2023年11月3日配信(予定)の「メルマガ金原No.3536」を転載します。
Facebookにも同内容で掲載しています。
11/3 映画『ゴジラ-1.0(マイナス・ワン)』公開!~これは映画館に行かなければ~
2023年の今日「11月3日」は「文化の日」、戦前なら「明治節(明治天皇誕生日)」ですが、日本国憲法「公布記念日」(1946年)でもあり、さらに言えば、『ゴジラ』(1954年/第1作/本多猪四郎監督)の「公開記念日」でもあります。
69年前の公開を記念して(「ゴジラ70周年記念作品」と銘打って)、東宝が制作する30本目のゴジラ映画『ゴジラ-1.0(マイナスワン)』(山崎貴監督)が今日から一斉に公開されました。
もちろん私は未見ですが、是非映画館に観に行きたいと思っています。
ちなみに、私自身、第1作『ゴジラ』が公開された約6週間後に生まれましたので、ゴジラとは「同い年」(?)ということになります。
私が、封切時リアルタイムで鑑賞(映画館で)したゴジラ映画は、小学生の時に観た『キングコング対ゴジラ』(1962年)、『モスラ対ゴジラ』(1964年)、『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)の3本だけ、ということから分かるように、私は決してゴジラファンを名乗れるような者ではありません。
あの大ヒットした『シン・ゴジラ』(庵野秀明総監督)でさえ、映画館ではなく、テレビと配信で観た位ですから。
それでも、ケーブルテレビなどで録画して観たのも含めれば、だいたい7割方のゴジラ作品は観ているでしょうか。
そのようなかなり心許ないゴジラ鑑賞歴の中で、私が別格だと思う作品は(多くの方と同じように)第1作の『ゴジラ』です。
この作品については、テレビで観ただけではなく、2019年の夏、和歌山市民会館小ホールを借り、東宝から正式な配給を受けて自主上映会(主演俳優の宝田明さんの講演とセットの企画)「ゴジラ和歌山上陸!宝田明さんと考える「平和」~これまでとこれからと~」を開催した実行委員会(和歌山G&Tプロジェクト)の私はメンバーの一員だったのですから。
ある意味「ワン&オンリー」とも思える第1作『ゴジラ』を、おそらく相当に意識したと思われる山崎貴版『ゴジラ-1.0』は、第1作のさらに前の焦土と化した敗戦日本に舞台を設定していると漏れ聞き、「その手があったか」と感心しきりです。
試写や東京映画祭クロージング上映(11月1日)を観た人たちから絶賛の声が多くあがっている一方で、『ゴジラ-1.0』を「反戦映画」と措定した上で揶揄する声もあるとか。
山崎監督の過去作の中には『永遠の0』(百田尚樹原作)とかもあったりして、未見の間はあれこれ考えても仕方がないでしょうね。
少なくとも、予告編の映像は「映画館に行きたい」という意欲をかきたてるに十分です。これなら、正月にもやっていそうだな(東宝も「70周年記念」と言っているのだし)とは思いますが、できるだけ早く行ければと思います。皆さんもいかがですか?
映画
2022年3月18日配信(予定)のメルマガ金原No.3512を転載します。
Facebookにも同内容で投稿しています。
追悼 宝田明さん
俳優の宝田明さんが急逝されたという報道に接し、多くの方が大きな衝撃と悲しみに見舞われたことと思いますが、私もその1人です。
私が宝田さんと直接お会いできたのは一度きりですが、その時の写真を何とか探し出しましたのでご紹介します。私が撮影したものではないのですが(災害NGO結の前原土武さん撮影/当日手伝いに来ていただいていた)、おそらくご了解いただけるものと判断して掲載します。
この写真は、2019年8月25日(日)に(今は閉館した)和歌山市民会館小ホールで開催された「ゴジラ」第1作(1954年)デジタルリマスター版上映と主演俳優・宝田明さんの講演(ゴジラ
和歌山上陸!宝田明さんと考える「平和」~これまでとこれからと~)終了後、主催した実行委員会(和歌山G&Tプロジェクト)や9条ネットわかやまのメンバー、それにお手伝いにかけつけてくれた仲間たちが、「やり遂げた」という充実感の中、宝田明さんと記念写真を撮らせていただいたものです。みんな「いい顔」していますよね。
このイベントを事前告知した私のブログ(8/25ゴジラ 和歌山上陸!~映画『ゴジラ』第1作(1954年)デジタルリマスター版の上映と主演俳優宝田明さんの講演(和歌山市民会館小ホール)のご案内/2019年7月3日)はこちら。
わかやま新報の報道を紹介しつつ、開催に至った経緯を私が補足説明したFacebookへの投稿はこちら。
私自身、主催者の一員として、事前告知には相当頑張った企画でしたが、終了後の報告ブログは書いておらず、Facebookへの事後投稿も上にご紹介したもの位です。
その理由は、
・その年の1月、体調不良で入院したことを契機として、6年間続けていた「ブログ毎日更新」が途絶えたこと
・本番の充実感が半端なく、いわゆる「燃え尽き症候群」に陥ったこと
・私は会計担当だったのですが、かなり大きな規模の企画であり(「ゴジラ」第1作はまだ著作権が切れていないので東宝に上映権料を払わねばならないとか)、赤字となるかどうかぎりぎりの線だったので、最終的な収支が確定するまで気が休まらなかったこと(相当なカンパがあったことで赤字は免れました)
などでした。
この企画の発案者であり、和歌山G&Tプロジェクトの中心メンバーとして宝田明さんの事務所との連絡役となり、当日は宝田さんからお話を引き出す聴き手の重責を担った(他にも秘蔵のゴジラ・コレクションを展示用に提供した)伊藤宏先生(和歌山信愛女子短期大学教授/現副学長)こそ、企画終了後「真っ白な灰」状態になったはずです。
私も、有志で実行委員会を作り、企画の実現に関わった経験はいくつかありますが、「ゴジラ
和歌山上陸!宝田明さんと考える「平和」~これまでとこれからと~」ほど、充実した経験ができた企画はありません。
企画の中心である宝田さんの「平和」への熱い思いを共有しながら、実に多くの方々の協力を得て成功させられた企画でした。
主演作『世の中にたえて桜のなかりせば』の公開を間近に控えての急逝でした。まだまだ多くの作品に出演していただきたかったという思いが胸に迫ります。宝田さん、どうか安らかに。
最後に、映画製作委員会と所属事務所が公開したリリースを引用します。
(引用開始)
俳優 宝田 明(たからだあきら 87歳)が、2022年3月14日(月)午前0時31分、肺炎のため都内病院で急逝いたしました。
本作「世の中にたえて桜のなかりせば」で岩本蓮加(乃木坂46)と共に主演を務め、エグゼクティブプロデューサーも務めさせていただきました。
この映画は宝田が「桜」をモチーフに企画を温め、宝田の情熱で実現に至ったものです。
宝田は1954年東宝ニューフェース第6期生としてデビュー以来、映画や舞台、TVの第一線で活躍してまいりました。4月1日(金)公開の本作が遺作となります。
葬儀につきましては、ご遺族の意向により感染症禍を考慮し、近親者のみで執り行いました。
お知らせが遅くなりましたこと、心よりお詫び申し上げますとともに、故人が生前に賜りましたご厚誼に対し、熱く御礼申し上げます。
2021年7月1日配信(予定)のメルマガ金原No.3494を転載します。
DVD『荒野に希望の灯をともす~医師・中村哲
現地活動35年の軌跡~』上映会のお知らせ~2021年11月3日/和歌山市河北コミセン
2019年12月4日、アフガニスタン東部ナンガルハル州の州都ジャラーラーバードで、医師でPMS(ピースジャパンメディカルサービス)総院長、ペシャワール会現地代表であった中村哲先生が、同乗していた5人の運転手、護衛らと共に、何者かの銃撃によって死亡してから早くも1年半以上が経過しました。
中村先生は亡くなられましたが、ペシャワール会の村上優会長がPMS総院長を引き継ぎ、「中村先生が実践してきた事業は全て継続し、中村先生が望んだ希望は全て引き継ぐ」という決意を明らかにされています。
中村哲先生ご逝去後のPMSの活動状況については、2度にわたる現地報告会の模様が、長年中村先生の活動を取材してきた日本電波ニュース社によって撮影され(2021年はオンラインとなったため同社の「制作」というべきでしょうね)、YouTubeで公開されています。
2020年10月3日 ペシャワール会現地報告会(2時間40分)
2021年度 ペシャワール会総会・現地報告会
オンラインで行われた2021年度現地報告会の冒頭では、村上優会長が、事業継続の概略について説明されていますので(約18分)、まずこの部分から視聴されてはいかがでしょうか。
さて、私は中村哲先生が和歌山で行われた講演会のうち、以下の3回に参加しています。
2005年12月1日 和歌山市民会館小ホール
「氷河の流れのように~憲法9条に守られて~」
主催:9条ネットわかやま創立総会実行委員会
2008年4月19日 和歌山市民会館市民ホール
「中村哲医師講演会 アフガン最前線報告」
主催:和歌山県平和フォーラム
2010年10月29日 和歌山市民会館小ホール
「アフガン最前線報告~アジアの同朋としての同じ目の高さをもって~」
主催:9条ネットわかやま、憲法9条を守る和歌山弁護士の会
いずれも、淡々とした語り口ながら、揺るがぬ信念に強い感銘を受けたものでした。
さて、本日は、4ヶ月も先のことではありますが、中村哲先生の活動を取材し続け、過去何本ものドキュメンタリー作品を制作してきた日本電波ニュース社が、2021年3月に発表したばかりの最新作『荒野に希望の灯をともす~医師・中村哲
現地活動35年の軌跡~』(1時間28分)の和歌山市での上映会をご案内します。
上映会を開催するのは、私も運営委員を務める「守ろう9条
紀の川 市民の会」であり、同会が毎年秋に和歌山市河北コミュニティセンターで開催している「憲法フェスタ」(今年は11月3日に開催)の企画の1つとして上映することになったものです。
例年通り、今年も午後からメイン会場である2階多目的ホールにおいて、音楽演奏や記念講演を予定していますが、まだ講演テーマが決まっていないなど、チラシを完成させて広報を開始するのはまだ少し先のことになりますが、午前中のDVD上映会については、内容が固まりましたので先行してお知らせすることにしたものです。
近年の「憲法フェスタ」では、午前中に「映像の部屋」と名付け、活動室の1室を使ってDVD上映会を開くのを例としてきました。そして、今年はどんな作品を上映しようかと相談していた時に気が付いたのがこの新作DVDでした。
上記のとおり、過去何度も和歌山で講演された中村先生ですから、私たちの多くがその謦咳に接しており、長年にわたって中村先生を追い続けてきた日本電波ニュースが、その死後初めて発表する作品、しかも1時間28分というまとまった時間をかけた作品ということで、「是非上映したい(見たい!)」と衆議一決しました。
あとは、著作権法上の上映権をどうクリアするかですが、幸い本作については、通常定価2970円(税込み)の他に、ライブラリー価格8910円(同)も設定されており、「非営利の集会等で上映する場合は、DVDをライブラリー価格でご購入いただければ別途料金はかかりません。」(日本電波ニュース社ホームページ)ということでしたので、早速、「守ろう9条
紀の川 市民の会」としてライブラリー価格で購入したという次第です。
おかげで、このように堂々と開催告知ができる訳です。
また、例年であれば、「映像の部屋」は活動室(小)を利用していたのですが、本作については、広報次第では多くの方にご覧いただける素材であり、かたがた、新型コロナウイルス感染防止の観点から「密」を避けるためにも、多目的ホールで上映することとしました。
4ヶ月先という相当早い段階からの予告となりますが、上映会が終わってから、「知っていれば参加したのに」という方を少しでもなくすため、会員が手分けして広報に頑張ることになったものです。
入場無料、予約不要、会員でなくてもどなたでもご入場いただけます。
是非お誘い合わせの上、ご参加ください。
(動画)DVD『荒野に希望の灯をともす~医師・中村哲
現地活動35年の軌跡~』ダイジェスト版(2分51秒)
(チラシ記載の文字情報から引用開始)
「守ろう9条 紀の川 市民の会」第18回「憲法フェスタ」
『荒野に希望の灯をともす~医師・中村哲現地活動35年の軌跡~』
DVD上映会(入場無料)
※会員でなくてもどなたでもご入場いただけます
日時:2021年11月3日(水・祝)10:30~12:00
場所:河北コミュニティセンター 2F 多目的ホール
和歌山市市小路192-3 TEL:073-480-3610 (無料駐車場あり)
アフガニスタンとパキスタンで35年にわたり、病や戦乱、そして干ばつに苦しむ人々に寄り添いながら命を救い、生きる手助けをしてきた医師・中村哲。NGO平和医療団日本(PMS)を率いて、医療支援と用水路の建設を行ってきた。活動において特筆すべきことは、その長さだけでなく、支援の姿勢がまったくぶれることなく、一貫していたことだ。一連の活動は世界から高く評価され、中村医師は人々から信頼され、愛されてきた。
今、アフガニスタンに建設した用水路群の水が、かつての干ばつの大地を恵み豊かな緑野に変え、65万人の命を支えている。
しかし、2019年12月。用水路建設現場へ向かう途中、中村医師は何者かの凶弾に倒れた。その突然の死は多くの人々に深い悲しみをもたらした。だが、一方で私たちに強く問いかけもする。中村医師が命を賭して遺した物は何なのか、その視線の先に目指していたものは何なのか。
中村哲が遺した文章と1000時間におよぶ記録映像をもとに、現地活動の実践と思索をひも解く。
2021年3月完成
企画:ペシャワール会
制作:日本電波ニュース社
朗読:石橋 蓮司
語り:中里 雅子
お知らせとお願い
※「憲法フェスタ」は10:00開始で、別室で「展示の部屋」「リサイクルひろば」を実施する他、例年通り午後から多目的ホールで「写真展示」「音楽演奏」「記念講演」を予定しています。
※当日発熱のある方、体調不良の方は参加をご遠慮ください。会場入場の際は手の消毒を行い、会場内ではマスク着用をお願いします。
主催:守ろう9条 紀の川 市民の会
お問合せ先:090-3165-1889 原
(引用終わり)
(弁護士・金原徹雄のブログから/中村哲さん関連)
2016年9月13日
再放送を見逃すな!~『武器ではなく命の水を~医師・中村哲とアフガニスタン~』と『沖縄 空白の1年~“基地の島”はこうして生まれた~』
2017年3月30日
「緑の大地計画」のこれまでとこれから~中村哲さん、日本記者クラブで語る(2016年8月26日)
2017年11月18日
中村哲さん「KYOTO地球環境の殿堂」入り記念講演(2/11)と「20年継続体制」に向けて
2018年7月21日
中村哲医師の船橋市での講演会(2018年6月10日)を視聴する~特に後半(質疑応答)が素晴らしい
2020年7月25日配信(予定)のメルマガ金原No.3474を転載します。
東京オリンピック2020の開会式が行われなかった7月24日に映画『東京オリンピック』(市川崑総監督)を観た
昨日(7月24日)は、今年だけの特例で(「体育の日」あらため)「スポーツの日」が「十月の第二月曜日」からこの日に移されて祝日となり(「平成三十二年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会特別措置法」第32条)、COVID-19の世界的蔓延という事態に見舞われてさえいなければ、新国立競技場で東京オリンピック2020の開会式が開かれたはずでした。
大会組織委員会の公式サイトには、「開会式・閉会式スケジュール」として(何年とは書いていませんが)、既に来年のスケジュールが掲載されています。
開会式
日時:7月23日(金)20:00-23:00
会場:オリンピックスタジアム
閉会式
日時:8月8日(日)20:00-23:00
会場:オリンピックスタジアム
日本時間の20時は、アメリカ東部時間の午前7時ですから、20時開始がぎりぎりの妥協点なのでしょうね。
ところで、この東京オリンピック2020に合わせて編成されたのでしょう、NHK・BSプレミアムが7月18日に東京オリンピック1964の公式記録映画『東京オリンピック』(市川崑総監督/1965年3月20日公開/170分)を放送しましたので、それを録画し、昨日、東京オリンピック2020の開会式の代わりに、という訳でもありませんが、DVDにダビングして視聴しました。何しろ3時間近い長尺の映画なので、途中にインターミッションがあり、後半の冒頭を観たところでいったん中断して外出し、用事を済ませて夜帰宅してから残りを視聴しました。
公開当時、私もこの映画を観たことは間違いないのですが(1965年4月に小学校5年生になった)、親に連れられて東宝系の封切館(和歌山市の帝国座)に行ったのか、学校鑑賞で観たのか、さすがにその辺の記憶は曖昧です。
ただ、子ども心にも、「記録か芸術か」という論争が巻き起こり、オリンピック東京大会組織委員会(制作はニュース映画各社が作った東京オリンピック映画協会に委託)が「記録性を重視」した映画をもう1本作ることになったというようなことが話題になっていたことは記憶しています。
それで、『東京オリンピック』を観た感想はどうだったかというと、「何となく良かった」という漠然とした印象しか残っていません。なにしろ小学校5年生ですからね、無理もありません。
公開以降、テレビ放映されたこともあったと思いますが、かけ違って観る機会がなく、昨日が55年ぶり(!)のこの映画との対面でした。
ただ、私の自宅のしょぼいテレビの画面では、はなはだ迫力不足の上に、どうやら本来のワイドスクリーン画面の両端が切れているようで、非常に不満足な状態での鑑賞であることはお断りする必要があります。後に書きますが、映画の最後に浮かび上がる制作者からのメッセージの文字の一部が読めない!せめて、タイトルロールとエンドロールだけでも、オリジナルサイズで放映してもらいたかったと、これはNHKに対する苦情です。
ところで、「映画/東京オリンピック/予告編」でネット検索してヒットした動画にリンクしておきますが、多分これは公開当時の予告編ではありませんね。映画の冒頭2分余りをそのままアップした動画のようです(YouTubeの「映画とショー」のための見本ですから、Trailerには違いありません)。
ただ、この2分余りの映像を観るだけでも、撮影に先立ち脚本を準備したチーム(市川崑、和田夏十、白坂依志夫、谷川俊太郎)の狙いはおおよそ見当がつくのではないかと思います。
開巻早々、太陽のクローズアップに続くシーンがいきなりビルの解体(都市の破壊)ですからね。
ただ、冒頭、画面に現れる「オリンピックは人類の持っている夢のあらわれである」というメッセージには、今となっては、思わずたじろぐか、しらける人もいるかもしれませんが、そこは時代状況を考えるべきでしょう。
三国一郎さんのナレーションで、開巻のシーンにかぶせて、第1回アテネから、第18回東京までの開催地が延々と紹介されるのですが、
1916年 第6回 ベルリン 第1次世界大戦のために中止
1940年 第12回 東京→ヘルシンキ(ナレーションで都市名は語られず)
東京:日中戦争で辞退
ヘルシンキ:第2次世界大戦で中止
1944年 第13回 ロンドン(同上) 戦争終わらず中止
という歴史があった上に、ようやく戦争が終わり、
1948年 第14回 ロンドン
※日本参加を許されず(まだ占領下だった)
1952年 第15回 ヘルシンキ
※第2次大戦の敗戦国(フィンランドはドイツと同盟してソ連と闘った)
1960年 第17回 ローマ
※同上(イタリアは当初ドイツ、日本と同盟して枢軸側で戦った)
の次にようやく東京で開催できることになったのですし、IOC(国際オリンピック委員会)の商業主義はまだ目立っておらず、批判の対象となるのは貴族主義的運営の方という時代でした。
そして、この「オリンピックは人類の持っている夢のあらわれである」という、分かったようでよく分からぬフレーズの意味は、3時間近い本編を見終わった最後に再び黒地に白抜きのメッセージが現れることにより、ようやく首尾一貫して胸に迫ってきます。
(引用開始)
聖火は太陽へ帰った
人類は4年ごとに夢をみる
この創られた平和を夢で終らせていゝのであろうか
(引用終わり)
※実は、「聖火は~」の行の上に(おそらく)1文字だけの行があるのですが、画面が切れていて読めません。文脈から「今」ではないかと思ったのですが、もう少し複雑な字体の文字のようです。こうなったらDVDを買わざるを得ないでしょうか。
ここで、冒頭に現れた「夢」の実態が「創られた平和」であることが明かされます。「創られた」ものであるからこそ「夢」なのですが、それを4年ごとの一場の夢にしたくないという思いを込めてこの映画は作られたと宣言している訳です。
さて、以下には、この映画を55年ぶりに観た感想を点描しておきます。とりとめのなさはご容赦ください。
◎この映画にはインターミッションがあり、後半早々には、独立して間のないチャド(選手は2人だけ)からやってきた陸上男子800mの選手(セミファイナルで敗退)をフューチャーした部分があります。2004年にこの映画がDVD化された際、劇場公開版と共に、市川崑監督自ら再編集したディレクターズカット版(148分)も作られましたが、その際、このエピソードはカットされたそうです。「いかにも」という創作臭が気になったのかもしれませんが、私はそれほど反発も覚えず観ていましたが。
◎『東京オリンピック』の中で、日本選手が金メダルを獲得した活躍シーンもそれなりに拾っているのは、国内公開を前提に作っている以上当然で、男子体操、女子バレーボール、男子重量挙げ、男子柔道、男子レスリングなどがそれです。この内、団体で金メダルを取った体操男子チームの1人1人のハイライトシーン(ごく短いですけど)に選手名のクレジットが出るというサービスぶりで、公開直前に市川崑監督が急遽、日本人選手の活躍に配慮した手直しをしたとも伝えられていますが、もしかしたら体操もそうだったのかもしれません。
◎ちなみに、体操の種目別・つり輪で金メダルを獲得した和歌山県立田辺高校出身の早田卓次さんの妙技も見られました。正直、この種の記録映画を観る楽しみの1つに、このような郷土の英雄の勇姿を(TVでさんざん見たけれど)再確認したいということがあるのは否定し難い事実でしょうし、組織委員会が不満に思ったのも無理はないような気もします。とはいえ、オリンピックを素材としてどのような映画を作るのか、ということに関して言えば、市川崑さんに依頼した時点で、「普通の」ドキュメンタリー映画にはならないだろうと予想すべきだったのであり、出来上がった映画に文句をつけても、依頼主としての不明が浮き彫りになるばかりです。ですから、記録性を重視したもう1本の映画を作る(素材のフィルムは膨大にあった)というのは、結果オーライだったのではないかと思います。
◎そのもう1本の記録映画『東京オリンピック長編記録映画 世紀の感動』(1966年5月15日公開/154分)を私は観たことがないのですが、文化庁の日本映画情報システムで検索してみても、「脚本:前田博、山岸達児」とあるものの、「監督」のクレジットはありません。もっとも、『東京オリンピック』にしてからが、「監督部」に14人の名前がクレジットされているものの、その中に「市川崑」の名前はなく、市川監督は、「脚本」でだけクレジットされています。
ただ、『東京オリンピック』のエンドロール(様々なスタッフの名前が次々と流れてきますが、その役割が一切書かれていない不思議なエンドロールです)の最後に「総監督 市川崑」と表示されていますので、この映画を市川崑さんの作品とすることは、組織委員会も認めていたということでしょう。ひょっとすると、『世紀の感動』にも「総監督 市川崑」というクレジットが表示されていたのだろうか?
