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1: Vita in VIno
専門的なスレはありますが、これから西洋古代のことを知りたい!
という人のために、このスレを立ててみました。
どんな疑問でも、遠慮なくどうぞ! 語りたい方も大歓迎です。








3: 世界@名無史さん
古典ギリシア語-ラテン語辞典ってないんですか?
ローマ人は単語帳とかで勉強しなかったんでしょうか?

4: 世界@名無史さん
>>3
紀元前1Cの、ギリシアの韻文・詩に追いつこうとして必死になって
詩作していたローマの文人たちは、ホメーロスはもちろん、悲劇や抒情詩を
暗誦して、古典ギリシア語を習得したのでしょう。
もちろん、学校では古典ギリシア語は必須でしたが。

5: 第20軍団兵
>>3
現代の我々が読んでいる片方が閉じられてペラペラめくるタイプの「本」が生まれたのは3cですから。
それまでの本は「辞書」のような使い方ができません。当時の本(libera)は巻き物です。

6: 例の170 ◆vBOFA0jTOg
>>3
奴隷の家庭教師などに頼っていたそうで。

7: 世界@名無史さん
だからギリシア人奴隷は重宝された。

31: 世界@名無史さん
テオドリックについて詳しく知りたい

68: 世界@名無史さん
>>31
ゲルマン諸部族の中心となった東ゴート王。のち大王と呼ばれる。
8歳で、人質としてコンスタンティノーブルに送られ、18まで東ローマ帝国で
過ごす。親東ローマ主義者となっていた。東ローマ帝国皇帝ゼノンは,オドケアル
を取り除くため、テオドリックにイタリア移住を許された。93年ラヴェンナを
占領しオドケアルを謀殺。ラヴェンナを首都として国を建てた。ローマの制度・
文化を受け入れ、フランク王クローヴィスの妹と結婚。ローマの元老院は存置され,
行政制度と役人もローマ人のまま残された。「フラヴィウス」というローマ名を
使うようになった。「つねに尊厳にして、ローマの名の普及者」という称号を得る。
しかし,ゲルマン諸国は、アリウス派でありローマ人の協力を得ることが困難だった。
ラヴェンナに廟が作られる。ニーベルンゲンでは、「ベルンのディートリヒ」と
呼ばれたゲルマンの英雄として登場。死後衰退の一途をたどった。

32: 世界@名無史さん
ローマ人は鉛中毒って聞いたけど
これを見ると支配階級は全員重症じゃないのか?

血液中の鉛濃度 人体への影響・症状
0.3mg/l 知能低下、特に小児の場合、影響大
0.5mg/l 神経障害・消化管障害・疲労感・不眠・頭痛・関節痛・便秘
1.0mg/l 脳炎・痴呆・腎臓障害

34: 世界@名無史さん
>>32
はひ。
ワインに加えるグレープシロップを作るとき、鉛製の鍋から大量の鉛が
シロップに混入し、鉛シロップ入りワインを摂取することによって鉛中毒となりまつ。
ワインの消費量が劇的に増加する富裕階級ほど症状が重いです。
文献によく出てくる「痛風」「基地外」「子無し」は、肉食いすぎとか血筋とかの
原因ではなくて、ほとんどが鉛中毒が原因と言われてますな。
うんこ硬くてちんこ軟らかそう。

よく言われる鉛水道管は、決定的な要因ではない(というかむしろ大したことない)です。
水道管は水のカルシウム分でコーティングされるし、ローマ水道は溜めずに
常時流しっぱなしなので、含有量も少ないですわ。

35: 第20軍団兵
>>34
ただし、骨から鉛が検出された例が1件しかない点と、
すでにウィトルウィウス(アウグストゥスと同時代人)が『建築論集』で
「...鉛は有害である、なぜなら鉛管工には」
として鉛の有害さと、それが水中に析出してくることが知られていたこと。
まろやかなワインを味わう機会が、裕福な人間でも日に1回あれば良いほうであった事。
(美食のルクッススも客なしで豪華な昼食を食べようと思ったとき、料理人はまったく準備をしていなかった)

皇帝が鉛中毒でおかしくなったという説はほぼ確実にデムパ。
いわゆる「暴君」の共通項は、
1."青二才"とされる年齢で元首の地位についた。
2.先代の元首は"騎士階級"の強い支持を受けていた。
(あるいは人気が高かった)
3.哲学者に嫌われていた。

