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1: 日本@名無史さん
織田信長には彌介(弥介)という黒人の側近がいました。

日本人と黒人の交流について語ってください。


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戦国時代、日本に到来したイエズス会員などの南蛮人たち。


弥助

弥助(やすけ、生没年不詳)は、安土桃山時代の織田信長の家臣。黒人。

弥助の出自については、フランソワ・ソリエーが1627年に記した『日本教会史』第一巻に記述がある。イタリア人の宣教師(伴天連)アレッサンドロ・ヴァリニャーノが来日した際、インドから連れてきた召使で、出身地はポルトガル領東アフリカ(現モザンビーク)であると記されている。
『信長公記』には「切支丹国より、黒坊主参り候」と記述されている。年齢は26歳~27歳、「十人力の剛力」、「牛のように黒き身体」と記述される。
初めて黒人を見た信長は、肌に墨を塗っているのではないかとなかなか信用せず、着物を脱がせて体を洗わせたところ、彼の肌は白くなるどころかより一層黒く光ったという。

本当に彼の肌が黒いことに納得した信長はこの黒人に大いに関心を示し、ヴァリニャーノに交渉して譲ってもらい、「弥助」と名付けて正式な武士の身分に取り立て、身近に置くことにした。天正10年4月19日(1582年5月11日)付けの『松平家忠日記』には、「名は弥助、身の丈六尺二分(約187.8cm)、黒人男性、身は炭のごとく」とその容貌が詳細に記述されている。

天正10年6月2日(1582年6月21日)の本能寺の変の際には弥助も本能寺に宿泊しており、明智光秀の襲撃に遭遇した。信長が死ぬと二条御所に行って戦った末、明智軍に捕縛された。家臣にどう処分するか聞かれた光秀は「動物で何も知らず日本人でもない」との理由で命は取らず、南蛮寺に送った[5]。この処遇は光秀の黒人に対する蔑視を表していると考えられる一方、弥助を殺すことを忍びないと思った方便であるとの意見もあるが、真相は不明である。

その後の弥助の消息は分かっていないものの、その後の他地域の史料の中に黒人が登場するものがいくつかあり(フロイスの『日本史』の、沖田畷の戦いの記述の中で、大砲を使って活躍した有馬方の黒人が出て来る等)、それが弥助ではないかとする説がある。










6: 日本@名無史さん
こんなのありました

(23)アフリカに最初に?渡った日本人
http://homepage2.nifty.com/tankenka/sub1-23.html

18: 日本@名無史さん
>>6
興味深い

7: 日本@名無史さん
水戸老公は黒人を藩士として召抱え、その家は幕末まで続いたらしい。

8: 日本@名無史さん
>>7
弥介と同じく南蛮から“献上”された人なのか?

9: 日本@名無史さん
漂着したムスリム商人か。キリスト教徒ではなかった事は確かだが。

19: 日本@名無史さん
なんの本で読んだか忘れたけど、信長はこの黒人の皮膚の色を汚れと思ってたらしく、
体を洗わせたけど汚れが落ちないと驚いてたらしい

23: 日本@名無史さん
長崎の屏風には黒人の描いてあるものがあると聞く。

26: 日本@名無史さん
長崎の南蛮絵図に黒人奴隷が書いてあるよ。

弥介は本能寺の変の後、生け捕りにされたんだけど光秀に
動物と同じで何も判らないんだから捨てておけということで
釈放、放置されたんだよね。
 
当時の日本人の黒人感はこんなもんだったみたい。
その後の弥介がどうなったのか。。。


35: ぴーす ◆u0zbHIV8zs
>26 
南蛮寺に預けられて、それ以降は記録なし。だそうだ。

27: 日本@名無史さん
元はモザンビーク人だったらしいな>弥介
NHKだったかなー、信長が主人公の時代劇で出てきた記憶がある。
長身で南蛮風の服を着ていて、
本能寺の変のシーンでは、完全武装の鎧武者を素手で何人も撲殺していたすごい奴だった。

