弁護士・金原徹雄のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します。

映画

11/3 映画『ゴジラ-1.0(マイナス・ワン)』公開!~これは映画館に行かなければ~

 2023年11月3日配信(予定)の「メルマガ金原No.3536」を転載します。
 Facebookも同内容で掲載しています。

11/3  映画『ゴジラ-1.0(マイナス・ワン)』公開!~これは映画館に行かなければ~

 2023年の今日「11月3日」は「文化の日」、戦前なら「明治節(明治天皇誕生日)」ですが、日本国憲法「公布記念日」(1946年)でもあり、さらに言えば、『ゴジラ』(1954年/第1作/本多猪四郎監督)の「公開記念日」でもあります。
 69年前の公開を記念して(「ゴジラ70周年記念作品」と銘打って)、東宝が制作する30本目のゴジラ映画『ゴジラ-1.0(マイナスワン)』(山崎貴監督)が今日から一斉に公開されました。

 もちろん私は未見ですが、是非映画館に観に行きたいと思っています。
 ちなみに、私自身、第1作『ゴジラ』が公開された約6週間後に生まれましたので、ゴジラとは「同い年」(?)ということになります。
 私が、封切時リアルタイムで鑑賞(映画館で)したゴジラ映画は、小学生の時に観た『キングコング対ゴジラ』(1962年)、『モスラ対ゴジラ』(1964年)、『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)の3本だけ、ということから分かるように、私は決してゴジラファンを名乗れるような者ではありません。
 あの大ヒットした『シン・ゴジラ』(庵野秀明総監督)でさえ、映画館ではなく、テレビと配信で観た位ですから。
 それでも、ケーブルテレビなどで録画して観たのも含めれば、だいたい7割方のゴジラ作品は観ているでしょうか。

 そのようなかなり心許ないゴジラ鑑賞歴の中で、私が別格だと思う作品は(多くの方と同じように)第1作の『ゴジラ』です。
 この作品については、テレビで観ただけではなく、2019年の夏、和歌山市民会館小ホールを借り、東宝から正式な配給を受けて自主上映会(主演俳優の宝田明さんの講演とセットの企画)「ゴジラ和歌山上陸!宝田明さんと考える「平和」~これまでとこれからと~」を開催した実行委員会(和歌山G&Tプロジェクト)の私はメンバーの一員だったのですから。

 ある意味「ワン&オンリー」とも思える第1作『ゴジラ』を、おそらく相当に意識したと思われる山崎貴版『ゴジラ-1.0』は、第1作のさらに前の焦土と化した敗戦日本に舞台を設定していると漏れ聞き、「その手があったか」と感心しきりです。
 試写や東京映画祭クロージング上映(11月1日)を観た人たちから絶賛の声が多くあがっている一方で、『ゴジラ-1.0』を「反戦映画」と措定した上で揶揄する声もあるとか。
 山崎監督の過去作の中には『永遠の0』(百田尚樹原作)とかもあったりして、未見の間はあれこれ考えても仕方がないでしょうね。

 少なくとも、予告編の映像は「映画館に行きたい」という意欲をかきたてるに十分です。これなら、正月にもやっていそうだな(東宝も「70周年記念」と言っているのだし)とは思いますが、できるだけ早く行ければと思います。皆さんもいかがですか?

追悼 宝田明さん

 2022318日配信(予定)のメルマガ金原No.3512を転載します。
 Facebookにも同内容で投稿しています。

追悼 宝田明さん

 俳優の宝田明さんが急逝されたという報道に接し、多くの方が大きな衝撃と悲しみに見舞われたことと思いますが、私もその1人です。
 私が宝田さんと直接お会いできたのは一度きりですが、その時の写真を何とか探し出しましたのでご紹介します。私が撮影したものではないのですが(災害NGO結の前原土武さん撮影/当日手伝いに来ていただいていた)、おそらくご了解いただけるものと判断して掲載します。
 この写真は、2019年8月25日(日)に(今は閉館した)和歌山市民会館小ホールで開催された「ゴジラ」第1作(1954年)デジタルリマスター版上映と主演俳優・宝田明さんの講演(ゴジラ 和歌山上陸!宝田明さんと考える「平和」~これまでとこれからと~)終了後、主催した実行委員会(和歌山G&Tプロジェクト)や9条ネットわかやまのメンバー、それにお手伝いにかけつけてくれた仲間たちが、「やり遂げた」という充実感の中、宝田明さんと記念写真を撮らせていただいたものです。みんな「いい顔」していますよね。

 このイベントを事前告知した私のブログ(8/25ゴジラ 和歌山上陸!~映画『ゴジラ』第1作(1954年)デジタルリマスター版の上映と主演俳優宝田明さんの講演(和歌山市民会館小ホール)のご案内/2019年7月3日)はこちら。
 わかやま新報の報道を紹介しつつ、開催に至った経緯を私が補足説明したFacebookへの投稿はこちら。

 私自身、主催者の一員として、事前告知には相当頑張った企画でしたが、終了後の報告ブログは書いておらず、Facebookへの事後投稿も上にご紹介したもの位です。
 その理由は、
・その年の1月、体調不良で入院したことを契機として、6年間続けていた「ブログ毎日更新」が途絶えたこと
・本番の充実感が半端なく、いわゆる「燃え尽き症候群」に陥ったこと
・私は会計担当だったのですが、かなり大きな規模の企画であり(「ゴジラ」第1作はまだ著作権が切れていないので東宝に上映権料を払わねばならないとか)、赤字となるかどうかぎりぎりの線だったので、最終的な収支が確定するまで気が休まらなかったこと(相当なカンパがあったことで赤字は免れました)

などでした。

 この企画の発案者であり、和歌山G&Tプロジェクトの中心メンバーとして宝田明さんの事務所との連絡役となり、当日は宝田さんからお話を引き出す聴き手の重責を担った(他にも秘蔵のゴジラ・コレクションを展示用に提供した)伊藤宏先生(和歌山信愛女子短期大学教授/現副学長)こそ、企画終了後「真っ白な灰」状態になったはずです。

 私も、有志で実行委員会を作り、企画の実現に関わった経験はいくつかありますが、「ゴジラ 和歌山上陸!宝田明さんと考える「平和」~これまでとこれからと~」ほど、充実した経験ができた企画はありません。
 企画の中心である宝田さんの「平和」への熱い思いを共有しながら、実に多くの方々の協力を得て成功させられた企画でした。

 主演作『世の中にたえて桜のなかりせば』の公開を間近に控えての急逝でした。まだまだ多くの作品に出演していただきたかったという思いが胸に迫ります。宝田さん、どうか安らかに。

 最後に、映画製作委員会と所属事務所が公開したリリースを引用します。

(引用開始)
俳優 宝田 明(たからだあきら 87)が、2022314()午前031分、肺炎のため都内病院で急逝いたしました。
本作「世の中にたえて桜のなかりせば」で岩本蓮加(乃木坂46)と共に主演を務め、エグゼクティブプロデューサーも務めさせていただきました。
この映画は宝田が「桜」をモチーフに企画を温め、宝田の情熱で実現に至ったものです。
宝田は1954年東宝ニューフェース第6期生としてデビュー以来、映画や舞台、TVの第一線で活躍してまいりました。41日(金)公開の本作が遺作となります。
葬儀につきましては、ご遺族の意向により感染症禍を考慮し、近親者のみで執り行いました。
お知らせが遅くなりましたこと、心よりお詫び申し上げますとともに、故人が生前に賜りましたご厚誼に対し、熱く御礼申し上げます。

宝田明さんと (2)

DVD『荒野に希望の灯をともす~医師・中村哲 現地活動35年の軌跡~』上映会のお知らせ~2021年11月3日/和歌山市河北コミセン

 202171日配信(予定)のメルマガ金原No.3494を転載します。

DVD『荒野に希望の灯をともす~医師・中村哲 現地活動35年の軌跡~』上映会のお知らせ~2021113日/和歌山市河北コミセン

 2019年12月4日、アフガニスタン東部ナンガルハル州の州都ジャラーラーバードで、医師でPMS(ピースジャパンメディカルサービス)総院長、ペシャワール会現地代表であった中村哲先生が、同乗していた5人の運転手、護衛らと共に、何者かの銃撃によって死亡してから早くも1年半以上が経過しました。
 中村先生は亡くなられましたが、ペシャワール会の村上優会長がPMS総院長を引き継ぎ、「中村先生が実践してきた事業は全て継続し、中村先生が望んだ希望は全て引き継ぐ」という決意を明らかにされています。

 中村哲先生ご逝去後のPMSの活動状況については、2度にわたる現地報告会の模様が、長年中村先生の活動を取材してきた日本電波ニュース社によって撮影され(2021年はオンラインとなったため同社の「制作」というべきでしょうね)、YouTubeで公開されています。

2020年10月3日 ペシャワール会現地報告会(2時間40分)


2021年度 ペシャワール会総会・現地報告会
 オンラインで行われた2021年度現地報告会の冒頭では、村上優会長が、事業継続の概略について説明されていますので(約18分)、まずこの部分から視聴されてはいかがでしょうか。


 さて、私は中村哲先生が和歌山で行われた講演会のうち、以下の3回に参加しています。

 2005年12月1日 和歌山市民会館小ホール
 「氷河の流れのように~憲法9条に守られて~」
 主催:9条ネットわかやま創立総会実行委員会

 2008年4月19日 和歌山市民会館市民ホール
 「中村哲医師講演会 アフガン最前線報告」
 主催:和歌山県平和フォーラム

 2010年10月29日 和歌山市民会館小ホール
 「アフガン最前線報告~アジアの同朋としての同じ目の高さをもって~」
 主催:9条ネットわかやま、憲法9条を守る和歌山弁護士の会

 いずれも、淡々とした語り口ながら、揺るがぬ信念に強い感銘を受けたものでした。

 さて、本日は、4ヶ月も先のことではありますが、中村哲先生の活動を取材し続け、過去何本ものドキュメンタリー作品を制作してきた日本電波ニュース社が、2021年3月に発表したばかりの最新作『荒野に希望の灯をともす~医師・中村哲 現地活動35年の軌跡~』(1時間28分)の和歌山市での上映会をご案内します。
  上映会を開催するのは、私も運営委員を務める「守ろう9条 紀の川 市民の会」であり、同会が毎年秋に和歌山市河北コミュニティセンターで開催している「憲法フェスタ」(今年は11月3日に開催)の企画の1つとして上映することになったものです。

 例年通り、今年も午後からメイン会場である2階多目的ホールにおいて、音楽演奏や記念講演を予定していますが、まだ講演テーマが決まっていないなど、チラシを完成させて広報を開始するのはまだ少し先のことになりますが、午前中のDVD上映会については、内容が固まりましたので先行してお知らせすることにしたものです。

 近年の「憲法フェスタ」では、午前中に「映像の部屋」と名付け、活動室の1室を使ってDVD上映会を開くのを例としてきました。そして、今年はどんな作品を上映しようかと相談していた時に気が付いたのがこの新作DVDでした。
 上記のとおり、過去何度も和歌山で講演された中村先生ですから、私たちの多くがその謦咳に接しており、長年にわたって中村先生を追い続けてきた日本電波ニュースが、その死後初めて発表する作品、しかも1時間28分というまとまった時間をかけた作品ということで、「是非上映したい(見たい!)」と衆議一決しました。
 あとは、著作権法上の上映権をどうクリアするかですが、幸い本作については、通常定価2970円(税込み)の他に、ライブラリー価格8910円(同)も設定されており、「非営利の集会等で上映する場合は、DVDをライブラリー価格でご購入いただければ別途料金はかかりません。」(日本電波ニュース社ホームページ)ということでしたので、早速、「守ろう9条 紀の川 市民の会」としてライブラリー価格で購入したという次第です。
 おかげで、このように堂々と開催告知ができる訳です。

 また、例年であれば、「映像の部屋」は活動室(小)を利用していたのですが、本作については、広報次第では多くの方にご覧いただける素材であり、かたがた、新型コロナウイルス感染防止の観点から「密」を避けるためにも、多目的ホールで上映することとしました。
 4ヶ月先という相当早い段階からの予告となりますが、上映会が終わってから、「知っていれば参加したのに」という方を少しでもなくすため、会員が手分けして広報に頑張ることになったものです。
 入場無料、予約不要、会員でなくてもどなたでもご入場いただけます。
 是非お誘い合わせの上、ご参加ください。

(動画)DVD『荒野に希望の灯をともす~医師・中村哲 現地活動35年の軌跡~』ダイジェスト版(2分51秒) 


(チラシ記載の文字情報から引用開始)
「守ろう9条 紀の川 市民の会」第18回「憲法フェスタ」 
『荒野に希望の灯をともす~医師・中村哲現地活動35年の軌跡~』 
DVD上映会(入場無料)
※会員でなくてもどなたでもご入場いただけます

日時:2021年11月3日(水・祝)10:30~12:00
場所:河北コミュニティセンター 2F 多目的ホール
    和歌山市市小路192-3 TEL073-480-3610 (無料駐車場あり)

 アフガニスタンとパキスタンで35年にわたり、病や戦乱、そして干ばつに苦しむ人々に寄り添いながら命を救い、生きる手助けをしてきた医師・中村哲。NGO平和医療団日本(PMS)を率いて、医療支援と用水路の建設を行ってきた。活動において特筆すべきことは、その長さだけでなく、支援の姿勢がまったくぶれることなく、一貫していたことだ。一連の活動は世界から高く評価され、中村医師は人々から信頼され、愛されてきた。
 今、アフガニスタンに建設した用水路群の水が、かつての干ばつの大地を恵み豊かな緑野に変え、65万人の命を支えている。
 しかし、2019年12月。用水路建設現場へ向かう途中、中村医師は何者かの凶弾に倒れた。その突然の死は多くの人々に深い悲しみをもたらした。だが、一方で私たちに強く問いかけもする。中村医師が命を賭して遺した物は何なのか、その視線の先に目指していたものは何なのか。
 中村哲が遺した文章と1000時間におよぶ記録映像をもとに、現地活動の実践と思索をひも解く。

2021年3月完成
企画:ペシャワール会
制作:日本電波ニュース社
朗読:石橋 蓮司
語り:中里 雅子

お知らせとお願い
※「憲法フェスタ」は10:00開始で、別室で「展示の部屋」「リサイクルひろば」を実施する他、例年通り午後から多目的ホールで「写真展示」「音楽演奏」「記念講演」を予定しています。
※当日発熱のある方、体調不良の方は参加をご遠慮ください。会場入場の際は手の消毒を行い、会場内ではマスク着用をお願いします。

主催:守ろう9条 紀の川 市民の会
お問合せ先:09031651889 原
(引用終わり)

(弁護士・金原徹雄のブログから/中村哲さん関連)
2016年9月13日 
再放送を見逃すな!~『武器ではなく命の水を~医師・中村哲とアフガニスタン~』と『沖縄 空白の1年~“基地の島”はこうして生まれた~』 
2017年3月30日 
「緑の大地計画」のこれまでとこれから~中村哲さん、日本記者クラブで語る(2016年8月26日)
2017年11月18日
中村哲さん「KYOTO地球環境の殿堂」入り記念講演(2/11)と「20年継続体制」に向けて 
2018年7月21日 
中村哲医師の船橋市での講演会(2018年6月10日)を視聴する~特に後半(質疑応答)が素晴らしい

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東京オリンピック2020の開会式が行われなかった7月24日に映画『東京オリンピック』(市川崑総監督)を観た

 2020725日配信(予定)のメルマガ金原No.3474を転載します。

東京オリンピック2020の開会式が行われなかった7月24日に映画『東京オリンピック』(市川崑総監督)を観た

 昨日(7月24日)は、今年だけの特例で(「体育の日」あらため)「スポーツの日」が「十月の第二月曜日」からこの日に移されて祝日となり(「平成三十二年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会特別措置法」第32条)、COVID-19の世界的蔓延という事態に見舞われてさえいなければ、新国立競技場で東京オリンピック2020の開会式が開かれたはずでした。

 大会組織委員会の公式サイトには、「開会式・閉会式スケジュール」として(何年とは書いていませんが)、既に来年のスケジュールが掲載されています。


 開会式
  日時:7月23日(金)20:00-23:00
  会場:オリンピックスタジアム
 閉会式
  日時:8月8日(日)20:00-23:00
  会場:オリンピックスタジアム

 日本時間の20時は、アメリカ東部時間の午前7時ですから、20時開始がぎりぎりの妥協点なのでしょうね。

 ところで、この東京オリンピック2020に合わせて編成されたのでしょう、NHK・BSプレミアムが7月18日に東京オリンピック1964の公式記録映画『東京オリンピック』(市川崑総監督/1965年3月20日公開/170分)を放送しましたので、それを録画し、昨日、東京オリンピック2020の開会式の代わりに、という訳でもありませんが、DVDにダビングして視聴しました。何しろ3時間近い長尺の映画なので、途中にインターミッションがあり、後半の冒頭を観たところでいったん中断して外出し、用事を済ませて夜帰宅してから残りを視聴しました。

 公開当時、私もこの映画を観たことは間違いないのですが(1965年4月に小学校5年生になった)、親に連れられて東宝系の封切館(和歌山市の帝国座)に行ったのか、学校鑑賞で観たのか、さすがにその辺の記憶は曖昧です。
 ただ、子ども心にも、「記録か芸術か」という論争が巻き起こり、オリンピック東京大会組織委員会(制作はニュース映画各社が作った東京オリンピック映画協会に委託)が「記録性を重視」した映画をもう1本作ることになったというようなことが話題になっていたことは記憶しています。

 それで、『東京オリンピック』を観た感想はどうだったかというと、「何となく良かった」という漠然とした印象しか残っていません。なにしろ小学校5年生ですからね、無理もありません。
 公開以降、テレビ放映されたこともあったと思いますが、かけ違って観る機会がなく、昨日が55年ぶり(!)のこの映画との対面でした。
 ただ、私の自宅のしょぼいテレビの画面では、はなはだ迫力不足の上に、どうやら本来のワイドスクリーン画面の両端が切れているようで、非常に不満足な状態での鑑賞であることはお断りする必要があります。後に書きますが、映画の最後に浮かび上がる制作者からのメッセージの文字の一部が読めない!せめて、タイトルロールとエンドロールだけでも、オリジナルサイズで放映してもらいたかったと、これはNHKに対する苦情です。

 ところで、「映画/東京オリンピック/予告編」でネット検索してヒットした動画にリンクしておきますが、多分これは公開当時の予告編ではありませんね。映画の冒頭2分余りをそのままアップした動画のようです(YouTubeの「映画とショー」のための見本ですから、Trailerには違いありません)。

 
 ただ、この2分余りの映像を観るだけでも、撮影に先立ち脚本を準備したチーム(市川崑、和田夏十、白坂依志夫、谷川俊太郎)の狙いはおおよそ見当がつくのではないかと思います。
 開巻早々、太陽のクローズアップに続くシーンがいきなりビルの解体(都市の破壊)ですからね。
 ただ、冒頭、画面に現れる「オリンピックは人類の持っている夢のあらわれである」というメッセージには、今となっては、思わずたじろぐか、しらける人もいるかもしれませんが、そこは時代状況を考えるべきでしょう。
 三国一郎さんのナレーションで、開巻のシーンにかぶせて、第1回アテネから、第18回東京までの開催地が延々と紹介されるのですが、
  1916年 第6回 ベルリン 第1次世界大戦のために中止
  1940年 第12回 東京→ヘルシンキ(ナレーションで都市名は語られず)
         東京:日中戦争で辞退
         ヘルシンキ:第2次世界大戦で中止
  1944年 第13回 ロンドン(同上) 戦争終わらず中止
という歴史があった上に、ようやく戦争が終わり、
  1948年 第14回 ロンドン
   ※日本参加を許されず(まだ占領下だった)
  1952年 第15回 ヘルシンキ
   ※第2次大戦の敗戦国(フィンランドはドイツと同盟してソ連と闘った)
  1960年 第17回 ローマ
   ※同上(イタリアは当初ドイツ、日本と同盟して枢軸側で戦った)
の次にようやく東京で開催できることになったのですし、IOC(国際オリンピック委員会)の商業主義はまだ目立っておらず、批判の対象となるのは貴族主義的運営の方という時代でした。
 そして、この「オリンピックは人類の持っている夢のあらわれである」という、分かったようでよく分からぬフレーズの意味は、3時間近い本編を見終わった最後に再び黒地に白抜きのメッセージが現れることにより、ようやく首尾一貫して胸に迫ってきます。

(引用開始)
聖火は太陽へ帰った
人類は4年ごとに夢をみる
この創られた平和を夢で終らせていゝのであろうか
(引用終わり)
※実は、「聖火は~」の行の上に(おそらく)1文字だけの行があるのですが、画面が切れていて読めません。文脈から「今」ではないかと思ったのですが、もう少し複雑な字体の文字のようです。こうなったらDVDを買わざるを得ないでしょうか。

 ここで、冒頭に現れた「夢」の実態が「創られた平和」であることが明かされます。「創られた」ものであるからこそ「夢」なのですが、それを4年ごとの一場の夢にしたくないという思いを込めてこの映画は作られたと宣言している訳です。

 さて、以下には、この映画を55年ぶりに観た感想を点描しておきます。とりとめのなさはご容赦ください。

◎この映画にはインターミッションがあり、後半早々には、独立して間のないチャド(選手は2人だけ)からやってきた陸上男子800mの選手(セミファイナルで敗退)をフューチャーした部分があります。2004年にこの映画がDVD化された際、劇場公開版と共に、市川崑監督自ら再編集したディレクターズカット版(148分)も作られましたが、その際、このエピソードはカットされたそうです。「いかにも」という創作臭が気になったのかもしれませんが、私はそれほど反発も覚えず観ていましたが。

◎『東京オリンピック』の中で、日本選手が金メダルを獲得した活躍シーンもそれなりに拾っているのは、国内公開を前提に作っている以上当然で、男子体操、女子バレーボール、男子重量挙げ、男子柔道、男子レスリングなどがそれです。この内、団体で金メダルを取った体操男子チームの1人1人のハイライトシーン(ごく短いですけど)に選手名のクレジットが出るというサービスぶりで、公開直前に市川崑監督が急遽、日本人選手の活躍に配慮した手直しをしたとも伝えられていますが、もしかしたら体操もそうだったのかもしれません。

◎ちなみに、体操の種目別・つり輪で金メダルを獲得した和歌山県立田辺高校出身の早田卓次さんの妙技も見られました。正直、この種の記録映画を観る楽しみの1つに、このような郷土の英雄の勇姿を(TVでさんざん見たけれど)再確認したいということがあるのは否定し難い事実でしょうし、組織委員会が不満に思ったのも無理はないような気もします。とはいえ、オリンピックを素材としてどのような映画を作るのか、ということに関して言えば、市川崑さんに依頼した時点で、「普通の」ドキュメンタリー映画にはならないだろうと予想すべきだったのであり、出来上がった映画に文句をつけても、依頼主としての不明が浮き彫りになるばかりです。ですから、記録性を重視したもう1本の映画を作る(素材のフィルムは膨大にあった)というのは、結果オーライだったのではないかと思います。

◎そのもう1本の記録映画『東京オリンピック長編記録映画 世紀の感動』(1966年5月15日公開/154分)を私は観たことがないのですが、文化庁の日本映画情報システムで検索してみても、「脚本:前田博、山岸達児」とあるものの、「監督」のクレジットはありません。もっとも、『東京オリンピック』にしてからが、「監督部」に14人の名前がクレジットされているものの、その中に「市川崑」の名前はなく、市川監督は、「脚本」でだけクレジットされています。
 ただ、『東京オリンピック』のエンドロール(様々なスタッフの名前が次々と流れてきますが、その役割が一切書かれていない不思議なエンドロールです)の最後に「総監督 市川崑」と表示されていますので、この映画を市川崑さんの作品とすることは、組織委員会も認めていたということでしょう。ひょっとすると、『世紀の感動』にも「総監督 市川崑」というクレジットが表示されていたのだろうか?

◎現在では、オリンピックの公式記録映画はIOCが直接制作するシステムとなっているようですが(東京オリンピック2020の記録映画監督として河瀬直美さんがIOCから指名されたというニュースを読んだような気がする)、YouTubeのオリンピック公式チャンネルの中の「オリンピック公式記録映画を時系列に観る」というコーナーで、18本の記録映画が公開されています。
 そして、その中に「The Complete Tokyo 1964 Olympics Film | Olympic History(完全な東京1964年オリンピック映画| オリンピックの歴史)」(2時間05分)というよく分からぬタイトルの動画がありますが、映画の最後に「directed by KON ICHIKAWA」というクレジットが出てくるように、どうやら『東京オリンピック』の海外版(英語版)のようなのです。

 もっとも、下に紹介する日本オリンピック委員会のホームページによると、英語版の尺は「2時間10分」となっており、なぜ5分短くなっているのかは不明です。
 いずれにせよ、Wikipediaの「英語版では大会組織委員会が再編集を施し、上映時間が日本語版より40分短い作品に仕上げている」という記載が正しければ、市川監督は編集に関与していないヴァージョンということになります。

◎東京オリンピック1964の40年後、日本オリンピック委員会が市川崑監督に対して行ったインタビューが、「市川崑総監督が語る名作『東京オリンピック』」というタイトルで同委員会ホームページに掲載されています。
 宮川一夫氏など多くのカメラマンを動員して撮影した画面は、クローズアップの多用が技術上の大きな特徴となっています。上記インタビューの中で市川監督は「望遠レンズを駆使して、選手の表面の逞しさだとか、美しさだけではなく、選手それぞれの内面的なものを捉えることが出来たし、選手だけではなく、競技や会場の段取りをしているスタッフの皆さんも、見物に来ているお客さんも参加しているわけですから、いい表情が沢山撮れました」と述べており、まさに「いい表情」をたくさん撮るためのクローズアップの多様であった訳です。
 また、1964年の撮影当時、映画用のフィルムを回すカメラを競技の妨げとならない位置に据えようとすると、どうしても望遠レンズを多用しなければ仕方がなかったという事情もあったのではないかと推測します。

◎『東京オリンピック』は、「時代を代表する特定の選手の活躍をじっくりと観たい」とか、「日本バンザイという心地よいシーンに浸りたい」という要求には全然応えてくれない映画ですが(市川崑監督は始めからそんな映画を作るつもりはなかったのでしょう)、だからこそ、55年経った今も、公開時と変わらぬ感動を観客に伝えることができるのだと思います。公開当時、小学校5年生になったばかりだった私のように、子どもの頃に観ただけの人には是非あらためて観て欲しいですね(AMAZONでDVDが2000円ほどで入手できます)。

東京オリンピック 東宝DVD名作セレクション]
ドキュメンタリー映画
東宝
2015-09-16


◎見終わってからあらためて気が付いたことですが、画面に登場するアスリートたちの表情を、息遣いが聞こえるかと思うほどの近さでカメラは追い続けますが、その肉声そのものは全く聞いていませんでした。インタビューなどというものは一切出てきません。記憶によみがえってくるのは、開会式で一斉に放たれた無数の鳩に恐れをなして悲鳴をあげる女性(選手)、陸上女子80
mハードルの決勝前、依田郁子選手がウーミングアップの間に吹いた口笛(村田英雄の『王将』だとか)、重量挙げの三宅義信選手の、蓄えた力を解き放つ際に発する叫びなどです。また、競技の途中で落後して道端に座り込み、手真似で「水が欲しい」と訴える男子マラソン選手の表情は、無音ではありますが、そうであるからこそ、雄弁に画面が迫ってきます。

◎取り上げた競技の中で、バランスを失するほど多くの尺を費やしたのは、映画の最終盤に置かれた「オリンピックの花」、男子マラソンであり、ローマ大会に続いてオリンピック2連勝を果たしたエチオピアのアベベ・ビキラのひた走る表情を執拗に捉え続けるカメラワークは、まことにこの映画の(競技としては)ラストを飾るに相応しいシーンだと思いました。
 また、競技の描写に費やした時間は長くはありませんでしたが、大会の名花と謳われたベラ・チャスラフスカ(チェコ・スロヴァキア)の優美な演技もしっかりと映っていましたよ。この時、彼女は22歳。そして、プラハの春弾圧の直後に圧勝したメキシコシティー・オリンピックの時は26歳。その後、「少女」の競技となった女子体操が、「女性」の競技であった時代の輝きを見ることができます。

◎大会の「名花」チャスラスフカを紹介したついでと言っては恐縮ですが、市川監督をはじめとする制作チームが意識していたかどうかは別として、この映画のもう1人の「名花」は、美智子皇太子妃(当時)でしょう。虚心にこの映画を眺めれば、誰でもその美しさに驚くと思います。

◎実際のオリンピックが「オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである。」(オリンピック憲章・オリンピズムの根本原則より)という理想とどの程度の乖離を来しているかについての評価は人それぞれでしょう。けれども、『東京オリンピック』(1965年)を見直した(事実上初見に近い)今、1964年にこの映画の制作に参加した人たちは、市川崑さんを含め、皆、真面目にオリンピック精神を追及すべきだと思っていたのではないかということが思われてなりません。
 河瀬直美監督が東京オリンピック2020の公式記録映画のためにどのようなチームを編成していたのかは知りませんが、はたしてスタッフはどういう思いで参加しようとしていたのでしょうか。
 実際に、河瀬版『東京オリンピック』が観られるかどうか相当に疑わしい状況のようですが、発注主(IOCでしょうか?)が、「仮に中止になったとしても、中止に至った経緯を記録に留める映画を河瀬監督に作ってもらいたい」という度量を示して欲しいと願うところですが、まあ無理でしょうね。

映画『太陽の蓋』(90分版)を鑑賞した~5/6までYouTubeで無料公開中

 20205月4日配信(予定)のメルマガ金原No.3464を転載します。

Facebookから転載します。

映画『太陽の蓋』(90分版)を鑑賞した~5/6までYouTubeで無料公開中

 3.11からの5日間を、原発事故の真相を追う記者を中心に、当時の政権や官邸内部、東京や福島で暮らす市井の人の姿を対比させて描いた映画『太陽の蓋』(2016年/佐藤太監督)の90分版が、明後日(5月6日)までの期間限定でYouTubeで無料公開されていることを、寺脇研さんのFacebookへの投稿で知りました。私は、今日は国選弁護待機日だったのですが、法テラスから指名打診の電話がかかってくるかもしれないと思いつつ、パソコンでじっくり鑑賞しました(結局、16時までの待機時間中に法テラスからの電話はありませんでした)。


映画「太陽の蓋」-90分版-
 https://www.youtube.com/watch?v=x29d7YMhmm8 

【動画】映画『太陽の蓋』予告編
 


 これは十分に観るべき価値のある映画だと思いました。無料視聴できるのもあと2日とちょっとですが、是非1人でも多くの方に観ていただきたいと思いました。

 『Fukushima50』と対比してあれこれ評する人がいるかもしれませんが、私は何しろまだ『Fukushima50』を観ておらず、比較はできません。ただ、実名で登場する官邸の政治家に対し、特別肩入れする訳ではなく、とてもフェアな扱い方だという印象を受けました。

※ご参考までに、『太陽の蓋』と『Fukushima50』を論じた増當竜也さんの文章をご紹介しておきます。

 それと、主役の記者(内閣記者会所属の官邸記者)鍋島亮役を演じた北村有起哉さんがいいですね。ちなみにこの役者さんは、昨年の『新聞記者』では、シム・ウンギョンさんの上司の役でも好演していましたが、『太陽の蓋』の鍋島記者の8年後の姿ではないのかと、2本の作品を両方観た人はそう思ったのでは・・・(北村有起哉さんて、北村和夫さんの息子さんだったんですね、知らなかった)。
 ちなみに北村さんがご自身のブログで『新聞記者』について以下のような文章を書かれていました。

 しかし、映画を見終わって思うことは、この映画の主人公は官邸詰めの記者ですが、これは民主党政権時であればこそ成り立つ設定であり、第二次安倍政権時に原発事故が起きていたら、官邸記者を主人公にしても、とてもストーリーが転がらないでしょうね。質問をいちいち事前通告しなければまともな回答が出てこないのですから。

 ちなみに、90分版の他に、オリジナルの130分版があるようなのですが、その関係については、以下のような説明がありました。

3.11事故当時の官邸の様子を、福島や東京での人間ドラマも含めて描き出したオリジナルの130分版。その内容を凝縮した90分版が出来ました。各地の自主上映会場などで、専門家の講演やトークショーなどをセットにしたいが、それだと130分は長すぎるというお声を多数頂戴していました。そのため、本編を再編集し90分版を誕生させました。」

「仮設の映画館」がオープンしました!~まずは『春を告げる町』(島田隆一監督)を鑑賞

 2020426日配信(予定)のメルマガ金原No.3459を転載します。

「仮設の映画館」がオープンしました!~まずは『春を告げる町』(島田隆一監督)を鑑賞

 4月16日に新型インフルエンザ等対策特別措置法第32条に基づく緊急事態宣言の対象地域が7都府県から全国全ての都道府県に拡大された際には、「東京、大阪とはフェーズが違う」ということで、特措法に基づく休業要請はしないとしていた仁坂吉伸和歌山県知事でしたが、「県外からの感染移入が多いことを踏まえ」、4月23日、特措法第24条9項に基づき、同月25日から5月6日までの休業要請に踏み切りました(「緊急事態宣言が発出されたことに伴う県民の皆様へのお願い(第4弾)~施設の休業要請について~」)。
 そして、その「休業要請の対象となる施設一覧」の中には、ナイトクラブなどの遊興施設やパチンコ屋などの遊戯施設の他、映画館も含まれていました。

 私は、和泉山脈に沿って東西に流れる紀の川の北岸、和歌山市の北東部に住んでいるのですが、自宅から車で10分も南下すれば、10スクリーンを持つ「ジストシネマ和歌山」があり、逆方向にやはり10分も北進すれば、同じく10スクリーンを持つ「イオンシネマ和歌山」があるという具合で、もしも私が週末ごとに劇場に足を運ぶ映画愛好者であるとすれば(地方在住者としては)夢のような環境であり、あとは、ミニシアターが近くにあれば申し分なしというところでしょう。
 残念ながら、私自身、年に数えるほどしか映画館で映画を観ることがありませんので、このような良好な鑑賞環境も宝の持ち腐れでした。

 そして、今度の緊急事態宣言です。「イオンシネマ和歌山」は、既に4月18日から(全国的に)臨時休業に入っており、「ジストシネマ和歌山」も、和歌山県からの休業要請に応える形で、4月25日から5月6日までの臨時休業に入りました。

 休業が長引けば、大手シネコンにも影響が及ぶことが懸念されますが、それよりもまず真っ先に大きな打撃を受けるのが単館系ミニシアターと呼ばれる映画館です。
 シネコンでの上映が難しい良質なドキュメンタリー映画や海外作品、実験的な作品などは、これらのミニシアターを「場」として観客と出会うことにより、その価値が社会において「共有」されます。
 ところが、そのような「場」を提供してきたミニシアターが生き残れないのではないかという危機的状況を何とか打開したいと、「観察映画」で名高い想田和弘監督と配給会社の東風が話し合い、「仮設の映画館」をオープンさせることになりました。
 昨日(4月25日)、東日本大震災直後に全町避難を余儀なくされ、東京電力や自衛隊の前線基地となった福島県双葉郡広野町の人びとの現在を追ったドキュメンタリー映画『春を告げる町』(島田隆一監督)の「仮設の映画館」でのWEB公開が始まり、5月2日からは想田和弘監督の『精神0』他、多くの作品の公開が予定されています。

 「仮設の映画館 Temporary CINEMA」で映画を鑑賞したい人は、このサイトを訪れることになります。

 まず始めに、「仮設の映画館とは?」と「想田和弘監督のメッセージ」を読んでみましょう。

観客が映画館へ足を運べない状況に対して
合同会社 東風
(抜粋引用開始)
 ご承知のように新型コロナウイルスの影響は、映画にとっても甚大です。劇場が休館を余儀なくされたり、たとえ上映を続けていても観客が安心して鑑賞することができなければ、いずれは劇場だけでなく配給会社も製作者も閉館や廃業ということになりかねません。いま脅威にさらされているのは、観客、劇場、配給、製作者によってまわっている「映画の経済」です。では、新作映画を楽しみにしている観客、劇場、配給、製作者、みんなにとって何かよいことができないか。新作『精神0』の公開を控えた想田和弘監督と配給会社東風のスタッフで相談しました。
 そこで予定していた劇場公開と並行して、インターネット上に「仮設の映画館」をつくってみることにしました。ここには賛同してくれた全国各地の劇場が軒を連ねています。観客は、どの映画館で作品を鑑賞するのかを選ぶことができます。そして、その鑑賞料金は「本物の映画館」の興行収入と同じく、それぞれの劇場と配給会社、製作者に分配される仕組みです。
 これは、新型コロナウイルスの脅威によって停滞している「映画の経済」を回復させるための試みの一つです。そして、この認識と方法とを全国の劇場、配給会社、製作者、そして映画ファンのみなさんと広く共有することによってはじめて「仮設の映画館」は有効かつ持続可能な施策となり、ともにこの状況を乗り切ることができるのではないか。そのように考えています。
 さてまずは最寄りの劇場へ。そして、たまには懐かしい街の劇場を訪ねてみてください。もちろん状況が改善したら、ぜひ「本物の映画館」に足をお運びください。ここはあくまで「仮設の映画館」です。

「仮設の映画館」概要
鑑賞方法
 作品ごとに配信期間・鑑賞期限/方法は異なりますので、詳しくは各上映作品のページをご覧ください。
鑑賞料金の分配
 プラットフォームの使用料等を差引後、一般的な興行収入と同様に、劇場と配給とで5:5で分配。さらに配給会社と製作者とで分配します。なお上映を予定していた劇場がそれぞれの事情により休映・休館した場合も「仮設の映画館」では続映し、その収益の分配の対象となります。
(以下略)
(引用終わり)

映画がコロナ禍を生き延びるために『精神0』を“仮設の映画館”で公開します
座して死を待つよりは
想田和弘
(抜粋引用開始)
 新型コロナウイルス禍が深刻化するなか、映画を劇場で観て下さる方の数が激減し、全国の映画館が存続の危機に立たされています。
 特に拙作が上映されるような、単館系ミニシアターの窮状には、のっぴきならないものがあります。「封切ったばかりの新作なのにお客さんが1日で0だった」「このままでは劇場の家賃や人件費も払えないので廃業するしかない」といった悲鳴が聞こえてきます。
 だからといって、「皆さん、ぜひ映画館へ足を運んで応援を!」と積極的にお勧めできないのが、今回の危機の辛いところです。もちろん、厳しい換気基準をクリアした映画館で映画を鑑賞する行為は、消毒の徹底やマスクの着用、人数制限などを徹底すれば比較的感染リスクは低いと言われています。それでも、映画館とご自宅の移動中のリスクなども考え合わせると、推奨しにくいのが現実です。
 52日から僕の新作『精神0』も全国順次公開予定なのですが、正直、家族や友達にさえ「映画館に来てね!」とは言いづらい自分がいます。それが本当に辛い。特に高齢の親には言い淀んでしまいます。
(略)
 しかし公開を延期する方法には、大きな問題があります。
 もしすべての映画製作者が作品の延期を決めてしまったら、映画館は当面、いったいどうなってしまうのか。急場をしのぐために旧作を慌ててかき集めて上映を細々と続けるか、休館するしかなくなるでしょう。コロナ禍が長引けば、ほとんどのミニシアターは廃業せざるをえなくなるのではないか。つまり1年後に『精神0』の公開を延期したとしても、そのときには上映できる映画館が全滅した「焼け野原」になっている可能性すらあるのです。
(略)
 そこで浮上したのが、52日から『精神0』を“仮設の映画館”で上映するというアイデアです。つまりデジタル配信です。
 といっても、これは劇場公開の後に行われる通常の配信とは仕組みが異なります。
 観客の皆さんには、最寄りの映画館の特設ページに行っていただきます(東京圏の方は渋谷シアター・イメージフォーラムのページへ、岡山の方は岡山シネマクレールのページへ)。
 そして映画館で映画を観ていただく代わりに、オンラインでご鑑賞いただきます。料金は劇場で観ていただく一般的な当日料金の1800円です。お支払いいただいた1800円は、通常の劇場公開の場合と同様の割合で、映画館と配給会社、製作者に分配されます。3人のご家族でご覧いただく場合には、3回ご購入していただければ本当に助かります。
 もしこれがうまく機能すれば、映画館だけでなく、配給会社や製作者にも、通常の劇場公開を行った場合と同程度の収入が見込めます。そして『精神0』以外の作品でも同様のことが行えれば、たとえリアルな映画館が一時休館せざるをえなくなっても、収入の道が確保できます。したがってコロナ禍が過ぎた後、劇場・配給・製作の三者が生き残っている可能性が高まります。
(略)
 いずれにせよ、これは劇場、配給、製作、そして観客という「映画のエコシステム」を守るための苦肉の策です。ぜひとも趣旨をご理解いただき、積極的にご参加・拡散いただけると幸いです。
(略)
 コロナ禍が終わり、皆さんと実際に安心してお会いできる日が来ることを、楽しみにしております。みんなで一緒に乗り切っていきましょう!
(引用終わり)

 上記2つの文章は全文引用すると長過ぎるので抜粋に留めましたが、是非「仮設の映画館」公式サイトで全文お読みいただければと思います。
 省略した部分の内、特に東風さんの文章の中で、「賛同・参加配給会社」が「東風」以外にどんどん広がっていることは注目すべきだと思います。

 また、この「仮設の映画館」については、多くのメディアが好意的に取り上げてくれていますが、そのうちの2つだけご紹介しておきます。

 1つは、KSB瀬戸内海放送が放送した5分余りの映像(想田和弘監督と奥様へのインタビューを含む)です。

〈新型コロナ〉「お金の流れをそのまんま確保」ミニシアターの支援へ 映画監督が新作をデジタル配信 岡山市(5分19秒)
 


 もう1つは、4月23日に朝日新聞デジタルが運営する「&M」に掲載された想田監督へのインタビュー構成記事でとても充実しています。想田さんがFacebookに書かれたところによると「朝日新聞の石川智也記者から取材を受けました。さすが石川記者、映画の話だけでなく、文化行政や全体主義にまで射程が届いています。多くの方に今こそ読んでほしい。」だということです。

「日常と自由を手放さぬために、映画の灯を取り戻す」 想田和弘監督、ミニシアターを救う“仮設の映画館”を始動 

 この長文の記事の中から3箇所だけ抜粋で紹介させてください。

(抜粋引用開始)
トランプ米大統領はウイルスとの戦いを「戦争」になぞらえ、戦時指導者のイメージを誇示している。「有事なのだから筋論を言っている場合ではない」という風潮はいまや先進国も含め世界に広がっている。だが、想田は特に日本でこうした現象がエスカレートしかねないと危惧している。

「日本にはそもそも、個人を犠牲にしても全体を優先する思想や態度が会社や学校、家庭にまで浸透しています。民主主義のシステムを少しずつ、確実に切り崩してきた権威主義的な安倍政権が支持され続けていることと無縁ではない。僕は『熱狂なきファシズム』と名付けていますが、それは主権者の無関心と黙認のなか、低温やけどのようにじわじわと進む全体主義のことです」

「こういう社会は、自民党が改憲案で盛り込んだ『公益』『公の秩序』という超越的価値に飛びつきやすい。『いまは非常時なんだ』『人が死んでいるんだ』という掛け声とともに、一気に『人権が制約されるのも仕方ない』という方向に行きそうで怖い」

大仰な言い方かもしれないが、1940年代の日本も、ある日突然爆弾が降ってきたわけではない。物資が手に入らなくなり、すぐに戻ると思っていた人が帰らず、社会の雰囲気が変わり、段々と状況が悪くなっていった。日常と非日常との境目はおそらく、一目でそれと分かるようには訪れないものだ。

「制限や制約のある生活に慣れ、大事なものを手放したことに気づかぬまま、ちょっとずつ日常の風景が変わっていく。すべてが終わった時にはもう後戻りできない遠いところに来てしまっていた――そんなことにならないか、非常に危惧しています」

(略)

「仮設の映画館」というネーミングについて「東風」の担当者、渡辺祐一はこう解説する。

「災害などの非常時には、生活に必要なものは必ず仮設でつくられます。例えば、仮設のトイレ、仮設のシャワー、仮設の住居……。同じように、人々に喜びや笑いや感動を届ける映画館というものは、なにか非常事態があった時でも仮設で建てられるくらい必要とされるものであってほしい。そういう思いも込めています」

(略)

最近にわかに増刷を重ねているというアルベール・カミュ著『ペスト』の終章に、こんなシーンがある。猖獗(しょうけつ)きわめる疫病に立ち向かい、極限状態でも人間の尊厳を保ち続けた主人公のひとりは、「どういうことをいうんです、平常の生活に帰るっていうのは?」と問われ、笑って答える。

「新しいフィルムが来ることですよ、映画館に」
(引用終わり)

 さて、「仮設の映画館」で実際に映画を観る方法ですが、公式サイトを下の方にスクロールしていくと「上映作品」のポスターが並んでおり、そのうち、上映中の作品(今のところ『春を告げる町』だけですが)をクリックすると、「仮設の映画館とは」「鑑賞方法」「FAQ」が現れますので、「鑑賞方法」をクリックすることになります。
 試みに、『春を告げる町』の「鑑賞方法」は以下のようになっていました。

(抜粋引用開始)
Q.鑑賞方法を教えてください。
.まず動画共有サイトVimeoのアカウント登録(無料)が必要です。こちらから登録をお願いします。Eメールアドレスやグーグルアカウントで登録が可能です。
.登録・ログイン後、「仮設の映画館」の自分が鑑賞したい映画館の上映ページで「¥1,800でレンタル」ボタンを押すと、「お支払い情報を入力」というウィンドウが開きます。こちらで支払方法を選択・入力してください。
Vimeoは現在、VisaMastercardAmerican ExpressPayPalに対応しており、日本円でお支払できます。必要情報を入力し、「¥1,800でレンタル」ボタンを押すと、すぐに再生が可能になります。

Q.『春を告げる町』のストリーミング配信期間、鑑賞期限を教えてください。
A.『春を告げる町』のストリーミング配信期間は、2020425()1000から522()2100までとなります(延長の可能性もあります)。ダウンロードはできません。また鑑賞期限は、レンタル購入後24時間以内です(*5222100に購入した場合は、翌523()2059まで鑑賞可能です)。

Q.『春を告げる町』を字幕・音声ガイド付きで鑑賞することはできますか?
A.『春を告げる町』は『UDCast』方式による視覚障害者用日本語音声ガイド、聴覚障害者用日本語字幕に対応しています。
●日本語音声ガイド
UDCast』アプリをインストールしたスマートフォン・iPod touch 等の携帯端末で、音声ガイド付きで映画をお楽しみいただけます。
●日本語字幕ガイド
UDCast』アプリをダウンロードしたスマートフォン・iPod touch 等の携帯端末、または字幕表示用のメガネ型端末(MOVERIO)で、字幕付きで映画をお楽しみいただけます。

Q.海外からも鑑賞できますか?
A.『春を告げる町』は日本国内でのみ鑑賞可能です。
(引用終わり)

 ということで、早速、私もこの「仮設の映画館」で『春を告げる町』を鑑賞してみることにしました。
 まず、「Vimeoのアカウント登録(無料)」は簡単にできました。
 続いて「自分が鑑賞したい映画館の上映ページ」を探すことになります。『春を告げる町』の場合、関東3館、北海道・東北4館、中部4館、近畿4館、中国・四国1館の計16館の中から、自分の好きな映画館を選択します。行きつけの映画館がある人は、当然その館を選ぶのでしょうが、私の場合、そもそも和歌山にミニシアターはありませんし、近畿4館の中にも行ったことのある映画館は1つもありませんでした。
 わずかに、『朝日のあたる家』(太田隆文監督)を「シアターセブン」に観に行ったことがあったご縁から(?)「第七藝術劇場」を選択しました。
 そして、「¥1,800でレンタル」ボタンを押して「お支払い情報を入力」となりました。私はクレジットカード決済を選択したのですが、入力すべき情報の内、「MM」「YY」というのが、カード有効期限の「月(MONTH)」「年(YEAR)」のことだと気が付くまでにしばらくかかってうろうろしましたが、何とか無事入力を済ませ、鑑賞できることになりました。一度見終わっても、24時間以内であれば何度でも見直すことができます。いわば、「入れ替え制」ではなく「流し込み」の映画館だと思えば良いでしょう。
 本編の上映開始前に、以下のような「オリジナルマナーCM」が流れます。

〔仮設の映画館〕オリジナルマナーCM(1分00秒)


 この後、「仮設の映画館」で近日公開作品の予告編が何本か流れるのかと一瞬思いましたが、さすがにそれは(今のところ)ありませんでした。

 さて、本編の『春を告げる町』を最後まで(休憩を入れずに一気に)鑑賞し、エンドロールの最後に「製作 広野町、合同会社JyaJya Films」というクレジットが流れるのを読みながら、私は、福島県立ふたば未来学園高等学校演劇部の創作劇に託した「復興とは何か」という、決して大上段に振りかぶってはいないけれど、虚心に画面に向かえば誤解しようのない問いかけに、観客の1人として「どう答えようか」と今も考えているところです。

 現実の映画館や自主上映会で他の観客と一緒に観る場合と、パソコンのディスプレイに1人で向かい合った「仮設の映画館」と、どこがどう違うのか、にわかに結論を出せるだけの経験を積んではいないので、とりあえず留保としたいと思います。

 ただ、「仮設の映画館」は、あくまで「現実の映画館」に帰還するまでの仮住まいであることが前提ではあるものの、仮設が仮設でなくなる現実というのもあり得るわけで、実際、今日鑑賞した『春を告げる町』で描かれた福島県広野町の「復興した姿」も、決して「3.11」前と同じではあり得ないのと同じように、「仮設の映画館」後も、「仮設の映画館」前と全く同じ姿には戻れないと考えるべきでしょう。

 私自身は、NetflixAmazonプライムで映画を観る習慣はありませんが、時代が大きく動いているらしいという気配はさすがに感じています。
 これから「仮設の映画館」で上映が予定されているような作品群が、将来的にどのような形態で観客に相まみえることになるのか、私には予想もつきませんが、映画の作り手、送り手、受け手が、それぞれ経済的に成り立つ合理的なシステムの構築が望まれます。
 「仮設の映画館」の試みが、単なる「急場凌ぎの一時避難所」の域を超えた拡がりを持ち得るのではないか、そのような予感をいだきながら、第1回配給作品『春を告げる町』を鑑賞しました。

 以下に、現在「仮設の映画館」で上映中、及び近日公開と予告されている作品の公式サイトにリンクするとともに、予告編をご紹介しておきます。
 是非、積極的に「仮設の映画館」で映画を楽しんでいただければと思います。

4月25日(土)公開
『春を告げる町』(島田隆一監督)
配給:東風 
公式サイト 
予告編 


5月2日(土)公開
『精神0』(想田和弘監督)
配給:東風 
公式サイト 
予告編

 

5月2日公開
『巡礼の約束』(ソンタルジャ監督)
配給:ムヴィオラ 
公式サイト 
予告編


5月2日公開
『タレンタイム 優しい歌』(ヤスミン・アフマド監督)
配給:ムヴィオラ 
公式サイト 
予告編 I go ver.

