History
June 15, 2007
8回の“4連勝チャンピオン”…
2006−07シーズンは、ファイナルでサンアントニオが4連勝して終わった…
この“4連勝”というのは8回目だそうだ…一寸気になったので、調べてみた…「8回」とは下記のようなものである…
2006-07 San Antonio Spurs○ Cleveland Cavaliers● 4-0 Tony Parker, San Antonio
2001-02 Los Angeles Lakers○ New Jersey Nets● 4-0 Shaquille O'Neal, Los Angeles
1994-95 Houston Rockets○ Orlando Magic● 4-0 Hakeem Olajuwon, Houston
1988-89 Detroit Pistons○ Los Angeles Lakers● 4-0 Joe Dumars, Detroit
1982-83 Philadelphia 76ers○ Los Angeles Lakers● 4-0 Moses Malone, Philadelphia
1974-75 Golden State Warriors○ Washington Bullets● 4-0 Rick Barry, Golden State
1970-71 Milwaukee Bucks○ Baltimore Bullets● 4-0 Kareem Abdul-Jabbar, Milwaukee
1958-59 Boston Celtics○ Minneapolis Lakers● 4-0
何度も優勝を経験しているチームも含まれるが、“4連勝”を2回やっているチームは、1947年からの長い歴史を通じて出現していない…
チーム名、勝敗の後はMVPだ。MVPの選出・表彰は1968-69シーズンから始まっている。何れも「時代の顔」というような選手が選出されれている。
私としては、1974-75のウォリアーズがこの8回の4連勝に入っていることを強調しておきたいが…待て…「史上初の4連勝“2回目”」というのを狙えるぞ!!!!
この“4連勝”というのは8回目だそうだ…一寸気になったので、調べてみた…「8回」とは下記のようなものである…
2006-07 San Antonio Spurs○ Cleveland Cavaliers● 4-0 Tony Parker, San Antonio
2001-02 Los Angeles Lakers○ New Jersey Nets● 4-0 Shaquille O'Neal, Los Angeles
1994-95 Houston Rockets○ Orlando Magic● 4-0 Hakeem Olajuwon, Houston
1988-89 Detroit Pistons○ Los Angeles Lakers● 4-0 Joe Dumars, Detroit
1982-83 Philadelphia 76ers○ Los Angeles Lakers● 4-0 Moses Malone, Philadelphia
1974-75 Golden State Warriors○ Washington Bullets● 4-0 Rick Barry, Golden State
1970-71 Milwaukee Bucks○ Baltimore Bullets● 4-0 Kareem Abdul-Jabbar, Milwaukee
1958-59 Boston Celtics○ Minneapolis Lakers● 4-0
何度も優勝を経験しているチームも含まれるが、“4連勝”を2回やっているチームは、1947年からの長い歴史を通じて出現していない…
チーム名、勝敗の後はMVPだ。MVPの選出・表彰は1968-69シーズンから始まっている。何れも「時代の顔」というような選手が選出されれている。
私としては、1974-75のウォリアーズがこの8回の4連勝に入っていることを強調しておきたいが…待て…「史上初の4連勝“2回目”」というのを狙えるぞ!!!!
July 30, 2006
Vinny Del Negro
滝川で、往年の、或いは最近のスター選手が使用したユニフォームやシューズの展示という、わざわざ4時間も列車に揺られて訪ねたイベントがあった旨は別記事で紹介しているが…
この展示の中に、現在のものとロゴが微妙に違うような感じの、ウォリアーズのユニフォームを見付けた!!1シーズンだけウォリアーズに在籍した選手で、ヴィンセント・デル・ネグロ…ヴィニー・デルネグロの#15だ…アーンドリス・ビーエドリンスではない…
Vinny Del Negro
↑上記の個人成績を見る…縁の品々が展示されているスター選手達に比べて、如何にも地味だ…
しかし…地味でも彼のユニフォームが滝川で展示される理由はあった!!彼は滝川の姉妹都市であるスプリングフィールド出身の選手だったのだ!!
ウォリアーズの後、フェニックスに移り、そこで現役選手の生活を終えた彼…現在はフェニックスでラジオ解説者をしているそうだ…
この展示の中に、現在のものとロゴが微妙に違うような感じの、ウォリアーズのユニフォームを見付けた!!1シーズンだけウォリアーズに在籍した選手で、ヴィンセント・デル・ネグロ…ヴィニー・デルネグロの#15だ…アーンドリス・ビーエドリンスではない…
Vinny Del Negro
↑上記の個人成績を見る…縁の品々が展示されているスター選手達に比べて、如何にも地味だ…
しかし…地味でも彼のユニフォームが滝川で展示される理由はあった!!彼は滝川の姉妹都市であるスプリングフィールド出身の選手だったのだ!!
ウォリアーズの後、フェニックスに移り、そこで現役選手の生活を終えた彼…現在はフェニックスでラジオ解説者をしているそうだ…
June 22, 2006
歴代のNBAファイナル勝者…
NBAファイナルが終わった…終わってみると、「歴代の優勝チーム?」と気になる…
NBAのサイトで確認し、一寸まとめてみた…
さて…ウォリアーズがファイナル出場を果たしたのは、リーグ草創期のフィラデルフィア時代も含めて6回、中“優勝”は3回である…現行の“ゴールデンステート・ウォリアーズ”としてのファイナル出場、また“優勝”は、「現時点では!!!」1975年が「最初で最後…」になってしまっている…
30チームの中でファイナルまで勝ち上がるのは容易ではない…が、ファイナルへの夢が繋がるプレイオフ進出…「8/15」…何とかなりそうな線だが…ここにさえ12年連続到達出来ない…
「歴代の優勝チーム?」と気になって過去のファイナルについて調べたが、結局「何とかしたいウォリアーズ…」という話しになってしまう…
続きを読む
NBAのサイトで確認し、一寸まとめてみた…
さて…ウォリアーズがファイナル出場を果たしたのは、リーグ草創期のフィラデルフィア時代も含めて6回、中“優勝”は3回である…現行の“ゴールデンステート・ウォリアーズ”としてのファイナル出場、また“優勝”は、「現時点では!!!」1975年が「最初で最後…」になってしまっている…
30チームの中でファイナルまで勝ち上がるのは容易ではない…が、ファイナルへの夢が繋がるプレイオフ進出…「8/15」…何とかなりそうな線だが…ここにさえ12年連続到達出来ない…
「歴代の優勝チーム?」と気になって過去のファイナルについて調べたが、結局「何とかしたいウォリアーズ…」という話しになってしまう…
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June 06, 2005
ジョージ・マイカン…
タイムリーな話しではないが…
6月1日、アリゾナ州スコッツデールでNBA草創期のスター、ジョージ・マイカンが80年の生涯を閉じたという…草創期のまだまだマイナーだったプロバスケットボールの世界にあって、最初の大スターというべき存在だった選手である。
プロ選手としては、1946-47シーズンにNBLのシカゴ・ギアーズ、1947-48シーズンにNBLのミネアポリス・レイカーズ、1948-49シーズンにBAAのミネアポリス・レイカーズ、1949年から54年はNBAのミネアポリス・レイカーズでプレイし、1955-56シーズンにミネアポリス・レイカーズに復帰し、現役生活を終えている…
1947年(シカゴ)、1948年(ミネアポリス)でNBLチャンピオン、1949年にBAAチャンピオン、1950年と1952年から54年の3連続でNBAチャンピオンに輝いている。9年と復帰したシーズンの37試合を加えた10年に及ぶ選手生活の中で7回もリーグを制している!!
