでも視聴できるようにする。戦後日本を築いてきた方々の高齢化が進むなか、その貴重な体験を未来に伝える
ための取り組み。2009年からNHKが公開している「戦争証言アーカイブス」の方法を継承していく。
(引用終わり)
 
【2015年度「未来への選択」】
(引用開始)
第5回 教育 “知識”か“考える力”か
Eテレ2016年1月9日(土)午後11時~翌0時30分
Eテレ【再放送】2016年1月16日(土)午前0時~午前1時30分(金曜深夜)
 GHQの下スタートした戦後日本の民主主義教育。中学が新たに義務教育になった。三重県・尾鷲の中
学教師、内山太門さん(95)は、「それまで中学に行く人は微々たるものだったから活気づいた」と語る。全国で地方独自のカリキュラムが模索され、山形の「山びこ学校」で生活綴り方を進めた無着成恭さん(87)は語る。「子どもたちが作文を通して、自分たちの身近な問題を真剣に考えるようになった」

 国民の教育水準を飛躍的に向上させ、高度成長をひた走った日本。尾鷲中でも、「金の卵」を育てようと、職業教育に注力する。その一方、“落ちこぼれ”や“無気力”など問題が発生し、“詰め込み教育”
が自ら考える力をつぶしているとの批判が生じ、尾鷲中学では、校内暴力事件がおこった。
 1980年代以降、国も“詰め込み教育”からの脱却を模索。中曽根政権下の臨教審提言を受けた文部省は、“ゆとり教育”へと転換。「総合的な学習の時間」を創設し、教える内容は3割削減する方針を打ち出す。しかし、学力や国際競争力の低下を危惧する声が高まった。2002年、文科省は「確かな学力」を向上させる「学びのすすめ」を発表。文部科学事務次官だった小野元之さんは語る。「このままでは日本が危な
い。文科省は学力を軽視しません」。2011年から、再び学習内容拡大へと舵を切り直した。
 その間、日本の公教育予算の対GDP比はさがり、現在OECD参加国の中で最低レベルに。また、子供をとりまく経済環境も深刻化している。問題に取り組むNPO代表の青砥恭は調査を行った結果、「親の経済的な差
がそのまま学力の差につながっている」という。
 あまねく平等な教育を、と始まった戦後教育。その変遷を、文部官僚、教師などの証言をもとにたどって
いく。
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第6回 障害者福祉 共に暮らせる社会を求めて
Eテレ2016年1月16日(土)午後11時~翌0時30分
Eテレ【再放送】2016年1月23日(土)午前0時~午前1時30分(金曜深夜)
 
戦後、日本は、障害のある人たちとどう向き合ってきたのか。
 戦時中「米食い虫」「非国民」と呼ばれ抑圧されていた障害者。戦後、困窮する傷痍軍人への対策をき
っかけに初めて公的な障害者福祉の制度が生まれた。1960年代、重度の障害がある子どもの親たちの訴えがきっかけで、国や自治体は「コロニー」と呼ばれる大規模な施設の建設を推進。障害者施設を充実させ
ていった。
 ところが1970年代、障害者たちは、閉鎖的で自由のない施設での生活に不満を訴え始めた。都立施設に入所していた三井絹子さんは「施設は社会のゴミ捨て場だ」と、都庁前にテントを貼り座り込んで抗議。
 そうした動きを後押ししたのが1981年、国連の「国際障害者年」。障害者も他の人と同じように地域で暮らすべきだという「ノーマライゼーション」の思想が流入、国の政策も施設から地域へと移り変わっていく。元厚生省障害福祉課長の浅野史郎さんは、「これからは地域福祉だ」と制度作りに邁進。宮城県知事に転身後は、知的障害者施設の“解体宣言”を公表した。
 今年4月、「障害者差別解消法」が施行される。障害による差別をなくすため自治体や企業、一人一人の意識改革が求められる。高齢化が進み、誰もが病気や障害と無縁でなくなりつつある今、戦後の障害者政策を当事者や政策立案に関わった人たちの証言をもとにたどり、障害のある人もない人も共に暮らせる社
会へのヒントを探る。
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第7回 難民・外国人労働者 異国の民をどう受け入れてきたのか
Eテレ2016年1月23日(土)午後11時~翌0時30分
Eテレ【再放送】2016年1月30日(土)午前0時~午前1時30分(金曜深夜)
 難民問題に世界が揺れる今、日本にはおよそ200万人の外国人が暮らしている。私たち日本人は“外国人
”とどのように向き合ってきたのか。
 戦後、外国人政策は、朝鮮半島や台湾など旧植民地出身者への対応から始まった。1970年代、“第二の黒船”と呼ばれたインドシナ難民を受け入れ、90年代には、自動車産業を下支えした日系ブラジル・ペルー人へ門戸が開放される。そして、いま、外国人の技能実習制度やシリア難民など多くの課題を抱えている。国際的な要請、経済界の動向…時代の波に翻弄されながら、日本は、外国人との“共生”の道をどのように模索したのか。入管行政一筋の元法務省官僚・黒木忠正さん、坂中英徳さん、在日コリアンで指紋押捺を拒否した李相鎬(イ・サンホ)さん、日系ブラジル・ペルー人が集住する保見団地(愛知県)など
多角的な証言で外国人政策の戦後を見つめる。
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第8回 エネルギー消費社会 新たなエネルギーを求めて
Eテレ2016年1月30日(土)午後11時~翌0時30分
Eテレ【再放送】2016年2月6日(土)午前0時~午前1時30分(金曜深夜)
 石炭から石油へ、化石燃料の確保に力を入れ、エネルギー消費社会となった戦後日本。1973年の石油危
機は、大きな見直しを迫った。エネルギーの多元化を目指し、原発の誘致を進め、再生可能エネルギーの開発「サンシャイン計画」に着手。計画を進めた通産省の堺屋太一さん、太陽熱発電の実験プラントを誘致した香川県仁尾町の人々、太陽光発電の技術開発に取り組んだ京セラの稲盛和夫さんの証言をもとに追
う。
 90年代になると、新エネルギーで発電した電気を電力会社が買い取る制度が始まる。岩手県葛巻町や北海道の生協では、風力発電を始める。また、地球温暖化が進む中で、大量消費のライフスタイルを見直す
消費者も現れた。
 その頃、ドイツでは電気を全量買い取ることを電力会社に義務づけ、新エネルギーが一気に拡大。日本では元環境庁長官の愛知和男さんらがドイツ方式を日本に導入しようと立法するが、買い取り義務は一定
枠と制限された。次第に日本企業は太陽光発電市場から後退し、風力発電も伸び悩んでいく。
 そして、2011年の東日本大震災。福島県では2040年までに再生可能エネルギー100%を掲げ、会津電力など地域密着型の発電事業が進んでいる。政府は全量買い取り制度に大きく舵を切り、2030年までに総発電
量に占める再生可能エネルギーの割合を、原子力発電より多い20%強にする目標を掲げた。
 私たちは新たなエネルギーを求め、どう歩んできたのか、戦後史の中で見つめる。
(引用終わり)
 
 1月中に放送される上記4本で、とりあえずこのプロジェクトは完結ということのようです。
 1年8本ずつの計24本の内、以下に、これまで放送された20作品のタイトルのみご紹介しておきます。なお、タイトル名の下に番組アーカイブという表記のある番組は、公式サイトで番組自体が公開されており、誰でも無料で視聴できます。
 

【2013年度「地方から見た戦後」】

2013年7月6日(土)午後11時~翌0時30分
第1回 沖縄 ~“焦土の島”から“基地の島”へ~
番組アーカイブ

2013年7月13日(土)午後11時~翌0時30分
第2回 水俣 ~戦後復興から公害へ~
番組アーカイブ

2013年7月20日(土)午後11時~翌0時
第3回 釧路湿原・鶴居村 ~開拓の村から国立公園へ~
番組アーカイブ

2013年7月27日(土)午後11時~翌0時30分
第4回 猪飼野 ~在日コリアンの軌跡~
番組アーカイブ

2014年1月4日(土)午後11時~翌0時30分
【再放送】2014年1月11日(土)午前0時45分~午前2時15分(金曜深夜)
第5回「福島・浜通り 原発と生きた町」
番組アーカイブ

2014年1月11日(土)午後11時~翌0時30分
【再放送】2014年1月18日(土)午前0時45分~午前2時15分(金曜深夜)
第6回「三陸・田老 大津波と“万里の長城”」
番組アーカイブ

2014年1月18日(土)午後11時~翌0時30分
【再放送】2014年1月25日(土)午前0時45分~午前2時15分(金曜深夜)
第7回「下北半島 浜は核燃に揺れた」
番組アーカイブ

2014年1月25日(土)午後11時~翌0時30分
【再放送】2014年2月1日(土)午前0時45分~午前2時15分(金曜深夜)
第8回「山形・高畠 日本一の米作りをめざして」
番組アーカイブ

【2014年度「知の巨人たち」】

2014年7月5日(土)午後11時~翌0時30分
【再放送】2014年7月12日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)
第1回 原子力 科学者は発言する~湯川秀樹と武谷三男~
番組アーカイブ

2014年7月12日(土)午後11時~翌0時30分
【再放送】2014年7月19日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)
第2回 ひとびとの哲学を見つめて~鶴見俊輔と「思想の科学」~
番組アーカイブ

2014年7月19日(土)午後11時~翌0時30分
【再放送】2014年7月26日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)
第3回 民主主義を求めて~政治学者 丸山眞男~
番組アーカイブ

2014年7月26日(土)午後11時~翌0時30分
【再放送】2014年8月2日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)
第4回 二十二歳の自分への手紙~司馬遼太郎~
番組アーカイブ

2015年1月10日(土)午後11時~翌0時30分
【再放送】2015年1月17日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)
第5回 吉本隆明
番組アーカイブ

2015年1月17日(土)午後11時~翌0時30分
【再放送】2015年1月24日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)
第6回 石牟礼道子

2015年1月24日(土)午後11時~翌0時30分
【再放送】2015年1月31日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)
第7回 三島由紀夫

2015年1月31日(土)午後11時~翌0時30分
【再放送】2015年2月7日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)
第8回 手塚治虫
番組アーカイブ

【2015年度「未来への選択」】

2015年7月4日(土)午後11時~翌0時30分
【再放送】2015年7月11日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)
第1回 高齢化社会 医療はどう向き合ってきたのか
番組アーカイブ

2015年7月11日(土)午後11時~翌0時30分
【再放送】2015年7月18日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)
第2回 男女共同参画社会 女たちは平等をめざす

2015年7月18日(土)午後11時~翌0時30分
【再放送】2015年7月25日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)
第3回 公害先進国から環境保護へ

2015年7月25日(土)午後11時~翌0時30分
【再放送】2015年8月1日(土)午前0時00分~午前1時30分(金曜深夜)
第4回 格差と貧困 豊かさを求めた果てに
番組アーカイブ
 
 冒頭で引用した「プロジェクトの概要」でも書かれていましたが、「戦後史証言アーカイブス」が開設
され、「日本人は何をめざしてきたのか」で放映された番組の他、番組取材の過程で収録されたインタビュー、それに関連ニュース映像などが無料で公開されています。

 個々の番組やインタビューなどの価値については、それぞれ評価が別れるのは当然ですが、このようなコ
ンテンツが、誰でも視聴できるように公開されていること自体は評価すべきだろうと思います。
 そして、このような活動を支えているのも私たちが支払う受信料なのですが、これらの番組と受信料を支払うか
どうかとはまた別の問題であることは言うまでもありません。
 ・・・それは重々認識しながら、悪しざまにNHKを罵る言説に違和感を覚えることもまた事実であるというのが、とりあえずの私の思いである訳です。

加藤周一さんの若者へのメッセージを新たな気持ちで読む

 今晩(2016年1月3日)配信した「メルマガ金原No.2324」を転載します。

加藤周一さんの若者へのメッセージを新たな気持ちで読む

 2008年12月5日に89歳で亡くなった九条の会の呼びかけ人の1人である加藤周一さんは、晩年、様々な講演やインタビューなどを通じ、憲法、戦争、平和、民主主義などについて、多くのメッセージを精力的に発信されました。
 ただし、同じく九条の会の呼びかけ人であった井上ひさしさん(2010年4月9日逝去)の場合もそうなのですが、注目を浴びる講演の模様が、早ければその日のうちにインターネットの動画サイトで視聴できるという時代の到来を目前にして亡くなられたため、遺された動画は非常に少ないのです。
 晩年の加藤さんを追ったドキュメンタリー映画『しかしそれだけではない。加藤周一幽霊と語る』(2009年)を除けば、あとでご紹介する2006年12月8日に東京大学駒場キャンパスで行われた講演「老人と学生の未来-戦争か平和か」がある位でしょうか。

 短かった年末年始休暇(あまり休んだような気がしませんが)も今日で終わるというこの日に、7年前に亡くなられた加藤周一さんのインタビュー(の文字起こし)を読み、講演動画を視聴しました。
 晩年の加藤さんには、ご自身が畏敬の念を込めて「知の巨人」と言われ続けたことなど全然知らない若い人たちにこそ、伝えたいことがあったに違いないと、これらのインタビュー(の文字起こし)を読み、講演動画を視聴しながらあらためて感じました。
 1人でも2人でも、このささやかなブログを通じて、加藤さんのメッセージを受け止めてくれる若い人がいればいいのですが。

 まず最初にご紹介するのは、“Peace Philosophy Centre”(ピース・フィロソフィー・センター)サイトに(年末29日に)掲載された「今こそ生きる、戦後60年の加藤周一から後の世代へのメッセージ A message from late Shuichi Kato, 2005」です。
 その解説文によれば、「日本の敗戦70年が終わろうとしています。10年前聞いて感銘を受けた「知の巨人」加藤周一氏(2008年12月5日没)の、「戦後60年」2005年8月に放送されたラジオインタビューの書き起こしを紹介したいと思います。この日の加藤氏のメッセージは10年後の今、日本が戦争の教訓を忘れ、米国に追従し、再び隣国を憎み、戦争への道を進みつつあるからこそ、そのような潮流を市民の力で止めるために聞くべきものであると思ったからです」とあります。
 特に心にとどめ、多くの(特に若い人たちに)知って欲しいと思った箇所を部分的に引用しますが、(それほど長いものでもありませんので)是非リンク先で全文を読んでください。
 なお、オリジナル音源がどの放送局のものか、放送日はいつか、インタビュアーが誰か、文字起こしは誰がいつ行ったのかなどは記載されていませんので、ご了承ください。
 
Peace Philosophy Centre 2015年12月29日
今こそ生きる、戦後60年の加藤周一から後の世代へのメッセージ A message from late Shuichi Kato, 2005
(抜粋引用開始)
「戦争はかっこよくない。全然ね。ただ問題は、戦争は突然起こるんじゃなくて1931年の満州国に始まりまして、1937には盧溝橋事件から上海事変になってそこから南京。戦線が全中国本土に拡大するという形になるわけです。南京に入城したときには南京陥落の旗行列ができました。東京にいたわけですから、それも私の戦争経験の一つです。爆撃だけじゃなくて旗行列も見たんですよ。私とその旗行列の人たちとの唯一の違いはね、私は1937年12月の南京陥落のときに東京が焼け野原になるのは時間の問題だと思っていたことです。ところがその旗行列の人は祝ってるんですから、だからもちろんそうは思ってなかったですよ。1941年12月8日、日本軍がパールハーバーを攻撃したときも旗行列です。それはアメリカの軍艦をたくさん撃沈したから。私は、今はアメリカの軍艦を撃沈してもアメリカを攻撃すれば東京が、日本が滅びるのは時間の問題だと思っていました。それがただ一つの、でも重要な違いだったんですね。今の若い人たちによく聞かれるんですがね、「どういう風に事を進めますか」と。やっぱりね、「旗行列するな」って。今日戦争に勝っても、その結果がどうなるかっていうことをもう少し冷静に見破る能力を養うべきだと思いますね。そして見破れば旗行列はしない。そう言いますね」
「(「加藤さんは精力的に高校生などと対話をしてらっしゃいますが、高校生たちからくる質問はどういうものが多いですか?」という質問に対して)
 間接的にも直接的にも言われますが、「我々には責任がない」というやつですね。私の答えは「その通り」。「君には責任がない」と。十五年戦争の責任はないし、南京虐殺を認めても今の大学生、高校生にその責任はないということは認めるわけですね。しかし責任がないっていうのは関係がないっていうわけじゃない。責任がないっていってもそれは直接的な責任がないっていうわけであって。たとえば中国における非常にたくさんの人の人命の破壊とか、そういう現象がなぜ起こったかと言うと非常に複雑な要因があるんですよ。しかしその要因の一部は無くなった、変わった、だから今はない。だからあなた方には確かに関係がないかもしれない。でも一部は今でもある。それは関係がある。それは識別しなきゃならない。どういう理由は今でも生きていてどういう理由は無くなっているかを区別しなきゃならない。もしも今でもある理由があればそれと戦わなきゃならない。それは義務でね、もし戦わなければ前の戦争の責任が続いてるっていうことになる。だから直接戦場での戦争行為に責任がないけれども、戦争というは武器を持って戦場に行く人だけでは決してできない。その人たちを支えるイデオロギー、価値観が背後にあるから、それに支えられてるからできるんです。故郷を守るとか、祖国は神の国だからとかいろいろありますね。
 でそれを検討するには第一にまず歴史だ。歴史を学べ。歴史は過去のことだから私たちには関係がないというのは粗雑な考え方で、関係あるかないかを調べるのが歴史学だ。たとえばなんだけど、南京虐殺の背景のひとつはね、人種差別かもしれない。そうしたらあなたたちの問題は今その人種差別は生きてるか生きてないかの問題だ。もし生きてるのに黙ってそこに座ってるのであれば関係のないことで座ってるんじゃなくて、関係大ありなことに対して黙ってる。つまり消極的に支持してることになるので結果的に全責任がそこにかかってくることになる。そんなに簡単に逃れられない。「関係ありません」じゃない。関係があるから、どんな関係があるかをはっきりさせなきゃならない。それには勉強する必要がある。」
(引用終わり)

