★★『幸福の科学』統合スレッドpart313★★
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1252328052/
939 :聖杯と剣 ◆mV44sBgxwA :2009/09/09(水) 20:10:52 ID:1P19YBk8 ちなみに私にしても大川さんなり信者さんなりに負の感情って実は
無いんだよね。人は年をとると見えてくるものもあるもんでさ、
私も25を過ぎたあたりから、大川さんの孤独や悲しさ、いや中川家
の持つ悲しさが大川さんの母親の目線でなんとなく分かるように
なってきたんだ。
結婚した相手が社会的に使い物にならず、転職を転々とした。
生計は自分が一生懸命働いて何とかたてていた。
二人の成績の良かった息子に将来の期待をこめていた事だろう。
ところが二人とも、父親と同様社会に適合できなかった。
そうして息子の一人は早世し、もう一人は父親と新興宗教をつくった。
その悲しさ、孤独感が良く分かるような年になってきたんだよ。
子供が小さい頃からインテリオタクだった父親から飯の種にもならない
宗教思想を植えつけられ、ついにはその影響でおかしくなった二人の息子。
それを思うと母親の気持ちはどんなもんだったろう。
945 :杉山真大 ◆mRYEzsNHlY :2009/09/09(水) 20:17:38 ID:iZpjmcjP >>939
確かに、自分も父親=善川が時たま(生長の家の影響なのか?)保守反動の主張を矢鱈していて、何か違和感を持ったんだよね。後で「月刊Asahi」での佐野眞一ルポを読んで妙に納得したんだけど、要は転向右翼が過去を頑なに否定しているんだ。
正直な話、心霊思想に興味持つ一方で朝日ジャーナルを愛読していた自分としては、HSが急に宗教がかる上に権力志向になってしまうのは違和感以上に嫌な気がしてた。で、フライデーの一件で完全に興醒めしちゃった。 951 :苺:2009/09/09(水) 20:33:56 ID:/v6lXOI1 >>939
聖杯はなぜ総裁の母親の気持ちがわかるんだ
霊能者でもあるまいし
聖杯がおもしろいのは、勝手に総裁一家ストーリーを創るところだ(笑)
953 :Mr.ブーン⊂二二二( ^ω^)二⊃:2009/09/09(水) 20:36:18 ID:cBrK+snL >>939
>大川さんの孤独や悲しさ、いや中川家
>の持つ悲しさが大川さんの母親の目線でなんとなく分かるように
>なってきたんだ。
大川一家が、このような没落をたどったのは、
その隆法の母親にも問題があったというのが、私の見解。
善川三朗のことを言及した隆法の説法があったが、
そのなかで、少し母親についても語っている。
基本的に「金を稼げない男は男と言えない」みたいな感性の女性だったのだろう。
彼女自身は頭の回転は速いし、体力もあったから、
ひ弱で金にならないことばかり考えてるような男が受け入れられなかった。
そんな女がなぜ善川三朗といっしょになったかって?
それが、男と女の不思議ってものだ。
まあ、旦那はまだ自分で嫁を選択したのだからいいが、
不幸なのは、そういう母親のもとで育った子供たちだ。
母親に「あるがままの自分」を受け入れてくれないと、
子供たちは、いつかダメになる可能性が大きいのだ。
954 :聖杯と剣 ◆mV44sBgxwA :2009/09/09(水) 20:40:25 ID:1P19YBk8 >>951
私自身が親になる時期が近づいているからだと思う。
総裁一家を見て昔は「善川さんの立身出世コンプレックス」とかが
気になってたんだけど、この一家で唯一世間知で生きている母親の
孤独が分かるだけの年齢的な蓄積ができてきたのだろう。
これは私が作った「総裁一家ストーリー」じゃないよ。
善川さんや富山さんが社会不適応だった事は教団の資料からも明らか
だし、大川さんも自身が語る勤務状況が事実なら完全な問題社員でしょ。
面白いのは大川さんにはその自覚が乏しいんだけどね。
956 :神も仏も名無しさん:2009/09/09(水) 20:42:11 ID:tOpZCIyS 俺も大川隆法という人格障害者を生み出したのは、彼の母親だと思う。
大川の心の底流には、母親からの拒絶された癒されない心の傷があると思う。
957 :Mr.ブーン⊂二二二( ^ω^)二⊃:2009/09/09(水) 20:44:35 ID:cBrK+snL 男性というのは、自分の結婚相手に、無意識に自分の母親像を求めてしまう。
きょう子というのは、隆法の母親とメンタリティが極めて近かったのだろう。
月刊誌にも残っている隆法の結婚のスピーチにおいて、
原久子氏は、「この木村きょう子という女性のことを調べておいてほしい」
と、隆法に言われたのだが、ほうっておいたらしい。
原氏は女の直感で、隆法ときょう子がいっしょになると、隆法がダメになると感づいたのだろう。
しかし、性欲に負けた隆法は、自らきょう子と会いにいき、
いまのkk教団の現状があるということなのだ。
きょう子も女の直感で、原氏がいると教団を自分の思い通りに操れないと気付き、
原氏を排除するように画策したというわけ。
kk教団というのは、つまり、非常に低レベルの人間的ないさかいで、できあがった教団なんだな。
959 :聖杯と剣 ◆mV44sBgxwA :2009/09/09(水) 20:51:44 ID:1P19YBk8 >>953
お母さんは100%世間知で生きている普通の職業婦人で、
