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1: 日本@名無史さん 2008/10/04(土) 02:12:57
現代の和食の基礎となった江戸時代の食い物
食ってみたい料理から、コリャなんだつう料理まで
全部あげて満腹しよう――其の弐








221: 日本@名無史さん 2009/02/06(金) 10:20:27
江戸時代の料理本を現代語に訳したのを読んだ
びっくりしたのは調味料に
砂糖が使われていないこと(高かったの?)
みりんが使われてた料理はデザート扱い
油を使った料理は意外に種類が多い
(大根を5センチ厚さに切ったものを丸のまま素揚げとか)
胡椒も山椒と同じ位置でよくつかわれてて
胡椒って江戸時代にもうあったんだー!驚嘆した

222: 日本@名無史さん 2009/02/06(金) 10:33:10
砂糖は貴重品だった
平安時代は風邪薬
江戸時代初頭はさすがに薬ではないがw貴重品である現状は変わらず
お茶菓子に干し柿や白味噌餡が使われたのは「砂糖で炊いたあんこ」という物がなかったから

しかし、薩摩ルートの黒糖が次第に上方を中心として流通するようになり
江戸時代中期頃からお菓子の種類が増大する
特に徳島藩や高松藩で和三盆糖の生産に成功したことで砂糖の値段が一気に下がり
庶民にまで砂糖を使った甘いお菓子が普及する一因になった。
それでもその恩恵はなかなか江戸以東の東日本では受けられなかったらしく
「お菓子だけは上方>>>>>>>>>>>江戸、江戸が勝ってるのは団子ぐらい」
と酷評された本が書かれたくらい。

参考にしたのは『和菓子の四季』(淡交ムック)など

228: 日本@名無史さん 2009/02/09(月) 00:18:27
>>222
ってか、食い物で東日本が勝ってきたのは、バブル期以降のことじゃないか。
昭和までに東から西に伝わったものって、握り寿司しかないだろ。

229: 日本@名無史さん 2009/02/09(月) 00:32:55
>>228
たまり醤油のように手間がかからない濃口醤油は
江戸というメガ消費地の需要をまかなうために東方面で開発されました

226: 日本@名無史さん 2009/02/08(日) 13:20:18
砂糖、とくに白砂糖が貴重品だったのは
山川菊枝の『武家の女性』にも書いてあるね
近所のお嬢さんが顔におできができたから、それにつけるために分けてほしい
と言っておちょこを持ってきたそうだ
幕末でもまだ薬扱いなあたり本当に貴重だったのだろう

230: 日本@名無史さん 2009/02/09(月) 09:38:03
江戸時代以前
砂糖が貴重品なんだね
日本人は砂糖が輸入されるようになるまで
甘い食べ物にまるで縁がなかった(果物除く)みたいなことを
この前テレビでいってて、なんだかなと思った
お米から出来た飴(米飴・麦芽糖)とか甘酒とかは庶民も気軽に買えたのに
まあ砂糖みたいな強烈な甘さではないけど

231: 日本@名無史さん 2009/02/09(月) 20:44:12
江戸近郊で醤油が製造されるようになったのは、徳川家光が上方風を好んで、
上洛の以降、度々、上方から漁民、農民、商工民を、或る意味、強制連行的に
多数引き連れて江戸周辺に住まわせたところから始まる。
名目は、奢侈禁止(下り物の流入の制限)だったが、要は、上方と同等の産品
を江戸で作らせるため。
当時の醤油の産地が、湯浅と小豆島だったため、温暖地の製法では江戸は寒すぎて
まずは銚子で生産が開始され、後に、畑作が盛んで水運の良い野田に中心地が移動。

238: 日本@名無史さん 2009/04/18(土) 01:30:33
>>231
千葉の醤油は、
湯浅の漁民や海運関係者が、房総に伝えたんですよ。
味噌で江戸に直接伝わったのは、三河の八丁味噌。
愛知県の人は地元の独占特産品だと思っているが、
現在の江戸でも、八丁味噌を作っているところがある。

