2015年11月14日

朝日新聞は南京で二度誤報した!?

いくつかの情報から、日華事変当時、中国で記事を書いてきた朝日記者の素性と素行を疑う必要があると思うに至った。

まず、以下の情報によれば、蒋介石は、南京虐殺というプロパガンダ作戦を意図していた可能性を指摘している。

南京を脱出し多くの中国兵士を見捨てた蒋介石・唐生智は何を狙っていたのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-414.html

実際、南京は、虐殺の名所みたいな土地柄だったようだ。

南京は「大虐殺の歴史的名所」だった
http://blog.livedoor.jp/waninoosewa/archives/1560564.html

倉山満は、「負けるはずがなかった!大東亜戦争」という本の150〜151頁にて、かく記述がある。

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負けるはずがなかった!大東亜戦争

倉山満

150〜151頁

日清戦争の頃の日本は、伊藤博文が「首都を落としたから和平を結べなくなる」と言って、北京を落とす寸前で和議を持ちかけています。西太后が北京を出たくないと思っていることを知っていたのです。しかし、支那事変の時の日本は、朝日新聞に「南京陥落」の誤報をスクープされてしまったので、「それなら今から南京陥落しなきゃ」「明日までに落とそう」とやってしまう。しかもその時蒋介石はとっくに重慶に逃げています。支那事変は、日本では誰もやめることを考えずに始めてしまっているので、そもそも戦争計画などあるはずがありません。唯一まともな和平条件を考えていたのが石原完爾で、すぐに失脚してしまいました。

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倉山満は、たぶん、気づいているのであろう。

さて、南京陥落の誤報をスクープした朝日記者、何者なのであろうか?

蒋介石あるいは、共産党関係組織を繋がっていた形跡はないのか、私は疑っている。

その時点で、そういう記事を書いた人間が、戦後、南京虐殺についてどう報道したか、が確認できればいいのである。

もし、万が一ということになるが、戦後の朝日による南京虐殺報道の関係者であることが証明されれば、朝日は居場所を失うことになると予想する。




waninoosewa at 09:31│Comments(0)TrackBack(1) ◆◆ 歴史の検証、見直し 

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前回の記事で、昭和12年(1937)の盧溝橋事件から第二次上海事変に至るまでの経緯について書いたが、わが国は何度も犠牲を出しながらも終始受け身であり、日中の戦いに持ち込もうと挑発行動を行なったのは常に中国側で、わが国は戦争を回避しようとし続けたことを書いた。 し

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