予告編 Angel ver.


5月2日公開
『グリーン・ライ~エコの嘘~』(ヴェルナー・ブーテ監督)
配給:ユナイテッドピープル
公式サイト 
予告編


5月2日公開
『友川カズキ どこへ出しても恥かしい人』(佐々木育野監督)
配給:シマフィルム株式会社 
公式サイト 
予告編


5月8日(金)公開
『島にて』(大宮浩一・田中圭共同監督)
配給:東風 
公式サイト 
予告編


5月上旬公開
『タゴール・ソングス』(佐々木美佳監督)
配給:ノンデライコ 
公式サイト 
予告編


5月中旬公開
『プリズン・サークル』(坂上香監督)
配給:東風 
公式サイト 
予告編


6月6日公開
『タッチ・ミー・ノット~ローラと秘密のカウンセリング~』(アディナ・ピンティリエ監督)
配給:ニコニコフィルム 
公式サイト 
予告編


(弁護士・金原徹雄のブログから/想田和弘監督関連)
2013年6月20日 
映画『選挙2』と想田和弘監督の憲法を守るための闘い 
2014年9月17日 
極右グループが利用し尽くす「善意」~想田和弘氏が指摘する「善意」の行き着く先 
2015年1月5日 
想田和弘さんの分析枠組「消費者民主主義」の有効性はいよいよ高まっている~『日本人は民主主義を捨てたがっているのか?』再読 

8/25 ゴジラ 和歌山上陸!~映画『ゴジラ』第1作(1954年)デジタルリマスター版の上映と主演俳優 宝田明さんの講演(和歌山市民会館小ホール)のご案内

 201973日配信(予定)のメルマガ金原No.3421を転載します。

8/25ゴジラ 和歌山上陸!~映画『ゴジラ』第1作(1954年)デジタルリマスター版の上映と主演俳優宝田明さんの講演(和歌山市民会館小ホール)のご案内

 1年以上の準備期間を経て(というのはやや大げさですが)、ようやくこの企画を皆さまにご案内できることとなり、本当に嬉しく思っています。

 来る8月25日(日)、和歌山市民会館小ホールに俳優の宝田明さんをお招きし、宝田さんの講演と併せて、宝田さんが主演された、あの傑作として名高い映画『ゴジラ』第1作(1954年/本多猪四郎監督)デジタルリマスター版を上映するという、特撮ファンにとっては夢のような企画です。

 時あたかも、ハリウッド版『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』が全世界同時公開される中、水爆大怪獣として1954年に誕生した「ゴジラ」の原点に立ち返り、「ゴジラ」が私たちに訴え続けてきたものは何だったのかを考えてみたいというのが、準備を重ねてきた主催者「和歌山G&Tプロジェクト」の願いです。

 ところで、私もメンバーの1人であるこの謎の(?)プロジェクトは、実態としては、昨年の4月7日、和歌山市あいあいセンターにおいて、和歌山信愛女子短期大学教授の伊藤宏先生の講演会「ゴジラvsシン・ゴジラ~ゴジラから読み解く平和憲法~」を企画・主催した実行委員会のメンバーが中心となり、そこに、伊藤先生ご自身や、東宝との折衝など興業面を担当していただく和歌山音楽愛好会フォルテの花光さんにも加わっていただき、7人のメンバーで構成されています。『ゴジラ』第1作と同じ1954年に同じ東宝から公開された黒澤明監督の傑作にちなみ、プロジェクトのメンバーを「七人の侍」と名付けたい気もしますが、いささか手前味噌すぎますので遠慮しています。

 なお、企画当初からご相談していた「9条ネットわかやま」にも共催団体として加わっていただきましたし、チケット販売へのご協力を約束しいてくださった協賛団体も、以下のチラシ記載のとおり、14団体にのぼります。

 また、以下のとおり、マスコミ各社からもご後援いただくことができました。

 そもそも、この企画が動き出すことになったのは、昨年5月4日付の毎日新聞(全国版)の社会面に大きく掲載された伊藤宏先生についての記事(インターネット版の見出しは「原点は反戦・反核 ゴジラで読み解く平和憲法」でした)を読まれた宝田明さんが、和歌山信愛女子短期大学にかけられた1本の電話がきっかけでした。その詳しい内容は、8月25日の講演の中で明かされるかもしれませんので、ここではこれ以上書くことは控えたいと思います(毎日新聞の記事を紹介した私のブログにリンクしておきます)。

2018年5月4日
東京新聞に続き毎日新聞にも伊藤宏先生が大きく取り上げられました!

 以下には、8月25日の企画のための「予習」にうってつけの教材をいくつかご紹介しておきます。

 

○伊藤宏先生は、私の知る限り、これまで「ゴジラ」についての3本の本格的な論文を書かれています。

「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと-映画に描かれた「原子力」を読み解く-」(2005年)
「ゴジラが伝える日本国憲法の意義-平和・反核・民主主義-」(2018年)
「ゴジラ映画における原子力描写-核兵器と原発はどのように捉えられてきたか-」(2019年)

  以上3論文は、いずれも伊藤先生のご厚意により、私のブログに全文転載させていただいています(後掲のリンク一覧参照)。是非お読みください。 

 

○宝田明さんが、11歳の時に経験したソ連軍による侵攻とその後の悲惨な体験から、「戦争は絶対にしてはならない」と強く訴えておられることはよく知られていることと思いますが、インターネットで視聴できる宝田さんの動画を2本ご紹介しておきます。

2014年12月16日公開 みんなの戦争アーカイブス(聞き手:堀 潤 ほか) 
【ぼくは軍国少年だった】宝田明さん戦争証言(2時間23分)

 

201586日 日本記者クラブにて 
俳優 宝田明氏 「戦後70年 語る・問う」(29)(1時間37分)


 

○私は、過去一度、(伊藤先生とお会いする前でした)「ゴジラ」をフューチャーしたブログを書いたことがあります。

2014年6月8日 
『ゴジラ』は今も世相を撃てるか?

 当時、東宝が『ゴジラ』(1954年)「60周年記念デジタルリマスター版」を全国一斉公開するのに併せ、日本映画専門チャンネルが「総力特集・ゴジラ/ハイビジョンリマスター版/30作品完全放送」を連続放映しており、私も『ゴジラ』(1954年)と少年時代に見た何本かを録画した余勢を駆って書いたものです。
 既に5年以上が経過し、リンク切れになっている動画が何本もあったりしますが、今なお愛着のあるブログの1つです。
 その中から、201451日付の中日新聞に掲載された宝田明さんインタビューの最後の部分のみ引用します。

「戦後六十九年。戦争の記憶が薄れた今の日本で、平和を掲げる九条が揺らいでいる。その旗を振っているのはゴジラのもう一人の「同級生」、一九五四年生まれの首相安倍晋三。四月の首脳会談でオバマ大統領に「歓迎、支持する」と言われ、集団的自衛権の行使を認める姿勢をより一層強めている。
 「議席の大多数を持っていれば、何でもできちゃうと思うんだ。おごり高ぶりと言うのかね」。宝田は、九条の見直しに積極的な安倍を含む政治家を「戦争を知らない子どもたち」と呼び、なし崩しのやり方に異を唱える。「(沖縄県)尖閣諸島を米国と共同して守るとか勇ましいけれど、今や武力じゃない。賢明な国、侵しがたい国というイメージをつくらなきゃ」
 今年公開される第一作の復刻版。宝田は政治家たちにぜひ見てほしい。そしてゴジラにこう願う。
 「国会や街に向かって、『目を覚ませ』って咆哮(ほうこう)してくれないか」」

 ちなみに、ゴジラや安倍晋三首相と同じく、私(金原)も1954年(昭和29年)生まれです。

 

 それでは、以下にチラシ記載情報を転載します。是非1人でも多くの方にご参加いただけますよう、よろしくお願いします。

 

(チラシ記載情報から引用開始)
-チラシ表面-
ゴジラ 和歌山上陸!
宝田明さんと考える「平和」~これまでとこれからと~
『ゴジラ』第1作(1954年)デジタルリマスター版上映と
主演俳優 宝田明さんの講演

2019年8月25日(日)
和歌山市民会館 小ホール
 和歌山市伝法橋南ノ丁7 073-432-1212

10:30 開場
11:00 映画『ゴジラ』 第1回上映(97分)
14:00 宝田明さん 講演
16:00 映画『ゴジラ』 第2回上映(97分)

ロビー展示 伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)秘蔵のゴジラコレクション(フィギュア)をロビーで展示します。

入場料(全席自由席)
一般         1,500円
大学生・高校生 1,000円
中学生・小学生       500円
 ※途中外出していただけます。再入場の際は必ず半券をご提示ください。

チケット取扱い
和歌山音楽愛好会フォルテ 073(422)4225
和歌山県民文化会館 073(436)1331
和歌山市民会館 073(432)1212
音楽文化堂 県庁前店 073(422)3562
HITSイシイ本店 073(422)6796
LURUMUSIC 073(457)1011
八木楽器 岩出店 0736(62)4397

主催 和歌山G&Tプロジェクト/9条ネットわかやま
お問合せ先
073-422-4225(和歌山音楽愛好会フォルテ)
073-427-0852(金原法律事務所)
073-444-6870(花田)
後援 ()テレビ和歌山/()和歌山放送/朝日新聞和歌山総局/毎日新聞和歌山支局/読売新聞和歌山支局/ニュース和歌山()/わかやま新報/()和歌山リビング新聞社
協賛 一般社団法人障害者映像文化研究所/上岩出診療所/キリスト者9条ネット和歌山/くまの平和ネットワーク/憲法9条を守る和歌山弁護士の会/子どもたちの未来と被ばくを考える会/社会福祉法人一麦会麦の郷/にんにこ被災者支援ネットワーク・和歌山/和歌山県教職員組合/和歌山県高等学校教職員組合/和歌山県地方労働組合評議会/和歌山県平和委員会/和歌山県平和フォーラム/和歌山県保険医協会
協力 (株)宝田企画、ジストシネマ和歌山

-チラシ裏面-
皆さまへ
3月1日のビキニ環礁における米国の水爆実験により、日本の第五福竜丸をはじめとする多くの漁船が被ばくしてから8ヶ月後の1954年(昭和29年)11月3日、「水爆大怪獣」と銘打たれた巨大怪獣が登場する第1作『ゴジラ』が公開され、日本人の10人に1人は観たという空前の大ヒットとなりました。
その『ゴジラ』公開から65年を迎える今年、ハリウッド版『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』が大ヒットする中で、ゴジラが私たちに問いかけてきたものは何だったのか?その原点に立ち返って考えるため、『ゴジラ』第1作(デジタルリマスター版)を大画面で上映するとともに、同作に主演され、『銀幕に愛を込めて ぼくはゴジラの同期生』という著書もあり、少年時代の戦争体験を踏まえて平和の尊さを熱心に訴えておられる俳優の宝田明さんにご講演いただくこととなりました。
宝田さんからは、第1作『ゴジラ』撮影当時の思い出のほか、ゴジラの発するメッセージ、ゴジラへの思いなどを存分に語っていただけるものと期待しています。
「ゴジラ」ファン、宝田明さんのファンはもとより、「平和」について真剣に考えたいという方に是非お越しいただきたいと念願しています。

映画『ゴジラ』(1954年)について
製作/田中友幸 監督/本多猪四郎 原作/香山滋 脚本/村田武雄・本多猪四郎 特撮技術/円谷英二 出演/宝田明・河内桃子・平田昭彦・志村喬
《物語》長い戦争がようやく終わって9年、原水爆実験が繰り返される太平洋で、日本の漁船が相次いで沈没し、不漁続きの大戸島が嵐の夜に壊滅―。「巨大生物に襲われた」という生存者の証言は一蹴されたものの、古生物学者・山根博士を団長とする災害調査団が結成された。そして大戸島を訪れた調査団の目前に巨大な怪獣が姿を現す。島の伝説から「ゴジラ」と名づけられた怪獣は、近代兵器をものともせずに日本に上陸、東京はふたたび焦土と化すのだった。

宝田 明さんプロフィール
旧満州ハルピン出身 1934年4月29日生
1954年第6期東宝ニューフェイスとして、『かくて自由の鐘は鳴る』でデビュー。『ゴジラ』『青い山脈』『放浪記』など、映画出演本数は130本に上る。『あげまん』『ミンボーの女』『マルタイの女』などの伊丹十三作品にも出演。1964年『アニーよ銃をとれ』で、ブロードウェイミュージカルに挑戦し、芸術祭奨励賞を受賞。以後、『サウンド・オブ・ミュージック』『風と共に去りぬ』『マイ・フェア・レディ』など数多くの作品の主演をこなし、第6回紀伊國屋演劇賞、第10回ゴールデンアロー賞を受賞。2012年には自身の製作・演出・出演によるミュージカル『ファンタスティックス』を全国公演し、平成24年度文化庁芸術祭賞大賞を受賞。日本を代表するミュージカル俳優として不動の地位を築く。
近年は全国各地で講演活動も精力的に行っており、1945年にソ連軍が侵攻してきた満州での悲惨な少年時代の体験をもとに、平和の尊さを説いている。20165 月には、「戦後70年日本映画平和賞」を受賞する。2019816日公開のハッピーミュージカルコメディ映画「ダンスウイズミー」(矢口史靖監督)に出演。
CD「私の願い」(作詞:宝田明 作曲:沢木順)
・著書「平和と命こそ 憲法九条は世界の宝だ」(日野原重明先生・澤地久枝さんとの共著)
・回想録「銀幕に愛を込めて ぼくはゴジラの同期生」(201859日発売/筑摩書房)
(引用終わり)


(弁護士・金原徹雄のブログから/伊藤宏さん関連)
2016年10月25日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)が西谷文和さんと語る「現場記者が見てきた『原子力ムラ』」ほか~「自由なラジオ LIGHT UP!」最新アーカイブを聴く(027~030)
2017年1月17日
「憲法と平和・原発・沖縄問題を考えるシンポジウム」@2/4アバローム紀の国(和歌山市)へのお誘い~森ゆうこ参議院議員を迎えて
2017年1月27日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと(2005年)」を読む(前編)
2017年1月28日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと(2005年)」を読む(後編)
2017年7月14日
「伊藤宏先生~教えて!?憲法はどうなるの?どう向き合ったらいいの?」(7/17キリスト者9条ネット和歌山の集い)のご案内
2017年11月13日
伊藤宏氏(和歌山信愛女子短大教授)講演会「ゴジラとウルトラマンがあなたに伝えたいこと」(くまの平和ネットワーク12/9@新宮市福祉センター)のご案内
2018年2月22日
伊藤宏氏講演会「ゴジラVSシン・ゴジラ~ゴジラから読み解く平和憲法」(4/7@和歌山市あいあいセンター)のご案内
2018年4月14日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが伝える日本国憲法の意義-平和・反核・民主主義-(2018年)」を読む(前編)
2018年4月15日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが伝える日本国憲法の意義-平和・反核・民主主義-(2018年)」を読む(後編)
2018年5月1日
5月1日の東京新聞・こちら特報部に伊藤宏先生が取り上げられました!
2018年5月4日
東京新聞に続き毎日新聞にも伊藤宏先生が大きく取り上げられました!
2018年10月5日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)がこれから語る「ゴジラと日本国憲法」(2018年10月14日)&「ゴジラと原子力」(2018年11月17日)
2018年11月19日
【和歌山信愛女子短期大学セシリアホールに伊藤宏教授のゴジラ・コレクション全展示+信愛女子短大第44回公開講座「ゴジラと原子力~映画に描かれた原水爆と原発~」開催】
2019年3月17日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラ映画における原子力描写-核兵器と原発はどのように捉えられてきたか-」を読む(前編)
2019年3月17日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラ映画における原子力描写-核兵器と原発はどのように捉えられてきたか-」を読む(後編)


チラシ最終稿・表チラシ最終稿・裏

伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラ映画における原子力描写-核兵器と原発はどのように捉えられてきたか-」を読む(後編)

 2019年3月17日配信(予定)のメルマガ金原.No.3409を転載します。
 
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラ映画における原子力描写-核兵器と原発はどのように捉えられてきたか-」を読む(後編)
 
 伊藤宏先生による最新論文「ゴジラ映画における原子力描写-核兵器と原発はどのように捉えられてきたか-」を読む(後編)」をお届けします。
 1954年の第1作『ゴジラ』から2016年の第29作『シン・ゴジラ』まで、映画の中で原子力(核兵器&原発)がどのように扱われてきたかを丁寧に検証した上で、伊藤先生は、本論考を以下のような考察で締めくくります。
 
(引用開始)
 実は、私はかつて「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」の最後をこう結んでいた。「もしこのままゴジラが子どもたちにとって単なる『人気怪獣』に終始し、そして時間とともにその世界からも姿を消していったとしたら…。近い将来、必ずゴジラは核戦争、あるいは巨大原発事故に姿を変えて現実の世界を襲うことになるであろう。ゴジラが、今も私たちの身近に在ることを決して忘れてはならないのだ」。悲しいかな、後者は現実のものとなってしまったが、このままではいつか前者も実際に起こってしまうかもしれない。近年の核兵器をめぐる国際情勢をみていると、それは決して杞憂ではないはずだ。
 第29作は、ゴジラに向けた核ミサイル発射のカウントダウンは「一時中断」で、万が一活動を始めた際には再開するという設定だ。主人公の矢口蘭堂が、東京駅前で凍結したゴジラを見据えて「事態の収束にはまだ程遠いからな」と言って映画は終わる。この言葉は今の日本、そして世界の状況を端的に表してはいまいか。事故を起こした福島第一原発は、まさに収束には程遠い状況であるし、核廃絶に至っては全く展望が見えないという現実に私たちは生きているのだ。私たちは改めて、ゴジラと向き合うことが求められているのである。
(引用終わり)
 
 「ゴジラ」という希有なキャラクターを研究することの意義が、とても端的に伝わってくる結論であると思いました。
 
 なお、伊藤先生による先行論文2編(「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと-映画に描かれた「原子力」を読み解く-(2005年)」、「ゴジラが伝える日本国憲法の意義-平和・反核・民主主義-(2018年)」)も、是非併せてお読みください(巻末のリンク先一覧から閲覧できます)。
 
 なお、今回の論文では、1954年の第1作『ゴジラ』から、2016年の第29作『シン・ゴジラ』までが研究の対象とされ、2017年以降に公開されたアニメーション版や、間もなく日本でも新作が公開されるハリウッド版などは対象外となっています。
 そこで、ご参考までに、アニメ版を除く日本版ゴジラ29作品のタイトル、制作年、監督名を、ウイキペディアの「ゴジラ映画作品の一覧」から抜き出してご紹介しておきます。
 
第1作『ゴジラ』(1954年)本多猪四郎
第2作『ゴジラの逆襲』(1955年)小田基義
第3作『キングコング対ゴジラ』(1962年)本多猪四郎
第4作『モスラ対ゴジラ』(1964年)本多猪四郎
第5作『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)本多猪四郎
第6作『怪獣大戦争』(1965年)本多猪四郎
第7作『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966年)福田純
第8作『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)福田純
第9作『怪獣総進撃』(1968年)本多猪四郎
第10作『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(1969年)本多猪四郎
第11作『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)坂野義光
第12作『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』(1972年)福田純
第13作『ゴジラ対メガロ』(1973年)福田純
第14作『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年)福田純
第15作『メカゴジラの逆襲』(1975年)本多猪四郎
第16作『ゴジラ』(1984年)橋本幸治
第17作『ゴジラvsビオランテ』(1989年)大森一樹
第18作『ゴジラvsキングギドラ 』(1991年)大森一樹
第19作『ゴジラvsモスラ』(1992年)大河原孝夫
第20作『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)大河原孝夫
第21作『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994年)山下賢章
第22作『ゴジラvsデストロイア』(1995年)大河原孝夫
第23作『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)大河原孝夫
第24作『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(2000年)手塚昌明
第25作『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)金子修介
第26作『ゴジラ×メカゴジラ』(2002年)手塚昌明
第27作『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)手塚昌明
第28作『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)北村龍平
第29作『シン・ゴジラ』(2016年)樋口真嗣、庵野秀明(総監督)
 


                              ゴジラ映画における原子力描写
                    -核兵器と原発はどのように捉えられてきたか-
 
                  Atomic energy description in the Godzilla movie
 -How have the nuclear weapon and the nuclear power generation been taken?-
 
                                                                     伊藤 宏
                                    Hiroshi Itou
 
前編から続く)
                                 4.第2期における原子力描写
 1984年に公開された第16作『ゴジラ 1984』は、漁船の第五八幡丸の遭難事件から始まる。生き残った奥村宏の証言から、ゴジラの存在が明らかになるが、その際に以下のようなやり取りがある。
 
林田:彼が見たモンスターというのはゴジラです。
辺見:ゴジラ…。
林田:私は奥村君をよく知っていますが、信頼できる人間です。
辺見:やっぱりそうでしたか。事実とは信じたくなかったが。それにしても、第五八幡丸の乗組員の死体はなぜあのような?
林田:巨大なフナムシによって、体内の全ての血液と水分を吸い取られたからです。たかが数センチのフナムシがどうして巨大化したかといえば、ゴジラに寄生していたからです。ゴジラの体内から発する放射性物質を、絶え間なく浴び続けることで巨大化したんでしょう。
 
 林田を新聞記者の牧吾郎が取材した際には、以下のようなやり取りがあった。
 
牧:先生、ゴジラは動物なんですか? 放射能が作り出した怪獣、化け物。ほとんどの人がそう思っていますが。
林田:その化け物を作り出したのが人間だ。人間の方がよっぽど化け物だよ。ゴジラはいわば核兵器のようなもんだ。
牧:核兵器?
林田:それも生きた核兵器だ。勝手気ままに動き回り、破壊を繰り返す。その上、ゴジラの生命は不滅ときている。
 
 その後、ゴジラはソ連(当時)の原子力潜水艦を襲うが、その際に艦長が「この最新鋭艦を沈めるつもりなら、全面核戦争の覚悟が必要だ」と述べている。ゴジラの存在が公表され、政府内にゴジラ非常緊急対策本部が設けられ、そこで新兵器スーパーXについて次のような説明があった。
 
防衛庁長官:えー、首都防衛のために極秘に開発されたものです。外装はチタン合金。集積回路にはプラチナを多量に使用して、かなりの高熱にも耐えることができるよう設計されている。
統幕議長:さらに現在、対ゴジラ作戦のためカドミウム砲の装備を急いでおります。カドミウムは原子炉の核反応を制御する働きがあり、ゴジラに対して有効と確信しております。
 
 ゴジラの行方が分からない中、林田たちは日本に来るか否かを話し合っていた。その会話は、
 
奥村:日本に来ますか?
林田:問題はそこだ。ゴジラがその食性に従い、エネルギー源となる核分裂物質を求めてソ連原潜を襲ったのは明らかだ。
(中略)来るよ。必ず来る。ここにはゴジラの餌がある。
 
 林田の言葉通り、ゴジラは濃霧の中から突然現れ、静岡県の井浜原発を急襲する。原子炉の炉心を取り出し胸に当て、背びれを青白く発光させるゴジラを見た林田は、モニタリングポストの放射能測定器を確認するが、反応はない。林田は「ゴジラが全部吸収してしまったんだ」と述べる。その際、ゴジラが渡り鳥の群れに反応して海に戻って行ったことをヒントに、林田は超音波で誘導し三原山の火口に葬るプランを思いつく。
 その際に以下のようなやり取りがあった。
 
奥村:じゃぁ、先生はゴジラをどうするつもりですか?
林田:原発で君たちは感じなかったか。30 年前、大戸島に現れたゴジラは伝説の怪獣と同一視された。世の中が乱れる時、天変地異が起こり怪獣が現れる。これは世界各地の伝説に見られることだ。ゴジラはまさしく人類の滅びへの警告なんだ。私はせめてゴジラを故郷へ帰してやりたいと願っている。それだけだ。
※ゴジラに対して米ソが核攻撃を提案する場面があるが、「ゴジラが伝える日本国憲法の意義」に詳しく記載したので本稿では割愛する。
 
 いよいよゴジラが東京に上陸する可能性が高まった際、以下のようなやり取りがある。
 
牧:自衛隊は一気に勝負をかけるつもりですね。カドミウムの溶液をゴジラの体内に吸収させると言ってますが、効果ありますかね?
林田:私はゴジラが原子炉だとは思っていない。その方法に興味はないよ。
 
 東京に上陸したゴジラは、スーパーXのカドミウム砲によって一旦は動きを封じられる。しかし、ソ連の攻撃衛星から誤射された核ミサイルを、アメリカが迎撃し成層圏で爆破した際に、電子関連機器が全てダウンしてしまう。その原因を科学技術庁(当時)長官は「宇宙空間や成層圏で核爆発が起きた場合、電磁衝撃波というものが生じ、その結果あのような…」と説明する。その影響で、ゴジラは再び活動を始めてしまった。最終的に、林田の計画が成功し、ゴジラは三原山の火口に墜落していったのであった。
 1987年に公開された第17作『ゴジラVSビオランテ』は、前作の続編としてゴジラが襲撃した直後の東京から話が始まる。
 外国人記者の「ゴジラは三原山火口に墜落していきました。マグマはその火口に怪獣を飲み込んだのです。東京都内の非常警戒体制は解除されましたが、西新宿一帯は立ち入り禁止のまま。スーパーXの回収作業、残留放射能、汚染物質の調査が続けられています…(後略)」というリポートが流れる。そして5年後、三原山火口のゴジラが再び活動を開始したため、防衛庁特殊戦略作戦室はその対応策の一つとして、抗核エネルギーバクテリアの開発に着手する。その際に、以下のようなやり取りがあった。
 
桐島:アメリカでは既に遺伝子操作により、石油を食べるバクテリアを完成し、海の石油汚染に対して実用化しています。同じように、原発事故などの放射能汚染に対する有効な手段として考えられたのが核物質を食べるバクテリア、抗核エネルギーバクテリア理論なんです。
権藤:核物質を食べる…確かに核をエネルギーとしているゴジラにとっては絶好の兵器だな。
桐島:第一種ゴジラ警戒体制の中に抗核エネルギーバクテリアの研究完成があるのは知ってます。しかし、それは兵器として研究してたんじゃないんです。それに、抗核バクテリアはこの研究室だけではできません。一つにはゴジラ細胞が必要です。
権藤:ゴジラ細胞?
桐島:ゴジラは核を食べます。そのゴジラの細胞には、核を食べる遺伝子があるはずです。その遺伝子をバクテリアに組み込んで作るんです。
 
 開発のため、桐島がゴジラ細胞が保管されている大河内財団を訪ねた際には、以下のようなやり取りがあった。
 
大河内:私のプロジェクトに対して、少し批判的だそうだな。
桐島:かなりです。
大河内:いやぁ、私だってね、遺伝子工学が人類に与える光の部分だけを見ているわけじゃないんだ。ちゃんと影の部分も忘れないでいるつもりだがな。
桐島:それでしたら、抗核エネルギーバクテリアがどんな軍事兵器になるかご存じでしょう。
大河内:核ミサイルを無力化する兵器だ。
桐島:核兵器は最終兵器ではなくなります。そんなものが現れたら世界のバランスは…。
(中略)
大河内:原爆とゴジラにひどい目に遭わされた日本が、ゴジラ細胞から核を越える兵器を作っても、決して悪いとは思わんがね。
 
 抗核エネルギーバクテリアの開発が着手される直前にも、桐島は「確かに私たちがこれから遺伝子操作で作ろうとしているのは、ちっぽけなバクテリアです。しかし、このままいけば遺伝子工学も、原水爆が生んだゴジラに負けない怪獣を間違いなく作ってしまいます」と警告している。
 バイオメジャーの暗躍などによって、ついにゴジラが復活してしまう。日本上陸が確実となった時点で、以下のようなやり取りがあった。
 
黒木:ゴジラは前回、静岡の原発で核物質をたっぷり吸い込んで、エネルギーを充填した後、東京に上陸しております。今回はまだ一度も核物質を補充しておらず、しかも、スーパーXⅡ、ビオランテによってかなりのエネルギーを消耗しております。
官房長官:だからゴジラは原発に向かうって言うんですか?
防衛庁長官:一番近い原発は、高浜4、大飯2、美浜3、動燃ふげん1、敦賀2…全部で12基。日本の原発の3分の1だ。そんな所に行かれちゃ。
官房長官:1 つでも原子炉を破壊されれば日本は…。
 
 結局、ゴジラは「緊急態勢最終段階」となるまで高浜原発に接近するものの、ビオランテとの死闘後に抗核エネルギーバクテリアが効いて動きが鈍り、日本海へ姿を消すのであった。
 1991年に公開された第18作『ゴジラVSキングギドラ』は、ラゴス島に生き残っていた恐竜が、核実験の影響でゴジラになったという設定であった。日本海に眠るゴジラが再び活動を始めることを恐れた日本政府は、23世紀からタイムワープしてきた未来人の「核実験が行われる前に恐竜をテレポーテーションによってベーリング海に移動する」という提案を受け容れる。提案の際、未来人のウィルソンが「我々がこのたび20世紀の日本に来たのは、23 世紀の日本が死滅してるからです」と述べ、さらにグレンチコが「一言で言うと 核汚染です。21 世紀、日本は再び活動を始めたゴジラにより致命的な破壊を受けます。都市の破壊はもちろんですが、特に原子力発電所の破壊による核汚染は、長い間にわたって日本全土に広がり、ついに日本のほとんどは人が住めなくなってしまうのです」と説明している。
 恐竜の移動は成功したが、未来人がラゴス島に「トラッド」という生き物を残していったため、その後の核実験によってキングギドラが誕生してしまう。一方、ベーリング海に移動した恐竜は、「大型原潜が火災・沈没 ベーリング海の公海」(新聞記事の見出し)という事故がきっかけとなって、結局はゴジラになってしまっていた。恐竜に核攻撃をして、再びゴジラを復活させようとした帝洋グループの原子力潜水艦を襲い、さらに巨大化して日本に向かう。その際に、グレンチコが「20 世紀は我々の時代と違って、地球上の至る所に核がある。考えてみれば、どこに恐竜をワープしようとゴジラの誕生は避けられなかったかも知れないな。我々がせっかく抹殺してやったのに、愚かな時代。救いようのない原始人どもだ」と述べた。
 1992 年に公開された第19作『ゴジラVSモスラ』には、原子力に関連した描写はなかった。1993 年に公開された第20作『ゴジラVSメカゴジラ』では、メカゴジラの製造現場で「核融合炉テスト開始30分前」のアナウンスがあり、さらに今井博司が「動力はレーザー核融合炉。燃料は衛星軌道上に生成される重水素・ヘリウム3ペレット」と説明する場面がある。また、ベーリング海のアドノア島で翼竜の化石が見つかり、国立生命科学研究所の調査隊が出向いた際に、ラドンと遭遇する。その際、次のような会話が交わされる。
 
大前:ラドンだ。
桂木:ラドン?
大前:プテラノドンが巨大化した。(中略)核の影響か何かで、ゴジラと同じことがプテラノドンにも起こったんだ。
桂木:そういや、ここら辺は使用済み核燃料の墓場ですよ。
 
 1994 年に公開された第21作『ゴジラVSスペースゴジラ』には、原子力に関連した描写はなかったが、1995年に公開された第22作『ゴジラVSデストロイア』は、背びれや体表の発光、熱線の色がこれまでと異なるゴジラが出現することから始まる。
 それは、ゴジラとリトル・ゴジラが生活するバース島が消滅したことと関連があると考えられた。その原因をGサミットは「バース島が消えた原因は、島の地層に含まれた高純度の天然ウランが、熱水の噴出により核分裂反応を起こした結果ではないかと推定されています」と分析する。さらに、原子力エネルギーの専門家は「ご存じのように、ゴジラの動力源、つまり人間でいう心臓部は原子炉と言われている。その心臓部で今、何かが起こっている」とした上で、日本の学生がインターネットで送ってきた「ゴジラの体内構造に関する私的考察」という論文を紹介した。その著者が山根健吉で、Gサミットにオブザーバーとして加わることになる。
 ゴジラの現状について、Gサミットでは、以下のようなやり取りがあった。
 
小沢:この海水温の高い数値は、ゴジラの中で正常な冷却機能をはるかに超える核分裂が起こっていることを裏付けていると思います。
山根健吉:ゴジラのエネルギーである核分裂は体内の水分によって制御され、空気から吸い込む二酸化炭素で冷却されコントロールされていた。それが、バース島の異変によってバランスを崩し、核分裂が飛躍的に活性化した。
国友:どうなると言うのかね?
山根健吉:ゴジラは果てしなく暴走するかあるいは核爆発を。
国友:核爆発?
上田:ゴジラが核爆発を起こしたらどれぐらいの被害が?
山根健吉:想像もできませんが、地球上のどんな核兵器よりも巨大な爆発エネルギーだと考えておいた方がいいでしょう。
小沢:それほどの核エネルギーが一度に解放されれば、最悪の場合、大気圏に火が付き地球が炎に包まれることも。
 
 そして、国会議事堂付近でゴジラが核爆発を起こし、地球が炎に包まれる様子が描かれた。
 ゴジラが豊後水道に姿を現した際、対策本部では以下のようなやり取りがあった。
 
山根健吉:狙いは原子力発電所だ。核分裂が異常に高進しているのだから、核燃料を欲しがるのは当然です。
麻生:ゴジラが原発を襲うというのに、我々は何も手を出せんのか!
国友:ここで攻撃を加えて、もし核爆発を誘発したら、原発1つの被害の何十倍、何百倍もの惨事です。
 
 そこへ、自衛隊が新兵器のスーパーXⅢを出撃させるという連絡が入った。スーパーXⅢについて麻生は「自衛隊が開発していた多目的の防衛攻撃能力を備えた新兵器で、原発事故や核兵器による攻撃を想定して、強力なカドミウム弾を装備しています。最大の特徴は火器兵器ではなく全てが冷凍兵器であること。メイン砲は超低温レーザー光線で、マイナス200度まで瞬間冷凍できるそうです」と説明する。ゴジラは伊方原発(と思われる)に接近するが、スーパーXⅢの活躍で活動を阻止された。その攻撃を山根健吉は「冷凍弾で冷却し、カドミウムで制御する。完璧な攻撃計画だ」と賞賛する。
 冷凍化が限界に達し、ゴジラは再び活動を開始するが原発に向かうことはなかった。その際に、以下のようなやり取りがあった。
 
山根健吉:ゴジラの核分裂が制御され始めたようです。
国友:本当か?
山根健吉:見てください。青いラインが正常、赤いラインが現在の状態。カドミウムが制御剤として効いているようです。
国友:よし! これで核爆発は…。
山根健吉:何とか避けられるかも知れません。
 
 一安心する一同であったが、ゴジラの心臓部の温度が 900度を超えているという連絡が入る。その際、以下のようなやり取りがあった。
 
山根健吉:何だって?
麻生:どういうことだ?
山根健吉:核分裂が制御されているのに、炉心がそれだけの高温ということは内部から溶け出している…。
麻生:ゴジラはどうなるんだ!
山根健吉:メルトダウン!
国友:メルトダウン?
山根健吉:ゴジラの原子炉である心臓部が溶け出し、放射能をまき散らしながら周りのものを溶かし…
小沢:水素爆発を起こして地球に穴を開けてしまう。
麻生:チャイナシンドロームというやつか!
国友:核爆発は避けられそうなのに、今度はメルトダウン。
山根健吉:1200度を超えると、確実にメルトダウンを起こします。
 
 ゴジラは東京に上陸したが、炉心温度は1140度となってメルトダウンが刻一刻と迫っていた。その際、国立物理化学研究所の伊集院研作は「自衛隊にスーパーXⅢの出動を要請してください。万一、ゴジラがメルトダウンした場合、被害を最小限にとどめるためには、冷却するしか方法はありません。炉心融解の瞬間に、冷凍兵器の全てを集中させるんです」とアドバイスをする。デストロイアとの死闘の末、とうとうゴジラの心臓部は1200 度に達し、メルトダウンが始まった。表皮が溶け落ち、融解していくゴジラにありったけの冷凍兵器が向けられる。スーパーXⅢの機内でそれを見守っていた黒木翔は、放射能測定器を見て「ものすごい放射能だ…」とつぶやく。
 発光して溶けていくゴジラを上空のヘリコプターから見守っていた伊集院と山根ゆかりが、次のような会話を交わした。
 
伊集院:ゴジラが東京を死の街にして溶けていく。
山根ゆかり:これが私たちの償いなの?
伊集院:償い?
山根ゆかり:科学を、核を弄んだ私たち人類の…
 
 全てが終わったかに思えたその時、山根健吉が「放射能のレベルが急激に下がっていく」と叫んだ。濃い霧の中から、ゴジラのシルエットが浮かび上がり、咆吼したところで映画は終わる(ゴジラジュニアがゴジラになったという設定のようだ)。
 
                      5.第3期と『シン・ゴジラ』における原子力描写
 1999年に公開された第23作『ゴジラ2000ミレニアム』は、ゴジラが納沙布岬に上陸するところから始まる。この時、ゴジラを追跡していた「ゴジラ予知ネットワーク」(GPN)を主宰する篠田雄二、雑誌記者の一ノ瀬由紀らは、ゴジラに異常接近してしまう。その後で、以下のようなやり取りがあった。
 
篠田:写真ぐらい撮った方がいいんじゃない? そのために来たんだろ。
一ノ瀬:やりたかなかったのよ、こんな取材。もうたくさん!
篠田:フィルム、交換した方がいいぞ。
一ノ瀬:あぁ、もうっ!
 
 根室の街を通過した後、変電所を徹底的に破壊するゴジラを見て、篠田が「ゴジラは人間の作り出すエネルギーを憎んでいるのか?」とつぶやく。
 東京に戻った一ノ瀬は、編集長から取材の続行を命じられるが、その際に以下のような会話を交わす。
 
一ノ瀬:根室の取材終わったら、コンピュータ関係の雑誌に回してやるって言ったじゃない!
編集長:写ってねえんじゃ話になんねえだろ。身体に影響ない程度の放射能でも、フィルムは感光しちまうんだよ。
 
 取材のために一ノ瀬がGPN本部を訪れると、篠田が仲間と「放射能濃度はどう? 異常なしか。じゃぁ、地震計の方はどうかな?」というやり取りをしていた。
 一方、海底で発見された未知の物質をめぐって、危機管理情報局(CCI)で宮坂四郎は局長の片桐光男と、以下のような会話を交わす。
 
宮坂:強い磁力を持った物質で、もしかしたらウランを超える新しいエネルギー資源になり得るかもしれません。
片桐:隕石か?
宮坂:恐らく。この発見がクリーンエネルギーにつながれば、我々CCIが取り組む意味も十分にあると…。
 
 根室から一旦姿を消したゴジラは、太平洋を南下していた。
 その動きをめぐって、以下のようなやり取りがあった。
 
園田:微震はさらに南下している模様。この分だと…
篠田:東海村の原発!
園田:たぶん。
一ノ瀬:原発が破壊されたらどうなるの?
 
 それと同じ頃、CCIの片桐は東海村の所員と以下のようなやり取りをしていた。
 
片桐:危機管理情報局の片桐です。ゴジラが東海村に上陸する恐れがある。ただちに原子炉の運転を停止してください。
所員:停めろと言っても、私の一存では…。
片桐:私は非常時における緊急対応を内閣から一任されているんだ。ただちに原子炉を停めろ!
 
 そして、東海原発は緊急停止された。想定通りに原発の沖合にゴジラが出現するが、原発の破壊は免れた。
 2000年に公開された第24作『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』は、映画館で上映される「日映ニュース」から始まる。まず「魔獣ゴジラ東京を襲う!」として、1954年にゴジラが東京を襲撃したニュースが流れた。続いて場面が変わり、「1966年茨城」のクレジットと共に、東海原発に迫るゴジラが映し出される。「ゴジラの東京襲撃から 12年後、操業を開始したばかりの我が国初の原発、東海原子力発電所がゴジラによって破壊された」というアナウンスとともに、原発を破壊するゴジラが描かれた。さらに、首相官邸前の中継に切り替わり、「たった今、総理が決断をしました」「原子力発電の永久放棄ですか?」「その通りです」という中継が行われる。そして「ゴジラ上陸の原因が原子力発電所の放射能であるとの研究結果を受け、日本政府は原子力発電の永久放棄を決定したのである。その後、増加する電力需要に対処すべく、政府は水力、火力、ソーラー、風力などの発電に力を入れたが、原子力発電を補うまでには至らなかった」というナレーションがあった。
 時代が現在になってから、太平洋になぞの光源が見つかった際、以下のようなやり取りがあった。
 
美馬:さっきG衛星から送られてきた画像なんですがね。
辻森:太平洋ね。
職員:この光、分析してみたんですけど、スペクトルから見ても普通の光じゃないんですよ。
奥村:熱線ですか、ゴジラの?
辻森:周囲の温度変化と放射能濃度は?
職員:計測中です。(中略)放射能反応が出ました。ゴジラです!
 
 その後、現場海域の調査に向かった辻森たちにゴジラが接近する。すると辻森は防護マスクを装着し、ゴジラに取り付こうと試みる。その際に、危険を知らせるアラームが鳴った。
 2001年に公開された第25作『ゴジラ・モスラ・キングギドラ大怪獣総攻撃』では、アメリカの原子力潜水艦の事故から物語が始まる。それを伝えるニュースは「グアム島沖で消息を絶ったアメリカの原子力潜水艦救助のため、政府は日米平和条約に基づき、防衛海軍を現場海域に派遣することを決定しました。原子炉からの核汚染が予想され、我が国の放射能遮蔽式作業艇〝さつま〟の活動が期待されています」という内容であった。
 小笠原諸島の孫の手島を襲撃したゴジラが、静岡県の焼津港に上陸した際、漁協の壁には「死の灰の記憶・原水爆のない未来を・第五福竜丸の悲劇を絶対忘れてはならない」というポスターが貼られていた。また、上陸したゴジラが最初に熱線を吐いた際、遠方の小学校の窓からは白いキノコ雲が見えるが、その際に教師が「原爆?」とつぶやく。
 映画のラストで、ゴジラとの闘いを終えた立花泰三准将に、娘の由里が駆け寄ろうとすると、「そこで止まれ。残留放射能を確認していない。念のためだ」と制する場面があった。
 2002 年に公開された第26作『ゴジラ×メカゴジラ』では、1954年に日本を襲ったゴジラの骨(房総半島沖から引き上げたもの)を組み込んだ生体ロボット三式機龍(メカゴジラ)が登場する。原子力関連の描写はほとんどないが、ゴジラと対峙した機龍が、その咆吼に反応した際に記憶の中に水爆実験と思われる巨大なキノコ雲が登場している。また、暴走した機龍について湯原沙羅が「水爆でゴジラを生んで、今度はゴジラのサイボーグ。一番悪いのは人間よ」と語る場面があった。さらに、ゴジラとの戦いで故障した機龍への接近が検討された際には、赤松伸治が「何言ってんだ、危険すぎる。辺りはゴジラの熱線で放射能に汚染されている可能性があるんだぞ」と叫んでいる。その後、機龍の内部に家城茜が入ると、放射能除去装置が作動するという場面が続く。
 2003年に公開された第27作『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』は続編であったが、中條信一が総理大臣の五十嵐隼人に「すでに人間は原水爆によってゴジラを生むという過ちを犯している」と、機龍の放棄を進言する場面があった。また、前作と同様に、ゴジラの咆哮によって機龍の記憶の中に水爆実験と思われる巨大なキノコ雲が登場しているとともに、戦闘中に内部に入った際には放射能除去装置が作動していた。
 2004年に公開された第28作『GODZILLA FINAL WARS』でも、原子力に関連した描写はほとんどなかったが、福井県に上陸したゴジラが街を破壊している際に老人と孫との間で以下のような会話が交わされる。
 
健太:ねぇ。なんでゴジラは街をこわしているの?
佐門:ああ。お前が生まれるずっと昔な、人間が恐ろしいことしてしまってよ。ゴジラを怒らしてしまったんだよ。
健太:恐ろしいこと?
佐門:おお。お前にはまだ分からんだろうがよ。とてつもないでかい火を起こしてよ。あらゆるものを焼き尽くしてしまったんだよ。そん時の怒りを決してゴジラは忘れねぇんだ。
 
 第28作をもって、少なくとも日本のゴジラシリーズは文字通り「FINAL」を迎えたと思われた。だが、佐藤健志が「2011 年、ゴジラは架空の存在ではなくなった。この怪獣、1954 年から2004年にかけて、日本各地に繰り返し来襲、少なからぬ被害をもたらしてきたが、それは映画という虚構の世界においてのことだった。しかるに2011年3月11日、東北地方の太平洋沖に出現したゴジラはそのまま上陸、沿岸各地に大打撃を与える。以後もゴジラは福島県に居座り、放射能火炎を吐いたり、背ビレを繰り返し発光させたりしている。そのたび周囲には放射性物質がまき散らされ、汚染の拡大が大きな社会問題、ひいては国際問題となった」(9)という事態が訪れた。そして2016年、第29作『シン・ゴジラ』が公開され、ゴジラは再び銀幕の世界に戻ってきたのである。
 第29作ではまず、ゴジラ第2形態および第3形態の出現後、巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)において、以下のような検討が行われる。
 
立川:素朴な疑問なんだが、あれのエネルギー源は何なんだ?
安田:確かに身体の活動だけではなく基礎代謝だけでも、かなりのエネルギー量が必要です。消化器官による酸素変換では、消費量や動作効率が説明できませんね。
尾頭:あれだけのエネルギー…まさか核分裂?
安田:フッ、冗談ポイです。尾頭さん。あり得ませんよ。
 
 その後、横須賀のアメリカ軍空母が緊急出港したとの連絡が入り、以下のようなやり取りがあった。
 
郡山:そうだ。先ほど横須賀市の放射線モニタリングポストに反応があるとの報告が入った。
矢口:分かりました。至急、原子力規制庁に確認します。
 
 矢口が原子力規制庁に確認し、
 
根岸:はい。上から止められているので公表を差し控えてますが、都内各地の放射線モニター空間線量に軽微な上昇が認められます。
矢口:どこから漏れてると考えられますか?原発ですか?
根岸:いえ。全国すべての原子力施設での放射性物質のリークは確認されておりません。
矢口:じゃ発生源は何なんだ。
 
 その時、安田が奇声を上げる。
 
安田:わぁっ! わぁ、こんなんアリか!
尾頭:このサーベイデータって、あの巨大生物の移動ルートと完全に一致しています。
 
 ゴジラが放射能を帯びていることが明らかになって、官房長官らが以下のようなやり取りをする。
 
東:面倒だな、これは。
矢口:だからこそ長官か総理が直ちに会見を開くべきです。
森戸:とはいえ、発生源は特定できず、先の生物との関連性も不明なままの公式発表は、いたずらに不安をあおることになります。
赤坂:行政が避難指示を出す線量値でもない。すぐに政府が動く法的根拠もありません。
矢口:しかし、いくら軽微とはいえ、放射性物質の案件です。
東:そうだな。私がやろう。総理には話しておく。
 
 一方、現場で回収された放射性物質の分析結果について以下のやり取りがあった。
 
根岸:現場で回収された放射性物質の分析結果です。検出されたガンマ線の波長が既存のそれと一致しません。大発見ですよ。ゴジラでしたっけ? その体内には未知の新元素が存在しています。
赤坂:DOEも絡んだ米国の素早い動きはこれが事由か。総理に連絡だ。
 
 報告を受けた総理は「放射能とはまた面倒な話だ。で…どこまで言っていいんだ?」とした後で記者会見を開き、「ゴジラの通過経路で回収された物質を分析した結果、被災地付近で 0.5 マイクロシーベルトという…」と発表する。
 巨災対ではゴジラへの対処が以下のように検討される。
 
立川:そういえば、先の上陸時、なぜ急に東京湾に戻ったんだ?
間:そうか! 冷えてないんだ。ゴジラはおそらく体内に原子炉のようなシステムを有していて、背びれ等から常時放熱をしてる。だが、それは余熱調整の補助で、メインは血液流を冷却機能としてる可能性が非常に高い!
安田:だから最初の形状変態時は体温調整がまだうまく働かず、一時的に退化し海中に戻ったと推測できます。
根岸:そこから考えられる即応可能な唯一の対処方法が、体内冷却システムの強制停止です。
尾頭:停止されると、ゴジラは生命維持のため自ら反応炉をスクラム状態にせざるを得ないと思われます。その過程で急速な冷却を必要とするので、死に至るかは不明ですが、少なくとも活動の凍結は可能です。
町田:そのための血液凝固促進剤の経口投与の可能性を提案すべきと考えます。
 
 ゴジラの出自について、アメリカ大統領特使のカヨコ・アン・パタースンが巨災対メンバーに対して「太古から生き延びた海洋生物が奇跡的に生きながらえていた生息地域に、偶然大量の放射性廃棄物(10)が海中投入され、その影響下で生き残るため放射線に耐性を持つ生物へと急速に変化した」と説明がなされた。水爆実験と不法投棄された放射性廃棄物という違いはあるものの「人の手によって生み出されてしまった放射性因子を帯びた怪獣」という点は第1作と同様であった。
 鎌倉に第4形態が出現した際、政府内では以下のような検討がされた。
 
葉山:配付資料にある通り、攻撃に際し、体内の放射性物質の拡散等のリスクが存在しますが、再び首都蹂躙を許すわけにいかず、ここは進行阻止を優先すべきと考えます。
河野:ゴジラは放射性物質が補給源と聞く。もしも原子力関連施設を襲われたら、ゴジラより大変なことになる。
 
 攻撃開始前、現場指揮官は「目標は体内に放射性物質を有している。よって攻撃は頭部と脚部のピンポイントのみとする。改めて全部隊に徹底させろ」と指示する。
 東京に侵入しゴジラは甚大な被害をもたらすが、その状況は以下のように伝えられた(いずれも音声のみ)。
 
アナウンサー:高い放射線量が予想されます。都民の皆さんは発生時から49時間は屋内 待機…
自衛官:ゴジラはどれほどの放射性物質を東京に放出したんだ。
機動隊員:そっちにホットスポットが確認されている。バリケードテープの右に入らないように。
都庁担当者:サーベイ対象者が多すぎる。隔離の基準数値を下げないと現場がもたない。
消防庁職員:二次災害が起こる恐れがある。防護服のない救援隊は災害現場に入らないように。
 
