41YDGG39GCL



1: 世界@名無史さん
世間では白人進出前のアフリカ暗黒大陸のイメージがあり、
未開の土人の住みかだったかのように思われてますが、
実際はガーナ帝国やマリ帝国などの高度な国家すらあり、
アラブ諸国と交易さえしてました。
そのような古代、中世のアフリカの実態や
何故、白人に植民地化されたかについて話して欲しいです。








3: 世界@名無史さん
エジプトなどのホワイトアフリカに関していえば、誰も未開の土人の住処とは考えていないと思うが。

4:
>>3
主に中南部のアフリカについて知りたいです。
南アフリカの謎の巨大塔の話しとかも興味ありますし。

6: 山野野衾 ◆NDQJtGoM
>4
グレートジンバブエ(本家ジンバブエ)ですか?確か中国やインドネシア産
の陶器などが見つかっていた筈。

7: 世界@名無史さん
グレートジンバブエの遺跡はかなり長い間、白人が建造したと
言われてましたよね。シバはここだとか。

1280px-Great-Zimbabwe


グレート・ジンバブエ遺跡

グ レート・ジンバブエ遺跡は、ジンバブエ共和国の首都ハラレから南方300kmのジンバブエ高原の南端、サビ川の上流の標高約1000mに位置する大規模な 石造建築遺跡の名称である。ジンバブエとは、ショナ語で、首長、王の宮廷の意味を含んだ「石の家」という一般語であるため、特定して最も大規模で著名なこ の遺跡を指すときは、語頭に「グレート」を付けるのが慣例となっている。

グレート・ジンバブェ遺跡の居住が始まったのは、紀元前2500 年ごろからで、「アクロポリス」の西方に集落が築かれた。そのころ、グレート・ジンバブェの南方のリンポポ川の中流とその支流シャシ川の合流地点にもショ ナ人による集落が形成され、それは大きく発展して575年ごろ有力な支配者が現れてマプングウエの柳葉状の丘に石造建造物を築いた。マプングウエは、周囲 9haほどの「都市」となり、金の中継貿易で繁栄し、研究者は、リンポポ川中流域を支配する人口12000~15000人規模の「マプングウエ国」という 小王国を想定している。グレート・ジンバブエは、650年ごろ、石壁をもつ建造物を造りはじめる。

一方、この頃のリンポポ川流域は、旱魃にみまわれ、イスラム商人たちは、より北方のサビ川流域の交易ルートを開発し、マプングウエはこのことによって急速に衰退することになる。一方、サビ川上流にあるグレート・ジンバブエは、これを契機に大発展することになった。


48: 世界@名無史さん
>>7
シバって現在のイェーメンの事じゃ無いんですか?

49: 世界@名無史さん
>>48
シバ(アラビア語でサバ)はイェメンです。
ただ、グレート・ジンバブウェを見た白人が、差別意識丸出しかつ歴史の知識の
ないの丸出しで「黒人にこんな立派な石造建築が造れるはずはない。きっとこれ
は聖書に出てくるシバの遺跡に違いない」と喧伝したことがあったのですよ。

8: 山野野衾 ◆NDQJtGoM
>7
例によって黄金が埋まっているとか。そういえばアフリカの奥地にソロモン
王の財宝が・・・何ていうのは昔の冒険小説の定番でしたね。

10: 世界@名無史さん
ヌビア王国、エチオピアのアクスム王国、ガーナ王国、マリ王国、
ベニン王国、ダホメ王国・・・
ほかにもあると思う。

13: 世界@名無史さん
で、どんな国家形態だったの?
それが正直、想像つきにくいんだよね。

14: 世界@名無史さん
>>13
ダホメ王国は日本とよく似た二重王権だったらしい。
ダホメ王国

ダホメ王国は現在のベナンにあったアフリカの王国である。ダホメ王国は17世紀に創建され、19世紀にフランスの軍隊がセネガルから来て王国を征服しフランス領西アフリカに組み入れるまで存続した。


18: 世界@名無史さん
しかし、18世紀までほとんど文字を持たない大陸っていったい・・・

もうね、アホかとバカかと

29: 山野野衾 ◆NDQJtGoM
>18
稗田阿礼の如き語り部が2、300年は遡ってくれますが・・・アメ
リカの黒人が先祖の伝承を頼りにアフリカに行って語り部の話と伝承
の一致から親類が分かった、という話を随分前に読みました。

