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1: 日本@名無史さん 2008/10/04 02:12:57
現代の和食の基礎となった江戸時代の食い物
食ってみたい料理から、コリャなんだつう料理まで
全部あげて満腹しよう――其の弐



関連◆1◆食物と酒、嗜好品の歴史@日本史板







3: 日本@名無史さん 2008/10/07 14:32:37
一つ疑問があるのですが。

蕎麦を「盛り」とか「ざる」のように、冷たいつゆに漬けて食べる形式は
いつ頃出来きて、何かモデルがあるのでしょうか?
今日、蕎麦食ってて、急に疑問がわいてきました。

蕎麦切は饂飩(麦きり)がモデルだし、掛け蕎麦も饂飩から来てるのは理解してます。
中国、朝鮮にもこの食い方は無いでしょう?
誰か知りませんか?

4: 日本@名無史さん 2008/10/07 16:59:47
>>3
盛りそばは饂飩の調理法から直で来てないんじゃなかったか?
記憶が曖昧だが、盛りを蒸篭で出すことが表しているように、盛り蕎麦は
元来「蒸し蕎麦」だったと記憶しているが。

それと、つけ麺のスタイルっていうのは中国起源じゃないの?
こっちについてもよく知らないんでイメージで言ってるけど。

5: 日本@名無史さん 2008/10/07 18:40:09
中華につけ麺なんてあるか?
ソースやスープにひたして味を浸ませて食うという食べ方は
そもそも外国にあるんだろうか

9: 日本@名無史さん 2008/10/08 20:51:45
>>5
ベトナムにブンチャーというつけ麺があるけど起源はわからんですね。
日本のつけ麺(中華麺のやつ)と同じスタイル。
米の麺で、スープは酸っぱしょっぱ甘くて爆ウマですた

48: 日本@名無史さん 2008/10/18 23:55:05
>>3
みんな書いてるようにそばつゆで食べる文化は少なくとも室町期には
存在してる(ただし汁は垂れ味噌で作ったものらしいが)。

南宋の「東京夢華録」・・だっけ?に饂飩を冷汁で食べる料理の
存在が出ているらしいから発祥は中国で間違いはないんじゃない。
蕎麦に関しては最初は大根汁を付け汁にしてたらしいね。
尾張藩初代の義直が、中仙道経由で名古屋に向かう道中を記録した本に
信濃で大根汁で蕎麦を食うってシーンが記載されてる。

52: 日本@名無史さん 2008/10/19 06:04:30
>>48
現代の中華料理は元以後に出来上がったものらしい
中国の料理研究家が宋代の書物にある料理を再現したら
和食のようなものが出来たと何かで読んだことがある

55: 日本@名無史さん 2008/10/19 13:01:22
>>52
張競「中華料理の文化史」にそういう感じの話が出ていましたね。
(著者は料理研究家ではないけど。)
日本に留学して日本の大学の先生をやっていたようだけど。
本の中に、調査グループの一員として1994年に9年半ぶりに故郷
の上海に帰ったときの話が出ていたが、すっかり様子がかわtって
いて戸惑ったという話だった。
レストランに入ってメニューを見ても、なんの料理か全く見当がつ
かなかったそうな。

7: 日本@名無史さん 2008/10/08 14:14:36
昔から麺を食べる地域は、日中韓、東南アジア果てはミャンマーまでで
インドから西にはないそうだ。東アジアは麺食文化。
西欧で唯一食べたのは、マルコポーロが中国からパクッタ、イタリヤだけ。

その中でも日本の付け麺文化は特殊でしょう。

10: 日本@名無史さん 2008/10/08 21:17:47
これは面白い着眼点になってきたな
湯豆腐でもしゃぶしゃぶでもてんぷらでもそばでも
そのまま飲むんじゃ濃いタレにつけて食べる
刺身だって小皿に醤油入れてつけて食べる

中華の点心なんかは酢醤油つけたりもするけど
さてどこが起源だろうね

15: 日本@名無史さん 2008/10/10 14:12:09
>>10
なるほど、湯豆腐ですか!確かにつゆに浸けますよね。
それに料理の食べ方が成立したのも古そうだ。
天つゆにつけるのは明治以降らしい。しゃぶしゃぶは……だし。

これ読んで思い出したのが、「冷やし素麺」
蕎麦切りよりずっと昔から、今の麺の形らしい。
しかも、七夕に冷やし素麺を食べる慣わしがあった。

麺をつゆに浸けて食べるのは、
冷たい麺を冷たいまま食べるための工夫じゃないか?


