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1: 世界@名無史さん 2005/10/23 21:52:08
ムガール帝国末期から現代に至るまでのインド史について
語りませう。
イギリス支配時代にインド社会がどう変化したか、
およびインドのナショナリズムについて興味があります。










4: 世界@名無史さん 2005/10/23 22:11:33
ちなみに最近の日本では「ムガル」という表記が一般的
(南アジアを知る事典など)

5: 世界@名無史さん 2005/10/23 22:28:01
イギリス支配以前は、インドのカーストはけっこう流動的だった
というのは一般人にはほとんど知られていない。
イギリスが植民地時代に行った国勢調査などを通じて、政治化して
いったのである。
(このあたり、植民地時代のアフリカで「部族」がヨーロッパ人の
手によってつくられていったプロセスを連想させる)

8: 世界@名無史さん 2005/10/24 15:58:45
ムガル朝崩壊からインド帝国成立までの歴史がむっちゃ面白い

9: 世界@名無史さん 2005/10/24 17:22:56
マイソール王国の盛衰とかか


マイソール王国

マイソール王国とは、14世紀末から20世紀中頃にかけて、南インド、現在のカルナータカ州のマイソール地方に存在したヒンドゥー王朝(一時イスラーム王朝)(1339年 - 1947年)。首都はマイソール(現マイスール)とシュリーランガパッタナ。

マイソールを首都においたためこの名がある。その歴史の多くをヒンドゥーのウォディヤール家(Wodiyar)が治め、1760年以降にムスリム支配におかれ、1799年よりイギリス東インド会社(後にイギリス領インド帝国)の支配下となり、ウォディヤール家に戻り、マイソール藩王国と呼ばれた。




10: 世界@名無史さん 2005/10/24 23:06:39
マイソール王国はハイダル=アリーとティプー=スルタンの時代に近代化
路線を推進。
16世紀ヨーロッパの水準の火気を使ってイギリス軍に抵抗。

11: 世界@名無史さん 2005/10/25 10:44:43
今インド南部がIT王国なのは
マイソール王国の魂が生き続けてるからなんだろうな

94: 世界@名無史さん 2006/07/06 12:25:40
>>11
16世紀は東南アジアなんかでも普通に欧州並みの火器を使ってるが・・・
「マラッカの鉄砲鍛冶が作る銃はドイツ並みの品質」とかいわれてたらしい。

15: 世界@名無史さん 2005/10/26 04:11:51
ネパールのグルカ王朝が国内を統一後、西へどんどん領土を
広げていって、最後に東インド会社に鉄槌をくらってへたばる経緯も
非常に面白いんだが、ネパール史好きな人しか興味持たないのは
もったいないね。

16: 世界@名無史さん 2005/10/26 18:10:43
>>15
グルカ王朝って、シッキム・チベット・清朝・東インド会社と戦争して
たんだよね。
1814~16年のグルカ戦争で、イギリス軍に敗れて保護国に。

18: 世界@名無史さん 2005/10/26 20:08:32
東インド会社との前にスィク教国とも戦争してる。負けたけど。

21: 世界@名無史さん 2005/10/27 18:31:16
ムガル朝の諸君主のうち、最も男色を愛した人物は誰でありましたかの?

25: 世界@名無史さん 2005/10/28 13:43:18
ムガル朝の諸君主のうち、最も男色を愛した人物は誰でありましたかの?


ハレムに千人もの美少年を擁していたのは、シャー・ジャハーン
でしたっけ?

28: 世界@名無史さん 2005/11/05 12:58:02
ムガール帝国の末裔はその後どうなったのでしょうか?
セポイの反乱の後、イギリスによってビルマに流された
と聞きましたが、その後を知りたいです。
ウソかホントか知りませんが末裔の一人が
日本でカレー屋をやっているとも聞きました。

29: 世界@名無史さん 2005/11/12 20:01:11
インドやパキスタンのエリートは、日本人を含む黄色人種を見下していると
いうのは本当ですか?

38: 世界@名無史さん 2005/11/15 00:28:20
>>29
そんな彼等は中世・近世の時代には奴隷王朝やムガール帝国のような黄色人種の国家に支配されていたがな。

39: 世界@名無史さん 2005/11/15 00:33:55
テュルク系=黄色人種か?

