2015年10月11日

山本五十六は戦時中の海軍の護衛隊・輸送船船員から相当恨まれていたようです

数々の名言に酔いしれている山本五十六ファンには、心外な事だろうが、戦時中の輸送船の船員たちが海軍上層部をどう思っていたのか、記述している本を見つけた。

「歴史から消された兵士の記録」(土井全二郎)から引用させていただく。

………………………………

1〜2頁

まえがき

本書に登場する主人公は、特例を除き、最前線で戦った将兵たちです。

中略

わたしは新聞の仕事で海運問題も担当していました。海運史を調べているうち、戦時中の輸送船の悲劇を知りました。船員たちは「軍馬、軍犬、軍鶏」以下に扱われ、満足な護衛もなく、戦火の海で出ていっています。
輸送船の船長をされていた方から、次のような手紙をいただいたことがありました。
「ある慰安婦のことですが、『軍属のなかでも、私たちの方が船員さんより位が上なのね』と威張っていた」と。この言葉は、当時の船員たちの置かれていた状況をまざまざと言い表しています。


88〜89頁
第三章
ソロモンの海で
山本連合艦隊司令長官戦死の報は、戦死後一カ月以上が経過した五月二十一日に発表された。六月五日、東京で国葬が行われている。
それだけ、山本長官(死後、元帥)戦死の与えた衝撃は大きく、国民の寄せる哀悼の念は強かったといえる。
ところが、この日本海軍最高位の人物の死を聞いて
「ざま見やがれ、バカ野郎」
そんな罵倒の声が、当の海軍部内の一角で起きたというから、おどろかされる。
ー元陸軍証左、堀江芳孝(82)=写真、当時は、第一海上護衛隊参謀として台湾・高雄にある護衛隊司令部にいた。
この第一海上護衛隊は内地とシンガポール間の輸送ルートの護衛が任務だった。だが、その陣容ときたら、まことに「お粗末なもの」であった。
「護衛艦は少なく、しかも連合艦隊の護衛艦の出し惜しみから、ポカチン(沈没)、ポカチンの連続で、海上輸送は悲惨の極みに達していた」
輸送ルートのうち、とくに南方輸送ルートは、戦争遂行に必要不可欠な戦略物資輸送のため、是が非でも確保すべきものだった。その生命線を支える輸送船団が、満足な護衛もなく、みすみす沈められていくのである。
このため、護衛隊司令部で指揮に当たる者たちは、無力感にさいなまれるとともに、自身も海軍に籍を置く軍人でありながら、船舶護衛に理解を示そうとしない海軍上層部に対する怒りは募る一方だった。
堀江は、ちょうどそのころ、陸軍の軍服を着て海軍司令部に勤務していたことになる。陸軍の船舶輸送と海上護衛の調整が仕事だった。かねて「山本長官を尊敬していた唯一の陸軍軍人」でもあった。
そこへ、いきなり飛び込んできた「長官戦死」のニュースである。大いにおどろいた一人だったが、「ザマ見ヤガレ、馬鹿野郎」との声には二度おどろきだった。
それもひそひその内緒話ではなかった。
「護衛隊の将校、下士官、兵から一斉に乱発された」(堀江・手記)

堀江はそうした声を聞きながら、この戦争の行方を案じている。

………………………………

堀江芳孝氏は、戦後、数々の著作を執筆しているようであり、この手記に書かれていることは事実であろうと推測する。

なお、山本五十六には、妾は数人いたようである。一人が、戦後手紙のやりとりを週刊誌に公表した方以外に、「ユダヤは日本に何をしたか」(渡部悌治)に、もう一人の妾の存在が書かれている。

つまり、山本五十六は、本書のまえがきにあることを実践していた一人ということになる。



waninoosewa at 14:58│Comments(2)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote ◆◆ 歴史の検証、見直し 

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この記事へのコメント

2. Posted by 一斎   2015年10月13日 19:43
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1. Posted by 管理人   2015年10月13日 14:21
お世話になります。

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