34: 光秀
黒奴は人に非ず
四つ足といっしょだから
殺さなくていいよ、馬鹿だしかわいそうじゃん。

38: 日本@名無史さん
イタリアに侵略を受けていたエチオピアが起死回生の策としたのが、日本と縁戚
関係を結ぶこと。
イタリアの同盟国の日本と(協定段階だったか?)縁戚になれば、イタリアも攻めては来れまいという思惑。
で、黒田藩の支藩の娘がエチオピア王室に嫁入りする話が持ち上がったんだけど、
当時の新聞読むと、こぞって「エチオピア人はそんなに黒くはない」調の記事ばかりでワラタ

51: 日本@名無史さん
>>38
結局、婚姻策も破談・・・エチオピアもイタリアに占領されて
しまったな。ちなみにその時のイタリア軍総司令官は「バドリオ政権」で
後に有名になるバドリオ元帥。
さしものイタリア軍でも近代装備もほとんど無いエチオピア軍相手なら圧勝・・?
どっこい期待にたがわず、包囲された挙句一個中隊が壊滅とか、かなり
苦戦したようだ。w

全然話は変わるが、高知県の南国市の外れだか赤岡町だかに「エチオピア饅頭」
なる銘菓を売る店がある。なんでエチオピアなのかいわれは知らんが

335: 日本@名無史さん 投稿日:2006/11/12(日) 20:03:50
>>51
いまさらだが、野市町だ。今は香南市になったが。


弥助は「へうげもの」でも出てたな。

47: 日本@名無史さん
エチオピア人は黒人(ネグロイド)と白人(コーカソイド)
のハーフぐらいの感じだよ。

62: 日本@名無史さん
戦前の小説なんぞを読むとインド人が黒人に分類されてんだよね。
ちなみ日本人は「良い方の白人」だってさ。

65: 日本@名無史さん
黒人っていう概念が無いのに、突然黒人見たらどう感じるんだろう

77: 日本@名無史さん
日本人の過半数が黒人の存在を知るようになったのはいつだろ。
見たことなくても可。

78: 日本@名無史さん
今じゃ黒人と言えばブラックアフリカ系の人を指して言うことが多いけど
数十年前は黒人と言えば東南アジアやインド系を指して言うこともかなり多かった。

79: 日本@名無史さん
>>11->>17
タレントの黒人を言うなら、

バルボンは絶対忘れちゃいけないぜ。

かれが日本最初のタレント黒人。

名前を聞いてすぐに分かるやつは、
社会文化専門家か、年寄り。
ロベルト・バルボン

ロベルト・バルボン(1933年3月13日 - )は、キューバ出身の元プロ野球選手(内野手)。
現在はオリックス・バファローズ野球教室顧問。

すでに半世紀以上も日本に在住しており、非常に流暢でギャグも交えた関西弁を喋る(この為「関西人より関西弁に精通している」とまで評された)。通訳をしていた頃、その関西弁と、あまりにアバウトな訳のため、関西人の間では常に笑いの種にされていた愛嬌のある人物でもある。

80: 日本@名無史さん
今は人権だの何だので堅苦しい事が多く、
「クロ」とも迂闊にいえない。
囲碁などもそのうち言い方を帰るのじゃないかと思ったりする。

日本人にとって外人とは、いずれにせよ、
「ケトウ」
であり、見下した存在だった。
しかし同時に自分たちとはかけ離れた存在を感じて、
畏怖の対象でもあった。

バルボンのような性格の明るさ、茶目っ気があると
警戒心や畏怖の心情が払拭され、好奇心も手伝って、
すぐに人気者になる。
それが日本人の外人を見る昔からの習いだ。

文化交通の世界化が促進され、
人権、倫理といった制度的な制約が生じてしまった現在、
かつてのような素朴な日本人の庶民的な感性は抑圧されたしまった。
バルボンを生んだ時代は今思うと良き時代である。