◎現在では、オリンピックの公式記録映画はIOCが直接制作するシステムとなっているようですが(東京オリンピック2020の記録映画監督として河瀬直美さんがIOCから指名されたというニュースを読んだような気がする)、YouTubeのオリンピック公式チャンネルの中の「オリンピック公式記録映画を時系列に観る」というコーナーで、18本の記録映画が公開されています。
そして、その中に「The Complete Tokyo 1964 Olympics Film | Olympic History(完全な東京1964年オリンピック映画| オリンピックの歴史)」(2時間05分)というよく分からぬタイトルの動画がありますが、映画の最後に「directed by KON ICHIKAWA」というクレジットが出てくるように、どうやら『東京オリンピック』の海外版(英語版)のようなのです。
もっとも、下に紹介する日本オリンピック委員会のホームページによると、英語版の尺は「2時間10分」となっており、なぜ5分短くなっているのかは不明です。
いずれにせよ、Wikipediaの「英語版では大会組織委員会が再編集を施し、上映時間が日本語版より40分短い作品に仕上げている」という記載が正しければ、市川監督は編集に関与していないヴァージョンということになります。
◎東京オリンピック1964の40年後、日本オリンピック委員会が市川崑監督に対して行ったインタビューが、「市川崑総監督が語る名作『東京オリンピック』」というタイトルで同委員会ホームページに掲載されています。
宮川一夫氏など多くのカメラマンを動員して撮影した画面は、クローズアップの多用が技術上の大きな特徴となっています。上記インタビューの中で市川監督は「望遠レンズを駆使して、選手の表面の逞しさだとか、美しさだけではなく、選手それぞれの内面的なものを捉えることが出来たし、選手だけではなく、競技や会場の段取りをしているスタッフの皆さんも、見物に来ているお客さんも参加しているわけですから、いい表情が沢山撮れました」と述べており、まさに「いい表情」をたくさん撮るためのクローズアップの多様であった訳です。
また、1964年の撮影当時、映画用のフィルムを回すカメラを競技の妨げとならない位置に据えようとすると、どうしても望遠レンズを多用しなければ仕方がなかったという事情もあったのではないかと推測します。
◎『東京オリンピック』は、「時代を代表する特定の選手の活躍をじっくりと観たい」とか、「日本バンザイという心地よいシーンに浸りたい」という要求には全然応えてくれない映画ですが(市川崑監督は始めからそんな映画を作るつもりはなかったのでしょう)、だからこそ、55年経った今も、公開時と変わらぬ感動を観客に伝えることができるのだと思います。公開当時、小学校5年生になったばかりだった私のように、子どもの頃に観ただけの人には是非あらためて観て欲しいですね(AMAZONでDVDが2000円ほどで入手できます)。
◎見終わってからあらためて気が付いたことですが、画面に登場するアスリートたちの表情を、息遣いが聞こえるかと思うほどの近さでカメラは追い続けますが、その肉声そのものは全く聞いていませんでした。インタビューなどというものは一切出てきません。記憶によみがえってくるのは、開会式で一斉に放たれた無数の鳩に恐れをなして悲鳴をあげる女性(選手)、陸上女子80mハードルの決勝前、依田郁子選手がウーミングアップの間に吹いた口笛(村田英雄の『王将』だとか)、重量挙げの三宅義信選手の、蓄えた力を解き放つ際に発する叫びなどです。また、競技の途中で落後して道端に座り込み、手真似で「水が欲しい」と訴える男子マラソン選手の表情は、無音ではありますが、そうであるからこそ、雄弁に画面が迫ってきます。
◎取り上げた競技の中で、バランスを失するほど多くの尺を費やしたのは、映画の最終盤に置かれた「オリンピックの花」、男子マラソンであり、ローマ大会に続いてオリンピック2連勝を果たしたエチオピアのアベベ・ビキラのひた走る表情を執拗に捉え続けるカメラワークは、まことにこの映画の(競技としては)ラストを飾るに相応しいシーンだと思いました。
また、競技の描写に費やした時間は長くはありませんでしたが、大会の名花と謳われたベラ・チャスラフスカ(チェコ・スロヴァキア)の優美な演技もしっかりと映っていましたよ。この時、彼女は22歳。そして、プラハの春弾圧の直後に圧勝したメキシコシティー・オリンピックの時は26歳。その後、「少女」の競技となった女子体操が、「女性」の競技であった時代の輝きを見ることができます。
◎大会の「名花」チャスラスフカを紹介したついでと言っては恐縮ですが、市川監督をはじめとする制作チームが意識していたかどうかは別として、この映画のもう1人の「名花」は、美智子皇太子妃(当時)でしょう。虚心にこの映画を眺めれば、誰でもその美しさに驚くと思います。
◎実際のオリンピックが「オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである。」(オリンピック憲章・オリンピズムの根本原則より)という理想とどの程度の乖離を来しているかについての評価は人それぞれでしょう。けれども、『東京オリンピック』(1965年)を見直した(事実上初見に近い)今、1964年にこの映画の制作に参加した人たちは、市川崑さんを含め、皆、真面目にオリンピック精神を追及すべきだと思っていたのではないかということが思われてなりません。
河瀬直美監督が東京オリンピック2020の公式記録映画のためにどのようなチームを編成していたのかは知りませんが、はたしてスタッフはどういう思いで参加しようとしていたのでしょうか。
実際に、河瀬版『東京オリンピック』が観られるかどうか相当に疑わしい状況のようですが、発注主(IOCでしょうか?)が、「仮に中止になったとしても、中止に至った経緯を記録に留める映画を河瀬監督に作ってもらいたい」という度量を示して欲しいと願うところですが、まあ無理でしょうね。
2020年5月4日配信(予定)のメルマガ金原No.3464を転載します。
※Facebookから転載します。
映画『太陽の蓋』(90分版)を鑑賞した~5/6までYouTubeで無料公開中
3.11からの5日間を、原発事故の真相を追う記者を中心に、当時の政権や官邸内部、東京や福島で暮らす市井の人の姿を対比させて描いた映画『太陽の蓋』(2016年/佐藤太監督)の90分版が、明後日(5月6日)までの期間限定でYouTubeで無料公開されていることを、寺脇研さんのFacebookへの投稿で知りました。私は、今日は国選弁護待機日だったのですが、法テラスから指名打診の電話がかかってくるかもしれないと思いつつ、パソコンでじっくり鑑賞しました(結局、16時までの待機時間中に法テラスからの電話はありませんでした)。
映画「太陽の蓋」-90分版-
https://www.youtube.com/watch?v=x29d7YMhmm8
【動画】映画『太陽の蓋』予告編
これは十分に観るべき価値のある映画だと思いました。無料視聴できるのもあと2日とちょっとですが、是非1人でも多くの方に観ていただきたいと思いました。
『Fukushima50』と対比してあれこれ評する人がいるかもしれませんが、私は何しろまだ『Fukushima50』を観ておらず、比較はできません。ただ、実名で登場する官邸の政治家に対し、特別肩入れする訳ではなく、とてもフェアな扱い方だという印象を受けました。
※ご参考までに、『太陽の蓋』と『Fukushima50』を論じた増當竜也さんの文章をご紹介しておきます。
それと、主役の記者(内閣記者会所属の官邸記者)鍋島亮役を演じた北村有起哉さんがいいですね。ちなみにこの役者さんは、昨年の『新聞記者』では、シム・ウンギョンさんの上司の役でも好演していましたが、『太陽の蓋』の鍋島記者の8年後の姿ではないのかと、2本の作品を両方観た人はそう思ったのでは・・・(北村有起哉さんて、北村和夫さんの息子さんだったんですね、知らなかった)。
ちなみに北村さんがご自身のブログで『新聞記者』について以下のような文章を書かれていました。
しかし、映画を見終わって思うことは、この映画の主人公は官邸詰めの記者ですが、これは民主党政権時であればこそ成り立つ設定であり、第二次安倍政権時に原発事故が起きていたら、官邸記者を主人公にしても、とてもストーリーが転がらないでしょうね。質問をいちいち事前通告しなければまともな回答が出てこないのですから。
ちなみに、90分版の他に、オリジナルの130分版があるようなのですが、その関係については、以下のような説明がありました。
「3.11事故当時の官邸の様子を、福島や東京での人間ドラマも含めて描き出したオリジナルの130分版。その内容を凝縮した90分版が出来ました。各地の自主上映会場などで、専門家の講演やトークショーなどをセットにしたいが、それだと130分は長すぎるというお声を多数頂戴していました。そのため、本編を再編集し90分版を誕生させました。」
2020年4月26日配信(予定)のメルマガ金原No.3459を転載します。
「仮設の映画館」がオープンしました!~まずは『春を告げる町』(島田隆一監督)を鑑賞
4月16日に新型インフルエンザ等対策特別措置法第32条に基づく緊急事態宣言の対象地域が7都府県から全国全ての都道府県に拡大された際には、「東京、大阪とはフェーズが違う」ということで、特措法に基づく休業要請はしないとしていた仁坂吉伸和歌山県知事でしたが、「県外からの感染移入が多いことを踏まえ」、4月23日、特措法第24条9項に基づき、同月25日から5月6日までの休業要請に踏み切りました(「緊急事態宣言が発出されたことに伴う県民の皆様へのお願い(第4弾)~施設の休業要請について~」)。
そして、その「休業要請の対象となる施設一覧」の中には、ナイトクラブなどの遊興施設やパチンコ屋などの遊戯施設の他、映画館も含まれていました。
私は、和泉山脈に沿って東西に流れる紀の川の北岸、和歌山市の北東部に住んでいるのですが、自宅から車で10分も南下すれば、10スクリーンを持つ「ジストシネマ和歌山」があり、逆方向にやはり10分も北進すれば、同じく10スクリーンを持つ「イオンシネマ和歌山」があるという具合で、もしも私が週末ごとに劇場に足を運ぶ映画愛好者であるとすれば(地方在住者としては)夢のような環境であり、あとは、ミニシアターが近くにあれば申し分なしというところでしょう。
残念ながら、私自身、年に数えるほどしか映画館で映画を観ることがありませんので、このような良好な鑑賞環境も宝の持ち腐れでした。
そして、今度の緊急事態宣言です。「イオンシネマ和歌山」は、既に4月18日から(全国的に)臨時休業に入っており、「ジストシネマ和歌山」も、和歌山県からの休業要請に応える形で、4月25日から5月6日までの臨時休業に入りました。
休業が長引けば、大手シネコンにも影響が及ぶことが懸念されますが、それよりもまず真っ先に大きな打撃を受けるのが単館系ミニシアターと呼ばれる映画館です。
シネコンでの上映が難しい良質なドキュメンタリー映画や海外作品、実験的な作品などは、これらのミニシアターを「場」として観客と出会うことにより、その価値が社会において「共有」されます。
ところが、そのような「場」を提供してきたミニシアターが生き残れないのではないかという危機的状況を何とか打開したいと、「観察映画」で名高い想田和弘監督と配給会社の東風が話し合い、「仮設の映画館」をオープンさせることになりました。
昨日(4月25日)、東日本大震災直後に全町避難を余儀なくされ、東京電力や自衛隊の前線基地となった福島県双葉郡広野町の人びとの現在を追ったドキュメンタリー映画『春を告げる町』(島田隆一監督)の「仮設の映画館」でのWEB公開が始まり、5月2日からは想田和弘監督の『精神0』他、多くの作品の公開が予定されています。
「仮設の映画館 Temporary CINEMA」で映画を鑑賞したい人は、このサイトを訪れることになります。
まず始めに、「仮設の映画館とは?」と「想田和弘監督のメッセージ」を読んでみましょう。
観客が映画館へ足を運べない状況に対して
合同会社 東風
(抜粋引用開始)
ご承知のように新型コロナウイルスの影響は、映画にとっても甚大です。劇場が休館を余儀なくされたり、たとえ上映を続けていても観客が安心して鑑賞することができなければ、いずれは劇場だけでなく配給会社も製作者も閉館や廃業ということになりかねません。いま脅威にさらされているのは、観客、劇場、配給、製作者によってまわっている「映画の経済」です。では、新作映画を楽しみにしている観客、劇場、配給、製作者、みんなにとって何かよいことができないか。新作『精神0』の公開を控えた想田和弘監督と配給会社東風のスタッフで相談しました。
そこで予定していた劇場公開と並行して、インターネット上に「仮設の映画館」をつくってみることにしました。ここには賛同してくれた全国各地の劇場が軒を連ねています。観客は、どの映画館で作品を鑑賞するのかを選ぶことができます。そして、その鑑賞料金は「本物の映画館」の興行収入と同じく、それぞれの劇場と配給会社、製作者に分配される仕組みです。
これは、新型コロナウイルスの脅威によって停滞している「映画の経済」を回復させるための試みの一つです。そして、この認識と方法とを全国の劇場、配給会社、製作者、そして映画ファンのみなさんと広く共有することによってはじめて「仮設の映画館」は有効かつ持続可能な施策となり、ともにこの状況を乗り切ることができるのではないか。そのように考えています。
さてまずは最寄りの劇場へ。そして、たまには懐かしい街の劇場を訪ねてみてください。もちろん状況が改善したら、ぜひ「本物の映画館」に足をお運びください。ここはあくまで「仮設の映画館」です。
「仮設の映画館」概要
鑑賞方法
作品ごとに配信期間・鑑賞期限/方法は異なりますので、詳しくは各上映作品のページをご覧ください。
鑑賞料金の分配
プラットフォームの使用料等を差引後、一般的な興行収入と同様に、劇場と配給とで5:5で分配。さらに配給会社と製作者とで分配します。なお上映を予定していた劇場がそれぞれの事情により休映・休館した場合も「仮設の映画館」では続映し、その収益の分配の対象となります。
(以下略)
(引用終わり)
映画がコロナ禍を生き延びるために『精神0』を“仮設の映画館”で公開します
座して死を待つよりは
想田和弘
(抜粋引用開始)
新型コロナウイルス禍が深刻化するなか、映画を劇場で観て下さる方の数が激減し、全国の映画館が存続の危機に立たされています。
特に拙作が上映されるような、単館系ミニシアターの窮状には、のっぴきならないものがあります。「封切ったばかりの新作なのにお客さんが1日で0だった」「このままでは劇場の家賃や人件費も払えないので廃業するしかない」といった悲鳴が聞こえてきます。
だからといって、「皆さん、ぜひ映画館へ足を運んで応援を!」と積極的にお勧めできないのが、今回の危機の辛いところです。もちろん、厳しい換気基準をクリアした映画館で映画を鑑賞する行為は、消毒の徹底やマスクの着用、人数制限などを徹底すれば比較的感染リスクは低いと言われています。それでも、映画館とご自宅の移動中のリスクなども考え合わせると、推奨しにくいのが現実です。
5月2日から僕の新作『精神0』も全国順次公開予定なのですが、正直、家族や友達にさえ「映画館に来てね!」とは言いづらい自分がいます。それが本当に辛い。特に高齢の親には言い淀んでしまいます。
(略)
しかし公開を延期する方法には、大きな問題があります。
もしすべての映画製作者が作品の延期を決めてしまったら、映画館は当面、いったいどうなってしまうのか。急場をしのぐために旧作を慌ててかき集めて上映を細々と続けるか、休館するしかなくなるでしょう。コロナ禍が長引けば、ほとんどのミニシアターは廃業せざるをえなくなるのではないか。つまり1年後に『精神0』の公開を延期したとしても、そのときには上映できる映画館が全滅した「焼け野原」になっている可能性すらあるのです。
(略)
そこで浮上したのが、5月2日から『精神0』を“仮設の映画館”で上映するというアイデアです。つまりデジタル配信です。
といっても、これは劇場公開の後に行われる通常の配信とは仕組みが異なります。
観客の皆さんには、最寄りの映画館の特設ページに行っていただきます(東京圏の方は渋谷シアター・イメージフォーラムのページへ、岡山の方は岡山シネマクレールのページへ)。
そして映画館で映画を観ていただく代わりに、オンラインでご鑑賞いただきます。料金は劇場で観ていただく一般的な当日料金の1800円です。お支払いいただいた1800円は、通常の劇場公開の場合と同様の割合で、映画館と配給会社、製作者に分配されます。3人のご家族でご覧いただく場合には、3回ご購入していただければ本当に助かります。
もしこれがうまく機能すれば、映画館だけでなく、配給会社や製作者にも、通常の劇場公開を行った場合と同程度の収入が見込めます。そして『精神0』以外の作品でも同様のことが行えれば、たとえリアルな映画館が一時休館せざるをえなくなっても、収入の道が確保できます。したがってコロナ禍が過ぎた後、劇場・配給・製作の三者が生き残っている可能性が高まります。
(略)
いずれにせよ、これは劇場、配給、製作、そして観客という「映画のエコシステム」を守るための苦肉の策です。ぜひとも趣旨をご理解いただき、積極的にご参加・拡散いただけると幸いです。
(略)
コロナ禍が終わり、皆さんと実際に安心してお会いできる日が来ることを、楽しみにしております。みんなで一緒に乗り切っていきましょう!
(引用終わり)
上記2つの文章は全文引用すると長過ぎるので抜粋に留めましたが、是非「仮設の映画館」公式サイトで全文お読みいただければと思います。
省略した部分の内、特に東風さんの文章の中で、「賛同・参加配給会社」が「東風」以外にどんどん広がっていることは注目すべきだと思います。
また、この「仮設の映画館」については、多くのメディアが好意的に取り上げてくれていますが、そのうちの2つだけご紹介しておきます。
1つは、KSB瀬戸内海放送が放送した5分余りの映像(想田和弘監督と奥様へのインタビューを含む)です。
〈新型コロナ〉「お金の流れをそのまんま確保」ミニシアターの支援へ 映画監督が新作をデジタル配信 岡山市(5分19秒)
もう1つは、4月23日に朝日新聞デジタルが運営する「&M」に掲載された想田監督へのインタビュー構成記事でとても充実しています。想田さんがFacebookに書かれたところによると「朝日新聞の石川智也記者から取材を受けました。さすが石川記者、映画の話だけでなく、文化行政や全体主義にまで射程が届いています。多くの方に今こそ読んでほしい。」だということです。
「日常と自由を手放さぬために、映画の灯を取り戻す」 想田和弘監督、ミニシアターを救う“仮設の映画館”を始動
この長文の記事の中から3箇所だけ抜粋で紹介させてください。
(抜粋引用開始)
トランプ米大統領はウイルスとの戦いを「戦争」になぞらえ、戦時指導者のイメージを誇示している。「有事なのだから筋論を言っている場合ではない」という風潮はいまや先進国も含め世界に広がっている。だが、想田は特に日本でこうした現象がエスカレートしかねないと危惧している。
「日本にはそもそも、個人を犠牲にしても全体を優先する思想や態度が会社や学校、家庭にまで浸透しています。民主主義のシステムを少しずつ、確実に切り崩してきた権威主義的な安倍政権が支持され続けていることと無縁ではない。僕は『熱狂なきファシズム』と名付けていますが、それは主権者の無関心と黙認のなか、低温やけどのようにじわじわと進む全体主義のことです」
「こういう社会は、自民党が改憲案で盛り込んだ『公益』『公の秩序』という超越的価値に飛びつきやすい。『いまは非常時なんだ』『人が死んでいるんだ』という掛け声とともに、一気に『人権が制約されるのも仕方ない』という方向に行きそうで怖い」
大仰な言い方かもしれないが、1940年代の日本も、ある日突然爆弾が降ってきたわけではない。物資が手に入らなくなり、すぐに戻ると思っていた人が帰らず、社会の雰囲気が変わり、段々と状況が悪くなっていった。日常と非日常との境目はおそらく、一目でそれと分かるようには訪れないものだ。
「制限や制約のある生活に慣れ、大事なものを手放したことに気づかぬまま、ちょっとずつ日常の風景が変わっていく。すべてが終わった時にはもう後戻りできない遠いところに来てしまっていた――そんなことにならないか、非常に危惧しています」
(略)
「仮設の映画館」というネーミングについて「東風」の担当者、渡辺祐一はこう解説する。
「災害などの非常時には、生活に必要なものは必ず仮設でつくられます。例えば、仮設のトイレ、仮設のシャワー、仮設の住居……。同じように、人々に喜びや笑いや感動を届ける映画館というものは、なにか非常事態があった時でも仮設で建てられるくらい必要とされるものであってほしい。そういう思いも込めています」
(略)
最近にわかに増刷を重ねているというアルベール・カミュ著『ペスト』の終章に、こんなシーンがある。猖獗(しょうけつ)きわめる疫病に立ち向かい、極限状態でも人間の尊厳を保ち続けた主人公のひとりは、「どういうことをいうんです、平常の生活に帰るっていうのは?」と問われ、笑って答える。
「新しいフィルムが来ることですよ、映画館に」
(引用終わり)
さて、「仮設の映画館」で実際に映画を観る方法ですが、公式サイトを下の方にスクロールしていくと「上映作品」のポスターが並んでおり、そのうち、上映中の作品(今のところ『春を告げる町』だけですが)をクリックすると、「仮設の映画館とは」「鑑賞方法」「FAQ」が現れますので、「鑑賞方法」をクリックすることになります。
試みに、『春を告げる町』の「鑑賞方法」は以下のようになっていました。
(抜粋引用開始)
Q.鑑賞方法を教えてください。
1.まず動画共有サイトVimeoのアカウント登録(無料)が必要です。こちらから登録をお願いします。Eメールアドレスやグーグルアカウントで登録が可能です。
2.登録・ログイン後、「仮設の映画館」の自分が鑑賞したい映画館の上映ページで「¥1,800でレンタル」ボタンを押すと、「お支払い情報を入力」というウィンドウが開きます。こちらで支払方法を選択・入力してください。
Vimeoは現在、Visa、Mastercard、American
Express、PayPalに対応しており、日本円でお支払できます。必要情報を入力し、「¥1,800でレンタル」ボタンを押すと、すぐに再生が可能になります。
Q.『春を告げる町』のストリーミング配信期間、鑑賞期限を教えてください。
A.『春を告げる町』のストリーミング配信期間は、2020年4月25日(土)10:00から5月22日(金)21:00までとなります(延長の可能性もあります)。ダウンロードはできません。また鑑賞期限は、レンタル購入後24時間以内です(*5月22日21:00に購入した場合は、翌5月23日(土)20:59まで鑑賞可能です)。
Q.『春を告げる町』を字幕・音声ガイド付きで鑑賞することはできますか?
A.『春を告げる町』は『UDCast』方式による視覚障害者用日本語音声ガイド、聴覚障害者用日本語字幕に対応しています。
●日本語音声ガイド
『UDCast』アプリをインストールしたスマートフォン・iPod touch 等の携帯端末で、音声ガイド付きで映画をお楽しみいただけます。
●日本語字幕ガイド
『UDCast』アプリをダウンロードしたスマートフォン・iPod touch 等の携帯端末、または字幕表示用のメガネ型端末(MOVERIO)で、字幕付きで映画をお楽しみいただけます。
Q.海外からも鑑賞できますか?
A.『春を告げる町』は日本国内でのみ鑑賞可能です。
(引用終わり)
ということで、早速、私もこの「仮設の映画館」で『春を告げる町』を鑑賞してみることにしました。
まず、「Vimeoのアカウント登録(無料)」は簡単にできました。
続いて「自分が鑑賞したい映画館の上映ページ」を探すことになります。『春を告げる町』の場合、関東3館、北海道・東北4館、中部4館、近畿4館、中国・四国1館の計16館の中から、自分の好きな映画館を選択します。行きつけの映画館がある人は、当然その館を選ぶのでしょうが、私の場合、そもそも和歌山にミニシアターはありませんし、近畿4館の中にも行ったことのある映画館は1つもありませんでした。
わずかに、『朝日のあたる家』(太田隆文監督)を「シアターセブン」に観に行ったことがあったご縁から(?)「第七藝術劇場」を選択しました。
そして、「¥1,800でレンタル」ボタンを押して「お支払い情報を入力」となりました。私はクレジットカード決済を選択したのですが、入力すべき情報の内、「MM」「YY」というのが、カード有効期限の「月(MONTH)」「年(YEAR)」のことだと気が付くまでにしばらくかかってうろうろしましたが、何とか無事入力を済ませ、鑑賞できることになりました。一度見終わっても、24時間以内であれば何度でも見直すことができます。いわば、「入れ替え制」ではなく「流し込み」の映画館だと思えば良いでしょう。
本編の上映開始前に、以下のような「オリジナルマナーCM」が流れます。
〔仮設の映画館〕オリジナルマナーCM(1分00秒)
この後、「仮設の映画館」で近日公開作品の予告編が何本か流れるのかと一瞬思いましたが、さすがにそれは(今のところ)ありませんでした。
さて、本編の『春を告げる町』を最後まで(休憩を入れずに一気に)鑑賞し、エンドロールの最後に「製作 広野町、合同会社JyaJya Films」というクレジットが流れるのを読みながら、私は、福島県立ふたば未来学園高等学校演劇部の創作劇に託した「復興とは何か」という、決して大上段に振りかぶってはいないけれど、虚心に画面に向かえば誤解しようのない問いかけに、観客の1人として「どう答えようか」と今も考えているところです。
現実の映画館や自主上映会で他の観客と一緒に観る場合と、パソコンのディスプレイに1人で向かい合った「仮設の映画館」と、どこがどう違うのか、にわかに結論を出せるだけの経験を積んではいないので、とりあえず留保としたいと思います。
ただ、「仮設の映画館」は、あくまで「現実の映画館」に帰還するまでの仮住まいであることが前提ではあるものの、仮設が仮設でなくなる現実というのもあり得るわけで、実際、今日鑑賞した『春を告げる町』で描かれた福島県広野町の「復興した姿」も、決して「3.11」前と同じではあり得ないのと同じように、「仮設の映画館」後も、「仮設の映画館」前と全く同じ姿には戻れないと考えるべきでしょう。
私自身は、NetflixやAmazonプライムで映画を観る習慣はありませんが、時代が大きく動いているらしいという気配はさすがに感じています。
これから「仮設の映画館」で上映が予定されているような作品群が、将来的にどのような形態で観客に相まみえることになるのか、私には予想もつきませんが、映画の作り手、送り手、受け手が、それぞれ経済的に成り立つ合理的なシステムの構築が望まれます。
「仮設の映画館」の試みが、単なる「急場凌ぎの一時避難所」の域を超えた拡がりを持ち得るのではないか、そのような予感をいだきながら、第1回配給作品『春を告げる町』を鑑賞しました。
以下に、現在「仮設の映画館」で上映中、及び近日公開と予告されている作品の公式サイトにリンクするとともに、予告編をご紹介しておきます。
是非、積極的に「仮設の映画館」で映画を楽しんでいただければと思います。
4月25日(土)公開
『春を告げる町』(島田隆一監督)
配給:東風
公式サイト
予告編
5月2日(土)公開
『精神0』(想田和弘監督)
配給:東風
公式サイト
予告編
5月2日公開
『巡礼の約束』(ソンタルジャ監督)
配給:ムヴィオラ
公式サイト
予告編
5月2日公開
『タレンタイム 優しい歌』(ヤスミン・アフマド監督)
配給:ムヴィオラ
公式サイト
予告編 I go ver.
予告編 Angel ver.
5月2日公開
『グリーン・ライ~エコの嘘~』(ヴェルナー・ブーテ監督)
配給:ユナイテッドピープル
公式サイト
予告編
5月2日公開
『友川カズキ どこへ出しても恥かしい人』(佐々木育野監督)
配給:シマフィルム株式会社
公式サイト
予告編
5月8日(金)公開
『島にて』(大宮浩一・田中圭共同監督)
配給:東風
公式サイト
予告編
5月上旬公開
『タゴール・ソングス』(佐々木美佳監督)
配給:ノンデライコ
公式サイト
予告編
5月中旬公開
『プリズン・サークル』(坂上香監督)
配給:東風
公式サイト
予告編
6月6日公開
『タッチ・ミー・ノット~ローラと秘密のカウンセリング~』(アディナ・ピンティリエ監督)
配給:ニコニコフィルム
公式サイト
予告編
(弁護士・金原徹雄のブログから/想田和弘監督関連)
2013年6月20日
映画『選挙2』と想田和弘監督の憲法を守るための闘い
2014年9月17日
極右グループが利用し尽くす「善意」~想田和弘氏が指摘する「善意」の行き着く先
2015年1月5日
想田和弘さんの分析枠組「消費者民主主義」の有効性はいよいよ高まっている~『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』再読
2019年7月3日配信(予定)のメルマガ金原No.3421を転載します。
8/25ゴジラ 和歌山上陸!~映画『ゴジラ』第1作(1954年)デジタルリマスター版の上映と主演俳優宝田明さんの講演(和歌山市民会館小ホール)のご案内
1年以上の準備期間を経て(というのはやや大げさですが)、ようやくこの企画を皆さまにご案内できることとなり、本当に嬉しく思っています。
来る8月25日(日)、和歌山市民会館小ホールに俳優の宝田明さんをお招きし、宝田さんの講演と併せて、宝田さんが主演された、あの傑作として名高い映画『ゴジラ』第1作(1954年/本多猪四郎監督)デジタルリマスター版を上映するという、特撮ファンにとっては夢のような企画です。
時あたかも、ハリウッド版『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』が全世界同時公開される中、水爆大怪獣として1954年に誕生した「ゴジラ」の原点に立ち返り、「ゴジラ」が私たちに訴え続けてきたものは何だったのかを考えてみたいというのが、準備を重ねてきた主催者「和歌山G&Tプロジェクト」の願いです。
ところで、私もメンバーの1人であるこの謎の(?)プロジェクトは、実態としては、昨年の4月7日、和歌山市あいあいセンターにおいて、和歌山信愛女子短期大学教授の伊藤宏先生の講演会「ゴジラvsシン・ゴジラ~ゴジラから読み解く平和憲法~」を企画・主催した実行委員会のメンバーが中心となり、そこに、伊藤先生ご自身や、東宝との折衝など興業面を担当していただく和歌山音楽愛好会フォルテの花光さんにも加わっていただき、7人のメンバーで構成されています。『ゴジラ』第1作と同じ1954年に同じ東宝から公開された黒澤明監督の傑作にちなみ、プロジェクトのメンバーを「七人の侍」と名付けたい気もしますが、いささか手前味噌すぎますので遠慮しています。
なお、企画当初からご相談していた「9条ネットわかやま」にも共催団体として加わっていただきましたし、チケット販売へのご協力を約束しいてくださった協賛団体も、以下のチラシ記載のとおり、14団体にのぼります。
また、以下のとおり、マスコミ各社からもご後援いただくことができました。
そもそも、この企画が動き出すことになったのは、昨年5月4日付の毎日新聞(全国版)の社会面に大きく掲載された伊藤宏先生についての記事(インターネット版の見出しは「原点は反戦・反核 ゴジラで読み解く平和憲法」でした)を読まれた宝田明さんが、和歌山信愛女子短期大学にかけられた1本の電話がきっかけでした。その詳しい内容は、8月25日の講演の中で明かされるかもしれませんので、ここではこれ以上書くことは控えたいと思います(毎日新聞の記事を紹介した私のブログにリンクしておきます)。
2018年5月4日
東京新聞に続き毎日新聞にも伊藤宏先生が大きく取り上げられました!
