51q1+1L26qL



1: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/02(木) 02:40:06
鄭和の大航海が行われた、明?








2: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/02(木) 14:20:18
唐だな
日本なんか影響受けまくり
東アジアでは現代に置けるアメリカやイギリスに匹敵する影響力あるよ

3: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/02(木) 14:45:47
なんだかんだで300年続いたからな。
前漢と後漢を別王朝と考えれば、唐が最長だし。

4: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/02(木) 22:05:51
大穴で大理
タイ、ラオス、ミャンマー、ベトナムは全部ここがルーツ
1280px-南宋疆域图(简)


大理国

大理国は、937年に白蛮(チベット系のペー族)出身の段思平が南詔(およびその後継国家の大長和、大天興、大義寧)にかわって樹立した国家。現在の雲南地方を主たる領域として統治していた。集権的ではなく、君主権はそれ程強くなかったと考えられている。

君主は終始国内的には皇帝号を称していたが、後大理国時代の1117年に北宋より「雲南節度使大理国王」に冊封もされ、対外称号と国内称号を使い分けている。
1253年にモンゴル帝国の雲南・大理遠征を受けると、翌年大理はモンゴル帝国に降伏。クビライがモンゴル帝国第5代皇帝となると、その地はクビライの庶子・フゲチに与えられ、雲南王国となった(のち梁王国と改称)。大理の旧主の段一族はフゲチとその子孫に仕え、子女を梁王家に嫁がせて、この地における支配階級の一員としての地位を保ち続けた。

1390年に明がこの梁王国を滅ぼした際、段一族は梁王家を裏切って明に取り入り大理国の復活を目論んだが、その領内にあった当時東アジアでも有数の銀山に目をつけていた洪武帝は段氏による王国復活を認めず、この地は中国に併合され、南詔以来の独立国家の歴史はここに終った。


7: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/03(金) 23:27:25
>>4
大理か。
確かに、東南アジアに対する影響力は一番強いかな。

5: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 投稿日:2010/12/02(木) 22:09:43
軍事的にも文化的にも唐。
唐なくして現代日本無し。日本に限れば次点で宋(含呉越)。

6: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/02(木) 22:48:03
元の影響力も強かったと思う。特に軍事は。(文化はダメだったけど)

22: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/05(日) 12:26:53
>>6
>元の影響力も強かったと思う。特に軍事は。(文化はダメだったけど)

当時の絵画とか陶磁器がイル汗国方面に輸出されて
イスラム美術に影響を与えてますが・・・

29: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/05(日) 17:10:59
>>6
世界への影響って視点で見るときは”中国王朝”にカウントされないでモンゴル帝国扱いされる傾向がある気がするな

33: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/05(日) 18:16:26
元は存続期間が短すぎたのが欠点

34: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/05(日) 18:41:37
元は確か100年ぐらいだよな。
これは中途半端で、他の統一王朝は10~40年の短命か、160年~300年の長寿か、二つに分かれてるんだがな。

56: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/06(月) 08:43:19
>>34
「支配した年数」という数え方が「どちら視点になるか」でずいぶん違うと思うよ。
中原を制覇したモンゴルのフビライ一族が失うまでが100年かもしれないが、
モンゴル帝国とその後継国家は数百年、つうか500年も続いてる。
けしてモンゴルは草原の風のような一瞬間の帝国ではない。

9: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/04(土) 05:52:06
漢王朝だろう
あの時代オリエントやローマ相手に互角に張り合えた文明国

10: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/04(土) 06:24:09
漢代だろう。初めてアジア人が異人種に「公式に」触れた勇躍の時代。
唐ってのは戦争に弱いし日本に影響与えただけだろ。紙の技術も伝播とか
バカ王朝。つーかトップは西域のコーカソイドだし。
あとは秦(初めて中原に巨大勢力)か宋代(現代の世界は宋代の焼き直し)かな

14: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/04(土) 19:02:32
唐が過大評価され気味だな。
漢は400年続いてるし、個人的には唐よりも上だと思う。

