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1: 日本@名無史さん 2008/01/30(水) 19:17:08
現代の和食の基礎となった江戸時代の食い物
食ってみたい料理から、コリャなんだつう料理まで
全部あげて満腹しよう

関連◆2◆料理、菓子、酒 江戸時代の美味い物について語れ
 







4: 日本@名無史さん 2008/01/30(水) 23:06:17
豆腐百珍の料理は食べてみたいな。
いまも全部食える店とかあるのかな。

5: 日本@名無史さん 2008/01/31(木) 01:41:53
天然ものだったり、地産地消だから鮮度のよさから
美味しいものもあったかもだけど、
調味料の水準とか、当時の味嗜好が現代人にあうか考えると
今食べて美味しいものって少ないような気がする。

油、砂糖、味醂、塩、味噌、すべてが貴重品だからね。
一部の特権階級をのぞいては、潤沢に使用できなかったわけだし。

8: 日本@名無史さん 2008/02/01(金) 05:45:27
江戸って、全国から集まった職人や参勤交代に付いてきた単身赴任の武士とか
男性の人口が圧倒的に多かったらしいね。単身者用の部屋だと調理も満足に出来ないから
ちょっとした物を食べさせてくれる屋台が増えたって。
あと理由は忘れたけど、武士は堂々と天ぷらを食べられなかったそうだよ。
天ぷら好きの武士は手拭いで顔を隠して食べに行ってたらしい。

107: 日本@名無史さん 2008/04/03(木) 06:49:17
>>8
超遅レスながら、武士たる者、下々の食すものを食す事はあさましき事なりって決まりがあったそうで…、ちなみに屋台で食べる時はほっかむりを被ってたとか

147: 日本@名無史さん 2008/04/22(火) 21:07:52
>>8>>107 ほっかむりしてる時点で武士ってバレバレじゃない?
それに帯刀してるんじゃ…

151: 日本@名無史さん 2008/04/23(水) 20:07:39
>>147
武士だとバレテモ気にしないが、どこの屋敷の誰某とバレルと
まずかった。体面上まずかったみたい。
武家は行儀作法にうるさかったので、
立ったまま串に刺した天麩羅を食べるのは行儀が悪かった。

153: 日本@名無史さん 2008/04/23(水) 20:35:59
>>151
なら座って食えるようにしようとか誰も思いつかなかったのか

154: 日本@名無史さん 2008/04/23(水) 20:53:50
>>153
江戸は家事が多くて、天麩羅のような危険な調理方法は
空き地、川や堀の土手のそばなど延焼が起きにくい場所しか営業禁止らしい。
火事になれば、そのまま水にたたっこめる。

9: 日本@名無史さん 2008/02/01(金) 05:50:22
握り寿司は屋台で出したのが始まりだそうだけど、
シャリの部分が今の何倍もあったそうだね、
1つで充分お腹がふくれるぐらいだったとか。

12: 日本@名無史さん 2008/02/01(金) 07:29:52
>>9
ネタも生は無かったそうだね。酢でしめたり、醤油ダレに漬けたり。

13: 日本@名無史さん 2008/02/01(金) 18:08:33
初鰹はからし味噌で食べたそうだ 今度食ってみれば?
おいらは遠慮しとく

14: 日本@名無史さん 2008/02/02(土) 11:51:05
森の石松の「寿司くいねぇ」は握り寿司じゃないと言う説を聞くけど
石松って幕末の人間でしょ、握りあったんじゃないかな

15: 日本@名無史さん 2008/02/02(土) 12:13:16
石松の三十石船の中に
「大坂本町橋名物の押し鮨を脇に置いて・・・・・」
という台詞があるだろ。

19: 日本@名無史さん 2008/02/03(日) 20:18:02
当時日本酒一合いくら?
ついでにドジョウ鍋もほしいのだが

20: 日本@名無史さん 2008/02/04(月) 17:36:05
東京の本所、深川あたりならうまい柳川食わせるところあるよ
づも、ちょっと値段は高め。昔のままの店造り

酒は程度によると思う。たぶん一合、何文の世界でしょう

24: 日本@名無史さん 2008/02/04(月) 19:50:52
家にある、弘化四年の日記より
南東北の小藩の事例で、しかも小売値ではなくて、
造酒屋からの公定価格ですがご参考まで

