2015年10月08日

山口多聞少将 ミッドウエー海戦で勝利するための最善手を提言していた

実は、ミッドウエー海戦に係わる本は、数十年前から読んでいた。
当時から、山口多聞少将が奮戦の末、戦死されたことは知っていたが、真珠湾攻撃、ミッドウエー海戦を通じて、最善手を提言し続けたことを、網羅的に書かれている伝記ものの本、「山口多聞 空母「飛龍」に殉じた果断の提督」(星亮一)という本を読んで知った。

該当箇所を引用させていただき、簡単な解説をカッコ書きで付記する。

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○提言1(真珠湾攻撃での第三次攻撃の実施、実施していれば、アメリカ空母は、ミッドウエー海戦前に作戦行動に支障をきたすか、空母の居場所が特定しやすい状況が生まれ、空母のみを選別して叩くことが可能だった)


263頁
「司令官、第二戦隊の第三次攻撃隊の準備が完了しました」
航空参謀の鈴木中佐が言った。
二カ月前、長門での図上会議の際、山口は燃料タンク、修理私設への第三次攻撃を主張したが、南雲司令長官は黙ったままだった。
「信号機をあげよ」
山口は命じ、攻撃隊は爆音を響かせて待機したが、旗艦「赤城」からは応答がなく、午前十時三十五分、進路を北北西に反転した。

284頁
この後、山口は参謀長室で宇垣纏と久しぶりに談笑した。
海兵の同期生どうし、お互い、忌憚のない話をぶつけることができる。
「ハワイはラッキーにも勝てたが、第一航空艦隊は南雲さんじゃだめだ。俺はホノルルの放送をずうっと聞いていたんだ。奴らは大慌てで、とても反撃どころではなかった。なぜ、南雲さんは第三次攻撃隊を発進させなかったのか。いまでも残念に思っておる。ハワイを徹知的に叩かねば、勝てぬぞ」
山口は、はっきり言い、南雲長官を補佐する参謀長の草鹿少将や、首席参謀の大石中佐らを槍玉にあげた。

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○提言2(ミッドウエー島攻撃 燃料タンクだけでも攻撃しておけば、ミッドウエー海戦前にアメリカ軍の航空機等の作戦行動に支障をきたす可能性があった、ミッドウエー占領がしやすい軍事状況にできた)

280〜282頁
「司令官、ミッドウエー島を攻撃せよとの指令が入りました」
通信参謀の石黒少佐が連合艦隊司令部からの電文を持ってきた。
「距離は?」
「六〇〇カイリはありますね」
「かなりあるな。しかし山本五十六さんの命令とあれば、行くしかあるまい。一つ、派手にやってみるか」
山口は頬をなでた。
海はこの二日間ほどで大荒れで、燃料の補給もままならない。
間もなく石黒証左が南雲長官の意向を伝えてきた。
「南雲長官は、やらんそうです」
「理由はなんだ」
「この荒天ではとても飛行機は発進できないと言っております」
「何を言っているんだ。ミッドウエーを叩いておけば、あとで楽になるんだ。飛行機を出せ。俺が赤城に言って談判してくる」
「この揺れです。それは無理です」
航空参謀の鈴木中佐が止めた。
後に日本海軍は、ミッドウエー海戦を挑んで致命的な惨敗を喫するが、山口と南雲の判断は、いつも食い違った。
やむをえず、このまま帰国と思いきや、今度はウエーキ島攻略作戦の支援を命ぜられた。
山口は十二月二十一日から三日間、ウエーキ島の米軍施設に爆撃を加えたが、この空爆で艦爆二機が撃墜され、一機がなかなか帰ってこない。

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○提言3(航空艦隊の南方作戦からの早期帰還 ミッドウエー海戦前の航空艦隊の疲労回復)

306〜307頁
「ここはアメリカが力をつける前に、叩くべきだ。リメンバー・パールハーバーを合言葉に、盛り上がっているアメリカ国民の戦意を喪失させることだ」
山口は参謀たちに自説を述べた。
第一航空戦隊の草鹿参謀長にもきびしく注文を出した。
「航空戦隊をこれ以上、南方で疲労させてはならぬぞ。弱い相手とばかり戦っていると、兵の能力はどんどん落ちる。ここは空母の半分でもいい。日本に帰って休ませ、太平洋艦隊を迎え撃つ新たな訓練に入らねば、手遅れになるぞ」と、しばしば苦言を呈した。

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○提言4(ミッドウエー海戦での、空母を中心とする輪形陣の採用、採用していればミッドウエー海戦での壊滅的な敗北は免れた可能性がある)

324〜325頁

それは大がかりな作戦であった。
種々、問題があるにもかかわらず、米艦隊など弱い、搭乗員など赤児同然と言い切る妙な驕りが海軍部内にあり、
「次はミッドウエーだって」
と気安く呼ぶことに、山口は最大の危惧を覚えた。
しかし、作戦は進行し、攻略期日は六月七日と決まり、四月二十八日から二日間にわたって「大和」で第一回の研究会が開かれた。
冒頭、山本は、「軍備に作戦に一層、気宇を高邁し、猛進いたさねば、勝利はありえぬ」と熱烈な挨拶を行なった。

それぞれから活発な議論があり、山口も立ち上がって持論を述べた。
「ここは日米両国海軍の決戦と見なければならない。従来の艦隊編成を抜本的に改め、空母を中心とする機動部隊を編成し、空母の周辺には戦艦、巡洋艦、駆逐艦を輪形に配置し、敵機の襲来に備え、少なくとも三機動部隊を出撃させるべきである」
他を圧する卓見であった。
先に提案した壮大な軍備計画に比べれば、これは、すぐにも実現できる考えだった。
「なるほど」山本はうなずき、「黒島君、至急、検討いたせ」と言った。