87: 日本@名無史さん
>>80
別に見下した存在でもなかったろ。
それは尊皇攘夷論が幅を利かせるようになって以降。

81: 日本@名無史さん
明治初期の日本に滞在した白人の日記に、
生地を買いに行ったら、店の人がにこやかに
「日本語お上手ですね。どこの国から来たんですか?」
と尋ねてきて、結局買わずに帰ったけど笑顔でお辞儀して送り出してくれたが、
内心「この毛唐め」と思っていることだろう
とか書かれてた。明治じゃ外人に対する警戒心も強かっただろうけど
一応営業スマイルっつーのはあったんだね。

88: 日本@名無史さん
毛唐って差別用語か?魯迅の小説にもニセ毛唐って出てくるし南蛮人と同じような感じじゃないかな。

89: 日本@名無史さん
>>88
そもそも「南蛮」自体が中華思想の賜物だし。
ちなみに日本は「東夷」

90: 日本@名無史さん
南蛮って日本じゃ「南の方から来た珍奇なもの」程度の意味じゃないの。
蔑称的な意味合いは薄そうだけど。

92: 日本@名無史さん
一応「人」って付けるでしょ、日本じゃ。
付けない事も多いけど。
中国で西戎人とか北狄人とか言ってるの聞いたことないけど。

93: 日本@名無史さん
奴等からしたら、自分たちの周りのものは全部野蛮なんだよ
人もものも同じ

95: 19
スレの流れとは関係ないけど、今読んでる本に信長と黒人奴隷との関係が載ってた。

中村彰彦 乱世の主役と脇役 文春文庫 1994年12月10日第1刷
P.143、148に信長はイエズス会のヴァリニャーノから黒人奴隷を貰い、
武田勝頼を破った後に甲州に入る際、一緒にこの黒人奴隷を連れて行ったと書いてある。

元々は聖文社と言う会社から1991年4月に発行された本らしいけど、
所々文中に出典や引用先が書かれてるのに、黒人の話には書かれてないのが残念。
いつ出版された本に信長と黒人の関係が記載されたのかも興味あるから。

96: 日本@名無史さん
>>95
まさに弥介のことだね

98: 日本@名無史さん
>>95

同じ時のことのようだが、松平家忠日記にも目撃記録があるよ

112: 75
>>98
以前このスレで文献記録が残っているのかどうか聞いた75です。
やっぱ、同時代の目撃資料があったんだ。
どうも、ありがとうございます。
ただ目撃証言だけで、その後どうなったのかなんてのは無いでしょうな。
おそらく、またイエズス会に買い直された、ってのが順当なところかな?

99: 日本@名無史さん
太平洋戦争で黒人は活躍したの?

100: 日本@名無史さん
>>99
したよ。「黒ン坊にゃ、飛行特性はない」との見解もあったけど
黒人の航空隊もできた。

105: 日本@名無史さん
白人と黒人のハーフは黒人?
黒人とアジアのハーフは黒人?

106: 日本@名無史さん
>>105
南米では前者はムラート。一応、黒人とは別の分類。
アメリカ南部なら、容赦なく黒人として奴隷に売られたがな。

107: 日本@名無史さん
黒人とアジアのハーフは、見た目では完全に黒人だな。
戦後の日本じゃ生きられないから、大体、アメリカに養子に出された。

115: 日本@名無史さん
夢枕獏の小説「大帝の剣」の主人公、万源九郎(よろずげんくろう)は、たしか彌介(弥介)
の息子だった。
『大帝の剣』(映画)‐主人公の万源九郎はヤスケの孫という設定である。


116: 日本@名無史さん
実際にも物好きな女がいたかもな

117: 日本@名無史さん
はじめて黒人と性交したと推定される日本女性は誰ですか?