   覚
一、諸白壱升代 百五拾三文
    半分代 拾九文

一、次酒壱升代 百七拾三文
    半分代 拾四文

一、生酒壱升代 百弐拾八文
    半分代 二拾二文    

 駄酒一斗五合(金一分につき)
 銭相場一貫六百文(同上)
未ノ四月十五日  御酒屋

ついでに
(藩主の家督相続御祝儀につき給人核だった先祖が登城した時)
九月七日晴
 正八ッ頃登  城仕候処、七ッ半頃御酒頂戴、
   御吸物
   御肴 鰹刺身 猪口
   同  同煮附、茄子 大根

25: 日本@名無史さん 2008/02/04(月) 19:55:10
南東北で鰹刺身・・・磐城だな

26: 日本@名無史さん 2008/02/04(月) 21:11:09
>>25
良く分かりましたね…って、
しまった、幕末には冷蔵庫が無いんだった、
上に書いてあったのにw

刺身と言えば、
先祖が嘉永五年にまとめた「定例帳」より
(正月の年始に来た親類などに出す膳の内)

「取肴ニ三種
    数の子
    こんにゃく白あへ
    刺身、魚不足之節ハ、塩引の塩をぬき、すり大根、みしほ」

(どうも、この「みしほ」の意味が良く分かりません
ついでに、他の箇所に「ぜんびん餅」との記載もありますが、
これまた良く分かりません、どなたかご存知ありませんか?)

32: 日本@名無史さん 2008/02/05(火) 14:38:02
>>26
みしほ=みしお=御塩と考えた 
三重県に御塩殿神社がある、神事に使う塩のこと、めでたい

ぜんびん餅 「ぜんびん」は意味不明
しかし餅の名前なら よもぎ餅、桜餅、黄粉餅のように
単純に餅に混ぜたり、餅をまいたりするものだろう
そちらの方言で、「ぜんびん」と呼ばれる植物か食べ物無いのかな?

33: 26 2008/02/05(火) 20:13:55
>>32
ありがとうございます。
「みしほ」=「御塩」そんな雰囲気かもしれませんね
調味料系ですよね。
「ぜんびん」は、あまり思い当たる節が無いのですよ
引き続き考えて見ます。
用例
「今朝ハぜんびん餅嘉例」
「あぶり餅ぜんびん  香の物附」

74: 26 2008/03/19(水) 19:53:46
>>32-34さま
「ぜんびんもち」正体がわかりました。
あずきあんの中に餅をちぎって入れたものだそうです。
「せんびんもち」とも云うそうです。
(何故「ぜんびん」なのかはわかりませんでしたが)

先日、たまたま立ち寄った隣町の書店で、
ふと手に採った郷土料理の本に載っていました。
なんとも汗顔の至りです。
皆様、お騒がせいたしました。改めて御礼申上げます。

27: 日本@名無史さん 2008/02/05(火) 05:11:55
江戸時代に書かれた旅日記に頻繁に出てくる乾飯(読み方は失念)が食べたい。
一度炊いた米を軽く洗って乾燥させた物で、水に戻しても良いし、
お茶漬けのようにしても良いし、そのまま食べてもOKの携帯保存食。
まあ、あまり美味くはなかったそうだけど。

40: 日本@名無史さん 2008/02/09(土) 11:35:10
江戸時代に創業した八百膳って超有名な料理屋だけど、
閉店したのは10年前ぐらいでしょう。どなたかあがったことありますか?
料理はどうでした?