*ただしカリグラは基地外です。

38: 世界@名無史さん
>>35
> すでにウィトルウィウス(アウグストゥスと同時代人)が『建築論集』で
> 「...鉛は有害である、なぜなら鉛管工には」


意訳が過ぎないか? 彼が「毒と言われている」と一般的な見解として断定
的に述べているのは、鉛白、cerussaであって、鉛、plumbumそのものではな
い。

> それが水中に析出してくることが知られていたこと。

何巻何章何節に書いてあるのか?
そんなことはどこにも書いていないと思うが。

> まろやかなワインを味わう機会が、裕福な人間でも日に1回あれば良いほう

とあなたも書かれているようにワインをまろやかにするのは鉛の容器は
一般的に使われていた。毒だとわかっていれば誰も鉛の容器なんか使わんと
思うのだが。私見だが、たとえ毒だと認識していたにしても嫌煙権運動が
盛んになる現代でのタバコの害と同程度の認識だったと思う。

> 皇帝が鉛中毒でおかしくなったという説はほぼ確実にデムパ。

どうしてそう言い切れるんだ?
たとえば、ベートーベンの毛髪から正常値の100倍以上の鉛が検出された
という有名な話もある。ベートーベンの腸関係の患いはそれで合点がいく。

40: 第20軍団兵
>>38
今のところ、ソースは「技術の歴史」第4巻p377およびp587を参照しています。(2時資料!!)
鉛管まわりのことは『建築書』5巻1あたりのようですね。『建築書』というタイトルで
東海大学出版会から出てますし、どうやらしっかり当たったほうが良いようですね。

水中に溶け出してくる事は「技術の歴史」p587のほうですが、
そこではウィトルウィウス、ガレノスを総合した結果、鉛毒について知られていた。
という風に結論しているようですね。

ワインと鉛の容器。こここそが議論の焦点になる所なのでしょうが(笑)、私としてはギリシア・
ローマ人の習慣に注目したいと思うのです。
彼らがワインを流通させるときはアンフォラを使います。そのままでは酸敗してしまうので、
できるだけ早く飲もうとするし。本気で長期保存を狙うときは埋めてしまいますよね。
(コルクは16世紀からだし。)
密閉できないという壁と、陶器、青銅器というライバルがある事、甘さがもてはやされる要素であったか?
という点が引っかかるのです。

皇帝の件は、暴君にほぼ共通した特徴があるからです。
青二才、騎士階級に人気がある、哲学者あるいは知識人を敵に回す。
また、ニュートンやベートーベン、ナポレオンの場合、本人の毛髪等が直接残っているのですが、
(資料を不活性ガスの中に封入して蒸し焼きにし、そうやって作った資料を分光器にかけるんでしたっけ?)
皇帝たちの場合それらが無いですよね。文献をもとに病名を決めるのは行き過ぎではないでしょうか?
疫痢の様にある日突然なくなってしまう病気もありますし、トゥキディアスが記したアテネの疫病の様に、
あれだけしっかり記録しても特定できない病気もありますし。

43: 世界@名無史さん
>>40
ウィトルウィウスの「建築書」はネットでも原文もしくは英訳で読めますよ。
鉛管については8巻6章10節より。ガレノスの書は読んだことがないので詳しい
ことはわからないが、ローマ史上最高の博学者・大プリニウスは「博物誌」の
14巻136節で「デフルトゥムもしくはサーパを作るには青銅ではなく鉛の容器に
限る」という主旨のことを書いている。デフルトゥムとサーパは34が言っている
グレープシロップ、甘味料のことで、これを料理に使うわけだ。
大プリニウスをしてこんなことを書いているのだから、一般のローマ人が鉛が
毒であると認識していたとは到底思えない。だから、たとえ毒だと認識していた
としても、現代の「タバコのすいすぎには注意しましょう」、「タバコを吸い
過ぎると肺ガンで死ぬ可能性があります」くらいにしか考えていなかったと
思うのだが。
また、古くなったワインも鉛の容器で煮て甘みをつけていたことも知られて
いることで、陶器と青銅器と鉛の容器とでは用途が違う。
甘さについては、大プリニウスやアピキウスの料理書を読めばローマ人は甘
い物好きだと断定してもそう間違ってはいないと思う。イタリア人やフラン
ス人が甘党であるのに通じるものがあるのかもしれん。
ベートーベンの話を出したのは、鉛中毒患者でも作曲家として偉大な人物を
輩出することができること、すなわち、ある分野で秀でた才能を発揮するの
に邪魔にならず、鉛中毒のすべてが精神に著しい異常をきたすわけではない
例証を示したまで。現代人よりも鉛を摂取する機会が少なくなかったことを
考えれば鉛中毒でおかしくなった皇帝がいても不思議ではない。