125: 日本@名無史さん 投稿日:2005/04/03(日) 14:54:13
>>117
南蛮屏風とか見てたら、黒人の召使いが大勢来日してたみたいだから、
弥助以前にも平戸とか堺のような貿易港には、黒人はいたはず。
だから、誰とは特定できないけど、そういう貿易港の女性ではないの?

126: 日本@名無史さん 投稿日:2005/04/03(日) 14:55:50
船乗り相手の遊女とか、ポルトガル人に売られた女奴隷とかが考えられる。

128: 日本@名無史さん 投稿日:2005/04/03(日) 18:44:10
イスラム商船に乗っていた黒人ムスリムの可能性もある。

129: 日本@名無史さん 投稿日:2005/04/04(月) 06:01:20
アフリカでは幕末の英雄が育つような時間もなく
世界史時間から見て電撃的に人材が狩られていったんだな…

130: 日本@名無史さん 投稿日:2005/04/06(水) 17:35:12
英雄がいても、社会全体のレベルが・・・・・・・・・
日本が近代化できたのは幕末の段階で限りなく近代に近い社会が成立してたからだと思うが。

131: 日本@名無史さん 投稿日:2005/04/06(水) 19:55:34
読み書きそろばん

これ即ち大事

132: 日本@名無史さん 投稿日:2005/04/06(水) 21:37:16
必要条件だが、十分条件ではないけどな。
教育レベル高いのに経済はアレな国もあるし。

165: 日本@名無史さん 投稿日:2005/06/11(土) 23:04:41
日本人ほど黒人と縁のなかった民族はいないかも

今はそこらじゅうにいるけど

172: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/10(日) 19:39:30
歴史上、もっとも大量の黒人が来日したのは終戦直後なんだろうな。

173: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/04(木) 11:08:22
そのわりに、いまの50代に黒人のハーフが多くないのは、これいかに?

174: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/04(木) 12:35:04
衣笠とかそこそこはいるけど。

175: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/04(木) 15:16:20
アジャコング

176: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/04(木) 15:22:01
でも、日本にきた米兵の数のわりにはあんまり見かけないな。

177: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/04(木) 15:45:35
白人の米兵のほうがずっと多かったんだろ?

179: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/04(木) 15:50:48
白人に対する憧れは文明開化の頃からあったわけで
別に占領とともにもたらされたわけじゃないしね(むしろ戦中に中断されてただけ)。
小泉八雲とか本国ではモテなかったのに日本ではry

それに対して黒人は当時の多くの日本人にとってまだ得体の知れない存在だったろうし
白人のようにはいかない女が多かったんじゃ?

194: 日本@名無史さん 投稿日:2005/09/07(水) 04:37:22
まぁ、たしかに日本人が
異人に対して、免疫が無いのはたしかだな
下手したら、珍獣のように思ってたかも

196: 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守 投稿日:2005/09/07(水) 07:57:33
既出だろうけど、室町時代後期・安土桃山時代・江戸時代初期には黒人は「こんろんぬ」と呼ばれていたらしい。 「ぬ」は奴(やっこ)。

197: 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守 投稿日:2005/09/07(水) 08:02:23
白人の方が優しいとか日本人の方が優しいとかというより、黒人を見慣れていなければ驚くよ。 信長が(弥助だったかどうかわかりませんが)黒人を見てその黒さにビックリして汚い!と思い、タワシで洗わせても黒いから、やっと黒い人種だと納得した逸話もそれでしょ。

198: 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守 投稿日:2005/09/07(水) 08:05:51
もちろん、その黒人はポルトガル人が連れてきました。 日本に来た黒人も奴隷とか一応は自由身分(解放奴隷)だけども実際には下僕とかばかりだったから、それも日本人の黒人観を低くした一因かもね。

204: 日本@名無史さん 投稿日:2005/09/07(水) 12:08:02
信長は、怪力で、ある程度の日本語を、すぐに理解したので黒人を(曲芸などもやってみせたらしい・・・)
とても気に入ったらしい
黒人てのは、いつの世も、世渡りが上手い

