◆◆ 歴史の検証、見直し

2015年11月24日

GHQが狙った洗脳のルーツ

倉山満が書いた「嘘だらけの日米近現代史」によれば、アメリカという国は、南北戦争時代から、戦勝側の立場で歴史を塗り替える習性があると指摘している。

さて、渡部昇一の本ばかり読み親しんでいた人の場合、「マッカーサーは、議会証言で日本が自衛戦争を余儀なくされたという発言」の記述によって、マッカーサーが、さも親日家であるかのような印象を持ってしまう。

私は、マッカーサー議会証言については、マッカーサーは、日本を数年占領統治した末にやっと、自分たちの外交政策の過ちに気づいて発言した程度の事だろうという認識である。

このブログにおいては、マッカーサーは油断ならない人物であろうとの視点から分析を試みてきた。

・議会証言したからという理由でマッカーサーが親日派だと思い込んではいけない
http://blog.livedoor.jp/waninoosewa/archives/1456755.html

・マッカーサーの正体
http://blog.livedoor.jp/waninoosewa/archives/1457030.html

また、ブログ「しばやんの日々」にては、ニューズウイーク紙を引用する形でマッカーサーの配下が、親米的な日本人が公職追放されている実態があるとしている。

GHQの中にもソ連の工作があったのではないか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-246.html

また、ウイロビーの回顧録からの引用となるが、「GHQに雇われている(無国籍者を含む)304人の外国人のうち、最大グループを形成する28%(85名)はソ連またはソ連衛星国の出身である。そのうち42名はソ連の市民権の持ち主である」としている。

アメリカがGHQの中の左翼主義者の一掃をはかった事情
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-257.html

つまり、マッカーサーは、ソ連を利するための、間抜けな占領政策を行なった統治者ということになるのだ。

その前提で、議会証言を評価しなくてはならないのである。

議会証言だけを強調することは、マッカーサーの人物鑑定を見誤ることを意味するのである。

ここで、親日的だから人物として信用できそうだー、というスタンスで書き綴る、リライトものの歴史ブログの罪深さを指摘せざるを得ない。

涙なしでは読めない、感動ものの歴史小話の行きつく先は、「外国人が少しでも親日的なポーズをとればころっと騙される、(外国人に対し異常に無防備な)日本人を大量生産する原因」になるだろうという意味においてである。

そういうリライト主義者たちの感動ものの話、(私は嫌いではないが)、書く人は、感動ものの小話とするために意図してデフォルメして書いている、ことは、この程度のブログ経験しかないがなんとなく想像できる。そうしないと、ブログのアクセスは伸びず、本も売れなくなる、ビジネス的に当たり前のことではある。具体的に言うと、小説的な書きぶりを採用することになるのだ。

私は、歴史書を読みつつ、歴史の中における感動する話は一部はあるものの、すべてがそうではなく、知りたくないことを知ることの方が多いかもしれないと思いつつある。

私の考えに反発される方、そうではないと思いたい方に私はお聞きしたい。

我々の日常生活において、涙なしに読めない感動的な話が、毎日発生しているのであろうか?
夫婦の会話、家族との会話、職場での会話において、感動することが毎日毎日発生しているのであろうか?

私は、なんとなく気が晴れない、むしゃくしゃした心理状態の人にとって、感動ものの話は、清涼飲料水以上の効果をもたらすことを否定しない。韓流ドラマや、お昼の不倫もののドラマを視聴するよりは健全であることは認める。

だが、感動的な話に慣らされることは、それ自体が一種の「洗脳」の範疇に分類されることを認めざるを得ないのだ。

だって、そうではないか。プーチンについては、ネットの世界では、親日家というイメージが先行しているではないか?メドヴェージェフは、その反対に、結構、悪意にとれるどぎついことを日本に対し言い続けているではないか。私には、メドヴェージェフ発言がロシアの本音であろうと思えて仕方がないのである。

従って、マッカーサーについて言えば、あの議会証言の件だけを認識することは、冒頭で紹介したような、GHQの洗脳シナリオに知らず知らずのうちに、嵌ってしまう懸念があると私的せざるを得ないのだ。

一方で、渡部昇一を含め、多くの保守系言論人は東京裁判史観が問題だとしている。戦後レジーム脱却のためには、東京裁判史観を打破しなくてはならない、としている。

本当にそうなのであろうか。東京裁判以前に、マッカーサーによって、歴史(戦史)が創られた可能性はないのか、ということに繋がるのである。



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2015年11月19日

山本五十六とキリスト教の係わりについて

実は、山本五十六がクリスチャンであるという趣旨の情報が存在する。

文献的にははっきりしない部分はあるものの、ネット情報で確認できるので紹介させていただく。。

実兄と孫がクリスチャンなのだそうだ。

山本五十六の実兄は、「13歳の時に戦場で置き去りにされた体験から、戦場で一番犠牲になる「民」を救うことを考え、それはキチンとした教育を教えることが大切だと考えるに至り、キリスト教の牧師になった」のだそうだ。

http://homepage3.nifty.com/k-haruaki/nagaoka-ojiya2.htm

山本五十六のお孫さんは洗礼を受けたのだそうだ。

縁といえば、山本五十六の孫と僕と笹川良一会長
http://blog.livedoor.jp/michael4649/archives/50922464.html


