2015年09月22日

語り継ぐべき海軍軍人は確かにいるが書き手の事情を知ると……

大東亜戦争での語り継ぐべき海軍軍人がいたとして、三村文男、中川八洋、佐藤晃などの本を読まれている方におかれては、山本五十六が語り継ぐべき海軍軍人の優先順位一番では決してないと思う。

私は、海軍軍人について書かれた本が多数存在していることを知っている。多くは、敗戦後、特に1970〜1980年後に書かれたものであり、それらが伝記小説形式を採用していることを知っている。

現在、出版化されているものは、その時点で書かれたものの復刻、あるいは、新規出版である。

しかし、そのどれにも該当しないが、語り継ぐべき海軍軍人なのに、出版化されていない方がいるのだ。

石川清雄曹長が実はそうなのだ。

兵員輸送船を守るために、魚雷に体当たり特攻した石川曹長を忘れるな
http://blog.livedoor.jp/waninoosewa/archives/1652439.html

私は、終戦記念日近くに、ある神社の境内での模造紙に毛筆で書かれた告知にて、石川清雄曹長のことを知った。問い合わせたところ、石川清雄氏の本はないものの、資料一式は、自衛隊駐屯地の広報資料室にあるという。

Wikipedeiaにはしかるべくことが書かれている。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%94%BB%E6%92%83%E9%9A%8A#.E6.88.A6.E6.AD.BB.E5.89.8D.E6.8F.90.E4.BB.A5.E5.89.8D

第二次大戦末期に組織的な特攻が始まる以前より、自発的な自爆攻撃が現場で行われることはあった。1944年(昭和19年)4月14日、アンダマン諸島へ向かう陸軍輸送船「松川丸」を護衛中の飛行第26戦隊の一式戦闘機「隼」(操縦石川清雄曹長)が、米海軍の潜水艦が発射した魚雷3本を発見、機銃掃射しつつ魚雷目掛け海面に突入し戦死するも爆破に成功した[54]。

54.^ 土井全二郎『失われた戦場の記憶』80-86頁(光人社 2000年)

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私は、散華された軍人の、写真、搭乗機、所属、経歴、等を網羅する必要を痛感している。

次に、語り継ぐべき海軍軍人の事例として、有馬正文少将を挙げたい。ブログではかく紹介させていただいた。

実質的に最初に特攻を実行したのは有馬少将ではないのか?
http://blog.livedoor.jp/waninoosewa/archives/1653717.html

私が、図書館で借りて読んだ、普及的な位置づけの一冊は、小説形式と、歴史書的記述が混在していた。私は困惑した。

どこまでが事実で、どこまでが脚色されて書いたものか?区別がつかない書き方であったからだ。

もっとも、巻末に参考文献リストがあり、息子さんが書かれたと思われる本、水交会のレポートの存在が確認できる。

資料価値が高い情報とは、本人が書いたもの、近親者が書いたもの、所属組織によるものなどであることを知れば、
有馬正文少将については、語り継ぐべき情報は、息子さんが書かれたと思われる本、水交会のレポートを見た方が確実ということになる。

次に、語り継ぐべき軍人として、私は、勇将山口多聞中将がいる。Wikipediaを読むと、エピソード満載の方のようであり、好戦的姿勢そして、勝てるタイミングに係わる嗅覚に優れていることから、語り継ぐべき勇将であることは、一読してわかる。

ただ、近年刊行された、松田十刻による出版物で読んでみると、丁寧な文章で書いてあることは認めるが、伝記小説形式で書かれている関係で、個々の歴史的記述に係わる出典が一切示されていない。

私は、人物像を脚色して書いた本であると評価し、読むのをやめた。語り継ぐべき海軍軍人、人気No.1と思われる海軍軍人の近年出版化の本で、こういう状況なのである。

まだWikipedia情報の方が語り継ぐべき情報が含まれているような気がしている。

山口多聞
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%8F%A3%E5%A4%9A%E8%81%9E

皮肉なことに、Wikipedia情報は、語り継ぐにふさわしい情報源として、戦史叢書や近親者による本の存在を紹介している。

それにしても、近年刊行された本よりも、もっと前に出版された本の方が、語り継ぐべき情報が揃っているとは、不思議なことである。著者は、何のために出版化したのであろうか?