 もう1つご紹介するのは、上記インタビューの1年4か月後(2006年12月)に東大駒場キャンパスで行われた講演「老人と学生の未来-戦争か平和か」の動画です。映像ドキュメントによる非常に貴重な動画ですが、YouTubeへの投稿が1本10分に制限されていた時代にアップされたからでしょうが、非常に細切れです。一応連続再生できる設定になっていますから、1本目から順次見ていくのに不自由がないと言えばないのですが。
 なお、前後編2本(講演と質疑応答)に別れたWMVファイルで視聴することもできます。
 それでは、YouTubeにアップされた動画をご紹介します。
 
加藤周一氏講演会 老人と学生の未来-戦争か平和か 1(4分20秒)

加藤周一氏講演会 老人と学生の未来-戦争か平和か 2(9分01秒)

加藤周一氏講演会 老人と学生の未来-戦争か平和か 3(8分55秒)

加藤周一氏講演会 老人と学生の未来-戦争か平和か 4(9分04秒)

加藤周一氏講演会 老人と学生の未来-戦争か平和か 5(8分05秒)

※5/7の次がいきなり7/7になりますが、もともとあった6/7が削除されたのかどうかはよく分かりません。
加藤周一氏講演会 老人と学生の未来-戦争か平和か 7(8分04秒)


加藤周一氏講演会 質疑応答 老人と学生の未来-戦争か平和か 1(9分45秒)

加藤周一氏講演会 質疑応答 老人と学生の未来-戦争か平和か 2(6分13秒)

加藤周一氏講演会 質疑応答 老人と学生の未来-戦争か平和か 3(4分19秒)

加藤周一氏講演会 質疑応答 老人と学生の未来-戦争か平和か 4(6分47秒)

※ここでも5/6がない理由は不明です。
加藤周一氏講演会 質疑応答 老人と学生の未来-戦争か平和か 6(8分49秒)


 この講演の内容は、整理された上で、加藤さんの死後、岩波現代文庫『私にとっての20世紀―付 最後のメッセージ』(2009年2月刊)に「第五章 老人と学生の未来」として収録されています。

 
 社会的圧力から比較的自由な定年後の老人と学生との同盟(共同・協力)を構想した加藤周一さんが、2015年のSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の活動を見たら何と評されたか、是非伺ってみたいものだと思いました。

 最後に、岩波現代文庫収録の講演録から、現在の若者にこそ読んでもらいたいと思った部分を引用します。

(抜粋引用開始)
「防衛問題あるいは安全保障問題に関して言えば、今申し上げたように、日本のすべてが戦争に向かって進んでいる。国内では戦争に対応できるような法律が、段々に積み重ねられています。反対の方角に新しい法律が通った例はないです。これがひじょうに大事なところですが、どういう方角に世の中の変化が動いているかということです。全体の流れと逆の方向の変化が入っているか。入っていないですよ、殆どね。必ずしも、一時に計画されたわけではないでしょうが、ある方角へ向かっている。方角が非常にはっきりしている。外国に戦争があって、その戦争の中に日本が参加できるような方角へ法律を変えている。逆に戦争がしにくくなるように法律を変えた例はない、ということです。
 それから、戦争とはちょっと離れるのですが、いま言った国旗や国歌の話、過去の戦争の解釈の問題などは、日本政府が直接に戦争に参加するのに便利かという問題からはちょっと離れていますね。しかし、もし戦争に参加すれば、すべての戦争はそれを正当化すること、もう一つは何か大衆を戦いの方へ駆り立てる一種の組織的な働きかけ、あるいは宣伝を通じての働きかけが必ずあります。思想的な正当化の努力を伴わない、あるいは感情的な扇動を伴わない戦争というのはないですよ。それはギリシャの昔から、あるいは春秋戦国の時代から、戦争の正当化と感情的に大衆を扇動することを伴わない戦争というのはないですね。戦争をする以上は、大衆をそれに向かって感情的に準備しなければならない。同時に知的というか思想的に説得しなければならない。さっき申し上げた最近の一連の変化、靖国参拝にしても、国旗の話にしても、教科書の問題にしても、みんなそのためにいくらか役立つ。だからばらばらではない。流れが三つあって、一定の方角をだどっている訳です。」
(265~266頁)
「それは、団体の圧力、社会学的に言えば、団体の圧力ですよ。それが人生の中で、子供の時は、親とか先生の圧力が非常に強い。やっぱり、ちょっと、そして、仲間同士は一生懸命いじめをして、まあ生き延びれば大人になるんですね。大学に来て、四年間、日本では、日本人の人生では、四年間、基本的人権の筆頭であるところの自由が最大に高まる。四年過ぎると、それは非常に下がって、そして、六〇歳以降、また、定年退職以後に、復活してもういっぺん自由になる。二度自由の山があるのですよ。だから、老人と学生の同盟は、どうですかって私が言うのは、二つの自由な精神の共同・協力は、強力になりうるだろうというわけです。ありがとうございました。」
(278~279頁)

(参考図書~ちくま学芸文庫から)





 「加藤周一著作集」(平凡社・全24巻)や「加藤周一自選集」(岩波書店・全10巻)にはとても手が出せない人(私もそうですが)には、「加藤周一セレクション」(平凡社ライブラリー・全5巻)とならび、上記のちくま学芸文庫版がお奨めです。

「テレメンタリーSP~今あなたに伝えたい 終戦70年目の真実~」のご案内

 今晩(2015年12月21日)配信した「メルマガ金原No.2311」を転載します。

「テレメンタリーSP~今あなたに伝えたい 終戦70年目の真実~」のご案内 

 昨日はいささか力を入れてメルマガ(ブログ)を書いたので(「オール沖縄会議」結成(12/14)と同時に進行している地方議会での辺野古新基地建設「推進」意見書採択に警戒を!)、今日は少しゆったりした調子で・・・というよりも、力を入れている時間が物理的にないので、気になるTV番組をご紹介することにします。
 これまでも、何度もTVのドキュメンタリー番組を紹介してきていますが、当然のことながら、放映前ですから、番組自体は未見な訳で、単に番組案内を読んで(たまに予告編を見て、ということもあります)、「良い番組になっていそうな気がする」「題材に非常に関心がある」というようなことから取り上げています。

 さて、今晩ご紹介するのは、全くの初放映というわけではなく、いわば2度のおつとめとなる映像を素材として作られたスペシャル特番です。
 
テレメンタリー2015
テレビ朝日 12月29日(火)午前2時25分~3時55分(28日深夜)
朝日放送 12月30日(水)午前6時00分~7時30分
テレメンタリースペシャル~今あなたに伝えたい 終戦70年目の真実~ 
 
(番組案内から引用開始)
モンゴル大草原に、中央アジアに、ミャンマー秘境に封印されていた戦争の記憶。今、70年ぶりに歴史のタイムカプセルを紐解き、戦争の悲劇に光を当てる。そして、平和の象徴のはずの笑いが戦意向上のために国策に利用され、少年・少女がアメリカ本土を直撃する秘密爆弾を製造、発射するという戦争の狂気を当事者たちの証言で伝え残す。歴史の闇に埋もれていた5つの秘話が語る第二次世界大戦70年目の真相とは?
制作:朝日放送/北海道テレビ放送/九州朝日放送/愛媛朝日テレビ/テレビ朝日 共同制作

(引用終わり)

 これだけで番組の内容を想像するのは相当に難しいものがありますので、「テレビ王国」というサイトの「週間テレビ番組表」に掲載されていた説明をご紹介します。

(引用開始)
テレメンタリーSP~今あなたに伝えたい 終戦70年目の真実~ 
番組概要

モンゴル大草原に、中央アジアに、ミャンマー秘境に封印されていた戦争の記憶。今、70年ぶりに歴史のタイムカプセルを紐解き、戦争の悲劇に光を当てる。
番組詳細
歴史の闇に埋もれていた5つの秘話が語る第二次世界大戦70年目の真相とは?
第一話 満州に進撃せよ!モンゴルに眠る秘密基地
第二話 シベリアからの遺言 2つの祖国の狭間で
第三話 幻のインパール作戦 動き出した遺骨調査
第四話 わらわし隊出陣 “笑い"が国策だった時代
第五話 米本土を爆撃せよ!風船爆弾悲劇の記録
渡辺宜嗣(テレビ朝日キャスター)・中里雅子
【プロデューサー】原一郎(テレビ朝日)、藤田貴久(朝日放送)、濱中貴満(北海道テレビ)、野村友弘(九州朝日放送)、別府聡(愛媛朝日テレビ)
【ディレクター】堀江真平(テレビ朝日)、吉原宏史(朝日放送)、菊地真章(北海道テレビ)、荒木愛子・有森崇裕(九州朝日放送)、安倍栄佑(愛媛朝日テレビ)
(引用終わり)

 実は、今年1年、テレメンタリー2015では、「シリーズ戦後70年」という共同企画を立て、各局がそれぞれこのシリーズタイトルの下、全部で16本の番組を制作しました。今回のスペシャル版は、その中から5本をピックアップして再編集したものなのです(のはずです)。
 初放映時のタイトルは以下のとおりです(公式サイト「過去の放送」から)。
 
「シリーズ戦後70年(5) 満州に進撃せよ!~草原に眠るソ連軍巨大基地~」(朝日放送制作)
「シリーズ戦後70年(6) シベリアからの遺言」(北海道テレビ制作)
「シリーズ戦後70年(1) ミャンマーのゼロファイター~動き出した遺骨調査~」(九州朝日放送制作) 
「シリーズ戦後70年(3) 皇軍大笑~“笑い”が国策だった時代~」(テレビ朝日制作)
「シリーズ戦後70年(7) 空に舞った徒花~風船爆弾悲劇の記録~」(愛媛朝日テレビ制作)

 放送枠の関係から、各話とも、当初の放送よりもさらに時間を切り詰めたはずで、その分物足りないものになっているのか、あるいは、短時間に凝縮することで、かえって訴求力が増しているのか、そこは各ディレクターの腕の見せ所でしょう。
 ただ、「歴史の闇に埋もれていた5つの秘話」というのは、いくら何でも誇大宣伝ではないかという気がしますので、このキャッチフレーズはあまり気にせずご覧になる方が良いかと思います。


(付録)
『ミス・ワカナ 玉松一郎  わらわし隊 上.下 漫才』
 

10/11再放送(BS&CS)に注目~NNNドキュメント'15「南京事件 兵士たちの遺言」

 今晩(2015年10月8日)配信した「メルマガ金原No.2237」を転載します。

10/11再放送(BS&CS)に注目~NNNドキュメント'15「南京事件 兵士たちの遺言」

 気軽に始めた「安保法制:「5党合意」「附帯決議」「閣議決定」をどう読むか」シリーズですが、(1)(2)(3)と書いてみて、「とても毎日は書いていられない」と確信しました。これを書くためには、毎回相当の時間とエネルギーを要します。
 ということで、少しは省力化しないと身が持たないということで、今日は、Facebookで「友達」にお知らせしたTV番組、それも再放送情報をメルマガ(ブログ)でも取り上げることにしました。
 ということで、私自身は「手抜き」ですが、ご紹介する番組は(まだ見ていませんが)絶対に「手抜き」ではないと確信しています。
 それは、去る10月4日(日)深夜に日本テレビ系列で放送されたNNNドキュメント'15です。以下に番組案内を引用します。

(引用開始)
NNNドキュメント'15
シリーズ戦後70年「南京事件 兵士たちの遺言」
 55分枠
放送:2015年10月4日(日)25:10~
制作 : 日本テレビ
再放送 :
10月11日(日)11:00~ BS日テレ
10月11日(日)7:00~/24:00~ CS「日テレNEWS24」
古めかしい革張りの手帳に綴られた文字。それは78年前の中国・南京戦に参加した元日本兵の陣中日記だ。ごく普通の農民だった男性が、身重の妻を祖国に残し戦場へ向かう様子、そして戦場で目の当たりにした事が書かれていた。ある部隊に所属した元日本兵の陣中日記に焦点をあて、生前に撮影されたインタビューとともに、様々な観点から取材した。
(引用終わり)

 この番組の本放送はうっかり見逃していたのですが、「本と雑誌のニュースサイト/リテラ」に掲載された以下の記事を読み、実は注目すべき番組だったんだ、と気づかされました。

 リテラでの紹介によれば、陸軍歩兵第65聯隊と行動を共にした山砲兵第19聯隊所属の上等兵の陣中日記を中心としながら、様々な裏付資料と照らし合わせつつ、昭和12年(1937年)12月16日から18日にかけて、揚子江岸において、日本軍が大量の中国人捕虜を組織的に虐殺した情景が浮かび上がってくる構成になっているようです。
 小杉みすずさんの文章の末尾の部分を引用しましょう。

(引用開始)
 これらの証言や日記などの一次資料をクロスさせると、12月16日から18日の3日間だけでも、百や千ではすまない大勢の中国人捕虜が殺されたことは間違いないだろう。ようするに、捕虜を大量に殺害したあと
、死体を川に流して処理するため、南京城に近い揚子江の河川敷が“処刑場”に選ばれたのだ。
 安倍政権が本音では否認したい「南京事件」は、すくなくともネット右翼や右派論壇の一部がいうよう
な「存在自体を否定」されるようなものではなかったのだ。
 そして今回、歴史問題を扱うとすぐさま「反日偏向報道!」と一斉にバッシングされるテレビメディアで、ここまで踏み込んだドキュメンタリーを放映した『NNNドキュメント』には、手放しで賞賛を送りたい。番組のチーフディレクターである清水潔氏は、桶川ストーカー殺人事件など、警察・司法発表に依存しない調査報道で、なんどもスクープを重ねてきたジャーナリストだ。今回も、ひとつの証言や文献に頼ることなく、実際に現地・南京を取材し、中国人女性による証言を得た後も彼女のふるさとを訪ね家族の墓を確認するなど、徹底した裏付け調査を行っていた。その真摯な姿勢こそ、いまのマスメディアに求めら
れているものだろう。
 ただ、ひとつだけ気になるのは、今回の放送のタイトルが、事前の新聞のラテ欄では「しゃべってから死ぬ 封印された陣中日記」とされていて、「南京」の文字がなかったことだ。先週の『NNNドキュメント』の最後に流された予告編でも「南京」の言葉は一言も出てこず、番組公式サイトでも事前に告知されて
いなかった。ようするに、4日深夜の初放映時になって初めて「南京事件 兵士たちの遺言」という真のタイトルが明かされたわけだが、ここに何か裏を感じるのは穿ち過ぎだろうか。
 権力を忖度し、ネット上の批判に怯え、萎縮した報道を続けるテレビ業界だ。その圧力を避けようとし
たのか、真相は不明だが、こうした番組が継続して放送されれば、業界の失いつつある信頼も取り戻せるはず。今後も期待しつつ、まずは『NNNドキュメント 南京事件 兵士たちの遺言』の再放送を待ちたい。(小杉みすず)
(引用終わり)

 この番組のラテ欄は読んでいませんし、放映前の番組公式サイトも見ておらず、1週間前の予告編も視聴していないので、私自身、小杉さんが書いていることの「裏付け」をとれていませんから、「小杉みす
ず氏の書いたとおりであると仮定すれば」なのですが、「南京事件」というキーワードを放送前に露出させなかったのは、番組ディレクターの作戦であった可能性が高いでしょうね。
 何しろ、かつて官房副長官時代にNHK(ETV)で製作されていた「慰安婦」問題を取り上げたドキュメンタリー番組の内容に干渉して改変させた人間が内閣総理大臣として君臨し、2005年当時などと比較にならぬほどマスメディアに対する統制を強めている時代状況の下、とにかく政治的干渉を免れて放送にこぎ着けるための苦肉の策ではないか?などと想像されたりします(あくまで想像です)。

 数は少ないかもしれませんが、私のこのメルマガ(ブログ)で初めて「南京事件 兵士たちの遺言」という番組の存在を知り、再放送を視聴して、「見ることができて良かった」と思ってもらえる方がいれば、大変嬉しく思います。
 そして、マスメディアの中で、自らの信念に従って良い仕事をしている人は少なからずいるはずですから、そのような仕事に賞賛の声を届けて応援するという心構えが、1人1人の市民に必要なのだといつ
も思います。

(参考サイト/「南京事件 兵士たちの遺言」視聴記)
じゅにあのTV視聴録 【NNNドキュメント’15】「南京事件~兵士たちの遺言~」


(忘れないために)
 「自由と平和のための京大有志の会」による「あしたのための声明書」(2015年9月19日)を、「忘れないために」しばらくメルマガ(ブログ)の末尾に掲載することにしました。