44: 世界@名無史さん 2005/11/15 17:51:17
>>39
トルコ民族は元々はモンゴル人と同じアルタイ山脈発祥のモンゴロイド系の遊牧民だよ。
ムガール帝国の初代の皇帝はチンギス・ハーンの次男のチャガタイの子孫であるし、実際に、ムガール帝国の「ムガール」とは、ペルシャ語で「モンゴル」と言う意味になるしね。
ガズナ朝や奴隷王朝もイスラムのトルコ奴隷軍人の出身だから黄色人種と言えるんだよ。

51: 世界@名無史さん 2005/11/16 23:57:16
>>44
「モンゴル」のことをジュヴァイニーやラシードゥッディーンといった
モンゴル帝国時代からペルシア語史料では مغول
moghūl / mughūl 「モグールorムグール」と「音写」した。
多分、本来はこのままで mongγol と発音されてたのだろう。

مغول はその後ティムール朝でもバーブル自身もこの綴りを使っている。
チャガタイ王家の後身である「モグーリスターン」王家もمغولستان と綴られる。

ところが、どうやらムガル朝のアクバルの治世に諸史を編纂する段階で、
مغل という綴りを始めたようだ。これを19世紀頃にはMoghul「モグル」と読んだようだ。
ところが、それを英国人あたりは[mougvl](vはターンドvのかわり)と発音してしまったため、英領インドからのムガル朝研究の流れを汲んだ日本では、カタカナで「ムガール」と綴ることとなってしまったようだ。

49: 世界@名無史さん 2005/11/16 16:41:46
ムガル帝国はヒンズー教徒のインド人にとっては異民族の国であり、異宗教の国家でもありました。
そのため、イスラム教徒とヒンズー教徒が対立していました。イギリスはそこに目をつけて、宗教対立を煽りました。
そして、イギリスの植民地支配を受けた時には、互いに対立し合い分断支配を受けていました。
独立したときには、インドは三ヶ国に分裂してしまいました。

50: 世界@名無史さん 2005/11/16 19:51:46
>>49
独立したときは2ヶ国だ。東パキスタンが分離独立してバングラデシュになったのはその後。

54: 世界@名無史さん 2005/12/03 22:30:26
インド近代でのイスラム教とヒンドゥー教の対立について教えて
ください。

55: 世界@名無史さん 2005/12/04 01:53:58
>>54
インドのムスリムの大半は、下位カーストからの改宗者であり、改宗後も
ヒンドゥー的慣習を色濃く残し、また、ヒンドゥーがムスリムの祭りに
参加したり、ムスリムの聖者を祀る廟に参拝することや、その逆の例も
いたって普通のことであった。
ベンガルのムスリム農民層の場合、ヒンドゥー特有の名前を持っていることもまれではなかった。
近代になってムスリムがイスラームの「浄化」や「近代化」を図ると、
ムスリム対ヒンドゥーという対立の図式が出てくる。

56: 世界@名無史さん 2005/12/16 01:58:54
イスラム系王朝のもとでは、ムスリムが租税や法の上で優遇されたから改宗した、という者もいたんでしょうか?

58: 世界@名無史さん 2006/01/30 02:13:23
不可触選民が改宗したんじゃないの

62: 世界@名無史さん 2006/02/23 17:03:31
イギリスのインド統治について、ジェレミー・ベンサムやジェームズ・ミル
などの功利主義者は、インドを完全に西欧化することがインドを救う道だ、
と考えていたが、
エドマンド・バークやジョン・スチュアート・ミルのような保守主義者は、
イギリスの制度をインドに押し付けることについて懐疑的だった。
現代でも、グローバリゼーション・市場経済マンセーの中、インドに欧米の文化(主にアメリカ文化)が流入しているけど、それはインド社会に必ずしもいい影響だけを与えるものではないだろうね。

65: 世界@名無史さん 2006/03/21 14:30:55
ジャーナリスト・西村幸祐さんを語るスレ
http://www.logsoku.com/r/mass/1121381289/

544 名前:Levchenko 投稿日:2006/02/19(日) 13:12:42 ID:7oV10I9m
純文学出身だから社会科学や歴史の知識があんまり無いんだね

マウントバッテン擁護には噴いたよ

>そんな彼がインド独立の際は、インドとパキスタンの分離独立を成功させ、
>ヒンズー教とイスラム教の無用な流血を防いだのも事実だった。
http://nishimura-voice.seesaa.net/article/2929217.html

66: 世界@名無史さん 2006/03/21 15:14:27
>ヒンズー教とイスラム教の無用な流血を防いだのも事実だった。

オイオイ、いったい何みてるんだ?
「何も知りません」て言ってるも同然。

67: 世界@名無史さん 2006/03/21 16:33:09
有用な流血だけが流れ放題だったってことだろ。
日本語として間違ってはいない。

68: 世界@名無史さん 2006/03/30 04:41:52
まぁ延々と内戦続けるよりは死者が少なかったかも・・・?

