2012年01月12日

神仏習合のことはきちんと説明できるようにしておこう

私は、海外に長期滞在した際、知日派の外国人から、宗派は何かと聞かれ、仏教徒だと答えると、

・なぜ日本人は、神社に参拝し、仏教で葬式をあげるのか?
・神道と仏教はまったく別の宗教ではないか
・多くの日本人は、2つの宗教を信じている点において自己欺瞞に陥っている

との指摘を受けた。

私は、神仏習合に関する質問であることに気づいていたが、思いも寄らぬ質問だったので、答えに窮した。
その時、私は、持参したある本を読んでもらい、事なきを得た。

その本とは、新日鐵能力開発室が編集した「日本ーその姿と心ー」であった。

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4311700423/ref=pd_lpo_k2_dp_sr_1?pf_rd_p=466449256&pf_rd_s=lpo-top-stripe&pf_rd_t=201&pf_rd_i=4311700393&pf_rd_m=AN1VRQENFRJN5&pf_rd_r=00QWKCHNVM8AFADZ7J7E

以下、当時の版の日本の宗教、神道、仏教に関する該当箇所を引用させていただく。

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・日本の宗教

日本での主な宗教には、神道・仏教・キリスト教がある。
神道は、日本民族の生活体験から生まれ育った原始の時代からの自然宗教ともいうべきものであったが、仏教・儒教の影響を受けてきた。
多くの日本人は宗教には慣用であり、同時に複数の宗教とつながりがあっても不思議と思わない。日本人が宗教に慣用であるというより、多神教である神道が外国から入った宗教に慣用であったためだというべきかもしれない。
多くの日本人は誕生、結婚の儀式は神道により、葬式は仏教による。

途中略

日本では憲法で宗教の自由が保障され、厳格に実行されている。したがって国教というものはなく、国の行事も宗教とは一切無関係である。国公立の学校では、宗教教育が禁じられている。


・神道

神道は日本固有の自然宗教であり、神道の神を祭るところが神社である。神道でいう神は無数にあり、初めは自然物や自然現象をも神としていた。そして次第に先祖を祭るようになった。したがって神道には特定の教祖はなく、教典もない。
日本神話では「八百万(やおよろず)」の神という言葉があるように、神々の数は極めて多かった。
のち、神道は仏教、儒教の影響を受け理論化もされてきた。
19世紀以降は国教のような扱いを受け、天皇が神格化された。しかし、第二次世界大戦後は国家との関係を断ち切り、各地の神社ごとの信仰となっている。
日本人は誕生のときお宮詣りをし、結婚式を神前で行なう。さらに神社に入学合格を願ったり、自動車を運転する人が交通安全のお札を受けたりする。
正月には有名な神社に一家揃ってお詣りし、また、神社ごとに定めている年一度の祭典には、その地域の住民が多く集まり、出店なども繁盛する。

以下略

 

・仏教

仏教は6世紀に中国・朝鮮を経て日本に伝えられた。7世紀の初頭、当時の皇太子であり、実際に政治を行っていた聖徳太子が、仏教を深く学んでこれを広める役を果たした。
12世紀頃までは、仏教は貴族のための宗教であった。しかし、13世紀から庶民の間でも非常に盛んになり、同時に武士には「禅」が普及した。これらは現在まで引き続いて日本人の宗教の中心になっている。
仏教は「みずから真理に目覚めることによってえられる悟り」を究極の境地とする。また、あらゆるものが無常であるのに恒常のものと考え、すべてのものは実体を持たないのに実体あるものと考える執着を絶つこと」を眼目とする。
仏教では神がなく、無限の愛をもって憎しみや怨みを捨てることを強調する。一般に狂信を排して寛容であり、同時に平等を貫こうとする。
日本人の生活では仏教とのつながりが非常に大きく、信徒でなくともお寺に参詣し、葬式を仏教式で行ない、死後は仏教上の名前(戒名)をつける。

以下略

……………………………………………………………

この本を読んだ外国人は、読後感として日本人の宗教観に驚き、納得したようだったが、私は、この本を読んでもずっと引っかかることがあった。私はその本の説明で満足していなかったのである。

それから何年か経過し、そのことを忘れかけていた時期に、「一個人」という雑誌に出会い、神仏習合という言葉の意味を漸く理解した。

その箇所とは、

2012年2月号の126〜127頁
神仏習合

2011年11月号の59〜71頁
神道の歴史的変遷

である。

言葉ではわかっていたつもりでも、神道の歴史的変遷や教義の有無等まで確認していなかったため、恥ずかしながらこの箇所を読んで始めて、神仏習合の意味が理解できた次第である。