206: 日本@名無史さん 投稿日:2005/09/07(水) 12:22:13
信長が、黒人を可愛がったか知らんが、
どうせ、うつけ者のミーハー根性。
そもそも、一般的な日本人観に信長をだしてくるのが間違い。
「一般的な日本映画です」といって黒澤映画を出すようなものだ。

212: 日本@名無史さん 投稿日:2005/09/07(水) 14:54:44
微妙にスレ違いだけど、講談社学芸文庫から出てるシュリーマンの日記に
当時の普通の日本人が珍しい白人に対する行動とかを読んでると面白かったよ

214: 日本@名無史さん 投稿日:2005/09/07(水) 16:18:08
シュリーマンの日記って信用できるの?
学者が検証を試みた結果、アメリカで著名人に会ったくだりは
ほとんどはったりだったとか。

223: 212 投稿日:2005/09/07(水) 18:42:01
>>214
俺が読んだのは日本と清の紀行の部分だったけど
この本
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=1593250

219: ジョーカー 投稿日:2005/09/07(水) 18:18:53
「ジャングル黒べえ」も絶版+再放送中止にされたし、手塚治虫もレイシスト呼ばわりされるし、日本でも80年代後半から急激に「黒人差別」糾弾が激しくなった。 渡辺ミッチーの「ケロケロ」発言や中曾根の「教養が乏しい」発言も一因かなぁ。

220: ジョーカー 投稿日:2005/09/07(水) 18:20:58
アメリカでも日本企業が黒人労働者を解雇すると、人種差別だと訴えられるし、ジェシー・ジャクソンや黒人地位向上協会がしゃしゃり出て来てたかるし、困ったもんだ。

222: ジョーカー 投稿日:2005/09/07(水) 18:24:35
訂正:全国黒人地位向上協会(NAACP)

224: 日本@名無史さん 投稿日:2005/09/07(水) 18:58:22
よーし、弥助の話を、東映のお偉方に持って行って早速映画化汁。
一大歴史ロマン活劇
配役は…、
弥助は、ボビー・オロゴンで決まりだな。
ストーリーとしては、アフリカの暮らし⇒白人襲来⇒ヨーロッパでの奴隷生活⇒日本での摩訶不思議な体験…
これならハリウッドでもいける!

251: 日本@名無史さん 投稿日:2005/09/22(木) 19:32:34
>>224
「ルーツ」戦国時代版かよwwwww

225: ジョーカー 投稿日:2005/09/07(水) 20:25:36
うむ! 弥助を主人公にするドラマ、面白そう!←マジで。 ただ、ポルトガルは1400年代前半から奴隷狩り+奴隷購入(アフリカはヨーロッパ人が来る前から奴隷貿易が盛ん)をしていたから、弥助はクンタキンテみたいなアフリカ生まれとは限らないけどね。

231: 日本@名無史さん 投稿日:2005/09/08(木) 00:53:23
そのドラマ、石山本願寺の攻防戦の大勝利の夜(何故かそこにいて)鉄甲船の甲板で九鬼嘉隆と語り合いながら「おら九鬼殿の下で働きたいござるよ」とポツリと言う弥助・・
何故?と訊く嘉隆に「いっぱい働いたらこの大きくてつおい船を貰えるかもしれない..そしたら」
と悲しげに黙り込む。弥助の意を察して涙ぐむ嘉隆、なんてな史実無視シーンも入れてくれ。

232: 日本@名無史さん 投稿日:2005/09/08(木) 01:04:21
さらに国に帰った弥助が「シャカ・ズールー」を名乗ってエゲレス支配を
覆す展開希望。