71: 世界@名無史さん 2006/05/28 18:05:59
近代化(西欧化)に対抗する国家意識の確立として
「イスラム」を選んだパキスタンと、
「インド」を選んだインドってことですか?

72: 世界@名無史さん 2006/05/28 21:21:24
>>71
西欧化するならイスラームやバーラトを選ぶわけがない。
キリスト教諸派の中のどれかか共産主義を選びます。

どちらも非西欧が明白なのに西欧化とは意味不明。

73: 世界@名無史さん 2006/05/30 04:25:49
「西欧化に対抗する国家意識」って書いてあるようだが。

74: 世界@名無史さん 2006/05/30 10:28:17
近代化(西欧化)に対抗する国家意識→グローバリズムに対する防波堤、のほうが表現として妥当だろう。

ちなみに日本の場合は「天皇」、韓国は「恨」がこれに相当する。

78: 世界@名無史さん 2006/05/31 09:48:33
>>74
どう見ても明治以降の天皇は西欧の君主(主権者/象徴)なわけだが。

75: 世界@名無史さん 2006/05/31 05:32:25
インドは戦後もイギリス統治のままだったほうが経済発展遂げられただろうね。
戦後の社会主義化路線は英領時代への反発か?
ソ連崩壊してからやっと自由化するなんて気づくの遅すぎ

79: 世界@名無史さん 2006/05/31 20:32:24
>>75
80年代になるまで、資本主義は欧米だけのものだと考えられていた、
という話を聞いたことがある。

76: 世界@名無史さん 2006/05/31 06:07:42
インド人はどんなにカーストの低い者でも「黄色人種よりは上」と思ってます。
特に日本人に対する優越感は相当なものです。彼らの中の真のカーストは
イギリス人>>>>>>>>>>バラモン>武士>町民>奴隷>バリア>>>>>>日本人
だそうです。
日本人は「バカで無能なくせに金を持ってるカモ」という認識だそうです

90: 世界@名無史さん 2006/07/03 00:53:03
>>77
いまマジだ それ。
若い世代はともかく年配の上位カーストでそんなに裕福でない層はプライドだけは、むちゃくちゃ高くて
日本人はアウトカースト扱いだ

91: 世界@名無史さん 2006/07/03 00:59:05
よく分からないんだが、インド教の最下層のカーストでも出家し修行をすれば「仏」に昇格できるの?

92: 世界@名無史さん 2006/07/03 03:57:45
仏教はカーストを否定するものだから、「仏」という
カースト設定はないし「仏に昇格する」という概念もない。

93: 世界@名無史さん 2006/07/03 05:58:19
ではヒンドゥー教から仏教に転向すれば仏になれる可能性もあるわけで?

96: 世界@名無史さん 2006/07/31 14:56:08
>>93
アウトカーストは差別に嫌気がさして仏教に改宗してるよ
アベンガルド博士の提唱で新仏教と呼ばれてる
インドのイスラムは陰ではカースト制維持してるからなぁ

97: 世界@名無史さん 2006/07/31 16:46:51
>>96
カースト制度の中でムスリムもいちカーストとして扱われているってのは
聞いたことがあるが、ひょっとしてムスリムの間で出自によってカースト分けがあるって事?

103: 世界@名無史さん 2006/08/17 22:35:57
>>97
インド・イスラムにはカースト制度が温存されている ヒンドゥーよりやや緩いが日本人から見りゃかわらないな

98: 世界@名無史さん 2006/08/04 21:07:42
やっぱり早々にネタ切れしてカーストネタに墮したか・・・

99: 世界@名無史さん 2006/08/16 00:20:37
ポルトガルからゴアを武力開放したのは凄い。
近代海戦でアジアがヨーロッパに勝利した希少な例では無いか?