以下には、8月25日の企画のための「予習」にうってつけの教材をいくつかご紹介しておきます。
○伊藤宏先生は、私の知る限り、これまで「ゴジラ」についての3本の本格的な論文を書かれています。
「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと-映画に描かれた「原子力」を読み解く-」(2005年)
「ゴジラが伝える日本国憲法の意義-平和・反核・民主主義-」(2018年)
「ゴジラ映画における原子力描写-核兵器と原発はどのように捉えられてきたか-」(2019年)
以上3論文は、いずれも伊藤先生のご厚意により、私のブログに全文転載させていただいています(後掲のリンク一覧参照)。是非お読みください。
○宝田明さんが、11歳の時に経験したソ連軍による侵攻とその後の悲惨な体験から、「戦争は絶対にしてはならない」と強く訴えておられることはよく知られていることと思いますが、インターネットで視聴できる宝田さんの動画を2本ご紹介しておきます。
2014年12月16日公開 みんなの戦争アーカイブス(聞き手:堀 潤 ほか)
【ぼくは軍国少年だった】宝田明さん戦争証言(2時間23分)
2015年8月6日 日本記者クラブにて
俳優 宝田明氏 「戦後70年 語る・問う」(29)(1時間37分)
○私は、過去一度、(伊藤先生とお会いする前でした)「ゴジラ」をフューチャーしたブログを書いたことがあります。
2014年6月8日
『ゴジラ』は今も世相を撃てるか?
当時、東宝が『ゴジラ』(1954年)「60周年記念デジタルリマスター版」を全国一斉公開するのに併せ、日本映画専門チャンネルが「総力特集・ゴジラ/ハイビジョンリマスター版/30作品完全放送」を連続放映しており、私も『ゴジラ』(1954年)と少年時代に見た何本かを録画した余勢を駆って書いたものです。
既に5年以上が経過し、リンク切れになっている動画が何本もあったりしますが、今なお愛着のあるブログの1つです。
その中から、2014年5月1日付の中日新聞に掲載された宝田明さんインタビューの最後の部分のみ引用します。
「戦後六十九年。戦争の記憶が薄れた今の日本で、平和を掲げる九条が揺らいでいる。その旗を振っているのはゴジラのもう一人の「同級生」、一九五四年生まれの首相安倍晋三。四月の首脳会談でオバマ大統領に「歓迎、支持する」と言われ、集団的自衛権の行使を認める姿勢をより一層強めている。
「議席の大多数を持っていれば、何でもできちゃうと思うんだ。おごり高ぶりと言うのかね」。宝田は、九条の見直しに積極的な安倍を含む政治家を「戦争を知らない子どもたち」と呼び、なし崩しのやり方に異を唱える。「(沖縄県)尖閣諸島を米国と共同して守るとか勇ましいけれど、今や武力じゃない。賢明な国、侵しがたい国というイメージをつくらなきゃ」
今年公開される第一作の復刻版。宝田は政治家たちにぜひ見てほしい。そしてゴジラにこう願う。
「国会や街に向かって、『目を覚ませ』って咆哮(ほうこう)してくれないか」」
ちなみに、ゴジラや安倍晋三首相と同じく、私(金原)も1954年(昭和29年)生まれです。
それでは、以下にチラシ記載情報を転載します。是非1人でも多くの方にご参加いただけますよう、よろしくお願いします。
(チラシ記載情報から引用開始)
-チラシ表面-
ゴジラ 和歌山上陸!
宝田明さんと考える「平和」~これまでとこれからと~
『ゴジラ』第1作(1954年)デジタルリマスター版上映と
主演俳優 宝田明さんの講演
2019年8月25日(日)
和歌山市民会館 小ホール
和歌山市伝法橋南ノ丁7 ☎073-432-1212
10:30 開場
11:00 映画『ゴジラ』 第1回上映(97分)
14:00 宝田明さん 講演
16:00 映画『ゴジラ』 第2回上映(97分)
ロビー展示 伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)秘蔵のゴジラコレクション(フィギュア)をロビーで展示します。
入場料(全席自由席)
一般 1,500円
大学生・高校生 1,000円
中学生・小学生 500円
※途中外出していただけます。再入場の際は必ず半券をご提示ください。
チケット取扱い
和歌山音楽愛好会フォルテ 073(422)4225
和歌山県民文化会館 073(436)1331
和歌山市民会館 073(432)1212
音楽文化堂 県庁前店 073(422)3562
HITSイシイ本店 073(422)6796
LURUMUSIC 073(457)1011
八木楽器 岩出店 0736(62)4397
主催 和歌山G&Tプロジェクト/9条ネットわかやま
お問合せ先
☎073-422-4225(和歌山音楽愛好会フォルテ)
☎073-427-0852(金原法律事務所)
☎073-444-6870(花田)
後援 (株)テレビ和歌山/(株)和歌山放送/朝日新聞和歌山総局/毎日新聞和歌山支局/読売新聞和歌山支局/ニュース和歌山(株)/わかやま新報/(株)和歌山リビング新聞社
協賛 一般社団法人障害者映像文化研究所/上岩出診療所/キリスト者9条ネット和歌山/くまの平和ネットワーク/憲法9条を守る和歌山弁護士の会/子どもたちの未来と被ばくを考える会/社会福祉法人一麦会麦の郷/にんにこ被災者支援ネットワーク・和歌山/和歌山県教職員組合/和歌山県高等学校教職員組合/和歌山県地方労働組合評議会/和歌山県平和委員会/和歌山県平和フォーラム/和歌山県保険医協会
協力 (株)宝田企画、ジストシネマ和歌山
-チラシ裏面-
皆さまへ
3月1日のビキニ環礁における米国の水爆実験により、日本の第五福竜丸をはじめとする多くの漁船が被ばくしてから8ヶ月後の1954年(昭和29年)11月3日、「水爆大怪獣」と銘打たれた巨大怪獣が登場する第1作『ゴジラ』が公開され、日本人の10人に1人は観たという空前の大ヒットとなりました。
その『ゴジラ』公開から65年を迎える今年、ハリウッド版『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』が大ヒットする中で、ゴジラが私たちに問いかけてきたものは何だったのか?その原点に立ち返って考えるため、『ゴジラ』第1作(デジタルリマスター版)を大画面で上映するとともに、同作に主演され、『銀幕に愛を込めて ぼくはゴジラの同期生』という著書もあり、少年時代の戦争体験を踏まえて平和の尊さを熱心に訴えておられる俳優の宝田明さんにご講演いただくこととなりました。
宝田さんからは、第1作『ゴジラ』撮影当時の思い出のほか、ゴジラの発するメッセージ、ゴジラへの思いなどを存分に語っていただけるものと期待しています。
「ゴジラ」ファン、宝田明さんのファンはもとより、「平和」について真剣に考えたいという方に是非お越しいただきたいと念願しています。
映画『ゴジラ』(1954年)について
製作/田中友幸 監督/本多猪四郎 原作/香山滋 脚本/村田武雄・本多猪四郎 特撮技術/円谷英二 出演/宝田明・河内桃子・平田昭彦・志村喬
《物語》長い戦争がようやく終わって9年、原水爆実験が繰り返される太平洋で、日本の漁船が相次いで沈没し、不漁続きの大戸島が嵐の夜に壊滅―。「巨大生物に襲われた」という生存者の証言は一蹴されたものの、古生物学者・山根博士を団長とする災害調査団が結成された。そして大戸島を訪れた調査団の目前に巨大な怪獣が姿を現す。島の伝説から「ゴジラ」と名づけられた怪獣は、近代兵器をものともせずに日本に上陸、東京はふたたび焦土と化すのだった。
宝田 明さんプロフィール
旧満州ハルピン出身 1934年4月29日生
1954年第6期東宝ニューフェイスとして、『かくて自由の鐘は鳴る』でデビュー。『ゴジラ』『青い山脈』『放浪記』など、映画出演本数は130本に上る。『あげまん』『ミンボーの女』『マルタイの女』などの伊丹十三作品にも出演。1964年『アニーよ銃をとれ』で、ブロードウェイミュージカルに挑戦し、芸術祭奨励賞を受賞。以後、『サウンド・オブ・ミュージック』『風と共に去りぬ』『マイ・フェア・レディ』など数多くの作品の主演をこなし、第6回紀伊國屋演劇賞、第10回ゴールデンアロー賞を受賞。2012年には自身の製作・演出・出演によるミュージカル『ファンタスティックス』を全国公演し、平成24年度文化庁芸術祭賞大賞を受賞。日本を代表するミュージカル俳優として不動の地位を築く。
近年は全国各地で講演活動も精力的に行っており、1945年にソ連軍が侵攻してきた満州での悲惨な少年時代の体験をもとに、平和の尊さを説いている。2016年5 月には、「戦後70年日本映画平和賞」を受賞する。2019年8月16日公開のハッピーミュージカルコメディ映画「ダンスウイズミー」(矢口史靖監督)に出演。
・CD「私の願い」(作詞:宝田明 作曲:沢木順)
・著書「平和と命こそ 憲法九条は世界の宝だ」(日野原重明先生・澤地久枝さんとの共著)
・回想録「銀幕に愛を込めて ぼくはゴジラの同期生」(2018年5月9日発売/筑摩書房)
(引用終わり)
(弁護士・金原徹雄のブログから/伊藤宏さん関連)
2016年10月25日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)が西谷文和さんと語る「現場記者が見てきた『原子力ムラ』」ほか~「自由なラジオ LIGHT UP!」最新アーカイブを聴く(027~030)
2017年1月17日
「憲法と平和・原発・沖縄問題を考えるシンポジウム」@2/4アバローム紀の国(和歌山市)へのお誘い~森ゆうこ参議院議員を迎えて
2017年1月27日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと(2005年)」を読む(前編)
2017年1月28日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと(2005年)」を読む(後編)
2017年7月14日
「伊藤宏先生~教えて!?憲法はどうなるの?どう向き合ったらいいの?」(7/17キリスト者9条ネット和歌山の集い)のご案内
2017年11月13日
伊藤宏氏(和歌山信愛女子短大教授)講演会「ゴジラとウルトラマンがあなたに伝えたいこと」(くまの平和ネットワーク12/9@新宮市福祉センター)のご案内
2018年2月22日
伊藤宏氏講演会「ゴジラVSシン・ゴジラ~ゴジラから読み解く平和憲法」(4/7@和歌山市あいあいセンター)のご案内
2018年4月14日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが伝える日本国憲法の意義-平和・反核・民主主義-(2018年)」を読む(前編)
2018年4月15日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが伝える日本国憲法の意義-平和・反核・民主主義-(2018年)」を読む(後編)
2018年5月1日
5月1日の東京新聞・こちら特報部に伊藤宏先生が取り上げられました!
2018年5月4日
東京新聞に続き毎日新聞にも伊藤宏先生が大きく取り上げられました!
2018年10月5日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)がこれから語る「ゴジラと日本国憲法」(2018年10月14日)&「ゴジラと原子力」(2018年11月17日)
2018年11月19日
【和歌山信愛女子短期大学セシリアホールに伊藤宏教授のゴジラ・コレクション全展示+信愛女子短大第44回公開講座「ゴジラと原子力~映画に描かれた原水爆と原発~」開催】
2019年3月17日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラ映画における原子力描写-核兵器と原発はどのように捉えられてきたか-」を読む(前編)
2019年3月17日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラ映画における原子力描写-核兵器と原発はどのように捉えられてきたか-」を読む(後編)
2018年10月5日
2018年10月5日
①山本太郎ドキュメンタリー映画『BEYOND THE WAVES』上映
参加費(資料代):499円(1円カンパでワンコイン♪)
会場:和歌山県民文化会館 小ホール
※※同日開催※※
放送予告・ETV特集「キャメラマンMIYAGAWAの奇跡」(2018年12月8日&再放送12月12日深夜)
私のブログでは、自分自身が見逃さないように、優れたドキュメンタリー番組を送り出す放送枠のホームページを定期的に閲覧してチェックし、随時取り上げるようにしているのですが、それでもそう頻繁にチェックする訳にもいかず、放送直前に気がついて慌てるということもあります。
特に、今日ご紹介するETV特集は、なぜか1週間前にならないと掲載されない(アンコール放送は別)という不思議な方針を堅持しているため、ついうっかり見過ごすということがあるのです(せめて2週間前には掲載して欲しい)。
おかげで、日本映画史上最高のカメラマン(少なくともその1人)である故・宮川一夫さんを取り上げた番組(何と今日12月8日の放送)を見逃すところでした。
大映のカメラマンであった宮川一夫さんの業績を語るのであればまず溝口健二作品から語るべきなのでしょうが、最近も、日本映画専門チャンネルで録り溜めた黒澤明監督作品のDVDを連続して視聴する機会があり、『羅生門』と『用心棒』という、宮川さんが撮影を担当した2作品の際だった撮影の妙に感心したばかりでした。
来週水曜日の深夜に再放送もありますので、遅まきながらご紹介することにしました。是非視聴したいものです。
NHK・Eテレ
本放送 2018年12月8日(土)午後11時00分~0時00分
再放送 2018年12月13日(木)午前0時00分~1時00分(12日深夜)
ETV特集「キャメラマンMIYAGAWAの奇跡」
(番組案内から引用開始)
日本映画を代表するカメラマン宮川一夫。黒澤や溝口、小津などの作品を撮影し数々の世界的映画賞を受賞した。生誕百十年、膨大な資料から奇跡の映像を生み出した秘密に迫る。
日本映画を代表するカメラマン宮川一夫。黒澤や溝口、小津などの巨匠と組み、「羅生門」「雨月物語」などで数々の世界的映画賞を受賞した。近年その作品は世界の映画人による4K復元が進む。生誕百十年の今年、本来の光と色を取り戻した作品27本がニューヨークで上映され多くの客を魅了した。自宅に残された撮影台本などの膨大な資料や、名だたる映画人の証言から奇跡の映像を生み出した秘密に迫る。是枝裕和、山田洋次ほか。
(引用終わり)
番組案内に書かれている「生誕百十年の今年、本来の光と色を取り戻した作品27本がニューヨークで上映され多くの客を魅了した。」というのは、宮川一夫さんの回顧イベント「Kazuo Miyagawa: Japan’s Greatest Cinematographer」のことで、ニューヨークのジャパン・ソサエティー、近代美術館、フィルム・フォーラムなどで開催されたものです。シネマ・トゥデイに掲載された関連記事2本にリンクしておきます。
上記回顧展のために作られた短いプロモーション動画がありました。
Kazuo Miyagawa: Japan's Greatest Cinematographer(45秒)
また、上記回顧展のためにニューヨークを訪れた宮川一夫カメラマンの長男・宮川一郎さんと長年に渡って撮影助手を務めた宮島正弘さんがスピーチをされている動画が、ジャパンソサエティから公開されています。
Cinematographer, Kazuo Miyagawa(1時間03分)
関西テレビの電波が届くところの方にしか役に立たず、しかもあと実質二昼夜で放送時間を迎えるという間際のお知らせになってしまいますが、「これは見過ごせないな」という思いから取り上げました。
その名は、カメジロー
※2月21日に急逝された大杉漣さんがナレーターを務めています。氏を偲んでいただければ幸いです。
(動画解説から引用開始)
00:00:00 プロローグ原発の始まり
(動画説明文から引用開始)
この「冤罪音楽プロジェクト イノセンス」のホームページもありました。
『真実・事実・現実 あることないこと』の歌詞も公開されています。
実は、私もにわか仕込みで勉強中なのですが、Wikipediaによると、師匠は、1976年11月、大阪市平野区生まれ。高校時代にスウェーデン長期留学、大阪市立大学法学部卒(私の学部の後輩だったのか!)。2001年11月旭堂小南陵(現四代目・旭堂南陵)に入門。前名・旭堂南陽から、2016年11月、四代目・玉田玉秀斎を襲名。「スウェーデン語を含む8か国語を操る講談師」とあります。うーん、すごい。
(参考サイト/映画『花筐』関連)
〇映画『花筐(はながたみ)』公式サイト
冒頭~ 司会(木村 結)
「ラジオフォーラム」の事実上の後継番組として、昨年の4月にスタートした「自由なラジオ LIGHT UP!」。ここ最近は3週間毎にお送りしている番組アーカイブの「まとめ」紹介、今日は、以下の3番組(062~064)をご紹介します。
渋谷アップリンク代表の浅井隆さん、英国エセックス大学人権センターフェローの藤田早苗さんのお話もとても興味深いのですが、最新アーカイブ(064)では、普段はこの番組のパーソナリティを務める西谷文和さんが、今回は「ゲスト」として出演し、南スーダン取材報告をされています。南スーダンの現状と併せ、自衛隊がどのような状況の中でどのような活動を行っていたのかについてのお話を聴くことができます。是非多くの方が聴取されますように。
なお、過去のアーカイブは以下のYouTubeチャンネルから聴取できます。
自由なラジオ Light Up! (001~039までのアーカイブが聴けます)
jiyunaradio funclub (039以降のアーカイブが聴けます)
第62回の自由なラジオは、映画通をうならせる上質な映画を上映するマイクロミニシアター「渋谷アップリンク」をお訪ねして、代表の浅井隆さんにお話しを伺いました。
渋谷アップリンクは、日本屈指の繁華街を抜けた先、独特の文化を持つ奥渋谷に位置し、そこに集うのは、単なる映画ファンにとどまらず、自分のライフスタイルを気ままにデザインしたい芸術家肌、あるいは知的な刺激を求める個性豊かな人々であったりもします。そんな人々が行き交う街にあるアップリンクの中には、3つのマイクロミニシアターがあります。座席数は、それぞれ58席、44席、40席と本当に小ぶりですが、居心地のよいアメニティの中で、スクリーンにじっくり没入できる自分だけの映画館といった作り。その他この建物の中には、こだわりのカフェやギャラリー、マーケット、そして映画にまつわる様々なイベントも多数とにぎやか。さて、そのオーナー浅井隆さんとはいったいどんな人物なのでしょうか?アップリンクにかけた映画の未来、そしてこれまで歩んでこられた人生を、木内みどりがじっくりていねいに伺いました。
渋谷アップリンク
「100,000年後の安全」
佐藤栄佐久さんが知事だったら、福島原発事故は防げていたはず・・・
映画「知事抹殺の真実」
東京音楽大学付属民族音楽研究所のカリマンさん紹介ページ
日本の人権の危機を国連に通報した!
デビッド・ケイ氏が日本に来るきかっけを作った藤田早苗さんを迎えて
PERSONALITY おしどり
GUEST 藤田早苗さん(英国エセックス大学人権センターフェロー)
藤田さんはどのような思いで、日本の現状を「危機的」と判断し、そして国連に通報したのか、また、あまたある通報の中で、藤田さんの指摘を見逃さなかった国連に対して、どのような協力を日々続けておられるのか?じっくりとお話しを伺いました。
番組後半では、藤田さんが、5月3日ジャカルタで開催された「国連世界報道自由デー」に参加したときのお話しを伺いました。日本ではよく知られていないこの大切な日、毎回日本人はほとんど参加しない中、世界の気高いジャーナリストたちの勇気ある活動を通して国際社会の報道の自由と知る権利という人権に対する意識の高さを感じるイベントだそうです。
今は戦火がない意味で平和?な日本において、少しずつずれていっている人権感覚が、気が付けば取返しのつかないことになっている、そんなことになってはいないか?国際社会を鏡にしっかり目を見開く必要がありそうです。リスナーの皆様にとって、今回の番組がそのきっかけとなればと願っています。
■Light Up!ジャーナル「脱原発先進国と日本は何が違うのか?」
電話インタビュー:小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
脱原発に舵を切ったドイツ、台湾と取材をしてきたおしどりと小出裕章さんの聞き逃せない対談です!世界中が原発から離れていく中で、なぜ日本だけが再稼働を続けるのか?根本的な疑問に迫ります。
■メインテーマ:「南スーダン最新報告~自衛隊は現地で何をしていたのか?」
今年3月13日、安倍首相の「一定の区切りがついた」発言とともに、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣されていた陸上自衛隊が5年余りの活動を終えて5月27日までに完全撤収しました。しかし、南スーダンの情勢は「一定の区切り」とは程遠く、内戦状態は決して終わったわけではありません。
そこで今回、この番組のパーソナリティでもあるジャーナリストの西谷文和が、南スーダンの潜入に成功。日本政府の発表はそのまま受け入れていいのか?現地の内戦事情だけでなく、自衛隊が現地で何をしていたのかまでを取材してきました。克明なレポートを矢野宏がインタビューします。
■よりそいコラム:「大阪発!メディアの現場から」
矢野宏が気になった話題を気ままに解説する「よりそいコラム」。今回は西谷さんがゲストということで、二人のジャーナリストが日頃見ている(もしくは出演している)大阪のテレビ局を中心としたメディア事情を語ります。
特に、視聴率に左右されているという現場の様子とその理由には、ジャーナリズムの役割自体が危ぶまれ兼ねません。その実感をリアルに語ります。
■LightUpジャーナル:「福島の山林火災と放射性物質の飛散」について
電話インタビュー:今中哲二さん(京都大学原子炉実験所研究員)
4月29日夕方、福島県浪江、双葉両町にまたがる十万山(じゅうまんやま)の国有林で出火。いったんは鎮火状態となっても、再び燃え始めることを繰り返し、発生から12日後にようやく鎮火しました。現場が東京電力福島第一原発事故の帰還困難区域だったこともあり、インターネット上では「放射性物質が飛散する」などの情報が飛び交いました。今回は、「福島の山林火災と放射性物質の飛散」について、今中さんにお話を伺います。
しばらく前に和歌山県保険医協会からお知らせいただいた映画『いきたひ~家族で看取る~』上映と長谷川ひろ子監督講演会については、すぐにFacebookにチラシの画像をアップしてお知らせしたのですが、メルマガ(ブログ)でもご紹介することとします。
(チラシ文字情報から引用開始)
『いきたひ~家族で看取る~』
映画上映・長谷川ひろ子監督講演
映画「いきたひ」は、長谷川監督がお子さんと共にご主人をご自宅で看取った体験をベースに、看取り士をはじめ家族を抱いて看取った方々のインタビュー、活動をまとめたドキュメンタリーです。
長谷川ひろ子
フリーアナウンサー、シンガーソングライター
秋田県出身・埼玉県在住、4児の母。
健康体操教室“スタジオMother!s”主宰
元日高市教育委員
著書「自分磨きは姿勢から」
夫の最期を4人の子ども達と自宅で看取る。その後、死生観について考えていく中で、看取り士・柴田久美子さんと出会う。人を看取ること生きることの意味を問うドキュメンタリー映画を自身で制作。映画の上映&講演活動を全国で展開中。
2017年7月6日(木)15:00~17:00
【会場】メディアアートホール
和歌山市西高松1-7-38(和歌山県立図書館2F)
開 場 14:30~ 受付開始
第1部 15:00~ 映画『いきたひ~家族で看取る~』上映
第2部 16:00~ 長谷川ひろ子監督講演
[前売り]18歳以上 1,500円 18歳未満 1,000円
[当日券]18歳以上 2,000円 18歳未満 1,500円
※定員200名
誠に申し訳ございませんが、会場の駐車場は駐車できる台数が少ないので、公共交通機関をご利用いただきますようお願いいたします。
要事前申込
チラシ下段に所定事項を記入してFAX(073-436-4827)で申し込んでください。
FAX以外でのお申込みは、電話:073-436-3766まで。
主催・和歌山県保険医協会
(引用終わり)
チラシに同封されていた和歌山県保険医協会(龍神弘幸理事長)からの「お誘い」の文書から、今回の企画の開催趣旨が述べられた部分を引用します。
(抜粋引用開始)
さて、今回ご案内いたしますのはドキュメンタリー映画「いきたひ」とその監督の長谷川裕子氏の講演会です。
厚生労働省は、「自宅で療養して、必要になれば医療機関等を利用したいと回答した者の割合を合わせると、60%」「要介護状態になっても、自宅や子供・親族の家での介護を希望する人が4割を超えた」などとPRして、病院のベッド減らしを正当化しようとしています。
病院ではなく、住み慣れた自宅で療養を望む声は、以前から多いのですが、「個人の尊厳」を守り、家族も納得できる療養をすることはまだまだ難しく、単身高齢者が増加している今は、誰にも看取られないということにもなりかねません。
来年の診療報酬改定の大きな議題の一つとなっており、様々な視点から考える必要があります。
映画「いきたひ」は、長谷川監督がお子さんと共にご主人をご自宅で看取った体験をベースに、『看取り士』や家族を抱いて看取った方々の胃あんたビュー、活動をまとめたドキュメンタリー映画です。
看取りを考える一助となればと考えて企画しました。
(引用終わり)
和歌山県保険医協会は、今年の4月27日(木)にガーデンパーク和歌山内のジストシネマにおいて、映画『いしゃ先生』を上映したばかりですが、今年は何だか映画づいていますね。
以下に、映画『いきたひ~家族で看取る~』関連サイトをいくつかご紹介しておきます。
平日午後の企画なので、都合のつく方は限られているかもしれませんが(開業医の方は木曜午後休診のところが多いのかな)、関心のある方に是非お奨めしたいと思います。
ちなみに、この7月6日(木)午後6時半から、和歌山ビッグ愛1階大ホールにおいて、和歌山弁護士会が、京都大学の高山佳奈子教授(刑事法)をお招きし、「あらためて、いわゆる共謀罪(テロ等準備罪)がもたらす社会を考える(仮称)」という市民集会を開催します。参議院「中間報告」採決の約39時間前に開催決定した企画であり、企画書にあった「法案」という表現は当然削除されることになります。
時間的にいって、映画『いきたひ~家族で看取る~』上映と監督講演に参加した後、和歌山ビッグ愛にかけつけることは十分可能です。和歌山県保険医協会の皆さんも、是非よろしくお願いします。
長谷川裕子監督 ドキュメンタリームービー「いきたひ」~家族で看取る~ プロローグ
「いきたひ」長谷川ひろ子監督 インタビュー
(弁護士・金原徹雄のブログから/和歌山県保険医協会関連)
2016年9月1日
7.1閣議決定についての木村草太説を振り返り 10.29木村草太氏講演会(和歌山県保険医協会)に期待する
2017年3月22日
映画『いしゃ先生』上映会(4/27@ジストシネマ和歌山)~和歌山県保険医協会創立40周年記念企画のご案内
今日は、6月4日(日)に開催される和歌山での映画上映会をご案内します。
作品は、沢口靖子さんが小学校教諭を演じる『校庭に東風(こち)吹いて』(金田敬監督/2016年)です。
どんな映画なんだ?という疑問に答えるため、まずは予告編をどうぞ。
ということで、私もまず予告編を見てみたのですが、次から次と多彩な登場人物が一言ずつしゃべってはあっという間に次のカットに移っていくので、予告編というのはそういうものだとはいえ、いくら何でもやり過ぎで、どんな映画なのかイメージが掴みにくいなあ(大塚まさじさんがいい味出しているのでは?という期待は抱きましたが)。
6分間の「特報」の4分40秒ころに、画面に以下のようなキャプションがあらわれます。
貧困から問題を起こす少年
彼らと向き合う教師たちの情熱で
〈涙〉は〈希望〉に変えられるのだろうか
(引用開始)
三木知世は、転勤で小学3年のミチルのクラスを担当する。
ミチルは、家では少し話せるのに学校では話せない。
一人でトイレにいけない、一人で給食を食べられない、歌えない、絵を描かない…。
「場面緘黙症」の疾患を持つミチルに、知世は、共感と愛情をもって接する。
同じクラスに、問題行動の多い安川純平がいる。
離婚した母親の理恵と純平は貧しい生活を送っている。
教室に飛び込んで来た青いインコを巡ってミチルと純平は幼い友情を芽生えさせる。
しかしある日インコが逃げ出してしまう…。
様々な問題に奔走する知世は、子どもたちの〈涙〉を〈希望〉に変えることができるのだろうか。
(引用終わり)
映画鑑賞のための予備知識としてはこれ位で十分でしょう。
ただ、「場面緘黙症」の少女が重要な役割を担って登場しますので、その点について事前に勉強しておきたいという方には、「かんもくネット」(場面緘黙の症状がある子どもや大人、経験者、家族、教師、専門家が協力しあい、活発な情報交換と正しい理解促進を目指す団体)の公式サイトを閲覧されることをお勧めします。
さて、映画『校庭に東風(こち)吹いて』の和歌山上映会です。
以下に、チラシと「参加のお願い」のPDFファイルから、必要な情報を抜き書きしてご紹介します。私も(頼まれてではありますが)呼びかけ人の1人になっており、是非観ようと思っています。皆さんもいかがですか?