41: 日本@名無史さん 2008/02/09(土) 12:16:25
同じくらいの大きさの鯛の、目の周りの肉だけを使ったつくねが出たよ
量が少ないので、大量に鯛が必要だったそうで、値段は10両しますた

42: 日本@名無史さん 2008/02/09(土) 13:12:57
10両ですか!さすが八百膳 茶漬けだけで一人2両ってのは読んだこと有るけど。
もはや伝説になってしまいました。

45: 日本@名無史さん 2008/02/09(土) 13:36:41
ちょっとフォローしとくと、最高級料理はまさに芸術品で
毎回開発費がかかるようなものだ
それでも...ちょっと...だけどね


46: 日本@名無史さん 2008/02/09(土) 14:28:37
ところがだな、今や高級接待用の料理、すっぽん鍋
江戸時代は下品な食べ物だったそうだ。
マグロも下魚とされ、寿司ネタにして食べるのは赤身だけ、
トロは肥料にしたそうな。
脂身は苦手だたんだろう。しかし、天麩羅は食ってる。

49: 日本@名無史さん 2008/02/09(土) 18:24:28
すっぽんは食うけど、池にいる亀は今も昔も食わなかったのか?

51: 日本@名無史さん 2008/02/09(土) 20:07:35
>>46
冷蔵庫が無いから脂は直ぐに酸化して食えたもんじゃなかったんだろ

53: 日本@名無史さん 2008/02/13(水) 14:29:35
初鰹って品川で獲れたやつを、
小船で魚河岸まで持ってきて捌いたって読んだけど。
江戸時代には、鰹が江戸湾まで回遊してきたんでしょうか?
どなたか知ってる人いませんか。

57: 日本@名無史さん 2008/02/18(月) 01:17:14
>>53
5月頃には相模灘(鎌倉沖)~房総沖を回遊とのこと。
徒然草にも「鎌倉のうみに、かつをといふ魚は・・・」とある。
(「江戸東京グルメ歳時記」雄山閣社刊より)

68: 日本@名無史さん 2008/03/18(火) 21:39:57
>>57
鰹って結構海岸線の近くまで来るもんですね。
黒潮の上だけかと思ってました。

それなら、あの時代の江戸湾なんて水質最高でしょう
餌を追って湾内に回遊してきたかも。

60: 日本@名無史さん 2008/02/21(木) 16:23:06
氷式の冷蔵庫っていつ位からなの?

氷室の氷はどんな使われ方していたんだろ?

61: 日本@名無史さん 2008/02/21(木) 16:43:08
いつからあったかは明確ではないが、
少なくとも孝徳天皇のときまでには氷連が置かれ、
氷室を管理させていたらしい。

「枕草子」の「あてなるもの(上品なもの)」の段では、
削り氷にあまづる(あまちゃづるの汁)を入れて金椀に入れたもの、
という記述があり、高貴な人が夏の風物詩として食していたようだ。
「栄華物語」では、病に伏せった藤原寛子(道長の娘)が、
夏、氷しか口にできなかったという記述もある。
関連納涼、避暑、冷房の世界史

62: 日本@名無史さん 2008/02/21(木) 19:01:34
鰻の蒲焼なんかは鰻そのものは凄い上質だったんだろうけど
砂糖が少ないから、現代人が食べると案外味が物足りないものだったのかな。

63: 日本@名無史さん 2008/02/21(木) 21:16:25
初期のころの鰻料理はぶつ切りにしたものに醤油をつけて炙り焼にしたものとか

64: 日本@名無史さん 2008/02/21(木) 22:34:17
鰻の蒲焼が広まる以前には、鯰の方が一般的だったと聞いたことがある。

ちなみに、館林の名物、鯰の天麩羅はあっさりとしていて、とてもうまかった。

76: 日本@名無史さん 2008/03/19(水) 22:21:28
桃山時代から江戸時代初期にかけて、カステラや金平糖、ボウロなど西洋菓子
が入ってきたけど、生クリームやアイスクリーム、チーズケーキなど入ってきて
いたのでしょうか?奈良時代に発酵乳製品の醍醐や蘇が食文化としてあった事だし
、カステラもケーキのスポンジ部分とすれば、当時の日本でも作れないことはな
い気がするが。

77: 日本@名無史さん 2008/03/19(水) 23:05:48
生クリーム使ったケーキ自体ヨーロッパでも誕生してなかったのでは
アイスクリンもそうだな

乳製品は乳牛を飼うことが前提だから難しいような気がする
ちなみにこんぺーとーは勿論、カステラ、ボーロも、牛乳や乳製品を材料に使いません。

79: 日本@名無史さん 2008/03/20(木) 01:18:27
明治~大正初期の農村なんかじゃ、普段の食生活は
ほとんど江戸時代と変わっていなかったんだろうね。