 立川の臨時災害対策本部に着いた矢口らは、以下のようなやり取りをする。
 
職員:この先の風評被害は想像もつかない。報道への対応を急いでくれ。
矢口:とにかく情報をくれ。あるだけでいい。今ゴジラはどうなってる?
泉:今も活動停止したまま。停止の理由は目下のところまるで不明だ。
矢口:放射線量の状況は?
泉:原子力規制庁は何とか被害を免れた。今、都内のサーベイでてんてこ舞いだ。ゴジラの方は口から微量の放射性物質を今も出しているが、この程度なら問題ないらしい。
久松:ゴジラによるブルームは房総沖に抜けたそうですが、かなりの広範囲に高濃度な汚染が…。
矢口:直撃を受けた都内3区は帰還困難区域となる恐れがある。除染の問題も大きくなるだろう。
 
 活動を停止しているゴジラを監視する自衛官の間で、以下のようなやり取りがあった。
 
士長:空間放射線量はほぼ動きがないですね。0.8 から1シーベルト付近で安定しています。
二曹:寝相はいいんだな。
小隊長:その分、腹にエネルギーをためてるってことだ。
 
 アメリカから派遣された科学者たちが、ゴジラが飛翔体に進化する可能性もあることが明らかになると「その時は人類の終わりだ。その前に、人類の叡智の炎を使うしか救いの道はない」として、核兵器の使用を大統領に進言する。それを受けて、矢口とカヨコが以下のような会話を交わす。
 
カヨコ:ワシントンで国防長官が Godzilla…いえ、ゴジラの処分に熱核兵器を使用すべきと主張している。
矢口:ホワイトハウスの動向は?
カヨコ:西海岸へのゴジラ上陸の可能性が13%というレポートが大統領に上がった。国連大使は安保理に対して、対ゴジラ専門の多国籍軍の設置工作を始めたそうよ。
矢口:米国は本気か?
カヨコ:本気ね。横田と本国の研究チームが、弾道ミサイルによる核攻撃しか術がないとの結論を出した。ペンタゴンは既にB83核弾頭の爆発規模選定と、有効な爆発高度設定のチームが動いているそうよ。
矢口:このまま東京で使う気か?
カヨコ:私に即時退去命令が出た。
矢口:そうか。その可能性が高い…ということだな。
カヨコ:だからこそ今は戻らない。祖母を不幸にした原爆を、この国に3度も落とす行為を、私の祖国にさせたくないから。
 
 多国籍軍の核攻撃決定を受けて、赤坂と矢口は以下のような会話を交わす。
 
赤坂:熱核兵器の直撃。数百万度の熱量に耐えられる生物はいない。確実に駆除するなら核攻撃は正しい選択だ。
(中略)
赤坂:それに巨大不明生物の核攻撃を容認すれば、復興時の全面的支援を世界各国から約束される。巨大不明生物を確実に処理できなければ、日本は世界の信用を失う。多国籍軍の核攻撃に頼るしかない。巨大不明生物を消した後の日本のことを考えるのが私の仕事だ。
矢口:今なら東京3区の被害で済みます。まだ東京の復興は可能です。核を使えば、それも難しくなります。
赤坂:既に東京の経済機能はないに等しい。円も国債も株価も暴落し続ける現状では、復興どころかデフォルトの危機にさらされている。日本には国際社会からの同情と融資が必要だ。
矢口:国の復興が最優先ですか…。
赤坂:この国を救う道は他にはない。
 
 赤坂はまた、360万人の疎開ということや、東京都知事が反対していることに対しては「国の重要決定事項だ。自治体レベルの話じゃない」と一蹴。「巨大不明生物が活動を再開した時点で、熱核攻撃の開始時刻は無条件に繰り上がる。その時は犠牲者もやむを得ないとし、速やかに戦略原潜の弾道弾による熱核攻撃を開始するというのが安保理と多国籍軍の決定だ」とし、「遠いアジアの出来事だからって無茶苦茶言いやがる!」と悔しがる官僚に対して、「たとえここがニューヨークであっても、彼らは同じ決断をするそうだ」と返す。
 ゴジラを凍結させる「ヤシオリ作戦」の開始前に、矢口は「今回のヤシオリ作戦遂行に際し、放射線流の直撃や、急性被曝の危険性があります。ここにいる者の生命の保証はできません。だが、どうか実行してほしい」と訓示した。作戦実行直前、現場では以下のようなやり取りがあった。
 
丹波:対策副本部長。こちらはいつでも行けます。
甲斐:しかし、都庁から避難完了の報告がまだです。
矢口:いえ、この機は逃せません。決行します。自治体には屋内待機を徹底してください。丹波一佐お願いします。
丹波:分かりました。関東地区の各自治体に連絡。以降50時間の一切の外出自粛と、全住民の屋内待機を要請。
 
 また、作戦実行中には以下のようなやり取りがある。
 
根岸:新たな汚染区域が拡大しています。
丹波:副本部長。積線量が予定値を超えます。
矢口:今やめたら、すべてが無駄になります。このまま攻撃を続行してください。
甲斐:ゴジラブルーム、予想値の 2倍を超えます。
丹波:ひるむな!耐えるしかない。
 
 最終的に「ヤシオリ作戦」は成功する。その後、巨災対では以下のようなやり取りがあった。
 
尾頭:あの。このサーベイデータを見てください。
間:ああ。ゴジラの新元素、半減期が20日程度だったのか。
森:これだと 1 ヶ月で半分以下。2~3 年でほとんど影響がなくなる。
尾頭:ええ、これで都内の除染に光明が見えます。よかった。
 
 そして、現場では自衛隊員が作戦に使用した車両の除染作業を続けているのであった。
 
                                         おわりに
 ここまで、ゴジラ映画29作品について、登場人物の台詞や場面で原子力に関連したものを可能な限り詳細に抜き出してきた。紙幅の都合上、映画のどの場面で、あるいはどのような文脈で登場した台詞や場面なのかが明記されていないケースが少なからずある。今回は、あくまでも核兵器や原発、放射能といったものが、どのような形で取り上げられたのかという点に絞って検証しているため、そのメッセージ性や効果の分析は別の機会に譲るものとする。
 まず第1期においては、第1作を除いた14作品では「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」で示した以下のようなパターンで原子力が描かれていたことが、改めて確認できた。
①核実験の実施を伝える、あるいはそれを批判する。
②ゴジラや怪獣、外敵に対して核兵器の使用が検討される。
③ゴジラの存在を放射能の有無で探知する。
④危険地域などに入った際に放射能の有無を確認する。
 この時期の日本社会は、原子力の「平和利用」に明るい未来を見出す風潮が強かったはずなのだが、映画の中で原子力を肯定的に捉えた描写は第3作、第8作以外にほとんど見られなかった。
 第2期は、原発の登場が最大の特徴である。特に1986年に起きた旧ソ連チェルノブイリ原発事故後の第17作以降の作品では、原発事故あるいはゴジラが原発を襲うという設定や場面が見られるようになる。もっとも、原発についての是非、あるいは原発への問題提起はほとんどなかった。そして、第1期では不明であったゴジラの食性が、第16作で明らかにされてからは、「エネルギー源として核物質を吸収する」という前提でゴジラは原発や原子力潜水艦を襲撃するようになった。のみならず、ゴジラの体内構造も原子炉と同様のものとされ、第1期(第1作と言った方が良いかもしれない)では「水爆大怪獣」であったゴジラが、第2期では原発を象徴する怪獣というイメージに置き換えられていった。高橋敏夫は「『水爆大怪獣』はゴジラのほんの一部をいいあらわすにすぎない。ゴジラは戦後日本社会における諸問題の束であり、それゆえに『大怪獣』なのである」(11)と述べている。第1期、特に前半のゴジラが「核実験(核兵器)」の恐怖を体現していたとするならば、第2期のゴジラは「原発事故」の恐怖を体現していたと言えよう。
 第3期に入ると、原子力関連の描写は極端に少なくなっていく。前出・高橋は「ゴジラの存在感は映画のたびに確実に希薄化しつづけていた。1984年からはじまった新ゴジラシリーズでそれは著しかった。新しい映画の目玉はゴジラではなく、つぎつぎに登場する『VS怪獣』または『対ゴジラ兵器』であった」(12)と述べている。それでも何かしらの描写を通してゴジラを原子力と結び付けていた第2期と違い、第3期は「ゴジラと原子力」という点ではまさにこの分析通りに、ゴジラの存在感は希薄化していたのであった。そして、この分析に従ってゴジラと原子力との結びつきを考えた場合、ゴジラが単体で登場する第1作、第16作、そして第29作を詳細に比較検証する必要性が、今後の課題として見えてくる。
 ところで、ゴジラ以外の特撮映画も詳細に検証している前出・好井は「『ゴジラ』(13)では、誰に対して、どこに対しての怒りかは曖昧さが残るものの、反原水爆、反戦のイメージが明瞭であった。その後 1950 年代後半の特撮映画では〝反〟というメッセージが希薄になり、世の中に起こりえない怪異や異常をもたらす〝わけ〟として原水爆イメージが利用されていた。
 それは1954年3月に起きた第五福竜丸事件を想起させる、被曝の現実や原水爆実験とどこかで繋げておこうとするリアルな恐怖としての原水爆イメージの喚起だったのである」(14))と述べている。確かに、反原水爆や反戦のメッセージのために原子力描写がなされているのは第1作のみであった。第28作までのゴジラは、映画の中に直接の描写がなくても、その出自が水爆実験であることが前提になってはいた。だが「リアルな恐怖としての原水爆イメージ」、その上で原水爆への怒りをも喚起できるのは第1作だけである。「水爆大怪獣」の称号は第1作のゴジラのみに与え得るものなのかもしれない。
 最後に、第29作について触れておきたい。この映画のキャッチコピーは「現実(日本)VS虚構(ゴジラ)」であったが、その言葉通り、ゴジラ以外は全て「現実」が描かれていた。登場する政府組織も巨災対を除けば全て実在のものであったし、使用される兵器も自衛隊やアメリカ軍が実際に保有しているものであった。ゴジラ攻撃に使用されたカヨコ・アン・パタースンの台詞に出てくる「B83核弾頭」は、アメリカが保有する最新型の核弾頭で、起爆高度が調整可能で空中爆発から地表面での爆発、地中貫入後の爆発などが設定できる典型的な戦術核兵器である。そして、ゴジラの出自は核実験ではなく、不法投棄された放射性廃棄物となっていた。
 この作品が、福島第一原発事故の影響を強く受けていることは明らかで、第2形態が多摩川河口を経て吞川を遡上する場面は東日本大震災における津波を想起させるものであったし、第4形態が放った放射線流による被害を上空から見た場面は、原水爆によるものには程遠くむしろ原発事故における放射能の拡散図を想起させるものであった。映画では「空間線量」「屋内待機」「ホットスポット」「風評被害」「帰還困難区域」「除染」などの言葉が次々と登場するが、どれも福島第一原発事故以前には一般的に耳にする機会が少なかったものばかりである。つまり、第29作は現在の日本の状況を極めてリアルに反映した作品に他ならない。
 それだけに、特に核兵器に関する描写が問題となってくる。
 第29作以前のゴジラ映画において、核兵器は「史上最強の兵器」であると同時に、「絶対に使ってはならないもの」として扱われてきた。第16作の旧ソ連による「誤射」を除いて、ゴジラや外敵に対して核ミサイルが発射されることは一度もなく、検討されることがあっても決して認められてはこなかった。だが、第29作では発射されることこそ食い止められたが、核ミサイル発射のカウントダウンが始められているのだ。第16作で、ゴジラに対する戦術核の使用を米ソが迫った際、三田村清輝首相は両国首脳に「もしあなた方の国、アメリカとソ連にゴジラが現れたら、その時あなた方は首都ワシントンやモスクワでためらわずに核兵器を使える勇気がありますか」と迫ったが、「両国首脳は納得してくれた」。しかし、第29作では同じようなシチュエーションで赤坂秀樹官房長官代理は「たとえここがニューヨークであっても、彼らは同じ決断をするそうだ」と言い放っている。約30年前と比較して、明らかに核兵器が使いやすい状況になっているのではないだろうか。
 実は、私はかつて「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」の最後をこう結んでいた。「もしこのままゴジラが子どもたちにとって単なる『人気怪獣』に終始し、そして時間とともにその世界からも姿を消していったとしたら…。近い将来、必ずゴジラは核戦争、あるいは巨大原発事故に姿を変えて現実の世界を襲うことになるであろう。ゴジラが、今も私たちの身近に在ることを決して忘れてはならないのだ」(15)。悲しいかな、後者は現実のものとなってしまったが、このままではいつか前者も実際に起こってしまうかもしれない。近年の核兵器をめぐる国際情勢をみていると、それは決して杞憂ではないはずだ。
 第29作は、ゴジラに向けた核ミサイル発射のカウントダウンは「一時中断」で、万が一活動を始めた際には再開するという設定だ。主人公の矢口蘭堂が、東京駅前で凍結したゴジラを見据えて「事態の収束にはまだ程遠いからな」と言って映画は終わる。この言葉は今の日本、そして世界の状況を端的に表してはいまいか。事故を起こした福島第一原発は、まさに収束には程遠い状況であるし、核廃絶に至っては全く展望が見えないという現実に私たちは生きているのだ。私たちは改めて、ゴジラと向き合うことが求められているのである。
                                                 (文中敬称略、引用は原文のまま)
 
【脚注】
(9)佐藤健志『震災ゴジラ 戦後は破局へと回帰する』(VNC、2013)P2
(10)世界各国によって不法に投棄されたものという設定。
(11) 高橋敏夫『ゴジラの謎 怪獣神話と日本人』(講談社、1998)P55
(12)高橋・前掲書P39
(13)1954年公開の第1作
(14)好井・前掲書P223
(15) 西尾・中村・伊藤・前掲書P183
 
【引用・参考文献および資料】(著者50音順)
・青井邦夫他『初代ゴジラ研究読本』洋泉社、2014
・赤坂真理他『「シン・ゴジラ」をどう観るか』河出書房新社、2016
・赤坂憲雄『ゴジラとナウシカ』イースト・プレス、2014
・和泉正明『公理的ゴジラ論』アートン、1998
・ウィリアム・M・ツツイ『ゴジラとアメリカの半世紀』中公叢書、2005
・小野俊太郎『ゴジラの精神史』彩流社、2014
・小野俊太郎『新ゴジラ論 初代ゴジラから《シン・ゴジラ》へ』彩流社、2017
・柿谷哲也『シン・ゴジラ機密研究読本』富士見書房、2017
・笠井潔『テロルとゴジラ』作品社、2016
・片山杜秀『ゴジラと日の丸』文藝春秋、2010
・加藤典洋『さようなら、ゴジラたち 戦後から遠く離れて』岩波書店、2010
・川北紘一監修『僕たちの愛した怪獣ゴジラ』学習研究社、1996
・倉谷滋『ゴジラ幻論 日本産怪獣類の一般と個別の博物誌』工作舎、2017
・クリストフ・フィアット『フクシマ・ゴジラ・ヒロシマ』明石書店、2013
・小林豊昌『ゴジラの論理』中経出版、1992
・佐藤健志『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』文藝春秋、1992
・佐藤健志『さらば愛しきゴジラよ』読売新聞社、1993
・佐藤健志『震災ゴジラ 戦後は破局へと回帰する』VNC、2013
・世秋恭之介『あるゴジラに関する報告』文芸社、2001
・高橋誠一郎『ゴジラの哀しみ 映画《ゴジラ》から映画《永遠の0》へ』のべる出版、2016
・高橋敏夫『ゴジラの謎 怪獣神話と日本人』講談社、1998
・高橋敏夫『ゴジラが来る夜に 「思考をせまる怪獣」の現代史』集英社文庫、1999
・宝田明『ニッポン・ゴジラ黄金伝説』扶桑社、1998
・宝田明『銀幕に愛をこめて ぼくはゴジラの同期生』筑摩書房、2018
・但馬オサム『ゴジラと御真影 サブカルチャーから見た近現代史』オークラ出版、2009
・田中友幸他『ゴジラ・デイズ ゴジラ映画40年史』集英社、1993
・中沢健『平成特撮時代 新時代のゴジラ、ガメラ、ウルトラマン&仮面ライダー』洋泉社、2017
・長山靖生『ゴジラとエヴァンゲリオン』新潮新書、2016
・西川伸司『ゴジラ狂時代』復刊ドットコム、2016
・花田俊典『沖縄はゴジラか 〈反〉オリエンタリズム/南島/ヤポネシア』花書院、2006
・ピーター・ミュソッフ『ゴジラとは何か』講談社、1998
・別冊映画秘宝編集部編『ゴジラとともに』洋泉社、2016
・別冊宝島編『ゴジラ完全解読』宝島社、2014
・本多猪四郎『「ゴジラ」とわが映画人生』実業之日本社、1994
・本多きみ『ゴジラのトランク 夫・本多猪四郎の愛情、黒澤明の友情』宝島社、2012
・藤田直哉『シン・ゴジラ論』作品社、2017
・ましこひでのり『ゴジラ論ノート 怪獣論の知識社会学』三元社、2015
・ミック・ブロデリック編『ヒバクシャ・シネマ』現代書館、1999
・未来防衛研究所『ゴジラ対自衛隊』銀河出版、1998
・八本正幸『ゴジラの時代』青弓社、2014
・山口理『ゴジラ誕生物語』文研出版、2013
・山本昭宏『核エネルギー言説の戦後史 1945-1960』人文書院、2012
・山本昭宏『核と日本人 ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』中公新書、2015
・好井裕明『ゴジラ・モスラ・原水爆 特撮映画の社会学』せりか書房、2007
 

(弁護士・金原徹雄のブログから/伊藤宏さん関連)
2016年10月25日
2017年1月17日
2017年1月27日
2017年1月28日
2017年7月14日
2017年11月13日
2018年2月22日
2018年4月14日
2018年5月1日
2018年5月4日
2018年11月19日
2019年3月17日

伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラ映画における原子力描写-核兵器と原発はどのように捉えられてきたか-」を読む(前編)

 2019年3月17日配信(予定)のメルマガ金原.No.3408を転載します。
 
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラ映画における原子力描写-核兵器と原発はどのように捉えられてきたか-」を読む(前編)
 
 私のブログでは、和歌山信愛女子短期大学教授の伊藤宏先生がライフワークとして研究を続けておられる「ゴジラ」に関する論文を、伊藤先生のご厚意により、過去2回にわたってご紹介しています。
 1つは、2005年に刊行された論文集『子どもへの視点』(聖公会出版)に収録された「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと-映画に描かれた「原子力」を読み解く-」、もう1つは、本務校の紀要(『信愛紀要』2018年第59号)に掲載された「ゴジラが伝える日本国憲法の意義-平和・反核・民主主義-」です。いずれも、前後編に2分割してブログに掲載しました(巻末リストをご参照ください)。
 
 ところで、昨年(2018年)11月17日、和歌山市相坂の和歌山信愛女子短期大学セシリアホールにおいて、同大学の公開講座として、伊藤宏先生による講演「ゴジラと原子力~映画に描かれた原水爆と原発~」が行われ、伊藤先生の素晴らしいゴジラコレクションが演台の前に展示されるという得難い環境の中、聴講させていただきました。
 その際も相当に詳しいレジュメが参加者に配られていたのですが、伊藤先生のお話では、この講演をベースとした新たな論文を執筆中であり、完成したら送ってくださるということでしたので、楽しみにお待ちしていたところ、昨日、『信愛紀要』の最新号が発行されたということで、最終稿をお送りいただくことができましたので、早速、今回も前後編の2回に分載してご紹介することにしました。
 今回の論文の構成は以下のとおりとなっています。
 
はじめに
1.強烈な反核メッセージを備えた第1 作
2.第1期前半における原子力描写
3.第1期後半における原子力描写
4.第2期における原子力描写
5.第3期と『シン・ゴジラ』における原子力描写
おわりに
 
 そこで、「はじめに」から「3.第1 期後半における原子力描写」までを前編、「4.第2 期における原子力描写」から「おわりに」までを後編として掲載しました。
 
 なお、今回の論文のベースとなった時期区分については、基本的には、好井裕明氏による分類に準拠し、「第1期は、1954年の第1作から1975年の『メカゴジラの逆襲』まで。1984年12月に『ゴジラ1984』で復活し、1995年12月の『ゴジラ vs デストロイア』までが第2期。1999年12月の『ゴジラ2000ミレニアム』から『ファイナルウォーズ』までが第3期」とした上で、「第1期については、ゴジラが人類の脅威として描かれた第5作までを前半、ゴジラが人類の味方として描かれた第6作以降を後半」とし、2016年の『シン・ゴジラ』については、第3期と併せて検討を加えるという構成になっています。
 
 それでは、早速、伊藤宏先生による最新紀要論文「ゴジラ映画における原子力描写-核兵器と原発はどのように捉えられてきたか-」をお読みください。
 
 なお、今回の論文では、1954年の第1作『ゴジラ』から、2016年の第29作『シン・ゴジラ』までが研究の対象とされ、2017年以降に公開されたアニメーション版や、間もなく日本でも新作が公開されるハリウッド版などは対象外となっています。
 そこで、ご参考までに、アニメ版を除く日本版ゴジラ29作品のタイトル、制作年、監督名を、ウイキペディアの「ゴジラ映画作品の一覧」から抜き出してご紹介しておきます。
 
第1作『ゴジラ』(1954年)本多猪四郎
第2作『ゴジラの逆襲』(1955年)小田基義
第3作『キングコング対ゴジラ』(1962年)本多猪四郎
第4作『モスラ対ゴジラ』(1964年)本多猪四郎
第5作『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)本多猪四郎
第6作『怪獣大戦争』(1965年)本多猪四郎
第7作『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966年)福田純
第8作『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)福田純
第9作『怪獣総進撃』(1968年)本多猪四郎
第10作『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(1969年)本多猪四郎
第11作『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)坂野義光
第12作『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』(1972年)福田純
第13作『ゴジラ対メガロ』(1973年)福田純
第14作『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年)福田純
第15作『メカゴジラの逆襲』(1975年)本多猪四郎
第16作『ゴジラ』(1984年)橋本幸治
第17作『ゴジラvsビオランテ』(1989年)大森一樹
第18作『ゴジラvsキングギドラ 』(1991年)大森一樹
第19作『ゴジラvsモスラ』(1992年)大河原孝夫
第20作『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)大河原孝夫
第21作『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994年)山下賢章
第22作『ゴジラvsデストロイア』(1995年)大河原孝夫
第23作『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)大河原孝夫
第24作『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(2000年)手塚昌明
第25作『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)金子修介
第26作『ゴジラ×メカゴジラ』(2002年)手塚昌明
第27作『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)手塚昌明
第28作『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)北村龍平
第29作『シン・ゴジラ』(2016年)樋口真嗣、庵野秀明(総監督)
 

 
                              ゴジラ映画における原子力描写
                     -核兵器と原発はどのように捉えられてきたか-
 
                   Atomic energy description in the Godzilla movie
 -How have the nuclear weapon and the nuclear power generation been taken?-
 
                                                              伊藤 宏
                                     Hiroshi Itou
 
                                          要 約
 本稿は、「水爆大怪獣映画」として1954年に公開されて以来、日本を代表するキャラクターとなったゴジラの映画シリーズを素材に、映画の中に登場する原子力描写の変遷を通して、日本社会が原子力関連技術をどのように捉えてきたのかを検証するものである。2016年に公開された『シン・ゴジラ』までの全29作(1)において、原子力に関する描写がほとんどない作品が数作あるものの、ゴジラは何かしらの形で原子力と結びつけられ、核兵器あるいは原発などの原子力施設がそれと関連して描かれてきた。ゴジラの出自や体内構造、そして原子力、とりわけ「核」に関するストーリー上の対応などを辿っていった結果、初公開から60年余りの歳月を経る中で、時代背景を反映しながら原子力に対する社会の認識が大きく変化したことが明らかとなった。それと同時に、「核」をめぐって国際社会、そして日本社会が非常に危険な状況に置かれているという現状認識を得ることができた。
 
                                          はじめに
 ゴジラ映画における原子力描写について、私は2005年に「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと・映画に描かれた『原子力』を読み解く」(2)で一度検証をしている。そこでは第1作から第28作を対象とし、第1作こそ原子力についてのメッセージが凝縮されていたが、それ以降のゴジラ映画、特に第5作目以降は何度か第1作への回帰が試みられたものの、結果的には「お子様ランチ化」し「シリアスな大人向け恐怖映画として出発したゴジラが、子供だましの怪獣プロレスへと凋落してゆく過程」(3)から逃れられなかったことにポイントを置いた分析をした。執筆から14年近く経ったが、2006年には朝鮮民主主義人民共和国が初めて核実験に成功、また2011年には東日本大地震・大津波によって福島第一原発が史上最悪の事故を起こすなど、この間に原子力をめぐる状況は大きく変化している。そしてゴジラ映画も2016年、第28作『GODZILLA FINAL WARS』以来12 年ぶりとなる、第29作『シン・ゴジラ』が公開されて大きな話題を呼んだ。また、ゴジラを対象とした研究論文や著作も、2005年以降に数多く発表されている。それらにおける、ゴジラと原子力との関係に触れた知見には、私が見落としていた視点などが含まれていた。そこで、「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」では割愛した部分を含めて、改めて全29作のゴジラ映画における原子力描写を検証し、その変遷を確認することが必要であると考えた。2005年の論考では、子ども達へのメッセージ性を前提として描写を抽出していったが、本稿では原子力に関連した登場人物の台詞や場面を可能な限り詳細に抜き出していく。なお、『シン・ゴジラ』以降、2017年から2018年にかけてアニメーション版の『GODZILLA』3部作が公開されているが、今回は実写版のゴジラ映画に限定し、それら3作品は対象から除外した。また、これまでに公開されたハリウッド版のゴジラ映画(1998 年公開のローランド・エメリッヒ監督『Godzilla』と、2014年公開のギャレス・エドワーズ監督『Godzilla』)も、本稿における対象からは除外した。
 
                        1.強烈な反核メッセージを備えた第1作
 第1作における原子力描写については、「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」や「ゴジラが伝える日本国憲法の意義-平和・反核・民主主義-」(4)で、ほぼ完全に抽出してきた。そこで本稿では、主演をレイモンド・バーとしてテリー・モース監督によって追加撮影が行われ、再編集された上で1956年にアメリカで公開された『Godzilla, King of the Monsters!』(5)をオリジナルと比較するという手法で、改めて第1作に込められた反核メッセージの強さを明らかにしていきたい。
 『Godzilla, King of the Monsters!』は、アメリカの新聞記者スティーブ・マーティンがカイロへ行く際に、友人の芹澤博士に会うために立ち寄った東京でゴジラに遭遇し、その体験を回想して語るストーリーになっている。それだけではなく、オリジナルの中で特に反米・反核を意識させるような場面はことごとくカットされているばかりか、使用する映像も順番が相当に入れ替えられていた。『Godzilla, King of the Monsters!』は、1957年に日本語字幕をつけて『怪獣王ゴジラ(海外版)』として公開されたが、吹き替えられた台詞を確認すると、オリジナルとは異なる箇所が多く見られる。当時の日本映画の海外契約は、全てフィルムの買い取り形式であり、フィルムの編集権は売却先の興行側にあったとはいえ、映画としては全く別物と言ってよいぐらいの内容の作品に変えられていた。『Godzilla, King of the Monsters!』は、アメリカのみならず世界50か国で上映されて人気を呼び、ゴジラの名前を広めることになったが、海外の人々は当時、これを日本で制作された第1作『ゴジラ』(以下、この章ではオリジナルと記す)と受け止めていたわけである。
 ちなみに、オリジナルが忠実に吹き替えられてアメリカで公開されたのは、なんと2005年になってからのことであった。
 『Godzilla, King of the Monsters!』(以下、『海外版』)は焼け野原の東京が映し出されることから始まる。これは、オリジナルではゴジラが二度目の上陸で破壊の限りを尽くした終盤の場面だ。破壊された建物の一室で、瓦礫の中に倒れたマーティンの以下のようなナレーションから物語が始まる。「かつて人口600万を擁した都市、東京。その東京が想像を絶する破壊に見舞われ、今は廃墟と化した。東京を破壊し尽くした未知の力はまだ滅びることなく、いつ何時、他の国々をも襲うかもしれない。その姿を見た人も今はわずかしか生き残っていない。私はスティーブ・マーティン、アメリカの通信員だ。赴任地のカイロに行く途中、東京を訪れこの地獄に遭遇したのである」(6)。この後、救出されて救護所に運ばれるまでが、オリジナルの映像と新たに撮影された映像を繋ぎ合わせる形で描かれる。
 マーティンは山根博士とも旧知という設定で、救護所でボランティアをしている娘の恵美子を見つけ声をかける。この場面では、オリジナルに登場する恵美子と同じ服を着て、常に後ろを向いている女優(おそらくはアメリカの女優)が演じている。
 同様の手法は、後々の場面で山根博士や芹澤博士についても用いられた。また、恵美子の顔を正面からとらえたオリジナルの映像が使われた際には、恋人の尾形に「ええ、芹澤さんと約束したことがあるんです」と語っていたものに、「ええ、今、保安庁の人と会ってますわ」と全く異なるストーリーに合わせた台詞が英語でかぶせられていた。いわゆる「ボイス・オーバー」と呼ばれるものだ。この手法が全編にわたって多用されていることも、『海外版』の大きな特徴であろう。
 また、『海外版』では新たに撮影された場面や、吹き替えを施した場面以外は、音量が絞られてはいたものの、オリジナルの場面の音声がそのまま残されている。『海外版』において「相次ぐ遭難に対策を求める声が高まり、学者たちが招集された」という場面があるが、そこで用いられたオリジナルの映像はゴジラの存在が確認された後の場面であった。『海外版』では原因不明の状態であったはずなのに、「山根博士、率直に申し上げます。いかにしたらゴジラの生命を絶つことができるか。その対策を伺いたいのです」「それは無理です。水爆の洗礼を受けながらも、なおかつ生命を保っているゴジラを、何をもって…」という台詞がはっきりと残されている。アメリカで公開された際、日本語に堪能な観客であれば唐突に出てくる「ゴジラ」「水爆」という言葉に戸惑ったはずだ。この会話を「よく聞き取れないが…」とするマーティンに、同行していた海上保安庁の岩永は「博士が近くの島へ聞き込み調査に行け、と。現場水域に一番近いのは大戸島です」と通訳する。この際、オリジナルの映像では山根博士が「まずはあの不思議な生命力を研究することこそ…」と語っており、それがはっきり音声で確認できてしまうのだった。
 おおよそ、以上のような手法で制作された『海外版』であるため、作品の中の矛盾や明らかな誤り(巡視船「しきね」に乗船しているという設定であるのに、マーティンの背後の浮き輪には「かもめ丸」の表記があることなど)が数多く指摘することが可能だ。しかし、それは本稿の目的ではない。大きな問題は、原子力に関連した場面について、カットや吹き替えが顕著であったことである。時には、オリジナルとかけ離れたような吹き替えも頻繁に登場している。以下、その中でも特に大きな変更部分を挙げておく。
 『海外版』は「飛行機で日本に向かっていたのは、ほんの数日前だ…」というナレーションから、マーティンの回想が始まる。機中でくつろぐマーティンが描かれるが、「そしてその同じ頃、1 万フィート下の海で、文明の土台を震撼させる事件が起きていた」というナレーションと共に、オリジナルの冒頭の場面、つまり最初に日本の貨物船が沈没する場面が、ようやく登場する。この場面はほぼオリジナルのまま使用されているが、一つだけ手が加えられていた。オリジナルでは海面が白く盛り上がっていく際、効果音は雷鳴のような爆発音のみであったが、『海外版』ではゴジラの咆吼と足音が加えられている。これは私の推測だが、オリジナルのままではこの時点で水爆以外に連想できないため、ゴジラの咆吼などを加えることによって沈没の原因が怪獣であることを強調したかったのではないだろうか。
 次に大きく手が加えられていたのは、大戸島の調査でゴジラと遭遇した山根博士が、国会で報告する場面だ。オリジナルでは、「おそらく、海底の洞窟にでも潜んでいて、彼らだけの生存を全うして、今日にまで生きながらえておった。それが度重なる水爆実験によって彼らの生活環境を完全に破壊された。もっとくだいて言えば、あの水爆の被害を受けたために、安住の地を追い出されたと見られるのであります」とし、「ガイガーカウンターによる放射能検出定量分析によるストロンチウム90の発見。つまり、ゴジラに付着していたこの砂の中に、水爆の放射能を多量に発見することができたのであります。これらの物的根拠からして、ゴジラも相当量の水爆放射性因子を帯びているとみることができます」と、ゴジラが水爆実験によって生み出された怪物であると断定している。だが『海外版』の同場面での山根博士の発言は「極めて稀な自然現象によって再現した可能性も考えられますが、今までそんな例は一度もありません。足跡に残った放射能を分析すると、水爆から発生するストロンチウム90が見つかり、ゴジラの復活は度重なる水爆実験の所産かと思われます」と吹き替えられている。
 オリジナルではこの後、「あのゴジラなる代物が水爆実験が生んだ落とし子であるなどという…」「その通り!その通りじゃないかっ!」「そんなことをだ。そんなことを発表したら、ただでさえうるさい国際問題がいったいどうなるか」「事実は事実だ!」「だからこそ重大問題である。軽率に公表した暁には、国民大衆を恐怖に陥れ、ひいて政治、経済、外交まで混乱を引き起こし…」というように、政治家同士の激しい応酬が描かれている。また、ゴジラの存在が公表された後、電車の中での男女の会話として「いやね。原子マグロだ、放射能雨だ…そのうえ、今度はゴジラときたわ。もし東京湾へでも上がり込んできたら、いったいどうなるの?」「まず真っ先に君なんか狙われるクチだね」「いやなこった。せっかく長崎の原爆から命拾いしてきた大切な身体なんだもの」という場面があるが、いずれも『海外版』では全てカットされている。
 紙幅の関係上、ここで詳細は述べられないが、「オキシジェンデストロイヤー」の開発や使用をめぐって苦悩する芹澤博士を描く場面も大幅にカットされるか、台詞が変更されていた。
 例えば、芹澤博士の「もしも一旦このオキシジェンデストロイヤーを使ったら最後、世界の為政者たちが黙って見ているはずがないんだ。必ずこれを武器として使用するに決まっている。
 原爆対原爆、水爆対水爆、その上さらにこの恐怖の武器を人類の上に加えることは、科学者として、いや一個の人間として許すわけにはいかない。そうだろう?」というオリジナルの台詞は、『海外版』では「だが、これが悪人の手に渡ったらどうなる」というだけの台詞に吹き替えられている。山本昭宏は「ゴジラの最期にも、当時の核兵器に関する意識が投影されている。(中略)新兵器を開発した科学者は、この兵器が悪用されるのを防ぐために設計図を焼き、さらに自らの脳内に残る設計図を破棄するために、『ゴジラ』とともに海に消えるのである。
 新兵器の使用と廃絶を同時に描いたラスト場面には、核兵器への批判と廃絶の祈念が込められている」(7)としているが、芹澤博士の台詞が大幅にカットされた『海外版』からはそれを読み取ることはできなくなっていた。
 そして極めつけは、オリジナルにおいてテーマの集約とも言える、ラスト場面における山根博士の台詞の扱いであった。
 オキシジェンデストロイヤーによってゴジラを葬った後の船上で、山根博士は「あのゴジラが最後の 1 匹だとは思えない。もし水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また世界のどこかへ現れてくるかもしれない」と語るのだが、『海外版』ではこの部分は丸ごとカットされている。「ゴジラは死にました。これからは国土の再建です」というニュースのアナウンスが流れ、その後の尾形と恵美子のやり取りは描かれているのだが、最後はマーティンの「脅威は去った。偉大な男も。そして地球は救われた」というナレーションで映画は終わる。『海外版』において変更が加えられた部分は、そのほとんどがオリジナルで主張された反核のメッセージに関わるものであった。『海外版』が公開された 1956年当時は、オリジナルを忠実に吹き替えたものはアメリカでは到底、受け容れがたい内容だったことがわかる。裏を返せば、オリジナルに込められた反核のメッセージが、いかに強烈なものであったのかを改めて知ることができるのであった。
 
                             2.第1期前半における原子力描写
 ゴジラ映画には3つの区切りがあるとされる。好井裕明は「第1期は、1954年の第1作から1975年の『メカゴジラの逆襲』まで。1984年12月に『ゴジラ1984』で復活し、1995年12月の『ゴジラ vs デストロイア』までが第2期。1999年12月の『ゴジラ2000ミレニアム』から『ファイナルウォーズ』までが第3期だ」(8)としている。その区分にしたがって、原子力描写を抽出していく。なお第1期については、ゴジラが人類の脅威として描かれた第5作までを前半、ゴジラが人類の味方として描かれた第6作以降を後半と分けて検討することとした。
 961万人という観客動員数を得た第1作『ゴジラ』の大好評を得て、その翌年に第2作『ゴジラの逆襲』が公開された。これは前作の続編という形を取っているが、原子力関連の描写はごくわずかであった。それはゴジラともう一匹の怪獣を目撃した月岡正一と小林弘治の証言後の、以下のやり取りである。
 
田所:そうですか。そうすると山根さん。やはり我々の想像が的中したわけですね。あらゆる想像の中で最も悪い場合の想像が…。
山根:(うなずく)
総監:するとゴジラの他にもう一匹というのは?
田所: そうです。水爆実験がゴジラを呼び覚まし、今度はまたアンキロサウルスの眠りを覚ましたんです。
(山根博士がゴジラの東京襲撃の様子を収めたフィルムを一同に見せた後)
山根:今ご覧になりましたように、我々の武器、我々の知能を結集いたしましても、あの恐るべき放射性因子を帯びた凶暴なゴジラの行く手を阻むことは、できなかったのであります。
隊長:しかし先生、そのゴジラを一挙に抹殺したという…。
山根:そうです。オキシジェンデストロイヤー。あのゴジラを一瞬にして東京湾の海底に葬り去ったオキシジェンデストロイヤーも、その発明者、芹澤博士と共に今はなく、ゴジラ抹殺の手段は絶望と申すより仕方がないのであります。
総監:博士。ではゴジラは、あの一匹だけではなかったんですな。
山根:そうです。我々はそれを一番恐れておったのですが、今回は第2のゴジラと共に新たに出現したアンギラスの脅威。我々は今や、原水爆以上の脅威の下にあると申さねばなりません。
総監:しかし博士、何とか被害を最小限に…。
山根:そうです。今はそれだけしか考える道はありません。そのためには彼らの現在位置を確認して、上陸地点を予知すると同時に、付近住民を退避させ完全なる灯火管制を行う。それから、これは東京に上陸した際の状況などから判断して言えることですが、ゴジラは光に対して非常に敏感で、と言うより甚だしい激怒に燃える。それは、かつての水爆実験の記憶を呼び覚まされた結果かと想像されるのですが、光に対して不思議な習性を持っている。で、この習性を逆に利用する方法として考えられますことは、事前に照明弾でも投下してゴジラを遠く海上へおびき出す。ただ今のところ、甚だ消極的な対策しか考えられませんが、灯火管制だけは絶対に実施していただきたい。
 
 第2作の原子力描写は、ゴジラと、この作品で登場するアンギラスの出現などについて、水爆実験と結びつけて語られたこの場面のみである。
 約7年のブランクを経て1962年に公開された第3作『キングコング対ゴジラ』では、冒頭部分で、北極海に国連派遣の科学者を乗せて調査に向かう「原子力潜水艦シーホーク号」が、青白く光る氷山を発見した際に、以下のようなやり取りがある。
 
艦長:博士。あれは何です?
博士:チェレンコフ光のようです。
艦長:チェレンコフ光? 何ですか、それは?
博士:原子炉に発する光です。よく似ています。
乗員:艦長、ガイガー反応あり。
 
その後、シーホーク号が氷山と衝突した際には、
 
艦長:各部、異常知らせ!
乗員:機関部異常なし、原子燃料庫異常なし、水中潜望鏡破損…。
 
というやり取りがあり、さらに大破して遭難しかけた際には以下のようなやり取りがあった。
 
乗員:艦長。ガイガー異常反応あり。
博士:捜索隊が出ているはずです。彼らに頼るほかありません。
乗員:艦長!レーダー故障!
乗員:原子燃料庫破損!
艦長:遮断壁おろせ!
 
 その後シーホーク号は沈没し、氷山からゴジラが姿を現す。ゴジラ出現を報じる新聞記事には「ゴジラ本土に上陸か」「動物の帰巣本能」「重沢博士の予言」(東都日報)、「ゴジラ来襲は確実」「放射能に決め手なし」「水爆使用の問題」(関東新報)の見出しが並んだ。
 そして出現したゴジラへの対応をめぐって、以下のようなやり取りがある。
 
司令官:国連では、このままゴジラを放置しておくことは世界の破滅になる。よって世界平和のため水爆攻撃の計画を考慮してほしい、という声が起っているそうだ。
士官:いや、先に決定を見た埋没作戦と100万ボルト作戦があります。この結果を見てからでも決定はできます。
 
 一方、第3作では核兵器や放射能といった負のイメージだけではなく、藤田一雄が開発した新製品について「鋼よりも強く、絹糸よりもしなやか。原子力時代の繊維ですよ」と、原子力を肯定的に捉える描写もあった。第3作はゴジラ映画初のカラー作品ということ、また東宝創立30周年の記念作品ということもあって、ゴジラ映画シリーズ最高の1255 万人の観客動員数を得ている。
 1964年公開の第4作『モスラ対ゴジラ』では、まず酒井・三浦・中西が最初に小美人と遭遇した際、次のようなやり取りがある。
 
小美人:私たちインファント島から来たんです。どうか私たちの卵を返してください。
三浦:インファント島って、昔、原水爆実験で有名な南海の孤島でしょう。
小美人:そうです。
酒井:じゃ、あの静之浦の卵、君たちのもの?
小美人:ええ、モスラの卵です。
酒井:モスラ? 信じますか?
三浦:ううむ…
中西:でも話は聞くべきよ。ね、話してみて。
小美人:ありがとう。インファント島は昔の原水爆実験で見る影もなく荒れ果てた島になってしまったんです。そして、今度の台風で山津波のためにモスラの卵が海に流されてしまったんです。土の中で何年も何年も…やっと大きくなった卵です。荒れ果てた島に住む原住民にとっては、かけがえのない希望なのです。お願いです。どうか皆さんのお力で卵を返してください。
 
 また、台風被害の現場で酒井と中西が見つけた物質をめぐり、2人が三浦に呼び出された際、次のような会話が交わされた。
 
酒井:一体何のまねです、こりゃぁ?
三浦:放射能の洗浄だよ。
酒井:放射能?
三浦:うん。でも心配はないようだ。
酒井:冗談はよしてくださいよ。
三浦:冗談じゃないよ。君たちが持ってきたアレね…。
酒井:何か分かりました?
三浦:まだ分からん。すごい放射能を帯びているんだ。
 
 三浦が物質にガイガーカウンターを向けると強く反応する。その後、物質が見つかった干拓地に出向き周辺を検査するが、反応がない。放射能のマークがついた旗やボンベが運び込まれる。視察に訪れてその様子を見た議員との間で、以下のようなやり取りがなされる。
 
議員:君たちは何を検査しとるんかの?
(中略)
酒井:いやいや、今日は取材で来たんじゃないんです。
議員:じゃぁ、何な?
酒井:放射能の検出です。
議員:放射能じゃて? 原爆の実験場と違うぞ、ここは。おめぇたちはこの干拓地に、ケチをつけに来たのかい。
三浦:待ってください。学術的調査ですよ。
議員:学術的調査が何じゃい。ここは我が県が、宝の山にしようとしとる工業地帯だ。嫁入り前の娘にキズをつけるようなことせんといてもらいたいの。
酒井:いや、ケチなんかつけに来たんじゃないと言ってるでしょう。
議員:とにかく無断調査はお断りだ。
三浦:わかりました。帰ろう。
 
 その直後、干拓地の地面が動き、水蒸気のようなものが吹き出しゴジラが出現するが、その際に三浦がガイガーカウンターを向けると強い反応が出る。
 出現したゴジラへの対応として、モスラの力を借りることが提案され、酒井・中西・三浦は助けを求めるためにインファント島に向かう。上陸すると、そこには動物の骨などが散乱する風景が広がっていた。それを目にして3人は以下のような会話を交わす。
 
酒井:すごいなぁ。こんな所に人が住んでるんですかね。
中西:原水爆実験のためなんですか?
三浦:分かりやすく言えば、後遺症とも言えるのかなぁ。昔は全島緑の美しい島だったろうにね。
(ここで三浦が地面などにガイガーカウンターを向けると強く反応する)
中西:何だか私、責任感じちゃうわ。
三浦:人間なら当然ですよ。
酒井:しかし、原水爆禁止のかけ声も、近頃じゃ耳にタコっていう感じだが、こう目の前に見せつけられるとそうじゃないですなぁ。
(島の内陸に入り、改めて周辺を見渡した後)
しかし、本当に人が住んでいるんですかねぇ。
三浦:こんな所に住まなきゃならないなんて、残酷以上だなぁ。
 
 その後、島の住民と遭遇し、連れて行かれた先で長老との間で以下のような会話が交わされる。
 
三浦:実は、モスラの力を借りに来たのです。
長老:断る。モスラの力、貸せぬ。
三浦:しかし、我々の仲間がゴジラのために危機に陥っているんです。
長老:悪魔の火弄んだ報いだ。我々は知らん。昔、この島いいとこだった。平和な緑の島だった。それを、悪魔の火焚いたのは誰だ。神も許さぬ火焚いたのは誰だ。その日から、この島は受難の島になった。我々、この島以外の人間信じない。信じたばかりに、今まで背かれてばかりきた。モスラの卵、返さない。
 
 第4作と同年に公開された第5作『三大怪獣 地球最大の決戦』では、ゴジラとラドン、さらに宇宙怪獣キングギドラが出現したことを受けて、以下のようなやり取りがあった。
 
議員:ゴジラ、ラドンに加えて、またまたキングギドラの出現。一体、政府はこの事態に対して、いかなる対策を持っておられるか。防衛大臣ならびに総理の責任ある答弁をお伺いしたい。
防衛大臣:えー、防衛軍といたしましては、目下全力を挙げてゴジラ、ラドンの行動を厳重に監視しつつ、キングギドラに対しましては国際合同軍と緊密なる連絡のもとに、人力の及ぶ限りこれを速やかに撃滅いたすべく行動中でございます。
議員:言い訳を聞いているんじゃないぞ。
議員:どうして撃滅するのか、その自信があるのかないのかを聞いているんだ。
防衛大臣:問題は日本一国の問題ではございません。全世界の問題でございます。諸君はゴジラ、ラドンに対して核兵器を使用せよと言う勇気がございますか? もうこれ以上ご説明申し上げる必要もございますまい。ただただ、最後まで人力を尽くし天命を待つの心境でございます。
 
 最終的に、ゴジラとラドンはモスラの説得を受けて、3大怪獣が協力してキングギドラを撃退することになる。
 
                             3.第1期後半における原子力描写
 1965年に公開された第6作『怪獣大戦争』では、まず宇宙ロケットP-1号がX星に着いた際、富士が「放射能は?」と問い、グレンが「なし」と答える場面がある。また、X星人が指摘した明神湖にゴジラがいるかどうかを確認する際に自衛隊員の間で以下のようなやり取りがあった。
 
隊員:隊長!
隊長:何だ。どうした?
隊員:放射能がますます強くなってます。
 
 そして、そのことを伝える新聞記事には「明神湖々底に放射能・第一調査隊報告」「ズバリ当る、X星人の予言」「ゴジラ存在は確実」「ラドン発見も時間の問題か」という見出しが躍った。
 さらに、X星人が地球侵略の意図を明らかにし、ゴジラとラドン、キングギドラを操って降伏を迫ってきた際に、以下のようなやり取りがあった。
 
桜井:アメリカにキングギドラが現れたそうだな。何ということだ。
富士:どんどん情報が入ってます。で、防衛会議の結果は?
桜井:まだ出ない。防衛軍は現在地球が保有してる水爆を撃ち尽くしても、最後の抵抗を試みるべきだと言っとるがね。
富士:それじゃ放射能で我々の生存も難しいですね。
桜井:いずれにしても、前門の虎後門の狼というところだな。
 
 その後、地球側はゴジラとラドンをX星人のコントロールから取り返し、キングギドラを撃退した。
 1966年に公開された『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』では、レッチ島にある陰謀団「赤い竹」の基地に侵入した際、以下のようなやり取りがある。
 
吉村:さぁ来い! こっち! ここから逃げよう。
仁田:ダメだ、ダメだ。入るな!
吉村:どうした?
仁田:核融合室だ。驚いたな。ここは重水工場だぞ。
市野:重水って何だい?
仁田:核爆弾のもとだ。
 
 市野が「赤い竹」に捕まるなどした後、吉村たちが島の洞窟に眠るゴジラを発見した際には、以下のようなやり取りがあった。
 
仁田:ゴジラが生き返ったら、奴らはきっと慌てる。
吉村:いや、そりゃダメだ。
仁田:どうして? 奴らはこの島で密かに核兵器を作ってんだぞ。人類の平和をブッ壊そうとしてるんだ。
吉村:そりゃゴジラだって同じだ。
 
 結局、吉村たちはゴジラを蘇らせる。そしてゴジラの襲撃を受けた「赤い竹」は「全島爆破。核爆発、時限装置!撤退準備!」という決断をし、核爆発のカウントダウンが始まってしまった。吉村たちは爆発寸前にモスラによって救出される。ラスト場面では、爆発する島を見下ろして、次のような会話が交わされた。
 
吉村:これであの島も地図から消えたわけか。
仁田:しかし、原水爆の火は消えない。これからは使う人間の良心の問題だな。
吉村:何だか説教されているみたいだな。
 
 1967年に公開された第8作『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』では、ゾルゲル島における合成放射能ゾンデを利用した気象コントロール実験「シャーベット計画」をめぐって以下のようなやり取りがある。
 
楠見:シベリアのツンドラ、アフリカの大砂漠、南米のジャングル地帯。もちろん現在のままでは不毛の土地だ。しかし、気象コントロールによってそれらの土地を農地に変えることができれば、食糧危機は解決できる。
(中略)
真城:一つ分からんことがあります。そんなに意義のある実験を、なぜ秘密にするんですか?
楠見:分からんかね。悪用すれば地球を凍結させることだってできるんだ。その結果は、核兵器の使用と同じことになるだろう。
 
