図1 帯表現様式今回は予定を変更し、「直弧文における斜交線(斜交帯)の部分が「封印」の印×を示し、吉備や纏向で直弧文以前に見られるいわゆる「弧文」を封印することを示しているかどうか?」 という問いかけについて自らの見解を述べたいと思います。
斜交線の解説は非常に複雑になりますので、本来はもう少しじっくりと直弧文の仕組みをご理解いただいた上で説明した方がより解かりやすいかなと思っていました。
本日の内容は、まだ解説していない点を多々含むことになりますことお許しください。後程順序立てて記事を書いたうえで、再度詳しく解説したいと思いますので、解かりにくいと思われる方は今回は読み飛ばしていただくようお願いします。 文章と図表内容と配置、誤字脱字を追加修正しました
さっそく本題に移ります。じつは直弧文の構成要素を解きほぐしていくと、すべて「長い帯」になるのです。直弧文は 「一定の幅を持った複数の帯が、三次元的に複雑に絡み合って( それだけでなく、時にはお互いに突き抜け合って )構成された文様」 と言うことになります。
この帯としての認識がこのテーマ解明に必要になります。
図1をご覧ください。今まで紹介していない直弧文のタイプとして、実はもう一つ、「線式」というものがあり、帯状構造を理解するには、直弧文本来の姿である五線式直弧文をよく理解することが不可欠なのですが、これまで取り扱った井寺古墳の例は省略された三線式であるため、このテーマの題材としては適していませんので、これから出てくるのは別の例です。
五線式については後程じっくり特集します。今日は直弧文を構成する五線式の帯とは、両端を二本線、中心線を一本線で表わされることに注意して記事を読んでください。
そして、斜交線(斜交帯)を正しく理解するには、実は五線式直弧文の中でも、特にB型直弧文を良く観察する必要があります。
それはなぜかと言うと、もう一つのA型直弧文は斜交帯部分が、巻きつく渦帯に随所で突き抜けられて、その実態を表面に出しておらず、斜交帯観察に適していないのです。そこで、斜交帯が優勢で良く観察することができるB型直弧文が重要なのです。
ところが残念なことに、装飾古墳では五線式のB型直弧文がほとんど存在しないので、装飾古墳だけを見てもそれを実現する場がありません。
画像1 千足古墳の直弧文拡大
それでも、最も精巧な浮彫直弧文を持つ千足古墳に僅かながら手がかりがあります。画像1に注目ください。
これはA型ですが、よく観察すると、斜交線の下側に接する渦帯線はシャープに斜交線と接しています。
しかし、上側に接する渦帯線は、どれも一定の間隔が空いており、なだらかに盛り上がって斜交線が深く刻まれる浮彫表現になっています。
これは、斜交線が単なる二次元的な線ではなく、面的な奥行きを持ったものであることを、浮彫表現で表わしているのです。
図2 千足古墳の直弧文全図
そして図2を見ると、石材左端には装飾古墳で唯一浮彫五線式B型直弧文が、半分だけ刻まれているのです。
狭くて分かりずらいですが、斜交線にあたる部分は一本線、軸に平行に走るB型特有の直線は二本線で表現されていますね。
図3 鹿角製刀剣装具の五線式直弧文
下図4 同 連接形B型例
五線式のB型直弧文は副葬品としての鹿角製刀剣装具に良く刻まれていますので、図3に示した単位形、図4の連接形例でその実態をじっくりご覧ください。
やはり斜交部分は一本線(つまり中心線)ですが、これに平行な直線部は二本線(つまり端線)でありますね。
これを類推するに、いく
つかの論文でも指摘されているのは、斜交線は構成要素としての五線帯が、中心線で二つ折りにされた形状で表現されている と言うことです。
斜交する帯として「斜交帯」と呼ばれるわけです。
以上、 「直弧文の斜交帯は×線ではなく、斜めに交わる帯で表現される」 ということが私の一番目の見解です。
ただ、これが観念的にいわゆる「封印」×的な意味合いで使われたという可能性は残ります。
そこで次に、装飾古墳の時代より過去に遡り、この斜交帯がどのように出現して来たかを辿ってみましょう。
図5、画像2 紫金山古墳ゴホウラ製貝輪の直弧文
古墳時代前期の代表的始原直弧文( しかし洗練度は超越 )といえば紫金山古墳の貝輪の例があまりにも有名ですが、それは図5、画像2 の様なものです。
この文様には直弧文特有の四周の区割り線が無いです(未だ出現していない)が、良く観察すると、目印を付けたように様々な部分で、斜交帯がより帯的な表現として刻まれています。
この時期にも斜交帯が用いられていたことがわかります。
またここでは、斜交して突き抜けるだけでなく、斜交して重なり合う帯としての表現が出てきます。
図6、下図7 纏向弧文円盤の直弧文
更に遡って弥生後期、大和中心地、奈良 纏向の弧文円盤を見てみましょう(図6)。
この弧文円盤は残存部分が少ないのですが、目印を付けた部分に斜交する帯としての原文様単位が見受けられます。
復元図7を参照すると更にそれが各所に表現されていることが良く分かると思います。
図8 楯築墳丘墓 弧帯文石
の弧文一部分
図9 吉備、大和の立坂型、都月型特殊器台の弧文
さてさらに遡り、吉備 楯築の弧文帯石ではどうなのでしょうか、図8を参照ください。 ここでは更に斜交帯の原単位に近い例を見ることができます。
目印を付けた部分に注目ください。
今まで順番に遡って見てきたのでその変遷経過が良く分かりますが、帯が斜交して重なる部分が、後に斜交帯に発達するもとになったと私は考えます。
さらに吉備や纏向出土のの特殊器台はどうでしょうか? 図9に色々な弧文例を示しました。
やや不鮮明ですが、やはり同じような斜交部分が見当たります。
もう一度逆の順番で今まで来た図を逆順に参照し、直弧文までの変遷をおさらいしてください。斜交表現が、段階を経て次第に直弧文へと変遷する過程が良く表れていると私は思います。
以上説明したとおり、現時点の私の見解としては、
「斜交線は×線ではなく、帯としての斜交帯であり、それが×の意味を表わすことを否定はできないものの、その始原単位は弧文と言われる文様の中にも存在しており、それが吉備以降の前王朝文化否定の意味を持つことまでは断定できない」 というものです。
急ぎ足で申し訳ありませんでしたが、今回は以上です。次回からはまた前回の続きに戻って進みます。
参考・引用文献
小林行雄 「古墳文化論考」 1976
伊藤玄三 「直弧文」1984







現時点で、直交している部分は吉備の円筒埴輪にすでに存在する。この直交部分(曲線の交わる部分)が直孤文の×になる・・・・ということでしょうか。う〜ん・・・。
納得はできないですが、一番必要な論考がようやく出てきたのは評価。
自分の考えでは、双方の交差には類似する観念がないように見えます。つまり明確な×である直孤文と孤文の交差点のでき方には、やはりまったく次元の違うところがあると見えます。
今後のさらなる分析を望みますが、あなたのキャパも考慮して、まずはご苦労様でした。大変参考になりました。