ペン 中川サンの最後の言葉を以下に記しておきます。 

『選挙が終わって—『十勝・日本が危ない』  平成21年9月14日』 
私の選挙が終わった。多くの人々が仕事、家庭、お盆を犠牲にして私の為に戦ってくれた。選挙区外からも大勢の人々が駆けつけてくれた。そして、それぞれの選挙運動を一生懸命やってくれた。朝6時頃、選挙事務所を飛び出して行く人たち、一日中車のハンドルを握ってくれた人たち。毎日毎日運動靴を履いて、雨や汗にまみれながら、一軒一軒「お願い」に行く人たち。相手から怒鳴られたり、泣かれたり、また励まされたり・・・・。皆、事前から危機を共有していたのでエネルギーは質・量とも感動的だった。 
全国から毎日たくさんの激励・応援の手紙やメール等々も頂いた。事務所の何枚もの大きなボードに掲載したが、どんなに励みになったか。 


それでも負けた。活動してくれた人々、約9万人の支持を考えると誠にありがたい。かつ申し訳ない。悔しい。しかし、十勝の総意として、私は否定された。敗因は逆風もあったが、やはり私自身の報道問題と、私が訴え続けたこのままでは「十勝が危ない」「日本が危ない」が有権者に受け入れられなかったことだろう。 


選挙中、周りの人からは「あまり民主党を攻撃するな」と言われた。もちろん自分の主張はしたが、マスコミは既に我々の敗北が決まった様な報道をしているので、そうなれば「大変なことになる」と訴えざるを得なかった。「泣け」とか「土下座しろ」というアドバイスもあったが、私には出来なかった。この間2度公開討論会があり、「これが選挙のあるべき姿だ」と思い大変重視したが、全く「討論会」にならなかった。形式的で3人で1時間半しかない。入場者も議論に参加した、候補者が主役で、候補者の主張の違いが明確になる「朝まで討論方式」でなければ意味がない。12日間、大音量で連呼を続け、人々と動物等に多大な迷惑をかけた。改めて「全ての十勝」に感謝と御礼の気持ちでいっぱいだ。 


それから2週間経過し、十勝は夜を徹して収穫の真っ盛り。コスモスが咲き乱れている。マスコミは新政権の行方と自民党の混乱、そして事件・事故報道ばかり。予想通り「危ない政権の危ない日本作り」が着々と進んでいる。そんな中JALの経営危機問題。この問題は永年の労組中心の高コスト構造と甘い経営に尽きる。アメリカのGMと同じだ。労組は「自分達の労働条件が悪化すると乗客の安全性が保証できない」と客の生命を人質に脅かしている。新政権になれば、ますます労組の主張が通るだろう。だからこそ、日本と日本人を守るために自民党がしっかりしなければならない。 
ところが・・・・・。 
党内議論は「若手に主導を渡せ」「上の人間は出て行け」「派閥をなくせ」・・・・。党がおかしくなると感じた時に、毎回「セミ」のように騒いでいる。近くは、今回解散前、遠くは今から16年前の記憶が私には鮮明だ。 
平成5年、我々は負けて野党になった。(私は当選したが)。やはり、不況、悪天候で不作、年末にはウルグアイラウンド(GATT、WTOの前身)で細川内閣は「無条件降伏」をした。あの時も党内で上を下への大議論をやった。しかし、激論の末、石原慎太郎さんの下で党再生の本格的議論が始まった。私も参加して、各分野ごとに、日本の為に党はどうなるべきか、どういう政策を打ち出すべきかを連日議論した。そして一年後、政権政党に戻った。その前提は唯一つ「保守」であった。 
そう、自民党の原点は「保守」なのだ。そして今こそ原点に戻るべきなのだ。 
「保守」とは守るべきものを守り、保守すべきために改革する。そして国民の活力に期待して成長のための戦略を描く。リベラリズム、ポピュリズム政権とどう区別し、対抗していくか。しかし、前進—地球の中で生き残り、真に国民を守るために何をなすべきか。と言った議論が全く欠けている。 
私を含め、「保守」議員の多くがいなくなったが、まだ残っている。彼らがいかに保守の旗印をもう一度立て直し、日本を守り、真の意味で国民を守るかを真摯に議論してほしい。心ある国民はそれを是非応援してほしい。 
自民党は末期的だが、今こそ日本の保守の軸を改めて確立するために全力を尽くすべきだ。さもなければ、日本は世界の中で埋没しながら自壊してゆく。 

P.S. 過日、麻生総理の「就任直後に解散しておけば勝っていたかもしれない。しかし、経済状況を考えると、とてもそれはできなかった。」という主旨の報道があった。それが総理の本音であり、総理という立場の判断の辛さだと思う。私は麻生総理に対し、心から申し訳なく思っている。何故なら、昨年来、経済・生活対策を最優先にすべしと一番強く迫ったのは、財務・金融担当大臣つまり私だからである。何よりも政局より、政策実行の為に。総理の選挙を負けさせ退陣に追い込んでしまった。私も議席を失ったが、あの時の判断は、その後の対策が日本と世界を上向きにしつつある現状を見ても、間違っていなかったと今でも思っている。 


私は今後新たに決意を持って進んでいきます。発信していきます。「日本が危ない」から。 

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中川さんは比例でも復活できず落選。 
そのかわりに無能な政治家がたくさん当選しました。 