山本五十六記念館では、山本五十六が保持していた聖書の現物が展示されているのだそうだ。

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山本五十六の「聖書」 (中田安彦 / ジャパン・ハンドラーズと国際金融情報)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/489.html

記念館で販売している資料集から引用する。

(引用開始)

幼少の頃、キリスト教の牧師ニューエルから感化を受けている。ニューエルは長岡高校で英語を教え、ベースボールの指導もした。この聖書は山本五十六がアメリカ駐在時代に求めたもの。神道、仏教書なども読んでいた。

「山本五十六記念館展示図録」
(引用終わり)

………………………………

また、山本五十六は、カトリック信者で昭和15年ローマ法王に謁見したしたとの情報がある。

太平洋戦争と戦後を作ったフリーメイソンの走狗たち
http://www.millnm.net/qanda3/752KhxiDDRuYI44573.htm

これらの情報については、裏付けはないが、山本五十六とキリスト教は無縁ではないようである。

山本五十六フリーメーソン説は、どうやらこの辺の情報を起源としているのであろう。




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2015年11月14日

朝日新聞は南京で二度誤報した!?

いくつかの情報から、日華事変当時、中国で記事を書いてきた朝日記者の素性と素行を疑う必要があると思うに至った。

まず、以下の情報によれば、蒋介石は、南京虐殺というプロパガンダ作戦を意図していた可能性を指摘している。

南京を脱出し多くの中国兵士を見捨てた蒋介石・唐生智は何を狙っていたのか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-414.html

実際、南京は、虐殺の名所みたいな土地柄だったようだ。

南京は「大虐殺の歴史的名所」だった
http://blog.livedoor.jp/waninoosewa/archives/1560564.html

倉山満は、「負けるはずがなかった!大東亜戦争」という本の150〜151頁にて、かく記述がある。

………………………………

負けるはずがなかった!大東亜戦争

倉山満

150〜151頁

日清戦争の頃の日本は、伊藤博文が「首都を落としたから和平を結べなくなる」と言って、北京を落とす寸前で和議を持ちかけています。西太后が北京を出たくないと思っていることを知っていたのです。しかし、支那事変の時の日本は、朝日新聞に「南京陥落」の誤報をスクープされてしまったので、「それなら今から南京陥落しなきゃ」「明日までに落とそう」とやってしまう。しかもその時蒋介石はとっくに重慶に逃げています。支那事変は、日本では誰もやめることを考えずに始めてしまっているので、そもそも戦争計画などあるはずがありません。唯一まともな和平条件を考えていたのが石原完爾で、すぐに失脚してしまいました。

………………………………

倉山満は、たぶん、気づいているのであろう。

さて、南京陥落の誤報をスクープした朝日記者、何者なのであろうか?

蒋介石あるいは、共産党関係組織を繋がっていた形跡はないのか、私は疑っている。

その時点で、そういう記事を書いた人間が、戦後、南京虐殺についてどう報道したか、が確認できればいいのである。

もし、万が一ということになるが、戦後の朝日による南京虐殺報道の関係者であることが証明されれば、朝日は居場所を失うことになると予想する。




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2015年11月01日

明治時代 対米開戦を意図した人たち

倉山満の「保守の心得」という本にて、明治時代にアメリカに戦争を仕掛けようとした勢力がいたこと、その勢力の一派が猟官運動に熱心で、その頃に採用された官僚等が、大東亜戦争開戦時に政官界の重要ポストに就いている可能性があることを指摘しておきたい。

倉山満のその本には、その勢力の実態、その勢力のその後経緯について書いてはいない。が、その勢力が、昭和期以降の海軍主導の開戦について、どのような影響をもたらしたかについて、調べておく価値があると思う。

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80〜81頁

ここで日本におけるキャリヤ官僚制の成り立ちについて、少し触れておきます。明治初期の議会では板垣退助と大隈重信が野党ではあったものの衆議院の二大勢力でした。板垣退助は徴収、大隈重信は薩摩と組み、彼らのもとにいる連中は、「戦争をしろ!」「でも税金は下げろ!」というような、矛盾したことを次々に要求します。気に入らなければ法律を通さず、予算を潰し、内閣を総辞職に追い込むという、やりたい放題でした。
一番ひどかったのは、日清戦争が起こる二年前の明治二十五年です。「それほど言うなら清国と戦うから軍艦を作らせろ」という政府の予算請求を否決してしまいました。事態を嘆いた明治天皇が両者の間に入り、宮中の経費を削減し、何とか軍艦を建造させたいう信じがたい事件があったのです。
とうとう伊藤博文はサジを投げ、元老も不在状態となります。そして明治三十一年、「ならばお前たちがやってみろ」と、板垣退助と大隈重信による内閣がつくられます。いわゆる隈板内閣です。
すると案の上、内紛が激しすぎて会話にもならず、挙げ句の果てにはアメリカに戦争を仕掛けそうになる大混乱となります。そして、大臣や高級官僚の地位を権力者に働きかけて奪い合う猟官運動が盛んになり、行政そのものが立ちいかなくなるという危機に陥ります