 その後、計画は実施されるが、1回目の実験では放射能ゾンデが予定高度より低い位置で爆発してしまい、島は「いまだ人類の経験したこともない、摂氏70度という異常高温の渦中に巻き込まれ」てしまう。その結果、島に棲息する大カマキリが巨大化するが、それについて楠見が「異常高温と合成放射性物質で、生体構造に変化をきたしたんだろう」と解説した。
 1968年に公開された第9作『怪獣総進撃』では、月ロケットムーンライトSY-3が何者かに占拠されたとみられる怪獣ランドに進入した際に、「放射能、亜硫酸ガス、その他異常なし」と確認する場面があったのみである。1969年に公開された第10作『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』では、オープニングのテーマソングの歌詞に「ゴーッ、ゴーッ、ゴジラは放射能。ミ、ミ、ミニラもボーッ、ボーッ、ボーッ」とあった以外、原子力関連の描写は全くなかった。
 1971年に公開された第11作『ゴジラ対ヘドラ』では、まずオープニングのテーマソングに
  水銀 コバルト カドミウム
  鉛 硫酸 オキシダン
  シアン マンガン バナジウム
  クロム カリウム ストロンチウム
  汚れちまった海 汚れちまった空
  生き物皆 いなくなって
  野も 山も 黙っちまった
という歌詞が登場する。また主人公の少年が書いた詩に、
  原爆 水爆 死の灰は 海へ
  毒ガス ヘドロ みんなみんな海へ捨てる
  おしっこも
  ゴジラが知ったら
  怒るかな
  怒るだろうな
というくだりがある。さらに、ヘドラが飛行体に変化した原因について、親子で次のような会話が交わされた。
 
矢野徹:研、核爆発って知ってるか?
矢野研:原爆や水爆のこと?
矢野徹:物質の原子が核分裂を起こして別の原子に変わる時、膨大なエネルギーを放出するんだ。宇宙には原爆や水爆どころか、太陽の何億倍もの大爆発が起こってる。
矢野研:バーン!すごいなぁ。
矢野徹:ヘドラは核爆発によるエネルギーで飛ぶようになったんだろう。金属で出来た宇宙生物だからね。放っておくと、どんな武器を備えるか分からない。
 
 1972年に公開された第12作『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』では、M宇宙ハンター星雲人が、次のように語るくだりがある。「全宇宙から見れば、君たちが住んでいるような星は1つではない。地球と同じ条件の星は他にいくらでもあるのだ。我々の住んでいたM宇宙の星もその1つだった。いや、地球よりもっと条件の良かった星だった。そして君たち人間と同じような動物が星を支配し栄えた。だが彼らの生命は20億年で死滅した。無謀な繁栄を追究したためにだ。もう1億年も前の話だが、大気は汚れ、酸素は欠乏し、鉛と放射能の星になった。言っても分からないだろうが、地球はそれと全く同じ道を歩いている」。そして、全ての戦いを終えたラスト場面で次のような会話が交わされた。
 
志摩マチ子:平和って、なかなか難しいものね。
志摩武士:科学が発達すると便利になるが、それだけ平和が遠のいていきそうだよ。
 
 1973 年に公開された第13作『ゴジラ対メガロ』では、冒頭に次のようなナレーションが流れる。「197×年、アリューシャン列島の外れの小島で、第2回地下核実験が行われた。その結果…」。次の瞬間、島が核爆発を起こす。さらにナレーションは「その核実験の影響は、遙か南の怪獣島にまで及んだ」と続き、怪獣島でゴジラたちが悶える様子が描かれた。また、シートピア海底王国のリーダーが「諸君。我がシートピア海底王国は、300 万年にわたって平和を守ってきた。その平和が、地上人の無謀な核実験で遂に破られたのだ。北地区は完全に壊滅してしまった。我々はシートピアを守るために、やむを得ず地上人と戦う決心をした」と演説する場面がある。
 1974年に公開された『ゴジラ対メカゴジラ』および1975年に公開された『メカゴジラの逆襲』では、原子力に関する描写はほとんどなく、後者の中でゴジラを探索するためにブラックホール第3惑星人が「スーパーガイガー探知機」を使用するというぐらいであった。そして、『メカゴジラの逆襲』は観客動員数がゴジラ映画史上最低の97万人にとどまり、ゴジラは一旦銀幕から姿を消した。
 
後編へ続く)
 
【脚注】
(1)日本で制作された実写版のみをカウントしている。
(2)西尾宣明・中村博武・伊藤宏編『子どもへの視点』(聖公会出版、2005)P149-188
(3)佐藤健志『さらば愛しきゴジラよ』(読売新聞社、1993)P76
(4)信愛紀要59号P107-118
(5)本稿で参照したものは、2005年4月発売のゴジラ生誕50周年記念DVD30枚組「Godzilla Final Box」所収の『怪獣王ゴジラ(海外版)』である。
(6)以下、映画の中の台詞は『怪獣王ゴジラ(海外版)』の字幕による。
(7)山本昭宏『核と日本人 ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』(中公新書、2015)P31
(8)好井裕明『ゴジラ・モスラ・原水爆 特撮映画の社会学』(せりか書房、2007)P11
 
【引用・参考文献および資料】(著者50音順)
・青井邦夫他『初代ゴジラ研究読本』洋泉社、2014
・赤坂真理他『「シン・ゴジラ」をどう観るか』河出書房新社、2016
・赤坂憲雄『ゴジラとナウシカ』イースト・プレス、2014
・和泉正明『公理的ゴジラ論』アートン、1998
・ウィリアム・M・ツツイ『ゴジラとアメリカの半世紀』中公叢書、2005
・小野俊太郎『ゴジラの精神史』彩流社、2014
・小野俊太郎『新ゴジラ論 初代ゴジラから《シン・ゴジラ》へ』彩流社、2017
・柿谷哲也『シン・ゴジラ機密研究読本』富士見書房、2017
・笠井潔『テロルとゴジラ』作品社、2016
・片山杜秀『ゴジラと日の丸』文藝春秋、2010
・加藤典洋『さようなら、ゴジラたち 戦後から遠く離れて』岩波書店、2010
・川北紘一監修『僕たちの愛した怪獣ゴジラ』学習研究社、1996
・倉谷滋『ゴジラ幻論 日本産怪獣類の一般と個別の博物誌』工作舎、2017
・クリストフ・フィアット『フクシマ・ゴジラ・ヒロシマ』明石書店、2013
・小林豊昌『ゴジラの論理』中経出版、1992
・佐藤健志『ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義』文藝春秋、1992
・佐藤健志『さらば愛しきゴジラよ』読売新聞社、1993
・佐藤健志『震災ゴジラ 戦後は破局へと回帰する』VNC、2013
・世秋恭之介『あるゴジラに関する報告』文芸社、2001
・高橋誠一郎『ゴジラの哀しみ 映画《ゴジラ》から映画《永遠の0》へ』のべる出版、2016
・高橋敏夫『ゴジラの謎 怪獣神話と日本人』講談社、1998
・高橋敏夫『ゴジラが来る夜に 「思考をせまる怪獣」の現代史』集英社文庫、1999
・宝田明『ニッポン・ゴジラ黄金伝説』扶桑社、1998
・宝田明『銀幕に愛をこめて ぼくはゴジラの同期生』筑摩書房、2018
・但馬オサム『ゴジラと御真影 サブカルチャーから見た近現代史』オークラ出版、2009
・田中友幸他『ゴジラ・デイズ ゴジラ映画40年史』集英社、1993
・中沢健『平成特撮時代 新時代のゴジラ、ガメラ、ウルトラマン&仮面ライダー』洋泉社、2017
・長山靖生『ゴジラとエヴァンゲリオン』新潮新書、2016
・西川伸司『ゴジラ狂時代』復刊ドットコム、2016
・花田俊典『沖縄はゴジラか 〈反〉オリエンタリズム/南島/ヤポネシア』花書院、2006
・ピーター・ミュソッフ『ゴジラとは何か』講談社、1998
・別冊映画秘宝編集部編『ゴジラとともに』洋泉社、2016
・別冊宝島編『ゴジラ完全解読』宝島社、2014
・本多猪四郎『「ゴジラ」とわが映画人生』実業之日本社、1994
・本多きみ『ゴジラのトランク 夫・本多猪四郎の愛情、黒澤明の友情』宝島社、2012
・藤田直哉『シン・ゴジラ論』作品社、2017
・ましこひでのり『ゴジラ論ノート 怪獣論の知識社会学』三元社、2015
・ミック・ブロデリック編『ヒバクシャ・シネマ』現代書館、1999
・未来防衛研究所『ゴジラ対自衛隊』銀河出版、1998
・八本正幸『ゴジラの時代』青弓社、2014
・山口理『ゴジラ誕生物語』文研出版、2013
・山本昭宏『核エネルギー言説の戦後史 1945-1960』人文書院、2012
・山本昭宏『核と日本人 ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ』中公新書、2015
・好井裕明『ゴジラ・モスラ・原水爆 特撮映画の社会学』せりか書房、2007
 

(弁護士・金原徹雄のブログから/伊藤宏さん関連)
2016年10月25日
2017年1月17日
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2019年3月17日

「日本アニメーション映画クラシックス」(since1917)のご紹介

   2019年1月25日配信(予定)のメルマガ金原.No.3403を転載します。
 
「日本アニメーション映画クラシックス」(since1917)のご紹介
 
 2013年1月24日にスタートした「弁護士・金原徹雄のブログ」のカテゴリーに、「映画」はありますが、「アニメーション」はありません。そもそも、設定するカテゴリーには「漢字2字」の名称を与えるという決まり(?)を何とはなしに作ってしまったため、いまさら「アニメ」というカテゴリーも作りにくい。
 とはいえ、今まで全くアニメーションを取り上げなかった訳ではありません。ということで、思い出したものを巻末に掲げてみましたが、結局、宮崎駿さんと『戦争のつくり方』だけでした。しかも、ブログの中で具体的に取り上げた宮崎作品は、CHAGE&ASKAの楽曲『On Your Mark』のプロモーション・フィルムとして作った7分弱のショートクリップだけでした(宮崎駿監督の引退会見と“技術が支える思想性”について)。
 
 宮崎駿さんの引退宣言以降、映画館で観たアニメーションは、ディズニー/ピクサーの『インサイド・ヘッド』(2015年)が最後であり、ましてやアニメに限らず、テレビで視るのはドキュメンタリー番組だけなので、そもそも今どんな作品が作られているかも知りません。
 
 そんな私がブログでアニメーションを取り上げるとすれば昔の作品に決まっています。もちろん、『風の谷のナウシカ』や『となりのトトロ』や『千と千尋の神隠し』のあのシーン、この台詞について蘊蓄を傾けるのも楽しいとは思いますが、少しはいる私のブログの読者にとって、あまりお役に立つとも思えません。
 
 今日ご紹介しようとするのは、とっても古い日本のアニメーションです。
 私自身、行きたいと思いながらその機会のなかった東京国立近代美術館フィルムセンターが、昨年4月1日に東京国立近代美術館から独立し、新組織「国立映画アーカイブ」となったということはニュースで知ってはいましたが、そのホームページを閲覧したのは今日が初めてでした。
 
 そのホームページから外部リンクになるのですが、「日本アニメーション映画クラシックス」公式ホームページに飛ぶことができます。このサイトの成り立ちなどを、国立映画アーカイブのページでの説明から引用しましょう。
 
(引用開始)
 日本でアニメーションが誕生したとされる1917年から100年目に当たる2017年を記念して開設されたwebサイト。
 平成28年度「文化芸術振興費補助金(美術館・歴史博物館重点分野推進支援事業)」の「映画におけるデジタル保存・活用に関する調査研究(BDCプロジェクト)」のもと、デジタル化や保存技術に関わる実践的な調査研究ならびにコレクション公開の新たな方法を試みるための調査研究の成果として、東京国立近代美術館フィルムセンター(現 国立映画アーカイブ)と国立情報学研究所(NII)が共同で構築しました。
 フィルムセンター所蔵のフィルムからデジタル化された、1917年から1942年までの日本アニメーション映画64本を公開。また「大藤信郎記念館」ではフィルムセンターが所蔵する「大藤信郎コレクション」の一部が閲覧可能。さらに、現存する日本最古のアニメーション映画『なまくら刀』(1917年幸内純一/別名:塙凹内名刀之巻[はなわへこないめいとうのまき])も閲覧できます。
※本サイトは2018年4月1日に設置された国立映画アーカイブが、引き続き運営しております。サイトの内容や記述情報は原則的に、2017年12月末日時点のものです。
(引用終わり)
 
 
 何しろ64作品も公開されていますので、じっくり観るには時間がかかりますが、幸い、短い作品が大半なので、少しずつでも観ていけば、日本アニメ史草創期の作品の一端に触れることができます。
 「作品一覧」のページを開けてみると、「作品なんでもランキング」、「キャラクターセレクション」、「私の選ぶこの作品」など、様々な切り口から鑑賞する作品が選べるようになっています。
 
 とりあえず、私は、「国産アニメーション映画が誕生した1917年に公開された現存する最古の作品」である「なまくら刀(別名:塙凹内名刀之巻[はなわへこないめいとうのまき])の[デジタル復元・最長版][白黒ポジ染色版]を観てみました。もちろん、サイレントです(64作品の内トーキーは4本だけ)。
 
なまくら刀[デジタル復元・最長版][白黒ポジ染色版](寺内純一/1917年/4分/サイレント/白黒(染色))
 
 これが現存最古の日本アニメーションかと思うと、なかなか感慨深いものがありますね。
 ただ、字幕による説明が少なく、最初のうちはストーリーの展開がよく分かりませんでしたが、要は、研ぎ屋に刀を研ぎに出し、大枚4両(かな)も払った侍が、試し切りがしたいという悪い考えにとりつかれて試みるが、みじめに失敗するという物語のようです。
 
 皆さんも、折に触れて「日本アニメーション映画クラシックス」に収録された作品に親しまれてはいかがでしょうか。
 
(弁護士・金原徹雄のブログから/アニメーション関連)
2013年9月9日
2014年12月8日
2015年7月26日
2015年12月10日
2016年2月11日

映画『BEYOND THE WAVES』上映と山本太郎議員トークイベント(2019年1月26日@和歌山県民文化会館小ホール)のご案内

 2018年12月16日配信(予定)のメルマガ金原No.3363を転載します。
 
映画『BEYOND THE WAVES』上映と山本太郎議員トークイベント(2019年1月26日@和歌山県民文化会館小ホール)のご案内
 
 関係者から企画進行中であるとは聞いていたものの、「まだ調整中の部分もあるので」ということであったため、ブログに書くのは控えていましたが、いよいよFacebookのイベントページも立ちあがりましたので、私のブログでもご案内することと致しました。
 来年1月26日(土)に山本太郎参議院議員(自由党共同代表)が和歌山県民文化会館小ホールでのトークイベントのために来和されます。しかも、山本太郎さんをフューチャーしたドキュメンタリー映画『BEYOND THE WAVES』(アラン・ドゥ・アルー監督)の和歌山初上映も観られるという、見逃せない企画です(参加費-資料代-499円)。
 以下に、イベントページの「詳細」コーナー記載情報を転記します(一部、チラシから補充しました)。
 
(引用開始)
山本太郎ドキュメンタリー映画『Beyond the Waves』上映 & 山本太郎トークイベント
 
山本太郎ドキュメンタリー映画『BEYOND THE WAVES』の上映と、主演本人、山本太郎さんとのトークイベントを行います!
ぜひ、お友だち、ご親戚、お隣さん、ご近所、お誘い合わせのうえお越しください!
いっしょに和歌山に大旋風を巻き起こしましょーっ!
 
◇◆◇ 山本太郎 來和 ◇◆◇
 
日時:2019年1月26日(土)

①山本太郎ドキュメンタリー映画『BEYOND THE WAVES』上映
   12:00 開場
   12:30 上映開始(~13:45予定)
②山本太郎さんトークイベント
 「目からウロコ」の太郎節!~永田町の真実をお教えします~
   14:00~16:00

参加費(資料代):499円(1円カンパでワンコイン♪) 

会場:和歌山県民文化会館 小ホール
   地図 

※※同日開催※※
   11:00~@同会場
   第2回 自由党和歌山県連大会 
   どなたでも無料でご入場いただけます。ぜひ、こちらもよろしくお願いします!
 
◎山本太郎さんについて◎
 
■共催 
 山本太郎ドキュメンタリー映画『BEYOND THE WAVES』上映実行委員会
 自由党和歌山県連   
■お問合せ 090-7757-1959(内海)
(引用終わり)
 
 ここ4週間ほどの間に、山本太郎さんをこのブログで取り上げるのは今日で5回目となります。それだけ、今の日本にとって、なくてはならない国会議員だということだと思っています。
 
 私が山本太郎さんのお話を直接聴く機会を持ったのは、2016年2月7日(山本太郎参議院議員トークライブ和歌山@和歌山県民文化会館3階特別会議室)と2018年7月22日(島久美子和歌山市長選候補者応援@JR和歌山駅前)の2回だけですが、その発言には全て「心」の裏付けがあると感じました。・・・と言っても何のことか分からないかもしれませんけれど。
 1月26日も是非参加したいと思います。
 
(余談)
 実は、「危ないぞ!みんなで止めよう安倍改憲 1・19和歌山県民のつどい」の候補日として、当初は1月19日の他に1月26日も考えており、和歌山県民文化会館大ホールを両日とも仮予約していました。様々な事情から1月26日はリリースして、1月19日に決めたのですが、19日にしておいて良かったとしみじみ思っています。
 
(参考サイト)
Beyond the Waves: (Taro Yamamoto, a Japanese rebel) - Trailer(2分56秒)

 
 
Facebook:Beyond the Waves自主上映連絡会(ビヨンド・ザ・ウェイブス)
 
(弁護士・金原徹雄のブログから/最近の山本太郎参議院議員関連)
2018年11月22日
2018年12月2日
2018年12月9日
2018年12月13日

山本太郎20190126チラシ

放送予告・ETV特集「キャメラマンMIYAGAWAの奇跡」(2018年12月8日&再放送12月12日深夜)

 2018年12月8日配信(予定)のメルマガ金原No.3355を転載します。

放送予告・ETV特集「キャメラマンMIYAGAWAの奇跡」(2018年12月8日&再放送12月12日深夜)

 私のブログでは、自分自身が見逃さないように、優れたドキュメンタリー番組を送り出す放送枠のホームページを定期的に閲覧してチェックし、随時取り上げるようにしているのですが、それでもそう頻繁にチェックする訳にもいかず、放送直前に気がついて慌てるということもあります。
 特に、今日ご紹介するETV特集は、なぜか1週間前にならないと掲載されない(アンコール放送は別)という不思議な方針を堅持しているため、ついうっかり見過ごすということがあるのです(せめて2週間前には掲載して欲しい)。
 おかげで、日本映画史上最高のカメラマン(少なくともその1人)である故・宮川一夫さんを取り上げた番組(何と今日12月8日の放送)を見逃すところでした。
 大映のカメラマンであった宮川一夫さんの業績を語るのであればまず溝口健二作品から語るべきなのでしょうが、最近も、日本映画専門チャンネルで録り溜めた黒澤明監督作品のDVDを連続して視聴する機会があり、『羅生門』と『用心棒』という、宮川さんが撮影を担当した2作品の際だった撮影の妙に感心したばかりでした。
 来週水曜日の深夜に再放送もありますので、遅まきながらご紹介することにしました。是非視聴したいものです。

NHK・Eテレ
本放送 2018年12月8日(土)午後11時00分~0時00分
再放送 2018年12月13日(木)午前0時00分~1時00分(12日深夜)
ETV特集「キャメラマンMIYAGAWAの奇跡」

(番組案内から引用開始)
日本映画を代表するカメラマン宮川一夫。黒澤や溝口、小津などの作品を撮影し数々の世界的映画賞を受賞した。生誕百十年、膨大な資料から奇跡の映像を生み出した秘密に迫る。
日本映画を代表するカメラマン宮川一夫。黒澤や溝口、小津などの巨匠と組み、「羅生門」「雨月物語」などで数々の世界的映画賞を受賞した。近年その作品は世界の映画人による4K復元が進む。生誕百十年の今年、本来の光と色を取り戻した作品27本がニューヨークで上映され多くの客を魅了した。自宅に残された撮影台本などの膨大な資料や、名だたる映画人の証言から奇跡の映像を生み出した秘密に迫る。是枝裕和、山田洋次ほか。

(引用終わり)

 番組案内に書かれている「生誕百十年の今年、本来の光と色を取り戻した作品27本がニューヨークで上映され多くの客を魅了した。」というのは、宮川一夫さんの回顧イベント「Kazuo Miyagawa: Japan’s Greatest Cinematographer」のことで、ニューヨークのジャパン・ソサエティー、近代美術館、フィルム・フォーラムなどで開催されたものです。シネマ・トゥデイに掲載された関連記事2本にリンクしておきます。
 
伝説の撮影監督・宮川一夫さん、名作の撮影秘話を息子と仲間が明かす
2018年4月16日 22時16分

 上記回顧展のために作られた短いプロモーション動画がありました。

Kazuo Miyagawa: Japan's Greatest Cinematographer(45秒)


 また、上記回顧展のためにニューヨークを訪れた宮川一夫カメラマンの長男・宮川一郎さんと長年に渡って撮影助手を務めた宮島正弘さんがスピーチをされている動画が、ジャパンソサエティから公開されています。

Cinematographer, Kazuo Miyagawa(1時間03分)

「生きるよすがを求めて~映画監督 村川透のふるさと納税~」のご紹介~関西テレビ@2018年10月26日(金)午前2時55分~

 2018年10月23日配信(予定)のメルマガ金原No.3309を転載します。
 
「生きるよすがを求めて~映画監督 村川透のふるさと納税~」のご紹介~関西テレビ@2018年10月26日(金)午前2時55分~
 
 私のブログでは、地上波テレビのドキュメンタリー番組の予告記事を、自分の備忘録を兼ねてアップすることがよくあります。
 ただ、取り上げる番組がかなり限られていることは否めません。
 それは、主に以下の5つの放送枠で放送されるドキュメンタリーです。
 
 
 もちろん、地上波で放送される優れたドキュメンタリー枠が他にもあることを知らない訳ではないのですが、正直、目配りがそこまで追いつかないのが実情です。
 同じ毎日放送制作の番組枠でも、月に1回の「MBSドキュメンタリー映像」はフォローしていますが、毎週日曜日の23時からTBSをキー局として全国ネットされている「情熱大陸」(「映像」より余程有名ですが)はほとんど取り上げたことがありません。
 
 ほとんど取り上げたことがないといえば、フジテレビ系(FNS)各局が制作した番組もそうですね。
 実は、この系列局の中には、ドキュメンタリー番組の劇場映画化に非常に積極的な東海テレビや、「みんなの学校」で有名な関西テレビも含まれており、優れた作品の宝庫なのでは?と気にはなりつつ、私の視聴できる関西テレビでは、「FNSドキュメンタリー大賞」(候補作)の放映は不定期なので、なかなかチェックできないというのが実情なのです。
 
 ということで、今日取り上げようという番組も、制作局のさくらんぼテレビ(山形県)はもとより、フジテレビでの放送も終わっているようなのですが、関西テレビの週間番組表を眺めていて、偶然、今週の25日(木)深夜、というよりは26日(金)未明といっても良いような時間(午前2時55分~)にこの番組が放送されることに気がつきました。そのタイトル「生きるよすがを求めて~映画監督 村川透のふるさと納税~」を見て、松田優作主演の『最も危険な遊戯』、『甦る金狼』、『野獣死すべし』(同時期に『白昼の死角』などもありましたよね)などを監督した人、と直ちに思い出す人というのは、もうかなりの年輩になっているでしょうか?
 実は、これらの作品が公開された頃というのが、私が一番映画館で映画を観ていた時代で、懐かしさもひとしおなのです。

 関西テレビの電波が届くところの方にしか役に立たず、しかもあと実質二昼夜で放送時間を迎えるという間際のお知らせになってしまいますが、「これは見過ごせないな」という思いから取り上げました。
 映画館の暗闇の中で、村川透監督の作品世界に浸りきった経験をお持ちの方の1人でもよいので、この情報が役に立つことを願いつつ、さくらんぼテレビ及びフジテレビのホームページに掲載された番組案内を引用します。
 それにしても、(特にフジテレビのものは)気合いの入った番組案内だと感心します。担当者の強い思い入れが伝わってくるようです。
 
関西テレビ 放送予定
2018年10月26日(金)午前2時55分~(放送枠55分)
第27回FNSドキュメンタリー大賞 ノミネート作品
生きるよすがを求めて~映画監督 村川透のふるさと納税~
ディレクター・撮影・編集 大友信之
制作著作 さくらんぼテレビ
 
「人生100年時代」。
高齢化が進む日本ではここ数年、「終活」という言葉が盛んに使われている。
自分らしい最期とは何か。
多くの人が自身の人生と向き合い答えを探している。
山形県村山市出身の映画監督・村川透(81)もその一人。
およそ60年間、映画とテレビドラマの一線で活躍してきた。
脚本の枠を超える演出で日本のハードボイルドの礎を築き、
名優・松田優作を主演に抜擢し「蘇える金狼」「野獣死すべし」などの
アクション映画を作り上げた。
またテレビドラマの「探偵物語」「西部警察」「あぶない刑事」などのヒット作を
通じて、国民にあまたの“娯楽”を届けてきた。
そんな村川にとっての“終活”は故郷への恩返しだ。
他の地方都市同様、村山市もかつてのようなにぎわいは失われている。
そこで数年前、村川は老後の資金をつぎ込み空き家となった生家を改装して、
小さなホール「アクトザールM.」を市民に開放した。
誰もが利用できるそのホールでは、以降、音楽鑑賞会やうたごえ合唱会、
映画の上映会といった様々な催しが行われている。
しかし村川が「アクトザールM.」に込めた思いは“単なる場の提供”ではない。
真の狙いは村川の哲学に基づいた「ただ一つの運営ルール」に凝縮されている。
そして2017年秋、村川は長年の東京暮らしに区切りを付け
故郷へと戻ることにした。
「アクトザールM.」の活動を見届け、映画界で得た“人生の楽しみ方”を
後世に伝えるために。
この恩返しには終わりがない。番組では村川の終わりのない“終活”を追った。
(引用終わり)
 
フジテレビ・番組案内から引用開始)
 数々のアクション作品を手掛けた映画監督がふるさと・山形県村山市に小さなホールを作りました。地域の人たちが文化や芸術に触れられる場になればと、私設のホールは誰にでも格安で開放されていますが、本当の狙いは別にありました。「自分でやってみることの楽しさと難しさ」を知り、人生を豊かにする生きがいを作ってもらう。スクリーンを通してあまたの“娯楽”を提供してきた名監督の志を踏まえ、かつてのにぎわいを無くした街に、たくさんの“元気”が生まれようとしています。
 「人が集まると何かが生まれてくる」、「何かやっていかないと」2017年11月、映画監督の村川透さん(80)は山形へと居を移しました。ふるさとの村山市は全国の地方都市同様に元気をなくしていて、60年前から人口は4割減少しています。そんな現状を憂いながらも、田舎のために何もしてこなかったという後悔がありました。
 実は村川監督は4年前、音楽家の兄とともに、東日本大震災で損壊した生家を私設ホール「アクトザールM.」に改装し、市民に開放していました。そこでは村川さんの人脈で奏者を招いたジャズ演奏会や、全国からファンが駆けつける村川作品の上映会、そして住民が企画するうたごえ合唱会などが開かれています。どの催しも参加者を楽しませようと趣向を凝らしていますが、村川さんは自分で奏者を招いた時以外は積極的に関わろうとしません。そこには村川さんなりのホール運営に関する哲学があり、それこそが「ふるさとに本当に贈りたいもの」だからです。
 その哲学は、村川さんが60年にわたる映画人生で学んだことでした。村川さんは大学卒業後に日活に入りますが、すでに時代は映画が斜陽。会社がロマンポルノに舵を切るようになると、村川さんは「これでいいのか」と自問自答した末、30歳を過ぎたころ山形に帰郷します。受け入れたのは義父で、のちに人間国宝となる鋳物職人の高橋敬典さん。ともに仕事をする中で、「こだわったものは最後まで突き詰めて自分で良しとするまでやる」という職人の気構えを教わりました。その後、旧知のプロデューサーから、テレビドラマ『大都会』の監督に誘われた村川さんは、「自分で良しとするまでとことんやろう。絶対にへこたれない職人でありたい」と心に決め、再び上京しました。『大都会』で監督業に復帰する際、村川さんはもう一つ心に決めていたことがありました。それは俳優・松田優作さんと仕事することで、当時傷害事件を起こし謹慎していた優作さんを、周囲が様子見を決め込む中、起用しました。村川さんは監督ではありますが、作品のテーマさえ外さなければ、セリフを変えようが何をしようが構わないという信念があります。優作さんはその期待にいつも応えてくれ、二人は『最も危険な遊戯』、『蘇える金狼』、『野獣死すべし』といったヒット作を連発します。「役者が自由に発想し、見る人を楽しませる」という考えは、今のアクトザールM.にもつながっています。
 その優作さんは40歳で急死し、長年コンビを組んだカメラマン・仙元誠三さんも今、余命1年と宣告されたがんと闘っています。旧友を見舞った後、村川さんは自らの死生観について「森羅万象すべてに定めがある。だから自分は死を全然恐れていない」と話します。つまりそれは「死ぬまで生きる」、「とことんやる」ということが自分らしい最期であり、アクトザールM.を通じた恩返しこそが“生きるよすが”として全うしていくべきことという覚悟の表れでした。そのアクトザールM.は、近所の人や趣旨に賛同したボランティアなど約20人のスタッフが中心となって運営しています。彼らは村川さんの哲学に基づいてさまざまな趣向を凝らしたイベントを行っていますが、実際の運営はまだまだ発展途上。また地域の活性化には世代を超えた交流が欠かせませんが、参加者は高齢者が多い。さらに資金面の課題もあり、光熱費や税金など年間50万円を超える維持費は全て村川さんが負担しています。アクトザールM.の建物そのものと運営の哲学をいかに次の世代に引き継いでいくのか。村川さんはその恩返しに道筋を付け、それを見届けようとしています。大好きなふるさとが再び元気を取り戻すと信じて。
 今、日本は「人生100年時代」とも言われ、「自分らしい最期とは何か」と多くの人が自身の人生と向き合い答えを探しています。番組では、映画監督・村川透の一風変わったふるさとへの恩返しを通して、人生のよりどころを持つ大切さを考えます。
コメント
ディレクター・大友信之(さくらんぼテレビ報道制作部)
 「村川監督はこれまでテレビの取材をすべて断ってきました。山形でも人となりを詳しく知る人は決して多くありません。山形に戻ってくるタイミングで取材を依頼したところ、快く受けて頂きました。山形では監督の“エネルギッシュな活躍”を数多く取材できると考えていました。しかし、いざふたを開けてみると、実際はイベントに参加するだけ。あとは粘着コロコロで掃除をして音楽を聴き、車いじりをするだけ。
 “シーンが撮れない、どうしよう”と気持ちが焦るばかりでした。“何もしないことが人の為になる”ということに気が付くまで多くの時間がかかりました。監督は“人生は人と出会って別れる旅”といつも話していました。何かをやりたいとの思いを行動に移せば、会うべく人と出会い、運命が変わっていく。それを経験してほしいということが“ふるさとへの恩返し”と気づいた時、ずっと心の奥にしまっていた松田優作との出会いをカメラの前で語ってくれました」
番組情報
タイトル
第27回FNSドキュメンタリー大賞 ノミネート作品
『生きるよすがを求めて~映画監督 村川透のふるさと納税~』
(制作:さくらんぼテレビ)
スタッフ
プロデューサー 佐藤武司
ディレクター・撮影・編集 大友信之
音効 角千明(ヴァルス)
MA 市原貴広(ヴァルス)
CG 佐藤哲哉
ナレーション 田中秀幸
制作著作 さくらんぼテレビ
(引用終わり) 
 
(余談)
 私が地上波のテレビ番組で視聴するのは、正直言って、このブログでご紹介するドキュメンタリー番組が「ほぼ全て」と言っても過言ではありません。「ほぼ」というのは、台風や地震などの災害情報は別枠で視聴する、という意味です。
 なぜ、他の番組を視なくなったかについては、話し出すと長くなってしますので「またの機会に」としますが、茂木健一郎さんが最近ブログに書かれた「地上波テレビ、衝撃の凋落。」を読んで、かなりの程度納得しました。
 そう、「ぼくが子どもの頃に見ていた地上波テレビに比べて、今のテレビは、タレントたちの馴れ合い、内輪話、汚いテロップ、内容の低さなど、本当に劣化してしまっている。」という感想については完全に同意なのです(茂木さんの文章の主題は、この後の部分で紹介された中学・高校生たちのすさまじい地上波TV離れにこそあるのですが)。それでも、視るに値する番組を作っている人たちもいるということに、最後の望みを託しているのです。

映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』和歌山上映会(2018年10月6日@和歌山市あいあいセンター)のお知らせ

 2018年9月14日配信(予定)のメルマガ金原No.3270を転載します。
 
映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』和歌山上映会(2018年10月6日@和歌山市あいあいセンター)のお知らせ
 
 和歌山県平和委員会の里﨑正さんから、ドキュメンタリー映画『米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー』(2017年©TBSテレビ)上映会のご案内をいただきましたのでお知らせします。
 2018年10月6日(土)午前10時00分からと、午後1時30分からの2回上映、会場は、この種の上映会によく利用される男女共生推進センター6Fみらいホール(あいあいセンター内、和歌山市小人町29番地)です。
 どんな映画なんだ?と思われる方のために、とりあえず、チラシ記載データから、主な内容を引用します。
 
(引用開始)
米軍(アメリカ)が最も恐れた男 
その名は、カメジロー
 
占領下の沖縄で米軍の圧政と闘った男の生き様を、
貴重な映像で描くドキュメンタリー映画
 
一握りの砂も、一坪の土地も アメリカのものではない

※2月21日に急逝された大杉漣さんがナレーターを務めています。氏を偲んでいただければ幸いです。
 
2018年10月6日(土)
上映時間►①10:00/②13:30【2回上映】 ※107分
 
男女共生推進センター6Fみらいホール(あいあいセンター内)
 和歌山市小人町29番地 TEL:073-432-4704
 
上映協力券►1000円(当日1200円) 高校生・障害者500円
 
お問い合わせ
TEL:073-488-3095(和歌山県平和委員会) TEL:090-1142-7774(里﨑)
 
●主催●「映画カメジロー」上映わかやま実行委員会
 
アメリカ占領下の沖縄で米軍に挑んだ男 瀬長亀次郎のドキュメンタリー映画
なぜ沖縄の人々は声を上げ続けるのか、その原点はカメジローにあった―
 第2次大戦後、米軍統治下の沖縄で唯一人“弾圧”を恐れず米軍にNOと叫んだ日本人がいた。「不屈」の精神で立ち向かった沖縄のヒーロー瀬長亀次郎。民衆の前に立ち、演説会を開けば毎回何万人も集め、人々を熱狂させた。彼を恐れた米軍は、様々な策略を巡らすが、民衆に支えられて那覇市長、国会議員と立場を変えながら闘い続けた政治家、亀次郎。その知られざる実像と、信念を貫いた抵抗の人生を、稲嶺元沖縄県知事や亀次郎の次女など関係者の証言を通して浮き彫りにしていくドキュメンタリー。
 
JNNだけが持つ、当時の貴重な資料映像の数々をふんだんに盛り込みました。
 沖縄戦を起点に、今につながる基地問題。27年間にわたったアメリカの軍事占領を経て、日本復帰後45年が経ってもなお基地が集中するなか、沖縄の人々が声を上げ続ける、その原点…。それはまさに戦後の沖縄で米軍支配と闘った瀬長亀次郎の生き様にあった。
(上映時間/1時間47分)
 
監督:佐古忠彦 撮影:福田安美 音声:町田英史 編集:後藤亮太
エグゼクティブプロデューサー:藤井和史 プロデューサー:大友淳、秋山浩之
語り:山根基世、大杉漣 テーマ音楽:「Sacco」作曲・演奏 坂本龍一
2017年/日本/日本語/カラー(一部モノクロ)/ビスタ/ステレオ/107分
配給:彩プロ  ©TBSテレビ
(引用終わり)
 
 以上でおおよそのイメージは掴めたかとは思いますが、なぜ制作がTBSテレビなのか?ということについて、この作品の成り立ちを、映画の公式サイトは、「2016年TBSテレビで放送されたドキュメンタリー番組が、第54回ギャラクシー賞月間賞を受賞するなど高い評価を得ており、映画化を熱望する声を受けて、追加取材、再編集を行って映画化。・・・JNNだからこそ保存されていた貴重な未公開映像やインタビュー、そしてアメリカ取材を交えて描き切る。」と説明しています。
 
 それでは、予告編をご覧ください。

 
 最後に、映画公式サイトから、瀬長亀次郎氏の「PROFILE」と「略歴」をご紹介しておきます。
 是非多くの人に観て欲しい(私も観たい)映画ですね。この上映会開催情報の「拡散」にご協力ください。
 
(引用開始)
瀬長亀次郎 PROFILE
 
1907年6月10日、沖縄県島尻郡豊見城村(現、豊見城市)我那覇に生まれ。沖縄県立二中(現、沖縄県立那覇高等学校)、東京・順天中学(現、順天中学校・高等学校)を経て旧制第七高等学校(現、鹿児島大学)に進んだが、社会主義運動に加わったことを理由に放校処分となる。
 
1932年に丹那トンネル労働争議を指導して治安維持法違反で検挙され、懲役3年の刑を受ける。
 
1936年に沖縄朝日新聞記者になり、1938年7月に兵役召集され「中支」へ。1940年に復員し、毎日新聞那覇支局記者として活動。戦後は田井等市助役として避難民の救援にあたる。1946年にうるま新報(現、琉球新報)社長に就任。翌1947年、沖縄人民党結成に参加。1950年に沖縄群島知事選挙に出馬するが、落選。しかし、1952年の第1回立法院議員選挙では最高得票数で当選を果たす。この選挙後に開催された琉球政府創立式典で宣誓拒否したことで占領軍から睨まれることとなる。
 
1954年10月 沖縄から退去命令を受けた人民党員をかくまった容疑で逮捕される。弁護人なしの裁判で、懲役2年の判決を受け投獄された(沖縄人民党事件)。
 
1956年4月に出獄後、同年12月に行われた那覇市長選に出馬する。米軍から妨害を受けるものの、当選を果たす。その後、占領軍出資の銀行による那覇市への補助金や融資、預金の凍結の措置に遭うが、多くの市民が米軍の弾圧から瀬長を助けようと、自主的な納税に訪れ、納税率は97%にもなったといわれる。これにより自主財源による公共工事再開など、市政運営の危機を脱する。一方、占領軍の意向も働き、反瀬長派は7度にわたる不信任決議を提出するが、いずれも不発に終わる。しびれを切らした占領軍は1957年、高等弁務官ジェームス・E・ムーア陸軍中将が布令を改定(米民政府高等弁務官布令143号、通称「瀬長布令」)、瀬長は追放され、投獄の過去を理由に被選挙権も剥奪された。市長在任期間は一年足らずであったが、那覇市政をめぐる米軍との攻防は、瀬長に対する沖縄の住民の絶大な支持を呼んだ。
 
1966年12月に被選挙権剥奪規定廃止で被選挙権を回復。翌年、拒否されつづけたパスポート取得が17回目の申請で許可され、11年ぶりの上京。1968年 立法院議員選挙に最高得票で当選する。1970年、戦後初の国政参加選挙で衆議院議員に当選、以降7期連続当選を果たした。1990年に衆院議員勇退。2001年10月5日死去。享年94。
 
<略歴>
1907年 沖縄県島尻郡豊見城村(現、豊見城市)我那覇に誕生
1932年 治安維持法違反で検挙され、懲役3年の刑で投獄
1936年 沖縄朝日新聞記者になる
1938年 兵役召集され「中支」へ
1940年 復員し、毎日新聞那覇支局記者になる
1946年 うるま新報(現、琉球新報)社長に就任
1952年 第1回立法院議員選挙で最高得票数でトップ当選
1954年 沖縄から退去命令を受けた人民党員をかくまった容疑で逮捕
1956年 那覇市長選に出馬し、当選
1957年 市長の座から追放 *瀬長布令
1966年 瀬長布令の廃止により、被選挙権を回復。
1968年 立法院議員選挙で当選
1970年 戦後沖縄初の衆議院議員に当選 *以後7期連続当選
1990年 衆院議員勇退
2001年 死去 *享年94歳
(引用終わり)

カメジロー上映会OL

映画『日本と原発 4年後』全編版がYouTubeで公開されました!~1人でも多くの人に観てもらうために(拡散希望)

 2018年6月29日配信(予定)のメルマガ金原.No.3193を転載します。
 
映画『日本と原発 4年後』全編版がYouTubeで公開されました!~1人でも多くの人に観てもらうために(拡散希望)
 
 脱原発弁護団全国連絡会共同代表の河合弘之弁護士が映画を作った(!)と話題になったのは2014年のことで(『日本と原発 私たちは原発で幸福ですか?』)、翌2015年には、早くもその改訂版『日本と原発 4年後』が制作され、和歌山でもその自主上映会が開催されました(私も実行委員として関わりました)。
 そのようなことから、私のブログでも、少なくとも3回は『日本と原発 4年後』を取り上げてきました(巻末リスト参照)。
 
 私のこの作品を観た上での感想を、上映会当日にFacebookにアップしていますので、引用しておきます。
 
(抜粋引用開始)
映画を観てくれた方からの反応はすごく良く、アンケート用紙の回収率も非常に高いものでした。正直、映画には素人の弁護士が監督する作品ということで、不安な気持ちもあったのですが、欲目抜きで「非常に優れている」と思いました。もちろん、編集にはしかるべきプロが力量を発揮しているはずですし、脚本を担当した海渡雄一弁護士の構成力も作品の成功を支えた重要な要素でしょう。しかし、この作品によって原発推進論を完璧に粉砕してみせるという河合監督の鉄の意志がなければ、この作品は成り立たなかったことは間違いありません。普通の意味で「良い映画」か?と問われればいささか疑問もありますが、制作意図(河合監督が最大のターゲットとした“観客”は多分裁判官です)は十分に達成されていると思いました。
(引用終わり)
 
 ところで、『日本と原発 4年後』については、河合弘之監督映画サイト(公式サイト)に掲載されている以下の情報が要注目だと思います。
 
(抜粋引用開始)
 Kプロジェクトの映画は、未来を担う若い世代にこそ、原発問題を理解していただきたいと考えています。
 原発に関わる多様な問題を、複合的に、冷静に、かつ客観的に捉える材料となることを願い制作いたしました。
 この映画を学園祭や大学等の先生方に上映いただくことは、次世代を担う若い人々の視野を拡げ、若い人々が事実を多角的に判断する絶好の機会となることでしょう。
 諸先生方、運営企画を行っておられる学生の皆さん。皆さんの作る未来の礎の一部としての映画の活用をご検討ください。
◆無料
『日本と原発』70分短縮版、全長版
『日本と原発 4年後』60分短縮版、全長版
『日本と再生』34分短縮版、70分短縮版
◆有料(学園祭・授業)※一般の上映会よりもお安くしております 
『日本と再生』全長版
(引用終わり)
 
 実際、私の知人の女性が、この取組を利用して、昨年の秋、非常勤講師をしておられた京都の大学で、『日本と原発 4年後』短縮版を借り出して上映するとともに、ご自身の福島県からの避難体験も話されたと伺っています。
 
 また、『日本と原発 4年後』については、「法廷上映版」が、昨年の5月にYouTubeで公開されていました。
 
日本と原発 4年後 法廷上映版(32分)

(動画解説から引用開始)
法廷上映用30分版を公開しました!
『日本と原発 4年後』は、全国の原発差止訴訟の証拠資料として裁判所に提出され、法廷での上映も実現しています。実際に法廷で上映された30分の短縮版をご覧ください。
【これまでの法廷での上映記録(2017年4月現在)】
2015年  
2月10日 伊方原発運転差止訴訟 第10回口頭弁論
4月28日 泊原発運転差止訴訟 第13回口頭弁論
7月1日 大飯原発運転差止訴訟 控訴審 第4回口頭弁論
7月9日 柏崎刈羽原発運転差止訴訟 第11回口頭弁論
9月17日 東海第二原発運転差止等訴訟 第11回口頭弁論
9月28日 島根原発3号機設置変更許可処分無効確認訴訟  第8回口頭弁論
10月15日 志賀原発運転差止訴訟 第16回口頭弁論
10月22日 浜岡原発運転差止訴訟 控訴審 第19回口頭弁論
12月10日 川内原発操業差止訴訟 第11回口頭弁論
2016年  
5月19日 浜岡原発運転終了・廃止等請求事件 第24回口頭弁論 
(引用終わり)
 
 以上に書いたことは、ほぼこれまでのブログで取り上げてきたことの復習であり、それだけであれば、今日、あらためてブログで『日本と原発 4年後』を取り上げようということにはならなかったでしょう。
 それでは、私が『日本と原発 4年後』に注目した理由とは?
 何と、この上映時間2時間18分に及ぶ『日本と原発 4年後』の全編動画が、今月(6月7日)YouTubeで公開されていたのです。しかも、「シーン別の頭出しができます」というサービス付きで。
 以下に、その全編動画をご紹介します。
 まだ観たことのない方は是非ともご覧になってください。また、既に観た方も、是非もう一度視聴してみてください。きっと新たな発見があると思います。
 
映画『日本と原発 4年後』全編版(シーン別の頭出しができます)(2時間18分)

00:00:00 プロローグ原発の始まり
00:02:59 原発事故・浪江町の惨劇
00:11:14 失われた飯舘村
00:14:38 原子力発電とは 
00:16:21 過酷事故シミュレーション
00:19:45 東電退避問題と国家壊滅危機
00:30:10 福島事故の最悪シナリオ
00:32:00 前原子力委員長近藤駿介氏1
00:35:13 チェルノブイリ
00:37:43 放射線被曝とは
00:41:00 東電元役員たちの責任追及
00:44:11 相関図で見る 原子力ムラ
00:49:35 古賀茂明氏に聞く電力癒着
00:52:19 原発訴訟
00:56:05 原発推進派の夢のエネルギー
01:01:15 安全ではない規制基準
01:07:43 原発はテロの標的
01:14:40 前原子力委員長近藤駿介氏2
01:17:05 原発の科学・技術進歩を問う
01:19:48 地震大国日本~浜岡原発危機
01:23:13 勝訴!大飯原発差止訴訟
01:26:33 被曝 母親たちの苦悩
01:31:32 失われた浪江町
01:34:41  原発事故と自死
01:36:55 汚染水問題
01:41:26 使用済み核燃料の行方
01:43:04 原発無しでも電力不足にならない
01:43:42 大島堅一氏に聞く原発のコスト
01:46:06 元原子力委員木元教子氏
01:48:11 国富流出論を問う
01:50:37 高浜原発差止仮処分決定!
01:54:20 不当な川内原発仮処分却下
01:55:49 強制起訴!東電元役員たちの責任
02:00:42 自然エネルギーの隆盛
02:05:55 4年後
02:09:32 エピローグ日本と原発54基
 
 おそらく、虚心に見始めた人の多くは、2時間を超えるこの作品を、新垣隆さん作曲・指揮によるオーケストラ作品をバックに映し出される「日本の原発」の光景(エピローグ)まで、目が離せなくなるはずです。
 問題は、どうすれば、1人でも多くの人に、この作品を視聴してもらうかでしょう。皆さん、1人1人の努力が期待されているのだと思います。
 
(弁護士・金原徹雄のブログから/『日本と原発 4年後』関連)
2016年3月26日
2016年5月22日
2017年8月11日

27人のミュージシャンが集った『真実・事実・現実 あることないこと』(映画『獄友(ごくとも)』主題歌)PVを視聴する

 2018年5月18日配信(予定)のメルマガ金原No.3151を転載します。
 
27人のミュージシャンが集った『真実・事実・現実 あることないこと』(映画『獄友(ごくとも)』主題歌)PVを視聴する
 
 金聖雄(キム・ソンウン)監督による「『SAYAMA みえない手錠をはずすまで』、『袴田巖 夢の間の世の中』に次ぐシリーズ第三弾!」と公式サイトに謳われているドキュメンタリー映画『獄友(ごくとも)』(2018年/115分)の劇場公開が始まるとともに、自主上映も併行してスタートしており、私の周囲でも「『獄友』、何とか上映したいですね」という声を聞いたりしており、実現すればいいな、と私も思っています。
 
 
映画『獄友』予告編(1分46秒)

 
 ・・・というようなことが頭にあったからでしょうか、この映画『獄友』制作と密接な関連をもって進められた「冤罪音楽プロジェクト  イノセンス」のプロモーションビデオがYouTubeで公開されていることに気がつきました。まずはその映像をご紹介しましょう。金聖雄監督のYouTubeチャンネルで、5月2日に公開されました。
 
冤罪音楽プロジェクト イノセンス PV(7分25秒)

(動画説明文から引用開始)
「We Are The Wold」(1985年・USAフォー・アフリカ)のように、歌で冤罪被害者を支援できないか?そんな無茶な夢想が現実になった。27人のミュージシャンとひとりの詩人が参加して、「真実・事実・現実 あることないこと」が完成。略して、「真ある」。それは、私の夢想をはるかに超える作品に仕上がった。超個性派の方々の叫びが絶妙にひびき合い生まれた歌は普遍的なものになったように感じている。歌は、映画『獄友』の主題歌になった。試写室でエンディングに流れる「真ある」を聞いた時、ただただ圧倒され、歌の力を感じずにはいられなかった。歌の力はさらに進化して、アルバムが誕生。参加したすべての方々を尊敬する。うそのことがほんとうにならない。そんな世の中であることを、ただ願う。
(引用終わり)
 
 金監督の説明によれば、27人のミュージシャンが参加して創られた『真実・事実・現実 あることないこと』という曲が、『獄友』のラストに流れるということで、早く観て、かつ聴きたいものです。
  『真実・事実・現実 あることないこと』は、谷川俊太郎さんの詩に小室等さんが曲を付け、小室さんから多くのミュージシャンに参加が呼びかけられたのだということが分かります。このお二人のコンビによって多くの名曲が生まれていますが、昨年の9月には、『プロテストソング2』が発売されて話題を集めましたよね。
プロテストソング2
小室 等
フォーライフミュージックエンタテインメント
2017-09-20


 『真実・事実・現実 あることないこと』の歌詞も公開されています。
 
 さて、気になる27人のミュージシャンとは?以下の方々だそうです(敬称略)。
 
ayako_HaLo、アン・サリー、李政美、伊藤多喜雄、うじきつよし、及川恒平、大熊ワタル、こぐれみわぞう、河野‘菌ちゃん’俊二、小室等、こむろゆい、坂田明、沢知恵、白崎映美、谷川賢作、趙博、トリ音、中川五郎、中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)、橋本学、POE(朴保)、*はなおと*、牧原正洋、良元優作、吉野弘志、四角佳子
 
 数を数えてみて「26人では?」と一瞬思いましたが、*はなおと*が2人組のユニットでした。27人の写真が公式サイトに載っています。
 
 最初にこのプロモーションビデオを観て(まだ参加ミュージシャンのリストを読む前)、私がすぐに誰だか分かったのは、「及川恒平さん、小室等さん、こむろゆいさん、坂田明さん、趙博さん、中川五郎さん、四角佳子さん」だけでした(少ない!)。
 リストに目を通してからもう一度見直したら、さすがにもっと分かるようになりましたけどね。ところで、中川敬さんはワンフレーズだけ、声はすれども姿は見えず(?)だったような気がするけど。
 皆さんは何人分かりましたか?
 