37: 世界@名無史さん
パルテノン神殿が木造だったのは本当ですか?
また、現在の形になったのはいつ頃ですか?

42: 世界@名無史さん
>>37
パルテノン神殿は最初から大理石で建てられました。
オリュンピアのヘラ神殿など、アルカイック時代の古い神殿は最初木で建てられ、
その後石に替えられていきました。

44: 世界@名無史さん
キリスト教受容以前のヨーロッパでは、ギリシャやローマの神々の信仰についてあまり
正統/異端といった概念にこだわらなかったのでしょうか?
異教弾圧なんて(マニ教・初期キリスト教など東方由来の一神教系を除くと)
あまり聞かないので・・・

50: 世界@名無史さん
>>44
そもそもギリシアでは信仰はあっても、
信徒を抱えた教団というのが一般的じゃなかったしな
あってもオルフェウスとかミトラスとかの密儀宗教しかなかった

52: 世界@名無史さん
>>44
ディオニュソス(バッコス)神への信仰は弾圧されたことがあるよ。
「風紀を乱す」みたいな理由だったと思う。

53: 世界@名無史さん
>>52
酒飲んで酔っぱらって全裸で踊り歩いていた
…と聞いたんですが。本当ですか?
真実だったら弾圧されても仕方ないかも。

63: 世界@名無史さん
>>44
迫害の定義にもよるが、ローマでは古くは紀元前2世紀初頭にディオニュソス信仰に対して
禁止令を発令している。また、ガリア征服後ガリア属州で行われていた人身御供も禁止し
ている。ローマの統治上の基本政策は、世相を乱す者を処罰することで終始一貫していた。
「世相を乱す」=「不安を煽る」最たるものは迷信の類であり、たとえば割礼はローマ人に
とって理解不可能な迷信の類で非常に嫌われた。しばしば哲学者がローマから追放された
のも不安を煽っていると判断されたからである。

45: 世界@名無史さん
テーベのエパミノンダス将軍の軍事的功績について教えてください

56: 世界@名無史さん
>>45
一応、斜線陣の考案者、ということになっていますが、
実は斜線陣そのものはずっと以前から存在していて、
エパミノンダスはそれを改良しただけ、というのが
真相のようです。

59: 世界@名無史さん
>>45>>56
しかも、テーベのは普通の一点突破戦術で、斜線陣でもなんでもないという解釈の方が自然。

エパミノンダスがやったのは、敵の弱いところを突破するのではなく、
敵の最良の部分にこれを仕掛けた事。
相手がラケダイモンと「その同盟軍」ということを上手く突いた戦術だと言えると思う。

47: 世界@名無史さん
ローマ人の名前について教えてください。
例えば大スキピオはプブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌスですよね。
アフリカヌスは尊称というのは知っているのですが、
どれが今で言うところのファースト・ミドル・ラストネームになるんですか?

48: ACE ◆Z7a1IZ9GTI
>>47の方へ
自由市民の男の場合,個人名,家門名,家族名の3つがある。
<例>プブリウス・コルネリウス・スキピオであれば,
コルネリウス一門のスキピオ家のプブリウス。
スキピオ・アフリカヌスの場合,アフリカヌスはあだ名。
解放奴隷の場合,旧主人の個人名,旧主人の家門名,奴隷時代の個人名。
男の場合,ガイウス,ティベリウス,グネウス,アッピウス,
ルキウス,プブリウス,マルクスが多い。5人目からは
クイントゥス,セクストゥス,セッテヒムス,オクタヴィウス,
デキウスとなる。のちに順番と関係なく付けられるようになった。
女性の場合,個人名がなく家門名の語尾変化が対応した。
コルネリウス家の娘は,コルネリア。
コルネリアの母エミリウス家ならばエミリア。
ゆえにユリウス・カエサルの母はアウレリウス一門から嫁いできた
ことから,アウレリア。