80: 日本@名無史さん 2008/03/20(木) 19:33:34
昭和20年代まで(高度成長前)まではほとんど変わらなかったとも聞く。

81: 日本@名無史さん 2008/03/21(金) 16:09:29
江戸時代初期は、まず砂糖の入手が困難だったのでは。
ほとんどが輸入品、国内産ができるのは中期以降らしい。
しかも砂糖は薬問屋で売っていた。庶民は食べられなかったとか。
コンペイトウなんかは江戸でも売られてたそうだが、何か別の糖で作ったのか。

84: 日本@名無史さん 2008/03/21(金) 22:33:31
伊達政宗がお料理を趣味としていたというのが驚き。
まぁ兵糧の研究という側面もあったみたいだけど。

82: 日本@名無史さん 2008/03/21(金) 22:17:30
和製カステラと言うべき「松風」
(小麦粉に飴・鶏卵・味噌などを加え、鉄板鍋に流して焼いたもの)の内で、
代表的な銘菓の一つ、「紫野(味噌)松風」をつくる
大徳寺門前にある老舗の菓子舗「松屋藤兵衛」は
前野但馬守長康の子孫と伝えているそうです。

ttp://shampoo-milk.blog.ocn.ne.jp/kenken/2006/02/post_8c80.html

自分は遠いので一度しかお店には行った事がありませんが、
あの、モチモチした食感と大徳寺納豆の組み合わせは絶妙でした。
店主の御爺さんは如何にも京都の人と言った感じの方でしたが、
今でもお元気でしょうか、また行って見たいです。

83: 日本@名無史さん 2008/03/21(金) 22:29:17
>>82さん、どのくらい前に創られたのですか?

85: 日本@名無史さん 2008/03/21(金) 23:17:33
>>83
「松風」の由来としては
応永28年(1421年)創業の亀屋陸奥のhpに拠れば、
信長と本願寺の戦いの最中に、
本願寺に籠った亀屋の三代目、大塚治右衛門春近
が工夫して生みだした菓子との事です。
詳しくは下記をご参照ください。

ttp://www.kyomeibutuhyakumikai.jp/kameyamutu.htm

ここから、発展して前記、松屋藤兵衛の松風になったみたいです。

なお、京都を中心とした数々の和菓子を実際に味見をして
解説しているhpがあります。

86: 日本@名無史さん 2008/03/22(土) 19:17:00
羊羹も、元々は甘くなかったんだっけ?

87: 日本@名無史さん 2008/03/22(土) 19:21:14
羊の羮(ひつじのあつもの)つまり羊スープ

92: 日本@名無史さん 2008/03/25(火) 21:19:49
羊のミンチ→寺で小豆で代用(小豆のミンチ)→なんとなく塩を砂糖にしてみた→羊羹

こんな感じじゃなかったっけ

98: 日本@名無史さん 2008/03/31(月) 16:14:30
科学調味料のない時代の食い物なんて現代人の口に合わない

99: 日本@名無史さん 2008/03/31(月) 16:45:17
そんなこと無いよ、出汁のとり方なんて伝統的に変わらないし、
旨味の出し方が天然素材から化学調味料に変わっただけ。

101: 日本@名無史さん 2008/04/02(水) 14:41:56
食材の「旬」が無くなったね。
一年中、何でもあって便利だが、それがちょっと悲しい。

102: 日本@名無史さん 2008/04/02(水) 15:28:31
でも「旬」って言われるとなんとなく美味い気がする・・・・
あと、行事や南下ごとに食べるものはなるべくその日に食べるようにしてるよ

103: 日本@名無史さん 2008/04/02(水) 19:13:00
そうは言っても菜の花なんて今時期くらいしか出回ってないし
ゴーヤととうもろこしは冬はないし柿は春から夏前半はないし

105: 日本@名無史さん 2008/04/02(水) 21:55:21
菜の花ゲロマズじゃん
つか、植物はみんな不味いし苦い
人間の食うものじゃない
無理して食うな!!