108: 世界@名無史さん 2006/08/20 09:32:46
>>99
この時代のヨーロッパ諸国はアジアの既存のシステムに寄生しているという感じ。
オランダ人も鄭氏によってあっさり台湾から追い出されている。

101: 世界@名無史さん 2006/08/16 21:56:02
ポール・ケネディが『大国の興亡』で、ムガル帝国について

町にはかなり多くの商人がいて市場がにぎわい、ヒンドゥー教徒の
製造業や貿易や信用などに対する態度は、まさしくウェーバーの
プロテスタント倫理のまたとないお手本ともいえそうなものだった。
このように優れた起業家精神を発揮し、イギリスの帝国主義の犠牲と
なる直前には経済的「離陸」の機が熟していたインド社会…

と書いていたが、やり方しだいではインドが植民地にならずに近代化を
遂げることが出来たのかな?

102: 世界@名無史さん 2006/08/17 00:25:41
ペルニエなんかはまったく逆の印象を書いてたような・・・

104: 世界@名無史さん 2006/08/18 00:37:50
アウラングゼーブが26年にわたるデカン遠征を行った後でも、帝国の財政はほとんど傾いておらず、アーグラ城だけでも2億4千万ルピーが退蔵されていたらすぃ。
ムガル帝国の富、恐るべし。

111: 世界@名無史さん 2006/08/23 23:08:57
ムガル皇帝の肖像画を見ると、ムスリムなのに背後に光輪が描かれているのがおかしい。
394px-Bichitr_-_Jahangir_preferring_a_sufi_sheikh_to_kings


112: 世界@名無史さん 2006/09/04 22:17:36
>>111
きっと民からすれば皇帝は天使のような存在なんだよ。

113: 世界@名無史さん 2006/09/04 22:22:14
当時のインド人からしたらムガルの皇帝なんて
余所者の野蛮人の侵略者にしか見えなかったと思うが。

117: 世界@名無史さん 2006/09/09 21:19:00
『皆川博子作品清華 伝奇時代小説編』(白泉社)に、「孔雀の獄」という短編がある。

王位を継ぐものは兄弟をすべて殺すという習慣があったので、王妃は密通の汚名をかぶり、次男を王の子ではないということにして、一命だけはとりとめさせ、自分は投獄されるというストーリー。

この話には誰かモデルがいるんだろうか?

118: 世界@名無史さん 2006/09/09 21:21:15
思い当たる人物が多すぎる。
何せムガルの王子は王位継承者以外は死刑か眼を潰して追放がセオリーだから。

120: 世界@名無史さん 2006/09/14 03:09:59
マラーター同盟は1761年、パーニーパットの戦いでドゥラーニー朝の軍隊に惨敗するが、インドやイランの諸王朝(勢力)は、中央アジアの遊牧民にあっさり敗れるパターンが多いような・・・
ラージプート諸王国も中央アジアのムスリムに敗れているし、イランのサファヴィー朝はアフガニスタンのカンダハール遊牧民によって事実上滅亡。



パーニーパットの戦い

パーニーパットの戦いとは、デリー近郊のパーニーパットで、1526年4月21日、1556年11月5日、1761年1月14日に3次にわたって行われた、インドの運命を決めた重要な戦いである。

第3次は、第2次から200年後の1761年1月14日に、マラーター同盟とアフガン勢力ドゥッラーニー朝との間に行われた戦い。このころになると、ムガル帝国は最後の繁栄を享受した後すっかり弱体化して、デカンのマラーター同盟が18世紀のインドの主役となっていた。

だが、同世紀後半には、アフガン勢力ドゥッラーニー朝がたびたび北インドに侵入し、マラーターの北進の障害となっていた。これに対し、マラーター同盟の宰相バーラージー・バージー・ラーオ(英語版)(在位1740 - 1761)は、アフガン勢力の討伐を決め、8万の大軍でこれを迎撃することにした。

1761年1月14日、マラーターの大軍がアフガン勢力とパーニーパットの地で激突し、昼まではマラーターが優勢だったが、アフガン王アフマド・シャー・ドゥッラーニーの突撃により総崩れになり、その結果マラーターは大敗、数万の命が露に消え去った。

また、アワド太守のシュジャー・ウッダウラが、マラーター軍の糧道をふさいだことで、マラーターは長期戦に耐え切れなくなり、敗北してしまった。




121: 世界@名無史さん 2006/09/14 05:51:58
近代装備のない軍隊だからだろうな
シナも、大砲以前はそうだった

123: 世界@名無史さん 2006/09/15 00:11:21
>>121
大砲が近代兵器といえるのかどうか。
洋の東西を問わず14世紀には実戦に投入されていた。

