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バブを抱きしめながら入浴した時の「救えなかった」感は異常

2013年05月



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ちょっと疲れたのでアニメ上映会で休憩。なんか上映チョイスが渋い。Nie-7懐かしい!見たい!
ちなみに上からおとめ妖怪ざくろ、坂道のアポロン、好きだと言って、ニア、ニャル子、黄昏乙女×アムネジア、大戦記(これだけ知らない)、老人Z、右列上からサイレントメビウス、ジョジョ、アヴェンジャーズ(米制作アニメ)、最終兵器彼女、舞-乙姫、No.6、ドミニオン(士郎正宗の奴ね)である。


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アニメグッズ即売会へ行く。混雑が予想されるためか、販売ブースには定員制になっていて一度に50名前後しか入れない。おかげで長い行列を並ぶことになった。でもその分ブース内を広々としてゆっくり楽しめた。

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並んでいるとき。けいおんこっちでも人気あったのか。


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15分ほど待ってやっとブース入り。ちかくのおねえちゃんが『Wow!! テュォテュォロォォォォ!!!Fooo!!!』と大騒ぎしていた。発音いいから何のことかさっぱりわからんかった。

ちなみに販売スタッフは学生ではなく民間企業だった。僧都がよく行くアジア人街のヲタショップ『夢工房』と『蜜屋』の店主がいた。


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さっきのクマの謎が解明される。何しれっとカタログ化されてんだよ!


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エロエロしい抱き枕コーナー。みんな必死に物色しているためか、さわると汗でべちゃべちゃに湿っていてぞっとした。

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テニヌのコスチューム発見。サイズはXL。カナダ仕様である。


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5個で$6のワゴンコーナーにアヘ顔の魎皇鬼ちゃんがっ!ちょっとうれしかったが扱いのひどさに泣いた。時々でいいから天地無用のことも思い出してあげてください。

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やたら多い抱き枕屋。しかし手前の娘さんたちはなぜ美少女抱き枕を物色しているのか。


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あ、あれ?どこかで見たことある顔が・・・。密かに白人どもが2chを監視しているぞ!気をつけろ!

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八百屋の高級メロンのごとく高い位置で異彩を放つニャンコ先生。そしてこの顔である。


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同人コーナー。ほんのり漂うホモ臭。ちなみに大きいおにいさんおねえさん向け同人即売会は夜8時から開催です。(要年齢証明)

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描いてる絵もそうだが、売り子さんもみんななんとなく香ばしい出で立ちだった(腐臭的な意味で)。変なイントネーションでキーキー騒ぐのも日本と一緒だ。腐女子に洋の東西は関係ないのか。重ねて言いますが、あなた方が本領を発揮していいのは『夜8時から』です。

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あずにゃ・・・いえ、あずさん。こんなマッシブに描かれているの初めてみた。もっと知りたいな・・・あずさんのこと・・・(Byキモヲタ名言集)


本日の目玉の一つであるというVoice Actor握手会が開催されるというので再び行列に並ぶ。前にVancouverのアニメイベントに中田譲治が来て大盛況だったってニュースを聞いてたし張り切って待ってたのだが・・・。

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誰?

こっちで吹き替えをしている人でしたってオチだった。みんな大盛り上がりだったが、僧都もさすがにこっちの声優は専門外だ。色々撮影裏話をしていたが、結局飽きて途中退場する。

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そうこうしているうちに午後三時。Nie-7の上映会開始。これWowowでしか放送されてないから日本でも知名度激低で仕方ないっちゃ仕方ないんだけど、客の少なさに泣いた。面白いんだけどなぁ。057


一作品の上映時間は1時間15分、つまり3話分だ。ベストエピソードを編集してるのかなと思ったが、ただ単純にDVD一巻を流してるだけだった。それでも話が進むうちに会場が爆笑に包まれていき、その笑い声に引き寄せられたのか、最終的には満席になってた。よかったよかった。

日本人とこっちの人で若干笑いのツボが違っていたのも興味深い。とにかくこっちの人はぶっとんだネタが大好きで、日本人が好きな日常あるあるネタではくすりともしない。

メモっておいた外人爆笑ポイント

・屋根を吹っ飛ばして登場したニアの手作りダンボールUFOシーン。爆発ネタは大好き。

・その動力は何?と聞かれて『秘密!』、次のカットで冷蔵庫裏のコンセントから伸びる電源コードのシーン。

・インド系宇宙人の『ねえちゃんええ乳してまんな』と『この変態セクハラインド人!』の掛け合い。その他シモネタは悉く笑う。

・中国系宇宙人のアカっぽい人民ネタ。ここも中国人多い町からツボなんだろう。

・アフリカ系宇宙ボケ老人がカレーの辛さで死に掛けるとこと、ニアの『腹減ったー。もうこの猫食おうぜ』のシーン、まじめな吉岡さんが炎を見ているうちに徐々に放火魔として覚醒していくシーン。ブラックジョークも大好き。

てかインド人の変態行為ネタと中国のアカネタ、今の日本じゃ放送できんだろな・・・。


ニアが終わったので出て行こうとすると、どやどやと会場に人がなだれこんできた。何事かと思って次のプログラムを見てみると、『這いよれ!ニャル子さん』。

ニャル子もそうとうぶっ飛んだ作品だけど、あれ日本人の中でも結構コアなマニアじゃないとわからないようなパロネタばっかりじゃないか。なんでこんな人気なんだ?

これは興味がある。

そう思って引き続き上映会に参加した。
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すでに満席状態。立ち見者まで現れる。





♪(イントロ)われわれ(うー!)よれよれ(にゃー!) せかいはだーく(こずみっく!)






会場内
(」・ω・)」Wooー!
 (/・ω・)/Nyahー!
(」・ω・)」Wooー!
 (/・ω・)/Nyahー!
(」・ω・)」Wooー!
 (/・ω・)/Nyahー!

ちょwwwwwwwwwwwwww



え、なにこれwwwwwやばい腹痛いwwwwwwwwwwwwけどなんか怖いwwwwwwwwきめぇwwww

なにみんな普通にうー!にゃー!言ってんのwwwwwつかどれだけ完成されてんだよwwwヲタ芸かwwwww


この歌に中毒性があるのは日本人だけじゃなかったんだな。
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ちなみにメモっておいた外人爆笑ポイント

宇宙CQCネタ。僧都CQC(近接格闘術)って言葉知らなかったんだけど、こっちじゃ割りと珍しい言葉じゃないのかもしれない。まぁ英語圏の人間だしな。

名状しがたい~など、ラブクラフトのクトゥルー神話ネタは鉄板で笑ってた。日本ではあまり馴染みじゃないが、ボードゲームカードゲームの本場・西洋人にとっちゃそりゃツボにも嵌るか。真尋さんのSanity Point(SAN値)が低下していく表現ではテーブルバンバン叩いて、腸ねん転起こしそうなほど笑い転げていたおばちゃんがいた。

・「サッカーチームができるほどの子供作りましょう!」下ネタ大好き。

・クー子「ニャル子・・・・あかちゃん作ろ・・・・」同上。これはレズネタというのもあるのかもしれない。レズ大国だしな。

・とにかくエロシーンはひゅーひゅーうるさい。

・ニャル子の特撮風変身シーンは一部のファンが立ちあがって騒ぐ。

・スターウォーズOP風エフェクトシーンは会場全体から歓声。まぁこれは予想できた。

・真尋さんがBLドラマの主役に抜擢されたと言うせりふで、女性客からうれしい悲鳴。てかもう『BL』で通じるんだな。

・クー子「人は何かの代償なしに何かを得ることが出来ない。 これが等価交換の原則・・・」。コスプレにもいたがハガレン人気は異常。



逆に「?」な顔、若しくはスルーしたシーン

・「いや、その理屈はおかしい」「クトゥガァですが何か?」「三行で説明」などの2chネタ。まぁ当たり前か。AA顔文字は理解できても2ch独特の言い回しは日本語や文化を理解していないと難しいだろう。

・「ガザC!」「ザクレロ!」などのガンダムネタ。ガンダムは西洋人にはあまり人気がないと聞いていたが、どうやら本当のようだ。そういや確かにフィギュアショップはあってもガンプラショップはないな。なんでだろう。

「真尋さんは今まで食べたパンの数を覚えていますか?」「無駄無駄無駄無駄ァーーー!」「八坂真尋は静かに暮らしたい」などのジョジョネタ。「兄より優れた妹などいねぇぇぇ!」の北斗ネタ。北斗とジョジョはあまり人気がない。絵柄は劇画調でアメコミに近いと思うんだけど、逆にそれに真新しさを感じなくて敬遠してるのかな。

関係ないけど『無駄無駄』は『Useless!Useless!(役に立たない)』と訳されてた。これジョジョ三部がアニメ化されたとき最終戦でDIOの吹き替え声優死ぬんじゃね?語呂悪っ!

