2009年04月

2009年04月30日 08:00

b7de3e34.JPG え〜4月も今日で終わりですが、二日連続で手抜きのインターミッションです。
ディスコ・ブームが真っ盛りだった1977年の秋、ヨーロッパで「悲しき願い」(アニマルズのヒット曲で有名ですが、日本では尾藤イサオの代名詞のような曲ですな)をフラメンコ・テイストでディスコ風にした曲が大ヒットしました。ヒットさせたのは、「サンタ・エスメラルダ」なる多国籍(フランスとか)のスタジオ・ミュージシャンの寄せ集めのグループでした。
その後、この曲はアメリカでも最高15位を記録する大ヒットとなり、日本でも翌78年に37万枚も売る大ヒットを記録しました。
このグループはその後も、「朝日のあたる家」(「悲しき願い」と同じくアニマルズのカバー)などをヒットさせますが、ま〜この時代だけで消えたグループであります。
さて、何でオジサンが「サンタ・エスメラルダ」を取り上げたかと言うと、「悲しき願い」のB面に収録されている「You're my everything」という曲が実にいい曲で、これを聴いて欲しかったのであります。(youtubeでは、この曲の方が人気が高い)
ま〜この曲一曲だけでも知っていても損しないんじゃないでしょうか。

最後に、蛇足ですが、本家アニマルズの「悲しき願い」と「朝日のあたる家」をどうぞ。(エリック・バードンのヴォーカルが凄いですね)



2009年04月29日 08:00

b0906f3f.JPG 今日のインターミッションは「メリー・ホプキン」を取り上げます。
彼女が高い人気を誇ったのは1969年〜70年頃なので(大阪万博で来日した)、リアルタイムで知っているのは50代以上の人たちかも知れない。
彼女が、当時のスーパーモデル、「ツィギー」の目にとまり、友人だったポール・マッカートニーに紹介され、アップル・レコードからデビューしたのは有名なお話です。
そんな彼女のデビュー曲「悲しき天使」は世界中で大ヒットし(英国一位、日本一位、米国では二位)、その愛らしいルックスも手伝って、一躍スター歌手の仲間入りをします。2曲目のシングルはポール・マッカートニーが作曲した「グッバイ」(オジサンはこの曲がとても好きです)を発表。この曲も前作程ではありませんが、大ヒットとなりました。
しかし、元来フォーク志向の強い彼女は、アップル・レコードの勧めるPOPシンガーとしての路線と合わない部分を抱えていたせいもあり、その後は「しあわせの扉」(ユーロヴィジョンの2位入賞曲)や「ケセラセラ」(ドリス・デイでお馴染みですね)は、そこそこヒットしますが、活動は縮小していきます。(確かT・レックスとかを手掛けたプロデューサーと結婚したはず)
最後に、エマーソン・レイク&パーマーなども取り上げた、英国の古い歌「エルサレム」を彼女の歌でどうぞ。



2009年04月28日 15:08

be6cb10c.jpg 久々のレトロなエロネタであります。
まずは「Girl on Girl」と題された1930年代の芸術的なエロ写真を集めた動画をご覧下さい。オジサン的には好みにストライクな作品です。
ポーズの取り方、カメラ・アングル、モデルの質、いずれもかなりハイレベルな作品で、性描写(モラル)の厳しかった時代に、こういった写真はどういったニーズ(市場)が存在していたんでありましょうか。
この時代は、現在のように「痩せている=美人」的な概念は薄かったと思われ、中にはスレンダーで非常に美しいモデルさんも登場しますが、やわらかな女性美を感じさせるモデルさんが多いように思います。
それと、あと一点気付いたのが、「巨乳のモデルさんがいない」という点です。1940年代以後(50年代〜さらに顕著だが)のストリッパー(バーレスクと言うか)やモデルさんに「巨乳」が結構いる事を思うと(ハリウッド女優ではジェーン・マンスフィールドが代表)、アメリカにおいて「巨乳」が流行するのは40年代後半からなのでは?、と勝手に推測しているオジサンです。(ま〜50年代には「巨乳大好き映画監督」のラス・メーヤーも登場しますしね)

8680f0bb.JPG 今日のナンバー1ヒットは、1976年のヒット曲から「ディスコ系」のヒット曲を3曲紹介したいと思います。
この年の9月の第一週から10月の第三週にかけて、5曲のディスコ系の曲が連続してナンバー1を記録しています。
その5曲とは、ビージーズの「ユー・シュッド・ビー・ダンシング」、KC&サンシャイン・バンドの「シェイク・ユア・ブーティ」、ここまでの2曲は以前に紹介しましたが、それ以降も9月18日付けでワイルド・チェリーの「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」(三週連続一位)、10月9日付けでウォルター・マーフィの「運命76」(一週)、10月16日付けでは、リック・ディーズの「ディスコ・ダック」(一週)が、それぞれナンバー1を記録しています。
ビージーズやKCは多数のヒットを記録したアーティストですが、後の3組は、ま〜正直言って「一発屋」と言っても過言ではありません。
ま〜いかにディスコ系ヒット曲の全盛時代とは言え、当時のオジサンは苦々しく思っていたように記憶しています。