(引用開始)
  あしたのための声明書

わたしたちは、忘れない。
人びとの声に耳をふさぎ、まともに答弁もせず法案を通した首相の厚顔を。
戦争に行きたくないと叫ぶ若者を「利己的」と罵った議員の無恥を。
強行採決も連休を過ぎれば忘れると言い放った官房長官の傲慢を。

わたしたちは、忘れない。
マスコミを懲らしめる、と恫喝した議員の思い上がりを。
権力に媚び、おもねるだけの報道人と言論人の醜さを。
居眠りに耽る議員たちの弛緩を。

わたしたちは、忘れない。
声を上げた若者たちの美しさを。
街頭に立ったお年寄りたちの威厳を。
内部からの告発に踏み切った人びとの勇気を。

わたしたちは、忘れない。
戦争の体験者が学生のデモに加わっていた姿を。
路上で、職場で、田んぼで、プラカードを掲げた人びとの決意を。
聞き届けられない声を、それでも上げつづけてきた人びとの苦しく切ない歴史を。

きょうは、はじまりの日。
憲法を貶めた法律を葬り去る作業のはじまり。
賛成票を投じたツケを議員たちが苦々しく噛みしめる日々のはじまり。
人の生命を軽んじ、人の尊厳を踏みにじる独裁政治の終わりのはじまり。
自由と平和への願いをさらに深く、さらに広く共有するための、あらゆる試みのはじまり。

わたしたちは、忘れない、あきらめない、屈しない。

     
自由と平和のための京大有志の会
(引用終わり)

安倍談話の後でもう一度「反省」と「謝罪」を考える

 今晩(2015年8月20日)配信した「メルマガ金原No.2188」を転載します。

安倍談話の後でもう一度「反省」と「謝罪」を考える

 8月14日に「安倍談話」が発表された今となってはいささか旧聞に属しますし、第一このメルマガ(ブログ)でも一度取り上げたことがあるのですが(日本記者クラブの会見詳録で考える「戦後70年」「安保法制」そして「沖縄」/2015年6月22日)、去る6月9日に日本記者クラブで行われた村山富市元首相と河野洋平元衆議院議長による記者会見を、もう一度取り上げてみようと思います。
 そのように考えたのは、会見直後に収録されてアップされていたものの、最近まで視聴できていなかったビデオニュース・ドットコムのニュース・コメンタリー(河野・村山会見にみる 今、日本が世界から問われていること)をたまたま見る機会があり、そこで語られている萱野稔人氏(津田塾大学教授)、宮台真司氏(首都大学東京教授)、神保哲生氏(ビデオニュース・ドットコム)の意見は、河野談話、村山談話をめぐる論点を整理するために非常に示唆に富むと考えたことによります。
 ビデオニュース・ドットコムにアップされた日本記者クラブでの村山氏と河野氏の会見動画、及び萱野教授をゲストに招いたニュース・コメンタリーの動画をご紹介します。
 

(動画解説引用開始)
 村山富市元首相と河野洋平元衆議院議長は6月9日に行われた日本記者クラブでの講演で、安倍首相が戦後70年を記念して発表する予定の「戦後70年談話」には、過去の植民地支配と侵略に対する反省を明示
した村山談話を継承すべきだという考えを示した。
 村山氏は「安倍首相には、きちんと村山談話を継承すると言ってもらわなければならない。戦後70年
談話の中に、素直にはっきり明記し、国際的な疑問と誤解を解消することが大切だ」と語り、自身が総理在任中の1995年、戦後50周年を記念した「村山談話」を継承するよう求めた。
 河野氏は安倍首相が村山談話を継承すると言っている以上、戦後70年にあえて総理談話を出す必要はないのではないかとの認識を示した上で、70周年記念事業として国立の慰霊の施設を作ることを提言した。「国民誰しもが、わだかまりなく参拝できるような事業を行ったほうがいい」と河野氏は述べた。
 また、村山、河野両氏は現在国会で審議中の集団的自衛権の行使を可能にする新安保法制について、そ
れに反対する意向を明確にしたうえで、「一旦取り下げて、再検討すべき」(河野氏)などと語った。
(引用終わり)
 
ビデオニュース・ドットコム ニュース・コメンタリー(2015年6月)
河野・村山会見にみる 今、日本が世界から問われていること


(動画解説引用開始)
 なぜ戦後70年経っても、日本は謝まり続けなければならないのだろうか。
 村山富市元首相と河野洋平元官房長官が6月9日、日本記者クラブで会見し、安倍首相がこの夏に発表を
予定している戦後70年の首相談話について、歴代内閣の歴史認識を引き継ぐよう注文をつけた。
 村山、河野両氏とも、過去の植民地支配と侵略を認めた上で、反省とおわびを表明した村山談話を継承
すべきだと語っている。
 戦後70年談話について安倍首相は歴代内閣の立場は継承するとしながらも、その中に明確な謝罪の言葉を含めるかどうかについては、これまでのところ言葉を濁している。また、戦後70年たっても、いまだに
日本が謝り続けれなければならないことに疑問を持つ人が増えていることも事実だろう。
 確かに、本来であれば謝罪は一回でいいという考え方もある。過ちを犯した場合は謝罪をしなければならないが、その謝罪が受け入れられれば、その後で、何度も謝罪を繰り返す必要はないのではないかとい
う考えにも一理ある。
 しかし、そこには一つ重要な前提がある。それは、その後も謝罪で表明している済まないという気持ち
を、行動で示せているということだ、
 口で謝罪をするだけなら誰でもできる。しかし、過ちを認めて謝罪をした以上、その後は、その反省の上に則った行動を取り続けていなければならない。それができないと、何度でも過去の過ちを蒸し返されることになる。
 日本は謝罪はするが、反省の意思を見せるのが下手なのではないかとゲストの萱野稔人氏は言う。あるいは、謝罪と反省の識別が明確についていないのかもしれない。
 どんなに口で謝罪を繰り返しても、それが真の反省から生じた誠実なものであり、まだその反省が行動
で示されていなければ、被害を受けた相手は納得しない。いきおい、それを政治的に利用する余地まで相手側に与えてしまうことになりかねない。
 河野、村山会見の映像を参照しつつ、安倍首相の戦後70年談話では何が問われているかについて、津田塾大学の萱野稔人氏と、ジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。
(引用終わり)

 いわゆる“従軍慰安婦問題”についての萱野稔人(かやの・としひと)氏や宮台真司(みやだい・しん
じ)氏の見解に賛成しかねるという人もいるでしょうし、私自身にしても、全面的に賛成できるかと言われれば、首をひねる部分がない訳ではありません。
 しかし、にもかかわらず、私が萱野氏や宮台氏の発言に大きな共感を覚え、やや時期に遅れながらもご紹介したいと思ったのは以下のようなことからです。
 すなわち、河野談話(1993年)が、“従軍慰安婦問題”についての当時の日本の外交上の到達点、つまり一種の「手打ち」(主には韓国との)だったとすれば、最低限そこから後退してはいけない。にもかかわらず、河野談話を否定しようとする動きが度々表面化することによって、「日本は反省していない」という証拠を韓国に提供し続け、外交上のオウンゴールを重ねているのだという意見に完全に同意します。

 私は、この意見を聞いていて身につまされました。つまり、調停でも訴訟上の和解でも、あるいはその
前段階としての示談交渉でもそうなのですが、交渉ごとというのは積み重ねですから、「ここまでは合意できたが、ここから先はなお意見に開きがある」「その意見の開きを埋めるために次はこういう妥協案を提示しよう」とやっている最中に、いったん合意していたはずの到達点をひっくり返されては、信頼関係は大きく損なわれ、交渉になりません。
 ましてや、いったん最終合意に至って調停調書や和解調書まで作成しながら、あとから「あの条項は間違っている」と言い出すなどというのは論外です。

 またこの理は、戦後日本の体制が何によって定まったかと言えば(つまり“戦後レジーム”ですね)、軍備と戦争を放棄した日本国憲法を制定し、東京裁判とサンフランシスコ講和条約(対日平和条約)を受け入れたことによってであって、戦後日本の正統性のよって来る由縁を認識していれば、公人の靖国神社参拝だけはあり得ない、ということにもつながる訳です。

 以上のような視点をもって、神保哲生氏をホストに、萱野稔人氏と宮台真司氏が語り合った鼎談に耳を傾けられれば、きっと得るものがあると思います。
 ただし、3人の皆さんにとっては、あらためて解説を加える必要もない「常識」だと考えられている事柄であっても、聞いていて分かりにくい部分があるかもしれませんので、その場合には、僭越ながら、末尾でご紹介した私の過去のブログをお読みいただければ、少しは理解に資するかもしれません。

どうやら「安倍談話」の輪郭が見えてきた

 今晩(2015年8月10日)配信した「メルマガ金原No.2178」を転載します。

どうやら「安倍談話」の輪郭が見えてきた

 安倍晋三首相がかねて強い意欲を示してきた「戦後70年談話(安倍談話)」については、8月に入ってから連日のように大きな動きが報じられています。
 一時、閣議決定は行われないと伝えられていたにもかかわらず、方針が転換されたようで、公明党首脳部との協議が進み、来る8月14日に発表されるという談話の原案が、おそらく意図的にマスコミにリー
クされています。もっとも、誰からのリークかによって、とりわけその時期によって、伝える内容が一見すると全然違ったりすることもあります。今日(8月10日)の段階で、ネット上で検索できる情報として、対照的な2つの報道をご紹介してみます。
 
産経ニュース 2015.8.10 05:00
戦後70年首相談話「侵略」言及へ 「世界共通の許されぬ行為」

(抜粋引用開始)
 安倍晋三首相が14日に発表する戦後70年談話で、「侵略」に言及する方向であることが9日、分かった。戦前・戦中の日本の行為に絞っての「侵略」というよりも、世界共通での許されない行為として触れる可能性が高い。首相は7日夜に東京都内のホテルで行われた公明党の山口那津男代表らとの会談で、これらの方針を含む談話の原案を示したが、公明党側は戦前の日本の行為と侵略の関係を明確にするよう
求めたもようだ。
(略)
 今回、首相が談話の参考とするのは、今年4月にインドネシアで開かれたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議の際の自身の演説だ。首相は、1955年のバンドン会議で採択された「バンドン10原則」の「侵略または侵略の脅威、武力行為によって他国の領土保全や政治的独立を侵さ
ない」という部分を引用した形で「侵略」に言及しつつ、10原則を順守する決意を強調した。
 談話でも、「侵略」の表現に関し、先の大戦での日本の行為だけに限らない文脈での言及を検討。21
世紀懇の「日本の行為だけを『侵略』と断定することに抵抗がある」といった意見に配慮する。
 また、談話では、先の大戦に対する痛切な「反省」や戦後日本の国際貢献の実績、積極的平和主義の推進などを強調する一方、村山富市首相談話に盛り込まれた「謝罪」に関する文言は直接盛り込まない方針
だ。
 これに対し、山口氏は7日の首相との会談で「中国や韓国におわびや謝罪の意図が伝わるような談話にしてほしい」と要求。ただ、自民党内には「サンフランシスコ平和条約を踏まえ謝罪も賠償もしており、未来永劫(えいごう)にわたり謝罪しなければならないのか」(幹部)との意見は根強く、公明党側が納
得する表現を最終調整している。
(引用終わり)
 
NHK NEWS WEB 8月10日 4時30分
戦後70年談話 原案にお詫びなど明記

(抜粋引用開始)
 安倍総理大臣が戦後70年にあたって今月14日に発表する総理大臣談話の原案に、いわゆる「村山談話」でキーワードに位置づけられている、「お詫び」や「侵略」など、すべての文言が明記されていることが明らかになりました。政権幹部からは評価する意見が出ていて、安倍総理大臣は閣議決定に向けて最
終的な文言調整を進めることにしています。
 安倍総理大臣は戦後70年にあたって今月14日、総理大臣談話を閣議決定しみずから発表することにしていて、先の大戦での日本の対応に「痛切な反省」の意を示し不戦の誓いを表明するとともに、歴代内閣の基本的立場を引き継ぐ方針を明記する意向です。これを前に、安倍総理大臣は先週から、自民党の谷垣幹事長や公明党の山口代表らに対し、談話を閣議決定する意向を伝えるとともに、原案を示して考え方
を説明し理解を求めています。
 こうしたなか、関係者によりますと談話の原案では過去の歴史や歴代政権の取り組みに触れるくだりなどで、平成7年のいわゆる「村山談話」や平成17年の「小泉談話」で、いわゆるキーワードに位置づけられている、「痛切な反省」、「植民地支配」に加え、「お詫び」と「侵略」という、すべての文言が明
記されていることが明らかになりました。
 安倍総理大臣は今回の総理大臣談話について、「今まで重ねてきた文言を使うかどうかではなく、安倍政権としてどう考えているのかという観点から談話を出したい」と述べ、ひとつひとつの文言を使うことにはこだわらない考えを示していました。安倍総理大臣が、原案で村山談話でのキーワードをすべて盛り
込んだ背景には、ひとつひとつの文言を使ったかどうかという議論を避け、みずからの真意を正確に伝えたいという考えがあるものとみられます。
(略)
(引用終わり)
 
 産経は「村山富市首相談話に盛り込まれた「謝罪」に関する文言は直接盛り込まない方針だ。」とするのに対し、NHKは「「痛切な反省」、「植民地支配」に加え、「お詫び」と「侵略」という、すべての文言が明記されていることが明らかになりました。」というのですから、「どちらが本当なんだ?」と思うかもしれません。
 その後の他社の後追い報道はNHKをなぞるものが多く、もしかすると、「談話の原案」がマスコミ各
社に出回っているのかもしれません。
 産経がこの程度の「特オチ」をすること自体は別に珍しいことでも何でもありませんが、今回の場合、本当にそう言い切って良いのかどうか、やや疑問もあります。
 産経ニュースが伝える内容も、それなりに政府・与党関係者からの情報提供(リーク)を基に書かれた気配があり、ただ周辺取材が不十分なまま推測を交えて断定的な記事を書いてしまったため(これも産経にはよくあることですが)、タイミングが丸1日ずれてしまったのかもしれません。
 産経の記事に出てくる「今年4月にインドネシアで開かれたアジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議の際の自身の演説」における該当箇所というのは以下の部分でしょう。
 
平成27年4月22日
アジア・アフリカ会議(バンドン会議)60周年記念首脳会議における安倍内閣総理大臣スピーチ

(抜粋引用開始)
 “侵略または侵略の脅威、武力行使によって、他国の領土保全や政治的独立を侵さない。”
 “国際紛争は平和的手段によって解決する。”
 バンドンで確認されたこの原則を、日本は、先の大戦の深い反省と共に、いかなる時でも守り抜く国で
あろう、と誓いました。
 そして、この原則の下に平和と繁栄を目指すアジア・アフリカ諸国の中にあって、その先頭に立ちたい、と決意したのです。
(引用終わり)
 
 もしも産経の書くように、談話の原案が上記演説をベースにしたものであったというのが事実なら、公明党は納得しなかったでしょうね。
 そこで思い出すのは、「戦後70年談話」についての公明党との協議について、以下のように報じられていたことです。
 
朝日新聞デジタル 2015年8月9日05時07分
安倍談話の原案「おわび」盛らず 公明「侵略」明示要求

(抜粋引用開始)
 安倍晋三首相が14日に閣議決定する戦後70年の談話(安倍談話)をめぐり、首相が7日夜に自民、公明両党幹部に示した原案には、戦後50年の村山談話や戦後60年の小泉談話に盛り込まれたアジア諸国への「おわび」の文言が入っていないことが分かった。公明は、おわびの気持ちを伝えるとともに、「
侵略」という文言も明確に位置づけるよう注文を付けたという。
(略)
 また、原案には過去の大戦に対する「反省」は盛り込まれていたが、「植民地支配と侵略」については
、必ずしも明確な位置づけではなかった。このため、公明側は「なぜ日本は反省をするのか。その対象を明確にしないと伝わらない」と主張し、「侵略」という文言もしっかりと位置づけるよう求めた。
(引用終わり)
 
 私は、上記朝日の記事を読んだ際、その趣旨がいまひとつよく分からなかったのですが、産経ニュースの記事(及び4月22日のスピーチ)を併せて読めば、「なぜ日本は反省をするのか。その対象を明確にしないと伝わらない」ということの意味がよく分かります。
 
 さて、そこでNHKニュースが伝える「談話の原案」の内容です。NHKが(あるいは他社も)おそらく入手したであろう「談話の原案」では、「過去の歴史や歴代政権の取り組みに触れるくだりなどで、平成7年のいわゆる「村山談話」や平成17年の「小泉談話」で、いわゆるキーワードに位置づけられている、「痛切な反省」、「植民地支配」に加え、「お詫び」と「侵略」という、すべての文言が明記されていることが明らかになりました。」とあります。
 この記事を読んで私が思い出したのは、安倍首相が4月29日に米国連邦議会上下両院合同会議で行った演説の一節です。この演説も、安倍首相の「歴史認識」に関わる部分をどう表現するか、注目を集めたものです。
 以下に該当箇所を引用します。
 
平成27年4月29日
米国連邦議会上下両院合同会議における安倍内閣総理大臣演説

(抜粋引用開始)
 戦後の日本は、先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻みました。自らの行いが、アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目をそむけてはならない。これらの点についての思いは、歴代総理と全く変わ
るものではありません。
(引用終わり)