原作:柴垣文子(新日本出版社・刊)
監督:金田敬 脚本:長津晴子 企画・製作:桂荘三郎
出演:沢口靖子、岩崎未来、向鈴鳥、遠藤久美子、柊子
製作:ゴーゴービジュアル企画 2016年/112分/カラービスタビジョン作品
日時 2017年6月4日(日) 2回上映(午前・午後)
●午前の部 10:00~(開場9:30)
●午後の部 14:00~(開場13:30)
※午前・午後の上映会後に、柴垣文子さん(原作者)のお話があります。
場所 男女共生推進センター6F(あいあいセンター内)
和歌山市小人町29 TEL:073-432-4704
入場料 1000円(前売・当日共) ※中高生・障碍者の方 500円
主催 映画『校庭に東風吹いて』和歌山上映実行委員会
連絡先 同実行委員会 和歌山市九番丁5 TEL:073-431-7317(島宏幸)
私たちは映画『校庭に東風吹いて』を応援し上映会への参加を呼びかけます。
青貝正子、池田光子、井本千代、岩田清彦、岩野久美、上杉文代、植西一義、浦口裕成、大川克人、大平喜代、岡本房雄、小倉佳典、太田勝、小野原アイ子、加藤明、上井紀宏、神谷米子、河原径子、神崎務、貴志芳子、北村悦子、金原徹雄、鈴木栄作、西郷章、崎山善久、佐々木真理子、里﨑正、澤田淳、島知子、島宏幸、瀬戸全子、田中順也、田中秀樹、田村悠紀栄、津村知恵子、冨村佳子、中谷弘子、中谷吉冶、中畑博文、中浜倫太郎、中村行子、にしでいづみ、西本真美、花田惠子、引地延子、桶尻雅昭、日野のぞみ、藤田かすみ、平松ルミ子、馬場潔子、堀八重子、松永久視子、南本禮子、龍神志乃、龍神弘幸、藪野寛、山塚操、湯川とし子、由比勝 (呼びかけ人/敬称略/4月13日現在)
先日、私が所属する青年法律家協会和歌山支部(青年会議所と違って青法協には「卒業」年齢の規定はありません)が今年、支部創立50周年の節目の年を迎えていることをお伝えしましたが(中野晃一氏 講演会「市民の力で立憲民主主義を創る~他者性を踏まえた連帯の可能性~」(4/28和歌山県民文化会館)のご案内/2017年3月18日)、昨日、青法協和歌山支部とも、団体どおしで非常に親しくさせていただいている和歌山県保険医協会(龍神弘幸理事長)から、「協会創立40周年記念企画」として映画上映会のご案内が届きました(青法協の前日です)。
保険医協会さんの記念すべき40周年記念企画とあれば、私のメルマガ(ブログ)でご紹介しない訳にはいかないと思って中身に目を通してみると、企画自体が非常に魅力的 なものでした。
映画の上映会自体は別に珍しくありませんが、1回限りの上映会のために、10スクリーンを持つシネコンの1館を借り切って上映するというのですから、充実した映写設備やゆったりしたシートなど、映画を鑑賞する外的環境は申し分ありません。
以下に、チラシの記載情報や和歌山県保険医協会からの案内文書を基に、上映会の概要をお伝えします。
映画『いしゃ先生』上映会
2015年 「いしゃ先生」製作委員会
監督:永江二朗 原作・脚本:あべ美佳
出演:平山あや、榎木孝明、池田有希子、上野優華、テツandトモ ほか
18:00~開場 18:30~上映(20時25分終了予定)
※本編の上映時間は1時間46分だそうです。
TEL 073-480-5800
※ジストシネマ和歌山には10スクリーンがありますが、その内、席数184のスクリーンで上映するそうです。調べてみると、シネマ9とシネマ10がキャパ184席であり、そのどちらになるかは当日会場に行ってみないと分からないでしょう。
申込方法
「席に限りがあります(184席)ので、チラシ裏面の申込書にて早めにお申し込みください」とのことです。
チラシのPDFファイルの2枚目(裏)をプリントアウトし、「氏名/申込枚数/住所/電話」を記入して、和歌山県保険医協会宛にFAX(073-436-4827)を送信して申し込んでください。
また、FAXを送る便宜のない方は、和歌山県保険医協会に電話(073-436-3766)して申し込んでもよいそうです。
以上が開催概要ですが、映画『いしゃ先生』ってどんな映画?について何も説明していませんでしたね。私も未見ですが、公式サイトに掲載された「あらすじ」と予告編をご紹介します。
昭和10年、出羽三山の主峰・月山の麓を、急ぎ歩く女性がいた。志田周子(ちかこ)、26歳。故郷の父から『ハナシタイコトアリ スグカエレ』という電報を受け取った周子は、取るものもとらず帰郷したのだ。山形の農村出身の彼女は、努力して東京女子医専(現・東京女子医大)に入学し、医者になったばかりだった。
―風が鳴く峠のてっぺんに立つ、周子。眼下に懐かしい景色が広がった。8年ぶりの美しい故郷だった。久しぶりの実家。幼い弟たちは周子に甘え、母・せいが手料理でもてなす。温かい出迎えを周子は喜ぶが、父・荘次郎の様子がおかしい。大井沢村の村長だった荘次郎は、周子の了承も得ぬまま周子名義で診療所建設の予算を通し、すでに建設が始まっていたのだ。「頼む、周子。3年だけお前の人生を俺にくれ。その間に必ず代わりの医者を見つけるから」父に頭を下げられた周子は、怒ることはできなかった。無医村のこの村に医者を置きたいという父の願いは、誰よりも理解していたから。まだまだ未熟な自分が一人で診療所の医師などつとまるのか……不安を抱えつつ、周子は3年間だけ頑張ってみようと心に決める。東京にいる想い人の存在を胸に秘めながら。
―自身に降りかかる数々の試練に耐え、過酷な運命にも負けず、昭和37年にこの世を去るまで、たったひとりで村人の命を守った「いしゃ先生」の愛と勇気の物語。
(引用終わり)
また、映画の公式ホームページの他に、「志田周子 雪の僻地に生命の灯を支えて」というサイトがあり、志田周子医師の事績を紹介するとともに、映画化プロジェクトについても詳しく掲載されています。
最後に、和歌山県保険医協会がこの映画の上映会を40周年記念企画として開催することにした趣旨を、同協会からいただいた案内文書から引用させていただきます。
多くの方が、『いしゃ先生』をご覧になり、地域医療や国民皆保険制度について考えるきっかけとなることを念願します。
【第1部 「安倍政権の横暴を許すな!」連続企画@和歌山市のご案内】
あと1週間に迫った、私が講師を頼まれている3月3日(金)の学習会のチラシが主催者(和歌山県平和フォーラム)から届きましたので、ご紹介します。
このチラシは、和歌山県平和フォーラムなど3団体が3月中に行う2つの企画の共同チラシとなっており、3月3日は共謀罪についての学習会、そして3月25日(土)が、講演と映画で「沖縄の今」を考える集会です。
以下に、チラシから2つの企画の概要を転記します。
前半(3月3日)の企画は、私の講演はともかくとして、参加者には、『一(いち)からわかる共謀罪 話し合うことが罪になる』(2017年1月発行/頒価200円)という、分かりやすくてためになる冊子が無償配布されるはずですから、それだけでも参加していただく価値があると思います。何しろ、■「秘密保護法」廃止へ!実行委員会(平和フォーラム 新聞労連ほか)、■解釈で憲法9条を壊す!実行委員会(許すな!憲法改悪・市民連絡会 憲法会議)、■盗聴法廃止ネットワーク(盗聴法に反対する市民連絡会 日本国民救援会)の3団体が共同で編集・発行したものですから。
同書には、海渡雄一弁護士(日弁連共謀罪法案対策本部副本部長)による2本の論考、「共謀罪って何?自由を奪う監視社会の到来」と「戦争準備法制としての治安維持法と共謀罪」も収録されており、とてもよくまとまっていて参考になります(ということで、私は自分のレジュメは作らずに、海渡弁護士の論考をレジュメ代わりにすることにしました)。
また、後半(3月25日)は、自治労沖縄県本部書記長の大嶺克志さんによる講演「沖縄で今、何が起きているのか」と、藤本幸久・影山あさ子共同監督作品『高江―森が泣いている 2』の上映が行われます。
明後日(2月26日)、和歌山県平和委員会が中心になった実行委員会の主催によるドキュメンタリー映画『いのちの森 高江』(謝名元慶福監督)の上映会が予定されていますし、是非両作とも観たいのですが、どちらも拠ん所ない所用が・・・(困った)。
(チラシから概要を引用開始)
安倍政権の横暴を許すな!
安倍政権は憲法・沖縄・原発・共謀罪など様々な分野で暴走を続けています。
沖縄では辺野古新基地建設の強行。欠陥機オスプレイの飛行と県民の意見や法さえも無視する暴挙が繰り返されています。
共謀罪法案はその危険性ゆえに、世論の強い反対で三度の廃案に追い込まれましたが、安倍政権は四たび国会に提出し、成立を狙っています。テロへの不安に便乗した権力の横暴を許してはなりません。
2017年3月3日(金)
場所/和歌山市勤労者総合センター(ふくふくセンター)6階文化ホール
和歌山市西汀丁34 TEL:073-433-1800
“共謀罪”とは何か?・その狙いとは
講師 金原徹雄 氏(弁護士・憲法9条を守る和歌山弁護士の会 前事務局長)
2017年3月25日(土)
時間/14:00~16:30
場所/男女共生推進センターホール(和歌山市あいあいセンター内)
和歌山市小人町29 TEL:073-432-4702
第1部 講演「沖縄で今、何が起きているのか」
講師 大嶺克志 氏(自治労沖縄県本部書記長)
第2部 映画『高江―森が泣いている 2』(上映63分)
藤本幸久・影山あさ子共同監督作品
(引用終わり)
(参考動画)
2016/12/17 映画『高江:森が泣いている2』初日トークイベント
※昨年12月17日のポレポレ東中野における公開初日トークイベント(藤本幸久監督、鎌田慧氏)の模様です。
【第2部 共謀罪をめぐる最新ニュース、動画、声明のご紹介vol.2】
今日の後半(第2部)は、共謀罪シリーズの第7回として、2月21日に続き、「共謀罪をめぐる最新ニュース、動画、声明のご紹介」のvol.2をお届けします。
(その1 ニュースの部)
東京新聞 2017年2月22日 朝刊
「共謀罪」拡大解釈の懸念 準備行為、条文に「その他」
(抜粋引用開始)
共謀罪法案は、犯罪に合意しただけで罰するのは内心の処罰につながるといった批判を受け、過去三度も廃案になってきた。安倍晋三首相や金田勝年法相らは今回、新たな共謀罪法案について「準備行為があって初めて処罰の対象とする」と過去の法案よりも適用範囲を限定する方針を説明。一方でハイジャックテロや化学薬品テロでは、現行法の準備罪や予備罪よりも前段階での処罰が可能になるとして、テロ対策での必要性を強調してきた。
新たに明らかになった条文では「犯罪を行うことを計画をした者のいずれか」によって「計画に基づき資金または物品の手配、関係場所の下見その他」の準備行為が行われた場合、処罰対象となる。ただ、準備行為はそれ自体が犯罪である必要がない。
例えば、基地建設に反対する市民団体が工事車両を止めようと座り込みを決めた場合、捜査機関が裁量で組織的威力業務妨害が目的の組織的犯罪集団だと判断し、仲間への連絡が準備行為と認定される可能性がある。
また、政府への抗議活動をしている労組が「社長の譲歩が得られるまで徹夜も辞さない」と決めれば、組織的強要を目的とする組織的犯罪集団と認定され、誰か一人が弁当の買い出しに行けば、それが準備行為とされる可能性がある。
米国の共謀罪に詳しい小早川義則・名城大名誉教授(刑事訴訟法)は「米国では、顕示行為(準備行為)は非常に曖昧で、ほんのわずかな行為や状況証拠からの推認で共謀が立証される」と説明。「日本の法体系と全くの異質のものを取り入れる必要性があるのか」と疑問を呈した。
また、「その他」は無制限に解釈が広がる恐れがある。新屋(しんや)達之・福岡大教授(刑事法)は「何でも当てはめることができ、限定にはならない。結局、犯罪計画と関係ある準備行為かどうかは、捜査側の判断になる」と述べた。
(引用終わり)
20170221 UPLAN 共謀罪を廃案にしよう!!安倍政治を終らせよう(1時間07分)
2月21日(火)に行われた立憲フォーラムと戦争をさせない1000人委員会が主催する「安倍政治を終わらそう!2月21日集会」の模様です。
この日のメイン講師は平岡秀夫さん(弁護士、元法務大臣、日本弁護士連合会共謀罪法案対策本部委員)、演題は「共謀罪と監視社会について考える」でした(動画の16分~1時間05分)。
なお、平岡さんの講演後、1時間06分から山尾志桜里衆議院議員(民進党)が、衆議院予算委委員会での審議状況について報告しています。ところで、山尾さんて、立憲フォーラムのメンバーだったんだろうか?(聞いたことなかったけど)。
(その3 声明の部)
MIC声明:「共謀罪」の国会提出に反対する
(引用開始)
2017年2月24日
日本マスコミ文化情報労組会議
議長 小林 基秀
国会で過去3度廃案になった「共謀罪」を「テロ等準備罪」と名称を変えた関連法案が、来月上旬に閣議決定され、国会に提出されると報道されている。
犯罪の実行行為がなくても相談をしただけで罪に問える「共謀罪」は、人々の思想・信条を処罰の対象にするものであり、戦前の治安維持法にも通底する危険な法律だ。
「共謀」(計画)を立証するために、電話や会議の盗聴や私信メールのチェックなどの捜査が将来的に導入されれば、プライバシーを著しく侵害する。民主主義社会の根幹である内心の自由、表現の自由、集会・結社の自由などの基本的人権を軽視する「共謀罪」は、日本国憲法の理念と相容れないと考える。
政府は、対象となる犯罪の数を300未満に絞り込むとともに、テロを引き起こす可能性のある「組織的犯罪集団」のみを適用対象とすると説明し、さらに、計画だけでなく「準備行為」も要件にするとしている。しかし、組織的犯罪集団や準備行為の定義はあいまいなままだ。捜査当局の恣意的な判断により、政府に批判的な市民団体や労働組合などにも「テロ集団」のレッテルを貼り、摘発の対象にすることを私たちは懸念する。
古今東西、政府が、自らに批判的な勢力やメディアを恣意的な法の運用で弾圧した事例に枚挙にいとまがない。日常的な取材・報道活動や、労働組合の正当な活動まで犯罪とされかねないこの法案を、私たちマスコミの現場で働く者は認めることはできない。
これまでの国会審議をみても、法相が何度も答弁に窮して立ち往生し、実質的な議論がなされていない。これは政府が準備している法案が、体系立てて論理的に説明できないほど不備が多いことの表れではないか。その上、国会での質問封じの文書を配布するなど、拙劣な対応が非難の的となっている。
民主主義社会にとって弊害が大きすぎる「共謀罪」関連法案の国会提出に、私たちは強く反対する。
以 上
日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)
(新聞労連、民放労連、出版労連、全印総連、映演労連、映演共闘、広告労協、音楽ユニオン、電算労)
この件に関する問い合わせは事務局・山下(070-5010-7156)までお願いします。
(引用終わり)
2017年1月25日
映画『いのちの森 高江』上映会@2/26和歌山市勤労者総合センターへのお誘い
2017年2月6日
レファレンス掲載論文「共謀罪をめぐる議論」(2016年9月号)を読む
2017年2月7日
日弁連パンフレット「合意したら犯罪?合意だけで処罰?―日弁連は共謀罪に反対します!!―」(五訂版2015年9月)を読む
2017年2月8日
「共謀罪法案の提出に反対する刑事法研究者の声明」(2017年2月1日)を読む
2017年2月10日
海渡雄一弁護士with福島みずほ議員による新春(1/8)共謀罪レクチャーを視聴する
2017年2月21日
共謀罪をめぐる最新ニュース、動画、声明のご紹介
2017年2月23日
日本弁護士連合会「いわゆる共謀罪を創設する法案を国会に上程することに反対する意見書」(2017年2月17日)を読む
伊藤宏さんの論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」の後編です。
後編では、ゴジラ誕生30周年の1984年、9年ぶりに製作された第16作『ゴジラ』(論文では『新・ゴジラ』と呼称)から、誕生50周年の2004年に、「これで打ち止め」という触れ込みで製作された第28作『ゴジラ FINAL WARS』までが論じられます。
ゴジラをめぐる研究書は多数刊行されているようですが、論文のサブタイトルにあるように、「ゴジラ」シリーズが「原子力」をどのように描いたかという観点から読み解いた(おそらくは)ユニークな論文だと思います。
伊藤さんの「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」は、2004年公開の『ゴジラ FINAL WARS』までを対象として2005年に書かれた論文ですから、当然のことながら、2014年公開のレジェンダリー・ピクチャーズ製作『GODZILLA ゴジラ』(ギャレス・エドワーズ監督)や東宝が12年ぶりに製作して2016年に公開した『シン・ゴジラ』(庵野秀明総監督、樋口真嗣監督)には触れられていません。今度、伊藤さんにお会いしたら、是非この両作に対する評価をうかがいたいと思っています。
伊藤宏さんは、この論文の「おわりに」において、「論文における記述としては甚だ不適切であることを承知の上で、ここで改めて、ゴジラの立場になって、どうして五十年もの間、日本を襲い続けたのかについて考えてみる。」という問いを立てておられます。その答えをここに引用することはしませんが、読者の1人1人が、そのような問題意識を持ちながら、もう一度この論文の冒頭から読み直していただければと思います。
〇この論文は、2005年8月に、伊藤さんも編者の1人となった論文集『子どもへの視点』(聖公会出版)に収録されました。
〇元々の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」には、全部で58の脚注が付されていたようであり、転載した論文にも脚注番号が付いていますが、Facebookノートで公開する際、注釈の掲載は省略されていました。
(追記)ブログをアップした後、著者の伊藤宏さんから脚注部分のデータを提供いただきましたので、末尾に挿入しました。
(引用開始)
第1作『ゴジラ』(1954年)本多猪四郎
第2作『ゴジラの逆襲』(1955年)小田基義
第3作『キングコング対ゴジラ』(1962年)本多猪四郎
第4作『モスラ対ゴジラ』(1964年)本多猪四郎
第5作『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)本多猪四郎
第6作『怪獣大戦争』(1965年)本多猪四郎
第7作『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966年)福田純
第8作『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)福田純
第9作『怪獣総進撃』(1968年)本多猪四郎
第10作『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(1969年)本多猪四郎
第11作『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)坂野義光
第12作『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』(1972年)福田純
第13作『ゴジラ対メガロ』(1973年)福田純
第14作『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年)福田純
第15作『メカゴジラの逆襲』(1975年)本多猪四郎
第16作『ゴジラ』(1984年)橋本幸治
第17作『ゴジラvsビオランテ』(1989年)大森一樹
第18作『ゴジラvsキングギドラ 』(1991年)大森一樹
第19作『ゴジラvsモスラ』(1992年)大河原孝夫
第20作『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)大河原孝夫
第21作『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994年)山下賢章
第22作『ゴジラvsデストロイア』(1995年)大河原孝夫
第23作『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)大河原孝夫
第24作『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(2000年)手塚昌明
第25作『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)金子修介
第26作『ゴジラ×メカゴジラ』(2002年)手塚昌明
第27作『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)手塚昌明
第28作『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)北村龍平
第29作『シン・ゴジラ』(2016年)樋口真嗣、庵野秀明(総監督)
映画に描かれた「原子力」を読み解く
(前編から続く)
「平和利用」にも踏み込んだ『新・ゴジラ』
ゴジラが再び姿を現わしたのは、一九八四年十二月公開の第十六作『ゴジラ』(第一作と同一タイトルであるため、以下『新・ゴジラ』と表記する)であった。前作から約十年のブランクを経ての復活だったが、その間に原子力をめぐる状況は大きく変化していた。特に「平和利用」に関してはおおよそ以下のようにまとめられる*43。
一九七六年五月にスウェーデンで反原発国際会議が開かれるなど、この頃は世界的にも反原子力の気運が高まっていった。日本でも同年十二月、関西電力・美浜原発一号炉にで燃料棒折損事故が起こっていたにも関わらず、四年間隠ぺいされていた事実が明らかになり、これが国内の反原発の動きをますます加速させていく。そして一九七九年三月、アメリカペンシルバニア州のスリーマイル島原発(TMI)で、放射能を含んだ蒸気が噴出するという大事故が起こる。その後の調査で炉心の核燃料の半分近くが溶融し、残りの部分の大半が粉々に崩れていることが分かり、当時としては史上最悪の原発事故となった。原発の危険性が現実のものとなったわけで、TMI事故は日本はもちろん世界中を震撼させた。国内でも同年七月には関西電力・大飯原発一号炉でECCS*44が商業用原発史上初の誤作動を起こし、十一月には関西電力・高浜原発一号炉で大量の冷却水漏れ事故が起き、原発の危険性は決してアメリカのみの問題ではないことが明らかとなる。さらに一九八一年四月、原子力政策が抱える問題点を一挙に噴出させるような出来事があった。日本原子力発電の敦賀原発が放射能漏れ事故を起こしたのだ。それまでに他の原発などで起こっていた放射能漏れのトラブルが全て施設内だったのに対して、敦賀原発の場合は付近の海草や土砂などから異常に高い放射能が検出されたため大問題となった。このように、『新・ゴジラ』公開に至るまでの期間は、事故によって原発の危険性が表面化すると共に、運転によって生み出される放射性廃棄物の処分問題、原発労働者の被ばく問題等々、それまでは見えなかった数々の問題点が次々と明らかになってきた時期であった。しかし、国の原子力政策が変更されることはなく、むしろ確実に進展していたのである。
『新・ゴジラ』は、冒頭の嵐で遭難した船に乗り込んだ新聞記者・牧吾郎が巨大なフナムシに襲われる場面から始まる。フナムシの巨大化について、生物物理学者の林田信は政府関係者に「たかが数センチのフナムシがどうして巨大化したかといえば、ゴジラに寄生していたからです。ゴジラの体内から発する放射性物質を絶え間なく浴び続けることで巨大化したんでしょう」と説明する。また、牧の「ゴジラは動物なんですか。放射能が作り出した怪獣、化け物、ほとんどの人がそう思っていますが」という問いに対して、林田は「その化け物を作り出したのが人間だ。人間の方がよっぽど化け物だよ。ゴジラはいわば核兵器のようなもんだ。それも生きた核兵器だ。勝手気ままに動き回り、破壊を繰り返す。そのうえ、ゴジラの生命は不滅ときている」と応じた。
ゴジラが最初に確認されたのは、ソ連のミサイル原潜が撃沈された際であった。これについて林田は牧に「ゴジラがその食性に従い、エネルギー源となる核分裂物質を求めてソ連原潜を襲ったのは明らかだ」と解説。さらに、牧が日本本土から一旦離れていることを指摘すると「しかし来るよ。必ず来る。ここにはゴジラの餌がある」と述べる。一方、ゴジラ出現を受けた政府の対策会議の席上では、統幕議長から新兵器「スーパーX」*45についての説明がされていた。「外装はチタン合金。集積回路にはプラチナを多量に使用して、かなりの高熱にも耐えることができるよう設計されている」「さらに現在、対ゴジラ作戦のためカドミウム砲の装備を急いでおります。カドミウムは原子炉の核反応を制御する働きがあり*46、ゴジラに対して有効と確信しております」というものだった。
ゴジラの日本上陸地点は静岡県の井浜原発(仮名)*47であった。ゴジラは、原子炉建屋に至るとそこから炉心の容器を取り出す。それを見ていた林田は「あれは原子炉の炉心だ」と指摘。そして放射能測定器に走り寄ると中のオシログラフを見入る。何の異常も感知していない。さらに林田は「ゴジラが全部吸収してしまったんだ」と叫んだ。炉心容器を抱えたゴジラの背びれが青白く発光する*48。ところで、林田は原発襲撃の際のゴジラの行動から、その帰巣本能を利用して特殊な超音波で三原山に誘導する作戦を考案した。その一方で林田は、牧たちに「原発で君たちは感じなかったか。三十年前、大戸島に現われたゴジラは伝説の怪獣と同一視された。世の中が乱れる時、天変地異が起こり怪獣が現われる。これは世界各地の伝説にみられることだ。ゴジラはまさしく人類の滅びへの警告なんだ。私はせめてゴジラを故郷へ帰してやりたいと願っている」と語る。
ゴジラ対策として米ソの駐日大使、特使が三田村清輝首相を訪ねる。両国とも「アメリカはゴジラに対する有効な武器として、戦術核兵器の使用を決定しました」「ソビエトも核兵器でゴジラに対抗することを決定しました」と通告し、核兵器の使用についての了解を求めた。ソ連特使は「ゴジラ撃滅の方法は戦術核の使用以外にない。貴国の同意を求めます」「爆発はごく狭い地域に限られ、精密な慣性誘導装置により正確にゴジラを葬れるのです」と主張するが、三田村は黙って聞き入るのみであった。その後の閣議では、次のようなやり取りが行われる。
官房長官:米ソの言う戦術核兵器というのはどの程度の規模のものですか?
防衛庁長官:えー、核威力は双方とも十キロトン。広島型原爆の約半分と聞いてます。
官房長官:ゴジラが東京へ上陸したと仮定した場合どの程度の被害が予想されますか?
国土庁長官:えー、予測は不可能です。
官房長官:科学技術庁長官、戦術核の場合は?
科技庁長官:三平方キロの地域が完全破壊されます。しかし、住民等の避難誘導さえうまくいけば…。
大蔵大臣:つまり、戦術核を使用した方が被害が少なくてすむ。この際、やむを得ないんじゃないかな。
通産大臣:大蔵大臣、そう簡単に結論を出さんでほしい。核を使用した場合の放射能汚染の問題はどうなるのかね?それにゴジラに対して絶対に核が有効だという保障は?