仕事もやりながら家事もこなしてて、仕事を転々としてすき放題
生きているサブちゃんのもとで苦労したタイプなんじゃないかなと思ってる。
そして役立たずインテリ三人が訳の分からない思想・宗教に凝ってるのを
横目に見てて孤独感を味わってたタイプなんじゃないかな。
「稼げない男はカス」という発想を持っていたというより、役立たずインテリ
だった夫で自分は苦労したので息子2人には実社会に足をつけて頑張って
欲しくて、夫に批判めいた事もいっただろう。けど20回以上職を変え、
会社をおこしては潰し、宗教や政治運動にも中途半端にのめりこんだ夫の
被害者という側面の方が強いと思うよ。
悪妻だと言われているソクラテスの妻、クサンチッペを大川さんが
「悪妻では無く三次元的に生きている人だからソクラテスを理解できなかった」
ってかばってるんだけど、大川さんの母親についていってるような気がしたんだよね。
大川さんの母親がきつかったというより、サブちゃんが酷すぎただけじゃないのかな。
961 :Mr.ブーン⊂二二二( ^ω^)二⊃:2009/09/09(水) 20:52:22 ID:cBrK+snL きょう子は自分の出した著作で、
「子供を褒めるときは、その存在を褒めなさい。
子供を叱るときは、人格を叱るのではなく、行為を叱りなさい」
みたいな教育論を語っていたと記憶する。
それは、そのとおりなのだが、きょう子はおそらく、
どっかの教育関係の本からパクッただけなんだろうなw
それから、アリス・ミラー著の「魂の殺人」という本に言及しているものもあった。
「魂の殺人」は、翻訳本を買って私自身も読んだ。
ヒトラーやカフカが、母親の愛を十全に受けられなくて、
人格がゆがんでいったみたいな、ものすごくおおざっぱにw要約するとそんな内容。
もしかしたら、この話は、きょう子が隆法にメッセージとして伝えるために書いたのかも。
970 :Mr.ブーン⊂二二二( ^ω^)二⊃:2009/09/09(水) 21:04:53 ID:cBrK+snL >>959
しかし、女性的なやさしさは、あまりなかったような感じがする。
それだから、生活力のない善川と夫婦になれたのだろう。
「平凡からの出発」で、隆法が子供のとき、
ドブに落ちて体が挟まれ、抜け出れなくなったとき、
母親が来て、ムンズと引き上げられたというエピソードを語っている。
その描写は、むしろ父親的な厳しさに満ちたもので、
そのあと、隆法を抱きしめて涙したとか、そういう母性的女性的なものがなにもなかった。
974 :神も仏も名無しさん:2009/09/09(水) 21:09:43 ID:tOpZCIyS 確かに、大川の背景には母親の優しさというのが全く感じられない。
こういう人間も珍しいだろう。
ある種の癒されない悲しみのようなものがあったのかもしれない。
979 :神も仏も名無しさん:2009/09/09(水) 21:12:40 ID:tOpZCIyS 母親の子供への愛情って、本能的なもので無条件のものだと思うんだよね。
あって当たり前で、逆に無ければ、子供はどこか心に大きな欠損を持つ。
こういうい子供がこの欠損を自力で埋め合わせるのは並大抵のことではない。
http://mimizun.com/log/2ch/psy/1252328052/
無いんだよね。人は年をとると見えてくるものもあるもんでさ、
私も25を過ぎたあたりから、大川さんの孤独や悲しさ、いや中川家
の持つ悲しさが大川さんの母親の目線でなんとなく分かるように
なってきたんだ。
結婚した相手が社会的に使い物にならず、転職を転々とした。
生計は自分が一生懸命働いて何とかたてていた。
二人の成績の良かった息子に将来の期待をこめていた事だろう。
ところが二人とも、父親と同様社会に適合できなかった。
そうして息子の一人は早世し、もう一人は父親と新興宗教をつくった。
その悲しさ、孤独感が良く分かるような年になってきたんだよ。
子供が小さい頃からインテリオタクだった父親から飯の種にもならない
宗教思想を植えつけられ、ついにはその影響でおかしくなった二人の息子。
それを思うと母親の気持ちはどんなもんだったろう。
確かに、自分も父親=善川が時たま(生長の家の影響なのか?)保守反動の主張を矢鱈していて、何か違和感を持ったんだよね。後で「月刊Asahi」での佐野眞一ルポを読んで妙に納得したんだけど、要は転向右翼が過去を頑なに否定しているんだ。
正直な話、心霊思想に興味持つ一方で朝日ジャーナルを愛読していた自分としては、HSが急に宗教がかる上に権力志向になってしまうのは違和感以上に嫌な気がしてた。で、フライデーの一件で完全に興醒めしちゃった。
聖杯はなぜ総裁の母親の気持ちがわかるんだ
霊能者でもあるまいし
聖杯がおもしろいのは、勝手に総裁一家ストーリーを創るところだ(笑)
>大川さんの孤独や悲しさ、いや中川家
>の持つ悲しさが大川さんの母親の目線でなんとなく分かるように
>なってきたんだ。
大川一家が、このような没落をたどったのは、
その隆法の母親にも問題があったというのが、私の見解。
善川三朗のことを言及した隆法の説法があったが、
そのなかで、少し母親についても語っている。
基本的に「金を稼げない男は男と言えない」みたいな感性の女性だったのだろう。
彼女自身は頭の回転は速いし、体力もあったから、
ひ弱で金にならないことばかり考えてるような男が受け入れられなかった。
そんな女がなぜ善川三朗といっしょになったかって?
