413H3nIV-XL



1: 世界@名無史さん 2001/08/31 23:29:00 ID:02S7PiYA
色々な見方が交差していて
文革がなんだったのかよくわかりません。
権力闘争?真の社会主義革命?内乱?粛清?
誰か詳しく教えてください!








3: ( ´ⅴ`)ノ 2001/08/31 23:38:00 ID:3UMMMp56
コピペなのれす。

3 名前:世界@名無史さん 投稿日:2001/08/16(木) 20:13

スターリンの死後、ソ連のフルシチョフがアメリカと歩み寄りを始めたため
それを共産主義の背信行為だと毛沢東が批判した、中ソ論争が背景にある。
いっぽう劉少奇と鄧小平の二人は、共産党一党支配などの現状では
経済的に中国の未来はないと考え、資本主義経済のとり入れをしようとした。
20年前に俺が苦労して作った中国をお前らに渡すか、と怒った毛沢東が
彼らを走資派とよんで殺そうとした一連の内紛を、文革という。
結果的に中国は現在も眠れる獅子のままでいる。

毛沢東は孫文やレーニンなどのように改革者としてその役目を終えていれば
いまも偉人として名を連ねていただろうに、文革前後の彼については
毛沢東老いたりといわざるをえない。

4: 1 2001/08/31 23:50:00 ID:02S7PiYA
>>3
どうも、ですがそこらへんはだいたい理解しています。
文革の間にどんな混乱があったのかがよくわかりません。
4人組はどのようにして権力を掌握したのか、林彪の謎の死について
など詳しく教えて欲しいです。

5: 世界@名無史さん 2001/09/01 00:13:00 ID:Tiub6PKM
ネット場で検索されるのがよろしいかと>1
質問が幅広く、説明するにはかなりの量カキコしなくては成らない。
ネットで調べきれなかった事などを、ここで聞かれるのがよろしいかと。

6: 1 2001/09/01 17:55:00 ID:z.VGpLXo
それではひとつずつ質問していきます。
4人組について教えてください。
彼女らはどのようにして権力を握ったのでしょうか?

8: 世界@名無史さん 2001/09/01 21:40:00 ID:sr5zAZkA
4人組について教えてください。
>彼女らはどのようにして権力を握ったのでしょうか?

図らずも、「彼女」と言うところを見ると、むしろ
4人組と言うより江清について聞いているわけですね。

文化大革命を毛沢東の権力掌握のための闘争と捕らえ
かつ、党機関の破壊と考えるならば、毛沢東は、自分の
味方を党組織からではなくいわば身内に見出したのは
当然でしょう。

でも結局は、
ちゃんとした文献を読んだ方が早いと思いますよ。
で、日本の変な本よりアメリカの研究書などが
よろしいかと思います。
220px-Jiang_qing_yanan_001


江青


江青(こう せい、ジャン・チン、ピンイン:Jiāng Qīng。1914年3月 - 1991年5月14日)は、中華人民共和国指導者の毛沢東の4番目の夫人で政治指導者、女優。山東省出身。文化大革命を主導し「紅色女皇」と呼ばれた。

1966年に始まる文化大革命で「四人組」の1人として活躍し、世界中に悪名を轟かせることになる。

1969年の9全大会、1973年の10全大会で中央政治局委員に選出。康生、謝富治らを使って多くの人物を冤罪に落しめ、張春橋、王洪文、姚文元との四人組を政治局で結成。林彪の失脚後の10全大会以降は文化大革命の主導権を握る。

表むきは夫毛沢東の忠実な部下を装い、「わたしは主席のためにパトロールする歩哨にすぎません」とよく口にしていた。嫉妬深く自分より優れた所のある女性は容赦なく攻撃し、劉少奇夫人の王光美を失脚させたり、周恩来の養女で女優の孫維世を死に至らしめた。

さらに、1976年には復活した鄧小平を再度失脚に追い込み、批林批孔運動によって周恩来の追い落としも図ろうとした。しかし同年の毛沢東の死の直後に、「四人組」の1人として逮捕された。

1991年5月14日に、北京市北部の北京市昌平區にある小湯山秦城監獄でガンの療養中に首吊り自殺した。古新聞の片隅に書かれた「毛主席 あなたの生徒 あなたの戦友が いま…会いに行きます」というのが遺書である。


9: 1 2001/09/01 22:17:00 ID:ohKOHeH2
>>8
それでは他の三人は毛とどういった間柄だったのですか?

13: ガージー 2001/09/01 22:40:00 ID:4qxVW9j.
>>9
簡単にいえば、他の三人は江青のパシリみんな馬鹿ばっかだもん
ようは江青の命令道理動く馬鹿が欲しかっただけ
その後みな文革のときの罪で死刑判決を受けているが、江青以外は、みんな
釈放されています、江青は、自伝を書いてる途中に
自殺という事になっていますがほんとのことはわかりません
ちなみに江青の演説を流す事は中国政府が禁じています

14: 革命無罪! 2001/09/01 23:13:00 ID:vN12qvR2
「私が毛主席のことを誰よりも理解しているのよ」
って法廷で江青が言ったら、みんな哄笑してたな。

判事の一人がおそろしく太って、部厚い二重あごだった。「

16: @名無しさん 2001/09/04 20:11:00 ID:keh4LCs.
現在の指導者たちも考えていることだろうけれど、
中国を開放、いわゆる民主化、資本主義化した時、
多くの中国人民が幸せになれるだろうかという問い
に、毛沢東はNoと考え、かなりの幹部もそう
考えたのであんな馬鹿な行動をとったのでないかな?
その考えと文革の失敗の妥協の結果が今日の中国の
政策でないか?

17: 世界@名無史さん 2001/09/04 20:59:00 ID:4DjCYlMw
江青はかなり劉少奇の奥さんをライバル&敵視していたらしい…
英語ペラペラの上に社交的でおしゃれ、かなり残酷な殺され方だったらしい
また、ある意味で毛沢東の推進した原始共産主義に対して鄧小平は白猫黒猫
論(この考えは無茶苦茶正しいと思う)は市場経済を基礎としたため自己が
否定されるのを恐れたのでは?