131〜132頁
伊藤博文と山縣有朋、井上馨や松方正義に比して話が通じない男だったからです。彼らに共通していることは、全員が維新の戦塵を潜り抜けているということです。生死に直結したリアリズムを体験している彼らは、いかに生き残れるかを真剣に話し合えるわけです。そこに大隈が交ざれば話がまとまりません。大隈は「対外強硬」と「地租軽減」を同時に要求するような男です。首相のときは、アメリカに戦争を仕掛けそうになったほどです。


………………………………

なお、明治三十一年は、米西戦争、ハワイ併合が起きた年である。

1898年
https://ja.wikipedia.org/wiki/1898%E5%B9%B4



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2015年10月11日

山本五十六は戦時中の海軍の護衛隊・輸送船船員から相当恨まれていたようです

数々の名言に酔いしれている山本五十六ファンには、心外な事だろうが、戦時中の輸送船の船員たちが海軍上層部をどう思っていたのか、記述している本を見つけた。

「歴史から消された兵士の記録」(土井全二郎)から引用させていただく。

………………………………

1〜2頁

まえがき

本書に登場する主人公は、特例を除き、最前線で戦った将兵たちです。

中略

わたしは新聞の仕事で海運問題も担当していました。海運史を調べているうち、戦時中の輸送船の悲劇を知りました。船員たちは「軍馬、軍犬、軍鶏」以下に扱われ、満足な護衛もなく、戦火の海で出ていっています。
輸送船の船長をされていた方から、次のような手紙をいただいたことがありました。
「ある慰安婦のことですが、『軍属のなかでも、私たちの方が船員さんより位が上なのね』と威張っていた」と。この言葉は、当時の船員たちの置かれていた状況をまざまざと言い表しています。


88〜89頁
第三章
ソロモンの海で
山本連合艦隊司令長官戦死の報は、戦死後一カ月以上が経過した五月二十一日に発表された。六月五日、東京で国葬が行われている。
それだけ、山本長官(死後、元帥)戦死の与えた衝撃は大きく、国民の寄せる哀悼の念は強かったといえる。
ところが、この日本海軍最高位の人物の死を聞いて
「ざま見やがれ、バカ野郎」
そんな罵倒の声が、当の海軍部内の一角で起きたというから、おどろかされる。
ー元陸軍証左、堀江芳孝(82)=写真、当時は、第一海上護衛隊参謀として台湾・高雄にある護衛隊司令部にいた。
この第一海上護衛隊は内地とシンガポール間の輸送ルートの護衛が任務だった。だが、その陣容ときたら、まことに「お粗末なもの」であった。
「護衛艦は少なく、しかも連合艦隊の護衛艦の出し惜しみから、ポカチン(沈没)、ポカチンの連続で、海上輸送は悲惨の極みに達していた」
輸送ルートのうち、とくに南方輸送ルートは、戦争遂行に必要不可欠な戦略物資輸送のため、是が非でも確保すべきものだった。その生命線を支える輸送船団が、満足な護衛もなく、みすみす沈められていくのである。
このため、護衛隊司令部で指揮に当たる者たちは、無力感にさいなまれるとともに、自身も海軍に籍を置く軍人でありながら、船舶護衛に理解を示そうとしない海軍上層部に対する怒りは募る一方だった。
堀江は、ちょうどそのころ、陸軍の軍服を着て海軍司令部に勤務していたことになる。陸軍の船舶輸送と海上護衛の調整が仕事だった。かねて「山本長官を尊敬していた唯一の陸軍軍人」でもあった。
そこへ、いきなり飛び込んできた「長官戦死」のニュースである。大いにおどろいた一人だったが、「ザマ見ヤガレ、馬鹿野郎」との声には二度おどろきだった。
それもひそひその内緒話ではなかった。
「護衛隊の将校、下士官、兵から一斉に乱発された」(堀江・手記)

堀江はそうした声を聞きながら、この戦争の行方を案じている。

………………………………

堀江芳孝氏は、戦後、数々の著作を執筆しているようであり、この手記に書かれていることは事実であろうと推測する。

なお、山本五十六には、妾は数人いたようである。一人が、戦後手紙のやりとりを週刊誌に公表した方以外に、「ユダヤは日本に何をしたか」(渡部悌治)に、もう一人の妾の存在が書かれている。

つまり、山本五十六は、本書のまえがきにあることを実践していた一人ということになる。



waninoosewa at 14:58|PermalinkComments(2)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote