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1: 諸星カーくんφ ★ 2013/09/23(月) 16:06:07.45 ID:???0
明治維新の立役者の1人、西郷隆盛ゆかりの史跡を訪ねる催しが鹿児島市で開かれ、大勢の子どもたちが参加しました。

鹿児島弁で「西郷さんの遠足」という意味で、「西郷どんの遠行(せごどんのえんこ)」と名付けられたこの催しは、毎年、西郷隆盛の命日の前日、9月23日に行われています。

42回目となることしは、子どもを中心におよそ2000人が参加し、西郷が生まれた鹿児島市加治屋町の屋敷の跡を出発して、およそ9キロのコースを歩き、ゆかりの史跡を訪ねました。

このうち、西郷が若いころに座禅を組んだ石が置かれている小さな公園では子どもたちが石に触れたり座ったりしていました。

それぞれの史跡にはボランティアの案内係がいて、西南戦争の激戦地で西郷軍が立てこもった城山の洞窟の前では、戦争が起きた
経緯や西郷の人柄について話していました。

参加者たちは最後に西郷の墓がある南洲神社を訪ねて墓の前で静かに手を合わせていました。

参加した小学生の男の子は「歩くのはきつかったけれど西郷さんが最期に立てこもった洞窟が印象に残りました」と話していました。

ソース(NHKニュース) ※ソース元に動画あり
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20130923/k10014737461000.html
写真 no title








3: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 16:08:08.94 ID:4M6PVMzt0
西郷隆盛って親父の名前だろ
隆永も本当の名前かどうか不明なんだよな
西郷南洲で固定しちゃえばいいのに

277: 名無しさん@13周年 2013/09/24(火) 08:24:46.29 ID:Xtn1jTMZP
>>3
その時代の下級武士の名前なんてそんなもん

7: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 16:11:40.50 ID:TcOra82i0
西鄕隆盛とか坂本龍馬はお札にならないの?

14: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 16:26:34.05 ID:k9F3B3eQ0
>>7
西郷が札になったことはないが、西郷は西郷札を発行しまくってインフレが起きた。
西南戦争後にそれを回収するために金融引き締めやってデフレに。
西郷札は明治政府があらかた回収したので、残ってるものはすごいプレミアムがついてる。
Saigo-Satsu_front


西郷札


西郷札(さいごうさつ)とは、西南戦争中、西郷隆盛率いる西郷軍(薩軍)によって軍費調達のために発行された戦時証券、軍票である。

1877年(明治10年)西南戦争に際して、西郷軍は薩摩商人からの軍費調達の必要が生じ、士族商社の「承恵社」「撫育社」によって発行された承恵社札を用いて六万円を調達した。承恵社札は五円・一円・半円の三種があったとされる。
その後、軍資金不足に陥った西郷軍が、1877年に発行したのがいわゆる「西郷札」である。「札」というが、実際は布製の「布幣」であった。

西郷札は、西郷軍の敗北とともにその価値を全く失い、明治政府からの補償もなかったため、西郷札を多く引き受けた商家などは没落するものもあったといわれているなど、西郷軍の支配下にあった地域の経済に大きな打撃を与えた。なお「承恵社札」は翌1878年(明治11年)に償還された。


5: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 16:09:07.97 ID:k9F3B3eQ0
首なし死体は影武者だろ。本物の西郷はフィリピンに逃亡したらしい。

10: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 16:15:57.67 ID:wHJ3pQE70
西郷ドンは象皮症でチンコの玉がスイカ大のサイズがあった。
自害して首は埋められたので見つからなかったが、
首無し遺体のチンコの玉で本人確認した。
綺麗事だけでなく、こういう豆も教えて欲しいもんじゃ。

32: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 17:19:34.07 ID:T/iMq9rhi
坂本竜馬が西郷隆盛の奥さんに使い古しのフンドシくれって言ったのは、西郷のデカいキャン玉にあやかろうとしたのかな?

19: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 16:37:17.74 ID:LSv0giI0O
鹿児島で西郷隆盛を悪く言うのは今でもタブーである
って、マジなのか?