大蔵大臣:万が一首都圏が壊滅すれば経済的にも日本は半身不随だ。通産大臣はそこのところがおわかりになっとらんらしい。
通産大臣:私が申し上げてるのは、戦術核が本当にゴジラに対して…。
自治大臣:それは誰にも分からんだろう、やってみなければ。
統幕議長:よろしいでしょうか。戦術核というものは、実戦の小規模な戦闘に使われてこそ初めて効果のある兵器です。ところが米ソは、これまで何度もチャンスがありながら、実戦では使いそびれてきました。つまり…。
官房長官:米ソは実験をしたがっていると。
統幕議長:そうです。
自治大臣:なるほど、それで足並み揃えたってわけか。
外務大臣:総理、米ソの申し入れを蹴った場合、日本が外交的に孤立するということも。
閣議後、再び米ソ大使らと会談した三田村は、「我が国には非核三原則というものがあります。核は作らず、持たず、持ち込ませず。今度の場合も、私はこれを順守したいと考えます」と述べる。するとソ連特使は「あなたの国のエゴイズムだ!」と怒り「現に我が国の原潜はゴジラに撃沈されている。我々には報復する権利がある」と主張。アメリカ特使も「今は原則論を語っている時ではない!」と抗議すると、三田村は「こういう状況だからこそ、私は敢えてこだわるのです。安全な核兵器などあり得ません。そして一度使われてしまえば、抑止力としての均衡が破れ、世界の破滅につながります。それが核というものです。非核三原則が我が国のエゴイズムだと言われるのなら、それは認めざるを得ません。しかし、核を使いたがるのもアメリカとソ連のエゴイズムではないでしょうか」と述べた。最終的に三田村は米ソ最高責任者と直接話し、核の使用は避けられる。「米ソ両首脳にはどのように話されましたか?」という官房長官の問いに、三田村は「もしあなた方の国、アメリカとソ連にゴジラが現われたら、その時あなた方は首都ワシントンやモスクワで、ためらわずに核兵器を使える勇気がありますかと。両首脳は納得してくれたよ」と答えたのであった。
ついにゴジラは東京に上陸した。その際に、東京湾に入港中のソ連工作船が大破し、核ミサイルが誤射されてしまう。一方、林田は自身の作戦の完成を急いでいた。スーパーXの出撃を受けて牧が「カドミウムの溶液をゴジラの体内に吸収させると言ってますが、効果ありますかね?」と問うと、林田は「私はゴジラが原子炉だとは思ってない。その方法に興味はないよ」と答える。ゴジラに対して、スーパーXが口中にカドミウム弾を打ち込んだ。液体を吸収したゴジラの動きが止まり、ビルにもたれかかるようにして倒れる。作戦が成功したことを喜んだのも束の間、誤射された核ミサイルが東京に迫っていた。米軍の嘉手納基地から発射された迎撃ミサイルが命中し、東京での核爆発は免れたが、直後にオーロラのようなもので空が夕焼けのように染まって全ての電源が止まる。それに対して科技庁長官が「先ほどの異常事態ですが、宇宙空間や成層圏で核爆発が起きた場合、電磁衝撃波というものが生じ、その結果あのような…」と説明した。核爆発の影響で発生した落雷によって、ゴジラは再び目覚め今度はスーパーXを撃破する。誰もがあきらめかけたその時、林田の作戦が発動しゴジラは三原山へ誘導されていった。そして、最後は火口に飲み込まれていくのであった。
『新・ゴジラ』における原子力に関する描写は、以上のようなものであった。第一作を強く意識した作品ということもあり、ゴジラと核兵器、放射能を改めて結びつける描写が目立っている。さらに、新たな視点としてゴジラと原発を結びつけたことは注目に値するであろう。そして、映像技術の進歩ゆえに、一つ一つの描写が非常にリアルであったことが強く印象に残る作品でもあった。だが、映画を観終えた後で筆者は大きな違和感を覚えたのである*49。それは、核兵器をめぐる描写では様々な問題提起がなされていたのに対して、原発をめぐる描写では何ら問題点の指摘がなかったことに起因している。ゴジラの原発襲撃後の林田の「人類の滅びへの警告」という台詞も、どのような「滅び」を意味するのか、少なくとも作品中では曖昧だった。その違和感から、二つの大きな疑問が導かれてくる。一つは、原子力に関心のない人々(大人も子どもも含めて)が、果たしてどこまで映画で描かれた世界と現実とを結びつけ得たのかということだ。そしてもう一つは、そもそもこの映画でゴジラが伝えようとしたメッセージは何だったのかということであった。
さて、『新・ゴジラ』から第十七作『ゴジラVSビオランテ』(一九八九年十二月公開)までには五年間のブランクがあったが、その間に原子力の「平和利用」をめぐって歴史的な大事件が起こった。一九八六年四月にソ連で起こったチェルノブイリ原発の核暴走爆発事故である。環境中に大量の放射能が放出され、それが周辺各国はもとより数千キロ離れた日本にまで降り注いだのだった。この事故をきっかけに、世界各国(もちろん日本でも)で原子力の「平和利用」に対する不安が増大し、さらには反対運動が急速に広まっていったのである。事故後三年で公開された『ゴジラVSビオランテ』は前作の続編という設定で、ゴジラが襲撃した直後の新宿からのテレビ中継に始まる。CCNのスーザン・ハーンが「東京都内の非常警戒体制は解除されましたが、西新宿一帯は立入禁止のまま。スーパーXの回収作業。残留放射能、汚染物質の調査が続けられています」とリポート。自衛隊員らが放射能防護服やマスクに身を包んで作業する様子が描かれた。ゴジラの皮膚組織を採取している自衛隊員はガイガーカウンターを片手に調査を進めていたが、放射能の存在を示す音は常に鳴り続けている、というシーンでスタートするのであった。
この作品に登場するビオランテは、遺伝子工学の権威である白神(博士)が、ゴジラ細胞と植物、人間の細胞を操作して作り出した怪獣ということになっている。さらに、ゴジラを倒すために開発された武器が、同様に遺伝子工学によって製造された「抗核エネルギーバクテリア(以下、抗核バクテリア)」であるというように、全体を通じて流れるテーマは遺伝子工学、遺伝子操作の是非であった。自衛隊の黒木(特佐)らに、遺伝子工学の若きエース・桐島(博士)は抗核バクテリアについて「アメリカでは既に、遺伝子操作により石油を食べるバクテリアを完成し、海の石油汚染に対して実用化しています。同じように、原発事故などの放射能汚染に対する有効な手段として考えられたのが、核物質を食べるバクテリア、抗核エネルギーバクテリアなんです」と説明する。そうした設定がなされた作品であるため、原子力関連の描写は随所に現われるが、特に原発に関する描写を抜き出してみると次のようになる。
①大河内財団の総帥が桐島に「原発事故のような核汚染で、国家の存亡に関わるような事態が起こらない限り、永遠にゴジラ細胞は封印されるはずだった」と語るシーン。
②ゴジラが消耗した核エネルギーを補充するために原発に向かうと黒木が指摘し、ゴジラの進路から最も近い原発を示すと、官房長官らが「高浜四、大飯二、美浜三、動燃ふげん一、敦賀二。全部で十二基*50。日本の原発の三分の一だ。そんなところに行かれちゃ…」「一つでも原子炉を破壊されれば日本は…」という会話を交わすシーン。
③若狭に進んできたゴジラに自衛隊が応戦するが、その行く手を阻むことができずゴジラは高浜原発に迫る。「高浜原発、緊急態勢」「高浜原発、緊急態勢最終段階」などの連絡と共に警報が鳴り響くシーン*51。
チェルノブイリ原発事故の影響からか、ゴジラ・シリーズの中で初めて「原発事故」という想定が描かれたことは注目に値するであろう。また、作品の最後で白神が「ゴジラでもビオランテでもない。本当の怪獣はそれを作った人間です」と述べていることなどから、「科学技術の暴走に対する警告」というメッセージは明確に描かれていた。しかし、作品中で「チェルノブイリ」という言葉が一度も登場しなかった*52ばかりか、当時の日本社会で原子力の「平和利用」の是非を問う議論が盛んに行われていたという状況には、一切触れられてはいないのだった。さらに、大河内の「原爆とゴジラにひどい目に遭わされた日本が、ゴジラ細胞から核を超える兵器を作っても、決して悪いとは思わんがね」という意味深長な台詞すらあったことを付け加えておく。
『ゴジラVSビオランテ』以降の作品については、原発をはじめとした「平和利用」に関連した描写のみを、以下に抜き出してみた。
●第十八作『ゴジラVSキングギドラ』(一九九一年十二月公開)
①二十三世紀の世界からタイムワープしてきた地球連邦機関のウィルソンが、日本政府に対して「我々がこのたび二十世紀の日本に来たのは、二十三世紀の日本が死滅してるからです」と述べ、さらにグレンチコが「一言で言うと核汚染です。二十一世紀、日本は再び活動を始めたゴジラにより致命的な破壊を受けます。都市の破壊はもちろんですが、特に原子力発電所の破壊による核汚染は、長い間にわたって日本全土に広がり、ついに日本のほとんどは人が住めなくなってしまうのです」と説明するシーン。
②消滅させたはずのゴジラが再び出現した際に、グレンチコが「二十世紀は我々の時代と違って、地球上の至る所に核がある。考えてみれば、どこに恐竜をワープしようとゴジラの誕生は避けられなかったかも知れないな。我々がせっかく抹殺してやったのに、愚かな時代。救いようのない原始人どもだ」と述べるシーン。
●第十九作『ゴジラVSモスラ』(一九九二年十二月公開)
関連する描写はない。
●第二十作『ゴジラVSメカゴジラ』(一九九三年十二月公開)
①製造中のメカゴジラの現場で「核融合炉テスト開始30分前」のアナウンスがあり、さらに今井が「動力 はレーザー核融合炉。燃料は衛星軌道上に生成される重水素・ヘリウム3ペレット。外部装甲板は 超耐熱合金NT-1」と説明するシーン。
②ベーリング海のアドノア島で発見されたプテラノドンの化石、及び卵の調査に来た大前(博士)らの前にラドンが出現した際に、大前と桂木が「プテラノドンが巨大化した。核の影響か何かで、ゴジラと同じ事がプテラノドンにも起こったんだ」「そういや、ここら辺は使用済み核燃料の墓場ですよ」というやり取りをするシーン。
●第二十一作『ゴジラVSスペースゴジラ』(一九九四年十二月公開)
関連する描写はない。
●第二十二作『ゴジラVSデストロイア』(1995年12月公開)
※この作品は、ゴジラの体内構造を原子炉に見立てた上で、その内部で核暴走反応が起き最後はゴジラの死に至るというストーリーであった。
①原子力エネルギーの専門マービン教授が「ご存じの様に、ゴジラの動力源、つまり人間でいう心臓部は原子炉といわれている。その心臓部で、今、何かが起っている」と報告するシーン。
②「この海水温の高い数値は、ゴジラの中で正常な冷却機能をはるかに超える核分裂が起っていることを裏付けていると思います」という報告を受け、山根健吉が「ゴジラのエネルギーである核分裂は、体内の水分によって制御され、空気から吸い込む二酸化炭素で冷却されコントロールされていた。それが、バース島の異変によってバランスを崩し、核分裂が飛躍的に活性化した」と説明し、さらに「ゴジラは果てしなく暴走するか、あるいは核爆発を」「想像も出来ませんが、地球上のどんな核兵器よりも巨大な爆発エネルギーだと考えておいた方がいいでしょう」と説明するシーン。[ゴジラが国会 議事堂前で核爆発し、炎が燃え広がっていく想像場面]
③豊後水道にゴジラが出現したことについて、健吉が「狙いは原子力発電所だ。核分裂が異常に高進しているのだから、核燃料を欲しがるのは当然です」と述べた際、麻生が「ゴジラが原発を襲うというのに、我々は何も手を出せんのか!」と言ったことに対し、国友が「ここで攻撃を加えてもし核爆発を誘発したら、原発一つの被害の何十倍、何百倍もの惨事です」と答えるシーン。
④スーパーXⅢについて麻生が「自衛隊が開発していた多目的の防衛攻撃能力を備えた新兵器で、原発事故や核兵器による攻撃を想定して、強力なカドミウム弾を装備しています」等と説明するシーン。
⑤ゴジラに対するスーパーXⅢの攻撃を見て、健吉が「冷凍弾で冷却し、カドミウムで制御する。完璧な攻撃計画だ」と述べるシーン。
⑥健吉が「ゴジラの核分裂が制御され始めたようです。見て下さい。青いラインが正常、赤いラインが現在の状態。カドミウムが制御剤として効いているようです」と述べ、核爆発が避けられると安堵した瞬間、ゴジラの心臓部の温度が900度を超えているという報告が入る。健吉が「何だって?核分裂が制御されているのに炉心がそれだけの高温ということは、内部から溶け出している…」と青ざめ、「ゴジラはどうなる」という麻生の問いに、健吉は「メルトダウン」「ゴジラの原子炉である心臓部が溶け出し、放射能をまき散らしながら周りのものを溶かし…」「水素爆発を起こして地球に穴を開けてしまう」と答えた。それに対し、麻生が「チャイナシンドロームというやつか」と述べるシーン。[メルトダウンの様子がコンピュータグラフィックで示される]。
⑦ゴジラが東京でメルトダウンした際の対策として伊集院が「万一、ゴジラがメルトダウンした場合、被害を最小限にとどめるためには冷却するしか方法はありません。炉心融解の瞬間に、冷凍兵器の全てを集中させるんです」と助言するシーン。
⑧メルトダウンが始まり、ゴジラが白っぽく発光しながら苦しみもだえる。計器のα、β、γ線を示す値が急上昇する様を見た黒木が「ものすごい放射能だ」とつぶやくシーン。
⑨伊集院が「ゴジラが東京を死の街にして溶けていく」と言ったのに対して、ゆかりが「これが私たちの償いなの?」「科学を、核を弄んだ私たち人類の…」と述べるシーン。
こうして列記してみると、実に様々な描写がなされているようであるが(全く描写がなかった作品の存在については後述)、『ゴジラVSビオランテ』と同様「平和利用」の現実、つまり原発自体に関する社会的な状況はほとんど描かれていないのだ。『ゴジラVSデストロイア』では、ゴジラが原子炉そのものと直接的に結びつけられていたため、原発事故が起こった場合の恐怖が描かれていたとする見方が可能かも知れない。しかし、それを示唆するような描写はなく、最後に「核を弄んだ…」という台詞の「核」が何を指すのかが曖昧であった(一九九〇年代でも、「核」という言葉は「原子力」とは切り離されて用いられていた)。しかも、「原子力」に関する描写においては「現実」と「非現実」を、専門家でなければ見抜けないほど巧みに混在させているため、実際の状況を把握することをより一層困難にしているのであった。
度重なる引用になるが、前出・佐藤は『ゴジラVSモスラ』までのゴジラ映画の分析後、「このような焼き直し路線が、シリーズのさらなる行き詰まりを反映していることは疑いえない。(中略)このままシリーズを継続しようとすれば、何らかの形におけるお子様ランチ化は不可避に違いない」*53と予言していた。この予言は、まさに的中したと言えよう。つまり、ゴジラの存在理由である「原子力」を、核兵器のみならず「平和利用」(=現実に存在する原発)に結びつけたまでは良かったのだが、その「脅威」あるいは「恐怖」を描くことが『新・ゴジラ』のスタート時点から出来なかった。かつての「怪獣プロレス」は、SFXやCGを駆使した映像自体のリアルさ、カッコよさに取って代わり、それが再び子どもたちの「ウケ」を狙うことになっていく。また、「正義の味方」「子どもたちの味方」というゴジラ像も、『ゴジラVSメカゴジラ』以降、三枝美希を軸に主張された「ゴジラを好きになる」という捉え方で復活しているのである。
さらに、かつての「お子様ランチ化」にはない要素が加わる。「原子力」の描写が全くなかった二作品においては、ゴジラとは縁の遠いテーマが、しかも非常に一般的なテーマがメインに据えられていたのだった。『ゴジラVSモスラ』では、深沢の「二酸化炭素上昇による温暖化、オゾン層の破壊、ただでさえ地球が危ない方向だというのに、人間は平気で森林を伐採している。その上に隕石の激突です。大気の異常、海水面の上昇、海底プレートへの影響、このままじゃ地球は本当に危ないところへ行ってしまいますよ」という言葉に象徴されるように、環境問題全般をテーマとしていた。『ゴジラVSスペースゴジラ』では、「宇宙の汚染」については何一つ語られていないにも拘わらず、最後に権藤の「宇宙が汚され続けてゆくなら、いつ第二のスペースゴジラが現われるかも分からない。私たち人類への警告だわ」という台詞が唐突に出されたのだった。これはもはや、ゴジラの存在理由の隠蔽と言っても過言ではなかろう。こうして、子どもたちの目はますます、ゴジラの本質からそむけられていくのであった。
一方、高橋敏夫は「ゴジラの存在感は映画のたびに確実に希薄化しつづけていた」と指摘している。「新しい映画の目玉はゴジラではなく、つぎつぎに登場する『VS怪獣』または『対ゴジラ兵器』であった。新しい怪獣ビオランテの美しさと哀しさ、超能力少女の連続登場、自衛隊の首都防衛戦闘機スーパーXの堂々の出撃、かつての人気怪獣キングギドラやモスラの復活、ゴジラ細胞のおそるべき活用、最初のゴジラを東京湾の海底に葬ったオキシジェン・デストロイヤーにかかわる謎の怪獣の出現等々…話題はいつも豊富すぎるほど豊富だった。新しい映画のたびに、新しい話題満載の大量の図解本が書店にならんだ。しかし、それはゴジラそのものをめぐる話題ではなかった」*54というのだ。筆者も全く同感である。すなわち『新・ゴジラ』以降の作品においては、ゴジラ自身から「原子力」に関するメッセージが何ら伝わってこないのであった。これは、かつて「水爆怪獣・ゴジラ」のイメージが消えていった状況とほとんど同じであろう。
こうした傾向は、『ゴジラVSデストロイア』から四年のブランクを経て復活した、第二十三作『ゴジラ2000』(一九九九年十二月公開)以降の五作品*55でも、基本的に変わることがなかった。一九九五年十二月に高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れによる火災事故が発生し、一九九六年八月には新潟県巻町で東北電力の原発計画に対して国内初の住民投票が行われ、原発反対が過半数を占めた。そして一九九九年九月、茨城県東海村のウラン燃料加工施設JCOで死者二人を出し、日本の原子力産業史上で最悪となった臨界事故が発生するなど、原子力政策の上で重大な出来事が国内で相次いでいたにも拘わらず、それが作品にはほとんど反映されなかったのである。唯一、問題提起を含んでいると思われたものは、第二十四作『ゴジラ×メガギラス・G消滅作戦』(二〇〇〇年十二月公開)の冒頭部分である。まずテレビニュースに「一九六六年茨城」の字幕が出た。「ゴジラの東京襲撃から十二年後、操業を開始したばかりの我が国初の原発、東海村原子力発電所が、ゴジラによって破壊された」というナレーションと共に、ゴジラが原発を破壊する様子が描かれる。場面が変わり、首相官邸前からの実況で走り出てきた記者が「たった今、総理が決断しました」と報告。スタジオと「原子力発電の永久放棄ですか?」「その通りです」というやり取りが行われた。そして、国会の審議場面が映され「ゴジラ上陸の原因が原子力発電所の放射能であるとの研究結果を受け、日本政府は原子力発電の永久放棄を決定したのである。その後、増加する電力需要に対処すべく、政府は水力、火力、ソーラー、風力などの発電に力を入れたが、原子力発電を補うまでには至らなかった。そこで…」というナレーションが流れるというものだった。
しかしこの描写の場合は、直前の映画ニュースの中で「(一九五四年のゴジラ東京襲撃後)首都は大阪に移され、新生日本は力強く歩み出したのであります」というナレーションと共に、大阪城に隣接して国会議事堂が建っているシーンが挿入されるという手法で、観客に対して「フィクション」であることが予め明確に示されていたのである。さらに、ゴジラの破壊を受けない、原子力に代わるクリーンなエネルギーとして「重水素を原料とするプラズマ発電を完成させた」というエピソードが、なぜクリーンなのかという説明もないまま続く。結局、そのプラズマエネルギーを開発した施設もゴジラによって破壊される…という長いイントロダクションの後で本編に入るのだが、二〇〇一年の東京には新幹線の代わりにリニアモーターカー*56が走行しているのであった。せっかく、新しい視点の問題提起をしていたにも拘わらず、文字通り「子どもだまし」の設定や描写によって台無しになっている。このような描写から浮かび上がってくる深刻な問題は、以前の「お子様ランチ化」は子どもたちでも見抜けるものであったが、新たに繰り返された「お子様ランチ化」は、子どもはもちろんであるが、大人たちでさえある程度の予備知識がなければ気付かないほど、巧妙になっているということだ。
筆者は冒頭で「ゴジラが一貫して発し続けたメッセージは『核』と、それに連なる『原子力』に関するものだった」と述べた。しかし、これまで述べてきたように、大人たちの子どもたち対する一方的な思い込みによって(「平和利用」に関しては政治的配慮という別の思惑が働いていたのかも知れないが…)、そのメッセージがある時は歪められ、ある時は全く覆い隠されてしまい、主たる受け手だった子どもたちにはほとんど届かなかったというのが実態であろう。その結果、未だに「核の脅威」は去らず、原子力政策も見直されることがないまま日本は「原子力大国」への道を突き進んでいるのだ。それだけではない。それらの現実が存在することすら知らない大人たち(かつての子どもたち)が、時代と共に増え続けているのである。
論文における記述としては甚だ不適切であることを承知の上で、ここで改めて、ゴジラの立場になって、どうして五十年もの間、日本を襲い続けたのかについて考えてみる。一九五四年の初上陸の時点で役割を終えたとも言われ、時には本論で触れたように識者たちの酷評に遭い、時にはその存在理由さえ脅かされながらも、ゴジラは繰り返し日本にやって来た。それはなぜか。筆者は、ゴジラがどうしても子どもたちに自分の発するメッセージを伝えたいがためだったと思うのである。「核」というもの、「原子力」というものと、どのように向き合っていけば良いのか、子どもたちに考えるきっかけを与えたかったのではなかろうか。「人間は、勝手だと思います。特に大人は、かってだと思いました。原子力は、安全だといっておきながら爆発して、動物たちを殺して、安全だといって、汚染された食べ物があることをだまっといて、本当に勝手です。またそのもれた放射能を私たち子供たちに片づけてもらおうなんて…。(6年七組 江田かずみ)」*57。こうした感性を持った「子どもたち」なら、必ず理解してくれるものと信じて、ゴジラはメッセージを発し続けたのであろう。作品のエンディングでは、ゴジラが海に帰っていくシーンが最も多い。その後ろ姿が、どことなく寂しげで、時には悲しげに見えてしまうのは筆者だけであろうか。それは、メッセージを届け得なかったゴジラの無念を表しているのかも知れない。
「核(核兵器)」の問題はもちろんだが、「原子力」の「平和利用」については解決せねばならない問題が山積している。原発事故の危険性は言うに及ばず、老朽化した原発の廃炉問題、技術者の空洞化の問題、余剰プルトニウムの処理問題、高レベル放射性廃棄物*58処分の問題等々…。そしてこれらの問題は、次世代、次々世代、場合によっては遠い未来の世代まで影響を及ぼすばかりか、これから生まれてくる子どもたちにも、既に解決する責任が負わされているものなのだ。だが実際には、原子力施設などの当該地域周辺を一歩離れたところでは、人々の間に原子力政策に関する議論はおろか関心すら存在していない。そして、未来を担う子どもたちの多くは、重い責任を負わされているにも拘わらず、問題の所在を知る機会すら持っていない(持たされていない)のである。最後に、『ゴジラ2000』のエンディングで篠田が発した「ゴジラは俺たちの中にいるんだ」という言葉について、筆者なりの解釈を述べておく。それは、「日本には、少なくとも五十二頭のゴジラが生息しており、何かのきっかけで突然、私たちを襲ってくるかも知れない。しかし、ゴジラを日本に呼び寄せ、育てているのは私たち自身に他ならないのだ」というものだ。ゴジラは、今も私たちの身近に在るのである。
[文中敬称略・引用は原文のまま・映画の登場人物は配役名]
(脚注)
*44原発の炉心内の冷却材が流れ出したり蒸発してしまうような事故が発生した場合、緊急に炉心に冷却水を強制注入する安全装置のこと。
*45「首都防衛のために自衛隊で極秘に開発されていた」という設定である。
*46現実に、原子炉内の制御棒の材料の一つとしてカドミウムが使われている。
*47静岡県には中部電力の浜岡原発がある。なぜここで仮名が使われたのかは不明。
*48このシーンは、ゴジラ・シリーズの中で唯一描かれたゴジラの「食事シーン」であった。
*49この作品が公開された時、筆者は大学二年生で、原子力問題に関心を持っていたため、ある程度の予備知識を持って映画を観ることができた。
*50前作では原発名に仮名が使われたが、今回は全て実在する原発である。
*51最終的にゴジラはビオランテに行く手を阻まれ、原発を破壊するに至らなかった。
*52一九九八年に公開されたアメリカ版『Goddzila』では、主人公がチェルノブイリ原発事故現場周辺で、ミミズの巨大化について研究しているという描写があった。
*53佐藤・前掲書、pp99-106
*54高橋敏夫『ゴジラの謎・怪獣神話と日本人』、講談社、1998、P39
*55最終作については劇場で一度観ただけであるので、この場での言及は行わない。
*56電力が不足している中で、膨大な電力を必要とするリニアモーターカーを走行させるというのは、多少の専門知識があればすぐに見抜けるほどナンセンスな話である。
*57名取弘文『子どもと話そう原子力発電所』、農文協、1989、カバーより。
*58原発から取り出された使用済み核燃料には、再び燃料として利用できるウラン、プルトニウムが若干含まれている。再処理という工程によってそれらを取り出した場合に、放射能レベルの高い廃液などが大量に生じる。これらを高レベル放射性廃棄物と呼んでいる。(再処理を行わない場合は、使用済み核燃料自体が高レベル放射性廃棄物となる)。その特徴は①放射能が強い②毒性が極めて高い③寿命が非常に長いなどで、処理や処分の難しさから「人類が生み出した最悪のゴミの一つ」と言われている。
【参考文献】
小林豊昌『ゴジラの論理』、中経出版、1992
高橋敏夫『ゴジラの謎・怪獣神話と日本人』、講談社、1998
佐藤健志『さらば愛しきゴジラよ』、読売新聞社、1993
ミック・ブロデリック編『ヒバクシャ・シネマ』、現代書館、1999
田中友幸他『ゴジラ・デイズ ゴジラ映画40年史』、集英社、1993
野村宏平編『ゴジラ大辞典』、笠倉出版社、2004
名取弘文『子どもと話そう原子力発電所』、農文協、1989
中村桂子『科学技術時代の子どもたち』、岩波書店、1997
武谷三男『原子力発電』、岩波新書、1976
野真典和他『ゴジラ研究読本』、パラダイム、2000
サーフライダー21『ゴジラ研究序説』、PHP、1998
サーフライダー21『ゴジラ生物学序説』、ネスコ、1992
柳田理科雄『ゴジラVS柳田理科雄』、メディアファクトリー、2004
川北紘一監修『僕たちの愛した怪獣ゴジラ』、学習研究社、1996
和泉正明『公理的ゴジラ論』、アートン、1998
未来防衛研究所『ゴジラ対自衛隊』、銀河出版、1998
2014年6月8日
『ゴジラ』は今も世相を撃てるか?