233: 日本@名無史さん 2009/03/07(土) 12:07:52
薩摩の焼酎ってザビエルの書簡や有名な落書きで少なくとも
戦国中期には普及してたらしいんだけど、これって麦焼酎かな?
サツマイモはまだ普及してないし、黒糖はまだ琉球からの輸入だろうし
あんま米取れるイメージないんで消去法で麦かな、とおもっただけなんだけど。

234: 日本@名無史さん 2009/03/07(土) 13:53:37

235: 日本@名無史さん 2009/03/07(土) 22:06:01
なるほど。
書き込んでから、でも大抵乙類焼酎っていや米麹だよな、と思ったんだが米ですか。
そうすると、それこそ神社の勧請先が宮大工に振る舞いケチるぐらいの高級品って感じだね

267: 日本@名無史さん 2009/08/03(月) 07:07:26
江戸時代って家で炊く飯の保存どうしてたんでしょう?
夏なんか絶対腐るよね?

268: 日本@名無史さん 2009/08/03(月) 11:52:56
それは勿論、食べられるだけ炊くし。
江戸時代の飯は、確か晩(夕)の食事時に炊いて
朝は冷えたそれを湯漬けとか茶漬けとか、
汁ぶっかけ飯にして食べるんじゃなかったか。

後はまあ、江戸時代以前からあるような保存食として調理だよな。

269: 日本@名無史さん 2009/08/03(月) 21:11:25
朝に亭主が炊いて夜に冷や飯って話もあるよね
季節に寄るって事?
長屋なんか、かまどが有る家も稀で七輪共同で使い回してたって聞くけど?
つまりその長屋毎の決まりで「今日から夜炊きな~」とかだったんかな

270: 日本@名無史さん 2009/08/03(月) 22:08:49
夏に朝から飯炊いてたら夜には腐ってるもんな
やぱり涼しくなる夕方に炊いてたのかな?

271: 268 2009/08/03(月) 23:08:19
すっごくスミマセンでした。
うろ覚え記憶を頼りに、どうやら勘違いしてた事が判明。

自分のうろ覚えは、朝と夜が逆でした。ごめんなさーい。
大久保祥子著「江戸っ子は何を食べていたか」によると、
1日分のご飯を朝炊いて、あとはおひつに入れて昼、晩と食べるそうです。
ただし、これはあくまでも一般的な庶民の場合で
世帯や所得や生活様式によってはその度に炊く家もあった、という事。
お詫びとともに訂正させて下さい。

冷えたご飯は上方では茶粥にしたりお粥にしたり。
江戸では雑炊とか汁ぶっかけ飯。
深川飯なんて実はあさりの味噌汁ぶっかけ飯がルーツだよね。

272: 日本@名無史さん 2009/08/04(火) 01:51:26
>>271
江戸は朝、上方では昼に炊いていたらしいですね。
どちらも、おかずは昼が一番豪華だったそうです。

274: 日本@名無史さん 2009/08/04(火) 04:52:05
つまりこうか?
夏:夜炊き→朝冷や飯→昼そば

275: 日本@名無史さん 2009/08/04(火) 12:43:51
いやいや庶民は(農民も職人も)昼は弁当か外食でしょう。
魚河岸の兄さん達は昼に仕事が終わると、売れ残った魚をつまみに
その場で酒を飲み始めるに決まってるじゃん。

そこから考えると
江戸では朝、飯を炊いて残りは弁当にして仕事に行き、夜は買い食い。
必要があれば夕方もう一度飯を炊く。

上方では夕方飯を炊いて、晩御飯。朝は冷や飯か粥。昼は買い食い。
全部じゃ無いけどこのパターン多いんじゃないかい?

278: 日本@名無史さん 2009/08/04(火) 14:34:20
江戸時代の夏用の弁当箱は籐編みか竹編みが多かった。
おかずは竹皮かバランに包むだろう。
後、梅干なんかも飯を悪くしない工夫の一つといえる。

280: 日本@名無史さん 2009/08/04(火) 15:16:29
つうか昼飯なんてもんは無いだろ

281: 日本@名無史さん 2009/08/04(火) 15:33:22
江戸の真ん中あたりから一部の人が昼飯食い始めたとかじゃなかった?