29: 世界@名無史さん 2001/09/06 00:46:00 ID:wRXYz2RY
>>17
>江青はかなり劉少奇の奥さんをライバル&敵視していたらしい…
>英語ペラペラの上に社交的でおしゃれ、かなり残酷な殺され方だったらしい

王光美女史は死んでないよ。いじめられたけど。
四人組失脚後、今度は逆に江青をつるし上げたらしい。
う~ん人間ドラマや。
Wang_Kwangmei_crop


王光美


王光美(おう こうび、ワン・クァンメィ、1921年9月21日 - 2006年10月13日)は中華人民共和国の政治家、物理学者。元全国政治協商会議常務委員。夫は第2代中華人民共和国主席を務め、文化大革命で非業の死を遂げた劉少奇。

フランス語、英語、ロシア語を話し、その語学の才能を買われて、1946年に知り合いの中国共産党員から会議の通訳を頼まれたことが、共産党との接点のきっかけになる。

1947年8月21日に河北省にて劉少奇と結婚、中華人民共和国建国後は劉の秘書として活動した。1959年に劉が国家主席に就任すると、その「ファーストレディー」として堪能な語学力と共に注目を浴びた。しかし、1966年に文化大革命が発動され、劉が「実権派のトップ」として批判を受けると、彼女も「大悪人」「大罪人」とされて世間から猛攻撃を受ける。

1967年4月には清華大学での批判大会に連れ出され、吊し上げの対象になった。このとき侮辱のためにピンポン玉のネックレスを掛けられた姿の写真が有名。これに対し、彼女はひるむことなく耐え抜いた。だが、同年9月に逮捕。この背景には、華やかな容姿と知性が毛沢東の妻・江青の猛烈な嫉妬を招いたことがあるとも言われる。


20: 1 2001/09/04 23:06:00 ID:XFCklE8Q
いろいろな情報ありがとうございます。他に知りたい事は:
林彪のクーデター未遂事件とはなんだったのか?
失脚した鄧小平はなぜ劉少奇のように迫害されなかったのか?
また文革終焉後にどのようにして権力を掌握したのか?
批林批孔運動とはなんだったのか?
文革中の中国人民の生活の実態について。
他にも色々あると思いますが思い浮かびません。
わかる人はよろしくお願いします!

21: 世界@名無史さん 2001/09/04 23:39:00 ID:a7IQN1gU
林彪は、毛沢東が軍の実験を握るのに利用されて
利用価値がなくなったら捨てられた、ってとこで
しょう。で、切り捨てられた自分の運命を察知し
た林彪が逃亡あるいはクーデタを企てたと。
200px-Lin_Biao


林 彪


林 彪(りん ぴょう、リン・ピャオ、1907年12月5日 - 1971年9月13日)は、中華人民共和国の軍人、政治家。中華人民共和国元帥。国務院副総理、国防部長、中国共産党中央委員会副主席、中国共産党中央軍事委員会第一副主席などを歴任。文化大革命で失脚した劉少奇に代わって毛沢東の後継者に指名されるが、林彪事件で失脚。

1969年の第9回党大会で、毛沢東の後継者として公式に認定された。しかし、劉少奇の失脚によって空席となっていた国家主席の廃止案を毛沢東が表明すると、林はそれに同意せず、野心を疑われることになる。

1971年9月、南方を視察中の毛沢東が林彪らを「極右」であると批判し、これを機に毛沢東暗殺を企てるが失敗し(娘が密告したためとの説がある)逃亡。

1971年9月13日、ソ連へ人民解放軍が所有するイギリス製のホーカー・シドレー トライデント旅客機で逃亡中にモンゴル人民共和国のヘンテイ県イデルメグ村(モンゴル国ヘンテイ県ベルフ市の南方10キロ付近)で墜落死した。


23: 世界@名無史さん 2001/09/05 01:07:00 ID:n6cDQERM
>>20
>失脚した鄧小平はなぜ劉少奇のように迫害されなかったのか?

たしか西崗山時代に鄧小平は「毛沢東派」ということで、
李立三(だったと思うけど・・・・)らに粛清されかかっていたはずです。
(ちなみに、ようやく出獄した後、かみさんは他の男とくっついてしまっていた・・・・というちょっといい(?)話がこの時の鄧小平には残っています。)
で、この時のことを毛沢東は忘れなかったらしいんですな。
「あいつはちょっと思い違いしてるだけだ、本当はいい奴だ・・・・」と。

あとは、フランス時代に交流のあった周恩来の庇護だとか、内戦時代に指揮をとっていた第二野戦軍(だったっけ?)を中心に軍部の同情があったとか。

劉少奇は、内戦期には主に都市の労働者の組織に携わっていて、鄧小平に比べて人脈が弱かったのが響いたのでしょう。

24: 世界@名無史さん 2001/09/05 21:10:00 ID:B.xZ80ZQ
もともと毛沢東は「大躍進」で、アメリカやイギリスを豊かさで追い抜くつもり
だった。
ところがそれが無残にも失敗し、1500万から4000万といわれる餓死者が出た。
約束していた豊かさを与えられなかった毛沢東には、
「貧しいことは憂うべきことではない。不平等こそ憂うべきことだ」
と言うより他はなかった。
つまり階級闘争を前面に出す「継続革命論」だ。
それこそが文化大革命の悲劇の根源であり、またポル=ポト時代のカンボジアの
悲劇の根源である。
後に中国とは敵対関係となったベトナムですら、「ドイモイ」以前には、
「貧しさを分かち合う社会主義」なんて言っていた。
東アジアの社会主義の、もっともだめな忌まわしい部分には違いない。

26: アマノウヅメ 2001/09/06 00:07:00 ID:QO5O44.Q
文化大革命は、子供ながらリアルタイムで覚えていますが
なんだか訳分からんという感じでした。
毛沢東がボケて、女房が天下取ったってとこか。
四人組といっても、あとの三人は雑魚。

しかし、江青って最期まで威張っててかっこよかった。

27: 回線で? 2001/09/06 00:15:00 ID:JW3mv/aY
最後は首を括ったけどね。。。

28: アマノウヅメ 2001/09/06 00:39:00 ID:CYCEFZRk
自殺説には疑問が残りますねえ。

33: 名無的発言者 2001/09/06 16:27:00 ID:sn7Qytbs
中国発の日本語ラジオ聞いて情報を仕入れていた人も
わけがわからなかったそうです。まあ、当時中学生だったそうですが..