「にぃにのほうがいいですか?」「姉萌えですか?だったら真尋ちゃんのほうがいいですかね?」 これはちょっと面白い。英語圏の人は兄弟姉妹を名前で呼ぶので『妹なら』『姉なら』で一々愛称が変わったりしない。この辺の感覚は理解できないだろうな。だがこんなところで躓いているばあいじゃないぞ。日本には12人の妹がいて、それぞれが12通りの名で兄を呼ぶ作品があるのだからな。

「次回はもっとラブラブ展開!ラブクラフトだけに!」 あ、ここでは笑わないんだ、と思った。ラブクラフトって名前からLOVEって連想しないんだな。田中さん、農業しましょうよ。田中だけに。みたいな感じでありふれた苗字をいじるのって当たり前すぎて逆に思いつかないのかもしれない。ん?ラブクラフトってありふれた苗字か?

こんなところかな。とにかくニャル子上映中は終始大騒ぎだった。今までこっちの人と一緒にアニメ見たことなかったから色々勉強になったわ。

が、ここで大失敗に気づく。ニアとニャル子に夢中で、その間別のイベント会場で行われていたコスプレ大会と美少女フィギュア鑑賞会を見逃した。やっぱり計画はしっかり立てないとだめだ。

気がつけば夕飯時になってたので近くのスーパーに買出しに行く。

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五月も下旬だがやっとカナダでも桜が咲いた。


食事を済ませて戻ってくると格闘ゲーム大会が行われている。036


だが残念。僧都はあまりゲームをやらないので盛り上がれなかった。

体力ないのに朝からがんばってたせいか、ふだんぼっちなのにたくさん人と話をして疲れたのか、このあたりから頭が痛くなってくる。

できれば夜8時からのYAOI同人即売会と9時からのHENTAIアニメ品評会を見学したかったのだが、そこから二時間かけて家に帰ることを考えると少々きつい。

結局六時からの攻殻機動隊SAC上映会だけ参加する(ここも大盛況)

この作品に笑いの要素はないせいか、若干視聴年齢層があがった気がする。まさに大人のエンターテインメントだ。みんな静かに見ていた。

一話二話は結構お堅い政治軍事の話が中心だったのだが、第三話「ささやかな反乱」でセックスドールの話が出てきた時点で若干会場がわいた。やはりシモネタ好きは隠し通せないのか。

そして犯人がカナダ大使の息子だって判明するシーンで、


CANADA!CANADA!と声援があがる。


いwやwいwやwいwやwwwwwおかしいからwwwwwww

セックスドール事件の犯人が人形狂のカナダ人だって話ですよ!?

なんでこのタイミングで愛国心に目覚めちゃうのwwwwww




最後まで笑わせもらってから、僧都は家路についたのだった。

いやー久々にたのしかったわ。たぶん来月Vancouverで行われるAnime Evolution2013にも参加するのでそのときまたレポートします。






ぼく「ええっ今週の土曜日休んでいいの!?」

上司「ああ・・・しっかり休め・・・」

ヤッター

上司「日曜も休んでいいぞ・・・・」

→毒ガス

ではなくて本当に昨日今日と休みをもらった。

上司の話では日本の子供(修学旅行生のこと?)がホテルの部屋70%を貸しきって三日ほど滞在するので部屋掃除スタッフは最小限でいいらしい。日本人は部屋をきれいに使うからこちらの常識として日本人宿泊日=人件費削減日なのだ。

土日休みとはかけ離れたホテル業を、日本&カナダ合計で10年ほど過ごしてきたので驚いた。

そして何より驚いたのが、その日カルガリーで年に一度の祭典が開催されていることだ。

その名も



OTAFEST2013
http://www.otafest.com/

いやっほおおぃぃぃぃぃぃぃぃっ!


OTAFESTとはその名の通り、カナダのアニヲタのためのアニメフェスティバルである。一応南アルバータ州では最大の規模を誇る。

前々から行きたいなぁとは思っていたのだが、ホテルマンの宿命で土日休みがなかったら毎年諦めていたのだ。なのになんだこの奇跡。神いわゆるゴッドが僧都に楽しんでこいと囁いているのか。

日本のコミケなどとは違い、このOTAFESTは民間ではなくカルガリー大学主催で行われる。なのでどちらかと言えばアニメ方面に特化した学園祭に近い。とはいってもこの辺では最大規模の大学の、しかもほぼ唯一のアニメイベントということもあり日本のそれとは比べ物にならない。

でもいいよなぁこういうのって。モラトリアムで活力と暇をもてあますアニヲタたちのために大学側が場所と資金を提供して盛大に楽しむ。これこそが学園祭だ。リア充のためだけに開催されて、しかもそのリア充にすら相手にすらされてなかった僧都の母校の学園祭に比べたら雲泥の差である。

僧都は学生ではなく部外者のおっさんだから入場料がかかる。一日$35(日本円で約3500円、最近計算しやすいw)だそうだ。別に払わなくても大学内をぶらつくことはできるが、各種イベントには参加できない。カルガリーにはいつも行っているが、さすがに大学構内に入ったことはないので、あらかじめ駐車場エリアと昼飯を確保できるスーパーなどを確認しておく。ああ楽しみ♪

当日。とてつもない好天の中カルガリー大学に到着。


そして・・・017





































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人大杉


まだ午前10時前だというのにいるわいるわ、カナダのヲタたち。こっちに来てからアニヲタなど一度もであったことなどなかったが、実はこんなにいたのだな。ぱっと見、軽く1000人くらいいた。





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僧都の大好きなウルフウッドさんハケーン!こっちの人は写真頼むと惜しげもなくポーズをとってくれてありがたい。この人はグラサン取ってもイケメンだった。



011ゲームあんまり詳しくないけど、これFFの竜騎士かな?力作だ。







014こっちの人のゼルダ好きは異常。



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エド、ウィンリィ、大総統とハガレンコスは結構いた。この人美形だと思うのだが終始ぼっちだったのが気がかりだった。



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ヨホホホの人。みんなからボーン!ボーン!言われて目立ってた。見たとおり高足ブーツを履いているのでふらふらしてた。トイレとかどうするんだろう。



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ホントはキスショット女児だけ撮影したかったんだけど、親が俺も俺もと割り込んできた。ちなみに女児が両手に持ってるのはミスド・・・に見せかけて、カナダのコーヒー屋『Tim Horton』のドーナッツである。かかっ。




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左のおっさんは自分の正義に自信がない。






019なんのコスプレかはわからないが、本人たちがリア充なのか彼らのまわりはいつも人だかりだった。




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剣心でも助走つけて不殺を破るレベル。





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体は剣で出来ているが、エロエロしい抱き枕を購入しているところを邪魔したため若干キレている。





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こんなんセイバー違う!(おっぱい的な意味で)






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いるとは思わなかった金で動く人。てかアニメ化されてないよつばと!も人気なんだな。



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いまだ高い人気を誇るセーラームーン。え、なにカメラ小僧って日本カナダ関係なく青いチェックのシャツでリュック背負うのがデフォなの!?