30: 世界@名無史さん
>>29
その伝承とはその人個有の伝承だったのだろうか?どこをどうしたら親戚がわかるのか
よく分からないが、伝承、伝説の類似性なんて普遍的なものだしちょとあてにならん


まあそれはともかく、文字に発明云々だけで文明に優劣つけるなというお話。

31: 山野野衾 ◆NDQJtGoM
>30
まあ胡散臭い話ですが、地名と浚われた時の状況が一致したという話。

22: 世界@名無史さん
>>18
ナイジェリアは記録の点では西アフリカで最も古く、北部のハルサ族が
ジルガムと呼ばれる文字で『カノ年代記』という史書を残している。
内容は11世紀に始まる33代の王たちの業績を記録したもの。

21: 世界@名無史さん
アフリカには鍛冶屋や猟師が特殊の能力の持ち主ととされていて、ガーナの
アシャンチ古王国はオトゥムフィビという鍛冶屋がその地方の中心のクマチに
王国をつくったのが始まり。

33: 世界@名無史さん
エチオピアにはアムハラ文字がありますが、歴史は古いんでしょうか?

36: 世界@名無史さん
>>33
古いと思います。何故ホワイトアフリカに組み込まれなかったのか不思議。

40: 世界@名無史さん
ハイレ・セラシエ一世で有名なエチオピアに高度な文明があったという説があるらしいけど
ほんとかな、それを黒人さんたち白人優位社会に対抗するための精神的拠り所にしてるって
誰か聞いたことありますかい?
関連ハイレ・セラシエ一世を世界史的に語るスレ


47: 世界@名無史さん
>>40
ラスタなり。
アフリカだけでなく、カリブ海の黒人にも信じられてる。
赤緑黄のラスタカラー、マリファナ、レゲエが有名。
とりあえずボブ・マーリィーを聴こう。
ラスタファリ運動

ラスタファリ運動 またはラスタファリアニズム は、1930年代にジャマイカの労働者階級と農民を中心にして発生した宗教的思想運動である。

セラシエ来訪とレゲエ音楽

1966年、ハイレ・セラシエ1世がジャマイカに来訪。ラスタファリアン達は熱狂的にセラシエを歓迎した。ここでセラシエは、「ジャマイカ社会を解放するまではエチオピアへの移住を控えるように」という内容の私信を主なラスタ指導者に送った。これによって、「ザイオン(アフリカ)回帰よりバビロン(ジャマイカ)解放」という新しい考えが定着し、どこか世捨て人風で厭世的なラスタ達を、社会へ参加させるという思わぬ効果も現れた。

当時のジャマイカの音楽シーンに目を移すと、1960年代半ばまではジャズやR&Bの影響を多大に受けたスカ、ロックステディが流行していたが、セラシエ来訪を契機にラスタの思想やメッセージを伝える手段としての音楽、すなわちレゲエへと流行が変遷していった。
ラスタのミュージシャンやシンガーが、さまざまなラスタのメッセージを音楽に乗せ、国民の多数に支持されるようになるのだ。

特にボブ・マーリーは国際的な名声を得るに至り、ラスタファリアンからも支持が篤かったため、1975年にハイレ・セラシエ1世が死亡するという悲報を受けても、ラスタファリ運動のモチベーションは決して下がることはなかった。


49: 世界@名無史さん
>>40
ラスタファリズムやラスタファーライの語源が「ラス・タファリ(タファリ皇子
の意味。ハイレ・セラシエ皇帝の即位前の呼び名)だしね。
最近はジャマイカでもラスタファーライは下火みたいです。英国国教会に戻る人
が多いようです。ジミー・クリフはムスリムになりましたし。

42: 世界@名無史さん
スレの趣旨と少し違うけど、北アフリカって欧米人(便宜的にこう呼ぶ)の追い出された珍しい地方だと思う。
アルジェからフランスが追い出されたとかいう近代の話しじゃない、
古代は北アフリカがローマ帝国の領土だったり、ギリシャがアレクサンドリアのような都市を作ってたりで、ヨーロッパの一部みたいな場所だったんだな。
また、カルタゴみたいなヨーロッパふうの国家もあったしね。
同様の事はペルシア以西の中東にも言えるが、イスラム教が存在してアラブ人という概念ができなければ、北アフリカにはヨーロッパふうの国々が今もあったろうね。