239: 名無しさん@13周年 2013/09/24(火) 02:25:34.96 ID:Ekd3UeUU0
>>19
表立って人の悪口をいうのは誰のことであろうとタブー

陰口ならお好きなだけどうぞ

26: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 16:53:53.17 ID:3micJRNi0
オレは西郷隆盛は好きだし尊敬もしているが、唯一、最後に鹿児島に戻ったのは未練がましくて嫌いだな。
やはり熊本で敗れた直後に潔く自決すべきだった。

29: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 17:11:40.92 ID:awy0RbeO0
上野の西郷さんと奈良の大仏さまが喧嘩をしたら西郷さんが負けた。
大仏「ぶつぞう」
西郷「どうぞう」

31: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 17:15:32.59 ID:Hcb5zxdt0
>>29
くそっww

72: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 18:53:13.92 ID:AENn2laT0
>>31
おいおいw

49: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 18:14:00.54 ID:QXJJlv6m0
>>29
50年前からあるなぞなぞw

34: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 17:21:14.74 ID:DoKV8NQyP
西郷って英雄視されてるけど、割と悪人と思うが。

幕末に「御用盗」なるテロ組織に乱暴狼藉させたり、
薩摩藩に搾取されてた奄美の人を見下し、明治以降も搾取する考えも持ってた。

327: 名無しさん@13周年 2013/09/24(火) 13:01:36.05 ID:Snh8UjD90
>>34
そりゃ支配者階級の人間なんだなら、
現代の人権平等の精神で見てもなあw

36: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 17:25:12.25 ID:DoKV8NQyP
まあ長州藩もテロしまくり藩だったし、
当時はテロも英雄行動だったのかもな。
安重根が韓国で英雄視も当然か。

45: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 17:56:02.27 ID:N+8jfrV30
西郷さんは島津幕府になると勘違いしてた島津久光以下を封じ込めるために、加えて君主への義理を果たすために、あえて死んだ
明治政府の最大の障害である不平士族たちを、わが身を菰巻きの菰みたいにしていっぱいくっつけて焼かれたんだよ

22: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 16:43:29.20 ID:zCr/wo+OO
「敬天愛人」

54: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 18:28:41.28 ID:swiAgNnf0
南州翁はともかくとして、
政治家や経済人で座右の銘に敬天愛人とか言っちゃう輩は信用できない。
京セラの稲盛とかKDDIの稲盛とかJALの稲盛とか。

58: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 18:33:48.01 ID:Y8Jp1/mv0
勘違いしてる観光客も多いけど
城山の西郷洞窟と、自刃した場所は別な
自刃場所(西郷終焉の地)も
城山から近いから是非行ってみて碑が建ってる

67: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 18:50:21.72 ID:A24PMj26O
せごどんの実態ってどうだったろうな。

抜刀隊であるじゃん。
『敵の大将たる者は古今無双の英雄で』
鹿児島県警じゃ演奏しないらしいな。



77: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 18:55:27.15 ID:T/iMq9rhi
>>67
抜刀隊の歌詞の何が凄いって、敵の大将をも英雄とか誉めたたえてるとこだよな
あれ聴くと気が引き締まるわ

84: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 19:02:06.16 ID:uwTddsou0
>>67
>鹿児島県警じゃ演奏しないらしいな。

抜刀隊の創案は川路利良だから鹿児島の人には複雑な気持ちなんじゃないの

69: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 18:51:44.95 ID:+1TbyNTL0
帰国途上、西郷隆盛が西南戦争を起こして自害したと現地で知った東郷は、
「もし私が日本に残っていたら西郷さんの下に馳せ参じていただろう」と言って、西郷の死を悼んだという。
実際、東郷の実兄である小倉壮九郎は、薩軍三番大隊九番小隊長として西南戦争に従軍し、城山攻防戦の際に自決している。



東郷平八郎の肉声
http://www.youtube.com/watch?v=MsXkrwGa6Vg


82: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 19:00:02.17 ID:bmETfLkj0
あの城山の洞窟は何度も見たが、無駄に怖いな。
夜中はあの一帯全部が無気味だ。

87: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 19:06:55.50 ID:0wQgAbaL0
篤姫と小松帯刀が切り開いた素地を、ささっと泳いで漁夫の利とかあるんだろうな。

未だに人相が不明なのは、明治維新時にかなり大物だった証ではある。
暗殺とかの危惧よりも、西南戦争終了時に西郷の写真や自画像をすべて
廃棄して焼却したほうが自然だな。
とんでもないカリスマだったのは事実。