234: 日本@名無史さん 投稿日:2005/09/08(木) 01:57:29
クライマックスの本能寺で信長めざして殺到する明智勢の前に鬼神のごとく立ちはだかるも
遂に信長は自刃し弥助は捕縛される。
じつは微妙な友情で結ばれていた弥助と光秀。
光秀に出来ることは弥助をワカランチン扱いして「当事者」扱いしないことだった。
じつは陰湿な反目をしていた秀吉が天下を取ると弥助は捕らえられ、伴天連ごと追放されてしまう。
送り返される船を奪い、国に帰って白人への望みのない最後の戦いを率いる弥助の後ろ姿
・・・彼は五葉木瓜紋の陣羽織を一枚羽織っていた
(銃声連射)
エンドロール

314: 日本@名無史さん 投稿日:2006/07/16(日) 23:36:13
>>231-234
いいね!
その映画の予告編が見えるようだ

【歴史を切り裂いた男がいた】
  覇王っぽいいでたちで騎乗の信長~合戦シーン

【歴史に翻弄された男がいた】
  奴隷狩りシーンと船底で目だけ光ってる弥助

【運命は交錯し彼らは出会った】
  引き合わされるシーンと相撲とって遊んでるとこ。鎧を着けて合戦に参加してる捏造シーンもOK

【魂を継ぐものは】
  炎上する本能寺で自刃する信長~明智軍と闘う弥助

【歴史を切り拓こうとした】
  アフリカの浜辺に座礁した鉄甲船を背景に日本刀を握る黒い手のアップ

今年度最大の話題作「デ・アルカ - Legend of Yasuke」
主演はやっぱボビー・オロゴンかなあ
ラストシーンは>>234 悲しげな余韻をのこして終わりたいね。

243: 日本@名無史さん 投稿日:2005/09/14(水) 20:30:01
全米が泣いた "De Alca"

258: 日本@名無史さん 投稿日:2005/11/05(土) 23:03:14
弥助が消えたあと、日本人と黒人の接点は那智黒のCMまで待たねばならなかったんかな

268: 高知中将ジーモン土佐守ジョーカー ◆.5DV4fMpf6 投稿日:2006/01/08(日) 10:53:09
>>258
その後もポルトガル人やオランダ人の下僕として来日。
ケッペル(ドイツ人)が江戸に来た時にも黒人奴隷が付き添っていた。
ちなみに、安土桃山時代には「こんろんぬ」と呼んだらしい。
「こん」は昆、「ぬ」は奴。

269: 日本@名無史さん 投稿日:2006/01/08(日) 11:25:42
黒人奴隷を置いていったが、
代わりに日本人を奴隷として何人か連れて行った。

270: 日本@名無史さん 投稿日:2006/01/12(木) 02:43:27
千々石ミゲルとかも旅先で日本人奴隷を見てるらしいね

294: 日本@名無史さん 投稿日:2006/03/25(土) 15:13:57
黒人ではないが、足利義満(将軍様)に仕えたイスラム商人がいた。
その息子が楠葉西忍

楠葉 西忍

楠葉 西忍(くすば さいにん、応永2年(1395年) - 文明18年2月13日(1486年3月18日))は、室町時代の商人。父は天竺人の「ヒジリ」。

父の天竺人(この天竺がどこを指すかは不明。インド、ジャワもしくはアラビアの可能性もあり)の商人・ヒジリは足利義満の時代に来日し、京都の相国寺に居住して絶海中津の庇護を受けていた。


297: 日本@名無史さん 投稿日:2006/03/26(日) 15:25:14
しかし光秀軍に拘束された弥介の釈放理由が「馬鹿だから」とは、、、

299: 日本@名無史さん 投稿日:2006/03/26(日) 18:07:07
光秀だって弥助を知らないわけなかったろうに。
まるで家畜扱いだな。

327: 日本@名無史さん 投稿日:2006/08/14(月) 11:19:44
弥助、大河ドラマのいい題材になりそうだと思うんだけどな・・


引用元: ・日本史と黒人







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