46: 世界@名無史さん
>>42
確かに現在のイスラム圏はアラブ人の拡散に因って形成された物だとは思いますが其以前の地中海地方やオリエントがヨーロッパ風とは言い難いのでは無いかと思います。
「ヨーロッパ」と云う物もゲルマン人の拡散に因って形成された訳で。
だからカルタゴもローマも寧ろ古代オリエント(古代西洋)風の国家だったんでは無いでしょうか。
後代の「ヨーロッパ」と「イスラム」のどちらが古代西洋に近いのかはよく分から無いですが。

50: 世界@名無史さん
アフリカが簡単に植民地化されたのは「国民国家」というシステムを持たず、
対立する部族を倒すために各地の部族が争って欧米列強の手を借りたから。

51: 世界@名無史さん
アフリカが植民地化されたのはユーラシア大陸から隔離
されていたから。ただそれだけ。

53: 世界@名無史さん
シャカ・ズールーっていう珍しい例外も有るけどね。
200px-KingShaka


シャカ・ズールー

シャカ(1787年 - 1828年9月22日)は、ズールー王国初代国王(在位:1816年 - 1828年)。

南部アフリカの一部族であったズールー族を南アフリカの大半の部分を支配する一大国家へと導いた指導者である。彼の軍事力と戦略、敵を殲滅し生存者を部族に同化させていく力量は、ズールー族の中でも抜きん出たものがあった。


54: 世界@名無史さん
ザンジバルってもともと奴隷貿易やってたアラブ人の拠点だよね。
白人がアフリカにやってこなかったらアラブ人がケープまで南下して
バンツーネグロは根こそぎ奴隷にされてたと思うな。

61: 【^▽^】ネグロ太郎ジョーカー
ブラック・ムスリムことネーション・オブ・イスラムってマジで阿呆。アラブがブラックアフリカンにしてきたムゴイ歴史を知らんのかなぁ。

63: 世界@名無史さん
イスラムは奴隷の存在を容認したので、奴隷商人は初期の時代から白人奴隷や黒人奴隷の売買にたずさわった。
白人奴隷とは、トルコ人・スラヴ人・ギリシャ人・クルド人・アルメニア人・グルジア人・フランク人などであり、黒人奴隷とはスーダン・エチオピア・ヌビアなどの出身者である。
これらの奴隷は奴隷商人の手をへてバグダード、ダマスクス、カイロ、コルドバなどの大都市へ運ばれ、奴隷市場で売却された。

イブン・ブトラーン(Ibn Butlan,1066年没)の『奴隷購入の書 Risala fi Shira al-Raqiq』によれば、市場で奴隷を買うときには、奴隷商人のトリックにだまされないために、まず奴隷をよく観察することが必要である。とくに祭りのときが来ると、奴隷商人はやせた女を太ったように見せかけ、茶色い肌を黄色くし、口臭を取り除き、青い目を黒目に変え、ブロンドの髪を黒に染め変えたりするからである。
また、男奴隷の購入にさいしては、殴打や叱責に慣れてしまった者を買ってはならないと忠告している

70: 世界@名無史さん
>>63
ということは、金髪碧眼はアラブ人には必ずしも喜ばれなかったと言うことか?
ローマ人は喜んでいたのだったかな?

69: 世界@名無史さん
モーリタニアや スーダンでは、アラブ人と黒人との対立がひどいようですが、
過去の奴隷貿易と関係有るのでしょうか?
もっとも真っ黒い肌でも自分をアラブ人と考えている人々も居るそうです。

74: 世界@名無史さん
>>69
アラブ人という概念自体が19世紀の産物で、アラビア語を母語とする人たち位の
括りでしかない。碧眼や黒い皮膚のアラブ人なんて珍しくないです。
モーリタニアやスーダンの問題は、アフリカ諸国によくある国家内の民族対立か
ら。奴隷貿易はあまり関係ないと思います。スーダンでは宗教対立の要素もある。
南部の民族はキリスト教徒が多いのに、政権を握るのは厳格なムスリムだし。

77: 世界@名無史さん
アルバニア系のムハンマド・アリー朝のエジプトは
スーダンの奴隷貿易を促進したのだろうか?

78: 世界@名無史さん
スーダンのマフディーの乱は、
英国が奴隷貿易を禁止したことに対して
アラブ人奴隷商人が逆恨みして起こしたのでは?

