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1: 世界@名無史さん 2005/11/20 21:31:54
なぜフランコ総統のスレがない!
ヒトラーやムッソリーニよりも長生きしたし、
なによりも病没するまでファシスト政権を維持できたことがすごい。

Franco0001


フランシスコ・フランコ

フランシスコ・フランコ・イ・バアモンデ(1892年12月4日 - 1975年11月20日)は、スペインの軍人、政治家、独裁者(総統)。ガリシア出身。


軍人として

1907年8月15歳の時トレドの陸軍士官学校に入学し、卒業は18歳で少尉となった。

1931年、スペインではボルボン王朝が倒されて第二共和政が成立し、王族は国外へと追放された。フランコは、共和政府からラ・コルーニャとバレアレス諸島の軍政官に任じられ、その間に陸軍少将に昇進した。

1934年10月、右翼の内閣が成立し、左翼政党がこれに抗議してゼネラル・ストライキを呼びかけると、フランコはアストゥリアス地方でゼネストに決起した鉱山労働者を武力で鎮圧した。この功績により翌1935年、陸軍参謀総長に任命された。


スペイン内戦

1936年2月の総選挙で、左翼勢力を中心とする人民戦線内閣が誕生すると、右派として知られたフランコは参謀総長を解任され、カナリア諸島総督に左遷された。

同年7月にスペイン領モロッコと本土で軍隊が反乱を起こすと、フランコはモロッコに飛んで反乱軍を指揮し、本土に侵攻した。保守勢力が反乱軍を支援したため、この反乱はスペインを二分する大規模な内戦に発展した。

反乱軍の中心人物は当初ホセ・サンフルホ将軍やエミリオ・モラ・ビダル将軍などであり、フランコは反乱側の一将軍でしかなかった。サンフルホ将軍が飛行機事故で死亡し、また、初戦に反乱軍は敗北を重ねるなど、長期化の様相を見せ始め、トレド陥落など戦功めざましいフランコがモラに取って代わった。


スペイン統一

 その後フランコは、ドイツやイタリア軍の支援を受けて人民戦線政府勢力と戦った。反乱は陸軍主体で行なわれたため、モロッコ軍を本土に送れず、ドイツの輸送機が活躍した。

最終的にフランコ率いる国民戦線軍は1939年3月27日にマドリードを陥落させて人民戦線政府を倒し、31日にはスペイン全土を制圧、4月1日にフランコ総統は内戦終結宣言を発した。

これにより数十年にわたるスペインの混乱は一応の終息を迎えたが、内戦による国土の荒廃は著しかった。フランコは統一されたスペインの国家元首(総統)となり、同年8月8日に公布された「国家元首法」によって緊急立法権が付与され、強大な権限を持って国家の再建に取り組むこととなる。


第二次世界大戦 

枢軸国寄りの「中立」

スペイン内戦終結直前の1939年3月27日、フランコは日独伊防共協定に加入し、同年5月には国際連盟から脱退した。一方、9月に第二次世界大戦が勃発すると、フランコは国家が内戦により荒廃したために国力が参戦に耐えられないと判断して中立を宣言した。

しかし緒戦におけるドイツの勝利や優勢を見て、1940年6月10日イタリアの参戦直後に中立を放棄し、非交戦(en:Non-belligerent)を宣言した。これによって枢軸国側に近づき、情報提供などで便宜を図った。
1941年の真珠湾攻撃後には日本に祝電を送り、アメリカの不興を買った。
一方でスペインの旧植民地で権益が存在したフィリピンに日本軍が進攻すると、かつての植民地であるフィリピンに残る利権の扱いを巡り両国間で軋轢が生まれた。


連合国への傾斜

しかし、1943年頃よりヨーロッパおよびアフリカ戦線において完全に連合国が優勢になると、再び中立を固持するという日和見な姿勢に終始した。
1944年頃になると、青師団について連合国側各国から批判が集まり、対してフランコは撤兵を約束、国内に対して反対する者は厳罰に処する、と声明した。