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翠星石(38)ですぅ



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写真じゃ伝わらないけどめっちゃ美人だった。あといいにおいした。







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細っ!!





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ティロ・フィナーレ!地味にまどマギコスはこの人しか見つけられなかった。





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黄猿というか、モノホンの人にしかみえない。


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カナダも侵略成功じゃなイカ。そしてとなりにはインなんとかさんがいるじゃなイカ。こっちでもネタになってるのか?


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もうなにがなんだかわからない。





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そ、そんな餌にはつられないクマー!えっ何でこのネタ知ってるの!?

イベントの章へ続く

知ってのとおり、僧都は常々この世からスポーツなど無くなればいいと思っている。

別にスポーツが嫌いなわけじゃないし、それが健康にいいこともわかっているのだが、スポーツの『世界中の人に愛されて当然』みたいな風潮が大嫌いなのだ。

好きなホッケーチームは?

カナディアンと知り合いになると大体こんな会話から始まる。ホッケーはカナディアンにとって、日本でいうところの野球に当たるもの、いやそれ以上であり、向こうはホッケーが好きなこと前提で話しかけてくる。そいつらの認識ではそれが当たり前なのだ。

これをAKBに置き換えたとする。飲み屋で隣の席の男に、推しメンは?とか聞かれたら『はぁ?』となるだろう。ファンにとっちゃそれが当たり前なんだろうが、それは飽くまで個人的嗜好の範疇なのだ。自分の嗜好がスタンダードなのだと思うその傲慢さがどうも好きになれない。

甲子園観戦をしながら泣いている人がいる。うちの母親もそうだった。それがさっぱり理解できない。

北海道代表と雖も会ったこともない知らんあんちゃんたちが野球をしてるだけなのに、よくそれほどまでに熱が入るものだ。たぶん僧都はたとえそいつらが知り合いであっても感情移入なんかできない。


『大阪で行われた世界陸上、競歩での話です。』

『はぁ。』

大阪出身の脳筋の後輩ちゃんが語った。

『選手がスタッフの誘導ミスでコースアウトして失格になりました。明らかにスタッフのミスなのに救済措置は一切とられずに、そのままでした。その選手はそれで北京オリンピック出場を逃したんです。』

『はぁ。』

『知ってますか?競歩は50kmを歩くんです。ただ歩くんじゃありません。特殊な歩行姿勢を保ちながら、5時間半を歩き続けるんです。地味ですがあれはどんなスポーツよりも過酷なんです。試合後に一週間歩けなくなる人だっているそうです。』

『はぁ』

『そんな選手が、五時間戦い続けて、四年間練習に練習を重ねた選手が、スタッフのポカで全てを失ったんです!』

後輩ちゃんの演説に力が入る。

『私この間、ホテルの部屋掃除を13部屋しました。』

『は?』

『本当は14部屋だったんですが、うち一部屋がDND(Do Not Disturb 部屋に入るな)カードがドアにかかってたんです。』

『はぁ。』

『わたし13部屋がんまりました。夕方までかかりました。そして最後の部屋が終わったときに気が付いたんです。』

『・・・。』

『そのDNDの部屋のカードが、MURP(Make Up Room Please 掃除して)に変わってたんですっ!わたしそのとき、その競歩の選手を思い出しました。あんなにがんばったのに、あと一歩のところで、自分に関係ない他人のせいで、私は裏切られたんですっ!』


いや競歩とおまえの例、似ても似つかんだろ。と思ったがあまりに悔しそうだったから黙ってた。

これは極端な例だが、結局感情移入というのは自分の経験にどれだけなぞられるかにかかっているのだろう。その人が知り合いかどうかなどはあまり問題ではない。僧都は今まで生きてたなかで野球に触れ合う機会がなかったから、彼らの努力とかが理解できないのだ。

そんな野球では一切泣けない僧都も、作られたフィクションなどでは涙もろい。

初めて泣いた小二のとき、作品はあの『ごんぎつね』である。まんが日本昔話スペシャルでアニメとしてみたのだ。

見終わった後、泣いてる顔を見られるのが恥ずかしくて無言で自室に閉じこもってしくしく泣いていたので、家族が僧都の様子がおかしい病気か!?、と大騒ぎになったのを覚えている。

いたずらきつねのせいで母親に孝行できずに死なせてしまった鈍臭いけど心優しい兵十と、せめてもの罪滅ぼしに木の実をせっせと持ってくる仔ぎつねごん。

『ごん、おまえだったのか。』

の一言で涙腺が決壊した。なんで今頃気づくんだハゲ!とも思うのだが、兵十の身の上を考えると一概にも攻められない。なんとも怒りのぶつけどころがなく、ただ泣いた。


最近小学生の書いた『ごんぎつね』の感想文が物議を醸しているらしい。

悪いことをしたんだから、報いを受けるのは当然。
こそこそ罪滅ぼしするなんて汚いやり方をしたごんは、撃たれて当たり前。

とのこと。

なるほどそれは考えもしなかった。

それに対して大人たちが、これが小学生の感想か、日本はどうなってしまうんだ、みたいなことを言っていた。

いや別にいいだろ。大人たちが望む模範的小学生の回答がされなかったからといってそれを攻めるなんておかしい。

もし僧都に子供ができて、その子がそういう思想をしていたらとてもうれしい思う。どこまでも凡才でいつも大人を喜ばせるような模範的小学生でしかなかった僧都は、自分にもっていない感情をもつその子の思想をどこまでも伸ばしてあげたいと思う。叩き潰すなんてとんでもない。


むしろその子は非常に児童らしい発想をしている、と僧都は思うのだが。


この物語ごんと兵十、双方向からこの一連の悲劇が綴られている。もちろん作者である新見南吉も読者がそうなるようわざと二視点で描いているのだが、ここに彼の叙述トリックがある。

彼は結局最後まで、ごんが人間と意思疎通を図れるかどうかについて言及しなかったのだ。

童話では多くの場合、動物と人間が会話を交わすことができる。ごんぎつねは児童文学であり、読者である児童はこれまでの読書経験上、物語世界において動物と人間の意思疎通が行われても、それを疑問に思ったりはしない。

ましてやごんは人間と同じ思考をもっていることが作中で明言されている。人間の子供のように特に意味もなくいたずらをしたり、孤独を感じたり、意地を張ったり、兵十と自分の境遇を重ねたり、罪滅ぼしの方法を考えたりする。

だから読者は年齢が近いごんに感情移入ができるのだ。そこで、ごん=児童の構図ができる。

まだ社会をうまく立ち回れない児童は、自分の犯してしまった罪を反省するが、どうしていいかわからない。だから児童なりに考えた方法で贖罪しようとする。(結果兵十が魚屋にボコられるわけだが)

児童なりの不器用さと、兵十の度重なる誤解が全ての原因なのだ。

だが、そのごんが人間の言葉を自在に話すことができるのならば話は違ってくる。はじめから悪気はなかったと事情を説明して謝罪をすれば今回の悲劇は起こらなかった。

ごんが人語を解する場合、彼には兵十の母親の件に関して説明責任がある。つまらない意地を張り、謝罪の言葉がないまま、送り主不明にしてつらつらと物品を届ける、というのはあまり感心できたことではない。『児童ゆえの不器用さ』でごまかしてはいるが、つまるところただの自己弁護と自己満足でしかない。やはり直接会ってまず頭を下げるべきである。感想文の児童はそのことを指して『こそこそした罪滅ぼし』と糾弾しているのだ。