マフディー戦争

マフディー戦争は、19世紀末に行われた植民地戦争である。スーダンのマフディー教徒とエジプト、後に英国軍が戦った。これはマフディーの反乱とも呼ばれ、英国では自国が戦った局面を指してスーダン戦役とも呼ばれる。

1819年のムハンマド・アリーの侵略以降、スーダンはエジプトによって支配されていた。
この植民地体制はエジプトによる重税と奴隷交易の禁止のためにスーダンの人々に憎まれていた。1870年代、モスリムのシャイフ(師匠)のムハンマド・アフマドは信仰の革新と国土の解放を伝道して、多くの信者を従えていた。やがて彼らはエジプトに対して反乱を起こす。


88: 世界@名無史さん
奴隷貿易は未だあるの?

90: 世界@名無史さん
>>88
あるよ。例によってアメリカのドキュン小学生が
お金を出し合って奴隷を買って自由にしてあげよう!って運動して
大問題になった。奴隷貿易を肯定するのか!って。

96: 世界@名無史さん
大きな謎

どーやって、インドネシアからマダガスカルまで
何千キロも中継地点も為しにマレー系民族が植民できたのか?
マダガスカルにマレー系民族植民以前の先住民はいなかったのだろうか?
長い航海で疲れていたはずなのに、先住民に取って代われたのか?

97: 世界@名無史さん
モルジブあたりを中継基地にしたんじゃないか。モルジブの住民はシンハラ系
だが、アラブ人とマレー系の要素が混じってるってよ。
先住民に取って代われたのは、稲作を持ってきたため生産力で優越したとの説あり。

107: 世界@名無史さん
>>97
あとセイシェルとかモーリシャスとかチャゴス諸島のとか
もあるし。太平洋ほどじゃないけどインド洋にも中継点となる
島はある。

98: 世界@名無史さん
マダガスカルにはマレー系以外の先住民族(バンツー系?)は居ないのですか?

99: 世界@名無史さん
>>98
いちおうアラブ人とかもいますが

101: 世界@名無史さん
>>98
当然バンツー系の黒人もおるがな

102: 世界@名無史さん
アフリカ南端喜望峰のあたりには
かつて巨大ペンギンが生息していた。
19世紀の乱獲により今は絶滅してしまった。
希少種は大切にしよう
http://choco.2ch.net/test/read.cgi/stationery/1022864723/

103: 世界@名無史さん
>>102
現在、ペンギンと言われている鳥は実はかつての「ペンギンに似た鳥」なんだよね。
本来の「ペンギン」は北海に居たオオウミガラスと今は呼ばれている鳥だったんだが、
その鳥が絶滅してしまったため現在のペンギンが「ペンギンに似た鳥」の説明文句が不要となり、
ただの「ペンギン」になっぬんだよ。

104: 世界@名無史さん
クアッガというシマウマの一種は南アフリカに居たけど絶滅したね
南アフリカは人種差別でえげつなかったけど、国立公園はしっかりしていたらしい。
ケープ地方は特異な生態系があったらしい

108: 世界@名無史さん
塩金交易ってどうみても黒アフリカのほうが損だよ

109: 世界@名無史さん
日本も近代以前は金の輸出国だった。

110: 世界@名無史さん
というより、戦後も日本は金輸出してたよ。菱刈鉱山が現役だったから。
スレ違いかな

金は食えないけど、塩は食える罠。
マリ帝国のマンサ・ムーサにしてみれば、金なんて使ってナンボだったん
じゃない?

マンサ・ムーサ


マンサ・ムーサ


マンサ・ムーサは、マリ帝国の10代目の王(マンサ)。
現在の価値にして約4000億ドル(約35兆円)という人類史上最高の総資産を保有した。

マ ンサ・ムーサは1324年のメッカ巡礼で有名である。豪華なムーサの一行は周辺の国家にマリ帝国の富裕さを知らしめた。一行はニジェール川上流の首都ニア ニからワラタ(現ウアラタ、モーリタニア)、タワト(現在のアルジェリアの都市)を通った。途上で訪れたカイロでは莫大な黄金をばらまいたため、金相場が 暴落し10年以上の間インフレーションが続いたといわれる。


111: 世界@名無史さん
インドの綿織物工業は英国によって壊滅させられたらしいけど、
アフリカに伝統綿織物はあったのだろうか?
アフリカには伝統工業はどのくらい残存しているのだろうか?
黒アフリカの民族衣装は派手な色ですが
あれは皆ヨーロッパから輸入した生地で作ったものだろうか?