17: 日本@名無史さん 2008/10/10 18:53:10
冷たい麺と言えば冷麺があるし
宋の時代くらいには廃れたらしいが中国でも刺身食ってた。
最初から味付けしてたのか今みたいに醤油につけてたかはわからんが

20: 日本@名無史さん 2008/10/10 21:43:24
天竺からもたらされたカレーは、丼物のいちバリエーションとしてカレーライスになり
やがてザル蕎麦系のスタイルを取り入れてスープカレーになったわけだな。

26: 日本@名無史さん 2008/10/12 01:18:48
>>20
日本のカレーは英国経由の遠周りしているので、
天竺風味はほとんど残ってませんぜ。

42: 日本@名無史さん 2008/10/18 14:15:33
>>20
スープ、シチューのカレーは欧州で盛んだし、
カレー+米というのは日本の前に先例はあった。
ただ、カレーライスが日本で爆発的に発展したことは反論しないが。

30: 日本@名無史さん 2008/10/14 02:30:05
日本の料理は宮廷料理ではなく、庶民・少なくとも市井の人が食べてたものってのがいいよね。
天皇や将軍の食事は、目を剥くような贅を凝らしたものではなく、案外質素。
で、江戸の街は、料亭、蕎麦屋、一膳飯屋、煮売り屋から屋台まで、同時代のどの都市よりも外食産業が栄えてたんでしょ。独り者の男が多いという江戸特有の事情もあったんだろうけど。

35: 日本@名無史さん 2008/10/16 21:14:56
>>30
質素とはいっても庶民の食膳とは雲泥の差があった。

最後の将軍慶喜の食事は質素であったとされるが、
それでも精米した米を毎日4,5人が黒漆の盆に
並べ、大きく良いものを一粒づつ選んで御膳所へ
送ったという。
何気ない食膳にも、その背後では手の込んだ配慮
がなされていた。

36: 日本@名無史さん 2008/10/17 09:36:43
蕎麦屋で軽く呑む日本酒と板ワサ、そしてもり蕎麦でしめる。
日本人の先達に感謝です。

45: 日本@名無史さん 2008/10/18 21:46:46
親子丼は、江戸時代でもありそうだよな

46: 日本@名無史さん 2008/10/18 23:05:41
>>45
まず、親子丼そのものは明治に考案された料理。
今でも親子丼で有名な「玉ひで」が始めたそうな。

仮に江戸時代の状況で作るとしても、まず半生で食える程度の卵は鮮度や寄生虫などの理由でキビしいんじゃなかろうか。
あと味付けに使うとして、砂糖も江戸後期だとしても高価だろうし、それ以前なら水飴とか甘葛を使うことになる。

鶏肉は今よりも貴重品だろうが、味の平均値はブロイラーが幅を利かせる今より上かも知れん。
あと、今じゃ食えない鳥も食材として存在していたことも事実。
鶴とかツグミとか。

それと、玉ねぎの本格的栽培が始まったのは明治初頭らしいので、江戸時代にはほぼ無い。
これは結構イタいかも知れん。

味醂は江戸時代以前からの存在が確認できるようだが、調理に用いるようになったのは江戸中期以降らしいので、江戸前期だと味醂も無し。

醤油は江戸初期であればたまり醤油しか無い。
寛永年間に濃口醤油がある程度大量生産されるようになって以降であれば不自由はしないだろう。

ミツバは今のように年中取れたわけじゃないので、旬の時期限定。

塩と酒は一応不自由しないだろう。

セットに味噌汁付けるなら、当時のバカ正直に作ってた味噌だから、結果として味の平均値は今より上かも知れん。
ただし、出汁を取るブシ類は一応貴重。

上記を組み合わせれば、一応「もしも江戸時代に現在と同じような親子丼を作ろうとしたら」というifの答えは、江戸前期・中期・後期と導き出せる。
いずれにしても、玉ねぎが無くて、卵も半熟のプルプル状態じゃないのはイタ過ぎる。

49: 日本@名無史さん 2008/10/19 00:02:01
↓これ結構面白い。ここに来る皆さんはもう読んでるかも知れないけど・・・。

http://www.asahi-net.or.jp/~UK5T-SHR/simazaki.html
http://homepage3.nifty.com/shokubun/index.html

50: 日本@名無史さん 2008/10/19 02:17:14
昔の人は鶏のレバ刺とか砂ずり刺とかも食ってたの?
食いてー

53: 日本@名無史さん 2008/10/19 06:20:30
て言うか、昔の人より現代の人の方が
よっぽどうまいもの食ってるよ。

57: 日本@名無史さん 2008/10/19 13:37:22
大根というと尾張の名産だったようで、いろいろ戯れ歌が伝わっているらしいね。
元禄の頃、「水戸に殿あり、紀州に家来あり、尾張に大根あり」という評が流行ったとか、吉宗の将軍継承後の落首に、「紀ノ国のみかん立花葉はさかり 尾張大根今はきりぼし」
というのがあったとかなんとか。