坂本龍馬がとんでもなく尾ひれ羽ひれが付いてるけど、一歩間違うと
とんでもない売国奴だった可能性も高い。

96: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 19:34:26.55 ID:91QUy9/T0
>>87
>写真や自画像
鹿児島人は基本自閉症気味なのでそういうのが嫌い。
それと肖像画や銅像って弟だかを参考にしたんだっけ?
身内をモデルにしたんだからやっぱりそれなりに似ていると思うよ。
嫁さんが銅像を見て「こんな人じゃなかった。」といったのが混乱の原因だと思うけどアレ多分、風貌がどうのこうので無く、いい年した大人が浴衣一枚に犬を連れた見ようによっては知障に見えるいでたちだったんでびっくりしたんじゃあないかな?
いかつい顔でそういう印象はつかなかったんでそのまま黙ってうやむやにしたんだろうと思う。

108: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 20:33:23.60 ID:bfmUeZlyO
>>96
除幕式の時の奥さんの言葉も二通り伝えられていて「うちの人はこんなんじゃない」と「そっくりです」。

西郷が鹿児島に引っ込んでからは全国の肖像画を集めさせ棄てたとか。

銅像のデザインをしたキヨソネへの明治政府の指示がひどく曖昧だった(弟をモデルにしろ、似てようがいまいがかまわない、ととれるような)。


もう何がなんだか。

92: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 19:19:21.01 ID:yW9PPJmnO
西郷は、和洋折衷ではなく日本の伝統文化を完全否定して破壊し尽くした上での完全西洋化を目論んだ人

97: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 19:43:36.80 ID:QYXsp8+IP
まあ、西郷隆盛が評価されて上野に銅像まであるのは、
何と言っても勝海舟との会談で、江戸を火の海に戦場
にしなかったところにあるな。

そのために戦に来ていた士族が納得できず、戊辰戦争
に発展してしまった。
西南の役も同じ。脱藩してまで改革に参加できなかった
士族の不満をすべて抱えて西郷は死んだ。

100: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 20:02:48.44 ID:awy0RbeO0
鹿児島を進発した西郷軍一万余、陸路大阪あたりに着いた頃には
数万に膨れ上がり、政府は大久保・川路を罷免して西郷を中心にした
士族救済政策を受け入れるなんておもってたんだろな。

それが熊本城なんかでモタモタ、みんな桐野の威勢のいい講談戦法に
引き摺られて無駄死にの山。

秀吉も天下統一後は別人のように退化したが、西郷も薩摩に帰郷後は
まったく精彩がなくなったな。

415: 名無しさん@13周年 2013/09/26(木) 01:29:23.15 ID:N1HO5iWji
>>100
海路から、品川に行く作戦考えたらしいよ。
けど実行しなかった。
それが史家の最大の謎らしいよ。
本人が当時、日本でただ一人の
陸軍大将だから、陸路をとったという
説もある。
この戦は、西郷南洲はしたくなかった
みたいだね。 だから行くまえに
お前達(部下)が、連れ出すんだから
と行って、部下に着替えをやらしたらしい。
後、陸路を選んだ理由及び時期を
選んだ理由は、将来のロシアとの
戦いを想定した為、陸路及び冬を選んだらしいけど、定かではない。

416: 名無しさん@13周年 2013/09/26(木) 01:59:07.58 ID:HtVjrqk5i
>>415
西郷は西南戦争時はほとんど軍の運営や作戦に関与していない ただ大将として座っていただけ
軍艦を奪取して海路をとる策は西郷小兵衛が献策したが、桐野や篠原ら薩軍首脳に採用されなかった
桐野は陸路西上しつつ、地方の不満氏族を吸収していき勢力を拡大する考えだったようだが、熊本で敗れて目論見通りにいかなくなった

120: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 21:00:21.39 ID:awy0RbeO0
大村益次郎は、明治初年にやがて九州から足利尊氏のような
謀反人が現れると後の西郷決起を見越し軍制改革を
急がせたのはさすが。

が、自らの暗殺を指令するのは西郷側近で民主党代表と同姓の
男だとは予見できなかった。

島津久光は薩摩が主力となって維新を実現したからに自分か息子の藩主が新政府で将軍的な立場になる筈が、領地も家来も召し上げだもんな。
新政府要職に成り上がった西郷・大久保に騙されたと憎悪するのはある程度わかる。
腹の虫のおさまらぬまま政府の県令人事も租税も認めず薩摩独立国を続ける。

中央で西郷と大久保が仲間割れし西郷が下野・帰郷したからには大嫌いな西郷ではあるが今度こそはと西郷に肩入れし軍費を全面的に提供する。

久光こそ謀反の首謀者で足利尊氏の筈なのに、戦後なんの処罰も受けず後には皇室と縁戚さえ結ぶ。

121: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 21:01:04.57 ID:I9hHiyux0
1877年4月1日付『イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ』は、西南の役をこう報じている。