2016年10月25日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)が西谷文和さんと語る「現場記者が見てきた『原子力ムラ』」ほか~「自由なラジオ LIGHT UP!」最新アーカイブを聴く(027~030)
2017年1月17日
「憲法と平和・原発・沖縄問題を考えるシンポジウム」@2/4アバローム紀の国(和歌山市)へのお誘い~森ゆうこ参議院議員を迎えて
2017年1月27日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと(2005年)」を読む(前編)
来る2月4日(土)午後2時から、和歌山市のアバローム紀の国(2階「鳳凰の間」)で開催される「憲法と平和・原発・沖縄問題を考えるシンポジウム」に、シンポジストの1人として登壇される伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)は、おそらくシンポの「欲張った」テーマのうち、「原発」問題を中心に発言されるのだろうと思います。勤務校ホームページの研究者情報にも、「研究内容・研究テーマ 原子力報道の検証、原子力政策および地域振興策等の検証」とありますし、伊藤さんが編集委員を務めておられる新聞うずみ火のホームページには、「共同通信青森支局時代、六ヶ所村の核燃料サイクル基地問題の取材中、警備員ともみ合う反対派をフェンスの内側から見ている自分に気づき、「自分の居場所は違う」と直感。その日のうちに辞表を書いたという「熱い記者魂を持った男」である。」とまで書かれているのですから。
ところで、私が伊藤さんのプロフィールを調べていて気になったことがありました。それは、新聞うずみ火ホームページに「好きな怪獣ゴジラをテーマにした論文も」と触れられていたこと、さらに伊藤さんにFacebookの「友達リクエスト」を送った際に気がついたのですが、自己紹介の欄に「大学教員の仕事をしながら、原子力問題に関わり続けています。原子力報道の検証、怪獣ゴジラとウルトラマンの研究がライフワークです。」と書かれていたことです。
そこで、「伊藤宏/ゴジラ」でGoogle検索をしてみたところ、昨年8月下旬から10月初旬にかけて、市民のための人権大学院・じんけんSCHOLA(すこら)というところで「原発と人権」と題した4回連続の講座を伊藤さんが担当されており、その第2回のテーマが「怪獣ゴジラと原発」であったことを発見したのです。
というようなことで、伊藤宏さんとゴジラ、特に「怪獣ゴジラをテーマにした論文」というのがどうにも気になるということをブログに書いたりしたのを伊藤さんが読んでくださったのか、伊藤さんが、2005年に書かれた「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」という論文を、1年前(2016年1月26日)に、Facebookノートとして公開済みであることを教えてくださいました。
一読、非常に読み応えがあり、感銘を受けましたので、「2月4日のシンポを聞きに来てくれる人に是非事前に読んで欲しいので」全文を私のメルマガ&ブログに転載させていただきたいと申し入れたところ、伊藤さんから、「シンポの内容とは全く関係ありませんが…それでもよろしかったら公開していただくことは歓迎です」(文字化けの恐れがあるので顔文字は省略)とご快諾いただき、ご紹介できることになりました。
ただ、相当な大作なので、一気に読み通していただくのは難しいと考え、前後編の2回分載とすることにしました。まず本日は前編として、1954年の『ゴジラ』(第1作)から1975年の『メカゴジラの逆襲』(第15作)までの時代を論じた部分をご紹介します。
ちなみに、この論文集に収録された論文は、国立国会図書館サーチによれば以下の7編でした。
「乳幼児の虫歯予防対策について」佐藤由美子
「「病後児保育」と小児保健」佐藤由美子
「子どもと文化 『エミール』の教育思想と宗教論」中村博武
「子供の想像力、大人の想像力」西尾宣明
「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」伊藤宏
「幼稚園実習における保育学科学生のピアノ伴奏(演奏)での問題点の傾向と対策」作野理恵
こうしてみると、伊藤さんの論文は相当異彩を放っていたように思えます。
〇元々の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」には、全部で58の脚注が付されていたようであり、転載した論文にも脚注番号が付いていますが、Facebookノートで公開する際、注釈の掲載は省略されていました。
(追記/2017年1月28日)ブログをアップした後、著者の伊藤宏さんから脚注部分のデータを提供いただきましたので、末尾に挿入しました。
〇「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」は、論文冒頭の記載で明らかなとおり、2004年12月に公開された『ゴジラ FINAL WARS』(第28作)までの半世紀にわたるゴジラ史を振り返るというスタンスで書かれています。
従って、『シン・ゴジラ』(2016年)や、海外作品ではありますが、2014年のギャレス・エドワーズ監督による『GODZILLA ゴジラ』をどう位置付けるのかについては、直接伊藤さんにお伺いするしかない訳です。
〇「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」を読み進むための手引きとして、ウイキペディアの「ゴジラ映画作品の一覧」から、タイトル、制作年、監督名を抜き出しておきます(ハリウッド作品は除く)。
(引用開始)
第1作『ゴジラ』(1954年)本多猪四郎
第2作『ゴジラの逆襲』(1955年)小田基義
第3作『キングコング対ゴジラ』(1962年)本多猪四郎
第4作『モスラ対ゴジラ』(1964年)本多猪四郎
第5作『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)本多猪四郎
第6作『怪獣大戦争』(1965年)本多猪四郎
第7作『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966年)福田純
第8作『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)福田純
第9作『怪獣総進撃』(1968年)本多猪四郎
第10作『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(1969年)本多猪四郎
第11作『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)坂野義光
第12作『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』(1972年)福田純
第13作『ゴジラ対メガロ』(1973年)福田純
第14作『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年)福田純
第15作『メカゴジラの逆襲』(1975年)本多猪四郎
第16作『ゴジラ』(1984年)橋本幸治
第17作『ゴジラvsビオランテ』(1989年)大森一樹
第18作『ゴジラvsキングギドラ 』(1991年)大森一樹
第19作『ゴジラvsモスラ』(1992年)大河原孝夫
第20作『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)大河原孝夫
第21作『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994年)山下賢章
第22作『ゴジラvsデストロイア』(1995年)大河原孝夫
第23作『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)大河原孝夫
第24作『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(2000年)手塚昌明
第25作『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)金子修介
第26作『ゴジラ×メカゴジラ』(2002年)手塚昌明
第27作『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)手塚昌明
第28作『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)北村龍平
第29作『シン・ゴジラ』(2016年)樋口真嗣、庵野秀明(総監督)
映画に描かれた「原子力」を読み解く
はじめに
二〇〇四年十二月、『ゴジラ FINAL WARS』が公開された。制作会社の東宝はこの映画のPRで「集大成にして最高峰。〝これが、最後だ〟」としており、一九五四年公開の第一作から半世紀にわたり作られ続け、一億人に迫る観客数を動員してきたゴジラ・シリーズは、二十八作目にして文字通りの「FINAL」を迎えたことになる。ゴジラは、「わが国ばかりでなく海外でも人気を博し*1、すでにゴジラは国境と世代を越えた永遠不滅のキャラクターになっているといっても過言ではない」*2存在で、一九六二年生まれの筆者にとっても、幼少時代から今日に至るまで常に身近にいて影響を受け続けた怪獣であった。そのゴジラが、ついに銀幕から姿を消すことになったのである。
ゴジラがその存在を通じて我々に伝えてきたメッセージは、個々の作品が上映された当時の世相などを反映し、実に多種多様なものが考えられる。だが、その出生や生態、攻撃における武器*3等から明らかなように、ゴジラが一貫して発し続けたメッセージは「核」と、それに連なる「原子力」に関するものだった。そして実は、ゴジラが歩んできた五十年間は、まさに日本の原子力政策が歩んできた五十年間でもあったのだ。周知の通り、日本はエネルギー政策において原子力開発・利用を「国策」と位置づけ、原子力発電を強力に推進してきた。その結果、現在五十二基の原子力発電所(以下、原発)が稼働中で、総発電量の三〇%余りを原子力が占めるまでになっている*4。さらに日本は、原子力開発・利用の要として核燃料サイクル*5の確立を目指しており、まさに「原子力大国」への道をひたすら突き進んでいると言えよう。そうした現実に至る過程において、ゴジラは果たして「原子力」についてどのようなメッセージを我々に送ってきたのであろうか。
ところで、ゴジラ映画は「怪獣映画」であるが、それが「子ども向け映画」と言えるのかどうかについては、議論が分かれるところであろう。確かに第一作は、明らかに大人向けの「社会派映画」であったし、第十六作(一九八四年公開)以降は往年のゴジラファン(少なくとも「子ども」ではなくなっている)を強く意識した作品になっている。しかし、有川貞昌*6が『キングコング対ゴジラ』(第三作・一九六二年公開)について、「この映画の頃は、怪獣映画が子ども向けに定着していましたからね、子どもを意識して撮りましたね」*7と、また川北紘一*8も「怪獣映画を観るのは七歳から十三歳くらいの子どもたちがメインです」*9と述べているように、少なくとも制作者側は常に、その当時の子どもたちを観客として想定していたことが伺われる。つまり、ゴジラが発するメッセージの主たる受け手は、子どもたちだったのだ。ゴジラが発したメッセージを検証するに当たって、この視点を欠くことはできまい。中村桂子は「子どもと科学について考えるには、科学技術時代の持つ価値観の中で、大人と子どもの関係を考えることが重要」*10と述べている。制作者側(大人たち)は子どもたちに、原子力についてのメッセージをどのような内容で、そしてどのような方法でゴジラに託したのであろうか。さらに、そこから浮かび上がってくる問題点は何なのだろうか。映画における原子力の描かれ方の検証を通じて、それらを明らかにしていくことが本稿の目的である。
第一作『ゴジラ』は一九五四年十一月に公開された。この年の三月一日、静岡県焼津港所属のマグロ延縄漁船「第五福竜丸」が、アメリカのビキニ水爆実験による放射能を浴びるという大事件があり、これに触発されて第一作が制作されたという事実は有名である。また当時、各国の度重なる核実験の影響で、日本各地で放射能を含んだ雨が観測されたことも重なり、核実験および核兵器に反対する世論が、またたく間に拡がり日本全国を覆っていった。しかしその一方で、同じ年に日本の原子力政策にとって重要な出来事があったことを知る人は少ない。三月二日、改進党(当時)の中曽根康弘らが予算修正案として、原子炉構築予算二億三千五百万円*11を提出したのである。原子炉を構築する何ら具体的計画もないままの突然の予算提出について、中曽根は原子力開発・利用について慎重姿勢だった日本学術会議のメンバーに「学者がぐずぐずしているから、札束で頬をひっぱたくのだ」と語ったという*12。そして四月に予算は可決成立し、日本の原子力開発・利用が事実上のスタートを切ったのである。原子力の「軍事利用」と「平和利用*13」それぞれに関わる大きな出来事を背景に、『ゴジラ』は公開されたのだった。
『ゴジラ』では原子力に関わる描写が、ほぼ全体を通じて行われている。それは、ゴジラが大戸島に上陸した直後に行われた調査シーンから始まった。破壊された建物などの跡を、ガイガーカウンターで調査する田辺(博士)の姿があった。ガイガーカウンターの反応を確認した上で、田辺は「当分の間、この井戸水も使わないで下さい。危険ですから」と宣告する。同行した尾形秀人が「先生、放射能の雨だとしたら*14、向こう側の井戸だけが助かるなんてことはあり得ないはずですね」と尋ねると、田辺は「うーん、そうなんだよ。どうしてこの付近の井戸だけが放射能を感じるんだか。どうも腑に落ちないね」と答える。巨大生物の足跡とみられる大きな窪みを流れる水に対しても、ガイガーカウンターは反応した。古生物学者の山根恭平は田辺と顔を見合わせ「この足跡に放射能が…」と絶句する。見守る住民たちに対し田辺が「皆さん、危険ですから近寄らないでください」と言い、同行者が「立入禁止」の木札を立てた。ところで、この時の調査団の服装であるが、田辺と助手のみが雨合羽のような防護服(?)を身に付けゴム手袋をしており、他の関係者は全て背広などの普通の服装であった。足跡とみられる窪みで三葉虫を見つけた際、山根はそれを素手で取り上げ、田辺から「先生、直接手を触れない方がいいです」と注意されている。その後ゴジラが再び上陸し、人々の前に初めてその姿を現わしたのだった。
大戸島から戻った山根らは、国会の委員会(と思われる)で目撃したゴジラについて「ジュラ紀から白亜紀にかけて、極めて稀に生息していた海生は虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物であったとみて差し支えないと思われる」とし、日本近海に出現した理由について「おそらく、海底の洞窟にでも潜んでいて、彼らだけの生存を全うして、今日にまで生きながらえておった。それが度重なる水爆実験によって彼らの生活環境を完全に破壊され、もっとくだいて言えば、あの水爆の被害を受けたために、安住の地を追い出されたと見られるのであります」と説明する。その際、出席者の間ではざわめきが起こり、中には笑い声を上げる者までいた。さらに、ゴジラと水爆実験との関連について根拠を問われた山根は「その粘土(足跡から発見されたもの:筆者注)のガイガーカウンターによる放射能検出定量分析によるストロンチウム90の発見。後ほど田辺博士から詳しくご説明がありますが。つまり、ゴジラに付着していたこの砂の中に、水爆の放射能を多量に発見することができたのであります」と説明した。そして「これらの物的根拠からして、ゴジラも相当量の水爆放射性因子を帯びているとみることができます」と続ける。その後、事実を公表するか否かをめぐって議場は大混乱に陥るのだが、その様子を目の当たりにした山根たち科学者は、あきらめたような表情で肩を落とすのであった。結局、事実は公表される。電車内でそれを伝える新聞記事を読む人々の中で、一人の女性が連れの男性に「いやね、原子マグロだ放射能雨だって。その上今度はゴジラときたわ」「いやなこった。せっかく長崎の原爆から命拾いしてきた大切な身体なんだもん」と話していた。
一方、災害対策本部でゴジラを倒すヒントを求められた山根は「それは無理です。水爆の洗礼を受けながらも、なおかつ生命を保っているゴジラを何をもって抹殺しようというのですか。そんなことよりも、まずあの不思議な生命力を研究することこそ第一の急務です」と述べる。山根はまた、ゴジラが東京に上陸した直後、尾形に「ゴジラを殺すことばかりを考えて、なぜ物理衛生学の立場から研究しようとしないんだ。このまたとない機会を…」と訴えた。尾形は「しかし先生、だからといってあの凶暴な怪物をあのまま放っておくわけにはいきません。ゴジラこそ我々日本人の上に今も覆い被さっている水爆そのものではありませんか」と応じるが、山根は「その水爆の放射能を受けながら、なおかつ生きている生命の秘密をなぜ解こうとはしないんだ」と怒り出してしまう。
ゴジラは東京に二度目の上陸をし、口から熱線を吐くなどして中心部を焼け野原に変えてしまう。国会議事堂も破壊された。その襲撃から一夜明けた救難所の様子が描かれるが、少女(外傷はほとんど見られない)に田辺がガイガーカウンターを当てると強い反応が起こり、居合わせた山根恵美子と顔を見合わせた後、田辺は難しい表情で首を振る。また、母親の遺体の前で泣き叫ぶ少女など、具体的な被害者治療の様子が比較的長い時間描写された。後に再び触れることになるが、全二十八作のゴジラ・シリーズにおいて被害者、特に放射能汚染を受けた(被ばくした)被害者が具体的に描かれたのは、この第一作のみである。他の作品中で描かれたのは、ほとんどが外傷を受けたと思われる被害者だけだった。
ゴジラを倒す有効な手段が見つからない中、芹沢大介が秘密裡に研究開発していたオキシジェンデストロイヤーが注目される。当初、芹沢は山根恵美子だけにその存在を明かすのだが、その際に「もしも兵器として使用されたならば、それこそ水爆と同じように人類を破滅に導くかも知れません。しかし、僕は必ずこのオキシジェンデストロイヤーを、社会のために役立つようにしてみせます。それまでは絶対に発表しません(中略)もしもこのまま、何らかの形で使用することを強制されたとしたら、僕は、僕の死と共にこの研究を消滅させてしまう決心なんです」と語る。だが、ゴジラによる被害を見かねた恵美子は、恋人の尾形にその存在を打ち明けてしまう。二人はオキシジェンデストロイヤーの使用を芹沢に依頼するが、その時の芹沢と尾形のやり取りは次のようなものだった。
芹沢:もしも一旦このオキシジェンデストロイヤーを使ったら最後、世界の為政者たちが黙って見ているはずがないんだ。必ずこれを武器として使用するに決まっている。原爆対原爆、水爆対水爆、その上さらにこの恐怖の武器を人類の上に加えることは、科学者として、いや一個の人間として許すわけにはいかない。そうだろう?
尾形:では、この目の前の不幸はどうすればいいんです。このまま放って置くよりしか仕方がないんですか。今この不幸を救えるのは芹沢さん、あなただけです。たとえ、ここでゴジラを倒すために使用しても、あなたが絶対に公表しない限り、破壊兵器として使用される恐れはないじゃありませんか。
芹沢:人間というのは弱いものだよ。一切の書類を焼いたとしても、俺の頭の中には残っている。俺が死なない限り、どんな事で再び使用する立場に追い込まれないと誰が断言できる。ああっ、こんなものさえ作らなければ…。
結局、芹沢はオキシジェンデストロイヤーの使用を決断するが、研究書類を全て焼き捨てながら「これだけは絶対に悪魔の手には渡してならない設計図なんだ」と語った。
ゴジラとの決戦の場となった東京湾上で、リポーターが「ただ今ガイガーカウンターは、はっきりゴジラの所在を突き止めました」と興奮気味に報告し、メーターの数値がどんどん上がっていく様子が描写される。最終的に、ゴジラはオキシジェンデストロイヤーによって葬られたが、芹沢も自らの命を絶ったのであった。ラストは山根の次の言葉で締めくくられる。「あのゴジラが、最後の一匹だとは思えない。もし、水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また世界のどこかへ現れてくるかも知れない」。
このように第一作は、核兵器に対する「怒り」が明確に主張された作品であった。同時に放射能被害(特に残留放射能の危険性)や、科学と政治との関わり、科学者の好奇心の問題、科学技術が軍事利用されることへの危惧、そして科学技術の発達に対する懸念など、二十一世紀に入った現在においても色あせない様々な問題提起が随所で、しかもはっきりと行われていた。また、ゴジラ自体に関して言うならば、その出自を明確な根拠に基づき説明したことに加え、口から吐く放射熱線のみならずゴジラの身体自体が放射能を帯び、通過した跡に放射能が残留するという特徴が描かれていたことは注目に値する。しかし一方、原子力の「平和利用」については、現実的に日本はもとより世界各国がその開発・利用に着手したばかりという事情からすれば当然であろうが、映画の中で描写されることは一切なく、特に問題提起もなされることがなかった*15。
第一作の大ヒット(観客動員数は九百六十一万人)を受け、わずか半年後の一九五五年四月、第二作『ゴジラの逆襲』が公開された。だが、この作品における原子力に関する描写はほんのわずかしかない。ところで、『ゴジラの逆襲』公開後、一九六二年八月公開の第三作『キングコング対ゴジラ』まで、ゴジラ映画には七年余りの休止期間があった*16。この間、原子力の「軍事利用」に関しては、一九五五年七月のラッセル・アインシュタイン宣言*17、同年八月の第一回原水爆禁止世界大会(広島市)の開催、一九五七年七月の第一回パグウォッシュ会議*18開催等々、核兵器廃絶や核実験禁止を求める動きが活発化する反面、アメリカ・ソ連(当時)・イギリスは核実験を繰り返しながら核兵器保有量を高めていく。さらに一九六〇年二月、フランスが初の原爆実験を行い核保有国の仲間入りをするなど、米ソの冷戦を背景に核戦争が起こる危険性はむしろ増大していった。一九六一年には、日本国内でソ連の核実験の影響と見られる放射能雨が観測され大問題となっている。
一方、世界中で原子力の「平和利用」は急速に進展していた。日本についてのみ見ても、原子炉構築予算が可決されて以降、一九五五年十一月の日本原子力研究所(以下、原研)の設立、同年十二月の原子力三法*19の公布、一九五六年一月の原子力委員会と総理府原子力局の発足、同年三月の原子力産業会議の発足、同年五月の科学技術庁の発足、一九五七年六月の原子炉等規制法・放射線障害防止法の公布*20と、実用化に向けた動きが矢継ぎ早に進められていた。そして一九五七年八月、茨城県・東海村の原研で、アメリカから輸入した研究炉(JRRー1)が臨界に達する。日本で初めて「原子の火」が灯った瞬間だった。JRRー1臨界の後、原子力発電の実用化に向けた動きはさらに加速していく。一九五七年十一月に日本原子力発電が発足し、一九五八年九月には原研が念願の国産原子炉一号炉の建設を始める。そして一九五九年十二月、日本原子力発電の東海原発一号炉に設置許可が下りた。さらに、一九五八年八月には日本原子力船研究協会が発足し、原子力発電の開発に加え原子力船開発も着手されていた。このような現実の動きを経た上で、『キングコング対ゴジラ』は公開されたのであった。
ところで、柴田鉄治は当時の「原子力」に対するイメージについて「『原子力』という言葉が、いかに明るく、力強いイメージを持っていたか、それは、五五年秋の新聞週間の標語に『新聞は世界平和の原子力』というのが選ばれたことでも明らかだろう。少しでもマイナス・イメージがあったり、国民の間に意見の対立があったりしたら、こんな標語が選ばれるはずはないからである」と述べている*21。もともと、「核」とは物理学の用語で原子核を意味し、原子核の分裂反応によって取り出されるのが「核エネルギー」、すなわち「原子力」である。しかし、一般的に「核」は「核兵器」の意味で用いられる場合の方が多い(例:核廃絶)。それは、一九五〇年代後半以降の日本で、「原子力」という用語が「平和利用」の象徴となり、「原子力」の軍事利用面での用語である「核」あるいは「核兵器」と完全に切り離されて捉えられていたからに他ならない。そして、「平和利用は善、軍事利用は悪」という構図が、何ら問題もなく人々に受け入れられていたのだった。
こうした状況は、わずかな描写であったとはいえ、『キングコング対ゴジラ』にも反映されていたと言えよう。ゴジラが日本に上陸した後の対策会議の席上で、自衛隊の東部方面隊総監が「国連では、このままゴジラを放置しておくことは世界の破滅になる。よって世界平和のため水爆攻撃の計画を考慮してほしい、という声が起っているそうだ」と深刻な表情で報告するシーンがある一方で、藤田一雄が桜井修に自分が開発した新製品について「鋼よりも強く、絹糸よりもしなやか。原子力時代の繊維ですよ」と説明しているのである。なお、『キングコング対ゴジラ』はゴジラ・シリーズにおいて最高となる千二百五十五万人の観客動員数を記録する、空前の大ヒットとなった。
『キングコング対ゴジラ』の公開直後の九月、原研の国産一号炉(JRR-3)が臨界する。その当時の日本では、「おそらく一九七〇年代、もっとひかえ目に考えても、増殖型原子炉の技術が確立する一九八〇年代には、こうした分野での商業利用が普及するであろうし、月や火星、金星に向う原子力エンジンのロケットも、完成の域に達しているだろう」」*22というように、原子力の「平和利用」についてバラ色の未来が描かれていた。しかし同年十月、米ソの冷戦が頂点に達し核戦争の危機がまさに現実となったキューバ危機が起こる。幸いに危機は回避されたが、核兵器および核実験に対する世界的な批判がますます強まったため、アメリカ・ソ連・イギリスの三国は一九六三年八月、大気中・水中・宇宙空間での実験を禁止した部分的核実験禁止条約*23を結んだ。一方、日本では同年十月、原研の動力試験炉(JPDR)が日本初の発電試験に成功*24し、石炭や石油に変わるエネルギー源として原子力発電への期待が急速に高まっていくのであった。
そして一九六四年四月、第四作『モスラ対ゴジラ』が公開される。この作品で特徴的なことは、「放射能」についての具体的描写が表れたことであろう。冒頭で登場する台風被害の取材現場で、酒井市郎と中西純子は虹色に光る物体を拾う(酒井は素手でそれを取り上げた)のだが、しばらくしてから物体を調査していた三浦(博士)の研究所に呼ばれた二人は、まず「放射能・立入禁止(放射性物質のマーク付)」の表示がある小部屋に入れられ、蒸気のようなものを浴びせられた。出てきた酒井と三浦は次のような会話を交わす。
酒井:一体何のまねです、こりゃぁ?
三浦:放射能の洗浄だよ。
酒井:放射能?
三浦:でも心配はないようだ。
酒井:冗談はよしてくださいよ。
三浦:冗談じゃないよ。君たちが持ってきたアレね…。
酒井:何か分かりました?
三浦:まだ分からん。すごい放射能を帯びているんだよ。
そして、ガラスケースに入れられた物体に向かって三浦がガイガーカウンターを当てると、強い反応が出る。酒井たちは物体を拾った場所に行き、辺りの地面に向かってガイガーカウンターを向けるが反応は出なかった。その時、現場(工業地帯造成地)の地面が動き、地面から水蒸気のようなものが湧き上がる。三浦がそれに向かってガイガーカウンターを向けると強い反応が出て、その直後に地中からゴジラが姿を現わすのであった。この描写によって、ゴジラの身体そのものが強い放射能を帯びているということを、改めて再確認することができたと言えよう。
一方で、過去に核実験が行われた島の描写が初めて登場した。モスラにゴジラ撃退を依頼するために酒井、中西、三浦は、かつて原水爆実験のあったインファント島に赴く。上陸すると、海岸には白骨化した動物の遺体が至る所にころがっており、その様子を見た三人は次のような会話を交わす。
酒井:すごいなぁ。こんな所に人が住んでいるんですかね。
中西:原水爆実験のためなんですか?