326〜327頁

南雲機動部隊の最大の弱点は、空母の脆弱性であった。前にも触れたが、空母の艦長がもっとも気を使うのは、飛行甲板や格納庫に飛行機を搭載している時であった。
それはガソリンタンクを裸で抱えているようなもので、仮に爆弾一発くっただけで、誘導を起こし、空母全体が火に包まれてしまうのだ。
甲板の装甲を厚くするとか、消火設備を強化するとか対策もあろうが、甲板に並ぶ飛行機はガソリンそのものであり、敵機が迫ったら急いで発艦させる以外に手はなかった。
飛行機は危険きわまりない乗り物なのだ。
五月八日に、ポートモレスビー上陸作戦をめぐって空母対空母の激闘があり、空母「翔鶴」「瑞鶴」が米太平洋艦隊の空母「レキシントン」「ヨークタウン」と真っ向から戦い、「レキシントン」を撃沈する大金星を上げたが、「翔鶴」も甲板に飛行機の発着が不能となる被害を受け、防空対策の重要性が改めて浮き彫りになった。
しかし山口の提案はいつの間にか、うやむやになってしまった。
飛行隊総指揮官・淵田美津雄は、「保守はいつの世にもスローモーションである。こんどのミッドウエー作戦に、山口少将案は採用されるに至らなかった」(『ミッドウエー』淵田美津雄・奥宮正武著、朝日ソノラマ)と無念の思いを記述している。

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○提言5(ミッドウエー海戦での早期の発艦 実現していれば、空母の被弾が避けられ攻撃隊だけの損失で済んだ可能性があった)

362頁

すべてが一分一秒を争う状況になっていた。
「敵兵力、巡洋艦五隻、駆逐艦五隻」
「敵はその後方に空母らしきもの一隻をともなう」
「さらに巡洋艦らしきもの二隻見ゆ。地点ミッドウエーより、方位八度、二五〇カイリ、針路一五〇度、速度二〇ノット」
索敵機から次々に無線が入ってくる。もはや一刻の猶予もできない。
山口は即座に、「ただちに攻撃隊の発進の要ありと認む」と「赤城」に伝えた。
しかし「赤城」からは返事がこない。
「もう一度、信号せよ」
山口は大声を上げた。
索敵機の利根四号から、
「敵はその後方に空母らしきもの一隻をともなう。針路二七〇度、〇五二〇」の無電が入った。
「やはり空母だ。赤城はどうなっておる。源田参謀の姿は見えるか」
山口はもう一度、言った。

364〜365頁

源田は戦闘機がないことで躊躇した。空母なしと判断してミッドウエー基地に戦闘機の半分を出し、そこへ敵機が襲来したため、残りの大半を上空の護衛に出している。
その最中に第二次攻撃隊を出撃させるとなれば、戦闘機の護衛なしの丸裸で出すしかない。攻撃隊の艦攻・艦爆は敵の電探、レーダーで捉えられ、たちまち敵戦闘機の餌食となって撃ち落とされるだろう。
源田はそう判断したのだ。だが、その時、敵機は間近に迫っており、すべては手遅れであった。
結果論として「赤城」の判断は、常識的すぎた。もうロスはできないのに、ここでまた大きく時間を食う判断をした。
山口の判断どおり、すぐ攻撃隊を出していれば、少なくとも相打ちの可能性はあった。

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5つの提言すべてが実施されていた場合、私は、少なくともミッドウエー海戦での惨敗は避けられたと予想する。
それ以降の海戦でじり貧になる可能性はあるが、ボロ負けする状況を遅らせることはできたのではないかと、予想する。

その山口多聞少将に係わる、人物評は、こう描かれている。

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285頁

この日、宇垣は、「十二月三十一日。水曜日、曇り、十一時半頃、山口第二航空戦隊司令官打合せのため来艦、大いに元気なる顔を見る。誠に嬉し」と記し、後日、次のように書いている。
「山口第二航空戦隊司令官は常に機動部隊として活躍したが、第一航空艦隊の思想にあきたらず、作戦実施中もしばしば意見具申をした事実がある。計画以外に妙機をとらえて戦果の拡大をはかり、変化に即応することが皆無だと余らに三回、語った。
彼の言う事は、おおむね至当で余と考えを一にしており、今後も大いに意見を具申すべきだと告げた。
艦隊司令部は誰が握っているのだと聞くと、『長官は一言も言わぬ。参謀長、先任参謀、どちらは、どちらか知らぬが、億劫者ぞろいだ』と答えた。
今後、千変万化の海洋作戦で、はたしてその任に堪えられる否やと、余は深く心憂した」
南雲長官では駄目だ。山口と宇垣の意見は一致したが、山口は南雲を代えることはなかった。
ハワイ作戦の飛行隊の総指揮官・淵田美津雄も、奇しくも、まったく同じ意見を持っていた。

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最後に述べなければならないことがある。

せっかく、ネタとして揃っているのに、史料価値ある表現形式で、書いていないことである。

山口多聞少将のことは、大東亜戦争初期の英雄として、語り伝えるには、その生きざまだけでなく、どういう提言を海軍上層部に対して行ったか、原典史料を示しつつ紹介するだけでなく、その提言によって、実際の海戦でどういう形で効果があるのか、示す必要があるだろう。

本を出版する立場の方々、作家、編集者におかれては留意いただきたいところである。



waninoosewa at 20:39│Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote ◆◆ 日本の恩人たち 

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