59: 日本@名無史さん 2008/10/20 14:56:18
有名な練馬大根は、細く白くすらっと長かった。
今主流の青首大根は太く短い。

江戸期には、「大根足」と言えば、細く白くすらっと長いふくらはぎの
褒め言葉だった。

60: 日本@名無史さん 2008/10/21 00:12:23
ももんじ屋(江戸時代の肉食文化の店?江戸郊外の駆除した害獣の肉を食べさせる店?)というのはどんな人が利用したのですか?
例えば豚や牛や猿や犬は一人前どのくらいでいくらくらいだったのでしょうか?
薬食いといったそうですが病気になると出かけていったのでしょうか?
鍋以外に焼肉のように何かにつけて食べたんでしょうか?
関連日本における肉食文化


61: 日本@名無史さん 2008/10/21 04:42:44
吉原に行く前に精をつけるためだろう。
真面目な人間が食うわけない。

62: 日本@名無史さん 2008/10/22 21:42:52
というか日本昔話で山犬や山姥に襲われる役として馬方とならんで
よく猟師さん出てくるしそういう職業が存在しえたんだから
獣肉の需要はあったんじゃないの?
でんでんでんでででん♪というBGMで山を垂直に上ったあとに
イノシシとか犬と一緒によく火縄銃で撃ち殺してるし
怖い話だとBGM違うけど。再放送してくれねーかなぁ
今あるアニメの万倍面白いと思うんだけどなぁ
あれなかったら歴史や伝承に興味持たなかったし
セラムンとぶつかったせいで・・・

63: 日本@名無史さん 2008/10/22 21:47:24
家康世代は鷹狩り大好きだったけど
そういえばのちのちの殿様連中は鷹狩りなんてしたのかな

64: 日本@名無史さん 2008/10/22 21:56:21
確か例の生類哀れみの令で鷹狩りは中断していたような・・・
でも島津重豪は鷹狩りが趣味だったとか人物叢書に書いてあった。
鹿児島に鬼のように狩り場や鷹の養成所を作って、藩政を圧迫したらすぃが
確か人生の後半はほとんど鹿児島に帰ってなかったのに・・・勿体ね。

65: 日本@名無史さん 2008/10/22 21:59:21
鷹狩りは家康以降徳川家の宿命ともいえる
将軍の趣味のひとつだった
ただ生類憐みの令をだした綱吉は将軍家のお家行事である
鷹狩りをも残酷であるとして禁止させてしまった
8代将軍吉宗は鷹狩りを復活させたそうだから
それ以降はまたやってたんじゃないか
後半は壮健な将軍が少なかったから
そもそも鷹狩りなんて誰も勧めなかったかもしれないが

66: 日本@名無史さん 2008/10/22 22:16:36
とりあえず家斉や家慶は鷹狩りその他をやっていたようですね。
家斉が戸山荘に遊びに行くときの言い訳が「放鷹の帰りの通り抜け」だったりするし。

後、家慶の話では、「名ごりの夢」に雁狩の話が出ていました。
桂川甫周に手を添えて飛び立った雁を一矢で射落としたとか。
で、「御手添えの雁をご拝領」ということで家に早飛脚を飛ばすとともに、葵紋のつい
た矢が刺さったままの雁を持って帰らせたそうですが、とにかく「葵紋」が付いている
んで、大名も避けて道を譲ったとかいう話です。

67: 日本@名無史さん 2008/10/24 15:36:06
雁と言えば、上野山下の「雁鍋」
ようするに雁のすき焼を売り物にしてた店
鍋自体は今のすき焼そのもの、肉が雁か牛の違いだけ。
結構、庶民にも人気があったらしい。
もちろん、幕末のこと。だから上野戦争の話にも出てきますね。

68: 日本@名無史さん 2008/10/24 23:52:01
時代劇でよく出てくるテーブルがある飯食う店やそば屋は明治まで得なかったんだろ?
店内どんなかんじだったんだ?

70: 山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ 2008/10/25 01:21:03
土間の上に背もたれのないベンチ。脇に酒と料理。
経営は一線を退いた老夫婦が主。

しかしこのスレ、江戸期だけというのが残念。

69: 日本@名無史さん 2008/10/25 00:52:10
>>68
入れ込みの板敷きに銘々膳もしくは直置き。

71: 山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ 2008/10/25 01:23:39
>>69
近年、NHKの時代劇では採用するようになって来ましたね。
幕末までとっくり代わりに使われていた銅製の酒器はまだ少ないですが。

84: 日本@名無史さん 2008/10/25 07:45:16
>>69っぽい店構えで今でも食える有名どころでいえば
「駒形どぜう」の本店とかがけっこうそれっぽい雰囲気。

http://www.dozeu.com/dozeu_fl/info/info.html


時代劇好きな外人とか連れてって説明してあげると珍しがって喜ぶよ。
鯨は心理的に、どじょうは見た目的にダメって人も多いんで、
事前にレクチャーしとく必要はあるけど。
asakusa_img1
【1F】入れ込み座敷 創業以来の江戸情緒がそのままに。
画像は
浅草本店|駒形どぜう様より引用


94: 日本@名無史さん 2008/10/29 14:37:12
ところで、巻寿司(海苔巻き)はいつ頃できたんでしょうか?