さらにアジア太平洋戦線においても日本軍が完全に劣勢となった1945年に起きたマニラの戦いにおいては、現地スペイン人の損害問題を理由に日本と断交した。
 
フランコは第二次世界大戦を次のように見ていた。『世界では全く別の二つの戦争が戦われている。第一にヨーロッパではソ連に対する戦争であり、第二に太平洋では日本に対する戦争である』とし、ドイツ、アメリカ、イギリスを含む「全キリスト教世界」は、野蛮で東洋的・共産主義的なロシアを共通の敵として戦うべきであるとした。
フランコはこの考えにそって連合国とドイツの講和調停を行った。


独裁者フランコ

フランコは、独裁を続けるフランコを支援することに対する国内世論からの批判を受けたアメリカなどの意向に配慮して、任命制の議員の一部を選挙制に切り替えるなど(1966年)、冷戦の影響をうけて左右に揺れ動くスペイン国内の社会不安の緩和に努めた。

しかし、カタルーニャやバスク地方における独立意識を削ぐために、公の場(家の中以外のすべての場所)でのカタルーニャ語やバスク語の使用を禁止するなど、一方では強硬な姿勢を取っており、この様なフランコの姿勢に対して「バスク祖国と自由」(ETA)によるテロなどが活発化した。


後継者指名と王政の復活

フランコは政権のあり方について、最終的には王制に移行するべきだと考えていた。これは、フランコ政権が「個人的独裁制」なので、フランコ没後、政権の枠組みをそのままの形で継承することはあり得ないからである。
議会制民主主義はこの当時のスペインでは失敗を続けてきたので採用はできず、王制が最良だとしたのである。

70歳を越え健康状態が悪化すると、フランコの後継者問題が表面化した。
一部にはフランコの息子に自らの地位を継がせ、カレーロ・ブランコをその下につけるという意見もあったが、これらの意見は王制移行を希望するフランコにより否定された。
 
最終的にフランコは、前国王アルフォンソ13世の孫でフアン・デ・ボルボンの息子であるフアン・カルロスを1969年に自らの後継者に指名し、将来の国王としての教育を受けさせる一方、その後自らは公の場に出ることを差し控えるようになった。長い闘病生活の末に1975年に83歳で没した。




2: 世界@名無史さん 2005/11/20 21:37:50
    , -.―――--.、
   ,イ,,i、リ,,リ,,ノノ,,;;;;;;;;ヽ
  .i;}'       "ミ;;;;:}
  |} ,,..、_、  , _,,,..、  |;;;:|
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  |  ー' | ` -     ト'{    /
 .「|   イ_i _ >、     }〉}   <  真の勝ち組というのが分からない>>1はシベリア送り
 `{| _.ノ;;/;;/,ゞ;ヽ、  .!-'     \
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  丿\  ̄ ̄  _,,-"ヽ
''"~ヽ  \、_;;,..-" _ ,i`ー-
   ヽ、oヽ/ \  /o/  |

3: 世界@名無史さん 2005/11/20 21:48:26
いや、勝ち組だろ。
後継者も自分で指名して、そのまま王様になっていまでも健在だし。

4: 世界@名無史さん 2005/11/20 21:50:34
いや後継者暗殺されて代理候補でファン・カルロスじゃなかった?

6: 世界@名無史さん 2005/11/20 21:56:19
>>4
フランコは第二次大戦後すぐにスペインは王国であると規定している。
そしてファン・カルロスを次期国王に指名して帝王学を教育した。
だから国家元首としての後継者はファン・カルロス。

一方、晩年に元首と首相職を分離して、腹心のカレロ・ブランコを任命した。
暗殺されたのは、このブランコ首相。
自分の死後はカルロス国王、ブランコ首相の体制でいくつもりだった。
フランコ没後のスペイン

独裁者フランコは、ドイツとイタリアのファシズムが崩壊した後も、実に30年間にわたってその独裁体制を維持し続けた。

フランコの支持基盤であった陸軍内部には王の帰還を求める声も強く、自身の没後は王族を擁き政治の実権は腹心のルイス・カレーロ・ブランコに与えようとした。しかし、1973年にETAによるテロで乗っていた自動車ごとブランコが爆殺され、この計画は頓挫した。



