2017年01月

なぜ朝鮮人は金(キム)って苗字が多いの?




1: 名無しさん 2001/01/15(月) 15:26
わかる人いますか?

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【昭和】これがバブル時代のリアルだ! 1987年頃の東京を映した動画、懐かしさいっぱい

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1: Toy Soldiers ★ \(^o^)/ 2017/01/30(月) 14:24:16.32 ID:CAP_USER9
日本の経済が史上稀に見るレベルで好景気に沸いていたバブル時代。その真っ只中の1987年の様子をとらえた映像をご紹介します。

当時の何気ない東京の日常風景に、その頃の思い出がフラッシュバックしてしまいます。

昔の自動販売機

80's Japan - Vending Machines
https://www.youtube.com/watch?v=wPdeX_kA0dY&feature=youtube_gdata_player



当時は路上の自動販売機で、誰でも酒類が買えました。お父さんにお金を渡されて、ビールを買いに行った思い出も。


切符は駅員さんがひとつひとつをもぎり

80s Japan - Yamanote Line 80年代 山手線 pt.1
https://www.youtube.com/watch?v=tdjqZXuOmz4&feature=youtube_gdata_player



駅の改札。ここは池袋駅のようです。自動改札機はまだなくて、駅員さんがひとつひとつ切符を切っていました。

出典:NichiBeiTrader

東京全体に自動改札機が導入されたのは、1990年以降なのだとか。

夜の東京の様子雨の日の夜の新宿駅前の様子。意外とみんな、ファッションがシンプルですよね。

街の看板もどことなくレトロな感じがします。

80s Japan - Tokyo at Night 東京 の夜 80年代
(なぜかモバイルからは再生出来ません)
https://www.youtube.com/watch?v=MgDzmTj5tSM&app=desktop



どれも懐かしくて胸がきゅっとなる!まるでタイムスリップしたような気分を味わうことができる、1987年の東京を映した動画。

この動画を投稿したのは、アメリカ人のNichiBeiTraderさん。当時、東京を観光しながら撮影したものだそう。

どれも懐かしくて、時間を忘れて見入ってしまいます!

http://news.livedoor.com/lite/article_detail/12595575/

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【歴史】「大河ドラマ」時代考証者が「男性説」に懐疑的…「直虎が女性だった」と考える根拠

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1: ニカワ ★ \(^o^)/ 2017/01/30(月) 01:58:54.00 ID:CAP_USER9

ところで昨年12月、大河ドラマの筋書きに影響を与えるような発見があったのをご存じだろうか?井伊家の史料を収集する井伊美術館(京都市東山区)が新たに確認した文献史料を公表し、「直虎を名乗ったのは女性ではなく、いとこにあたる別の男性だった可能性がある」と発表したのだ。「直虎」の時代考証を担当する静岡大名誉教授の小和田哲男氏に、見解をうかがってみた。

はじめに通説をおさらいしておくと、「直虎=おんな城主」のベースとなっているのは、井伊谷城主・井伊直盛の娘が出家して次郎法師を名乗り、のちに後継者「直虎」となり、徳川家の重臣となる井伊直政の養母となったという説である。直虎本人の存在を示す史料は『井伊家伝記』や、のちに江戸幕府が出させた『寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)』など8点しか残されておらず、なぞの多い人物である。

新説の根拠として確認された史料は、『守安公雑秘説写記(もりやすこうざつひせつしゃき)』(全12冊)。今川義元の子・氏真の配下にあった井伊家について、井伊谷の領地が直盛の義理の兄弟・新野左馬助親矩(にいのさまのすけちかのり)の“おい”にあたる井伊次郎に与えられたとの記述があった。

小和田氏は、新史料によって新たに浮上した「直虎=男性」説に反論している。理由は主に次の3点だ。

・史料は聞き書きなので、江戸時代の井伊家の家臣にこうした伝承があったといったことは分かっても、信憑性は薄い。

・仮に、新野左馬助親矩のおいが井伊次郎を名乗ったとしても、新史料で「井伊次郎=直虎」という記述はない。

・井伊氏の惣領の仮名(けみょう)は代々、「次郎」で、だからこそ、龍潭寺(りょうたんじ)の南渓和尚も、惣領直盛の一人娘の出家に際し、次郎法師という名を与えた。次郎法師がいるのに、別の人間が次郎を名乗るとは考えにくい。

新たに見つかった史料が1735年(享保20年)に編集されたものである点から小和田氏は、「江戸時代の人にとっては“おんな城主”の存在を考えにくかったのでは 大名の無嗣断絶の例が多く“家督は男が継ぐ”という先入観があり、このような伝承ができたとも考えられる」と指摘する。そのうえで、あらためて「次郎法師(直虎)が一時的にではあれ、井伊谷を支配していたことは次郎法師の印判状(『龍潭寺文書』)の存在によって明らか」と、「直虎=おんな城主」説を力説した。



全文は
ttp://dot.asahi.com/dot/2017012600151.html

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【歴史】「女性たちに斬り込まれて防戦一方になり、100人が討たれた」 戦国の女傑、百の首を獲るも自刃した悲劇の「鶴姫」など

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1: ニカワ ★ \(^o^)/ 2017/01/30(月) 02:40:52.06 ID:CAP_USER9


男性中心社会だった戦国時代に“おんな城主”がいた──その意外性から注目が集まる新・大河ドラマ『おんな城主 直虎』だが、実は同時代に男たちと対等、ときにはそれ以上に渡り合った女性が井伊直虎以外にも存在した。直虎に勝るとも劣らない戦国の女傑たちを紹介しよう。


(略)


●鶴姫(つるひめ、1536?~1575年)

百の首を獲るも自刃した悲劇の女傑。備中常山城(岡山県玉野市)城主・上野隆徳の妻・鶴姫には、自ら戦地に赴き“女軍”を率いた逸話が残っている。

備中の戦国大名・三村元親と安芸の毛利輝元が争った一連の戦いで、毛利方の指揮をとったのは輝元の叔父・小早川隆景。隆景は元親の居城・備中松山城の支城を次々と撃破し、天正3年(1575年)5月21日には松山城も落とす。

そして、最後決戦の舞台となったのが備中常山城だった。

小早川軍が常山城に攻めかかったころには、多くの城兵が逃げ出しており、三村勢で城に残っていたのは上野隆徳と妻・鶴姫、そして鶴姫付きの侍女ら合わせて100人ほどだった。しかし、鶴姫はあきらめていなかった。

「武士の妻が敵の一騎も討たずに自害するのは口惜しい」と鎧を着け、侍女30人余りを率いた「女軍」で小早川軍に斬り込んだ。

「このとき常山城を攻めていた小早川方の浦宗勝は、女性が城から出てくるのを見て、降伏してきたのかと勘違いした。すると、その女性たちに斬り込まれて防戦一方になり、100人が討たれたと伝えられています」(小和田氏)

鶴姫は敵の大将である宗勝を見つけると声高に勝負を申し出たが、敵兵に阻まれて押し戻された。最後は城中で自刃し、常山城と運命を共にした。


全文は
http://www.news-postseven.com/archives/20170128_486712.html

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【2】江藤新平・副島種臣と佐賀藩

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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/09/15(水) 23:14:02 ID:qSfHzdMS0
佐賀のエース

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