握り寿司以前は、鮒のなれ寿司や押寿司はあったということですが…
鉄火巻きが江戸時代に存在してることは、間違いないのですが?

266: 日本@名無史さん 2009/08/02 18:42:45
>>94
遅レスだが、姿寿司が原型の一つ
発酵を止め、酢を使うようになって姿鮨は見た目が生き生きしているほど
食べ難い。そこで頭やヒレを落す等の工夫がされるようになったが、
最終的に魚を3枚に下ろした身を漬ける棒寿司へと変わった。

これとは別に鮨を漬ける容器を省略する過程があり、スノコで飯
と魚を押す巻鮓が出現。このときスノコに飯が付くのを防ぐため
海苔や、紙やフグの皮をスノコと飯の間に敷く方法が18世紀中頃
に出来た。

この二つの流れが合体して巻きずしが生まれたのでは
というのか、下記の本に載ってましたよ。

「すしの歴史を訪ねる:岩波新書」より引用

100: 日本@名無史さん 2008/10/29 20:00:26
すーしーがファーストフードなんて羨ましす
別にハンバーガーとか美味いと思わんから
個人的になくてもいいし
だったらすしてんぷらがファーストフード感覚の時代にうまれたかったべ

102: 日本@名無史さん 2008/10/29 20:13:25
>>100
そのまま現代的価値観では語れない部分も数多ある。
「ファスト・フード」という表現は飽くまで「ファスト=速い」つまり「手軽」であって、
必ずしも今日のように「ファスト・フード=安い」と同感覚では語れない部分もある。
(例えば、比較対象によっては、当時の蕎麦の値段のそれに置き換えて800円~
3.600円と幅も生じる)

103: 日本@名無史さん 2008/10/30 12:08:50
まあ、今だってハンバーガーやサンドイッチも一個1000円ぐらいからのファーストフードが結構あるしな

104: 日本@名無史さん 2008/11/01 12:07:34
にぎりも発明された化政頃は一貫250文だったそうだが、
屋台や担ぎ売りの寿司屋が出てきた頃には、一貫4文になりました。

105: 日本@名無史さん 2008/11/01 22:20:40
器をわざわざ持ち上げて食事するのって日本独特の習慣なのでしょうか?
味噌汁などの汁物を なぜスプーンではなくて わざわざ箸で食してきたんでしょうか?

107: 日本@名無史さん 2008/11/02 00:42:44
>>105
箸で食すようになった経緯は詳しく知らないが、日本人が箸を一般的に使うように
なったのは奈良時代らしい。飛鳥時代とかは木のスプーンを使っていたと何かで読んだことがある。

106: 日本@名無史さん 2008/11/01 22:57:08
スプーンがヨーロッパで一般的になったのは17世紀過ぎてからだし
食事以外で使われるような用途でだったら日本でも匙という物がだね

108: 日本@名無史さん 2008/11/02 03:34:51
平安貴族とかは器持ち上げずに食ってたよな
武士やなんかが野外で飯食う時に地べたにおきっぱより
手でもったほうが食いやすいし楽だべってかんじだったんかな?
>>106
フォークも11世紀ぐらいに普及だっけ?
それまで手づかみで手を吹くためにテーブルクロス発明

110: 日本@名無史さん 2008/11/02 08:05:02
茶碗を持って食うのは野蛮と言われる。
ヨーロッパから朝鮮半島まで椀を持って食う習慣がなかったが、
日本に入ったとたん、低俗な食い方に変わった。

111: 日本@名無史さん 2008/11/02 08:11:41
日本は犬食いのほうがだめって言われるけどね

113: 日本@名無史さん 2008/11/02 09:52:33
日本では食べ物を突き刺して食べること(突き箸)や
すくって食べること(横箸)を下品としてますからねえ・・・

117: 日本@名無史さん 2008/11/04 01:47:04
吉原や一膳飯屋じゃなく、料亭が江戸に出来たのはいつ頃なんだ?
時代劇では屋台や居酒屋がよく出るが、赤穂浪士の時代に、本当は無いのでは……?

118: 日本@名無史さん 2008/11/04 23:00:26
7月の歴史に好奇心、江戸グルメ特集では

明暦の大火→火除け地できる→そこに屋台集まり大繁盛
→火を使う屋台禁止→浅草に茶飯をだす店舗型料理店できて大繁盛♪

といっていた。その店に西鶴も食いに来たとの事。

その後、

奈良茶飯の店大増殖→ほかの料理も出す→高級化し料理茶屋へ

だそうなので、赤穂浪士の時代には少なくとも「ほかの料理もだす」位には
進化していたのでは?