作者は、敢えて、であろうがこの物語でのごんと人間の意思疎通について言及しなかったが、おそらく

『ごんは人間とほぼ同じ思考パターンをもってはいるが、人間の言葉を話すことはできなかった。』

というのが正解だろう。もっともわざわざそれを文中で説明するのは興ざめだし、そこは読者も空気読んでわかってくれよ、という意図があるのだ。

感想文の小学生は、小学生であるがゆえに、その『物語なんだから動物人間の意思疎通に関しては、ね?わかるでしょ?』という暗黙のルールが理解できなかった。だからこそすぐに場の空気を読んでしまう人にはできない盲点、ごんは『人語を解するにも関わらず、謝罪の言葉をいわなかった卑怯者』と考えた。

感情移入すべきは兵十。

これは兵十という人間と、(仔ぎつねとは表現されているが)不器用な児童、つまり人間同士の物語であり、同じ人間である以上、いくら同情すべき身の上であるとはいえ、罪を犯したごんに肩入れする理由はない。物語中ずっと被害者であった兵十の立場で考えるべきだ、その子はそう考えた。これがリアリティというものだ。

それを大人たちが小学生らしくない感想だ!というのはあんまりだ。その子こそ、児童ゆえに社会のルールが理解できていない『ごん』なのだ。そんなことをすれば児童はリアリティを勘違いする。混乱してしまう。

その子は、当たり前だが、人語を解することができ、ごんにはできなかった『大人と話すこと』ができたから、大人たちから糾弾された。これは社会の大人たちのよる『児童ならば思考も言動も不器用であるべき!』という押し付けだ。ごんを殺すのは社会の大人たちだ。




『ごん』つながりだが、H×Hのゴン=フリークスに感情移入できないという意見をよく目にする。


「お前も狂ってるな オレとは違うところがだが」


ゲンスルーがゴンをこう評した。

確かにゴンの言ってることはめちゃくちゃなところが多い。クラピカに復讐は駄目だと邪魔しまくるが、自分はカイトの復讐でキルアの制止を一切聞かずに自ら再起不能になるまで相手をボコボコにする。キルアの殺人は許しても旅団の殺人は許さない。しまいにゃ「俺はいいの!でもキルアは駄目っ!」

物語というのは完成品である。完成された性格のキャラが完成されたストーリーをなぞる。人々の営みの中である程度完成された部分を抽出したものが物語である。

だから主人公は、そういう演出じゃない限りは、ブレない。ラオウはパンチラに気をとられたりしないし、べジータは服屋で『これのSサイズありますか?』なんて聞いたりしない。飛影はそんなこと言わない。

しかし現実世界の人間は完成品ではない。どんなに自分のキャラクターをもってる人間だって、たまにはそれに反することもする。朝令暮改な矛盾していることも言う。そうしないと生きてはいけないのだ。

ゴンは創作物のキャラにしては狂っているかもしれないが、現実的には非常にリアルな性格をしている。あの年齢を鑑みれば場当たり的で刹那的行動をとるほうがとても自然で人間的だ。しかもあの世界は、今我々生きている世界とは全く違うものであり、我々のもつ宗教・道徳観とはまるで違う次元で動いている。日本と隣国ですら価値感が違うのだ、別世界のキャラに感情移入できないのは当然と言える。

むしろ現実世界を舞台にした物語なのに、主人公に全く感情移入できない物語のほうが問題だと思う。

前に中国で

日本アニメ・漫画で主人公の性欲が消失しているのはなぜ?

というスレが立ったのだそうだ。ご指摘ごもっとも。

やりたい盛りの高校生主人公が、ハーレム状態にも関わらず誰一人肉体関係にならない、というのはやはりちょっと不自然だ。ある意味こういう主人公のほうが狂ってる。

まぁいわゆる大人の事情ってやつだろう。

ラノベとか読んじゃう読者層は自分からアタックせずに、美少女にちやほやされたり迫られたいという願望がある。まずこれが第一。

しかしそこでリアルに盛りのついた主人公を登場させると、それはただのエロゲーと化してしまう。恋愛メインの話に持っていかれてしまい、ストーリーを進めるどころではない。これが第二。

だからといって主人公が美少女たちから徹底的に嫌われていて、そいつらが別の男とくっつきまくるというのは、あまりに現実的過ぎて悲しい。第三。

結局妥協案として、性欲なし主人公に落ち着くのだ。


最近熱血スケベ馬鹿キャラというのをめっきり見かけなくなった。グレンラガンのカミナを見たときには逆に新鮮に感じたものだ。

たしかに僧都の生まれる前の1970年代にはそういうキャラが全盛期であったのだが、ある時期を境にしてそれがぱったりと減った。

誰が熱血スケベ馬鹿を殺したのか。

かなり前に読んだのでちょっとタイトル失念をしたのだが、それは少年サンデーだ、というコラムを読んだことがある。

言わずもがなサンデーはジャンプの宿敵。ギャラクティカファントムぅぅぅ!とか熱血王道を突き進むジャンプに対し、サンデーはある対抗策を練った。

それが熱血殺し。


当時野球漫画と言えば熱血漫画の王道だった。巨人の星や侍ジャイアンツなんてど根性ものが大流行していた時代である。

だがそこに異色のキャラが現れた。それが『タッチ』の上杉達也である。真っ白に燃え尽きるまで戦う主人公が当たり前の時代に、達也はやる気なしのお調子者主人公だった。兄へのコンプレックスや幼馴染への淡い恋心、というもっさりとした動機で野球をはじめるが、結局最終回では、宿命のライバルからの再戦申し込みに

『もういいよ。疲れるから。』

と言い放った。今で言うところの省エネ主人公・折木奉太郎みたいなキャラである。

かすってはいるものの若干タッチ世代じゃないのでよくわからないが、当時としてはかなりセンセーショナルな幕引きだったらしい。

当時の時代背景もあったのだろうが、ここでやる気なし=かっこいいの概念が生まれた。


ほぼ同じ時期、うる星やつらで明らかに巨人の星を小ばかにしているキャラが生まれた。目に火をともして熱血キャラを演じてはいるが空回りばかりしているピエロ的立ち位置。

熱血=かっこわるいの概念の構築。

そのころもうすでに若い世代は熱血に疲れていたのだ。熱血の世代が高齢化して、若い世代にそれを求める。こんな鬱陶しいことはない。若い世代からの熱血キャラ人気は次第に凋落していき、やる気なしキャラへの感情移入が増え始める。

そしてその後に生まれた社会現象にもなったパトレイバー。熱血バカ主人公を諌めるのに登場した昼行灯キャラ・後藤隊長。

やるときはやるが、基本的にはやる気なし。いつも周りに振り回されるやれやれ系キャラであり、ラノベ主人公のプロトタイプである。

この三大人気漫画が熱血独走状態だったジャンプの動きを制動させたのだ。


ここまではよかったのだが、ここで少年漫画の主人公の年齢で、ちょっと疲れ気味のやれやれおっさんキャラの創作という矛盾が生じてしまった。それと平行して読者層の高齢化が進み、やれやれ疲れ読者がやれやれ疲れ主人公を読むという状況になった。みんなやれやれ。

やれやれ系の人気はわかるが、社会人読者がからみて、16~7歳のキャラがやれやれ言ってるのをみるとちょっと腹立つ。しかもやるときはやるので敵に対して主人公が説教したりする。それも腹立たしい。

おまえに社会の何がわかるんだ、と社会人読者が怒り出す。そうして、「あーあ、最近のアニメ主人公は感情移入できないなー。俺の若い頃はー」と始まる。いやもうそういう人は少年アニメコンテンツ卒業の時期なんだよ、という話なのだが、こればっかりは仕方がない。