「薩摩の人々は、1868年の革命以来、日本の甘やかされた子供であった。
しかし、彼らは明らかに日本の帝国内の薩摩帝国を保つことを望んでいるのだが、それは許されざる事柄である。帝国政府はいま、彼らに対して大きな陸軍を
送り込みつつある。西郷将軍がこの反乱・西南戦争に何らかの形で加わっていることを日本の公式文書は否定している。しかし、この文章が書かれている言葉遣いや反乱が進行している地方に西郷将軍が下野している事実に照らして、こうした否定をすること自体がどちらかと言うと、彼がこの反乱を促進しつつあるとの
報道を確認するのに役立つのだ」
と報じている。

金井圓編訳 ~THE Illustrated London News~邦訳「描かれた幕末明治」 雄松堂書店

142: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 22:00:38.73 ID:bTI9bL6g0
勝てば官軍、負ければ賊軍
歴史は強者が作る

そう考えると国賊なのに異様な扱いだな西郷ドンは
日本で熊本グライだろ西郷を嫌ってるのは(´・ω・`)

146: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 22:24:12.61 ID:awy0RbeO0
西郷に一度あえばその魅力に引き込まれると同時代の人が書き残しているが、
これはその人間が未熟で気おくれしてという面もあるのでは…

前原一誠や江藤新平は役不足で失敗したが、大西郷なら必ず成功させると
全国の不平士族の期待を一身に集めていたとされる割には西南戦争で西郷軍に参加した他府県の士族は思ったほど多くないね。
参加した熊本士族らも西郷に心酔したためというよりも、西郷を神輿にして
その後は自分たちの主義や思想で時代を動かそうとしただけだろ。

西郷と呼応して地方でも挙兵の動きあるとおもわれたが、西郷軍の初戦からの
苦戦ぶりとその後の敗退の詳細が新聞で速報されて西郷は孤立無援となった。

島津久光も西郷の不甲斐なさには舌打ちするおもいだったろ、すぐに資金援助は打ち切りアリバイをつくり県令大山綱良に全責任をおわせた。
貴人情けを知らず。

149: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 22:31:49.15 ID:bTI9bL6g0
>>146
孤立もなにも和田越以外は
西郷は戦ってさえいないけどね(´・ω・`)

153: !ninja ◆twoBORDTvw 2013/09/23(月) 22:39:17.10 ID:m+VGmMcj0
>>146
役不足なのに失敗とはこれいかにとはまあ野暮な突っ込みだけど
一応言っとくと隼人は人につくんだわ 魅力的な人 思想や行動力が
自分好みの人とかにね 未熟といわれるならそうかもしれんが正直
そういう「自分を持ってる人こそ大人で人につくとか未熟」って考えは
あんまりないのよ 大和はしらんが 

あと西郷さんについて戦うったって それぞれのイエの事情があるからね ウチの先祖は「戦争の世の中じゃなか」とか言って逃げたんだよ西南の役から 
まあしょうがないんだけどさw
とはいえずっと言い訳が残ってるくらい西郷さんを裏切った負い目が
残ってるわけ 面白いんだわ
隼人

隼人(はやと)とは、古代日本において、薩摩・大隅(現在の鹿児島県)に居住した人々。「はやひと(はやびと)」、「はいと」とも呼ばれ、「隼(はやぶさ)のような人」の形容とも方位の象徴となる四神に関する言葉のなかから、南を示す「鳥隼」の「隼」の字によって名付けられたとも(あくまで隼人は大和側の呼称)。

風俗習慣を異にして、しばしば大和の政権に反抗した。やがてヤマト王権の支配下に組み込まれ、律令制に基づく官職のひとつとなった。


161: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 23:18:53.63 ID:ddmrIuzsO
隼人かしらんに西郷さんが隠居してた家があるね。
縁側に座って西郷さんと同じ景色を眺めるのもいいかなあw

164: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 23:29:10.22 ID:awy0RbeO0
鹿児島で生まれ育っただけで自分のことを薩摩隼人というもんなの?