63: 世界@名無史さん
>>48
セプティムス(Septimus:七郎)とデキムス(Decimus:十郎)だと思うが。
あとノヌス(Nonus:九郎)というのも抜けているよ。細かくてすまん。
これらの名前は生まれた順番でなく誕生月を意味しているという説もあり、
この方がもっともらしい気がする。

69: 世界@名無史さん
「ローマ帝国はなぜ滅亡したか?」についてはそれこそ百花繚乱といった趣が
ありますが、
「ローマ帝国はなぜキリスト教化したか?」についてはどんな説があるのでしょうか。
主な説だけでもいくつか紹介してもらいたいです。

76: 世界@名無史さん
>>69
衰えたローマの官僚組織に代えて、ほぼ帝国全土に組織を持ち始めたキリスト教会に依拠しようとしたから。
当時は、キリスト教徒の方が、倫理も能力も優れていて、協会の有用な人材を帝国統治に役立てようともした。

77: 世界@名無史さん
>>69
他民族を攻撃し征服しても、民俗や風習、信仰などはなかなか変えずらい。
民俗や風習は快楽原則に従って高い文化の方になびきやすい。信仰は、多
神教の場合、自国の神の下級神にその民族の神を加えることで同調させや
すい。しかし自国が他国と較べ力の差が歴然となれば、分裂気味の多神教
よりも中央集権的な一神教の方が有利。ローマの帝政の拡充とちょうど
適していた点もあるのかもしれない。

73: 世界@名無史さん
神聖ローマ帝国ってなんでそんな名前?

79: ACE ◆Z7a1IZ9GTI
>>73の神聖ローマ帝国ですが、
正式名は「ドイツ国民の神聖なるローマ帝国」。ローマ帝国の継嗣を標榜
する国家があったり、すでに消滅してしまっているので、他のローマ帝国
より格が上なのだという偉そうな名前にしただけでは。実態は、
ヴォルテールいわく、
「神聖でもなければ、ローマ的でもなく、そもそも帝国ですらない」
との評がある。

75: 世界@名無史さん
実態がかけ離れているやつほど、偉そうな名前をありがたがる。

98: 世界@名無史さん
>> 73
皇帝が教皇権ではなく神によって直接任命されたから「神聖」。
バルバロッサが熟慮して考え出した名前だ。
「ローマ」の方も古代ローマ帝国の後裔であり、当初はキリスト教国
という狭い範疇でなくフランスはもとよりイスラム教の支配域まで
皇帝権を及ぼそうという強い意志の表れから名乗っていたとされている。
神聖ローマ帝国の俗称や正式名称の話は非常に入り組んでいるので
本当に興味があるのであればまずは今年になって講談社現代新書から
刊行されたその名もずばり「神聖ローマ帝国」あたりを一読してくれ。
なお、「ドイツ国民の神聖なるローマ帝国」の類の名称は15世紀頃から
登場し、正式に名乗ったのは16世紀に入ってからであり、名前倒れも
甚だしい時代からのことである。

94: 世界@名無史さん
グラックス兄弟のうち、ティベリウス・グラックスに対抗した
護民官オクタヴィウスというのはガイウス・オクタヴィアヌス(後のアウグストゥス、元ガイウス・オクタヴィウス)の血縁ですか?
あとマリウスとスラの抗争の際、キンナと同時に執政官になったグナエウス・オクタヴィウスは?

97: 世界@名無史さん
>> 94
どちらも近縁ではないと思われ。
アウグストゥスの曽祖父は紀元前165年の執政官グナエウス・オクタウィウスの兄弟。
これ以外のアウグストゥスの父方の先祖は、今のところ父を除いて想像をめぐらす他ない。
アウグストゥスの直系でローマの政職に就いたのは父が初めてで、これはスウェトニウスが
引用しているアウグストゥスの自伝からも明らかなことである。
キンナと同時に執政官になったグナエウスの祖先も明らかでないが、165年の執政官
グナエウスの直系と考えてもまったくの間違えではないかもしれない。
ティベリウス・グラックスに対抗した護民官マルクス・オクタウィウスの方も素性が
まったく明らかでない。

206: 世界@名無史さん
東ローマ帝国に置いては、どの時期まであのローマ特有の衣装「トーガ」が
着られていたのですか?

