進哉が、『カフェ・リンドバーグ』を辞めて、就職して、1ヶ月と半が経とうとしている。
 働く場所が、離れたからといって、別れたわけじゃない。
 連絡は、折りを見て取ってるし、一緒に過ごせる時間が作れる時は、そうしている。
 研修とか大変みたいだけれど、進哉は進哉なりに頑張っているのではないかと思う。
 進哉が、翌日休みの時は、智裕のところに泊まりに来たりしてくれるし、智裕も、同じように進哉のところに泊まりに行ったりもしている。

 それ程多く、電話で話すわけではないのだけれども、それでも、進哉が、「ちぃの声が聞きたかったから」そういってくれるのが嬉しい。智裕も、進哉の声が聞きたかったから。
 おたがい、「おやすみ」と言って、電話を切って、智裕は眠るのだけれども、その声が、耳に残っている。

 進哉はそうやって、新しい道を、自らの足で踏み出し始めた。
 では、智裕は?
 この先、どうしようか、と考えている。
 あの日、進哉が言った、叶えたいこと。

 『カフェ・リンドバーグ』で働き始めて、進哉と付き合い始めて、少し変わったと、自分自身の事、今まで、見えてなかったことも見えるようになってきた。
 人間が好き、人と接するのは好き、今の『カフェ・リンドバーグ』での仕事も、智裕にあっている、と思う。
 それは、束縛されるのを嫌って、一箇所に留まらなかったあの頃より、もっと、明確になっている気がする。

 桐野に声をかけられて、働き始め、初めは、ヘルプだけのつもりだった。
 けれども、きちんとそこで、正式にアルバイトだけれども、働こうと思えたのは、やはり、いい店だからだろ。
 そして、何より、良かったと思えるのは、進哉と出会うことが出来たから。
 息が苦しくなる程、束縛されることはない。
 それでも、真剣にその想いを、眼差しを智裕に向けてくれる。

 それが嬉しいのは、やはり、智裕も、進哉のことが好きだから。そして、智裕自身驚いているのは、束縛することも、束縛されることも、また、執着されることも、執着することも、嫌ったはずだったのに、今は、進哉に執着、とは少し違うのかもしれないけれど、似たような感情を持っている。

 進哉がそんな事をするはずがない、とわかっているのだけれども、進哉を失いたくない、他の誰にも、取られたくない、そう思ってしまう。
 いつから、こんなに弱くなったのだろう。
 いや、弱くなったわけではない、多分、今まで、周りにいた人が、智裕よりも年上だったから、その環境に智裕の知識も、関係も、順応し、下手をしたら、少し年上の人間なら、智裕の方が、ずっとしっかりしていると見られてきたから、智裕自身も、そう思ってきたから。けれど、きっと、その中で、置き去りにしてきてしまった感覚が、どこかに残っていたんだろう。

 智裕自身の中で、そう思った時に、改めて、他人がよく見えるようになった。そして、今まで以上に、もっと、そうやって人と接してみたいと。
 そうして、再び……。

 今年は、バレンタインデーが土曜日だから、翌日が、休みだから、と進哉が智裕のところに来てくれることになっている。
 そうやって、2人で、その日過ごせるのが嬉しい。

 智裕は、進哉を家に迎え入れて、夕食を一緒に摂り、チョコレートを交換し合った。
 その前に『カフェ・リンドバーグ』で拓実が作った、トリュフを、進哉は、拓実のものは久し振りだろうからと、分け合って食べたんだけれど。

 進哉から貰ったチョコレートは、見た目は、とてもシンプルなのだけれども、進哉なりに色々探したのだろう、濃厚なしっかりとカカオの味がするものだった。
 それで、智裕が、進哉にあげたのは。