義理で名簿に載せただけの43歳フリーターが当選。 


やる気のない平山たいろうとか 


福田衣里子 
「民主党支持団体の決起集会」で支持者が「農業は?」「漁業は?」「道路は・?」と聞いたら「わかりません・・」といって泣き出した。 
横にいた西岡が「当選してから勉強すればいいじゃないか」といって慰めた。 



こういうやる気のない議員が民主から200人以上誕生したと思われます。 
メモこれはひどい!民主党のダメ新人 
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1275078715&owner_id=686116 

彼ら新人議員に対して小沢は、「君たちの仕事は次の選挙で勝つことだ」と檄を飛ばしました。 

もうね、小沢の意図に国民はいいかげん気がつくべきだと思います。 
「国民の生活より党利党略第一」「政策より政局」なんですよ。 
「政局より政策」の麻生&中川とは大違いです。 
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ブタマスコミの報道の様子コピペ 

37 名前:可愛い奥様[sage] 投稿日:2009/10/05(月) 16:35:01 ID:uXF4BO0PO 
ミヤネは中川昭一は自殺と言わんばかりだった 
落選し酒に溺れ…を何度も強調。 
「自殺の可能性は低いと言いますけど…ねぇ〜」 
「お父様も…ねぇ」 

もう酷いってもんじゃなかった 

59 名前:可愛い奥様[] 投稿日:2009/10/05(月) 17:05:32 ID:pTgZDK7AO 
>>37 
今日みたワイドショーの中で、一番ひどかった。 
「(嫌みったらしく)見て下さいっ、2世議員でこのエリートな経歴をっ!」 

「(ニヤニヤしながら)エリートだった人が挫折して、ただの無職になった時、何を思うんでしょうかね〜」 

「落選のショックで酒飲んで自暴自棄になってたんでしょうね」 

ずーっとニヤニヤしてたし、 
お悔やみの言葉も中途半端に早口でさらっと言って、 
さっ次の話題行きますとか言ってた。 


ぷっくっくな顔まったく共感できない報道ばっかりです。 
どこの報道機関を見れば癒されるんだろう…。 
って思ってたら見つけました。産經新聞より。 
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シャイな人だった。何より、繊細な人だった。衆院当選8回、農水相、経済産業相、財務相、自民党政調会長…と要職を歴任した大物政治家であるにもかかわらず、はにかんだ笑顔のよく似合う、子供のような純真さを持ち合わせていた。 
「おれは子供には『おれがいつか襲われて殺されても驚くな』と言い聞かせてあるんだ」 
中川昭一氏は拉致議連会長を務めていた当時、政治家としてのこんな覚悟を語っていた。だが、死はもっと皮肉な回り合わせであっけなく訪れた。56歳という若すぎる最期には、ただ言葉を失うしかない。 
「あの件さえなければ、今ごろ昭ちゃん(昭一氏)が自民党総裁だった」 
盟友の安倍晋三元首相は故人を悼む。「あの件」とは中川氏が財務・金融相時代の今年2月、先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後の記者会見で「酩酊(めいてい)」したかのような姿を見せて、引責辞任したことを指す。 
この一度の失敗で、中川氏が長年積み上げてきた実績も名声もはかなく吹き飛んでしまった。先の衆院選で落選し、議席も失った。 
確かに中川氏は酒席で、ときにはめを外し深酒することもあった。それも、強すぎる感受性をまひさせたかったからだろうと思う。素顔は、少し人見知りのまじめな勉強家だった。 
平成9年、中学歴史教科書のすべてに慰安婦記述が載ったのをきっかけに、安倍氏らと自民党「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」を結成した。左派イデオロギー色満載だった教科書が是正されていく第一歩だった。 
14年には超党派の拉致議連会長に就任したほか、永住外国人への地方参政権付与や民間の言論抑圧につながる人権擁護法案に反対した。一方、靖国神社参拝を推進するなど、常に保守系議員活動の前面に立った。 

今や保守系の諸運動は衰退期にあるようなありさまだ。その中で忘れられるか過小評価されているが、10年代の保守勢力の勃興(ぼっこう)と伸長は、中川氏が安倍氏らとともに推進役を担ったのは間違いない。 
一方で、現実を見据えたリアリストでもあった。20年6月、日中両国が東シナ海のガス田共同開発で合意した際には、表向き「日本のものを向こうにあげて資本参加するのでは互恵にならない」と厳しいコメントを発表した。だが、その裏では担当外交官らを集め「よくここまでこぎ着けたな」と慰労もしていた。 
対中強硬派と目されてきた自分が、仮に交渉結果を評価しても、甘い顔を見せると中国側に「日本側では、あの中川氏まで喜んでいる」というメッセージが伝わる。それは今後の交渉、駆け引きのハードルを上げ、足を引っ張ることと理解していたからだ。 
対中姿勢では、こんなことも語っていた。 
「中国批判はたやすいが、むしろ『誠意を持って話せば分かる』と言うばかりで行動しない日本側の方が問題だ。私が中国の政治家なら、やはり今の中国のようなやり方をする」 
本当に惜しい人が亡くなった。せめて自民党の中では、中川氏の志が受け継がれていくことを願ってやまない。 
(阿比留瑠比)http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/091005/stt0910050957009-n1.htm