他に、神仏習合について解説したサイトがあるので紹介する。

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・神仏習合”とはなんでしょう

http://www.eonet.ne.jp/~koutaro/local/syugou.htm
そこで、「神社ふしき探検」(外山晴彦著 さきたま出版会)という本に、とても分かりやすい解説がありましたので、長いですが抜粋します。 m(__)m

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仏教との融合 − 神仏習合 −  

 仏教はインドから中国、朝鮮半島を経て、6世紀半ばには日本に伝来しました。聖徳太子の時代の少し前です。仏教は、仏・法・僧という三宝によって体系づけられています。「仏」は崇拝対象である仏像、法は思想・教理を明確にした経典、僧は布教集団としての教団組織です。
 当時の人々が見たこともないような偶像と確固たる理論体系、そして有能・強力な布教スタッフ陣、これに加えて仏教美術といわれる建築・彫刻・絵画・工芸などの優れた技術や医療の知識を携えて、日本に上陸したのです。
 これほどの思想・科学技術・文化集団を迎え撃つには、わが土着の神々の準備態勢は整っていません。神社は、元来、多神教ですから敵対するよりは、「仏教の神も仲間入りさせる」という方向を選ぶ傾向があります。柔軟性とおおらかさが日本の神々、つまり神社思想の特徴なのです。

 一方、仏教も、古代インドの在来宗教との習合、中国の道教との習合を経て、日本に伝えられました。
 それだけに豊かな経験と柔軟性がありましす。しかも、理論的かつ戦略・戦術的に事を運びます。一気に制圧しようなどとは考えず、巧みに神社との融合・調和をはかりつつ浸透していくのです。
 これを「神仏習合」(しんぶつしゅうごう)といいます。
 決して急ぐことなく、長い時間をかけて徐々に行われます。8世紀中ごろから、その攻勢は活発化し、江戸時代まで続きます。

 まず、時の政権のバックアップを取り付けます。つまり、聖徳太子の認知を得て、国家宗教への道を切り開きます。
 そして最初に目をつけるのが神社境内です。すでに存在する神社の境内に寺を建てれば、立地条件としては申し分ないばかりか、「氏子」をそのまま「檀家」に変えられる可能性もあります。
 こうして神社に付属する形で、その境内にできた寺を神宮寺といいます。神宮寺の実現も、なかなか手の込んだ戦術のもとに行われています。
 支配層の有力者の夢枕に日本の神々を立たせます。「私は長いこと神をやっているが、いろいろ苦労している。この際、仏教の修行をしたいのだ」といった趣旨のことを告げるのです。告げられた有力者は、その神のために神社境内に仏教寺院を建立します。
 「夢枕」の真偽はともかく、こうして各所に神宮寺(じんぐうじ)が建てられていきます。もちろん、神宮寺は仏像を安置し、神社には神の象徴としての鏡や剣・玉などを祀ります。「軒先を貸した神社が、徐々に母屋を仏教に取られていく」といった構図です。

 「神をやめて仏法に帰依したい」などということは、神様にとって屈辱的な発言に違いありません。「神様がそんなことを言うなんて、冗談言うな!」といった庶民感情もあったでしょう。
 そこで、護法善神(ごほうぜんしん)という考え方も流布させます。仏法を守護する善なる神という意味です。一見、神が仏の上位にあるように思わせるところに特徴があります。八幡神に仏教の菩薩の名称を与えて八幡大菩薩と称し、菩薩像や権現像が祀られるようになります。

( 中略 )

 さらに、神社は一体であると説きます。
 これを本地垂迹思想(ほんじすいじゃくしそう)といいます。
 難しい言葉ですが、「本来は仏であるが、仮の姿として神となって現れる。」という意味です。神様の本性は仏である、ということです。
 仏が神の姿に変わって、この世に現れたのが権現(ごんげん)です。「権」は「仮」を意味する文字で、「権威をあらわす」というわけではなく、「仮の姿で現れる」ものです。
 仏教用語である権現の称号を与えて、熊野権現や春日権現などが出現します。薬師如来が垂迹して素盞嗚命、さらに、もう一度垂迹して、牛頭天王とされます。伊勢神宮に祭られる神は日輪、すなわち天照大神ですが、実は大日如来の化身である、と主張されます。
 大日如来は釈迦如来に次ぐ仏教界ナンバー2の大物です。しかし、元は古代インドの神様で、仏教に取り入れられたものです。ここにも仏教の柔軟性と、結局は、「仏主神従」の結末に持ち込むしたたかな攻略法が見て取れます。

( 中略 )