15: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/04(土) 19:37:09
唐も玄宗(前半)までは凄かったんだけどな。(特に李世民の頃)
玄宗(後半)になってからはずっとgdgdで、意外と微妙だったりする。

16: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/04(土) 19:38:03
唐とか糞だろ節度使の不動産連合だろあんなもん
郡県制による国家体制で越南、朝鮮、西域にまで影響力及ぼした大漢帝国のがうえ

20: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/05(日) 09:10:47
>>16
唐って東西に細長いだけで北方の遼の方が強国なんだよな、実は。

17: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/05(日) 04:40:03
始皇帝の秦だろ。
中華を初めて統一した訳だし、世界的にも恐れられてたはず。

18: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/05(日) 05:03:43
秦はバリバリの西北異民族系!
そういうのに統一されたあげく、交州南海郡や益州永昌郡に植民してくるわで
南部中国人にとっては存在を認めたくない王朝なのだよw

26: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/05(日) 15:53:56
匈奴=フン族説は否定されてるけど
それでも漢の西への膨張が世界に民族大移動を促した点は確か

よって漢、漢字の発明も漢

28: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/05(日) 16:29:10
あの時代にローマ並みに文献があり影響力残しているのはそれこそ漢王朝くらいだしな
間違いなく古代世界では屈指の超大国

30: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/05(日) 17:51:53
宋はどうだろう。
軍事力は微妙だけど、経済力・文化は他の王朝よりも優れていたと思うが。

35: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/05(日) 19:23:33
文化面で言えば、漢か唐だな。

そういえば、「秦漢」と「隋唐」って似てるよな。
秦が初めて中華統一 → 分裂 → 漢の長期政権
隋が300年ぶりに中華統一 → 分裂 → 唐の長期政権

しかも途中で、漢は新に、唐は周に、天下を奪われてる点も。
(どっちも、天下を取り返せたけどね。)

37: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/05(日) 19:35:25
宋じゃないかな。
漢の時代は何だかんだで東西が遠すぎる。
唐より宋の技術の方の影響が大きい気がするし、宋銭はかなり後までアジアを席巻したし。
明清の頃だと既に相対的な影響力が落ちてる気がする。

38: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/05(日) 20:23:46
宋はなぁ~。
面積が統一王朝の中で一番狭いんだよな。そこが致命的。
それ以外においては平均より上なんだが。

43: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/05(日) 22:58:24
俺は敢えて六朝を推す。
六朝文化と言われているぐらいだし、文化面は優れていたと思うな。

六朝

六朝(りくちょう)は、中国史上で建康(建業)に都をおいた、三国時代の呉、東晋、南朝の宋・斉・梁・陳の総称。

呉の滅亡(280年)から東晋の成立(317年)までの時代を含め、この時代(222年 - 589年)を六朝時代(りくちょうじだい)とも呼び、この時期の文化を特に六朝文化(りくちょうぶんか)と称することもある。


44: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/05(日) 23:06:42
なんだかんだ言って、漢・唐・宋、この3つのどれかでしょ。

45: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/05(日) 23:16:51
清だべ。何しろ世界列強があちこちに駐留してたわけだし。
世界が抱く中国のイメージはすべて清のイメージだよん。

46: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/05(日) 23:29:31
それはどちらかと言えば逆に中国が最も外国からの影響力を受けた時代ではないか?

47: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/05(日) 23:31:59
だよな~。
中華の影響力が強ければ、世界列強が駐留するわけも無いし。
駐留というか、侵食に近いけどね。

49: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/06(月) 00:41:24
中華人民共和国が暴発すれば中華人民共和国がそうなるんじゃね?
核をフルに使えば人類の文明を壊滅させられるだろ

チャイナマネーを考えると最も広く影響力ができつつある

王朝じゃない?