34: アマノウヅメ 2001/09/06 16:56:00 ID:u2HXhEP.
>>33
「こちらは北京放送局です」ってのですか。
私も聞きましたよ。
なんか、やたら景気のいい話ばかりしていた。
毛沢東の名前の前に偉大なるとかなんとか一杯飾り文句がついたのが
印象に残ってます。

35: 世界@名無史さん 2001/09/06 17:01:00 ID:PpSTulhc
その後「日本の同志の皆さん友人の皆さん」ってつずきましたね。
小学生ながら、胡散臭い嘘八百だとおもって聞いてました。
割合、年長の中学生とか高校生の知人がコロっとだまされてて痛いいた
しかったです。

36: アマノウヅメ 2001/09/06 17:17:00 ID:kJUhBAJw
>>35
おとなも騙されてましたね。
日本文学者のドナルド・キーン氏が司馬遼太郎との対談で
かの国に行った日本人はしきりに青年達の目が澄み切っていると
感激するが、澄んだ目というのは危険なのです。
何も考えていないということだから。ナチの若い将校達の目は
きれいに澄み切っていました。
という趣旨の発言をしたのは新鮮でした。中公新書にあります。

その時の「澄んだ目をした青少年」が無茶して中国に歴史的な損害を
与えた、紅衛兵やなんかだったんですね。

37: あやめ 2001/09/06 17:44:00 ID:VZT9OCXM
>>36
そう言えば松川事件の公判の時に文学者の宇野浩二が「被告人はみんな
目が澄んでいた、彼らが殺人など絶対やっているわけがない」とか言って
たそうです。いくら人間を見つめる仕事をし続けていても感性だけに頼り
きっていては、真実に到達するのは困難で理性による検証が必須でしょう。
その点では粘り強い追求を重ねた広津和郎の業績は、結論に対する賛否は
ともかく評価さるべきものでした。

文革時期かまたはその前か新聞などは「新中国では蝿や蚊は撲滅された」
とかまことしやかに喧伝したため、ある農業関係の訪中団はたまたまある
施設で蝿を見つけ、「中国に蝿がいるわけがない、これはてっきり我々が
日本から持ち込んだものに相違ない、申し訳ないことだ」と汗だくで蝿を
先方の人に見られないように捕まえようとしたとか。

42: 世界@名無史さん 2001/09/07 01:23:00
江青の死刑判決言い渡しのときの映像がいまでも鮮明に思い出されます
江青が判決直後に法廷ですごい剣幕で叫んでいましたね
何を言っていたのかはわかりませんが・・・

43: 世界@名無史さん 2001/09/07 01:29:00
なぜ、老いていた毛沢東の死後、かくももろく4人組が失脚したんでしょうか?
彼らの「実権」の基盤はどのように変質していたのでしょうか?

45: 世界@名無史さん 2001/09/07 01:48:00
>>43

行政とか経済の運営という地味な仕事の部分に食い込
むこともあるいは取って代わることもできなかったか
らと考えるべきでしょう。

53: 世界@名無史さん 2001/09/07 20:57:00
1930年代後半から1945年にかけて毛沢東は、同志たちが日本軍と闘ってる間に、自分の独裁体制を中国共産党内に確立させた。その間、最もそれに協力したのは劉少奇だった。だから劉少奇はナンバー2になれた。
しかし、大躍進の失敗後、劉少奇は国家主席として毛沢東の存在を無視して、自分の独断で動き始めた。
自分を押し立ててナンバー2になった人間がやがて自分をないがしろにすることを、毛沢東は何より許せなかった。
だから劉少奇は悲惨な最期を遂げた。林彪もいつの間にか同じ道をたどっていた。
王洪文は毛沢東をないがしろにしなかったにせよ、江青と近付き過ぎた。
華国鋒が最終的に後継者になれたのは、一番野心がなかったから。
200px-LiuShaoqi_Colour


劉 少奇


劉 少奇(りゅう しょうき、リウ・シャオチー、1898年11月24日 - 1969年11月12日)は、中華人民共和国の政治家。凱豊や胡服などといった別名も使用した。 第2代中華人民共和国主席などを務め、中国共産党での序列は毛沢東に次ぐ第2位であったが、文化大革命の中で失脚、非業の死を遂げた。


56: アマノウヅメ 2001/09/09 08:58:00
>>53
華国鋒は、毛沢東の前の奥さんが処刑される前に知人に預けていった
息子の一人だという噂が当時ありました。

57: えっ! 2001/09/09 14:05:00
死人の人肉を喰ってたって本当ですか?
大躍進ではなく文革で。
教えて下さい。

84: 世界@名無史さん 2001/09/18 17:35:00
>>57
ピューリッツァー賞を獲ったNYタイムズのクリストフ著「中国が動く」では文革時の
凄まじいカニバリズムの実態が記述されている。
二千万人が殺された文革の実態は中国人同士の凄惨な共食いだったんだ。俺は週刊新潮で読んだ。日本で独占出版している朝日新聞社が読者に無断で問題のシーンをカットしていて、新潮に攻撃されていた。
だから全部読みたければ英語版を買うしかない。