10: 高知少将ジョーカー土佐守ジーモン 2005/11/20 23:22:09
ブランコはETAに暗殺されたんだよね。

ブランコは首相官邸に行く途中に毎朝必ず教会によっていた。

その教会の近くの道路に爆弾が仕掛けられていて、

車ごと教会の反対側まで吹き飛ばされた。

ETAによる暗殺の中で一番効果のある暗殺だった罠。
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バスク祖国と自由(ETA)


バスク祖国と自由(エウスカディ・タ・アスカタスナ、バスクと自由の意味、略称ETA )は、バスク地方の分離独立を目指す民族組織である。数多くのテロ事件を起こしたことで知られている。斧にとぐろを巻くヘビがシンボル。

フランコ政権によるバスク地方への武力弾圧に対する抵抗運動として、1959年7月31日にバスク民族主義党から分離した若手の民族主義者たちによって設立された。この当時は、バスク語を禁ずるなどの圧政に対する一般市民の反感もあって、ETAは共感を得ていた。

1973年、フランコの継承者と目され、スペインの首相であったルイス・カレーロ・ブランコの車をマドリードで爆破し殺害した。長期に亘る独裁に反対していた多くの人々はこの出来事を歓迎した。



5: 世界@名無史さん 2005/11/20 21:52:45
ヒトラー→自決、第三帝国滅亡
ムッソリーニ→失脚、最後は街頭で逆さ吊り
サラザール→病気引退、本人は死ぬまでその事実を知らされずw

フランコ→最晩年まで実権掌握、指名したカルロス王子が即位して王政復古

8: 世界@名無史さん 2005/11/20 22:02:50
時代的に蒋介石にも似てるけど、蒋介石は大陸を追い出された時点で負け組だもんな。
やっぱりスペイン全土を最後まで支配し、大往生したフランコは偉大。

11: 世界@名無史さん 2005/11/21 01:01:23
ムッソリーニも、
戦争さえしなければフランコだったのにね。

13: 世界@名無史さん 2005/11/21 06:17:29
>>11
いやー、サラザールかもよ。

37: 高知中将ジーモン土佐守ジョーカー ◆.5DV4fMpf6 2005/11/30 05:51:22
うむ、確かに戦争をしなければ勝ち組だったのはサラザールかも。

第二次世界大戦時のムッソリーニは参戦せざるおえなかったが、

サラザールの場合は1960年代に植民地独立阻止の泥沼戦争をする必要はなかった。

サラザールもフランコ同様に第二次世界大戦で中立だったけどね。

14: 世界@名無史さん 2005/11/21 21:50:30
予選敗退→東條英機
準決勝敗退→ヒトラー・ムッソリーニ
決勝戦敗退→サラザール・スターリン
一人勝ち→フランコ

15: 世界@名無史さん 2005/11/22 03:41:55
「世界最悪10大独裁者ランキング」
1 バシール大統領 (スーダン)
2 金正日総書記 (北朝鮮)
3 タン・シュエ議長 (ミャンマー)
4 胡錦濤国家主席 (中国)
5 アブドラ国王 (サウジアラビア)
6 カダフィ大佐 (リビア)
7 ムシャラフ大統領 (パキスタン)
8 ニヤゾフ大統領 (トルクメニスタン)
9 ムガベ大統領 (ジンバブエ)
10 ヌゲマ大統領 (ギニア)

米誌『パレード』より

75: 世界@名無史さん 2005/12/25 06:37:45
>>15
アブドラは名君だよ。米国の馬鹿雑誌は信用しないようになw

17: 世界@名無史さん 2005/11/22 07:50:38
アメリカに他国の内政をとやかくいう資格があるのか?