 NHKの伝えるところによれば、「痛切な反省」、「植民地支配」、「お詫び」、「侵略」というキーワードは、「過去の歴史や歴代政権の取り組みに触れるくだりなどで」「明記されている」ということです。
 米国連邦議会では、「痛切な反省」しか使いませんでしたが、残る3つのキーワードも、「過去の歴史
や歴代政権の取り組み」を語る箇所の中でなら、いくらでも「引用」できるでしょう。村山首相や小泉首相は、実際、それらのキーワードを盛り込んだ「談話」を発表しているのですから。
 その上で、「侵略」、「植民地支配」、「痛切な反省」、「お詫び」を盛り込んだ談話を発表してきた「歴代総理と全く変わるものではありません」と述べるというあたりで、公明党も手打ちしたということなのかもしれません。
 仮にこの推測があたっているとすれば、20年前の村山談話、10年前の小泉談話と同じことを述べた
ということになるのでしょうか?
 これが民事訴訟なら、他の訴訟当事者の主張を「援用する」と一言弁論すれば、その主張を丸ごと主張したことになりますが、総理大臣の「談話」はそういうものではないでしょう。
 過去の総理大臣談話を「援用」する「談話」など、よほど「お詫び」する相手をなめ切っているとしか思えず、それ位なら、「反省」も「お詫び」もしない、本音を押し出した「談話」を発表する方が、よほど人間として「誠実」です(そんなものが受け入れられるかどうかということは別問題として)。

 まだ、「安倍談話」の発表までの間に思わぬ事態が生じないとも限りませんので、あれこれ推測を書き
連ねるのはここまでにしておきます。いずれ、「安倍談話」が発表されれば、いやでも色々なことを書かねばならないでしょう。
 ここでは最後に、「援用」ではなく、自らの言葉として発表された村山談話と小泉談話を引用しておきます。

村山内閣総理大臣談話 平成7年8月15日
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)

(引用開始)
 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲と
なられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います
 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたら
した内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じており
ます。
 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。
(引用終わり)
 
小泉純一郎内閣総理大臣談話 平成十七年八月十五日
(引用開始)
 私は、終戦六十年を迎えるに当たり、改めて今私たちが享受している平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた多くの方々の尊い犠牲の上にあることに思いを致し、二度と我が国が戦争への道を
歩んではならないとの決意を新たにするものであります。
 先の大戦では、三百万余の同胞が、祖国を思い、家族を案じつつ戦場に散り、戦禍に倒れ、あるいは、
戦後遠い異郷の地に亡くなられています。
 また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して
多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。
 戦後我が国は、国民の不断の努力と多くの国々の支援により廃墟から立ち上がり、サンフランシスコ平和条約を受け入れて国際社会への復帰の第一歩を踏み出しました。いかなる問題も武力によらず平和的に解決するとの立場を貫き、ODAや国連平和維持活動などを通じて世界の平和と繁栄のため物的・人的両面から積極的に貢献してまいりました。
 我が国の戦後の歴史は、まさに戦争への反省を行動で示した平和の六十年であります。
 我が国にあっては、戦後生まれの世代が人口の七割を超えています。日本国民はひとしく、自らの体験や平和を志向する教育を通じて、国際平和を心から希求しています。今世界各地で青年海外協力隊などの多くの日本人が平和と人道支援のために活躍し、現地の人々から信頼と高い評価を受けています。また、アジア諸国との間でもかつてないほど経済、文化等幅広い分野での交流が深まっています。とりわけ一衣帯水の間にある中国や韓国をはじめとするアジア諸国とは、ともに手を携えてこの地域の平和を維持し、発展を目指すことが必要だと考えます。過去を直視して、歴史を正しく認識し、アジア諸国との相互理解
と信頼に基づいた未来志向の協力関係を構築していきたいと考えています。
 国際社会は今、途上国の開発や貧困の克服、地球環境の保全、大量破壊兵器不拡散、テロの防止・根絶などかつては想像もできなかったような複雑かつ困難な課題に直面しています。我が国は、世界平和に貢献するために、不戦の誓いを堅持し、唯一の被爆国としての体験や戦後六十年の歩みを踏まえ、国際社会
の責任ある一員としての役割を積極的に果たしていく考えです。
 戦後六十年という節目のこの年に、平和を愛する我が国は、志を同じくするすべての国々とともに人類
全体の平和と繁栄を実現するため全力を尽くすことを改めて表明いたします。
(引用終わり)
 
【<シンポジウム>「国民の70年談話」─日本国憲法の視座から~過去と向き合い未来を語る・安全保障関連法案の廃案をめざして~の確定プログラムのお知らせです。】
 澤藤統一郎弁護士から、標記シンポジウムの確定プログラムのお知らせと拡散要請が届きました。
 詳細は、澤藤弁護士の「憲法日記」での紹介記事「戦後70年「安倍談話」は8月14日に。「国民の談話」は8月13日に。」をご参照ください。
 以下に、その一部を転記します。

(引用開始)
開場が10時30分。プログラムは11時~13時40分となります。
プログラムの全体を、3部構成にしました。

◆第1部 「過去と向き合う」 有識者の講演
 あの戦争と戦後70年を、各分野で振り返っての
◇日本フィルハーモニー 戦没者鎮魂の弦楽四重奏演奏
◆第2部 「未来を語る」 会場発言リレートーク
 若者、女性、憲法課題に取り組んでいる立場から(高校生や大学生、母親、若手弁護士、裁判で闘っている方などに発言を依頼しています)
◆第3部 「国民の70年談話」の発表と採択
下記のURLが、シンポジウムの確定内容のチラシになっています。ぜひとも拡散をお願いいたします。
 
http://article9.jp/documents/symposium70th.pdf

集会のコンセプトは次のとおりです。
いま、政権と国民が、憲法をめぐって鋭く対峙しています。
その政権の側が「戦後70年談話」を公表の予定ですが、これに対峙する国民の側からの「70年談話」を採択して発表しようというものです。
そのことを通じて、彼我の歴史認識や平和な未来への展望の差異を明確にし、きちんとした批判をし、国民の立場からの平和な未来の展望を語ろうという企画です。

日時■2015年8月13日(木)11時~13時40分(開場10時30分)
会場■弁護士会館 2階講堂「クレオ」ABC
  
http://www.nichibenren.or.jp/jfba_info/organization/map.html
■参加費無料 (カンパは歓迎)
<シンポジウム>「国民の70年談話」─日本国憲法の視座から~過去と向き合い未来を語る・安全保障関連法案の廃案をめざして~
◇第1部 過去と向き合う
■戦後70年日本が戦争をせず、平和であり続けることが出来たことの意義
  高橋哲哉(東京大学教授)
■戦後改革における民主主義の理念と現状
  堀尾輝久(元日本教育学会・教育法学会会長)
■人間らしい暮らしと働き方のできる持続可能な社会の実現に向けて
  暉峻淑子(埼玉大学名誉教授)
■日本国憲法を内実化するための闘い─砂川・長沼訴訟の経験から
  新井 章(弁護士)
■安全保障関連法案は憲法違反である
  杉原泰雄(一橋大学名誉教授)
◇レクイエム 弦楽四重奏(日本フィルハーモニー)
◇第2部 未来を語る会場発言リレートーク
  お一人5分間でお願いします。時間の許す限り。
◇第3部 「国民の70年談話」の発表と採択
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 戦後70周年を迎える今年の夏、憲法の理念を乱暴に蹂躙しようとする政権と、あくまで憲法を擁護し、その理念実現を求める国民との対立が緊迫し深刻化しています。
 この事態において、政権の側の「戦後70年談話」が発表されようとしていますが、私たちは、安倍政権の談話に対峙する「国民の70年談話」が必要だと考えます。
 そのような場としてふさわしいシンポジウムを企画しました。憲法が前提とした歴史認識を正確に踏ま
えるとともに、戦後日本再出発時の憲法に込められた理念を再確認して、平和・民主主義・人権・教育・生活・憲法運動等々の諸分野での「戦後」をトータルに検証のうえ、「国民の70年談話」を採択しようというものです。
 ときあたかも、平和憲法をめぐるせめぎ合いの象徴的事件として安全保障関連法案阻止運動が昂揚しています。併せて、この法案の問題点を歴史的に確認する集会ともしたいと思います。
 ぜひ、多くの皆さまのご参加をお願いいたします。
 
=========================
主  催■「国民の70年談話」実行委員会
        代表・新井 章   事務局長・加藤文也
連絡先■東京中央法律事務所(電話 03-3353-1911)
(引用終わり)
 
(わかやま10,000人アクション参加大募集!)
 憲法9条を守る和歌山弁護士の会が、「『安保法案』反対!わかやま10,000人アクション」を呼びかけています。是非、一緒に声を上げましょう!(下の画像は、イメージキャラクターの「不動(ふどう)くん」です。
不動くん1不動くん2 

いよいよ高まる安倍談話への「期待」~21世紀構想懇談会「報告書」を読んで

 今晩(2015年8月6日)配信した「メルマガ金原No.2174」を転載します。

いよいよ高まる安倍談話への「期待」~21世紀構想懇談会「報告書」を読んで

 70回目の広島原爆投下の今日(8月6日)、広島市の平和記念公園で開催された広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に参列した後帰京した安倍晋三首相は、首相の私的諮問機関である「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会(21世紀構想懇談会)」から報告書を受け取りました。
 共同通信の配信記事を引用します。
 
共同通信 2015/08/06 17:06
侵略と植民地支配明記 首相70年談話へ報告書

(引用開始)
 安倍晋三首相の戦後70年談話に関する私的諮問機関「21世紀構想懇談会」の西室泰三座長(日本郵政社長)は6日、官邸で首相に報告書を手渡した。先の大戦をめぐる日本の行為を「侵略」「植民地支配」と明記する一方、戦後50年の村山富市首相談話が記述した「おわび」を盛り込む必要性には触れなかった。米国の国力の相対的低下を受け、安全保障分野における世界規模での日本の負担増を主張した。首
相は報告書を踏まえ、14日にも談話を発表する。
 報告書は全38ページ。中韓との和解は「完全に達成されたと言えない」と指摘。和解に向け中韓に「
寛容な心」を促した。
(引用終わり)
 
 時間の都合で子細な検討は未了ですが、とりあえず今日の時点で目に付いた部分を引用しておきます。
 上記記事に「先の大戦をめぐる日本の行為を「侵略」「植民地支配」と明記する一方」とあるのは以下の部分です。前後の文脈を知っていただくために、少し長めに引用します。
 
20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会
報告書(平成27年8月6日)

(引用開始)
1 20世紀の世界と日本の歩みをどう考えるか。私たちが20世紀の経験から汲むべき教訓は何か。
(1)20世紀の世界と日本の歩み
イ 大恐慌から第二次世界大戦へ
 1929年にアメリカで勃発した大恐慌は世界と日本を大きく変えた。アメリカからの資金の流入に依
存していたドイツ経済は崩壊し、ナチスや共産党が台頭した。
 アメリカが高関税政策をとったことは、日本の対米輸出に大打撃を与えた。英仏もブロック経済に進ん
でいった。日本の中の対英米協調派の影響力は低下していった。日本の中では力で膨張するしかないと考える勢力が力を増した。特に陸軍中堅層は、中国ナショナリズムの満州権益への挑戦と、ソ連の軍事強国としての復活を懸念していた。彼らが力によって満州権益を確保するべく、満州事変を起こしたとき、政党政治や国際協調主義者の中に、これを抑える力は残っていなかった。
 そのころ、既にイタリアではムッソリーニの独裁が始まっており、ソ連ではスターリンの独裁も確立されていた。ドイツではナチスが議席を伸ばした。もはやリベラル・デモクラシーの時代ではないという観念が広まった。
 国内では全体主義的な強力な政治体制を構築し、世界では、英米のような「持てる国」に対して植民地
再分配を要求するという路線が、次第に受け入れられるようになった。
 こうして日本は、満州事変以後、大陸への侵略を拡大し、第一次大戦後の民族自決、戦争違法化、民主化、経済的発展主義という流れから逸脱して、世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた。特に中国では広範な地域で多数の犠牲者を出すことになった。また、軍部は兵士を最小限度の補給も武器もなしに戦場に送り出したうえ、捕虜にとられることを許さず、死に至らしめたことも少なくなかった。広島・長崎・東京大空襲ばかりではなく、日本全国の多数の都市が焼夷弾による空襲で焼け野原と化した。特に、沖縄は、全住民の3分の1が死亡するという凄惨な戦場となった。植
民地についても、民族自決の大勢に逆行し、特に1930年代後半から、植民地支配が過酷化した。
 1930年代以後の日本の政府、軍の指導者の責任は誠に重いと言わざるを得ない。
 なお、日本の1930年代から1945年にかけての戦争の結果、多くのアジアの国々が独立した。多くの意思決定は、自存自衛の名の下に行われた(もちろん、その自存自衛の内容、方向は間違っていた。)のであって、アジア解放のために、決断をしたことはほとんどない。アジア解放のために戦った人は勿
論いたし、結果としてアジアにおける植民地の独立は進んだが、国策として日本がアジア解放のために戦ったと主張することは正確ではない。
注 複数の委員より、「侵略」と言う言葉を使用することに異議がある旨表明があった。理由は、1)国際法上「侵略」の定義が定まっていないこと、2)歴史的に考察しても、満州事変以後を「侵略」と断定する事に異論があること、3)他国が同様の行為を実施していた中、日本の行為だけを「侵略」と断定することに抵抗があるからである。
(引用終わり)

 以前、この懇談会の議事概要を1、2度読んだ時にも感じたことですが、要するに、この私的諮問機関は、安倍首相に対する「ご進講」をよってたかってやっているのだと考えれば、すんなりと腑に落ちます。
 実際、「報告書」の「はじめに」にはこう書かれています。

(引用開始)
 本懇談会は、平成27年2月25日に開催された第1回会合にて、安倍総理より、懇談会で議論する論
点として、以下の5点の提示を受けた。
1 20世紀の世界と日本の歩みをどう考えるか。私たちが20世紀の経験から汲むべき教訓は何か。
2 日本は、戦後70年間、20世紀の教訓をふまえて、どのような道を歩んできたのか。特に、戦後日
本の平和主義、経済発展、国際貢献をどのように評価するか。
3 日本は、戦後70年、米国、豪州、欧州の国々と、また、特に中国、韓国をはじめとするアジアの国々等と、どのような和解の道を歩んできたか。
4 20世紀の教訓をふまえて、21世紀のアジアと世界のビジョンをどう描くか。日本はどのような貢献をするべきか。
5 戦後70周年に当たって我が国が取るべき具体的施策はどのようなものか。
 懇談会では、総理から提示があった各論点につき、7回にわたり会合を実施してきた。今般、これら会
合における議論を、総理から提示があった論点に沿って本報告書としてとりまとめた。本報告書が戦後70年を機に出される談話の参考となることを期待するものである。
(引用終わり)

 何しろ「ご進講」ですから、受講生のお気に召さない内容であれば「無視」すれば良いだけのことです。この懇談会の報告書を取りまとめるためにどれだけの国費が使われたのか知りませんが、上記1~5の
論点など、基礎的なことは政治家として当然わきまえていなければならない問題ですし、より掘り下げた知識が得たければ、適切な見識を有する人に個人的に教えを乞えば良いだけなのですから、このような懇談会の存在意義などどこにもありません。

 ところで、共同通信が「先の大戦をめぐる日本の行為を「侵略」「植民地支配」と明記」と書いた部分を読んでの私の感想は、「明記には違いないが、所詮はご進講だけに、当事者意識が全く感じられない」というものでした。
 この点は、諮問事項3の「中国、韓国をはじめとするアジアの国々等と、どのような和解の道を歩んで
きたか。」についての報告でよりあからさまになります。
 まず、中国との和解についてです。

(引用開始)
4 日本は戦後70年、中国、韓国をはじめとするアジアの国々とどのような和解の道を歩んできたか。
(1) 中国との和解の70年
ア 終戦から国交正常化まで (略)
イ 国交正常化から現在まで (略)
ウ 中国との和解の70年への評価
 第二次大戦後70年の日中関係を振り返ると、お互いに和解に向けた姿勢を示したが、双方の思惑が十
分には合致しなかった70年であると言える。
 大戦直後の1950年代、60年代、蒋介石が「以徳報怨」の精神を示し、毛沢東も「軍民二元論」の考えを明確化した時代は、ちょうど日本においても先の大戦への戦争責任論や反省についての議論が盛り上がりを見せていた。しかし、当時日本は中華人民共和国とは国交がなく、中華民国との間でも人的交流は限られていたため、双方の人々が交わる形で和解が進展したというわけではなかった。逆に言えば、中国で言論の一定の自由化がなされ、台湾で民主化が達成されたころは、日本では反省や責任論が以前よりも後退した後であり、その時期に民間の関係が広がった。1980年代に鄧小平が日本を経済の師とし、
日中関係が経済を中心に急速に親密化した時代は和解が進む絶好の機会であったが、鄧小平は同時に、歴史を強調する決断をし、和解の著しい進展は見られなかった。
 また、天安門事件発生後、日本が中国の国際的孤立を防ぐために動き、更に戦後50年の村山談話を発表したが、こうした日本側の姿勢は、冷戦後に共産党の正当性を強化する手段として中国側が愛国主義教
育を強化した江沢民の時代に重なってしまった。
 時代の趨勢等により、不幸にもうまく合致してこなかった日中の和解への取り組みであるが、双方がこ
れまで成し遂げてきた努力は無駄になったわけではない。戦後50年を機に村山政権が実行した平和友好交流計画は、二国間の人的交流を拡大した。同計画において立ち上げられたアジア歴史資料センターは、今でも歴史への理解を深めようとする両国の研究者により広く使われている。また、2006年から2010年にかけては、日中間で歴史共同研究も行われた。
 そして、中国は、「軍民二元論」を戦後維持しており、2007年に温家宝首相が国会演説で述べたように、村山談話や小泉談話など、日本による先の大戦への反省と謝罪を評価する立場を明確にしている。
 2006年に安倍首相が胡錦濤主席との間で確認した戦略的互恵関係は、両国間の人的交流の促進を謳っている。そして習近平主席はこの理念を受け継ぎ、推進すると明言している。今後中国との間では、過去への反省をふまえあらゆるレベルにおいて交流をこれまで以上に活発化させ、これまで掛け違いになっていたボタンをかけ直し、和解を進めていく作業が必要となる。
(引用終わり)