282: 日本@名無史さん 2009/08/04(火) 15:48:06
>>281
業者が色々煽ったしね
あれが粋、これが野暮っつって
「そばはサッと手繰ってすっと出るのが粋、長居大食いは無粋」なんて良く言ったもんだよな
どう考えても回転率上げるための御都合主義。

285: 日本@名無史さん 2009/08/05(水) 22:59:37
甘酒って江戸時代の夏の暑気払いで良く飲まれたものなので、
俳句の世界ではいまだに「夏の季語」なんだよね。
最近ではさすがに読み込む人も減ってるみたいだけど。
なんだか現在の生活風俗と昔ながらの歳時記との違和感を強く感じるわ。

287: 日本@名無史さん 2009/08/06(木) 23:27:32
夏の飲み物といえば
柳陰って飲んだ事あるひといる?
焼酎と味醂なんて何だか悪酔いしそうだけど

315: 日本@名無史さん 2009/09/08(火) 15:25:54
中秋の名月って、やっぱり団子なの?それとも里芋?

316: 日本@名無史さん 2009/09/08(火) 16:38:01
本来は芋名月だが団子に置き換わった

320: 日本@名無史さん 2009/09/15(火) 19:53:21
八百膳に代表される江戸の高級料理は何故衰退したのですか?
八百膳の現当主の方は地震と空襲が原因といっていますが
にぎり寿司、鰻、天麩羅といった庶民系料理は健在で今や日本料理の代表選手となっている以上
それが理由だとは思えません
何故、高級料理だけ関西系に取って代わられたのか疑問です
日本最大にして最先端の都市である江戸の高級料理が
何故京都の田舎料理に負けたのでしょうか?

322: 日本@名無史さん 2009/09/15(火) 22:01:14
当時、高級料亭に行くのは食いもん目当てじゃないからね
遊びがなくなったんだろ

323: 日本@名無史さん 2009/09/15(火) 22:17:14
よくわからんが単純に京料理の方が競争力があったんだろ。

基本的に文化力は京の方があったんだし。

324: 日本@名無史さん 2009/09/15(火) 23:11:26
当時のレシピなんか見ると現在じゃあ作れなくなったのとかあるんだよな
技術の継承が途絶えたって事なのかなと思う
現役の調理師としては情けない限りだけど
自分の親方の親方なんかの世代と比べると技術がはっきりと落ちてるしな
自分の腕がどうこうじゃなくて昔はやってた調理方法も
今じゃコストパフォーマンスや時間と値段が釣り合わなくなってやらなくなってたりするしな
超一流と呼ばれるところならまだやってるのかもしれんけど

326: 日本@名無史さん 2009/09/16(水) 10:27:31
江戸の高級料理は元禄の時にピークをむかえ
以後は衰退し震災と戦禍で止めさされたんだよね
成金向け料理から脱却できなかったのが敗因
八百膳の料理なんてのは簡単に言えば高級食材をドカン使い
無駄に手間かけた調理をしてどうだ凄いだろ!びびったか!
ていう料理なんだよ
まぁ元禄以降の時代の変化に対応できなかった恐竜料理なんだわ

327: 日本@名無史さん 2009/09/16(水) 11:08:17
お茶漬けエピソードは好きだけどなぁ
俺が侍の立場なら激怒したが。
旨さより粋を求めてたよーな気がする。

328: 日本@名無史さん 2009/09/16(水) 11:24:29
ほぼ回答が出尽くしているようだけど、『吉兆 料理花伝』という本にその辺りのことが書かれている
やはり関東大震災で料亭を支えていた文豪などの主な客層が一時関西に疎開したりしたことが大きな原因のようだ。
第2次世界大戦はその状況が数年も続いたのだから、押してしるべし

329: 日本@名無史さん 2009/09/16(水) 15:32:31
文化文政の頃から庶民文化が発展し、同時に庶民向けの食べ物も発展した。
つまり安くて美味いものが出来ると、やっぱりそれが人気となるはず。

331: 日本@名無史さん 2009/09/17(木) 01:00:52
江戸の料亭料理は奈良茶飯から発達した本膳形式
膳立てをして、口取りを出し、お土産もつく
このような形式が明治以降だんだんと世の中に合わなくなってきた

