2013年12月

【初詣】 正しいお参り作法 お守りに期限なし、おみくじを持ち帰るのもOK

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1: 丑原慎太郎φ ★ 2013/01/02 12:08:29
★お参り作法 お守りに期限なし、おみくじを持ち帰るのもOK

なんとなくわかっているようで、実は正式な方法を聞かれたら迷ってしまう、正しいお参りの方法。
出雲大社総務部が、神社でのマナーを答えてくれた。

Q:おみくじはひいた後、どうするのが正しい?

A:境内の木に結びつけるのが一般的だと思われがちですが、持ち帰っても大丈夫です。
たとえ結果がよくなくても、戒めとして持ち歩いているかたもいます。
おみくじに書いてあることをきちんと心に留めて日々の生活を送りましょう。

Q:お守りに“期限”はあるの?

A:一般的に1年で神社に返納するという慣習がありますが、特に期限があるわけではありません。
学業成就や縁結びのお守りなどは、成就するまで持っているかたもいます。
新しいお守りを買った時に、前のお守りを神社に持っていきましょう。

絵が描かれた裏側に叶えたい願い事と自分の名前を書きます。
願い事の成就を祈りながら、ゆっくりと丁寧に書きましょう。
そして、日々の感謝の気持ちを込めて境内に奉納しましょう。

Q:絵馬を正しく書くには?

A:絵が描かれた裏側に叶えたい願い事と自分の名前を書きます。
願い事の成就を祈りながら、ゆっくりと丁寧に書きましょう。
そして、日々の感謝の気持ちを込めて境内に奉納しましょう。

※女性セブン2013年1月10・17日号 http://www.news-postseven.com/archives/20130101_163300.html

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歴史上最も美しい戦闘

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1: 世界@名無史さん 2009/01/26 17:02:56
世界戦史に燦然と輝くアートオブウォーを決めるスレ。

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【歴史】「両親も、私も、私の子孫も、スギハラに救われたのです」…両親救った「命のビザ」に感謝、カナダの大学教授、出港の地・横浜で

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1: 諸星カーくんφ ★ 2013/12/28(土) 15:04:08.72 ID:???
第二次世界大戦中、多くのユダヤ難民を救った故杉原千畝(ちうね)氏の「命のビザ」。それを手にナチスドイツの迫害から逃れた両親を持つカナダ在住の大学教授ジョージ・ブルマンさん(70)が、初めてゆかりの地の横浜を訪れた。「たくさんの奇跡が両親に訪れたから今、私がいるんです」。ジョージさんは生きる喜びをかみしめた。

「ここが新しい人生の始まり。それからはずっと喜びの連続だった。母は、そう話していました」。横浜・山下公園でジョージさんは氷川丸を見上げて言った。横浜からカナダへ渡った両親が乗った「日枝丸」は現存しないが、氷川丸は同じ構造の姉妹船で、同じく横浜-カナダ、米国航路に就航していた。

ジョージさんの母スーザンさんはポーランド出身のユダヤ人。一九三九年九月一日、ユダヤ人迫害を掲げるナチスドイツの軍が祖国に侵攻した。第二次世界大戦の始まりだ。

国境近くの街に逃れて、恋人のネイサンさんとささやかな結婚式を挙げたあと、国境警備隊の目をかいくぐり隣国リトアニアへ。

四〇年八月、無数のユダヤ難民が押し寄せる日本領事館に駆け付けた。杉原領事代理は、行き先国のビザがない二人に日本通過ビザを発給してくれた。最初の奇跡だった。

両親はシベリア鉄道と船を乗り継いで、四一年二月に福井県・敦賀港へ。欧州からは逃れたが、通過ビザしかない日本に長くはいられない。カナダが二十五人分の移民枠を設けたと知り、東京の公使館に駆けつけた。枠は埋まっていたが、後に辞退者が出て、一人分が空いた。さらに、ネイサンさんの懇願に根負けした公使館員は、スーザンさんの枠も特例で設けてくれた。カナダビザが整ったのは出航の二十四時間前。両親は四一年六月二十六日、「日枝丸」で旅立った。カナダに向かう最後の船だった。