119: 日本@名無史さん 2008/11/05 17:50:28
元禄の頃、華やかだったのは京阪でしょう。
だから大石が京で茶屋遊びにはまった。江戸はまだまだ開発途上。
その頃には、有名な料理屋って無かったんじゃないかい?

122: 日本@名無史さん 2008/11/06 13:58:17
そかな、地方の方が野菜や魚が手に入るから、そういう意味では良かったとも
思うがな。

123: 日本@名無史さん 2008/11/06 14:50:08
>>122
おまいさんは江戸前という言葉の本来の意味を知らんのか?w
それと江戸近郊は野菜の産地も多いし、江戸市中にも畑地や田圃は結構ある。
江戸前(えどまえ)とは、
東京湾で取れた魚介類のこと。(用例:「江戸前の魚」など)


136: 日本@名無史さん 2008/11/07 23:25:50
江戸にタイムスリップして
てんぷら食いて~。そば食いて~。おでん食いて~。焼き鳥食いて~。
って俺だけ?

137: 日本@名無史さん 2008/11/07 23:30:44
うん
全部今のほうがうまいのわかりきってるからね

138: 日本@名無史さん 2008/11/07 23:32:55
蕎麦は手打ちなら今と作り方変わらないだろうしね
メンつゆは削り節が幕末だしな

139: 日本@名無史さん 2008/11/08 02:00:36
江戸時代といえば、「蒸し蕎麦」だぞ?
美味いと思うか?

140: 日本@名無史さん 2008/11/08 02:02:47
いわゆる本当の「蒸篭=せいろ」だね。
結構旨いよ。

141: 日本@名無史さん 2008/11/08 14:40:45
結構グルメだよね、昔の人って。
縄文人もかなりグルメだしw

142: 日本@名無史さん 2008/11/08 15:32:49
トチの実と鹿の血のクッキー食ってみてえ
多分まずいと思うけど

143: 日本@名無史さん 2008/11/09 04:31:13
栃の実せんべいももちも好物だ
せんべいはともかくもちはそうそう味が変わってないと思うけど
比べようはないからなあ

144: 日本@名無史さん 2008/11/09 09:58:25
餅の味こそ相当変わってると思うけどなあ
今の餅の味は連綿と続けられた品種改良の努力の賜物じゃないかな

146: 日本@名無史さん 2008/11/10 15:29:52
江戸時代、焼き鳥って有ったのかい?

147: 日本@名無史さん 2008/11/11 10:47:22
焼鳥が料理書に現れるのは寛永二○年(一六四三)の「料理物語」。

150: 日本@名無史さん 2008/11/12 14:13:33
>>147
焼き鳥は焼き鳥でも、細切れ串刺しではなくて
雉焼きみたいな物ではないのですか?

155: 日本@名無史さん 2008/11/16 23:27:51
付けタレの話。
戦争中醤油が貴重な頃を過ごした母や叔母の話です。
かけ醤油はかけすぎる、つけ醤油は少しで足りる、と言ってお葉漬物に醤油をかける私に言ってました。
ドバドバかけるな、もったいない、と言いたかったんだろうとおもいます。
翻って、醤油やタレを分け前分しか与えない文化があったんではないでしょうか。1つの鍋で何人かが共同で食べる際に、一人分をある一定に押さえる働きがあると思うんです。
味なしで煮て、取り皿に塩味がある。「わしの料理に味噌をつけるのか」は味の反抗ではなく、まだ食べるのかみたいな意味だったのかもしれません。

157: 日本@名無史さん 2008/11/29 01:07:56
今みたいなスタイルの鍋物って江戸時代にはあったんでしょうか
都市部の家には囲炉裏とかないだろうし無理?

158: 日本@名無史さん 2008/11/29 01:21:28
>>157
あったんじゃまいか?
駒形どぜうは江戸時代創業だが、スタイルはさほど変わっていないような……。
焜炉に小さな鍋(鉄鍋、土鍋等)を載せ、それを囲んで呑み喰いする文化は
江戸時代からあるよ(軍鶏鍋とか兎鍋とか葱まとかね)

159: 日本@名無史さん 2008/11/29 09:17:29
駒方どぜうスタイルの一人鍋・・・・小鍋仕立は江戸中期以降に発生
したらしいが、皆で鍋を突っつきスタイルが広く普及したのは明治になって
らしいね。

160: 日本@名無史さん 2008/11/29 14:52:19
>皆で鍋を突っつきスタイルが広く普及したのは明治になって
らしいね。

幕末の琴声美人録に画かれている絵に、上野山下の雁鍋屋で
町人風の家族ずれと男二人が鍋をつつき合ってるのが画かれてる。
この鍋は2~3前の鉄鍋に見えます。
また別の絵(出展不明)では、
小汚い居酒屋でごろつき風の男二人がまぐろ鍋を食べてる絵が見れます。
鍋はやや小ぶりの土鍋です。

ひょっとして料理の種類や店によって違うのでは?