大体、冷戦時代はわれらがフランコ総統と仲良くしてたくせにw

19: 世界@名無史さん 2005/11/24 23:41:20
フランコは、ヒトラーとの会見の時、
昼食後にシェスタを始めたので、ヒトラーは怒って帰ってしまった。

29: 高知中将ジーモン土佐守ジョーカー ◆.5DV4fMpf6 2005/11/25 23:07:52
>>19
それはフランコのしたたかさの良い例だね。確かに内戦が終結

ばかりなのに参戦なんてしたらスペインは滅んでしまう。

参戦しなかったことを恩知らずとは言えん罠。政治は損得だから。

ソ連戦線には枢軸側に義勇兵(?)を派遣したが。

32: 世界@名無史さん 2005/11/29 21:05:41
>>29
その内戦を終結できたのは、ナチスの助力があったからで・・・
つまり、恩知らずであり裏切りでもある。

しかし、あの時期にヒトラーの敗北を見越していたのは、大変な先見の明だ。
カンが鋭いというか、予知能力でもあるんじゃないか?

20: 世界@名無史さん 2005/11/24 23:54:36
でもフランコ将軍って教科書にはほとんど出てこないね。スペイン自体スペイン内戦とゲルニカ空襲ぐらいしか習わないし。

31: 世界@名無史さん 2005/11/29 20:34:55
>>20
スペインってあんまり存在感ないのかな……

33: 世界@名無史さん 2005/11/29 21:32:01
高校の授業や教科書では、各国の義勇兵に支援された正義の人民戦線だが、ナチスと組んだ悪のフランコによって叩き潰された、みたいに習った。
当時は右派、軍、独裁というフレーズがついたら絶対悪
人民、民主、義勇兵というフレーズがついたら絶対善という認識だったなぁ・・・。

40: 世界@名無史さん 2005/12/01 00:05:44
秘密警察のおかげで治安も抜群だったし
食料品や日用品、住宅なども低価格に抑えられていた。
死ぬまで地位を保ったし有能な政治家だったのは間違いない。
じいさん達はフランコ時代の方が良かったと嘆いているらしい。

43: 世界@名無史さん 2005/12/01 20:38:35
>>40
でもそういう声はどんどん片隅に追いやられて
歴史解釈の単純化が進んでるんじゃないですか

44: 世界@名無史さん 2005/12/01 23:56:43
>秘密警察のおかげで治安も抜群だったし
そりゃそうだが、悪口いっただけで刑務所送りでは?

45: 世界@名無史さん 2005/12/02 19:50:57
レアル対バルサが必要以上に盛り上がるのもこの人の功績だな

46: 世界@名無史さん 2005/12/02 20:11:02
つか、スペインのフランコ支持派(ネオナチ?)怪しすぎ……
http://www.bbc.co.uk/spanish/especiales/franco/images/04franco_manifestates96_150.jpg
04franco_manifestates96_150


47: 世界@名無史さん 2005/12/03 02:49:41
>>46
狙ってんのかそれwwwww

49: 世界@名無史さん 2005/12/04 22:31:18
>>46
おもしれー!
ネオナチとか笑えない感じがあるが、ネオフランコは
もっと暴れてほすぃ!

74: 世界@名無史さん 2005/12/23 15:53:42
>>46
ワラタww
やっぱりこういうのってガリシアの人が多いのかな?

52: 世界@名無史さん 2005/12/05 22:30:26
不思議な国だな、スペインは。

56: 世界@名無史さん 2005/12/06 21:04:11
>>52
ま、日本でも自民党の前身は戦時中の大政翼賛会や大日本政治会といえるから、別に不思議でもないがな。

55: 世界@名無史さん 2005/12/06 20:27:40
独裁者の真の勝ち組はカストロ。


そういえば、フランコもカストロも、ガリシアと関係深いんだよね。
(フランコはガリシア生まれ、カストロは父親がガリシア生まれ。)

スペインというと、アンダルシアとか、カタルーニャに目が行きがちだけど
最強なのはガリシアなんだよね。

57: 世界@名無史さん 2005/12/07 18:58:19
>>55 キューバ繋がりで言えば、カストロの前の独裁者、バディスタが革命で追い出された時、亡命受け入れを表明したのはフランコのスペインだった。

58: 世界@名無史さん 2005/12/10 00:28:23
さすがフランコだ。
ファシストって人情深い人が多いよね。
なんかヤクザみたい。

59: 世界@名無史さん 2005/12/12 21:55:10
そういや、ヒトラーも幽閉されたムッソリーニを助け出したりしてたな。
あのムッソリーニは替え玉だった説もあるらしいが。

