宮崎幸子(41) 岐阜県在住
家を出ることだけを考えて
宮崎さんは高校時代まで、中部地方の小都市で過ごした。両親と妹の四人家族。自身を家庭の中で孤立した存在だと思ってきた。
「両親をあまり好きでありませんでした」
理由は、自分に対し、いつも否定的な態度を取ってきたから。何か言動する度、「あんたは長女なんだから」「普段の生活もちゃんとできてないのに、そんなことが何でできるの」と母にとがめられた記憶がある。
父も同じ。雨が降っているので「今日、駅まで送って」と言うと、送ってくれる。しかし、「俺は忙しいんだから」などと、必ず小言が付いてきた。「偏屈で、何をやるにしても文句が返る。本当に嫌でした」。
幸子さんは、早く家を出ることだけを考えてきた。子供のころから、ヤマハ音楽教室のピアノの先生になるのが夢で、高校を出たら音楽の学校に行こうと思った。市内にも音楽短大があったが、幸子さんは栃木県宇都宮市にある音楽短大に進む。現地で彼氏ができた。
卒業後、岐阜の地元に戻り、念願の音楽教室の講師になる。栃木の彼氏とは4年間の遠距離恋愛の末、親の反対を押し切って結婚。ピアノ講師は辞め、宇都宮市内に嫁ぐ。しかし、夫とうまくいかず6年で離婚した。
幸子さんは自宅には帰れなかった。両親に反対されての結婚だと思っていたから。式には出てくれたが、啖呵(たんか)切って出て行きながらの失敗である。名古屋市内にアパートを借り、結婚相談所の社員や派遣での専門学校の受付、県会議員事務所の雑用など、職を転々とした。
名古屋には9年いたが、特にやりたいことはなかった。コンビニ弁当に頼った食生活で、心身ともに弱っている自分に気付く。働いても家賃を払うのがやっとの生活に疲れ果て、岐阜県内の実家に戻った。
両親は懸念をよそに迎えてくれた。16年ぶりの共同生活。最初は互いに気を遣う分、関係は良好だったが、ずっと一緒にいると、本音が出てくる。
「早く寝なさい」
39歳にもなる自分に母親が子供扱いするのがたまらなかった。幸子さんが小言を返すと、「この年にして、まだこうなんか」とぶつける。父親に「おまえは何も変わってない」と言われた。
〈やっぱり無理だわ〉
幸子さんは心の中でそうつぶやいた。互いに年も取っているのでそれ以上踏み込まないが、同じ家に住みながら、会話のない生活が続いた。