◆ 日本のいい話

2015年09月30日

フランスの牡蠣養殖を救った日本人

次世代の党のプリンス和田政宗議員による、NHK職員時代の取材経験に基づく情報です。

岸朝子先生と石巻と牡蠣の関係
http://ameblo.jp/wada-masamune/entry-12078548495.html



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2015年08月27日

硫黄島 レイモンド・A・スプルーアンス海軍大将の言葉

「祖国と青年」平成7年6月号に以下の感動的な記事があるそうです。


レイモンド・A・スプルーアンス海軍大将の言ノ葉
http://blogs.yahoo.co.jp/kgjbb/24543410.html

アメリカの青年達よ。  東洋には、すばらしい国がある それは日本だ。 
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/3787/


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2015年07月30日

真珠湾の記念館に展示されているもの

真珠湾の記念館探訪記 青山繁晴
https://www.youtube.com/watch?v=O8J6GtsaAOE

なんと、空母赤城の模型が見れるそうである。
内容的には、下記サイトと同様。


★ 真珠湾に行った青山氏、94歳の元兵士から聴いたこと。
http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/4020c1f2b3149f05483f6145ce6bdbf4

日本軍は実にフェアな軍隊だった。
軍事施設のみを攻撃する訓練された軍隊だった。
ハワイにある記念館では、日本軍を絶賛している。
日本軍の方がアメリカ軍の方がよっぽど先進的だった。
ハワイで攻撃されたのは日本が進んでいたが、勉強し直してミッドウエーで雪辱した。

戦争になった理由は、資源がなかった日本が絶たれて、やむをえず戦争になった。

新しいリーダーシップを日本とアメリカがフェアで求めた結果、戦争になった。


アリゾナ記念館
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%BE%E3%83%8A%E8%A8%98%E5%BF%B5%E9%A4%A8



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2015年06月01日

バルチック艦隊 沈没したウラジミール・モノマフ号の水兵を手厚くもてなした対馬住民の話

西村眞悟元衆議院議員のメルマガから該当箇所を転載させていただきます。

http://www.n-shingo.com/jiji/?page=1104

小茂田浜から山岳だらけの対馬の島を北上し、比田勝の民宿で泊まり、
 翌朝、五月二十七日、
 日露戦争における日本の運命を分けたロシアのバルチック艦隊と我が連合艦隊が激突した
 日本海海戦の海戦海域を遙か望める上対馬西泊の丘に行った。

 その丘には、連合艦隊司令長官東郷平八郎元帥が揮毫した「恩海義嶠」と刻まれた大きな石碑があり。
 日露両国国旗が掲げられるポールのもとに
 日本海海戦における総ての戦死者、
 ロシア軍四千八百三十人、日本軍百十七人
 の名を刻んだ慰霊碑が建てられている。

 この丘の下の海岸近くには清水のわき出る井戸がある。
 バルチック艦隊の沈没した艦船ウラジミール・モノマフ号の水兵百四十三人は、四隻のボートに乗ってこの北対馬の海岸に上陸した。
 疲労困憊して上陸してきた彼らを見た近所の二人の農婦が、水を欲しがる彼らをこの井戸に案内した。
 そして、この地区の人びとは、彼らに食料を与え傷の手当てをし宿を提供した。
 彼らは元気になり祖国ロシアに帰ることができた。
 この義挙を知った東郷平八郎元帥が、西泊に「恩海義嶠」の文字を揮毫した。

 世界が注目した日本海海戦(地元では対馬沖海戦という)は、百十年前の五月二十七日に行われ、
 連合艦隊が偉大な勝利を得た。そして、その後の世界史を変えた。

 「対馬沖海戦百十周年慰霊祭」は、午前十時半から慰霊碑の前で行われた。

 式には対馬駐留の陸海空自衛隊員が指揮官とともに出席し、
 ロシア連邦のエブゲニー・V・アファナシエフ駐日大使も出席した。

 式は、日露の国歌が流れるなか、両国の国旗が掲げられ、その下で黙祷をして始まった。

 神道による神事が行われ、次ぎにロシア正教のロシア人の坊さんの祈祷があった。
 香を焚き、それを慰霊碑にかけながら朗々と流れるロシアの祈祷を聞いていると、
 この海域で百十年前に亡くなったロシア人の魂が安らいでいるのを感じた。

 この五月二十七日の対馬沖海戦慰霊祭は、十年前の百周年を期して始まった。
 比田勝の武末裕雄氏をはじめ地元対馬の有志が力を合わせて資金を出して百周年祭を実現させた。
 私は、その時から参加させてもらっている。
 その時は、海上自衛隊が掃海艇を出して海戦海域近くを航行し、私は靖国神社の御神酒を海に注いだ。

 その同年、イギリスでは、トラガルファー海戦勝利二百周年に当たり、
 エリザベス女王陛下がお召し艦に乗船してイギリス艦隊を観閲した。
 私は、イギリスのトラガルファー海戦よりも、
 なお大きく世界史を変えた日本海海戦百周年を、
 日本国政府が主催し、自衛艦隊を出して勝利を祝うべきだと主張したが、政界の関心は高まらなかった。

 上対馬での式典の後、夜六時半から「日本を取り戻す」という課題で講演をすることになっている博多に戻った。同じ飛行機にロシアのアファナシェフ大使とロシア正教の坊さんが乗っていたので博多でお互いに、
「スパシーバー(ありがとう)」と言い合って分かれた。
 

waninoosewa at 20:50|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote

2015年05月11日

フィリピンの神風記念碑。フィリピン人が特攻隊員の銅像まで建てて保存

フイリピンのこの画像初めて見ました。

なおえもん(=ↀωↀ=)✧ ‏@oonaoto  これもフィリピンの神風特攻基地。
フィリピン人が特攻隊員の銅像まで建てて保存してくれてる。 

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https://twitter.com/oonaoto/status/596693174371782656




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waninoosewa at 12:39|PermalinkComments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Clip to Evernote