61: 世界@名無史さん 2005/12/17 18:03:39
フランコ時代の70年代、現スペイン国王(1982年即位)は、
スペイン全土をバイクでツーリングしてたそうだ。

スペインの言葉。
「サッカーは地域分断の象徴、バイクレースは国家統合の象徴」
カルロス国王もフランコ総裁も、同じスペイン人としてバイクヲタだったそうな。

62: 世界@名無史さん 2005/12/17 21:56:08
>>61
あの背が低いおっさん(フランコ)がバイクに……?
フランコ総統が玉座に座ってよろこんでる画像があったけど、あまり似合ってなかったなぁ。
上にあまった背凭れがさびしかった。

しかし、有能な独裁者って背が低い人が多いね。
ヒトラー、ムッソリーニ、フランコ、豊臣秀吉……
なんか理由があるんかな?

64: 世界@名無史さん 2005/12/18 02:25:56
>>62
身体的劣等感が支配欲を醸成する。




とか言ってみる。

65: 世界@名無史さん 2005/12/18 03:29:16
>>62
曹操もスターリンも確か背は低かったはず。

66: 世界@名無史さん 2005/12/18 08:34:48
>>62
金正日が円盤に乗ってる写真があったなw

63: 世界@名無史さん 2005/12/18 00:04:10
スペインではバイクのロードレースはサッカー以上に人気あるんだっけ。
たしか、スペインで一番有名な日本人ってモトGPのライダーでそ?

76: 世界@名無史さん 2005/12/29 12:11:58
フランコ総統の銅像って最近撤去されたんだよね。右派の国民党政権の時は、無事だったけど、現キチガイ極左政権になって撤去された。
撤去される時、集まった住民(プロ市民か?)が拍手と歓声が上がり、中には銅像に石を投げつける奴もいて、テレビで見ていて辛かった。

77: 世界@名無史さん 2005/12/29 13:22:45
>>76
でも、カタロニアとバスクではそうされて当然なことをやっていたけどな。

83: 世界@名無史さん 2005/12/30 16:27:50
>>77 バスクなんて、ETAのテロで何人の無辜の国民が死んだことか。
ちなみにETAを支援したのは、ソ連やキューバといった共産主義勢力。
119: 世界@名無史さん 2006/01/08 17:39:10
>>83
>バスクなんて、ETAのテロで何人の無辜の国民が死んだことか

巨悪(独裁政権)を討つために小悪(テロル)を用いるのは止むを得ない。

121: 世界@名無史さん 2006/01/08 18:36:24
>>119
死ね
ただし自爆テロ以外で

78: 世界@名無史さん 2005/12/29 21:11:49
つか、すでに逝去して、しかも民主化した国の元独裁者の銅像が
21世紀までそのまま残ってたこと自体すごいことだわな。

79: 世界@名無史さん 2005/12/29 21:48:14
建前としてはファン・カルロス国王はフランコの後継者だから。

80: 世界@名無史さん 2005/12/29 22:22:39
フランコはなぜ後継政権を王政にしたのかな。民主主義は
早過ぎたのか?

82: 世界@名無史さん 2005/12/29 23:06:38
>>80
フランコ政権の初期から、同世代以上の軍人の間には王政復古の
要求が強く、フランコに大政奉還を要求する事件もあった。
フランコ自身の意志はともかく、支配層の間では王政復古は最初から
規定路線だったと思われる。

84: 世界@名無史さん 2005/12/30 16:32:18
>>80
肝心の王位継承者バルセロナ伯ドン・ファンがイギリス流の立憲君主主義だったから、権威主義独裁のフランコと対立していた。
だから、バルセロナ伯をとばして息子のファン・カルロスが次期国王になった。

81: 世界@名無史さん 2005/12/29 22:36:32
フランコはスペインのことは愛していたけど、スペイン国民はあんま愛してなかったから。
どうも国民の言うこと聴いてばっかいると、
いまいちまとまらん国なよーな気がするw スペインは。
今はフランコ時代の反動で上手くいっているんじゃないかな。