ところでこのミネアポリス・レイカーズによる1952年から54年の3連続でNBAチャンピオン…その後、ボストン、シカゴ、LAレイカーズしか成し遂げていない…
このマイカンのポジションはセンターで、リーグで初めての“ゴール下の制圧者”となった選手である…現在のように“24秒ルール”も無く、バスケットボールが必ずしも「どんどん得点を重ねる…」というゲームではなかった時代、439試合に出場して平均23.1得点というのは驚異だ!!そしてこのマイカンはリバウンドの名人としても知られ、平均9.5リバウンドを記録している…所謂“フック・シュート”という、大きな手でボールを掴み、腕を振り上げて高い打点から放つシュートのスタイルの“元祖”というべき存在でもある…
NBAに彼が登場し、ニューヨークにミネアポリス・レイカーズが乗り込んだ時、マディソンスクエアガーデンでは「ジョージ・マイカンVSニックス」という宣伝文句も踊ったようである…それほどのビッグネームだった…
その後、70年代にはABAのコミッショナーを務めたり、80年代には「ミネアポリスにNBAチーム!!」という運動に協力(ミネソタ・ティンバーウルブスが出来た!!)したことが知られる…
バスケットボールの歴史を彩った大先達の御冥福を祈りたい…
ところで…ミネアポリス・レイカーズの後身であるLAレイカーズでは、このマイカンが着用した#99は欠番ではないらしい…
6月1日、アリゾナ州スコッツデールでNBA草創期のスター、ジョージ・マイカンが80年の生涯を閉じたという…草創期のまだまだマイナーだったプロバスケットボールの世界にあって、最初の大スターというべき存在だった選手である。
プロ選手としては、1946-47シーズンにNBLのシカゴ・ギアーズ、1947-48シーズンにNBLのミネアポリス・レイカーズ、1948-49シーズンにBAAのミネアポリス・レイカーズ、1949年から54年はNBAのミネアポリス・レイカーズでプレイし、1955-56シーズンにミネアポリス・レイカーズに復帰し、現役生活を終えている…
1947年(シカゴ)、1948年(ミネアポリス)でNBLチャンピオン、1949年にBAAチャンピオン、1950年と1952年から54年の3連続でNBAチャンピオンに輝いている。9年と復帰したシーズンの37試合を加えた10年に及ぶ選手生活の中で7回もリーグを制している!!
ところでこのミネアポリス・レイカーズによる1952年から54年の3連続でNBAチャンピオン…その後、ボストン、シカゴ、LAレイカーズしか成し遂げていない…
このマイカンのポジションはセンターで、リーグで初めての“ゴール下の制圧者”となった選手である…現在のように“24秒ルール”も無く、バスケットボールが必ずしも「どんどん得点を重ねる…」というゲームではなかった時代、439試合に出場して平均23.1得点というのは驚異だ!!そしてこのマイカンはリバウンドの名人としても知られ、平均9.5リバウンドを記録している…所謂“フック・シュート”という、大きな手でボールを掴み、腕を振り上げて高い打点から放つシュートのスタイルの“元祖”というべき存在でもある…
NBAに彼が登場し、ニューヨークにミネアポリス・レイカーズが乗り込んだ時、マディソンスクエアガーデンでは「ジョージ・マイカンVSニックス」という宣伝文句も踊ったようである…それほどのビッグネームだった…
その後、70年代にはABAのコミッショナーを務めたり、80年代には「ミネアポリスにNBAチーム!!」という運動に協力(ミネソタ・ティンバーウルブスが出来た!!)したことが知られる…
バスケットボールの歴史を彩った大先達の御冥福を祈りたい…
ところで…ミネアポリス・レイカーズの後身であるLAレイカーズでは、このマイカンが着用した#99は欠番ではないらしい…
February 18, 2005
“御来賓”…
NBAの試合会場には、俳優、スポーツ選手、政治家等、有名人が訪れることもある。日本では、シアトルの会場にMLBで活躍する、あのイチローが観戦に訪れた様子がテレビに出たのが知られているかもしれない…(この文脈なら、来季はMLBのオークランドに入った藪がウォリアーズのアリーナに現れる様が、日本のテレビでも紹介されるかもしれない!!)NBA.comにも、会場で試合観戦を愉しむ見覚えのある顔が出ていたのを何度も見たことがある…