207: 他スレからのコピペ
>>206
32 :世界@名無史さん :03/11/10 18:52
古代の人々にとっては、476年のロムルス・アウグストゥルスの廃位なんかより、
4世紀初頭の諸変化
・コンスタンティヌス大帝によるキリスト教公認
・トーガやヒマティオンのような寛衣に変わってカミシアと呼ばれる裁縫された
 筒袖を備えた下着が登場したこと
・ロトルス(巻子本)からコデックス(冊子本)に転換したこと
のほうが影響が大きかったと思われ。

221: 世界@名無史さん
アルキメデスがローマとの戦いの時に使ったソーラー兵器や重機動兵器の数々は
どのくらいの戦果をあげたの?

230: 「ど」の字
>>221
 アルキメデスミラーはローマのガレオン船を火災で無力化できたといわれています。
(本来の使用法はどうも城壁を登る兵士の目を眩ませることだったようですが)

 重機動兵器は、特に狙いの正確な投石器がローマを悩ませたようです。
 投石器は間接砲撃兵器で、城壁上の観測員の指示で指定箇所に砲撃していたとのこと。
 クレーンが本当にガレオン船をひっくり返したかどうかは、研究している団体が居るそうですが…。


 とにかく、これらの兵器はローマの四個軍団がシラクサ城壁にとりつけなくなるほどの威力を示したようです。
 結局ローマは正攻法ではシラクサを陥とせず、相手の祭祀中の隙をついて城門を開けて陥としました。
 一年ローマの四個軍団を足止めしたのですから、十分な戦果と言えるでしょう。
 カルタゴが積極攻勢に出ていたら、ローマは制海権を失っていた可能性もあったでしょう。

222: チュウ
なんかスパルタには、二つの王家があったと聞いたのですが、どんな
しくみで国を統治したのでしょうか?

224: 世界@名無史さん
>>222
統治のやり方、僕も興味あります。
王が二人いるというのは地中海的なんだと思います。神話でも二神が一組
になってる例が多い(ロムルス&レムス、カストール&ポリュデウケス、
プロメテウス&エピメテウス)。なんでなんだろ。

226: 世界@名無史さん
>>222
スパルタの王家は、確か交代で、一方が軍隊の総司令官、他方が民会(もちろん全員が貴族階級、ローマの元老院のようなものか)
の議長を交互に勤めていたようだよ。

231:  
ローマ人は、宗教と迷信をどう区別してたの?
多神教(自然宗教)の社会では、宗教と迷信・呪術の区別がつきにくいと
思うんだけど。

232: 世界@名無史さん
>>231
多神教では神はそれぞれ個性的で非常に人間臭い。
神は完全なものではないから、神に法を作ってもらってもどーせ完全ではない。
「人間の法は人間が決めよう」となっても不思議はないよね。
古代ローマ人ってそういう意味ですごく合理的だったから、けっこう政教分離してた。
宗教と迷信の区別は政教一致の場合は重要だけど、政教分離している場合は厳密でなくてもいいんじゃない?
政治的には影響ないから。
一神教は「神が絶対的に正しい」と考えるから、政教一致になりやすい。ローマにとっては脅威だっただろうね。

233: 世界@名無史さん
>>232
もともとのローマの神々はあんま人間的でなかったらしい。

261: 世界@名無史さん
>>233
>もともとのローマの神々はあんま人間的でなかったらしい。

ヤヌス神は顔が二つあるよね。
ユピテル、ユノー、ミネルウァ、ウルカヌス、ケレスなどは
どんな存在だったんだろうか・・・

233: 世界@名無史さん
>>231
マジレスすると時代と人による。
託宣も法の根拠として大いに活用された。

235: 世界@名無史さん
ローマ人の中にはユダヤ教のことを迷信だと書いた者もいた。
その一方で、占星術は盛んだった。
セヴェルス帝は、妻のユリア・ドムナを好運勢の女性ということで
選んだという説がある。