これに対し、関東大震災以降盛んに上方から入ってきた
関西料理は茶懐石から発達した「食い切り」の形式
一品ずつ、タイミングを見て「流れ」を演出しながら食わせる、今ではおなじみのものだが
当時は新味として珍しがった、其の上上のレスのような事情もあり
これが受けたので数年たたずに主たる料理屋はみなこの上方仕立てになってしまったらしい
フランス料理のフランス式とロシア式のサービスの交代のような話だよな

ただし其の過程で失われた料理も多く
特に「お土産仕事」といわれるようなものや「見立て料理」(寿司に残る)
などはほとんど姿を消してしまったとの事、今思えばもったいない



333: 日本@名無史さん 2009/09/17(木) 12:53:22
>>331
よくわからなかったので調べたら
「口取り、お土産」のうち口取りはかまぼことかの折り詰めみたいだけど、
お土産はどんなものなんですか?

336: 日本@名無史さん 2009/09/18(金) 13:01:52
>>333
お土産、お土産仕事とも言う
文字通り「持ち帰る」事を主眼にした料理法
汁をすべて材料に含ませ、からりと煮上げた煮物などの類

たとえば持ち帰りの一の重に口取りのかまぼこや金団
与の膳の焼き物などを入れるとすると、二の重にこのように仕事した
料理を入れて「お土産」として持ち帰っていただくわけだ

「食い切り」の形式にはこのようなお土産はつかないので
自然とそのような仕事も廃れた、ということだな

337: 日本@名無史さん 2009/09/18(金) 13:05:30
なんかおせちみたいだな

338: 日本@名無史さん 2009/09/18(金) 14:00:33
てゆーか、おせち料理は現在に残った数少ない本膳料理の一つ
・・・残ったといっても一部だけですけどね(栗きんとん、伊達巻きはお土産仕事の名残といわれる)

341: 日本@名無史さん 2009/09/18(金) 23:20:54
御節は農村の晴れの日の料理や江戸のお土産仕事など
いろんなものの要素が混ざって残ってるみたいね

後江戸の頃の料理で消えたものというと台屋料理か、吉原あたりでの仕出し料理
すし屋の盛り付けに台屋の仕事の影響がかなり残ってはいるようだけど
見立て料理も含めて、江戸料理の名残はすし屋にあり、ってところだなあ

342: 日本@名無史さん 2009/09/19(土) 16:33:04
>>341
やけに詳しいね
レスを参考にググってみたけど、調味料や調理法も限られていた時代には、
見た目を演出というか、奇をてらう方向に進んでたわけかな?
アイディアや技巧は素晴らしいのだろうけど、生き残れないのも仕方ない気がする

343: 日本@名無史さん 2009/09/19(土) 21:04:30
>>342
どっちかというと料理史のほうを勉強しているもので

まあ、もともと日本料理は「目で食わせる」という部分があるわけだけど
それが極端な方向にまで発展したのが台屋料理だからね
花街のお座敷で大臣遊びをするにふさわしい、派手で飾り立てた料理

すし屋の「チャンチキ」や葉欄の飾り切り、寿司を斜めに少し離して盛る
こういうのは元々は台屋の仕事らしいね、今では普通にすし屋の仕事だが
昔はこういう盛り付けをした寿司は、堅気の家には持っていけなかったとか

344: 日本@名無史さん 2009/09/21(月) 01:05:02
>>343
へえーってまたググってたら川柳見つけた
台屋から虎の出そうなすしが来る

345: 日本@名無史さん 2009/09/21(月) 01:25:05
>>344
それは葉欄の飾り盛りだね、古い芸談本で記述を見たな
台屋ってところは仕出し屋で、自分のところでも料理をするが
寿司なんかは注文が入るたびに古馴染みの寿司屋ににぎって持ってこさせる

そのとき、たとえば注文が5人前だと、実は3人前しか発注しないそうで
寿司屋がもってきた寿司を、大きなオケに移し変えて
斜めに少し離して盛ったり、間に飾り切りした葉欄をたくさんにいれたりして
水増ししていかにも盛りだくさんに、派手に見せて揚屋に届けるという寸法
この差額の二人前が、そのまま台屋の儲けになるわけだね

