January 18, 2006

島を出る日

昨日の送別会の後、結局荷造りが終わらず朝6時におきて荷造りをする。7時くらいにPNGメンバーも仕事にでてくる。荷造りでしっかりとあいさつもできない。しめっぽくなるよりはよかったのかも。
Adios!といえればそれでいいのかも。8時に空港まで行く車が向かえにきてくれることになっている。

今日という日はやっぱり特別で、なんだが空気が違っていた。自分が静かな動揺をしているのを隠せないからだろうか、それともまわりの友達、いや家族、その他大切なひとたちの何かしらの思いからなのか、それとも昨日のお酒で頭が働いていないだけなのか・・・

変わらなかったのは、まずしすぎる赤道直下の日差しとモッキンバードの歌声。

パブロ、パメラ、ルース、カロラインに本当に最期のお別れをする。

二度と会えないって決まったわけじゃない。だけど今自分がとんでもなく特別な一秒一秒を刻んでいる切迫感にも似た状況に追い込まれているのがわかる。だけど自分が出せる言葉はGraciasだけ。それ以外の言葉が出てこなくてまた追い込まれたように動揺する。車のドアが閉まって窓から頭を出してその言葉を叫んだ。9ヶ月世話になったボランティアの家を後にした。

車はあっという間にサンタ・クルス島の北端のイタバカ・チャネルに到着。いつもの渡し船でチャネルを渡り、バスに乗る。これですぐに空港についてしまう。

ここまで涙を我慢していたわけじゃなかったと思う。しかしガラパゴスの出口、バルトラ島の空港へ向かうバスの中で、何かが静かにこみあげてきて、一粒の涙がこぼれたのをかわきりに、ぼろぼろと涙が出てきて、いろんな出来事と人の顔、感情がフラッシュバックしてきて、必死にそれを制御しようとしていた。

空港でガラパゴスでの最期の別れをむかえる。こんなとき、自分は何て言っていいのかわからなくなる。もっと大事なことを言うべきだってわかってるのに残りの30分を、まだ30分ある、とか、まだゲートの中がある、とか、そう思ってたんじゃないだろうか。これで島を去るってのに時間は日常と同じように、いやそれより確実に早くときを刻んでいるのにあとまわしにしてしまって・・・

自分のナンバーが呼ばれ、別れは瞬間的に訪れた。

二度と会えないわけじゃない。

いつもどんなことだって自分で何とかしようとがんばればなんとかなるもんだと思って、そうやってここにも来た。

しかし今直面していることは、もう本当にどうすることもできない。

別れの悲しみと今までの感謝とその他の感情に押しつぶされそうな苦しい時間だった。

そう自分はそれをうけいれるしかなかった。

飛行機の中は、いつも大陸に行くのとまったく同じようにスチュワーデスによる安全説明が行われていた。

席に座ってもらった手紙を読む。

そこにはこの自分の9ヵ月が、その人の視点からどうだったのかが、とてもあたたかく書いてあった。

そのあたたかさと優しさが、今までのさまざまな思い出をよみがえらせて、今度こそ制御不能の状態に押し流した。帽子を深くかぶって誰かにみられないようにするのがせいいっぱいで、そんな中、飛行機は加速離陸する。

実は今自分は本当に前が見えない。涙と不安で見えていない。しかし涙をふいたらそのやさしさを胸にしっかりと前を向いて歩き出せることもわかっていた。

さまざまなあふれてきた感情ってのは、文字通りさまざまなのだろうが、一番言いたかったことは、こういうことなんだろう。

Gracias por todos en Galapago.



この記事へのトラックバックURL