 千年以上にわたり、神と仏は徐々に融合・調和されてきました。様式的にも神明系(和洋建築)から発展して、大陸から伝えられた寺院建築様式の影響を受けた明神系の鳥居や神殿がつくられます。賽銭箱や灯篭・手水舎などは、寺院も神社も同じ形態となってきます。
 江戸時代の庶民生活の中では、神も仏も特別に区別する必要さえなくなっていました。人々は「神様・仏様」に祈り、成就しなければ「神も仏もあるものか」と嘆きます。常に神と仏は一体なのです。本来別個の宗教である神と仏が合祀されていても、神棚と仏壇が並んでいても、何の不思議もありません。
 私たちは一般的に、正月は神社に、お盆はお寺に行きます。お宮参りや七五三では神社を訪ね、葬儀はお寺に出向く、といった区別をします。しかし、今日の葬儀や結婚式などの様式は、決して日本古来のものではありません。明治以後、比較的最近になって確立した習慣なのです。
 霊柩車は戦後に開発・普及されたものですし、それに合わせて今日の葬儀の様式ができあがりました。現在、神前結婚式が主流を占めていますが、神道式の結婚式を日本で最初に行った人はなんと大正天皇なのです。

千年を超える歴史との決別 − 神仏分離 −

 明治政府は明治元年(1868)に神仏分離令を出します。祭政一致の理念の下に、千年以上にわたって習合されてきた神と仏を明確に分離し、神道国家の道を歩み始めようとするのです。これは日本だけではなく世界の宗教史の中でも例のない大転換といえるものです。


( 中略 )

 明治維新政府の打ち出した神仏分離政策は、複数の法令の総称である「神仏判然の令」によって具体化されます。その骨子は次のとおりです。

/声劼任亙像を神体としてはいけない。神社内にある梵鐘、鰐口、仏具等、仏教関係のものは除去する。仏教的建造物も撤廃する。
∋院が神社の祭祀に関与してはならない。神社での仏事は行わない。
従来、神社の管理・祭祀は別当とか社僧と呼ばれる下級僧侶が行っていたが、それらは退職するか、またはその名称を神主、社人等と改める。つまり、僧侶を廃業するか、廃業したのち神主・社人として再就職する。
た声劼任聾現、菩薩、牛頭天王などの仏教後の名称を廃止する。

 要するに、神社から仏教的な色彩を一掃し、神と仏をはっきりと区別する。というもので、必ずしも廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が目的ではありません。
 しかし、,亡悗靴討蓮△修亮饂櫃賄按譴気譴泙擦鵑任靴拭0貳面噂阿砲惑冓毀釈と受け取られ、多くの仏像や仏具・経巻などが一揆か暴動のような荒々しさで破壊・焼却される場面もありました。お施布などで生活が圧迫されていたという腹いせもあったのでしょう。これを煽動するものもいました。
 中には、他の寺院への移管や競売により幸いにも保存された仏教文化財もあります。しかし、全体的に仏教界に大きな打撃を与え、多くの貴重な文化遺跡が失われました。
 の別当や社僧とよばれた神社担当の僧侶は、寺院の中で最も位が低く、なかには元山伏や乞食坊主などといわれていたものもいました。明治政府としてはその質的向上を図るために明治4年(1871)に神職の世襲制を廃止して、人材登用を図ります。
 い砲弔い討蓮⇔磴┐弌祇園神社が、主尊を牛頭天王から素盞嗚命に代え、名称を八坂神社と改めます。熊野権現や春日権現なども名称を改めます。

( 中略 )

  以上の神仏分離に加えて、明治4年には廃藩置県とともに社寺上知令が出されます。境内の祭事法要に必要なる物を除いて社寺領が政府に没収されています。現在、一の鳥居が神社境内のはるか外側に立っているといった例を見かけます。多くの場合、これは没収された社寺領にあったものが、そのまま残されたと解釈されます。
 こうして、急激な大改革が進められる中では、政府の意図に反して廃仏毀釈の運動が地方にも広がりました。寺院の廃合や神社の独立につれて、廃業する僧や廃業して神職に転換するもの、没収された社寺領の耕作許可を得て、百姓になる僧もいました。
 神仏分離令から数年で、ほとんどの神社から仏教的色彩が消えていきます。「神仏判然の令は廃仏毀釈を意味しない」とう再三の政府発表や説明とあいまって、発令から数年後には廃仏毀釈の動きも収束に向かいました。


・神仏習合
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E7%BF%92%E5%90%88

・現代人のための神仏習合入門その1「神仏習合のはじまり」
http://kousyoublog.jp/?eid=2451


…………………………………………………………………………………………………………………………

この件については、
歴史的変遷を理解しないと理解したことにならないことを指摘しておきたい。

言い換えると、歴史を理解する事が必須であるということだ。

また、
キリスト教系団体が、神社訴訟や靖国訴訟に係わっていることを知るならば、愛国・保守派は、神道、仏教、神仏習合についても理解すべきなのだ。

ちなみに、今度、
外国人から「宗教は何か」と聞かれれば、私は、
「神道&仏教である」と答えることにしている。

それが、神仏習合状態での宗教観の意志表示だと思うからだ。



waninoosewa at 12:54│Comments(5)TrackBack(0)