2009年04月27日 08:00

8e45e39f.JPG このシリーズも77回も続いてしまいました。(そろそろ終了か?)
今日のナンバー1ヒットは、イギリスが生んだ大スター、「ロッド・スチュワート」を取り上げようと思います。
ジェフ・ベック・グループやフェイセズのヴォーカリストとして名を知られるようになった彼の、ソロとしての最初の大ヒットは「マギー・メイ」(オジサンはロッドの曲では、この曲が一番好きです)で、1971年10月2日から5週連続で一位を獲得しています。ちなみに、この曲は最初はB面で、A面はフォークの大物ティム・ハーディンの「リーズン・トゥ・ビリーブ」でありました。この曲を含むアルバム「Every Picture tells a story」もチャートの一位を記録し、彼はローリング・ストーン誌で「ロック・スター・オブ・ザ・イヤー」に選ばれています。
その後、フェイセズでの活動とソロを平行して行ったせいもあり、ソロとしての大ヒットが出なかったのですが(フェイセズは1976年に解散、原因はメンバーの意見の相違という事になっていますが、実はロッドが米国へ移住したことが大きな要因となったらしい)、1976年に彼にとって最大のヒット曲が生まれます。それが「今夜きめよう」で、1976年11月13日から7週連続で一位を記録しました。
そして、1979年には彼の代名詞ともいうべき大ヒット「アイム・セクシー」が2月10日から4週連続の一位を獲得しています。ちなみに、この曲は世界11ヵ国でナンバー1を記録しました。
彼は80年代以降も圧倒的な人気を誇り、ヒットを連発しています。
最後に、イギリスのトラッドソングで、エルトン・ジョンなども取り上げている「Country comfort」をどうぞ。(この曲は素晴らしい!)


2009年04月26日 08:00

fb2fabbc.JPG 今日のナンバー1ヒットは、ビージーズのギブ兄弟の年の離れた弟で、ソロ・アーティストとして唯一の、デビューから3曲連続ナンバー1という大記録を達成した、「アンディ・ギブ」を取り上げます。
彼がデビューしたのは1977年で、ビージーズが「サタデイ・ナイト・フィーバー」の音楽を手掛けた年でありました。「愛はきらめきの中に」が一位を獲得する4ヶ月程前の1977年7月30日付で、「恋のときめき」が一位を獲得、4週に渡ってナンバー1を記録する大ヒットとなり、アンディ・ギブは幸先の良いスタートを切ります。
その後、1978年3月4日付で、「愛の面影」が二曲目のナンバー1ヒット(2週)を記録、さらに次に発表した曲、「シャドー・ダンシング」は1978年6月17日から7週連続で一位を記録しプラチナ・ディスクを獲得し、この年の年間ナンバー1ヒットとなりました。
この年はビージーズ関連の曲がチャートを征服した年で、年間チャートのTOP10のうち3曲がビージーズ、2曲がアンディ・ギブの曲で占められています。
そんな大人気のアンディ・ギブでしたが、この曲以後はTOP10ヒットを3曲放っていますが、ナンバー1ヒットはありません。「永遠の愛」とか「デザイアー」はTOP5ヒットですね。
アンディ・ギブは心臓疾患で1988年に30歳の若さで他界しています。(生きていればオジサンと同年代なんですが・・・)


2009年04月25日 08:00

ebf6c7f2.JPG 今日のナンバー1ヒットは、70年代に大人のシンガー(作曲も一流)として大ブレイクし、F・シナトラやボブ・ディランからも賞賛を受け、現在では大物アーティストとしてラスベガスのショーでも活躍している、「バリー・マニロウ」を取り上げます。
彼の成功に至る歴史はwiki等で調べれば出てきますので、とりあえず、70年代に彼が放った3曲のナンバー1ヒットを順に紹介します。
彼にとっての最初のナンバー1ヒットは、1975年1月16日付で一位を獲得(一週)した「哀しみのマンディ」で、この曲は彼にとって初めてチャートインした曲でした。
続いてのナンバー1ヒットは、ちょうど一年後の1976年1月17日付で一位(一週)した「歌の贈り物」で、この曲はビーチ・ボーイズのブルース・ジョンストンが作った曲ですが、この年のグラミー賞で、ソング・オブ・ザ・イヤーを受賞した名曲です。
そして、彼にとって最後のナンバー1ソング(現時点で)が、1977年7月23日付で一位を獲得(一週)した「想い出の中に」であります。
50曲近いTOP40ヒットを放った彼ですが、不思議なことに、ナンバー1ヒットを記録した3曲は全て他人の作曲した曲です。
この3曲以外で彼の有名なヒット曲としては、「涙色の微笑み」と「コパカバーナ」、「Ready to take a chance again」(邦題忘れた)あたりでしょうか。
彼は、70年代の上質なPOPSを代表するアーティストのひとりではないでしょうか。