「ちぃ、開けてみてもいい?」
「うん。」
「これも、チョコレートなの?」
「中がね、生チョコ餡なんだ。」
「へえ。ぱっとみ、和菓子にしか見えないけど。」
「和菓子ってさ、四季折々の花とかさ、色々模ったりするから。季節感と、チョコレートと両方味わえて、よさそうだな、と思って。」
「これは……梅の花、かな。」
「ほんのり、紅がのってる。開花したところかな。」
「すっごいね。こんなのもあるんだ。」
「僕も、知った時は、ちょっと吃驚したけど。和洋折衷、なのかな。でも、そういう工夫するのって、僕も凄いと思うよ。」

「あのさ、進哉。」
「何? ちぃ、どうしたの?」
「前にさ、僕の願い事、の話したでしょ?」
「うん。あの時、ちぃ、教えてくれなかったよね。」
「……あれから、色々考えたんだ。『カフェ・リンドバーグ』はやっぱり好きだし、あそこで、働こうと思ってる。」
「そっかぁ。ちぃだったら、ぴったりだね。俺は、やっぱり、ああいうのは、いい経験になったけど、続けるには、迷惑かけることが多くなりそうだったから。」
「うん、それでね。以前描いていた、絵本を、また描き始めようかと思ってる。実際に、絵本だけで食べていけるようになるのは、どれだけかかるかわからないし、もしかしたら叶わないかもしれない。それでも、以前とは違ったものを、描けそうな気がするんだ。だから、その可能性を、諦めないでいようと思って。」
「大変そうだけど、ちぃが、そう決めたんなら、応援するよ。」
「ありがとう。進哉。また描こうと思ったのも、可能性を信じてみようと思ったのも、進哉が僕に気付かせてくれたから。」
「俺が? 別に、何も、してないと思うけど。」
「ううん。全部、伝わってきたよ。」
「でも、ちぃが、しっかり考えたからなんでしょ? やっぱり、ちぃって凄くよく考えてるなぁ。俺も、ちぃに、呆れられないように、頑張る。」

 その時、その時、折々の願いや、想いがあって、それが、移り変わっていったり、変わらぬ想いがあったり。
 変わってゆく中で、変わらないものを見つけたり、変えようと思わなかったものを、良い方向に変えようと思ったり。

 可能性を信じて、努力しても、開花しないこともあるかもしれない。
 初めから、可能性を、放棄するよりは、願ったなら、その道を進んでみたいと思う。
 傷つくことを、後悔することを、恐れていては、何も出来ないから。
 進哉はきっと、ずっと、どんな時も、智裕の事を見守ってくれると思うから。
 その真摯な眼差しで。

「ちぃ……」
「進哉……」
 名前を呼んで、口付けて、そのカラダを求める。
 今は、進哉は、こうして、しっかりと、智裕のカラダを抱いてくれている。
 でも、そうではない時でも、どこにいても、きっと、進哉の想いに包まれているとそう感じる。

「ぁ……ん……進哉……」

「ちぃ……」

 不器用だから、という進哉が、だから、丁寧に少しじれったいと感じるほど丁寧に、愛撫の手を加えていく。
 その手を待ち焦がれて、昂ぶってくる身体は、敏感に反応していて。

「んん……進哉……も……」

 望んで、挿入される、進哉の欲望の証。
 飲み込んで、突き上げられて、それを、もっとと欲して、与えられて。

「は……ん……イイよ……進哉……っ…!」

 こういう時の、見上げた時の表情も、とてもカッコイイと思うんだ。
 それは、きっと、智裕以外誰も知らないだろうから、余計、かな。

 快感の中で、欲望が、はじけた。
 けれど、この想いは、どれだけ詰め込んでも、はじけることはない。
 同じように、想いを伝えたくて、智裕は進哉のカラダを抱いていく。
 それを、受け入れてくれる進哉の存在も、また格別で。

「…ん……ちぃ……ちぃ……っ!」

「進哉……っっっ!!」

 止めることの出来ない、進んでいく時の中で、折々の願いが込められている。
 智裕の絵本に対する志気も高まっている。
 どんなに敷居が高くとも、乗り越えたい。

 まだ蕾。
 開花する時を願って。


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