168: 日本@名無史さん 2008/12/01 17:01:56
そろそろ正月も近いですが
うちの地方ではおせち料理にブリの照り焼きを入れます。鮭の代わりに
皆さんのところではどうですか?ちなみに近畿地方出身です。

171: 日本@名無史さん 2008/12/01 22:23:28
>>168
おせちに鮭が入ってる地域があることを今知った

169: 日本@名無史さん 2008/12/01 19:01:41
そもそもおせち料理なんていうもは
いつどのような形で出来上がっていったのか
もちろん元旦食というものは昔からあったであろうことは想像できるが

170: 日本@名無史さん 2008/12/01 22:17:28
重箱に詰めるようになったのは江戸時代も後半

節句といえば5つあるから、それぞれに「おせち料理」があったのかも
今残っているのは元旦のそれと3/3の蛤の吸い物+ちらし寿司ぐらいかも知れない

173: 日本@名無史さん 2008/12/01 23:40:49
>>170
1月7日七草粥、3月3日ちらしとはまぐり?、5月5日ちまきと柏餅?、7月7日なんだろ?あんころもちか?
9月9日うちの地元だけかもし入れないけど神棚に前日和菓子15個備えて当日食べる
こんなかんじかな?
マニュアルとか個性がないとかいろいろ言われるけど様式美として
行事に合わせてちゃんと食べてるよ
どうせ80回程度しか経験できないので斜に構えるより楽しんだほうがいいと思う



188: 日本@名無史さん 2008/12/03 08:32:55
>>173
このスレではおなじみの「下級武士の食日記」には
五節句には以下のものを食べたと記されています。

一月七日:七草粥
三月三日:草餅、菱餅、はまぐり
五月五日:柏餅、粽
七月七日:そうめん
九月九日:栗、菊酒

さらに、節句には薬食いと称して肉を食べたり、酒を飲んだりもしています。
あと、三十日(晦日)に蕎麦を食べる風習があったとか。
大晦日(12月31日)に年越し蕎麦を食べるのは、この風習が元とか。
ちょっと時期がずれてますが、11月の酉の市で鳥鍋(雁鍋)を食べたり。

季節の節目ごとに、色々楽しんでいたようです。

189: 日本@名無史さん 2008/12/03 08:45:47
>>188
江戸時代は太陰太陽暦で、最長でもひと月30日までしかないから、江戸時代の大晦日
(おおみそか・おおつごもり)=師走の三十日だよん。

190: 日本@名無史さん 2008/12/03 08:52:38
>>189
大晦日(12月31日)って書いたのは今の習慣の話だから。>年越し蕎麦
その元になったのは江戸の晦日蕎麦だよという話。

172: 日本@名無史さん 2008/12/01 22:43:44
あとどういう階層の人がどの程度食べていたかとかもだな
結局モチが結構な贅沢っていうクラスが多いのではないか
って考えるとこうみんなみんなお節食うのはひょっとして昭和以降かなと

173: 日本@名無史さん 2008/12/01 23:40:49
>>172
おせちの中に高いものが入りだしたのは最近な気がする・・・
かずのことかはなかったんじゃない?
そもそもかずのこ当時高かったかどうかもわからん
餅はまんが日本昔話のせいで高価なイメージがあるので
ひょっとしたら餅>当時のおせちかも
思い込みかもだがおせちの定番ものって
数の子、黒豆、くりきんとん、伊達巻き、かまぼこ、れんこん
小魚の甘い煮たやつ、サトイモ煮たやつ、人参と大根のすっぱいの
昆布巻き、豪華なのだと海老や鯛
ってところだと思うんだけど
江戸時代のこれらの物価ってどうだったんだろ

178: 日本@名無史さん 2008/12/02 20:08:54
>かずのことかはなかったんじゃない?
>そもそもかずのこ当時高かったかどうかもわからん

数の子は蝦夷で死ぬほど獲れた、産卵に来たニシンが浜に打ちあがるほど獲れた
それを塩蔵にして上方や江戸に運んできたので比較的安かったと思う

180: 日本@名無史さん 2008/12/02 20:43:30
>>178に同意
数の子が高級食品になったのはニシンが原因不明の不漁に陥った戦後以降



179: 日本@名無史さん 2008/12/02 20:25:40
ニシンてあんまり食った記憶ないけど
どういう人がどういう感じに消費したものなの?
あるいは肥料?

180: 日本@名無史さん 2008/12/02 20:43:30
>>179
肥料も使い道の一つ。
料理の一例としては
京都にはニシンそばという物があるが、北回り船で持ってきた干しニシン(身欠きニシン)を煮込んだ物が具に入っている
800px-Esashi_Nishin_Soba
画像はwikipediaより引用


181: 日本@名無史さん 2008/12/02 20:59:12
ほっといても浜に上がるほどいたニシンを喰いつくして数が減ったのか?>戦後
その他の魚も減ってるじゃん
たらふくの語源になったタラとか
よその国が根こそぎ持っていってるとか?