 『真実・事実・現実 あることないこと』のPVを視聴していると、やっぱり『獄友』が観たくなってきました。

講談「風神・雷神の秘密」(玉田玉秀斎)×短編映画「七曲ブルース」(木川剛志監督)+対談「和歌山で物語を紡ぐ」(2/17@天空)のお知らせ

 2018年2月9日配信(予定)のメルマガ金原.No.3073を転載します。
 
講談「風神・雷神の秘密」(玉田玉秀斎)×短編映画「七曲ブルース」(木川剛志監督)+対談「和歌山で物語を紡ぐ」(2/17@天空)のお知らせ
 
 来週の土曜日(4月17日)午後6時から、和歌山市のじゃんじゃん横丁・天空で開催される、講談(四代目・玉田玉秀斎)上演と短編映画「七曲ブルース」(木川剛志監督)上映とお2人の対談「和歌山で物語を紡ぐ」と落語「おかん」(楽落亭花徳)上演という、盛り沢山な内容の企画をご紹介します。
 主催は、和歌山大学観光学部木川研究室、入場無料です。
 
 実は、私自身、この日は「天空」に行かなければとは思っていたのですが、それは、私も少し関わっている企画に四代目・玉田玉秀斎(たまだ・ぎょくしゅうさい)師匠に出演していただくという話が進んでおり、そのためのお願いと打合せに駆り出されたということなのですが、玉秀斎師匠が出演されるというその日の企画自体については全然知りませんでした。
 ところが、今日届いた情報によって、昨年、その玉秀斎師匠が主演し、和歌山大学観光学部の木川剛志(きがわ・つよし)准教授が監督して話題を集めた短編映画「七曲(ななまがり)ブルース」も上映され、しかも、お二人の対談も行われるということが分かり、これは自分の用事がなかったとしても、是非行きたい企画だと分かりましたので、本ブログでご紹介することにしたものです。
 和歌山大学観光学部ホームページに掲載された告知をお読みください。
 
(引用開始)
本学部木川剛志研究室主催による講演会・講談・映画上映会「紡ぐ」が、下記の通り開催されます。
入場は無料です。
多くの皆さまのご来場をお待ちしています。
チラシ(ダウンロード/PDFファイル
 
テーマ
「和歌山」を舞台に紡ぐ物語 ―『七曲ブルース』を通して見る、地方都市の魅力
 
日時
2018年2月17日(土)18時~20時
 
会場
わかやまじゃんじゃん横丁 天空
(〒640-8125 和歌山市島崎町3-27)
 *会場には駐車場はありません。公共の交通機関を使われるか、近隣のコインパーキングをご利用ください。
 
企画概要
江戸時代から続く伝統芸能の担い手として、地方都市を舞台にした講談を発表している玉田玉秀斎先生。英語講談やジャズ講談など新たな表現方法にチャレンジする中で、和歌山を舞台にした講談も制作されています。
都市計画の研究を進める中で出会った、地方都市のありのままの姿を短編映画を通じて表現する木川剛志教員。2016年に制作された短編映画『替わり目』の背景には、他の街で失われつつある「何か」が残る和歌山を描く、そんな想いがありました。
二人が和歌山を舞台に繋がったのが、短編映画『七曲ブルース』。かつての情熱を失った冴えない地方紙の記者と、落語で自分の存在を見つけようとする少女の邂逅が、和歌山の歴史とともに描かれた作品です。雑賀崎・七曲市場など、和歌山のディープな場所を舞台に繰り広げられる物語は、講談と映画、それぞれのエッセンスとともに、今も和歌山に残る「何か」を私たちに語りかけてきます。
人口減少に悩む地方都市において、そこに眠る物語を伝えることが、まちのアイデンティティとなる。
二人が紡いだ和歌山の姿とは。そして、地方都市で物語を紡ぐ魅力とは。
 
プログラム
講談「風神・雷神の秘密」(玉田玉秀斎 作)
映画「七曲ブルース」上映・出演者舞台あいさつ(玉田玉秀斎 主演/木川剛志監督・脚本)
対談「和歌山で物語を紡ぐ」(玉田玉秀斎×木川剛志 and More.)
落語「おかん」(楽落亭花徳 作)
 
主催・お問い合わせ先
和歌山大学観光学部 木川剛志研究室
 
*本事業は、「H29年度和歌山大学教育改革推進事業「学生たちが企画運営するディスカッションテーマを設定した討論会事業」」の一環として開催されます。
(引用終わり)
 
 まずは、四代目・玉田玉秀斎師匠について。 
 実は、私もにわか仕込みで勉強中なのですが、
Wikipediaによると、師匠は、1976年11月、大阪市平野区生まれ。高校時代にスウェーデン長期留学、大阪市立大学法学部卒(私の学部の後輩だったのか!)。2001年11月旭堂小南陵(現四代目・旭堂南陵)に入門。前名・旭堂南陽から、2016年11月、四代目・玉田玉秀斎を襲名。「スウェーデン語を含む8か国語を操る講談師」とあります。うーん、すごい。
 なお、詳細については、「四代目 玉田玉秀斎 OFFICIAL WEB SITE」をご覧ください。
 その公式サイトのプロフィールに、「(スウェーデンから)帰国後、大学は英語・国語だけで受験できた法学部に入学。」「司法試験を目指すが、大学卒業後も司法浪人生活を送る」とあります。私が受験した時は、法学部でも5科目(数学、理科もあった)必要だったけどなあ。そこは違うけれど、大阪市大法学部卒業後も「司法浪人生活を送る」というのは人ごととは思えない。
 ・・・というようなことはさておき、公式サイトでも紹介されている講談「陽はまた昇る~The Sun Will Rise Again」をご紹介します。
 旭堂南陽時代の2012年、宝塚アカデミー音楽団第11回定期演奏会「東日本大震災へのチャリティーコンサート」において、「支援の為訪れた東北での体験を講談として語っ」たものだそうです。
 
陽はまた昇る~The Sun Will Rise Again(講談:旭堂南陽)(13分51秒)

 
 もう一つ、四代目・玉田玉秀斎襲名直前に収録された動画がアップされていましたので、そちらもご覧ください。
 
講談師 旭堂南陽 (玉田玉秀斎) レビュー動画デビュー(9分05秒)

 
 次に短編映画「七曲ブルース」です。
 この映画については、詳しく報じている「わかやま新報」の記事を借りてご紹介するのが良いかと思います。
 
わかやま新報 17年11月15日 19時00分
短編映画「七曲ブルース」 18日に試写会
(抜粋引用開始)
 和歌山大学観光学部の木川剛志准教授(41)と、落語グループ「わかやま楽落会」は共同で、和歌山県和歌山市の雑賀崎や七曲市場を舞台にした短編映画『七曲ブルース』を製作。18日午後6時半から、ロケ地の七曲市場で試写会を開く。主人公が地方紙の記者という設定にちなみ、和歌山新報社内でも撮影が行われ、本紙記者も出演。脚本と監督を務めた木川准教授は「他にない魅力的な場所をロケ地に選んだ。夢の中のシーンを見るように、和歌山の風景を楽しんでもらいたい」と話している。
 講談師の玉田玉秀斎(たまだぎょくしゅうさい)さんと、楽落会のぴょんぴょん亭うさぎさんがダブル主演。落語でしか自分を語れない、老人と2人暮らしをする少女と、心の通った記事が書けなくなった新聞記者の交流を描いた心温まる人間ドラマ。
 10月に雑賀崎漁港や七曲市場などで撮影が行われ、同学部の尾久土正己教授(56)が撮影し、学生たちも関わった。
 木川准教授と楽落会の共作は、1月に「商店街映画祭」でグランプリを受賞した『替わり目』に続き2作目。前作を撮り終えて以降、児童福祉について考えるきっかけがあったといい、木川准教授は「さまざまな事情を抱える子どもたちに、絶対に幸せになれるんだというメッセージを届ける映画を作りたかった」と話す。
(略)
(引用終わり)
 
わかやま新報 17年11月21日 19時00分
和歌山の風景と人情描く 「七曲ブルース」
(抜粋引用開始)
 和歌山大学観光学部の木川剛志准教授と、笑いの文化研究を行っているボランティア団体「わかやま楽落会」による短編映画「七曲ブルース」が完成し、試写会が18日、作品の舞台となった七曲市場(和歌山県和歌山市東長町)で開かれ、主演した講談師の玉田玉秀斎さんや同会メンバー、同市場の住民らが集まり、映画と講談を楽しんだ。
(略)
 木川准教授は作品について「七曲と雑賀崎で撮りたいと思っていたので、その2カ所の風景を見てもらえたら」と見どころを語り、上映がスタート。雑賀崎の夕焼けや七曲市場のノスタルジックな風景が描かれ、市場の住民が画面に登場すると観客から笑いが起こった。
 上映後は主演の2人があいさつ。玉田さんは「和歌山にこんな場所があったのか、という感じ。きれいな景色の中に自分を入れてくれたことに感謝したい」、うさぎさんは「七曲も雑賀崎も初めて来たけど、きれいでびっくりした。映画でもっと和歌山を好きになってもらえたら」とそれぞれ話し、撮影で出合った風景の美しさを振り返った。
 作中では玉田さんが七曲市場を舞台とした講談を演じるシーンもあり、上映終了後に映画では一部だけだった講談の全編を玉田さんが実演。主人公の父親が七曲の人々と共に戦争の時代を乗り越え、新聞記者を志した人情味あふれる話を演じた。
(略)
(引用終わり)
 
 私も、これらの記事を読んで(私の事務所では、わかやま新報を定期購読しているので)、「是非『七曲ブルース』を観てみたいものだ」と思っていたのです。17日に観られそうなので、とても楽しみです。それまでは、予告編(トレーラー第1弾)を観て想像をかき立てておこうと思います。
 
 
(付記)
 プログラムの最後、落語「おかん」を演じるのは、わかやま楽落会(らくらくかい)の楽落亭花徳さんだそうです。
 
(参考サイト)

『辺野古ゲート前の人びと』(藤本幸久・影山あさ子共同監督作品)の映画館上映がまもなく始まります~上映権付DVDも販売中

 2018年1月5日配信(予定)のメルマガ金原.No.3038を転載します。
 
『辺野古ゲート前の人びと』(藤本幸久・影山あさ子共同監督作品)の映画館上映がまもなく始まります~上映権付DVDも販売中
 
 私自身は毎日事務所に出ていましたが、金原法律事務所としては今日が仕事始めでした。ということで、昨日までの年末年始のように、「大作」ブログを書き続ける時間はないので、いささか省力モードに入ります。もちろん、私自身は「省力」させてもらいますが、ご紹介する中身に「省力」はありません。
 
 昨日、「九条の会・わかやま」事務局の南本勲さんが、9条ネットわかやまMLに、映画『辺野古ゲート前の人びと』を藤本幸久さんと共同監督した影山あさ子さんから届いたメールを紹介し、同作の広報に協力されていましたので、私も微力ながら情報拡散に協力しようと思いつきました。
 影山さんから南本さんのところにメールが届いたのは、南本さんや私が世話人を務めている「守ろう9条 紀の川 市民の会」の憲法フェスタで上映するため、森の映画社が製作した「沖縄ニューズリール」のDVDを南本さんが何本か購入されたからではないかと思います。
 
 影山あさ子監督から届いたメール(BCCで一斉送信したものでしょう)を執筆者に無断で引用しても、引用の趣旨から見て許されるだろうと判断し、以下にご紹介します。
 
(2018年1月4日付・影山あさ子さんからのメール・引用開始)
みなさま、あけましておめでとうございます。
森の映画社・影山です。
年末・年始は、沖縄で撮影でした。
いよいよ負けられない、2018年が始まりました。
13日の大阪・シアターセブンを皮切りに、いよいよ私たちの最新作「辺野古ゲート前の人びと」の劇場公開が始まります。
座り込みに参加する思い、一人一人の人生など、人間を通して辺野古でのたたかいの現在を描く作品です。
抗うものをすべて消去しようとする、”構造的暴力”の現場が辺野古です。
2月4日には名護市長選挙がありますが、稲嶺市長がその権限で、辺野古漁港を作業ヤードに使わせない、美謝川の切り替え工事を認めないことが、埋め立て工事の最大の障害になってます。
辺野古はどうなっているのか、ぜひ、今、ご覧頂きたいと願っています。
作品の詳細・解説→ https://goo.gl/gy3zmC
劇場公開の日程は以下の通りです。
 1/13(土)~ シアターセブン(大阪・十三)
 1/27(土)~ 桜坂劇場(沖縄・那覇)
 2/3(土)~ 元町映画館(兵庫・神戸)
各劇場で、監督+ゲストトークもあります。
上映時間、トークのなどの詳細→こちら
ぜひ、多くの皆様にご覧いただきたく、各劇場用のお得な前売り券(1000円)もご用意しました。*10枚以上のお申込みで、さらにお得になります。
お申し込み方法→こちら
ぜひ、劇場にご来場ください。
今年も辺野古に張り付いて、撮影を続けます。
どうぞよろしくお願いいたします。
 「辺野古ゲート前の人びと」共同監督
   影山あさ子
※森の映画社・札幌編集室 http://america-banzai.blogspot.com/
(引用終わり)
 
 以上が、影山あさ子監督からのメッセージであり、リンク先を開いていただければ、より詳細な情報が得られますが、ややお節介ながら、主要部分を引用させてもらいます。
 
 森の映画社★札幌編集室のホームページに、藤本幸久・影山あさ子両氏のプロフィールが掲載されています。
 その一々を引用することはしませんが、これまでの監督作品のリストを以下にご紹介しておきます。
[藤本幸久監督作品]
「教えられなかった戦争-侵略・マレー半島」(共同監督:高岩仁)(1992年)
「森と水のゆめ~大雪・トムラウシ~」(1998年)
「闇を掘る」(2001年)
「Marines Go Home-辺野古・梅香里・矢臼別」(2005年)
「アメリカばんざい-crazy as usual」(2008年)
「Marines Go Home 2008-辺野古・梅香里・矢臼別」(2008年)
「アメリカ-戦争する国の人びと」(2010年)
「ONE SHOT ONE KILL-兵士になるということ」(2010年)
[藤本幸久・影山あさ子共同監督作品]
「ラブ沖縄@辺野古@高江」(2012年)
「笹の墓標」(2013年)
「圧殺の海」第1章(2015年)
「圧殺の海 第2章 辺野古」(2016年5月)
「高江-森が泣いている」(2016年9月)
「高江-森が泣いている2」(2016年11月)
 
「辺野古ゲート前の人びと」2017年/98分
 監督/藤本幸久・影山あさ子
 プロデューサー/藤本幸久
 撮影/中井信介・藤本幸久・影山あさ子・小田切瑞穂・酒村多緒・栗原良介
 編集/藤本幸久・影山あさ子・中井信介・清水千恵子
 ナレーション/影山あさ子  
 沖縄語監修/玉代㔟 章
 作画/ねこまたや 
 映像協力/蒼井渚・仁尾淳史
 製作・著作/森の映画社
 配給/影山あさ子事務所
 
全国のみなさん、是非この映画を観てください!
山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)
 安倍内閣による新基地建設の強行は、ゲート前でスクラムを組んで座り込む県民そして全国からの支援者に容赦のない警察機動隊の暴力となって表出している。
 腕を捻られ、黒あざをつくられ、まるで何かの獲物かのごとくに囲いに放られている。許されない警察権力の暴力が炸裂している。しかしそれでもゲート前の人々はへこたれない。そして明るい。権力を笑い飛ばしながらゲート前に結集する。映画は現下に起きている真実を余すところなく伝える。
 
<構造的暴力>の標的となった沖縄基地反対の声
金平茂紀さん(TVジャーナリスト)
 <暴力>は何も物理的な力で相手を殺傷したり、理不尽な被害を与えることだけを指すのではない。冷徹な意思に基づき、執拗に、計画的に、波状的に、長期にわたって、敵対する者たち、従わない者たち、抗う者たち、少数者たち、異なった者たちといった存在自体を<消去>するべく、膨大なエネルギーが総動員される事態が、歴史上繰り返されてきた。それを僕は<構造的暴力>と呼ぶ。
 この映画のなかの印象的な1シーン。ゲート前で、若い県警機動隊員が、祖父ほどの年齢の県民と押し問答をして会話する。
 「違法な工事をやめろ」という県民に対して、警察官は「裁判官でもないあなたに、決める権利はない」と言う。県民が「決めるのは裁判官じゃない、国民だ」と言うと、警察官は「選ばれた人、裁判官や首相が決める」と言う。県民が「僕らは選んだことはない」と言うと、警官は「それだったら、もう日本から出ていかないと」と言い放つ。
 救いがないほどのすれ違いぶりだ。
 <構造的暴力>の現場では、平等・対等な人間関係などあらかじめ排除されている。<構造的暴力>を行使する側にとって、相手は<消去>の対象なのだから。沖縄の米軍基地建設という国家意思に反対する人々も<構造的暴力>の標的とされ続けている。「土人」とか「シナ人」とかの暴言を浴びせられた人々だ。
 <暴力>とはそのようなものだ。この映像を想像力をめぐらして凝視しようではないか。
 
三歩下がって歩け!
辛淑玉さん(人材育成コンサルタント)
 生活の中に政治があり、抵抗運動がある。
 山城ヒロジが独房から解放される時、妻は「(夫を)一番最後に」と言った。拘束された人はまだいるから申し訳ないと。小さく、か細いで声でそう語る彼女の言葉にシビレた。
 めちゃ素敵。
 男が働いて一家を養うのが当たり前、なんて女の横では男は育たないと実感した。
 史上最大のリストラ、組合潰し目的の国鉄解体のとき、不安に揺れ動いていた男たちの背中を押したのも妻たちだった。「なめられるんじゃない!」と。そう、危機的状況のときは、いつも女が事態を切り開いてきた。
 辺野古の女たちの闘いは朝3時の弁当作りから始まる。食うことは生きること。弁当を広げ、笑いながら語る女たちが本当に美しい。
 辺野古に来て、考えたり、対話したり、学ぶことが嬉しいと語る女性の背後に、抑圧された女の歴史がある。学ぶこと、知ること、それが命をつなぐことなのだ。
 そんな女の人生のジャマをしているのが制服組。見終わって、その滑稽さと、対照的な女の強さが胸に染みる。
 おい、制服組!お前らは女の後ろを三歩下がって歩け!
 
3度見て3度泣いた
仲宗根勇さん(うるま島ぐるみ会議共同代表・元裁判官)
 闘いに参加しているたくさんの人間の多様な個人史を入れ込み、情感溢れる感動作。一人のヒーローではなく、画面に映るひとりびとりが皆人間として尊厳に満ちたヒーローとなった傑作です。
 最高潮は地裁構内「なだれ込み」集会、一糸乱れぬ歌声と「博治を返せ!」の圧倒的場面です。3度見て3度泣けてきました。画面に映るひとりびとりの心からの権力の暴圧への怒りの歌声と病気の人間を自由の空間に取り戻そうという人間愛の絶叫です。
 
あなたに知ってほしい 私の大切な島の人たち
やすまことさん
 私のレジェンドたちの
 お名前と姿をずっと忘れない。
 辺野古ゲート前に座り込む人
 それぞれのライフストーリー
 半分皮肉も込めて、こんなこともうしたくない
 早く死んで楽になりたいって機動隊に囲まれながらつぶやくお年寄りに、戦でたくさんの兄弟を奪われたお年寄りが、何度も死んではだめだよと語りかける姿に泣けた…
 あなたに知ってほしい
 私の大切な島の人たち
 
★大阪(十三)「シアターセブン」★
■1/13(土) 12:30 上映後、監督+ゲストのトークあり!
■1/14(日) 11:40  上映後、監督+ゲストのトークあり!
■1/15(月)~19(金) 12:30
■1/20(土)~26(金)12:00
※1/27(土)以降も続映予定
★沖縄(那覇)「桜坂劇場」★
1/27(土)~2/23(金)
1/27~2/2は上映後、監督+ゲストトークあり。
2/2(金)のゲストは、山城博治さん
■1/27(土) 14:30
■1/28(日) 12:30
■1/29(月)~2/2(金) 14:30
※2/3以降は調整中
★兵庫(神戸)「元町映画館」★
2/3(土)~2/9(金)  連日10:00より
2/3(土)は上映後、影山監督トークショー開催
 
上映権付のDVDの販売を開始します。(チラシA4・裏表はこちら
ご購入いただけば、有料でも無料でも、どんな規模の上映会でも、自由に何回でも開くことができます。(ただし、DVDを他の団体や個人に貸し出しての上映会はできません。複製・コピーもできません。)
[ご注文方法]DVDの枚数・お送り先ご住所・お名前・お電話番号を持森の映画社札幌編集室まで、FAXかメールでお知らせください。請求書と郵便払い込み用紙を添えてDVDをお送りします。代金は到着後で結構です。
 FAX011-351-1068 メールはこちら(※リンク先をご覧ください)
 
 チラシを読んでみると、上映権付DVDは20,000円で購入できます。
 そういえば、「圧殺の海 第2章 辺野古」も「高江-森が泣いている2」も、和歌山では、和歌山県平和フォーラムが上映権付DVDを購入して上映会を開いたのだった。今度の「辺野古ゲート前の人びと」も購入するように頼んでみようかな(私から頼むまでもなく、森の映画社から当然案内が届いているでしょうが)。
 
(弁護士・金原徹雄のブログから/「森の映画社」関連)
2015年2月20日
2015年8月2日
2016年11月16日
2017年2月24日

映画『人生フルーツ』テレビ初放送(日本映画専門チャンネルだけど)~「地方局ドキュメンタリー傑作選」は見逃せない

 2017年11月15配信(予定)のメルマガ金原.No.2987を転載します。
 
映画『人生フルーツ』テレビ初放送(日本映画専門チャンネルだけど)~「地方局ドキュメンタリー傑作選」は見逃せない
 
 私は、昨年(2016年)12月28日に書いたブログ(集中特集 東海テレビ ドキュメンタリー傑作選」(12/29~1/10/日本映画専門チャンネル)のご紹介)において、自社制作のドキュメンタリー番組の劇場映画化を積極的に推進する東海テレビ放送の作品が、日本映画専門チャンネルで特集上映されることをご紹介しましたが、その1年後の来月(2017年12月)、再び同チャンネルで特集放映が行われます。
 
 1年前の特集で放送された9本の劇場用作品は今回も放映されますが、ちょうどその特集放送が行われていた2017年1月2日に劇場公開されて話題を呼んだ『人生フルーツ』(伏原健之監督)が、今回の特集でテレビ初放送となります。
 映画『人生フルーツ』公式サイトの中の「作品解説」を引用してみましょう。
 
(引用開始)
 愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの一隅。雑木林に囲まれた一軒の平屋。それは建築家の津端修一さんが、師であるアントニン・レーモンドの自邸に倣って建てた家。四季折々、キッチンガーデンを彩る70種の野菜と50種の果実が、妻・英子さんの手で美味しいごちそうに変わります。刺繍や編み物から機織りまで、何でもこなす英子さん。ふたりは、たがいの名を「さん付け」で呼び合います。長年連れ添った夫婦の暮らしは、細やかな気遣いと工夫に満ちていました。そう、「家は、暮らしの宝石箱でなくてはいけない」とは、モダニズムの巨匠ル・コルビュジエの言葉です。
 かつて日本住宅公団のエースだった修一さんは、阿佐ヶ谷住宅や多摩平団地などの都市計画に携わってきました。1960年代、風の通り道となる雑木林を残し、自然との共生を目指したニュータウンを計画。けれど、経済優先の時代はそれを許さず、完成したのは理想とはほど遠い無機質な大規模団地。修一さんは、それまでの仕事から距離を置き、自ら手がけたニュータウンに土地を買い、家を建て、雑木林を育てはじめましたーー。あれから50年、ふたりはコツコツ、ゆっくりと時をためてきました。そして、90歳になった修一さんに新たな仕事の依頼がやってきます。
 本作は東海テレビドキュメンタリー劇場第10弾。ナレーションをつとめるのは女優・樹木希林。ふたりの来し方と暮らしから、この国がある時代に諦めてしまった本当の豊かさへの深い思索の旅が、ゆっくりとはじまります。
(引用終わり)
 
 なお、この作品は、2016年3月に放送され、第42回放送文化基金賞番組部門最優秀賞を受賞したドキュメンタリー番組を劇場版として再編集したものです。
 
 また、今回の日本映画専門チャンネルでの特集「東海テレビドキュメンタリー傑作選」では、劇場用作品10作品だけではなく、テレビ用の番組も、『人生フルーツ』のスピンオフ番組『樹木希林の居酒屋ばぁば』を含む9作品が放送されます。特に、今回放送される番組の多くが、齊藤潤一ディレクターが手掛けた司法関連の番組であり、これだけまとまって1人のディレクターのドキュメンタリー番組が放送されるというのは希有の機会かもしれません。 
 スカパー!やケーブルテレビで日本映画専門チャンネルを視聴する便宜のある方には、是非お見逃しなくと推奨したいと思います。
 私個人にとっての問題は、そろそろ私方の録画機のハードディスク容量が満杯に近付いていることです。さてどうしたものか。
 
【東海テレビドキュメンタリー傑作選(劇場用映画)】
放送日① 2017年12月10日(日)21時00分~
放送日② 2017年12月14日(木)23時20分~
放送日③ 2017年12月30日(土)21時45分~
放送日 2017年12月11日(月)21時00分~
放送日 2017年12月10日(日)深夜02時40分~
放送日 2017年12月11日(月)深夜00時45分~
放送日 2017年12月10日(日)深夜04時25分~
放送日 2017年12月12日(火)深夜02時30分~
放送日 2017年12月12日(火)21時55分~
放送日 2017年12月11日(月)22時45分~
放送日① 2017年11月23日(木)22時20分~
放送日② 2017年12月10日(日)深夜00時00分~
放送日③ 2017年12月29日(金)22時10分~
放送日 2017年12月12日(火)深夜04時40分~
【東海テレビドキュメンタリー傑作選(テレビ放送番組)】
『人生フルーツ』スピンオフ作品
放送日① 2017年12月10日(日)23:00~
放送日② 2017年12月14日(木)深夜01:20~
放送日③ 2017年12月30日(土)23:45~
 
放送日① 2017年12月12日(火)21:00~ 
放送日② 2017年12月14日(木)深夜02:20~ 
放送日③ 2017年12月30日(土)深夜00:45~ 
 
放送日 2017年12月12日(火)23:40~
 
放送日 2017年12月12日(火)深夜00:35~
 
放送日 2017年12月12日(火)深夜01:30~
 
放送日 2017年12月10日(日)深夜01時45分~
 
放送日 2017年12月11日(月)深夜02時30分~
 
放送日 2017年12月11日(月)深夜03:25~
 
放送日 2017年12月11日(月)深夜04時20分~
 
 以上、日本映画専門チャンネルで12月に集中放送される「東海テレビドキュメンタリー傑作選」をご紹介しましたが、実はこの特集は、同チャンネルが11月・12月の2か月連続で組んでいる「ドキュメンタリーの現在地-地方局ドキュメンタリー傑作選-」の後半部分なのです。後半といっても、質・量ともに圧倒的な東海テレビ特集がメインではあるのですが、前半の11月に放送される4作品(内1本は東海テレビの『ヤクザと憲法』なので、それ以外の局の作品は3本)も、地方局が製作した番組を基に劇場用作品として公開され、話題を集めたものです。この内『みんなの学校』については、ブログでもご紹介し、私自身、大阪弁護士会での作品上映とトークセッション(真鍋俊永監督と木村泰子大空小学校初代校長による)に駆け付けたほどです。
 以下に、『ヤクザと憲法』以外の3作品についてご紹介しておきます。
 
【ドキュメンタリーの現在地-地方局ドキュメンタリー傑作選-】
放送日① 2017年11月23日(木)20:00~
放送日② 2017年12月29日(金)16:00~
放送日① 2017年11月23日(木)深夜00:10~
放送日② 2017年12月29日(金)18:20~
放送日① 2017年11月23日(木)深夜01:40~
放送日② 2017年12月29日(金)19:50~

 
(弁護士・金原徹雄のブログから/『みんなの学校』&東海テレビ関連)
2016年1月5日
2016年1月7日
2016年1月8日
2016年12月28日

放送予告9/2ETV特集『青春は戦争の消耗品ではない 映画作家 大林宣彦の遺言』&大林監督から若き映画人への28分のメッセージ(6/11)

 2017年8月28日配信(予定)のメルマガ金原.No.2918を転載します。
 
放送予告9/2ETV特集『青春は戦争の消耗品ではない 映画作家 大林宣彦の遺言』&大林監督から若き映画人への28分のメッセージ(6/11)
 
 今年の8月、NHKスペシャルやETV特集を中心として、瞠目すべきドキュメンタリー番組の秀作を次々と放送したNHKの姿勢に、(半信半疑ながら?)賞賛の声が集まっています。
 実は、上記NHKによる番組放送予定を網羅したNPJのイベント情報「平和と戦争を考えるテレビ・ラジオ番組 2017年夏」をブログで紹介していたところ、私のブログにしては珍しく、ずっとアクセスが続き、リストの最後に載っていた8月19日のETV特集『描き続けた“くらし” 戦争中の庶民の記録』の放送が終わった後も、ぼちぼちとアクセスが続いているくらいです(「平和と戦争を考えるテレビ・ラジオ番組 2017年夏」(NPJイベント情報)~NHKのテレビ・ラジオ放送予定/2017年7月7日)。
 
 さて、民放を含め、「平和と戦争を考える」番組はそろそろ一段落したかと思い、今週のETV特集の予定を調べてみると、『青春は戦争の消耗品ではない 映画作家 大林宣彦の遺言』の放送が予告されていました。これは見ざるを得ません。
 もっとも、以下の番組案内に挙げられている『転校生』、『時をかける少女』はしっかりと記憶に焼き付いていますが、私は、その後の大林監督のフィルモグラフィーの良き伴走者では決してありませんでした。ウィキペディアに掲載されている44本の劇場用映画の内、私が劇場で観たのは、第13作『彼のオートバイ 彼女の島』(1986年)が最後だったのですから。
 それは、『彼のオートバイ 彼女の島』にがっかりしたからでは決してありません。それどころか、私が角川春樹プロデュースによる初期「角川映画」からベスト3を選ぶとすれば、『彼のオートバイ 彼女の島』は絶対にそのうちの1本に入ります。残る2本は、その時の気分によって、『セーラー服と機関銃』(1981年)、『蒲田行進曲』(1982年)、『時をかける少女』(1983年)、『麻雀放浪記』(1984年)などを揺れ動きますけど。
 1986年は、司法試験受験浪人の身でありながら、読書三昧、映画三昧の生活を続けていた私のモラトリアムの時代が終わろうとしていた年でした。この年合格しなければ司法試験を断念するしかないなと考えながら、新宿武蔵野館(多分)で『彼のオートバイ 彼女の島』を観たのが4月。そして、その年の秋、ようやく司法試験に合格し、私の「映画の時代」は「司法試験受験の時代」とともに終わりを告げたということです。
 
 個人的な感慨はこれくらいにして、ETV特集の番組案内をご紹介しましょう。
 
NHK・Eテレ 
本放送 2017年9月2日(土)午後11時00~午前0時00分
再放送 2017年9月7日(木)午前0時00分~1時00分(水曜深夜)
ETV特集『青春は戦争の消耗品ではない 映画作家 大林宣彦の遺言』
(番組案内から引用開始)
「転校生」や「時をかける少女」などで知られる映画作家・大林宣彦。末期ガンを宣告された今、「戦争」をテーマにした新作に挑戦している。完成までの日々を追う魂の記録。
末期ガンを宣告された映画作家・大林宣彦、79歳。43作目に選んだテーマは“戦争”。華麗でポップな映像世界で知られた大林監督が、なぜ今、戦争を描くのか。そこには軍国少年だった頃の記憶、そして青春を戦場で過ごした父の姿があった。新作「花筐(はながたみ)」のシナリオには、太平洋戦争へ向かう青年たちの葛藤が書き込まれた。「青春が戦争の消耗品だなんてまっぴらだ」。映画人生の集大成に挑む大林監督の1年を追う。
(引用終わり)
 
 映画『花筐』に関する参考サイトは末尾にリンクしておきますので、興味のある方はそちらをご参照願います。
 ここでは、今年の6月11日、第19回「ショートショート フィルムフェスティバル&アジア(SSFF & ASIA)」の授賞式に審査員として出席した大林監督が行った28分間のスピーチ動画をご紹介したいと思います。
 私は、今日のブログを書くため、色々とネット検索をしていて、ふと以下の記事が目にとまりました。
 
スポーツ報知 2017年6月12日4時0分  スポーツ報知
肺がん大林宣彦監督、魂の「遺言」28分間
(引用開始)
 昨年8月にステージ4の肺がんの宣告を受けた大林宣彦監督(79)が11日、都内で行われた国際短編映画祭「ショートショートフィルムフェスティバル」の授賞式に公式審査員として出席した。5月にがんが報じられて以降、初の公の場で、後輩の映画製作者たちに向けてメッセージを贈った。
 魂の「遺言」だった。つえをつき、やせた頬で登壇した大林監督は小倉智昭キャスター(70)、俳優の三上博史(年齢非公表)ら他4人の審査員が1分程度の講評を述べた後、マイクを握った。「余命3か月の宣告を受け、本当はここにはいないはずでしたが、まだ生きてます。生きているならば、ただ一人、胸に温めていた黒澤明監督の遺言を伝えようと命懸けでここに立っております」
 親交の深かった世界の巨匠から告げられたという非戦の思い、アマチュアイズムの信念などを28分間にわたって力強く語った。最後に「映画とは風化せぬジャーナリズムである。自分自身を確立する手段であるという意識を持って生きていってほしい。黒澤監督が言った『俺の続きをやってよね』という言葉を、若い人たち皆さんに贈ります」と言い残して、舞台袖に消えた。会場に大きな拍手がこだました。
 映画「時をかける少女」「転校生」などで知られる大林監督は昨年8月、監督人生の集大成と位置づける作品「花筐(はなかたみ)」のクランクイン前日にがん宣告を受けた。窪塚俊介(35)や満島真之介(28)らが出演し、日米開戦前夜の若者たちの青春群像を描いた作品を、治療と並行して撮影。既に完成し、12月に公開を予定している。
 終了後、取材に対し「がんはまだありますけど、現代の医療はすごくてね。もう少し生きるつもりでいます」と柔和な笑顔を見せていた。
(引用終わり)
 
 大林宣彦監督が癌を公表されたことは漏れ聞いていましたが、6月11日の28分間のスピーチは知りませんでした。
 急いで探してみたところ、「ショートショート フィルムフェスティバル&アジア」の公式YouTubeチャンネルに以下の動画がありました。感動しました。是非ご覧ください。そして、9月2日のETV特集も絶対に観ましょう。
 
大林宣彦監督が伝えた巨匠・黒澤明の"遺言" / Nobuyuki Obayashi conveys the great filmmaker Akira Kurosawa’s last message.
 

(参考サイト/
映画『花筐』関連)
映画『花筐(はながたみ)』公式サイト
 
公式サイトから「大林宣彦監督からのメッセージ」
(引用開始)
 映画『花筐』の源となる脚本の初稿は、いまを去る40数年の昔、僕、大林宣彦の劇場用映画第一作『HOUSE/ハウス』(77)を撮るよりも前に、第一作を『花かたみ』として製作する予定で書き上げておいたものである。
 三島由紀夫がこの一冊を読んで小説家を志したという、檀一雄最初の短篇集に収められた鮮烈な純文学『花筐』が原作である。文豪佐藤春夫による一頭の蝶の絵の装幀に、僚友・太宰治が帯文を寄せた箱入り愛蔵本を手に、これを映画化するのは僕の終生の夢であった。檀一雄さんの生前にお逢いして映画化の許可は戴いており、この空想的で美的な言語世界を映画にするには何処が宜しかろうかと伺ってみたところ、「唐津へ行ってご覧なさい」、と微笑みながら一言。檀さんはその頃既に重い病に臥しておられたのでありました。
 それから日が経ち、檀一雄さんの訃報が御子息の檀太郎君から告げられた。僕の青春のひとつがそこで終わり、映画『花かたみ』の脚本は書棚の奥深くに仕舞われて、永い眠りの時の中に入って了った。それから更に歳月が流れ、僕は独り、遠い青春の記憶を弄っていた。映画が誕生するにも、「旬」があります。40年前には見えなかったものが、いままざまざと見えてくる、ということも。
 昭和11年(1936年)文芸誌に『花筐』が発表されたその翌年、処女短篇集『花筐』の出版記念予告日に檀一雄は召集令状を受け取り、戦地へ赴いている。そして多くの尊い命が、戦場の露と消えた。一見、放蕩無頼にも見ゆる本作の若き登場人物たちの精神や行動も、まことは切実なる生きる意志、――我が命は、魂は、我が信じるままに自由であらせよ、と願う、その純血の現れであったか、と。僕はこの物語を、いま新たに昭和16年(1941年)、あの太平洋戦争勃発の年に置き換えて語ってみようと思う。それはいまを生きる僕らに、より切実な、戦争の記憶であるから。
 「これは、いま必要な映画ですね」。唐津の里の里人のこの一言に励まされながら・・・。
(引用終わり)

映画『花筐(はながたみ)』予告編
 

映画『日本と原発 4年後』『日本と再生』ダイジェスト版上映とトーク(河合弘之氏&飯田哲也氏)を視聴する

 2017年8月11日配信(予定)のメルマガ金原.No.2901を転載します。
 
映画『日本と原発 4年後』『日本と再生』ダイジェスト版上映とトーク(河合弘之氏&飯田哲也氏)を視聴する
 
 このブログを以前から読んでくださっている方なら、「電事連」というのが、全国10の電力会社で構成する「電気事業連合会」の略称であることなど先刻ご承知のことと思います。
 それでは、「原自連」はどうでしょうか?「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」という正式名称をすらすら言える人は、今のところそう多くはないでしょうね。公式サイトはこちらです。
 4月14日に行われた発足発表記者会見(小泉純一郎元首相も出席)をニュースで見た、という人はいるかもしれませんね。
 記者会見の動画をご紹介します。
 
[アーカイブ]「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」創設記者会見(58分)

 
 発表された「主旨」と「メンバー」を引用しておきます。
 
(引用開始)
Ⅰ.主  旨
東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所の事故を通じて、私たち国民は、原発が人類にとって非常に危険であることを学び、事故から6年以上が経過した今もなお、全国各地で脱原発や自然エネルギー推進に向けた活動が熱心に行われておりますが、こうした活動の多くは、孤立・独立しており、相互の連携が図れていないのが現状です。
こうした中で、今後、より一層、脱原発や自然エネルギーの推進に向けた国民運動を展開していく上では、全国各地で取組んでいる活動が一致団結し、お互いに連携協力していくことが重要であると考え、今回、思想や信条を問わず、原発ゼロと自然エネルギー推進を志すすべての個人や団体が集結した「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」が創設されることとなりました。
Ⅱ.メンバー
会長   吉原 毅(城南信用金庫相談役)
顧問   小泉 純一郎(元内閣総理大臣)
      細川 護煕(元内閣総理大臣)
副会長 中川 秀直(元自由民主党幹事長、元科学技術庁長官、原子力委員会委員長)
      島田 晴雄(前千葉商科大学学長、慶應義塾大学名誉教授)
      佐藤 彌右衛門(全国ご当地エネルギー協会会長、会津電力株式会社代表取締役)
幹事長・事務局長 河合 弘之(脱原発弁護団全国連絡会共同代表)
事務局次長 木村 結(東電株主代表訴訟事務局長)
幹事  鎌田 慧(ジャーナリスト)、佐々木 寛(新潟国際情報大学教授)、香山 リカ(立教大学教授)、三上 元(元静岡県湖西市長)、永戸 祐三(ワーカーズコープ理事長)
賛同人 飯田 哲也(認定NPO法人環境エネルギー政策研究所所長)、下村 満子(元朝日ジャーナル編集長)、海渡 雄一(脱原発弁護団全国連絡会共同代表)、金子 勝(慶應義塾大学教授)、福岡 正夫(慶應義塾大学名誉教授)、古川 亨(慶應義塾大学教授・元日本マイクロソフト会長)、原田 博夫(専修大学教授)、鹿嶋 春平太(明治学院大学名誉教授・宗教社会学者)、楠 達史(Abalance株式会社独立社外取締役)、小宮 武夫(元三和銀行営業本部第一部長・元ブラデスコ投資銀行取締役・ウェルフェア株式会社代表取締役)福山 真劫(平和フォーラム共同代表)、柳田 真(たんぽぽ舎共同代表)吉岡達也(ピースボート共同代表)、近江屋信広(NPO法人地域力創生プロジェクト相談役)
(引用終わり)
 
 真に「思想や信条を問わず、原発ゼロと自然エネルギー推進を志すすべての個人や団体が集結」することが出来れば素晴らしいことですし、現状がどうあれ、まだ緒に就いたばかりであれこれ言う時期でもないでしょうから、思いつきをコメントするのは控えます。
 
 その「原自連」が、去る8月6日(日)、日本科学未来館において、「原発ゼロ後、自然エネルギー100%の可能性を探る 映画「日本と原発 4年後」「日本と再生」ダイジェスト版上映とトーク(河合弘之&飯田哲也)」というイベントを開催しました。
 なお、この2本の映画のダイジェスト版を収録したDVDについて、「原自連」ホームページは、「各地で脱原発運動をしている方々と、自然エネルギー事業を展開している方々の出会いの場として今後の交流の場としてお使いいただくのにぴったりです。映画のダイジェスト版はDVD、ブルーレイ、ハードディスク用のセットになっております。2点で計67分、そこに公演(講演の変換ミスか?)や対談をセットすることで、視覚に訴える説得力のあるイベントになります。自然エネルギーが災害に強いことも証明できます。このセットは無料でお貸出し致しますので、是非ご相談ください。(木村結)」として活用を推奨しています。
 
 ダイジェスト版の上映部分も含め(主催者の了解の下)、UPLANによって中継動画が公開されていますのでご紹介します。
 
20170806 UPLAN 河合弘之&飯田哲也 映画「日本と原発 4年後」「日本と再生」ダイジェスト版上映とトーク(1時間51分)

冒頭~ 司会(木村 結)
2分~ 映画『日本と原発 4年後』ダイジェスト版上映
32分~ トーク 
      河合弘之氏(弁護士、映画監督)
      飯田哲也氏(認定NPO法人環境エネルギー政策研究所所長)
      司会 木村 結氏(東電株主代表訴訟事務局長)
1時間12分~ 映画『日本と再生 光と風のギガワット作戦』ダイジェスト版上映
1時間49分~ 終演
 
 ダイジェスト版が上映された河合弘之弁護士が監督した2作品のうち、『日本と原発 4年後』については、2016年5月22日、私も実行委員会の一員として和歌山市で上映会を開催し、多くの方にご覧いただきました(映画『日本と原発 4年後』を和歌山市で上映しました(2016/5/22)/2016年5月22日)。
 この時点で、河合監督の次回作が自然エネルギー推進にフォーカスしたものになることは分かっていましたが、「それも是非上映しよう」という声が実行委員の間でなかなか盛り上がってこなかったのは、予告編(特報)での小泉元首相のアジテーションが一因だったのではないかという気がします。
 もっとも、和歌山県下では、風力発電による低周波音被害が問題となっていたり、大規模太陽光発電施設を建設するために、深刻な自然環境破壊が懸念されているなど、自然エネルギーだからといって、そうそう礼賛ばかりもしていられないという事情もありますからね。
 ただ、これまでは、約2分の予告編を見ただけで、映画自体は未見だったので、その作品としての評価(もちろん、運動のツールとしての、という意味ですが)は下しようがなかったのですが、37分のダイジェスト版であれば、かなりの程度、内容についての判断が可能となるかもしれません。
 映画『日本と原発 4年後』和歌山上映実行委員会委員だった皆さん、ダイジェスト版をご覧になってどう思われますか?
 