こうして「虎の出そうな」寿司が出てくるという寸法だけど
届けられるほうも其のあたりは委細承知で、祝儀ぐらいのつもりだったから
(その位鷹揚に金払いよく見せるのもまた遊びの内だし)
問題は無かったんだが、明治に入ると野暮な田舎物が文句つけたりして
そういうこともだんだんに出来なくなっていったってことらしいね

346: 日本@名無史さん 2009/09/21(月) 02:12:08
正直ぼったくりだもんね
それにしても遊郭の川柳ってすごく沢山あるよね
江戸後期~は結構リーズナブルな見世が多かったらしいけど、
庶民も随分遊んでたんだなーとw
おかみさん達は夜遊びしなかったんだろうか

347: 日本@名無史さん 2009/09/21(月) 02:38:00
>>346
間男をネタにした川柳も多いよ
つまり其のあたりはまあ、お互い様みたいなw
亭主が一月とか出かけてる間に、長屋の一人もんがほとんど兄弟になったとかなw

然し一つの長屋で女房持ちなんて限られたもの
もしそういう女房でも、亭主はやはり一目おかれたというね
だから亭主の方も知らん顔して見栄張ってた、なんて笑えない話もあったりしたそうな

348: 日本@名無史さん 2009/09/21(月) 21:32:37
>>347
なるほどねー
やっぱ江戸時代はかなり開放的だったんだろな
武家の奥方が一番ワリをくってた時代という感じがする

353: 日本@名無史さん 2009/11/15(日) 13:00:33
この時期になると牡蠣が好きでしょっちゅう食うんだけど
江戸時代はどうだっんだろ?

354: 日本@名無史さん 2009/11/15(日) 14:14:34
大阪には牡蠣船があったそうだが、お江戸ではどうだろう

355: 日本@名無史さん 2009/11/15(日) 15:04:42
確か広島の牡蠣養殖って江戸時代にはやってたんじゃね?

365: 日本@名無史さん 2009/11/25(水) 14:27:34
池波正太郎の「藤枝梅安」シリーズに書いてあった鍋なんだけど、
小説参考に再現して食ってみたら凄く美味かった。
材料は薄味の鍋だしに生姜一かけ、大根、油揚げの刻み、鶏肉、鳥皮
あと薬味に三つ葉、七味位だけ。
やっぱ池波は食通だよ。酒にも美味いし、冬場はこれに限る。

367: 日本@名無史さん 2009/11/25(水) 16:56:16
池波は自他共に認める「食いしんぼう」
むしろ食通なんていうと失礼に当たる、そういうタイプ
食通のスノッブや気取りとは修正無縁だったし

だからといって決して庶民派であったわけでもない、よく勘違いされるが
むしろかなりの贅沢者でハイカラ

それはそうとして、小鍋立ては再現してみると本当に旨いな
浅利と大根の千六本を出汁でさっと煮ては食うなんていうのは、本当にたまらない

370: 日本@名無史さん 2009/11/25(水) 17:43:35
>367
>それはそうとして、小鍋立ては再現してみると本当に旨いな
>浅利と大根の千六本を出汁でさっと煮ては食うなんていうのは、本当にたまらない

最近は冬場だから浅利の変わりに牡蠣使ったりしてる。
これもまた美味いぞ。試してくれ。

372: 日本@名無史さん 2009/11/25(水) 19:15:53
油揚げを直火で焦げ目がつくまであぶり、適当に切って
炒ったシラスときざみネギと一緒にごはんに乗せて
醤油をかけて食う
油揚げの香ばしさとシラスの香ばしさネギの香りが絶妙に合う

確かこれも池波の何かの本で読んだんだが思い出せん
うまいし簡単だからよくやってるよ

375: 日本@名無史さん 2009/11/28(土) 03:29:47
ところで、池波が参考した文献って何だろうね
特に「柿の味醂掛け」とか「煎酒を使った膾」あたり、何か茶料理関係かなあ
鬼平のTV版キャストや料理指導には生臭くて不評だった「鯉皮の酢の物」
当たりはエッセイから参考元がわかってるんだけど
(今でもあるのか知らんが、津の有名な鯉料理屋の自慢料理らしい、食エッセイにある)

自力で探そうにも復刻されてて入手しやすい江戸の食文献ってあんま無いんだよなあ
百珍物がちょこちょこあるぐらいで

376: 日本@名無史さん 2009/11/28(土) 14:43:19
>池波が参考した文献って何だろうね

確かに俺も気になるな。江戸時代の料理で消えてしまったものって結構あるのかな?