つーかこの人ってファシストなの? 
反共で枢軸国に接近してたから、そうみなされがちだけど、それは単なる方便で実際は前近代的なナショナリストなんじゃねーの。

87: 世界@名無史さん 2005/12/31 20:57:53
パクチョンヒといい、自国民を信用してない政治家のほうが成功率は高いね。
日本ではどうなのだろうか……。

92: 世界@名無史さん 2006/01/06 01:53:20
フランコ総統は、老後の衰えた姿を見ることができた数少ない独裁者のひとり。
ヒトラーやムッソリーニは、ヨボヨボの姿を見られずに逝けてよかったのかもな。

93: 世界@名無史さん 2006/01/06 07:27:37
>>92
その点ではサラザールが最強でしょう。
Antonio_de_Oliveira_Salazar


アントニオ・デサラザール


アントニオ・デ・オリヴェイラ・サラザール(1889年4月28日 - 1970年7月27日)はポルトガルの政治家、首相および一時大統領で、エスタド・ノヴォの権威主義的独裁者と言われた。

1968年8月3日、リスボン郊外のカスカイスにあるサント・アントニオ・ダ・バッラ城砦で静養中だったサラザールはハンモックでの昼寝中誤って転落、頭部を強打して意識不明の重体となった。

2年の時をおき意識を取り戻したが、その頃には政権がカエターノの手に移っていたため、側近や身の周りの人間たちは彼にショックを与えないため、その執務室を病態に陥る以前と同じ状態に保全し、のみならず当時のポルトガルの動乱のことなどは一切記載されない偽の新聞を読ませ、サラザールが権力を喪失した落胆に見舞われないよう配慮した。
 
サラザールはこの執務室で効力のない命令書を書き、偽の新聞を読んで晩年を過ごした。その結果サラザールはポルトガルの混乱を知らないまま死去した。



95: 世界@名無史さん 2006/01/06 15:42:07
共産系を除けば、蒋介石、フランコ、サラザールは老後を見ることのできた独裁者。

97: 世界@名無史さん 2006/01/06 15:56:35
全斗煥やマルコスもそうだな。開発独裁型の独裁者で暗殺された朴正煕があまりにも印象が鮮やか過ぎるだけで。

っていうか、WW2時に独裁者になっていたヤシの話題じゃないの?

101: 世界@名無史さん 2006/01/08 00:40:41
フランコによるクーデター。
これは悪が正義に勝った例だ。
世界中の民主主義者が結束しても、フランコには勝てなかった。
「正義は必ず勝つ」などと言う人がいるが、この歴史的事実でその説が
いかに幻想かということを感じさせられる。

104: 世界@名無史さん 2006/01/08 01:23:35
>>101
>世界中の民主主義者が結束しても、フランコには勝てなかった。
というより、結束できなかった例でわという気が…

107: 世界@名無史さん 2006/01/08 02:10:21
>>104
結束しようとすると共産党が引っ掻き回す
日本の反核運動とか成田空港とかで毎度おなじみのパターンw

102: 世界@名無史さん 2006/01/08 00:42:17
フランコが悪とは限らないわけだが・・・

105: 世界@名無史さん 2006/01/08 01:59:07
悪かなぁ?、内戦を終結させ、散々恩を受けた枢軸国と距離を置いて敗北から国を守り、議員の一部とは言え任命制から選挙制に切り替えて
後継者には立憲君主主義者の王族を指名して独裁体制終焉に備えた。
自分の死後さえ見据えたすごい政治家だと思うぞ。

117: 世界@名無史さん 2006/01/08 16:11:06
>>105
そこまで言うと褒め殺しですね。本当に凄いのは、フランコの下で隠忍自重し、あっと言う間に上からの民主化を成功させたファン・カルロス国王ですよ。