236: 世界@名無史さん
ローマ皇帝は政情の安定していた初期でも、養子だったり連れ子だったりと
血統にはあまりこだわっていないようですが、そういうモノなんですか?
古代社会では異質な気がするんですが。

237: 世界@名無史さん
>>236
アウグストゥスによって始められた元首政は、あくまでローマ皇帝を
市民や元老院中の第一人者とするタテマエだったので、別に世襲である必要は
無かった。
あと、南川高志氏などは、五賢帝時代の皇帝の養子縁組は、世襲する実子が
ないための擬制的手段に過ぎないと主張している。

238: 世界@名無史さん
軍隊が推薦し、元老院が承認し、市民に対して就任宣言を行う、という皇帝就任手続きは
世襲だろうと簒奪だろうと踏まなけりゃならない。

239: 世界@名無史さん
ローマ帝国が他の古代社会と比べて異質だったのは、

(A)血縁的な保護=被護関係 
(B)自由な保護=被護関係 → (1)特定多数を相手として
              (2)不特定多数を相手として 

A→B1→B2と進んだことだと思う。

240: 世界@名無史さん
そうはいっても、ユリウス=クラウディウス朝はちゃんと血統で繋がっているし、
フラウィウス朝が起こるとユリウス=クラウディウス一門の財産は没収されている。
やっぱり血は重要だよ。長子相続のような明確さがないだけであって。

241: ◆RlujhF6VrA
当時、国家の財産と皇帝個人の財産の区別があったのか?
何かかなり混同されてたようだが。
区別がないなら皇帝の財産=国家の財産(の一部)ということだから、
皇帝が変わった時点で没収されても不思議ではないかと。

242: 世界@名無史さん
>>241
国の財産と皇帝の財産との間には、厳密に区別があったぞ。
ローマ皇帝は王ではなくて、議会に選ばれた終身の大統領だからな。

244: ◆RlujhF6VrA
>>242
遺言で皇帝に財産を幾らか寄付しなければならないという法律があったり、
(相続税の走りか?)
宮廷の諸役人の給料や軍事費を皇帝が全部自腹で賄っていたとかいう
記述を見ると、区別と言っても現代人の感覚とは相当違っていて、
単なる私有財産の没収とも言えないような気がするんだよね。

243: 世界@名無史さん
ドミヌス制とプリンケパトゥス(だっけ?)制って具体的にはどう違うんでしょう?

245: 世界@名無史さん
>>243
プリンキパトゥス(元首政)はアウグストゥス帝が始めたもので、
彼は王を嫌うローマ人の人心を察して共和制の形式を尊重し、プリンケプス
(第一の市民)として政治を行った。実質的には独裁君主。

軍人皇帝時代が続いた後、3世紀末にディオクレティアヌス帝が混乱を平定。
これ以後、共和制の形式はほとんど失われ、皇帝が専制権力を持ち現人神に
近い存在になるものだった。
これがドミナートゥス(専制君主政)。
ちなみにラテン語のドミヌスは奴隷に対する「主人」の意。

247: 世界@名無史さん
ドミナトゥス制になると、
ペルシア宮廷の習慣が導入されて、
跪拝礼が行われるようになった。

248: 世界@名無史さん
金髪、碧眼、長身のガリア人、ゲルマン人の容姿を
古代ローマ人はどのように感じていたのですか?

249: 世界@名無史さん
金髪の鬘作り被りました。

250: 世界@名無史さん
>249

それは金髪が好ましいものとして捉えられていた、ということ?
確かにローマに先立つエトルリア文化では、「神は金髪」とされていたそうだし。

しかし当時、ガリアやゲルマニアはど田舎の野蛮人だからな・・・

252: 世界@名無史さん
「メッサリナ(黒髪)が、夜な夜な金髪のカツラをつけて、売春宿でリュキスカ
という名前で働いていた」ということからすると日本人の金髪に対する態度
に近いものはあったのでは。

265: 世界@名無史さん
古代ローマ人の名前に付いて教えて下さい。
例えば、クラウディウス氏族のルキウス・コンスタンティヌスと言う人が
ユリウス氏族のカエサル家に養子に行ったら、名前はルキウス・何々・コンスタンティアヌス
になるんですか?