377: 日本@名無史さん 2009/11/28(土) 16:34:25
いっぱいあるね
消えてなくてもたとえば百珍物の中で再現できないのとかたくさんある

380: 日本@名無史さん 2009/11/30(月) 14:45:14
池波健在の頃はまだ八尾膳も営業してたしなぁ
実際に料理を食べただろうし、文献に書かれてる料理を再現できたかもな。

385: 日本@名無史さん 2009/12/01(火) 02:04:43
池波はそばも間違いなく好きだろう。

386: 日本@名無史さん 2009/12/01(火) 14:09:46
蕎麦屋で酒をちびちび飲みながら蕎麦を食う場面がよく出てくる。
小さな蕎麦屋の屋号もよく書かれてるけど、江戸時代に実在したのかね?
何で調べたんだろう?

388: 日本@名無史さん 2009/12/02(水) 04:09:55
>>386
そのものずばりは使ってないが(一部例外あり)
参考にしたと思われるのは「江戸独買物案内」などの案内物
だと思う、今で言う名店ガイドみたいなもの、江戸の頃には各種出版されてたよ

切絵図と案内を参照しながら、町の様子や雰囲気を想像しつつ
うまくその土地に合いそうな店を創造して行ったんだろうな

390: 日本@名無史さん 2009/12/10(木) 08:38:03
寺のお坊さん達は本当に肉を食べなかったのかな?

391: 日本@名無史さん 2009/12/10(木) 10:16:46
>>390
食べるよ。お酒も飲む
仏教には方便という便利な言葉があるんだ

今のお坊さんの話だけど、葬式や法事で出されたものは何であれ、全部食べるのが礼儀だそうで
お酒も肉も食べなきゃならんそうだ

393: 日本@名無史さん 2009/12/10(木) 18:56:00
浄土教だったか浄土真宗だったかの
肉食妻帯の理論があったはずだが

394: 日本@名無史さん 2009/12/10(木) 19:21:17
凡俗がいくら修行したところで成仏なんてできない
阿弥陀如来の力で成仏させてもらうほかはない
って考えだから、肉食妻帯問題なし

在家もそんな感じなんで、ほかの仏教からは
「門徒、物知らず」とか言われたりする

396: 日本@名無史さん 2009/12/11(金) 11:00:56
将軍家は、温かい(熱い)食事をとらなかったと聞きますが本当ですか?
もし本当ならば、鍋など食したことはないのですかね?

397: 日本@名無史さん 2009/12/11(金) 11:51:55
厨房から御前に上がるまでの間に何人もの毒味役が入るから
将軍の前に来たときにはすっかり冷え切っていたという話を何かの本で読んだことがある。
だから材料は超級でも味は「…」な代物だったのではないかな>将軍の食事

御台所の食事も同じ状況なのだが、
こちらの方は控えの間にあった火鉢でお付き女中が食べる直前に温め直していた。

398: 日本@名無史さん 2009/12/11(金) 15:30:11
将軍の食事を調理するのは、やっぱり侍なのか?
それとも町人の調理専門の人が作ってたのでしょうか?

409: 日本@名無史さん 2009/12/12(土) 15:21:08
>>398
調理するのはお目見え以下、下手すりゃお雇いで侍ですらない
それを監督するのは侍だが、これもお目見え以下
全体の管理はお目見え以上

ちなみに包丁の流派は四条園部流だな、これが徳川家の台所を預かる宗家

401: 日本@名無史さん 2009/12/12(土) 11:35:42
じゃあ殿様って掛蕎麦や盛蕎麦なんか食えなかったんだ~ かわいそー

403: 日本@名無史さん 2009/12/12(土) 12:43:05
武士にとってソバは隠れて食うものだったらしいし
下品な食い物らしい

405: 日本@名無史さん 2009/12/12(土) 13:38:40
>>403
蕎麦がというより、外で食う行為がじゃないのかな?