 なお、8月6日に上映された映画『日本と原発 4年後』のダイジェスト版(30分)は、今年の5月27日、「法廷上映用30分版」としてネット上で公開されたものそのものだと思いますので、この部分は、以下の公式動画での視聴をお勧めします。
 
日本と原発 4年後 法廷上映版

「自由なラジオ LIGHT UP!」最新アーカイブを聴く(062~064)~浅井隆さん、藤田早苗さん、西谷文和さん

 今晩(2017年6月20日)配信した「メルマガ金原No.2849」を転載します。

「自由なラジオ LIGHT UP!」最新アーカイブを聴く(062~064)~浅井隆さん、藤田早苗さん、西谷文和さん

 「ラジオフォーラム」の事実上の後継番組として、昨年の4月にスタートした「自由なラジオ LIGHT UP!」。ここ最近は3週間毎にお送りしている番組アーカイブの「まとめ」紹介、今日は、以下の3番組(062~064)をご紹介します。
 渋谷アップリンク代表の浅井隆さん、英国エセックス大学人権センターフェローの藤田早苗さんのお話もとても興味深いのですが、最新アーカイブ(064)では、普段はこの番組のパーソナリティを務める西谷文和さんが、今回は「ゲスト」として出演し、南スーダン取材報告をされています。南スーダンの現状と併せ、自衛隊がどのような状況の中でどのような活動を行っていたのかについてのお話を聴くことができます。是非多くの方が聴取されますように。
 なお、過去のアーカイブは以下のYouTubeチャンネルから聴取できます。

自由なラジオ Light Up! (001~039までのアーカイブが聴けます)
jiyunaradio funclub (039以降のアーカイブが聴けます)

第62回の自由なラジオは、映画通をうならせる上質な映画を上映するマイクロミニシアター「渋谷アップリンク」をお訪ねして、代表の浅井隆さんにお話しを伺いました。
渋谷アップリンクは、日本屈指の繁華街を抜けた先、独特の文化を持つ奥渋谷に位置し、そこに集うのは、単なる映画ファンにとどまらず、自分のライフスタイルを気ままにデザインしたい芸術家肌、あるいは知的な刺激を求める個性豊かな人々であったりもします。そんな人々が行き交う街にあるアップリンクの中には、3つのマイクロミニシアターがあります。座席数は、それぞれ58席、44席、40席と本当に小ぶりですが、居心地のよいアメニティの中で、スクリーンにじっくり没入できる自分だけの映画館といった作り。その他この建物の中には、こだわりのカフェやギャラリー、マーケット、そして映画にまつわる様々なイベントも多数とにぎやか。さて、そのオーナー浅井隆さんとはいったいどんな人物なのでしょうか?アップリンクにかけた映画の未来、そしてこれまで歩んでこられた人生を、木内みどりがじっくりていねいに伺いました。
渋谷アップリンク 
お話しの中にも出てきました、今なお色褪せないこの映画も注目。
「100,000年後の安全」 
またアップリンクでも上映中の映画「知事抹殺の真実」を撮った監督、安孫子亘さんに電話をつなぎ、佐藤栄佐久元福島県知事が謂われなき罪状で逮捕されたあの事件を扱ったドキュメンタリー映画がどうして生まれたのか、この映画に込めた思いについて語っていただきました。
佐藤栄佐久さんが知事だったら、福島原発事故は防げていたはず・・・
映画「知事抹殺の真実」 
代わって、今日の音楽コーナーは、先日ゲストに来ていただいて生演奏をお届けしたキルギス共和国の民族楽器奏者のウメトバエワ・カリマンさんの演奏を、もう一曲、録音でお届けいたします。今回は珍しいキルギスの民族楽器「テミルコムズ」の演奏とご本人の歌声もお楽しみください。
東京音楽大学付属民族音楽研究所のカリマンさん紹介ページ

063 2017.6.13
日本の人権の危機を国連に通報した!
デビッド・ケイ氏が日本に来るきかっけを作った藤田早苗さんを迎えて
PERSONALITY おしどり
GUEST 藤田早苗さん(英国エセックス大学人権センターフェロー)
今回のおしどりのラジオアクティブのお客様は、英国エセックス大学人権センターフェローの藤田早苗さんです。藤田さんは、特定秘密保護法を、その成立前に英訳して国連に通報し、その危険性を国際社会に知らしめるという、大きな仕事をされた方で、国連の特別報告者のデビッド・ケイ氏が日本に調査に訪れるきかっけを作った方です。
藤田さんはどのような思いで、日本の現状を「危機的」と判断し、そして国連に通報したのか、また、あまたある通報の中で、藤田さんの指摘を見逃さなかった国連に対して、どのような協力を日々続けておられるのか?じっくりとお話しを伺いました。
番組後半では、藤田さんが、5月3日ジャカルタで開催された「国連世界報道自由デー」に参加したときのお話しを伺いました。日本ではよく知られていないこの大切な日、毎回日本人はほとんど参加しない中、世界の気高いジャーナリストたちの勇気ある活動を通して国際社会の報道の自由と知る権利という人権に対する意識の高さを感じるイベントだそうです。
今は戦火がない意味で平和?な日本において、少しずつずれていっている人権感覚が、気が付けば取返しのつかないことになっている、そんなことになってはいないか?国際社会を鏡にしっかり目を見開く必要がありそうです。リスナーの皆様にとって、今回の番組がそのきっかけとなればと願っています。

■Light Up!ジャーナル「脱原発先進国と日本は何が違うのか?」
電話インタビュー:小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)

脱原発に舵を切ったドイツ、台湾と取材をしてきたおしどりと小出裕章さんの聞き逃せない対談です!世界中が原発から離れていく中で、なぜ日本だけが再稼働を続けるのか?根本的な疑問に迫ります。
 

■メインテーマ:「南スーダン最新報告~自衛隊は現地で何をしていたのか?」
今年3月13日、安倍首相の「一定の区切りがついた」発言とともに、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に派遣されていた陸上自衛隊が5年余りの活動を終えて5月27日までに完全撤収しました。しかし、南スーダンの情勢は「一定の区切り」とは程遠く、内戦状態は決して終わったわけではありません。
そこで今回、この番組のパーソナリティでもあるジャーナリストの西谷文和が、南スーダンの潜入に成功。日本政府の発表はそのまま受け入れていいのか?現地の内戦事情だけでなく、自衛隊が現地で何をしていたのかまでを取材してきました。克明なレポートを矢野宏がインタビューします。
■よりそいコラム:「大阪発!メディアの現場から」
矢野宏が気になった話題を気ままに解説する「よりそいコラム」。今回は西谷さんがゲストということで、二人のジャーナリストが日頃見ている(もしくは出演している)大阪のテレビ局を中心としたメディア事情を語ります。
特に、視聴率に左右されているという現場の様子とその理由には、ジャーナリズムの役割自体が危ぶまれ兼ねません。その実感をリアルに語ります。
■LightUpジャーナル:「福島の山林火災と放射性物質の飛散」について
電話インタビュー:今中哲二さん(京都大学原子炉実験所研究員)
4月29日夕方、福島県浪江、双葉両町にまたがる十万山(じゅうまんやま)の国有林で出火。いったんは鎮火状態となっても、再び燃え始めることを繰り返し、発生から12日後にようやく鎮火しました。現場が東京電力福島第一原発事故の帰還困難区域だったこともあり、インターネット上では「放射性物質が飛散する」などの情報が飛び交いました。今回は、「福島の山林火災と放射性物質の飛散」について、今中さんにお話を伺います。

映画『いきたひ~家族で看取る~』上映と長谷川ひろ子監督講演(和歌山県保険医協会)@7/6メディアアートホールへのお誘い

 今晩(2017年6月17日)配信した「メルマガ金原No.2846」を転載します。

映画『いきたひ~家族で看取る~』上映と長谷川ひろ子監督講演(和歌山県保険医協会)@7/6メディアアートホールへのお誘い

 しばらく前に和歌山県保険医協会からお知らせいただいた映画『いきたひ~家族で看取る~』上映と長谷川ひろ子監督講演会については、すぐにFacebookにチラシの画像をアップしてお知らせしたのですが、メルマガ(ブログ)でもご紹介することとします。
 まず、チラシから、開催概要を転記します。

チラシ文字情報から引用開始)
『いきたひ~家族で看取る~』
映画上映・長谷川ひろ子監督講演

映画「いきたひ」は、長谷川監督がお子さんと共にご主人をご自宅で看取った体験をベースに、看取り士をはじめ家族を抱いて看取った方々のインタビュー、活動をまとめたドキュメンタリーです。

長谷川ひろ子

フリーアナウンサー、シンガーソングライター
秋田県出身・埼玉県在住、4児の母。
健康体操教室“スタジオMother!s”主宰
元日高市教育委員
著書「自分磨きは姿勢から」
夫の最期を4人の子ども達と自宅で看取る。その後、死生観について考えていく中で、看取り士・柴田久美子さんと出会う。人を看取ること生きることの意味を問うドキュメンタリー映画を自身で制作。映画の上映&講演活動を全国で展開中。

2017年7月6日(木)15:00~17:00
【会場】メディアアートホール

         和歌山市西高松1-7-38(和歌山県立図書館2F)

開 場 14:30~ 受付開始
第1部 15:00~ 映画『いきたひ~家族で看取る~』上映
第2部 16:00~ 長谷川ひろ子監督講演

[前売り]18歳以上 1,500円  18歳未満 1,000円
[当日券]18歳以上 2,000円  18歳未満 1,500円

※定員200名
誠に申し訳ございませんが、会場の駐車場は駐車できる台数が少ないので、公共交通機関をご利用いただきますようお願いいたします。

要事前申込
チラシ下段に所定事項を記入してFAX(073-436-4827)で申し込んでください。
FAX以外でのお申込みは、電話:073-436-3766まで。
主催・和歌山県保険医協会
(引用終わり)

 チラシに同封されていた和歌山県保険医協会(龍神弘幸理事長)からの「お誘い」の文書から、今回の企画の開催趣旨が述べられた部分を引用します。

(抜粋引用開始)
 さて、今回ご案内いたしますのはドキュメンタリー映画「いきたひ」とその監督の長谷川裕子氏の講演
会です。
 厚生労働省は、「自宅で療養して、必要になれば医療機関等を利用したいと回答した者の割合を合わせると、60%」「要介護状態になっても、自宅や子供・親族の家での介護を希望する人が4割を超えた」
などとPRして、病院のベッド減らしを正当化しようとしています。
 病院ではなく、住み慣れた自宅で療養を望む声は、以前から多いのですが、「個人の尊厳」を守り、家族も納得できる療養をすることはまだまだ難しく、単身高齢者が増加している今は、誰にも看取られない
ということにもなりかねません。
 来年の診療報酬改定の大きな議題の一つとなっており、様々な視点から考える必要があります。
 映画「いきたひ」は、長谷川監督がお子さんと共にご主人をご自宅で看取った体験をベースに、『看取
り士』や家族を抱いて看取った方々の胃あんたビュー、活動をまとめたドキュメンタリー映画です。
 看取りを考える一助となればと考えて企画しました。
(引用終わり)

 和歌山県保険医協会は、今年の4月27日(木)にガーデンパーク和歌山内のジストシネマにおいて、
映画『いしゃ先生』を上映したばかりですが、今年は何だか映画づいていますね。
 以下に、映画『いきたひ~家族で看取る~』関連サイトをいくつかご紹介しておきます。
 平日午後の企画なので、都合のつく方は限られているかもしれませんが(開業医の方は木曜午後休診のと
ころが多いのかな)、関心のある方に是非お奨めしたいと思います。

 ちなみに、この7月6日(木)午後6時半から、和歌山ビッグ愛1階大ホールにおいて、和歌山弁護士会が、京都大学の高山佳奈子教授(刑事法)をお招きし、「あらためて、いわゆる共謀罪(テロ等準備罪)がもたらす社会を考える(仮称)」という市民集会を開催します。参議院「中間報告」採決の約39時間前に開催決
定した企画であり、企画書にあった「法案」という表現は当然削除されることになります。
 時間的にいって、映画『いきたひ~家族で看取る~』上映と監督講演に参加した後、和歌山ビッグ愛にかけつけることは十分可能です。和歌山県保険医協会の皆さんも、是非よろしくお願いします。

(映画『いきたひ~家族で看取る~』関連サイト)
映画『いきたひ~家族で看取る~』公式サイト
長谷川裕子監督 ドキュメンタリームービー「いきたひ」~家族で看取る~ 予告編

長谷川裕子監督 ドキュメンタリームービー「いきたひ」~家族で看取る~ プロローグ 

「いきたひ」長谷川ひろ子監督 インタビュー

映画『校庭に東風(こち)吹いて』和歌山上映会(6/4)のご案内

 今晩(2017年4月23日)配信した「メルマガ金原No.2791」を転載します。

映画『校庭に東風(こち)吹いて』和歌山上映会(6/4)のご案内

 今日は、6月4日(日)に開催される和歌山での映画上映会をご案内します。
 作品は、沢口靖子さんが小学校教諭を演じる『校庭に東風(こち)吹いて』(金田敬監督/2016年)です。
 どんな映画なんだ?という疑問に答えるため、まずは予告編をどうぞ。
 
映画「校庭に東風吹いて」予告篇(1分45秒)


 ということで、私もまず予告編を見てみたのですが、次から次と多彩な登場人物が一言ずつしゃべってはあっという間に次のカットに移っていくので、予告編というのはそういうものだとはいえ、いくら何でもやり過ぎで、どんな映画なのかイメージが掴みにくいなあ(大塚まさじさんがいい味出しているのでは?という期待は抱きましたが)。
 そこで、もう少し映画の中身が伝わってくる動画はないものかと探したところ、撮影風景や主演女優へのインタビューなどを交えた、いわゆる「特報」を見つけました。
 
校庭に東風吹いて(予告編)/特報(6分01秒)


 6分間の「特報」の4分40秒ころに、画面に以下のようなキャプションがあらわれます。
 
声を出さず心を閉ざした少女
貧困から問題を起こす少年
彼らと向き合う教師たちの情熱で
〈涙〉は〈希望〉に変えられるのだろうか

 映画公式サイトに掲載された【物語】を引用します。

(引用開始)
三木知世は、転勤で小学3年のミチルのクラスを担当する。
ミチルは、家では少し話せるのに学校では話せない。
一人でトイレにいけない、一人で給食を食べられない、歌えない、絵を描かない…。
「場面緘黙症」の疾患を持つミチルに、知世は、共感と愛情をもって接する。
同じクラスに、問題行動の多い安川純平がいる。
離婚した母親の理恵と純平は貧しい生活を送っている。
教室に飛び込んで来た青いインコを巡ってミチルと純平は幼い友情を芽生えさせる。
しかしある日インコが逃げ出してしまう…。
様々な問題に奔走する知世は、子どもたちの〈涙〉を〈希望〉に変えることができるのだろうか。
(引用終わり)

 映画鑑賞のための予備知識としてはこれ位で十分でしょう。
 ただ、「場面緘黙症」の少女が重要な役割を担って登場しますので、その点について事前に勉強しておきたいという方には、「かんもくネット」(場面緘黙の症状がある子どもや大人、経験者、家族、教師、専門家が協力しあい、活発な情報交換と正しい理解促進を目指す団体)の公式サイトを閲覧されることをお勧めします。

 さて、映画『校庭に東風(こち)吹いて』の和歌山上映会です。
 以下に、チラシと「参加のお願い」のPDFファイルから、必要な情報を抜き書きしてご紹介します。私も(頼まれてではありますが)呼びかけ人の1人になっており、是非観ようと思っています。皆さんもいかがですか?
映画『校庭に東風(こち)吹いて』

原作:柴垣文子(新日本出版社・刊)
校庭に東風吹いて
柴垣文子
新日本出版社
2014-02-20

監督:金田敬 脚本:長津晴子 企画・製作:桂荘三郎
出演:沢口靖子、岩崎未来、向鈴鳥、遠藤久美子、柊子
製作:ゴーゴービジュアル企画 2016年/112分/カラービスタビジョン作品
 
 
和歌山上映会
日時 2017年6月4日(日) 2回上映(午前・午後)
●午前の部 10:00~(開場9:30)
●午後の部 14:00~(開場13:30)
※午前・午後の上映会後に、柴垣文子さん(原作者)のお話があります。
場所 男女共生推進センター6F(あいあいセンター内)
     
和歌山市小人町29 TEL:073-432-4704
入場料 1000円(前売・当日共) ※中高生・障碍者の方 500円
主催 映画『校庭に東風吹いて』和歌山上映実行委員会
連絡先 同実行委員会 和歌山市九番丁5 TEL:073-431-7317(島宏幸)

私たちは映画『校庭に東風吹いて』を応援し上映会への参加を呼びかけます。
青貝正子、池田光子、井本千代、岩田清彦、岩野久美、上杉文代、植西一義、浦口裕成、大川克人、大平喜代、岡本房雄、小倉佳典、太田勝、小野原アイ子、加藤明、上井紀宏、神谷米子、河原径子、神崎務、貴志芳子、北村悦子、金原徹雄、鈴木栄作、西郷章、崎山善久、佐々木真理子、里﨑正、澤田淳、島知子、島宏幸、瀬戸全子、田中順也、田中秀樹、田村悠紀栄、津村知恵子、冨村佳子、中谷弘子、中谷吉冶、中畑博文、中浜倫太郎、中村行子、にしでいづみ、西本真美、花田惠子、引地延子、桶尻雅昭、日野のぞみ、藤田かすみ、平松ルミ子、馬場潔子、堀八重子、松永久視子、南本禮子、龍神志乃、龍神弘幸、藪野寛、山塚操、湯川とし子、由比勝 (呼びかけ人/敬称略/4月13日現在)

「校庭に東風吹いて」チラシ表「校庭に東風吹いて」チラシ裏 

映画『いしゃ先生』上映会(4/27@ジストシネマ和歌山)~和歌山県保険医協会創立40周年記念企画のご案内

 今晩(2017年3月22日)配信した「メルマガ金原No.2759」を転載します。

映画『いしゃ先生』上映会(4/27@ジストシネマ和歌山)~和歌山県保険医協会創立40周年記念企画のご案内

 先日、私が所属する青年法律家協会和歌山支部(青年会議所と違って青法協には「卒業」年齢の規定はありません)が今年、支部創立50周年の節目の年を迎えていることをお伝えしましたが(中野晃一氏 講演会「市民の力で立憲民主主義を創る~他者性を踏まえた連帯の可能性~」(4/28和歌山県民文化会館)のご案内/2017年3月18日)、昨日、青法協和歌山支部とも、団体どおしで非常に親しくさせていただいている和歌山県保険医協会(龍神弘幸理事長)から、「協会創立40周年記念企画」として映画上
映会のご案内が届きました(青法協の前日です)。
 保険医協会さんの記念すべき40周年記念企画とあれば、私のメルマガ(ブログ)でご紹介しない訳に
はいかないと思って中身に目を通してみると、企画自体が非常に魅力的 なものでした。
 映画の上映会自体は別に珍しくありませんが、1回限りの上映会のために、10スクリーンを持つシネコンの1館を借り切って上映するというのですから、充実した映写設備やゆったりしたシートなど、映画
を鑑賞する外的環境は申し分ありません。
 以下に、チラシの記載情報や和歌山県保険医協会からの案内文書を基に、上映会の概要をお伝えしま
す。

和歌山県保険医協会 創立40周年記念企画
映画『いしゃ先生』上映会
 2015年 「いしゃ先生」製作委員会
 監督:永江二朗 原作・脚本:あべ美佳
 出演:平山あや、榎木孝明、池田有希子、上野優華、テツandトモ ほか
 
日時 2017年4月27日(木)
    18:00~開場 18:30~上映(20時25分終了予定)

※本編の上映時間は1時間46分だそうです。
 
会場 ジストシネマ和歌山
        和歌山市松江1469-1 ガーデンパーク和歌山 2F
       TEL 073-480-5800
ジストシネマ和歌山には10スクリーンがありますが、その内、席数184のスクリーンで上映するそ
うです。調べてみると、シネマ9とシネマ10がキャパ184席であり、そのどちらになるかは当日会場
に行ってみないと分からないでしょう。

入場料500円(全席自由席)

申込方法

「席に限りがあります(184席)ので、チラシ裏面の申込書にて早めにお申し込みください」とのこと
です。
 チラシのPDFファイルの2枚目(裏)をプリントアウトし、「氏名/申込枚数/住所/電話」を記入
して、和歌山県保険医協会宛にFAX(073-436-4827)を送信して申し込んでください。
 また、FAXを送る便宜のない方は、和歌山県保険医協会に電話(073-436-3766)して申
し込んでもよいそうです。
 
主催 和歌山県保険医協会
       〒640-8157 和歌山市八番丁11番地 日本生命和歌山八番丁ビル8F
       電話:073-436-3766 FAX:073-436-4827

 以上が開催概要ですが、映画『いしゃ先生』ってどんな映画?について何も説明していませんでしたね
。私も未見ですが、公式サイトに掲載された「あらすじ」と予告編をご紹介します。
(引用開始)
昭和10年、出羽三山の主峰・月山の麓を、急ぎ歩く女性がいた。志田周子(ちかこ)、26歳。故郷の父
から『ハナシタイコトアリ スグカエレ』という電報を受け取った周子は、取るものもとらず帰郷したのだ。山形の農村出身の彼女は、努力して東京女子医専(現・東京女子医大)に入学し、医者になったばかり
だった。
―風が鳴く峠のてっぺんに立つ、周子。眼下に懐かしい景色が広がった。8年ぶりの美しい故郷だった。久
しぶりの実家。幼い弟たちは周子に甘え、母・せいが手料理でもてなす。温かい出迎えを周子は喜ぶが、父・荘次郎の様子がおかしい。大井沢村の村長だった荘次郎は、周子の了承も得ぬまま周子名義で診療所建設の予算を通し、すでに建設が始まっていたのだ。「頼む、周子。3年だけお前の人生を俺にくれ。その間に必ず代わりの医者を見つけるから」父に頭を下げられた周子は、怒ることはできなかった。無医村のこの村に医者を置きたいという父の願いは、誰よりも理解していたから。まだまだ未熟な自分が一人で診療所の医師などつとまるのか……不安を抱えつつ、周子は3年間だけ頑張ってみようと心に決める。東京に
いる想い人の存在を胸に秘めながら。
―自身に降りかかる数々の試練に耐え、過酷な運命にも負けず、昭和37年にこの世を去るまで、たったひ
とりで村人の命を守った「いしゃ先生」の愛と勇気の物語。
(引用終わり)
 
映画「いしゃ先生」予告編(1分36秒)


 また、映画の公式ホームページの他に、
「志田周子 雪の僻地に生命の灯を支えて」というサイトがあ
り、志田周子医師の事績を紹介するとともに、映画化プロジェクトについても詳しく掲載されています。

 最後に、和歌山県保険医協会がこの映画の上映会を40周年記念企画として開催することにした趣旨を
、同協会からいただいた案内文書から引用させていただきます。
 多くの方が、『いしゃ先生』をご覧になり、地域医療や国民皆保険制度について考えるきっかけとなる
ことを念願します。

「さて、いま「患者負担が増やされる」「病院のベッドが減らされる」「保険料が高すぎて払えない、払
えない場合は保険証を発行しない」など、国民誰もが、いつでも、どこでも等しく医療を受けられる国民
皆保険制度を揺るがす事態となっています。
 つきましては、改めて国民皆保険制度を見つめ直すため、当会創立40周年企画として、まだ保険制度
が整備されていない時代に無医村で村民の命を守った志田周子医師の生涯を映画化した「いしゃ先生」上映会を開催いたします。」

「いしゃ先生」チラシ(表)「いしゃ先生」チラシ(裏) 

「安倍政権の横暴を許すな!」連続企画@和歌山市のご案内~3/3共謀罪学習会&3/25映画『高江―森が泣いている 2』上映と講演

 今晩(2017年2月24日)配信した「メルマガ金原No.2733」を転載します。

「安倍政権の横暴を許すな!」連続企画@和歌山市のご案内~3/3共謀罪学習会&3/25映画『高江―森が泣いている 2』上映と講演

【第1部 「安倍政権の横暴を許すな!」連続企画@和歌山市のご案内】
 あと1週間に迫った、私が講師を頼まれている3月3日(金)の学習会のチラシが主催者(和歌山県平和フォーラム)から届きましたので、ご紹介します。
 このチラシは、和歌山県平和フォーラムなど3団体が3月中に行う2つの企画の共同チラシとなっており、3月3日は共謀罪についての学習会、そして3月25日(土)が、講演と映画で「沖縄の今」を考える集会です。
 以下に、チラシから2つの企画の概要を転記します。

 前半(3月3日)の企画は、私の講演はともかくとして、参加者には、『一(いち)からわかる共謀罪
 話し合うことが罪になる』(2017年1月発行/頒価200円)という、分かりやすくてためになる冊子が無償配布されるはずですから、それだけでも参加していただく価値があると思います。何しろ、■「秘密保護法」廃止へ!実行委員会(平和フォーラム 新聞労連ほか)、■解釈で憲法9条を壊す!実行委員会(許すな!憲法改悪・市民連絡会 憲法会議)、■盗聴法廃止ネットワーク(盗聴法に反対する市民連絡会 日本国民救援会)の3団体が共同で編集・発行したものですから。
 同書には、海渡雄一弁護士(日弁連共謀罪法案対策本部副本部長)による2本の論考、「共謀罪って何?自由を奪う監視社会の到来」と「戦争準備法制としての治安維持法と共謀罪」も収録されており、とてもよくまとまっていて参考になります(ということで、私は自分のレジュメは作らずに、海渡弁護士の論考をレジュメ代わりにすることにしました)。

 また、後半(3月25日)は、自治労沖縄県本部書記長の大嶺克志さんによる講演「沖縄で今、何が起きているのか」と、藤本幸久・影山あさ子共同監督作品『高江―森が泣いている 2』の上映が行われます。
 明後日(2月26日)、和歌山県平和委員会が中心になった実行委員会の主催によるドキュメンタリー映画『いのちの森 高江』(謝名元慶福監督)の上映会が予定されていますし、是非両作とも観たいのですが、どちらも拠ん所ない所用が・・・(困った)。 

チラシから概要を引用開始)
安倍政権の横暴を許すな!
 
安倍政権は憲法・沖縄・原発・共謀罪など様々な分野で暴走を続けています。
 沖縄では辺野古新基地建設の強行。欠陥機オスプレイの飛行と県民の意見や法さえも無視する暴挙が繰
り返されています。
 共謀罪法案はその危険性ゆえに、世論の強い反対で三度の廃案に追い込まれましたが、安倍政権は四たび国会に提出し、成立を狙っています。テロへの不安に便乗した権力の横暴を許してはなりません。
 こうした状況をふまえ、運動を深化させるため、2つの学習、映画・講演会を企画致しました。参加をお待ちしています。
2017年3月3日(金)
時間/18:30~20:30
場所/和歌山市勤労者総合センター(ふくふくセンター)6階文化ホール
      和歌山市西汀丁34 TEL:073-433-1800
“共謀罪”とは何か?・その狙いとは
講師 金原徹雄 氏(弁護士・憲法9条を守る和歌山弁護士の会 前事務局長)
2017年3月25日(土)
時間/14:00~16:30
場所/男女共生推進センターホール(和歌山市あいあいセンター内)
      和歌山市小人町29 TEL:073-432-4702
第1部 講演「沖縄で今、何が起きているのか」
     講師 大嶺克志 氏(自治労沖縄県本部書記長)
第2部 映画『高江―森が泣いている 2』(上映63分)
     藤本幸久・影山あさ子共同監督作品
(引用終わり)

(参考動画)
2016/12/17 映画『高江:森が泣いている2』初日トークイベント

※昨年12月17日のポレポレ東中野における公開初日トークイベント(藤本幸久監督、鎌田慧氏)の模様です。

【第2部 共謀罪をめぐる最新ニュース、動画、声明のご紹介vol.2】

 今日の後半(第2部)は、共謀罪シリーズの第7回として、2月21日に続き、「共謀罪をめぐる最新ニュース、動画、声明のご紹介」のvol.2をお届けします。

(その1 ニュースの部)
東京新聞 2017年2月22日 朝刊
「共謀罪」拡大解釈の懸念 準備行為、条文に「その他」

(抜粋引用開始)
 共謀罪法案は、犯罪に合意しただけで罰するのは内心の処罰につながるといった批判を受け、過去三度も廃案になってきた。安倍晋三首相や金田勝年法相らは今回、新たな共謀罪法案について「準備行為があって初めて処罰の対象とする」と過去の法案よりも適用範囲を限定する方針を説明。一方でハイジャックテロや化学薬品テロでは、現行法の準備罪や予備罪よりも前段階での処罰が可能になるとして、テロ対策
での必要性を強調してきた。
 新たに明らかになった条文では「犯罪を行うことを計画をした者のいずれか」によって「計画に基づき
資金または物品の手配、関係場所の下見その他」の準備行為が行われた場合、処罰対象となる。ただ、準備行為はそれ自体が犯罪である必要がない。
 例えば、基地建設に反対する市民団体が工事車両を止めようと座り込みを決めた場合、捜査機関が裁量で組織的威力業務妨害が目的の組織的犯罪集団だと判断し、仲間への連絡が準備行為と認定される可能性
がある。
 また、政府への抗議活動をしている労組が「社長の譲歩が得られるまで徹夜も辞さない」と決めれば、組織的強要を目的とする組織的犯罪集団と認定され、誰か一人が弁当の買い出しに行けば、それが準備行
為とされる可能性がある。
 米国の共謀罪に詳しい小早川義則・名城大名誉教授(刑事訴訟法)は「米国では、顕示行為(準備行為)は非常に曖昧で、ほんのわずかな行為や状況証拠からの推認で共謀が立証される」と説明。「日本の法
体系と全くの異質のものを取り入れる必要性があるのか」と疑問を呈した。
 また、「その他」は無制限に解釈が広がる恐れがある。新屋(しんや)達之・福岡大教授(刑事法)は「何でも当てはめることができ、限定にはならない。結局、犯罪計画と関係ある準備行為かどうかは、捜
査側の判断になる」と述べた。
(引用終わり)
 
(その2 動画の部)
20170221 UPLAN 共謀罪を廃案にしよう!!安倍政治を終らせよう(1時間07分)

 2月21日(火)に行われた立憲フォーラムと戦争をさせない1000人委員会が主催する「安倍政治を終わらそう!2月21日集会」の模様です。
 この日のメイン講師は平岡秀夫さん(弁護士、元法務大臣、日本弁護士連合会共謀罪法案対策本部委員)、演題は「共謀罪と監視社会について考える」でした(動画の16分~1時間05分)。
 なお、平岡さんの講演後、1時間06分から山尾志桜里衆議院議員(民進党)が、衆議院予算委委員会での審議状況について報告しています。ところで、山尾さんて、立憲フォーラムのメンバーだったんだろうか?(聞いたことなかったけど)。

(その3 声明の部)
MIC声明:「共謀罪」の国会提出に反対する
(引用開始)
                   
2017年2月24日
                   日本マスコミ文化情報労組会議
                   議長 小林 基秀
 国会で過去3度廃案になった「共謀罪」を「テロ等準備罪」と名称を変えた関連法案が、来月上旬に閣議
決定され、国会に提出されると報道されている。
 犯罪の実行行為がなくても相談をしただけで罪に問える「共謀罪」は、人々の思想・信条を処罰の対象
にするものであり、戦前の治安維持法にも通底する危険な法律だ。
 「共謀」(計画)を立証するために、電話や会議の盗聴や私信メールのチェックなどの捜査が将来的に導入されれば、プライバシーを著しく侵害する。民主主義社会の根幹である内心の自由、表現の自由、集
会・結社の自由などの基本的人権を軽視する「共謀罪」は、日本国憲法の理念と相容れないと考える。
 政府は、対象となる犯罪の数を300未満に絞り込むとともに、テロを引き起こす可能性のある「組織的犯罪集団」のみを適用対象とすると説明し、さらに、計画だけでなく「準備行為」も要件にするとしている。しかし、組織的犯罪集団や準備行為の定義はあいまいなままだ。捜査当局の恣意的な判断により、政府に批判的な市民団体や労働組合などにも「テロ集団」のレッテルを貼り、摘発の対象にすることを私たち
は懸念する。
 古今東西、政府が、自らに批判的な勢力やメディアを恣意的な法の運用で弾圧した事例に枚挙にいとまがない。日常的な取材・報道活動や、労働組合の正当な活動まで犯罪とされかねないこの法案を、私たち
マスコミの現場で働く者は認めることはできない。
 これまでの国会審議をみても、法相が何度も答弁に窮して立ち往生し、実質的な議論がなされていない。これは政府が準備している法案が、体系立てて論理的に説明できないほど不備が多いことの表れではな
いか。その上、国会での質問封じの文書を配布するなど、拙劣な対応が非難の的となっている。
 民主主義社会にとって弊害が大きすぎる「共謀罪」関連法案の国会提出に、私たちは強く反対する。
                                     以 上
日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)
(新聞労連、民放労連、出版労連、全印総連、映演労連、映演共闘、広告労協、音楽ユニオン、電算労)
この件に関する問い合わせは事務局・山下(070-5010-7156)までお願いします。

(引用終わり)
 
(弁護士・金原徹雄のブログから)
2017年1月25日
映画『いのちの森 高江』上映会@2/26和歌山市勤労者総合センターへのお誘い
2017年2月6日
レファレンス掲載論文「共謀罪をめぐる議論」(2016年9月号)を読む
2017年2月7日
日弁連パンフレット「合意したら犯罪?合意だけで処罰?―日弁連は共謀罪に反対します!!―」(五訂版2015年9月)を読む
2017年2月8日
「共謀罪法案の提出に反対する刑事法研究者の声明」(2017年2月1日)を読む
2017年2月10日
海渡雄一弁護士with福島みずほ議員による新春(1/8)共謀罪レクチャーを視聴する

2017年2月21日
共謀罪をめぐる最新ニュース、動画、声明のご紹介

2017年2月23日
日本弁護士連合会「いわゆる共謀罪を創設する法案を国会に上程することに反対する意見書」(2017年2月17日)を読む


(付録)
『辺野古節』『満月の夕(ゆうべ)』『踊れ、踊らされる前に』 演奏:中川敬withリクオ

※2015年11月14日@新宿アルタ前

共謀罪(金原)チラシ一からわかる共謀罪(表)一からわかる共謀罪(裏) 

伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと(2005年)」を読む(後編)

 今晩(2017年1月28日)配信した「メルマガ金原No.2706」を転載します。

伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと(2005年)」を読む(後編)

 伊藤宏さんの論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」の後編です。
 後編では、ゴジラ誕生30周年の1984年、9年ぶりに製作された第16作『ゴジラ』(論文では『新・ゴジラ』と呼称)から、誕生50周年の2004年に、「これで打ち止め」という触れ込みで製作された第28作『ゴジラ FINAL WARS』までが論じられます。
 ゴジラをめぐる研究書は多数刊行されているようですが、論文のサブタイトルにあるように、「ゴジラ」シリーズが「原子力」をどのように描いたかという観点から読み解いた(おそらくは)ユニークな論文だと思います。

 伊藤さんの「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」は、2004年公開の『ゴジラ FINAL WARS』までを対象として2005年に書かれた論文ですから、当然のことながら、2014年公開のレジェンダリー・ピクチャーズ製作『GODZILLA ゴジラ』(ギャレス・エドワーズ監督)や東宝が12年ぶりに製作して2016年に公開した『シン・ゴジラ』(庵野秀明総監督、樋口真嗣監督)には触れられていません。今度、伊藤さんにお会いしたら、是非この両作に対する評価をうかがいたいと思っています。

 伊藤宏さんは、この論文の「おわりに」において、「論文における記述としては甚だ不適切であることを承知の上で、ここで改めて、ゴジラの立場になって、どうして五十年もの間、日本を襲い続けたのかについて考えてみる。」という問いを立てておられます。その答えをここに引用することはしませんが、読者の1人1人が、そのような問題意識を持ちながら、もう一度この論文の冒頭から読み直していただければと思います。
 
 なお、前編を紹介するに際して付した緒言の内の一部を再掲します。

〇この論文は、2005年8月に、伊藤さんも編者の1人となった論文集『子どもへの視点』(聖公会出版)に収録されました。
論文集 子どもへの視点
中村 博武
聖公会出版
2005-09


〇元々の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」には、全部で58の脚注が付されていたようであり、転載した論文にも脚注番号が付いていますが、Facebookノートで公開する際、注釈の掲載は省略されていました。
(追記)ブログをアップした後、著者の伊藤宏さんから脚注部分のデータを提供いただきましたので、末尾に挿入しました。
 
〇「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」を読み進むための手引きとして、ウイキペディアの「ゴジラ映画作品の一覧」から、タイトル、制作年、監督名を抜き出しておきます(ハリウッド作品は除く)。
(引用開始)
第1作『ゴジラ』(1954年)本多猪四郎
第2作『ゴジラの逆襲』(1955年)小田基義
第3作『キングコング対ゴジラ』(1962年)本多猪四郎
第4作『モスラ対ゴジラ』(1964年)本多猪四郎
第5作『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)本多猪四郎
第6作『怪獣大戦争』(1965年)本多猪四郎
第7作『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966年)福田純
第8作『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)福田純
第9作『怪獣総進撃』(1968年)本多猪四郎
第10作『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(1969年)本多猪四郎
第11作『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)坂野義光
第12作『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』(1972年)福田純
第13作『ゴジラ対メガロ』(1973年)福田純
第14作『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年)福田純
第15作『メカゴジラの逆襲』(1975年)本多猪四郎
第16作『ゴジラ』(1984年)橋本幸治
第17作『ゴジラvsビオランテ』(1989年)大森一樹
第18作『ゴジラvsキングギドラ 』(1991年)大森一樹
第19作『ゴジラvsモスラ』(1992年)大河原孝夫
第20作『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)大河原孝夫
第21作『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994年)山下賢章
第22作『ゴジラvsデストロイア』(1995年)大河原孝夫
第23作『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)大河原孝夫
第24作『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(2000年)手塚昌明
第25作『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)金子修介
第26作『ゴジラ×メカゴジラ』(2002年)手塚昌明
第27作『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)手塚昌明
第28作『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)北村龍平
第29作『シン・ゴジラ』(2016年)樋口真嗣、庵野秀明(総監督)
 

      ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと
           映画に描かれた「原子力」を読み解く
 
                            伊 藤   宏

前編から続く)

「平和利用」にも踏み込んだ『新・ゴジラ』
 ゴジラが再び姿を現わしたのは、一九八四年十二月公開の第十六作『ゴジラ』(第一作と同一タイトルであるため、以下『新・ゴジラ』と表記する)であった。前作から約十年のブランクを経ての復活だったが、その間に原子力をめぐる状況は大きく変化していた。特に「平和利用」に関してはおおよそ以下のようにまとめられる*43。
 一九七六年五月にスウェーデンで反原発国際会議が開かれるなど、この頃は世界的にも反原子力の気運が高まっていった。日本でも同年十二月、関西電力・美浜原発一号炉にで燃料棒折損事故が起こっていたにも関わらず、四年間隠ぺいされていた事実が明らかになり、これが国内の反原発の動きをますます加速させていく。そして一九七九年三月、アメリカペンシルバニア州のスリーマイル島原発(TMI)で、放射能を含んだ蒸気が噴出するという大事故が起こる。その後の調査で炉心の核燃料の半分近くが溶融し、残りの部分の大半が粉々に崩れていることが分かり、当時としては史上最悪の原発事故となった。原発の危険性が現実のものとなったわけで、TMI事故は日本はもちろん世界中を震撼させた。国内でも同年七月には関西電力・大飯原発一号炉でECCS*44が商業用原発史上初の誤作動を起こし、十一月には関西電力・高浜原発一号炉で大量の冷却水漏れ事故が起き、原発の危険性は決してアメリカのみの問題ではないことが明らかとなる。さらに一九八一年四月、原子力政策が抱える問題点を一挙に噴出させるような出来事があった。日本原子力発電の敦賀原発が放射能漏れ事故を起こしたのだ。それまでに他の原発などで起こっていた放射能漏れのトラブルが全て施設内だったのに対して、敦賀原発の場合は付近の海草や土砂などから異常に高い放射能が検出されたため大問題となった。このように、『新・ゴジラ』公開に至るまでの期間は、事故によって原発の危険性が表面化すると共に、運転によって生み出される放射性廃棄物の処分問題、原発労働者の被ばく問題等々、それまでは見えなかった数々の問題点が次々と明らかになってきた時期であった。しかし、国の原子力政策が変更されることはなく、むしろ確実に進展していたのである。
 『新・ゴジラ』は、冒頭の嵐で遭難した船に乗り込んだ新聞記者・牧吾郎が巨大なフナムシに襲われる場面から始まる。フナムシの巨大化について、生物物理学者の林田信は政府関係者に「たかが数センチのフナムシがどうして巨大化したかといえば、ゴジラに寄生していたからです。ゴジラの体内から発する放射性物質を絶え間なく浴び続けることで巨大化したんでしょう」と説明する。また、牧の「ゴジラは動物なんですか。放射能が作り出した怪獣、化け物、ほとんどの人がそう思っていますが」という問いに対して、林田は「その化け物を作り出したのが人間だ。人間の方がよっぽど化け物だよ。ゴジラはいわば核兵器のようなもんだ。それも生きた核兵器だ。勝手気ままに動き回り、破壊を繰り返す。そのうえ、ゴジラの生命は不滅ときている」と応じた。
 ゴジラが最初に確認されたのは、ソ連のミサイル原潜が撃沈された際であった。これについて林田は牧に「ゴジラがその食性に従い、エネルギー源となる核分裂物質を求めてソ連原潜を襲ったのは明らかだ」と解説。さらに、牧が日本本土から一旦離れていることを指摘すると「しかし来るよ。必ず来る。ここにはゴジラの餌がある」と述べる。一方、ゴジラ出現を受けた政府の対策会議の席上では、統幕議長から新兵器「スーパーX」*45についての説明がされていた。「外装はチタン合金。集積回路にはプラチナを多量に使用して、かなりの高熱にも耐えることができるよう設計されている」「さらに現在、対ゴジラ作戦のためカドミウム砲の装備を急いでおります。カドミウムは原子炉の核反応を制御する働きがあり*46、ゴジラに対して有効と確信しております」というものだった。
 ゴジラの日本上陸地点は静岡県の井浜原発(仮名)*47であった。ゴジラは、原子炉建屋に至るとそこから炉心の容器を取り出す。それを見ていた林田は「あれは原子炉の炉心だ」と指摘。そして放射能測定器に走り寄ると中のオシログラフを見入る。何の異常も感知していない。さらに林田は「ゴジラが全部吸収してしまったんだ」と叫んだ。炉心容器を抱えたゴジラの背びれが青白く発光する*48。ところで、林田は原発襲撃の際のゴジラの行動から、その帰巣本能を利用して特殊な超音波で三原山に誘導する作戦を考案した。その一方で林田は、牧たちに「原発で君たちは感じなかったか。三十年前、大戸島に現われたゴジラは伝説の怪獣と同一視された。世の中が乱れる時、天変地異が起こり怪獣が現われる。これは世界各地の伝説にみられることだ。ゴジラはまさしく人類の滅びへの警告なんだ。私はせめてゴジラを故郷へ帰してやりたいと願っている」と語る。
 ゴジラ対策として米ソの駐日大使、特使が三田村清輝首相を訪ねる。両国とも「アメリカはゴジラに対する有効な武器として、戦術核兵器の使用を決定しました」「ソビエトも核兵器でゴジラに対抗することを決定しました」と通告し、核兵器の使用についての了解を求めた。ソ連特使は「ゴジラ撃滅の方法は戦術核の使用以外にない。貴国の同意を求めます」「爆発はごく狭い地域に限られ、精密な慣性誘導装置により正確にゴジラを葬れるのです」と主張するが、三田村は黙って聞き入るのみであった。その後の閣議では、次のようなやり取りが行われる。
官房長官:米ソの言う戦術核兵器というのはどの程度の規模のものですか?
防衛庁長官:えー、核威力は双方とも十キロトン。広島型原爆の約半分と聞いてます。
官房長官:ゴジラが東京へ上陸したと仮定した場合どの程度の被害が予想されますか?
国土庁長官:えー、予測は不可能です。
官房長官:科学技術庁長官、戦術核の場合は?
科技庁長官:三平方キロの地域が完全破壊されます。しかし、住民等の避難誘導さえうまくいけば…。
大蔵大臣:つまり、戦術核を使用した方が被害が少なくてすむ。この際、やむを得ないんじゃないかな。
通産大臣:大蔵大臣、そう簡単に結論を出さんでほしい。核を使用した場合の放射能汚染の問題はどうなるのかね?それにゴジラに対して絶対に核が有効だという保障は?
大蔵大臣:万が一首都圏が壊滅すれば経済的にも日本は半身不随だ。通産大臣はそこのところがおわかりになっとらんらしい。
通産大臣:私が申し上げてるのは、戦術核が本当にゴジラに対して…。
自治大臣:それは誰にも分からんだろう、やってみなければ。
統幕議長:よろしいでしょうか。戦術核というものは、実戦の小規模な戦闘に使われてこそ初めて効果のある兵器です。ところが米ソは、これまで何度もチャンスがありながら、実戦では使いそびれてきました。つまり…。
官房長官:米ソは実験をしたがっていると。
統幕議長:そうです。
自治大臣:なるほど、それで足並み揃えたってわけか。
外務大臣:総理、米ソの申し入れを蹴った場合、日本が外交的に孤立するということも。
 
 最後に三田村は「皆さんのご意見は承りました」と述べて席を立つ。
 閣議後、再び米ソ大使らと会談した三田村は、「我が国には非核三原則というものがあります。核は作らず、持たず、持ち込ませず。今度の場合も、私はこれを順守したいと考えます」と述べる。するとソ連特使は「あなたの国のエゴイズムだ!」と怒り「現に我が国の原潜はゴジラに撃沈されている。我々には報復する権利がある」と主張。アメリカ特使も「今は原則論を語っている時ではない!」と抗議すると、三田村は「こういう状況だからこそ、私は敢えてこだわるのです。安全な核兵器などあり得ません。そして一度使われてしまえば、抑止力としての均衡が破れ、世界の破滅につながります。それが核というものです。非核三原則が我が国のエゴイズムだと言われるのなら、それは認めざるを得ません。しかし、核を使いたがるのもアメリカとソ連のエゴイズムではないでしょうか」と述べた。最終的に三田村は米ソ最高責任者と直接話し、核の使用は避けられる。「米ソ両首脳にはどのように話されましたか?」という官房長官の問いに、三田村は「もしあなた方の国、アメリカとソ連にゴジラが現われたら、その時あなた方は首都ワシントンやモスクワで、ためらわずに核兵器を使える勇気がありますかと。両首脳は納得してくれたよ」と答えたのであった。
 ついにゴジラは東京に上陸した。その際に、東京湾に入港中のソ連工作船が大破し、核ミサイルが誤射されてしまう。一方、林田は自身の作戦の完成を急いでいた。スーパーXの出撃を受けて牧が「カドミウムの溶液をゴジラの体内に吸収させると言ってますが、効果ありますかね?」と問うと、林田は「私はゴジラが原子炉だとは思ってない。その方法に興味はないよ」と答える。ゴジラに対して、スーパーXが口中にカドミウム弾を打ち込んだ。液体を吸収したゴジラの動きが止まり、ビルにもたれかかるようにして倒れる。作戦が成功したことを喜んだのも束の間、誤射された核ミサイルが東京に迫っていた。米軍の嘉手納基地から発射された迎撃ミサイルが命中し、東京での核爆発は免れたが、直後にオーロラのようなもので空が夕焼けのように染まって全ての電源が止まる。それに対して科技庁長官が「先ほどの異常事態ですが、宇宙空間や成層圏で核爆発が起きた場合、電磁衝撃波というものが生じ、その結果あのような…」と説明した。核爆発の影響で発生した落雷によって、ゴジラは再び目覚め今度はスーパーXを撃破する。誰もがあきらめかけたその時、林田の作戦が発動しゴジラは三原山へ誘導されていった。そして、最後は火口に飲み込まれていくのであった。
 『新・ゴジラ』における原子力に関する描写は、以上のようなものであった。第一作を強く意識した作品ということもあり、ゴジラと核兵器、放射能を改めて結びつける描写が目立っている。さらに、新たな視点としてゴジラと原発を結びつけたことは注目に値するであろう。そして、映像技術の進歩ゆえに、一つ一つの描写が非常にリアルであったことが強く印象に残る作品でもあった。だが、映画を観終えた後で筆者は大きな違和感を覚えたのである*49。それは、核兵器をめぐる描写では様々な問題提起がなされていたのに対して、原発をめぐる描写では何ら問題点の指摘がなかったことに起因している。ゴジラの原発襲撃後の林田の「人類の滅びへの警告」という台詞も、どのような「滅び」を意味するのか、少なくとも作品中では曖昧だった。その違和感から、二つの大きな疑問が導かれてくる。一つは、原子力に関心のない人々(大人も子どもも含めて)が、果たしてどこまで映画で描かれた世界と現実とを結びつけ得たのかということだ。そしてもう一つは、そもそもこの映画でゴジラが伝えようとしたメッセージは何だったのかということであった。
 
決して触れられない社会の状況
 さて、『新・ゴジラ』から第十七作『ゴジラVSビオランテ』(一九八九年十二月公開)までには五年間のブランクがあったが、その間に原子力の「平和利用」をめぐって歴史的な大事件が起こった。一九八六年四月にソ連で起こったチェルノブイリ原発の核暴走爆発事故である。環境中に大量の放射能が放出され、それが周辺各国はもとより数千キロ離れた日本にまで降り注いだのだった。この事故をきっかけに、世界各国(もちろん日本でも)で原子力の「平和利用」に対する不安が増大し、さらには反対運動が急速に広まっていったのである。事故後三年で公開された『ゴジラVSビオランテ』は前作の続編という設定で、ゴジラが襲撃した直後の新宿からのテレビ中継に始まる。CCNのスーザン・ハーンが「東京都内の非常警戒体制は解除されましたが、西新宿一帯は立入禁止のまま。スーパーXの回収作業。残留放射能、汚染物質の調査が続けられています」とリポート。自衛隊員らが放射能防護服やマスクに身を包んで作業する様子が描かれた。ゴジラの皮膚組織を採取している自衛隊員はガイガーカウンターを片手に調査を進めていたが、放射能の存在を示す音は常に鳴り続けている、というシーンでスタートするのであった。
 この作品に登場するビオランテは、遺伝子工学の権威である白神(博士)が、ゴジラ細胞と植物、人間の細胞を操作して作り出した怪獣ということになっている。さらに、ゴジラを倒すために開発された武器が、同様に遺伝子工学によって製造された「抗核エネルギーバクテリア(以下、抗核バクテリア)」であるというように、全体を通じて流れるテーマは遺伝子工学、遺伝子操作の是非であった。自衛隊の黒木(特佐)らに、遺伝子工学の若きエース・桐島(博士)は抗核バクテリアについて「アメリカでは既に、遺伝子操作により石油を食べるバクテリアを完成し、海の石油汚染に対して実用化しています。同じように、原発事故などの放射能汚染に対する有効な手段として考えられたのが、核物質を食べるバクテリア、抗核エネルギーバクテリアなんです」と説明する。そうした設定がなされた作品であるため、原子力関連の描写は随所に現われるが、特に原発に関する描写を抜き出してみると次のようになる。
①大河内財団の総帥が桐島に「原発事故のような核汚染で、国家の存亡に関わるような事態が起こらない限り、永遠にゴジラ細胞は封印されるはずだった」と語るシーン。
②ゴジラが消耗した核エネルギーを補充するために原発に向かうと黒木が指摘し、ゴジラの進路から最も近い原発を示すと、官房長官らが「高浜四、大飯二、美浜三、動燃ふげん一、敦賀二。全部で十二基*50。日本の原発の三分の一だ。そんなところに行かれちゃ…」「一つでも原子炉を破壊されれば日本は…」という会話を交わすシーン。
③若狭に進んできたゴジラに自衛隊が応戦するが、その行く手を阻むことができずゴジラは高浜原発に迫る。「高浜原発、緊急態勢」「高浜原発、緊急態勢最終段階」などの連絡と共に警報が鳴り響くシーン*51。
 チェルノブイリ原発事故の影響からか、ゴジラ・シリーズの中で初めて「原発事故」という想定が描かれたことは注目に値するであろう。また、作品の最後で白神が「ゴジラでもビオランテでもない。本当の怪獣はそれを作った人間です」と述べていることなどから、「科学技術の暴走に対する警告」というメッセージは明確に描かれていた。しかし、作品中で「チェルノブイリ」という言葉が一度も登場しなかった*52ばかりか、当時の日本社会で原子力の「平和利用」の是非を問う議論が盛んに行われていたという状況には、一切触れられてはいないのだった。さらに、大河内の「原爆とゴジラにひどい目に遭わされた日本が、ゴジラ細胞から核を超える兵器を作っても、決して悪いとは思わんがね」という意味深長な台詞すらあったことを付け加えておく。
 『ゴジラVSビオランテ』以降の作品については、原発をはじめとした「平和利用」に関連した描写のみを、以下に抜き出してみた。
●第十八作『ゴジラVSキングギドラ』(一九九一年十二月公開)
①二十三世紀の世界からタイムワープしてきた地球連邦機関のウィルソンが、日本政府に対して「我々がこのたび二十世紀の日本に来たのは、二十三世紀の日本が死滅してるからです」と述べ、さらにグレンチコが「一言で言うと核汚染です。二十一世紀、日本は再び活動を始めたゴジラにより致命的な破壊を受けます。都市の破壊はもちろんですが、特に原子力発電所の破壊による核汚染は、長い間にわたって日本全土に広がり、ついに日本のほとんどは人が住めなくなってしまうのです」と説明するシーン。
②消滅させたはずのゴジラが再び出現した際に、グレンチコが「二十世紀は我々の時代と違って、地球上の至る所に核がある。考えてみれば、どこに恐竜をワープしようとゴジラの誕生は避けられなかったかも知れないな。我々がせっかく抹殺してやったのに、愚かな時代。救いようのない原始人どもだ」と述べるシーン。
●第十九作『ゴジラVSモスラ』(一九九二年十二月公開)
関連する描写はない。
●第二十作『ゴジラVSメカゴジラ』(一九九三年十二月公開)
①製造中のメカゴジラの現場で「核融合炉テスト開始30分前」のアナウンスがあり、さらに今井が「動力 はレーザー核融合炉。燃料は衛星軌道上に生成される重水素・ヘリウム3ペレット。外部装甲板は 超耐熱合金NT-1」と説明するシーン。
②ベーリング海のアドノア島で発見されたプテラノドンの化石、及び卵の調査に来た大前(博士)らの前にラドンが出現した際に、大前と桂木が「プテラノドンが巨大化した。核の影響か何かで、ゴジラと同じ事がプテラノドンにも起こったんだ」「そういや、ここら辺は使用済み核燃料の墓場ですよ」というやり取りをするシーン。
●第二十一作『ゴジラVSスペースゴジラ』(一九九四年十二月公開)
関連する描写はない。
●第二十二作『ゴジラVSデストロイア』(1995年12月公開)
※この作品は、ゴジラの体内構造を原子炉に見立てた上で、その内部で核暴走反応が起き最後はゴジラの死に至るというストーリーであった。
①原子力エネルギーの専門マービン教授が「ご存じの様に、ゴジラの動力源、つまり人間でいう心臓部は原子炉といわれている。その心臓部で、今、何かが起っている」と報告するシーン。
②「この海水温の高い数値は、ゴジラの中で正常な冷却機能をはるかに超える核分裂が起っていることを裏付けていると思います」という報告を受け、山根健吉が「ゴジラのエネルギーである核分裂は、体内の水分によって制御され、空気から吸い込む二酸化炭素で冷却されコントロールされていた。それが、バース島の異変によってバランスを崩し、核分裂が飛躍的に活性化した」と説明し、さらに「ゴジラは果てしなく暴走するか、あるいは核爆発を」「想像も出来ませんが、地球上のどんな核兵器よりも巨大な爆発エネルギーだと考えておいた方がいいでしょう」と説明するシーン。[ゴジラが国会 議事堂前で核爆発し、炎が燃え広がっていく想像場面]
③豊後水道にゴジラが出現したことについて、健吉が「狙いは原子力発電所だ。核分裂が異常に高進しているのだから、核燃料を欲しがるのは当然です」と述べた際、麻生が「ゴジラが原発を襲うというのに、我々は何も手を出せんのか!」と言ったことに対し、国友が「ここで攻撃を加えてもし核爆発を誘発したら、原発一つの被害の何十倍、何百倍もの惨事です」と答えるシーン。
④スーパーXⅢについて麻生が「自衛隊が開発していた多目的の防衛攻撃能力を備えた新兵器で、原発事故や核兵器による攻撃を想定して、強力なカドミウム弾を装備しています」等と説明するシーン。
⑤ゴジラに対するスーパーXⅢの攻撃を見て、健吉が「冷凍弾で冷却し、カドミウムで制御する。完璧な攻撃計画だ」と述べるシーン。
⑥健吉が「ゴジラの核分裂が制御され始めたようです。見て下さい。青いラインが正常、赤いラインが現在の状態。カドミウムが制御剤として効いているようです」と述べ、核爆発が避けられると安堵した瞬間、ゴジラの心臓部の温度が900度を超えているという報告が入る。健吉が「何だって?核分裂が制御されているのに炉心がそれだけの高温ということは、内部から溶け出している…」と青ざめ、「ゴジラはどうなる」という麻生の問いに、健吉は「メルトダウン」「ゴジラの原子炉である心臓部が溶け出し、放射能をまき散らしながら周りのものを溶かし…」「水素爆発を起こして地球に穴を開けてしまう」と答えた。それに対し、麻生が「チャイナシンドロームというやつか」と述べるシーン。[メルトダウンの様子がコンピュータグラフィックで示される]。
⑦ゴジラが東京でメルトダウンした際の対策として伊集院が「万一、ゴジラがメルトダウンした場合、被害を最小限にとどめるためには冷却するしか方法はありません。炉心融解の瞬間に、冷凍兵器の全てを集中させるんです」と助言するシーン。
⑧メルトダウンが始まり、ゴジラが白っぽく発光しながら苦しみもだえる。計器のα、β、γ線を示す値が急上昇する様を見た黒木が「ものすごい放射能だ」とつぶやくシーン。
⑨伊集院が「ゴジラが東京を死の街にして溶けていく」と言ったのに対して、ゆかりが「これが私たちの償いなの?」「科学を、核を弄んだ私たち人類の…」と述べるシーン。
 こうして列記してみると、実に様々な描写がなされているようであるが(全く描写がなかった作品の存在については後述)、『ゴジラVSビオランテ』と同様「平和利用」の現実、つまり原発自体に関する社会的な状況はほとんど描かれていないのだ。『ゴジラVSデストロイア』では、ゴジラが原子炉そのものと直接的に結びつけられていたため、原発事故が起こった場合の恐怖が描かれていたとする見方が可能かも知れない。しかし、それを示唆するような描写はなく、最後に「核を弄んだ…」という台詞の「核」が何を指すのかが曖昧であった(一九九〇年代でも、「核」という言葉は「原子力」とは切り離されて用いられていた)。しかも、「原子力」に関する描写においては「現実」と「非現実」を、専門家でなければ見抜けないほど巧みに混在させているため、実際の状況を把握することをより一層困難にしているのであった。
 