106: 日本@名無史さん 2008/04/02(水) 22:18:18
苦いと言えばフキノトウもありますね、今年も畑の土手に生えてきたのを
母が摘んできて、てんぷらとか、刻んで味噌と合わせて「ふきのとう味噌」を作ったり
苦味と香りを堪能しておりました。

まあ、自分は、あまり好きではないのですがw
春が来たのを実感する味ではあります。

108: 日本@名無史さん 2008/04/03(木) 12:40:33
江戸城内ではてんぷら禁止なんだよね
権現様に死因だからというのが表向きだけど
本当は女中が勝手に作ってて火事起こしたかららしい

150: 日本@名無史さん 2008/04/23(水) 15:04:48
>>108
>江戸城内ではてんぷら禁止なんだよね
>権現様に死因だからというのが表向きだけど
>本当は女中が勝手に作ってて火事起こしたかららしい

篤姫関連で↓こういうの見つけたけど、関係あるかな?

「姉小路」

弘化3年(1846年)に姉小路が食していた天ぷらが原因で火事を起こし、
本丸を全焼させてしまう。
この火事で奥女中が数百人死亡するという大惨事となった。
姉小路は広大院付の上臈御年寄・梅渓に罪をなすり付けた。
梅渓のその後は知られていない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%89%E5%B0%8F%E8%B7%AF

112: 日本@名無史さん 2008/04/05(土) 01:14:45
江戸時代はてんぷらの規制が厳しくて、川沿いの屋台営業でないと認められなった。
火災の原因になるため。

113: 日本@名無史さん 2008/04/06(日) 05:05:09
野菜、果物が今よりも苦い、えぐい味だったらしいね。
品種改良って偉大だなあと思う今日この頃。

114: 日本@名無史さん 2008/04/07(月) 16:50:21
大根も牛蒡も甘すぎ!もっと辛みやえぐみがあったほうが自然っぽいのに。

115: 日本@名無史さん 2008/04/07(月) 21:58:09
みかんがひどい
ただ甘いだけとか甘いけど薄いとかばっかり
酸っぱくて濃いのがうまいのに

116: 日本@名無史さん 2008/04/07(月) 22:54:34
でも、スイカは美味くなったよ、江戸時代は甘みが薄くて、
砂糖をかけて食べていたらしい。
また、スイカを切るときの音が、首を落とす時の音に似ているとか、
割ると真っ赤な身が出てくるのが気味が悪いとかで、
あまり好んでは食べられなかったそうだ。

序でに、キュウリも元々「黄瓜」で、青いうちは身体に良くない
とされて、黄色く熟してから食べたそうだ。
皮をむいて、種を取り、味噌汁の具にしたとか。

117: 日本@名無史さん 2008/04/08(火) 15:15:30
スイカやキュウリだけじゃなく、普通の瓜も夏場冷やして食べてたようです。
あんなの大して甘くないのに。

118: 日本@名無史さん 2008/04/08(火) 17:45:28
>>117
昭和30年代までは冷やした真桑瓜が夏の御馳走
形は今のキンショーメロンに似てるけど全然甘くない

121: 日本@名無史さん 2008/04/08(火) 21:00:27
ウリっていうのはフルーツというより
クーラーと冷蔵庫のない時代の一服の清涼剤みたいな

123: 日本@名無史さん 2008/04/14(月) 13:43:34
白糖が高級品だったらしいが麦芽糖みたいなのは結構出回っていたのかな?

124: 日本@名無史さん 2008/04/14(月) 16:45:26
江戸中期頃まで上白糖は輸入品だった。台湾、琉球、中国から。

麦芽糖は昔からあったみたいだから、普及してたんじゃないかな。安いし。

125: 日本@名無史さん 2008/04/14(月) 17:08:04
子供のおやつはすると麦芽飴とかかな?