407: 日本@名無史さん 2009/12/12(土) 14:56:51
>>405がほぼ正解
下直(げじき)の場所にて飲食するは武士の体面として恥、という意識
でも旨いものに目が無いのは上も下も一緒、だから変装するとか、笠で顔を隠すとかする

蕎麦は食っていたどころか好物だった殿様が多いぞw
といっても暖簾をくぐって、って言うんではもちろん無く、ちゃんと出入りの蕎麦屋に届けさせる
その場合御膳箱という漆塗り金蒔絵の箱を遣わし、その中に蕎麦を入れて
汁は別添えのこれも漆塗りの汁次に入れて持参させる
事に季節切、卵切、五色蕎麦といった変わりそばが好まれたらしい、かけはあまり好まれなかった模様

ちなみに本来こういう身分の高い家に出入りできる蕎麦屋が御膳蕎麦屋
この下が並蕎麦、駄蕎麦屋というランクになる
蕎麦屋確立以前は菓子司が蕎麦も扱っていて納入していた、後は坊主な
寺の振る舞いという形で蕎麦が供されて、これが楽しみで寺参りをする殿様も多かったという
より詳しく知りたければいろいろ文献を当るのもいいが、手軽なところでは小学館文庫から
大正時代の「蕎麦通」が復刻されているから読んでみるといろいろ乗ってるよ

414: 日本@名無史さん 2009/12/12(土) 23:48:11
将軍家は鍋物を口にしたことがないのかな

417: 日本@名無史さん 2009/12/13(日) 23:23:05
>>414
鍋物なんていうのは元々下直なもの、ゆえにそれなりの家ではまずでない
当然将軍家の普段の食事などでは出されることもない
しかし口にしてなかったわけではない

江戸も完全に安定した中期以降、それまでの仰々しい「お成り」ではなく
鷹狩のついでに近所まで来たから、的な「お立ち寄り」という形での大名家への訪問があった
まあ本当はこちらがメインなんだけどね、そこは物の言いようで

そこで立ち寄り先に選ばれた大名は、ここぞとばかりに御持て成しに勤めるんだが
普通のことをやってもすぐ飽きられるので、大名屋敷の中にいろいろな施設を作って
お立ち寄りの頻度が上がるようにした、そんな施設の一つとして「田舎の農村を丸ごと再現」
というのがあって、こういうところでは囲炉裏に鍋をかけてイモや豆腐、その他のものを煮込んで
もてなす大名が直接よそって将軍にお渡ししたりした、こういうのを将軍はことのほか喜んだらしい
いわば一種のアトラクション体験なんだけど、こういう形では鍋物を口にしていたといえるかもしれない

424: 日本@名無史さん 2009/12/17(木) 14:00:57
もりそばとざるそばの違いは海苔の有無だけですか?

430: 日本@名無史さん 2009/12/19(土) 03:28:52
>>424
海苔を乗せて盛とザルを区別なんてのは幕末も終わり、下手すりゃ明治以降の新義
それも手抜きの産物、と老舗の親方の本にあったな
本来は蕎麦そのものより、汁が違う

笊蕎麦や御前蕎麦など、その店で一番高い蕎麦には
「香露がえし」という、普通のかえしより味醂の量を増やした物を使う
(出汁もそれに合わせて上物の材料を使った出汁にすればなおよい)
それがだんだんと手間のかかるかえしや出汁を二つも三つも分けてとるのは面倒だ
と海苔を載せてごまかすような仕儀になった、というお話

428: 日本@名無史さん 2009/12/17(木) 21:39:11
天つゆは?
まさか蕎麦つゆで代用?