126: 世界@名無史さん 2006/09/15 17:17:30
1500年 シャイバーニー朝、サマルカンドを攻略。サマルカンド政権の滅亡
1501年 イランにサファヴィー朝成立
1504年 バーブル、カーブルを占領
1507年 シャーバーニー朝、ヘラート攻略。ティムール朝滅亡。
1510年 サファヴィー朝、メルヴの戦いでシャイバーニー朝を破る。
1526年 バーブル、ムガル王朝を樹立
1530年 バーブル死亡、フマーユーン即位
1539年 シェール・ハーン、チャウサの戦いでフマーユーンを破りスール朝を樹立
1545年 フマーユーン、サファヴィー朝の助力でカンダハールを奪回
1556年 フマーユーン死亡、アクバル即位

127: 世界@名無史さん 2006/09/15 17:39:15
1707年 アウラングゼーブ死去、バハードゥル・シャー即位
1720年 バージー・ラーオ1世、マラーター同盟の宰相になる
1722年 アフガン族のマフムード、イスファハン攻撃。サファヴィー朝、事実上滅亡。
1736年 ナーディル・シャー、アフシャール朝を興す
1739年 ナーディル・シャー、インドに遠征しデリーを一時占領
1744~48年 第一次カーナティック戦争
1747年 ナーディル・シャー、暗殺される
1750~54年 第二次カーナティック戦争
1752年 マラーター同盟、デリーに入城し、ムガル皇帝を保護下に置く
1757年 プラッシーの戦い
1758~61年 第三次カーナティック戦争
1761年 マラーター同盟軍、パーニーパットの戦いでドゥラーニー朝に敗北

128: 126=127 2006/09/15 18:21:53
ムガル帝国とサファヴィー朝の勃興期はほぼ重なっているんだよね。
インド史は中央アジアやイランやヨーロッパの勢力とと絡み合いながら
進んでいくけど、そのゴチャゴチャ具合がまた面白い。

142: 世界@名無史さん 2006/10/21 16:55:10
しっかし、17世紀のムガル人口推定一億にはビビッタ。
同時期のオスマンの5倍、サファヴィー朝の20倍だそうだ。
んで、イスラム国最大最強なんだってさ。
イメージではオスマン最強っぽかったが、意外とムガル強い?
まあ、人口だけで最大最強ゆーたわけじゃなさそうなんで、
軍事的にも何かしら優れてるっぽいが。単純に兵量だけじゃないと信じたいw

143: 世界@名無史さん 2006/10/21 19:30:25
ムスリムの人口が一番多い国って、インドだと聞いた気がするが。

暑すぎるのか、制度的な弊害があるのか、歴史的結果だけ見ると軍隊は弱い方に入るよな。
将軍なんかもキラリと光るいいのもいたりするんだけどね。
とりあえず、外国行ったら身を清めるまでアンタッチャブルじゃ遠征もままならんような。

154: 世界@名無史さん 2006/10/24 03:56:55
>>143
一番多いのがインドネシアで、次がインド、3番目がパキスタンだな。
4番目はバングラか?

157: 世界@名無史さん 2006/11/13 18:05:58
>>154
21世紀中にはイラン・エジプト・ナイジェリアが上位に迫る勢いだそうな。

144: 世界@名無史さん 2006/10/21 20:21:54
オスマン朝2000万しかいないの?
日本はどれぐらいだっけ?

145: 世界@名無史さん 2006/10/21 21:23:40
江戸時代始めに約1200万人、18世紀半ばに約3000万人まで急増した後は
幕末の時点で約3200万人と微増ないし横ばい状態が続く。

146: 世界@名無史さん 2006/10/21 21:24:57
オスマンスレで見た情報によると、
スレイマン大帝の全盛期で推定三千万だそうです。
なので二千万でもいいかも。

147: 142 2006/10/21 21:29:08
そう言えば、著者によると人口・富・軍事力で17世紀のムガルは
同時期のオスマン・サファヴィーの両者をはるかに凌駕していたそうです。
まあ、確かに後の18世紀のインドから英国にもたらされた富はハンパじゃないけど。

148: 世界@名無史さん 2006/10/21 23:24:57
しかしムガル朝軍がオスマン朝軍とまともにぶつかって
勝てそうな感じがしないのは何故だ。偏見か。

149: 世界@名無史さん 2006/10/22 21:03:51
>>148
多分みんなそう思っている。

151: 世界@名無史さん 2006/10/23 04:08:26
ムガルとオスマンがぶつかるわけないから。

ぶつかるとしたら、間にあるサファヴィー朝を
どっちが取っているかで大きく違うから
まじめに考える意味はない。


引用http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/whis/1130071928/


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