59: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/06(月) 11:29:16
一応、少なくとも明の頃まではシナ大王国誌とかから見ると
世界の憧れだったんだよな。

宋は凄いわ。商品作物の大規模栽培と加工製品化、紙幣発行、
コークスによる製鉄や陶磁器生産、江南の治水灌漑の進展と
チャンパ米導入による二期作・二毛作での農業生産量激増、
魚類養殖の本格化、金属精錬法の革新、医療技術の向上と普及、
製紙・印刷技術の向上による一般への書籍普及、
エスケープメントの開発と、水門も用いた水路の拡充による流通革新、
宋代の技術・経済・社会・文化の発展は飛躍的。言論によって士大夫を
殺してはならないという遺訓があって、それが守られたところも凄い。
王安石の新法改革さえ成功していたら、世界の技術や経済発展の
歴史は百年単位で早まったんじゃなかろうか。
あれで華夷秩序を強調し、正閨論に固執して党争を激化させるような
存在さえ生まれなければ。

86: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 投稿日:2010/12/06(月) 22:00:23
>>59
鎌倉時代に日本で始まった人糞(には諸説あるが少なくとも馬糞は確実)肥料、
箍を嵌めた結桶も、宋の影響だと言いますね。
酒に行う「火入れ」は、室町時代の史料に見えるのが初見ですが、関係は定か
ではないものの、これも宋で既に行われている。

64: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/06(月) 14:24:09
当時の影響力ってのが肝だな。

宋の経済を語るにしても、当時の国際経済への影響力について語らにゃいかん。
南海貿易や宋銭などが論点か。

68: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/06(月) 19:00:55
列強の火種を生みまくった清

71: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/06(月) 19:56:05
宋だろうな というか何故だか俺は宋の時代が好きなんだよな

74: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/06(月) 20:17:06
>>71
当時の経済的影響力(遊牧民がお茶なしで生きていけなくなったり)、
周辺国の経済が宋の歳幣で成り立ってたり、製糸・織物技術の革新で
絹織物が増産されたり、伝播してきた綿織物の生産にも貢献したりと
当時の影響力も大きいけど、なんというか後の世界への影響が大きい
国だったような感じがするな。
いいものばかりでなく朱子学+中華思想の硬直化みたいな嫌なものもあるけれど。
宋側にも責任はあったが、周りの国があんなに虐めなければなぁ。
あと中国もロシアもイスラム世界も、モンゴルによる殺戮と破壊と疫病のせいで
何かが本質的に変化してしまったと思う。

87: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/06(月) 22:10:10
宋代で最も変革したのは食事だな
ここから生食や漬物が中心だった中華料理がコークスを利用することで
高熱で持久した火力で煮詰める技術が得られ料理の種類が格段に増えた

94: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/06(月) 23:05:51
そういえば、唐の文化ってどういう感じだったの?
宋と比べても、遜色ない?

95: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/06(月) 23:10:40
唐の文化といえば文学だな。
特に詩人の、李白・杜甫・王維は有名。

96: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 投稿日:2010/12/06(月) 23:37:12
山上憶良も持ち帰った『遊仙窟』(本国では散逸)。
『日本霊異記』や『日本往生極楽記』の様な、国名に「日本」を冠した編纂物は、
唐で成立した先行文献に倣ったもの。
尚歯会や念仏結社の先例を作ったのは白居易であり、『源氏物語』は、冒頭から
彼の文章の影響を大きく受けています。
文人画の祖とされるのが、詩仏としても有名な王維。絵が現存しないのが残念。
彼の絵も含めて、水墨画の画題・技法が大きく進展した時代でもあります。
無論、彩色画にも影響あり。

98: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/07(火) 02:58:41
唐の領域って、今の中国より広いんだろ?

109: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/07(火) 16:46:34
漢はどうなんだ?
武帝の頃とか、光武帝の頃は、影響力強かったんじゃないか?