112: 世界@名無史さん
残念ながら、大部分の綿布は輸入だと思います。
西アフリカの奴隷貿易の対貨は綿布だったし、東アフリカには戦前の日本が
大量に綿布を輸出していましたので、伝統産業としての綿織物は自給自足
経済の範囲内でしか残っていないと思います。最近になってコートジボアール
やケニアで発達してきた近代紡績は除きますけど。
ただ、綿花栽培そのものは、エジプトや南アフリカ、ニジェール川流域諸国
などで盛んです。

114: 世界@名無史さん
暑いからアフリカの植民地に
白人はあまり移住しなかった?

115: 世界@名無史さん
>>114
と、いうより風土病ですね。
眠り病とか。

116: 世界@名無史さん
>>114
温帯の南アフリカを除くと、ケニアのハイランド地方やジンバブウェなどの
高地に白人入植者がかなり入っています。ジンバブウェでは、黒人農家による
白人大規模農場の実力占拠が政治問題化しています。

123: 世界@名無史さん
紫外線で皮膚がんになるので
白人は居住できないと思われ。
彼らの母国は曇って寒いので、それが鬱でいやなので、
暑いこと自体が嫌ではないと思うが

128: 世界@名無史さん
メロエは何民族の遺跡?
Sudan_Meroe_Pyramids_2001


メロエ

メロエは、紀元前6世紀から紀元後4世紀にかけてナイル川中流域、現在のスーダンの首都・ハルツームの北東に繁栄した黒人による文明、またはその中心となった都市。



129: 世界@名無史さん
ヌビア人。エジプトを征服したこともある。

130: 世界@名無史さん
>>129
クシュ王国だっけ?
メロエ文字というまだ解読されていない文字を使用していた。

クシュ

クシュ(クシテとも)は現在の南エジプトと北スーダンに当たる北アフリカのヌビア地方を中心に繁栄した文明。最も早い時代にナイル川流域で発達した文明の一つである。クシュ人の国はエジプトの領域内への進入の時期の後で発展した。クシュの文化は、並存していた期間は短いが、エジプト新王国と相互に影響を与え合っていた。

最初の発達した社会がエジプト第1王朝(紀元前3100年頃から紀元前2890年頃)の時代ごろヌビアに現れた。クシュの国として知られている最初の国はケルマ王国で、紀元前2600年ごろに興り、ヌビアの全てとエジプトの一部を支配した。文字資料が発見されていない上、エジプトの資料もめったに言及していないので、これらの人々についてはほとんど知られていない。


131: 世界@名無史さん
>>129
テーベがエジプトを征服したというのが適切でないのと同様その記述はおかしい。
ヌビア人たちはエジプト文化の範囲で生きているので、エジプト本国が混乱した時、自分らがファラオになろうとするのも当然です。
 
>>129は民族という概念を古代や中世にまで持ち込もうとする悪い例。

133: 世界@名無史さん
>>131
そうかなあ。
ヌビアは確かに長年にわたってエジプトの支配下にあったけど、エジプトの一部
といえるんだろうか。リビア人なんかと一緒で、自らをエジプト人として認識して
たかは疑問だし、エジプト人からも同胞としては認識されてなかったような。

中国統治下のヴェトナム人で、中華文明に順応した知識人なんかは蛮族扱いされ
なかったものの、ヴェトナム語と独自の文化が総体として保たれてたよね。
全階層のヌビア人がエジプト文化の範囲内で生きてたんだろうか?

135: 世界@名無史さん
白人支配下(だった)「南アフリカ共和国」がアフリカ唯一の
成功した近代国家だったという現実を直視してほしい。

「白人が有色人種を差別しまくるひどい国」というのが日本人
大多数の印象だろうが、だったらなぜ、近隣諸国の黒人たちが
南アに入り込もうと殺到していたのだろうか。
(メキシコ→アメリカの不法移民のように)

黒人が政権についたジンバブエでは、白人農園主が黒人暴徒に
虐殺されるという事件が続発しているが、政権は多数派である
黒人層の人気取りのために、事実上放置している。

ブラックアフリカ諸国に、まっとうな「国民国家」形成は無理!
もういっぺん西欧の植民地に戻したほうがイイ!という極論をも
再検討する必要があるのではないか、と思いまふ。

136: 世界@名無史さん
> 黒人が政権についたジンバブエでは、白人農園主が黒人暴徒に
>虐殺されるという事件が続発しているが、政権は多数派である
>黒人層の人気取りのために、事実上放置している。