命のビザ、移民枠、最後の船。いくつもの奇跡のおかげでバンクーバーに安住の地を得た二人に四三年、長男ジョージさんが生まれた。

現在、ブリティッシュ・コロンビア大学で数学を教えるジョージさん。東京電機大での特別講義のため先月来日したのを機に、亡き両親の思い出の地、横浜を訪問。日本郵船歴史博物館で日枝丸の記録を読んだ。山手の「外国人墓地」では、両親と同じように杉原氏の「命のビザ」で救われ、日本で生涯を閉じたユダヤ人の墓を訪れた。

ナチスドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)の犠牲者は六百万人といわれる。ジョージさんは言う。「生き延びたユダヤ人はほんのわずか。両親も、私も、私の子や孫も、スギハラに救われたのです」

<杉原千畝氏の「命のビザ」> 第二次世界大戦中の40年、リトアニアの日本領事館にいた外交官の杉原千畝氏(1900~86年)が、ナチスドイツの迫害から逃れようと押し寄せたユダヤ難民に、日本政府の訓令を無視して大量発給した日本通過ビザ。外務省に残る記録では発給数は2132通だが、実際はこれを上回り、6000~1万人がこのビザで欧州を脱出できたといわれる。杉原氏は敗戦後、外務省を事実上解雇された。イスラエル政府は85年、ビザ発給の功績をたたえて「諸国民の中の正義の人賞(ヤド・バシェム賞)」を杉原氏に贈った。

ソース(東京新聞) http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013122802000230.html

関連◆短レス◆杉原千畝は本当は国賊ではないのか?
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【社会】江戸時代初期に創業した京都市西京区の飴店「桂飴本家 養老亭」、357年の歴史に幕

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1: ◆HeartexiTw @胸のときめきφ ★ 2013/12/30(月) 07:03:28.61 ID:???0 BE:823010764-PLT(12557)
江戸時代初期に創業した京都市西京区の飴店「桂飴本家 養老亭」が、年内いっぱいで閉店し、357年の歴史にピリオドを打つことが29日、分かった。

水飴を原料にした「桂飴(かつらあめ)」を昔ながらの製法にこだわって作ってきたが、12代目店主・遠山隆夫さん(75)は「(売り上げ減などの)金銭的な問題というより、力のいる作業ができなくなった私の体力の限界」と説明。
今後、子どもや親類に店を継がせる考えはないとしている。
店の前には「歴史、伝統を支えてくださった皆様に感謝」と書かれた紙が貼られた。

*+*+ スポーツ報知 +*+*
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20131229-OHT1T00089.htm

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なぜ日本人はクツを捨てたのか

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1: 日本@名無史さん 2002/06/02 07:27:00
古墳時代の豪族達、奈良時代、平安時代の貴族、役人達はくつを履い
ていた。しかし武士はクツをはかなかった。武士の世になり、クツを
履く人口はますます少なくなった。江戸時代、クツを履いていたのは、
京のお公家さん数百人くらいだと思われる。奈良時代なら、貴族、官人
と地方役人で、少なくとも2-3万人の日本人はクツを履いていたはず。
坂上田村麻呂の軍隊だってみんなクツを履いていたかもしれない。
官軍だから。
しかし秀吉の朝鮮出兵軍はみんなわらじだった。そりゃ、みっとも
ないって。朝鮮軍や明軍にバカにされるわ。
そりゃ、寒いって、氷点下20度のところでわらじじゃあ。

なぜ、時代がさかのぼるにつれ日本に限ってクツをはかなくなった
のか。どう考えたって、ぞうりやわらじよりクツのほうがいいじゃん。
この疑問に答えられる人募集!

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