繰り返された「お子様ランチ化」
 度重なる引用になるが、前出・佐藤は『ゴジラVSモスラ』までのゴジラ映画の分析後、「このような焼き直し路線が、シリーズのさらなる行き詰まりを反映していることは疑いえない。(中略)このままシリーズを継続しようとすれば、何らかの形におけるお子様ランチ化は不可避に違いない」*53と予言していた。この予言は、まさに的中したと言えよう。つまり、ゴジラの存在理由である「原子力」を、核兵器のみならず「平和利用」(=現実に存在する原発)に結びつけたまでは良かったのだが、その「脅威」あるいは「恐怖」を描くことが『新・ゴジラ』のスタート時点から出来なかった。かつての「怪獣プロレス」は、SFXやCGを駆使した映像自体のリアルさ、カッコよさに取って代わり、それが再び子どもたちの「ウケ」を狙うことになっていく。また、「正義の味方」「子どもたちの味方」というゴジラ像も、『ゴジラVSメカゴジラ』以降、三枝美希を軸に主張された「ゴジラを好きになる」という捉え方で復活しているのである。
 さらに、かつての「お子様ランチ化」にはない要素が加わる。「原子力」の描写が全くなかった二作品においては、ゴジラとは縁の遠いテーマが、しかも非常に一般的なテーマがメインに据えられていたのだった。『ゴジラVSモスラ』では、深沢の「二酸化炭素上昇による温暖化、オゾン層の破壊、ただでさえ地球が危ない方向だというのに、人間は平気で森林を伐採している。その上に隕石の激突です。大気の異常、海水面の上昇、海底プレートへの影響、このままじゃ地球は本当に危ないところへ行ってしまいますよ」という言葉に象徴されるように、環境問題全般をテーマとしていた。『ゴジラVSスペースゴジラ』では、「宇宙の汚染」については何一つ語られていないにも拘わらず、最後に権藤の「宇宙が汚され続けてゆくなら、いつ第二のスペースゴジラが現われるかも分からない。私たち人類への警告だわ」という台詞が唐突に出されたのだった。これはもはや、ゴジラの存在理由の隠蔽と言っても過言ではなかろう。こうして、子どもたちの目はますます、ゴジラの本質からそむけられていくのであった。
 一方、高橋敏夫は「ゴジラの存在感は映画のたびに確実に希薄化しつづけていた」と指摘している。「新しい映画の目玉はゴジラではなく、つぎつぎに登場する『VS怪獣』または『対ゴジラ兵器』であった。新しい怪獣ビオランテの美しさと哀しさ、超能力少女の連続登場、自衛隊の首都防衛戦闘機スーパーXの堂々の出撃、かつての人気怪獣キングギドラやモスラの復活、ゴジラ細胞のおそるべき活用、最初のゴジラを東京湾の海底に葬ったオキシジェン・デストロイヤーにかかわる謎の怪獣の出現等々…話題はいつも豊富すぎるほど豊富だった。新しい映画のたびに、新しい話題満載の大量の図解本が書店にならんだ。しかし、それはゴジラそのものをめぐる話題ではなかった」*54というのだ。筆者も全く同感である。すなわち『新・ゴジラ』以降の作品においては、ゴジラ自身から「原子力」に関するメッセージが何ら伝わってこないのであった。これは、かつて「水爆怪獣・ゴジラ」のイメージが消えていった状況とほとんど同じであろう。
 こうした傾向は、『ゴジラVSデストロイア』から四年のブランクを経て復活した、第二十三作『ゴジラ2000』(一九九九年十二月公開)以降の五作品*55でも、基本的に変わることがなかった。一九九五年十二月に高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れによる火災事故が発生し、一九九六年八月には新潟県巻町で東北電力の原発計画に対して国内初の住民投票が行われ、原発反対が過半数を占めた。そして一九九九年九月、茨城県東海村のウラン燃料加工施設JCOで死者二人を出し、日本の原子力産業史上で最悪となった臨界事故が発生するなど、原子力政策の上で重大な出来事が国内で相次いでいたにも拘わらず、それが作品にはほとんど反映されなかったのである。唯一、問題提起を含んでいると思われたものは、第二十四作『ゴジラ×メガギラス・G消滅作戦』(二〇〇〇年十二月公開)の冒頭部分である。まずテレビニュースに「一九六六年茨城」の字幕が出た。「ゴジラの東京襲撃から十二年後、操業を開始したばかりの我が国初の原発、東海村原子力発電所が、ゴジラによって破壊された」というナレーションと共に、ゴジラが原発を破壊する様子が描かれる。場面が変わり、首相官邸前からの実況で走り出てきた記者が「たった今、総理が決断しました」と報告。スタジオと「原子力発電の永久放棄ですか?」「その通りです」というやり取りが行われた。そして、国会の審議場面が映され「ゴジラ上陸の原因が原子力発電所の放射能であるとの研究結果を受け、日本政府は原子力発電の永久放棄を決定したのである。その後、増加する電力需要に対処すべく、政府は水力、火力、ソーラー、風力などの発電に力を入れたが、原子力発電を補うまでには至らなかった。そこで…」というナレーションが流れるというものだった。
 しかしこの描写の場合は、直前の映画ニュースの中で「(一九五四年のゴジラ東京襲撃後)首都は大阪に移され、新生日本は力強く歩み出したのであります」というナレーションと共に、大阪城に隣接して国会議事堂が建っているシーンが挿入されるという手法で、観客に対して「フィクション」であることが予め明確に示されていたのである。さらに、ゴジラの破壊を受けない、原子力に代わるクリーンなエネルギーとして「重水素を原料とするプラズマ発電を完成させた」というエピソードが、なぜクリーンなのかという説明もないまま続く。結局、そのプラズマエネルギーを開発した施設もゴジラによって破壊される…という長いイントロダクションの後で本編に入るのだが、二〇〇一年の東京には新幹線の代わりにリニアモーターカー*56が走行しているのであった。せっかく、新しい視点の問題提起をしていたにも拘わらず、文字通り「子どもだまし」の設定や描写によって台無しになっている。このような描写から浮かび上がってくる深刻な問題は、以前の「お子様ランチ化」は子どもたちでも見抜けるものであったが、新たに繰り返された「お子様ランチ化」は、子どもはもちろんであるが、大人たちでさえある程度の予備知識がなければ気付かないほど、巧妙になっているということだ。
 
おわりに
 筆者は冒頭で「ゴジラが一貫して発し続けたメッセージは『核』と、それに連なる『原子力』に関するものだった」と述べた。しかし、これまで述べてきたように、大人たちの子どもたち対する一方的な思い込みによって(「平和利用」に関しては政治的配慮という別の思惑が働いていたのかも知れないが…)、そのメッセージがある時は歪められ、ある時は全く覆い隠されてしまい、主たる受け手だった子どもたちにはほとんど届かなかったというのが実態であろう。その結果、未だに「核の脅威」は去らず、原子力政策も見直されることがないまま日本は「原子力大国」への道を突き進んでいるのだ。それだけではない。それらの現実が存在することすら知らない大人たち(かつての子どもたち)が、時代と共に増え続けているのである。
 論文における記述としては甚だ不適切であることを承知の上で、ここで改めて、ゴジラの立場になって、どうして五十年もの間、日本を襲い続けたのかについて考えてみる。一九五四年の初上陸の時点で役割を終えたとも言われ、時には本論で触れたように識者たちの酷評に遭い、時にはその存在理由さえ脅かされながらも、ゴジラは繰り返し日本にやって来た。それはなぜか。筆者は、ゴジラがどうしても子どもたちに自分の発するメッセージを伝えたいがためだったと思うのである。「核」というもの、「原子力」というものと、どのように向き合っていけば良いのか、子どもたちに考えるきっかけを与えたかったのではなかろうか。「人間は、勝手だと思います。特に大人は、かってだと思いました。原子力は、安全だといっておきながら爆発して、動物たちを殺して、安全だといって、汚染された食べ物があることをだまっといて、本当に勝手です。またそのもれた放射能を私たち子供たちに片づけてもらおうなんて…。(6年七組 江田かずみ)」*57。こうした感性を持った「子どもたち」なら、必ず理解してくれるものと信じて、ゴジラはメッセージを発し続けたのであろう。作品のエンディングでは、ゴジラが海に帰っていくシーンが最も多い。その後ろ姿が、どことなく寂しげで、時には悲しげに見えてしまうのは筆者だけであろうか。それは、メッセージを届け得なかったゴジラの無念を表しているのかも知れない。
 「核(核兵器)」の問題はもちろんだが、「原子力」の「平和利用」については解決せねばならない問題が山積している。原発事故の危険性は言うに及ばず、老朽化した原発の廃炉問題、技術者の空洞化の問題、余剰プルトニウムの処理問題、高レベル放射性廃棄物*58処分の問題等々…。そしてこれらの問題は、次世代、次々世代、場合によっては遠い未来の世代まで影響を及ぼすばかりか、これから生まれてくる子どもたちにも、既に解決する責任が負わされているものなのだ。だが実際には、原子力施設などの当該地域周辺を一歩離れたところでは、人々の間に原子力政策に関する議論はおろか関心すら存在していない。そして、未来を担う子どもたちの多くは、重い責任を負わされているにも拘わらず、問題の所在を知る機会すら持っていない(持たされていない)のである。最後に、『ゴジラ2000』のエンディングで篠田が発した「ゴジラは俺たちの中にいるんだ」という言葉について、筆者なりの解釈を述べておく。それは、「日本には、少なくとも五十二頭のゴジラが生息しており、何かのきっかけで突然、私たちを襲ってくるかも知れない。しかし、ゴジラを日本に呼び寄せ、育てているのは私たち自身に他ならないのだ」というものだ。ゴジラは、今も私たちの身近に在るのである。

[文中敬称略・引用は原文のまま・映画の登場人物は配役名]

 
(脚注)
*43詳細については拙稿『原発をめぐる朝日新聞社説の変遷・原子力政策報道史概観』、同志社大学大学院新聞学研究会紀要『新聞学』、1998、pp71-97でまとめているので参照されたい。
*44原発の炉心内の冷却材が流れ出したり蒸発してしまうような事故が発生した場合、緊急に炉心に冷却水を強制注入する安全装置のこと。
*45「首都防衛のために自衛隊で極秘に開発されていた」という設定である。
*46現実に、原子炉内の制御棒の材料の一つとしてカドミウムが使われている。
*47静岡県には中部電力の浜岡原発がある。なぜここで仮名が使われたのかは不明。
*48このシーンは、ゴジラ・シリーズの中で唯一描かれたゴジラの「食事シーン」であった。
*49この作品が公開された時、筆者は大学二年生で、原子力問題に関心を持っていたため、ある程度の予備知識を持って映画を観ることができた。
*50前作では原発名に仮名が使われたが、今回は全て実在する原発である。
*51最終的にゴジラはビオランテに行く手を阻まれ、原発を破壊するに至らなかった。
*52一九九八年に公開されたアメリカ版『Goddzila』では、主人公がチェルノブイリ原発事故現場周辺で、ミミズの巨大化について研究しているという描写があった。
*53佐藤・前掲書、pp99-106
*54高橋敏夫『ゴジラの謎・怪獣神話と日本人』、講談社、1998、P39
*55最終作については劇場で一度観ただけであるので、この場での言及は行わない。
*56電力が不足している中で、膨大な電力を必要とするリニアモーターカーを走行させるというのは、多少の専門知識があればすぐに見抜けるほどナンセンスな話である。
*57名取弘文『子どもと話そう原子力発電所』、農文協、1989、カバーより。
*58原発から取り出された使用済み核燃料には、再び燃料として利用できるウラン、プルトニウムが若干含まれている。再処理という工程によってそれらを取り出した場合に、放射能レベルの高い廃液などが大量に生じる。これらを高レベル放射性廃棄物と呼んでいる。(再処理を行わない場合は、使用済み核燃料自体が高レベル放射性廃棄物となる)。その特徴は①放射能が強い②毒性が極めて高い③寿命が非常に長いなどで、処理や処分の難しさから「人類が生み出した最悪のゴミの一つ」と言われている。

【参考文献】
小林豊昌『ゴジラの論理』、中経出版、1992
高橋敏夫『ゴジラの謎・怪獣神話と日本人』、講談社、1998
佐藤健志『さらば愛しきゴジラよ』、読売新聞社、1993
ミック・ブロデリック編『ヒバクシャ・シネマ』、現代書館、1999
田中友幸他『ゴジラ・デイズ ゴジラ映画40年史』、集英社、1993
野村宏平編『ゴジラ大辞典』、笠倉出版社、2004
名取弘文『子どもと話そう原子力発電所』、農文協、1989
中村桂子『科学技術時代の子どもたち』、岩波書店、1997
武谷三男『原子力発電』、岩波新書、1976
野真典和他『ゴジラ研究読本』、パラダイム、2000
サーフライダー21『ゴジラ研究序説』、PHP、1998
サーフライダー21『ゴジラ生物学序説』、ネスコ、1992
柳田理科雄『ゴジラVS柳田理科雄』、メディアファクトリー、2004
川北紘一監修『僕たちの愛した怪獣ゴジラ』、学習研究社、1996
和泉正明『公理的ゴジラ論』、アートン、1998
未来防衛研究所『ゴジラ対自衛隊』、銀河出版、1998
 

(弁護士・金原徹雄のブログから)
2014年6月8日
『ゴジラ』は今も世相を撃てるか?
2016年10月25日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)が西谷文和さんと語る「現場記者が見てきた『原子力ムラ』」ほか~「自由なラジオ LIGHT UP!」最新アーカイブを聴く(027~030)
2017年1月17日
「憲法と平和・原発・沖縄問題を考えるシンポジウム」@2/4アバローム紀の国(和歌山市)へのお誘い~森ゆうこ参議院議員を迎えて
2017年1月27日
伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと(2005年)」を読む(前編)

伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと(2005年)」を読む(前編)

 今晩(2017年1月27日)配信した「ルマガ金原No.2705」を転載します。

伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと(2005年)」を読む(前編)

 来る2月4日(土)午後2時から、和歌山市のアバローム紀の国(2階「鳳凰の間」)で開催される「憲法と平和・原発・沖縄問題を考えるシンポジウム」に、シンポジストの1人として登壇される伊藤宏さん(和歌山信愛女子短期大学教授)は、おそらくシンポの「欲張った」テーマのうち、「原発」問題を中心に発言されるのだろうと思います。勤務校ホームページの研究者情報にも、「研究内容・研究テーマ 原子力報道の検証、原子力政策および地域振興策等の検証」とありますし、伊藤さんが編集委員を務めておられる新聞うずみ火のホームページには、「共同通信青森支局時代、六ヶ所村の核燃料サイクル基地問題の取材中、警備員ともみ合う反対派をフェンスの内側から見ている自分に気づき、「自分の居場所は違う」と直感。その日のうちに辞表を書いたという「熱い記者魂を持った男」である。」とまで書かれているのですから。
 
 ところで、私が伊藤さんのプロフィールを調べていて気になったことがありました。それは、新聞うずみ火ホームページに「好きな怪獣ゴジラをテーマにした論文も」と触れられていたこと、さらに伊藤さんにFacebookの「友達リクエスト」を送った際に気がついたのですが、自己紹介の欄に「大学教員の仕事をしながら、原子力問題に関わり続けています。原子力報道の検証、怪獣ゴジラとウルトラマンの研究がライフワークです。」と書かれていたことです。

 そこで、「伊藤宏/ゴジラ」でGoogle検索をしてみたところ、昨年8月下旬から10月初旬にかけて、市民のための人権大学院・じんけんSCHOLA(すこら)というところで「原発と人権」と題した4回連続の講座を伊藤さんが担当されており、その第2回のテーマが「怪獣ゴジラと原発」であったことを発見したのです。

 というようなことで、伊藤宏さんとゴジラ、特に「怪獣ゴジラをテーマにした論文」というのがどうにも気になるということをブログに書いたりしたのを伊藤さんが読んでくださったのか、伊藤さんが、2005年に書かれた「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」という論文を、1年前(2016年1月26日)に、Facebookノートとして公開済みであることを教えてくださいました。
 一読、非常に読み応えがあり、感銘を受けましたので、「2月4日のシンポを聞きに来てくれる人に是非事前に読んで欲しいので」全文を私のメルマガ&ブログに転載させていただきたいと申し入れたところ、伊藤さんから、「シンポの内容とは全く関係ありませんが…それでもよろしかったら公開していただくことは歓迎です」(文字化けの恐れがあるので顔文字は省略)とご快諾いただき、ご紹介できることになりました。
 ただ、相当な大作なので、一気に読み通していただくのは難しいと考え、前後編の2回分載とすることにしました。まず本日は前編として、1954年の『ゴジラ』(第1作)から1975年の『メカゴジラの逆襲』(第15作)までの時代を論じた部分をご紹介します。
 なお、お読みいただく前にいくつか補足説明を。
 
〇この論文は、2005年8月に、伊藤さんも編者の1人となった論文集『子どもへの視点』(聖公会出版)に収録されました。
論文集 子どもへの視点
中村 博武
聖公会出版
2005-09

 ちなみに、この論文集に収録された論文は、国立国会図書館サーチによれば以下の7編でした。
「保育と実践 子どもの声に聴く保育の実践的検証」渡辺のゆり
「乳幼児の虫歯予防対策について」佐藤由美子
「「病後児保育」と小児保健」佐藤由美子
「子どもと文化 『エミール』の教育思想と宗教論」中村博武
「子供の想像力、大人の想像力」西尾宣明
「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」伊藤宏
「幼稚園実習における保育学科学生のピアノ伴奏(演奏)での問題点の傾向と対策」作野理恵

 こうしてみると、伊藤さんの論文は相当異彩を放っていたように思えます。

〇元々の論文「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」には、全部で58の脚注が付されていたようであり、転載した論文にも脚注番号が付いていますが、Facebookノートで公開する際、注釈の掲載は省略されていました。
 
(追記/2017年1月28日)ブログをアップした後、著者の伊藤宏さんから脚注部分のデータを提供いただきましたので、末尾に挿入しました。

〇「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」は、論文冒頭の記載で明らかなとおり、2004年12月に公開された『ゴジラ FINAL WARS』(第28作)までの半世紀にわたるゴジラ史を振り返るというスタンスで書かれています。
 従って、『シン・ゴジラ』(2016年)や、海外作品ではありますが、2014年のギャレス・エドワーズ監督による『GODZILLA ゴジラ』をどう位置付けるのかについては、直接伊藤さんにお伺いするしかない訳です。

〇「ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと」を読み進むための手引きとして、ウイキペディアの「ゴジラ映画作品の一覧」から、タイトル、制作年、監督名を抜き出しておきます(ハリウッド作品は除く)。
(引用開始)
第1作『ゴジラ』(1954年)本多猪四郎
第2作『ゴジラの逆襲』(1955年)小田基義
第3作『キングコング対ゴジラ』(1962年)本多猪四郎
第4作『モスラ対ゴジラ』(1964年)本多猪四郎
第5作『三大怪獣 地球最大の決戦』(1964年)本多猪四郎
第6作『怪獣大戦争』(1965年)本多猪四郎
第7作『ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘』(1966年)福田純
第8作『怪獣島の決戦 ゴジラの息子』(1967年)福田純
第9作『怪獣総進撃』(1968年)本多猪四郎
第10作『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』(1969年)本多猪四郎
第11作『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)坂野義光
第12作『地球攻撃命令 ゴジラ対ガイガン』(1972年)福田純
第13作『ゴジラ対メガロ』(1973年)福田純
第14作『ゴジラ対メカゴジラ』(1974年)福田純
第15作『メカゴジラの逆襲』(1975年)本多猪四郎
第16作『ゴジラ』(1984年)橋本幸治
第17作『ゴジラvsビオランテ』(1989年)大森一樹
第18作『ゴジラvsキングギドラ 』(1991年)大森一樹
第19作『ゴジラvsモスラ』(1992年)大河原孝夫
第20作『ゴジラvsメカゴジラ』(1993年)大河原孝夫
第21作『ゴジラvsスペースゴジラ』(1994年)山下賢章
第22作『ゴジラvsデストロイア』(1995年)大河原孝夫
第23作『ゴジラ2000 ミレニアム』(1999年)大河原孝夫
第24作『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』(2000年)手塚昌明
第25作『ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃』(2001年)金子修介
第26作『ゴジラ×メカゴジラ』(2002年)手塚昌明
第27作『ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS』(2003年)手塚昌明
第28作『ゴジラ FINAL WARS』(2004年)北村龍平
第29作『シン・ゴジラ』(2016年)樋口真嗣、庵野秀明(総監督)
 

      ゴジラが子どもたちに伝えたかったこと
           映画に描かれた「原子力」を読み解く
 
                             伊 藤   宏

はじめに
 二〇〇四年十二月、『ゴジラ FINAL WARS』が公開された。制作会社の東宝はこの映画のPRで「集大成にして最高峰。〝これが、最後だ〟」としており、一九五四年公開の第一作から半世紀にわたり作られ続け、一億人に迫る観客数を動員してきたゴジラ・シリーズは、二十八作目にして文字通りの「FINAL」を迎えたことになる。ゴジラは、「わが国ばかりでなく海外でも人気を博し*1、すでにゴジラは国境と世代を越えた永遠不滅のキャラクターになっているといっても過言ではない」*2存在で、一九六二年生まれの筆者にとっても、幼少時代から今日に至るまで常に身近にいて影響を受け続けた怪獣であった。そのゴジラが、ついに銀幕から姿を消すことになったのである。
 ゴジラがその存在を通じて我々に伝えてきたメッセージは、個々の作品が上映された当時の世相などを反映し、実に多種多様なものが考えられる。だが、その出生や生態、攻撃における武器*3等から明らかなように、ゴジラが一貫して発し続けたメッセージは「核」と、それに連なる「原子力」に関するものだった。そして実は、ゴジラが歩んできた五十年間は、まさに日本の原子力政策が歩んできた五十年間でもあったのだ。周知の通り、日本はエネルギー政策において原子力開発・利用を「国策」と位置づけ、原子力発電を強力に推進してきた。その結果、現在五十二基の原子力発電所(以下、原発)が稼働中で、総発電量の三〇%余りを原子力が占めるまでになっている*4。さらに日本は、原子力開発・利用の要として核燃料サイクル*5の確立を目指しており、まさに「原子力大国」への道をひたすら突き進んでいると言えよう。そうした現実に至る過程において、ゴジラは果たして「原子力」についてどのようなメッセージを我々に送ってきたのであろうか。
 ところで、ゴジラ映画は「怪獣映画」であるが、それが「子ども向け映画」と言えるのかどうかについては、議論が分かれるところであろう。確かに第一作は、明らかに大人向けの「社会派映画」であったし、第十六作(一九八四年公開)以降は往年のゴジラファン(少なくとも「子ども」ではなくなっている)を強く意識した作品になっている。しかし、有川貞昌*6が『キングコング対ゴジラ』(第三作・一九六二年公開)について、「この映画の頃は、怪獣映画が子ども向けに定着していましたからね、子どもを意識して撮りましたね」*7と、また川北紘一*8も「怪獣映画を観るのは七歳から十三歳くらいの子どもたちがメインです」*9と述べているように、少なくとも制作者側は常に、その当時の子どもたちを観客として想定していたことが伺われる。つまり、ゴジラが発するメッセージの主たる受け手は、子どもたちだったのだ。ゴジラが発したメッセージを検証するに当たって、この視点を欠くことはできまい。中村桂子は「子どもと科学について考えるには、科学技術時代の持つ価値観の中で、大人と子どもの関係を考えることが重要」*10と述べている。制作者側(大人たち)は子どもたちに、原子力についてのメッセージをどのような内容で、そしてどのような方法でゴジラに託したのであろうか。さらに、そこから浮かび上がってくる問題点は何なのだろうか。映画における原子力の描かれ方の検証を通じて、それらを明らかにしていくことが本稿の目的である。
 
メッセージが凝縮されていた第一作
 第一作『ゴジラ』は一九五四年十一月に公開された。この年の三月一日、静岡県焼津港所属のマグロ延縄漁船「第五福竜丸」が、アメリカのビキニ水爆実験による放射能を浴びるという大事件があり、これに触発されて第一作が制作されたという事実は有名である。また当時、各国の度重なる核実験の影響で、日本各地で放射能を含んだ雨が観測されたことも重なり、核実験および核兵器に反対する世論が、またたく間に拡がり日本全国を覆っていった。しかしその一方で、同じ年に日本の原子力政策にとって重要な出来事があったことを知る人は少ない。三月二日、改進党(当時)の中曽根康弘らが予算修正案として、原子炉構築予算二億三千五百万円*11を提出したのである。原子炉を構築する何ら具体的計画もないままの突然の予算提出について、中曽根は原子力開発・利用について慎重姿勢だった日本学術会議のメンバーに「学者がぐずぐずしているから、札束で頬をひっぱたくのだ」と語ったという*12。そして四月に予算は可決成立し、日本の原子力開発・利用が事実上のスタートを切ったのである。原子力の「軍事利用」と「平和利用*13」それぞれに関わる大きな出来事を背景に、『ゴジラ』は公開されたのだった。
 『ゴジラ』では原子力に関わる描写が、ほぼ全体を通じて行われている。それは、ゴジラが大戸島に上陸した直後に行われた調査シーンから始まった。破壊された建物などの跡を、ガイガーカウンターで調査する田辺(博士)の姿があった。ガイガーカウンターの反応を確認した上で、田辺は「当分の間、この井戸水も使わないで下さい。危険ですから」と宣告する。同行した尾形秀人が「先生、放射能の雨だとしたら*14、向こう側の井戸だけが助かるなんてことはあり得ないはずですね」と尋ねると、田辺は「うーん、そうなんだよ。どうしてこの付近の井戸だけが放射能を感じるんだか。どうも腑に落ちないね」と答える。巨大生物の足跡とみられる大きな窪みを流れる水に対しても、ガイガーカウンターは反応した。古生物学者の山根恭平は田辺と顔を見合わせ「この足跡に放射能が…」と絶句する。見守る住民たちに対し田辺が「皆さん、危険ですから近寄らないでください」と言い、同行者が「立入禁止」の木札を立てた。ところで、この時の調査団の服装であるが、田辺と助手のみが雨合羽のような防護服(?)を身に付けゴム手袋をしており、他の関係者は全て背広などの普通の服装であった。足跡とみられる窪みで三葉虫を見つけた際、山根はそれを素手で取り上げ、田辺から「先生、直接手を触れない方がいいです」と注意されている。その後ゴジラが再び上陸し、人々の前に初めてその姿を現わしたのだった。
 大戸島から戻った山根らは、国会の委員会(と思われる)で目撃したゴジラについて「ジュラ紀から白亜紀にかけて、極めて稀に生息していた海生は虫類から陸上獣類に進化しようとする中間型の生物であったとみて差し支えないと思われる」とし、日本近海に出現した理由について「おそらく、海底の洞窟にでも潜んでいて、彼らだけの生存を全うして、今日にまで生きながらえておった。それが度重なる水爆実験によって彼らの生活環境を完全に破壊され、もっとくだいて言えば、あの水爆の被害を受けたために、安住の地を追い出されたと見られるのであります」と説明する。その際、出席者の間ではざわめきが起こり、中には笑い声を上げる者までいた。さらに、ゴジラと水爆実験との関連について根拠を問われた山根は「その粘土(足跡から発見されたもの:筆者注)のガイガーカウンターによる放射能検出定量分析によるストロンチウム90の発見。後ほど田辺博士から詳しくご説明がありますが。つまり、ゴジラに付着していたこの砂の中に、水爆の放射能を多量に発見することができたのであります」と説明した。そして「これらの物的根拠からして、ゴジラも相当量の水爆放射性因子を帯びているとみることができます」と続ける。その後、事実を公表するか否かをめぐって議場は大混乱に陥るのだが、その様子を目の当たりにした山根たち科学者は、あきらめたような表情で肩を落とすのであった。結局、事実は公表される。電車内でそれを伝える新聞記事を読む人々の中で、一人の女性が連れの男性に「いやね、原子マグロだ放射能雨だって。その上今度はゴジラときたわ」「いやなこった。せっかく長崎の原爆から命拾いしてきた大切な身体なんだもん」と話していた。
 一方、災害対策本部でゴジラを倒すヒントを求められた山根は「それは無理です。水爆の洗礼を受けながらも、なおかつ生命を保っているゴジラを何をもって抹殺しようというのですか。そんなことよりも、まずあの不思議な生命力を研究することこそ第一の急務です」と述べる。山根はまた、ゴジラが東京に上陸した直後、尾形に「ゴジラを殺すことばかりを考えて、なぜ物理衛生学の立場から研究しようとしないんだ。このまたとない機会を…」と訴えた。尾形は「しかし先生、だからといってあの凶暴な怪物をあのまま放っておくわけにはいきません。ゴジラこそ我々日本人の上に今も覆い被さっている水爆そのものではありませんか」と応じるが、山根は「その水爆の放射能を受けながら、なおかつ生きている生命の秘密をなぜ解こうとはしないんだ」と怒り出してしまう。
 ゴジラは東京に二度目の上陸をし、口から熱線を吐くなどして中心部を焼け野原に変えてしまう。国会議事堂も破壊された。その襲撃から一夜明けた救難所の様子が描かれるが、少女(外傷はほとんど見られない)に田辺がガイガーカウンターを当てると強い反応が起こり、居合わせた山根恵美子と顔を見合わせた後、田辺は難しい表情で首を振る。また、母親の遺体の前で泣き叫ぶ少女など、具体的な被害者治療の様子が比較的長い時間描写された。後に再び触れることになるが、全二十八作のゴジラ・シリーズにおいて被害者、特に放射能汚染を受けた(被ばくした)被害者が具体的に描かれたのは、この第一作のみである。他の作品中で描かれたのは、ほとんどが外傷を受けたと思われる被害者だけだった。
 ゴジラを倒す有効な手段が見つからない中、芹沢大介が秘密裡に研究開発していたオキシジェンデストロイヤーが注目される。当初、芹沢は山根恵美子だけにその存在を明かすのだが、その際に「もしも兵器として使用されたならば、それこそ水爆と同じように人類を破滅に導くかも知れません。しかし、僕は必ずこのオキシジェンデストロイヤーを、社会のために役立つようにしてみせます。それまでは絶対に発表しません(中略)もしもこのまま、何らかの形で使用することを強制されたとしたら、僕は、僕の死と共にこの研究を消滅させてしまう決心なんです」と語る。だが、ゴジラによる被害を見かねた恵美子は、恋人の尾形にその存在を打ち明けてしまう。二人はオキシジェンデストロイヤーの使用を芹沢に依頼するが、その時の芹沢と尾形のやり取りは次のようなものだった。
芹沢:もしも一旦このオキシジェンデストロイヤーを使ったら最後、世界の為政者たちが黙って見ているはずがないんだ。必ずこれを武器として使用するに決まっている。原爆対原爆、水爆対水爆、その上さらにこの恐怖の武器を人類の上に加えることは、科学者として、いや一個の人間として許すわけにはいかない。そうだろう?
尾形:では、この目の前の不幸はどうすればいいんです。このまま放って置くよりしか仕方がないんですか。今この不幸を救えるのは芹沢さん、あなただけです。たとえ、ここでゴジラを倒すために使用しても、あなたが絶対に公表しない限り、破壊兵器として使用される恐れはないじゃありませんか。
芹沢:人間というのは弱いものだよ。一切の書類を焼いたとしても、俺の頭の中には残っている。俺が死なない限り、どんな事で再び使用する立場に追い込まれないと誰が断言できる。ああっ、こんなものさえ作らなければ…。
 結局、芹沢はオキシジェンデストロイヤーの使用を決断するが、研究書類を全て焼き捨てながら「これだけは絶対に悪魔の手には渡してならない設計図なんだ」と語った。
 ゴジラとの決戦の場となった東京湾上で、リポーターが「ただ今ガイガーカウンターは、はっきりゴジラの所在を突き止めました」と興奮気味に報告し、メーターの数値がどんどん上がっていく様子が描写される。最終的に、ゴジラはオキシジェンデストロイヤーによって葬られたが、芹沢も自らの命を絶ったのであった。ラストは山根の次の言葉で締めくくられる。「あのゴジラが、最後の一匹だとは思えない。もし、水爆実験が続けて行われるとしたら、あのゴジラの同類が、また世界のどこかへ現れてくるかも知れない」。
 このように第一作は、核兵器に対する「怒り」が明確に主張された作品であった。同時に放射能被害(特に残留放射能の危険性)や、科学と政治との関わり、科学者の好奇心の問題、科学技術が軍事利用されることへの危惧、そして科学技術の発達に対する懸念など、二十一世紀に入った現在においても色あせない様々な問題提起が随所で、しかもはっきりと行われていた。また、ゴジラ自体に関して言うならば、その出自を明確な根拠に基づき説明したことに加え、口から吐く放射熱線のみならずゴジラの身体自体が放射能を帯び、通過した跡に放射能が残留するという特徴が描かれていたことは注目に値する。しかし一方、原子力の「平和利用」については、現実的に日本はもとより世界各国がその開発・利用に着手したばかりという事情からすれば当然であろうが、映画の中で描写されることは一切なく、特に問題提起もなされることがなかった*15。
 
「軍事利用」と「平和利用」の切り離し
 第一作の大ヒット(観客動員数は九百六十一万人)を受け、わずか半年後の一九五五年四月、第二作『ゴジラの逆襲』が公開された。だが、この作品における原子力に関する描写はほんのわずかしかない。ところで、『ゴジラの逆襲』公開後、一九六二年八月公開の第三作『キングコング対ゴジラ』まで、ゴジラ映画には七年余りの休止期間があった*16。この間、原子力の「軍事利用」に関しては、一九五五年七月のラッセル・アインシュタイン宣言*17、同年八月の第一回原水爆禁止世界大会(広島市)の開催、一九五七年七月の第一回パグウォッシュ会議*18開催等々、核兵器廃絶や核実験禁止を求める動きが活発化する反面、アメリカ・ソ連(当時)・イギリスは核実験を繰り返しながら核兵器保有量を高めていく。さらに一九六〇年二月、フランスが初の原爆実験を行い核保有国の仲間入りをするなど、米ソの冷戦を背景に核戦争が起こる危険性はむしろ増大していった。一九六一年には、日本国内でソ連の核実験の影響と見られる放射能雨が観測され大問題となっている。
 一方、世界中で原子力の「平和利用」は急速に進展していた。日本についてのみ見ても、原子炉構築予算が可決されて以降、一九五五年十一月の日本原子力研究所(以下、原研)の設立、同年十二月の原子力三法*19の公布、一九五六年一月の原子力委員会と総理府原子力局の発足、同年三月の原子力産業会議の発足、同年五月の科学技術庁の発足、一九五七年六月の原子炉等規制法・放射線障害防止法の公布*20と、実用化に向けた動きが矢継ぎ早に進められていた。そして一九五七年八月、茨城県・東海村の原研で、アメリカから輸入した研究炉(JRRー1)が臨界に達する。日本で初めて「原子の火」が灯った瞬間だった。JRRー1臨界の後、原子力発電の実用化に向けた動きはさらに加速していく。一九五七年十一月に日本原子力発電が発足し、一九五八年九月には原研が念願の国産原子炉一号炉の建設を始める。そして一九五九年十二月、日本原子力発電の東海原発一号炉に設置許可が下りた。さらに、一九五八年八月には日本原子力船研究協会が発足し、原子力発電の開発に加え原子力船開発も着手されていた。このような現実の動きを経た上で、『キングコング対ゴジラ』は公開されたのであった。
 ところで、柴田鉄治は当時の「原子力」に対するイメージについて「『原子力』という言葉が、いかに明るく、力強いイメージを持っていたか、それは、五五年秋の新聞週間の標語に『新聞は世界平和の原子力』というのが選ばれたことでも明らかだろう。少しでもマイナス・イメージがあったり、国民の間に意見の対立があったりしたら、こんな標語が選ばれるはずはないからである」と述べている*21。もともと、「核」とは物理学の用語で原子核を意味し、原子核の分裂反応によって取り出されるのが「核エネルギー」、すなわち「原子力」である。しかし、一般的に「核」は「核兵器」の意味で用いられる場合の方が多い(例:核廃絶)。それは、一九五〇年代後半以降の日本で、「原子力」という用語が「平和利用」の象徴となり、「原子力」の軍事利用面での用語である「核」あるいは「核兵器」と完全に切り離されて捉えられていたからに他ならない。そして、「平和利用は善、軍事利用は悪」という構図が、何ら問題もなく人々に受け入れられていたのだった。
 こうした状況は、わずかな描写であったとはいえ、『キングコング対ゴジラ』にも反映されていたと言えよう。ゴジラが日本に上陸した後の対策会議の席上で、自衛隊の東部方面隊総監が「国連では、このままゴジラを放置しておくことは世界の破滅になる。よって世界平和のため水爆攻撃の計画を考慮してほしい、という声が起っているそうだ」と深刻な表情で報告するシーンがある一方で、藤田一雄が桜井修に自分が開発した新製品について「鋼よりも強く、絹糸よりもしなやか。原子力時代の繊維ですよ」と説明しているのである。なお、『キングコング対ゴジラ』はゴジラ・シリーズにおいて最高となる千二百五十五万人の観客動員数を記録する、空前の大ヒットとなった。
 『キングコング対ゴジラ』の公開直後の九月、原研の国産一号炉(JRR-3)が臨界する。その当時の日本では、「おそらく一九七〇年代、もっとひかえ目に考えても、増殖型原子炉の技術が確立する一九八〇年代には、こうした分野での商業利用が普及するであろうし、月や火星、金星に向う原子力エンジンのロケットも、完成の域に達しているだろう」」*22というように、原子力の「平和利用」についてバラ色の未来が描かれていた。しかし同年十月、米ソの冷戦が頂点に達し核戦争の危機がまさに現実となったキューバ危機が起こる。幸いに危機は回避されたが、核兵器および核実験に対する世界的な批判がますます強まったため、アメリカ・ソ連・イギリスの三国は一九六三年八月、大気中・水中・宇宙空間での実験を禁止した部分的核実験禁止条約*23を結んだ。一方、日本では同年十月、原研の動力試験炉(JPDR)が日本初の発電試験に成功*24し、石炭や石油に変わるエネルギー源として原子力発電への期待が急速に高まっていくのであった。
 そして一九六四年四月、第四作『モスラ対ゴジラ』が公開される。この作品で特徴的なことは、「放射能」についての具体的描写が表れたことであろう。冒頭で登場する台風被害の取材現場で、酒井市郎と中西純子は虹色に光る物体を拾う(酒井は素手でそれを取り上げた)のだが、しばらくしてから物体を調査していた三浦(博士)の研究所に呼ばれた二人は、まず「放射能・立入禁止(放射性物質のマーク付)」の表示がある小部屋に入れられ、蒸気のようなものを浴びせられた。出てきた酒井と三浦は次のような会話を交わす。
酒井:一体何のまねです、こりゃぁ?
三浦:放射能の洗浄だよ。
酒井:放射能?
三浦:でも心配はないようだ。
酒井:冗談はよしてくださいよ。
三浦:冗談じゃないよ。君たちが持ってきたアレね…。
酒井:何か分かりました?
三浦:まだ分からん。すごい放射能を帯びているんだよ。
 そして、ガラスケースに入れられた物体に向かって三浦がガイガーカウンターを当てると、強い反応が出る。酒井たちは物体を拾った場所に行き、辺りの地面に向かってガイガーカウンターを向けるが反応は出なかった。その時、現場(工業地帯造成地)の地面が動き、地面から水蒸気のようなものが湧き上がる。三浦がそれに向かってガイガーカウンターを向けると強い反応が出て、その直後に地中からゴジラが姿を現わすのであった。この描写によって、ゴジラの身体そのものが強い放射能を帯びているということを、改めて再確認することができたと言えよう。
 一方で、過去に核実験が行われた島の描写が初めて登場した。モスラにゴジラ撃退を依頼するために酒井、中西、三浦は、かつて原水爆実験のあったインファント島に赴く。上陸すると、海岸には白骨化した動物の遺体が至る所にころがっており、その様子を見た三人は次のような会話を交わす。
酒井:すごいなぁ。こんな所に人が住んでいるんですかね。
中西:原水爆実験のためなんですか?
三浦:分かりやすく言えば、後遺症とも言えるのかなぁ。昔は全島緑の美しい島だったろうにね。
中西:何だか私、責任感じちゃうわ。
三浦:人間なら当然ですよ。
酒井:しかし、原水爆禁止のかけ声も、近頃じゃ耳にタコっていう感じだが、こう目の前に見せつけられるとそうじゃないですなぁ。(島の内陸に入り、改めて周辺を見渡した後)しかし、本当に人が住んでいるんですかねぇ。
三浦:こんな所に住まなきゃならないなんて、残酷以上だなぁ。
 また、原住民の族長には「(ゴジラの被害は)悪魔の火、もて遊んだ報いだ*25。我々は知らん」「昔、この島いいとこだった。平和な緑の島だった。それを、悪魔の火焚いたのは誰だ。神も許さぬ火焚いたのは誰だ。その日から、この島は受難の島になった。我々はこの島の人間以外信じない。信じたばかりに、今まで背かれてばかりきた」と語らせる。
 しかし、これらの描写には以下に示す重大な問題点がある。
①酒井が「すごい放射能を帯びている」物体を素手で取り上げていたこと。さらに、映画の中では描かれていないが、それを三浦の元に届けるまである程度の時間は所持していたわけで、現実的に酒井はかなりの放射線被ばくをしているはずであること。
②二人は物体を拾ってから、かなりの時間を経て「放射能の洗浄」を受けており、しかも拾った当時とは明らかに違う服装をしていたにもかかわらず、「洗浄」され「心配はないようだ」と言われていること。
③つい最近まで核実験場だった島に、三人がマスクや手袋などをしないで上陸しているこ
と*26。そして何よりも、その島に「人が住んでいる」ということ。
 放射能や放射線について、特にその人体への影響について一般的にはほとんど知られていなかった時代の作品に対し、そのような問題点を指摘することは酷かも知れない。だが、これらの描写によって、「平和利用」であっても原子力には常に危険がつきまとうという認識が、相当に薄められたことは間違いなかろう。
 
消えていった「水爆怪獣・ゴジラ」のイメージ
 『モスラ対ゴジラ』の公開から約半年後の十月、中国が初の原爆実験を行い核保有国の仲間入りをした。また同年8月、日本はアメリカの原潜の寄港を承認し、十一月には原子力潜水艦シードラゴンが初めて長崎の佐世保港に寄港している。この時期から日本は、原子力の「平和利用」のみならず「軍事利用」とも次第に関わりを深めていくのであった。これに対し一九六七年一月、国連総会において採択された宇宙条約がワシントン・モスクワ・ロンドンで同時調印されるなど、核兵器に対して歯止めをかけようとする動きも相次いだ。しかし、核兵器保有国は核実験を相変わらず続けていただけではなく、核爆弾を搭載するミサイルや航空機等の開発および配備を競っていたのであった。
 一方で、一九六五年五月に日本原子力発電の東海原発一号炉が臨界し、十一月に初めての営業用原子力発電に成功する。これを機に、日本国内では民間の各電力会社も原発建設に向けた動きを本格化させていった。一九七〇年三月に大阪で万国博覧会が開幕し、同時期に営業運転を開始した日本原子力発電の敦賀原発から初の送電が行われ、話題を集めた。そして、東京電力の福島原発、関西電力の美浜原発が相次いで営業運転を開始し、新規の原発計画および着工が次々と具体化されていったのである。
 しかし、この頃の日本は、一九六〇年代後半から顕在化してきた四日市公害をはじめとする公害・環境問題が深刻化し、巨大科学技術の開発について疑問や批判が強まってきた時期でもあった。また、三月に原研の国産一号炉で燃料棒破損事故が続発していたことが明るみに出るなどした影響で、国民の間ではそれまでの「原子力ブーム」に翳りが出始めていたのである。世界的に大型商業用原発の稼働が増えるにつれて、事故やトラブルが相次いでいたため、原子力施設に反対する動きも各地で活発化していった。「軍事利用」面でも、核保有国の核実験が続けられていただけではなく、一九七〇年九月には訪米中の中曽根康弘防衛庁長官が有事の際の核持ち込み容認を発言するなど、日本の「非核」意識に重大な変化が起こり始めていた。
 こうした時代背景の中でゴジラ・シリーズは、第五作『三大怪獣・地球最大の決戦』(一九六四年十二月公開)から第十五作『メカゴジラの逆襲』(一九七五年三月公開)まで、ほぼ毎年制作されているのだが、原子力に関連した描写は徐々に減少していくのであった。確かに、一九六六年十二月公開の第七作『ゴジラ・エビラ・モスラ・南海の大決闘』は、物語の舞台であるレッチ島が陰謀団「赤い竹」の原爆秘密工場という設定だったし、翌年十二月公開の第八作『怪獣島の決戦・ゴジラの息子』では、合成放射能を用いた気象コントロールで島を凍らせる「シャーベット計画」という実験が行われるという設定であったが、それでも原子力に関する具体的な描写は非常に少ない。なお、各作品中の原子力についての描写は、おおよそ次のようなパターンであった。
①核実験の実施を伝える、あるいはそれを批判するというパターン(一九七三年三月公開の第十三作『ゴジラ対メガロ』で、冒頭に「一九七X年、アリューシャン列島のはずれの小島で第二回地下核爆発実験が行われた。その結果…」というナレーションが入り、爆発し島全体が崩落していく場面が流れたこと等)。
②ゴジラなどの怪獣や外敵に対して核兵器の使用が検討されるというパターン(『三大怪獣・地球最大の決戦』で怪獣撃滅の手段を問われた防衛大臣の「問題は日本一国の問題ではございません。全世界の問題でございます。諸君はゴジラ、ラドンに対し、核兵器 を使用せよという勇気がございますか? もうこれ以上ご説明申し上げる必要もございますまい」という台詞等)。
③ゴジラの存在を放射能の有無で探知するというパターン(一九六五年十二月公開の第六作『怪獣大戦争』で、X星人の指摘に従い明神湖でゴジラの調査をするシーンで、ガイガーカウンターを使用する。湖底に近づくにつれて隊員が、「隊長、放射能がますます強くなっています」と報告。その結果を報じる新聞の見出しが「明神湖々底に放射能」「ゴジラ存在は確実」というものであったこと等)。
④危険地域などに入った際に放射能の有無を確認するというパターン(一九六八年八月公開の第九作『怪獣総進撃』で、怪獣ランドの調査に向かった宇宙ロケット「ムーンライトSY-3」が到着後、隊員が艇長の山辺克男に「放射能、亜硫酸ガス、全て異常なし」と報告するシーン等)。
 さらに、この時期の作品ではゴジラの存在そのものが大きく変化している。第四作までは、「人類を破滅に導く脅威」という存在であったゴジラが、第五作からは人類のために、時には人類と協力しながら外敵(他の怪獣、宇宙怪獣や宇宙人、あるいは人類の平和に敵対する組織等)と闘う存在となり、さらに第十作『ゴジラ・ミニラ・ガバラ・オール怪獣大進撃』(一九六九年十二月公開)以降は「正義の味方」「子供たちの味方」という存在になっていくのだ。それに伴い、ゴジラの外観が次第に「お茶目で可愛い」と言っても良い程にデフォルメされていったばかりか、「シェーッ」*27(第六作)や「シアワセだなぁ」*28(第七作)のポーズを取るなど、本来の「水爆怪獣」としての脅威、あるいは恐怖というイメージが完全に払拭されていった。
 こうした変化について、佐藤健志は「お子様ランチ化」「シリアスな大人向け恐怖映画として出発したゴジラが、子供だましの怪獣プロレスへと凋落してゆく過程」*29とし、その原因として「観客の減少によって生じた予算的な制約や、観客対象を年少層に絞ることの必要性、あるいは副収入としてのマーチャンダイジング拡大(要するに怪獣のオモチャを売ること)の必要性などといった商業的要因が、ゴジラ映画の内容を幼児向けのものへと変えていった」*30という見解を紹介している。小林豊昌も「昭和二十九年から昭和三十九年四月までのおよそ一〇年間に作られたゴジラ映画は四本だったが、昭和三十九年十二月封切りの第五作目『三大怪獣 地球最大の決戦』から昭和五十年三月封切りの第一五作目『メカゴジラの逆襲』までの次の約一〇年間には、何と一一本のゴジラ映画が作られている。子供をターゲットとする商業戦略の中で、ゴジラ映画は粗悪品の大量生産・大量消費がなされてゆく時代へと入っていった」*31と分析しており、この時期のゴジラ映画に対する批評は概して厳しいものばかりであった。
 いずれにしても、核実験への批判や核戦争への懸念はそれぞれの作品(一部を除く)でメッセージとして伝えられていた(「触れられていた」という方が適切かも知れない)が、それがゴジラを通してのものではなくなってしまったのだ。それと同時に、原子力をめぐる新たな社会状況が作品に反映されることもなくなっていく。一九七四年は、五月にインドが初の核実験を行い六番目の核保有国になり、六月にはフランスが最後の大気圏内核実験を実施。その一方でアメリカとソ連が地下核実験制限条約に署名した。そして日本では九月、原子力船「むつ」が実験航海に出港した際に放射線漏れ事故を起こし、原子力政策に対する批判が一気に高まったという年であった。しかし、翌年三月に公開された第十五作『メカゴジラの逆襲』では、原子力関連の描写は全く出てこない。唯一のそれらしき描写は、ブラックホール第三惑星人がゴジラの所在を確認するために用いた機械が、「スーパーガイガー探知機」と呼ばれていたことぐらいである。敢えてゴジラが社会的なメッセージを発した作品を挙げるとするならば、一九七一年七月に公開された第十一作『ゴジラ対ヘドラ』(詳細については後述)ということになるのだが、それは原子力ではなく公害に関するものだった。
 