本来黒人の土地だったし、
そもそも白人が自分で耕しているわけではない
黒人を労働者として働かせているだろうが
本来只で取り上げられて当然だったのに、
20年間持つことが許されたことに感謝すべきだ
先住民の土地を強奪したうえに、大規模農業をやってる南北米、豪州と比べて、
日本の農家の農地面積の狭さと非効率さを言う香具師は、
アフォ

138: 世界@名無史さん
>本来黒人の土地だったし、
>そもそも白人が自分で耕しているわけではない
>黒人を労働者として働かせているだろうが
>本来只で取り上げられて当然だったのに、


黒人暴徒は「元地主」じゃない。
森林を切り開いて実り豊かな農地に作り上げたのは白人。
黒人を労働力として使い、現在も雇用しているが、
その黒人労働者をも暴徒は多数殺している。

また、南アの白人はそれこそボーア戦争以前まで遡れる
家系が珍しくないが、対して黒人の多くは周辺諸国で
食い詰めて南アに流れこんできた連中。
古参の黒人は労働者として比較的キチンと働いているが、
新参黒人は職にありつけず、暴徒は主にこういう連中で
構成されている。

古い順で言えば、
白人地主>黒人労働者>黒人暴徒
の順ね。

黒人には土地を取り返す権利がある、と短絡する
>>136は歴史の勉強が必要。

139: 世界@名無史さん
ボーア人の歴史はアメリカ人より古いよ
南アの白人に出ていけっていったらアメ公の立場なし
それに白ん坊の頭脳が必要なのは事実だしね>南ア

141: 世界@名無史さん
ってゆうか肌が白いとか黒いとかでアフリカ人かそうでないか
ってのは完全な人種差別でしょ。3代アフリカに住み続ければ
白くても立派なアフリカ人よ。
まぁ、深刻な黒人差別が南アフリカにあるのは事実だけどね

143: 世界@名無史さん
>138
>また、南アの白人はそれこそボーア戦争以前まで遡れる
家系が珍しくないが、対して黒人の多くは周辺諸国で
食い詰めて南アに流れこんできた連中。


それはボーア人の捏造した歴史。
オランダ人到達した頃には
すでにバンツー人の首長国が、現在の南アフリカに当たる土地にあった。
ケープ地方はコイサンが先住民族であったといえるかもしれんが、
絶滅させられた。いずれにせよ、白人の「開拓」は
奴隷労働に依存していた。

144: 世界@名無史さん
http://www3.aa.tufs.ac.jp/~tkamiya/Xhosa_ethn.html
リンク切れ

=====================
2-1 アフリカ人とヨーロッパ人の最初の接触

アフリカ大陸中西部に発生し、緩慢かつ大規模に拡散/移動していった
バンツー系アフリカ人のうち、南へ向かったものは(考古学的には諸説入
り交じり、明確ではないものの)、遅くとも紀元3世紀には現在のナタールに
到達し、紀元1000年には現在の南アフリカ地域の東半分の大部分に展
開していたものとされている。アパルトヘイト時代、アフリカーナー歴
史家たちの中には、入植の侵略的性格を希釈し、ヨーロッパ人の土地所有
に正当性を持たせるために「南アフリカ地域へのアフリカ人の到達とヨー
ロッパ人の到達はほぼ同時期であった」あるいは「ヨーロッパ人の方が早
かった」とする説を唱えるものもいたが、これは現在では全く認められ
ていない(5)。この他、植民地支配が始まる以前の16世紀に、南アフリ
カ沖で船が難破し、東ケープの海岸に上陸したヨーロッパ人船員の記
録や、彼らの救出活動を行ったときの記録が幾つか残っているが、こ
れらに基づいた研究によると、アフリカ人たちはこの時期すでに現在と
ほぼ同じ地域に定着していたという(6)。いすれにせよ彼らが、ヨーロ
ッパ人たちがやってくるはるか以前からこの地域に住んでいたという
ことは、間違いない。 

145: 世界@名無史さん
これらアフリカ人のうち、その居住領域の最南端--
現在、東ケープと呼ばれている地域--へ定着したの
が、南部ングニ諸民族である。アフリカ無文字社会
の常として、その民族の歴史を知るためには「口承による記録」を
頼りにすることになるわけだが、この南部ングニ諸民族のうち、
コーサ人は遅くとも1600年までにカイ川流域において、ツァウェ家を
中心とする首長国(群)を築いていた。また、ウィルソンの調査による
と、同じく南部ングニであるテンブ人は、その首長の家系を19世代前ま
で遡及することができるが、そこで語られる「記録」には、彼らが、そ
の歴代の首長たちのうち、誰の時代にこの地域へやってきたかという情
報は刻まれていないという(7)。これは、この民族が19世代前の時点です
でにこの地域に定着していたことを物語っている。 