109: 世界@名無史さん 2006/01/08 02:18:02
>>105
>>内戦を終結させ、

内線を引き起こしたのは、こいつだろう?
共和国軍はこいつが引き起こした反乱の鎮圧に失敗したわけだが、そもそも、こいつがいなかったらスペインはずっと平和だったはずじゃないか。
ドイツイタリアに恩返しをしなかったのは、スペイン国民にとってはよかったかもしれないが、そもそも最初から、こいつがいなかったら、ドイツイタリアに借りが出来ることもなかったじゃないか。

こいつは、悪だ。正義の側はあまりに弱すぎて、敗北した。
そして、死ぬまで報いを受けることなく、天寿をまっとうしてしまった。
スペイン民主主義の、あまりにみじめな完敗だ。

111: 世界@名無史さん 2006/01/08 02:53:44
>>109
おいおい、人民戦線政府なんて共産党、社会党、左派勢力の寄り合い所帯で更にそれ以前に政権を取ってた右派との対立でスペインは滅茶苦茶
モロッコなんて辺鄙なところで起きた反乱ですら鎮圧できずに無為無策にすごしてた訳だがフランコが決起したのはその後。

113: 世界@名無史さん 2006/01/08 05:11:57
>>109
立憲君主のファン・カルロス一世を後継者に指名したのはフランコ
現在のスペインの民主制の礎を築いたのはオマイの大好きな共和国じゃなくてフランコだw

114: 世界@名無史さん 2006/01/08 14:05:59
ちゃんと自分で自分のケツ拭いて逝っただけ、フランコはまとも。
世界のファシストはフランコを模範にするべき。

115: 世界@名無史さん 2006/01/08 15:40:46
ヒトラーなんか国家元首の責任全部放り投げて勝手に自殺しやがったからな。

116: 世界@名無史さん 2006/01/08 15:57:48
共和国側を持ち上げようにも内情があまりにも酷いから
フォローするのも難しい
初期の頃には理想に燃えていたんだろうけど
それに比べてフランコはとにかく手堅いからね
独裁者に珍しく冒険的なことを嫌う人だから

120: 世界@名無史さん 2006/01/08 17:55:19
フランコの強権を悪というのなら無能さ故にスペインを荒廃させた共和派の連中は外道だな。

123: 世界@名無史さん 2006/01/08 20:25:06
バスクとカタルーニャは恨みを忘れん…

153: 世界@名無史さん 2006/01/25 11:38:41
前レス読まずに言うけど、このスレでは、共和国派も、残虐さの点では
フランコとどっこいどっこいだったってのはがいしゅつ?

154: 世界@名無史さん 2006/01/25 12:38:07
前提条件。治安維持をする気ナッシングだった点では、フランコより悪いかも。

155: 世界@名無史さん 2006/01/25 22:07:48
>>154
それは事実上、無政府国家なのでは……

156: 世界@名無史さん 2006/01/25 22:28:15
まあ現に純粋なアナーキスト達も共和国側にいたわけだけどね
劣勢を覆す為にソ連共産党の力を借りて、母屋までのっとられかけてた共和国側に対してドイツ、イタリアの力を借りて内戦に勝利しても一線を引き続けた反乱軍陣営どちらが賢かったかは明らかだと思うけどね

160: 世界@名無史さん 2006/01/27 21:43:17
まあ、枢軸国に連ならなかっただけでも御の字ジャマイカ?
チャーチルも喜んで共和国派を見捨てられたんだし。

170: 世界@名無史さん 2006/02/04 13:01:11
フランコの独裁体制には賛否両論あるが根強い支持者が
いるのも間違いなさそうだ。確かに自由はある程度抑圧されては
いたものの、彼の率いた政権が混迷する国内情勢になんだかんだ
言っても長期に渡る安定をもたらしたのも確かだろう。

後年、彼はブルボン家の王子を後継元首に指名して王制復古への道を開き彼の死後、その王子がファン・カルロス一世として国王に即位し、
共和制が主流となった二十世紀ヨーロッパにおいて奇跡的な王制の
復活を果たした。

今や共和制はヨーロッパ、いや、世界において主流となりつつ
あるが昔の古き良き時代の王制という文化遺産の建て直しのきっかけを
作ったことは評価されて然るべきだろう。


引用http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1132489914/l50


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