週刊新潮では、訳者の東大教授の中国史専門家が言い訳してたんだけど、「中国では古代からカニバリズムの伝統があったんです。中国人は豚肉や鶏肉を食べるような感覚で、一般家庭でも人肉を食べていたんです。あの本で書かれているようなカニバリズムは文革当時中国全土至るところで行われていたんです。しかしあの本の問題のシーンはあまりにも恐ろしくて確信を持てなかったんです。だから削除したんです。」というような事を言ってた。

中国カニバリズムについては中国板で過去にやったんじゃないか。ハングル板とか、日本の戦争責任が話題になるような所でよく書かれてるよ。
孔子は人肉の塩漬けが大好物だったとか。大躍進時代については、「餓鬼―ハングリーゴースト」っていう本がある。

59: 世界@名無史さん 2001/09/10 22:15:00
大飢饉が当たり前の国だから人食は普通。

62: 世界@名無史さん 2001/09/10 23:33:00
当時は天律みたいな都会でも、郊外まで蛇取りに
行って食べたって知り合いの中国人研究者が言ってたな。
実際もっと田舎だと死人の肉も食べてたとは聞いた事あるよ
都会でも,貧乏人の家にま紅衛兵が乱入してきたんだからな。

63: ジョーカー 2001/09/10 23:50:00
文革派同士でも労働者と紅衛兵との武闘が起きたよね。

54: 世界@名無史さん 2001/09/09 02:15:00
紅衛兵が暴れ回ったのって昔の日本の全学連やら全共闘やらが政府公認の支持を受けちゃったようなもんですか?だとしたら、大混乱に陥るのも納得がいきますが・・・。
日本でもヘルメット集団が大学関係者の首に札を付けて取り囲んで吊し上げている写真を見たことがある。
やってることは一緒なのに、人民服でなくゲバスタイル。
なるほど制服と言う意味では同じなのかと、少し新鮮さを覚えた。

77: 世界@名無史さん 2001/09/17 21:22:00
当時の中国の公安部長の謝富治が、1966年8月下旬に、
「私は人を殺すことには賛成しないが、階級の敵を憎む熱情の余りの行動なら、
私はあえてそれを止めはしない」と通達を出した。
それで北京近郊では、生後1か月の乳児までもが「階級の敵」とされて、虐殺された。
ちなみに、中国の「十大元帥」の一人で国防部長の葉剣英は、
「文化大革命で2千万人が死に、1億人が攻撃を受けた」と後に語っている。

78: 世界@名無史さん 2001/09/18 02:32:00
古代から中国では誰かが罪を犯したら「罪は九族にのぼる」
といわれてその両親,妻子、兄弟姉妹,叔父伯母従兄弟など
何の罪も犯していないものまで殺された。
もちろん、孫文が辛亥革命を起こした時にそんな制度は
なくなったのだが,これをまた復活したのが毛沢東。
母型の祖父が何十年も前にアメリカやヨーロッパ,日本に
留学したというだけで一族全て収容所送り、なんてことが
しょっちゅうあった。

81: 世界@名無史さん 2001/09/18 16:14:00
しかし文化大革命で成果がゼロ打というのは胡散臭い
「庶民が語る文化大革命」という本に
紅衛兵が下放されて満州で
開拓をしたということを語っていた記事がある。

しかし返ってこなかったものが多い。結局損かもしれない

91: 世界@名無史さん 2001/09/19 01:24:00
カンボジアで百万単位の人々を死なせたポル=ポトは、毛沢東に学んだ。
北京を秘密訪問したポル=ポトに毛沢東は、こう言った。
「君達は、我々を中国の人民を大量に動員しても成し得なかったことを、一息で
やり遂げた。実にめでたい!」

95: 世界@名無史さん 2001/09/21 02:52:00
あの頃俺はまだ子供だったが、家じゃ朝日取ってたんで、
結構文革の報道は読んだ。当時、共産国の幹部の序列を
考察するのが新聞の役割のひとつで、中国の場合は天安門
上に並ぶ順番で割り出してた。1966年の春頃だと思うが
大変動があって文革が権力闘争であることがはっきりした。

1.毛沢東

2.林彪・・・・・人民解放軍の5つの野戦軍のうち、華東野戦軍は第四野戦軍の分かれ。第四野戦軍はそれ単独でも全軍の師団数の4割に近く、華東を併せれば6割に達する。林彪は十大元帥の中では最年少だが、第四野戦軍をを握っていたので軍内の影響力は抜群で、当時国防相でもあった。林彪事件で死亡。

3.周恩来

4.陶鋳・・・・・地方幹部からの抜擢。半年で反革命分子扱いされ失脚。

5.陳伯達・・・党内きっての理論家。毛沢東のゴーストライターだった可能性もある。林彪派として失脚。

6.康生・・・・・文革10年を通しての黒幕。延安時代から毛沢東の懐刀として特務機関を率いたスパイの元締。権力の座にあるまま死去した。

7.トウ小平

8.劉少奇・・・第2位からの降格で世界を驚かせた。迫害死。
四人組がのさばるのは林彪事件の後だね。

98: 世界@名無史さん 2001/09/21 19:24:00
もしマルクスがタイムマシンに乗って1966年の中国に来て、毛沢東を見て、
この男が自分の思想の正統を自負してるって知ったら、卒倒したと思う。

99: 世界@名無しさん 2001/09/22 07:41:00
カイ大富という文革の学生リーダーも今は実業家、文革30年の記事にでていた。
極端から極端に動くのが現在の中国の体質かと思う。

101: 世界@名無史さん 2001/09/23 16:42:00
たぶん、1935年頃、周恩来が毛沢東の風下に立つのを甘受した時点で、
共産中国のその後の歴史は決定してしまったと思う。

115: 中国@一眠り 2001/10/01 02:02:00
毛沢東の偉いとこは、世襲にしなかったこと。

118: 世界@名無史さん 2001/10/02 23:27:00
>>115
甘いな。華国鋒が、毛沢東の隠し子であるという説も根強い。
嫡子の毛岸英は朝鮮戦争で戦死しているし、次男は病弱だったそうだ。
ということで、本人は世襲にしようとして失敗した可能性も高いぞ。

123: 世界@名無史さん 2001/10/05 01:52:00
文革の時には東北の方の街で4人組系の紅衛兵と
対立派の紅衛兵が銃撃戦をやっていたと中国人の友人が
言っていた。
上で僻地や農村に下放された学生達が開拓して
成果を揚げたなんてバカ言ってるやつが
いたが、あんた中国人と中国語で自由に話したことが
あるのか?!!!!!
あの頃は農村でも食料が足りないのに都会から
働き方もロクに知らない厄介物の学生を
押し付けられて難儀してたんだぞ!
都会の労働もしたことのない学生がすぐに
成果をあげられるとでも思ってんの?