 

146: 世界@名無史さん
一方、西部ケープ地域には、狩猟採集民であるサン人や、牧畜
も行うコイコイ人が生活していた(いわゆるコイ=サン系の諸民族)。
バスコ・ダ・ガマの希望峰「発見」以来、彼らとヨーロッパ人との間に
散発的な接触はあったものの、当時はまだ、互いの社会生活に深
刻な影響を及ぼすようなことはなかった(南アフリカ地域は奴隷
貿易の惨禍を被っていない)。しかし、ヤン・ファン・リーベックの
テーブル湾上陸(1652年)以降、ほぼ1世紀半にわたってオランダ東

インド会社が西部ケープ地域を支配することになり、この間、すなわ
ち17~18世紀のうちにオランダ人を主とするヨーロッパ人は、西部ケ
ープに住んでいた狩猟採集・牧畜民族のサン人やコイコイ人社会をほ
ぼ完全に制圧、破壊していた。彼らの多くはヨーロッパ人社会に奴隷
的身分として組み込まれ、それを逃れたものも、遠くオレンジ川を越
えて移動していった。ただし、半農半牧民族であるバンツー系アフリ
カ人は、この時期西部ケープにはほとんど住んでおらず、彼らとヨー
ロッパ人との接触は18世紀後半までは殆どなかった。ケープタウンを
中心に同心円状にその勢力を拡大していったヨーロッパ人のうち、イ
ンド洋沿いに進んでいったものが本格的にバンツー系の人々と接触す
るのは、次のイギリス支配下の時代に入ってからである。 

147: 世界@名無史さん
柘植 久慶__(自称・元傭兵)著
『ドキュメント南ア共和国 白人政府は悪か 』
並木書房 1990.3
 などに惑わされないように、
現実には、独立した南部アフリカ諸国が白人にかなり妥協して
宥和政策をとっていたにも関わらず、南アフリカアパルトヘイト政府が
かく乱・破壊工作を執拗に行いつづけていた。

148: 世界@名無史さん
>135
>白人支配下(だった)「南アフリカ共和国」がアフリカ唯一の
成功した近代国家だったという現実を直視してほしい。


アパルトヘイト政権では、
白人の公務員・管理職がやたら増えて非効率化
チュウボウは
「みんしゅ主義」が本来、
奴隷の上に君臨する特権階級の間での自由・平等の理念から始まった
ことを直視せよ
(イスラエルもかつてのUSAも、ユダヤもしくは白人の間だけでの「みんしゅ主義」
もちろん、憲法に差別するぞと書いてあるわけは無いが

149: 世界@名無史さん
>>148
じゃあさ、WW2後に雨後のタケノコみたいに独立した
ブラックアフリカ諸国は、どれだけ「民主的」で「効率的」
だったの? 南アのほうがずっとマシだよ。

内戦を起こしたり、ボガサやアミンのようなDQN独裁者に
支配されたり、「人災」の要素が少なくない飢饉を招いたり。
ウガンダとルワンダの何百万人レベルの大虐殺は、ほんの
8年前の話。

152: 世界@名無史さん
ボツワナ政府は中央のカラハリ砂漠禁猟地区(CKGR)のサン民族
(いわゆる「ブッシュマン」の人々)を追い出しているらしい。
水攻めにされているらしい。

153: 世界@名無史さん
コイサンは黄色人種とされている?

154: 世界@名無史さん
>>153
されてないだろ。肌の色が黄褐色だからといって
黄色人種に分類されるわけじゃない。

155: 世界@名無史さん
>>153
遺伝子学以前の人種分けの学説は全て破棄したほうがいいと思うぞ。

156: 世界@名無史さん
遺伝子の問題ではなく「文化」なんだと思う。

アメリカ黒人のほとんどは白人その他との混血で
純粋なアフリカ系は1割ぐらいしかいない、とか。
でもメンタリティーやアイデンティティーは実に見事に
「黒人」だ。良い部分も悪い部分も。

白人(ちうかプロテスタント)並みに勤勉で禁欲的で
労働に人生を捧げ尽くすような「文化」が、アフリカにも
存在したら、ヨーロッパの植民地にされることも無かったし
まして現在の惨状は無かっただろう。