それが、男と女の不思議ってものだ。
まあ、旦那はまだ自分で嫁を選択したのだからいいが、
不幸なのは、そういう母親のもとで育った子供たちだ。
母親に「あるがままの自分」を受け入れてくれないと、
子供たちは、いつかダメになる可能性が大きいのだ。
私自身が親になる時期が近づいているからだと思う。
総裁一家を見て昔は「善川さんの立身出世コンプレックス」とかが
気になってたんだけど、この一家で唯一世間知で生きている母親の
孤独が分かるだけの年齢的な蓄積ができてきたのだろう。
これは私が作った「総裁一家ストーリー」じゃないよ。
善川さんや富山さんが社会不適応だった事は教団の資料からも明らか
だし、大川さんも自身が語る勤務状況が事実なら完全な問題社員でしょ。
面白いのは大川さんにはその自覚が乏しいんだけどね。
大川の心の底流には、母親からの拒絶された癒されない心の傷があると思う。
きょう子というのは、隆法の母親とメンタリティが極めて近かったのだろう。
月刊誌にも残っている隆法の結婚のスピーチにおいて、
原久子氏は、「この木村きょう子という女性のことを調べておいてほしい」
と、隆法に言われたのだが、ほうっておいたらしい。
原氏は女の直感で、隆法ときょう子がいっしょになると、隆法がダメになると感づいたのだろう。
しかし、性欲に負けた隆法は、自らきょう子と会いにいき、
いまのkk教団の現状があるということなのだ。
きょう子も女の直感で、原氏がいると教団を自分の思い通りに操れないと気付き、
原氏を排除するように画策したというわけ。
kk教団というのは、つまり、非常に低レベルの人間的ないさかいで、できあがった教団なんだな。
お母さんは100%世間知で生きている普通の職業婦人で、
仕事もやりながら家事もこなしてて、仕事を転々としてすき放題
生きているサブちゃんのもとで苦労したタイプなんじゃないかなと思ってる。
そして役立たずインテリ三人が訳の分からない思想・宗教に凝ってるのを
横目に見てて孤独感を味わってたタイプなんじゃないかな。
「稼げない男はカス」という発想を持っていたというより、役立たずインテリ
だった夫で自分は苦労したので息子2人には実社会に足をつけて頑張って
欲しくて、夫に批判めいた事もいっただろう。けど20回以上職を変え、
会社をおこしては潰し、宗教や政治運動にも中途半端にのめりこんだ夫の
被害者という側面の方が強いと思うよ。
悪妻だと言われているソクラテスの妻、クサンチッペを大川さんが
「悪妻では無く三次元的に生きている人だからソクラテスを理解できなかった」
ってかばってるんだけど、大川さんの母親についていってるような気がしたんだよね。
大川さんの母親がきつかったというより、サブちゃんが酷すぎただけじゃないのかな。
「子供を褒めるときは、その存在を褒めなさい。
子供を叱るときは、人格を叱るのではなく、行為を叱りなさい」
みたいな教育論を語っていたと記憶する。
それは、そのとおりなのだが、きょう子はおそらく、
どっかの教育関係の本からパクッただけなんだろうなw
それから、アリス・ミラー著の「魂の殺人」という本に言及しているものもあった。
「魂の殺人」は、翻訳本を買って私自身も読んだ。
ヒトラーやカフカが、母親の愛を十全に受けられなくて、
人格がゆがんでいったみたいな、ものすごくおおざっぱにw要約するとそんな内容。
もしかしたら、この話は、きょう子が隆法にメッセージとして伝えるために書いたのかも。
しかし、女性的なやさしさは、あまりなかったような感じがする。
それだから、生活力のない善川と夫婦になれたのだろう。
「平凡からの出発」で、隆法が子供のとき、
ドブに落ちて体が挟まれ、抜け出れなくなったとき、
母親が来て、ムンズと引き上げられたというエピソードを語っている。
その描写は、むしろ父親的な厳しさに満ちたもので、
そのあと、隆法を抱きしめて涙したとか、そういう母性的女性的なものがなにもなかった。
こういう人間も珍しいだろう。
ある種の癒されない悲しみのようなものがあったのかもしれない。
あって当たり前で、逆に無ければ、子供はどこか心に大きな欠損を持つ。
こういうい子供がこの欠損を自力で埋め合わせるのは並大抵のことではない。