183: 日本@名無史さん 2008/12/02 23:34:24
>>181のいうような無計画な乱獲(明治・大正のころには北海道では網元が御殿を乱立するほど乱獲された)
も一因とは言われていますが、気候変動もあるのではないかとも言われています。
でもまだ真の理由は突き止められてないようです。

184: 日本@名無史さん 2008/12/02 23:52:16
あとハタハタなんかも少し昔は大量に獲れたとかいうね。
秋田の地元では、魚屋が箱単位でそこらの家に売りに来ていたとか。

にしんといえば、イギリスとか北欧でも食べられているのもよく知られているが
あちらの漁獲量はそれ程変化はないのかな。

186: 日本@名無史さん 2008/12/03 00:31:49
江戸時代が世界的にテムズ川凍ったり
デンマークとスウェーデンの間を冬は軍が徒歩で移動できたりとかの
小氷期だったこととなんか関係があるんだろうか・・・
食い物の価値(単純にとれなくなったとかも含めて)変遷ってのは

187: 日本@名無史さん 2008/12/03 00:49:34
そんな昔じゃなくても、小学校の頃、冬は通学路に普通に霜柱とかあって
サクサク踏みしめるのが好きだった。
住んでたのは広島市の海側の方、いまじゃ考えられない。
あの感触を思い出すとき、気候の激変というのを実感する。

202: 日本@名無史さん 2008/12/26 12:58:36
池波小説の飯はうまそうなのに
司馬小説の飯はまずそう・・・

203: 日本@名無史さん 2008/12/26 13:59:58
池波さん自身がグルメだからね
司馬さんの小説の史観についてはいろいろご意見もあるでしょうがw
料理の味自体に関しては司馬表現の方が実態を表しているかも知れない

204: 日本@名無史さん 2008/12/27 01:17:12
池波の登場人物はちょっと目を離したスキに次の行で酒のんで蕎麦たぐってるよな

206: 日本@名無史さん 2009/01/02 01:03:20
剣客商売にでてくる不二楼てのは、基本はレストランで宿泊も可能て店っぽいけど
そういうの江戸には多かったんでしょうか。
料亭とかいったことないから分からないけど、ルームサービスでの食事の提供を前提としたデイユースプランみたいな形態なのかな

207: 日本@名無史さん 2009/01/02 01:20:45
明和以前はそれこそ吉原ぐらいしか酒宴らしいもてなしを供するところはなかったともいうしな。
天明ぐらいで深川、中洲、向島あたりまで川沿いに広がる。
町人とか普通の武士が仲間内で気軽に遊ぶような感じで
料理茶屋とか居酒屋で気軽に飲み食いできるのは時代にするとやっぱ
化政期ぐらいに下ると思われる。

いわゆる料亭は基本的に風呂があって、接待の流れとしては
まず着いたらゆっくり入浴してもらって庭を軽く見ながら離れに移動、
ひとしきり食って飲んだらお姉さんでも呼ぶか、
早めのお帰りなら船で送迎(場合によっては籠)、
お泊りなら別室にお布団敷いといて…みたいな感じかと。

211: 日本@名無史さん 2009/01/29 08:58:38
江戸時代の居酒屋メニュー
立ち飲み 一杯 八文 152円
お銚子 一本 十二文 228円
上酒 一本 二十四文 456円
極上酒 一本 三十四文 608円

おでん 一皿 四文 76円
焼き豆腐   五文 95円
煮豆腐   八文 152円
がんもどき   十文 190円
クジラ汁   十六文 304円

握り鮨 一個 八文 152円
たまご巻   十六文 304円
五目鮨   百文 1900円
鰻丼(並)   百文 1900円
もりそば   十六文 304円
天ぷらそば   三十二文 608円
肉鍋(小)   五十文 950円
納豆汁つき定食 十六文 304円

214: 日本@名無史さん 2009/01/29 20:36:06
>>211
1文=19円換算ですか?



212: 日本@名無史さん 2009/01/29 09:21:11
一説には一食飯三杯おかずに特大の切り身つけて
毎日銭湯行って、ちょっと寝酒飲むという生活ぐらいなら
独身なら月に7日も働けばできたという
俺なんて月に28日、日の出の前に家を出て帰宅は真夜中の朝から夜まで働いて月収12万弱ぐらいですよ?
もちろんボーナスも有給もない退職金もない。厚生年金もない。
これなら江戸に生まれたほうがよかったね
別に俺は飯がちゃんと3度食えておかずなんて漬物と納豆と味噌汁で満足だもん
魚とか週に1度付けば天国。今はこれすら無理な生活だからな。
そしておそらく一生このままだろう。現代に生まれて大損。ホームレスじゃない分マシだが。
どうせ長生きできねーんだろうけど死ぬまでに腹いっぱいそばを食うのが今の俺の夢

