2016年09月

◆小ネタ◆歴史的名シーン、名セリフが関西弁だったら

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1: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/10(土) 20:39:32 0
歴史に残る名シーン、名セリフがもしも関西弁だったなら
権威も感動もへったくれも無くなるだろう。
みんなで面白い関西弁訳を考えてみましょう。

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10年ぶりに堀の水を抜いたら40年以上前に中電工が不法投棄した電線部品「がいし」やコンクリ片がざっくざく・国指定史跡三原城跡

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1: 水星虫 ★ \(^o^)/ 2016/09/29(木) 05:57:28.05 ID:CAP_USER9
三原城跡の堀 電線部品投棄

*ソース元にニュース画像あり*

http://www3.nhk.or.jp/lnews/hiroshima/4003044191.html?t=1475095707000
※NHKローカルニュースは元記事が消えるのが早いので御注意を

国の史跡に指定されている三原市の「三原城跡」の堀に電柱と電線をつなぐ部品など
およそ4トンが不法に投棄されていたことがわかり、電気設備工事会社の中電工では
昭和48年以前に不法投棄した可能性が高いとして
すでに自主回収するとともに詳しい経緯を調べています。

不法投棄が見つかったのは三原市にある国指定の史跡「三原城跡」の堀で
市の教育委員会によりますとことし3月、工事のためおよそ10年ぶりに水を抜いたところ
電柱と電線をつなぐ「がいし」と呼ばれる部品やコンクリート片が
大量に投棄されているのが確認されたということです。

堀の近くには、昭和48年まで、広島市の電気設備工事会社「中電工」の営業所があり、
市から連絡を受けた「中電工」では、昭和48年以前に営業所が不法投棄していた可能性が高いとして
これまでにおよそ4トンの部品などを自主回収したということです。

広島県によりますと不法投棄されていた部品は廃棄物処理法に基づいて
排出業者が埋め立てなどの処分を行う必要がありますが、中電工では、
「詳しい経緯は分からないものの、責任をもって対応する」
としています。

三原市教育委員会は
「水や土壌への影響はないものの、文化財に投棄されていたことは大変遺憾で、
今後は不法投棄を防ぐ対策も考えていきたい」
としています。

09月28日 12時27分

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【歴史】「古地図には時代ごとの街の情報が満ちあふれている」 “奈良きたまち”江戸から昭和初期の古地図約30点展示、郷愁をたどる

1: ニカワ ★\(^o^)/ 2016/09/29(木) 05:26:26.10 ID:CAP_USER9
大仏前の土産物店が配った奈良名所絵図。大仏殿や鹿が描かれている
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古地図が並ぶ展示室(奈良市で)
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古くから街のシンボルとして親しまれている「旧鍋屋交番きたまち案内所」
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 ◇旧鍋屋交番案内所に30点

 ◇住民 保管品持ち寄る

 奈良市の旧市街・きたまちの昭和初期の交番を改装した観光案内所「旧鍋屋交番きたまち案内所」(奈良市半田横町)で、江戸から昭和初期の古地図約30点が展示されている。住民らが保管する資料を持ち寄り企画。「歴史に思いをはせながら、街を歩いてほしい」と呼びかける。10月15日まで。(大橋彩華)

 執務室奥の宿直室だった畳敷きの4畳半を展示室に、所狭しと並べた。案内所を運営する住民団体「なべかつ」が、町の地理や歴史に親しんでもらおうと企画した。

 東大寺門前の土産物店が配った江戸時代の「奈良名所絵図」は、現代の観光パンフレットにあたり、大仏殿を中央上に大きく配し、様々な方向を向く鹿たち、つえをつく旅人らが描かれている。1864年(元治元年)の「和州奈良之絵図」は、奈良奉行所を中心に、奈良町や寺社が書き込まれている。