132: 日本@名無史さん 2008/04/15(火) 16:03:58
昔、飴細工ってのがあった、夜店に出ていたような気がする。
おじさんが飴で動物や飛行機作ってくれた。
その細工が面白くて、ずっと食べずにおいといたが、夏になると解けてしまった。
飴細工って、麦芽糖の飴じゃないでしょうか?
今でも作ってる人いるかもね。調べてみれば。

135: 日本@名無史さん 2008/04/15(火) 21:29:51
飴細工の的屋はまだ結構生き残ってる。

137: 日本@名無史さん 2008/04/16(水) 00:38:36
幽霊子育て飴は、水あめのものを小夜の中山付近で購入して食べたよ。
あまり甘くなかったような・・・・でもそこそこ美味しかった。
量が多すぎて結局食べ切れなかった。

しかし、江戸時代から続くとかいう扇屋は名物おばあちゃんが東京に引き取られた
という情報以降話を聞かないが、今でもお元気なのか・・・・

139: 日本@名無史さん 2008/04/16(水) 15:24:03
飴なんかで乳飲み子育てられるの?
米のとぎ汁は乳の代わりになるらしいのだが飴では無理だろう
幽霊もやる気は買うがもう少し学があれば・・・

141: 日本@名無史さん 2008/04/16(水) 18:54:25
>>139
栄養という面ではどちらも致命的に栄養が足りないよ。
もし乳が出なかったり、母親が亡くなったりしたら、いろんなものを
一生懸命工夫して与えたんだろう。米のとぎ汁だけではほとんど足しにならない。

乳母がお願いできるならいいが、そうでなければよっぽどうまくやらなけりゃ
生存できなかったことは想像に難くない。
そんななか、精一杯工夫して飴を与えていた悲しさを読み取るべき

140: 日本@名無史さん 2008/04/16(水) 17:53:21
「幽霊子育て飴」
製法は蒸した米に麦芽を加え、麦芽糖が生じたら汁をしぼって煮詰めたもの。
もともとこうした飴は、固形ではなくどろっとした水あめであった。
現在の子育て飴は砂糖を加えて固形になっているが、
江戸時代のものは砂糖を加えず、水あめ状であったらしい。

145: 日本@名無史さん 2008/04/22(火) 20:22:39
昔は餡子も塩が入っていて、しょっぱい塩大福のようなあじだったようだ。

155: 日本@名無史さん 2008/04/24(木) 13:55:06
外人に食わせるもんじゃねーなぁ

【江戸時代】ハリスが江戸城で振る舞われたご馳走 コイの刺身・エビの煮付け・なます
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/news/1208996167/

157: 日本@名無史さん 2008/04/25(金) 18:49:04
>>155 
鯉の刺身ってどんな味かな?
食べてみたい

566: 日本@名無史さん 2008/07/06(日) 18:19:17
>>157
亀な話だが、津軽の斜陽館が営業していた頃に夕食に出ていた。
クリーム色っぽい黄色い身で、醤油に何か思い出せないが辛子を加えて喰ったが
ザラザラした食感で咽の通りは非常に悪く、無理矢理飲み込んだが・・・・

今風にいえば、ゲロマズかった。

159: 日本@名無史さん 2008/04/25(金) 18:58:42
洗いならさっぱりしてますけどね
つか、「鯉の刺身」と「鯉の洗い」って同じ物かな。

基本的には鯉はかなり泥を吐かせないと泥臭い(らしい)。
その辺は幕府の接待だからちゃんと処理はしていたと思うけど
それでも欧米人には耐え難い食事だったろう。

どうも室町時代以前は最上の魚は鯉とされていたようだ。
確かに式包丁でも実演に使うのは鯉が多い。
最上の魚が鯛となったのは江戸時代以降。
徳川家康の趣向なんかも影響したっぽい。

160: 日本@名無史さん 2008/04/25(金) 20:41:33
寄生虫とか大丈夫なのか、あれ

162: 日本@名無史さん 2008/04/25(金) 20:54:27
>>160 
確かに川魚は寄生虫いるらしいよね。しかもけっこう厄介なやつらしいし。
コイはいないのかな?