 どうでしょうか。これがテレビのコメンテーターの発言なら、「よく調べているし、まずまず極端過ぎるというほどででもなく、いいんじゃないの?」といったところでしょうか。
 ただし、それは日本・中国以外の第三国のTVコメンテーターであればという条件は付きますが。
 それが、韓国との和解の話になると、相当印象が変わってきます。

(引用開始)
(2) 韓国との和解の70年
ア 終戦から国交正常化まで (略)
イ 国交正常化から現在まで (略)
ウ 韓国との和解の70年への評価
 第二次大戦後の70年を振り返れば、韓国の対日観において理性が日本との現実的な協力関係を後押し
し、心情が日本に対する否定的な歴史認識を高めることにより二国間関係前進の妨げとなってきたことがわかる。未だ成し遂げられていない韓国との和解を実現するために我々は何をしなければいけないかとい
う問いへの答えは、韓国が持つ理性と心情両方の側面に日本が働きかけることであると言える。
 理性への働きかけにおいては、日本と韓国にとって、なぜ良好な日韓関係が必要であるかを再確認する必要がある。朴槿惠政権が中国に依存し、日本への評価を下げたことにより、同政権が日本と理性的に付き合うことに意義を見出していない現状を見てもこのことは明らかであろう。このためには、自由、民主主義、市場経済といった価値観を共有する隣国という側面だけではなく、二国間の経済関係やアジア地域における安全保障分野における日韓協力がいかに地域そして世界の繁栄と安定に重要かといった具体的事例を持って、お互いの重要性につき韓国との対話を重ねていく必要がある。朴槿惠大統領の日本に対する
強硬姿勢は最近になり変化の兆しを見せており、経済界における日韓間の対話は依然として活発であるところ、政府間の対話も増やす余地はあると言える。
 心情への働きかけについては、日本は、特に1990年代において河野談話、村山談話やアジア女性基金等を通じて努力してきたことは事実である。そしてこれら日本側の取組が行われた際に、韓国側もこれに一定の評価をしていたことも事実である。こうした経緯があるにもかかわらず、今になっても韓国内で歴史に関して否定的な対日観が強く残り、かつ政府がこうした国内の声を対日政策に反映させている。かかる経緯を振り返れば、いかに日本側が努力し、その時の韓国政府がこれを評価しても、将来の韓国政府が日本側の過去の取組を否定するという歴史が繰り返されるのではないかという指摘が出るのも当然であ
る。
 しかし、だからと言って、韓国内に依然として存在する日本への反発に何ら対処しないということにな
れば、二国間関係は前進しない。1998年の日韓パートナーシップ宣言において、植民地により韓国国民にもたらした苦痛と損害への痛切な反省の気持ちを述べた小渕首相に対し、金大中大統領は、小渕首相の歴史認識の表明を真摯に受けとめ、これを評価し、両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させるためにお互い努力することが時代の要請であると述べた。にもかかわらず、その後も、韓国政府が歴史認識問題において「ゴールポスト」を動かしてきた経緯にかんがみれば、永続する和解を成し遂げるための手段について、韓国政府も一緒になって考えてもらう必要がある。二国間で真の和解のために韓国の国民感情にいかに対応するかということを日韓両国がともに検討し、一緒になって和解の方策を考え、責任を共有することが必要である。
(引用終わり)

 この部分に至ってついに「地金が出た」のでしょうか。「永続する和解を成し遂げるための手段について、韓国政府も一緒になって考えてもらう必要がある」と言いながら、それまでに書いていることといえば、和解できないのは韓国のせいだ、ということばかりです。第一、「二国間で真の和解のために韓国の国民感情にいかに対応するか」を検討する必要があると書きながら、日本の「国民感情」が日韓和解の妨げになっている側面には一切触れておらず、評論家、コメンテーターのコメントとしても落第です。
 そもそも、日韓和解が進まない原因を、韓国の「理性(の不足)」と「心情」の2点に集約するという「傲慢さ」がどうすれば出てくるのか理解できません。この発想は、少し上品にした「在特会」と言っても過言ではありません。
 上記論述にいかに説得力がないかは、「かかる経緯を振り返れば、いかに日本側が努力し、その時の韓国政府がこれを評価しても、将来の韓国政府が日本側の過去の取組を否定するという歴史が繰り返されるのではないかという指摘が出るのも当然である。」とある部分の「日本」と「韓国」を入れ替えても、完全に文意の通じる文章になることからも明らかです。
 極めつけは、「韓国政府が歴史認識問題において「ゴールポスト」を動かしてきた経緯にかんがみれば、永続する和解を成し遂げるための手段について、韓国政府も一緒になって考えてもらう必要がある」という部分です。起案者は、「気の利いた表現を思いついた」と大いに自慢なのかもしれませんが、この「報告書」で韓国に喧嘩を売って、日本にどういう利益があると考えているのか?懇談会メンバーの知的レベルを疑わざるを得ません。

 ということで、全38ページの「報告書」のさわりを読んだだけですが、「ご進講」だとしてもレベルが低過ぎます。
 しかし、この「報告書」を読んで、8月14日にも発表されるという「安倍談話」に対する期待がいよいよふくらんできたこともまた事実です。こうなれば、「侵略」も(ついでに「植民地支配」も)、(注)に書かれていた少数説(安倍首相の真意がこちらであることは誰でも知っています)を採用し、安倍首相にとって「悔いのない」談話を発表してもらいたいものです。
 そして、その「安倍談話」を最後の花道として、安倍首相には、総理大臣の座を去って(「石もて追われるが如く」でしょうが)いただきたいと心から願います。

稲田朋美自民党政調会長による「東京裁判」批判は倒閣の有力な武器たり得るか?

 今晩(2015年2月27日)配信した「メルマガ金原No.2014」を転載します。

稲田朋美自民党政調会長による「東京裁判」批判は倒閣の有力な武器たり得るか?

 今日(2月27日)事務所に届いた朝日新聞(大阪本社・13版)朝刊では、4面の右下隅に小さな記事として載っていたものの、ネットで話題になっていることを知るまでは、全然気がついていませんでした。
 稲田朋美自民党政調会長の「東京裁判」に関する発言に気付かせてくれた産経ニュースのネット記事を引用します。
 
産経ニュース 2015.2.26 18:18更新
自民・稲田政調会長「安倍首相は歴史修正主義ではない」「東京裁判は法的に問題」

(引用開始)
 自民党の稲田朋美政調会長は26日のBS朝日の番組収録で、先の大戦後に東条英機元首相らが裁かれた東京裁判(極東国際軍事裁判)について「指導者の個人的な責任は事後法だ。(裁判は)法律的に問題がある」との認識を示した。戦後に公布された東京裁判所条例に基づく裁きは、事後法にあたるとの考え
だ。
 稲田氏は「東京裁判判決の主文は受け入れている」と述べる一方、「判決文に書かれている事実をすべて争えないとすれば(われわれは)反省できない。南京事件などは事実の検証が必要だ」とも指摘し、戦
後70年を機会に改めて歴史を検証するよう求めた。
 歴史認識をめぐる安倍晋三首相の言動が中国や韓国から「歴史修正主義」と批判されていることには「歴史修正主義というのは、あったことをなかったと自己正当化することだ。本当にあったことをあったこ
ととして認め、生かしていくのは決して歴史修正主義ではない」と述べた。
(引用終わり)
 
 稲田政調会長は、番組収録後に行われた自民党本部での記者会見でも同様の発言を繰り返したようで、そちらを報じた時事通信も引用しておきます。

時事ドットコム(2015/02/26-18:38)
東京裁判「法的に疑問」=自民・稲田氏

(抜粋引用開始)
 自民党の稲田朋美政調会長は26日の記者会見で、東京裁判について「指導者個人の責任を問う法律はポツダム宣言を受諾した時点では国際法になかった。事後法であるとの批判が出ているので法律的には疑問がある」と述べ、平和に対する罪などの事後法を適用したことは罪刑法定主義に抵触するとの見解を示した。稲田氏は「東京裁判が無効という意味ではないが(判決の)中に書かれている事実関係はきちんと
私たち自身で検証する必要がある」とも指摘した。 
(引用終わり)

 まずは、事実の裏付けが必要でしょう。
 はじめは「BS朝日の番組収録」での発言です。
 調べてみたところ、その「BS朝日の番組」とは、「インタビューの巨人・田原総一朗が切り拓く新境地!現代日本の行方を徹底的に考える」といううたい文句が付けられた「激論!クロスファイア」という番組で、稲田朋美政調会長が出演した回は、明日(2月28日)午前10:00~10:55に放送されると予告されています。
 番組予告に付されたタイトルは「稲田朋美政調会長に聞く 自民党・安倍政権が目指すもの」で、稲田氏の「激論!」のお相手はジャーナリストの青木理(あおき・おさむ)さんであった・・・のかどうか、私はこの「激論!クロスファイア」という番組は一度も見たことがないので、どういう構成で進行するのか正直全く分かりません。
 いずれにせよ、稲田氏がどういう脈絡でどんな発言をしたのか、番組を録画して検証するしかないですね。

 その後行われたという稲田朋美政調会長記者会見の模様については、自民党の公式サイトに掲載されています。ただし、自民党幹部による記者会見の内、幹事長記者会見については同党の YouTube チャンネルにアップされますが、政調会長記者会見については、動画が見当たらず、文字起こしされたものだけが掲載されており、本当にこの通り発言したのかについては、(文責:自民党)という留保付きで受け取るしかありません。
 以下に、問題の「東京裁判」関連発言を引用します。

稲田朋美政調会長記者会見 平成27年2月26日(木)
(抜粋引用開始)
 読売新聞の谷川ですが、今日のテレビ収録の中で東京裁判の案件でご発言があったと思うのですが、法律的に問題があって結果は受け容れるが事実を全部争わなかったとすれば、事実を検証する態度を失ってしまうということなんですけれども、南京事件等の検証は今後もしていくべきだとのご趣旨の発言だと
思うのですが、改めて東京裁判の見解を教えて下さい。
 日本は東京裁判を受け容れて、サンフランシスコ平和条約11条で受け容れて独立を果たしたわけであります。しかし、東京裁判自体については、裁判の冒頭で清瀬弁護人が「この法廷にはたして管轄権があるのか」という動議を出されました。それは侵略戦争については1928年の不戦条約、そしてその指導者個人の責任を問うという法律は当時はポツダム宣言を発した、そして受諾した時点では国際法の中に無かったという意味において事後法であるという批判は国際法の学会等からも出ているところでありますので、法律的にはそういった疑問がある。そして、裁判の中でも最終的にその管轄の動議に対しては裁判所は答えず、この裁判所は東京裁判所条例でできたものであるからということで却下をされたという経緯があります。あと、サンフランシスコ平和条約を発効した後に国会の委員会の場に当時の弁護人の方々が出てこられて、そして、そういったことについて発言もされておられますし、主文はもちろん受け容れてその東京裁判が無効というそういう意味ではありませんけれども、中に書かれている事実関係については、私は当時の裁判の状況等からみてですね、きちんと私たち自身で検証する必要があると思っております

(引用終わり)

 稲田政調会長が言及した「サンフランシスコ平和条約」と「東京裁判所条例」については、末尾にリンクをはっておきます。

 さて、この発言、特に「(東京裁判の主文以外の判決)中に書かれている事実関係については、私は当時の裁判の状況等からみてですね、きちんと私たち自身で検証する必要があると思っております。」は、「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」所属の野党議員や与党陣笠議員(これはもはや死語かも)なら聞き流してもらえるかもしれませんが、巨大与党の政策責任者の公式記者会見での発言ですから、それ相当の「覚悟」があっての発言でしょう。もしも、この発言に対する反響を何も考えていなかったとすれば、底抜けの愚か者と言うしかありませんが、いくら何でもそれはないでしょう。
 安倍晋三首相が4月下旬からの大型連休中に米国を訪問し、日本の首相としては初の「上下両院合同会議」での演説を目指していると報じられている最中、何を「検証する必要がある」というのでしょうかね。
 いっそ、稲田氏としては、この記者会見での自分の発言と同趣旨の内容を、(もしも実現するとすればの話ですが)安倍首相の米国「上下両院合同会議」での演説原稿の中に盛り込むよう進言してみたらどうですかね?あるいは、同じ思想の持ち主である安倍首相なら、(いくら外務省や内閣官房が反対しても)原稿に盛り込んで、嬉嬉として米国議会で演説するかもしれない。
 そうか、今考えられる「安倍内閣打倒」のための作戦の中では、これが一番の早道だな。

 冗談(でもないのですが)はさておき、まともな批判を最後に一つだけご紹介しておきます。

しんぶん赤旗 2015年2月26日
侵略戦争の事実を否定 稲田氏暴言

(抜粋引用開始)
 戦後の国際政治へ日本が復帰をはたす一つの土台となったサンフランシスコ平和条約は11条で、日本の侵略戦争とその開戦責任をはじめとする戦争犯罪を断罪した東京裁判の判決を受諾しています。この東
京裁判について稲田氏は「判決主文は受け入れたが理由中の判断に拘束されない」と述べました。
 これは日本の戦争指導者への「死刑」を宣告するなどした判決の「主要部分」は受け入れるが、その前提となる事実認定は受け入れないというもので、日本の戦争が侵略戦争だったという事実を否定すること
に等しい認識を示したものです。
 東京裁判判決を受け入れ、侵略戦争否定の歴史認識を示すことで日本は国際連合中心の戦後の国際秩序に加わり、憲法前文で確認した平和と民主主義を戦後日本政治の原点としました。これを否定する稲田氏の発言は、安倍政権がよりどころとする「同盟国」=アメリカとの軋轢(あつれき)も激しくすることになります。そもそも裁判で宣告された刑は受け入れるが、犯罪の事実の認定は認めないなどというのも、
まったく成り立たない稚拙な議論です。(中祖寅一)
(引用終わり)

(参考)
サンフランシスコ平和条約(日本国との平和条約) 1951年9月8日
   第一条
(a)日本国と各連合国との間の戦争状態は、第二十三条の定めるところによりこの条約が日本国と当該
連合国との間に効力を生ずる日に終了する。
(b)連合国は、日本国及びその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する。
   第二条
(a)日本国は、朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利
権原及び請求権を放棄する。
(b)日本国は、台湾及び澎湖諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(c)日本国は、千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得
した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
(d)日本国は、国際連盟の委任統治制度に関連するすべての権利、権原及び請求権を放棄し、且つ、以前に日本国の委任統治の下にあつた太平洋の諸島に信託統治制度を及ぼす千九百四十七年四月二日の国際
連合安全保障理事会の行動を受諾する。
(e)日本国は、日本国民の活動に由来するか又は他に由来するかを問わず、南極地域のいずれの部分に
対する権利若しくは権原又はいずれの部分に関する利益についても、すべての請求権を放棄する。
(f)日本国は、新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。
   第三条
 日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法
及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。
   第十一条
 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且
つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている物を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。

