調理イベントが運んだ対話

 名古屋時代の終わりごろから、幸子さんは新しい趣味を持ち始めていた。自身の疲労から、安全な食生活と健康について興味を抱いたのである。市内にある、有機食材を使ったクッキングスクールに入学する。


 家族との摩擦を避けるためもあって通ううち、自宅でも食事を作るようになった。母は日中、働きに出ているし、父は台所に近づかない。初めはただ、学校で学んだ成果を確認したいだけだったが、両親が体の不調を訴えていた。父は糖尿を患い、母は白内障で手術することが決まる。幸子さんは腕を振るい始めた。


 「初めは強い気持ちはありませんでしたが、学ぶにつれ、大切な人に食べてもらって幸せに、健康になってほしいと思うようになりました」


 実家に戻り10カ月がたった今年4月、幸子さんの通うクッキングスクールがイベントを開いた。幸子さんはアシスタントを務めることに。安全な食に関する講座と、料理教室からなる。参加者にキャンセルが出た関係で、幸子さんはいちかばちか、両親を誘ってみた。


 「じゃあ、行ってもいいよ」と母。

 「私のやることに興味はないと思っていました。受け入れてもらえたと感じ、うれしかった」


 イベントでは、日本人にどういう栄養素が足りないか、農薬や牛乳の害など、マスコミが伝えない情報を伝授。調理を実践し、披露した。


 「素晴らしかったわ」

 「ありがとう」


 帰宅後、褒められた幸子さんは、心から感謝の言葉が出た。幸子さんは回想する。


 「本当は私のことをずっと受け入れてくれていたのに、私が拒否していたんです。うるさく言うのも、私のことを思ってくれていたから。それから世界が変わって見えてきました」


 程なく、「私を生んでくれてありがとう」と言えた。


 父に自分のことをどう思っているのか聞く。すると、「子供が嫌いな親なんかいるか」と返る。「愛しているの」と迫ると、「決まってるだろう」と恥ずかしそうに言う。ぶっきらぼうな言い方に優しさを感じた。「それまでの私には、聞く耳がなかったから、そういうふうに受け取れなかったんだと思います」と幸子さん。


 妹との関係にも変化が起きた。幸子さんは妹さんを重視していなかった。親からガミガミ言われる自分は家庭内で孤立した存在だと思っていた。親の意向に沿って進学や就職を決めてきた妹とは対照的に、自由人を自覚している。


 両親と和解した後の6月、妹に会う機会があった。感謝の気持ちを伝えると、妹が自分を大好きに思っていてくれたことを知る。


 「本当はお姉ちゃんは甘えたかったんでしょう。私が場所を取ってごめんね」


 妹に、そう謝られた。母の膝の上を奪われた感覚などなかったが、予想以上に自分のことを気に掛けてくれていたのである。