2016年07月

【豊臣家】もし秀頼が生まれなかったら

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1: 人間七七四年 2015/12/22(火) 18:37:08.89 ID:o7AsB7no
もし秀頼が生まれなかったら
秀次は無事?

豊臣家や天下はどうなった

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◆小ネタ◆コーエーに信長の野望、三國志に次ぐ第3の歴史ゲームを考えてあげるスレ

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1: 一騎当千 ◆gwHlYmzwmA \(^o^)/2015/04/24(金) 11:57:26.27
ネタ切れ気味のコーエーに
あの楽しかった時間への感謝の意味も込めて
みんなで恩返ししよう

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【古人類学/医学】170万年前のヒト化石に最古のがん発見 がんのトリガーは太古から体に埋め込まれていた、南アフリカ



1: もろ禿HINE! ★\(^o^)/ 2016/07/29(金) 21:35:50.99 ID:CAP_USER
170万年前のヒト化石に最古のがん発見

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古人類の骨が多数発見されていることから「人類のゆりかご」と呼ばれる南アフリカで、最古のがんの症例が見つかった。スワートクランズ洞窟で発掘された160~180万年前のヒトの足指の骨の3次元画像を撮影したところ、骨肉腫の存在が確認されたのだ。(参考記事:「人類発祥の地は東アフリカか、南アフリカか」)

この発見は、学術誌『South African Journal of Science』に報告された。現代的な生活様式によってがんの発生率が(特に先進国で)上昇したが、がん発症のトリガーは、人類進化の歴史のごく早い段階からわれわれの体に埋め込まれているのだ。

論文の共著者である南ア、ウィットウォーターズランド大学のエドワード・オデス氏は、「古人類のように簡素な食事をし、汚染されていない環境で暮らしていても、がんになることはあったのです。どのような生活様式を選択しても、がんをなくすことはできません。私たち自身の中にがんの古い芽があるからです」と言う。


人類とがんの長い付き合い

がんに関する歴史的証拠があまりにも少ないこともあり、その正確な起源をめぐっては論争がある。がんに関する最古の文献は、紀元前2600年頃に活躍したエジプトの偉大な医師イムホテプによるもので、どんな治療を施してもよくならない「乳房にできた膨らんだ塊」について記録されている。(参考記事:「狩猟採集民から古代の腸内細菌が見つかる」)

けれども、研究の役に立ちそうな古代の文献はほとんどなく、悪性腫瘍に関する解剖学的に正確な記述は18世紀後半まで現れなかった。

比較的最近までがんに関する記録がなかった理由としては、がんが65歳以上の人に多く、その年齢まで生きる人がほとんどいなかったことが考えられる。

がん研究者のシッダールタ・ムカジー氏は、その著書『病の皇帝「がん」に挑む 人類4000年の苦闘』(早川書房)で、「文明そのものはがんの原因ではなく、人間の寿命を長くすることにより、がんを覆っていたベールを外したにすぎない」と述べている。

化石記録にはごく一部の骨しか残らないため、がんの証拠を探し出すのは困難だ。そこで一部の研究者は、軟組織が残っているミイラに注目している。(参考記事:「世界のミイラでわかる古代の病気」)

1990年にはペルーの1000年前のミイラの解剖調査が行われ、30代半ばの女性のミイラの左上腕から悪性腫瘍が見つかっている。腫瘍は非常に大きくなっていて、おそらく生前から皮膚を突き破っていた可能性が高い。(参考記事:「「アイスマンにピロリ菌発見」が意味すること」)

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【鳥取】吉野ケ里の3倍の巨大集落 突然の消滅と「弥生」の謎 米子市・妻木晩田遺跡




1: ニカワ ★\(^o^)/ 2016/07/27(水) 02:02:37.72 ID:CAP_USER9
弥生時代最末期の首長の骨が見つかった仙谷8号墓。中央部分に白い石がかたまっている部分が石棺(鳥取県立むきばんだ史跡公園提供)

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美しい弧を描く美保湾。中央やや下の緑の部分が集落跡が集まる妻木晩田遺跡(鳥取県立むきばんだ史跡公園提供)
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弥生時代の遺跡としては、佐賀県の吉野ケ里遺跡の3倍以上の面積を持つ集落跡が中国地方の最高峰、大山の北麓にある。鳥取県米子市と大山町にまたがる152ヘクタールが国史跡の妻木晩田(むきばんだ)遺跡だ。遺跡中最大の墳丘墓が発掘され3世紀後半の築造と今年2月に発表された。巨大集落はこの後、ほどなく突然消滅。謎の多い古代の山陰地方で、弥生時代から古墳時代への移行期のカギを握る遺跡として注目を集める。

妻木晩田遺跡は「伯耆富士」と呼ばれる大山(1720メートル)の北麓に位置し、孝霊山(751メートル)から派生する標高90メートルから150メートルの丘陵上に展開する。

集落は弥生時代中期後葉(紀元前1世紀)から形成され始める。居留域が次第に広がり、後期後葉(2世紀後半)に最盛期を迎え、古墳時代前期初頭(3世紀後半)までの約300~350年間にわたって営まれた。

遺跡は未指定地も含めると4つの丘陵の約172ヘクタールに広がる。巨大環濠(かんごう)集落として知られる吉野ケ里遺跡で国の特別史跡に指定されているのは約27ヘクタール、佐賀県の史跡指定部分が約23ヘクタール。いかに妻木晩田遺跡が広大かわかろうというものだ。

2011年度から15年度にかけて行われた発掘調査で、妻木丘陵の北西端に2つの墳丘墓が新たに見つかった。この2つは仙谷8号墓と仙谷9号墓で、広大な遺跡のなかでこれまで見つかっていなかった古墳時代前期初頭の築造とみられることから関係者に衝撃が走った。

仙谷8号墓は遺跡中最大の規模と判明。東西9メートル~18メートル、南北14メートルの台形をしている。しかも驚くべきことに、大山北麓の弥生時代の墳丘墓は伝統的に木棺で埋葬されていたのだが、8号墓には大小の石を組み合わせた石棺に遺体を収めていた。

棺の上に蓋石を5個並べ、頭側に置かれた最大の石は120キロを超えていた。埋葬施設は1つだけ。つまり1人だけをまつっている。石材がどこから運ばれたのか詳細は調査中だが、約3~4キロ離れた地域から持ち込まれたとみられる。

8号墓は区画溝の掘削や大型石材の搬入や組み立てなど相当量の労働力の投入が必要なことは明らか。調査にあたった鳥取県立むぎばんだ史跡公園の長尾かおり文化財主事は「大きな権力を持った人物が埋葬されていたと考えられる。有力者層を代表する『首長』の墓」と位置づけている。

8号墓から人骨の頭部の破片がみつかったものの、土器などは出土しなかったため、築造時期を特定するのに時間がかかったが、隣接する9号墓との共同区画溝の土の層を検討。先後関係が認められなかったため9号墓と同時期の古墳時代前期初頭と結論づけた。



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中興の祖と言える名君

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1: 世界@名無史さん 2013/08/22(木) NY:AN:NY.AN 0
中興の祖!
弱体化してしまった国をなんとか立て直すのは、ある意味新たに作るより難しい。
そんな名君を挙げてみよう。

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