極東国際軍事裁判所条例 1946年1月19日

第一条 裁判所ノ設置
極東ニ於ケル重大戦争犯罪人ノ公正且ツ迅速ナル審理及ビ処罰ノ為メ茲ニ極東国際軍事裁判所ヲ設置ス。
裁判所ノ常設地ハ東京トス。
第二条 裁判官
本裁判所ハ降伏文書ノ署名国並ニ「インド」、「フイリツピン」国ニヨリ申出デラレタル人名中ヨリ連合
国最高司令官ノ任命スル六名以上十一名以内ノ裁判官ヲ以テ構成ス。
第六条 被告人ノ責任
何時タルトヲ問ハズ被告人ガ保有セル公務上ノ地位、若ハ被告人ガ自己ノ政府又ハ上司ノ命令ニ従ヒ行助セル事実ハ、何レモ夫レ自体右被告人ヲシテ其ノ起訴セラレタル犯罪ニ対スル責任ヲ免レシムルニ足ラザルモノトス。但シ斯カル事情ハ本裁判所ニ於テ正義ノ要求上必要アリト認ムル場合ニ於テハ、刑ノ軽減ノ
為メ考慮スルコトヲ得。
第七条 手続規定
本裁判所ハ本条例ノ基本規定ニ準拠シ手続規定ヲ制定シ又ハ之ヲ修正スルコトヲ得。
第八条 検察官
(イ)主席検察官 連合国最高司令官ノ任命ニ係ル主席検察官ハ、本裁判所ノ管轄ニ属スル戦争犯罪人ニ対スル被疑事実ノ調査及ビ訴追ヲ為スノ職責ヲ有スルモノトシ、且ツ右ノ最高司令官ニ対シテ適当ナル法
律上ノ助力ヲ為スモノトス。
(ロ)参与検察官 日本ト戦争状態ニ在リシ各連合国ハ、主席検察官ヲ補佐スル為メ、参与検察官一名ヲ
任命スルコトヲ得。
第十六条 刑罰
本裁判所ハ有罪ノ認定ヲ為シタル場合ニ於テハ、被告人ニ対シ死刑又ハ其ノ他本裁判所ガ正当ト認ムル刑
罰ヲ課スル権限ヲ有ス。
第十七条 判定及ビ審査
判決ハ公開ノ法廷ニ於テ宣告セラルベク、且ツ之ニ判決理由ヲ附スベシ。裁判ノ記録ハ連合国最高司令官ノ処置ヲ仰グ為メ直ニ同司令官ニ送付セラルベシ。刑ハ連合国最高司令官ノ命令ニ従ヒ執行セラルベシ。
連合国最高司令官ハ何時ニテモ刑ニ付之ヲ軽減シ又ハ其ノ他ノ変更ヲ加フルコトヲ得。但シ刑ヲ加重スルコトヲ得ズ。
マツクアーサー元師ノ命令ニ依リ
(米陸軍)参謀団員・陸軍少将
参謀長 リチヤード・J・マーシヤル
正書

会見詳録で読み直す保阪正康さん「昭和史から何を学ぶか」

 今晩(2015年2月25日)配信した「メルマガ金原No.2012」を転載します。

会見詳録で読み直す保阪正康さん「昭和史から何を学ぶか」

 誰に頼まれた訳でもないのに「毎日配信(メルマガ)」「毎日更新(メルマガを転載するブログ)」を
続けていると、「手を抜く」という訳ではないものの、「昨日の疲れが残っているので」「短く済ませた
い」日というのがあるものです。
 今日がまさにそれで、昨日
「山城博治氏らは何を根拠に米軍に『身体拘束』され沖縄県警に『逮捕』されたのか?」を書いた疲れがとれません。

 とはいえ、ご紹介するコンテンツ自体は、きっとお役に立つものと思います。
 昨年10月7日、保阪正康さんが日本記者クラブで行った講演の模様は、その翌日すぐにメルマガ(ブ
ログ)でご紹介しました。

2014年10月8日
保阪正康氏が語る“戦後70年”と次世代に伝えるべきこと

 その内容を文字化した「会見詳録」が日本記者クラブのホームページにアップされていましたので、そ
の動画と併せてご紹介したいと思います。
 動画を視聴することも意義深いものですが、文字化されたものを「読む」ことによってより明確な理解に達する
ということもあるだろうと思います(時間の短縮になるという副次的な効果もあります)。
 
動画 作家・保阪正康氏 「戦後70年 語る・問う」②  2014.10.7

 是非、詳録の全文をお読みいただきたいと思いますが、以下に、「私たちは太平洋戦争から何を学んで
いるかということを次の世代に伝えていく役割があると思います。」として、3つの「教訓」を語られた冒頭部分をまず引用します。
 
(引用開始)
 私個人のことで言えば、太平洋戦争が教えていることは3点に絞られると思います。それは、政治、思
想に全く関係がなく、誰が見てもこの3つだけは共通の理解としてつないでいかなければいけないと思い
ます。
 1つ目です。政治と軍事の関係です。軍事が政治を従属化してコントロールしました。政治が軍事をコ
ントロールするのは、20世紀のシビリアンコントロール。どの国もそうでした。民主主義体制のアメリカ、イギリスは言うまでもなく、ヒトラーやスターリンでさえも、文官ですから、軍事をコントロールしま
した。つまり、政治が軍事をコントロールしました。
 反して、私たちの国は軍事が政治をコントロールしました。軍事が政治をコントロールするという、こ
れは統帥権という言葉で語られます。この異様さ。つまり、日本の太平洋戦争は、軍事が政治をコントロールして抑圧した中で行われた。とすれば、当然ながら日本の軍人はどういう教育を受けて、どういう物の考え方をして、どういうような歴史観を持っていたのか、というのが検証されなければいけません。そこに至って、やっと政治とか思想の問題が入るのかなと思います。私たちの国の太平洋戦争の決定的な誤
りの一つは、軍事が政治を支配下に置いたということです。
 2つ目です。特攻作戦、玉砕という、どの国も選択しないような作戦行動を戦略・戦術として採用した
ということ。これは、十死零生のこういった作戦を平気で行った軍事指導者たち、その責は重いと思いま
す。その責を私たちは深く批判し、そして検証して、次の世代へ伝えていかなければいけない。
 しかし、これは政治とか思想の問題ではないかわりに、文化とか伝統の問題です。私たちの国はそれほ
ど命を粗末にし、江戸時代から含めて日本の共同体の中に、こんなむちゃくちゃな特攻作戦や玉砕を許容する、そういう戦術を許容する文化的風土はなかったはずです。それが、こういう作戦を平気で採用したとするならば、近代そのものの受け入れの中に、日本の指導者たちの体質があったということ、これをや
はり徹底的に批判しないと。政治や軍事の側で批判するのではなくて、文化や伝統の側で批判する。
 いまに至るも、特攻作戦や、あるいは玉砕を、ある意味で言えば美化する向きもあるけれども、特攻に
行った人たち個々に私はそれぞれの思いはあります。しかし、戦略・戦術として、こういう採用をした太平洋戦争は、私たちの国の文化や伝統に反するという一点で批判しなければいけないと思います。それが2
つ目です。
 3つ目は、20世紀の戦争はルールがありました。どのような形であれ、ルールのもとで行われました。
特に第一次世界大戦が科学技術の発展等によりあまりにも悲惨な状態に陥ったために、ルールをつくった。例えば捕虜の扱いをめぐったルールがあった。捕虜の扱いは1907年、早くからあったにしても、いろいろな形でルールがあった。パリ不戦条約を含めてあったにもかかわらず、私たちの国は残念ながらそういう国際的ルールを無視した。ルール無視の戦争をやった。そのことは私たちの国の、やはり20 世紀最大の恥ずかしさだと思います。戦争がいい悪い以前の問題として、ルールなき戦争をやったことで、この国の
体質とか歴史が問われるということ。それは問われても仕方がないと言えるのです。
 この3つ、軍事が政治を支配したこと。特攻作戦や玉砕という日本の文化や伝統に反する戦略・戦術を
用いたということ。国際的ルールに反したということ。守らなかったということ。この3つは、私は太平洋戦争の反省点だと思います。教訓だと思います。この教訓をもって次の世代に伝えていくということが
大事かなと思います。
 戦後70年というのは、誰がどのような意見を持とうが自由ではありますけれども、それぞれがこの70
年の空間の中で何を学んだのかを次の世代へ伝える、伝えるべき学んだことを継承していく、そのための踏み台だったとも考えていいのではないかと思います。この3つのことを言いたいということが私の話の
前書きなのです。
(引用終わり)

 あと2箇所ばかり引用したいと思います。
 1つは、前回私のメルマガ(ブログ)で取り上げた際にもご紹介しましたが、戦後70年を振り返る意
義と現政権の謙虚さの欠如について語られた部分です。

(引用開始)
 私たちは、なぜ戦後70年と言うか。それは実に簡単で、70年という空間は、私たちにとって、たかが3
年8カ月。たかがという言い方は誤解を生むと困ります。3年8 カ月の時間帯。中国との戦争を入れると7年。満州事変から数えると14年。この昭和の14年。特に中心になるのは7年。これが70年たって、いまもやはり戦後として総括し切れていないということですね。このことが、やはり、なぜ70年と言うのだろうということを、基本的なところで考えなければいけないと思
います。
 「戦後70年」を語り継いでゆく70年というのは、くどいですけれども、日露戦争のとき、70年たって1975年のとき、日露戦争の70年だよというとき、誰が生きていて、どの人がどうだなんて考えてもいない。しかし、いま70年というと、あの戦争に行ったときのあの人たち、20歳で行った人が90歳なんだよなとか。この70年というのは何だったのかということですね。この70年をなぜ「戦後70年」と言い続けるのだろうということを考えないことは、歴史に対して不謹慎過ぎると思います。私たちの国は戦後70年と言わなければいけないほど、考えざるを得ないほど、あの戦争の中に多くの禍根、未成熟な、近代人足り得ていなかったシステムなど、いろいろなものを抱えていたということですね。だから70年ですね。簡単にほいと捨てていい70年ではないということなのだと思います。
 これは、くどいけれども、こうやって70年語り継いでいる私たちの国は、ある意味で誠実なのだと思い
ますね。誠実だから、やはり合わせ鏡のように、真ん中に鏡を立てて、こっち側の7年あるいは、3年8カ月が、70年もの時間帯で相似形をなしている。時間ははるかにこっちは大きい。しかし質的にはそれに匹敵するような、私たちに突きつけている問題があるのだ。というふうに考えなければ、この70年は全く
の徒労でしかない。むだな時間になる。
 あまり現政権を批判したくはないけれども、現政権の最大の問題点は、この70年に対する謙虚さがない
ということだと思いますね。謙虚さがないということは、この70年の前の3年8カ月をきちんと検証する
という気があるのかということを問いたいと思います。
 伊東正義とか、後藤田正晴とか、宇都宮徳馬とか、自民党の保守政権のかつての人たち、はどれほど謙
虚に、あの戦争を分析し、保守政治の中に取り入れていったか。ということに対して、私たちは徹底的に学ばなければいけないと思いますね。そういう学びが70年のはずなのです。それが全くない。「何なんだ、これは」というふうに言いたくなるのですが。言いたくなるのも、むべなるかなというふうに思ってほ
しいと思います。
(引用終わり)

 最後の引用は、現憲法について触れられた部分からです。

(引用開始)
 いまの憲法を「平和憲法」と言ったり、「平和団体」と言うことに対して、かなり批判的です。平和憲
法とか平和団体というような言い方は、傲岸不遜きわまりない。平和憲法は、努力目標です。いまの憲法は「非軍事憲法」です。軍事憲法から非軍事憲法に移行したのですね。だから非軍事を徹底的に貫くというのが趣旨です。とはいえ、現実の中で非軍事は貫けない。それが、ある種の有事のときにどうするのだというようなことがあって、非軍事憲法を手直ししていかなければいけない、というのが、戦後70年の歴
史の中にあります。
 それはしかし、平和憲法と最初に言ってしまったために、これを守る以外になくなってしまった。平和
憲法を守る以外になくなってしまったために、恐るべきほどそういった発想、考え方が疲弊化する。
 安倍さんの戦後レジームの清算は、それほど強い言葉で言う必要はないと思いますが、ある意味でそこ
のところをうまく突いてきていると思いますね。
 平和憲法と言った人たちの保守化。動きがとれなくなったしまった。非軍事憲法から平和憲法へ行くた
めには時間と空間が必要です。そういう努力をしたのか。そういう努力をしないで、平和憲法と言っていれば、何か役割が済んだような。そうではないだろうと考えを持ちますね。だからあえて言えば、平和憲法ではない。非軍事憲法だという意味で、この非軍事憲法を平和憲法という努力目標に近づける努力を私たちはしていかなければいけない。けれども、その努力を初めから放棄している戦後、それは何なのか、
ということを言いたいですね。
(引用終わり)

 いわゆる「従軍慰安婦」問題についての言及も含め、何から何まで同意できるということにらなくて当
然ですが、歴史に対する向き合い方をこそ、私たちは保阪さんのお話から学ぶべきなのだろうと思います

 なお、一々はご紹介できませんが、日本記者クラブの会見詳録には、非常に興味深いものがたくさん集
積されています。
 一度、どんなものがあるのかと、調べてみられることをお勧めします。

(弁護士・金原徹雄のブログから)
2014年12月9日
※2014年10月16日に「立憲フォーラム」と「戦争をさせない1000人委員会」が主催する院内集会の講師として招かれた保阪正康さんの講演映像をご紹介したものです。
 
「しかし私たちの国は、世界で唯一、歴史修正主義が権力を持ってるんですね。権力と一体になってるんです。NHKの3人の安倍さんによって送り込まれた経営委員を見てください(金原注:会長と2人の経営委員という趣旨かもしれません)。彼らはまさにその典型ですね。私たちは、安倍さんの歴史観というのは、歴史観じゃなくて、それは歴史をですね、政治のツールに使ってるってこと。道具に使ってるってこと。そのことはきちんと見極める必要がある。そして、世界に恥ずかしい状況である。歴史修正主義が公然と権力と一体化しているっていうこと。だから安倍さんは、『侵略には定義がありません』って言いますね。そんなこと、東京裁判見てください。第一次世界大戦の裁判記録読んでください。パリ不戦条約見てください。そんなこと、いっぱい資料見れば分かるし、現に、安倍さんが『侵略に定義がない』って言った時に怒ったのは、アメリカの上院の共和党の保守派ですね。『じゃあ、真珠湾は何だったんだ』っていうことで。つまり、そういったゆがんだ歴史観というのはですね、それぞれの国に全く信用されていないということ。で、このことをですね、私たちはやっぱりきちんと知るべきだと思うんですね」(24分~) 

熊野・新宮の大逆事件と映画『圧殺の海―沖縄・辺野古』~「澤藤統一郎の憲法日記」を読んで

 今晩(2015年2月20日)配信した「メルマガ金原No.2007」を転載します。

熊野・新宮の大逆事件と映画『圧殺の海―沖縄・辺野古』~「澤藤統一郎の憲法日記」を読んで

 現在、日本に何人の弁護士がいるかご存知でしょうか?
 私にしても、とっくに3万人を突破し、やたらに多くなっていることは知っていましたが、既に4万人
に達しているのかなど、それ以上の詳細は調べたこともありませんでした。
 それが、ふとしたきっかけで調べてみたところ、沖縄特別会員(9名)や外国特別会員(380名)を
除き、2015年2月1日現在、36,447名なのだそうです。
 もっとも、弁護士ならざる一般の人にとって、この人数が多いのやら少ないのやら、見当もつかないとは思いますが。

 さて、その36,447名の弁護士の中には、事務所のホームページを立ち上げて積極的に顧客誘引を
している人が多いようですし(私もやってみたいとは思いながら、時間と能力が不足しており、それを補うための経済力はもっと不足している)、個人的なブログを開設して情報発信を行っている弁護士も少な
くありません。私自身、後者の1人であることは言うまでもありません。

 しかしながら、誰に頼まれた訳でもないのに「毎日更新」などしている弁護士ブロガーは、おそらく相
当に珍しい存在だろうと思います。
 私の知る限り、東京弁護士会の澤藤藤一郎さん(司法修習23期)くらいのものではないでしょうか(
あと、僭越ながら私自身がかろうじて「毎日更新」を続けていますが)。
 司法修習41期の私から見れば大先輩(と言っても直接お会いしたことはなく、何度かメールのやりとりをさせていただいただけですが)の澤藤さんを「ブログ毎日更新」に駆り立てている本当の原動力が何かについて伺ったことはないのですが、必ずや「核」となる確固としたエネルギー源があるに違いないとにらんでいます。
 そうでもなければ、「毎日更新に何の意味があるのか?」とか、「弁護士の仕事をやっているのか?」
などと言われながら、睡眠時間を削りつつ、毎日パソコンに向かい合うことなど出来るはずがないと、我
が身を振り返って、そう思います。
 
 澤藤さんのブログは、前身である日民協(日本民主法律家協会)ホームページに間借りしていた時代か
ら、一貫して「澤藤統一郎の憲法日記」でした。

 「澤藤さんの憲法に対する思い入れにはとてもかなわない」というのが、澤藤さん、岩上休身さん、梓
澤和幸弁護士の鼎談集『前夜 日本国憲法と自民党改憲案を読み解く』を読んだ上での私の実感でした。
 

 さて、ここまでが前ふりだと言ったら、「マクラが長すぎる」という野次が飛んできそうですが、実は
、昨日(2月19日)の「澤藤統一郎の憲法日記」を読んで、「そうだ、私もこれを書かなければ」と思ったのです。
 

 昨日の記事は、澤藤さんの大学教養課程時代の中国語のクラスメートである小村滋さんとの交友から書
かれたもので、前半は、小村さんが関わっている(和歌山県)新宮市での大石誠之助をはじめとする大逆事件関係者顕彰運動について、そして後半では、小村さんが大阪の小さな映画館で『圧殺の海―沖縄・辺
野古』という映画を観て熱く語った文章が紹介されていました。
 
 まず前半の熊野・新宮と大逆事件というテーマは、和歌山の人間にとっては、地元で起こった大事件と
して、県民なら誰でも知っている・・・べきなのですが、実際はその真逆であり、新宮から遠く離された和歌山市では、いまだに啓蒙のための映画上映会をやらねばならなかったりします。