267: 世界@名無史さん
>>265
平民のガイウス・オクタヴィウスがユリウス氏族カエサル家の
養子に行った後の名前がガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌス。
元の家名は変化して最後につくらしい。氏族名はどうなるんだろう…

268: 世界@名無史さん
>>267
普通養子になると、氏族名を養子先の名前に変えますが、
トラヤヌス帝などは、先帝ネルウァの養子になった後も、自分の氏族名である
ウルピウスを保ち、ネルウァのコッケイウス氏族の名を受け継いではいません。

266: 世界@名無史さん
アテネ民主制が形成されるまでの過程を論述するんですがどのへんをおさえておけばいいですか??

271: 世界@名無史さん
>>266
無産階級がガレー船の漕ぎ手として参戦したこととか、
民主性が完成するにつ入れて閉鎖的になり、両親ともアテネ生まれでないと
市民権がもらえなくなったとか。

ほかに何かある?

280: 世界@名無史さん
>>266
ファランクス,phalanx
古代ギリシャの重装歩兵集団・方陣。
起源はB.C.7世紀に始まりB.C.5世紀に完成。
民主制の成立を促した。
のちにマケドニア王フィリッポス2世が改良。(古ローマの)レギオンに発展。

276: 世界@名無史さん
ペラスゴイ=クレタ文明の主ですか?

考古学的にアテネは民族移動の形跡無く住民が変わっていないそうですが、ぺラスゴイ?

テーバイカドモス王家の話から、フェニキア人もギリシャに移住?

283: 世界@名無史さん
>>276
4部族集住で都市建設がアテネの起源ではなかったっけ?
町の最初から4部属だったのか?

277: 世界@名無史さん
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/ephoros/ephoros4.html

ペラスゴイについては、この部族は、最初は、ヘラス全域に、とりわけテッタリアの
アイオリス人たちの間に広がっていたということは、ほとんど全員が一致承認している。
また、エポロスが信じていると主張するところによれば、もともとはアルカディア人
たちであったが、戦士の生活を選び、多くの人たちを勧誘してその同じ訓練を受けさせ、
その全員に〔同じ〕名称を名乗らせ、かくて、ヘラス人たちの間でも、その他の
人たちの間でも、およそ彼らが出向いていったことのあるかぎりの〔土地の〕人たちの
間で、多大な名声を博した。というのも、彼らはクレテの移民であったと、ホメロスが
主張している

287: Ryuju ◆RlujhF6VrA
ローマの市民権について質問。
属州民が二十年間軍隊に入って満期除隊になれば市民権が
貰えるというのは知ってますが、他に市民権を得る方法は
なかったんでしょうか?

例えば市民権を持っている家に女の子しか生まれなかったとして、
彼女と結婚して婿養子に入った場合、夫は市民権を獲得できるんでしょうか?
他にも、賄賂で市民権を獲得したとかいう例はないんでしょうか?

288: 世界@名無史さん
カエサル以降は、医者と教師になると、市民権を獲得できる。
解放奴隷の子供も市民権を獲得できなかったっけ?
いつかまでは、財産が一定以上必要だったけど。
結婚関係はよくわかんねえよ。

289: 第20軍団兵
"養子"はオールマイティになんでも譲れる。たとえ”子"が現役奴隷でも(共和制期にその例がある)
ちなみに"子"が奴隷の場合、即座に解放され投票権付きの市民権を得た。

父親が不明な場合は、母親の法的身分を"子"は受け継ぐ。奴隷が産んだ子でも父親が認知すれば市民になる。
普通、婿養子の場合は同時に"養子縁組"もするのが慣例。
cfタキトゥス:彼はアグリコラの婿養子、それ以前の経歴はアグリコラと同じ属州の出身ということ以外はわかっていないようである。
しかし、アグリコラの養子でなければ執政官-->属州アシア知事となるのは不可能事

294: 世界@名無史さん
>>289
ローマの奴隷は、新大陸の黒人やなんかの奴隷と同じイメージで捉えると、理解できないよ。
身分的には、日本で喩えると、江戸時代の水呑百姓みたいなものだ。
市民が江戸時代の士族階級に近い。武装と参政の権利がある。日本の江戸時代では農民に
納税義務と限定的な自治権のみしかなかったが、その農民が武装と参政の権利を得たような
ものが、ローマ時代の市民。
ローマ時代、特に帝政期より前には、兵役は義務ではなく権利として認識されていたため、
日本では帯刀権に近いものと捉えてよいだろう。