124: 世界@名無史さん 2001/10/05 01:57:00
それと紅衛兵の拷問の凄さは凄い。
耳を切ったり目を抉り取ったりは日常茶飯事。
まあ,元々中国人は血や凄惨な死体を見るのには
なれてるということもあるが、そういう拷問が
政治家でもなんでもない一般市民に対して行われたと
いう所が文革の恐ろしいところだ。
何しろ幼稚園の保母や看護婦までが「知識人」という
グループにひとくくりされて収容所に送られ
あとは医学的知識など学んだことのない学生が
何の知識もなく医療活動していたのだ。
「裸足の医者」というカッコつけた英雄的な
名前でな。
300px-Red_Guards


紅衛兵


紅衛兵(こうえいへい)は、中華人民共和国の文化大革命時期に台頭した全国的な青年学生運動。学生が主体であるが、広義には工場労働者を含めた造反派と同じ意味で使われることもある。

紅衛兵は、1966年から1968年にかけて実権派打倒に猛威を振るい、文化大革命期間中に出た死亡者、行方不明者(数百万人とも数千万人ともいわれる)の一部の虐殺に加担したとも言われている。

また、当時は中華人民共和国の成立に貢献した政治家や知識人も弾圧を受けた。その1人である彭徳懐も逮捕されて拷問を受け、それが原因で死亡している。


125: 世界@名無史さん 2001/10/05 02:00:00
それとその時地方の僻地に下放された若い人達は
戸籍(日本のものとは違うが)が農村に移ってしまって2度と
産まれ故郷の都会に帰れなくなってしまった人達も
大勢いるんだよ。
文革が終わって20年以上経た今はやっと帰れるように
なった人達もでてきたけど。

126: 世界@名無史さん 2001/10/05 02:03:00
文革を扱った文学・映画とかみてると、
「自分達は被害者だった」式の観点から
「文革を生み出したのは中国社会の抱える闇」という観点への変遷が見られるとか。

139: 世界@名無史さん 2001/10/16 23:59:00
たしかに工場は閉鎖されるわ、小学校から大学にいたるまでの
教師は収容所か僻地に行かされされるわで,学校に行っても
ロクに教育は受けられないわ、農村はロクでもない事業に
駆り出されて農業生産ができないわで殆ど国内は崩壊
してたもんな。

159: 名無し 2001/12/18 22:52:00
文化大革命という内乱で死者は少なくとも2000万人という。
大変な数だ。負傷者はその数倍だから、一億はくだらない。
ト小平の息子は拷問で脊椎を損傷し、半身不随のはずだ。
殺された人は大穴に投げ込んだという。だから掘るといっぱい白骨が
出てくる国だ。ポルポトなんか幼稚園だ。

最後の状況では、毛沢東に地方に体よく追放された青年紅衛兵が田舎の人々のリンチにあい、多数生きながら穴に投げ込まれた虐殺されたという。
それから人肉食が見られたこともいくつか報告されている。
シナ人の本能の世界だ。紅衛兵が校長を殺して食べたとか報道された。

164: 世界@名無史さん 2002/01/06 22:31:00
二千万という死亡者はどういう内訳なのでしょう?
ほとんどが吊るし上げによる虐殺だったのでしょうか?
それとも内戦とよべるような戦闘が起る対抗勢力が存在したのでしょうか?

166: 世界@名無史さん 2002/01/06 23:14:00
内戦と呼ぶほどの戦闘はなく、
ほとんどが吊るし上げによるものだったと思われます。
1978年末か79年かどちらか忘れましたが、胡耀邦は、
「文革の死者は40万人で連座した者が1億人」と言ってました。
その後、1981年10月には「中国高官筋」から、
死者2000万人説が伝えられました(「読売」電)。
この時には、「被害者6億人」説も出ていました。
確か岩波新書の「中国近現代史」には、
「あまりにもケタ外れのためこれは政治的数字と思われる」
という意味のことが書かれています。
ちょうど1981年には文革批判がピークに達していた頃だからでしょう。
人民日報の記者たちが書いた「交鋒」という本によれば、
この「中国高官筋」の「高官」とは、
葉剣英(「四人組」打倒の中心人物)であると分かります。
現代中国では、政治的理由から、
「文化大革命こそ、建国以来の最大の惨事」
ということになっています。
「大躍進の失敗こそ、最大の惨事」ということを認めてしまうと、
改めてその責任を問われかねない幹部も、少なくなかったからでしょう。
大躍進での犠牲者が一千万の単位にのぼることは、
1982年の人口センサスの結果から推測されています。
(学者によって1000万から4000万とかなりばらつきはありますが)
そこで、ここからは私の推測ですが、
大躍進を超える惨劇だったという意味で、
2000万という数字が、政治的に用意されたのではないでしょうか。
ちなみに、岩波系の出版物では、1000万という数字が示されています。
朝日系では、中嶋嶺雄さんの文章では、2000万とされています。
いすれにしろ、厳密な統計によるものではないでしょう。
混乱の時代でしたし、不完全な(部分的な)統計しか残ってないようです。
食糧配給の必要上、一応の人口調査は文革中も行なわれてたようですが。

165: 世界@名無史さん 2002/01/06 22:51:00
中国人は統計が下手…

167: 世界@名無史さん 2002/01/06 23:37:00
つうことは、それだけの死者を出しながらこれといった対抗勢力は地方にさえ
出現しなかったってことか。変なときだけ国中が団結するんだなあの国は。
そんなに当時の統制体制ってのはしっかりしてたんですか?