 それから、澤藤さんのブログで小村滋さんというお名前を拝見して、「どこかで見たことがあるが?」
と思ったのも当然、小村さんが発行人となっておられた「くまの文化通信」というミニコミ紙の第2号を
、私が受任している裁判に書証として提出させてもらったのでした。
 私も呼びかけ人の1人となって上映した映画のタイトルは『大逆事件は生きている』でしたが、確かに
地元では、大逆事件は今でも(様々な意味で)生きていることは間違いありません。
 
 そして、映画『圧殺の海―沖縄・辺野古』です。
 藤本幸久さんと影山あさ子さんが共同で制作・監督した映画『圧殺の海―沖縄・辺野古』は、沖縄で日
本政府がいかに暴虐をほしいままにして国家権力を行使しているのかということを我々に伝えてくれる実に貴重なドキュメンタリー映画として、もっと早くにご紹介すべきであったのに、他の案件に気を取られ
、ついご紹介が遅くなってしまいました。
 澤藤さんのブログを読み、驚いて調べてみたところ、大阪市十三のシアターセブンでの上映は(好評に
つき続映となったものの)2月27日(金)までであり、しかも21日(土)・22日(日)の上映はな
いというスケジュールのため、和歌山市から観に行くということは非常に困難となっています。
 しかしながら、各地で自主上映も活発に行われており、和歌山でも是非上映の実現に向けて多くの人と
相談をしなければと思います。

 この映画の基本的な情報は、「森の映画社★札幌編集室」の「最新作 「圧殺の海-沖縄・辺野古」」
のページを参照してください。
 以下には、共同監督の藤本さんと景山さんが書かれた「辺野古を撮り続けて」という文章を引用します
  
(引用開始)
私たちが辺野古を撮り続けて、10年になる。この間、「Marines Go Home」と「ラブ沖縄」という2本のド
キュメンタリーを世に送り出した。
2014年7月1日、辺野古の新基地建設が着工された。沖縄県民は、何度、NOの声をあげたことだろう。あら
ゆるデモクラシーの手段を尽くして。しかし、ついにその声を日米政府がかえりみることはなかった。
警察・機動隊、海上保安庁を前面に立てて、反対する人たちを力ずくで抑え込みながら、工事をすすめる
日本政府。巡視船やゴムボート、特殊警備艇、警戒船など、最大80隻にもなる船が、辺野古の海を埋め尽
くす。おじぃやおばぁたちは、「まるで、沖縄戦当時のよう」と言う。
海底の調査を地上の作業で代替するというインチキなボーリング調査。海に勝手な制限ラインを設定し、
報道機関の船も遠ざけ、連日、幾人ものカヌー隊員を拘束し、排除を続ける「海猿」海上保安官たち。ゲ
ート前でも、機動隊は報道機関も排除し、怪我人を出すほどに猛り狂う。
しかし、たたかいは続いている。炎天下の日中も、台風前の雨の中も、ゲート前に座り続ける人びと。両
手を広げて工事用のトラックの前に立つおじぃやおばぁたち。カヌーに乗り、体一つで海へこぎ出す人び
と。屈しない人たちがいる。
8月23日には3600人、9月20日には5500人。辺野古に集まる県民も日増しに増えている。
ブイがおかれ、立入禁止と書かれたフロート(浮具)で仕切られ、真黒なゴムボートが浮かぶ物々しいシ
ュワブ沿岸。彼らのゴムボートが走り回る真下に、ジュゴンが海草を食む藻場がある。日本人同士の衝突をよそに、シュワブの浜では水陸両用戦車が走り回り、フロートの近くで、海兵隊員たちはシュノーケリ
ングに興じている。
2014年11月16日、沖縄の人たちは、新基地建設NOを掲げる翁長雄志氏を県知事に選んだ。
日本政府は、またしても、沖縄の民意を圧殺しようとするのか。
あるいはそうさせないのか。
ここに造られようとしているのは、普天間基地の代替施設、ではない。
耐用年数200年、オスプレイ100機、揚陸強襲艦が運用可能な最新鋭の基地だ。
この海は、誰のものなのか。
安倍政権が目指す「戦争する国」づくりの最前線・辺野古。
私たちは、今日も、そのど真ん中で、カメラを回し続けている。
中央メディアが取材に来ない沖縄、地元メディアも排除される辺野古。
周到に準備された「無関心の壁」に一穴を穿ちたい。
私たちの未来の行方が、封じられ、圧殺される前に。
(引用終わり)

 和歌山では、以前、藤本幸久監督を迎えて映画『アメリカばんざい crazy as usual』の上映会を行い(
9条ネットわかやま主催/和歌山市民会館小ホール)、DVD『Marines Go Home 辺野古・梅香里・矢臼
別』も、こちらは規模は小さかったものの、和歌山弁護士会館を借りて上映しました。
 『圧殺の海―沖縄・辺野古』も何とか上映したい。
 そして、この後には、三上智恵さんが監督した新作も控えています。
 「沖縄の闘い」を我がことと思う人々をいかに増やしていくか、それも早急に、という課題に応えるべ
く、これらの映画が作られているのだと思います。
 これらの作品に上映の機会を用意することは(映画館での上映の望みが非常にうすい地方都市では特に
)私たちの責任でしょう。
 

ポレポレ東中野での初日舞台挨拶など 2015年2月14日
藤本幸久監督×佐々木弘文さん(カヌー隊・辺野古ぶるーのリーダー)、the yetis(ミニライブ)
 

「大川談話」採用の勧め~続・あなたも「安倍談話」が書ける!

 今晩(2015年1月28日)配信した「メルマガ金原No.1984」を転載します。


 来たるべき「安倍談話」がどのようなものになるのかについては、多くの人が重大な懸念を抱きながら
注目していますが、他方、「懸念」というよりは、ある意味、彼らから見れば当然の「期待」をいだきな
がら、新たな「安倍談話」の発表を待っている人々がいるはずです。
 そういう人々の言説を知りたければ、「安倍晋三/Facebook」で検索し、
首相個人のFacebookタイムラインを開き、投稿に書き込まれたコメントの数々を読んでみることをお勧めします(精神衛生に良いとは
言えませんので読み過ぎにご注意を)。

 ところが、ただ単に待っているだけではあきたらず、積極的に「このような談話を出すべし」と(1年半も前から)提言している人がいるのですね。
 「幸福実現党」創立者兼総裁の大川隆法氏がその人です。
 同党公式サイトのトップページには、目立つバナーが6個設けられていますが、その内の左上にあるバナー
「大川談話―私案―(安倍総理参考)」と題されており、クリックしてみると、そこには「大川談話―私案―」と題された新談話が掲載されるとともに、「大川隆法総裁は2013年7月26日、政府の歴史認識を示す新たな談話の参考となるよう、『大川談話-私案-』を発表しました。安倍首相には、『大川談話』をもとに新たな談話を発表し、正しい歴史観に基づく日本の姿勢を明らかにするとともに、自虐史観の払拭を図るよう強く要望します。」
との説明文が添えられていました。
 そこで、興味津々でその「大川談話-私案-」なるものを読んでみました。
 皆さんにも是非ご一読をお勧めしたいと思います。
 
(引用開始)
大川談話-私案-(安倍総理参考)
 わが国は、かつて「河野談話」(一九九三年)「村山談話」(一九九五年)を日本国政府の見解として
発表したが、これは歴史的事実として証拠のない風評を公式見解としたものである。その結果、先の大東亜戦争で亡くなられた約三百万人の英霊とその遺族に対し、由々しき罪悪感と戦後に生きたわが国、国民に対して、いわれなき自虐史観を押しつけ、この国の歴史認識を大きく誤らせたことを、政府としてここに公式に反省する。
 先の大東亜戦争は、欧米列強から、アジアの植民地を解放し、白人優位の人種差別政策を打ち砕くとと
もに、わが国の正当な自衛権の行使としてなされたものである。政府として今一歩力及ばず、原爆を使用したアメリカ合衆国に敗れはしたものの、アジアの同胞を解放するための聖戦として、日本の神々の熱き
思いの一部を実現せしものと考える。
 日本は今後、いかなる国であれ、不当な侵略主義により、他国を侵略・植民地化させないための平和と
正義の守護神となることをここに誓う。国防軍を創設して、ひとり自国の平和のみならず、世界の恒久平和のために尽くすことを希望する。なお、本談話により、先の「河野談話」「村山談話」は、遡って無効
であることを宣言する。
                             平成二十五年 八月十五日
(引用終わり)

 私はこれを一読し、標題を「安倍内閣総理大臣談話」、末尾の日付を「平成二十七年八月十五日」と変
更しただけの「安倍談話」を想像してみました。
 そうすると、過去の安倍晋三氏の言動から推察し得る「真意」に実に忠実な「談話」ではないかと感心
しました。
 もちろん、このままでは安倍首相の気に入る「談話」にならないだろうとは思います。ここには、「ひた
ぶるに、ただひたぶるに」とか「孜々(しし)として」とか「おのがじし」などという安倍首相好みの用語は全く使われておらず、実にそっけない文体であるという難点があります。ただし、そういうことならスピーチライターの谷口智彦氏に頭をひねってもらえば良いだけのことで、致命的な難点ではありません

 さらに言えば、一箇所くらい「反省」という言葉を、形ばかりでも入れておかねばならない位のことは
、いくら安倍首相でも考えるでしょう。

 私は、そのような最低限の手直しをしただけの「安倍談話」を、是非8月15日に発表して欲しいものだと思
います。
 安倍首相にそれ位のことでもしてもらわなければ、そしてそれによる世界からの反応を実感しなければ
、多くの日本人の目を覚まさせることなど不可能ではないか、などと思いわずらう今日この頃です。

 
(参考サイト)
慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)

あなたも「安倍談話」が書ける!~誰でも分かる安倍晋三氏の「歴史認識」入門

 今晩(2015年1月26日)配信した「メルマガ金原No.1982」を転載します。

あなたも「安倍談話」が書ける!~誰でも分かる安倍晋三氏の「歴史認識」入門

 いまや私のメルマガ(ブログ)でシリーズ化しつつある「安倍晋三内閣総理大臣の歴史認識を問う」の最新版を書かざるを得なくなりました。
 安倍首相は、1月5日に伊勢神宮(内宮)内の神宮司庁で行った年頭記者会見において、戦後70年を機に新たな内閣総理大臣談話(安倍談話)を出すことを明言していましたので、どんな談話になるのか、これまでの安倍首相の言動を振り返りつつ推測する記事を書かねば、とは思っていました。
 
【安倍晋三氏発言録その1】
2015年1月5日、伊勢神宮・神宮司庁での年頭記者会見において、毎日新聞記者の質問に答えて

(引用開始)
 従来から申し上げておりますように、安倍内閣としては、村山談話を含め、歴史認識に関する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいます。そしてまた、引き継いでまいります。
 戦後70年の間に、日本は自由で、そして民主的で、人権を守り、法の支配を尊重する国を創り、平和国家としての歩みを進め、そしてアジア太平洋地域や世界の平和・発展・民主化などに大きな貢献をしてまいりました。
 戦後70年の節目を迎えるに当たりまして、安倍政権として、先の大戦への反省、そして戦後の平和国家としての歩み、そして今後、日本としてアジア太平洋地域や世界のために、さらにどのような貢献を果たしていくのか。世界に発信できるようなものを、英知を結集して考え、新たな談話に書き込んでいく考えであります。
(引用終わり)

 この記者会見での短い発言を読むだけでも、その新たな「安倍談話」が、心ある人にとっては到底容認できないような内容になるだろうことは容易に推測されたことでしょう。
 実際、この記者会見での言い回しは、基本的に元旦に公表された年頭所感と同じものであり、首相年頭所感に対して私が加えた批判はそのまま当てはまります。

【安倍晋三氏発言録その2】
2015年1月1日に公表した「平成27年 年頭所感」から

(引用開始)
 今年は、戦後70年の節目であります。
 日本は、先の大戦の深い反省のもとに、戦後、自由で民主的な国家として、ひたすら平和国家としての道を歩み、世界の平和と繁栄に貢献してまいりました。その来し方を振り返りながら、次なる80年、90年、さらには100年に向けて、日本が、どういう国を目指し、世界にどのような貢献をしていくのか。
 私たちが目指す国の姿を、この機会に、世界に向けて発信し、新たな国づくりへの力強いスタートを切る。そんな一年にしたいと考えています。
(引用終わり)

 この年頭所感に対する私の意見は以下のようなものです。
「内閣総理大臣の年頭所感で、その点(金原注:戦争の歴史をどう学び今後の日本のあり方をどう考えたかということ)についてどう触れられているかというと、「日本は、先の大戦の深い反省のもとに」・・・これだけです。誰が、どういう風に反省し、その結果、教訓として何を学び得たか、という最も肝心な内容に一切触れず、ただ単に「反省」という言葉を使えば反省したことになるとでも言わんばかりの「言葉の重みの無さ」こそ、彼及び彼らの通有性だと私が考えるものです。」
 この批判は、そっくり1月5日記者会見での発言にも妥当するはずです。

 ところが、その年頭記者会見からわずか20日後の昨日(1月25日)、NHK総合TVの番組「日曜討論」に出演した安倍晋三氏は、新たな「安倍談話」についての質問に対し、次のように述べたそうです。

【安倍晋三氏発言録その3】
2015年1月25日、NHK総合TVの番組「日曜討論」において中川緑アナウンサー、島田敏男解説委員からの質問に答えて
(引用開始)
中川緑アナウンサー 戦後50年のときに発表された村山談話、戦後60年のときの小泉談話とともにですね、(テロップで画面に)赤く示した文字のところですが、「植民地支配と侵略」、「痛切な反省」、「心からのお詫び」。こういった同じ文言が盛り込まれております。新たな総理大臣談話でも、こうした文言を引き継いでいくお考えでしょうか?
安倍晋三氏 あのー、50年によって村山談話。そして、えー、60年の小泉談話ですね。えー、安倍政権として、ま、歴代の、こうした談話を全体として受け継いでいく考えについては既に何回も申し上げているとおりであります。
 えー、そして今回、70年を迎えるに当ってですね、今示して頂いた色んな、えー、今まで重ねてきた文言を使うかどうかということではなくて、安倍政権は安倍政権として、えー、この70年を迎えて、どう考えているんだ、という観点からですね、えー、談話を出したい。
 えー、それは先の大戦に対する痛切な反省、と同時に戦後70年、我々は自由と民主主義を守り、えー、人権を尊重し、法を尊ぶ国をつくってきました。
 そしてアジアを始め世界の発展にも大きな貢献をしてきた、この日本の70年の歩み、更には日本はこれから世界に対してどのような貢献をしていくのか、どのような地域をつくっていこうとしているのか、どのような世界をつくっていこうとしているのか、日本の未来に対する意思をですね、しっかりと書き込んでいきたいと思っています。
 ですから、今までのスタイルをそのまま、えー、下敷きとしておきながら書いていくという考えはですね、今まで使った言葉を使わなかった、あるいは新しい言葉が入った、という、ま、そういう、ま、細々とした、あー、議論になっていくわけでありますが、えー、そうした議論とならないように、むしろ、えー、今までのもちろん、閣議決定は全体として私たちは継承していくということははっきりと申し上げております。
 その上において、70年の談話は70年の談話として新たに出したいと、そのように思っています。

島田敏男解説委員 必ずしも先程のようなキーワードを同じように使うことはないと?
安倍晋三氏 それはそういうことではございません。
(引用終わり)
※金原注 私が昨日この番組を見始めたのは、岡田克也民主党代表へのインタビューの終わり頃であり、その次の維新の党の江田憲司代表への島田解説委員の質問によって、安倍氏が「とんでも発言」をしたらしいということがようやく分かった次第です。ということで、番組録画はしておらず、動画サイトでも見当たらないため、あるサイトに掲載されていた文字起こしを(文字使いを一部修正の上)引用させてもらいました。実際の発言と照らし合わせて訂正を要する箇所があれば、後日修正するかもしれません。

 この発言について、NHK自身はこのように伝えています。

NHK NEWS WEB 2015年1月25日12時16分
首相談話は政権の考えの観点で

(引用開始)
 安倍総理大臣はNHKの「日曜討論」で、戦後70年となることし発表するとしている「総理大臣談話」について、歴代政権の談話を全体として引き継ぐ考えを示す一方、「今まで重ねてきた文言を使うかどうかではなく、安倍政権としてどう考えているのかという観点から出したい」と述べました。
 この中で、安倍総理大臣は、戦後70年となることし発表するとしている「総理大臣談話」について、「安倍政権として歴代の談話を全体として受け継いでいく」と述べました。
一方で、安倍総理大臣は「70年を迎えるにあたって、今まで重ねてきた文言を使うかどうかではなく、安倍政権としてどう考えているのかという観点から談話を出したい。『今まで使ったことばを使わなかった』、あるいは『新しいことばが入った』というこまごまとした議論にならないよう、70年の談話は70年の談話として新たに出したい」と述べました。
(引用終わり)

 NHK「日曜討論」では画面上に分かりやすく表示されていたようですが、20年前の村山談話と10年前の、小泉談話の両者において、完全に同じ言葉が使われている部分が、島田解説委員の言う「キーワード」です。
 そのキーワードを含む部分のみ、両談話を抜粋して引用します。

村山富市内閣総理大臣談話 1995年(平成7年)8月15日
戦後50周年の終戦記念日にあたって(いわゆる村山談話)

(引用開始)
 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
(引用終わり)

小泉純一郎内閣総理大臣談話 2005年(平成17年)8月15日

(引用開始)
 また、我が国は、かつて植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。こうした歴史の事実を謙虚に受け止め、改めて痛切な反省心からのお詫びの気持ちを表明するとともに、先の大戦における内外のすべての犠牲者に謹んで哀悼の意を表します。悲惨な戦争の教訓を風化させず、二度と戦火を交えることなく世界の平和と繁栄に貢献していく決意です。
(引用終わり)

 出来ればこの両談話は以上の抜粋だけではなく、それぞれ全文を読んでいただきたいと思います。そうすれば、この10年の間の変化、それは村山首相と小泉首相の政策の違い、個性の違いもあるでしょうが、それを超えた時代の空気というものを感ぜざるを得ません。
 ただし、それにもかかわらずと言うべきでしょう。変えてはならない言葉というものがあるということを、靖国神社への参拝を繰り返したあの小泉首相ですら理解していたのです。

 ところが、安倍晋三氏は「小泉純一郎」ではありません。
 その実体を何と評すればよいのか、私も言葉に迷います。
 ただ単に「頭が悪い」し「心も悪い」と罵倒して快をむさぼっても空しいだけですし。
 
 とにかく、安倍晋三氏自ら新たな「安倍談話」がどんなものになるかについて、早々と手の内をあかしてくれたのですから、これで「安倍談話」の内容を推測する作業も非常に容易になりました。
 NHKの島田敏男解説委員が各党党首に確認していたように、「キーワード」を踏襲するか否かが、「安倍談話」についての当面の最大の焦点だったのですが、安倍氏自身があっさりと結論を示してくれたという訳です。
 あとは、安倍晋三氏の歴史認識に関する過去の主要な発言を探し出してコラージュすれば良いのですから、「英知を結集」(1月5日記者会見)するために有識者会議を招集するような国費の無駄遣いはせず(どうしても集めたければ安倍氏のポケットマネーで依頼すべきです)、いつも頼んでいるスピーチライター(谷口智彦氏でしたっけ?)にちょいちょいと書いてもらっても結局同じことでしょう。
 その素材のいくつかを私が提供してみましょうか?