2009年04月24日 08:00

13ce5bfe.jpg 「ロック」の原点は、プレスリーに代表される50年代半ばに一大ブームを巻き起こした「ロックン・ロール」(ロカビリーと呼ぶべきか)には違いない。オジサンのネタ本では、1955年以降(正確には、ビル・ヘイリーと彼のコメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が全米一位を獲得した以後)「ロック時代」と規定している。
ま〜異論はあるにしろ、これは判りやすい時代区分だと思います。
前置きはこれ位にして、今日のネタですが、タイトルに「ロックン・ロール」が付いている、70年代前半あたりの曲を紹介します。
まず一曲目は、そのものずばり「ロックン・ロール」という曲です。言わずと知れた、史上最強のロック・バンド、レッド・ツェッペリンのヒット曲です。
二曲目は、ロック界の最長寿バンド、「ローリング・ストーンズ」の「イッツ・オンリー・ロックンロール」です。直訳すると「たかがロックンロールじゃないか」くらいの意味ですが、ま〜ストーンズならではですね。
三曲目は、ギタリストのリック・デリンジャーのヒット曲で、「ロックンロール・フーチークー」ですが、たしか、エドガー・ウィンターの項で紹介したように思います。
最後に、亡くなった著名ミュージシャン(ジミ・ヘンとか)が天国でセッションする、という内容の曲、ライチャス・ブラザースの「ロックンロール天国」をお聞き下さい。



2009年04月23日 08:00

baeb0c27.JPG え〜、ディスコ系のナンバー1ヒットが続きましたので、今日は、しっとりと落ち着いた大人の魅力の女性シンガーを取り上げます。
その人の名は、「アン・マレー」、70年代初期から活躍したカナダ出身の女性シンガーですが、日本ではあまり人気がなかったような気がします。
さて、彼女の唯一のナンバー1ヒットは「辛い別れ」で、1978年11月4日付で一週だけ一位を記録しています。この曲は結婚〜出産のために2年程の休業を取り、カムバックした後のヒット曲です。
この曲以外の彼女のヒット曲としては、「スノー・バード」(この曲でカナダ人女性シンガーとして初のゴールド・ディスクを受けています)、「ダニーの歌」、「ユー・ウォント・シー・ミー」(以上の3曲はTOP10ヒット)、他にも、オジサンの好きな「Love Song」なんて曲もあります。
実にいい歌手ですね!。

2009年04月22日 23:08

9c8e4260.jpg 最近、ちょっとした事情があって、バクシーシ山下氏(「女犯」シリーズ等の過激な作品で知られるAV監督)からメールを頂戴した。
V&R時代の彼の作品には随分とお世話になったオジサンですので、その喜びがいかに大きいかは判っていただけるかと思います。
バクシーシ山下氏からのメールの中には、AV産業の現状、そして今後の活動について記している部分がありますので、そのまま掲載したいと思う。
バクシーシ山下様、無断掲載ですが、創成期からのAVファンとして、少しでも現在のパワーを失いつつあるAVの世界に活気をもたらしたいとの想いからの行動ですので、お許し下さい。
以下は、バクシーシ山下からのメールの一部分です。

90年代は私たちも楽しかったですね。世紀末の徒花というか無茶が通った時代でした。
松尾さんも平野さんも私もほぼ当時と変わらないスタイルで細々AVを作り続けていますが、なかなか時代は厳しいです。
もちろん私たちの努力不足も原因のひとつなんですが。
近く「AV難民」というレーベル(←最悪なネーミングですが(笑)で平野さん、ゴールドマン、私の3人の作品が毎月発売になります(予定)。
潰れかけたAVメーカーがやけくそ同然で私たち3名を起用。「好き勝手に撮る。制作費はない。」というのがコンセプトです。
ちょっと90年代ぽくなりそうな気がします。どうぞお見知りおきください。

オジサンがブログで書いても、さしたる宣伝にならないのは承知の上ですが、AVに
大きな革命を起こした(ちょうどロックの世界のジミ・ヘンドリックスのように)、3人のパワー溢れる作品がリリースされ続けるように応援して行きたいと思う。

バクシーシ山下氏の往時のような大活躍を期待したいオジサンであります。


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