三浦:分かりやすく言えば、後遺症とも言えるのかなぁ。昔は全島緑の美しい島だったろうにね。
中西:何だか私、責任感じちゃうわ。
三浦:人間なら当然ですよ。
酒井:しかし、原水爆禁止のかけ声も、近頃じゃ耳にタコっていう感じだが、こう目の前に見せつけられるとそうじゃないですなぁ。(島の内陸に入り、改めて周辺を見渡した後)しかし、本当に人が住んでいるんですかねぇ。
三浦:こんな所に住まなきゃならないなんて、残酷以上だなぁ。
また、原住民の族長には「(ゴジラの被害は)悪魔の火、もて遊んだ報いだ*25。我々は知らん」「昔、この島いいとこだった。平和な緑の島だった。それを、悪魔の火焚いたのは誰だ。神も許さぬ火焚いたのは誰だ。その日から、この島は受難の島になった。我々はこの島の人間以外信じない。信じたばかりに、今まで背かれてばかりきた」と語らせる。
しかし、これらの描写には以下に示す重大な問題点がある。
①酒井が「すごい放射能を帯びている」物体を素手で取り上げていたこと。さらに、映画の中では描かれていないが、それを三浦の元に届けるまである程度の時間は所持していたわけで、現実的に酒井はかなりの放射線被ばくをしているはずであること。
②二人は物体を拾ってから、かなりの時間を経て「放射能の洗浄」を受けており、しかも拾った当時とは明らかに違う服装をしていたにもかかわらず、「洗浄」され「心配はないようだ」と言われていること。
③つい最近まで核実験場だった島に、三人がマスクや手袋などをしないで上陸しているこ
と*26。そして何よりも、その島に「人が住んでいる」ということ。
放射能や放射線について、特にその人体への影響について一般的にはほとんど知られていなかった時代の作品に対し、そのような問題点を指摘することは酷かも知れない。だが、これらの描写によって、「平和利用」であっても原子力には常に危険がつきまとうという認識が、相当に薄められたことは間違いなかろう。
『モスラ対ゴジラ』の公開から約半年後の十月、中国が初の原爆実験を行い核保有国の仲間入りをした。また同年8月、日本はアメリカの原潜の寄港を承認し、十一月には原子力潜水艦シードラゴンが初めて長崎の佐世保港に寄港している。この時期から日本は、原子力の「平和利用」のみならず「軍事利用」とも次第に関わりを深めていくのであった。これに対し一九六七年一月、国連総会において採択された宇宙条約がワシントン・モスクワ・ロンドンで同時調印されるなど、核兵器に対して歯止めをかけようとする動きも相次いだ。しかし、核兵器保有国は核実験を相変わらず続けていただけではなく、核爆弾を搭載するミサイルや航空機等の開発および配備を競っていたのであった。
一方で、一九六五年五月に日本原子力発電の東海原発一号炉が臨界し、十一月に初めての営業用原子力発電に成功する。これを機に、日本国内では民間の各電力会社も原発建設に向けた動きを本格化させていった。一九七〇年三月に大阪で万国博覧会が開幕し、同時期に営業運転を開始した日本原子力発電の敦賀原発から初の送電が行われ、話題を集めた。そして、東京電力の福島原発、関西電力の美浜原発が相次いで営業運転を開始し、新規の原発計画および着工が次々と具体化されていったのである。
しかし、この頃の日本は、一九六〇年代後半から顕在化してきた四日市公害をはじめとする公害・環境問題が深刻化し、巨大科学技術の開発について疑問や批判が強まってきた時期でもあった。また、三月に原研の国産一号炉で燃料棒破損事故が続発していたことが明るみに出るなどした影響で、国民の間ではそれまでの「原子力ブーム」に翳りが出始めていたのである。世界的に大型商業用原発の稼働が増えるにつれて、事故やトラブルが相次いでいたため、原子力施設に反対する動きも各地で活発化していった。「軍事利用」面でも、核保有国の核実験が続けられていただけではなく、一九七〇年九月には訪米中の中曽根康弘防衛庁長官が有事の際の核持ち込み容認を発言するなど、日本の「非核」意識に重大な変化が起こり始めていた。
こうした時代背景の中でゴジラ・シリーズは、第五作『三大怪獣・地球最大の決戦』(一九六四年十二月公開)から第十五作『メカゴジラの逆襲』(一九七五年三月公開)まで、ほぼ毎年制作されているのだが、原子力に関連した描写は徐々に減少していくのであった。確かに、一九六六年十二月公開の第七作『ゴジラ・エビラ・モスラ・南海の大決闘』は、物語の舞台であるレッチ島が陰謀団「赤い竹」の原爆秘密工場という設定だったし、翌年十二月公開の第八作『怪獣島の決戦・ゴジラの息子』では、合成放射能を用いた気象コントロールで島を凍らせる「シャーベット計画」という実験が行われるという設定であったが、それでも原子力に関する具体的な描写は非常に少ない。なお、各作品中の原子力についての描写は、おおよそ次のようなパターンであった。
①核実験の実施を伝える、あるいはそれを批判するというパターン(一九七三年三月公開の第十三作『ゴジラ対メガロ』で、冒頭に「一九七X年、アリューシャン列島のはずれの小島で第二回地下核爆発実験が行われた。その結果…」というナレーションが入り、爆発し島全体が崩落していく場面が流れたこと等)。
②ゴジラなどの怪獣や外敵に対して核兵器の使用が検討されるというパターン(『三大怪獣・地球最大の決戦』で怪獣撃滅の手段を問われた防衛大臣の「問題は日本一国の問題ではございません。全世界の問題でございます。諸君はゴジラ、ラドンに対し、核兵器 を使用せよという勇気がございますか? もうこれ以上ご説明申し上げる必要もございますまい」という台詞等)。
③ゴジラの存在を放射能の有無で探知するというパターン(一九六五年十二月公開の第六作『怪獣大戦争』で、X星人の指摘に従い明神湖でゴジラの調査をするシーンで、ガイガーカウンターを使用する。湖底に近づくにつれて隊員が、「隊長、放射能がますます強くなっています」と報告。その結果を報じる新聞の見出しが「明神湖々底に放射能」「ゴジラ存在は確実」というものであったこと等)。
④危険地域などに入った際に放射能の有無を確認するというパターン(一九六八年八月公開の第九作『怪獣総進撃』で、怪獣ランドの調査に向かった宇宙ロケット「ムーンライトSY-3」が到着後、隊員が艇長の山辺克男に「放射能、亜硫酸ガス、全て異常なし」と報告するシーン等)。
さらに、この時期の作品ではゴジラの存在そのものが大きく変化している。第四作までは、「人類を破滅に導く脅威」という存在であったゴジラが、第五作からは人類のために、時には人類と協力しながら外敵(他の怪獣、宇宙怪獣や宇宙人、あるいは人類の平和に敵対する組織等)と闘う存在となり、さらに第十作『ゴジラ・ミニラ・ガバラ・オール怪獣大進撃』(一九六九年十二月公開)以降は「正義の味方」「子供たちの味方」という存在になっていくのだ。それに伴い、ゴジラの外観が次第に「お茶目で可愛い」と言っても良い程にデフォルメされていったばかりか、「シェーッ」*27(第六作)や「シアワセだなぁ」*28(第七作)のポーズを取るなど、本来の「水爆怪獣」としての脅威、あるいは恐怖というイメージが完全に払拭されていった。
こうした変化について、佐藤健志は「お子様ランチ化」「シリアスな大人向け恐怖映画として出発したゴジラが、子供だましの怪獣プロレスへと凋落してゆく過程」*29とし、その原因として「観客の減少によって生じた予算的な制約や、観客対象を年少層に絞ることの必要性、あるいは副収入としてのマーチャンダイジング拡大(要するに怪獣のオモチャを売ること)の必要性などといった商業的要因が、ゴジラ映画の内容を幼児向けのものへと変えていった」*30という見解を紹介している。小林豊昌も「昭和二十九年から昭和三十九年四月までのおよそ一〇年間に作られたゴジラ映画は四本だったが、昭和三十九年十二月封切りの第五作目『三大怪獣 地球最大の決戦』から昭和五十年三月封切りの第一五作目『メカゴジラの逆襲』までの次の約一〇年間には、何と一一本のゴジラ映画が作られている。子供をターゲットとする商業戦略の中で、ゴジラ映画は粗悪品の大量生産・大量消費がなされてゆく時代へと入っていった」*31と分析しており、この時期のゴジラ映画に対する批評は概して厳しいものばかりであった。
いずれにしても、核実験への批判や核戦争への懸念はそれぞれの作品(一部を除く)でメッセージとして伝えられていた(「触れられていた」という方が適切かも知れない)が、それがゴジラを通してのものではなくなってしまったのだ。それと同時に、原子力をめぐる新たな社会状況が作品に反映されることもなくなっていく。一九七四年は、五月にインドが初の核実験を行い六番目の核保有国になり、六月にはフランスが最後の大気圏内核実験を実施。その一方でアメリカとソ連が地下核実験制限条約に署名した。そして日本では九月、原子力船「むつ」が実験航海に出港した際に放射線漏れ事故を起こし、原子力政策に対する批判が一気に高まったという年であった。しかし、翌年三月に公開された第十五作『メカゴジラの逆襲』では、原子力関連の描写は全く出てこない。唯一のそれらしき描写は、ブラックホール第三惑星人がゴジラの所在を確認するために用いた機械が、「スーパーガイガー探知機」と呼ばれていたことぐらいである。敢えてゴジラが社会的なメッセージを発した作品を挙げるとするならば、一九七一年七月に公開された第十一作『ゴジラ対ヘドラ』(詳細については後述)ということになるのだが、それは原子力ではなく公害に関するものだった。
一九六二年生まれの筆者が、最初に観たゴジラ映画は『怪獣島の決戦・ゴジラの息子』だったと思う。そして、前出・川北が怪獣映画を観る年齢としていた「七歳から十三歳くらい」が、ぴったりと「お子様ランチ化」したゴジラ・シリーズの上映と重なっていた。その時期、新作が公開される度に映画館に足を運んでいたのだが、なぜかスクリーンで観た記憶が鮮明に残っているのは第一作『ゴジラ』なのだ*32。確か小学校三年生前後であったと思うが、父親に連れられて観た『ゴジラ』から受けたインパクトは強烈であった。もちろん、観ている最中に「シリアスな大人向け恐怖映画」の内容をきちんと理解できたはずはなく、ただただゴジラの怖さだけを感じて映画館を出てきたはずだ。映画の中で交わされる「大人たちの会話」はほとんど意味不明なものであったし、既に見慣れていた「人類の味方」であるゴジラとはあまりにかけ離れたその存在を、すぐに受け入れることができなかったからである。確かに、第一作は子どもにとっては難解であった。
しかし、映画館を出て家に帰り着く頃までに、おおまかな内容を理解することができていたようだ*33。それは、帰り道で筆者が内容を思い起こしながらした様々な質問に、父親が一つ一つ答えてくれたからに他ならない。原水爆に関すること、戦争に関することはもちろん*34、ゴジラ出現の報告がなされた委員会と思われる席上で、議員たちが混乱する最中に「馬鹿者、何を言うか」という発言が出たシーンについて、実際に「バカヤロー解散」*35というものがあったことまで説明してくれたのも覚えている。また、まだ放射能雨に対する関心が高かった頃、雨が降ってきた際に傘をささずにいると周囲の大人たちから「頭が禿げるよ」と注意された幼少時の体験が、映画の内容にリアリティーを感じさせる糸口となっていたと思う。そして確実に言えるのは、その時点でゴジラから核兵器に対する「怒り」というメッセージを受け取り、後に筆者が原子力問題に関わっていく際の強力なモチベーションの一つになったということである。
前出・小林は、「お子様ランチ化」していくゴジラについて「造形もおちゃめになり、『子どもたちが親しみをもてるように』デフォルメしていくという、大人の愚考を実践していく。大人が、子供たちに媚びる時代の始まりであったかもしれない。子供は、自分たちに媚びる大人を軽蔑しているのに、大人たちはそれに気づかず独善を続けていた」*36と述べているが、非常に鋭い指摘ではなかろうか。中野昭慶*37の「映画は基本的に娯楽でしょ、それにゴジラ映画は子どもが観るものです。(中略)人を傷つけてはいけないとか、物を盗んじゃいけないとか、家族でふだん話し合っていることを逆なでする映画を作っちゃいけない、とね」*38「子どもにウケる映画って、コミカルなタッチであること、そして子どもが耐えられる一時間三〇分ほどに収めることが大切です」*39という主張の是非はさておき、少なくとも第一作を観た後の筆者にとっては、それ以前のように「正義の味方」であるゴジラを素直に受け入れることはできなかった。テレビの普及による映画産業自体の衰退等、様々な事情が考えられるであろうが、ゴジラの観客動員数は第四作が七百二十二万人であったのに対して、年々減少し(一時的に増加する時期はあった)第十五作では九十七万人にとどまっている*40。大人たちが提供した「お子様ランチ」が、子どもたちの口に合わなかったことは間違いあるまい。一方で、第一作は「大人向けの料理」ではあったが、決して「子どもに食べられない料理」ではなかったとも言えよう。
ところで、減少を続けた観客動員数を一時的に増加させたのは『ゴジラ対ヘドラ』である(前作の百四十八万人に対して百七十四万人)。実は、筆者にとって第一作と同様、子ども時代に強く印象に残ったものだった。ゴジラ・シリーズの中で特に異彩を放つこの作品は、公開当時の評価が大きく分かれていた(マイナス評価の最たるものは、子どもに観せるには残酷なシーンがあった*41というもの)。制作者側も、前出・中野が「やはり、あの映画は残酷すぎました。当時は公害をアピールするんだなんて気概があって、エスカレートしちゃった。(中略)僕らは、子ども向け映画なのに大人の視点で撮っていた」*42と認めている。だが、この制作者側の「誤算」が幸いして、『ゴジラ対ヘドラ』は「大人が子どもたちに媚びる」映画ではなくなったばかりか、子どもたちにメッセージを分かりやすく伝えることにも成功したのではなかろうか。
この作品に登場した怪獣ヘドラは、宇宙から飛来した地球外生物がヘドロと化合して生まれた「公害怪獣」という設定になっている。その名が示す通り、公害・環境破壊をテーマとしたものであり、原子力(主に核実験によって生じた放射能)はその一部として描かれていた。この作品の特徴を挙げるとすれば、以下の三点になるであろう。
①主役的登場人物の一人が、小学校二年生の子どもであったこと。ゴジラ・シリーズの中で、子どもが主役的役割をしている作品は、『ゴジラ・ミニラ・ガバラ・オール怪獣大進撃』等、一部を除けばほとんどない。しかも、この作品では子どもを特別扱いすることなく、社会の構成員として大人と同様、もしくは対等に扱われていたのである。
②難解な部分についても、父子の会話という形で作品中で分かりやすい説明がなされていたこと。例えば、矢野研と父親の徹との間で、次のような会話が交わされる。
徹:(ヘドラが飛行できる理由について)研、核爆発って知ってるか?
研:原爆や水爆のこと?
徹:そう。物質の原子が核分裂を起こして別の原子に変わる時、膨大なエネルギーを放出するんだ。宇宙には原爆や水爆どころか太陽の何億倍もの大爆発が起こってる。
[説明の最中に、原子核などのイラストや、銀の原子核爆発の映像などが流される]
研:バーン。すごいなぁ。
徹:ヘドラは核爆発によるエネルギーで飛ぶようになったんだろう。金属で出来た宇宙生物だからね。放っておくと、どんな武器を備えるか分からない。
研と徹とのこうした会話が、実写やイラストを伴ってしばしば登場している。
③怪獣同士の闘いなどによる「被害者」が具体的に描かれていたこと。ヘドラによって倒れる人々が描かれていただけではなく、テレビニュースでアナウンサーが「怪獣ヘドラとゴジラによる被害は死者三十五名、負傷者八十一名、倒壊家屋三百二十に上っております」と述べるなどしている。ゴジラ・シリーズの中で、ここまで具体的に被害者が描かれた例は他に見当たらない。
これらの特徴は、「子ども向け映画とは何か?」「子ども向け映画はどうあるべきか?」等という点について、多くを示唆していると考えられるが、その検証は別の機会に譲る。
いずれにしても、第一作および『ゴジラ対ヘドラ』という「子ども向けとは言えない」二作のみが、子どもたちに明確なメッセージを伝え得たという事実は重要である。ただし、「原子力」について言うならば、その二作においてさえ「平和利用」に関する何ら具体的な描写は登場してきていない。第一作によって、子供たちが核兵器に対する怒りを強めることができても、「平和利用」に対する批判的視点は持ち得なかった。むしろ、「平和利用」については何の疑問も持たずに、夢や期待を馳せていたくらいであろう。そして「平和利用」について何も語らぬまま、ゴジラは一旦スクリーンから姿を消したのであった。
(脚注)
*2野村宏平編『ゴジラ大辞典』、笠倉出版社、2004、P9
*3ゴジラは口から放射能を含む高温の放射熱線(他にも放射能火炎、バーニングGスパーク熱線など、作品によって名称は変化する)を吐くが、これが最大の必殺武器とされている。
*4さらに、建設中及び建設準備中の原発が十一基ある(二〇〇五年四月現在)。
*5原発からの使用済み核燃料を再処理し、ウランやプルトニウムなどを取り出すことで核燃料を有効に利用しようとするもので、国は原子力政策の根幹に据えている。
*6第一作、第二作で撮影助手、第三作から第六作まではカメラマン、第七作で特技監督補、第八作と第九作で特技監督を務めた。
*7田中友幸他『ゴジラ・デイズ ゴジラ映画40年史』、集英社、1993、P116
*8第三作から第十作まで撮影助手等、第十一作と第十四作で監督助手、第十七作から第二十二作まで特技監督を務めた。
*9田中他・前掲書、P219
*10中村桂子『科学技術時代の子どもたち』、岩波書店、1997、P29
*11この金額の根拠は、特に計算されたものではなく、核分裂反応を起こすウラン235の原子記号にあやかって決められたと言われている。
*12武谷三男『原子力発電』、岩波新書、1976、P13
*13一九五三年十二月、アイゼンハワー米大統領が国連総会で原子力の「平和利用」を呼びかけた。以後、原子力の利用は「平和」と「軍事」とに二分されて捉えられるようになる。
*14この時点では、まだゴジラの存在は確認されておらず、大戸島を襲った台風の被害を調査するものだった。
*15これは推測の域を出ないが、芹沢の「僕は必ずこのオキシジェンデストロイヤーを、社会のために役立つようにしてみせます」という台詞は、「平和利用」ついての期待、ある意味で楽観的な見解を表していたのかも知れない。
*16休止期間中、東宝は『空の大怪獣ラドン』(一九五六年十二月公開)、『地球防衛軍』(一九五七年十二月公開)、『大怪獣バラン』(一九五八年十月公開)、『宇宙大戦争』(一九五九年十二月公開)、『モスラ』(一九六一年七月公開)などの怪獣映画を制作し、それらの中で原子力に関する描写も登場していたが、ゴジラについて述べる本稿では割愛した。
*17アインシュタインらノーベル賞を受賞した科学者たちが、核兵器を紛争解決の手段として用いないことなどを訴えたもの。
*18ラッセル・アインシュタイン宣言に署名した科学者同士が集まった国際会議。いかにして科学技術が社会的責任のある方法で利用されるか、どのようにして核兵器を廃絶し戦争をなくせるか等の問題に関して議論をし、その結果を世界に訴えていくことを目的とした。
*19原子力基本法、原子力委員会設置法、原子力局設置に関する法律を指す。
*20まだ具体的に原子炉が存在しない時期に定めらたことは注目に値する。
*21柴田鉄治『科学報道』、朝日新聞社、1994、P43
*22一九六二年十二月二日付、朝日新聞社説
*23この条約では「地下核実験」が除外されている。
*24発電に成功した十月二十六日は、後に「原子力の日」と定められ、原子力推進のために各種行事が催されるようになった。
*25この族長の言葉が、核兵器を持たない日本から来た三人に発せられたことは意味深長である。「島外の人間」として核保有国の人間と同様に見ていたと考えれば「悪魔の火」とは核兵器に他ならないであろうが、仮にそうではなかったとしたら、原子力利用そのものを指すという解釈が成り立つからだ。
*26一応、上陸した時の三人は、黄色い作業衣のようなものを着ていた。しかし、原住民の前に出た時には、普通のスーツ姿となっている。
*27当時人気のあったマンガ『おそ松くん』に登場するイヤミというキャラクターが取っていたポーズである。
*28当時、歌手の加山雄三が「シアワセだなぁ」と言いながら鼻をこするポーズが話題になっていた。
*29佐藤健志『さらば愛しきゴジラよ』、読売新聞社、1993、P76
*30佐藤・前掲書、pp47-48。ただし、佐藤自身は「商業的要因を無視することはできない」としつつ、原因についてさらに詳細な分析を行っている。
*31小林豊昌『ゴジラの論理』、中経出版、1992、P20
*32現在のようにビデオやDVDが存在しなかった当時は、たびたび過去の作品がリバイバルで上映されていた。また、町内会の催しで映画会があり、そこで過去の作品が上映されることもあった。そのため筆者は、第七作以前の作品のいくつかをスクリーンで観ていたのである。
*33家に帰ってから筆者は母親に『ゴジラ』の内容について興奮しながら様々なことを語ったらしい。
*34父親は一九三二年生まれで戦争経験者であり、また労働組合の専従だった関係で、原水禁の大会にほぼ毎年出席するなどしていたため、核問題についてもある程度の知識があった。
*35一九五三年の衆議院解散の俗称。同年二月の衆議院予算委員会における吉田茂首相と社会党の西村栄一議員の質疑応答の中で、吉田首相が「ばかやろう」と発言したことが発端となった。
*36小林・前掲書、P126
*37第三作から第十作まで監督助手、第十一作から第十三作まで特殊技術、第十四作から第十六作まで特技監督を務めた。
*38田中他・前掲書、pp172-173
*39田中他・前掲書、P181
*40田中他・前掲書、P304
*41ヘドラが排出する硫酸ミストを浴びた人間が、みるみる溶解して白骨化していくシーンなどを指す。
*42田中他・前掲書、P173
(後編に続く)
2014年6月8日
『ゴジラ』は今も世相を撃てるか?
2016年10月25日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)が西谷文和さんと語る「現場記者が見てきた『原子力ムラ』」ほか~「自由なラジオ LIGHT UP!」最新アーカイブを聴く(027~030)
2017年1月17日
「憲法と平和・原発・沖縄問題を考えるシンポジウム」@2/4アバローム紀の国(和歌山市)へのお誘い~森ゆうこ参議院議員を迎えて
沖縄タイムス+プラス ニュース 2016年12月23日 08:50
【記者の視点】命の問題 譲れない
(引用開始)
北部訓練場の部分返還を祝う式典が名護市の西海岸で開かれた22日、東海岸の安部では米軍が墜落したオスプレイの回収作業を終えた。機体は米軍の「財産」。結局、海上保安庁は指一本触れられないままだった。
昼間、9日ぶりに立ち入り規制が解除された浜辺に入ってみた。アダンの木に実がなっていると思ったら、違った。米軍が張った立ち入り禁止の黄色いテープがぐるぐる巻きになり、残されていた。
米軍は「神聖不可侵」。このテープにすら触れられないのだろうか。自生するアダンの木が沖縄に、巻き付けられたテープの塊が米軍基地に重なる。
夕方、返還式典の後、菅義偉官房長官は「苦労に苦労、努力に努力を重ねた」と強調した。そうまでして実現したのは、米軍報告書が「使用不可能」と呼ぶ土地を返してもらい、新たなヘリパッドを提供する程度のことだった。
返還式典では、ケネディ駐日米大使らが返還地を示す写真パネルを贈り、政府や地元2村の代表がありがたく受け取る演出まであった。地元の騒音被害を顧みず、反対運動は力で排除する一方で、米国には徹底的に従属する。脱力感すら覚える光景だった。
夜、やはり名護市内で開かれたオスプレイ墜落への抗議集会で、参加者は口々に命の危険を語った。政府の姿勢がどうあれ、命の問題で譲るわけにはいかない。そのことを再確認する1日になった。(北部報道部・阿部岳)
(引用終わり)
和歌山県平和委員会事務局の里﨑正さんから、ドキュメンタリー映画『いのちの森 高江』上映会のご案内をいただきました。2月26日(日)午後2時から、和歌山市勤労者総合センター6F文化ホールでの上映です。
以下に、チラシ記載情報を転記します。
(チラシから引用開始)
ドキュメンタリー映画 いのちの森 高江
監督/謝名元慶福 語り/佐々木 愛
和歌山市上映会のご案内
沖縄県東村高江のやんばるの森で、何百人という機動隊を動員し、暴力的に反対住民を排除し、大量の大型工事車両を搬入し、何万本という森の木を切り倒し、ヘリパッド建設が強行されました。返還と引き渡しの調印式が行われ、ますますオスプレイの飛行訓練は増えるものと予想されます。しかし沖縄の人たちは、「オスプレイは認めない」「オスプレイパッドの存在は認めない」の姿勢を貫いています。
高江で起こった権力による無法行為を私たちは決して忘れてはなりません。事実を知り、広めることが私たちにできることです。ドキュメンタリー映画「いのちの森 高江」上映会を開催します。ぜひお運びください。
午後1時30分開場 2時開演
会場/和歌山市勤労者総合センター 6階文化ホール(アクセス)
上映協力券/200円(中高生・障がい者無料)
「いのちの森 高江」上映実行委員会
和歌山市湊通丁南1-1-3 名城ビル2F 和歌山県平和委員会気付
TEL:073-488-7355(里﨑)
(引用終わり)
映画『いのちの森 高江』については、昨年10月31日(月)に京都市で開かれた「マスコミが伝えない現実!! 沖縄・高江で今何が起こっているか」の中で暫定短縮ヴァージョンが上映された模様を伝えたIWJ京都の動画をメルマガ(ブログ)でご紹介したことがありました。この時点で、60分余りのフルヴァージョンが完成間近と伊佐真次さんが仰っていましたね。
この映画を取り上げたブログや上映会用のFacebookイベントページも色々ありますが、一番情報量が多いと思えた以下のサイトをご紹介しておきます。
アイデアニュース 筆者:松中みどり 更新日:2016年12月5日
沖縄の生命を撮影した映画「いのちの森 高江」 上映権つきDVD、1500円で発売
(抜粋引用開始)
今回発表されたドキュメンタリー映画「いのちの森 高江」は、次のような特色があります。
まず、絶滅危惧種、天然記念物、やんばる固有種などのいのちを育む豊かな森について、ドローン撮影を含む美しい映像で記録しています。
何よりも、この映画ではやんばるのチョウのことを誰よりも知っているチョウ類研究者アキノ隊員の言葉を、たっぷりと聞くことが出来ます。
「木っていうのは、芽生えてから死ぬまでにすごいたくさんの役割があって、数えきれないほどの生き物たちに棲み処とエサを与えてるんですね。木の種類によって寄ってくる虫が違うんですよ。だから木の種類が多いっていうことは、森の多様性を豊かにすることにつながるんですね。」 アキノ隊員は一本の木の大切さと、それを切り倒すことの恐ろしさを語ります。
ヘリパッド建設では、そういう木を何本、何種類切り倒すのか、木を切ることは、その木を頼って生きるはずだった昆虫たちや未来に生存するはずだった生き物たちのいのちを奪うことになるのだとアキノ隊員は言葉を続けました。
また、「いのちの森 高江」には、自然といのちを守るために闘った人々の歴史が紹介されています。1970年、米軍が北部訓練場の国頭村伊部岳で強行しようとした実弾射撃訓練を、国頭村民が命をかけて阻止した闘争。東村・福地ダム上空での軍事演習中止を求める闘い。国頭村安波でのハリアーパッド建設阻止集会。やんばるの人たちの闘いは歴史あるもので、これまでも住民の方たちは力を合わせ、いのちと自然を守ってきたのだということがわかります。
そして、この豊かな自然の中で子どもを育てたい、家族の仕事を継ぎたい、高江で仲良く暮らしていきたいという高江の住民のみなさんに焦点があたっていることも、大きな特色です。
(略)
<ドキュメンタリー映画 「いのちの森 高江」>
(65分 1500円 上映権つき)
DVD申し込み先:新基地建設反対名護共同センター
電話 0980-54-8555 FAX 0980-54-8556
Eメール nago.kyodoc☆bird.ocn.ne.jp ☆を@に変えて下さい
監督は、人間国宝の平良敏子さんをおった映画「芭蕉布―平良敏子のわざ」で、2015年映文連アワード(映像文化製作者連盟主催)グランプリをとった謝名元慶福(じゃなもとけいふく)さん。
DVDは上映権つき1枚1500円です。どんどん上映してたくさんの人に見てもらいたいということで、破格のお値段になっているのです。高江に行くことは出来なくても、この映画を仲間や家族と一緒に見て理解と共感を深めていくことが、まずははじめの一歩になると思います。
(引用終わり)
いのちの森 高江(ドキュメンタリー映画 プロモーションビデオ)(10分42秒)
松中みどりさんも書かれているとおり、「この映画を仲間や家族と一緒に見て理解と共感を深めていくことが、まずははじめの一歩になる」と信じ、ご紹介することとしました。
なお、実行委員会からチラシと共に届いた「和歌山上映会へのご協力のお願い」によると、「上映終了後に、沖縄に連帯し、ともにたたかう宣伝行動をJR和歌山駅で行いますので、できれば参加をよろしくお願いします。」とありました。宣伝行動は上映会当日(2月26日)の午後4時から、JR和歌山駅西口前で行われます。こちらも多くの方にご参加いただきたいと思います。
(弁護士・金原徹雄のブログから)
2016年11月2日
「マスコミが伝えない現実!! 沖縄・高江で今何が起こっているか」(10/31@京都市)での伊佐真次さんと小口幸人さんの訴え
2017年1月4日
放送予告・拡散希望1/29『100分の1の声をめぐって~沖縄「土人」発言その後(仮)』(MBSドキュメンタリー映像’17)
「集中特集 東海テレビ ドキュメンタリー傑作選」(12/29~1/10/日本映画専門チャンネル)のご紹介
この前、このメルマガ(ブログ)でTV番組をご案内したのは、ちょうど1週間前でした(期待して放送を待つ12/24「こんにちは!動物の赤ちゃん2016」(NHK総合)~白浜の良浜(ラウヒン)・結浜(ユイヒン)親娘も登場/2016年12月21日)。この記事のブログ更新情報をFacebookに投稿したところ、「金原先生のブログにパンダの赤ちゃんって、なんだか意外でおもしろいです。」というコメントを書き込んでくださった方もおり、なかなか好評(?)でした。
それに味をしめて、という訳でもないのですが、今日もテレビ放送のご紹介です。
ただし、いつもは地上波の番組に限っているのですが、今日はその例外として、日本映画専門チャンネルの新年の特集をご紹介しようと思います。ケーブルテレビやスカパー!と契約している方も少なくないと思いますし、そうしょっちゅうお目にかかれるという特集でもないので、まとめてのご紹介です。
メルマガ(及び熱心なブログ)の読者は、今年の正月(1月8日)に、「映画『ヤクザと憲法』(東海テレビ)を観たいと思いませんか?」という記事が配信されたことをご記憶かもしれません。
自社制作のドキュメンタリー番組の劇場映画化を積極的に推進する東海テレビ放送の最新作『ヤクザと憲法』(土方宏史監督/96分)を「観てみたい」と思って思わず書いてしまったものでした。
その後、和歌山で自主上映されるというような動きも全くなく、忘れるともなく忘れていたところ、ふと、12月29日(木)23時から日本映画専門チャンネルで『ヤクザと憲法』が放映されるということに気がつき、「これは録画予約しなければ」と思ったのです。
もっとも、それだけのことであれば、私が自分のために録画予約をするというだけのことで、メルマガ(ブログ)で取り上げるつもりはなかったのですが、これまたふとしたことから、12月29日から1月10日にかけて、東海テレビ放送が制作したドキュメンタリー映画(一部劇映画を含む)の特集放送(集中特集 東海テレビ ドキュメンタリー傑作選)が行われるということを知ったのです。
「取り扱う題材に禁止事項を設けない。むしろ、難しいことこそトライする。その方針通り〈ヤクザ〉〈戸塚ヨットスクール〉〈死刑弁護人〉といったテーマに挑む姿勢は、映画業界にも多数のファンを生みだしている。独自の“道”を貫く東海テレビ制作のドキュメンタリー映画全9作品を日本映画専門チャンネルだけで集中放送!」
どうですか?これを目にしたら、日本映画専門チャンネルを視聴できる環境がある限り、「全部録画したい!」と思いませんか?