116: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/07(火) 19:13:46
後漢はカスピ海まで勢力を伸ばしたらしいが。

119: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/07(火) 20:13:04
>>116
さすがにカスピ海沿岸までは大袈裟な表現と思うが
歴代王朝で最も西域へ進んだのは漢だろうね

133: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/08(水) 03:02:24
>>116
カスピ海か。
影響は及んだだろうけど、直接統治はしてないだろうね。

117: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/07(火) 19:59:08
前漢の武帝だろ。
中国王朝が、初めて西域に進出したのが、武帝の時代。

148: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/08(水) 13:33:41
>>117
あくまで中原の人間が西域を公式に知ったのが武帝の時代というだけね。
商人はミャンマーを超えてインドまでとっくに行ってたし、匈奴にいたっては
おそらくカスピ海より向こうの西端の欧州まで知ってたはずだ。ローマ帝国が
あったしパルティア経由で知れただろうしね。

150: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/08(水) 15:24:53
>>148
知ってたかどうかというより、領土・領域の話をしてるんじゃない?

121: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/07(火) 21:01:10
唐とか宋も凄いけど、やっぱり漢だろう。
古代にあれだけの大帝国を築いたんだしな。

122: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/07(火) 21:21:11
前漢は衛青・霍去病が、後漢は班超が、頑張ってくれたよ。(版図拡大)

123: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/07(火) 22:09:53
ゲルマン民族大移動のきっかけを作ったのも、漢の武帝。
そう考えると、漢武帝の世界に対する影響力は強い。

129: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/08(水) 01:37:21
明の鄭和がコロンブスより先にアメリカ大陸を発見していたって聞いたんだけど、本当?

132: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/08(水) 02:51:14
>>129
アメリカの、漢文も現代中国語もろくに読めない白人のオッサンが出したロマン溢れる(笑)本が出展だと聞いたが。

134: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/08(水) 03:28:47
鄭和はアフリカ大陸だろ

139: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/08(水) 05:10:14
なんかこのスレの上のほうで唐が否定されてたけど、
唐だって最盛期における東アジアや中央ユーラシアへの、
影響力はかなり大きかったと思うんだけど。最盛期の長安は人口50万人の、
世界中から多くの人が集まる大国際都市だったらしいし。
文化面でも著名な漢詩を多く生み出したし、仏教などでも多くの宗派が誕生したし。

140: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/08(水) 05:25:23
>>139
50万じゃなく100万ね

142: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/08(水) 06:35:43
>>140
そこら辺の時代の人口は学者とかによって、
推定数値に大きな違いがあるから何とも言えないなぁ。
100万という本もあれば50万という本もあるから良く分からないや。

146: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/08(水) 07:42:15
ちなみに、長安の人口は80万前後らしい。
これもあくまで一説だから、正しいとは限らないが。

152: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/08(水) 18:33:19
唐の時代、今のインドに当たる地域に存在した国の殆どが、唐の属国だったらしいね。
インドって、どっちかと言えばイスラム圏に近いし、唐とインドの間にはヒマラヤ山脈という壁が有るのにも関わらず、影響が及んでいたらしい。

154: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/08(水) 19:04:08
>>152
玄奘三蔵なんかに代表されるように、確かにこの時代のインドは結構、
唐との交流が深かったけど、属国っていうのはちょっと違うんじゃないの?
まぁ、でも王玄策の行動を見るとヴァルダナ朝が唐の属国みたいに見えちゃうけど。

155: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/08(水) 19:23:39
>>152
んなわけがない。
唐は吐蕃と外交関係があり、 吐蕃が勢力拡大をして
9世紀には現在のチベット自治区領域の王国群を傘下におさめ
カシミールからインド亜大陸から侵入しているが、カシミール以外に影響力が無い。
「インドに当たる地域に存在した国の殆どが、唐の属国」なんて状況は起きていない。
吐蕃が唐のあずかり知らぬところで冊封行為をして
唐の代理人のように振舞っているが、唐は吐蕃の頭越しに何か影響力を行使できるわけではない。
唐も吐蕃の機嫌を損ねると、軍隊を送ってきて人質をとられるようなズブズブの関係。