168: 世界@名無史さん 2002/01/07 00:06:00
>>167
毛沢東への個人崇拝だけはしっかりしてた、というか揺るぎなかった。
しかし毛沢東以外の誰もが「敵」とされる可能性があった。
党大会で「後継者」とされた林彪ですら、そうだったくらいだから。
とりあえず矢吹晋さんの「文化大革命」(講談社現代新書)くらい読んでみて。
一口に文革と言ってもいろいろな局面あったので、一概に言えないの分かると思う。

175:   2002/01/08 12:33:00
鄧小平以降の開発独裁制で中国が資本主義的急成長を遂げた現在、もう大躍進や文革の轍は踏まないと考えて良いのか。
それとも外資で作られた上海の超高層ビル群は戦前と同じ「租界」に過ぎないのかとか。
中国経済が失速した時、大躍進、文革に続く悲劇が起こるのかとか考えると恐い。
とにかく日本は経済的にも軍事的にも、大陸のゴタゴタには巻き込まれない方がいいね。
世界警察アメリカに任せよう。
難民の受け入れも最小限に止めるべきだ。

177: 世界@名無史さん 2002/01/14 02:06:00
>>175
現在の中国の人々(一般国民も指導者層も含めて)は、
文革は二度と踏んではならない轍という共通認識を抱いているのは確かです。
もちろん、今後動乱が起こる可能性がゼロではありませんが、
現在の保守派も含めて、それだけは避けようとして動くのは間違いありません。

180: 世界@名無史さん 2002/01/19 22:09:00
毛沢東は「文化大革命は国民党と共産党との間の闘争である」とか言っていた。
こんな見当外れの発言した時点で、毛沢東をどっかに幽閉して隔離すればよかった。

181: 世界@名無史さん 2002/01/19 23:05:00
毛沢東は「建国者」ではあっても「建設者」ではなかった、
ということなんでしょうね・・・。

182: 矛盾論 2002/01/21 12:35:00
「歴史上の戦争は二種類に分けられる。一つは正義の戦争であり、もう一つは不正義の戦争である進歩のための戦争がすべて正義の戦争であり、進歩を阻む戦争がすべて不正義の戦争であるわれわれ共産党員は、すべての、進歩を阻む不正義の戦争に反対するが、進歩のための戦争には反対しない。…」
毛沢東「持久戦論」(1937.5)より
実に自己中な…。毛沢山

199: 世界@名無史さん 2002/01/26 02:16:00
ちょっと前に岡田英弘の本を読んでいたら、
文革以後、人民解放軍の力が強くなった、
なぜなら人民解放軍だけは文革の被害をほとんど受けなかった
からだと書かれていたけど、本当なの?

200: 世界@名無史さん 2002/01/26 02:27:00
>>199
そりゃあ紅衛兵は丸腰の一般人にとっては脅威だけど、
ありあわせの武器でロクな訓練も無しのにわか武装じゃ
正規に武装した軍隊を襲うことなんかできるわけないから当然でしょ

202: 世界@名無史さん 2002/01/26 03:26:00
文革推進派の学生が人民解放軍から武器を奪って内ゲバしたりしてたみたいだけど、そもそも民間の人間にどーしてそんなことができたの?

204: 世界@名無史さん 2002/01/26 08:04:00
>>202
妄想だが、徴兵制で解放軍にはいり、義務を終えたあと大学に入った人ならば
武器を保管してある場所とか知っていてもおかしくない。
あとは、人民解放軍の中に文革推進派の学生に同調する軍幹部がいたという
可能性があります。

210: ガージー 2002/02/05 23:42:00
手元に本がないから詳しくはわからんけど
1966年になると、紅衛兵が、人民軍を襲い出して
将校を連れ出したり武器庫に押し入ったりすることが
多発したはずそれに対抗する形で葉剣英などが、
2月逆流をしたけど失敗した、

225: 世界@名無史さん 2002/04/21 19:55:00
最近俺が興味を持ってるのは董必武。
党創立大会の出席者で革命後まで生き残ったのは毛沢東と董必武の2人。
長征にも参加しているし、最高人民法院長、国家副主席など歴任。
名誉職にはいくらでも就いたが権力を求めず、毛沢東の疑心を免れた。
文化大革命では迫害もされず、文革側に立って他を迫害もぜず。
高位を保ったまま90年の生涯を閉じた。
処世の天才だったかもしれない。

228: 世界@名無史さん 2002/04/23 18:07:00
当時は子供だったので全然分かってなかったのですが
朝日新聞は文革マンセーって論調だったって本当ですか?

229: 世界@名無史さん 2002/04/23 18:26:00
>>228
本当。

日本ジャーナリズム史の汚点と言われ、世界的にも嘲笑の的となった朝日新聞の恥ずべき所業はここに詳しい。

「朝日新聞報道年表」
http://www9.big.or.jp/~cumy/sayoku/si_1_1.shtml

他新聞も、営業上、北京支局がある朝日新聞と比べて不利とならないように
中国批判をやりにくくなってしまった。
産経新聞は台湾支局を維持し続けたため、北京支局開設を認められなかったが、最近、中国政府は許可した。日本の保守勢力に大きな影響力を持ちつつある産経を敵に回したくないからだろう。

同時に他の日本の新聞にも台湾支局開設を許可。欧米の新聞は台湾支局を保持しているが、北京支局を閉鎖させられることはなく、日本だけを対象にしていた。それが可能だったのは、朝日新聞が抜け駆けすることへの他新聞の警戒だった。
このような事実を知れば、朝日と産経のどちらがまっとうな新聞かが判る。