放送日① 2016年12月29日(木)23時00分~
放送日② 2017年1月9日(月)21時00分~
公式サイト
放送日① 2016年12月29日(木)深夜00時50分~
放送日② 2017年1月10日(火)21時00分~
公式サイト
放送日① 2016年12月29日(木)深夜02時40分~
放送日② 2017年1月10日(火)深夜00時55分~
公式サイト
放送日 2017年1月9日(月)深夜02時50分~
公式サイト
放送日 2017年1月10日(火)深夜02時45分~
公式サイト
放送日 2017年1月9日(月)22時50分~
公式サイト
放送日 2017年1月10日(火)深夜04時30分~
公式サイト
放送日 2017年1月10日(火)22時50分~
公式サイト
『めぐり逢い』 作詞・作曲:長野たかし 演奏:長野たかし&森川あやこ
このところ、1週間か2週間に一度、興味深いTV番組が近々放送されるのではないかと調べてみた結果をメルマガ(ブログ)でご紹介するのが慣例化しつつあります。
もちろん、まだ見ぬうちに書くことで、しかも映画とは違い、予告編すらないことも多いのですから、本当に「見るに価する」かどうかなど確約できるはずがありません。
それでも、ドキュメンタリー番組であれば、その素材の選択から、長年つちかってきた直感で、ある程度は見通しが立つこともあり、普段はそのような「勘」に基づいて紹介する番組を選択しているのです。
けれども、これがドラマとなると、正直全く見当もつきません。これが劇映画であれば、監督のそれまでの実績から想像を広げるということもできるでしょうが、TVでは、前提となる知識が圧倒的に不足しており、「見てみなければ分からない」としか言いようがありません。
それにもかかわらず、来週の月曜日(12月12日)から木曜日(15日)まで4夜連続で放送されるNHKスペシャル『ドラマ 東京裁判』はとても気になります。
第1話 2016年12月12日(月)午後10時25分~11時25分
第2話 2016年12月13日(火)午後10時25分~11時20分
第3話 2016年12月14日(水)午後10時25分~11時20分
NHKスペシャル公式サイトの説明だけではよく分からぬところがあり、もう少し詳しく説明した文章はないか?と探したところ、NHK広報局が11月16日に発表した「報道資料」が、(基本は一緒ですが)少しは詳しい説明がなされていましたので、こちらを引用しつつ、公式サイトにしか記載されていない情報を付加します(下線を引いた部分です)。
報道資料 平成28年11月16日
NHK広報局
NHKスペシャル
ドラマ 東京裁判 ~人は戦争を裁けるか~
第1話:12月12日(月)午後10:25~11:25 総合
第2話:12月13日(火)午後10:25~11:20 総合
第3話:12月14日(水)午後10:25~11:20 総合
第4話:12月15日(木)午後10:25~11:20 総合
70年前の東京で、11人の判事たちが「戦争は犯罪なのか」という根源的な問いに真剣な議論で取り組んだ東京裁判。NHKは世界各地の公文書館や関係者に取材を行い、判事たちの公的、私的両面にわたる文書や手記、証言を入手した。浮かび上がるのは、彼ら一人一人が出身国の威信と歴史文化を背負いつつ、仲間である判事たちとの激しいあつれきを経てようやく判決へ達したという、裁判の舞台裏の姿だった。11か国から集まった多彩な背景を持つ判事たちの多角的な視点で「東京裁判」を描く。人は戦争を裁くことができるか、という厳しい問いに向き合った男たちが繰り広げる、緊迫感あふれるヒューマンドラマ。
出演:ジョナサン・ハイド(豪・ウエッブ裁判長役)、ポール・フリーマン(英・パトリック判事)、マルセル・ヘンセマ(蘭・レーリンク判事)、イルファン・カーン(印・パル判事)、マイケル・アイアンサイド(加・マッカーサー)、塚本晋也(日・竹山道雄)ほか
テーマ音楽 中島ノブユキ 題字 赤松陽構造 語り 草笛光子
*NHKの企画原案による、カナダ、オランダとの国際共同制作
*判事役を演じる俳優たちは、それぞれの判事の母国出身
【ドラマあらすじ】
1946年の春。東京の帝国ホテルに戦勝国11か国の判事たちが集まった。日本の戦争指導者を裁く「東京裁判」を開くためだ。裁判の焦点になったのは、ナチスを裁くニュルンベルク裁判と同時に新しく制定された「平和に対する罪」。それまで国際法では合法とされていた「戦争」そのものを史上初めて犯罪とみなし、国家の指導者個人の責任を問う新しい罪の概念であった。この「平和に対する罪」を弁護側は事後法として否定する。判事室では各々の判事の意見が鋭く対立、最初は短期間で決着がつくと思われた裁判は、混迷と長期化の様相を見せてゆく。
裁判の舞台裏の攻防に、日本滞在中の判事たちの私的な行動や、周辺に現われる人物の思惑が混じり合う。1948年の秋、ついに11人の判事たちは2年半に及んだ東京裁判の結論となる判決を出すべく、最後の評議の場に臨むのだった。被告たちの生と死が分かれる瞬間。それは、「人は戦争を裁けるか」という、人類の根源的な問いに答えが出されるときでもあった。
◆NHK、オランダ、カナダの国際共同制作
ニュルンベルク裁判の陰に隠れ、海外ではその存在さえあまり知られていない『東京裁判』。
戦後70年、戦争のやまない世界へのメッセージとして、このドラマを広く世界の視聴者にも訴えるため国際共同制作とした。NHKが企画し、世界各国での取材を経て原案を作成したあと、海外のパートナーを募った。その結果、10数社から申し出があり、このうちオランダのFATTプロダクションとカナダのDCTVプロダクションの2つの制作会社の参加を得て制作が進められた。せりふは英語(Nスペ版は日本語吹き替え)とし、出演者のほとんどが外国人であることなどから、監督はパートナーの国の出身者が担い、NHKが歴史的事実の精査を担当した。
◆Netflixでも国際発信へ
動画配信大手のNetflixから、共同制作者であるカナダのプロダクションに対し配信権を得たいとの申し出があり、番組が世界に配信される運びとなった。NHK総合テレビで日本国内で放送したあと、Netflixが世界20言語でインターネット動画配信を行う予定と聞いている。
ただし国内ではNHKオンデマンドが先行し、Netflixは1月から配信予定。
(引用終わり)
ここまで読んできても、ドラマは英語で制作され、監督もオランダ人とカナダ人が務めているらしい(共同監督ということでしょう)ということは分かりますが、名前が書いていない!正式なプレスリリースがこれでいいんだろうか?
ということで、監督は誰?と探したところ、バラエティ・ジャパンのサイトに以下のようなニュースがあるのを発見しました。
Netflix、NHKと『ドラマ 東京裁判~人は戦争を裁けるか~』でパートナーシップ
(抜粋引用開始)
Netflixと日本の公共放送局NHKが、来月に放送となる全4話の歴史ドラマでパートナーシップを結んだ。
(略)
両社は共に製作費を出しており、NHKはロサンゼルスとトロントを拠点とするドン・カーモディ・テレビジョン、そしてアムステルダムに拠点を置くFATTプロダクションズと共同製作契約を結んでいる。ピーター・ヴァーヘフとロブ・キングが本作の共同監督を務める。
2015年の秋に日本でサービスを始めて以降、Netflixはフジテレビ、タレント事務所の吉本興業、広告代理店の電通と番組を作ってきた。NHKにとって、Netflixと製作と放送でパートナーシップを結ぶのは初めてだ。
(引用終わり)
ちなみに、ロブ・キング監督で検索してみると、「超巨大ハリケーン カテゴリー5(2014)」というバート・レイノルズ主演のパニックムービーがヒットしましたが、これで「ドラマ 東京裁判」の仕上がりを予想するのは無理というものですね。
「人は戦争を裁けるか」というサブタイトルに相応しいドラマになっているかどうか、過大な期待は禁物ですが、見逃してから「良かった!」という評判を聞いたらシャクなので、「気になる作品」としてご紹介します。
なお、NHKスペシャルの公式サイトの放送予定では、「人は戦争を裁けるか」というサブタイトルは表記されていません。放送直前にサブタイトルを外すことになったのか、それとも公式サイト用の原稿に書き忘れたのか、放送された番組自体を見てみなければどちらとも決めかねます。
今日、和歌山県平和フォーラムの藤原慎一郎さんが、私の事務所まで、以下にご紹介する映画『辺野古 圧殺の海 第2章』(藤本幸久・影山あさ子共同監督)上映会のチラシを届けてくださいました。
藤原さんの説明によれば、この企画は、12月10日(土)に東京・日比谷野外音楽堂で開催される「最高裁は地方自治の破壊を許さず、民意によりそう判決を!辺野古新基地建設を許さない!12.10東京集会」(主催:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会ほか)に呼応して開催する企画ということでした(注:フォーラム平和・人権・環境からの「要請書」参照)。
ただ、12月10日(土)は適当な会場が空いておらず、9日(金)夜に開催することになったとか。
現在、沖縄県では高江でのヘリパッド建設工事を阻止しようとする住民に対する弾圧が続いていますが、工事自体は訴訟の結論待ちということで一時的に止まっている辺野古についても、年度内にも最高裁が判決を出すのではと言われており、12月10日の統一行動(全国アクション)は、「高裁判決を覆し、民主主義と地方自治を取り戻す」(前記「フォーラム平和・人権・環境」要請書)ために取り組まれるものです。
〇17時45分開会ですが、最初は「最高裁は地方自治の破壊を許さず、民意によりそう判決を!辺野古新基地建設を許さない!12・9和歌山集会」の主催者挨拶や各団体決意表明などがあるため、実際に映画上映が始まるのは間違いなく18時を回るそうです。
〇藤原さんによると、今回の企画は、森の映画社から上映権付DVDを購入して上映するのだそうです。「今後、この作品を上映したいという場合には、遠慮なく和歌山県平和フォーラムまでご連絡ください。」ということでした。著作者から上映権を付与された和歌山県平和フォーラムが主催者に名前を連ねていれば、今後の上映も問題ないでしょう(というのは私見です)。
実は、12月9日、私は終日大阪出張で、大急ぎで和歌山まで帰っても、映画は終わりの方しか観られないと思いますので、どこかの団体が和歌山県平和フォーラムとの共催で第2弾の上映会をやってくれると嬉しいのですが。
(チラシから引用開始)
辺野古 圧殺の海 第2章
2014年7月1日の辺野古新基地建設の着工から、
翁長知事誕生までを描いた「圧殺の海」。
その後、沖縄・辺野古では何が起きていたのか。
翁長知事は、沖縄県民は、どうたたかって来たのか。
この映画は、翁長知事誕生からの激動の18ヶ月、
その抵抗の記録である。
辺野古 圧殺の海 第2章
2016年/107分/カラー/森の映画社
共同監督:藤本幸久/影山あさ子
撮影:栗原良介/小田切瑞穂/酒村多緒/藤本幸久/影山あさ子/川村拓希
編集:栗原良介
ナレーター:影山あさ子
歌:「人間をかえせ」きむきがん(ありらん食道)
題字:金城武政
配給:影山事務所
上映日:2016年12月9日(金)17:45(開場17:30)
会場:和歌山県立図書館2階「メディア・アート・ホール」
(和歌山市西高松1-7-38)
主催:「最高裁は地方自治の破壊を許さず、民意によりそう判決を!辺野古新基地建設を許さない!12・9和歌山集会」
和歌山県平和フォーラム、部落解放同盟和歌山県連合会、戦争をさせない和歌山委員会
お問合せ:和歌山県平和フォーラム TEL:073-425-4180
-チラシ裏面-
2014年11月16日、沖縄県知事選挙。10万票差で仲井眞前知事を破り、「辺野古に新基地はつくらせない」を公約とする翁長知事が誕生した。しかし、日本政府は、前知事が承認したのだから「粛々とすすめる」と工事を再開する。
県民は、キャンプシュワブのゲート前に座り込み、道路に寝そべり、車の下に入り込み、工事用資材と車両の搬入を止め始めた。海では、フロートを乗り越え、コンクリートブロックの投入を止めようとした。
県民の民意を反映した直接行動を前に、安倍政権は、警察権力で圧倒しようとする。船を転覆させ、死者を出しかねない暴力を振るう。
県民たちは、しかし、毎日、ゲート前に座り、海に出続けた。名護警察署を取り囲み、抗議し、逮捕された仲間を取り返してきた。暴力を振るい続ける海保を海には出さないと、海保の車両をゲート前で止め続けた。工事は政府の思うように進まず、ボーリング調査の予定はどんどん延びてゆく。
そして台風の季節。
2015年8月、安保法案に反対する市民が国会前に連日押しかけるようになると、政府は沖縄県に、1ヶ月工事を中断しての集中協議を持ちかける。そして安保法案が通ると、また工事を再開した。
2015年10月、翁長知事は遂に公有水面の埋め立て承認を取り消す。しかし安倍政権は、工事を中止するどころか、直ちに、国土交通省へ行政不服審査を請求、知事の承認取り消しを執行停止とした。同時に、埋め立て承認取り消しの権限を知事から取り上げようと代執行訴訟を提訴する。
知事の権限をないがしろにし、国が工事を強行するなら、自分たちが工事を止める。
県民たちは、キャンプシュワブゲート前に駆けつける。
毎週水曜日、と提起された早朝行動は、500人、700人、1000人と人数を増し、さらに木曜行動へ広がってゆく。沖縄県警だけでは押さえられないと、安倍政権は警視庁機動隊を導入。県民も、体にペンキを被って座り込む。コンクリートブロックを並べるなど、知恵をしぼって抵抗を続ける。工事用車両がゲートを通れない時間が増えてゆく。県民たちは、米軍車両も止め始める。
2016年3月4日、突然、国は代執行訴訟の和解受け入れを発表した。
「新基地建設を阻止するためにあらゆる権限を行使する」という知事の姿勢、海でもゲート前でも弾圧を恐れない県民の日々のたたかいが、国に和解を受け入れさせた。
「和解」は、1)国は工事を中断する、2)協議をする、3)裁判手続きを地方自治法に基づいてやり直す、の3点を内容とするが、新たな裁判の判決で沖縄県の手足を縛り、工事を再開しようとする国の思惑が見え隠れしている。
今、工事は止まっている。しかし、中止されたわけではない。それゆえ、現場での抵抗も、止まることなく、続いている。
裁判の和解とともに新たな段階に入った辺野古。圧殺の海 第2章「辺野古」は、翁長知事誕生からの激動の18ヶ月、その抵抗の記録である。
(藤本幸久、影山あさ子)
企画・製作・著作:森の映画社 http://america-banzai.blogspot.jp/
配給 影山事務所:TEL/FAX:011-206-4570 marinesgohome@gmail.com
チラシ製作協力:スペース・オルタ
(引用終わり)
(参考動画)
【映画 予告編】『圧殺の海 第2章「辺野古」』(1分08秒)
(弁護士・金原徹雄のブログから)
2015年2月20日
熊野・新宮の大逆事件と映画『圧殺の海―沖縄・辺野古』~「澤藤統一郎の憲法日記」を読んで
2015年8月5日
辺野古工事1ヶ月中断の間にやるべきこと~少なくとも検証結果報告書は読んでおこう
2016年3月4日
沖縄県と国との和解条項(2016年3月4日・福岡高裁那覇支部)を読んで考えた
2016年9月18日
辺野古訴訟判決(9/16福岡高裁那覇支部)の「骨子」をとりあえず読む
2016年9月19日
辺野古訴訟判決(9/16福岡高裁那覇支部)の「判決要旨」をじっくりと読む
昨日、久々の大作?(自民党「憲法改正推進本部長方針について」(2016/10/18)を読む)を書いたものの、この記事のブログ版へのアクセス数がさっぱり増えず(もうすぐ一昼夜経つというのにいまだに30アクセス台)、いささか疲れましたので、今日はお手軽ヴァージョンでしのぐことにします。
まあ、保岡興治自民党憲法改正推進本部長による「方針」に興味を持つ人がそんなにいる訳ないですけどね。
アクセス数ということで言えば、予想外にアクセスが集まることもごくたまにはあるもので、4日前(11月5日)に書いた「UPLAN【原発事故被害者インタビュー(4)】飛田晋秀さん~福島県三春町在住の写真家が訴える福島の現状」に昨日から急にアクセスが集まりだし、不思議に思って調べてみると、某投稿サイトの人気記事の中で、上記記事にリンクを貼って紹介してくれたのが原因と判明しました(福島県三春町の写真家・飛田晋秀さんが語る福島の真実)。
もっとも、この投稿サイトには、私と森松明希子さんを一まとめにして「森松明希子氏と一緒になって訴訟を起こしている弁護士・金原徹雄氏の背後には極左の部落解放同盟全国連合会がいました」という“お笑い投稿”(何しろこの時点では、私はまだ森松さんとお話したことすらなかったし、部落解放同盟と部落解放同盟全国連合会の区別もついていないようだし、ネトウヨの中でも相当レベルが低い)が載ったりもしていますので、いわゆる「投稿サイト」など無縁の私にも、それなりの影響があったりもするのですね。
さて、今日は、ほぼ自分のための備忘録をそのままメルマガ(ブログ)に載せるようなものですが、定期的にお届けしているTV(地上波)ドキュメンタリー番組案内です。
関心を持たれる番組がありましたら、録画・視聴されますように。
2016年11月12日(土)午前0時10分~1時04分(11日深夜)
(再放送)NHKスペシャル「廃炉への道2016 調査報告 膨らむコスト~誰がどう負担していくか~」
「メルトダウンした3つの原子炉を同時に「廃炉」にする、世界でも例のない取り組み。その長い道程を記録していくシリーズ「廃炉への道」。
福島第一原子力発電所の事故から5年半が経ち、核燃料の除去など、技術的な困難があらわになる中、もう一つの難題が浮かび上がっている。事故収束に向けた費用が想定以上に膨らみ、現行の仕組みでは持続的にまかなっていくことが極めて難しくなりつつあるのだ。人件費や技術開発費の増大だけではない。住民帰還のための除染のコストや、賠償費の膨張も著しい。またこうした費用をまかなっていく「仕組み」も、壁にぶつかっている。先頃東京電力も、負担の厳しさを訴え、さらなる国の追加支援を求める方針を示した。
こうした「コスト」の問題は、廃炉の方法や住民帰還など政策の根幹に関わる。番組では、廃炉を「コスト」という切り口から徹底検証する。一体どれだけ膨らむのか。その負担は誰がどのように担っていくのか。事故コストの全体像を可視化し、持続可能な「廃炉への道」を考える。」
2016年11月13日(日)午後9時00分~9時49分
NHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」
「3年前、電撃的な引退宣言を行った世界的なアニメーション映画監督・宮崎駿(75)。長編映画の現場から身を引くと宣言した宮崎だが、その創造への意欲は実は衰えていなかった。新進気鋭の若きCGアニメーターとの出会いから、初めてCGを本格的に使い、短編アニメで新たな表現への挑戦を始めた。だが、映画作りは難航し、制作中止の危機に直面する。宮崎アニメ初となるCG短編制作の舞台裏を、カメラが2年にわたって独占取材した。クールジャパンの基幹コンテンツと期待されながら、国際的にはピクサー、ディズニーらのCGアニメに圧倒されている日本のアニメーション。宮崎が世に放つ短編は、日本アニメの未来を変える一手となるのか。番組では、巨匠の溢れ出る映画作りへの想い、苦悩、あがきを生々しく活写していく。」
2016年11月20日(日)午前1時00分~2時00分
(再放送)ETV特集「武器ではなく 命の水を~医師・中村哲とアフガニスタン~」
「戦乱と干ばつが続くアフガニスタン。この地で干ばつと闘い続けてきた医師・中村哲(69)。始めたのは用水路の建設。渇いた大地に再び緑を取り戻すまでの15年の記録。
アメリカ同時多発テロから15年。今も戦乱の続くアフガニスタンで干ばつと闘う日本人がいる。医師・中村哲(69)。「武器や戦車では解決しない。農業復活こそがアフガン復興の礎だ」。中村は白衣を脱ぎ、用水路の建設に乗り出した。15年たったいま、干ばつの大地には緑がよみがえり、人々の平穏な営みが再び始まろうとしている。戦乱の地アフガニスタンに必要な支援とは何か。15年にわたる中村の不屈の歩みを通して考える。」
2016年11月20日(日)午前4時30分~5時00分
朝日放送
2016年11月20日(日)午前5時20分~5時50分
テレメンタリー「テロリストは僕だった~沖縄・基地建設反対に立ち上がった元米兵たち~」
「「ノーモア・ミリタリーベース!」沖縄の米軍基地の前に座り込むアメリカ人がいた。かつて沖縄に駐留していた元海兵隊員、マイク・ヘインズさん(40)だ。ヒーローと称賛される退役軍人が、なぜ今、沖縄で基地建設を止めようと体を張るのか。
取材班は渡米し、マイクの姿を追いながら、若い兵士たちやホームレス化した元兵士たちなど、日本からは見えてこない「米軍」を追う。
「テロとの戦いのためにイラク戦争に派兵されたが、人々にとってのテロリストは僕だった。」
ナレーター:宮城さつき
制作:琉球朝日放送」
NHK総合
2016年11月27日(日)午後9時00分~9時49分
NHKスペシャル「パナマ文書 知られざる記録(仮)」
「史上最大のリークといわれ世界に大きな衝撃を与えた「パナマ文書」。これまで知られてこなかった“新たな事実”が、いま明らかになろうとしている。パナマにある法律事務所の内部文書のリークから始まった「パナマ文書」報道。国際調査報道ジャーナリスト連合・ICIJに持ち込まれ、加盟する107社(80か国)、400人のジャーナリストたちがそれぞれの国で取材、ロシア・プーチン大統領や中国・習近平国家主席など、権力者やその親族の資産運用の実態を暴き、空前の大スクープとなった。NHKは、今年6月ICIJのプロジェクトに参加、新たに日本関連の膨大な文書の存在が明らかになってきた。
(弁護士・金原徹雄のブログから)
2013年9月9日
宮崎駿監督の引退会見と“技術が支える思想性”について ※追記あり
2014年12月8日
宮崎駿さんが言わずにいられなかったこと~アカデミー賞名誉賞受賞スピーチと記者会見における発言から(一部文字起こし)
2015年7月26日
江戸川乱歩と宮崎駿~『幽霊塔』をきっかけに昔の情熱が蘇る
NHKスペシャル2016年11月までの放送予定~宮崎駿ファンは見逃せない(11/13)
昨日に続き、いかに短い時間でメルマガ(ブログ)を書くかという見本です。
昨日は、「前田佳世コンサートを成功させる会」会議のために帰宅が遅くなりましたので、「素材探し」と「関連情報検索」に時間をかけず、思いついたことをそのまま書いていくという方法論でしのぎました(伝えたいことは数あれど~原発事故被害者の住宅支援についての院内集会2つ(10/26)、テレメンタリー「神の海に暮らす~まだ見えぬ原発に揺れる島~」(11/6)ほか/2016年10月27日)。
今日は、和歌山弁護士会の夜間無料法理相談センターの相談担当を務めていましたので、「TVドキュメンタリー番組放送予告」シリーズで行きたいと思います。
昨日も、テレメンタリー枠で放送予定の「神の海に暮らす~まだ見えぬ原発に揺れる島~」(11月6日など)をご紹介しましたが、今日は、NHKスペシャルの放送予定をまとめてご紹介します。
以下に、本放送と再放送の両方について、本日(10月28日)現在、「放送予定」のコーナーに掲載されている番組の放送日とタイトルを網羅的にご紹介するとともに、特に私が興味を引かれた番組については、番組案内を引用しておきます。もちろん、その選択が恣意的なものであることは言うまでもありません。
なお、再放送が予定されている「沖縄 空白の1年 ~“基地の島”はこうして生まれた~」は、一度予告された再放送がキャンセルされ、仕切り直しの予定です。こういうことがあるので、定期的に放送予定をチェックすることが必要となるのです。