少年主人公作品を読むおっさんの構図はこれからどんどん大きくなっていくだろう。そしておっさんが主人公像を求め始めるのだ。自分に都合のいい、自分を気持ちよくさせる、決して自分の意に背くことのない主人公。

実際には社会人ほどではないにせよ、高校生たちだってコミュ症だったり、非リアだったりする毎日やれやれ思っていることだろう。

だがそれを世の大人は許さない。高校生なんだからもっとバカやれ。高校生らしく暴走しろ。そうやって疲れた俺らを楽しませろ。なにがやれやれだ、調子乗んな。疲れてんのはこっちだ。空気読め。

子供への子供らしさ強要。

そうやって我々はまたごんを殺すのだ。


昔働いてたホテルの社長が言っていた。

「泣かせる作品というのはつまらない。作者が『ここをこうすればお前ら泣くんだろ』という意図が見えるからだ」


まぁそれはそうだろう。

笑いのツボがあるように、AVのフィニッシュポイントがあるように、ある手順をふみさえすれば人は簡単に泣く。たぶんそういう風にできているんだろう。

僧都の場合は、『小さいものが必死に何かをがんばる』

ごんぎつねのごんのような小動物、小さい子供、格闘マンガにおける力の小さいもの、貧乏人などの財力の弱いもの、とにかくそういう弱者が弱いなりに何かを必死にやるというのが僧都の泣くポイントだ。

余談だがカウビの最終回は皆泣いたといっていたが、僧都は感動はしたものの涙はでなかった。スパイクは決して弱くなかったし絶望的力の差というものもなかったからだ。

さておき三月に帰国したときに、姪のりおが最近銀魂に嵌っている(着々と進む腐女子化)と聞いて、予習のため毎日視聴していた。



なんかマダオの話で涙が止まらなかった。



一応説明しておくと、マダオとは『まるでダメな男(夫、大人)』の略である。

いまだかつて、『マダオ』ほどまるでダメな男を的確に名状したものがあっただろうか。『マダオ』というイントネーションすらその隠しきれないダメさ加減があふれ出ている。マダオという言葉のマダオ感が尋常じゃない。

本名は長谷川泰三。高級官僚から落ちぶれて職を無くし、妻に逃げられ、住所不定のダンボール生活。日々アルバイトで生計をつないでいる。

そんなどん底の生活でありながらも必死に生きているさまに心動かされる。痴漢冤罪で捕まったとき

『人一人吊るしてもちぎれない位の丈夫な縄は持ってきてくれた?』

とか

『どうせ神様は俺の事が嫌いなんだろ?俺もお前の事が大嫌いだ』

とかの切実なせりふが、笑いどころなんだろうけど、涙を誘う。


そんな状態であっても他のマダオのために自分のチャンスを棒に振ったり、苦しくても自分の生き様だけは曲げないような男気はあるが戦闘力皆無だし、器用貧乏だったりと、妙にリアルなおっさんだ。少年漫画にわざわざでるキャラではない。

銀時も他のキャラはヅラだのゴリラだのあだ名で呼ぶのに、彼だけは『マダオ』じゃなく『長谷川さん』と敬称で読んでるところがとてもいい。二人でギャンブルに出かけたり、仕事紹介しあってたり、ピンチのときはお互い弁護士になったりダンボールで鎧作って駆けつけたり、変に仲がいいし。

地味に今までなかったキャラだ。酒癖や女癖が悪いけど、主人公を影から支えるようなイケメンおっさんは山ほどいたが、本気でダメなおっさんは過去の作品でもそういなかったように思える。

でも人気投票ではかなり低いようだ。銀魂の視聴者は7割が腐女子だというが、人気はやはり銀時、土方、沖田、高杉の見た目イケメン系に集中しているようだ。

母ちゃんの銀魂好きは異常、というスレを見たが、女性も年配になると人気ががらりと変わって桂や近藤のような豪快大胆な生き様系に人気が集中するも、やはりマダオは出てこない。女性からみればやはりマダオという選択肢はないのだろう。なんかさびしい。あの魅力はたぶん中年男性にしかわからないんだと思う。

うちのりおもマダオがでるだけでゲラゲラ大笑いしていた。劇中でもそうだが、マダオは子供たちにとって笑いの対象だ。他のキャラにはそれぞれ子供にとってバトルシーンなどかっこいいところ、汚名返上シーンはいくらでもあるが、マダオ話には子供が見直すような派手なエピソードはない。子供にとっちゃマダオはマダオのまま遠慮なしに笑えるのだろう。


考えてみれば同じCV立木文彦の碇ゲンドウも、総じて見ればマダオだ。身も蓋もなくいえばあいつはコミュ症嫁ストーカー以外の何物でもない。

僧都の大好きなFate/Zeroの雁夜おじさんもマダオじゃないか。いやというかあの作品場合、切嗣も含めてマダオじゃない人間を探すほうが大変なくらいだ。

そういえばDTBの黒さんも二期からマダオだ。

ぼのぼのもスナドリネコさんやアライグマの親父、ヒグマの大将などダメなおっさんオンパレードだ。

僧都の好きなアニメ、安心のマダオ率だ。



世界が徐々にマダオに移行しようとしている。読者の高齢化、やれやれ高校生主人公の否定、子供が混乱しないリアリティの追求、それらが絡み合って、マダオが世界に降臨した。

マダオはメタ世界と作品中を行き来できる存在。現実だろうが物語の中だろうが関係なくどこにでも顔を出す。それに対して大人はリアリティねえぞ!と否定しないし、子供はそのありのままの姿を屈託なく笑うことができる。

やっとごんを殺さなくていい世界がやってきた。

『マダオ』という名のやさしい世界が。


そうだな……わたしは『結果』だけを求めてはいない。
『結果』だけを求めていると、人は近道をしたがるものだ………………
近道したとき真実を見失うかもしれない。やる気もしだいに失せていく。
大切なのは『真実に向かおうとする意志』だと思っている。
向かおうとする意志さえあればたとえ今回は犯人が逃げたとしてもいつかはたどり着くだろう?
向かっているわけだからな………違うかい?」

                               荒木飛呂彦『ジョジョ奇妙な冒険』第59巻

ジョジョのシリーズを通してのテーマは『人間賛歌』なのだそうだ

五部、VSキングクリムゾン戦では人の『真実に向かう意志』にスポットライトが当てられている。結果ではなく過程にこそ価値があるのだ、と。

過程をすっとばし、結果だけを現出させるキングクリムゾンに対するアンチテーゼだろう。自分の存在という『結果』隠蔽し続け、また自分だけが『結果』を観測・掌握できる、そんな『真実に向かう意志』とは真逆の存在であったディアボロは、GERによって永遠に結果のない過程だけを行い続けるという罰を受ける。


こんな心理実験がある。

肥満傾向のある被験者をA,Bのグループに分けてそれぞれ部屋に通す。

Aグループ部屋には殻つきの落花生を皿が置いてあり、Bグループ部屋にはすでに殻がむかれたピーナッツが置いてある。もちろんそれらは自由に食べていい。

実験後部屋を調べると殻つきの落花生はほぼ手付かずであったのに対して、ピーナッツの皿は空であった。

この実験、肥満ピープルは殻すらむかないほどものぐさか!ということではなく、問題はBのほうにある。

人は過程(この場合殻むき)を経ずに得た結果(向かれたピーナッツ)には満足感を得にくく、どこまでも食べ続けてしまうのだそうだ。

過程を経ずに結果だけを手に入れるというのは、時間短縮や労力の省エネなど一見合理的であるかのように見えるが、その実、いつまでも満足感を得られず、余計に作業が続いて本末転倒なことになる。