156: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/08(水) 19:29:09
まぁ、主従関係とまでは行かなくとも、影響は有ったんじゃないか。
王玄策は何度も唐と天竺(インド)を往復してるし。

158: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/08(水) 19:34:28
>>156
確かに影響はかなりあっただろうね。唐の王玄策なんかは、
ハルシャ王死後のヴァルダナ朝に対して思いっきり武力干渉してるし。
まぁ、その後の北インドの政治情勢には関われてないから、
ヴァルダナ朝が唐の属国っていうのはおかしいけど。
(でも、その場面だけ見ると属国に見えなくもない)

162: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/08(水) 20:01:20
玄宗の頃はどうだったんだろう。

164: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/08(水) 20:08:50
>>162
玄宗の頃のインドはいわゆるラージプート時代で群雄割拠の時代だったね。
南インドのほうではチャールキーヤ朝やパッラヴァ朝が栄えてた。

163: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/08(水) 20:05:48
玄宗のころは南詔が雲南~ヒマラヤ方面を遮断しているので不可。

165: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/08(水) 20:25:30
じゃあ、唐がインドと強い関わりを持っていたのは、李世民・李治の頃か。
王玄策・玄奘の話がほとんどだしな。

243: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/09(木) 21:56:03
日本人はやっぱり漢より唐の方が馴染みあるんだろうなー

248: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/09(木) 22:22:37
雅楽を見てると何となく唐時代の雰囲気を感じる

250: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/09(木) 22:25:45
>>248
実際、雅楽のうちいくつかの部分は唐の音楽の影響も見られるからね。

253: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/09(木) 22:35:57
>>250
『蘭陵王』って北朝の北斉をテーマにした代表的演目だからね。
唐の成分が強いのがあるよ。

258: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/09(木) 22:59:12
>>248
師に聞いた所によりますと、日本の雅楽と、
唐代の西域で出土した中国の卑楽の楽譜に共通性がみられるとかなんとか。

260: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/09(木) 23:06:24
>>258
そもそも唐の音楽自体、かなり西域の影響が強かったらしいね。
長安ではソグド人の芸人が音楽を演奏したり舞踏を披露したりしてたらしい。

255: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/09(木) 22:43:11
唐は文化に関しても、玄宗の代が最盛期なんだろうか

256: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2010/12/09(木) 22:46:56
>>255
政治史上の盛唐と文学史上の盛唐がほぼ一致してるからそうなんじゃないの?
それ以後の唐だって、韓愈や白居易などの著名な人物は現れたけどね。

257: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/09(木) 22:58:48
政治的には玄宗前半、文学的には玄宗後半が絶頂期。

267: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/09(木) 23:47:39
>>257
唐の最盛期って、李世民の頃じゃないの?
「貞観の治」って呼ばれてるくらいだし

貞観の治

貞観の治(じょうがんのち)とは中国唐(618年 - 907年)の第2代皇帝・太宗李世民の治世、貞観(元年 - 23年)時代(627年 - 649年)の政治を指す。この時代、中国史上最も良く国内が治まった時代と言われ、後世、政治的な理想時代とされた。

僅かな異変でも改元を行った王朝時代において同一の元号が23年も続くと言うのは稀であり、その治世がいかに安定していたかが伺える。

この時代を示す言葉として、『資治通鑑』に、「-海内升平,路不拾遺,外戸不閉,商旅野宿焉。」(天下太平であり、道に置き忘れたものは盗まれない。家の戸は閉ざされること無く、旅の商人は野宿をする(ほど治安が良い))との評がある。


268: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/10(金) 00:05:54
太宗(李世民)の時代も貞観の治と言われるが絶頂期ではない。
玄宗の時代は貞観の治に上乗せで繁栄してるため、唐の絶頂期にふさわしい。

340: 世界@名無史さん 投稿日:2010/12/10(金) 23:31:13
中国が一番進歩したのは唐宋の600年間かな。
明清500年は停滞していたが。


引用元: ・当時の世界に対して最も影響力のあった中国王朝






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