まぁ江戸町民ってある意味小規模の貴族階級みたいなもんなんだろうけど。
町人がローマ市民みたいな感じで農民は奴隷階級

214: 日本@名無史さん 2009/01/29 20:36:06
>>212
日雇いだと1日銭200文だから7日働くと1400文
長屋の店賃を払うと900文
米1升100文ほどで1日5合消費すると、月15升、1500文
日雇いだと一食飯3杯は難しいな

長屋暮らしの大工職人だと銀五匁、7日働くと三十五匁、銭換算で三千五百文
これならまぁやっていける。
ただ、棟梁から暇を出される危険性と、冬場の仕事のない時期に備えて蓄えが出来なくなる可能性が。

現代の賃金に換算すると、日雇いは7日7万円ほど
大工は7日17.5万ほど。現在の大工さんは見習いでも一万円強もらえるから、さほどずれてないと思う。

216: 日本@名無史さん 2009/01/29 23:47:48
農村も流通網が発達してないせいで食材自体は単調かもしれないけど、
飢饉時や山間部の超小規模村落とか以外はそこそこ食えてたっぽいしな。
決定的に現代の方が勝ってるのは医療と服の安さと情報ネットワークとかぐらいかも。

江戸も中期以降と特に基本的には労働力不足だったっぽいから
浪人とかも仕事を選ばなければ口入屋に派遣登録すれば
その日から職にはありつけたっぽい。
深川埋め立てとかで親方にどやされながら人足デビューした夕方に
ようやくありついたあさりのぶっかけ飯とかはうまかったろうな。
基本的には朝から昼まででおしまいだったらしいから長くて6時間ぐらいか。

217: 日本@名無史さん 2009/01/30 00:12:41
でも、そこそこ普通に住んだり働いたりするには身元保証とか必要だったんじゃない?
口入屋も、送り込んだ奴が勝手に欠勤したり、トラブル起こしたり、そんなんで
クラさんの信用失ったら商売できなくなっちゃうし・・・現代と大してかわらんなw

218: 日本@名無史さん 2009/01/30 00:42:18
商工業者の人請は五人組とか人宿が身元保証人代理みたいな感じになってたらしい。
人請通さないで奉公することもあったみたいだけど、
この場合奉公人は雇用主に対して種種の訴権を行使できないって不文律があったらしい。
日雇いと派遣の紙一重だけど大きな差みたいなもんか。

「長屋の大家さん」は家主っていうより不動産管理会社兼なんでも屋で
口入れの窓口も実質こういう爺さんに泣きついて
じゃあああした一緒に○○屋さんに行ってみようか、
みたいな感じだったとか聞いたような気がする。
壁も薄いしトイレと生活用水、ゴミ捨て場とか兼用だし、
良くも悪くもコミュニケーションは必要だよな。

人間としてのあり方から言えば引きこもってなくても
その気になればほとんどしゃべらないで生活できる現代の方がおかしいんだろうけど。

74: 日本@名無史さん 2008/10/25 02:15:51
今さらだが、根本的な指摘をさせてくれ。

>>7
>昔から麺を食べる地域は、日中韓、東南アジア果てはミャンマーまでで
>インドから西にはないそうだ。東アジアは麺食文化。
>西欧で唯一食べたのは、マルコポーロが中国からパクッタ、イタリヤだけ。

このレスに「麺」とあるが、外国、特に中華の「麺」に言及する時は注意すべき
ことがある。
それは何かっつーと「麺」の本来の意味(現在の中国の語でもほぼそう)で、

「麺とは、小麦を挽いたり潰したりして粉(に近い状態を含む)にしてから調理等
をしたものである。」

っていうこと。

75: 日本@名無史さん 2008/10/25 02:22:12
>>74つづき

すなわち、十割蕎麦は麺ではなく(蕎麦だから)、二八蕎麦はまあ麺かも(一応小
麦も使うから)。
冷麺も二八蕎麦の同類で、一応、「麺」(つなぎに小麦粉を使うから)。
ビーフンやフォーも麺ではない(米だから)。
ついでに、餃子もシュウマイも「麺」であり、パンも麺類の一種である。

イタリアに於けるパスタがかも知れないが、イタリアではパンの類い(ブルスケッ
タ等)がパスタに分類されることは無いので、中華に於ける「麺」の方が幅は広い。

お好み焼きやもんじゃ焼きも、麺を使わなくても「麺料理」ということになる。

以上、日本以外の「麺」、特に中華の「麺」に言及する際には、日本の現代的な麺
の定義との差異に留意されたし。


※余談だが、本来の「麺」の定義に従うなら、「麺」の発祥は古代エジプトあたりの
石焼パンということになるかも知れずw

引用http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/history/1223053977/l50


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