 商家が配った江戸時代の地図は、大和や大阪、京、伊勢などの町の名前を書いた概略図だが、それぞれの距離が書かれた旅の実用品だ。1907年(明治40年)までの9年間で廃線になった奈良市―京都府木津川市をつないだ「大仏鉄道」の路線図は、1・2メートルある縦長サイズの実測図。1904年(明治37年)に奈良市が制定された直後の地図には、3万3130人と当時の人口が書かれている。

 「この辺りに昔、風呂屋があったと思うんだけど」などという問い合わせもあるという。なべかつ副会長の吉田守さん(69)は「古地図には時代ごとの街の情報が満ちあふれている。発見を楽しんでほしい」と話している。今後、古地図を見ながら町を歩くイベントも催していきたいという。

 水曜休館。午前10時~午後4時。問い合わせは吉田さん。

 ◇昭和の姿残す会場

 旧鍋屋交番きたまち案内所は2012年、住民が運営する観光案内所として、旧交番を改装して開かれた。木造の洋風建築として往時の姿を残す。

 1908年(明治41年)、近くの鍋屋町の「鍋屋巡査派出所」が始まりで、28年(昭和3年)に約50メートル北の現在地に移転した。73年、警察官が常駐しない連絡所になったが、「鍋屋の交番」として住民に親しまれてきた。

 2004年に閉鎖。住民や奈良女子大の建築の専門家らが市に保存を訴え、改修を経て生まれ変わった。「駐在さん」と呼ばれる住民ボランティアが交代で詰め、来訪者を案内している。

http://www.yomiuri.co.jp/local/nara/news/20160928-OYTNT50028.html

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◆69◆ここはどこ?わたしはだれ?

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1: 世界@名無史さん 2011/01/17(月) 00:25:31 0
あらあら、あそこの人が記憶喪失になっているみたいですよ。
どこかで見た顔のような・・・・? 歴史上の人物のような気が・・・・?
さあ皆さん、質問をして得られた回答を元にその人が誰かを推理して下さい。
そうすればその人の記憶喪失は多分すぐに治ります(笑)。
記憶の戻った方はその御礼に、あなたの名前を尋ねられると思うので、
是非、名乗ってください・・・・もし記憶がはっきりしているものならば。
もし記憶喪失になっていたら、他の人に助けを求めましょう。

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【社会】701年律令国家の完成祝賀か 藤原宮跡で旗の柱穴7つ出土 続日本紀と一致

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1: ひろし ★ \(^o^)/ 2016/09/28(水) 21:19:15.77 ID:CAP_USER9
日本初の本格的な都、藤原宮跡(奈良県橿原市)から、元日朝賀の儀式で飾る幢幡(どうばん、旗)を立てた柱穴が7カ所見つかり、奈良文化財研究所が28日、発表した。続日本紀にある「大宝元年(701年)の律令国家完成を祝う儀式で7本の幢幡が立てられた」との記述と一致し、新体制をスタートさせた儀式の様子を知る大きな手掛かりとして注目される。

7カ所の柱穴は、平成20年度の調査で見つかった一部を含めて大極殿院南門(正門)前の広場跡で出土。1・9メートル四方の柱穴を中心として、左右対称にそれぞれ三角を形作る配置で柱穴が3つずつ確認された。

続日本紀に「正門にカラス形の幢、(大極殿から見て)左には日像・青竜・朱雀の幡、右は月像・玄武・白虎の幡」と記されており、配置の特徴に合うという。

研究所によると、幢幡の遺構としては最古。平城宮(奈良市)や長岡宮(京都府)、恭仁宮(くにのみや、京都府)など後の時代で柱穴は東西1列に並んでおり、701年の“初回”の配置と異なっていた。

研究所は「当初は古代中国の陰陽五行思想を忠実に表現し、四神が意味する方位を順守して幢幡を置いていたようだが、後の時代に1列に形式化していった」と分析している。

(全文はソースで)
http://www.sankei.com/west/news/160928/wst1609280095-n1.html

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