いずれにせよ、山本五十六が離れたところで将棋を指している最中、山口多聞中将は責任を取り部下たちを退艦させ空母と運命を共にし、山本五十六は敗北の報告を受けても将棋をやめなかったこと、敗北の責任をとらず敗北の原因調査まで拒否したことを知れば、どちらが語り継ぐべき海軍軍人であるか、説明するまでもない。

続いて、最近読売などで紹介された、伊藤整一司令長官については、私は語り継ぐべき軍人であろうと認識し、かく出稿させていただいた。

海軍軍人伊藤整一氏は偉人として語りつがれるべきだ
http://blog.livedoor.jp/waninoosewa/archives/1655134.html

私は、NHK記者だった中田整一が書いた、「戦艦「大和」と伊藤整一の最期 四月七日の桜」で伊藤整一司令長官について詳しく知った。
ご家庭のこと、経歴のこと、語り継ぐ際に必要な根拠を示されていた。一方で、伝記小説的な箇所もあった。ご家族の方に取材され、こういうお人柄であったことを知り、そう書いたのであろうが、どうせ書くなら本文ではなく、エピローグなどに集約して欲しかった。

ただ、この本、非常に良く史料価値ある文献写真が、随所に埋め込まれている関係で、伊藤整一司令長官が係った各地域で、郷土資料として受け入れられ、読み継がれる可能性はある。

新聞記者出身の松田十刻は、(伝記小説でないつもりで語り継ぐべき)海軍軍人の本を書くのであれば、中田整一氏の執筆姿勢を見習うべきだろう。


今回は、語り継ぐべき海軍軍人と認識した、四人について、出版事情という視点から述べさせていただいた。

残念な事だが、ノンフィクション作家が書いた史料価値なき本を読むより、自分で史料収集した方が語り継ぐべき史料が見つかるかもしれないことに気づいたことは、驚きだった。

特に、ジャーナリスト出身の書き手の書いたものについては、出典が書かれていない、一次史料にアクセスせず近親者・関係者に取材した情報中心で書いている、(特定はしにくいが)脚色された箇所の存在などから、語り継ぐにふさわしいとは思えない(史料価値がない)ようである。

なお、今回は紹介しなかったが、執筆者自らが遭遇した人物との対応エピソードを軸に据えて書く、小説的タッチで描かれたノンフィクション本と称する類の本もある。

そうなってしまうのは、著者が一次史料にアクセスすることを後回しにし取材中心で本を書こうとする姿勢がそうなってしまう原因にあるようだが、ノンフィクションというジャンルにおける、正統な書き方、表現手法が定義されず、共有化されていないことが根本的な原因であると思う。

まだ、歴史書になっていない段階での執筆作業とみなせば、出典を示さない、一次史料にアクセスしようとしない、表現手法的に歴史学に従わない、ノンフィクション作家については、作家として半人前と評価されて仕方あるまい。

なお、これは私の評価結果である。皆様に私の判断、評価を押し付けることまでは考えてはいないことを最後に記す。



waninoosewa at 07:39│Comments(4)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote ◆ 歴史の見分け方 

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この記事へのコメント

4. Posted by 一斎   2015年11月15日 06:26
水交会のルーツを調べると面白いことがわかるかもしれません。
3. Posted by 一海軍ファン   2015年11月14日 17:10
3 ミッドウェー海戦時、山本長官が将棋を指していたという話は、従兵長であった近江兵治郎が言っているだけであって、何の裏付けもないようです。将棋のことを否定している関係者の手記もあります。

以上は「水交」平成25年陽春号に載った横谷英暁著「ミッドウェー海戦において山本長官は将棋を指していたか」の受け売りですが。
2. Posted by 一斎   2015年09月24日 18:11
<ですが、海軍あるいは海軍の軍人の評価には終戦直後から何か、「作られたもの」という匂いがきついですね。
長岡に、司令長官の記念館があるのだそうで、その関係者も係わっているのかもしれません。
1. Posted by 山路 敬介   2015年09月24日 05:41
>近年刊行された本よりも、もっと前に出版された本の方が、語り継ぐべき情報が揃っているとは、不思議なことである。

全く同感です。
そのことの意味は時代の変化にともなう世間のニーズ、価値観の変遷による、という事もあるでしょう。
ですが、海軍あるいは海軍の軍人の評価には終戦直後から何か、「作られたもの」という匂いがきついですね。
それでも当時は山口と山本を対比させる形での、その本質を伺わせる記述も残っていましたが。

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