【安倍晋三氏発言録その4】
2013年5月15日、参議院予算委員会において、小川敏夫議員(民主党)からの、日本が中国を「侵略」したという認識を持っているかという質問に答えて

(引用開始)
 私は今まで日本が侵略しなかったと言ったことは一度もないわけでございますが、しかし、言わば歴史認識において私がここで述べることは、まさにそれは外交問題や政治問題に発展をしていくわけでございます。言わば私は行政府の長として、言わば権力を持つ者として歴史に対して謙虚でなければならない、このように考えているわけでありまして、言わばそうした歴史認識に踏み込むことは、これは抑制するべきであろうと、このように考えているわけでございます。つまり、歴史認識については歴史家に任せるべき問題であると、このように思うところでございます。
(略)
 つまり、それは、今委員が議論しようとされていることこそ歴史認識の問題であって、そこに言わば踏み込んでいくべきではないというのが私の見識であります。つまり、ここで議論することによって外交問題あるいは政治問題に発展をしていくわけであります。つまり、歴史家が冷静な目を持って、そしてそれは歴史の中で、まさに長い歴史とそして試練にさらされる中において確定をしていくものでもあるということだろうと思いますが、つまりそれは歴史家に任せたいと、こういうことでございます。
(引用終わり)

【安倍晋三氏発言録その5】
2013年5月15日、参議院予算委員会において、小川敏夫議員(民主党)からの、日本が韓国を「植民地支配」したという認識を持っているかという質問に答えて
(引用開始)
 韓国あるいは朝鮮半島の人々に対して日本は過去大変な被害を与え、そして苦しみを与え、まさにその痛惜の念、反省の上に立って今日の日本があるわけでございまして、その上に立って、自由で民主主義な、そして基本的人権を尊ぶ、法の支配を守る国としての今日の歩みがあるわけでございます。その中において、まさに我々は、今申し上げましたように、国際社会において大いなる貢献をしてきたところでございます。
 先ほども申し上げましたように、言わば歴史認識にかかわることについては、私がここで様々なことを申し上げることは、これは政治問題、外交問題に発展をしていくわけでございますから、これはまさに歴史家に任せる問題であろうと、このように思います。
(引用終わり)
 
【安倍晋三氏発言録その6】
第13回アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)における基調講演から 

(引用開始)
 国際社会の平和、安定に、多くを負う国ならばこそ、日本は、もっと積極的に世界の平和に力を尽くしたい、「積極的平和主義」のバナーを掲げたいと、そう思うからです。
 自由と人権を愛し、法と秩序を重んじて、戦争を憎み、ひたぶるに、ただひたぶるに平和を追求する一本の道を、日本は一度としてぶれることなく、何世代にもわたって歩んできました。これからの、幾世代、変わらず歩んでいきます。
(略)
 新しい日本人は、どんな日本人か。
 昔ながらの良さを、ひとつとして失わない、日本人です。
 貧困を憎み、勤労の喜びに普遍的価値があると信じる日本人は、アジアがまだ貧しさの代名詞であるかに言われていたころから、自分たちにできたことが、アジアの、ほかの国々で、同じようにできないはずはないと信じ、経済の建設に、孜々として協力を続けました。
 新しい日本人は、こうした、無私・無欲の貢献を、おのがじし、喜びとする点で、父、祖父たちと、なんら変わるところはないでしょう。
(引用終わり)

【安倍晋三氏発言録その7】
2014年8月15日、全国戦没者追悼式で述べた式辞から
(引用開始)
 いとしい我が子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、貴い命を捧げられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません。
 御霊を悼んで平安を祈り、感謝を捧げるに、言葉は無力なれば、いまは来し方を思い、しばし瞑目し、静かに頭を垂れたいと思います。
 戦後わが国は、自由、民主主義を尊び、ひたすらに平和の道を邁進してまいりました。
 今日よりも明日、世界をより良い場に変えるため、戦後間もない頃から、各国・各地域に、支援の手を差し伸べてまいりました。
 内にあっては、経済社会の変化、天変地異がもたらした危機を、幾たびか、互いに助け合い、乗り越えて、今日に至りました。
 私たちは、歴史に対して謙虚に向き合い、学ぶべき教訓を深く胸に刻みつつ、希望に満ちた、国の未来を切り拓いてまいります。世界の恒久平和に、能うる限り貢献し、万人が、心豊かに暮らせる世を実現するよう、全力を尽くしてまいります。
(引用終わり)

 最後に引用した昨年8月15日の全国戦没者追悼式式辞は、今年の「安倍談話」を考える上で、非常に示唆的です。
 2012年8月15日の野田佳彦首相まで、村山首相以降の歴代総理大臣は全員がアジア諸国の人々に対する加害と反省の弁を式辞に盛り込んできました。例えば、2006年、小泉首相の式辞では、「我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となった方々に謹んで哀悼の意を表します。」と述べられ、他の首相もほぼ同文の式辞を読み上げてきました。ところが、2013年、2014年の両年、安倍晋三氏はこの部分を完全に削除したのです。
 この式辞の延長線上に「安倍談話」があることは当然の流れでしょう。

 中国を侵略したと認めず、韓国を植民地支配したとも認めず、アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えたとも認めず、「自由と人権を愛し、法と秩序を重んじて、戦争を憎み、ひたぶるに、ただひたぶるに平和を追求する一本の道を、日本は一度としてぶれることなく、何世代にもわたって歩んできました。」と主張する人物が、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と認めた上で、「痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明」するなどということがあり得ると考える方がよほどどうかしています。あり得ないでしょう。
 もしもあり得るとすれば、その可能性はただ一つ、アメリカ政府からの抵抗しがたい命令があった場合だけです。
 唯一その場合だけ、心にもない「安倍談話」が発表されることでしょう。

 以上の素材をもとに、新たな「安倍談話」の草稿を書き上げて首相官邸に送りつけるのも一興かとは思いますが、さすがにそれだけのひま人は多くない?

(弁護士・金原徹雄のブログから)
2013年8月18日
安倍晋三首相の“歴史認識”と加藤陽子氏の“歴史家としての役割の自覚”
2013年10月4日
千鳥ヶ淵戦没者墓苑に献花したケリー、ヘーゲル両長官が意図したこと
2014年1月1日
なぜ総理大臣が靖国神社に参拝してはいけないのか?(基礎的な問題)
2014年1月14日
「日本傷痍軍人会」最後の式典での天皇陛下「おことば」と安倍首相「祝辞」(付・ETV特集『解散・日本傷痍軍人会』2/1放送予告) ※追記あり
2014年8月15日
“コピペ”でなければ良いというものではない~全国戦没者追悼式での安倍晋三首相の式辞を聴いて
2014年8月18日
続 “コピペ”でなければ良いというものではない~“平和と繁栄”はいかにして築かれたのか
2014年8月30日
“平和主義と天皇制”~「戦後レジーム」の本質を復習する
2014年9月14日
安倍晋三氏の“昭和殉難者”追悼メッセージを忘れるな(「朝日たたき」の陰にあるもの)
2014年10月11日
安倍晋三首相の“正気とは思えない”歴史認識と積極的平和主義~第13回アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)での基調講演から
2014年11月16日
靖国派は「死文化」した敵国条項(国連憲章)を蘇らせようというのだろうか? 
2014年12月9日
歴史修正主義には正義もなければ未来もない
2015年1月1日
3人の年頭所感を読んで2015年の日本を思う~今上陛下、安倍首相、内田樹氏
2015年1月19日
問題なのは靖国神社参拝だけではない~3年連続で年頭記者会見を伊勢神宮で開いた安倍首相

「みんなの戦争証言アーカイブス」に注目しよう

 今晩(2015年1月7日)配信した「メルマガ金原No.1963」を転載します。

「みんなの戦争証言アーカイブス」に注目しよう

 日本がポツダム宣言を受諾し、連合国に降伏してから今年で70年の節目の年を迎え、新たな「安倍談話」に意欲を見せる首相(1月5日記者会見)に、早速、米国政府が釘を刺したという報道に接したりすると、いずれ「山村談話」と、予想される「安倍談話」の徹底比較(?)を書いてみようかなどと、構想だけはわいてくるのですが、能力不足と時間不足のため、結局構想倒れに終わりそうだなあ。

 ただし、敗戦から70年ということは、「体験」としての戦争を語れる人がいよいよ少なくなっているということでもあります。
 これまでも、様々な歴史資料や戦争体験が語られた映像等のアーカイブを公開するという試みはいくつもなされてきました。
 ほんの一部ですが、例えば以下のようなサイトがあります。
 

 今日は、昨年(2014年)の12月18日からインターネットサイトでの公開が始まった新たなアーカイブシリーズ「みんなの戦争証言アーカイブス」をご紹介しようと思います。

「みんなの戦争証言アーカイブス」

 昨年、クラウドファンディングサイト「シューティングスター」において250万円を目標に募金が行われ、無事目標に到達したプロジェクトであり、元NHKの堀潤さんも中心になって協力しています。
 

 このプロジェクトの目的を、公式サイトから引用します。

みんなの戦争証言アーカイブスとは

(引用開始)
太平洋戦争終結から70年。
私たちの国は長いあいだ戦争をしていない。

永らく平和が続いている日本。
「戦争」を知っている人々は、もはや70歳以上になってしまった。

いつのまにか戦争が始まり、
いつのまにか敵を倒したニュースに高揚し、
いつのまにか戦争はすぐ間近までやってきて、
いつのまにかわたしたちの住む街を焼き尽くした。

教科書には書いていない、哀しみ、苦しみ、小さな喜び、沢山の思い出…。
先人たちの戦争経験とその記憶は、とても貴重な遺産だ。
しかし残念ながら、この国の「戦争」を語る事のできる方々は年を追うごとに少なくなっていくばかり。
今こそ戦争から学んだすべてのことを伺っておくべきである。
そして、日本の未来を創る若者たちに、
自分の国がどんな歴史の上に成り立っているのか、先人たちは何を感じ、どのように考えていたのか?
この国の戦争の真実をできるだけ沢山の方々から聞き取り、その声をいつでも誰でも聴くことができる環
境を作る。
それが「みんなの戦争証言アーカイブス」である。

誰もがフリーで使える証言記録映像を!
このプロジェクトの運営スタッフは、テレビ業界の第一線で取材や制作をし続けている。しかし、太平洋戦争のような歴史的事件においては、テレビなどのメディアだけに頼ることなく、証言素材を公開することが大事であると考える。

①戦争証言のアーカイブスは、各テレビ局の映像記録などで残されているが、そうした映像を第三者が使用するには、著作権の問題や高額な映像使用料の負担が生じる。今回のプロジェクトのコンセプトは、開かれた戦争証言アーカイブス。取材に応じてくださった方々に承諾を得て、おさめられた映像資料は著作権フリーで皆さんに提供するものである。本来であれば映像使用料がかかるコンテンツを地域での学習会
などにお役立ていただくため無償で提供したいというものである。
②テレビ番組の場合、放送時間や番組テーマに合わせ編集せざるを得ない。興味深くみていただくために編集することは必要だが、証言のどの言葉に心を動かされるかは人それぞれである。そこで、証言を極力
“ノーカット”で見ていただくことで、どう受け取るかは、見る側に委ねるというものである。
(引用終わり)

 本日(1月7日)現在、以下の4人の方々の証言がアップされています。


 いずれ私も時間を見つけてじっくり視聴したいと思っています。
 なお、「みんなの戦争証言アーカイブス」プロジェクトに関わっておられるメンバーは以下の方々です。

団体説明 プロジェクトメンバー紹介

 小島 美佳さん Mika Kojima(株式会社ジーワン)
 堀 潤さん Jun Hori(NPO法人「8bitNews」)
 安彦 和弘さん Kazuhiro Abiko(NPO法人「映像支援プロジェクトチームテレビくん」)
 野村 竜一さん Ryuichi Nomura(学習塾ロジム)
 瀬戸 宏一さん Seto Hirokazu(エンターテイメント集団「the dusty walls」)

 上にご紹介した「About」で説明されているとおり、「証言のどの言葉に心を動かされるかは人それぞれ」のはずです。
 視聴する1人1人が、これらの証言のどの部分かでも「我がこと」として聞くことが出来たなら、それは得がたい自らの体験となるに違いありません。
 その意味でも、この意義深いプロジェクトのスタートを多くの人に知っていただき、是非「活用」して行ければと思います。

(付記)
 なお、実際問題として、「戦争証言」としてアーカイブ化できる証言の多くが、兵士としての体験を含めて、広義の「被害体験」に偏ることはある程度やむを得ないことでしょう。そうであればこそ、貴重な「加害体験」をしっかりと受け止める努力が誰にとっても必要であることは言うまでもありません。
 私のメルマガ(ブログ)で取り上げた以下の記事なども参考にしていただければと思います。
2013年8月24日

歴史修正主義には正義もなければ未来もない

 今晩(2014年12月9日)配信した「メルマガ金原No.1934」を転載します。
 
歴史修正主義には正義もなければ未来もない

 第47回衆議院議員総選挙の投開票日まであと5日。マスメディアの報じる選挙情勢が大きく外れない限り、安倍晋三政権が好き放題に暴走を加速させるという悪夢の光景が現前する可能性はもちろん十分にあるのですが、安倍政権にとっての「大勝利」が「転落の第一歩」となる可能性も全くない訳ではないと思っています。
 というのは、安倍政権は、発足当初から「致命的な弱点」を抱えたまま現在に至っているからです。
 末尾に、私がこれまでブログに書いてきた記事の中から、この「弱点」をメインテーマとして取り上げたもののうち、ざっと思い出したものだけ拾い上げてみました。
 言うまでもなく、そのテーマというのは安倍政権の「歴史認識」です。
 何しろ、「毎日更新」している私のブログですが、「歴史認識」だけで1つのカテゴリーを作っても良いほどで、しかも、自分で言うのも何ですが、このテーマで書くと我ながら力のこもった大作(?)になる傾向があります。もっとも、長いので、期待したほどには誰も読んでくれていなかったりするのですが。

 安倍政権を駆動している動力源の1つが「新自由主義」であることは間違いないでしょうが、ブレーンはともかくとして、安倍首相本人には、新自由主義に「殉じる」つもりなど毛頭ないでしょう。第一、どこまで「新自由主義」の理念を理解して政策を推進しているのか疑わしいものです。
 他方、「戦後レジームからの脱却」というかつて愛用したスローガンを、安倍首相は決して手放そうとはしないでしょう。彼自らがそういう信念の持ち主だと自分で信じ込んでいるでしょうし、彼の周りには、それに同調する(あるいは同調したふりをする)取り巻きばかりが集められているようですから。
 そう、安倍政権を駆動している最も重要な動力源は「歴史修正主義」なのだと思います。
 「戦後レジームからの脱却」を国内的文脈で解釈すれば「日本国憲法体制の否定」ということかもしれませんが、「歴史修正主義」は、国際的な文脈でこそ、より問題になる概念であることを忘れてはなりません。
 試みに、「戦後レジームからの脱却」を、世界中の誰にとっても分かりやすい言葉に言い直せば、「ポツダム体制からの脱却」「極東国際軍事裁判(東京裁判)の否定」ということになるはずです。
 さすがに、安倍首相自