236: 世界@名無史さん 2002/04/29 21:13:00
文革の時代を、日本の全共闘運動みたいに懐かしむ中国人っているの?
日本の学生運動はフォ-クソングがテ-マ曲みたいになって、それ聞くとあの時代の空気がよみがえるって感じだが、中国にはそういう文革期の歌ってあるのかな?
(まあ歌謡曲や、はやり歌自体が資本主義的産物だろうから流行る訳ないか)

246: 世界@名無史さん 2002/05/09 11:20:00
>>236
いない。ほとんどの人間にとって文革は悪夢。
中国最高執行部のメンバーは文革時代冷遇・迫害された経験が多いし、
庶民は暴動の被害者だったり、家族や親戚が投獄されたというケースが
多い。
加害者になることが多かった紅衛兵運動の参加者も文革終了・四人組
逮捕後には投獄されたり、大衆集会レベルで「分裂主義者・反革命分子」と
レッテルを貼られ、逆に吊し上げ・自己批判を迫られたので語りたがらない
ケースが多い。

もっとも文革を再評価しようとすると共産党的にも社会的にも歴史的にも
困るのでタブー視されているとも言えるけど。

261: 世界@名無史さん 2002/05/13 10:30:00
「文化大革命」とは、共産主義の矛盾に気づき自由化しよう
とする流れを、むりやり原理主義で押さえ込もうとした
共産主義のあがきだろう。

263: 世界@名無史さん 2002/05/14 22:31:00
>>261
ほぼ同意。失脚とは不適切だが、実務ラインの劉少奇系に、敬遠されていた毛沢東の奪権政争だった。
江青一派の上海系も林彪一派も、毛沢東に操られていたマリオネットに
すぎない。
それを、「文化大革命」と表現するから誤る。実相は、毛沢東の権力欲だ。もっとも「文化」の語義は、中国語と日本語では、相違があるのかも。Cultureではなさそうだ。

262: 名無し 2002/05/13 18:34:00
>261 
違うと思うよ。
飢餓政策(自称大躍進)で失脚した毛沢東が党内闘争で主流派を滅ぼした
ものだ。内乱だよ。勝利したのは、江青など極左だ。

271: 世界@名無史さん 2002/05/20 01:20:00
文革時中国の印刷工場では、
毛沢東語録65億冊 毛沢東選集8.5億セット(計33.6億冊)
毛沢東詩抄4億冊 毛沢東肖像22億冊
中国人は八億人だから 中国人一人あたり 毛沢東の本15冊 肖像三枚もっていたことになる
当時、紙・パルプの輸入量は外貨使用の2位から5位を占めた

聖書は19世紀から150年間で40億冊であるから
毛沢東語録は世界で最も多く印刷された本である

こんなことしてたら経済も駄目になるワナ

291: 春梅 2002/07/26 00:12:00
文化大革命の直前1963年に中国を訪れた。当時は中ソが対立してソ連政府が技術者を一斉に引き上げさせた時だ。
中国としては自力更正とかのスローガンで何とか大躍進政策の失敗をカバーしなければならなかった。農本主義的な毛沢東と近代工業国家を目指す劉少奇では肌合いが違いすぎた。
当時から『東方紅』は列車の中でも五月蠅いくらいならされていたから政治的には毛沢東の方がもう勝っていたのでは無いか。
それから帰ってきて暫くしたら海瑞免官すの問題で火花がきらされたのだが妙に感心したのを覚えてる。
その後の混乱はめまぐるしく何が何だか分からない。全体像を検証するにはまだまだ50年はかかる気がする。
今の指導者だって多少ははっきりさせると困ることがあるのではないかな。インドネシアの9.30事件と同じです。
今の上海国際空港の場所はその時人民公社の見学地だった。時代は変わったなあ

292: 世界@名無史さん 2002/07/26 00:47:00
>>291
い、いくつですか?
家の祖母より御年なのでは?(激藁

294: 春梅 2002/07/26 23:59:00
58才です。安く海外旅行に行けるという理由で何とか学生友好某に潜り混んだ訳です。
当時は未だ国交が回復されてませんから外務省がパスポートの発行に難色を示したの思い出しました。
あの時会った北京大学の学生達のその後は大変だったと思います。地方に追いやられそのままの人も沢山いたと聞いてます。
今でもそうですが当時は超エリートだったでしょうから。

295: 世界@名無史さん 2002/07/27 02:16:00
>>294
歴史だー。その頃の中国の雰囲気はどうでした?

296: 春梅 2002/07/27 22:37:00
実はその時僕たちは北京で毛沢東とか周恩来と会ってる。僕なんか握手までしてるんだ。超ノンポリ(分かりますか)の僕とですよ。本当に妙な話だ。
その当時毛沢東は消息が時々途絶えていたから出てきたこと自体がニュースになった。今考えると未だ革命の熱気みたいなものは充分にあったがその後の路線については対立もかなり厳しくなってる次期だったような気がする。
姿を隠していたのも個人崇拝化ともに反撃体制を考えていたのじゃないかな。個人崇拝、神格化というのは本人が利用する場合もあるが実際の権力から遠ざける為に行われる場合もあるからね。

297: 世界@名無史さん 2002/07/27 22:41:00
>僕なんか握手までしてるんだ

いきなりうそ臭くなった。

300: 春梅 2002/07/29 21:02:00
そこまでサービスしたのは何故か考えれば、ある意味追い込まれていたんだよ。
当時の京劇:もうその時代に例の軍服でやる日本軍人が間抜けな悪役のも見ました。
トンボ切り以外見るものない未熟なものです。江青の名前が出来来たのはこの部門からでは無かったのか。

307: 世界@名無史さん 2002/09/04 20:36:00
文化大革命は、失政を繰り返して劉少奇や鄧小平らに拘束されていた毛沢東が脱出し革命のスローガンで紅衛兵を動員した、一種のクーデーターといわれている。
しかし、毛沢東が脱出したのは誰かの手引きがないとできないはず。
そしてその誰かとは周恩来しかいないはず。
だから文化大革命とは実は周恩来の奪権闘争だったのでは?
誰かこのような説、あるいは関連する事実を知っている人はいませんか?
200px-Zhou_Enlai