296: 世界@名無史さん
>> 287
ローマ市民になるには大別して以下の4つの方法以外にない。
 
(1)出生(市民権を持つ両親からの嫡出子、もしくは、市民権を持つ母親からの非嫡出子:ただし、
父はラテン市民権を持つものや通婚権を持つ外人。紀元後52年以降奴隷が父の場合、母親は厳しく
罰せられ、奴隷身分となる場合もあった。この法がそれ以前にはなかったのは、そのようなケースが
起こることを想定していなかったためと推察する。なお、嫡出子の法的身分は父親のものを引き継ぐ。)
 
(2)奴隷解放
 
(3)ラテン市民からの昇格(ローマへの移住により市民権を獲得できたが前2世紀に法により規制)
 
(4)法や為政者(達)による付与(兵への市民権付与はこれにあたる)


私はそれ以前に>>289が何を言っているのかよくわからん(w
>>289が言っている内容を私なりに解釈すると誤解だらけ。
奴隷を養子とした場合の話はおそらくカエサル暗殺後の混乱期の話だと思うが、その時期に限定され
た極めて特異的な話。
また、「合法的な婚姻関係にある夫婦以外の子、すなわち、非嫡出子は母親の法的身分を受け継ぐ」
わけだから、母親が奴隷の場合、その子の身分は奴隷。
したがって、「奴隷が産んだ子でも父親が認知すれば市民になる」ということはありえない。
たとえば、カエサルとクレオパトラの子、カエサリオンはローマ市民にはなり得ない。
さらに、タキトゥスについても大いに誤解されいるようですが(経歴やアグリコラとの関係)、
長くなるので省略。
ついでながら、cfの使い方もちょっとおかしい。

307: 世界@名無史さん
「デルフォイの神託」や「オリュンピア競技会」の活動に表せる「宗教としてのギリシア神話」、また「宗教としてのローマ神話」が絶滅したのはいつごろなのでしょうか?
私が今までイメージしていたのは、ローマ帝国の国教がキリスト教となってしばらくしたある日、
十字架を奉ずるローマ兵の一個軍団がどやどやと押しかけてきて神官・巫女を鏖殺、パルテノン神殿を焼き討ち、という弾圧の光景なのですが。

308: 世界@名無史さん
>>307
パルテノン神殿はキリスト教会に改造されました。
異教が滅亡したのはテオドシウス帝時代。

309: 世界@名無史さん
392年テオドシウス1世は、異教禁止令を発布、異教の供犠と祭式を
彈圧する。426年テオドシウス2世(401-450.在位408-450)は、異教神殿
破壊令を発布する。これ以後、偉大な古代ギリシアの聖域は、破壊され
砂塵の中に埋もれ、19世紀まで1500年の眠りを眠ることになる。
例えば、394年オリュンピア祭典は禁止され393年の祭典が最後となり、
デルポイの神託は4世紀以後行なわれなくなる。古代ギリシアの密儀、
デイオニュソス、エレウシス、オルフェウスの秘儀がこの地上から姿を
消し、再び蘇ることはなかった。529年、皇帝ユスティニアヌス1世
(483-565)は、アテナイのアカデメイア閉鎖を命令。プラトンがBC387年
に開いて以來、アカデメイア9百年の歴史が息の根を止められる。

310: 世界@名無史さん
テオドシウスや自身の選択言うより、即位に際して暗躍したミラノ司教の
アンブロシウスが黒幕ですね
>テオドシウスと長男アルカディウス(東)次男ホリウス(西)の異教弾圧。
恩義を受けているから、アンブロシウスが「アリウス派を含む異教崇拝の全面禁止」を主張すれば、
もはや抵抗する余地が無かったのでは?

キリスト教徒の官界への進出はコンスタンティヌス帝がミラノ勅令を撤回して
各宗教におけるカトリックの優位を認め事実上の国教とした時から始まってますので

316: 世界@名無史さん
アレクサンドリアの女性哲学者ヒュパティアを殺害したのは
キリスト教側の汚点だよな。


引用元: ・★古代ギリシア・ローマ何でも質問室★







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