430: 日本@名無史さん 2009/12/19(土) 03:28:52
>>428
蕎麦屋じゃ本来天つゆは使わないよ、アレは料理屋仕事、蕎麦屋仕事じゃない
蕎麦屋は基本的に店にある出汁と返し、これですべてまかなうのが本道
かえしを二番だし(バカ出汁とも言うね)で割って丼つゆ作るのが本筋
(上等な店では前述の香露返しを使う)
そもそも天ざる自体が明治末だか大正だかの新義、江戸の頃はない(種物の天ぷらそばはある)
確か一番最初にやったのは、本家の更科(今の更科堀井)じゃなかったかな?
室町だったかもしれん、この辺ウロですまない

ちなみに蕎麦屋の天麩羅、アレは本来天麩羅屋や料理屋のように花を咲かせないのが基本
衣を厚くつけてまっすぐに揚げる、これを坊主揚げと呼ぶ
この方が衣が汁を吸ってうまいからやるんだけど、これは蕎麦屋の特殊技能だったそうな
そしてこういう仕事は往々にして一流の店より場末の馬方蕎麦の職人なんかがうまくて
「芝海老を巻き海老の太さに揚げる」なんて悪口を客からいわれたそうな
今でもあるよね、中の海老は小さくて衣だけやたら分厚いやつ、アレがもう江戸からあったというのが面白いよね

431: 日本@名無史さん 2009/12/19(土) 11:24:19
衣つけすぎはダサいですよと思ってたがこれは特殊技能だったのか
親方からはそういう仕事するなと怒られたもんだが

433: 日本@名無史さん 2009/12/19(土) 13:46:56
>>431
薄すぎてもいけず、厚すぎてもいけない
そういうことを言うってことはあんた筋のいい店の人だね
江戸のころから「衣でごまかすなんて駄蕎麦屋か馬方の仕事だ」とも言われてたよ

昔から馬方の職人は腕はある、腕はあるが仕事が綺麗じゃない
だからいい店の親方はそういう職人は使わなかった

432: 日本@名無史さん 2009/12/19(土) 12:59:49
もともと文化文政期から明治後期までの天麩羅って衣に味が付いてた
それに金麩羅と銀麩羅の2種類があった
だから天蕎麦用の天麩羅は衣を薄く揚げるように改良したのか

433: 日本@名無史さん 2009/12/19(土) 13:46:56
>>432
花を咲かせた天麩羅なんてのは、明治になってだんだん屋台から内店になって
料理屋のようになってきてからだろうね
屋台で天つゆなんてこしらえてられないし

435: 日本@名無史さん 2009/12/19(土) 17:12:21
金麩羅 そば粉の衣で揚げたてんぷら。
また、卵黄を入れた衣で揚げたてんぷらや、
榧(かや)の油で揚げたものもいう
銀麩羅 卵の白身だけを衣に使ったもの

うーん、これであってるかな?
おもしろいね~

436: 日本@名無史さん 2009/12/21(月) 15:12:43
>卵の白身だけを衣に使ったもの

歴史的な真偽はわからんけどこれ、エビでやってみたんだが実にうまいな。
うまいぐあいに何かがコーティングされるみたいで
噛んだ瞬間エビの香りと味が口の中に広がる。
殻を噛み破ると肉汁に押されて身のほうから飛び出してくるような感じさえする。

衣に閉じ込められたエビ自身の水分が逃げ切らず蒸し焼きっぽいのを通り越して
水っぽくふにゃっとしちゃってるてんぷらがたまにあるけど
ちょうどその対極にある感じでカリっとしてるのにエビの肉汁と中の身の弾力が生きてる。
シャクシャクの厚い衣もうまいけど、どうしても油の香りに負けちゃって
本来の魚介っぽさは打ち消されちゃうんだよな。
素材好きにはお勧めかも。

439: 日本@名無史さん 2009/12/21(月) 17:17:29
寿司も天麩羅も「仕事」をしてたよね、江戸は
今は天麩羅も寿司もシンプルに素材勝負になったけど

料理屋の「揚げ物」は天麩羅屋と趣を変えるために今でもかなり仕事をするね
「ただ揚げて出すだけじゃ天麩羅屋とかわらない」なんて
はっきり言い切る板前も居るしね、その辺りは在り方の差かな


引用元: ・料理、菓子、酒 江戸時代の美味い物について語れ2


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