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この記事へのコメント

5. Posted by 一斎   2014年12月12日 04:11
私に質問した外国人は、実は、それほど信仰心あるクリスチャンではありませんでした。そのことを認めつつ、私に質問したわけです。
そういう私は、彼らに、仏教徒ではあるが聖書を読んでいることを伝え、Do you believe in god?と質問しましたが、熱心な信者であることを認める方は皆無でした。
人々の信仰心を失わせる原因に、中世の宗教支配(魔女狩り)、ガリレオの地動説否定が、あったことを聞きました。教科書以上にガリレオの存在は大きいようです。
また、いろいろな人と話はしましたが、人々は、言われている程の信仰心ではなく、日本で言う葬式仏教なみの状態?と私は認識しました。
ただ、彼らは、その信仰心に問題意識を持っているものの、そのことを私に悟られたくないがゆえに、私に意地悪な質問をしてみたのだと思っております。
彼らも彼らなりのプライドがあったのでしょう。
4. Posted by pink coral   2014年12月11日 20:27
 その外国人(キリスト教徒と思いますが)、に質問をしたいですね。 一神教の不寛容さと戦争好きなことは誇れる良いことなのか?  中東に対する米国のエバンゲリズムは神の名を騙る大量虐殺ではないのか、キリスト教徒の最大のお祭りは実は戦争ではないのかと、ニーチェも邪教と批判していたようにユダヤ教的な人間宣蔑視の宗教理論がキリスト教ではないのかと、問い詰めて見たいですね。

 仏教は仏陀という普通の人間(神ではない)が悟った内容の教えでどちらかといえば人生の哲学であり(後半は葬式仏教化したが)、 神道は災害の多い日本での畏敬を持った自然崇拝、豊作祈願、先祖(英霊)供養といったもので、西洋(一神教)のGODとは異なる概念なので、同列には語れないと思います。

 日本神話はキリスト教に毒される前のギリシャ、ローマ神話や北欧神話に近い位置付けですが、 日本の神話は神話的修辞法を除けば概ね歴史的史実(遺物、伝承、地名の由来などから)だろうと私は考えています。
3. Posted by 曾我廼家光龍   2014年10月15日 15:35
5 管理人様こんにちは。出来れば愚生は「神仏習合」の一宗教団体を立ち上げようと思います。其の名は「八反坊大神奉賛会」です。本部は広島県東城町で、「呪い」で町起しを考案されています。
2. Posted by 一斎   2012年01月15日 13:24
> 私の地元では神仏習合が盛んでしたので、今回の記事も興味深く読ませて頂きました。ただ神仏習合について、いつも違和感を感じています。
> 本地垂迹説は間違いだと思うのです。
> これは仏が本地(幹)で神が垂迹(枝)という事ですが、これが全く逆ではないかと思うのです。世界に宗教は多いですが、その本質は日本の神道・ご皇室を見て明らかなように先祖祭祀でしょう。
> その祭祀が幹であるので、その擬似祭祀である宗教が枝だと考えるのです。
>
> それにしても仏教の腐敗は酷いですね。生臭坊主で溢れ返っています。
> この腐敗仏教が人の死後の領域を担っているからこそ、日本の伝統が余計に破壊されるのではないかと危惧しています。
> 仏教批判という事ではなく、僧は戒律を取り戻して、単なる集金屋をやめるべきだと考えています。


なかなか鋭いご指摘と思います。
思いつくことは、
誰かが、現代的視点から神仏習合に係わる教義書を書き、それを議論してまとめ上げ後の世に伝えること(神社新報社?)
檀家をやめ神道形式で葬儀をあげること
この2点です。
ご存じと思いますが、良醢他阿蓮俗化した仏教の批判論者だったそうで、良醢他阿僚餞覆覆匹蓮⊃席習合のあり方を考えるうえで参考になるのではないかと思います。
1. Posted by 安倍屋   2012年01月15日 13:00
私の地元では神仏習合が盛んでしたので、今回の記事も興味深く読ませて頂きました。ただ神仏習合について、いつも違和感を感じています。
本地垂迹説は間違いだと思うのです。
これは仏が本地(幹)で神が垂迹(枝)という事ですが、これが全く逆ではないかと思うのです。世界に宗教は多いですが、その本質は日本の神道・ご皇室を見て明らかなように先祖祭祀でしょう。
その祭祀が幹であるので、その擬似祭祀である宗教が枝だと考えるのです。

それにしても仏教の腐敗は酷いですね。生臭坊主で溢れ返っています。
この腐敗仏教が人の死後の領域を担っているからこそ、日本の伝統が余計に破壊されるのではないかと危惧しています。
仏教批判という事ではなく、僧は戒律を取り戻して、単なる集金屋をやめるべきだと考えています。

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