海音寺潮五郎は西南戦争の結果、本当に男らしい薩摩人は少なくなり
以後は兵隊も鹿児島に代わって福岡の出身者が勇猛と言われだしたと書いてたな。

168: !ninja ◆twoBORDTvw 2013/09/23(月) 23:33:23.79 ID:m+VGmMcj0
>>164
鹿児島というかオレのルーツは(宮崎の)都城 あのへんも薩摩だから
隼人は大和とちがって別の民族の意識が強い とにかく変わってる(エキセントリックな)人が多い 
今は茨城だからその違いがものすごくかんじることがある こんな感じ
まあ西南の役言い訳言って逃れた子孫でもあるから 確かにヘタレではあるな

182: 名無しさん@13周年 2013/09/23(月) 23:55:47.37 ID:awy0RbeO0
>>168
自分が言いたかったのは、幕末の武士たちは対外的には
薩摩藩士とか島津修里太夫家来とか名乗るだけで、古代の隼人の
末裔とかいう意識はなく、薩摩隼人と自称するのは明治以降の
風潮ではとおもっただけのこと。

185: !ninja ◆twoBORDTvw 2013/09/24(火) 00:00:02.75 ID:m+VGmMcj0
>>182
どう認識してたかというと薩摩(隼人)じゃないかなやっぱり
感じとしては島津の殿様も外からやってきた人 んでトップにいるけど
立派じゃないと薩摩人は言うこと聞かないぞって感じ そういう風に
思えるけどね

197: !ninja ◆twoBORDTvw 2013/09/24(火) 00:15:03.71 ID:xcGJKIEW0
あとまあ 薩摩隼人は寡黙を好んでんで昔の細かいことはいいんだよとか
能書きたれてんじゃねーよってのが強いのか あんまりアナウンスがないのよね
オレがあーだこーだと書いてもあんまり批判も肯定もされない 茨城在住で
実際は話くらいしか聞いてないんだけどね 「歯を見せて笑うな」とか
「屁理屈を言うな」とかそういうのが残ってて面白いんだけど まあそう言う親父が
歯見せて笑ったり 寡黙を尊ぶはずなのにおしゃべりだったりとどないやねんなんだけど
本家筋はそれ守ってるのかオレのイトコだのはあんまりそういう昔どうだったか
薩摩の教育方針はどうだったかとか知らんみたいね そういう伝統があるのかもねぇ

231: 名無しさん@13周年 2013/09/24(火) 02:00:59.21 ID:5brHXdoZ0
欧米列強に飲み込まれぬよう富国強兵、近代化を進めていた当時の日本には
頭のネジがぶっ飛んだ薩摩人の力が必要だったんだろうね。
琉球を植民支配したり、年長者に絶対服従くらいまでは理解できるが
英国に喧嘩を売るとか、稚児との男色奨励とか、まともな連中じゃないから

235: 名無しさん@13周年 2013/09/24(火) 02:10:09.47 ID:jK1x3JCq0
西郷さんは朝敵になったけど薩摩閥には絶大な人気だったからな。
逆に大久保は嫌われ者。
鹿児島で静かに余生を過ごしてたらいろいろ歴史は変わってかもしれんな。

253: 名無しさん@13周年 2013/09/24(火) 07:41:27.50 ID:HP0dP4n90
西郷って明治政府成立前と成立後で全然違うよなあ

前だと知略:85・政治:97・統率:95ぐらいありそうだけど、
後だと知略:44・政治:53・統率:66ぐらいまで急降下

256: 名無しさん@13周年 2013/09/24(火) 07:48:29.10 ID:2Os3/aDM0
>>253
官軍に負けた賊軍であり、明治政府が徹底的に悪い印象を与えようとしたことは考慮しないとな。
あと西郷はそもそも軍人というよりは政治家だったんじゃないだろうか。
もちろん維新前も、能力はそんなに高くなかったが時流と勢いで天下を取ってしまったという側面もあると思う。


何事もそうだが、いろんな評価ができるわけで
アンチも信者も基本的には頭がおかしい。

370: 名無しさん@13周年 2013/09/25(水) 00:42:23.24 ID:r8YaneqL0
>>253
西郷は明治政府樹立と戊辰戦争終結で自分の仕事は終わったと考えてたようです
だから維新後はそんなにバリバリ仕事しようとする気がない
んで、一度は鹿児島に隠居したのですが、名声とカリスマが仇となり中央に引っ張り出されたんです

276: 名無しさん@13周年 2013/09/24(火) 08:23:25.83 ID:1xOt0hiv0
西郷を憎んでいた人間も確かにいたことは認めるが、しかし、西郷にもしホントに
人間的魅力がなかったら鹿児島の士族があれだけ多勢西郷の回りに集まらないよ。
しかも村田新八などは欧米視察団のいっこうにも加わっていて新政府に残れば間違いなく新政府の中心になれる人間だったにもかかわらず、すべての名誉と将来を捨ててまで幼いころから人柄にほれ込んでいた西郷の軍に加わっている。
西郷隆盛という人間の人柄が良く分かる。