この実験でわかることは、肥満というのはやれ体質だ、遺伝だの言われているが、要は結果だけを欲する合理的思考の持ち主ほど太りやすいということなのだ。

また困ったことにそういう人間だからこそダイエットが続かない。痩せるという結果ために、最大限努力という過程を経なければならないわけだが、その合理的思考ゆえにすぐに結果のでない過程に我慢がならないのだ。

肥満を解消する最善の策、それは過程を楽しむこと。過程をいちいち記録するレコーディング式がダイエット最強と言われている由縁である。

学生時代、全く家事が出来ない状態で一人暮らしを始めた僧都にとって最大の問題はやはり自炊だった。今まで実家で自動的に出されていた料理を、うまくねぇとか文句言いながら食べてたのに、いざ実際に作ってみると何一つ自分で作れない。初日は何時間もかけてできた水分だらけのカレー臭のするスープ(≠スープカレー)をごはんにかけて泣きながら食べたのを今でも覚えている。

毎日本やネットで研究してやっとそこそこ食べられる料理が出来たときには感動した。その味は世界で一番おいしい料理にすら思えたほどだ。

やはり過程を経ると、結果の満足感充足感がハンパない。


合理化が進んだ現代社会では、過程を経ないで得た結果、完成品だけが蔓延している。

すでに加工された肉、頭と内臓を取られ開かれた魚、食べやすいようにきれいに洗われカッティングされた野菜。さすがに都市伝説だと思うが、若い世代は海では味の開きが泳いでいると信じているなんて話もある。

その裏では生産者たちの血の滲むな労力が確実に存在する。しかし我々はそういったものに眼を瞑り、あるいは本当に知らずにその結果、うわべの部分だけをなんの苦労もなく享受している。

食材だけの話ではない。世の中は完成品だらけだ。漫画・アニメ・ゲームなど作品の出来だって、我々には想像も付かないような努力がなされているに違いないのに、液晶画面の前では『ツマンネw一話で切ったはww』とかあまり社会に貢献していない大きいお友達が文句を垂れている。

別に悪いことではない。これが合理的社会であり、不要な苦労もなく自分のすべきことに集中できる。

ただ人ってのは贅沢なもので、そうやってぬるい現実に肩まで使ってると、それにすら飽きてしまう。養豚場の豚、なんてことは言わないが、簡単に飼料が手に入って摂取しては排泄している自分がとてもつまらないものに思える。

最近チャイナタウンに嵌ってて、休みのたびに意味もなくブラブラしている。スタッフの少ないレトルトパックだらけのカナダ系食品量販店に比べ、さっきまで水槽で泳いでた魚を捕まえてかっさばき、蒸された子豚が吊るされ、鶏の足が20本セットで売られ、ど汚い謎の薬草が異臭を放っている中華食材店を見ていると、ああ、自分は命を食べて生きているのだな、と実感する。綺麗なものなど何もないし、生きると言うのは綺麗事じゃないんだということに気づかされる。

綺麗なものばかりが軒を連ねる現代社会だからこそ、過程を知りたくなる。

まったく尊大な話だ。先人たちが苦労して、なんとか消費者に面倒が被らないよう隠蔽してきた過程を、その子孫である我々はまた切望している。

だが殺伐としてどこまでも汚い過程を体験するなど今のぬるま湯につかりまくった我々には到底できたものではない。一体誰が素手で野生動物を捕まえられるだろう、誰が愛くるしい仔うさぎを屠殺できるだろう。

だから我々は、過程を疑似体験で楽しむ。

本人にストレスなく、手も汚れない、完成された過程を楽しむ。我々は過程すらも結果化させてしまったのだ。

現実のうさぎを殺せなくても、画面の向こうの強大なモンスターはいくらでも狩ることができる。そのモンスターから有益なアイテムを奪うことが出来る。そうやって過程欲を満たすのだ。

なんでもいいのだが、たとえばドラクエ。身も蓋もなく言えば、あれは勇者が魔王を倒す、その過程を楽しむそれだけゲームだ。結果がわかっているのだからあえてそれをやる必要はない。そもそも魔王を倒したところで得られるものなどなにもない。アポロチョコ一個のカロリーだって摂取できない。やることのは面倒な指の運動だけだ。

そんなに魔王を倒したければ、タイトル画面からいきなり魔王戦が始まるゲームがあればいいわけだが、そんなものはまず売れないだろう。

それどころかRPGをしていても決してラスボスを倒さないという人々がいる。ラスボス直前でゲームをやめるのだ。ラスボスを倒すことが目的であり結果であるはずのRPGでそれを否定し、いつまでも過程のままにしておく。過程至上結果全否定主義者である。

気持ちわからないでもない。推理小説でもうちょっとで犯人がわかるから読み進めたいけど、犯人がわかっちゃうと話が終わってしまうから読みたくない、という感覚に似ている。もっともそれで本当に続きを読むのをやめる人間はいないと思うが。

たとえばエロゲーもそうだ。あれはものすごい手間をかけてエロ画像をみるという壮大な『過程』用ゲームである。実際ネットさえ繋がってればエロ絵など見放題だし、もっとすごい部分が丸見えなのもある。だが自分で手間と努力をかけてやっとみることができるエロ画は喜びも勃起度もひとしおなのだ。簡単に閲覧できるエロ画をわざわざハンデをつけてみる。そういう娯楽なのだ。

半年前、うちの職場のフィリピーナが『結婚するために一旦国に帰る』と言った。

それ自体は別に珍しいことではない。自然環境の厳しいカナダは移民政策に力を入れている。言い方は悪いが白人様が忌避するので、貧困国の労力をかき集めることでしか発展できないのだ。

フィリピン人の場合、カナダで五年働くと移民権が手に入れることができる。カナダ国籍の獲得後にフィリピン人彼氏と結婚すれば、彼氏はカナダ人との結婚ということになりカナダ国籍が手に入る。もちろんその子供は生まれたときからカナダ人であり、全員がカナダの社会保障の被権者となる。 よくは知らないが、お国柄フィリピン人男性はあまり働かないらしく、基本的にはみんなヒモのようになっており、彼女が海外に出稼ぎにでてるのがデフォなんだそうだ。だからうちの村はフィリピン人女だからけだし、数年すると腹ぼてになって、そのまま都市へと引っ越していく。

フィリピーナ「(去年)11月に結婚する」

ぼく「うん」

フ「んで2月に妊娠した状態で帰ってくる。」

ぼく「えっ」

フ「そして7月にまた国に帰って、そこで生む。」

ぼく「えっ」

フ「全員カナダ人になれる。」


なんか驚いた。

11月に帰国して結婚する。んで2月に妊娠状態で帰ってくるってことは、つまりものすごい勢い頻度で『仕込み』をしなきゃならないだろう。うちの仕事は年三ヶ月がバケーションの限界だ。それ以上だと解雇される。つまりカナダに戻ってきた後に腹ボテのまま出産予定日一ヶ月前まで働く。そしてまた一時帰国。

いや、あなた初産ですよね。

向こうの国ではそれが普通なんだろうけど、なんというか、結婚・妊娠・出産すべてが淡々&簡単でびっくりした。

ろくに働かない男と結婚するまでの葛藤、とか妊娠しながらの重労働、とか初めての出産に対する環境等の不安とか、そういうものが一切ない。ただ計画通りに淡々と進めるのだ。そして何がすごいって今5月だけどその計画が8割方達成されているということだ。

僧都が日本人で日本メディアの中で育ったからだろうか。

結婚はお互いの心が通じ合った愛する人と(キュピ)、妊娠中は○○は禁物だゾ(キュピ)、生まれるまでの夫婦の心は二人三脚で(キュピ)、おなかのなかにいるのは天使ちゃん(キュピ)

