oono2oono1大野雲外の報告に列記された装飾文様に九州の物件は少ない

さて、前篇にご紹介したように、佐藤伝蔵氏の縁によって肥後の地に在る装飾古墳「井寺古墳」が全国に紹介されたわけですが、その後の顕彰の経緯はどうなったのでしょうか。

古墳装飾文様に関する日本初の研究と言える大野雲外の報告書をもう一度参照しましょう。彼は12項目に亘って各地の事例を紹介していますが、そのうちの九つまでが関東地域の事例であり、残りの二つが筑後地域、そして、肥後地域は僅かに井寺古墳の一つのみです。

これは現在の装飾古墳の分布密度を考えると真逆の傾向ですが、当時の中央学会の研究対象への注目・理解のベクトルを素直に反映していると考えられます。

東京の学者たちは、遠く離れた九州の遺跡までは、その時点で網羅できていなかったと言うことになりましょう。

しかし、前篇の経緯で大野や八木奘三郎が紹介してからは、一転して「井寺古墳」そして「肥後」への注目が集まることになります。

明治34(1901)年に農商務省が発酵した「稿本 日本帝國美術略史」では井寺古墳装飾の記述が記載されました。

更に八木(明治39年「日本考古学」1906)と大野(明治40年「人種文様 上代日本の部」1907)は、井寺古墳の装飾を前回よりさらに詳しく取り扱っています。

そして明治末年には、東京帝国大学卒業の後、京都帝国大学講師に就職した濱田耕作氏も井寺古墳を訪問しているようです。
後述しますが、後の欧州留学に続いて京都帝国大学考古学研究室初代教授に就任し「日本近代考古学の父」と後に呼ばれることになる考古学界重鎮(後に京都帝国大学総長)濱田幸作の注目を受けた事は非常に意義深いことでした。
後の報告書で彼は当時の感想として
「この古墳の石室内の文様は・・・と共に最も早く学会に知られたる・・・大野延太郎氏をはじめ之を紹介したる諸書少なからず余輩も七、八年前この古墳を訪ひたることありしが其の模様の全部は不幸にして未だ學会に公にせられしこと無く古墳の構造に關する詳細なる記述を缺くを憾みとせり」       と詳しい調査の必要性を述べています。


このような中央学会の井寺古墳への注目に伴って、肥後の考古遺跡調査を始める地元考古学者が次々と誕生しました。そして、井寺古墳以外の装飾古墳が次々と世に明らかにされ始めました。

福原岱郎氏や波多 巌氏、角田政治氏、下林繁夫氏等により、鍋田横穴、長岩横穴、チブサン古墳、弁慶が穴古墳、千金甲古墳、鴨籠古墳、大村横穴、大坊古墳、石貫ナギノ横穴等の装飾が確認され、その存在が全国に知られることになったのです。
まさに、井寺古墳装飾への学会の注目が、続く多くの肥後装飾古墳の顕彰につながっていったのです。


濱田の目論見井寺解説左:濱田氏の構想が語られる京都帝国大学報告書の諸言部分
中:井寺古墳装飾文様の解説部分、ここから「直弧文」の名称が生まれた


さらに、決定的で最も重要なイベントだったのは、欧州より帰国した前述の濱田耕作氏を中心にして実施された京都帝国大学による調査と報告書の刊行でした。

海外で見識を広めてきた濱田氏は、下記のような目論見の元に帰国後初めての国内調査として肥後の装飾古墳を目標に据えたのでした。
・筑後と肥後の装飾古墳の問題が解決すれば日本の古代文化史研究に大きな参考となる
・絶対年代の明らかな中国との比較で古墳年代が明らかになる。

調査は大正5〜6(1916)年に、翌年には筑後にも対象を広げて実施され、その成果は下記二冊の報告書として詳しく纏められました。

IMG_1941問題の報告書二冊の昭和復刻版
・濱田耕作・梅原末治「肥後に於ける装飾ある古墳及横穴」京都帝国大学文科大考古学研究第1冊 1917
・濱田耕作・梅原末治・島田貞彦「九州に於ける装飾ある古墳」京都帝国大学文科大考古学研究第3冊 1919

これは装飾古墳を対象とした本格的な報告書として日本初であることは勿論、その内容の充実度は群を抜いていて、今日に至るまで盛んに引用されている最重要文献です(私も度々使ってます)。

以上のような経過のなか、大正8(1919)年の「史蹟名勝天然紀念物保存法」に依る国指定史跡指定が始まる中で、熊本県では装飾古墳が他の史跡に先駆けて大正10〜11(1921-22)年に指定が進んで行ったのです(千金甲、井寺、釜尾、大村、石貫穴観音、石貫ナギノ、チブサン、鍋田)。


総括しますと、明治末期から大正期にかけての熊本県内装飾古墳の顕彰活動といち早い国史跡指定は、本来地質学者である佐藤伝蔵氏による井寺古墳装飾の確認と学会への情報提供が切っ掛けとなった
つまり、彼の注目が端緒となって中央学会の注目、地元考古学者による新たな装飾古墳発見、京都帝国大学の調査へとつながっていった成果であり、装飾古墳の顕彰は佐藤伝蔵氏の動きから始まったと考えるのが木崎館長の評価です。


一人の熊本出身大学生の旺盛な好奇心が、故郷の考古学隆盛へ多大な貢献をもたらしたわけで、誠に理想の顕彰活動と言えましょう。

私もそのような顕彰活動の一助となるべく精力的に活動せねば、と決意を新たにしたことでした。

木崎館長ありがとうございました。 館長のブログも定期的に更新されていますので参照されてください。