165: 日本@名無史さん 2008/04/25(金) 21:02:36
その当時から、生魚の扱いが上手かったって事だよね。
ふぐにしても、縄文時代から食べられてたみたいだし、
その後も、素人は亡くなる人が多かったけどプロの料理人は
調理の仕方を熟知していた訳だしね。

166: 日本@名無史さん 2008/04/25(金) 21:09:42
あげ色がちがう関西と関東

江戸風はゴマ油、カヤ油などで色濃く揚げますが、
関西風は菜種油など、今でいうサラダ油で白っぽく。
これを塩で召し上がる方が多い。コロモに鶏卵の黄身を入れて金ぷら、
鶏卵の白身をいれて銀ぷら、などがあったとか。
 
なお、幕末に福井扇夫(ふくい・せんぷ)さんが「出揚げ」つまり、客の家へ出張して
天婦羅を揚げて食わせるんですが、その手さばき、手順のよさ、「なみいる主客をして
感嘆させた」とあり、神ワザに近い名人芸、『安愚楽鍋(あぐらなべ)』にもこの方の名が残っています。


ttp://homepage3.nifty.com/shokubun/tenpura1.html

170: 日本@名無史さん 2008/04/26(土) 02:57:25
>>166

キツネ色の天麩羅っていまや貴重品だよね。

172: 日本@名無史さん 2008/04/26(土) 11:50:54
>キツネ色の天麩羅っていまや貴重品だよね。

店によっては、掻揚げや薄揚げ(豆腐の)などに色の濃い物がありますね。
でも、単に油が古いだけかもしれませんが。
白っぽいのが多いのは、天麩羅の衣の質も変わったのかな。

167: 日本@名無史さん 2008/04/25(金) 22:06:42
当時の油は、植物、魚、鯨なんかを搾って取る方法なんだろうけど、貴重品だね

関西は菜の花なんかを搾って取ってたらしいけど、六甲山からの川で水車回して絞ってたはず。
それが19世紀くらいからじゃないかな。でようやく商品化されて流通する。
166氏の天ぷら油の違いってのもそこから来てるかもしれん

ゴマ油ってのは、どこで生産してたんかな?




169: 日本@名無史さん 2008/04/26(土) 02:41:24
水戸黄門で「ゴマの油と百姓どもは~」って台詞があったから江戸前期にはあったようだ

171: 日本@名無史さん 2008/04/26(土) 11:24:03
キツネなんてすっかり見なくなった御時世なのに
きつね色っていう形容が定着してるよね

174: 日本@名無史さん 2008/04/28(月) 16:00:47
稲荷寿司の形が関東と近畿で違いますね。

関東 俵型 稲荷の俵の形に作った。
近畿 三角 狐の耳の形に作った。

他の地方はどんな形なんだ?

177: 日本@名無史さん 2008/04/30(水) 18:37:49
おにぎりも
丸(円柱,太鼓),丸(球),三角,俵とあったのではないか

195: 日本@名無史さん 2008/05/10(土) 19:09:48
江戸の美味いものといえば目黒の秋刀魚だろう
いや、これ本当に美味かったそうです
芝浜で取れた秋刀魚に塩を振って目黒まで3時間ぐらいかけて持っていく
するとちょうど塩がなじんで取れたての秋刀魚より美味くなるんだそうですよ

しかし赤井御門守は12万3千石(親藩)か・・・それなりに大きな大名なんだなw

198: 日本@名無史さん 2008/05/12(月) 15:16:36
>>195
秋刀魚は塩したほうが上手いだろう。
しかし、外洋魚の鰹はどうしてたんだろ?
直接、魚河岸まで船で運んだのかな?
千葉沖で獲れても、船で運ぶうちに腐るんじゃないかな。

294: 日本@名無史さん 2008/05/27(火) 01:08:19
>>198
遅レスだが、江戸湾周辺の漁村から毎日生魚を専門に運ぶ
押送船という船があった。
「押送船は、生魚を積、暑中にも六、七十里の灘を渡る故、
早き事を専らにして、尤風波の乗切もよし、外船になき檣(帆柱)
三本あり。」

298: 日本@名無史さん 2008/05/28(水) 20:02:51
>>294
押送船って中(船倉)が生簀にでもなってたのか?大きさはどのくらいだすか?

300: 294 2008/05/29(木) 22:48:57
>>298
上口長さが11,7m、幅が2,5m、深さが90cm。
7丁櫓に6反の木綿帆3枚であるが、生簀があったかどうかは不明。

速力は風次第であるので不明だが、享和三年当時、関東の押送船
は64艘あって、武蔵、相模、上総、安房、伊豆の地域に分布して
いたそうだ。


引用元: ・料理、菓子、酒 江戸時代の美味い物について語れ






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