去る2月15日…ダラスを迎えたウォリアーズの試合に、凄い“来賓”が訪れた!!サンフランシスコ・クロニクル紙が伝えていたのだが、あのシャルーナス・マルチルリョーニスが来ていたのだ!!彼はかつてのチームメイトで、現在は球団の取締役副社長であるクリス・マーリンと共に、役員用のボックス席で、対ダラス戦を観戦した。
マルチルリョーニスは、「NBA国際化のパイオニア」とも言うべき存在である。不慮の死で#3がニュージャージー欠番となったドレイゼン・ペトロヴィッチとほぼ同時代にNBAに登場している…「国際化のパイオニア」たるマルチルリョーニスについて、ウォリアーズは「是非“殿堂”へ…」と推薦しているそうだ…
リトアニア人のマルチルリョーニスは、1987年にウォリアーズにドラフトされたが、ソ連のナショナルチームで1988年のソウル五輪―金メダルを獲得している!!彼の母国リトアニアはこの後、91年に独立した…プロ選手出場が容認され、米国が“ドリームチーム”を92年のバルセロナ五輪に送り込んだ時、彼は緑の“LIETUVA”のユニフォームに身を包み、リトアニア代表の中心選手として活躍した…(“History”のカテゴリーに記事がある…)―に出場するために直ぐにNBAには入らず、1989-90シーズンにデビューを果たした。当時のウォリアーズのロゴマークを引っ張り出してみたが…
マルチルリョーニスがNBAでプレイし始めた頃、欧州からの選手などは数える程だったが、今やリーグの各チームに見受けられるようになっている。そうした選手の中で最も高名な選手であるダーク・ノヴィツキーが、ウォリアーズと戦っていた…(この彼に「してやられた…」試合だったが…)続きを読む
去る2月15日…ダラスを迎えたウォリアーズの試合に、凄い“来賓”が訪れた!!サンフランシスコ・クロニクル紙が伝えていたのだが、あのシャルーナス・マルチルリョーニスが来ていたのだ!!彼はかつてのチームメイトで、現在は球団の取締役副社長であるクリス・マーリンと共に、役員用のボックス席で、対ダラス戦を観戦した。
マルチルリョーニスは、「NBA国際化のパイオニア」とも言うべき存在である。不慮の死で#3がニュージャージー欠番となったドレイゼン・ペトロヴィッチとほぼ同時代にNBAに登場している…「国際化のパイオニア」たるマルチルリョーニスについて、ウォリアーズは「是非“殿堂”へ…」と推薦しているそうだ…
リトアニア人のマルチルリョーニスは、1987年にウォリアーズにドラフトされたが、ソ連のナショナルチームで1988年のソウル五輪―金メダルを獲得している!!彼の母国リトアニアはこの後、91年に独立した…プロ選手出場が容認され、米国が“ドリームチーム”を92年のバルセロナ五輪に送り込んだ時、彼は緑の“LIETUVA”のユニフォームに身を包み、リトアニア代表の中心選手として活躍した…(“History”のカテゴリーに記事がある…)―に出場するために直ぐにNBAには入らず、1989-90シーズンにデビューを果たした。当時のウォリアーズのロゴマークを引っ張り出してみたが…
マルチルリョーニスがNBAでプレイし始めた頃、欧州からの選手などは数える程だったが、今やリーグの各チームに見受けられるようになっている。そうした選手の中で最も高名な選手であるダーク・ノヴィツキーが、ウォリアーズと戦っていた…(この彼に「してやられた…」試合だったが…)続きを読む
January 05, 2005
December 10, 2004
“100得点”…
スティーヴ・ナッシュが切っ掛けとなって、「#13の選手」というものを調べてみた。どちらかと言えば不人気な番号とも、それなりに人気とも言えるだけの“#13”を見つけたが、“永久欠番”となっている例もあった。
“永久欠番13”の事例だが、ゴールデンステート、フィラデルフィア、LAレイカーズの3チームについては、同一選手である。これらのチームに在籍していた、ウィルト・チェンバレンだ…
在籍した各チームで同じ背番号というのは時々ある事例であるが、各チームでそれが各々“永久欠番”になって活躍を讃えられるというのは例が少ないように思える…
この事実が「ウィルト・チェンバレンは凄い選手だった!!」ということを雄弁に語っていると思うが、この選手のキャリアは様々な記録に彩られている。最も凄まじいのは、「1試合で100得点」というものであろう…空前絶後の記録だ!!