295: 名無しさん@13周年 2013/09/24(火) 10:09:07.11 ID:Gt/gb9Z30
>>276
村田が西郷軍に参加したことで大久保は「あの村田までもが」とショックを受けたらしいね

293: 名無しさん@13周年 2013/09/24(火) 10:00:48.57 ID:J80PlZQ+0
鹿児島って子供でも「○○でごわす」って話すんでしょ?
なんか強そう・・・。

294: 名無しさん@13周年 2013/09/24(火) 10:02:17.71 ID:OErGtxSc0
坂の上の雲なんかにもさんざん出てくるが、旧薩摩藩士の会話はいいね、ほんなこて味がある。
大山巌、東郷平八郎、山本権兵衛・・偉大な軍人ばかりだ。
まあ名優が厳かにしゃべるから余計そう感じるかもしれんが。

296: 名無しさん@13周年 2013/09/24(火) 10:17:22.13 ID:b5zxefMm0
北と南でも、
箱館戦争の榎本武揚と
西南戦争の西郷隆盛は運命が対照的だな・・・・

事実上の箱館共和国総裁で朝敵 → 明治政府の逓信大臣
明治政府の陸軍大将 → 薩軍の総指揮官で朝敵

一歩間違うと朝敵になってしまう恐ろしい時代だ。

西南戦争で西郷が助命嘆願したという説は、榎本が反乱後に生き残った前例があったからなのだろうか。

300: 名無しさん@13周年 2013/09/24(火) 11:24:18.92 ID:nbTcR9Ro0
榎本武揚は初期の貴重な留学と外交経験者だったな
欧米の植民地圧力の中で、その経験と人脈を捨てるのはあまりにも惜しかった

実際、藩閥政府の中でもあれだけの閣僚任されるくらいだから頭切れる人だったんだろな
海軍中将やら外務大臣までされたんじゃなかったかな
関連【敗北を】その後の榎本武揚【抱きしめて】


322: 名無しさん@13周年 2013/09/24(火) 12:51:44.29 ID:ENZFqornO
維新の最大の英雄である三傑が明治十年ちょいでみんなこの世から退場しているのをみると
明治は適材適所と世代交代がスムーズに行ったのかな、なんて思える
大久保や木戸が生きてたら、議会制度になっても彼らの言葉こそが優先されただろうし。彼らの思惑とは関係なく勝や榎本は幕臣だったのが響いたな

328: 名無しさん@13周年 2013/09/24(火) 13:02:10.69 ID:Y9bQ258T0
福澤は勝と榎本を批判する「瘠我慢の説」の出版に先立ちゲラを2人に送りつけ
感想と返書を求めた、主張に自信があるというよりさらに突っ込んでさらし者に
してやるぞ感ぷんぷんだ。

榎本は「いろいろと意見交換もしたいけれど、今は多忙なのでいずれ暇をみて…。」と
文語体で軽く交わした返書。

勝は「行動はオレのものさ、批判は他人のもの、オれの知ったこっちゃねぇ。どうぞどなたにでも公示してもらって構わねぇよ。」と取り合わない。
お前ら口舌の輩にオレの責任や苦労が分かってたまるかと言わんばかり。

榎本と福澤の両者を知る洋学通は榎本の学殖はとても福澤の及ぶところでない
と論じている。

336: 名無しさん@13周年 2013/09/24(火) 14:00:23.47 ID:al/McWmB0
西南戦争で死んだ連中が生きて大仕事していればと、思わんことはないが
他の道はなかったんだろうな。

339: 名無しさん@13周年 2013/09/24(火) 14:26:27.45 ID:UXW0yZIui
西郷さんは薩摩の不平士族を一斉処分するという大仕事を最後にやってのけたんだよ自分の身を道連れにしてね
それが証拠に、西南戦争では西郷さんは何もやってない、ただの神輿に徹していた
幕末で権謀術数を駆使したのとは対象的だ

346: 名無しさん@13周年 2013/09/24(火) 15:26:08.80 ID:jw76f4mT0
日本の軍人英雄・東郷平八郎も慕ってた人物だしな

190: 名無しさん@13周年 2013/09/24(火) 00:05:44.39 ID:UfZtiDt40
そろそろ靖国に入れてやれよ


引用http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1379919967/


西郷隆盛 命もいらず 名もいらず
北 康利
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