てな感じで結婚、妊娠、出産というものにものすごいロマンチックフィルターがかられており、なにか神聖不可侵のように思っていた。

僧都の若い時分にはトレンディドラマ()が全盛期であり、小奇麗な二人が結ばれるまでの紆余曲折した過程が延々と何話も放送されていた。そうしてようやく結ばれる最終話では、熱く燃え盛ったベッドシーンなんてものは一切なく、ピュアピュアなチッスで締めくくるのだ。

だから日本人は勘違いし始めたんだと思う。


『わたしは中にぴゅっとするだけ』


という便秘薬みたいな行為をするというただそれだけのゴール、つまり『結果』を、ものっそ遠まわしにして楽しもうとしたのが現代日本人だ。

愛する人とのセックスは気持ちがいい。人類が生理的に味わえる最高のエクスタシーがセックスだ。

だからその最高の悦楽を可能な限りお膳立てしたのが、今の現代恋愛だ。簡単にできるより、なかなかできずに我慢して我慢してやっとできたほうが気持ちがいい。それこそ便秘者の発想だ。

男はともかく、女性は近づいたり、離れたりやきもきしたほうがときめく。『ときめく』なんていえば聞こえがいいが、要は濡れるということだ。

性生理学的に言えば、たくさん濡れたほうがいい。いや潤滑的な意味じゃなくて。

女性の膣は雑菌の繁殖を防ぐためにデーデルライン桿菌という乳酸菌が乳酸を作りだし、膣内をph3.5という強酸状態で保っている。

それに対し我々の精子は弱アルカリ性で、膣内に放出されても多くはその強酸の海で消滅してしまう。

これじゃいつまでも受精できんじゃないかという話だが、人間の体はよく出来ているもので、女性はある程度『感じる』とアルカリ性のバルトリン腺液を分泌する。そうすると強酸状態であった膣内は中和され、精子も元気に卵に向かうことができるのだ。

要するにいっぱい濡らしたほうが(=ときめいたほうが)妊娠しやすい。

生物の本来の目的は繁殖であるので、ちょっと下品だが、女性は本能的にときめく(=濡らす)チャンスを求めている。そのほうが効率的に繁殖できるからだ。

だから女性はやきもき恋愛ドラマに嵌る。結果であるセックスを遥か彼方へ遠ざけて、近づいたり離れたりして自分のデーデルライン桿菌を中和しようとする。セックスよりも恋愛に重きをおく、これは本能なのだ。

男はもっと単純、ただぴゅっとしたいという感情が大半を占めているので、そのために女性のそのやきもきに付き合う。

そんなことをやり始めて早数十年、セックスという結果が遠ざかりすぎてわけわかならなくなり、本来過程である恋愛が目的になってしまった。

日本だって昔はセックスまでの距離はそんなに遠いものではなかった。雅な貴族はともかく、一般庶民は若い二人がいればすぐやってた。祭りのあとは大乱交、後家さんが少年たちにやり方を教えて、夜這いは横行していた。それを誰もとがめなかったし、むしろ子宝=労働力=村の生産力になるので推奨していたくらいだ。

そこには恋の駆け引きとか心の機微とかそういうものは一切ない、ひどく単純な繁殖行為そのものだけがあった。

悪く言えば畜生的であるし、良く言えば生物本来の姿と言える。

それが西洋文化流入によって、下品だ蛮族だと罵られたために、セックスはじわじわと遠ざかって行ったのだ。

今では恋愛あってのセックスが当たり前になり、セックスのない恋愛もその数を増やし始めているのだそうだ。



長くなったが、そんな日本で生まれ育ったからこそ、僧都はそのフィリピーナに驚いたのだ。恋愛結婚妊娠出産が神聖不可侵聖域じゃなく、むしろそれすらも『生きること』の過程として淡々とこなしているということに感動した。

日本人はぼっちだ喪だ童貞処女だと悲観しているが、どことなくまだ余裕がある。人生オワタなどといいつつも、セックスという魔王を倒すゲームを楽しんでいる。

「処女じゃなけりゃだめだ。中古品wwww」

「黒髪ロングしかありえん。ギャルとかマジ氏ね」

「年収は750万ならばなんとか妥協できる。」

「軽自動車とかwwwwww」

それは後進国には贅沢でしかも意味不明が遊戯をしているようにしか思えないだろう。本当に日本が貧困国で、生産力がなくて経済壊滅状態で明日死んでも不思議じゃない状況なら誰もそんなゲームしないだろう。

「はーい今からカタカナ言葉使っちゃいけますぇーんwwww」

というゲームをしているのに

「もうカタカナ使えないなんて・・・死のう・・・・」

とか言ってるようなもんだ。もはやギャグである。

「??? そんなにしたきゃゲームやめてセックスすりゃいいじゃん???」


と思うのは当然だ。実際僧都はそのフィリピーナに

「僧都は彼女いないの?」

「いない。」

「なんで。」

「いや・・・・なんでって言われても」

「女が嫌いなの?」

「いや好きだよ。」

「じゃあ彼女なんでいないの?」

「えっ」

「えっ」

お互い、「何言ってんだこいつ・・・・」という顔をしていた。


やはり日本は豊かになりすぎたんだと思う。

何かのスレで見たレス

「ひょっとして今って、人類史上もっともおっぱいがあふれかえった時代じゃないか?」


なるほどそうかもしれない。いや間違いなくそうだろう。

いくら江戸時代が性に対しておおらかだったと言っても、指先クリックだけで地球の裏側地域のおっぱいまでは見れなかった。考えてみればすごい話だ。

おっぱい飽和時代。だが日本はおっぱいに最も近く、最も離れてしまった。日本男児全員が指先一つで数億のおっぱいを見れるというのに、その中の一体何人がその指で一人のおっぱいをつまめるというのだ。

男にとっておっぱいは、みて、さわって、すいつく。これが一連の流れであるはずなのに、ほとんどの者がその結果にたどり着くことができない。過程だけをただ延々と繰り返されるGERである。

GERを受けたディアボロは永遠に死に続けるわけだが、これは同時に永遠に生き続けることでもある。不老不死は人類の悲願だが、ディアボロにとってこれは行幸なのだろうか。

おっぱいを無限に見続けることができる我々も一緒だ。見ることは出来ても決して真実にはたどり着かない。これは不幸なのか幸福なのか。

クリックで一回でビラビラくぱぁが見られる今の少年と、まだ夜も明けきらないうちに家を出て、真っ黒に修正されてまったく見えない中年女モデルのエロ本が売られている自販機にガタガタ震える手で投銭する僧都、どっちが幸せなのだろうか。

過程は結果の最高の調味料。パンチの効いた過程のほうが結果という料理がおいしい。

なんか時々『エロ本買い』がしたくなる。エロ本が読みたいんじゃなくて、『エロ本買い』がしたい。人目を避けながらいらないコーヒーとかお菓子とかと一緒に「お、ついでに買っとくかな」みたいな空気を出しながら。すばやくレジ袋をうばって、知り合いにあいませんように、とか心の中で請願しながら家までの帰路を早足で駆け抜けたりしたいなぁ。もうあの少年時代のどきどきは味わえないのだろうか。

でもよく考えたら僧都の年齢でエロ本買うというのもそれはそれで結構な試練だよな。ものすごい残念な目で店員に見られるんだろうな。くくっ・・・それはそれで興奮するぜ(趣旨変わってる)


英語学校の先生が『ラジオを聴きなさい』とよく言っていた。テレビメディアよりも、『聴かせる』ことに重点をおいたラジオはDJ・パーソナリティの発音がとてもイングリンッシュラーナー向きなんだと。

なるほどそれはそうだ。

カナダは国土が広すぎるというのも関係しているのだろうがラジオ文化が発達している。中継局によるものではなく衛星デジタルラジオでどこでもクリアな放送が聴けるのだ。僧都も車を購入したときにデジタルチューナーが付属されてたのでなるべく音楽を聴かずにラジオを聴くようにしている。