バスケットボールでは、決められた時間内でシュートを打たなければならない。延々とボールを持ち続けたり、味方どうしでパスを回し続けることは禁じられている。その時間は24秒である…単純な割り算だが、12分のクォータで30回、1試合で120回のシュートという計算になる…実際、色々なことがあるので、これより多かったり少なかったりする訳だが…仮に120本が全て入れば、両チームの得点合計は240点となる。外す場合もあるので、この240点より低い場合の方が圧倒的に多い…
こうして考えると、最初から最後まで48分間出場していたとしても、“100点”が如何に「途轍もない」かが判る…続きを読む
“永久欠番13”の事例だが、ゴールデンステート、フィラデルフィア、LAレイカーズの3チームについては、同一選手である。これらのチームに在籍していた、ウィルト・チェンバレンだ…
在籍した各チームで同じ背番号というのは時々ある事例であるが、各チームでそれが各々“永久欠番”になって活躍を讃えられるというのは例が少ないように思える…
この事実が「ウィルト・チェンバレンは凄い選手だった!!」ということを雄弁に語っていると思うが、この選手のキャリアは様々な記録に彩られている。最も凄まじいのは、「1試合で100得点」というものであろう…空前絶後の記録だ!!
バスケットボールでは、決められた時間内でシュートを打たなければならない。延々とボールを持ち続けたり、味方どうしでパスを回し続けることは禁じられている。その時間は24秒である…単純な割り算だが、12分のクォータで30回、1試合で120回のシュートという計算になる…実際、色々なことがあるので、これより多かったり少なかったりする訳だが…仮に120本が全て入れば、両チームの得点合計は240点となる。外す場合もあるので、この240点より低い場合の方が圧倒的に多い…
こうして考えると、最初から最後まで48分間出場していたとしても、“100点”が如何に「途轍もない」かが判る…続きを読む
November 17, 2004
リトアニアのNBAプレーヤー…
2004年11月15日の対クリーブランド・キャヴァリアーズ戦…99対88で敗れた試合後「我々は悪いプレーをしていたという訳でもない。“最後の5分”までは…もっとも、それが最も大切なのだが…」とモントゴメリー監督に言わしめたのは、キャヴァリアーズのリトアニア人プレーヤー、#11 ジードリュヌス・イルガーウスカスの「鬼のような」活躍であったと思う…彼はこの試合で16得点を記録しているが、中10点は「最後の8分間」(=第4クウォータ)に得点しているのだ…
この情報に触れ、「リトアニアと言えば…」と思い出したことがある…ウォリアーズでNBAに登場し、「NBAで初めてレギュラーの座を掴んだ欧州出身選手達の1人」になり、1990年代後半からの“NBA国際化”の扉を開いた、シャルーナス・マルチルリョーニス(Sarunas Marciulionis)(1964年6月13日生)のことをである…続きを読む
この情報に触れ、「リトアニアと言えば…」と思い出したことがある…ウォリアーズでNBAに登場し、「NBAで初めてレギュラーの座を掴んだ欧州出身選手達の1人」になり、1990年代後半からの“NBA国際化”の扉を開いた、シャルーナス・マルチルリョーニス(Sarunas Marciulionis)(1964年6月13日生)のことをである…続きを読む
November 09, 2004
数字は語る…
ウォリアーズのこれまでの戦績を振り返っておきたい…
1946-47シーズンにチームが発足して以来、リーグタイトルを勝ち取ったのは、1946-47、1955-56、1974-75の3回に留まっている…“三連覇”というような華々しいことをしてくれるチームもある一方、若干の寂しさは否めないが…