子どもにとっての『ゴジラ』
 一九六二年生まれの筆者が、最初に観たゴジラ映画は『怪獣島の決戦・ゴジラの息子』だったと思う。そして、前出・川北が怪獣映画を観る年齢としていた「七歳から十三歳くらい」が、ぴったりと「お子様ランチ化」したゴジラ・シリーズの上映と重なっていた。その時期、新作が公開される度に映画館に足を運んでいたのだが、なぜかスクリーンで観た記憶が鮮明に残っているのは第一作『ゴジラ』なのだ*32。確か小学校三年生前後であったと思うが、父親に連れられて観た『ゴジラ』から受けたインパクトは強烈であった。もちろん、観ている最中に「シリアスな大人向け恐怖映画」の内容をきちんと理解できたはずはなく、ただただゴジラの怖さだけを感じて映画館を出てきたはずだ。映画の中で交わされる「大人たちの会話」はほとんど意味不明なものであったし、既に見慣れていた「人類の味方」であるゴジラとはあまりにかけ離れたその存在を、すぐに受け入れることができなかったからである。確かに、第一作は子どもにとっては難解であった。
 しかし、映画館を出て家に帰り着く頃までに、おおまかな内容を理解することができていたようだ*33。それは、帰り道で筆者が内容を思い起こしながらした様々な質問に、父親が一つ一つ答えてくれたからに他ならない。原水爆に関すること、戦争に関することはもちろん*34、ゴジラ出現の報告がなされた委員会と思われる席上で、議員たちが混乱する最中に「馬鹿者、何を言うか」という発言が出たシーンについて、実際に「バカヤロー解散」*35というものがあったことまで説明してくれたのも覚えている。また、まだ放射能雨に対する関心が高かった頃、雨が降ってきた際に傘をささずにいると周囲の大人たちから「頭が禿げるよ」と注意された幼少時の体験が、映画の内容にリアリティーを感じさせる糸口となっていたと思う。そして確実に言えるのは、その時点でゴジラから核兵器に対する「怒り」というメッセージを受け取り、後に筆者が原子力問題に関わっていく際の強力なモチベーションの一つになったということである。
 前出・小林は、「お子様ランチ化」していくゴジラについて「造形もおちゃめになり、『子どもたちが親しみをもてるように』デフォルメしていくという、大人の愚考を実践していく。大人が、子供たちに媚びる時代の始まりであったかもしれない。子供は、自分たちに媚びる大人を軽蔑しているのに、大人たちはそれに気づかず独善を続けていた」*36と述べているが、非常に鋭い指摘ではなかろうか。中野昭慶*37の「映画は基本的に娯楽でしょ、それにゴジラ映画は子どもが観るものです。(中略)人を傷つけてはいけないとか、物を盗んじゃいけないとか、家族でふだん話し合っていることを逆なでする映画を作っちゃいけない、とね」*38「子どもにウケる映画って、コミカルなタッチであること、そして子どもが耐えられる一時間三〇分ほどに収めることが大切です」*39という主張の是非はさておき、少なくとも第一作を観た後の筆者にとっては、それ以前のように「正義の味方」であるゴジラを素直に受け入れることはできなかった。テレビの普及による映画産業自体の衰退等、様々な事情が考えられるであろうが、ゴジラの観客動員数は第四作が七百二十二万人であったのに対して、年々減少し(一時的に増加する時期はあった)第十五作では九十七万人にとどまっている*40。大人たちが提供した「お子様ランチ」が、子どもたちの口に合わなかったことは間違いあるまい。一方で、第一作は「大人向けの料理」ではあったが、決して「子どもに食べられない料理」ではなかったとも言えよう。
 ところで、減少を続けた観客動員数を一時的に増加させたのは『ゴジラ対ヘドラ』である(前作の百四十八万人に対して百七十四万人)。実は、筆者にとって第一作と同様、子ども時代に強く印象に残ったものだった。ゴジラ・シリーズの中で特に異彩を放つこの作品は、公開当時の評価が大きく分かれていた(マイナス評価の最たるものは、子どもに観せるには残酷なシーンがあった*41というもの)。制作者側も、前出・中野が「やはり、あの映画は残酷すぎました。当時は公害をアピールするんだなんて気概があって、エスカレートしちゃった。(中略)僕らは、子ども向け映画なのに大人の視点で撮っていた」*42と認めている。だが、この制作者側の「誤算」が幸いして、『ゴジラ対ヘドラ』は「大人が子どもたちに媚びる」映画ではなくなったばかりか、子どもたちにメッセージを分かりやすく伝えることにも成功したのではなかろうか。
 この作品に登場した怪獣ヘドラは、宇宙から飛来した地球外生物がヘドロと化合して生まれた「公害怪獣」という設定になっている。その名が示す通り、公害・環境破壊をテーマとしたものであり、原子力(主に核実験によって生じた放射能)はその一部として描かれていた。この作品の特徴を挙げるとすれば、以下の三点になるであろう。
①主役的登場人物の一人が、小学校二年生の子どもであったこと。ゴジラ・シリーズの中で、子どもが主役的役割をしている作品は、『ゴジラ・ミニラ・ガバラ・オール怪獣大進撃』等、一部を除けばほとんどない。しかも、この作品では子どもを特別扱いすることなく、社会の構成員として大人と同様、もしくは対等に扱われていたのである。
②難解な部分についても、父子の会話という形で作品中で分かりやすい説明がなされていたこと。例えば、矢野研と父親の徹との間で、次のような会話が交わされる。
徹:(ヘドラが飛行できる理由について)研、核爆発って知ってるか?
研:原爆や水爆のこと?
徹:そう。物質の原子が核分裂を起こして別の原子に変わる時、膨大なエネルギーを放出するんだ。宇宙には原爆や水爆どころか太陽の何億倍もの大爆発が起こってる。
[説明の最中に、原子核などのイラストや、銀の原子核爆発の映像などが流される]
研:バーン。すごいなぁ。
徹:ヘドラは核爆発によるエネルギーで飛ぶようになったんだろう。金属で出来た宇宙生物だからね。放っておくと、どんな武器を備えるか分からない。
 研と徹とのこうした会話が、実写やイラストを伴ってしばしば登場している。
③怪獣同士の闘いなどによる「被害者」が具体的に描かれていたこと。ヘドラによって倒れる人々が描かれていただけではなく、テレビニュースでアナウンサーが「怪獣ヘドラとゴジラによる被害は死者三十五名、負傷者八十一名、倒壊家屋三百二十に上っております」と述べるなどしている。ゴジラ・シリーズの中で、ここまで具体的に被害者が描かれた例は他に見当たらない。
 これらの特徴は、「子ども向け映画とは何か?」「子ども向け映画はどうあるべきか?」等という点について、多くを示唆していると考えられるが、その検証は別の機会に譲る。
 いずれにしても、第一作および『ゴジラ対ヘドラ』という「子ども向けとは言えない」二作のみが、子どもたちに明確なメッセージを伝え得たという事実は重要である。ただし、「原子力」について言うならば、その二作においてさえ「平和利用」に関する何ら具体的な描写は登場してきていない。第一作によって、子供たちが核兵器に対する怒りを強めることができても、「平和利用」に対する批判的視点は持ち得なかった。むしろ、「平和利用」については何の疑問も持たずに、夢や期待を馳せていたくらいであろう。そして「平和利用」について何も語らぬまま、ゴジラは一旦スクリーンから姿を消したのであった。

 
(脚注)
*1ゴジラは二〇〇四年、米ハリウッドで殿堂入り(ハリウッド商工会議所が主宰する「Walk ofFame」に認定)を果たした。日本生まれのキャラクターが殿堂入りするのは初めてで、キャラクターとしてはミッキー・マウス、ドナルド・ダックに続く快挙であった。
*2野村宏平編『ゴジラ大辞典』、笠倉出版社、2004、P9
*3ゴジラは口から放射能を含む高温の放射熱線(他にも放射能火炎、バーニングGスパーク熱線など、作品によって名称は変化する)を吐くが、これが最大の必殺武器とされている。
*4さらに、建設中及び建設準備中の原発が十一基ある(二〇〇五年四月現在)。
*5原発からの使用済み核燃料を再処理し、ウランやプルトニウムなどを取り出すことで核燃料を有効に利用しようとするもので、国は原子力政策の根幹に据えている。
*6第一作、第二作で撮影助手、第三作から第六作まではカメラマン、第七作で特技監督補、第八作と第九作で特技監督を務めた。
*7田中友幸他『ゴジラ・デイズ ゴジラ映画40年史』、集英社、1993、P116
*8第三作から第十作まで撮影助手等、第十一作と第十四作で監督助手、第十七作から第二十二作まで特技監督を務めた。
*9田中他・前掲書、P219
*10中村桂子『科学技術時代の子どもたち』、岩波書店、1997、P29
*11この金額の根拠は、特に計算されたものではなく、核分裂反応を起こすウラン235の原子記号にあやかって決められたと言われている。
*12武谷三男『原子力発電』、岩波新書、1976、P13
*13一九五三年十二月、アイゼンハワー米大統領が国連総会で原子力の「平和利用」を呼びかけた。以後、原子力の利用は「平和」と「軍事」とに二分されて捉えられるようになる。
*14この時点では、まだゴジラの存在は確認されておらず、大戸島を襲った台風の被害を調査するものだった。
*15これは推測の域を出ないが、芹沢の「僕は必ずこのオキシジェンデストロイヤーを、社会のために役立つようにしてみせます」という台詞は、「平和利用」ついての期待、ある意味で楽観的な見解を表していたのかも知れない。
*16休止期間中、東宝は『空の大怪獣ラドン』(一九五六年十二月公開)、『地球防衛軍』(一九五七年十二月公開)、『大怪獣バラン』(一九五八年十月公開)、『宇宙大戦争』(一九五九年十二月公開)、『モスラ』(一九六一年七月公開)などの怪獣映画を制作し、それらの中で原子力に関する描写も登場していたが、ゴジラについて述べる本稿では割愛した。
*17アインシュタインらノーベル賞を受賞した科学者たちが、核兵器を紛争解決の手段として用いないことなどを訴えたもの。
*18ラッセル・アインシュタイン宣言に署名した科学者同士が集まった国際会議。いかにして科学技術が社会的責任のある方法で利用されるか、どのようにして核兵器を廃絶し戦争をなくせるか等の問題に関して議論をし、その結果を世界に訴えていくことを目的とした。
*19原子力基本法、原子力委員会設置法、原子力局設置に関する法律を指す。
*20まだ具体的に原子炉が存在しない時期に定めらたことは注目に値する。
*21柴田鉄治『科学報道』、朝日新聞社、1994、P43
*22一九六二年十二月二日付、朝日新聞社説
*23この条約では「地下核実験」が除外されている。
*24発電に成功した十月二十六日は、後に「原子力の日」と定められ、原子力推進のために各種行事が催されるようになった。
*25この族長の言葉が、核兵器を持たない日本から来た三人に発せられたことは意味深長である。「島外の人間」として核保有国の人間と同様に見ていたと考えれば「悪魔の火」とは核兵器に他ならないであろうが、仮にそうではなかったとしたら、原子力利用そのものを指すという解釈が成り立つからだ。
*26一応、上陸した時の三人は、黄色い作業衣のようなものを着ていた。しかし、原住民の前に出た時には、普通のスーツ姿となっている。
*27当時人気のあったマンガ『おそ松くん』に登場するイヤミというキャラクターが取っていたポーズである。
*28当時、歌手の加山雄三が「シアワセだなぁ」と言いながら鼻をこするポーズが話題になっていた。
*29佐藤健志『さらば愛しきゴジラよ』、読売新聞社、1993、P76
*30佐藤・前掲書、pp47-48。ただし、佐藤自身は「商業的要因を無視することはできない」としつつ、原因についてさらに詳細な分析を行っている。
*31小林豊昌『ゴジラの論理』、中経出版、1992、P20
*32現在のようにビデオやDVDが存在しなかった当時は、たびたび過去の作品がリバイバルで上映されていた。また、町内会の催しで映画会があり、そこで過去の作品が上映されることもあった。そのため筆者は、第七作以前の作品のいくつかをスクリーンで観ていたのである。
*33家に帰ってから筆者は母親に『ゴジラ』の内容について興奮しながら様々なことを語ったらしい。
*34父親は一九三二年生まれで戦争経験者であり、また労働組合の専従だった関係で、原水禁の大会にほぼ毎年出席するなどしていたため、核問題についてもある程度の知識があった。
*35一九五三年の衆議院解散の俗称。同年二月の衆議院予算委員会における吉田茂首相と社会党の西村栄一議員の質疑応答の中で、吉田首相が「ばかやろう」と発言したことが発端となった。
*36小林・前掲書、P126
*37第三作から第十作まで監督助手、第十一作から第十三作まで特殊技術、第十四作から第十六作まで特技監督を務めた。
*38田中他・前掲書、pp172-173
*39田中他・前掲書、P181
*40田中他・前掲書、P304
*41ヘドラが排出する硫酸ミストを浴びた人間が、みるみる溶解して白骨化していくシーンなどを指す。
*42田中他・前掲書、P173


後編に続く)
 

映画『いのちの森 高江』上映会@2/26和歌山市勤労者総合センターへのお誘い

 今晩(2017年1月25日)配信した「メルマガ金原No.2703」を転載します。

映画『いのちの森 高江』上映会@2/26和歌山市勤労者総合センターへのお誘い

沖縄タイムス+プラス ニュース 2016年12月23日 08:50
【記者の視点】命の問題 譲れない

(引用開始)
 北部訓練場の部分返還を祝う式典が名護市の西海岸で開かれた22日、東海岸の安部では米軍が墜落したオスプレイの回収作業を終えた。機体は米軍の「財産」。結局、海上保安庁は指一本触れられないまま
だった。
 昼間、9日ぶりに立ち入り規制が解除された浜辺に入ってみた。アダンの木に実がなっていると思った
ら、違った。米軍が張った立ち入り禁止の黄色いテープがぐるぐる巻きになり、残されていた。
 米軍は「神聖不可侵」。このテープにすら触れられないのだろうか。自生するアダンの木が沖縄に、巻
き付けられたテープの塊が米軍基地に重なる。
 夕方、返還式典の後、菅義偉官房長官は「苦労に苦労、努力に努力を重ねた」と強調した。そうまでして実現したのは、米軍報告書が「使用不可能」と呼ぶ土地を返してもらい、新たなヘリパッドを提供する
程度のことだった。
 返還式典では、ケネディ駐日米大使らが返還地を示す写真パネルを贈り、政府や地元2村の代表がありがたく受け取る演出まであった。地元の騒音被害を顧みず、反対運動は力で排除する一方で、米国には徹
底的に従属する。脱力感すら覚える光景だった。
 夜、やはり名護市内で開かれたオスプレイ墜落への抗議集会で、参加者は口々に命の危険を語った。政府の姿勢がどうあれ、命の問題で譲るわけにはいかない。そのことを再確認する1日になった。(北部報
道部・阿部岳)
(引用終わり)

 和歌山県平和委員会事務局の里﨑正さんから、ドキュメンタリー映画『いのちの森 高江』上映会のご案内をいただきました。2月26日(日)午後2時から、和歌山市勤労者総合センター6F文化ホールでの上映です。
 以下に、チラシ記載情報を転記します。
 
チラシから引用開始)
ドキュメンタリー映画 いのちの森 高江
監督/謝名元慶福 語り/佐々木 愛

和歌山市上映会のご案内
 沖縄県東村高江のやんばるの森で、何百人という機動隊を動員し、暴力的に反対住民を排除し、大量の大型工事車両を搬入し、何万本という森の木を切り倒し、ヘリパッド建設が強行されました。返還と引き渡しの調印式が行われ、ますますオスプレイの飛行訓練は増えるものと予想されます。しかし沖縄の人た
ちは、「オスプレイは認めない」「オスプレイパッドの存在は認めない」の姿勢を貫いています。
 高江で起こった権力による無法行為を私たちは決して忘れてはなりません。事実を知り、広めることが私たちにできることです。ドキュメンタリー映画「いのちの森 高江」上映会を開催します。ぜひお運びください。
 
2017年26日(日)
午後1時30分開場 2時開演
会場/和歌山市勤労者総合センター 6階文化ホール(アクセス
上映協力券/200円(中高生・障がい者無料)

「いのちの森 高江」上映実行委員会
 和歌山市湊通丁南1-1-3 名城ビル2F 和歌山県平和委員会気付
 TEL:073-488-7355(里﨑)
(引用終わり)

 映画『いのちの森 高江』については、昨年10月31日(月)に京都市で開かれた「マスコミが伝えな
い現実!! 沖縄・高江で今何が起こっているか」の中で暫定短縮ヴァージョンが上映された模様を伝えたIWJ京都の動画をメルマガ(ブログ)でご紹介したことがありました。この時点で、60分余りのフルヴァージョンが完成間近と伊佐真次さんが仰っていましたね。

 この映画を取り上げたブログや上映会用のFacebookイベントページも色々ありますが、一番情報量が多いと思えた以下のサイトをご紹介しておきます。

アイデアニュース 筆者:松中みどり 更新日:2016年12月5日
沖縄の生命を撮影した映画「いのちの森 高江」 上映権つきDVD、1500円で発売

(抜粋引用開始)
 今回発表されたドキュメンタリー映画「いのちの森 高江」は、次のような特色があります。 
 まず、絶滅危惧種、天然記念物、やんばる固有種などのいのちを育む豊かな森について、ドローン撮影
を含む美しい映像で記録しています。
 何よりも、この映画ではやんばるのチョウのことを誰よりも知っているチョウ類研究者アキノ隊員の言
葉を、たっぷりと聞くことが出来ます。
 「木っていうのは、芽生えてから死ぬまでにすごいたくさんの役割があって、数えきれないほどの生き物たちに棲み処とエサを与えてるんですね。木の種類によって寄ってくる虫が違うんですよ。だから木の種類が多いっていうことは、森の多様性を豊かにすることにつながるんですね。」 アキノ隊員は一本の
木の大切さと、それを切り倒すことの恐ろしさを語ります。
 ヘリパッド建設では、そういう木を何本、何種類切り倒すのか、木を切ることは、その木を頼って生き
るはずだった昆虫たちや未来に生存するはずだった生き物たちのいのちを奪うことになるのだと
アキノ隊は言葉を続けました。
 また、「いのちの森 高江」には、自然といのちを守るために闘った人々の歴史が紹介されています。
1970年、米軍が北部訓練場の国頭村伊部岳で強行しようとした実弾射撃訓練を、国頭村民が命をかけて阻止した闘争。東村・福地ダム上空での軍事演習中止を求める闘い。国頭村安波でのハリアーパッド建設阻止集会。やんばるの人たちの闘いは歴史あるもので、これまでも住民の方たちは力を合わせ、いのちと自
然を守ってきたのだということがわかります。
 そして、この豊かな自然の中で子どもを育てたい、家族の仕事を継ぎたい、高江で仲良く暮らしていき
たいという高江の住民のみなさんに焦点があたっていることも、大きな特色です。
(略)
<ドキュメンタリー映画 「いのちの森 高江」>
(65分 1500円 上映権つき)
DVD申し込み先:新基地建設反対名護共同センター
電話 0980-54-8555  FAX 0980-54-8556
Eメール nago.kyodoc☆bird.ocn.ne.jp ☆を@に変えて下さい
 監督は、人間国宝の平良敏子さんをおった映画「芭蕉布―平良敏子のわざ」で、2015年映文連アワード
(映像文化製作者連盟主催)グランプリをとった謝名元慶福(じゃなもとけいふく)さん。
 DVDは上映権つき1枚1500円です。どんどん上映してたくさんの人に見てもらいたいということで、破格のお値段になっているのです。高江に行くことは出来なくても、この映画を仲間や家族と一緒に見て理解
と共感を深めていくことが、まずははじめの一歩になると思います。
(引用終わり)
 
 上の松中みどりさんの記事の中でも紹介されていましたが、昨年12月2日、「慶文化工房」というYouTubeチャンネルが、この映画のプロモーションビデオを公開しています。

いのちの森 高江(ドキュメンタリー映画 プロモーションビデオ)(10分42秒)


 松中みどりさんも書かれているとおり、「この映画を仲間や家族と一緒に見て理解と共感を深めていくことが、まずははじめの一歩になる」と信じ、ご紹介することとしました。

 なお、実行委員会からチラシと共に届いた「和歌山上映会へのご協力のお願い」によると、「上映終了後に、沖縄に連帯し、ともにたたかう宣伝行動をJR和歌山駅で行いますので、できれば参加をよろしくお願いします。」とありました。宣伝行動は上映会当日(2月26日)の午後4時から、JR和歌山駅西口前で行われます。こちらも多くの方にご参加いただきたいと思います。

「集中特集 東海テレビ ドキュメンタリー傑作選」(12/29~1/10/日本映画専門チャンネル)のご紹介

 今晩(2016年12月28日)配信した「メルマガ金原No.2674」を転載します。

「集中特集 東海テレビ ドキュメンタリー傑作選」(12/29~1/10/日本映画専門チャンネル)のご紹


 この前、このメルマガ(ブログ)でTV番組をご案内したのは、ちょうど1週間前でした(
期待して放送を待つ12/24「こんにちは!動物の赤ちゃん2016」(NHK総合)~白浜の良浜(ラウヒン)・結浜(ユイヒン)親娘も登場/2016年12月21日)。この記事のブログ更新情報をFacebookに投稿したところ、「金原先生のブログにパンダの赤ちゃんって、なんだか意外でおもしろいです。」というコメントを書き込んでくださった方もおり、なかなか好評(?)でした。
 それに味をしめて、という訳でもないのですが、今日もテレビ放送のご紹介です。
 ただし、いつもは地上波の番組に限っているのですが、今日はその例外として、日本映画専門チャンネルの新年の特集をご紹介しようと思います。ケーブルテレビやスカパー!と契約している方も少なくないと思いますし、そうしょっちゅうお目にかかれるという特集でもないので、まとめてのご紹介です。

 メルマガ(及び熱心なブログ)の読者は、今年の正月(1月8日)に、
「映画『ヤクザと憲法』(東海テレビ)を観たいと思いませんか?」という記事が配信されたことをご記憶かもしれません。
 自社制作のドキュメンタリー番組の劇場映画化を積極的に推進する東海テレビ放送の最新作『ヤクザと
憲法』(土方宏史監督/96分)を「観てみたい」と思って思わず書いてしまったものでした。
 その後、和歌山で自主上映されるというような動きも全くなく、忘れるともなく忘れていたところ、ふと、12月29日(木)23時から日本映画専門チャンネルで『ヤクザと憲法』が放映されるということ
に気がつき、「これは録画予約しなければ」と思ったのです。

 もっとも、それだけのことであれば、私が自分のために録画予約をするというだけのことで、メルマガ(ブログ)で取り上げるつもりはなかったのですが、これまたふとしたことから、12月29日から1月10日にかけて、東海テレビ放送が制作したドキュメンタリー映画(一部劇映画を含む)の特集放送(
中特集 東海テレビ ドキュメンタリー傑作選)が行われるということを知ったのです。
 その特集ページに書かれた「本企画のここがすごい!」という惹句にはこうあります。

「取り扱う題材に禁止事項を設けない。むしろ、難しいことこそトライする。その方針通り〈ヤクザ〉〈戸塚ヨットスクール〉〈死刑弁護人〉といったテーマに挑む姿勢は、映画業界にも多数のファンを生みだしている。独自の“道”を貫く東海テレビ制作のドキュメンタリー映画全9作品を日本映画専門チャンネルだけで集中放送!」

 どうですか?これを目にしたら、日本映画専門チャンネルを視聴できる環境がある限り、「全部録画したい!」と思いませんか?
 
『ヤクザと憲法』 土方宏史監督 2016年 100分
放送日① 2016年12月29日(木)23時00分~
放送日② 2017年1月9日(月)21時00分~
公式サイト

 
『平成ジレンマ』 齊藤潤一監督 2011年 101分
放送日① 2016年12月29日(木)深夜00時50分~
放送日② 2017年1月10日(火)21時00分~
公式サイト

 
『神宮希林 わたしの神様』 伏原健之監督 2014年 99分
放送日① 2016年12月29日(木)深夜02時40分~
放送日② 2017年1月10日(火)深夜00時55分~
公式サイト

 
『ふたりの死刑囚』 鎌田麗香監督 2016年 88分
放送日 2017年1月9日(月)深夜02時50分~
公式サイト

 
『青空どろぼう』 阿武野勝彦/鈴木佑司監督 2011年 98分
放送日 2017年1月10日(火)深夜02時45分~
公式サイト

 
『死刑弁護人』 齊藤潤一監督 2012年 100分
放送日 2017年1月9日(月)22時50分~
公式サイト

 
『長良川ド根性』 阿武野勝彦/片本武志監督 2012年 83分
放送日 2017年1月10日(火)深夜04時30分~
公式サイト
 
                                              
『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』 齊藤潤一監督 2013年 123分
放送日 2017年1月9日(月)深夜00時40分~
公式サイト

 

(付録)
『めぐり逢い』 作詞・作曲:長野たかし 演奏:長野たかし&森川あやこ
 

予告12/12~15『ドラマ 東京裁判』(NHKスペシャル)のご紹介

 今晩(2016年12月7日)配信した「メルマガ金原No.2653」を転載します。

予告12/12~15『ドラマ 東京裁判』(NHKスペシャル)のご紹介

 このところ、1週間か2週間に一度、興味深いTV番組が近々放送されるのではないかと調べてみた結
果をメルマガ(ブログ)でご紹介するのが慣例化しつつあります。
 もちろん、まだ見ぬうちに書くことで、しかも映画とは違い、予告編すらないことも多いのですから、
本当に「見るに価する」かどうかなど確約できるはずがありません。
 それでも、ドキュメンタリー番組であれば、その素材の選択から、長年つちかってきた直感で、ある程
度は見通しが立つこともあり、普段はそのような「勘」に基づいて紹介する番組を選択しているのです
 けれども、これがドラマとなると、正直全く見当もつきません。これが劇映画であれば、監督のそれま
での実績から想像を広げるということもできるでしょうが、TVでは、前提となる知識が圧倒的に不足しており、「見てみなければ分からない」としか言いようがありません。
 それにもかかわらず、来週の月曜日(12月12日)から木曜日(15日)まで4夜連続で放送される
NHKスペシャル『ドラマ 東京裁判』はとても気になります。
 
第4話 2016年12月15日(木)午後10時25分~11時20分

 NHKスペシャル公式サイトの説明だけではよく分からぬところがあり、もう少し詳しく説明した文章
はないか?と探したところ、NHK広報局が11月16日に発表した「報道資料」が、(基本は一緒ですが)少しは詳しい説明がなされていましたので、こちらを引用しつつ、公式サイトにしか記載されていない情報を付加します(下線を引いた部分です)。

(引用開始)
報道資料                             平成28年11月16日
                                    NHK広報局
NHKスペシャル
ドラマ 東京裁判 ~人は戦争を裁けるか~
 第1話:12月12日(月)午後10:25~11:25 総合
 第2話:12月13日(火)午後10:25~11:20 総合
 第3話:12月14日(水)午後10:25~11:20 総合
 第4話:12月15日(木)午後10:25~11:20 総合

70年前の東京で、11人の判事たちが「戦争は犯罪なのか」という根源的な問いに真剣な議論で取り組んだ東京裁判。NHKは世界各地の公文書館や関係者に取材を行い、判事たちの公的、私的両面にわたる文書や手記、証言を入手した。浮かび上がるのは、彼ら一人一人が出身国の威信と歴史文化を背負いつつ、仲間である判事たちとの激しいあつれきを経てようやく判決へ達したという、裁判の舞台裏の姿だった。11か国から集まった多彩な背景を持つ判事たちの多角的な視点で「東京裁判」を描く。人は戦争を裁くことができるか、という厳しい問いに向き合った男たちが繰り広げる、緊迫感あふれるヒューマンドラマ。

出演:ジョナサン・ハイド(豪・ウエッブ裁判長役)、ポール・フリーマン(英・パトリック判事)、マルセル・ヘンセマ(蘭・レーリンク判事)、イルファン・カーン(印・パル判事)、マイケル・アイアンサ
イド(加・マッカーサー)、塚本晋也(日・竹山道雄)ほか
テーマ音楽 中島ノブユキ  題字 赤松陽構造  語り 草笛光子
*NHKの企画原案による、カナダ、オランダとの国際共同制作
*判事役を演じる俳優たちは、それぞれの判事の母国出身

【ドラマあらすじ】
 1946年の春。東京の帝国ホテルに戦勝国11か国の判事たちが集まった。日本の戦争指導者を裁く「東京裁判」を開くためだ。裁判の焦点になったのは、ナチスを裁くニュルンベルク裁判と同時に新しく制定された「平和に対する罪」。それまで国際法では合法とされていた「戦争」そのものを史上初めて犯罪とみなし、国家の指導者個人の責任を問う新しい罪の概念であった。この「平和に対する罪」を弁護側は事後法として否定する。判事室では各々の判事の意見が鋭く対立、最初は短期間で決着がつくと思われた裁判
は、混迷と長期化の様相を見せてゆく。
 裁判の舞台裏の攻防に、日本滞在中の判事たちの私的な行動や、周辺に現われる人物の思惑が混じり合う。1948年の秋、ついに11人の判事たちは2年半に及んだ東京裁判の結論となる判決を出すべく、最後の評議の場に臨むのだった。被告たちの生と死が分かれる瞬間。それは、「人は戦争を裁けるか」という、人類の根源的な問いに答えが出されるときでもあった。

◆NHK、オランダ、カナダの国際共同制作
 ニュルンベルク裁判の陰に隠れ、海外ではその存在さえあまり知られていない『東京裁判』。
 戦後70年、戦争のやまない世界へのメッセージとして、このドラマを広く世界の視聴者にも訴えるため国際共同制作とした。NHKが企画し、世界各国での取材を経て原案を作成したあと、海外のパートナーを募った。その結果、10数社から申し出があり、このうちオランダのFATTプロダクションとカナダのDCTVプロダクションの2つの制作会社の参加を得て制作が進められた。せりふは英語(Nスペ版は日本語吹き替え)とし、出演者のほとんどが外国人であることなどから、監督はパートナーの国の出身者が担い、NHKが歴史的事実の精査を担当した。

◆Netflixでも国際発信へ
 動画配信大手のNetflixから、共同制作者であるカナダのプロダクションに対し配信権を得たいとの申し出があり、番組が世界に配信される運びとなった。NHK総合テレビで日本国内で放送したあと、Netflix
が世界20言語でインターネット動画配信を行う予定と聞いている。
 ただし国内ではNHKオンデマンドが先行し、Netflixは1月から配信予定。

(引用終わり)

 ここまで読んできても、ドラマは英語で制作され、監督もオランダ人とカナダ人が務めているらしい(共同監督ということでしょう)ということは分かりますが、名前が書いていない!正式なプレスリリースがこれ
でいいんだろうか?
 ということで、監督は誰?と探したところ、バラエティ・ジャパンのサイトに以下のようなニュースがあるのを発見しました。

Netflix、NHKと『ドラマ 東京裁判~人は戦争を裁けるか~』でパートナーシップ

(抜粋引用開始)
Netflixと日本の公共放送局NHKが、来月に放送となる全4話の歴史ドラマでパートナーシップを結んだ。
(略)
両社は共に製作費を出しており、NHKはロサンゼルスとトロントを拠点とするドン・カーモディ・テレビジ
ョン、そしてアムステルダムに拠点を置くFATTプロダクションズと共同製作契約を結んでいる。ピーター・ヴァーヘフとロブ・キングが本作の共同監督を務める。
2015年の秋に日本でサービスを始めて以降、Netflixはフジテレビ、タレント事務所の吉本興業、広告代理店の電通と番組を作ってきた。NHKにとって、Netflixと製作と放送でパートナーシップを結ぶのは初めて
だ。
(引用終わり)

 ちなみに、ロブ・キング監督で検索してみると、「超巨大ハリケーン カテゴリー5(2014)」というバート・レイノルズ主演のパニックムービーがヒットしましたが、これで「ドラマ 東京裁判」の仕上がり
を予想するのは無理というものですね。


 ドキュメンタリーの中にドラマが挿入されているタイプの作品を時々見かけますが、私はそういう作品は苦手です。ドキュメンタリーならドキュメンタリーだけ、ドラマならドラマだけにして欲しいと考える方なのですが、この『ドラマ 東京裁判』は、どうやらドラマだけのようです(確証はないものの)。
 「人は戦争を裁けるか」というサブタイトルに相応しいドラマになっているかどうか、過大な期待は禁
物ですが、見逃してから「良かった!」という評判を聞いたらシャクなので、「気になる作品」としてご紹介します。
 なお、NHKスペシャルの公式サイトの放送予定では、「人は戦争を裁けるか」というサブタイトルは
表記されていません。放送直前にサブタイトルを外すことになったのか、それとも公式サイト用の原稿に書き忘れたのか、放送された番組自体を見てみなければどちらとも決めかねます。

12/9映画『辺野古 圧殺の海 第2章』(藤本幸久・影山あさ子共同監督)上映@和歌山市(メディア・アート・ホール)

 今晩(2016年11月16日)配信した「メルマガ金原No.2632」を転載します。

12/9映画『辺野古 圧殺の海 第2章』(藤本幸久・影山あさ子共同監督)上映@和歌山市(メディア・アート・ホール)

 今日、和歌山県平和フォーラムの藤原慎一郎さんが、私の事務所まで、以下にご紹介する映画『辺野古 圧殺の海 第2章』(藤本幸久・影山あさ子共同監督)上映会のチラシを届けてくださいました。
 藤原さんの説明によれば、この企画は、12月10日(土)に東京・日比谷野外音楽堂で開催される「最高裁は地方自治の破壊を許さず、民意によりそう判決を!辺野古新基地建設を許さない!12.10東京集会」(主催:戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会ほか)に呼応して開催する企画ということでした(注:フォーラム平和・人権・環境からの「要請書」参照)。
 ただ、12月10日(土)は適当な会場が空いておらず、9日(金)夜に開催することになったとか。
 
 現在、沖縄県では高江でのヘリパッド建設工事を阻止しようとする住民に対する弾圧が続いていますが、工事自体は訴訟の結論待ちということで一時的に止まっている辺野古についても、年度内にも最高裁が判決を出すのではと言われており、12月10日の統一行動(全国アクション)は、「高裁判決を覆し、民主主義と地方自治を取り戻す」(前記「フォーラム平和・人権・環境」要請書)ために取り組まれるものです。
 上映会の詳細については、以下のチラシをお読みいただくとして、若干の補足説明をしておきます。

〇17時45分開会ですが、最初は「最高裁は地方自治の破壊を許さず、民意によりそう判決を!辺野古新基地建設を許さない!12・9和歌山集会」の主催者挨拶や各団体決意表明などがあるため、実際に映画上映が始まるのは間違いなく18時を回るそうです。
〇藤原さんによると、今回の企画は、森の映画社から上映権付DVDを購入して上映するのだそうです。「今後、この作品を上映したいという場合には、遠慮なく和歌山県平和フォーラムまでご連絡ください。」ということでした。著作者から上映権を付与された和歌山県平和フォーラムが主催者に名前を連ねていれば、今後の上映も問題ないでしょう(というのは私見です)。
 実は、12月9日、私は終日大阪出張で、大急ぎで和歌山まで帰っても、映画は終わりの方しか観られないと思いますので、どこかの団体が和歌山県平和フォーラムとの共催で第2弾の上映会をやってくれると嬉しいのですが。

チラシから引用開始)
-チラシ表面-
辺野古 圧殺の海 第2章

2014年7月1日の辺野古新基地建設の着工から、
翁長知事誕生までを描いた「圧殺の海」。
その後、沖縄・辺野古では何が起きていたのか。
翁長知事は、沖縄県民は、どうたたかって来たのか。
この映画は、翁長知事誕生からの激動の18ヶ月、
その抵抗の記録である。

辺野古 圧殺の海 第2章
2016年/107分/カラー/森の映画社
共同監督:藤本幸久/影山あさ子
撮影:栗原良介/小田切瑞穂/酒村多緒/藤本幸久/影山あさ子/川村拓希
編集:栗原良介
ナレーター:影山あさ子
歌:「人間をかえせ」きむきがん(ありらん食道)
題字:金城武政
配給:影山事務所

上映日:2016年12月9日(金)17:45(開場17:30)
会場:和歌山県立図書館2階「メディア・アート・ホール」
     (和歌山市西高松1-7-38)
主催:「最高裁は地方自治の破壊を許さず、民意によりそう判決を!辺野古新基地建設を許さない!12・9和歌山集会」
 和歌山県平和フォーラム、部落解放同盟和歌山県連合会、戦争をさせない和歌山委員会
お問合せ:和歌山県平和フォーラム TEL:073-425-4180

-チラシ裏面-
 
2014年11月16日、沖縄県知事選挙。10万票差で仲井眞前知事を破り、「辺野古に新基地はつくらせない」を公約とする翁長知事が誕生した。しかし、日本政府は、前知事が承認したのだから「粛々とすすめる」と工事を再開する。
 県民は、キャンプシュワブのゲート前に座り込み、道路に寝そべり、車の下に入り込み、工事用資材と車両の搬入を止め始めた。海では、フロートを乗り越え、コンクリートブロックの投入を止めようとした。
 県民の民意を反映した直接行動を前に、安倍政権は、警察権力で圧倒しようとする。船を転覆させ、死者を出しかねない暴力を振るう。
 県民たちは、しかし、毎日、ゲート前に座り、海に出続けた。名護警察署を取り囲み、抗議し、逮捕された仲間を取り返してきた。暴力を振るい続ける海保を海には出さないと、海保の車両をゲート前で止め続けた。工事は政府の思うように進まず、ボーリング調査の予定はどんどん延びてゆく。
 そして台風の季節。
 2015年8月、安保法案に反対する市民が国会前に連日押しかけるようになると、政府は沖縄県に、1ヶ月工事を中断しての集中協議を持ちかける。そして安保法案が通ると、また工事を再開した。
 2015年10月、翁長知事は遂に公有水面の埋め立て承認を取り消す。しかし安倍政権は、工事を中止するどころか、直ちに、国土交通省へ行政不服審査を請求、知事の承認取り消しを執行停止とした。同時に、埋め立て承認取り消しの権限を知事から取り上げようと代執行訴訟を提訴する。
 知事の権限をないがしろにし、国が工事を強行するなら、自分たちが工事を止める。
 県民たちは、キャンプシュワブゲート前に駆けつける。
 毎週水曜日、と提起された早朝行動は、500人、700人、1000人と人数を増し、さらに木曜行動へ広がってゆく。沖縄県警だけでは押さえられないと、安倍政権は警視庁機動隊を導入。県民も、体にペンキを被って座り込む。コンクリートブロックを並べるなど、知恵をしぼって抵抗を続ける。工事用車両がゲートを通れない時間が増えてゆく。県民たちは、米軍車両も止め始める。
 2016年3月4日、突然、国は代執行訴訟の和解受け入れを発表した。
 「新基地建設を阻止するためにあらゆる権限を行使する」という知事の姿勢、海でもゲート前でも弾圧を恐れない県民の日々のたたかいが、国に和解を受け入れさせた。
 「和解」は、1)国は工事を中断する、2)協議をする、3)裁判手続きを地方自治法に基づいてやり直す、の3点を内容とするが、新たな裁判の判決で沖縄県の手足を縛り、工事を再開しようとする国の思惑が見え隠れしている。

 今、工事は止まっている。しかし、中止されたわけではない。それゆえ、現場での抵抗も、止まることなく、続いている。

 裁判の和解とともに新たな段階に入った辺野古。圧殺の海 第2章「辺野古」は、翁長知事誕生からの激動の18ヶ月、その抵抗の記録である。
                          (藤本幸久、影山あさ子)

企画・製作・著作:森の映画社
 
http://america-banzai.blogspot.jp/
配給 影山事務所:TEL/FAX:011-206-4570 marinesgohome@gmail.com
チラシ製作協力:スペース・オルタ
(引用終わり) 

(参考動画)
【映画 予告編】『圧殺の海 第2章「辺野古」』(1分08秒)

2016年11月のお薦めTV(地上波)ドキュメンタリー番組~まもなく放送「終わらない人 宮崎駿」(11/13)

 今晩(2016年11月9日)配信した「メルマガ金原No.2625」を転載します。

2016年11月のお薦めTV(地上波)ドキュメンタリー番組~まもなく放送「終わらない人 宮崎駿」(11/13)

 昨日、久々の大作?(自民党「憲法改正推進本部長方針について」(2016/10/18)を読む)を書いたものの、この記事のブログ版へのアクセス数がさっぱり増えず(もうすぐ一昼夜経つというのにいまだに30アクセス台)、いささか疲れましたので、今日はお手軽ヴァージョンでしのぐことにします。
 まあ、保岡興治自民党憲法改正推進本部長による「方針」に興味を持つ人がそんなにいる訳ないですけどね。

 アクセス数ということで言えば、予想外にアクセスが集まることもごくたまにはあるもので、4日前(11月5日)に書いた「UPLAN【原発事故被害者インタビュー(4)】飛田晋秀さん~福島県三春町在住の写真家が訴える福島の現状」に昨日から急にアクセスが集まりだし、不思議に思って調べてみると、某投稿サイトの人気記事の中で、上記記事にリンクを貼って紹介してくれたのが原因と判明しました(
福島県三春町の写真家・飛田晋秀さんが語る福島の真実)。
 もっとも、この投稿サイトには、私と森松明希子さんを一まとめにして「森松明希子氏と一緒になって訴訟を起こしている弁護士・金原徹雄氏の背後には極左の部落解放同盟全国連合会がいました」という“お笑い投稿”(何しろこの時点では、私はまだ森松さんとお話したことすらなかったし、部落解放同盟と部落解放同盟全国連合会の区別もついていないようだし、ネトウヨの中でも相当レベルが低い)が載ったりもしていますので、いわゆる「投稿サイト」など無縁の私にも、それなりの影響があったりもするので
すね。

 さて、今日は、ほぼ自分のための備忘録をそのままメルマガ(ブログ)に載せるようなものですが、定
期的にお届けしているTV(地上波)ドキュメンタリー番組案内です。
 関心を持たれる番組がありましたら、録画・視聴されますように。
 
NHK総合
2016年11月12日(土)午前0時10分~1時04分(11日深夜)
(再放送)NHKスペシャル「廃炉への道2016 調査報告 膨らむコスト~誰がどう負担していくか~」

「メルトダウンした3つの原子炉を同時に「廃炉」にする、世界でも例のない取り組み。その長い道程を
記録していくシリーズ「廃炉への道」。
福島第一原子力発電所の事故から5年半が経ち、核燃料の除去など、技術的な困難があらわになる中、もう一つの難題が浮かび上がっている。事故収束に向けた費用が想定以上に膨らみ、現行の仕組みでは持続的にまかなっていくことが極めて難しくなりつつあるのだ。人件費や技術開発費の増大だけではない。住民帰還のための除染のコストや、賠償費の膨張も著しい。またこうした費用をまかなっていく「仕組み」も、壁にぶつかっている。先頃東京電力も、負担の厳しさを訴え、さらなる国の追加支援を求める方針を
示した。
こうした「コスト」の問題は、廃炉の方法や住民帰還など政策の根幹に関わる。番組では、廃炉を「コスト」という切り口から徹底検証する。一体どれだけ膨らむのか。その負担は誰がどのように担っていくのか。事故コストの全体像を可視化し、持続可能な「廃炉への道」を考える。」
 
NHK総合
2016年11月13日(日)午後9時00分~9時49分
NHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」
「3年前、電撃的な引退宣言を行った世界的なアニメーション映画監督・宮崎駿(75)。長編映画の現場から身を引くと宣言した宮崎だが、その創造への意欲は実は衰えていなかった。新進気鋭の若きCGアニメーターとの出会いから、初めてCGを本格的に使い、短編アニメで新たな表現への挑戦を始めた。だが、映画作りは難航し、制作中止の危機に直面する。宮崎アニメ初となるCG短編制作の舞台裏を、カメラが2年にわたって独占取材した。クールジャパンの基幹コンテンツと期待されながら、国際的にはピクサー、ディズニーらのCGアニメに圧倒されている日本のアニメーション。宮崎が世に放つ短編は、日本アニメの未来を変える一手となるのか。番組では、巨匠の溢れ出る映画作りへの想い、苦悩、あがきを生々しく活写していく。」
 
NHK・Eテレ
2016年11月20日(日)午前1時00分~2時00分
(再放送)ETV特集「武器ではなく 命の水を~医師・中村哲とアフガニスタン~」
「戦乱と干ばつが続くアフガニスタン。この地で干ばつと闘い続けてきた医師・中村哲(69)。始めたの
は用水路の建設。渇いた大地に再び緑を取り戻すまでの15年の記録。
アメリカ同時多発テロから15年。今も戦乱の続くアフガニスタンで干ばつと闘う日本人がいる。医師・中村哲(69)。「武器や戦車では解決しない。農業復活こそがアフガン復興の礎だ」。中村は白衣を脱ぎ、用水路の建設に乗り出した。15年たったいま、干ばつの大地には緑がよみがえり、人々の平穏な営みが再び始まろうとしている。戦乱の地アフガニスタンに必要な支援とは何か。15年にわたる中村の不屈の歩みを通して考える。」
 
テレビ朝日
2016年11月20日(日)午前4時30分~5時00分
朝日放送
2016年11月20日(日)午前5時20分~5時50分
テレメンタリー「テロリストは僕だった~沖縄・基地建設反対に立ち上がった元米兵たち~」
「「ノーモア・ミリタリーベース!」沖縄の米軍基地の前に座り込むアメリカ人がいた。かつて沖縄に駐
留していた元海兵隊員、マイク・ヘインズさん(40)だ。ヒーローと称賛される退役軍人が、なぜ今、沖縄で基地建設を止めようと体を張るのか。
取材班は渡米し、マイクの姿を追いながら、若い兵士たちやホームレス化した元兵士たちなど、日本から
は見えてこない「米軍」を追う。
「テロとの戦いのためにイラク戦争に派兵されたが、人々にとってのテロリストは僕だった。」
ナレーター:宮城さつき
制作:琉球朝日放送」

NHK総合
2016年11月27日(日)午後9時00分~9時49分
NHKスペシャル「パナマ文書 知られざる記録(仮)」
「史上最大のリークといわれ世界に大きな衝撃を与えた「パナマ文書」。これまで知られてこなかった“
新たな事実”が、いま明らかになろうとしている。パナマにある法律事務所の内部文書のリークから始まった「パナマ文書」報道。国際調査報道ジャーナリスト連合・ICIJに持ち込まれ、加盟する107社(80か国)、400人のジャーナリストたちがそれぞれの国で取材、ロシア・プーチン大統領や中国・習近平国家主席など、権力者やその親族の資産運用の実態を暴き、空前の大スクープとなった。NHKは、今年6月ICIJのプロジェクトに参加、新たに日本関連の膨大な文書の存在が明らかになってきた。
どのような人たちが、どのような理由で、「パナマ文書」に名前が載るに至ったのか。番組では、一つ一つのケースを詳細に取材し、これまで知られてこなかった「パナマ文書」と日本との関わりを明らかにする。同時に、各国の最高権力者による秘められた“錬金術”に、ジャーナリストたちがどのように連携し、迫っていったのか、ICIJを取材。世界に衝撃を与えたパナマ文書報道の舞台裏の一部始終を明らかにする。」

NHKスペシャル2016年11月までの放送予定~宮崎駿ファンは見逃せない(11/13)

 今晩(2016年10月28日)配信した「メルマガ金原No.2613」を転載します。

NHKスペシャル2016年11月までの放送予定~宮崎駿ファンは見逃せない(11/13)


 昨日に続き、いかに短い時間でメルマガ(ブログ)を書くかという見本です。
 昨日は、「前田佳世コンサートを成功させる会」会議のために帰宅が遅くなりましたので、「素材探し」と「関連情報検索」に時間をかけず、思いついたことをそのまま書いていくという方法論でしのぎました(伝えたいことは数あれど~原発事故被害者の住宅支援についての院内集会2つ(10/26)、テレメンタリー「神の海に暮らす~まだ見えぬ原発に揺れる島~」(11/6)ほか/2016年10月27日)。

 今日は、和歌山弁護士会の夜間無料法理相談センターの相談担当を務めていましたので、「TVドキュメンタリー番組放送予告」シリーズで行きたいと思います。
 昨日も、テレメンタリー枠で放送予定の「神の海に暮らす~まだ見えぬ原発に揺れる島~」(11月6日など)をご紹介しましたが、今日は、NHKスペシャルの放送予定をまとめてご紹介します。
 何しろ、他の番組がせいぜい週に1本のところ、NHKスペシャルは、ほぼその倍くらいのペースで新作を放送しますから、定期的に放送予定をチェックしておかないと、貴重な番組を見逃してしまうことになりますので、時々このメルマガ(ブログ)にもNHKスペシャルの放送予定が登場することになっています(時間のない時の頼みの綱でもあります)。

 以下に、本放送と再放送の両方について、本日(10月28日)現在、「放送予定」のコーナーに掲載されている番組の放送日とタイトルを網羅的にご紹介するとともに、特に私が興味を引かれた番組については、番組案内を引用しておきます。もちろん、その選択が恣意的なものであることは言うまでもありません。

 なお、再放送が予定されている「沖縄 空白の1年 ~“基地の島”はこうして生まれた~」は、一度予告された再放送がキャンセルされ、仕切り直しの予定です。こういうことがあるので、定期的に放送予定をチェックすることが必要となるのです。

[本放送(初回放送) 予定]
ジャンル 医療・健康