学校の友達だった女の子(30)は家でもラジオを聴いていたらしい。曰く、日本にいた頃からラジオは付けっぱなしだったからそれがない生活は考えられないらしい。

ああ、そういう世代なんだな、と思った。

今現在30代の人は後期ラジオ世代だろう。子供の頃からテレビがあって、かつネットはない。ちょっと通ぶりたい年頃の少年少女はサブカル臭のする深夜ラジオに自然とはまるのだ。テレビなんて子供の見るもんだ、みたいなね。一種の厨二病だろう。

かく言う僧都も中学生の頃よくラジオを聴いていた。そしてラジオは僧都にとって先生だった。

大人しく奥手だった少年が今何でこんなに下ネタ三昧なのかといえば、それはラジオによる影響だ。えっちなことに興味津々な中学生男子、でも今と違ってその知識欲を満たす教材はなかなか手に入らない。そんな彼が深夜の下ネタ番組にのめりこむのには大して時間はいらなかった。

またちょうどそのころ、夜11時から15分間、北海道ローカルな番組が放送されてたのだ。今じゃ色々まずいんだろうな、というかなりディープなエロネタを実質10分疾風のごとく放送して終わる、いわばヒット&ランみたいな番組だった。

それを最初に聞いて、そのあとの15分当時のアイドルの面白くもないラジオを聴いて、それから15分デーモン閣下と大槻ケンヂの番組、そして加勢大周の面白くもない番組15分で夜12時、それから就寝という中学生ラジオライフを送っていた。面白い→面白くない→面白い→面白くないの順である。正直加勢大周は切りたかったのだが、当時片思いしてた女の子が加勢大周好きだったために無理して聴いてた。

さて長い前フリだったが、本題はここから。

11時半から15分放送されてたのが、前述したデーモン閣下と大槻ケンヂの番組、『ラジオ巌流島』。ちょっと中学生には内容がマニアック過ぎて難しかったのだが、なんともいえぬ妙な魅力に引き込まれてよく聴いていた。

当時、このパーソナリティ二人は多忙を極めており、二人そろっての出演は稀有で、デーモンとローリー寺西、大槻ケンヂとオナペッツみたいなカップリングで放送するという変な番組だった。

んでその日はオーケンのみで放送していたのだが、なんかの弾みで大相撲の話題になった。相撲といえば閣下なのに、なんで俺がw・・・みたいな流れから閣下の相撲愛の強さの話になった。

昔オーケンが閣下と相撲の話題をしていたときに、オーケンが『相撲取り』という言葉を用いたところ、閣下が激昂。

「『相撲取り』なんて呼び方するな!『力士』と呼べ!オマエだって人に『歌うたい』と呼ばれたら嫌だろう!」

というエピソードを笑って語っていた。


なるほど、一理ある。確かに相撲を取るのが仕事だが、それを相撲取りと呼ぶのはあまりに失礼だ。修飾がなさすぎで、その職種に対する配慮と言うかリスペクト感がまるでない。

同じく昔スレイヤーズで、街にあった売春宿を『すけべ屋さん』と表現していて度肝を抜かれたことを思い出す。いや確かにすけべすることを生業にしているのは間違いないのだが、これじゃ身も蓋もない。そこはそれ、婉曲大好き日本人としては『春を売る』とか遠まわしにしてもらいたい。

そんなこといったら僧都は『泊め屋』だ。人を泊めることでご飯にありついている。

学校の先生は教え屋。

警察は捕まえ屋。

コメディアンは笑わせ屋。

AV女優はすけべ見せ屋。

AKBは処女膜守り屋。

トップブリーダーはケダモノ交尾させ屋だ。


いくら職の内容だからといってそのまんま表現するのも考え物だ。


今ラノベの世界では長いタイトルが主流になってきている。

俺の妹がこんなにかわいいはずがない

異世界から問題児たちがくるようですよ

おまえをオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ!

俺がお嬢様学校に「庶民サンプル」として拉致られた件


どんどん長くなってきている。

それには理由がある。

昨今あまりにラノベ数が増えたため、読者がどの本を読むか迷ってしまったときに、一目でその作品の内容がわかる、そういうものを読者が求め始めているのだそうだ。

つまりこれは『長いタイトル』なんじゃなくて『短いあらすじ』なのである。

タイトルが内容そのまんま、『相撲取り』思想である

理に適ってはいるが・・・、僧都はあまり好きではない。

僧都はタイトルで本を選んだりする。その短いタイトルから内容を想像するのが好きなのだ。想像した内容とほぼ同じでも、全く違っていてもそれはそれは楽しい。

もちろんあまりに短いと想像もつかない。

たとえば最近東野圭吾の『悪意』という本を読んだ。(拾った)

例によって推理小説ものである。殺人事件ものなんだから『悪意』はつき物だ。なんて月並みなタイトルなんだろうと思っていたし、読み進めているうちにそんなつまらないタイトルのことなどすっかり忘れてしまっていたのだが、最後まで読んで

ああ、だから『悪意』なのか。


と気づかされたときのアハ体験(笑)がハンパなかった。なるほど、そりゃ『悪意』だ。

こういうのがあるからタイトル買いはやめられない。買ってないけど。



という僧都の嗜好とは関係なく、世間は長タイトル時代になってきている。

AV業界もその一つ。最近、視聴層がアニヲタ層と重なることに気づいたのか、やたらヲタ文化に迎合するようになってきた。つまりタイトルで抜きどころがわかるのだ。

姉が裸族でがまんできない

洗体エステで勃起しちゃった僕

大学受験を控えた僕の家に巨乳ギャル家庭教師がやってきた。

AV観賞してたら、友達のお母さんにバレちゃったので慌てて消そうとしたけど、なぜか微妙な空気になっちゃって…

クラスの女子からも男子からも全く相手にされていない僕。唯一話しかけてくれるのは幼馴染!幼い頃はとても活発で男勝りの性格だった幼馴染が今ではとてもカワイらしい クラスのマドンナに!そんな幼馴染が他の男子にはお願い出来ないと言って『おちん○んが大きくなる処を見せて』と、 とんでもないお願いをしてきた! 恥ずかしいけどいつも優しく接してくれる幼馴染のお願いだからと思い 聞いてあげたら幼馴染に異変が!! パンツを濡らして僕に急接近! それで…(こういうタイトルです)




完全にあらすじを説明している。いや長くても別にいいよ?確かにそういう内容なんだろうし、『はずれ』防止策でもあるんだろうけど、ただパッケージを見て中身を想像する楽しみがなくなるよ・・・。AVコーナーでのそういう想像の時間が楽しいんじゃないか。なんか日本人がどんどん馬鹿になっていく気がする。


あとあれやめてほしい。








同人誌とかの



○○くんの赤ちゃん汁、おいしいよ




いや、確かにそうだよ。その白いのは成分がというか赤ちゃんの材料になるものだけどさ。セックスはとはこれすなわち子作りなわけなんだけどさ。


なんか生生しくていやなんだよ。

赤ちゃん汁飲みます、って完全にカニバリズムじゃん。苺アイス食べるときに赤い着色料はダニの成分からできてます言われてるみたいな気持ちになるんだよ。卵の中身はひよこになろうとしてなれなかったどろどろの生命のスープとか言われている気持ちになるんだよ。そこは一時忘れようよ。なんでそこだけ内容を包み隠さず説明するんだよ。何でもかんでも内容そのまま説明するんじゃないよ。

ミルクでいいじゃん。おちんぽみるく。ミルクならば人体で唯一、飲むことを前提とされた体液だからギリ許せるよ。

でも赤ちゃんミルクは・・・生命に大きく関わりすぎて、とにかくなんか嫌なの!しぼんじゃうんだよ、色んな部分が!もうほんとやめて!

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