勝率だが、1993-94シーズンを最後に“5割以下”が続いている…1999-00、2000-01、2001-02と三季連続して“2割”と低迷を続けたが、一昨シーズン、昨シーズンは“4割”に戻した…どうも「“若さ”が目立つ」という感じで競り負けた展開が目立つのが最近のウォリアーズだ…
今季2004-05シーズンはいきなりの“三連敗スタート”ではあったが、どうなることだろう…続きを読む
1946-47シーズンにチームが発足して以来、リーグタイトルを勝ち取ったのは、1946-47、1955-56、1974-75の3回に留まっている…“三連覇”というような華々しいことをしてくれるチームもある一方、若干の寂しさは否めないが…
勝率だが、1993-94シーズンを最後に“5割以下”が続いている…1999-00、2000-01、2001-02と三季連続して“2割”と低迷を続けたが、一昨シーズン、昨シーズンは“4割”に戻した…どうも「“若さ”が目立つ」という感じで競り負けた展開が目立つのが最近のウォリアーズだ…
今季2004-05シーズンはいきなりの“三連敗スタート”ではあったが、どうなることだろう…続きを読む
November 08, 2004
歴史を紐解く…
栄光と挫折とに彩られた、ウォリアーズの物語です…半世紀を越える歴史を一気に振り返ります…
参考資料:チーム公式サイト Golden State Warriors History
*全文英語なので、読み込んで自分流にアレンジしてご紹介することとしました…続きを読む
参考資料:チーム公式サイト Golden State Warriors History
*全文英語なので、読み込んで自分流にアレンジしてご紹介することとしました…続きを読む
東西両岸に刻まれた、輝けるウォリアーズの歴史
ゴールデンステート・ウォリアーズは、数あるNBAのチームとしては、必ずしも数が多くない、「東西両岸で確かな足跡を残す」チームである。
リーグの歴史上、初めて“スーパースター”として記憶されるジョー・ファルクス(Joe Fulks)、前代未聞で未だに破られない“一試合100得点”を記録したウィルト・チェンバレン(Wilt Chamberlain)が在籍したチームとして、バスケットボールファンの記憶に残るのがウォリアーズだ。
更に、“NBA初の旧ソ連―リトアニア人―出身選手”、シャルーナス・マルチルリョーニス(Sarunas Marciulionis)がプレーしたのもウォリアーズだった。
このチームは1946年にフィラデルフィアで発足し、1962年にサンフランシスコへ移転し、ホームコートをオークランドに移した1971年にはゴールデンステートというフランチャイズ名に改称し、今日に至っている。続きを読む
リーグの歴史上、初めて“スーパースター”として記憶されるジョー・ファルクス(Joe Fulks)、前代未聞で未だに破られない“一試合100得点”を記録したウィルト・チェンバレン(Wilt Chamberlain)が在籍したチームとして、バスケットボールファンの記憶に残るのがウォリアーズだ。
更に、“NBA初の旧ソ連―リトアニア人―出身選手”、シャルーナス・マルチルリョーニス(Sarunas Marciulionis)がプレーしたのもウォリアーズだった。
このチームは1946年にフィラデルフィアで発足し、1962年にサンフランシスコへ移転し、ホームコートをオークランドに移した1971年にはゴールデンステートというフランチャイズ名に改称し、今日に至っている。続きを読む