遺伝子や肌の色の違いとは無関係に、勤勉な文化を持った連中と
持たない連中が接触したら、特に戦争や征服などしなくても
せいぜい100年程度のスパンで、後者は前者に支配されるのが
歴史の必然なんだよ。

それを克服するためには、自ずから勤勉禁欲文化を
育てなければいけない。現在のブラックアフリカ諸国の
ように、外国や国際機関の援助にぶらさがっているようじゃ、
千年経っても無理。

165: 世界@名無史さん
別に欧州白人が奴隷化を始める以前から、アラブ人はせっせとサハラ砂漠を
横断して黒人を捕らえては奴隷として売買してきた。千夜一夜物語あたりに
も黒人奴隷とアラブ婦人との情事は頻繁に出てくる。なので黒人の奴隷化は
なにもここ数百年の話でなく人類文明が始まった頃からの話し。

北アメリカでの黒人差別が声高く叫ばれるが、一般的に北米都心部のゲット
に行けば、勤労意欲皆無の黒人が沢山いる。ましてや、勤労意欲が有る黒人
な黒人社会から白人化と見なされ、黒人間からも差別されるという歪な構造
が存在する。結局負の遺産の連鎖で90年代の米国好景気も黒人層は所得を
伸ばせず、ヒスパニックにさえ抜かされてしまった。今に至っては黒人若年
層の就職先は陸軍の末端歩兵くらいしかない。軍に至っても、パイロットや
潜水艦乗務員等、相当の知識が必要な部隊での黒人は皆無。

南アメリカでは一見スペイン人やポルトガル人入植者との混血が進み、ムラ
ートと呼ばれる中間層が形成されていて一見人種差別が無い様に見えるが、
貧困層は圧倒的に黒人やムラートが多い。余りに混血が進行している為、一
般家庭でも生まれる子供の髪の形状を気にし、黒人形質が顕在化する事を怯
える風潮がある。

170: 世界@名無史さん
黒人の社会的劣位は遺伝子というより文化的問題。

歌ったり踊ったりおしゃれしたりして、今日一日を楽しく
生きよう、という文化と
定時に出勤してつまんない仕事でも一生懸命して倹約して
お金をためよう、という文化が
資本主義社会の中で競争したら、前者はいつまでたっても
貧乏でDQN。後者はどんどん金持ちになるのは必然でしょ。

それじゃダメだ、とがんばった黒人はパウエルやライスみたいに
白人中心のエスタブリッシュメントのメンバーになるがごく少数。

大多数は、それでいいや、と努力を放棄して「黒人」(カッコ
つき)であり続ける。スラムの団地に住み、ラップを聴いて、
ストリートバスケをして、フライドチキンを食って一生を終える。

171: 追記
↑というのがアメリカ黒人の実態。
ブラックアフリカ諸国の悲惨な現状からすれば、せめて
このくらいにまで向上してほしいものだが、そのアメリカの
国力を支えているのは白人エスタブリッシュメント。

やっぱアフリカはもっぺん植民(以下略)

174: 世界@名無史さん
アフリカで日本領になった地域があったら面白かったのにな。
どうなっていたかとても興味深いよ、
台湾のようになるのか韓国のようになるのか南アのようになるのか今のままなのか。
教育を行いインフラを整備し地元民による志願兵軍隊を組織訓練しても、
>>171の黒人は黒人という通りになっていたのか。

173: 世界@名無史さん
文明批評の分野ではさんざ既出な話題なんだろうけど、
アフリカの気候・生態状況そのものが、近代国家運営には向いていないんだから。

ヨーロッパに赤道が通っていたら、コーカソイドとネグロイドの世界的地位が逆転していたでしょう。

ホモサピエンスには、さほどの能力差はないでしょう。

177: 世界@名無史さん
逆説的に言えば、黒人の文化はあまりに魅力的すぎる。
だから、ひとたび自分を「黒人」と意識した人間が他の
文化に「改宗」するのは難しい。
端的には音楽。黒人起源の音楽は文字通り世界を席巻した。
現代のポップミュージックから黒人的要素を取り除いたら
ほとんど何も残らない。
他にも舞踊、ファッション、いわゆるライフスタイル全体
としても「黒人であること」は「白人になること」とは
比べ物にならないくらいカッコイイし快適。
黒人以外でも黒人になりたい連中はいくらでもいるほど。
例外はマイケル・ジャクソンぐらい。

・・・スレ違いになりそうなので、このくらいにしときます。


引用元: ・白人進出前のアフリカについて語ろう






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