周 恩来


周 恩来(しゅう おんらい、ヂョウ・オンライ、1898年3月5日 - 1976年1月8日)は中華人民共和国の政治家。字は翔宇。中華人民共和国が建国された1949年10月1日以来、死去するまで一貫して政務院総理・国務院総理(首相)を務めた。

毛沢東の信任を繋ぎとめ、文化大革命中も失脚しなかったことなどから「不倒翁」(起き上がり小法師)の異名がある。1972年に、日本国首相の田中角栄(当時)と日中共同声明に調印したことでも知られている。



309: 世界@名無史さん 2002/09/04 22:51:00
文革後期になって批林批孔運動が起こった。

すでに失脚した林彪とセットで周恩来を失脚させようとした四人組の陰謀だったと言われてる。

周を崇拝した孔子を批判することで周恩来を引きずり下ろそうというものだった。

文革では周恩来も攻撃されたのだ。

しかし、周の人気は全く衰えなかったんだから批林批孔運動は失敗だったわけだけど。

311: 307 2002/09/05 00:25:00
>>309
そんなことは常識でありもちろん承知しているんだが…。
文革初期においては周恩来の権力は毛沢東と一身一体ではなかったのだろうかとしか思えないんだが。

312: 世界@名無史さん 2002/09/05 00:37:00
>>311
文革で自分の身にも災いが降りかかる恐れがあることくらい周恩来に分からないはずないよ。
わざわざそんな危険なことをするほど周恩来はバカではないはずだ。

314: 世界@名無史さん 2002/09/05 08:38:00
>>312
周恩来はバカどころか、何を考えていたかは普通の人間には計り知れないものだったと思います。
それから、文革でのし上がった林彪や陳伯達が早々と失脚したところを見れば
周恩来が「四人組」に批判されたということも取るに足らないことだったのでは?

315: @名無しさん 2002/09/05 19:05:00
周恩来って、初期には広州コミューンとか、南昌蜂起とか
失敗ばかりしている。それなのに生き延びたのはすごいと
言えばすごい。
けれども、紅衛兵達は、あんまり勉強してない筈なのに、
昔の失敗をいろいろ捜してきて攻撃したようだ。
誰かうしろで理論面で入れ知恵してたんだろう。

316: 世界@名無史さん 2002/09/05 19:45:00
>>315
それが姚文元の役目だったのではないのか?
姚文元

姚文元(よう ぶんげん)は中華人民共和国の政治家、四人組の一人。

1965年11月10日の「文匯報」に『評新編歴史劇「海瑞罷官」』(新編歴史劇『海瑞の免官』を評す)を発表。
翌1966年5月10日の「文匯報」「解放日報」にも『評「三家村」──「燕山夜話」「三家村札記」的反動本質』(『三家村』を評す──「燕山夜話」「三家村札記」の反動的本質)を発表し、文化大革命の発端を開いた。

これを契機に「解放日報」編集委員・党上海市委員会宣伝部長と出世し中央文革小組の一員にまでなった。その後も党上海市委員会第二書記・党政治局委員を歴任し、文化大革命をイデオロギー面から支えた。

1976年10月に他の四人組と共に逮捕されて隔離審査され、1981年1月に最高人民法院特別法廷で、懲役20年・政治権利剥奪5年の判決を受ける。


319: 世界@名無史さん 2002/09/05 20:31:00
周恩来は毛沢東と糸が切れることはなかった。重要な報告は常に毛に
上げていたから、文革派より結びつきは強かった。中間派。
鄧小平は毛との糸が切れていた反文革派。が、復活したところが奇跡。

毛は妄想的独裁権力を築こうとしたし、文革派はその毛の権威を逆利用して権力
中枢を握ろうとして猪突猛進した。
なかなか複雑な権力闘争。

320: 世界@名無史さん 2002/09/05 23:41:00
っていうことは、周恩来は毛沢東には忠誠をつく(す振りを)し、
一方では文革で迫害された人たちに救いの手をさしのべてた。マッチポンプか?
八方美人を貫き通して、死後も賛美され続けているのはすごいとしか言いようがないね。

304: 世界@名無史さん 2002/08/22 23:37:00
今週号の週刊文春のコラム「お言葉ですが」で高島俊男が文革に言及しているのでちょっと紹介

…中国は立ちおくれている。貧困と無知とがその目印である。──毛沢東の「文化大革命」は、「マイナスはプラスだ。
プラスはマイナスだ」と符号を付けかえることによってそれをひっくり返し、一挙に世界の先頭に出ようとしたものであった。
貧困と無知こそ光輝である。富裕と知識とは罪業である。罪あるものをほろぼせ(それを本家よりも純粋に実行したのがカンボジアだった)。
 
逆転革命は毛沢東の死によって挫折した。「やっぱりプラスはプラス、マイナスはマイナスでした」と白旗を掲げたのが、鄧小平の「改革開放」である。
 
今後百年、中国が経済で世界の前面に出ることはあり得るだろう。しかし中国が世界の人々に尊敬される国になることはあり得ない。
過去二千年、気骨ある学者こそこの国の柱であり、宝であった。逆転の十年はその学者を殺し、民族の背骨を打ちくだいてしまった。

中国史に詳しいはずの漢学者が言っているのだから、文革の惨害は戦争どころではなかったのかも知れないな。

287: 世界@名無史さん 2002/07/08 22:12:00
中国人って文革はもちろんのこと、常に人の命が軽い。
人口が多いから、というのもあるんだろうけど、中国って・・・怖いよ。

そしてその「中国礼賛」だった朝日をはじめとする日本の大新聞。
これはつい30年くらい前の話だ。
新聞、テレビの報道に「疑問」を持たない人々が今も大半を占める日本。
日本も怖いよ。


引用http://academy.2ch.net/test/read.cgi/whis/999268185/l50



ワイルド・スワン(上) (講談社文庫)
ユン チアン
講談社
売り上げランキング: 12,739